一橋山岳会のホームページへようこそ。当ホームページは2008年8月1日に開設しました。


会   報 会   報

2015年〜16年末の「国内山行報告」はこちら

2012年〜14年末までの「国内山行報告」はこちら

2011年末までの「国内山行報告」はこちら

現役・OBの皆さんの国内の山行報告コーナーです
▼山行名をクリックするとそれぞれの報告詳細へジャンプします。

■2018年8月4〜7日 南アルプス・茶臼岳〜光岳〜池口岳縦走 中村 雅明(昭和43年卒)
■2018年8月2〜5日 大滝山・中村新道を歩く 本間 浩(昭和40年卒)
■2018年7月20〜23日 暑寒別岳 岡田 健志(昭和42年卒)
■2018年7月13〜14日 誰も登らない大滝山(2,616m) 
誰も知らない鍋冠山(2,194m)
播隆上人が辿った槍ヶ岳開山の道を歩く
藤原 朋信(昭和44年卒)
■2018年6月13〜14日 鹿島槍ヶ岳慰霊登山   中村 雅明(昭和43年卒)
■2018年5月11日 横津岳(三四郎会山行)  岡田 健志(昭和42年卒) 
■2018年5月10日 「恵山&海向山」登山記(三四郎会山行)  半場 三雄(昭和40年卒)
■2018年5月9日 函館山縦走記(三四郎会山行)  吉沢 正(昭和42年卒) 
■2018年1月10〜12日 「昼から会」メンバーによる新年丹沢行
―― 鳥尾山中尾根から桧洞丸まで ――
竹中 彰(昭和39年卒)
■2017年12月10日 越前岳(富士ビュー、懇親山行) 岡田 健志(昭和42年卒)
■2017年6月17日 日留賀岳   藤原 朋信(昭和44年卒)
■2017年6月4〜5日 守門岳・浅草岳(懇親山行・単独&延長山行) 佐藤 周一(昭和54年卒)
■2017年6月3〜4日 懇親山行(守門岳) 加藤 博行(昭和51年卒)
太田 貴之(平成28年卒)
■2017年5月2日〜4日 五竜岳−宿願を達する− 岡田 健志(昭42年卒)





■2018年8月4〜7日 南アルプス・茶臼岳〜光岳〜池口岳縦走 中村 雅明(昭和43年卒) 
       *********** 2018年8月22日投稿

 盛夏8月、南アルプス(以下南ア)南部・茶臼岳〜光岳〜池口岳縦走を好天に恵まれて楽しみました。光岳は4年越しの登頂です。2015年の7月末に小島和人さん(昭40)と2人で椹島か ら入山し、荒川三山〜赤石岳〜聖岳〜光岳と歩き、易老渡に下山する予定でしたが、道半ばの百間洞で小島さんが一睡も出来ない事態に見舞われ、そこで縦走を打ち切り赤石岳に戻り椹島に下山しました[会報第134号参照]。
 翌2016年の8月には本間浩さん(昭40)も加わって易老渡から入山し、光岳〜茶臼岳〜聖岳まで北上する雪辱戦を企画しましたが、便ヶ島の聖光小屋の管理人が亡くなり休業中であることが判明し、聖岳〜赤石岳縦走に変更した為、 光岳はお預けとなりました[会報第137号参照]。
 昨年は藤原さんと200名山の池口岳も含めた今回のコースで光岳を目指しましたが、直前の 悪天予報の為に今年に延期しました。当初参加予定だった小島さんが仕事の都合で参加でき なくなり、佐藤さんが急遽参加することになりました。

** T メンバー
佐藤 久尚(昭41:以後、久さん) 中村 雅明(昭43) 藤原 朋信(昭44)
U 行程
8月4日 静岡(9:50) =(バス:しずてつジャストライン)= 畑薙第一ダム(13:15〜55) =(井川観光協会バス)= 白樺荘(14:10)
8月5日 白樺荘(6:40) =(井川観光協会バス)= 畑薙大吊橋(7:05〜15) − ヤレヤレ峠  (7:50〜8:00) − ウソッコ沢小屋(9:15〜9:22) − 中ノ段(10:32〜10:45) − 横窪沢小屋(11:30〜12:00) − 樺段(14:28〜14:36) − 茶臼小屋(15:06)
8月6日 茶臼小屋(5:26) − 2pで茶臼岳(6:16〜22) − 仁田池(6:41〜50) − 希望峰(7:18〜58)[仁田岳往復後]− 3pで易老岳(10:02〜22) − 3pで静高平(13:15〜45) − 光岳小屋(14:30) [途中、イザルヶ岳往復] 8月7日 光岳小屋(4:25) − 光岳(4:50〜5:00)− 道を間違え戻る(6:21) − 4pで 加加森山分岐(9:33〜47) − 3pで池口岳ジャンクション(11:30〜12:31) [池口岳北峰往復]− 4pで黒薙(15:00〜05) − 2pで池口岳登山口(16:18) ※佐藤&藤原 登山口着(18:15)

** ●8月4日(土) 晴れ
 静岡発椹島行きのバスは今年で3回目、お馴染みとなった静岡駅発9:50の南アルプス登山線(しずてつジャストライン)です。前2回は満員でしたが今年はガラ空きの11名と少数でした。自家用車で畑薙に来る人達が増えたのでしょう。2回休憩し、13:15畑薙夏期臨時駐車場に着きました。臨時駐車場でバスを待つ登山者も少なく意外でした。13:55井川観光協会のバスで5分程戻り白樺荘に着きました。白樺荘は静岡市営で平成21年にリニューアルして日帰り温泉だけでなく、宿泊が可能になり茶臼岳へ登る拠点宿として貴重です。4人ベッド部屋に入りましたが非常に清潔で綺麗でした。温泉(赤石温泉)はアルカリ性のヌルヌル温泉で、露天風呂もあり快適でした。食事も良く、明日からの登山の為に良い宿でした。
●8月5日(日) 晴れ
 6:00朝食。6:40に白樺荘出発。白樺荘で乗ったのは5人ですが、自家用車で来た登山者が畑薙期臨時駐車場、沼平で乗り込むと満席になりました。茶臼小屋で宿泊し、事前予約すれば畑薙大吊橋まで乗ることができます。7:15畑薙大吊橋(茶臼岳登山口:標高960m)出発。 今日は茶臼小屋(2,400m)まで標高差1,440m、約6時間のコースタイムです。平均年齢73.6才 の高齢チームにとっては少しきつい行程です。
 全長181.7mの畑薙大吊橋を渡るとすぐ急な登りが始まり、1pでヤレヤレ峠。峠から下り沢沿いの道を辿り、吊り橋を3つ渡って2pでウソッコ沢小屋。ウソッコ沢小屋から中ノ段 までは急坂の連続で息を切らしました。横窪沢峠までも急な登りで疲れましたが、横窪沢小 屋前に蛇口4つの水道設備があり一息つきました。横窪沢小屋前の風通しが良く大変涼しいベンチで昼食。白樺荘のおにぎり2個弁当を佐藤、藤原両氏は1個のみ食しましたが、中村は藤原さんの1個も含めて3個も食べ、その食欲を2人に呆れられました。
 12:00に出発。登りの傾斜は緩くなりましたが、かなり疲れた足には距離が稼げず、5p2時間半かかって樺段に着きました。ここから茶臼小屋まで40分なので中村が先行し、小屋の寝場所を確保することにしました。かなり飛ばして30分で茶臼小屋着。すぐに受付しましたが、収容人員60名の小屋はかなり一杯で、1階の区画でなく2階の6人区画が割り当てられました。寝具はシュラフで、シュラフの幅が1人当たりのスペースです。 16時頃、佐藤、藤原両氏が到着しました。幸い6人区画に最終的に我々を含め4人入り、2 人分の空きがあったのでゆっくり眠れました。1泊2食付き8500円+翌日の弁当700円、食事 も美味しく良い小屋でした。
●8月6日(月) 晴れ
 朝食を食べずに出かける登山者が3時過ぎから起き出し騒がしくなって落ち着いて寝ていられません。朝食を5:00から済まして5:26に茶臼小屋を出発しました。上河内岳を往復する藤原さんが少し前に出発しました。稜線まで15分。稜線はガスッていて展望がありません。風も強く寒いので長袖シャツを着ました。30分で茶臼岳(2604m)着。残念ながら展望なし。  小憩後暫く下る頃、ガスが晴れ展望が開けました。左手に恵那山、右手に中央アルプス、その奥に御嶽山が見えます。1pで仁田池。南ア主稜線上唯一の池であるこの池は二重山稜の窪地に水が溜まったもので、茶臼山頂東直下にもある二重山稜とあわせて貴重なものとの事。  久さんの話では学生時代の縦走ではここが幕営地になっていたそうですが、現在は幕営禁止です。仁田池から少し登ると希望峰。ここにザックを置いて中村1人で仁田岳を往復しました。仁田岳は稜線から南に派生し頂上付近は樹木がないので360度の展望を楽しみました。これから向かう易老岳から光岳、光岳から続く加加森山、最終目標の池口岳の稜線を目で辿ります。振り返ると上河内岳から聖岳、遠くに富士山、それらを動画に収めました。  
 希望峰から易老岳まで緩やかな樹林帯の登りですが、時折気持ちの良い草地があり、黄色のイワオトギリに慰められます。易老岳手前で藤原さんが追いつきました。流石にハイスピードです。易老岳10:00着。ここから易老渡への下山路があります。易老岳を下り三吉平を通過してゴーロの谷筋を登りますが思いがけずかなりの登りで疲れました。枯沢の源頭が草原状の静高平。最初に見た水場が枯れていたのでがっかりしましたが、少し進むと金属管からたっぷり水が出ているので喜びました。大きなアルミの柄杓が備え付けてあるので、たっぷり喉を潤しました。光岳小屋は水を提供しないので、今晩と明日1日分の水を各自汲みました。水場の近くには紫のミヤマトリカブトが沢山咲いていました。黄色のイワオトギリ、薄いピンクのハクサンフウロも綺麗に咲いています。但し、ここで見れると思っていたコイワカガミは終っていて残念でした。
 ここから光岳小屋までは間もないので、各自のペースで行くことにしました。藤原さんと私は亀甲状土と呼ばれる構造土の上に置かれたセンジガ原の木道手前のベンチにザックを置いてイザルヶ岳(2,540m)を往復しました。イザルヶ岳は樹林がなく360度の展望が得られました。頂上に山名図があったので、聖岳の左手、兎岳奥にある鋭鋒が大沢岳であることが判明しました(ここまで来る途中で判定できませんでした)。また、明日歩く加加森山、池口岳も良く見えました。14:30光岳小屋着。夕食が食べられる時限15:00より30分前に着きました。夕食が食べられる条件はあと2つ。全員50歳以上かつ3人以下のグループというもの。我々はこの条件を満たしたので夕食を無事食べられましたが、荷上げをボッカに頼っていた時代なら分かるがヘリで荷上げができる時代に、何故この条件が残っているのか疑問を感じました。光岳小屋は収容人員40名の綺麗な小屋でした。今晩の宿泊者は少なく、1階の真ん中の広い場所が割り当てられました。小屋番の応対も良く、予約した時の電話に出た管理人?が口うるさい(偏屈な)印象だったので意外でした。夕食は5時前からでしたが、揚げ物1品のみがおかずで少し物足りないものでした(年配者には良い?)。  明日の出発は4:30と早いので、コース確認後7時過ぎに就寝しました。

●8月7日(火) 曇り
 光岳小屋の朝は早い。5時の朝食に先立つ1時間前に灯りが点灯し、皆起き出します。  我々は朝食を摂らず前夜受け取った弁当を持って4:25出発しました。  25分で光岳山頂(2,591m)着。頂上は樹木に囲まれた狭い台地で頂上としての風格はありません。この山より南には2,500mを越える山岳はない南アルプス際果てのピークゆえに100名山に入っているのでしょうか。  
 4:50光岳発、下り始めて直ぐの光石への分岐の先で道を間違え、一つ右の尾根の草付き斜面を下ってしまいました。踏み跡が不明瞭だったので慎重に判断すべきでしたが、もう少し下ればしっかりした道になるだろうと思い込み、かなり下まで下ってしまいました。右手に尾根が見え、そのまま下ると沢まで降りてしまうと判断できるところで道を間違えたと全員の意見が一致しました。ここで役に立ったのが久さんのスマホの「YAMAP」でした。現在位置が明確に確認できました。以後、「YAMAP」を利用しながら進みました。  苦しい登り返しで本来の尾根に戻り朝食を摂ったのが6:20、大きく時間ロスし、体力も消耗したので、藤原&中村は前進をあきらめ、エスケープルートとして考えていた易老岳から易老渡に下山しようと意見一致し、久さんに相談しました。ところ思いがけず「予定通り行こう」と力強い提案があり、2人は一も二にもなく賛成しました。 1pの急な下りで鞍部の草地に着きました。この先の2381m峰までは昭文社の地図に「踏み跡も薄く、とくに難しい。上級者向けコース」と書かれています。時に道を探しながら慎重に進み4Pで加加森山分岐に9:33着。ここから北西に5分程の加加森山を藤原さんのみ往復しました。加加森山からも大変でした。300m下って200m登り返しました。途中の倒木帯では赤布が見つからず手分けして探索しました。   
 池口岳の登りは急でかなり疲れて池口岳ジャンクションに到着したのが11:30。小憩後、藤原&中村は池口岳北峰に向かいました。タクシー予約時刻の15時は無理なので16:30目標で久さんは先行して下ることになりました。頂上までは予想より登りでがありました。北峰頂上(2,392m)は「大井川源流部原生自然環境保全地域」の看板があります。頂上の看板は木にかかった字が消えかけた小さなもので地味な頂上です。樹林の中で展望ありませんが、今回の最終目標を達成してホッとしました。南峰を往復する時間はないのでジャンクションに戻って遠山タクシーに電話をかけましたが通じません。ジャンクションからの急な下りを終えた所で久さんに追い付きました。ここから中村が単独で先行し、電話が通じる所まで急ぎ下ることにしました。登山口まで標高差1,250mを4時間かけて下る長丁場です。急な下りはありませんが、尾根上の5つのピークを登り下りするので疲れ、スピード下山ままなりません。下り始めて1時間で、タクシー運転者に電話がつながり、待ち合わせ時刻を16時半にしてもらい安心しました。
 指導標は3つ目のピークにあるだけですが、木に赤布があり迷うことはありません。ところが最後のピーク黒薙に15:00に着き、指導標を見ると、登山口まで1時間40分とあり、私にとっては再設定した16:30に厳しい時刻です。後続の2人はとても16:30に間に合わず17:30頃になると危惧したので、遠山タクシーに電話した処、「12時からずっと待ってるんですが・・・」と機嫌が悪い口調だったので、待ってもらう交渉を始めた矢先に電話が切れてしまい焦りました。自分だけでも16:30前に下って直接頼み込もうと思い、それからは飛ばしに飛ばして2pで登山口に16:18に着きました。でもジャンクソンからは結局、下山に4時間近くかかりました(朝からの行動時間は約12時間)。
 タクシーでなく大きなバンが待っていました。若い運転手が「いいですよ。お二人待ちましょう。」と機嫌良く言ってくれたので安心しました。それから着替えをしたり、運転手といろいろ話をしながら17:30まで2人を待ちましたが降りてきません。生憎、雨が降って来ました。「ヤッホーヒトーツ」と何度もコールしましたが応答ありません。雨も次第に強くなり、あと15分位すると暗くなるとの運転手の言葉で心配になり、雨具上衣を着て、水とライトを持って迎えに行くことにしました。後ろから運転手も登ってきました。2人は30分程登っても降りてくる気配がありません。コールにも答えません。
 雨も本降りになり、次第に暗くなってきたので悪いケースを心配して「もっと上で動けなくなっているのでは・・、雨の中、今晩ビバークして大丈夫か・・・、救助を要請して登山口まで降ろしてもらい、登山口から200m先の避難小屋で過ごした方が良い。」と地元のレスキュー隊員でもある運転手に救助要請しました。幸い、運転手が警察に電話して現場の位置を説明している間に、上から2人が降りてきて、間一髪遭難騒ぎになるのを免れました。時刻は18時少し前、薄暗くなって足元も見えにくくなってたので、ライトを点けた中村が先導しました。18:15登山口に無事下山し、お世話になった運転手に感謝しました(2人の朝からの行動時間は約14時間)。直ぐに平岡に向かいましたが、車外では土砂降りが長く続きました。
 平岡駅に19時に着きましたが、平岡駅の4階の龍泉閣の温泉で汗を流し、3階で宿泊して明日ゆっくり帰京する目論みは、満室で宿泊できないことから外れてがっかりしました。結局、19:18の飯田線普通で豊橋に出ました。久さん、中村は豊橋の駅前のホテルに宿泊し、藤原さんは少しでも自宅(四街道)に近い三島のホテルに泊まって1日遅れで帰京しました。  
 今山行で目標とした光岳、池口岳に登頂し、4年越しで南ア南部の主稜線のトレースが完了しました。但し、光岳〜加加森岳〜池口岳〜池口岳登山口のコースは予想以上に行程が長く健脚者向けで70才超の高齢者には厳しいコースでした。道を間違えて時間ロスした今回は安全を考えると、易老渡に下山した方が賢明でした。 南アの主稜線を甲斐駒から全てつなげる為には仙丈岳から塩見岳に続く仙塩尾根(馬鹿尾根)が残っています。蝙蝠岳も視野に入れて来年の夏山として考えます。

▼画像をクリックすると大きく表示されます。
8月6日 5:15 茶臼小屋からの御来光と富士山 8月6日 6:27 茶臼岳頂上
 8月6日 7:42
仁田岳からの展望
(易老岳から光岳、加加森山、
奥に池口岳)
8月6日 13:38
静高平の水場
8月6日 13:59
イザルヶ岳からの光岳
 (中腹の小屋は光岳小屋)

       
** 【メンバーの感想】

藤原 朋信
最後の最後で雨に降られましたが、それまで終日好天に>恵まれ、真夏の南アルプス縦走を
楽しめました。3人のパーテーで計画通りの行程を完走できたのは、中村さんのリーダー
シップと久さんの精神力の賜物と思います。山小屋も空いていたので、余裕で四方山話に
興ずることが出来ました。本当に有難うございました。  (8月8日記)

佐藤 久尚
中村さん
藤原さん
今回はいろいろお世話になりました。
体力の限界を超えた山行で、途中で藤原さんに荷物を持ってもらいましたが、何とか完走できて良かったです。これを以てコースタイム9時間を越える山行はお仕舞いにします。
藤原さんのホテル心配、(もしホテルが見つからず三島駅で野宿するような羽目になった
ら小生の責任と気をもんでいましたが)うまく泊まれたたようで安心しました。
有り難うございました。  (8月8日記)


会   報

■ 2018年8月2日(木)〜5日(日)   大滝山・中村新道を歩く   本間 浩(昭和40年卒)
         *********** 2018年9月1日投稿

 日時  2018年8月2日(木)〜5日(日)
 概略  松本=上高地→横尾(泊)→蝶ヶ岳→大滝山・同小屋(泊)→中村新道→徳本峠小屋→上高地=坂巻温泉(泊)=松本
 メンバー  本間浩  岡田健志  高橋康夫(昼から会)

 小生の「常念山脈縦走計画 その2」は、徳本に泊り翌日霞沢を往復、島々に下るのが最初のプランであったが、徳本峠小屋が満員とのことで、上の様に変わった。徳本に泊まれないとは思わなかったのでビックリした。藤原さんの山行記で知りましたが、200名山人気とはツユ知らず、最新情報不足で霞沢と峠小屋にははなはだ失礼した次第。そう言われてみれば、峠に張られた当日のテントの数、擦れ違う登山者の数から今や人気コースになったのがよく判った。
 遅ればせながら「計画 その4」で取り組んでみましょう。尤も再来年なので、その頃にはブームも終わっているかも知れないが。
** 2日  上高地〜横尾なので特に変わった事も無いはずだったが、小梨平でテントを張っていた兵藤さんが通り道で待っていてくれた。早速梓川の流れで冷やしたワインを戴き、小歓談。近々(佐藤)活郎さんも入山するので徳本峠にテントを張り霞沢に登る予定との事。峠付近での再会を約し、横尾に向かう。徳沢ロッジ、2年前佐薙さん・竹中さんと泊まった「徳沢ロッジ」の脇を、もう一度泊まってみたいと思いながら通り過ぎ、新村橋で一休みした。
 横尾山荘は予約してあったので2段棚の個室にすぐ入れたが、予約無しの人々は大部屋で時間まで布団も敷けずに膝を抱えていた。「予約」はしておくものだ、とつくづく感じた。
  
 上高地(12:00)→横尾(15:45)
▼画像をクリックすると大きく表示されます
8月2日12:28(撮影:岡田)
河童橋と穂高連峰
8月2日14:32(撮影:岡田)
徳沢園
8月2日15:46(撮影:岡田)
ソバナ(横尾手前の道端で)

3日
 
 稜線までは息の抜けない急登続きで小生が大分遅れた(1時間強?)。その上蝶ヶ岳で地図を読み違え、長塀尾根を15分か20分下るミスを犯した。気付いて引き返したがここでも小1時間ロスをした。本沢からの道は数年前「計画 その1」で食料持参で登ったが山頂からの下りがこんなに急とは思わなかったので、又道を間違えたのかと不安を覚えたが、間もなく大滝山への分岐に掛り一安心した。後は時間の函数、イズレハ着くしかも降り基調と思ったが、結構樹林帯を歩かされ、10時間近いアルバイトの末の最後の登りはこたえた、ヨ。北峰で藤原さんの歩いた鍋冠山方面への道標を確認し小屋に向かった。
 小屋は広く泊りは10人位なので、居心地が良く食事も悪くはないが、味噌汁・オカズ類をテーブルにドンと置いて、サア各自盛って食べて下さいは如何なものか?
 追加はともかく最初の一杯は盛って出して欲しい。小生のような小食はそれでもイイが、普通の人は不足・不満だろう。
 外のトイレは工事現場に在るようなボックス式で水洗、寸志100円の価値は充分にあった。

 横尾山荘(6:00)〜蝶ヶ岳(13:10―13:40、14:30)〜大滝山荘(17:30)
8月3日 8:18(撮影:岡田)
第二ベンチからの槍ヶ岳
8月3日10:49(撮影:岡田)
2625m地点からの槍穂高稜線
8月3日10:50(撮影:岡田)
2625m地点からの穂高連峰
8月3日15:04(撮影:岡田)
トリカブト(蝶ヶ岳〜大滝山稜線で)

4日
 
 徳本峠までは、大滝山南峰からの下りと中間地点の大滝槍見台の登りが顕著なものでそれ以外は小さな登り降りの連続だった。樹林帯をひたすら歩くだけで景色も拝めず、距離があるだけに疲れは大きい。ただ直射を浴びずに済んだので汗はかくが、熱中症の心配はしなくて済んだ。
 この区間は土の道を歩いたとの思いで、ゴツゴツした岩山と違い山歩きをしたとの、印象が深い、奥秩父中央部の縦走とはこんな感じなのかと思いながら。
 徳本峠小屋の周辺はテントだらけでコリァなんだ!と思ったが、まさか霞沢岳への登山目的とは思いもせず明神にくだった。すぐに一時雨に会ったがその内上がった、今山行唯一の恵雨であった。途中で(佐藤)活郎さんがトップの兵藤隊に出合いエールを交わした。この時間でテント場が空いてるかどうか?
 この先は時間が読め、5時頃には宿(坂巻温泉)に着けそうなので各自ペースで上高地に向かう。坂巻温泉は食事が素晴らしくその上料理のタイミングが適時で、岩魚焼き・コイこく・飛騨牛と全部平らげた。コイの洗いとか天ぷらを残したので、「面前清」とまではいかなかったが、主菜は戴いた。風呂も「秘湯の会」で結構な湯加減でした。帰ってから脚が痛くならないのもこのお湯の所為だったのでしょう。そう言えば、今山行では脚が攣らなかったのですが、多分水分を充分に摂った結果でしょう。もっともO氏2?、T氏1.5?、小生1.3?ですからマダマダですが。
   
 大滝山荘(6:30)〜徳本峠(13:15 14:00)〜上高地(16:30)

8月4日 5:39(撮影:岡田)
大滝山北峰から穂高連峰
 8月4日 6:34(撮影:岡田)
槍穂をバックに(左から、本間、高橋さん)
8月5日 7:59(撮影:岡田)
坂巻温泉旅館(全国秘湯の会々員)



会   報

■2018年7月20-23日 暑寒別岳      岡田 健志(昭和42年卒)
        *********** 2018年8月24日投稿
 例年、北海道在住の小野会員が北海道の山を登るお膳立てをしてくださる。今年は7月20日〜23日に北海道は日本海側の増毛町ちかくの暑寒別岳(しょかんべつだけ、1,492m)登山の計画だった。
 計画では、箸別(はしべつ)ルートから暑寒別岳をのぼり、翌日は南側の雨竜町から北海道の尾瀬ヶ原として有名な雨竜沼(うりゅうぬま)湿原まで行く、というもの。ところが、7月初めの大雨の影響で、雨竜沼湿原に入る町道が崩落し、通行止めとなったため、北海道の尾瀬ヶ原とのご対面はあきらめざるをえなかったのは本当に残念だった。
行動記録は以下のとおり。

 参加者;
 小島和人、小野 肇、中村雅明夫妻、手塚敏光(北海道電力山岳部OB)、岡田


* 7月20日(金)晴れ

 東京組は、新千歳空港に集合し、小野さんと小野さんの北電時代の山仲間である手塚さんの出迎えを受ける。手塚車で増毛へ。
 途中北竜町のヒマワリ園に立ち寄る。クジを引き当ててメロンをもらい、その場で冷蔵庫に冷してあったものを切ってもらって食べる。冷たくて甘くておいしかった。

 増毛町は、ニシン漁で栄えた町で、整然と区画整理された道路が碁盤状に走っている。留萌市と石狩・札幌方面を結ぶ国道231号線がその碁盤をかぎ型に割いている。
 北海道の鉄道は、採算性から第三セクターに経営移譲されたり、廃線になったりしたものも多い。留萌−増毛間の鉄道も廃線となり、増毛駅も廃駅となった(映画「駅・STATION」高倉健主演に詳しい)が今年4月に改築され、増毛の玄関口として新たにスタートした。

 私たちの宿は「オーベルジュ増毛」。暑寒別川に架かる暑寒別橋を渡ってすぐの所にあった。この町出身の著名なシェフである三國清三が監修したレストランを持つホテルである。そのレストランで上品な創作料理をいただき、3分と浸っていられない熱い温泉に入って明日に備えた。

7月21日(土)曇り

 ホテル発(5:00)−箸別避難小屋(登山口、5:40〜50)−1合目(6:35)−5合目(8:48)−7合目(10:03)−暑寒別岳頂上(11:30〜55)−7合目(13:00)−4合目(14:15)−箸別避難小屋(16:00)
 昨日のうちに買っておいた行動食2食を持ってホテル発。道は雨にぬれているし、ホテルの前の日本海には低く霧が立ち込めている。午後には晴れるという天気予報を頼りに出発する。
 箸別避難小屋(高度490m)までは、立派なアスファルトの道が続いている。ホテルの部屋からみた今日の登山ルートは頂上まで9.5kmと長くはあるが高度差が約1,000mなので、傾斜は急ではない。雨が降ると水が流れるのだろう、こぶし大の石が敷き詰められたような道は非常に歩きにくい。
 道は少しぬかるんでいる場所もあるが、緩やかな登りの樹林帯の中にある。この季節、蚊の群れに遭遇することもある、と事前に情報を得ていたので、頭からすっぽりとネットをかぶり、忌避剤のスプレイを体にかける。それでも腹を減らした蚊は、しつこく顔の周りを飛び交い手袋の上から刺してくるのだった。
 このルートには水場がないため、2Lの水をもって上がった。7合目には残雪があり、そこで冷たい雪解け水を飲める、という事前情報もあったが、それは3週間前の話で、今は雪がすっかりなくなった斜面にイワイチョウがびっしりと生えそろっていた。
 道の真ん中に、根曲がり竹4本で囲い、上で軽く縛ったものがあった。手塚さんによると、ヒグマの糞があった場所とのことで、糞は全く消えていたが、ヒグマのいることを示すと同時に糞を踏まないように、このように印としているということだった。クワバラクワバラ。
7合目の道標を過ぎると、そこから上はお花畑となった。白いエゾボウフウ・ハクサンイチゲ、黄色いチシマノキンバイソウ・トウゲブキ・ハイオトギリ、ピンクのタカネナデシコ、青いチシマフウロ・イワギキョウが斜面に咲き乱れている。残念ながら一面の霧と強風で展望がゼロで、植物の美しさも若干損なわれてしまう。それでもせっせとシャッターを切り、たくさんの写真を撮った。
 右(西北)から暑寒コースと合流し、しばらく行くと暑寒別岳の頂上に着いた。相変わらずの悪天で展望はゼロ、強烈な西風が吹き付けるので、東側に座って昼食をとる。下山するので、記念写真を、とトライしたが、強風に飛ばされそうになりながらシャッターを切ったものの、霧に遮られて顔も判別できないような写真となった。
 下山ルートは往路と同じ。頂上直下のワンピッチは急だったが慎重に下った。そのあとは、小野さんが快調に飛ばしたため、手塚さんもびっくりの所要4時間で箸別の避難小屋へ戻った。
 今晩も「オーベルジュ増毛」の上品なディナーと熱くて長湯出来ない温泉に浸り、一日の疲れを癒やした。

7月22日(日)雨のち曇りのち晴れ

 予定していた北海道の尾瀬ヶ原、雨竜沼湿原への道が、崩落のため通行止めとなっているため、この日の予定は小樽経由で札幌へ帰ることとなった。
小樽では天狗山、札幌では藻岩山へ登り(正直にいうと車で)都会近郊の山を物色した。
この日の夜は、薄野の小野さんの懇意な店が、休日返上で開けてもらい、食事をさせてもらった。これに蛭川さん(昭和39年卒)と曲(きょく)さん(平成30年卒)もジョインした。蛭川さんは明日から中村(雅)夫婦と天塩川のカヌー下りに出かけると元気一杯。曲さんは、小野さん達と北海道の山を楽しむ一方、自分で山友達を見つけ毎週のように山行をしている由。誠に結構なことである。
 
▼画像をクリックすると大きく表示されます


7月20日 15:06 (撮影:手塚さん)
北竜ひまわり園にて
(左から) 小島、中村夫妻、小野、岡田

7月20日 16:16(撮影:岡田)
増毛駅プラットフォームにて
(左から) 中村夫妻、小島、小野、手塚さん

7月21日 10:06 (撮影:岡田)
7合目にて
(左から) 小野、小島、中村夫妻

7月21日 12:14 (撮影:岡田)
マシケゲンゲ
   
*  ということで、今回北海道シリーズは天候に恵まれず、少々物足りなさが残ったものの、暑寒別岳7合目以上のお花畑を楽しみ、この地の固有種であるマシケゲンゲを愛でることが出来た、楽しい山行だった。

7月23日(月)
 小島、岡田は帰宅。中村(雅)夫妻は蛭川さんと天塩川カヌー下りに出発した。




会   報

■誰も登らない大滝山(2,616m) 誰も知らない鍋冠山(2,194m)
  播隆上人が辿った槍ヶ岳開山の道を歩く
  2018年8月   藤原 朋信(昭和44年卒)
          ********2018年9月1日HUHACメールより転載
** 1.日時
  2018年7月13日
   上高地 12:50〜 徳本峠 15:10  徳本小屋泊まり*
   *予約制で少人数の小屋。霞沢岳往復の登山者が多い。
  7月14日
   峠5:45〜大滝山10:00〜鍋冠山11:50展望台13:30〜一日市場駅17:30
2.単独行
3.天気は両日晴れ、松本は36度(今年は梅雨明けが早く7月中旬から猛暑日の異常気象であった)。
4.背景
 北アルプスで劔岳北方の山々を除けば、めぼしい山は大体登り終えているのですが、なんとも気になるのが大滝山です。これまで7回は徳本峠越で島々に出ているので、その度に、徳本の小屋に泊まって大滝山の縦走路を歩いてみるかと思うのですが、展望がきかない地味な稜線で、誰も歩いた話を聞かないので二の足を踏んでいました。古希を過ぎ、岳友も逝き,後が無くなって、今年こそ決行と覚悟を決めて大滝山研究を始めました。どうせなら安曇野から直接登ろうと地図を見れば山麓の小倉部落から、鍋冠山経由で道が繋がっています。最近は直接その山域に入らないと地形やルートが頭に入らないので春に下見を兼ねて安曇野を歩くことにしました。
5.下見行
  2018年4月1日  一日市場駅から鍋冠山取りつきである三郷展望台を往復( 8時間 )。
 春、一日市場駅に降り立って、残雪の山を眺めると、いつも車窓からの情景の、天空を突いた常念岳の三角錐が眼に飛び込んできました。しかし今回は、常念の南方にある大滝山がお目当てです。
 視線を左方に移すと、お椀を伏せたように均斉がとれた広い山頂が見えます。残雪をかぶっているのでなかなか立派な山容で甲府の櫛形山に似ています。でも、この山は大滝山ではありませんでした。大滝山から安曇野に張り出した尾根上にある鍋冠山です。大滝山は鍋冠山の肩にほんの少し顔を出していますが、先ず残雪期でないと区別できません。松本平からだと鍋冠山が昔の信仰の山「大嶽」で大滝山はその奥の院といったところでしょうか。
 一日市場から小倉まで真西に最短コースを選んで歩き始めます、車も多くないので春の安曇野散策と桜見物をするうちに小倉部落に着きました。林道の上り口に大滝山スカイラインの看板があり、ここで初めてこの舗装道が、幻となった上高地への新バス道路の成れの果てであることに気づきました。それどころか後で知ったのですが、かって25年間だけ、飛騨新道として開かれた江戸時代の超クラシックルートで、その時、播隆上人が利用した道でもありました。観光道路が出来た今、昔の山道は消えていますので、登山口の冷沢出合いまでは林道を丹念に歩くしかありません、1,100m地点の東峠からは雪道に変わりますが、その少し手前で路肩が崩落しているのでいずれにしろ車は通れません。三郷展望台までラッセルしても、未だ鍋冠山は遠しで、安曇野を登りに取るのは時間的に難しいと見極めて引き返しました。
6.2018年7月の記録
7月13日
 上高地からの入山ということで、早朝千葉発の特急あずさに乗ります。昼に梓川の河原で昼食を済ませ、明神へ向かいます。通いなれたコースで、荷物も軽いのに、ペースがうまくつかめません。
 明神から上りにかかると、発汗量がはんぱない状況です。途中の沢で頭に水をかけて冷やします。
 街では連日猛暑警報が出されていますが、山も昔の感覚とは違ってきているようです。考えてみれば西日に照らされるルートを午後一番に登っているので、猛暑日の影響をもろに受けたわけで、徳本峠に着いた時はほとんど熱中症状態です、行動時間が短かった分、重症にならずに助かりました。
 徳本峠小屋は改装も終わって、今風の小屋に変身です、宿泊客は20名程度で、一人が2名分のスペースを占有し、明日から3連休とは思えないほどゆったりしています。
 泊り客はNHKの200名山効果で、霞沢岳狙いの中年女子が大半を占めています。明日大滝山に向かうという私を変人を見る目で、「信州100名山に入っているんですか?」と聞かれて、彼女らには○○名山に入っていない山は登ってはいけないかのようです。小屋番のおじさんからは下山ルートの鍋冠山の記入をみて、今年は誰もまだ下りていない、昨年は一人いたがとの情報です。きちんと登山道として紹介されているのに全く不遇なルートなのでしょう。

7月14日
 翌日は、明るくなって出立です、体が昨日のダメージから回復していないのかそれとも今日も湿気が高いのか歩き始めから疲労感満載です。コメツガ、トウヒの森を軽いアップダウンの繰り返しですが、調子よければ北八ヶ岳と同じように北欧の森を散策する気分だったでしょう。でも体調は今一つ、穂高、明神が見られるポイントは2か所だけの暗く長い森なので、気力も萎みます。
 通常より、ゆっくりしたペースで4時間歩いて、ようやく森林限界を抜けてハイマツの大滝山の上りにかかります。一挙に明るくなり高山植物の群落が広がります、頂上にはキバナシャクナゲの花が満開で、穂高をはじめとする北アルプスの峰々の展望と併せてまさに独り占めです。頂上はこじんまりとしていますがゴミひとつない自然のままです。今日会った登山者は蝶が岳方面からの一人だけです。登る人が少ないのは間違いなさそうです。
 頂上を超えるとすぐに大滝小屋がありました。三連休なのに閉まって誰もいません、代わりに熊に注意の札が掛かっていました。
 稜線をなおも進むと、鍋冠山への分岐がありました。春に偵察した三郷展望台まで5時間強のコースタイムです。道に迷うとややこしいので気を引き締めて下り始めます。人が通っていないわりには、道は整備されており、標識もポイントには備えてあります。一旦下ってから鍋冠山への上り返しが思った以上に時間と体力を要します。改めて鍋冠山の大きさを思い知らされました。誰も知らない山と侮るなかれです。鍋冠山から1時間弱で山道の終点である冷沢出合いにでました。そこから林道を40分辿ってスカイラインの三郷展望台に着きました。春に一度きているのでここまで来ると一安心です。とはいえ展望台には人っ子一人いません。三連休の展望台ですから、一般観光客もドライブで大勢いるのではないかとの予想は外れました。どうも路肩補修がまだ終わらず通行止めのようです。
 もともと一日市場駅まで歩く計画ですが、猛暑日にはかないません、アスファルトの照り返しには閉口しますので、あわよくば親切なドライバーにピックアップしてもらおうかの淡い期待は消滅し、気分立て直しの為大休止です。それにしても反対運動の高まりで工事が中断されて幸いでした。新バス道路が完成していれば、今日歩いたコースはバスの排気ガスが漂う全く違う雰囲気の路になっていたと思います。工事中断地点の展望台は今や安曇野を俯瞰する目的のようで、下りてきた山を見てもただ青い山の塊があるだけです。なんとなく、山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」が浮かびます。いくら信仰に裏打ちされているとはいえ、切り開かれたばかりで歩きにくいこの山を登ってきた播隆上人の精神力・体力には敬服します。本当に昔の人は偉かった!!
 精神面でも体力でも劣る現代人の私としては、取り合えず次の目標を小倉部落の自動販売機に設定しました。昔の道は残っていないかと林道の安曇野側を探しながら歩いても、当然見つかりません。
 カーブごとに数値が表示され、これがゼロになれば小倉部落ですが、春の下見より1時間多く時間がかかりました。30分ごとに日陰で休憩した為です。本日中に千葉まで帰るのは諦め、松本の二女に今晩泊まるとの連絡をいれます。一時期長女も甲府にいましたので、山登りのベースを提供してくれる親孝行な娘たちに感謝です。
 自動販売機で水分を補給して、あと7キロのウォーキングと一頑張りです。夕方で、日差しも若干弱くなり、熱射病に気を配りながら歩きます。17時半、12時間近くの行動を終え、一日市場に着きました。駅のプラットホームで電車を待ちながら、北アルプスを眺めます。今では常念ではなく鍋冠山が一番の友達です。大きな大きな山でした。
                                       以上

▼画像をクリックすると大きく表示されます
8月4日 9:58 (撮影:岡田)
大滝槍見台付近の槍ヶ岳
 8月4日 6:34 (撮影:岡田)
大滝山荘付近からの西穂高〜槍ヶ岳
8月3日 17:03 (撮影:岡田)
鍋冠山への分岐表示
あとがき
 誰も登らないはずの、大滝山に本間・岡田先輩のパーティー3が8月上旬に登られました。
 単独行で写真を撮らない私なのに、大滝山の写真が掲載されているのは岡田プロのお陰です。
 多分、本間大兄が大滝山の感想を付け加えていただけるでしょう! 楽しみです!




会   報



■2018年6月13〜14日 鹿島槍ヶ岳慰霊登山  中村 雅明(昭和43年卒) 
  ********2018年6月26日HUHACメールより転載(改正版)

 本山行は藤原さんが企画し、中村が同行しました。6月半ば梅雨の中休みの絶好の好天に恵まれて、鹿島槍ヶ岳を登頂し昨年11〜12月に相次いで亡くなった俵昭、宮武幸久、戸川哲也3君を慰霊しました。またその前日、1968年5月に鹿島槍天狗尾根で遭難死した中村慎一郎君の大谷原近くの遭難慰霊碑を訪れました。

T メンバー
 藤原 朋信(昭和44年卒) 、中村 雅明
U 行程
  6月13日 信濃大町(11:05)====大谷原(11:40〜50)−中村慎一郎君慰霊碑(12:40〜55) − 大谷原(13:20〜30)
        − 西俣出合(14:40)
  6月14日 西俣出合(4:23) − 2pで高千穂平(6:03〜09) − 2pで冷乗越(7:41〜48)− 2pで布引山(9:03〜10)
        − 2pで鹿島槍ヶ岳頂上(10:03〜40)− 3pで冷乗越(12:23〜30) − 高千穂平(13:10〜30)
        − 2pで西俣出合(14;58〜15:28) − 大谷原(16:08〜25)===大町(17:05)

●6月13日(水) 曇のち晴
 中村慎一郎君の慰霊碑は遭難の2年後の1970年5月に大川沢右岸に建立されましたがトラック道工事の為左岸に移設されました。その後、所在が不明となりましたが、2015年10月に中村、藤原、宮武、松尾の4名が探索し捜し当てました(注1)。それから年数が経っていないので、すぐに探せるだろうと高を括って大谷原から大川沢の鉄製の橋を左岸に渡って上流に向かいました。ところが前回は無かった3m幅のトラック砂利道が続いていました。前回は大ゴ沢を渡って林の中にかすかに残る登山道を辿りましたが、今回は砂利道を進みながら左岸の斜面、特に出張った台地を探しました。ところがすぐには見つかりません。地形的に明らかに行き過ぎたと思われる地点から引き返し、じっくり探す内に砂利道から見える木の間に慰霊碑が埋め込まれていると推測される大きな石が見えました。藤原は正面、中村は右側の斜面を3mほど登ってその石に辿り着きました。正に2015年に探し当てた慰霊碑でした。前回供えた酒ビンがありました。
 石に埋め込まれた碑の「やみがたき おもいありて 猛き心 いま蒼天に」の碑文(俵昭作)を手でなぞり、線香と缶ビールを供えて慰霊しました。これで50回忌をつつがなく終えることが出来ました。
 次に訪れてくれる人の為に慰霊碑の近くの2本の木と、砂利道沿いの2本の木に赤布を巻き付けました。大谷原へ戻り時間は15分、前回の林間の登山道経由より早い道のりです。中村慎一郎君の同期の方々には是非訪れていただきたいものです。
 大谷原から左岸の林道を1時間強歩いて西俣出合へ。砂防ダムの細いトンネルを抜けて少し歩くと赤岩尾根登山口の道標があります。その少し手前の道脇にテントを張りました。2〜3人用なのでゆったりです。少し昼寝をした後、5時前から夕食。7時前に就寝しました。ところがエアーマット&シュラフがあるので安心してセータ、フリース等の防寒具を持参しなかったのが大失敗でした。西俣出合は標高1330m、まだ真夏でないので夜半からかなり冷え込み、寒くて眠れません。2時半にトイレに起きた時、半袖、長袖シャツを着こみましたがそれまでは寝た気がしませんでした。藤原さんは防寒具があり寒くはなかったが、エアーマットがないので体が痛くてやはり眠れなかったと後で聞きました。
 (注1)『針葉樹会報』第134号「中村慎一郎君遭難慰霊碑を探して」松尾信孝

▼クリックすると画像が大きく表示されます
6月13日 12:46
中村慎一郎君慰霊碑
(足元に線香と缶ビールを供える)
6月13日 12:42
慰霊碑の碑文
6:13日 12:54
砂利道脇の目印赤布
 (慰霊碑は左側斜面上)


●6月14日(木) 快晴
 3:30起床、昨晩の残り物で朝食を済ませて4:23出発しました。今日は西俣出合から赤岩尾根経由、鹿島槍ケ岳南峰往復です。このコースでの鹿島槍は藤原さんは50年振り、中村は初めてです。往復のコースタイム[昭文社]は往:7時間20分、復:4時間40分、合計12時間です(山渓のコースタイムは14時間20分:注2)。高度差1500mも考えると74才、しかも今年は朝の散歩&ラジオ体操をサボッている身には厳しいので冷池山荘当たりでリタイアを懸念して歩き始めました。藤原さんが「最初の2ピッチはゆっくり行きましょう」と声をかけてくれましたが、昨夜の寝不足の為か、体がふらつきペースがつかめません(後で判ったのですがいつもより速いペースでした!)。すぐに急な登りになり、木の階段、鉄製の階段が次々に現れ、どんどん高度を上げます。天気は快晴、雲一つない青空です。2ピッチ目から道脇に頻繁にオオイワカガミが見頃に咲いているのが見られ登りの苦しさが和らぎました。オオイワカガミはこの先ずっと楽しませてくれました。2p目からはシラネアオイ、ミツバツツジも目を和ませてくれました。
 6;03高千穂平に到着。登山口から1時間40分。ゆっくり歩いた積もりでしたがコースタイムより1時間早く着いたので意を強くしました。小広い高千穂平からの眺望は絶景でした。目の前に布引山〜鹿島槍ケ岳南峰〜北峰が聳えます。さらに北峰の右遠くに雨飾山〜〜火打山〜妙高山〜乙妻山・高妻山の北信の山々、その右手に浅間山、八ヶ岳、南アルプスさらにその間の奥にうっすら富士山までが見渡せます。
 高千穂平からは残雪斜面が出てきました。夏道が消えた急な雪渓をステップを切って3mほど登りましたがさらに急になったので、冬用の尾根道に逃げました。ちょっと緊張したのはここだけで冷乗越近くの2箇所のトラバース雪面は踏み跡窪みがあったので難なく通過し、持参した軽アイゼンは使用しないで済みました。2010年11月6日に冬山偵察山行で赤岩尾根を登った金子さんは、新雪のラッセルに苦労してこのトラバースに実に3時間かかっています(注3)。冷乗越着7:41。西俣出合から3時間20分、コースタイムより1時間30分早いペースです。冷乗越からの北アルプスの大展望に目を奪われます。北方稜線〜劔岳〜立山三山〜薬師岳〜三俣蓮華、手前には爺ヶ岳〜岩小屋沢岳〜赤沢岳〜針ノ木岳が連なります。いつもの様に動画に収めました。
 小憩後、鹿島槍に向かいました。一度下って登り返し冷池山荘を通過しキャンプ場まで1p。ここは劔岳の絶好の展望台です。休憩中に藤原さんから思いがけない告白がありました。昨晩から体調不良だったのです。長年の岩登りで酷使した肩が痛み、寝返りすると苦しくて良く眠れなかった、以前にやった軽いぎっくり腰が、昨日林道から慰霊碑に登った時に痛い肩をかばって無理な体勢をした時に悪化し、ここまでの速いペースの登りにやっとついてきた・・・とのことでした。常人であれば今日は登山取り止めた体調でした。さすが超人の藤原さんはそれを表にださず、いつもの様に私の後にぴったり付いてきました。でも先が少し不安になりました。
 キャンプ場の先から布引山の登りにかかるまでは夏道は雪の下に隠れ、気持ち良く雪の上を歩きました。布引山でゆっくり休み、鹿島槍への最後の登りにかかりましたがこれまでの疲れが出て中々進みません。それでもその苦しさを登山道脇に咲く黄色のシナノキンバイ、白色のハクサンイチゲが和らげてくれました。また登山道近くでライチョウに遭遇したのも嬉しいことでした。ハクサンイチゲと一緒の良い写真が撮れました。南峰までの最後の登りで藤原さんの腰の痛みが増して私より遅れ始めました。頂上にあと一登りの処で腰を下ろし、私に「一人で頂上を踏んで下さい」と頼みました。
 10:03南峰着。西俣出合から5時間30分。コースタイムより約2時間早く着いたので大満足です。しばらく休憩しているとほどなく藤原さんも到着しました。途中つらそうだったのでその頑張りに脱帽です。白馬から槍・穂高までの大眺望をゆっくり楽しみ、写真に撮った後、北に向かって立ち、白馬三山、その前にどっしり鎮座する五竜岳、五竜からキレット経由鹿島槍北峰に続く稜線を眺めながら、「山讃賦」1番、4番を合唱して岳友5人[ 俵・宮武・戸川・中村(慎)、藤巻(注4)]を慰霊しました。眼前に広がる山々、鹿島槍ヶ岳には、岳友の思い出が沢山残っています。この年では鹿島槍は今回が最後だろうと話しながら10:40頂上を後にしました。
 心配した藤原さんの腰も下りには痛みがなく、快調に下って西俣出合に15時30分着。
 頂上から約4時間50分。ほぼコースタイム通りでした。出発前に藤原さんが目標とした西俣出合から頂上まで6時間、下り4時間、合計10時間とほぼ同じです。頑張ったご褒美がありました。朝、出発時に藤原さんが大冷沢の冷たい水に漬けておいて存分に冷えた缶ビールで乾杯し、快心の山行を祝いました。

 (注2)『YAMAPシリーズ 白馬岳 鹿島槍』山と渓谷社 2002年初版 中西俊明
 (注3)『国内山行報告』「2010年11月5〜7日 鹿島槍ヶ岳冬山偵察行」金子晴彦
 (注4)中村(慎)と同期、鹿島槍天狗尾根パーティーの一員、平成11年11月没

■藤原さんのコメント
 快晴に恵まれ、五人の岳友を偲ぶ鹿島槍を無事終えてようやくしんがりの役目を果たした気分です。70代には厳しいタイム設定でしたが、藤原のブレーキに関わらず、中村さんは終始快調で計画どおり終えることができました。ありがとうございました。です。

6月14日 5:34
オオイワカガミ
(高千穂平手前の登山道)
6月14日 6:12
高千穂平からの展望
(左から布引山〜鹿島槍南峰〜北峰)
6:14日 9:27
ライチョウとハクサンイチゲ
(布引山先の登山道脇)
6月14日 10:14
鹿島槍ヶ岳南峰頂上からの展望
 (右から劔岳〜立山連峰〜薬師岳)
6月14日 10:17
鹿島槍ヶ岳南峰頂上からの展望
 (ケルンの右は劔岳、左は立山連峰)
6:14日 10:39
鹿島槍ヶ岳南峰頂上からの展望
 (五竜岳、その奥が白馬三山)


 【 鹿島槍ヶ岳南峰頂上からの展望動画 】 6月14日 10:16
    右から鹿島槍ヶ岳北峰、奥右から高妻山、乙妻山、妙高山、火打山、雨飾山
五竜岳、白馬三山、北方稜線、剱岳、立山連峰、薬師岳、三俣蓮華岳、
針ノ木岳、蓮華岳、奥に穂高連峰(雲がかかる)
    手前右から赤沢岳、岩小屋沢岳、爺ヶ岳

 をクリックすると動画がスタートします。




会   報

■2018年5月11日 横津岳(三四郎会山行) 岡田 健志(昭和42年卒) 
        ****** 2018年6月11日投稿
** 月 日; 2018年5月11日(金)
参加者; 蛭川、本間、小野、岡田
案内役; 土佐 龍一会長(函館マウンテンクラブ)、内城 チヱ子事務局長(函館マウンテンクラブ)
タイム; ホテル発(7:30)−横津岳下の駐車場(8:30)−ゲート(8:45)−横津山(9:27)−袴腰岳手前で引き返す(10:15)
−駐車場(11:00)−新函館北斗駅(11:55)

 横津岳は函館市の北、七飯町にあって、大沼公園をはさんで駒ヶ岳と相対する1166.9mの山である。1971年7月3日、東亜国内航空(当時)のYS-11は悪天のなか、この山に墜落し、乗客・乗員68名が亡くなった(ばんだい号墜落事故)
 この事故を教訓として、横津岳の頂上には航空監視レーダー(国土交通省管轄)やドップラーレーダー(函館海洋気象台管轄)が建設され、さらに自衛隊や、携帯電話会社などのアンテナが頂上付近に、まさに林立している。
 そんな諸設備のメンテナンスを冬期でも実施できるように、道路の除雪は完璧にできている。黄金週間後のこの時期でも、除雪された雪が道の両側に積まれて残っている箇所もあった。
 積まれた雪とアスファルトの間にフキノトウが無数に出ている。今日の天気はともかく、陽が射して暖かい日があったのだろう、トウが立ち、花までつけたものもある。家へ持ち帰って「フキ味噌」を作るのだと、本間さんはフキノトウを切り取ってはポリ袋に入れている。

 小雨まじりの物凄い強風と、濃い霧の中、除雪されたアスファルト道を駐車場から約1時間、我々は、9:27に横津岳の頂上に達していた。そこには、かなり大きな航空監視レーダー用の建物が、霧の中に聳え立っているのがかすかに認識できる。下着にキルティングのシャツを着こみ、雨具のフードを頭にかけ、手袋を着けて寒さを凌ぐ。
 休憩もそこそこに、袴腰岳に向けて歩き始めたが。風が強く視界もきかない。加えて、大きな雪田に出くわし、ルートを失う可能性も出てきた。函館マウンテンクラブの土佐会長でさえ、帰路、道を間違わないように、木の枝にピンクのテープをつけながら我々を誘導してくださった。此処まで来るうちで一番大きな雪田に出くわした時、土佐さんと内城事務局長が相談し、ここから引き返すこととなった。安全第一ということだ。
 除雪された道路まで引き返すと、あとは駐車場まで下るだけ。
 この日で三四郎会@函館とその延長戦も終わった。土佐さんと内城さんには新函館北斗駅まで送っていただき、ここで札幌へ帰る小野さん、函館に戻る蛭川さんと別れ、本間さんと私は新幹線に乗った。
 函館に3泊したことしの三四郎会では蛭川さんと小野さんに大変お世話になりました。また函館マウンテンクラブの土佐さん、内城さんには2日もお付き合いいただき本当に有難うございました。
 5月11日 10:16  (撮影:岡田)
袴腰岳への途中
本間が持っているのは道端で採集したフキノトウ
 (左から)蛭川、小野、本間




会   報


■2018年5月10日 「恵山&海向山」登山記(三四郎会山行) 半場 三雄(昭和40年卒) 
         ****** 2018年6月11日投稿
  (編集子より)
    2012年12月に蛭川、小野が恵山を登った記録が当ホームページの『国内山行』に
    「2012年12月10日 冬の北海道の恵山に登る」の題で掲載されています。

 北海道在住の、蛭川さん・小野さんの両幹事による、5月8日から、5月11日までの期間の至れり尽くせりのアテンドと事前準備は、見事でした。わけても、「山行に際しては寒さ対策を!」の事前メールの配信は、さすが道在住と、敬服したところ。
 5月10日は、朝7時30分、函館マウンテンクラブの土佐・内城氏の出迎えを受け2台の車に分乗して恵山・海向山へ出立、途中コンビニで、めいめい昼食を買い込み、恵山・海向山への登山口駐車場へは10時頃到着。土佐氏の先導・内城氏がしんがりとなり、蛭川・本間・小野・半場の75歳超の杖持ちグループの4名と、岡田・吉沢・中村(雅)の75歳以下の杖無しグループの3名とガイド役の2名の合計9名で歩行開始。
 天気は曇りで、恵山の上部はガスの中を九十九折れの道をゆっくりと登って行く。
 スロープは比較的緩やかではあるが、活火山(噴火警戒レベル1…活火山であることに留意…幹事の事前案内に従って、几帳面にもヘルメット持参・着用は中村(雅)さんのみ)ゆえに道中にはザック台の大きさの火山由来の石が転がっていて流石に散歩気分という訳にはゆかない。所々に微かな噴気もあがっていて、風向き次第で硫黄臭が漂う。
 1時間強で頂上へ…残念ながら眺望はゼロ。記念撮影を済ませてもう一つのピークへ…ここには鳥居と小屋(土佐氏によれば、避難小屋としての利用も可)があり、中には漁師の安全祈願を旨とすると思われる神棚がある。寒さに追い立てられて下山開始。30分ほど下った所で腰を下ろす。腰を下ろせば、誰ということもなく早目の昼食を始める。この辺りではガスもはれて、噴火湾が見下ろせ、海向山の頂上もよく見える。
 岡田さん(プロ並みカメラマン)の群モデルをつとめながら、火口原を辿って登り口の駐車場着。恵山の向かいにある海向山(天候及び体調良好ならばチャレンジを予定されていた。)を目指す。左回りと右回りの分岐点で主力は時計回りで、体調にいまいちの蛭川・半場は自重して左回りで主力組を迎えることにする。下部に僅かな這松らしきものが生えている火山の恵山とは植生が全く違う灌木の樹林帯を、可憐な白根葵の花をみながら行く。標高は500メートル弱とおもわれるが、さすが北海道ゆえか、ダケカンバが良く現れる。
 30分程待機していると、主力組が急な所を下山してきた。合流時、開口一番「頑張って良くここまで登ってきたね」の小野さんの労いを得ながら、もと来た道を辿って3時半ころ登山口へ戻り着く。
 朝方はガスの中であった恵山が、時を計ったように晴れてきて、ピークを含む全容を見せてくれた。「恵山の頂上を踏むのは一握り、大半が火口原を散策するだけ」の土佐氏言と「海沿いの、チョロイ山と思っていたが…」の本間さんの一言を聞きながら、標高では推し量れないそれなりの山歩きを堪能できた。
 海沿いの露天風呂に未練があったであろう吉沢さんと、幸いにもヘルメットがファッション機能となった中村さんの両名と函館空港で別れ、5時頃には市中に戻った。
 期間中非常に寒かったのは、函館近辺だけと思っていたが、この寒冷現象は全国的であったことを後日の気象解説で知った。しかし山登りには快適な陽気であった。
 
▼画像をクリックすると大きく表示されます
5月10日 9:25  (撮影:中村)
権現堂登山コースで恵山に向かう途中で
ガイドの土佐氏の説明を聞く
(右から)土佐氏、蛭川、岡田、吉沢、
半場、本間、小野
5月10日 10:20  (撮影:内城さん)
恵山頂上にて
(後列左から)小野、岡田、
(中列左から)蛭川、本間、吉沢、土佐氏
(前列左から)中村、半場、内城さん
5月10日 11:;53  (撮影:岡田)
恵山から下ったその足で海向山に
向かう(駐車場付近)
(左から)半場、小野、蛭川、
吉沢、本間、土佐氏
5月10日 14:45  (撮影:内城さん)
海向山頂上にて
(後列左から)岡田、本間、土佐氏
(前列左から)吉沢、小野、中村、内城さん
5月10日 15:21  (撮影:岡田)
海向山から下山してきて(バックは恵山)
(後列左から)本間、吉沢、半場
(前列左から)蛭川、中村、小野

5月10日 15:37  (撮影:小野)
駐車場から恵山を望む


■「函館ブラ」記

 延長戦2日目参加の面々を見送った後、午後1時5分のAIRDO128便までの時間をいかにつぶすかを考えながら、まず、かの有名な朝市を覗いてみることにする。宿泊場所が朝市前だけに函館駅前への通り道であり、迷うことはない。少し前になるが、所謂朝市は、輪島市のそれを訪れたことがあるので、似た様なものかと思っていたが、皆しっかりした建物が軒を連ねていて、露店が中心とは大分趣が異なっている。これも随分昔のことではあるが、アメ横に似ているな〜と思った。概ね海産物を並べているが値段もしっかりとしていて、土産には手が出し難い。イカ釣りのコーナーがあったが、小ぶりなものが、1杯¥1000を横目に15分駅前のバス乗り場へ着く。
 五稜郭への乗り場を探すと、いくつもの路線がそこを通る、となっている。駅前案内所があったが、尋ねることもなく、たまたま発車待のバスでも行けるようだったので、迷わず乗車。かなりの時間乗車し、運賃は¥260であった。最適アプローチを尋ねそこなった咎か、15分程歩いてやっと、タワーが見えた。すでに飛行機から五稜の姿ははっきりと確認済であったので、タワー(¥900)へは登らず、うずく足をひきずりながらも、五稜郭の外周を半周し、裏の橋から入って途中環濠の内側に築かれた小高い土塁に上り、函館戦争は如何様であったかとしばし思いを馳せた後、場内を横切り、染井ヨシノは葉桜となっていたが、まだ残っていた枝垂桜と、八重桜を鑑賞した。ここでもきこえてきたのは、中国語と思しき声と修学旅行の思しき中学生の一団の声ばかりでした。
 その後五稜郭近くの「函館美術館」横の「北洋資料館]へ予備知識もなく入館(¥100)したところ、見ごたえのある北洋漁業の沿革史(千島樺太交換前に日魯漁業の前身の業者が、カムチャッカ半島での定置網漁を行ったのが最初であり、母船を中心とする船団を組んでの流し網漁は後の事である等)を中心とした展示物と説明と北海の海を操舵する体験(ローリング無しのピッチングのみ)で、たっぷり時間をつかい、程よく出発約1時間前に空港に着く。中部空港では持参の杖(ストック)の長さが60p超という理由で機内持ち込み不可の扱であったので、窓口で申告すると、今度は、先端が金属ではなくゴムであるから、機内持ち込み可能の由。中部空港のカウンターがANAで函館がAIRDOのゆえか兎に角不可解ではあったが、担当者から謝りの言あり、受け取りの手間が省けるので、了とする。
 今回二度目となる函館ラーメンで、北海道を味わい、夕刻5時少し前に無事帰宅しました。
 また、今回同行した皆さんにも感謝します。あらためて、ありがとうございました。 

会   報

■2018年5月9日 函館山縦走記(三四郎会山行) 吉沢 正(昭和42年卒)
        ****** 2018年6月11日投稿

参加者:本間、小野、半場、坂井、池知、岡田、中村(雅)、吉沢

5月9日 晴れ
 8:00 湯の川温泉「祥苑」を出発。路面電車で函館山の麓に向かう。神社参道の入口付近で下車。小野リーダーを先頭に登山口目指して車道を進むが、暫し道に迷う。20分後に神社横の登山口と思しき広場に到着。小休止の後9:40登山開始。
 登山道はトラック等も通るようで、処々舗装もされている。函館山には山麓からロープウエイが通じており、バス道もあるようだが、登山道からは目に入らない。
 暫く進むと単独で登っている中年の婦人に追い着いた。東京から来たというが、何となく??永小百合に似た感じで、小野リーダーと盛んに会話している。この婦人とはこれからのほぼ全行程をご一緒することとなる。
 11:00 函館山山頂に到着。展望台より360度の景観を楽しむ。眼下に五稜郭を含む函館市街が広がり、東方遠方には明日向かう恵山、海向山の一角が望まれる。本州の下北・津軽両半島は薄雲に遮られ、残念ながら視認できない。
 11:30 ここで坂井、池知両氏はロープウエイで下山。残りの6名が南方に位置する千畳敷展望台へ向かう。千畳敷までは約1.5kmの心地良い遊歩道のような尾根歩きだ。遊歩道の両側に咲くコジマエンレイソウ、シラネアイ、シロバナエンレイソウ等の山花を愛でながら歩を進め、12:10展望台到着。展望台は野球のグラウンド程の大きさがあり、芝生が敷き詰められて綺麗に整備されている。ここで昼食のため40分の長休止。昼食で腹を満たした後、立待岬目指し下山開始。ジグザクの下山道に沿って頂上付近でも見たシラネアイやシロバナエンレイソウに加え、ヒトリシズカがあちこちに顔を出す。名前に似合わず群生しているのもある。
 13:20 全員無事下山し立待岬に立つ。岬の付根部分に石川啄木一族の墓があり、そこから岬の先端に向かって綺麗な遊歩道が造られている。途中に与謝野寛・晶子の碑もある。ここは古から沖の漁に向かった男達の家族が、無事帰還を願って待ち続けた場所なのだろうか。沖の白波を見ると何となくそんな詩情が湧いて来る。
 暫しセンチメンタルな感情に浸った後、徒歩で谷地頭温泉に向かう。温泉は謂わば街中の大銭湯のようなもので、入場料を払って入ると大浴場の真ん中に赤茶色の湯舟が広がっており、一般市民がのんびりと湯に浸かっている。始め沸かし湯かと思ったが、天然の温泉とのことだ。函館一帯は函館山を含め火山帯の上に位置しているため、温泉が多い。こちらものんびりと湯に浸り、約3時間半の山歩きの疲れを癒す。
 疲れがすっかり癒えたところで路面電車に乗り、今夜の宿泊地の函館朝市東横インに向かう。
 

▼画像をクリックすると大きく表示されます
 5月9日 9:37  (撮影:岡田)
函館山管理事務所の前で
 (左から)坂井、吉沢、半場、
本間、(後ろに)中村
5月9日 11:05  (撮影:岡田)
函館山の展望台で
(左から)池知、坂井、吉沢、
小野、〇、中村、半場、本間
 5月9日 12:27  (撮影:岡田)
シラネアオイ(地蔵山見晴台付近で)
5月9日 12:29  (撮影:岡田)
ヒトリシズカ
(地蔵山見晴台付近で)
5月9日 12:35  (撮影:岡田)
エゾエンゴサク
(地蔵山見晴台を下がった
樹林帯の斜面で)
5月9日 12:44  (撮影:岡田)
七曲りにて
(左から半場、小野、吉沢、中村、〇、本間)
5月9日 12:45  (撮影:中村)
コジマエンレイソウ
(七曲りの斜面で)
5月9日 13:04  (撮影:中村)
シロバナエンレイソウ
(七曲りの斜面で)
5月9日 13:19  (撮影:岡田)
立待岬にて
 (左から本間、吉沢、岡田、
中村、半場、小野)


会   報

■2018年1月10〜12日 「昼から会」メンバーによる新年丹沢行記録
       ―― 鳥尾山中尾根から桧洞丸まで ――  竹中 彰(昭和39年卒)
*********** 2018年1月24日HUHACメールより転載

 一昨年12月に今回と同メンバーにより、東丹沢の源次郎尾根を登って尊仏山荘に一泊後烏尾山仲尾根*を下降したことがあったが、今回は逆に仲尾根を登って表尾根、主脈を桧洞丸まで縦走する計画が昨年末に本間さんから提案され衆議一決して新年最初の山行として実施した。
 小屋の手配、食糧計画は言いだしっぺのCL本間さんが担当し、各自は何時もの様に指示に従って公物等を調達した。
今回の山行には、宮武(S45卒) 君参加も予定されていたが、年末押し詰まっての事故で叶わぬこととなった。今は冥福を祈るばかりである。
 また、2日目の途中で1名の脱落があったものの、残る3名で当初計画通り蛭ケ岳山荘宿泊、桧洞丸に到達し、無事に西丹沢ビジターセンターに下って計画完了し、バス車内から留守連絡先の佐藤(久)さんにSMSで下山報告を。

●メンバー:本間(CL、S40卒)、竹中(SL、39)、岡田(42)、高橋(昼から会)

 *この尾根は昭文社の山と高原地図にはコース記載がなく、地理院2万5千図、守屋益男版「東丹沢登山詳細図(全120コース)」には道標のない登山道、小径としてルート記載がある。

【コースタイム】
** 1/10 渋沢駅集合8:40、戸川林道をタクシーで作治小屋下へ(2名乗車3250円)
9:30着、仲尾根入口9:40発、4ピッチで烏尾山(表尾根縦走路12:05‐25、行者岳12:58‐13:05、クサリ場・政次郎の頭先13:35‐42、新大日14:16‐30、木ノ又大日通過14:56、搭ノ岳への登り前15:00‐10、:尊仏山荘着15:45、休憩後不動ノ水場に水汲みに往復
1/11 山荘発8:33、日高9:23‐33、竜ケ馬場10:00‐11:10(搭ノ岳直下まで往復)、丹沢山11:40‐12:05、不動ノ峰休憩所13:03‐13、鬼ケ岩14:00‐15、クサリ場通過、蛭ケ岳山荘着15:00
1/12 山荘発7:25、クサリ場下8:15‐23、臼ケ岳9:16‐30、神ノ川乗越10:00‐05、金山谷乗越(クサリ、ハシゴ等)11:32‐40、桧洞丸中腹12:08‐15、青ケ岳山荘12:05、桧洞丸頂上12:30‐53ピッチでゴーラ沢出合15:30、2ピッチでつつじ新道入口16:20、西丹沢ビジターセンター16:43(大井松田行きバス17:05発)

【以下敬称略】

●1月10日 (水) 晴れ
 小田急・渋沢駅9時集合に間に合せるべく最寄の成瀬駅から通勤客に混じって、町田経由で向かう。予定よりスムーズに乗換えができて渋沢には8:15頃に到着した。改札口前の小田急OXで昼食を調達しようとしたが、9時開店とのことで、改札横の売店でオニギリ等を買う。全員揃った所で公物重量を最若手の岡田に傾斜をつけての再配分する。全体にアルコール(日本酒2Lパック1、0.9L、ウイスキー0.7L、花立さんへの芋焼酎「しまむらさき」)や初日のスキヤキ用の肉、野菜、生タマゴ等がかさ張る。
 パッキング後タクシー乗場に移動して2台に分乗して登山口に向かう。大倉の戸川公園横を過ぎ、戸川林道を水無川に沿って進み、駅から30分程度で作治小屋下の仲尾根登山道入口に着く(9:30、550m、@3250円)。
 準備を整えて9:40に本間トップで登り始める。尾根に取り付く迄の木の根が露出し、段差の大きい急登が堪える。200mほど登った植林帯を過ぎ視界が開けた地点で一本立てる。
 その後は前回下降した草原状の緩急繰り返す尾根を辿り、下降時に見覚えのある残置ロープで左にトラバースを指示された地点などで適宜休憩しながら進む。
 右手には源次郎尾根の植林帯や昼食をとった上部草付きなどが懐かしく眺められる。その後、次第に濃くなるアセビやイバラ、枯れたスズタケの植生の間を辿り、取り付から2.5時間弱で緊急連絡用標識No.9の地点で表尾根縦走路に出て昼食とする(12:05‐26、1130m)。風が徐々に強まってきたので食後スグ行者岳に向けて出発し、ワンピッチで役行者像のある頂上(1209m)に達し、クサリ場の下りに備えて一息入れる12:58‐13:05)。その後白く輝く2本の太いクサリの下りを慎重に下降して短い尾根上の桟道(橋)を渡り、政次郎尾根の先でピッチを切る(13:35‐42)。次のピッチは新大日への登りに息を切らせ、頂上で表尾根の来し方を振り返る(14:16‐30)。
 その後は木の又大日を経て2ピッチでひと気のない搭ノ岳頂上に着くが、富士山は頂上が雲に覆われていた(15:45、1491m)。烏尾山からは、コースタイム2時間弱のところ3時間20分を要したことになり、後期高齢者部隊(平均年齢76歳弱)としても、稍々時間がかかり過ぎた感がある。
 尊仏山荘には若手の小屋番が一人いたが、外人2人、日本人の単独行1人が同宿客となる。外人は後でウイーンのオーケストラ(ウイーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団)のオーボエとチェロ奏者である事が判明。横須賀での演奏会後の2日のオフを利用して登って来たとのことで、明日は蛭ケ岳山荘泊、その後は姫次から三ケ木に下山して八王子の演奏会場(オリンパスホール)に向かうとのこと。
 小屋番氏(主人の花立氏の指示によって)からは松竹梅の一升瓶と2Lの水の差し入れがあった。ただ、今後2日分の炊事と個人用の水を確保する要があるので、全員で不動ノ水場(下り10分弱、登り20分)に汲みに行く。低温で一部凍結もあり水の出はチョロチョロで、2Lのプラティバス水筒を満タンにするには時間がかかる。何とか合計10Lを確保して一安心。夕暮れ前に再び小屋に戻って、先ずはビールで乾杯(岡田、高橋は淹れたての美味しいコーヒーで)。
 少し落ち着いてから、持参のツマミ類(スモークサーモン、タイの昆布締め、シメサバ、漬物、乾きもの等)を開け、差し入れの松竹梅で宮武君に献杯後、お燗しながら新年会モードに突入する。頃合いを見て、小屋に寄託している家庭用コンロの上で並行的にスキヤキを始める。肉の量が1kg近くあり、結局は3/4くらいを消費して翌朝のうどん用に残った。この日は肉中心に食べた所為か、持参したアルファ米やモチに手を付けることはなかった。3名の客は我々の隣のテーブルで小屋のカレーライスを食べ終わっていた。ウイーンからの楽士は写真にも関心があり、小屋の外に出ては富士山の夜景や足元の相模湾、横浜・湘南の市街地などの撮影に勤しんでいた。一段落してから我々のテーブルに招くと、稍々小太りのオーボエ奏者が加わり、日本酒を飲みながら歓談した。宴は消灯時間の20時に終了し、2階の寝床に移動した。それなりの荷物(一人約13-15kg)を担いで歩いて来た疲れに程よくアルコールが廻り、床に就くなり眠りに落ちた。日中吹いていた風は夜間もおさまらず、明け方は冷え込みがきつかった。(17.5k歩)


▼写真をクリックすると大きく表示されます
1月10日 12:05(撮影:竹中)
表尾根に合流
(左から高橋、岡田、本間)
1月10日 15:21(撮影:竹中)
クサリ場を下降する岡田、高橋(下)
1月10日 15:43(撮影:竹中)
塔ノ岳頂上から富士山方面

●1月11日 (木) 晴れ
 5時頃に目が覚め、1階に降りると本間が既にうどんを食していた。
朝食準備で昨夜の肉などの残りの材料を使用してうどん鍋を作って朝食とした。
色々整理して8:30過ぎに小屋を後にする。北側に急降下してガレたコルに出て、狭い橋を渡り登り返して暫らく平坦な道を進み日高に着く(9:20、1461m)。
 ここで、本間が(高橋証言:昨夜23時と今朝4時頃にトイレに行った際に1階で本間さんが一人で日本酒の2Lパックを横に飲み続けているのを見かけた)寝不足状態なので一眠りしたいと、道端に横になった。後から追いかけるので先に行って欲しいとのこと。3人で相談し、これでは鬼ケ岩クサリ場通過も難しく下山すべき、時間が経てば酔いも醒め、通過は空身なら可能だろうなどの意見が出たが、取り敢えずは丹沢山まで先行することとして竹中、高橋が出発する。20分余進んだ所で竜ケ馬場のベンチに着き、後続の到着を待つこととした(10:00、1504m)。待つこと暫し、20分ほど後に岡田が到着し、本間から食材を分けて来た、本間は今夜も尊仏に宿泊するとの伝言が伝えられた。しかし、会計担当だった本間が握っていた会費を失!念していたとのこと。この先の宿泊費や緊急事態を考慮するとこの場のメンバーの手持ち現金に不安があるので、竹中が戻って本間を捉まえて会費を回収することとした。空身で本間を求めて来た道を駆け戻り、日高に着いたが姿はなく、携帯も繋がらず、更に尊仏方面に走った。擦れ違う登山者にこんな風体の人間は?と訊くと、搭ノ岳方面に向かって行ったと確認できた。搭ノ岳への急登手前で「ヤッホーヒトーツ」「ホンマー」のコールを掛ける。微かに応答が聞こえたので、「前に進むな」とコール。少し登りにかかった所で、姿を現しこれだろうと会費を手渡される。
 本間はこのまま大倉に下山して帰宅し、明日は西丹沢教室に行って反省会に参加するとのこと。ここで別れて再び二人が待つ竜ケ馬場に走り戻る(11:05‐10)。1時間以上のロスタイムが生じたが、この先は3人パーティーで進むことになる。30分で平坦な丹沢山に着き、昼食とする(11:40‐12:05、1567m)。
 丹沢山からは110m以上急降下し、その後は不動ノ峰、鬼ケ岩と徐々に高度を取り戻し、蛭ケ岳に至る長丁場となる。 最低鞍部の早戸川乗越(?)近くの南側、箒杉沢側の斜面に4-5人派手な赤系のジャケットの集団がいたが、シカ捕獲作業中の一団だった様で、通り過ぎて不動ノ峰の辺りで数発の銃声が響いていた。
 この後蛭ケ岳頂上の標識柱には県の告示が貼付されていた。
 不動ノ峰手前には休憩所が設置されており、搭ノ岳から丹沢山への主脈の展望が良い(13:03‐15、1580m)。スグに不動ノ峰頂上(丹沢山域第2の高峰!)で、この先に棚沢の頭があるが、シカ除けの柵が多い。7年前の昼から会山行で本間等と尊仏に泊まって、棚沢の頭から弁当沢の頭経由で熊木沢に下山したことがあったが、その時の下山口の記憶は全く失せていた。その後は鬼ケ岩のクサリ場などを下降し、思ったより長い蛭ケ岳(1673m)の登りにしごかれ、鬼ケ岩から丁度1時間、15:00に山荘に到着した。しばらく小屋前のベンチで丹沢周辺の景色を愛でつつ休憩し、写真撮影で過ごす。少し先の頂上看板を確認すると、支柱には県自然環境保護センター野生生物課の管理捕獲実施の告示が地図入りで貼付されていた。丹沢山の下部で聞いた銃声はこの一環と納得。しかし、今回の山行ではシカの姿は全く見かけなかったのは稍々寂しい感じもあった。
 丹沢の盟主・蛭ケ岳には丁度10年前に、昼から会でユーシン避難室一泊後熊木沢を遡り、直登ルート(守屋地図には破線で表示がある、頂上直下では急斜面に残置ロープなどもあった)を登って以来である。この時は食糧計画を極力絞り込んで軽量化を図り、尊仏山荘ではカレーライスとおでんの小屋食を利用した。
 小生は初めての蛭ケ岳山荘だが、受付で手続き後、管理人から利用について説明があり、右手奥のトイレは使用後ペットボトルの水を流す洋式水洗式で、寝所は左奥の部屋だが、ストーブのある入口広間とは戸で仕切られており、寝る時は相当冷えるので、予備の布団、毛布は自由に使って寒さを防いでと案内を受ける。同宿者は例の楽士2人と他に2人パーティのみで、客は7人と少ない。
 自炊は我々3人のみで、広間の丹沢山側にガラス戸で区切られていたが、石油ストーブで温まっており、窓からは相模湾、横浜、東京方面の展望が開けており、居心地が良さそうだった。暫しツマミ(炙りイワシ等)2L紙パック日本酒をお燗してくつろぐ。次第に暮れてくる中で、時々日没直前の富士山撮影に外に出るが、風が強く冷え切った身体を熱燗で凌ぐ。夕食の献立はウナギなので、岡田が持参した佐藤のご飯2パックを湯煎し、その後蒲焼ウナギも入れて暖める。料理する手間もなく、水とガスストーブがあれば簡単に準備が出来る、食料計画担当の本間に感謝。ウナギは以前に鳳凰三山縦走の際にスキヤキに入れたことがあったが、そんな贅沢しなくてもご飯に最適なオカズと考えられる。サイドメニューの漬物、チーズをツマミにウイスキーも交え、窓からの下界の夜景を眺め、夜景撮影の手解きをオーボエ奏者から受けながら消灯時間まで過ごす。
 寝床についてからは身体の内側から暖まっているためスグ眠りに落ちたが、明け方はかなり冷え込み、安眠できぬままウツラウツラしていた。 (26k歩)


1月11日 7:11(撮影:竹中)
ピンクの富士
1月11日 11:37(撮影:竹中)
丹沢山からの富士山
1月11日 13:26(撮影:竹中)
丹沢山から蛭が岳を目指して
1月11日 14:02(撮影:竹中)
鬼ケ岩クサリ場から蛭ヶ岳
1月11日 15:06(撮影:竹中)
蛭ケ岳頂上
:1月11日 16:41(撮影:竹中)
 富士に沈む夕日

●1月12日 (金) 晴れ時々曇り
 5時頃に照明が戻り、広間のストーブが点火した気配に起きだすが、外の闇は濃く室内の空気は冷え切っていた。自炊室に行くとここのストーブも点火され、少しずつ温まってきた。朝食メニューは雑煮なので、お湯を沸かすべく昨夜置いておいたプラティバスを見ると中の水は凍っており、室内の冷え込みのきつさが分かる。何とか雑煮用の汁を作り、餅は各自2個宛コッヘルに入れる。テルモスにお湯を入れ、食後のお茶を飲んで出発準備にかかる。発つ鳥後を濁さずで、前日からのゴミ箱(袋)を最後にパッキングに入れる。パッキング後頂上で富士山始め、南アルプス、八ケ岳周囲の見事な展望を楽しむ。
 なお、出発間際に管理人に都岳連その他山岳団体の会員割引の案内が入口横に掲示されているが、日本山岳会は記載が無いがどうかと問いかけたところ、管理人氏も現在入会手続き中(一昨年の神奈川支部設立総会には参加して講演会も聞いたとのこと)で、割引についても検討したいとのことであった。楽士2人も出てきて姫次に下山して行く。
 我々も7時半過ぎにスタートして、頂上から200m余の一部クサリ場も含む下降をこなす。最低コルからは臼ケ岳に向けてミカゲ沢の頭や小さなコブを越えて行く。臼ケ岳(1460m)までは2ピッチ、1時間40分ほど要した。頂上ベンチで尊仏山荘からの主脈縦走コースを振り返る。計画検討時には昼から会未踏ルートとして臼ケ岳から朝日向尾根をユーシンロッジに下山することも検討したが、ユーシンからの玄倉林道、雨山峠越え何れも退屈な林道歩きが長い点で没となった。頂上で直角に屈曲して桧洞丸方面、神ノ川乗越に100m余下る。この先で本日初めてトレランの単独行者とすれ違う。この辺りは痩せ尾根を通過する部分も有り、極め付きは金山谷乗越で、クサリ、ハシゴなどが連続し、慎重に進む。その後は桧洞丸に向けて急なハシゴや階段を登り、神ノ川から4ピッチで青ケ岳山荘を越え、頂上に到着して昼食とする(1601m、12:30‐55)。頂上には単独行の高齢者1名がベンチで休んでいた。
 ここまで来れば我々も西丹に下るだけと少し気が軽くなる。腰を上げて下りにかかるが、頂上直下は比較的緩傾斜の高床木道、桟道が続くが、次第に傾斜が増すとナカナカ簡単ではない、以前つつじ見物に登った時にこんなだったか、と些か思惑がはずれ、足取りも重くなる。2ピッチ1時間20分ほどで展望園地に着き、その後30分でゴーラ沢出合、更に1時間余で西丹への林道(つつじ新道入口)に着く(16:20)。到着直前に本間から携帯に電話が入り、現在地を確認してきた。答えると、西丹発17:05のバスだなとのこと。本間は自宅で一杯やっている様子で、昨日別れ際に西丹 (新松田?) に行くと言っていたのは何だったのか・・・。荷物整理していると、近くのキャンプ場の従業員(外人)がトイレを使うならどうぞと声を掛けてきた。西丹のビジターセンターも近いのでそのまま向かうこととした。ビジターセンターでは未だバス発車まで時間があると、係員が一旦閉めた鍵を開け、ヒーターのスイッチも入れてくれた。山行の締めくくりに続けて親切な人々に会えたのは気持の良いことであった。
 メンバーの1名が途中脱落したのは残念だったが、兎に角無事に所期の目的を果たして満足であった。本間には計画立案、食糧計画など世話になったが、次回以降山行中の飲酒については、今回の反省を踏まえて、体調、行程を勘案して無茶をしないことを望みたい。
 松田では岡田、高橋は何時もの反省会会場若松食堂に向かったが、小生は翌日に東京多摩支部5期登山教室で朝早くから三ツ峠山に行く予定だったのでそのまま直帰した。皆さんお世話になりました、お疲れ様でした。   (20k歩)
                            (2018年1月20日記)


1月12日 7:25(撮影:岡田)
蛭ケ岳山荘からの富士山
1月12日 12:09(撮影:岡田)
青ヶ岳山荘下からの蛭ヶ岳
1月12日 12:24(撮影:岡田)
青ケ岳山荘前にて
(左から竹中、岡田)




会   報



■2017年12月10日 越前岳(富士ビュー、懇親山行)  岡田 健志(昭和42年卒)
      ****** 2018年1月19日投稿

日にち ;2017年12月10日
参加者 ;佐薙、本間、小島、佐藤(久)、中村(雅)、宮武、佐藤(周)、太田、岡田
コースタイム ;十里木高原バス停(9:20)−十里木高原展望台(9:40)−勢子の辻分岐(11:45)−越前岳(11:55〜12:17)−富士見台(12:35)−富士見峠−愛鷹山荘−山神社(14:36)−愛鷹山登山口バス停

 毎年、雪をかぶった白い富士山が良く見える山で懇親山行が計画されている。当会のなかでは、「富士ビュー山行」という呼び名が定着している。
 寒くはあるが天気が安定しており、年賀はがき用の写真が撮れるので、参加希望者は多い。また、富士山学の泰斗、佐薙先輩とその弟子である宮武会員が参加となれば、実物のお山を目の前にして楽しい解説を聞くことが出来る。

 JRでくる人、小田急線でくる人まちまちで、御殿場駅に集合。そこから富士急バスで十里木へ。5分で登山口に到着。乗用車やバスが沢山駐車していて、なかなか人気の高い山であることがわかる。登り始めて振り返ると富士山の東南面が見える。雪が少なくて、黒々としている。北面とくらべると、東南面は積雪量がちがうとのこと。
 十里木高原のバス停から歩きだすとほぼ直線にルートがとってあり、振り返ると富士山の横っ腹に巨大な穴が目につく。宝永4年(1707年)の宝永大噴火によってできた噴火口で、第一火口と呼ばれている。このときの大噴火を最後に、富士山はおとなしくしている。

 十里木高原展望台までは、下ばかり見ながらひたすら登る。ここで振り返ると、富士山の左側に南アルプス南部の山々が雪をかぶって青空にそびえたっているのが見える。近くの、巨大な富士山と遠くの、白い頂を連ねる南アルプス。こんな景色を眺めることができるだけでハッピーになる。

 登山路は、樹木の茂るルートとなり展望もきかなくなる。越前岳の頂上は、大勢のトレッカーで満杯状態だった。我々もここで昼食とする。
 帰路は富士見台・富士見峠を経て山神社を目指す。午後になって雲が出たため、富士見台では富士山にお目見えできなかった。急斜面に足をとられてスッテンコロリンする人もいたが、山神社経由で愛鷹山登山口バス停に出た。
 御殿場駅近辺で反省会を行い、来た時と同様まちまちのルートで帰宅した。

 (本稿は、この山行を幹事として計画した 故宮武 幸久氏が作成することになっていた。残念なことに、氏が上野原近郊の坪山で亡くなったため、岡田が代わりに作成した。反省会で美味そうにビールを飲んでいた氏の笑顔が、今でも思い出されます。宮武さん、やすらかにお眠りください)


▼写真をクリックすると大きく表示されます
12月10日  9:44(撮影:岡田)
十里木高原展望台からの南アルプス
(右から)荒川三山(右:悪沢岳、左:中岳)、
赤石岳、聖岳、上河内岳
12月10日  9:48(撮影:岡田)
十里木高原展望台からの富士山

12月10日  12:39(撮影:岡田)富士見台にて
(後列左から)岡田、中村、太田、佐薙、宮武、佐藤(久)
(前列左から)小島、本間、佐藤(周)



会   報



   
■2017年6月3〜4日 懇親山行(守門岳) 加藤 博行(昭和51年卒) 
太田 貴之(平成28年卒)


●速報        加藤 博行(昭和51年卒)

     ****** 2017年6月4日HUHACメールより転載

針葉樹会の皆様への報告
 6月3日〜4日実施された針葉樹会懇親山行越後シリーズは、参加者11名「 (順不同)佐薙さん、小野さん、小島さん、佐藤(久)さん、岡田さん、宮武さん、前神さん、佐藤(周)さん、川名さん、幹事:太田さん、加藤」により、6月3日長岡のロッジ道院前泊、4日早朝より、保久礼小屋まで車で乗り入れ、そこから往復して無事守門岳に登頂し、下山しました。(全行動時間8時間10分)
 天候が終始曇り空の中、参加者の皆様にはご苦労様でした。
 詳細は、後日の針葉樹会報で幹事より報告いたします。

●守門岳山行記録  太田 貴之(平成28年卒)
     ****** 2017年7月3日投稿

【準備編】
 今回の懇親山行にあたって、私が事前に行ったことは、宿泊先および移動手段の手配、偵察山行である。宿泊先および移動手段の手配は、宿とレンタカーを予約した。レンタカーは、長岡のような地方都市での移動には、大変都合がよく6月3日に弥彦山や五十六記念館に行って、長岡観光を楽しむことができた。
 また、ミニバンを2日間借りても、料金は、27,000円程度であり、タクシーよりも値ごろだった。今後も、移動手段として、レンタカーを検討するのがよい。
 偵察山行は、大岳までだったが、登山道の状況をたしかめることができたので、意義があった。偵察山行は山開きと重なっていたこともあり、6月4日と比べて、登山者の数が多く、中には、長靴で登山している人もいて、装備について参考になった。
 これらにより、アイゼンは不要と判断したが、念のため、栃尾観光協会と魚沼観光協会に確認した。反省点としては、事前に宿泊先であるロッジ道院から保久礼小屋登山口への経路の確認が不十分だったため、6月4日は登山口に行くまでに少し道に迷い、時間をロスしてしまったことだ。

▼写真をクリックすると大きく表示されます


 6月3日  11:46(撮影:加藤) 弥彦神社にて
 (左から)宮武、小野、佐藤(周)、小島、佐薙、佐藤(久)、岡田、太田


 6月3日  18:27(撮影:岡田)  長岡のロッジ道院にて
(左側前から)加藤、宮武、小島、佐薙、小野
(右側前から)川名、佐藤(久)、佐藤(周)、前神

【6月4日のコースタイム】
  0645保久礼小屋登山口⇒0905大岳⇒1043青雲岳⇒11:05袴岳⇒14:55保久礼小屋登山口

【山行記録】
 保久礼小屋登山口の名のとおり、登山口の近くには、保久礼小屋がある。保久礼小屋は、2階建てのコンクリート造りの小屋である。小屋の中は、汚いものの、スペースも十分あり、ここで雨具を身に着けた。
 また、この小屋の近くには、水場があるため、出発前にここで水を補給していくとよい。
 6:45に佐藤(周)さんをトップに登り始めた。登り始めてから稜線上の大岳にでるまでは、登り一辺倒である。当日の明け方まで雨が降っていたこともあり、登山道の足場は悪く、ぐちゃぐちゃしていた。登っていくと、徐々に登山道に雪が現れ始め、大岳からの稜線上の登山道は雪で覆われるようになった。 
 稜線上では、ルートを見失いかけることがあったものの、ピークの袴岳に11:45登頂した。残念ながら、天候は回復せず、景色は見えなかったものの、参加者全員、登りきることができたのでよしとしよう。
 袴岳山頂で、大白川のバス停までいく佐藤(周)さんと別れ、登りと同じコースを下山した。そして、14:55に保久礼小屋登山口に無事に到着して、怪我なしで懇親山行を終えることができた。

6月4日  9:08(撮影:川名)
大岳にて(ショウジョウバカマ)
6月4日  9:11(撮影:岡田)
大岳にて(オオカメノキ)
6月4日  10:15(撮影:川名)
大岳分岐の手前にて
 (後ろから、加藤、前神、宮武、
岡田、佐藤(久)、・・・)


6月4日  11:12(撮影:川名)守門岳山頂にて
 (後列左から佐藤(久) 
 (中列左から小島、岡田、小野、前神、加藤、佐藤(周)
 (前列左から太田、川名、佐薙、宮武)
6月4日  11:16(撮影:川名)
袴岳(守門岳)頂上にて
(シラネアオイ)
6月4日  11:47(撮影:岡田)
青雲岳付近
(カタクリ:筒状の蕾?状態)
6月4日  12:16(撮影:川名)
大岳分岐付近にて
(イワカガミ)
6月4日  12:16(撮影:川名)
大岳分岐付近にて
(前から小島、岡田)
(後ろ左から前神、加藤、小野)


 6月4日  14:27(撮影:川名)
保久礼小屋近くにて
(左から宮武、太田、佐藤(久))
 6月4日  16:32(撮影:岡田)
おいらこの湯にて
(後列左から加藤、川名、小島、佐藤(久)
(前列左から佐薙、宮武、前神、小野、太田)


        


●Re:6月3日〜4日懇親山行のご案内(守門岳)  佐藤 久尚(昭和41年卒)
     ****** 2017年6月4日HUHACメールより転載

 加藤さん
 太田さん
 大変お世話になりました。
 きめ細かいアレンジのお陰で大変エンジョイできました。
 ありがとうございました。

●無事、大白川へ下山  佐藤 周一(昭和54年卒)
     ****** 2017年6月4日HUHACメールより転載

守門岳懇親山行にご参加の皆様
 佐藤(周)です。本日はお疲れ様でした。
 あれから当方は、標高1300b付近の雪原でルートをロストし、15分位の薮こぎを余儀なくされたり、1000b付近からの急坂では2度ほどスッテンコロリしたりしましたが、何とか大白川のバス停に3時前には着いて宿の車にピックアップしてもらい、先ほど熱めの温泉で汗を流し、生き返ったところです。
 皆様の復路は如何でしたでしょうか?
 守門岳は生憎のガスで眺望は得られませんでしたが、豊富な残雪や高山植物にも出会えて有意義な山旅でした。
 細かなご配慮をいただいた加藤さん・太田さんには心より御礼申し上げます。
 今日こそは?早めに寝て、明日の浅草岳に備えたいと思います。引き続き、よろしくお願いいたします。

●Re:無事、大白川へ下山  加藤 博行(昭和51年卒)
     ****** 2017年6月4日HUHACメールより転載

佐藤さん、
 無事大白川着とのこと、ほっとしました。我々は、午後2時55分に保久礼小屋に到着、そのまま栃尾のおいらこの湯に移動して、温泉につかり、長岡駅で再びビール??と酒??、へぎそばでしめて、解散しました。
 大人数のトップ約を無理にお願いし、全うしていただき、有り難うございました。あすの浅草岳が素晴らしいことをお祈りします。また次回、どこかでお会いしましょう。

太田さん、
 ご苦労様でした。結局、あのあと長岡でへぎそばでしめたので、今回はオプション二つともほぼ完了しました。本当にご苦労様でした。後日慰労会をやりましょう。




会   報



■2017年6月17日 日留賀岳  藤原 朋信(昭和44年卒)

          ****** 2017年6月18日投稿

1. 日時 2017年6月17日 土曜日
2. 山域 那須連峰の南西に位置する、男鹿山塊の南に鎮座する山。栃木百名山の27番。
3. 形式 日帰り単独登山
4. コース 那須塩原温泉 〜 登山口(小山邸) 〜 日留賀岳    往復
5. タイム 塩原温泉11:05〜登山口12:00〜頂上15:10〜登山口17:15
塩原温泉18:05  行動時間 7時間
6. 天候 晴れ時々曇り
7. 感想 昔風の渋くて重厚なとても静かな良い山でした。登山口にある白戸部落も隠れ里の趣がある桃源郷です、男鹿山塊の山々に囲まれて緑滴る風景が広がる中、南方には塩原富士を前景に高原山が一段と高く聳えていました。
8. 覚書 @関東にある「ひるがたけ」で最も知名度が低い日留賀岳ですが標高は1849mと丹沢の蛭ガ岳より高く頂上からの展望も優れています。関東百名山にも選定されているので登山者も週末に3〜4パーティーはいるようですが、登山口からでも上り4〜5時間かかるのが普通ということで中高年パーティーは敬遠するようです。おかげで山の中はさみしいくらい静かです。私も小山邸に着いたのが12時で、小山のばあ様からは今からでは頂上は無理だと止められたので、山にはいささか自信あるからと恰好つけてみたものの、実際登ってみると予想以上に大変でした。
今から振り返ると、5年前の65歳前後が体力のピークだったようで、その頃は丹沢大倉尾根を2時間で駆け上がり、そのまま西丹沢へ主陵を縦走しても疲れなかったのに、昨年の糖尿病悪化による体力低下はいかんともしがたく、登り3ピッチ目からはペースが大幅にダウンしました。

A日留賀岳は車でないと日帰りは無理だと諦めていたのですが、5月の三重県藤原の地からの藤原岳登山、5月の水上の友人マンションをベースにした奥利根最奥の藤原郷からの尾瀬笠ヶ岳に続き鬼怒川奥から野岩鉄道男鹿高原口に至る栃木藤原の里よりの男鹿岳を検討する中で,日留賀岳もバスの便が良い塩原温泉からの往復なら可能だと思いつき、日が長い6月に実行に移したものです。日留賀岳山頂から北面に広がる男鹿高原(藤原の里)を眺めやり次は男鹿岳登山で、中学生の折社会科地図で見つけた全国3か所の我が藤原への山旅が完了です。

 
 
 
 
会   報


■2017年6月4〜5日  守門岳・浅草岳(懇親山行・単独&延長山行) 佐藤 周一(昭和54年卒)
        *********** 2017年6月6日投稿

【6月4日(日):曇り】

 冷たいガスに包まれた守門山頂で集合写真を撮った後、私は往路を戻る本隊と別れ、南の大白川登山口を目指した。歩き易い稜線を暫く進むと標高1300b付近から緩傾斜の広い雪原が広がる。視界がよければエデシ尾根の取り付きが分かるのに、濃いガスのため道をロスト。ピンクテープを探すために藪漕ぎを15分ほど強いられて漸く下降路を発見。その先、標高1000b付近からは奈落の底へ落ちるような急降下。要所要所にはロープが張られているので不安は感じなかったが、雨上がりのぬかるみに足を取られ数回ズルッ、ズッデーン。尻を汚しながら林道終点に午後1時半に到着。見ると多摩ナンバーの車が2台有り、傍らで数名が取れたての山菜天ぷらを楽しんでいた。途中、スキー場ゲレンデを突っ切りながら林道を辿り、3時前には大白川バス停着。ここから今夜の宿に電話して車で迎えに来てもらった。宿には浅草岳山麓に沸く温泉が引き込んであり、熱い湯に守門山行の疲れが溶け出していく気分だった。

  11:20 守門山頂 → 13:30 林道終点駐車場 → 14:50 大白川バス停

【6月5日(月):晴れのち曇り】

 前日までの天候とガラリ変わって無風快晴の朝。5時半に朝食を出してもらい、宿の車で林道の奥の行けるところまで行くことに。ネズモチ平登山口近くまで運んでもらったので1時間近く短縮出来た。但し平坦な所は田んぼ状態で歩きにくいことこの上なし。ぬかるみを脱すると今度は急登が待っており、木の根や岩角を掴んで攀じ登ること2時間余。樹林帯を抜け傾斜が緩くなると前岳手前の分岐に出る。ここから稜線上はたっぷりの残雪で、沢の源頭付近はスッパリ切れ落ちているので傾斜が緩い所を選んで慎重に進む。露地が出てくると木道が現れ、頂上直下まで続いていた。9時過ぎには山頂着。少し前から上空に雲が広がり始めており、守門岳方面も頂上付近は雲に覆われていたが、反対側の田子倉湖や浅草岳から稜線が続く鬼ヶ面山の東面壁がよく見える。越後三山や会津駒ケ岳方面も標高1800b以上は雲の中。しばしの休息後、往路を戻る。前岳への雪面降下は念のため軽アイゼンを出した。分岐から西にムジナ沢登山口への下降を開始。途中、やせ尾根を残雪が覆う数箇所は少々緊張を強いられた。桜ソネ広場に出る手前、標高1000b付近では早咲きのヒメサユリにも出会えた。
 急坂を下り切り平坦な地形になると再び田んぼ状態が多くなるが、途中、ミズバショウの群落地もあり気分転換になる。計3時間半の下降で登山口に出た。
 朝の短縮効果もあり予定より2時間近く早めに宿に帰着するが、JR只見線の本数が少ないので乗る時間まで宿で休憩させてもらう。食堂で行動食を頬張っていたら女将さんが山菜の漬物とお茶を出してくれたのでビールを注文させてもらう。腹が膨れた上に酔いと疲れとで眠くなり1時間ほど午睡。3時半には大白川駅まで送ってもらい、小出・浦佐経由で新幹線で帰京した。

  6:00 民宿発 → 6:20 ネズモチ平登山口 → 8:50 前岳分岐 → 9:10浅草岳 → 9:40 前岳分岐 →
  11:20 桜ソネ広場 → 13:15 ムジナ沢登山口 → 13:20 民宿着

 (補足)只見線は東北大震災の年の豪雨災害で会津川口駅と只見駅間が不通になっており、昨秋の博士山・志津倉山行の
      際に先導役をしてくれた地元の斉藤君が「復旧に100億近い費用が必要で全通の目処が立たない」とのことでしたが、
      今回の宿の主人の話では何とか目処が立ち、復旧工事が年内にも着工予定とのことでした。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
6月5日  9:30浅草岳山頂から守門岳 6月5日 9:30 
浅草岳山頂から鬼ヶ面山越しに平ヶ岳方面を望む


会   報



■2017年5月2日〜4日   五竜岳−宿願を達する− 岡田 健志(昭42年卒)

     ********** 2017年6月21日投稿

日程 
同行者
;2017年5月2日〜4日
;佐藤 周一、他1名

 1964年11月23日、黒部川から吹き上げる猛烈な風の中を五竜の頂上に立った。八方尾根を登り五竜、鹿島槍を越えて赤岩尾根を下る計画で出かけたが、連日の強風のため、停滞日数が増え、五竜山荘から五竜岳の往復にとどまった。その時以来50余年を経て最近、もう一度残雪の五竜岳へのぼりたいという気持ちが強くなった。
 ある時は、唐松岳頂上山荘から往復を狙ったが、五竜山荘をすぎてから、ルートを横切るいくつかの雪の詰まったルンゼを越えられなかった。
 またある時は、八方尾根のゴンドラが強風のため動かず、翌日に唐松岳頂上山荘に入ったものの、強風・降雨のため、前進を諦めて、八方尾根を下った。
 今回は、ガイド資格を持つ佐藤(周)会員の同行を得て、加えて好天にも恵まれて、宿願の五竜岳登頂を達することができた。

●5月2日(火)
 朝、鎌倉発、神城のペンション「樹里家」泊

 糸魚川に向かって北上する車窓から、雪で真っ白な後立山連峰が真っ青な五月の空をバックに屏風のように聳えている。今年もまた、この季節に安曇野へ来た。
 神城着12:58、駅まで出迎えてくれたペンション「樹里家」のご主人に、下川(又寛)さんの消息を尋ねてみた。下川さんには、昔、神城を訪れた際には必ず顔を出して歓迎してもらった。「樹里家」は30年前から営業しているが、「下川姓」は沢山あって「又寛」という名前は知らないということだった。半世紀も経過すれば、いろいろなことが変わる。(屋号は「大又」だった。帰宅してから俵会員から教えてもらった)
 「白馬五竜スキー場」は遠見尾根の末端に開かれたスキー場で、始点には「エスカルプラザ」というモダンな名前のついた、レストランやスキーレンタル店、お土産店の入った建物がある。
 この「エスカルプラザ」になんと、鉢植えの「ヒマラヤの青いケシ」が展示してあった。この建物の近くには「かたくり苑」があり、“カタクリ”や“キクザキイチゲ”が咲き競っていた。
 ちょうど桜が満開で、青い空と雪山をバックに映えていた。落葉松などの落葉樹の芽が一斉に吹き出し、スイセンやチューリップの花も咲いて、まさに、安曇野は春爛漫というところ。
 朝から八方尾根に行っていた友人も、夕方にはペンションに合流し、プロガイドの佐藤(周)さんと3人で食卓を囲む。ゴールデンウィークにも関わらず、宿泊客は我々の他には3名のみ。

▼写真をクリックすると大きく表示されます

5月2日 12:19
大糸線車窓(大町駅付近)からの
後立山連峰
(左から爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳)
5月2日 14:15
白馬五竜スキー場「カタクリ苑」にて
(キクザキイチゲ)
5月2日 14:25
白馬五竜スキー場「カタクリ苑」にて
(カタクリ)

●5月3日(水)快晴
 出発(7:20)−地蔵の頭(9:00)−一の背髪(10:05〜10:20)−小遠見山(11:00〜11:15)−
 大遠見山(13:00)−五竜山荘(17:05)

 テレキャビンの始発が8:15からなので、朝はゆっくりした。休日だからか、スキーヤー、スノウボーダーと登山客が沢山並んで、テレキャビンのスタートを待っている。このゴールデンウィークがこのスキー場での滑り納めという。
 終点のアルプス平(1,530m)では残雪も多い。今シーズン、このスキー場の積雪量は例年並みらしいが、3月〜4月にかけてたくさんの積雪があったため、残雪量は豊富とのこと。
 ここまでくるとスキーヤーやスノウボーダーが勢いよく滑っている。乗換えの時に、スキーコースを横切ることになるが、これが結構危険で、スピーカーも大音声で注意喚起していた。
 テレキャビンからリフトに乗換え、地蔵の頭までくると、それから上部は、土を踏むことはなかった。雪の中からニョッキリとでている道標に「一の背髪」と書かれたところまで来ると、五竜岳が見えてきた。遠見尾根に取付いて初めて見る五竜岳。武田菱が黒々と聳えている。
 遠見尾根下部の幅びろで緩やかな登りを行く。11:00には小遠見山に着いた。
鹿島槍の北峰と天狗尾根やカクネ里が真正面に見える。遠見尾根はうねるようにして後立山稜線にむかっている。稜線まではまだかなり距離がある。青い空と白い稜線、黒い岩肌がアクセントをつけ、いつもながらの残雪期の山の美しさだ。
 一緒に来た友人は、ここから引き返して一人下山する。はじめからその計画だから仕方がないが、装備さえ準備していれば、稜線まで一緒できたのに、とちょっと残念。
 ここからいよいよ佐藤(周)さんと2人になる。周さんは、正式にガイド資格をとったプロ。太めの体躯ではあるが、体力はさすがにすごい。ではあるが、私がマイペースでトップを歩くものだから、後発のパーティーにドンドン抜かれる。そのパーティーだが、女性が1/3は占める。登山ブームの再来が言われるが、高齢者と女性の増加が寄与大である。
 西遠見山の登り、この長い遠見尾根の3/4ほどまで来たところで、両足が攣ってしまった。朝、ペンションを出発する前に芍薬甘草湯(ツムラ68、2.5g)を1包飲んで出かけたが、ここまで来てなぜ?という思いが強かった。急いでツムラ68を飲み、しばらく様子を見る。
 ここまで来たら、白岳への登りを残しているとはいえ、戻るよりも五竜山荘までの方が距離的にはウンと近い。なんとか五竜山荘まで行きたい。その思いの強さと、ツムラ68の薬効で足が回復した。
 先を見ると、シラタケ沢上部には雪がベッタリついて、トレースは白岳の頂上近くまで登り、そこから白岳直下をトラバースして五竜山荘まで続いている。遅い午後の陽射しを受けてこの大雪面は“雪崩れる”のではないか、と少し恐ろしい。
 とにかく一歩一歩着実にと必死に登る。多くのパーティーに追い越され、いつの間にか、五竜山荘への到着は最後の方のパーティーになってしまったが、それでも無事たどり着くことができた。
 今夜、五竜山荘の泊り客は50名くらいか?小屋のまわりにはテントも10張ほど張られている。遠見尾根の大遠見山付近や西遠見山付近にも多くのテントが張ってあった。翌日、五竜岳を往復したり、鹿島槍や唐松岳の方へ縦走するのだろう。



5月3日 13:30  小遠見山から  (鹿島槍ヶ岳とカクネ里)
●5月4日(木)快晴
 五竜山荘(6:10)−五竜岳(7:40〜8:00)−五竜山荘(9:20〜9:55)−大遠見山(12:00)−
 中遠見山(13:20〜13:30)−小遠見山の捲き道(13:50)−一の背髪(14:35)−リフト上駅(15:10)−
 テレキャビン上駅(15:50)−テレキャビン下駅(16:00)−白馬駅(16:20〜16:39)−松本

 五竜山荘から五竜岳頂上へのルートが朝日を浴びて赤く染まっている。まだ夜も明けて居ない頃からリヒトをつけて歩きだす人もいた。鹿島槍へ縦走する人だろうか。
 五竜山荘から五竜岳頂上までは高度差324m、夏ルートは黒部川側を行く。先行パーティーもすべて夏道を登っていく。雪がなくなっている箇所もあったが、殆どは雪道。風が全くと言って良いほど、ない。そして快晴。
 ちょっとした岩稜が黒部側へ降りている。これを乗り越えるのに少し緊張した。それから上は傾斜がある雪の斜面、何人もの先行者がいるため、ステップも切られていて安心感がある。下を見ると、急な雪の斜面が黒部川に落ち込んでいる。雪の斜面が緩やかになったと思ったらそこが五竜の頂上だった。頂上の標識はそこから西側にほんの少し歩いたところだった。
 雪をつけず、黒々としたチンネに守られるように聳える剱岳が見える。鹿島槍の双耳峰は手が届きそうなくらいすぐ近くにある。白馬三山は一列縦隊に並んでいるため見慣れた三ピークには見えない。
 景色を眺めたり、写真を撮ったりで頂上滞留はすぐに20分すぎた。下りについては、頂上直下の雪の斜面は、注意深くステップを辿り下る。そして、登りに緊張した岩稜の下りでは、佐藤ガイドがザイルを出して確保してくれた。10mほどの下りではあるが、落ちると大けがを負いかねない。この箇所では、登る人と下る人で混雑し、登り優先のせいでだいぶ待たされた。
 登ってくる人の中に、スキーを担いだ外国人の4人連れがいた。彼らはなんと、五竜〜鹿島槍の間のどこからか、カクネ里に滑り降り、シラタケ沢を登り返して遠見尾根を滑り降りたらしい。考えただけでも、足がすくむ。
 それはともかく、長い遠見尾根の下りは、疲れた身には結構なアルバイトだった。暖かいせいで、雪はザラメ状になり、アイゼンをダンゴにすることはなかったが、疲れた足は踏ん張りがきかず、走り下りるというわけにはいかなかった。
 リフトの上の駅に着いたが、下り客は使用できないとのことで、ゲレンデの端をドタドタと足跡をつけながら、「アルプスだいら」(テレキャビンの上の駅)まで下らなければならなかった。

 今回の五竜岳山行では、三度目の正直で宿願を達することができた。快晴無風の天気も味方したが、何と言ってもガイド資格を有する佐藤(周)会員との同行が道中の安全・安心につながったと感謝している。

写真5 5月4日 6:00
五竜山荘から
(朝の五竜岳)
5月4日 7:43
五竜岳山頂から
 (鹿島槍ヶ岳)
5月4日 7:45
五竜岳山頂にて剱岳をバックに
(佐藤)

 5月4日 11:13
西遠見山付近から
(五竜岳)
5月4日 13:19
中遠見山から
(白馬三山)
5月4日 13:20
中遠見山から
 (右より五竜岳と鹿島槍ヶ岳)
5月4日 13:20
中遠見山から
 (左から五竜岳と白岳)







会   報
***


当ホームページに掲載されている記事や画像の無断転載は禁止いたします。
(C)一橋山岳会