一橋山岳会のホームページへようこそ。当ホームページは2008年8月1日に開設しました。
山野鳥 会   報
山野の鳥についての論文、随筆、記録などのコーナーです。
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■2012年9月26日 NPO法人ライチョウ保護研究会について 竹中(昭和39年卒)
■2012年1月 ライチョウ談義(その4) 駒ケ根市Aさん Bさん 三井 博(昭和37年卒)
2012年1月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第3回) 松尾 信孝(昭和48年卒)
■2010年11月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第2回) 松尾 信孝(昭和48年卒)
■2010年8〜9月 ライチョウ談義(その3) 三月会有志
■2010年7月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第1回続き) 松尾 信孝(昭和48年卒)
■2010年6月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第1回) 松尾 信孝(昭和48年卒)
■2008年7月〜  * ライチョウ談義(その2) 三月会有志
■2007年11〜12月  ライチョウ談義(その1) 三月会有志


■2012年9月26日 NPO法人ライチョウ保護研究会について 竹中(昭和39年卒)
          ****** 2012年9月26日のHUHACメールより転載

 今月のJAC会報「山」に大森弘一郎会員(慶応OB)により以下の案内が掲載されていました。

   「NPO法人ライチョウ保護研究会「市民会員」のご案内」
NPO法人ライチョウ保護研究会に市民会員というルールができました。
この市民会員のお世話は担当理事の大森弘一郎がいたします。
市民会員ルールでは、名前、年令、メールアドレスを、大森のメールにお送りいただくだけで、ライチョウ保護研究会にご入会いただけますので、ぜひご利用下さい。
          (メールアドレス:zero@qb3.so-net.ne.jp 大森)

 会員には、メールを使ってBCCで役立つ情報をお送りします。ライチョウの生態やとりまく環境に関する資料・情報、講演会や観察会もご案内します。・・・・略・・・・ 年会費は千円ですが、思いついたときに下記の口座にお送りくだされば結構です。入会条件は、メールアドレスをもち、ライチョウや自然が好きということだけです。・・・・以下略。
振込先:ゆうちょ銀行  一一八店  (イチイチハチ)
(普)3492319  ライチョウホゴケンキュウカイ 

嘗て三月会の席でライチョウ論争(?)もありましたので、ご紹介いたします。



ライチョウ保護研究会ホームページ』トップ頁より 

会   報


■2012年1月 ライチョウ談義(その4) 駒ケ根市Aさん Bさん 三井 博(昭和37年卒) 

                      
(編集前書き)
2012年1月に「ライチョウ談義(その1)」所収の三井さんの「ライチョウの生息地について」に関して、駒ケ根市のA、B両氏からお問い合わせメールを戴きました。それに対する三井さんの回答、A氏からの資料ご提供がありました。両氏のご了解を戴きましたので、それらのメール&資料を以下に収録します。
なお、「ライチョウ談義(その1)」の以下の記事が両氏のメールで引用されていますので冒頭に再録します。(中村 雅明)

●ライチョウの生息地について 三井 博(昭和37年卒)
********** 2007年11月26日のHUHACメールから転載
ライチョウの生息地について
中央アルプスの木曽駒ケ岳にも生息しています。
2007年9月8日(土) 私は木曽駒ケ岳に登りました。午後1時半頃かと思いますが、宝剣山荘から中岳に登山中、山荘からいくらも登らないうちに、石で囲った高山植物の保護場のような囲いが2箇所あり、その手前から大きな鳥が慌てて石垣の反対側に逃げていきました。同行のリーダーがライチョウだと教えてくれました。ライチョウが木曽駒にいるかどうか、念のため地元に確認しましたところ、確かにいるとのことです。目撃者も多く、写真に撮った人もいるそうです。
 確認先 駒ヶ根市観光案内所 п@0265−82−4263、81−7700  
 私が登山中に見かけたライチョウは、他に次の2箇所です。
 2003年7月23日(水) 火打山 頂上付近(1羽)
 2004年8月28日(土) 北アルプス水晶岳〜赤牛岳縦走路の尾根筋(雌親、子3羽)

●ライチョウのこと(その3) 佐薙 恭(昭和31年卒)
********** 2007年12月11日のHUHACメールから転載
11/26の三井さんの「木曽駒でライチョウを見た・・・」というメールのコピ−を添付して、「木曽駒では姿を消した・・・」という文を03年に日経に書いた山階鳥類研究所の山岸所長に「こういう情報がありますが」という趣旨の手紙を小生書きました。
今日同氏からメールで連絡がありました。HUHACに添付する方法を知らないので、興味ある方のためにメールの要旨を以下に書きます。情報への感謝の後「木曽駒でライチョウを確認されたとのこと、ライチョウの分散記録として重要です。ライチョウはペアで見かけたからといって繁殖しているとはかぎりません。「生息」という言葉は科学的に紛らわしくただ存在するだけ(そこで生きているだけ)でも生息ということがありますし「生きて子供を残して」こそ、生息だという見方もあります。生物学的には通常はこちらでこの用語を使います。
ライチョウはしばしば本来の分布域以外の山岳で、単独とかペアで見られることがあります。その場合の多くは、本来の分布域から分散飛翔してきて、一時的にそこに存在しやがて消滅するものが多いようです。長野県の北部では、高妻山とか飯綱山とか黒姫山でまれにこういう現れ方をします。
木曽駒のライチョウがどちらのケースなのか、今後見ていく必要があるでしょう。富士山にライチョウを移送したのは私の恩師の故羽田健三信州大学教授です。ライチョウのことに関しては信州大学教授中村浩志さんを中心とした「日本ライチョウ会議」という会があり、そこですべてをまとめておりますので一度彼と連絡を取られることをお薦めします。・・・

●Re: [HUHAC]ライチョウのこと(その3) 三井 博(昭和37年卒)
********** 2007年12月12日のHUHACメールから転載
佐薙さん
 私の一文に大変なご努力をいただいて、恐縮いたします。私も更に関係者などの確認したい と思います。

***** 以上前書 *****

●中央アルプスのライチョウについて Aさん
       ********* 2012年1月15日投稿
一橋山岳会様
はじめまして、私は長野県駒ヶ根市の学芸員Aです。
先ほど、ライチョウのことを検索していたところ、みなさんのホームページにたどり着きました。その中で、下記の三井さんの報告を拝見しました。
この報告の中で地元の観光案内所での返答は間違いです。
私の立場では、時折、目撃情報が寄せられるが、中央アルプスでのライチョウは絶滅です。
>●ライチョウの生息地について 三井 博(昭和37年卒) (前書参照)
今の所、下記の山岸先生の見解を取っています。
>●ライチョウのこと(その3) 佐薙 恭(昭和31年卒) (前書参照) 
しかし、中央アルプスでの目撃情報は、貴重な情報ですので目撃された三井さんと連絡を取りたいので、私のメールアドレスを三井さんに知らせていただけないでしょうか。いろいろとご足労をおかけしますが、よろしくお願いいたします。

●ホームページの内容についての問い合わせ Bさん
       ********* 2012年1月18日投稿 
一橋山岳会 
ホームページ管理者 様
突然のメールで申し訳ありません。
私は、Bと申します。
貴会のHP(ホームページ)を閲覧し、お願いしたいことがありまして連絡いたしました。
貴会HPの特設コーナー(山野鳥)にライチョウに関する記述がございます。
その中の、
>●ライチョウの生息地について 三井 博(昭和37年卒)   (前書参照)
この記載についてですが、ライチョウ発見者の三井 博様と、直接確認の連絡をとらせていただけると有難く思います。
私は、中央アルプスにおける近年のライチョウ目撃情報を整理していますが、貴会のHPにそのことが掲載されていたので、確認をとらさせていただきたいと思っています。
私も私の仲間も、毎年、複数回は中央アルプスへ登山し、その度にライチョウの生活痕等を調べていますが、現在までの間では発見していません。
三井様の発見は貴重な資料になりますので、直接確認させていただけると、大変有難いです。
何卒、宜しくお願いいたします。
こちらから連絡をしたいので、三井様の電話番号やメールアドレスなど、可能な範囲で教えてください。もし、ご迷惑であれば、その旨、お知らせください。
何卒、宜しくお願い申し上げます。

●Re:ホームページの内容についての問い合わせ 中村 雅明(昭和43年卒)
      ********* 2012年1月16日のBさんへの返信より転載
B様
 一橋山岳会ホームページ管理者の中村です。
 この度は、弊会のホームページをご覧いただき誠に有難うございます。会員以外の方からのお問い合わせ嬉しく思います。
 貴メールへの返信ですが、当事者の三井会員に、直接B様への返信依頼を致します。
 三井会員からのメールをお待ち下さい。よろしくお願い致します。

●Re:Re:ホームページの内容についての問い合わせ Bさん
      ********* 2012年1月17日の中村への返信より転載 
中村 雅明 様
お世話になります。早速のご返信、誠に有難うございます。
三井様に連絡をしてくださるとのこと、感謝申し上げます。
私ども、長野県の教員は郷土の自然調査を進める会が各地にあります。
中央アルプスの麓になる上伊那郡にも、上伊那教育会郷土研究室があり、私を含め、50名以上の教員が地質・植物・野鳥・動物・気象等々、様々な専門分野で調査活動を行っています。
今回、50年ぶりに上伊那誌自然編を改訂することになり、現在、調査活動をしています。
今回のライチョウ目撃は、その中の資料として扱わせていただきたいと考えています。
大変お手数をおかけして申し訳ありませんが、何卒、お願いいたします。
ホームページを拝見させていただくと、貴会は、多方面でご活躍されていますね。
ぜひ、今後も様々な情報を提供していただけると助かります。
貴会の益々のご活躍をご祈念いたします。

●ライチョウの目撃情報について 三井 博(昭和37年卒)
       ********* 2012年1月17日のAさん、Bさんへの返信より転載
 地元の学術書執筆の方が拙文をお読みいただくとは恐縮の極みです。
私は山が好きで登っているだけで、特別野鳥に関心があるわけでもなく、たまたま毎日新聞旅行のツアーで参加した際に見聞きしたことを仲間のホームページに投稿したものがお目にとまったものでしょう。
 実は私も中央アルプスにライチョウがいることに疑問を持っていましたので、駒ケ根市に電話したところ観光案内所を紹介されましたので電話しました。
そこで女性の方からライチョウはいるようです。写真を取った方もいるようですとの返答をいただきましたので記述したわけです。かなりあやふやな情報で申し訳ありません。
 大きな鳥はライチョウでなければ雉かもしれませんが、よくわかりません。ただ鳥はびっくりして箱のような囲いから反対側に飛び出して繁みに隠れたもので、空に飛び立ったのではありません。このツアーは20人以上いたと思われますが、一人で参加したので、知っている人は誰もいませんでした。リーダーの名前も忘れました。毎日新聞旅行に問い合わせればわかるかもしれません。
 電話番号 03−3216−5341 (国内旅行) 
ライチョウはめったにみかけませんが北アルプスの黒岳と赤牛岳の中間の尾根で4〜5匹の子連れのライチョウを間近に見ました。又、火打山で少し離れたところにいるのを目撃しました(雨がふりそうな午後)

●ライチョウの生存情報の記録 Aさん
       ********* 2012年1月29日のAさんのメールより転載
下記の表は、これまでに中央アルプスでライチョウを目撃した情報です。
中央アルプスにおけるライチョウは、1977年の調査では絶滅したと結論づけられています。
しかしその後、信頼できる方から「ライチョウを目撃した」という情報も寄せられています。
2010年に白山でライチョウが確認されたという例があるように、中央アルプスにおいても御嶽山や南アルプスからの飛来が考えられます。こうした飛来個体が繁殖し、中央アルプスに再びライチョウが生息してほしいと願うわけですが、今までの所、そのような状況ではありません。
しかし、今後も中央アルプスでライチョウが目撃される可能性は十分あります。
そこでお願いです。
中央アルプスのライチョウの目撃情報があれば、このホームページに連絡していただけないでしょうか。よろしくお願いします。
(トップ頁の『お問い合わせ等』ボタンをクリックすると弊会宛てにメールが送れます)


    

出典:「駒ヶ根市誌 自然編T 中央アルプスの自然」
会   報

■2012年1月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第3回) 松尾 信孝(昭和48年卒)

         ********** 2012年1月19日投稿
第三回 カケス
この冬(2011−2012)は異常に野鳥が少ないです。2000年に蓼科に移ってきてからこれ程までアダージオにやってくる野鳥が少ない冬はありませんでした。毎年やってくるオオマシコ、ハギマシコ、シメなどの冬鳥ばかりでなく一年中いるウソ、イカルなどもほとんど姿を見せません。野鳥が少ないのはどうも全国的な話のようで、いったい何が起こったのでしょうか。「炭鉱のカナリア」の話が一瞬頭をよぎりました。
そんな中、元気にアダージオに来てくれるカラ類(シジューカラ、コガラ、ヒガラ、ヤマガラ、ゴジューカラ)たちに混じって毎朝カケスもやって来ます。
カケスはカラスの同類ですが、一方は真っ黒で人気のほうはいまいちなのに、こちらはかなり派手な、さながら歌舞伎役者の化粧のような顔で野鳥ファンには人気があります。里山を歩いていると「ギャーギャー」と顔に似合わない悪声で鳴いているのを聞かれた方もあるかと思いますが、なかなか止まっている姿を見せてくれません。
カケスはどんぐりなどの木の実などを分散して隠しておく習性があるのですが、大部分は忘れられてそのままにされてしまうようです。アダージオにお泊りのある御婦人は「私は子供の頃どこにしまったか忘れてしまうのでカケスと言うあだ名がついていたヮ」とおっしゃっていました。うちにも一人います・・・。






会   報

■2011年11月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第2回) 松尾 信孝(昭和48年卒)

         ********** 2010年10月20日投稿
第二回 オオマシコ(大猿子)
アダージオには冬鳥として11月下旬から3月下旬まで飛来。比較的地味な色の鳥が多い中ではこの赤は、特に冬枯れの林の中では良く目立ちます。日本に飛来する個体数は多くないようですが、都市部でも名古屋城公園とか大阪城公園あたりでも見かけることがあるそうです。オオマシコ目当ての観察・撮影に来られるお客様も多く、あまり頻繁に来ないものですから、出てくるまでは私たちもやきもきします。でもこれが現れますとお客様も浮き足立ち、ラウンジも賑やかになります。そんなお客様を観察するのも楽しいです。



会   報
■2010年8〜9月 ライチョウ談義(その3) 三月会有志
●三俣蓮華小屋付近のライチョウ写真 中村 雅明(昭和43年卒)
       ********* 2009年9月28日投稿
 8月15日
三俣蓮華のキャンプ場を過ぎて登りに掛かっていたところ,雷鳥を川名さんが見つけ、写真を撮るべく中村さんが近づくと、雷鳥は中村さんに近づき、暫く中村さんの足元で遊んで行きました。高校生の頃、木曽駒に登って雷鳥をよく見かけた記憶が蘇りました。今回の雷鳥は随分太っていましたが。。。
  『国内山行報告』「黒部源流山行」小島 和人(昭和40年卒) より引用
▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
●双六岳山頂付近のライチョウ写真 佐薙 恭(昭和31年卒)
       ********* 2009年9月24日投稿 
 8月24日 親子5羽に出合いました。
親が少し高い場所に位置し、私の動きに目を配り、道の中央にいる4羽の子供たちに小声で警戒のサインを送っているようだ。しばらく観察を続けたが道を空けてくれないので、「ごめんよ」と声を出して歩き始めると子供たちはハイマツの中に消えていったが親鳥は動かずに私から目を離さなかった。
▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。

●白山のライチョウの記事 蛭川 隆夫(昭和39年卒)
       ********* 2009年9月8日の佐薙さん宛てメールより転載
佐薙さん:
蛭川です。

一時一橋山岳会ホームページを賑わせたライチョウのことですが、北海道新聞の記事に、去る8/3〜4に石川県と環境省が白山で実施した調査でライチョウ1羽を確認、これは昨年6月に発見した個体と同一である(すなわち越冬した)とありました。
日本野鳥の会内では既知のニュースでしょうし、中央紙でも報道されたとは思いますが、念のためご連絡します。
小さい記事なので、ハガキに貼り付けて送ります。
●「白山のライチョウの記事」への返信 佐薙 恭(昭和31年卒)
       ********* 2009年9月11日の蛭川さん宛てメールより転載
 蛭川さん
佐薙です
北海道新聞の記事有難う。日経と読売ではこの記事は見ませんでした。メスが1羽では困りましたね。どういう事情でメス単独なのでしょう。環境省はどこかからオスを拉致するのでしょうか。すべきと小生は思います。
ライチョウの人為的移住はかって富士山と金峰で失敗しているのですが、原因は前者にはハイマツが無い、後者ではハイマツのエリアが小さすぎたためのようです。大雪ならきっと成功するのでは、と小生考えているのですが、多分必要経費が多額になるのでしょうか。
そのプランを小生去年のライチョウ会議の質疑の時提案しましたが、no attention paid でした。

会   報
■2010年7月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第1回続き) 松尾 信孝(昭和48年卒)
         ********** 2010年7月28日投稿
第一回続き
梅雨が明けたアダージオに今年もウソが今年生まれた子供を連れて来ました。
どうも、ウソに限って言えば父親のほうが子供の面倒見はよさそうです。

アダージオの餌台についてえらそうな父親から訓示を受ける子供。


まだ自分ではひまわりの種を食べれられないので父から口移しでもらう。

会   報
■2010年6月 アダージオ(蓼科)の野鳥たち(第1回) 松尾 信孝(昭和48年卒)
         ********** 2010年6月18日投稿
アダージオにやってくる野鳥たちを非科学的な目で見た観察日記です。
第一回
「ウソ」(鷽、Bullfinch) スズメ目アトリ科

新緑に頬の紅色が映えるオス

まだ頭が黒くなっていない幼鳥

アダージオには四季を通じてやってきます。オスは写真のように頬から首にかけて紅色で、メスにはその紅はありません(人間の逆です)。数羽の集団でやってきますが、オスメスの見分けがすぐに付くせいか、数組の夫婦が共同で暮らしているようにも見えます。
梅雨の時期に巣篭もりに入りしばらくは姿を消しますが、梅雨が明けると生まれたばかりのヒナを連れて帰ってきます。ヒナはまだ成鳥のように頭は黒くなっていません。なんだか坊主頭のようで私たちは”うそぼうず”と呼んでいます。親鳥が「ここでご飯が食べれるから万一のときはここに来るのだよ」と教えている感じです。その”うそぼうず”も秋頃には頭も黒くなって大人と見分けは付かなくなります。
鳴き声が「フューフュー」と口笛を吹くような音に似ているところから、嘘をついたときに口笛を吹いてごまかすという意味で「うそぶく」という言葉の語源になったという説もあります。亀戸天神や湯島天神などのいくつかの天満宮では「鷽替え神事」が行われ、ウソの形をした人形を、古いものを納めて”旧年の災厄・凶事などをとりあえずウソとし本年は吉となることを祈念して”(亀戸天神HPより)新しい人形をいただく行事だそうです。

会   報
■2008年7月〜 ライチョウ談義(その2) 三月会有志
●ライチョウに関する新聞記事

2008年7月13日 『日本経済新聞 朝刊』

2009年6月6日 『朝日新聞 朝刊』
***
●ライチョウ(その5) 佐薙 恭(昭和31年卒)
********* 2009年9月25日投稿
ライチョウについてその後調べたこと。
(1) 富士山への放鳥(1960年)の他にもう一度放鳥が試みられたが矢張り失敗に終わった。この試みは山梨県が中心となり1967年に北岳から雄2羽、雌3羽、計5羽の成鳥が捕獲され金峰山に放鳥された。その後10年ほどで確認の情報が途絶えた。ハイマツ帯の広がりが不十分だったことが失敗の要因の一つとされている。(出典後述)
(2) ライチョウが北海道にいたか? 以下専門家の記述(出典後述)から多少長いが要旨を纏めると;「1. かって氷河期にはライチョウは現在よりずっと南の地域まで分布を広げていた。その後氷河期が終わり暖かくなるにつれて北に退いたが北に戻れず高山に取り残された集団がいた。日本、ピレネ−、ヨ−ロッパアルプスの集団である。これらのライチョウは氷河期の遺留動物といわれている。 2. 本州中部の高山には氷河の跡が残され、これらの氷河が形成されたのは約2万年前、後期洪積世ウルム氷期の最盛期である。この頃日本列島は大陸と陸つづきだったのでライチョウはこの時代に大陸から移住してきたものと考えられる。 3. ウルム氷期最盛期の日本の植生分布の推定によれば北海道の大部分の地域、本州中部の標高1000メ−トル以上がハイマツでおおわれた高山植生帯(ツンドラ)であった。この時代、北海道の平地から東北、本州中部の山岳には、いま以上に多数のライチョウが生息していたと考えられる。 4. その後、沖積期に入って温暖化が進み、ニホンライチョウは高山に取り残された。しかしそうだとすると、現在ライチョウが生息していない東北や北海道の高山、さらにその北の樺太にも、ライチョウは生息していたはずだ。ではなぜ、これらの地域からライチョウがいなくなってしまったのだろうか。 5. その理由には、山の高さと面積が関係していると考えられる。本州中部には3000メ−トルを超える山々があり、高山帯の面積も大きい。これに対し、北海道の最高峰である大雪山系旭岳の標高は2290メ−トルであり、高山帯の面積も小さい。今から6000年前の縄文中期には、年平均気温が現在よりも1度から2度高かったと言われている。温暖化が進む中で、本州中部の高山では、ライチョウはより高い場所に逃げることで、生き延びてきたのだろう。それに対し、北海道、東北のライチョウは、温暖化とともに低山から高山に移り住んだが、山が低いために逃げ場を失い、絶滅したと考えられるのである。」 (出典(1)(2)とも「雷鳥が語りかけるもの」中村浩志著 山と渓谷社 2006年 著者は06年現在、信州大学教授・ライチョウ会議会長・日本鳥学界会長)
(3) 上記(2)は日本ではライチョウについて一番権威のある人の記述なのだが、私としては納得しがたい点がある。北海道の大雪山系はたしかに絶対高度は低いがハイマツ帯の広さ(正確な数字はわからないが随分広いという感じがする)、年間の気温、高山植物の豊富なことなどから見て、日本アルプスに比べライチョウ生息地の適性に差があるとは思えないのだが。もし富士山や金峰山でなく大雪山系にライチョウが放鳥されたとしたら、きっと成功したのではないだろうか。(2009/9/24記 佐薙)

会   報
■2007年11〜12月 ライチョウ談義(その1) 三月会有志
(編集前書き)
本稿は、2007年11月22日から12月27日までHUHACメールで配信された[ライチョウ]に関する意見・情報交換を集大成したものです。原文のまま編集していますが、3月会→三月会、雷鳥→ライチョウなど表記を統一し、編集注記をしています。また、HUHACメールで配信不能な写真、新聞記事を追加しています。

2003年3月 八方尾根にて 撮影:佐薙
●ライチョウの日本での生息地 佐薙 恭(昭和31年卒)
********** 2007年11月22日のHUHACメールから転載
今週の三月会で高橋さんと本件について議論しました。野鳥の会の会員の小生にとって曖昧にしておけない問題なので帰宅してから書棚の本、数冊で調べました。結果は次のとおりです。
1.現在ライチョウは北アルプス、南アルプス、新潟県焼山と火打山に留鳥として生息している。(最新の権威ある図鑑及びやや古い図鑑数種による)
2.富士山については、一昔前に人為的に持ち込まれたがかなり前に消息を絶ったという記述をみつけました。以下引用すると
「日本アルプス、新潟県火打山及び焼山の高山帯に留鳥として生息し、また富士山に移したものが生息していたが現在は消息を絶っている。また八ヶ岳や白山でも昔の記録があり、近年にも声を聞いたり見たりの話は時々ある。」
この記述があった本は「野鳥識別ハンドブック・高野伸二著・日本野鳥の会・1980年初版」ですが小生の手持ちは1991/4改訂版4刷なので記述中の「現在」が初版の時点なのか、改訂版の時点なのかはわかりません。
●ライチョウの棲息地について 高橋 信成(昭和38年卒)
********** 2007年11月24日のHUHACメールから転載
ライチョウが富士山に棲息したかの議論について、11月の三月会にて話題となりました。小生は、数年前(或いは10年位前)、自宅近くの東京農大にて、「第4回ライチョウ会議」という毎年場所を替えて行われるセミナに参加して傍聴させていただきました。富山大学、信州大学、東京農大、大町の山岳博物館等のライチョウを研究されておられ方が、順番に研究成果を発表されていました。2日か3日間のセミナでした。毎日プリントを五百円支払って受け取っていました。その前には、富山で開かれたり、大町で開かれたりしたそうです。各発表者の概略内容はそのプリントに記載されておりました。
 三月会の後、自宅に戻り2、3日そのプリントを探しておりました。しかし、見つからず、どうしたものかと考えておりました。部屋が狭いので、家内から古い本は、どんどん捨てないと邪魔でしょうがないといわれ、かなりの書籍は廃棄しました。でもダンボールにいれておいた10箱くらいの中身を見ましたが、ないようです。どうも捨ててしまったようです(注1)。
 記憶では、富士山には以前は、棲息していたが、登山が盛んになり人の影響もあり、現在では棲息していないということです。日本地図の中に従来の棲息地と現在の棲息地が描いてあったようです。 プリントを破棄してしまったようですので、正確なことがいえなくなり大変申し訳ありません(注2)。
 ライチョウの食草についても、地面から生えてきているいろいろな小さな芽をつついて食べているという、確か室堂で何ヶ月もライチョウの生態を観測していた人の発表がありました。小さい芽なのでなんという草なのか草の知識もなくわからなかったという報告があったと記憶しています。

(編集注)
 1.[第4回ライチョウ会費]の資料が発見された旨のメールが高橋さんから届きました。
   (2009年9月15日)
気になってさらに調べたところ、出てきました。正式には、「第4回ライチョウ会議」ということでした。
2003年9月7日(日)東京農大100周年記念講堂が会場でした。

 『第4回ライチョウ会議』資料表紙
 2.孤立したニホンライチョウの生息分布


 『第4回ライチョウ会議』資料
***
●ライチョウの生息地など(その2) 佐薙 恭(昭和31年卒)
********** 2007年11月25日のHUHACメールから転載
引き続き分かったこと
1.山階鳥類研究所長・山岸哲氏が03年頃の日経夕刊に「四季の息吹・ライチョウ」という小文を書いています。少々長いが一部を引用します。「ライチョウの仲間の殆どは北極を取り巻く北半球北端部に広く分布する。そこではコケや地衣類や草本類が生えるツンドラに生息している。低地のツンドラに住むライチョウがなぜ日本では高山に住んでいるのだろうか。それはこの鳥の祖先がかって北半球を広く覆っていた氷河に押されて分布域を南に下げ、暖かくなって氷河が北に後退するのを追って北上したときに寒冷な高山の山頂部に取り残されたからだと考えられている。こうした生物を(氷河遺存種)と呼ぶ。」
更に山岸氏は日本の生息地について触れ、700年ほど前、後鳥羽上皇が白山でライチョウについての和歌を詠んでいるが今は白山にはいないこと、近年まで木曽駒ケ岳、蓼科山、八ヶ岳などに住んでいらしいが姿を消したとしています。同氏は富士山については何も書いていません。

2003年7月5日 『日本経済新聞 朝刊』
***
2.富士山は小御岳火山、古富士火山などの時代を経て今から1万1000年前から8000年前ごろの間の相次ぐ噴火により新富士火山・・・今の姿になったそうです。(富士山検定公式テキスト06年による)日本のライチョウが前記のように「氷河遺存種」らしいこと、現在の富士山の姿が氷河期以降に作られたらしいことからライチョウは自然な形では(人為的持ち込み作業は別として)富士山には生息していなっかったと考えるのが妥当と小生は考えています。
3.世界にライチョウの仲間は何種類くらい、どこに生息しているかとか、ライチョウの英語名は?などにも調べはほぼつきましたが長くなるので、三月会などで飲みながら報告しようかと思っています。
●ライチョウの学名 川名 真理(昭和62年卒)
********** 2007年11月25日の佐薙、高橋会員宛メールから転載
(前略)
ところで、ライチョウについては、わたしも大町の山岳博物館の学芸員の方に 電話取材で教えていただいた経験があります。ライチョウの学名は「沈黙するウサギ足」というそうで実際どんなふうなのか観察を続けていらっしゃる方に聞いたのです。
内容は、以下のURLにまとめてありますので、よろしかったらご覧ください。
▼日本の名峰「おすすめの山・40山・燕岳」のうち、コラム部分です。
                 http://www.nhk.or.jp/meihou/osusume/tsubakuro.html
                 黄線部分をダブルクリックするとURLが開きます。
(私事で恐縮ですが、この40山の文章は、針葉樹会の白石さん経由でお仕事 を頂戴し、わたしがまとめさせていただいたものです)

●ライチョウの生息地について 三井 博(昭和37年卒)
********** 2007年11月26日のHUHACメールから転載
ライチョウの生息地について
中央アルプスの木曽駒ケ岳にも生息しています。
2007年9月8日(土) 私は木曽駒ケ岳に登りました。午後1時半頃かと思いますが、宝剣山荘から中岳に登山中、山荘からいくらも登らないうちに、石で囲った高山植物の保護場のような囲いが2箇所あり、その手前から大きな鳥が慌てて石垣の反対側に逃げていきました。同行のリーダーがライチョウだと教えてくれました。ライチョウが木曽駒にいるかどうか、念のため地元に確認しましたところ、確かにいるとのことです。目撃者も多く、写真に撮った人もいるそうです。
 確認先 駒ヶ根市観光案内所 п@0265−82−4263、81−7700  
 私が登山中に見かけたライチョウは、他に次の2箇所です。
 2003年7月23日(水) 火打山 頂上付近(1羽)
 2004年8月28日(土) 北アルプス水晶岳〜赤牛岳縦走路の尾根筋(雌親、子3羽)
●Re: [HUHAC] ライチョウの棲息地について 蛭川 隆夫(昭和39年卒)
********** 2007年12月11日のHUHACメールから転載

 >>大町の山岳博物館等のライチョウを研究されておられ方が、順番に研究成果を発表されていました。

という高橋さんのメールからヒントを得て、大町の山岳博物館に問い合わせてみました。
以下にその回答をコピーします。
<蛭川の問い合わせメール>
蛭川隆夫と申します。中高年の登山愛好家です。先日、仲間で「富士山にライチョウがいるか(いたか)」ということが議論になりました。
A:富士山は氷河期以降に噴火で今の形になったので、氷河時代の生き残りのライチョウ
 は富士山に昔からいなかった。
B:以前、東京農大で行われた雷鳥セミナーで、「富士山にも以前はいたのだが環境変化
  などで絶滅した」と教わった記憶がある。
この二つの意見のうちどちらが正しいでしょうか。また、それを裏付ける本や論文(手に入りやすい物)を教えてください。
<山岳博物館の回答>
山岳博物館の管理者です。蛭川さんのメール「ライチョウについて教えて」について返信します。
富士山のライチョウについて
(A)の考え方が一般的です。
(B)については下記のとおりです。
●1960年8月に日本野鳥の会、林野庁が中心となって白馬岳のライチョウ7羽を富士山に移殖
●放鳥した場所は静岡県富士宮口4合目
●1966年に調査
●なわばりの見張りをしているオス、つがいが形成できなかったアブレのオスも数羽確認
●巣を2ヶ所発見
●吉田口七合目の巣には5卵、須走口五合五勺には6卵
●上記は「富士国立公園博物館研究報告」第16号より
その後、登山者や山小屋などの関係者からもライチョウについての情報がありません。
富士山にはハイマツがないのでミヤマハンノキの下に営巣していたという記録もあり、おそらく、富士山では繁殖を繰り返し世代交代ができる環境が充分ではなかったと推測できます。
したがって、(もともと生息していたが)環境の変化がいなくなった要因とは考えにくいのですが…。
<蛭川補注>
上記の「富士国立公園博物館研究報告」第16号の写真2葉(抱卵と見張りを)がメールに添付されていました。

***
●ライチョウのこと(その3) 佐薙 恭(昭和31年卒)
********** 2007年12月11日のHUHACメールから転載
11/26の三井さんの「木曽駒でライチョウを見た・・・」というメールのコピ−を添付して、「木曽駒では姿を消した・・・」という文を03年に日経に書いた山階鳥類研究所の山岸所長に「こういう情報がありますが」という趣旨の手紙を小生書きました。
今日同氏からメールで連絡がありました。HUHACに添付する方法を知らないので、興味ある方のためにメールの要旨を以下に書きます。情報への感謝の後「木曽駒でライチョウを確認されたとのこと、ライチョウの分散記録として重要です。ライチョウはペアで見かけたからといって繁殖しているとはかぎりません。「生息」という言葉は科学的に紛らわしくただ存在するだけ(そこで生きているだけ)でも生息ということがありますし「生きて子供を残して」こそ、生息だという見方もあります。生物学的には通常はこちらでこの用語を使います。
ライチョウはしばしば本来の分布域以外の山岳で、単独とかペアで見られることがあります。その場合の多くは、本来の分布域から分散飛翔してきて、一時的にそこに存在しやがて消滅するものが多いようです。長野県の北部では、高妻山とか飯綱山とか黒姫山でまれにこういう現れ方をします。
木曽駒のライチョウがどちらのケースなのか、今後見ていく必要があるでしょう。富士山にライチョウを移送したのは私の恩師の故羽田健三信州大学教授です。ライチョウのことに関しては信州大学教授中村浩志さんを中心とした「日本ライチョウ会議」という会があり、そこですべてをまとめておりますので一度彼と連絡を取られることをお薦めします。・・・
●Re: [HUHAC]ライチョウのこと(その3) 三井 博(昭和37年卒)
********** 2007年12月12日のHUHACメールから転載
佐薙さん
 私の一文に大変なご努力をいただいて、恐縮いたします。私も更に関係者などの確認したい と思います。
●ライチョウ(その4) 佐薙 恭(昭和31年卒)
********* 2007年12月27日のHUHACメールから転載
12月の三月会で「ライチョウは北海道にいるか?」が話題になった由。小生が図鑑その他で調べたことをお知らせします。
1.本州の北アルプス等で見られるライチョウ(学名 Lagopus mutus) は北海道には生息して
 いない。

(財)日本鳥類保護連盟『鳥630図鑑』
2.北海道にはライチョウの親戚である別の種、エゾライチョウ(学名 Tetrastes bonasia)が通
 年生息。低地〜山地の針葉樹林や針広混合樹林に住む。ほぼライチョウと同サイズ。茶色っぽい鳥。ライチョウと異なり夏、冬の衣装がえはしない。

(財)日本鳥類保護連盟『鳥630図鑑』
3.ライチョウとエゾライチョウの学名の1st word が異なる点、注目。親戚ではあるが近縁ではなく遠縁であるということ。
ライチョウの世界的分布はユ−ラシア北部、日本、北米、グリ−ンランド、北極。英語名は米国ではRock Ptarmigan。欧州では ただPtarmiganが一般的。
エゾライチョウは分布は日本、ユ−ラシア。英語名HazelGrouse。
4.日本に生息するライチョウの学名の1st word、 Lagopus を共有する鳥は世界に3種。他の2種は日本には生息しない。
(1)Lagopus lagopus 和名はカラフトライチョウ、分布はユ−ラシア、北米。英語名は
Willow Ptarmigan.
(2)Lagopus leucurus 和名オジロライチョウ、英語名 White-tailed Ptarmigan 分布は北米のみ。
Lagopus とはギリシャ語でウサギの脚という意味、毛が生えていることから。小生アラスカのツンドラでライチョウとカラフトを観察。オジロは見ていません。
5.ライチョウとその仲間は北半球のみに生息。しかし何故かヒマラヤには生息せず。似た鳥で英語名、Snow-cock類(和名セッケイ類)が生息している。夏、冬の衣装がえはしない。
以上興味ある方のために。佐薙
会   報

   



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