一橋山岳会のホームページへようこそ。当ホームページは2008年8月1日に開設しました。
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現役・OBの皆さんの国内の山行報告コーナーです
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■2011年12月23〜25日 鳳凰三山懐旧登山 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2011年11月27日 針葉樹会 秋の山行 「倉岳山」 本間 浩(昭和40年卒)
■2011年9月28〜30日 平成23年度第3回懇親山行−越後シリーズ第6弾・巻機山
■2011年9月28〜30日 針葉樹会懇親山行・巻機山 中村 雅明(昭和43年卒)
2011年9月8〜9日 黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳−山行報告 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2011年8月23〜25日 55年ぶりの北岳からの眺望 上原 利夫(昭和33年卒)
■2011年8月19〜21日 学生との蝶ケ岳登山報告 竹中 彰(昭和39年卒)
■2011年6月5日 経ヶ岳紀行 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2011年6月2〜3日 木曽駒・宝剣山行記 吉沢 正(昭和42年卒) 
■2011年5月28〜29日 針葉樹会・春季懇親山行報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2010年11月21〜23日 小金沢(大菩薩)連嶺縦走記録 −大菩薩嶺から滝子山まで−
                                      竹中 彰(昭和39年卒)

■2010年11月5〜7日 鹿島槍ケ岳冬山偵察行 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2010年10月26日 浅間山外輪山登山 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2010年10月14〜16日 仙丈岳に登頂しました。 三井 博(昭和37年卒) 
■2010年10月5〜7日 北岳バットレ第四尾根登れずの記(その1) 竹中 彰(昭和39年卒)
■2010年10月5〜7日 北岳バットレ第四尾根登れずの記(その2) 竹中 彰(昭和39年卒)
■2010年10月5〜7日 北岳バットレス第4尾根行 金子 晴彦(昭和46卒)
■2010年10月5〜7日 北岳バットレ第四尾根登攀(反省点) 藤原 朋信(昭和44年卒)
■2010年10月2日 御坂山塊 王岳〜三方分山〜パノラマ台 齋藤 正(昭和42年卒)
■2010年10月1日〜3日 蓮華温泉から白馬岳 岡田 健志(昭和42年卒)
■2010年9月29日 秋の懇親山行(その後) 佐薙 恭(昭和31年卒) 
■2010年9月19日 鳥甲山(懇親山行)登山報告 佐藤 久尚(昭和41年卒) 
■2010年9月17〜19日 平成22年度針葉樹会懇親山行 竹中 彰(昭和39年卒)
■2010年8月29〜31日 日光奥白根・男体山 本間 浩(昭和40年卒)
■2010年8月12〜17日 黒部源流山行 小島 和人(昭和40年卒)
■2010年7月24日 女峰山 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2010年7月17〜20日 南アルプス悪沢岳登頂 三井 博(昭和37年卒) 
■2010年7月8〜14日 大雪連峰縦走(黒岳〜トムラウシ山) 中村 雅明(昭和43年卒)
■2010年7月5日 毛無山(1,946m 富士山外輪山) 齋藤 正(昭和42年卒)
■2010年6月4〜5日 八右衛門沢から霞沢岳(2550m地点) 中村 雅明(昭和43年卒)
■2010年6月3日〜4日 西穂高岳 岡田 健志(昭和42年卒)
■2010年5月23日 秩父御岳山(懇親山行)登山報告 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2010年5月22日 武甲山(懇親山行)登山報告 佐藤 久尚(昭和41年卒) 
■2010年5月8日 黒髪山(佐賀県)山登り 三森茂充(昭和40年卒)
■2010年4月7日〜8日 赤岳(八ケ岳) 岡田 健志(昭和42年卒)
■2010年3月11日〜12日 硫黄岳(八ヶ岳) 岡田 健志(昭和42年卒)
■2010年3月10日 「なめこと山余聞:神楽」 山崎 孝寿(特別会員)
■2010年1月30日 奥多摩・三頭山から蛇の湯温泉たから荘 三森 茂充(昭和40年卒)
■2010年1月29日 雪のない大寒の三国山稜 三井 博(昭和37年卒) 
■2009年12月23日 初冬の九鬼山を歩く 三井 博(昭和37年卒)
■2009年10月12〜14日 錦秋の蔵王連峰縦走(北蔵王・南蔵王) 中村 雅明(昭和43年卒)
■2009年10月3〜4日 賢治のナメトコ山を訪ねて 山崎 孝寿(特別会員)
■2009年9月19〜21日 中央アルプス縦走 川名 真理(昭和62年卒)
■2009年9月14〜16日 雲取山周遊・・・山行報告 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2009年8月26〜29日 夏の終わりに加賀の白山に出掛けました。 竹中 彰(昭和39年卒)
■2009年8月25〜27日 北アルプスの二つの山上湖を結ぶ追悼の旅  蛭川 隆夫(昭和39年卒)
■2009年8月7〜9日 カムイエクウチカウシ山行報告 川名 真理(昭和62年卒)
■2009年7月31日〜8月2日 越後シリーズ第四弾(浅草岳・守門岳)竹中 彰(昭和39年卒)
■2009年7月24〜25日 風雨の富士山登頂 三井 博(昭和37年卒)
■2009年7月18〜20日 朝日連峰縦走 川名 真理(昭和62年卒)
■2009年7月13〜17日 北海道紀行(2) シマフクロウと釧路湿原ガイド・ツアー 蛭川 隆夫(昭和39年卒)
■2009年7月9〜12日 北海道紀行(1) 大雪山系の花と鳥を訪ねて 竹中 彰(昭和39年卒)
■2009年6月12日 日光の鳴虫山に行きました
■2009年3月9日 権現山(三四郎会・西丹沢山行) 高橋 信成(昭和38年卒)
■2009年3月9日 屏風岩山(三四郎会・西丹沢山行) 本間 浩(昭和40年卒)
■2009年3月8日 屏風岩山(三四郎会・西丹沢山行) 三森 茂充(昭和40年卒) 
■2009年3月8日 畦ケ丸(三四郎会・西丹沢山行) 中村 雅明(昭和43年卒)
■2009年3月8日 大室山(三四郎会・西丹沢山行) 岡田 健志(昭和42年卒) 
■2009年2月18〜19日 冬の八ケ岳・天狗岳行 竹中 彰(昭和39年卒)
■2009年2月8〜9日 雪のない冬の阿蘇山・九住山に登りました 三井 博(昭和37年卒)
■2009年2月 7日 川苔山から本仁田山 齋藤 正(昭和42年卒) 
■2009年1月29日 南高尾山稜を歩く 三井 博(昭和37年卒)
■2009年1月5〜6日 新年の塔ノ岳山行 竹中 彰(昭和39年卒)
■2008年12月25日 檜洞丸(西丹沢) 岡田 健志(昭和42年卒)
■2008年11月25〜26日 晩秋の南アルプス深南部の山 三井 博(昭和37年卒)
■2008年11月16日 晩秋の雨の丹沢塔ノ岳 三井 博(昭和37年卒)
■2008年10月27日 丹沢・大室山 竹中 彰(昭和39年卒)
■2008年9月15日  雨飾山の岩登りの記録 山田 秀明(平成15年卒)
■2008年8月27〜30日 北岳逍遥・先発組の記録
■2008年8月9〜10日  荒沢岳に行きました(越後シリーズ第3弾前半)竹中 彰(昭和39年卒)
■2008年8月9〜10日  荒沢岳山行写真 高橋 信成(昭和38年卒)
■2008年7月19〜20日  妙高・火打山行の記録 西牟田 伸一(昭和47年卒)
■2008年7月4〜5日  上州武尊山 (梅雨の間の真夏日に・・・) 三井 博(昭和37年卒)
■2008年4月1日 蛭ガ岳直登の記録  竹中 彰(昭和39年卒)
  
HUHACメール=一橋山岳会メーリングシステムで配信され たメール
■2011年12月23〜25日 鳳凰三山懐旧登山 金子 晴彦(昭和46年卒)
                 *********** 2012年1月9日投稿(PDF版)

1頁 夜叉神峠からの白根三山
全38頁 写真72葉
●12月23日    
  夜叉神峠−辻山−南御室小屋
●12月24日 
  南御室小屋−薬師岳−観音岳−
  地蔵岳−鳳凰小屋隣りテント場
●12月25日
  鳳凰小屋隣りテント場−燕頭山−
  御座石鉱泉

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会   報
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■2011年11月27日 針葉樹会 秋の山行 「倉岳山」 本間 浩(昭和40年卒)
     ****** 2011年12月2日投稿

日時   11月27日(日)
場所   倉岳山(大月近辺にあり、秀麗富嶽12景の9番・990m)
参加者  14名:佐薙 鈴木 仲田 三井 遠藤 宮本 本間 佐藤(久) 中村(雅) 前神 兵藤 佐藤(活)
          [学生]小宮山 町田)
 
 朝9時、準備体操も終え、梁川駅をスタート。沢筋の道をタンタンと歩き、 最後の急登で一汗かき、12時前に倉岳山山頂へ。天候に恵まれ「雪の富士」を拝し、恒例のトン汁も供され昼食。下山は二つに分かれ、若手Aチームはお隣の高畑山(981m)経由、老人Bチームは直接下山。途中の「石仏」で合流、一路反省会場「たかちゃん食堂」へ(午後3時半)。
 今回は珍しく、31年卒の爺さま(2名)から子供(学生2名)までと幅広く、中に「仕事現役」の働き盛りが3人という人員構成。そのためか、いつもといささか雰囲気の違った前向きの反省会でした。なにはともあれ、事無くて上々の山行でした。
●倉岳山 山行感想 小宮山 尚与(一橋山岳部2年)
今回の倉岳山への登山は夏以来の久々の山行ということもあり、初めは緊張感を伴ったものとなった。しかし、登り始めると天候に恵まれたこともあり、周りの景色を楽しみながら登山をすることができた。OBの方々の力強い足取りに驚かされつつ、景色を楽しみながら登山を続けていると気がつけば3時間弱歩き続けており、すぐに山頂に到着した。山頂からみえる景色は富士山を望むこともでき、素晴らしいものだった。
山をおりてからは反省会を行った。OBの方々の話を聞くことで山岳部の歴史に触れることができた気がした。来年は山岳部創部から90周年。一つの節目となる年に部に在籍できることに感謝しながら、山岳部を盛り上げていければと思う。
●倉岳山 山行感想 町田 弘樹(一橋山岳部2年)
 2011年11月27日、一橋大学山岳部OBの方々と現役部員であり共に入部した商学部2年の小宮山と山梨県大月市と上野原市の境にある倉岳山まで日帰りで登山を楽しんだ。標高1000メートルに満たない小柄な山であるが、山梨百名山に登録されており、頂上からの景色は見事であった。中でも、ひときわ存在感を放っていた富士山はすばらしかった。自分の住む埼玉県川越市からも天気が良ければ目にすることのできる日本一高い山であるが、実際に存在する山梨県までくるとその大きさにも実感が湧いた。OBの方の一人に富士山に関して博学な方がいらして、こちら側に向いている尾根一つ一つから詳しく説明していただいたのもこの山頂から双眼鏡で眺めている時であった。山頂付近はそれまでの登山路と比べ、かなり急であったのが印象に強く残っている。丁度昼時に登頂できたので、山頂で食事休憩を取った。トン汁をご馳走になり、隣の高畑山に向かう班と下山する班の二つに分かれ、自分は高畑山へも足を運ぶことを選んだ。朝9時から倉岳山を登り始め、高畑山に寄り、下山するまで6,7時間であったと記憶している。山道をこれだけの時間歩き、OBの方に比べ若い自分でも息の上がるような山路が途中あったにも関わらず、元気に降りてくるOB一団を目の当たりにしてとても驚いた。そして、そんな先輩の一人がこれは登山というよりハイキングだというような主旨の言葉を漏らしたのを聞き、とても頼もしい団体であり、また、登山という活動を続けることが将来どれほど自分の肉体を強くしてくれるのかという可能性を感じた。今回の山行ではたくさんのOBの方と触れ合う機会となったので、山に対する知識なども教えていただけた。山に登る時の服装や時間などをメモする大切さなどを教わったので、次回の登山に役立てたいと思う。

11月27日 12:14
倉岳山頂からの富士山
11月27日 12:23
倉岳山頂にて学生2名(左から小宮山、町田)


11月27日 12:30
 倉岳山頂にて全員で
  (後列左から)中村、三井、佐藤(活)、本間、佐薙、兵藤、鈴木、佐藤(久)
  (前列左から)前神、遠藤、小宮山、町田、仲田、宮本

会   報
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■2011年9月28〜30日 平成23年度第3回懇親山行−越後シリーズ第6弾・巻機山  竹中 彰(昭和39年卒)

      ****** 2011年10月9日投稿

 本年度第3回の懇親山行を巻機山で実施することになり、併せてこの数年継続してきた越後シリーズ企画とも関連させて募集され、総勢8名の会員が参加することとなった。越後シリーズとしては第6弾となり初日に巻機山麓の清水集落の民宿に集合し、翌日の宿泊は六日町の「五十沢(いかざわ)温泉ゆもとかん」に泊ってユックリ温泉に浸かろうとの余裕の計画であった。ただ折角遠方まで出向くのに一山では勿体無い、行き掛けの駄賃に大源太山もとの本間さんの計画であったが、生憎天気が崩れた為、二山目は断念せざるを得なかった。
(参加者) CL三井博(S37卒)、遠藤晶士(37)、竹中彰(39)、本間浩(40)、佐藤久尚(41)、
岡田健志(42)、斉藤正(42)、中村雅明(43) ・・・・・・ 計8名

●初日 9/28(水) 晴れ
齋藤さん(夫婦で旅行の途中で参加)以外の7名は遠藤車(遠藤、三井、中村)、竹中車(竹中、本間、佐藤、岡田)に分れ、夫々所沢、町田から昼頃出発して現地に向った。圏央道、関越道を経て15:30頃に清水集落の上田旅館に集合した。
先着した遠藤車は登山口の桜坂駐車場を確認し、遠藤さんの趣味の神社城郭巡りの一環で地元の古い社などを参拝したとのこと。その後夫人の運転で齋藤さんも到着して全員揃う。
当初の段階では佐藤さんからヌクビ沢遡行計画が提案されていたが、地元警察、南魚沼市観光課などから登山禁止の「お願い」が出ていること等から全員井戸尾根の一般ルートを辿ることとした(岳人8月号やインターネットでの検索では9月初めにも遡行の記録が出ていたがムリは禁物とアキラメル) 。
風呂後に夕食となったが、地元の食材を使った料理(岩魚、舞茸、フキ等)を翌日の登行に備えて控え目のビールで味わう。翌日は団体予約で満杯とのことだったが、この日の同宿者は一名であった。食後はパッキングなど準備を終えて早目に就寝する。余り早く寝床に入った所為か22時前に早くも眠りが浅くなり、その後はウツラウツラ起床時間まで耐える。       (総歩数:2.7千歩)

●第二日 9/29(木) 快晴
4時過ぎ頃からガサゴソと起きだす音で目が覚め、本間さんのタバコの煙りが漂ってくるのに気付く。起床、洗面後宿に依頼した朝食・昼食の2食の握り飯弁当をザックに詰め5時に宿を3台の車で桜坂駐車場に向う。米子沢を渡った所の駐車場には既に2台の車が駐車していた(700m)。外気温10℃の中、本間さんトップ、三井さんラストのオーダーで、ヘッドライトを点けて5:10過ぎに登山をスタートし、直ぐに沢ルートと尾根ルートの分岐に至り、右の尾根ルート登山口を進む。5:35に3合5勺の標柱を過ぎる。その後も東京学芸大登高会の合目柱が木目細かく設置されていた。空も明けかかる頃最初のピッチを4合目を過ぎた所で切る(870m、5:42〜47)。次は井戸の壁と呼ばれる林の中の急登から南側に開けた尾根筋に上がった、昭文社地図上で焼松とある5合目で朝食を取る(1068m、6:20〜42)。宿の梅干入り握り飯2個と焼サケ、漬物、みかんと素朴なものだったが、流石に魚沼の米どころのご飯は冷えても美味しく頂けた。南に開けている為、足下の米子沢や近くに鋭角の山稜を見せる大源太山、清水峠、更には谷川連峰などが見渡せ、暫し山座同定で過ごす。この前後に単独行、二人連れに抜かれる。食後は尾根道を少し進むと左に明るいブナ林が広がり、前夜、宿の主人が5‐6合目のブナの倒木にブナ茸があるとの言があったので、チラチラ見て行ったがそれらしきものは見当たらず、下山時にシッカリ探そうとのことで、6合目に向う。
次のピッチは6合目の直ぐ下で切る(1290m、7:20〜25)。少し登った所が6合目の展望台と記されている地点で、右側の天狗尾根との間にヌクビ沢が白く光り、その上どん詰まりに割引岳が朝日に照らされて聳える。更に進むとハイマツ、石楠花などの灌木帯に出る。所々にナナカマドの赤い実が青空の下で綺麗なコントラストで輝いていた。7合目の手前から本来のガレた登山道が崩れた為か、新たに笹原を刈り込んでルートを作っており、根元近くが斜面に残る歩き難い道をジグザグに斜行し、7合目で休憩する(1501m、8:07〜16)。その後も広い斜面を進み、灌木帯を越えた8合目でピッチを切る(1692m、8:52〜9:03)。ここからは大源太山も低く見え、南の谷川岳や西に霞む苗場山、足下に南魚沼の町など視界が開け、行く手にニセ巻機山も見えてくる。その後20分程でニセ巻機山の頂上に着く(1780m、9:22〜30)。ここからは避難小屋のある草原に下り、地塘の間を巻機山の頂上を目指すことになる。小屋を覗くと清潔な感じで、トイレも中に設置されていた。小屋を過ぎて木道を進むが既に花の時期は終わり、見るべき花もなかった。木道から頂上への登りにかかり、登りきった所が突然開け、ベンチや正面に巻機山頂上(1967m)の標識が立てられていた(10:10〜22)。少し割引岳方面に進んだ所からは、ここ数年の越後シリーズで踏んで来た八海山、中ノ岳、越後駒ケ岳などの懐かしい山々が展開していた。真の頂上は牛ケ岳方面に10分弱進んだ所にあるが、標識はなく低い石積みがある程度だった。標識のある頂上へ戻る他のメンバーと別れて、ここで昼食を取りながら稍々霞んでいるが、武尊山、平ケ岳、燧岳、至仏山、日光白根山などを見渡せた(1967m、10:33〜45)。食後合流すべく標識頂上に戻ると、齋藤さんが担ぎ上げたナシを振る舞ってくれ、その甘さが沁み渡る。次第に他の登山者も現われ、11:20に下山を開始する。20分で10人位のツアーパーティーが休んでいる避難小屋に着き、登りに左足首を捻った為に不調だったEさんの足に齋藤さんがテーピングとマッサージを施す(〜12:00)。その後もEさんは痛む足に苦労しながらもダブルストックの助けでMさんが付き添って下山を続ける。その他のメンバーは先行して下る。8合目12:30〜40、7合目13:07〜20、ここにも宿泊装備を担いだと思われる男女混成9人パーティーが登って来る。休憩場所で後続のM、Eさんが追い着くのを待ちながら6合目まで下る。展望台で再び割引岳、天狗岩、ヌクビ沢をジックリ観察する(13:50〜14:08)。朝食を取った5合目には14:43に着き、給水休憩をとる。後続が追い付くにはかなりの時間がかかりそうだったので、スローペースで太腿に違和感を覚えていた竹中が先行して14:50に単独下山することとした。齋藤夫人の車が駐車場に15:30に迎えに上がってくる予定であったので、その連絡も兼ねて先行することとした。15:02に4合目で少憩し、3合目は15:20に通過して当初予定通り15:30に駐車場に到着し、斉藤夫人に後続は20−30分程度遅れている旨伝える。
車にザックを積み込み、ストレッチ等していると、直ぐ駐車場管理人が寄って来て駐車料の徴収があった。一日500円也で、領収書には「清水生産森林組合」のゴム判が押してあった。早朝の出発時に較べると車も増え、我々以外には6−7台、バイク1台が駐車しており、持ち主が下山してくると出入り口に止めた軽トラの中から直ぐ管理人が降りて来て料金を徴収する仕組み。駐車場は全面舗装で35台程度のキャパはあり、満杯になれば登ってくる途中にも2箇所程度駐車場はある。20分遅れの15:50に本隊が到着したが、16:30過ぎてもM、 E組は現われずこの間に下山して来る他のパーティーに確認すると、3合目辺りをユックリ降りていたとのこと。稍々心配になり竹中が尾根ルート登山道入口付近まで登って上にコールすると暫らくしてMさんが降りてきた。Eさんは未だ上で歩いているとのことで、竹中は運転用の靴に履き替え済みだったのでMさんのザックを受け取り、Mさんは空身で登り返して行った。駐車場に戻って“屈強の若者”に状況を説明して迎えを頼む。待つこと暫し、17:05にM、 E組も含めて無事全員下山して来る。Eさんはかなり足にダメージを受けて難儀した様子であった。全員揃ったところで、この日の宿である六日町の「五十沢温泉ゆもとかん」に向けて出発する。幸いEさんの足も運転には差し支えなくナビに従って30分弱で旅館到着。30年以上前に道路消雪用水の井戸掘削中に温泉を掘り当てたとのことで、稲田の中に突然温泉宿が出てくる趣き。それでも堂々たる5階建ての旅館で、混浴の大露天風呂が売りの様だ。木曜日の泊りなので旅館全体は客も少なく温泉にもユッタリと浸かれた。露天風呂にはアベックも入っており、夕闇も迫っていたので分からなかったが、若手会員によれば女性は40歳未満との見立て。19時頃から計画の巻機山登頂の祝杯を挙げる。翌日の大源太山行きはフロントで天気を確認したところ曇り、雨の予報だったので、2箇所の渡渉点を勘案した本間リーダーが中止と決定したこともあり、宴は地元の酒八海山などで盛り上がる。      (総歩数:17.8千歩)

●第三日 9/30(金) 曇り時々雨
早朝は朝日が出ていたが、6時過ぎからはかなり烈しく雨が降り、前夜の決断は正解だったと安堵する。ユックリ起きて朝食を済ませて宿を後にする。遠藤車は近くの八海山尊神社、坂戸山などを巡るとのことなので、竹中車は塩沢に向かい、鈴木牧之記念館見学、牧之通り散策、牧之生家跡の酒屋での地酒「巻機」購入後、湯沢駅前の蕎麦屋中野屋でへぎそばを食して帰京する。竹中が自宅に戻ったのは16:50頃。               (総歩数:4.8千歩)

今年も三井山行幹事の骨折りで越後シリーズが実施され、絶好の日和に恵まれて全員巻機山に登頂した。毎年企画・推進者として努力いただく三井さん並びに参加の皆さんには感謝以外の言葉がない。流石に帰宅後はストレッチを入念にした積りだったが太腿部に痛みが残り、翌日の東京多摩支部分境嶺踏査山行(槇寄山〜三頭山)に出向く時の駅の階段などは辛かったが、帰路には毒をもって毒を制した所為かかなり軽減されていた。


     

▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
9月29日 9:21(撮影:中村)
前巻機に向かって
(前から本間,斎藤、岡田、佐藤、竹中)
9月29日 10:02(撮影:中村) 
巻機山頂への登り、
ナナカマドを見ながら
(前から本間、斎藤、竹中、佐藤、岡田)
9月29日 10:21(撮影:中村) 
巻機山頂から
越後三山を望む
(左から八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳)
9月29日 10:35(撮影:中村)
巻機頂上(1967m)へ向かう道
(前方は尾瀬の山々)

会   報
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■2011年9月28〜30日 針葉樹会懇親山行・巻機山 中村 雅明(昭和43年卒)

    ****** 2011年10月14日投稿
** 山行日 2010年9月28〜30日
メンバー 三井[S37]、遠藤[S37]、竹中[S39]、本間[S40]、佐藤(久)[S41]、
岡田[S42]、斎藤(正)[S42]、中村(雅)[S43]
山行幹事 三井

 今年度の針葉樹会懇親山行第3弾は、三井さんがご案内された上越国境の名山、巻機山でした。巻機山は、昭和54年10月に懇親山行として米子沢、ヌクビ沢、一般尾根(井戸尾根?)コースが登られています(会報第55号)。今回も米子沢、ヌクビ沢、割引沢などの沢コースも候補となりましたが、三井さんの調査で米子沢は今年7月の集中豪雨にて沢の形態が一変し、高巻きルートの崩壊などで遡行禁止であることが判明。ヌクビ沢も同様であることから沢コースは対象外とし、桜坂駐車場から井戸尾根コースを前巻機山、巻機山に登り、同じ道を下る計画となりました。延長戦は当初の候補であった金城山がやはり大雨の影響で危険とのことで取り止められました。出発直前に、本間さんが企画された大源太山に竹中さん、中村が参加することになりました。高度差1200m、行動時間11時間強のコースの為か、いつもの懇親山行より少ない8名でしたが、少人数ゆえまとまりが良く、28、29日共に絶好の快晴に恵まれ、樂しい山行となりました。なお、本山行は2006年から毎年、三井さんが企画実施されている越後シリーズの第6弾に当たります。また、帰宅した30日夜、折よくBSフジで「絶景百名山 巻機山 秋」が放映されました。

●9月28日(水) 快晴 民宿上田屋に集合、宿泊
3グループに分かれ、夕方、巻機山登山基地の清水部落の上田屋に集合しました。遠藤さんの車に東所沢で三井さん、中村が同乗。竹中さんの車に町田で本間さん、佐藤さん、岡田さんが同乗。15時半過ぎに最初に清水に到着した遠藤車は翌日の登山スタート地点の桜坂駐車場まで下見しました。駐車場までは歩くと1ピッチ以上ありました。駐車場脇の登山口も確認して明日に備えました。上田屋に戻ってまだ夕刻まで時間があるので、清水峠の途中まで車で行ってみようと向かいましたが、直ぐ先のゲートが通行止めになっていたので引き返しました。清水に戻ると竹中車が到着していました。斎藤さんは夫人と一緒に27日に勝浦の自宅を出発。その日は湯沢近くの宿に泊まり、28日はガーラ辺の丘や庭園を散策し、夕刻清水に到着し全員揃いました(斎藤夫人は湯沢のホテル泊)。上田屋はBSフジの巻機山で紹介されていた宿(ご主人:小野塚勝一氏)で、清水部落で1番有名な宿であったことが帰宅後知りました。同宿者はオートバイで旅している人が1人。ほぼ貸切状態で寛けました。
夕食は岩魚の塩焼き+山采料理でまずまずでしたが、最後に食した上田屋自家製コシヒカリごはんがおいしくて、ほとんどの人がおかわりしました。翌朝は早立ちなので荷物整理の後、明日の天気は良いとの予報に力づけられて21時前に就寝しました。

●9月29日(木) 快晴 井戸尾根コースで巻機山往復後、五十沢温泉に移動。宿泊。
まだ夜が明けぬ4時半前に起床。朝食を摂らずに5:00に3台の車に分乗して、前日下見をした遠藤車を先頭に桜坂駐車場(750m)に向かいました。まだ暗いので桜坂駐車場手前の駐車場に入ってしましましたが、誤りにすぐ気が付きました。登山口も見ておいて良かったと三井さん、遠藤さんは下見の成果に納得しました。5:15斎藤夫人に見送られ、本間さんを先頭に、ヘッドライトで足元を照らし歩き始めました。すぐに現れたヌクビ沢、天狗尾根コースとの分岐から右の井戸尾根コースの急な林道をひたすら登ります。最初の休憩の頃、足元が明るくなりライトを消しました。天気は予報通り快晴です。2ピッチで5合目(1128m)に到着。一挙に展望が開けます。上越のマッターホルンの異名を持つ大源太山の鋭峰が印象的です。その後方に谷川連峰が連なります。この時点では山名を自信持って同定できませんでした。また、正面に越後の名渓、米子沢が良く見えました。米子沢は20代の後半に2度遡ったことがありますが断片的な記憶しかありません。明るくきれいな沢は魅力的で、入渓禁止が解けたら再訪したいと思いました。ここで朝食。にぎり飯2個におかず(漬物、シャケ、ミカン)付。冷たいので昨晩ほどではありませんがさすが魚沼産コシヒカリ、おいしく食べました。
さらに見事なブナの純林の中を進み、6合目(1368m)の展望台から天狗岩の岩峰、割引岳、ヌクビ沢の展望を楽しみました。7合目、8合目と高度を上げて行くと樹林帯から笹原、灌木帯に変わり眺望が良くなりました。時折、葉は緑ですが真っ赤な実を付けたナナカマドが目を引き、青空をバックにした写真を撮りながら登ります。
9:25に9合目の前巻機(ニセ巻機:1861m)到着。7合目からの登りの途中で遠藤さんが左足を痛め、少し遅れて到着しました。斎藤さんが心配して「テーピングしましょうか」と声をかけましたが、「大丈夫でしょう」との答えでした。割引岳、巻機山の稜線が一望できました。巻機山頂一帯は草モミジのなだらか草原で、やさしくのびやかな眺めは飽きることがありません。前巻機で小憩後、少し下って巻機避難小屋着。まだ新しい(平成16年改築)避難小屋の内部の立派さにビックリ。しっかりした木組みの造りで豪勢な別荘の趣きです。バイオ・トイレも中にあります。東京を朝立ち、この小屋に泊まり、翌朝巻機山頂でご来光を仰いだらさぞ良いだろうと思いを馳せました。小屋から1ピッチ、途中の池塘を楽しみながら木道を歩き、最後の急登をしのいで10:12巻機山頂着。「標高1967m 巻機頂上」の標柱があり、正に山頂の趣きですが、地図の1967m地点は牛ヶ岳方面に10分歩いた所にあります。誰かが頂上付近が荒れるのを防ぐ為にこうしたのだと言いましたが定かではありません。朝からの快晴が続き、展望は申し分ありません。手前(南)には谷川連峰が連なります。登りの途中では、山名が同定できなかった連峰でしたが、左のギザギザした頂が谷川岳、その右に万太郎山、さらにどっしりした仙ノ倉山と佐藤さんが自信を持って同定した山名に納得しました。割引岳に向かう道からは左から八海山、越後駒ヶ岳、中ノ岳のどっしりした越後三山が望めます。
越後駒ヶ岳で蛭川さん、長沢さんと別れ、中ノ岳、八海山と単独で歩き通した過る日を思い出しました。写真撮影を済ました後、本当の頂上を往復しました。そこはケルンも頂上標識もない、知らなければ頂上と思わない頂でしたが、平ヶ岳、燧ヶ岳、至仏山等の尾瀬の山々、上州武尊山が望めました。
ニセ頂上のある御機屋に戻って昼食。朝食と同じにぎり飯弁当です。斎藤さんから嬉しいおもてなしがありました、ザックからナシを取り出し皮を剥いて1人1人に手渡されました。みずみずしく甘いナシに皆感謝感激。しかもユベシのおまけまでありました。心ゆくまで展望を楽しみ、11:20下山開始。
巻機山避難小屋に戻りましたが、遠藤さんの左足の痛みが増し下山が難儀な様子です。ここで斎藤さんが医師に変身し、手際よくマッサージとテーピングを施しました。それらに疎い私は、応急処置法を勉強すべきことを痛感しました。そこからの下山は2グループに分かれ、遠藤さんに三井さんが付き添ってゆっくり下り、本間さん以下6名が先行して下ることになりました。本間グループは後続2名の様子を見極めつつ、各合目で休憩しながら下りました。途中、前夜上田屋のご主人から6合目下のブナの伐採跡でナラタケが取れるでしょうと言われていたので、ブナ林に入り込んで探しましたが収穫ゼロでお土産の当てが外れました。5合目からは、元気な竹中さんがさらに単独先行し、15:30に1番乗りで桜坂駐車場に到着し、迎えに上がってきていた斉藤夫人に会い、状況を説明しました。本間グループは15:50に到着し、お二人を待ちました。16:30頃には到着するのではと期待しましたが現れず、次第に心配が増しました。斎藤夫妻は今晩、ここから2時間ほどの弥彦山に宿泊予定でしたので、遠藤さんを心配しつつ、17:20に皆さんに別れ、弥彦山に向かいました。17:30を過ぎても到着しないので、日暮れが近いのを心配し、佐藤さん、中村、岡田さんがライトも持って迎いに上りましたが、すぐに三井さん、続いて遠藤さんが現れ、17:50に全員が揃いホッとしました。(この状況は竹中さんの山行記に詳しく記述されています)
幸い遠藤さんの左足の痛みも運転には支障がなかったので、遠藤車、竹中車の2台で五十沢
温泉「ゆもとかん」に向かいました。五十沢温泉「ゆもとかん」は竹中さんのご推奨の宿でしたが、広々とした(しかも混浴)大露天風呂が素晴らしく、山行の疲れを癒しました(「ゆもとかん」の由来、旅館の模様なども竹中さんの山行記に詳しく記述されています)。夕方の天気予報で明日は曇り後雨で、竹中さん、本間さん、中村が予定した大源太山行は下山時の増水時の渡渉の危険を考慮して取り止めることにしました。
19時から夕食&宴会(恒例の打ち上げ・反省会)。冒頭、遠藤さんから「今日はご迷惑をおかけしました。皆さんの温かい心遣いに感謝します。」とのご丁重な挨拶があり、却って恐縮しました。その後は、大露天風呂の混浴談義等に話が弾み、最後は三月会の延長戦の如く、佐藤さんから山岳部員歓誘の立看板の設置、現役学生の育成のための選任コーチ制導入などのアイデアが次々に飛び出し、大いに盛り上がりました。

●9月30日(金) 曇り後雨 朝食後解散。帰宅。
朝は予報通り雨模様で、前2日間快晴に恵まれた幸運に感謝しました。8時から朝食。朝食後解散。行きと同じ遠藤車、竹中車に分乗して帰宅しました。遠藤組は、坂戸城跡を訪れた後、
塩沢駅から歩いて10分程の「鈴木牧之記念館」を見学し帰京。竹中組も「鈴木牧之記念館」を見学し帰京しました。
山行幹事として用意周到な山行計画、宿の手配、現地で行動を取り仕切られた三井さん、先頭を歩きほど良いペースでリードしていただき、また会計を担当された本間さんに感謝いたします。延長戦の大源太山は逃し残念でしたが、絶好の天気に恵まれた巻機山に十分満足しました。米子沢、割引沢などの沢登りで再訪したいと思います。

         

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9月29日 6:22(撮影:岡田)
5合目から大源太山を望む
9月29日 9:01(撮影:岡田)
8合目から谷川連峰を望む
(谷川岳〜万太郎山〜仙ノ倉山)
 9月29日 9:23(撮影:岡田)
前巻機(ニセ巻機)から
巻機山を望む
9月29日 10:16(撮影:岡田)
巻機山頂(御機屋)にて
 (後列左から岡田、中村、
本間、佐藤、斎藤)
 (前列左から遠藤、三井、竹中)
9月29日 10:37(撮影:中村)
 巻機山頂(1967m)にて
左から三井、佐藤、斎藤
9月29日 14:01(撮影:岡田)
6合目展望台から
ヌクビ沢、割引岳を望む

会   報
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■2011年9月8〜9日 黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳−山行報告 齋藤 正(昭和42年卒)

【速報】 *********** 2011年9月20日HUHACメールから転載

プランを作る度に雨に祟られたこの夏山ですが、九月に入ってやっと天気が落ち着き、晴れマークが続くように見えた9月8日、甲斐駒への山旅に出かけました。狙いは甲斐駒を越え、仙丈岳に登り、地蔵尾根を市ノ瀬に下るというものでしたが、あにはからんや、晴れたのは初日8日の夕方までで、9日未明よりかなりの雨となり、ずぶぬれになって頂上を越え、双児山を経て北沢峠に下りました。長衛小屋でお茶を飲みながら、後半の計画と天気を思案いたしましたが、無理は禁物と断念し下山致しました。なおこの日まで、北沢峠から夜叉神側は前週の大雨でバスは不通でしたので、戸台側へ下りました。
 まあ雨ではありましたが、黒戸尾根らしい雰囲気を存分に味わい、何度目かの甲斐駒を堪能しました。地蔵尾根はまたの日にとって置きます。黒戸尾根8合目の岩小屋上と頂上手前の岩壁登攀終了点で、奥壁に向かって遥拝いたしました。

○9月8日:単独行: 夕方まで晴れ。夜は雨
竹宇駒ヶ岳神社5:15−7:07笹の平7:20−8:57刃渡り下(地元の山仕事師井上氏と30分ほど歓談)9:30−9:50刃渡り−10:19刀利天狗−11:20五合目小屋跡(昼飯・昼寝・偶々の同行士と歓談)12:20−13:10七丈小屋・・・泊:同宿者(登山者) 12人

○9月9日:雨(但し、仙流荘付近は晴れていました)
七丈小屋5:55−6:40 8合目 6:50−8:13甲斐駒ヶ岳8:43−9:55駒津峰10:10−10:45双児山10:55−12:25北沢峠

【本篇】  *********** 2011年9月26日投稿
 いささか前置きが長くなるが、勘弁して欲しい。甲斐駒ヶ岳は今回で五度目の登山となるが、内3回は初めての積雪期登山も含め高校生のとき、大学に入ってからは同期の岡田君と戸台川本谷を登ったきりで、恥ずかしながらこの山の背骨とも言うべき黒戸尾根からはこの歳にして初めてである。黒戸尾根を真ん中に、深く切れ込んだ尾白川と大武川、黄蓮谷や赤石沢奥壁・魔利支天の岩場、坊主尾根や八丁尾根など鋭い支尾根の数々に、胸を焦がした時期もあったが、夢に終わってしまった。しかし恩田善雄氏や白稜会・白鳳会などの記録を読み漁ったお蔭で、今でも頭から地図が離れない。それだけこの山が好きなのだ。北岳のすぐ隣のこの山に、昭和40年前後にも未登の岩壁の魅力有るバリエーションルートがいくつも残されていたのだが、何故かわが山岳部はこの山に縁がなかった。そして西牟田・金子君等のチャレンジを待つこととはなる。馴れ初めともいえるこの山への思いは深い。 今回は少し頑張って黒戸尾根から甲斐駒・仙丈そして地蔵尾根まで、一気通貫で・・・と思ってトライしてみたが、天気も力も及ばず、結果は半分で終わった。残念無念。

1. 9月8日  
 5時15分、出発。車は7台ほどあって、殆どの人が暗いうちに出たという。いわゆる山岳マラソンらしい。「NHK小さな旅」で、国井アナウンサーが登山中出会った有名な山岳マラソンのランナーを紹介して以来、この難ルートのランナーが急速に増えたらしい。笹の平手前で尾根は合流し、緩やかに二重尾根を形成するもやがてうんざりする急坂となる。少しとばしすぎたので、刃渡り手前で朝飯を食べていたら、地下足袋にナップザックの”大先輩”がひょいひょいとやってきた。これが井上さんといい、もうすぐ80歳。きのこの放射線量を測っているのだそうだが、話好きで、塩沢さんとか白旗さんとか古屋さん(もと五合目の小屋主)とかみな友人だという。ひょっとしてあの「赤蜘蛛」の井上進さんの親戚か?NHKの「日本の名峰・甲斐駒」ではカメラマンらと企画を練ったそうだ。八丁尾根・烏帽子中尾根のことなどで話が盛り上がり、ついつい長っ尻。休みすぎで却って足に来た。刃渡り・刀利天狗を過ぎ、黒砥山を下ると五合目小屋跡。ここから元水場をくだり、七丈の滝出合に下りて黄蓮谷を狙う人は今もあるようだ。この小屋、明治17年には出来ていたというから驚きだ。このままだと昼前についてしまうので昼寝。羽化登仙の気分で久米の仙人よろしくうつらうつらしていたら本当に妙齢の女性が登ってきた。話が弾み、また長居。一時過ぎ七丈小屋。ステップに咲くビランジが出迎えてくれた。天気晴朗にて、屋外でまた昼寝。 夜になって雨。ぼやきたくもなる。小屋中天気予報に怨嗟の声。北杜市の若い役人7人ほどが遅くまで騒ぎ、顰蹙を買っていた。

2. 9月9日
 小屋番は都合で下山しておらず、朝飯はなし。何となく譲り合って起きたら5時過ぎ。出発は6時近くとなった。まずい!雨の中を急ぐ。八合目岩小屋上、頂上下の岩壁終了点で遥拝。 頂上直下でなんとぬれた岩にへばりつく蛭を発見。ホシガラスはうじゃうじゃいるが、雷鳥が見当たらない。ずぶぬれで、頂上。この間何も見えず。視界の好転をしぶとく待ったがダメ。やむなく下山開始。六法石から駒津峰まで、登ってくる人をやり過ごすのに時間を食う。予定外だ。少しでも時間を短縮しようと思って双児山の道を辿るが、入り組んだ木の根の間に水が溜まり、最悪。駒津峰から2時間余りかかって北沢峠長衛小屋に着いた。七丈小屋から6時間半、そして止まぬ雨。お茶を啜りながら考え、後半の山旅を断念した。

注1.黒戸尾根は、ほぼどこにいても、頂上まで携帯電話が通じる(ドコモ)。 
注2.「赤蜘蛛」の井上氏は、69歳の今も現役のロッククライマーで、勿論あの赤蜘蛛ルートと呼ばれる奥壁の開拓者である。幅広い活動をしており、先日NHKで、75歳の女性をリードして奥壁を登る姿を放送していた。ブログも魅力的。
注3.恩田善雄氏は甲斐駒博士とも呼ばれ、登山家であり、膨大且つ詳細な研究と記録者である。氏の主な活動歴等はサントリー白州の展示館で公開されている。 
注4.3月の甲斐駒、仙丈には、高校”4年”に、中学以来の岳友山口秀樹君と登っている。
 

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9月8日 8:57
刃渡りへの急登から
富士を臨む
9月8日 11:22
五合目小屋跡から
8合目を臨む
(左は坊主尾根か)
9月8日 13:23
七丈小屋より
地蔵・高峰を臨む

会   報
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■2011年8月23〜25日 55年ぶりの北岳からの眺望 上原 利夫(昭和33年卒)

     *********** 2011年9月3日のHUHACメールより転載

○8月23日(火) 
この夏、北岳(3192m)へ登った。8月23日甲府からバスで芦安を経由し、広河原(1550m)に昼前到着。ここから2時間余登った、南アルプス市営の新しい白根御池小屋(2236m)に泊まる。前庭の風情がよい。周囲の山はガスで見えなかった。
○8月24日(水)
 翌朝は、野呂川を挟んだ対面に鳳凰三山が並んでいる。その左に広河原峠が眺められた。昭和31年7月の強化合宿を思い出す。韮崎から赤薙沢を登り、広河原峠を越え、広河原に入り、大樺沢の二股にテントを張って、北岳バットレス積雪期登攀の偵察をした。あのときは、11人のうち5人が腹痛に見舞われ苦しんだ。6時に白根御池小屋を出発し、二股から右側に北岳バットレスを見上げながら大樺沢を詰め、八本歯のコル(2900m)へ。かなりへばったが、池山吊り尾根を登って来た単独行の人に会った。この青年は同じバスで広河原に着き、野呂川を下った登り口から猛烈な急坂を上って池山無人小屋で泊まり、八本歯のコルでわれわれを追い越した。このルートは冬山合宿で何回も歩いたので、よく頑張ったと青年を称える。
北岳頂上着は午後2時になった。北岳頂上近くから富士山が眺められた。富士山の頂上は平らで、左右の端に外輪山が角のように見える。初めての眺めである。北岳の頂上を踏んだのは55年ぶりだった。新しい北岳山荘に魅力はあったが、雨が降ってきたので、肩の小屋(3010m)へ下った。肩の小屋は昔ながらの薄暗い小屋、トイレも外にある。飯、みそ汁はお変わりあり。今回は佐薙先輩の70代最後の夏山に同行させてもらった。後期高齢者のわれわれには多すぎる。夜中は驟雨が屋根を叩く。明日はバスが不通にならないことを祈る。
○8月25日(木)
 朝5時半に完全装備をして雨の中を下った。白根御池までは標準的な速さだったが、わたしの脚力に限界がきた。よれよれになって広河原に辿り着いたのは正午だった。雨のため出発制限されたバスに間に合い、やれやれ。情けない思いをした。
(2011年9月3日記)

▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
8月24日 10:00(撮影:佐薙)
八本歯のコルの少し手前から
バットレスを望む
8月24日 10:20(撮影:佐薙)
八本歯のコルから富士山
8月24日 13:50(撮影:佐薙)
北岳山頂 一帯はガス
左から佐薙、上原


 
●斎藤 正(昭和62年卒)
*********** 2011年9月3日のHUHACメールより転載
上原さん、佐薙さん
素晴らしい!!どれだけ励まされるかしれません。良い夏山を過ごされましたね。感謝し、また僭越ながら祝福も申し上げたい。

●小島 和人(昭和60年卒)
*********** 2011年9月4日のHUHACメールより転載
上原さん
北岳55年ぶり登頂おめでとう御座います。頑張られた様子がよくわかります。元気の出る御報告有難う御座います。

会   報
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■2011年8月19〜21日 学生との蝶ケ岳登山報告 竹中 彰(昭和39年卒)

   *********** 2011年8月29日HUHACメールより転載

 前神代表幹事(S51年卒)が企画した新入部員(3名の内2年生2名参加)歓迎山行に佐藤(久)さん(S41年卒)と同行した。前神さんからはアルコール差し入れ大歓迎とのことだったので、焼酎、麦とホップ、つまみなどを担いで上高地に入った。入山日の午後は晴れ間もあり、気分良く久し振りの梓川沿いの遊歩道を歩いて徳沢に入った。二日目以降は雨に降られ通しで、折角の蝶ケ岳からの展望もゼロであったことは、参加した現役部員にとっても残念なことであったが、久し振りの若者との登山で当方の体力の衰えを痛感すると共に、今後の若手の成長が楽しみな3日間であった。(以下敬称略)

○ 第一日:8/19(金) 曇りのち晴れ
スーパーあずさ5号で八王子から乗車し、松本の上高地線車内で新宿から来た佐藤と合流する。お盆を過ぎて山へ向う人も一段落したのか、週間予報で芳しくない天気を敬遠した所為か電車バス共に比較的空いていた。
12:30過ぎに上高地バスターミナルに到着し、帰りのバス整理券(8/21.12:40) を確保して、2階の食堂で昼食を取り、マイカーで学生を引率して来る筈の前神グループを探すが、見当たらないので13:15過ぎにスタートする。ビジターセンターに少し立ち寄って明神には13:38に着き、休憩していると思わぬ人に声を掛けられる。見ると日本山岳会東京多摩支部のメンバーで、小川幹事長、坂本幹事、宮崎前山岳会副会長(支部常任評議委員)、今田常任評議員などで、何事かと聞くと、神崎日本山岳協会会長(支部常任評議員)が主宰する軽登山靴倶楽部総勢20名(?)の山行サポートで、横尾‐穂高山荘‐奥穂‐前穂‐岳沢のコースを辿る計画とのこと。その後間もなく神崎御大が悠然と追い着いてくる。ご当人は少し前にギックリ腰になり、労わりながらの歩行となっているとのこと。その後はこのグループと前後しながら、晴れ間の広がる中、残念ながら明神の峰々はガスに隠れていたが、足下のハクサンシャジン、キンコウカ、カラマツソウなどに慰められながら15:10に目的地の徳沢園のキャンプ場に着く。周囲を見回したがそれらしきテントはないので、草地にザックを下ろして前神グループの到着を待つ。
暫らく休んでいると、少し離れた所のテントから前神が現われる。聞くと我々よりも20分位前に到着したとのこと。早速徳沢園前の水場近くのテーブルに全員集結して乾杯、メンバーの自己紹介を行う。旧人は茶道部からの助っ人(米田・4年生、日立造船に内定、紅一点山根・3年生で就活中)及び新人2名の計4名。新人は何れも2年生で、小宮山は千葉出身で前年はボクシング部に在籍したが、過酷な減量に方向転換を決意したとのこと。町田は小学生時代からのサッカー少年で、前年はサッカー部に在籍したが、練習漬けで時間的余裕が無いので方向転換したとのこと。両君とも山登りに掛けて見たいとの意欲が感じられた。16:00頃から前神シェフが用意した鶏ツクネ入りのトリ鍋の準備にかかり、登山の基礎知識、準備すべき装備など各種のツマミと焼酎で歓談する。幸い天気も安定していて屋外で快適に宴会が進む。

鍋も食べ尽くしたところでお開きとするが、前神シェフの嗜好か、最後の〆になる筈(?)の麺又は米がなく、若者のお腹が満たされたかどうか稍々心配であった。19:00過ぎにお開きとし、我々2名は前神が予約を入れていた徳沢ロッジ(旧村営ロッジ、現在は松本市営)にチェックインする。既に暗くなっていた為、受付で熊が出没するとの注意を受ける。風呂があるとのことだったが、割当ての2段ベッドの8人部屋に寝床を整え、間もなく眠りに落ちた。夜中にかなり烈しく雨が降った様だが、全く気にならなかった。

○第二日:8/20(土) 曇りのち雨
5:30に起床して準備を整え、6:30頃に昨日の炊事場に向う。木々から滴が落ちていたが、雨は上がっており、前神と計画について打ち合わせるが、先ずは朝食とのことで、昨夜のトリ鍋のスープにレトルト米飯3パックを入れて雑炊を作る。その内部員も集まってきて、昨夜の雨は相当酷かったとのこと。フライシートで覆っているので漏水はなかった様だが、シュラフカバーのみの前神と部員は寒さが堪えたとのこと。部室の器具庫で先輩のお下がりのザック、シュラフ等(山本(健)さんや近藤泰さんの遺品、高橋哲雄さんから送られた装備)を参加者に配分したが、全員分は揃わなかった様で、シュラフカバーで我慢した部員もいた。稍々少な目の朝食であったが取り敢えず腹に納め、天気も小康を保っている間に行ける所までと言うことで蝶ケ岳に向けて7:00に徳沢を出発する。
徳沢園の裏から急登が始まる。略40分ピッチで進む。新人も含めて流石に若手は身軽でバランスも良く、高い段差も難なく乗り越えて進む。50歳の年令差のある当方がドッコイショとバランス悪く付いて行く。樹林帯の中の急登を傘を差して進む。途中、地図上で展望が良いと言う蝶塀槍などもあるが、ガスの中で全く視界は利かない。4ピッチ目に漸く長塀山(2564m)の三角点に着く(10:18〜28)。
ここで始めて先行の2人パーティーに追い着き、また後続の2人パーティーが来る。その後若干登り下りを経て傾斜も緩やかになり池塘の横を過ぎ樹林帯を抜けて地図上の妖精ノ池辺りでは綺麗な花に迎えられる。ハクサンコザクラ、コバイケイソウなどである。植生もハイマツに変わり高度的にはかなり来た、そろそろ一本立てるかと思う頃、相変わらずガスが去来する中で突然、真新しい標柱が現われ、蝶ケ岳山頂(2677m)と鮮やかに記されていた。頂上までは未だ半ピッチ位は要すると心積りしていたので、些か拍子抜けする登頂であった(11:10〜41)。流石に稜線は風も出て雨具などを着込んで対処し、各自昼食を取る。我々が到着して程なく、途中で出会った2人パーティーが登ってきた。
昼食中に他の団体も到着し、俄かに頂上が混みあって来る。30分ほどの休憩で我々も腰を上げて蝶ケ岳ヒュッテ経由で山頂展望指示盤横を通り、横尾への下山路に向う。ガスと風の中を15分位進むが見通しが悪く、標識も見当たらず一時待機する。先行して偵察していた前神が前方から来た登山者に確認し、間違いないとのことで少し進むと、左への矢印で横尾下山路の標識があった(12:02通過)。少し下ると樹林帯に入り風は遮られるのでホッとする。相変わらず雨は降り止まず、傘を差しながら急下降を続ける。同方向に向う他パーティーと前後しながら降り止まぬ雨、木の根や岩混じりの歩き難い下山道をひたすら進み、3ピッチで槍見台を経て全員無事に横尾山荘前に到着する(13:52〜14:15)。
ガスに巻かれて屏風岩は下部が見えるのみ。少憩後、キャンプサイトの徳沢に向けて梓川左岸を辿る。久し振りの横尾から徳沢への道であったが、余り変化はない様であった。上高地から上がって来る多くのパーティーとすれ違いながら案外早く新村橋を通過し、徳沢に15:07到着した。相変わらず雨が止まず、夕方の宴会場所に前神が心配している。我々2名が素泊りしている徳沢ロッジにチェックインする際に自炊場所を確認した所、特別の計らいでロッジ内の談話室のペチカの土台部分でガスストーブで炊事することを許可してくれた。早速全員で談話室に上がりこみ、ソファに座ってビールで無事の蝶ケ岳登頂を祝す。快適な環境の下で、この日はキムチ風鍋で宴会準備に入る。材料は豚肉がメインであった。持参した肉が若干匂い始めていた様であったが、良く煮込めば大丈夫との意見が大勢で、問題なく宴会は進んだ。アルコールは昨夜の残りの日本酒、焼酎であったが、この日も消費尽くすことはなく若干の余りがあった。現役部員は何れも雨への対策が不十分で多くは靴の中が水浸しになり不快だった様だが、今後の勉強材料と言えよう。その点で、テントでなく乾いた快適なロッジの談話室での歓談は良い気分転換になったものと思われる。20:00前に宴会を切り上げ、翌日は上高地に下山するだけなので、明日の朝食は7:00過ぎとユックリすることとして解散した。」その点で、テントでなく乾いた快適なロッジの談話室での歓談は良い気分転換になったものと思われる。20:00前に宴会を切り上げ、翌日は上高地に下山するだけなので、明日の朝食は7:00過ぎとユックリすることとして解散した。

○ 第三日 8/21(日) 雨のち晴れ
予定通り7時前に前神たちは談話室に陣取っていた。朝食は昨夜の鍋のスープを利用してラーメン(乾麺の冷し中華)を鍋で煮込む。人数にしては少な目の朝食ではあったが、冷し中華スープの酢が利いたユニークな味付けのラーメンであった。既にテント組は撤収して来ていたので、立つ鳥跡を濁さずで場所の掃除を終了後8:35にロッジを出発した。
傘を差しながら明神まで1時間弱(9:20〜30)、次のピッチで上高地ビジターセンター(10:05〜15)、ここで蝶ケ岳から見えたであろう槍穂のパノラマ写真や自然環境等について少しお勉強した。その後は観光客に混じって河童橋で岳沢下部をバックに記念撮影した。バスターミナルに10:30に到着し、前神グループと別れて竹中、佐藤は10:40の新島々行きバスに乗車して上高地を離れ、16時頃には一気に涼しくなった東京に戻った。
今回の山行は8月にしては天気には恵まれなかったが、目的の蝶ケ岳に全員登り、歓迎の食事会では懇親の実も挙げられ(山岳部合宿では山中アルコールは厳禁と繰り返し伝えたが)、参加した一行からはもっと山に行きたくなったとの感想も洩らされたので、企画実施責任者の前神さんの狙いは報われたと思う。ご苦労様でした。
我々OBの今後の課題は、前向きになっている新人を今後如何に適切に指導しながら成長を図って行くかである。指導体制、カリキュラムと財政的な支援策をキチンと確立する必要がある。(以上)

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   蝶ケ岳1:8月19日 16:12   
徳沢宴会にて
左から町田、小宮山、米田、
山根、前神、佐藤
   蝶ケ岳2:8月21日 8:36   
徳沢ロッジ前にて
後列左から町田、前神
中列左から小宮山、米田
前列左から山根、竹中
   蝶ケ岳3:8月21日 10:25  
河童橋にて
左から竹中、佐藤、米田、
山根、町田、小宮山

  
●蝶ケ岳報告 前神 直樹(昭和51年卒)
   *********** 2011年9月2日投稿

 今回の山行は蝶ヶ岳山頂からの、穂高連峰〜槍ヶ岳へと続く北アルプスの雄大な眺望を堪能してもらって、学生に一気に山のファンになってもらおうとしたものだったが、山は甘くはなかった。上高地に入った初日に僅か明神の岩峰が見えたのを最後に後は雲と雨ばかりで、とても山を楽しむというものではなかった。学生にとっては最初になるテント泊も二夜とも雨音がうるさくて、もしかするとテントに浸水があるのかと思わせるような強さではあったが、やはり学生は若い。余り気にすることもなくよく寝ていた。これから先もっと酷い天候に遭遇することもあるだろうし、最初にこのような悪天候に遭っておけば、山はこんなものとたかを括らなくて良いかもしれない。
帰り道学生とも話したが、悪天候だったけれど、だからこそもう一度来たら良い景色を見れるかもしれない、また来ますよ、と。結構彼らにとって驚きだったのは(私にとっても)上高地に野生のサルがどんどん出てくること。そういう自然にこれまで接したことない彼らには新鮮だったようです。まだテントを張ることも、野外で食事を作ることも、殆ど経験していない学生にどうやって山の生活・活動ノウハウを教えるかですが10年ほど前もそうであったように、文部省の学生に対する山岳実地研修への参加とか、日本山岳会・学生部との交流がおそらく最も有効かとおもいます。OBからの伝授は、やはり社会生活という足かせの中にいるOBにそう多くのことを期待できず、又最新の技術や道具の使用を教えるのであれば言わば公的な組織を使うのが最も有効な手段なのでしょう。学生もそうしたところとコンタクトするとも言っており、この悪天候だった山行がこれからの活動の再出発点になればと強く思う次第です。


会   報
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■2011年6月5日 経ヶ岳紀行 齋藤 正(昭和42年卒)
       *********** 2011年6月11日投稿

 三四郎会の帰途、ゆったり山を見ながら帰ろうと思って再び飯田線に乗ったのが大間違い。本長篠で電車の本間・原氏と車の高崎・池知氏を見送って、電車に乗ったのが9時21分。乗り継ぎ乗り継ぎで、なんとこの電車、茅野へ着くのが4時半を過ぎるという。いろいろ考え、翌日経ヶ岳に登る事とし、乗り物酔いでヘロヘロになって伊那市駅で下車。線路に降りた時不覚にもよろめいた。崩折れるように、仙丈や木曽駒が良く見える天竜川脇のビジネスホテルに投宿した。
 
 翌朝頼んでいたタクシーに乗り、15分ほどで登山口である信濃三十三観音の二十二番、仲仙寺。天台宗の古刹で、伊那谷唯一の観音札所である。天気はうす曇りながら、雨が降る事は無いと見た。般若心経を唱え終えて、やおら右脇の登山口を行く。ここから緩やかで快適な檜の森を約1時間チョイで4合目。ここには地図には無いが大泉ダムからの立派な道が合流する。こちらの方がいくらか時間は短縮できそうだ。この先は赤松と唐松が鎬を削る良い尾根だ。やがて唐松優勢の二重尾根的な広場の5合目となるが、ここならテント3張りは可能か。やや上にブルーの簡易テント様のものがあり、どうやら簡易トイレらしいが確かめたわけではない。

 やがて稜線らしき道となり、少しずつ傾斜を増しながら、時折左右も垣間見られるようになると六合目。いつか赤松は失せ、一貫して唐松林の道。この唐松は植林と聞く。とばしすぎたか、少し疲れる。そういえば朝飯前だったので、簡単にカロリー補給。ここでランニングの男に追い越された。
徐々に傾斜を増し、急登を経てやがて七合目。一気にやり過ごして疲れも出始める頃、見晴らしの良い小ピーク、八合目となる。うなだれるように咲く薄紅の峰桜が美しい。だが肝心の木曽駒辺りは雲の中。ここまで登り始めて4時間弱。ここから見る九合目のピークが疎ましいが、超えてさらにひとふん張りで、頂上となる。権兵衛峠側には薄いが踏み跡がある。駒ケ岳からの下り同様権兵衛峠への下りというのはいわば古道で、興味をそそる。そういえば9合目下にあるという黒沢山への踏み分けポイントは、どこかと探しながら歩いたが全く判らなかった。

 頂上はそこそこ広く、居心地も良い。信仰の山らしく、観音像と石碑があるのは奥の院と呼ばれる9合目と同じ。言われるとおり見晴らしは無い。静かな休みと軽食を終えて下山開始。登りと同じ道で、判っている上、クッションの良い下りなので、気楽である。途中男性二人組みと単独行一人に出会った。一時間毎に大休止しながらゆっくり下る。調子に乗り最後の100メートルで、道を間違え、仲仙寺の隣の羽広神社に出てしまったが、結構そういう人がいるようだ。この時間なら東京へは帰れるが、結局また一泊した。辰野へ向かう車中から、経ヶ岳のたおやかな尾根と峰が見えた。さえないと思った黒沢岳の稜線も存外良いと思えた。とにかく人が少ない。ゴミが全く無い。道標もしっかりしている。地元箕輪中学の生徒が毎年5月に集中登山し、綺麗にしているという。敬服!ただ道は長い(およそ14km)。体調は良くなかったので、慎重に歩いた結果、存外時間を食ったが、普通ならもう少し短縮可能か・・・。

 経ヶ岳というのは全国いたるところにありますが、ここは大きくて私好みの山でした。
花はこの時期少し早すぎたようです。

日時 2011年6月5日(日)天気 曇り(終日)
時間 (5:08)仲仙寺−(6:18)4合目−(7:57)7合目−(8:47)8合目−(9:13)9合目−(9:40)頂上(10:02)−(12:55)羽広神社

注1.時間には休憩・食事時間等の全てを含む。
注2.熊の爪あと、足跡、糞などは全く見かけなかった。タクシーの運転手によれば、里に出た話しは聞くが、山で出遭ったというのは聞かないとのこと。広葉樹が少ない
からか?
注3.避難小屋などはありません。長い尾根なので、撤退は早めに決める必要が有りそうです。
注4.8合目では携帯電話が通じます(ドコモ)が、林間では困難。



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6月5日 8:47
8合目から9合目を臨む 
6月5日 9:46
経ヶ岳標識
6月5日 10:31
下山途中で8合目より
木曽駒方面を臨む

会   報
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■2011年6月2〜3日 木曽駒・宝剣山行記 吉沢 正(昭和42年卒)
       *********** 2011年6月10日投稿

 愛知三河方面で行なわれた第6回三四郎会の前哨戦として、S.42及び43年卒の有志4人(岡田、齋藤、中村および吉沢)で中央アルプスの木曽駒及び宝剣二山の登山を計画した。吉沢は卒業以来山岳部OBとの山行は始めてだが、他の3人は時折山行を共にしているようだ。 

 6月2日それぞれ早朝より長距離バスやJRを乗り継ぎ、或いは前夜より駅前旅館に泊まり込んで、午前11時少々前に飯田線駒ヶ根駅前に集合。乗客は我々4人のみという大型バスに50分ほど揺られ、しらび平に到着。ここで接続している千畳敷行きのロープウェイに乗り込む。この間関東地方では前日早朝から降り出した小雨が、ここでは間断なく降り注ぎ、激しさを増していた。「ゴルフだと、風呂に入ってビールを飲んで解散という所だな。」などと独り言を言う者もあり、皆気持ちが暗くなる。このロープウェイも乗客は我々4人のみ。機体の軽さのせいか、950mの高度差を8分弱で一気に駆け上がり、12時8分千畳敷に到着。千畳敷はまだ一面深い雪に閉ざされ、お花畑が完全に埋もれていた。頂上駅構内の客のいない土産店の前で昼食を取り、雨具、スパッツ、アイゼンの装着等身支度を整える。

 12時30分、降り続く雨の中を登頂開始。駒ケ岳神社の横を通り、乗越浄土から押出している雪渓の左岸にある夏道(八丁坂)を目指して、カールの大雪原をトレースを辿りながら右上方にトラバースして行く。左上を見上げると、宝剣岳の東側急斜面にべったりと付いている重たそうな雪が今にも崩れ落ちそうで、薄気味悪い。齋藤が「ここは雪崩の多さでは日本でも有数で、特にこの時期が危ない。」などと余計なことを言う。また人間の頭大の石が雪上あちこちに転がっているのも、気味悪さを増している。皆心持ち急ぎ足になるが、万が一に備え、しっかりと前後の距離を取ることは忘れない。登りながらの会話の中で、この時偶々4人が卒業年次等の違いはあるものの、共に67歳という年齢であることが判明し、一気に連帯感が強まり、滅入った気分が幾分和らいだ。1回の休みを入れ、67歳全員が無事雪渓上部の急斜面を登り切り、13時50分宿泊地の宝剣山荘に到着。

 収容人員250人の山荘も今晩の泊り客は我われ4人のみのようだ。1泊2食付8,500円を各が払い、まずはずぶ濡れの衣類やザックを灯油ストーブにかざしながら、暖を取る。夕食には客4人にコック2人という恵まれた人員配置のせいか、山荘の厨房で揚げた海老フライなど都会のレストランで出そうな料理が並ぶ。中村と吉沢が500ml缶ビール1本をシェアーし、祝杯を挙げる。他の二人は何故か付合わない。20時30分就寝。4〜5人用の部屋に二人という、ゆとりある部屋割りだ。
3日朝、朝食が6時だからその直前に起きればよいと思っていたが、同室の岡田が4時過ぎ頃からゴソゴソと起き出し、やや年代物の重たそうな一眼レフを担いで出て行った。御来光を撮りに行ったようだが、その成果については爾後一切話がない。

 6時36分、必要品のみをザックに詰め、まずは駒ケ岳山頂を目指して山荘出発。前日とは打って変わっての晴天で、木曽駒や宝剣がすぐ近くに見える。稜線に雪は殆どなく、アイゼンは不要。中岳(標高2,925m)を経て、7時25分駒ケ岳山頂(2,956m)に到着。頂上からは南に延びる宝剣岳、空木岳ほか中央アルプスの山々は勿論のこと、南アルプス、北アルプス、八ヶ岳の峰々や乗鞍岳、御岳までもが一望に見渡せる。まさに360度の山のパノラマだ。暫し自然の景観の感激に浸った後、次の目的峰、宝剣岳を目指す。途中宝剣山荘に立寄り、昨日の大雨で運休の虞のあったロープウェイと接続バスが動いていることを確認し、一安心。これで今日の午後には三四郎会の面々に合流できる。

 宝剣岳(2,931m)は西側から巻き込むようにして、鎖の架かった切り立った岩場を登って行く。雪や氷が着いていたら、かなり厳しいだろう等と話しているうちに、8時28分頂上に到着。頂上は巨大な花崗岩で、その直下には4人が腰を下ろすのがやっとのスペースしか無い。写真を撮って早々に引き上げる。
途中宝剣山荘に寄って置いてきた荷をザックに詰め、9時30分下山開始。岩の露出した夏道を過ぎた所でアイゼンを装着するが、岡田だけは「僕はアイゼンが余り好きでない。」などと妙な事を言って、ノーアイゼンで一人スタスタと大雪渓を下って行ってしまった。ともあれ10時丁度に全員無事で雪渓を下り、千畳敷ロープウェイ乗口に到着した。

 今回の山行はロープウェイを使ったため、踏破した標高差はせいぜい250メートルという、比較的簡易なものであったが、雨中の雪渓登り、快晴に恵まれた山頂からの素晴らしい展望等、実り多きものであった。加えて偶々全員が67歳という、世間一般では高齢に属する世代でありながら、その若々しい足取りや含蓄のある会話等をお互いに認識し又は再発見することにより、それぞれ新たな自信に繋がったことが大きな成果であったと思う。このような山行は今後も続けて行きたい。

▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
   6月3日 4:44(撮影:岡田)   
宝剣山荘からの御来光
(右手の山は伊奈前岳)
   6月3日 7:23(撮影:中村)   
木曽駒ヶ岳への登り
(前から岡田、斎藤、吉沢)
  6月3日 7:26(撮影:岡田)  
木曽駒ヶ岳山頂にて
(左ら吉沢、斎藤、中村)
  6月3日 7:33(撮影:中村)  
木曽駒ヶ岳山頂にて
バックの山は左から
宝剣岳、空木岳、三ノ沢岳 
(左から岡田、吉沢、斎藤)
  6月3日 8:52(撮影:中村)  
宝剣岳からの下り・
恐怖の鎖場
(前から岡田、斎藤、吉沢)

会   報
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■2011年5月28〜29日 針葉樹会・春季懇親山行報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
*********** 2011年6月13日投稿(PDF版)

※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全19頁 写真35葉

1頁 八島湿原
【行程】
八島湿原(10:10) 〜 奥霧の小屋(10:30) 〜 
物見石(11:15) 〜 蝶々深山(11:55) 〜
車山乗越(11:15) 〜 白樺湖堰堤 (13:30) 〜 
八子ヶ峰(15:20) 〜 アダージョ(16:20)

【メンバー】( )内は卒業年(昭和)
佐薙(31)、仲田(36)、三井(37)、三森(40)、中村(雅)(43)、金子(46:山行幹事)

 画像をクリックしてください
 ●2〜4頁  参加者全員の感想(写真付き)が掲載されています。
 ●5〜19頁 山行幹事の金子さんの写真+文章紀行が掲載されています。
会   報
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■2009年11月21〜23日 小金沢(大菩薩)連嶺縦走記録 −大菩薩嶺から滝子山まで−
                                       竹中 彰(昭和39年卒)

        *********** 2010年11月29日投稿

日 時:平成22年11月21日〜23日
参加者:竹中彰(昭和39年卒)、本間浩(昭和40年卒)、斉藤正(昭和42年卒)、中村雅明(昭和43年卒)
在京連絡先:小島和人(昭和40年卒)、高崎俊平(昭和41年卒)両氏にお願いしました。

本間さんから、小金沢連嶺(大菩薩連嶺*)縦走計画及び年末の奥秩父(金峰〜国師岳)計画への参加方依頼があり、初冬の富士山の写真撮影を期待して前者に参加を決めた。既に斉藤さん、中村さんの参加が決まっていたが、前後のタクシー代負担を軽減するために小生に声が掛かった様だ。斉藤夫人がドライバーとして入山時、下山後の足を提供することになったので小生が参加することの意義は薄れた訳だが、4人で避難小屋泊りの荷(大型コッフェル、バーナーなど)を分担する役割は減じてなかったとは言える。
  *「大菩薩連嶺」の呼び名は大正の初めに中村清太郎(明治44年東京高商卒・山岳画家)、木暮理太郎によって唱えられ、一般化した。現在は、北は柳沢峠、東は鶴峠、南は笹子峠の範囲をさす。(新日本山岳誌)

11/21(日) 晴れ
塩山駅12時集合と珍しくユックリの計画なので、自宅を9時過ぎに出発し、八王子で本間さんと会い、高尾で乗り継ぎ塩山に11:43到着。改札で斉藤さんの出迎えを受け中村さんとも合流して、駅前の斉藤車にザックを積み込みドライバーの斉藤夫人も交えて腹ごしらえに食堂に入る。本年度B級グルメグランプリに輝く山梨の「トリモツ煮」定食、本陣うどん夫々に舌鼓を打った後、夫人の運転で直ちに大菩薩峠に向かい、急且つカーブの多い林道を福ちゃん荘を目指す。日陰には数日前の降雪が残り、所々の路面も稍々滑り易くなっていた。
13時過ぎにロッヂ長兵衛前、更に登山者と交錯する狭い林道を辿って福ちゃん荘前に着く(1720m)。そのまま下山する斉藤夫人を見送って、4人は早速宿に荷物を預けて、13:20に唐松尾根から大菩薩嶺に向かう。晴れてはいるが富士山方向には雲もあり、2ピッチ弱で雷岩を14:09に通過し、樹林に囲まれて眺望はないが、今回の連嶺縦走の最高峰・大菩薩嶺((2057m)に14:15に着き、10分程度山ガールなどに混じって写真撮影、休憩をとって頂上を後にして峠に向かう。右手に上日川ダムの大菩薩湖を見ながら途中、妙見の頭を捲き、賽の河原避難小屋(1928m)で少憩(14:48〜53)、その後も尾根を南に辿り、介山の碑などを見送り左手小菅村側の斜面のササが刈り払われた防火帯が現われて直ぐ大菩薩峠に着く1897m(15:05〜13)。方向盤で周囲の山の同定を試みるが生憎雲がかかって余り展望は利かなかった。ただ左手に現われた彩雲(?)を見ていると西日が射し、薄くブロッケンに似た現象が現われた。これを今回の山行の瑞兆と解釈し、明日からの良好な天気と展望を願った。
峠から福ちゃん荘への下りは部分的に舗装も残る車も通れる道が続く。福ちゃん荘手前の富士見平荘前では名前の通り富士山が望め、写真撮影などで暫し休む(15:37〜50)。そこからは僅かの道のりで宿に戻る(15:56)。
宿では風呂も準備されたが、竹中だけが入り、他のメンバーは火の傍で寛ぎ、部屋に戻って公物の分担など荷物の整理で食事までの時間を潰す。18:00からの食事はメインの「岩魚の塩焼き」、「おほうとう」などで、アルコールは控え目に終える。我々以外の客は、所属山岳会の来年の山行計画下見に愛知から来た1名のみであった。19時過ぎには部屋に戻り、布団に入って30分もたたない内に睡魔に襲われる。
(総歩数:11千歩)

11/22(月) 曇りのち雨
5時前に起床、6時から朝食を摂り、曇り空の下7:00に宿を発つ。昨日の道を峠まで登り返す。男女2人組が我々の後からスタートして来たが、追い付かれることはなく、1820mのベンチで少憩(7:30〜40)後、7:55に介山荘を通過して石丸峠の登りにかかる。少し雪の残る樹林(一部の樹には無残なシカの食害の痕も、その後も多く目にすることに)の中の道を熊沢山1983mに着き(8:10〜24)、雨が降り始めたので取り敢えずザックカバーだけ着ける。そこから道は石丸峠への下りになり、ササ原の刈払いの中の道を峠、牛の寝通り分岐を通過(8:35)する。狼平(8:56〜9:05)、シラベ林の中1946mで でピッチを刻む(9:33〜40)。その後20分でこの連嶺中大菩薩嶺と並ぶ2000m峰のピーク小金沢山に着き写真撮影を行なう(10:08)。少し進んだ所で本格的に雨具を着ける(10:15〜25)。次のピッチで牛奥ノ雁ケ腹摺山1990mを通過した林間で休み軽く腹を満たす1967m(11:05〜22)。その後水場が近くにある賽ノ河原を越え、樹林の中を辿り川胡桃沢ノ頭で一息入れる1949m (12:00〜05)。雨が降り続くため、休憩も余り長くは取らない。その後針葉樹林の中を進み、大峠への分岐の先でこの日の最後のピーク黒岳1987.5mを踏み少憩(12:45〜53)するが展望はない。ササ原の間の道を白谷丸に向かい、目的地湯ノ沢峠も近いと思ったが、“豈図ランヤ”この下りが難物で、昭文社の地図にも「道深くえぐれ歩きにくい、白ザレ、ガレ場」の表記がある通り、雨で滑り易い急傾斜の粘土質の土で、非常に苦労することになった。えぐれた道を避け、ササやブッシュの路肩を選んで下るものの、どうしても道に戻らざるを得ない所も多く、ツーと滑り、尻餅をつくことにもなる。ブッシュに避けても、ノイバラの繁みに遮られ痛い思いをする事になる。標高差で400m近い下りであったが、予想外の伏兵に時間を消費し、13:40に湯ノ沢峠に着きホッとする。そこからは右に折れて直ぐ避難小屋であった(1600m)。小屋の横の広場(駐車場)の先には立派な公衆トイレが建っていた(水洗バイオ式、ペーパー完備)。
小屋は古びた外観ではあったが、中は一部絨緞が敷かれ、奥には布団、毛布等の寝具が積まれ、蛍光灯も点く立派なものであった。水場も1分の至近距離にあり、居心地の良い小屋であった。ここには焼山沢真木林道が上がって来ているが、峠で東西を結ぶ計画が反対運動で中止となったようである。
早速、湯を沸かし、ツマミ類を出し、各自持参のアルコールで小宴会を始める。
ビール、日本酒、ウイスキーだが、何時もよりは控え目な量であった。全くアルコールを受付けない斉藤さんを除く3名は程よく身体を温め、最近は本間さんの定番メニューとなっているウナギ丼、海鮮サラダの夕食準備に入る。
食後暫らく今日の行程を振り返り、最後の急坂について久し振りの厳しさを語り合った。ラジオの天気予報は、明日も午前中は雨も残ると伝え、心の中で何とか晴れることを祈ったが相変わらず屋根を打つ音が止まず続いていた。
この日も8時前に布団、毛布、掛け布団の間にシュラフを入れ、潜り込むと、あっと言う間に意識は無かった。蛍光灯は自動的に9時頃で消灯する様にセットしてある様だった。夜中23時過ぎに目が覚めてトイレに行くが雨は降り続いており、明け方には烈しく降る音が響いていた。
(総歩数:14.2千歩)

11/23(火) 小雨のち晴れ
さすがに前日の疲れからか、本間さんも4時過ぎ起床予定が5時近くになり、朝食の雑煮の準備を始める。雨は小降りにはなったが降り止まず、天気予報通りの午前中の雨の中のトレイルを覚悟しながら餅を焼く。1人3個ずつの雑煮と昨夜の残りのツマミなどを消化し、遅い方が天気は好転する予報のため、様子を見ながら出発準備を始める。次第に空が明るさを増す中で、駐車場に車が入り、男女二人連れが小屋の前を通り、小屋から下の道に入りかけたので行き先を問うと、大蔵高丸とのことなので、湯ノ沢峠への道を指示した。
それから程なく我々も掃除を済ませ、小屋前で記念撮影後に出発7:38.
直ぐ峠に出て右折し、大蔵高丸への登りにかかる。林の中を抜けて草原状の手前のピークに出ると、南アルプス、八ケ岳、奥秩父方面の雲が切れて、昨夜の雪に輝く峰々が姿を見せ、暫し写真を撮り、互いに山名同定を行なう(7:47〜53)。北岳は最初頂上が雲に隠れていたが、次第にバットレスを含めてハッキリして来る。振り返ると昨日の白谷丸の下りが白くザレた所を含めて見える。
その後大蔵高丸(1781m)に着き(8:20〜35)、ここでは東に百蔵山〜扇山、西に南ア、南に富士山の中腹から裾野が展望出来た。次のピッチはなだらかなササ原などを辿って破魔射場丸(ハマイバマル)(1752m)で刻むが(8:57〜9:05)、大きな登下降もなく順調に進む。潅木に囲まれて余り展望はない。この頃には雨も殆ど上がったが、草の滴など除けに雨具は着けたままで進む。
そこから先急な下りがあり、ササの間の滑り易い道が続くが部分的に細引きが張ってあり、前日の白谷丸ほどのことはなく何とか無事に通過する。その後は潅木帯から天下石に向かっての登りになり、倒木の多い林間を障害物競走の様に跨いだり、潜ったりしながら通過する。天下石1595mには9:37(〜47)に着くが、石自体は高さ3m程度でボルダリングの練習に使うには稍々小さい。尤もこんな所までボルダリングに来る物好きもいないと思われるが…。
ここから少し登った後は落葉樹の林に枯葉を踏みしめながらの道が続く。10:02に米背負峠(1530m)を通過して大谷ケ丸の登りにかかる。直ぐに今朝避難小屋前で出会った二人組みが降りて来るのとすれ違う。頂上手前の曲り沢峠との分岐にザックをデポして空身で大谷ケ丸(1643.8m)には10:27(〜40)に着き、南下して来た道が東へ90度折れることを確認しながら休憩する。ブナ、ミズナラ、リョウブ等の広葉樹林ノ落ち葉を踏みながら気持ちよく進み、最後のピーク滝子山を目指す。尾根が稍々なだらかになった所でアモウ沢乗越を越え、昼食休憩とする1521m(11:20〜45)。その後緩い傾斜の林間を辿り、12:00に曲り沢峠との分岐を通過し、更に5分で白縫神社の鳥居、祠のある鎮西ケ池を通過する。道は尾根の左側を捲いてやせ尾根の鞍部に出る(12:15)。ここにザックをデポして右に折れて尾根を辿り、下山してくるパーティーとすれ違い、10分弱で滝子山頂上に着く1590.3m(12:22(12:22〜30)。
頂上には1パーティーが昼食を取っていたので、シャッター押しをお願いする。
大月市選定の秀麗富嶽12景の1つとして名高い山だが、残念ながら富士山の眺望は望めなかった。下山路を女坂にとるが、ツツジ類の潅木の多い結構きつい傾斜だった。ただ、要所にトラロープ、ロープが張ってあり、問題なく下る。傾斜が緩み、広い草原に出た所が桧平で小休止する1337m(12:58〜13:13)。
ここも南に開けており、御坂、道志方面の山が望め、山名同定を行なう。
20分程下った所で、尾根を外して左の植林帯に入る。暗く滑り易い道だがジグザグを切りながらどんどん下る。沢の近くまで下った所にベンチがあり、水場がある903m(13:53〜14:03)。途中紅葉や黄葉が薄暗い杉林の中で鮮やかな色を輝かせており、秋の深まりが感じられた。更に30分下って林道に出る(635m)。
林道に出た所で、斉藤さんが奥さんと電話連絡を取って確認し、15分下った所で車で待つ斉藤夫人と合流する14:48(529m)。夫人が事前に日帰り入浴の場所等を調査していたが、アルコールの反省会に直行したいとの意見が強く、結局大月駅近くのお馴染み「かあちゃん」に向かう。残念ながら、未だ店は空いていなかった為、その並び2,3軒先にある本間さんお勧めの中華屋に入る。
軽くビールで乾杯後、熱燗の徳利が数本並び、餃子、野菜炒め等の定番に最後はラーメン、タンメンなどで締めることになった。斉藤さんもアルコールを受付けない体質だが夫人共々お茶で付き合ってくれた。
1時間以上歓談した後で、富士吉田方面に宿を予約している斉藤夫妻と別れ、本間、中村、竹中は大月駅でタイミング良く横浜線に乗り入れる「臨時はまかいじ」があるとのことで、自由席に座って八王子で中村さん、町田で竹中が下車し、最後の本間さんは新横浜まで乗って帰った。      (総歩数:23.1千歩)

今回の山行は22日は当初から雨天予想で、その通りだったが、23日の回復が遅れたのは少し想定外であり、白谷丸の下りの厳しさも想定外であった。
しかし、南ア、八ケ岳、奥秩父などが前日の降雪を纏って白く輝く姿を展望できたのは期待を上回るものであり、湯ノ沢峠避難小屋の施設も予想以上に良好であった。何といっても気心の知れた同じ針葉樹会の仲間と久し振りに縦走を計画し、完遂できたことは一番の喜びであった。計画策定・食料担当の本間さん、夫妻で全面的にサポートしてくれた斉藤さん、それと荷物を担いでくれた中村さん、本当に有難うございました。また行きましょう。     (以上)

▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
11月21日
13:16(撮影:竹中)
福ちゃん荘前にて
左から竹中、本間、
斎藤夫妻、中村
11月21日
15:11(撮影:中村)
大菩薩峠にて
左から斎藤、本間、竹中
11月21日
15:39(撮影:竹中)
富士見山荘前から
富士山のシルエット
11月23日
7:35(撮影:竹中)
湯ノ沢峠避難小屋前にて
左から竹中、斎藤、中村
11月23日
7:47(撮影:竹中)
南ア・白根三山
11月23日 
10:32(撮影:中村)
大谷ケ丸山頂
左から本間、斎藤、竹中



会   報
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■2010年11月5〜7日 鹿島槍ケ岳冬山偵察行 金子 晴彦(昭和46年卒)

     *********** 2010年11月23日投稿(PDF版)

18頁 布引、鹿島槍南峰、北峰
 全41頁 写真63葉

 先日冬山仲間と鹿島槍の偵察に行きました。 
 赤岩尾根の上部で大部しごかれました。
 雪が深い時にはこのコースは無理、となると
 爺の東尾根になりますが、それでは時間的
 に無理ということで、この偵察が本番に
 なってしまうかも。

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会   報
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■2010年10月26日 浅間山外輪山登山 齋藤 正(昭和42年卒)

     ****** 2010年11月18日投稿
1. 2010年10月26日(火) 単独行 天気;雨のち晴れ 
2. コースと時間
車坂峠6:42−7:43トーミの頭−7:59黒斑山−8:28蛇骨岳−8:44仙人岳−9:11鋸岳−
9:42前掛岳分岐−10:00火山館−11:21天狗温泉浅間山荘
(記)
本来は裏妙義御岳コースを目指すも生憎天気悪く、これを諦め、第二計画の浅間外輪山に登る。車坂峠まで妻に送ってもらい、ラジオ体操しながら、暫し騒ぐ風雨の様子を見守るも変わらず。トーミの頭でやめるかどうか決めれば良いと割り切り、出発。一人歩きとてせっせと時間を稼ぎ、1時間でトーミの頭。風雨が激しく火口壁から吹き上げ、写真を撮るにも吹き飛ばされそう。視界10メートル。ところで前日の天気予報は「午前の速い時間は天気良く、やがて急速に悪くなりこの冬初めての寒波と強風」・・・・というのだから呆れる。
草すべりを降りるも、鋸岳まで飛ばすも時間的にさしたる相違ないと決め、外輪山4峰を縦走する事に。すぐに黒斑山。なんとここから携帯電話が通じた。長居無用と通り過ぎ、蛇骨岳まで行くとなかなか良い稜線となる。晴れていれば口笛も出ようものを。岩陰で、ビスケットなど食べて小休止。さらに小さな峰をちょろちょろ超えるとすぐ仙人岳となる。粗末な標識が微笑ましい。仙人岳から稜線はやや荒々しくなるが、巻かずに行くとすぐにいわゆるJバンド・・・つまり火口原への降り口。しかし鋸岳の頂上はそれをやり過ごして3分、細い稜線を辿ると「この先立ち入り禁止」の標識とともにある。浅間はおろか火口壁の絶壁も、ここで終わる鋭い稜線の切れ目も何も見えない。それならばと気持ちを切り替え、早く下って天狗温泉にゆったり浸る事にした。Jバンドの下りは落石や急坂にちょっと注意が必要だが短い区間。降りきったころは雨も止み、少し晴れ間が出てきた。やがておおらかな火口原を、落葉松の黄葉と落ち葉を一人じっくり楽しみながら突っ切り、前掛分岐。登山禁止と思い込んでいたのでやり過ごし、10時丁度に火口館に到着。脇の社に手を合わせた。雲もどんどん切れ、谷に日が射し、牙山も目の前に見える。
火口館でストーブに手をかざしながら昼食を摂り、色々話を聞いて、本日初めての大休止。下りには天気はすっかり回復。途中初めて登山者10余人に出会った。剣が峰の稜線(ヒサシゴーロ尾根)の紅葉を存分に楽しみながら天狗温泉着。鉄分溢れた湯を堪能した。この山荘で黒斑山山頂の「噴火監視カメラ」のライブ映像を見たが結局浅間は見えなかった。
この日の午後寒波は更に厳しくなり、翌朝軽井沢は風花が舞って初氷、浅間は雪景色となった。
●火山館の人の話で、前掛岳は今年四月から登山を許されている事を知りました。それを知らずにパスした事が悔やまれます。おそらくこれでは浅間山に登った事にはなりませんものね。
ところで私は百名山にほとんど興味がありませんが、前掛岳登山が禁止されていた時は、百名山としての浅間山はどういう扱いだったのでしょうか、ちょっと気になるところです。つまり
浅間本峰が登山禁止なら第二の高峰である前掛岳を登らなければ浅間山に登った事にならないのか?この場合仮に前掛岳が登山禁止だったらどうなるか・・・ついこの間までそうでしたが・・・
****** 2010年11月3日HUHACメールより抜粋
▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
10月26日 7:59
黒班山山頂
全てガスの中
10月26日 8:28
蛇骨岳山頂
晴れていれば良いとこるだが
10月26日 8:44
仙人岳山頂
かわいい標識
10月26日 8:55
鋸岳への荒々しい稜線
鋸岳山頂  9:11
これでも山頂標識
10月26日 11:21
天狗温泉
ここに来てこの天気

■齋藤さん:蛭川(昭和39年卒)です。ご無沙汰しています。
裏妙義は、私が本州で登り残した山のリストに入っています。是非再挑戦の上、様子を聞かせてください(それもできたらサクラの時期に、その便りとともに)。妙義のサクラは見たかったです。
>…前掛岳登山が禁止されていた時は、百名山としての浅間山はどういう扱いだったのでしょ>うか、ちょっと気になるところです。 つまり浅間本峰が登山禁止なら第二の高峰である前掛>岳を登らな ければ浅間山に登った事にならないのか?この場合仮に前掛岳が登山禁止だっ>たらどうなるか・・・ついこの間までそうでしたが・・・
しばらく前、ある百名山ガイドブックでは、(齋藤さんが登られた)黒斑山登頂をもって浅間山に登ったことにすると書いてありました。私もそのお説に従って百名山の一つをこなしました。
「日本百名山」は、深田久弥が個人的な基準で選択したものなので、あまり厳密さを求めなくてもいいのではないでしょうか(その点、遠藤さんがはまっている日本百名城は複数の学者、専門家が集まって選定した、権威あるもののようです)。
厳密さと言えば、
・伯耆大山:弥山(1,709m)をもって登ったことにしますが、最高点は剣ヶ峰(1,729m)。
・利尻山:北峰(1,719m)をもって登ったことにしますが、最高点は南峰(1,721m)。
----これら最高点の立ち入り禁止は、登山道破壊防止(自然保護?)、事故防止などの理由だったと記憶します。
・草津白根山:最高点すぐ近くまで立派な道がありますが、その道から最高点へは踏み跡すら
 なかったと記憶。最高点に有害な火山ガスの噴出口があるからです。
・金峰山:有名な五丈岩がありますが、ここまで登らないと百名山達成と見なさないのかどう
 か。
・羊蹄山:三角点のピークから引き返す人も多いとか。その先に最高点のピークがあります。
・富士山:外輪山の一角に到達すれば登ったことにしているようですが、以前三井さんから「最
高点の剣ヶ峰までちゃんと登ったのか」と確認されたことがあります(申しわけありません
が、登ったかどうか確たる記憶がありません)。----ここでいいかげんだった罰か祟りか、キ
リマンジャロも外輪山には登れたが最高点を逃しました。
・阿寒岳:と深田久弥は表記していますが、彼が登ったのは雄阿寒岳(1,370m)。目指してい
た雌阿寒岳(1,499m)が噴火中で登れなかったのです。百名山詣では最高峰の雌阿寒岳登頂
をもって達成とするので私もそうしたのですが、山頂で「深田先生が登ろうとした雌阿寒と
実際に登った雄阿寒の両方を登ってはじめて'阿寒岳'に登ったと言えるのだ」とする熱烈な深
田教信者に会い、驚きました。こうなると、深田久弥が登ったルートで登らないといけない
となりますね。
以上ご参考まで。引越騒ぎで山の本が散逸または未開梱につき、山名や標高は正確でないかもしれませんが、ご容赦を。
     ****** 2010年11月9日 HUHACメールより転載

■斎藤さん 三井(昭和37年卒)です。
貴兄が精力的に単独登山を続けていることに敬意を表します。
気になることがありましたので、投稿いたします。
 前掛山はかなり前から登山は解禁されていまして、現に私は(株)北アルプス総合研究所の
ツアーで2008年6月8日(日)に登山しております。その時は他のツアー会社であるアルプスエンタープライズの大集団にも途中ですれ違っていますし、個人でも多数登山しておりました。火山館の人の話はおかしいですね。私もその時下山後火山館に数十分滞在しました。
 裏妙義は毎日新聞旅行のツアーで2006年5月7日(日)に日帰りで谷急山に登っています。国民宿舎前から三方境まで登り、小さな岩山を20ほど登り下りして頂上につきましたが、頂上近くの両手を使っての登りで1人の女性が額に落石を受け、添乗員に付き添われて、早期下山しました。頂上で帽子を取ったら、たっぷり血を吸ったヒルが出てきてビックリしました。
 蛭川さんのコメントに追加すると、北アルプス焼岳があります。頂上は焼岳北峰(2393m)ですが、高さでは、南峰(2455m)の方が高いです。又、石鎚山は天狗岳が最高峰ですが、一般には、弥山で頂上としているようです。ご参考ですが。 
      ****** 2010年11月10日 HUHACメールより転載

会   報
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■2010年10月14〜16日 仙丈岳に登頂しました。 三井 博(昭和37年卒)

   *********** 2010年11月6日のHUHACメールより転載(一部改訂)
既に10月18日の三月会にて報告いたしましたが、 2010年10月16日(金)に南アルプス仙丈岳に登頂し、日本百名山(深田百名山)を完登いたしました。以下、概略を記述いたします。
●10月14日(木)
今回の登山は、岳友遠藤晶土君との二人で実施した。遠藤君は自動車運転が極めて優れているので、これまでもしばしば利用させていただいた。
9時に京王八王子駅で落ち合って、中央高速経由で諏訪インターから杖立峠を超え、伊那市長谷の仙流荘の駐車場に車を止めた。ここから南アルプス林道バスに乗り換え、北沢峠を目指した。戸台川をはるか下に眺めながら北沢峠の手前の大平山荘前で3時に下車した。
大平山荘は竹沢長衛氏が建設した山小屋の一つで、現在は長衛氏の孫の竹沢信幸氏がオーナーであり、信幸氏の姉の木村ゆき子さんと夫の木村氏の3人で運営している。長衛氏が建設した北沢峠の長衛荘、長衛小屋(現北沢駒仙小屋)、薮沢小屋は手放して現在は伊那市の管理になっている。
●10月15日(金)
夜半から雨が強くなり、5時半に朝食を採ったが、様子を見ることにする。
本日の宿泊者は我々二人のほかは、長期滞在の一人だけであった。長期滞在者は従来長衛荘に長期滞在していたが、一昨年竹沢家が長衛荘を手放した後、伊那市が若者向けに内装を大改造したので、嫌気がさして大平山荘に移ってきたそうである。大平山荘も経営は極めて苦しそうで、長期滞在者には感謝していた。熊出没注意の看板があったが、熊は見たことはないそうである。
さて、雨があがってきたので、8時に大平山荘を出発した。登山路は薮沢新道といって、長衛氏の息子、信幸氏の父親の重幸氏がコツコツと開発した仙丈岳への最短コースで別名重幸新道という。樹林帯の平坦な道を1ピッチ行くと急登が始まる。急登を2ピッチ続けると、薮沢大滝展望の道が分かれるが、そのまま登ってゆくと大滝の上の薮沢を渡り、沢沿いに道を登って行く。柏、岳樺などの紅葉、ナナカマドの実がきれいだ。沢の水が少なくなり、右側の斜面を登ると、馬の背ヒュッテがあった。ヒュッテは誰もおらず、三日後に閉鎖するそうである。まもなく尾根道となり、仙丈岳、小仙丈岳を眺めながら登ってゆくと、薮沢の源流となり、仙丈小屋についた。12時45分であった。仙丈小屋は割合新しく感じの良い小屋である。これから仙丈岳に登ろうとしたが、ガスが一面にかかってきて、展望がききそうもないので、明日朝に登ることとし、腰を落ち着けた。まもなく後続のパーテイが到着し、小屋の付近でライチョウを3羽見たと告げたので、あわてて飛びだしたが、確認できなかった。小屋の料金は1泊2食付きで8,000円で、大平山荘と同じであった。その晩は台風かと思われるほどの烈風が吹き続け、眼が冴えて眠れなかった。遠藤君は良く眠れたそうである。風は12時過ぎにピタリと止んだ。
●10月16日(金)
5時に食事をとり、5時半に出発した。他のパーテイは朝食抜きで登り、小屋に戻ってから朝食をとるとのことであるが、我々はザックを背負って出かけた。今日は調子が良く、1ピッチで仙丈岳頂上に達した。5時55分であった。遠藤君が手作りの祝百名山完登と書いた祝辞を持ってきてくれて、大いに嬉しかった。頂上から北岳、間ノ岳、鳳凰三山、甲斐駒ケ岳、富士山などが見え、写真をパチパチ撮った、と言いたいところであるが、昨日から、デジカメの電源が切れてしまい何も撮れなかった。肝心な時に情けない。
北沢峠までの下りは標高差約1,000メートルであるが、道も良く快調に下って、9時半に到着した。
10時のバスで仙流荘に戻り、昼食、入浴を済ませ、途中にある「物部守屋神社」にお参りして、夕方前に八王子に帰ってきた。
尚、百名山登頂の経歴は別途報告いたします。
10月15日 8時頃 大平山荘にて
左から木村ゆき子さん、三井、遠藤、木村さん
10月16日 6:00(撮影:遠藤) 仙丈岳山頂
10月16日 7時半頃 甲斐駒ケ岳をバックに
左から遠藤、三井
10月16日 7時半頃(撮影:遠藤)
富士山、鳳凰三山方面を望む
                

■三井さん 遅くなりましたが百名山完登おめでとうございます。
秋の懇親山行の時は体調優れなかった様子だったので気になっていましたが、仙丈ケ岳登頂記録を読んで安心しました。 高崎 治郎(昭和31年卒)
■三井さん 祝百名山完登!!!!  竹中 彰(昭和39年卒)
■三井さん 百名山完登おめでとう御座います。会報120号の記事にお願いしますね。
            小島 和人(昭和40年卒)
■(前略)まず「私的には」三井さんが仙丈岳を最後にとって置かれたということにとりわけ敬意を表します。深田百名山を目指す方はそれぞれ最後をどこで・・・ということに思い入れをお持ちのようですが、いずれお聞かせ戴ければと思います。甲斐駒・仙丈は私にとってなれ初めの山の一つで、深い思いがあります。故あって戸台の長衛さんのご自宅(これが今の戸台の山荘でしょうか)で仲間数人でお世話になり、山を目指しました。17歳の時のことです。地蔵尾根と今回登られたルートは全く知識がありませんが魅力ありそうですね。
            斎藤 正(昭和42年卒)
■三井さま 百名山の完登、おめでとうございます!  川名 真理(昭和62年卒)

会   報
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■2010年10月5〜7日 北岳バットレ第四尾根登れずの記(その1) 竹中 彰(昭和39年卒)
     *********** 2010年10月13日のHUHACメールより転載
[北岳バットレス第四尾根登攀に向けて]
予て念願の北岳バットレス第四尾根登攀に向かい、残念ながら途中撤退せざるを得なかったが、実地に岩に触れ完登に向けて大きな収穫も得られた。
メンバーは、この計画に3年前から(ご自身の第四尾根登攀50周年記念として)意欲を燃やし続けて来られた中川滋夫(昭和36年卒)さん、同じく当初からの中核にいた金子晴彦(昭和46年卒)さん、この間常にサポートを惜しまなかった本間浩(昭和40年卒)さん、それに今回の計画推進に大きな力となった藤原朋信(昭和44年卒)さんの5名の針葉樹会高齢者会員である。
●数年前の三月会の場でバットレス第四尾根の話題が出たときに、登りたいとの意向を強く主張された中川さんに竹中が賛同し、周囲に話をしていたところ金子さんが加わり、他の若手のOB山田秀明(平成16年卒)さんなども関心を示し、協力が得られることになり計画具体化に向けて動き出した。
最初は2008年の8月のバットレス登攀を目指して、8月1日に山田さんの指導で、最近の岩登りの手ほどきを受けるべく高麗駅近くの日和田山に出かけた。中川、竹中、金子が3本ほどのルートを登り、ハーネスとザイルの接続方法から始め、エイト環を使っての懸垂下降などを練習した。この間に金子さんの友人のガイド今津氏(新穂高でペンションを経営)が我々をリードしてくれることとなり、計画具体化に大きく前進した。
バットレス登攀を8月下旬と定め、準備を進めると共に、バットレス組以外にも白根御池小屋からサポートを兼ねた、北岳周回コース参加者も募った。この年は天候も不順で、出発日の設定が難しく、当初8/26の予定を先行した周回パーテーの本間さんの現地からの電話連絡などで3日ずらして29日としたが、当日まで現地は雨が降り続き、八本歯への登路も落石などで危険な状況になったのに加えて、29日当日の中央線が不通になるなど、計画断念のやむなきに至った。この年はその後も諸般の事情で動きの取れぬままに過ぎ、暫くバットレス計画は休眠状態が続いた。翌年も参加者の都合が折り合わず、計画は具体化しないままに終わった。
●本年(2010年)に入って、三月会の場などで中川さんが未だバットレスは諦めていない、早めに日程だけでも確定しておこうとのことで、10月の初旬を想定して計画を復活させることとした。三月会の若手メンバーから、44年卒の藤原さんが関西から千葉に戻って積極的にクライミングに打ち込んでいるらしいとの情報がもたらされた。その後藤原さんとの連絡が取れ、9/3に如水会館にメンバーが集まり相談したところ力強い協力が得られることとなり、バットレス取り付きまでのトレーニング計画も策定し、現地実地指導を受けることとなった。

第一回は9/12(日)に奥多摩駅近くの所謂氷川屏風岩で中川、竹中、藤原の3名で行われた。9時過ぎに奥多摩駅に集合し、駅から2ピッチ弱の急登をこなして、岩場基部に到着。8の字結び習得後、早速左側のクラックのルートを登り、その後は右側の岩のフェイスを登る。何れのルートでも藤原さんが長い手足で軽快に登る姿を初めて見て感嘆、彼がリードしてくれるならと安心感を持った。
クライミングシューズのフリクション、小さなスタンスの利用、エイト環での懸垂下降などを練習する。幸い日曜日にも拘らず我々だけの貸切状態で、それなりに成果は得られた。
第二回は9/22(水)〜23(木)信州/川上村・川端下にある藤原さんの別荘に前記3名に加え食料計画担当の本間・金子計5名が終結し、一泊二日の小川山合宿を行った。初日は9時に八王子駅北口に藤原さん以外の5名が集合して竹中車で別荘に向かう。藤原さんの説明通り須玉ICを降りて信州峠経由で川上村へ向かう。村に入ってからレタス畑の間の道で若干迷ったが、12時前に無事別荘に到着。藤原さんの手製のヤキソバで昼食後、別荘から10分弱走った廻り目平へ。
キャンプ場に駐車して幾つかのボルダー岩(ビクター、キューブ、汚い大岩など)を見て廻り、少し触る。その後サイドストリームと呼ばれる岩場(マリリン、ブリジット)に廻ってロープを使って岩登り、ATCによるビレー、懸垂下降の練習など。別荘に戻って入浴後、本間シェフによるツマミと懐かしのBGMを聞きながらアルコールを消化し、現役時代の思い出、特に藤原さんの近年の山登り・岩登り談義などで夜も更ける。外は満月に近い月が昇っていた。
翌日は天候悪化が懸念されたので計画した屋根岩2峰のマルチピッチ練習は中止、朝は雨も降っていなかったのでボルダー岩を幾つか廻ってスメアリング(シューズのフリクション)の練習などに切り替え、その後は屋根岩基部を廻るパノラマコースを周回。最後は駐車場に引き上げる5分位手前で集中豪雨に遭遇、濡れ鼠で別荘に戻る。着替え、昼食後5人で別荘を後にするが、視界の悪い大雨の為、信州峠越えを諦め野辺山経由にルートを変更した。佐久街道に出ると次第に天気は回復し、休日午後も早い時間に中央道を快適に走る頃には日も照るようになった。藤原さんは小川山などに出向く際の針葉樹会員の別荘利用を歓迎するとのことであった。
二回のトレーニングの成果を踏まえて、愈々10月に本番の四尾根向かうことになり計画の詳細を藤原さん、本間さんで詰めて決定した。
当初は10/4〜6での実施計画だったが、前週末からの全国的な天候悪化が4日まで予想されたので、1日後にずらして5日〜7日の計画とした。また、下山後に芦安の山岳館に立ち寄り、塩沢館長に挨拶することも計画した。
  (「その2」へ続く)
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■2010年10月5〜7日 北岳バットレ第四尾根登れずの記(その2) 竹中 彰(昭和39年卒)
     *********** 2010年10月13日のHUHACメールより転載

[北岳バットレス第四尾根登攀]
●10/5(火) 晴れ時々曇り
全員夫々の拠点から梓3号に乗車し、甲府駅で落ち合った。食料担当の本間さんは両手に抱えきれない程のテントと食材を持ち、金子さんも山本(健)さんの遺品のテントを背負って改札を出てきた。最初は白根御池小屋泊を考えたが、早朝立ちや、仲間だけの気楽さを考慮し、テント生活に切り替えた為荷物が大幅に膨らんだ。
9時半発のバス予定を駅前タクシーの呼び込みと交渉し、広河原まで1人2200円(11,000円/台)で妥協して乗車。10:50には広河原に着き、荷分け、パッキング、昼食後11:20にスタートする。広河原山荘で登山届を提出し(11:26〜32)、暫く尾根筋直登ルートと一緒の道を辿る。11:45に分岐で左折して大樺沢に入り、沢筋に沿って進むが、橋を渡った後は殆ど右岸通しに進む。小生が前回本間さんと白根三山縦走をした時は、尾根通しの急登をルートに取ったため、相当辛い思いをした記憶があるが、今回のように重荷の時は大樺沢は大変歩きやすいルートであった。最初のピッチを1700m地点で刻む(12:03〜10)。その後30分刻みの4ピッチで二俣(チップトイレ、2230m)に到着(14:37〜45)。
ここで藤原さんが荷物をデポし、バットレス沢に入り取り付き地点の確認に出かける。他の4名はそのまま御池小屋のキャンプサイトを目指す。二俣からの標高差はネット20m程度にも拘らず、木の根や岩がゴロゴロして歩き難い道をアップダウンして12:50に到着(2245m)。小憩後、本間さんの3人用(主に炊事用)と山健さんのアメリカ製4・5人用テントを設営する。落ち着いた所で小屋に届けを提出し、一人当たり500円のテント料を支払う(一回当たり料金で、日数は関係ないようだ)。小屋も数年前に来た時から建て替えられており、立派な洋式トイレ(チップ制)が付設されており、水場もキチンと整備されていた。
他にテントも無く池に面した快適なサイトであった。その後男女(山ガール風)4人組が少し離れた所に設営した。
藤原さんが偵察から戻ったところで、藤原さんが担ぎ上げたビールで乾杯。
その後本間さんお得意の焼き網を使ったシシャモなど、豊富なツマミで日本酒、ウイスキー、などを酌み交わしながら明日の完登を誓う。夕方になって1kgの牛肉、野菜ですき焼きタイム、最後はウドンを入れて締める。然し、翌日に備えて自重した所為か、2?の日本酒パックは空かなかった。空には星が綺麗に輝き、明日の好天が約束されている様だった。19時過ぎにはシュラフに入り、男女4人組の談笑する声がうるさいと思っている内に、直ぐ熟睡に入る。
●10/6(水) 晴れ時々曇り
相当寝たなと思って時計を見るが未だ22時過ぎだった。その後はウツラウツラして時間が過ぎ、3時過ぎに食当の本間さんが起きて歩き回る足音がするので起床する。準備を整え、餅の朝食を摂って前日の予定より15分早め、4:30にヘッドライトを点けてテントを出発する。サポートの本間さんとは12:30〜13:30 頃に北岳山頂で会おうと約束する。4:50に二俣を通過するが、チップ制トイレ用発電機(エンジン)は24時間運転の様であった。最初のピッチは2340m地点で切り(5:11〜15)この頃から足元も、ハッキリして来る。その後5:50に八本歯に向かう一般道との分岐を過ぎ、少し上がった所で小憩(2530m,5:56〜6:00)。ザレタ岩屑の道、潅木帯の道などを辿り、bガリー大滝右の下部岸壁基部に到着。ここで50mザイル3本を用意し、各自ハーネス、ヌンチャク等を準備、2本のザイル(一本は竹中、他の1本は金子さんと結ぶ)をアンザイレンして藤原さんトップで登る。岩はしっかりして快適であったが、50m×2ピッチ上の上部ビレー点テラスに上がる前後には細かな浮石が多くザイルが触れてもパラパラ落石する(7:53テラス、2775m)。金子・ 中川パーテーも集結してザイルを解き、草付き混じりの踏み後を辿ってトラバースするが、第二尾根基部の辺りで少しルートが判然とせず、ガリーを直上するが誤りと判り引き返して進み、不安定な岩石が積み重なったCガリーを横断する。
その辺りに赤ペンキで四尾根への矢印が記されていた。そのまま潅木などを分けながらトラバース気味に進んで第四尾根の岩壁最末端に着く(9:10)。ここで小憩し、流動食を腹に収めている間に藤原さんが再び2本のザイルを結んでトップで登りだす。直ぐに岩に遮られて姿が見えなくなる。竹中がビレーするザイルは順調に伸びていく。50m一杯伸びきった所で合図があり、竹中が続く。50m一杯伸びている為一段上がったステップで8の字結びをセットして登りだす。最初は直上したが、次の段から上がる所で2本の残置シュリンゲを掴んで体を持ち上げようとするが、スタンス、次のホールドに自信がなく、一旦段まで降り右の凹角に入る。この間「ザイルを上げて、緩めて」との指示が上の藤原さんに伝わり難く苦労する。結局諦めてもう少し何とかなりそうな右に回りこむ。ここも最初は進むが、直ぐコケ付きの岩と微妙なホールド、スタンスに苦労して時間を食う。下のテラスから金子さんが見上げているが、ここを抜けると下からの視界は閉ざされた。何とか凹角を抜けて開けた左のフェースに移ってからは固いフリクションの良く利く岩となり、そのままザイルに導かれて藤原さんと合流する(10:25)。結局この1ピッチに1時間位要したことになり、些か自信を失う。上部テラスのビレイポイントはコーナークラック直下であった。その後金子さんも上がって3人合流し、中川さんはここをギブアップするとの伝言が齎され、頂上に抜けるには残された時間も厳しくなった為撤退を決断する。藤原さんによると、今の壁を辿ることなく、右手のcガリー沿いに草付きを登ってこのテラスに達することが出来るとのこと。我々は第四尾根の最末端から取り付いたことになる。
撤退はコーナークラックのピンを利用してビレー今登った所を50mザイル2本使って懸垂下降することになる。上からザイルを落とすが、下の様子、ザイルの状態がハッキリしないので、最初に金子さんが確認しながら下降する。少し不足気味だったが、何とか上のステップまで達して、Okの合図が来る。最初はやや緊張気味にくだりだすが、固い岩のフェースに出てシューズのフリクションも快適に利き登る時の凹角に振られ気味になるのを何とか体制を立て直して金子、中川さんと合流する。藤原さんはcガリー側の草付をノーザイルで降りて来て全員集合となった。然し、この間に懸垂用ザイルを回収しようと、引っ張ったところ途中の岩角に1本が引っ掛かり、藤原さんが再度登って難なく回収できた。そこからは登ってきた コースを逆に草付き、潅木帯を抜け、cガリーを横断して下部岩壁の上部終了点に至る(12:25)。ここで再び50m2ピッチの懸垂下降を行う。降りた所が岩屑の不安定なbガリーだった為、ここも懸垂で下り、小高くなった尾根状のところでザイルを収納する。ここで、金子さんが北岳頂上で我々を待っている本間さんに連絡すべく八本歯のコル経由で頂上に向かう。朝はこのような事態は想定外であり、本間さんとの連絡の取りようが無かった為である。残った3名は朝の登りルートを下り、一般ルートとの分岐点(14:47〜50)、二俣(15:30〜42)とピッチを刻み、16:03にテントに着いた。着いても本間さんは未だ帰っておらず、休憩しながら水汲み等に精を出す。30分位経過した頃「ヒトーツ」のコールが聞こえる。テント場上部の小太郎尾根方面を見ると、はるか上に人がジグザグに降りて来るのを発見し、こちらからもコールを返す。暫くすると本間さんが降りてきた。朝8時過ぎに出発し、足に痙攣が来るなど八本歯のへの登り(今やハシゴの連続とのこと)に苦労して、本間さんが頂上に着いたのは14:30頃とのことで、既に我々は頂上を後にしたと理解し、降りてきたとのこと。前回の白根三山縦走時も含めて本間さんにとって八本歯のコルは鬼門である様だ。その後15分で金子さんも帰着し、無事全員揃った。
本間さんは八本歯に登る途中で我々の声をハッキリ聞き、コールしたとのことだが我々は全く気が付かなかった。相互に情報交換した後で、宴会、夕食場を本間テントと定め、乾きもの、ビーフジャーキーなど豊富なツマミで宴会を始める。昨夜の残りの日本酒を空け、新たに2リットルのパックを開ける。夕食は海鮮サラダ、漬物付きのウナ丼であった。
本日の四尾根取り付き点やザイルパーティーの組み方の反省などを話し合いながら夜も更けていった。
●10/7(木) 晴れ
広河原へ下山するだけなので、ユックリ起床しフカヒレ雑炊の朝食を摂って、テントを撤収する。白根御池のキャンプサイトを7:55にスタートする。下山路は急な尾根筋にとる。出発して暫くはなだらかな道だが2100m頃から急坂になる。最初のピッチは2040m(8:28〜35)、次は第一ベンチ(1785m,9:05〜15),大樺沢コースとの分岐(1580m,9:41〜45),広河原山荘(10:10)と順調に進み10:23の余裕を持って到着するが、広河原山荘前で山菜取りに来ていたオジサンに甲府までのタクシーを持ちかけられ、芦安内での移動、待機を含めて一人2400円で交渉成立(夜叉神峠通行料100円を含む。本間注)。ジャンボタクシーで広河原を10:20に出発。芦安では山岳館下の南アルプス温泉に立ち寄る計画だったが、タクシーが前を素通りするので、慌ててとめると、温泉は先月末で営業を止めこれから建て替えに入るとのこと。已む無く更に進んだ金山沢温泉に向かう。丁度温泉が営業開始した処で、口開けの一番の客で入浴する(タオル付き500円)。内風呂の先に露天風呂もあるなかなか良い温泉であった。
その後タクシーで山岳館に向かい、塩沢さんに挨拶しょうとしたが、館長は北岳に行っているとのことの、思わず本間さんと顔を見合わせる(事前の情報では昨日下山して今日は山岳館にいる筈であった)。聞けば昨日はガスでヘリコプターが飛ばず、本日下山の道中とのこと。暫く展示物等も充実してきた館内を見学し、甲府に向かい、駅ビルの杵屋で軽く反省会し、始発の「かいじ」でユックリ帰京。
皆さんお疲れ様でした。
藤原さんからは、パーティーを2分割することで来年は確実に登れる、との心証を得たとのこと。
なお、帰宅後、10/8付けで藤原さんから今回の反省点を綴った詳細メイルが届いた。 次回に十分活かして行きたい。
       

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10月6日 8:00
藤原:下部岸壁
を抜けて
(上部ビレー点)
10月6日 8:09
金子:下部岸壁を
抜ける直前
10月6日 8:23
中川:下部岸壁上部
に来た
10月6日 9:18
第四尾根下部
(bガリー上部)
10月6日 10:57
第四尾根テラスの上
(コーナークラック)
10月6日 12:56
中川:下部岸壁
を下降
10月6日 16:18
白根御池テント
から北岳
(四尾根撤退して来て)
10月7日 7:56
テント撤収
(北岳をバックに)
左から本間、中川、
竹中、藤原、金子 


■2010年10月5日〜7日 北岳バットレス第4尾根行 金子 晴彦(昭和46卒)
     *********** 2009年10月23日投稿 (PDF版)

12頁 下部岸壁帯
 全42頁 写真49葉
  【参照】
  『国内山行報告』 
  「北岳バットレス第四尾根登らずの記
     (その1)(その2)」 竹中 彰

  画像をクリックしてください
■2010年10月5〜7日 北岳バットレ第四尾根登攀(反省点) 藤原 朋信(昭和44年卒)
     ****** 2010年10月8日北岳メンバー宛メールより転載(一部改訂)
 ※10月10日にバットレスの大規模崩落があり、2.次回戦略にあります中川さんとのテント等は難しい状況です。(2010年11月25日筆者注)

北岳メンバーの皆さん
お疲れ様でした、残念ながら登頂はなりませんでしたが @四尾根取り付きまでのルート確認 A20kを越すボッカ能力の証明B下部岩壁登攀による3級レベルの岩場突破能力の証明 で
 次回、下記反省点を生かせば登攀間違い無しの確証を得られたことは収穫でした。
1.反省点(以下 敬称略)
以下私が感じた事を順不同で思いつくまま述べますので全体反省に反映ください。
@時期:わがパーテーの年齢構成からみてスピードが遅いのは仕方がないことなので、昼間が長く温度が高い6〜7月に実施する。
Aメンバー構成:4人1組は登攀に時間がかかり過ぎ、高齢パーテーには向かない。またザイル3本で登攀せざるを得なかったのもザイル操作、ザイル交錯に問題を生じ更に時間を要した。また、時間短縮の為50mロープ一杯伸ばしたが、意思疎通に問題が生じザイルが生きなかった。メンバー各人の体力スピードにもバラツキがあり1パーテーでの行動は時間ロスが多く、きめ細かな対応も取れなかった。リード役が1名でフォローが3名という構成がもともと無理があったと思う。 結果的には3年前のガイドと中川の2名+竹中・金子・前神の3名の2パーテーの構成のほうが良かったといえる。
次回、可能なら事故時対応力を考えて2名+2名(3名)の二組で別々にザイル組んでの1パーテー方式がベストであるがリード役が2名必要である。今回のメンバーでいえば金子がリード役に復活できれば金子・竹中と藤原・中川の二組で時間がかかっても夕方までに登攀終えられた可能性高かったといえる。
B登攀力/クライミング技術:現時点での実力でも戦略/組み合わせ等考えれば時間はかかるが登攀は可能である。更に事前練習を系統的に実施すればよりスピードを上げることができ安全性が高まると思う。

2.次回戦略
 2組1パーテーが望ましいが無理なら2人で1パーテーとする(事故対応考えサポートが付けばベストになる)
@ 金子・竹中組
     1日目  白根御池でテント泊
     2日目  4時スタート 7時四尾根取り付  12時頂上  午後下山  帰京。
A藤原・中川組
     1日目  バットレス沢入り口上部テント泊( 幕営禁止区域ではあるがお目こぼし頂く) 
     2日目  4時スタート 7時四尾根取り付き 15時頂上  
           肩の小屋あるいは白根御池小屋泊(藤原はテント場に戻る)
     3日目  下山
      

会   報
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■2010年10月2日 御坂山塊 王岳〜三方分山〜パノラマ台  齋藤 正(昭和42年卒)
     *********** 2009年10月12日投稿
御坂山塊のうち、王岳(1623m)を登り残しておりましたので、富士周辺旅行の折、登ってきました。三方分山(1422m)は標高も低く期待しませんでしたが、ゆったりした良い山でした。久し振りに富士山を拝めて幸せでした。意外に人も少なく、天気にも恵まれ良い山行でした。
 10月2日(土): 天気:霧雨のち晴れ: 単独行 :根場より林道経由直登コース
根場駐車場 6:15−(林道経由)王岳8:03−五湖山9:33−女坂峠10:07−三方分山10:48(昼食)−根子峠12:18−パノラマ台12:35−根子峠経由精進湖バス停13:30
* ルート探し、昼食、写真休憩他 60分を含む。

王岳は鍵掛峠から登るのが普通ですが、今日はパノラマ台まで歩くので、時間節約のためチョット傾斜はきついですが、林道からの直登としました。根場からの林道はかつては立派な道だったようですが、出だしから荒れていて車は無理です(バイクは行けるかも)。王岳への取り付きはわかりづらく、林道終点ではなく、林道終点の最後の曲がり口にあります。みすぼらしい標識は草に覆われて見えません。私は誤まってどん詰まりまで行き、その奥にある堰堤付近まで探索を強いられ10分ほどロスしました。因みに駐車場から取り付きまで地図では1時間とありますがせいぜい40〜50分です。
取り付きから急なつづら折を覆いかぶさった草を払いながら喘ぐこと50分、左からの尾根にぶつかり15分ほどで頂上。霧雨と草で、ずぶぬれとなり、おまけに展望も効かず、早々に三方分山への尾根へ。尾根は鍵掛峠〜十二ケ岳方面と違い特に急峻というのでもなく、上り下りはあるものの快適。五湖山付近で、晴れとなり、景色をめでつつやがて女坂峠へ。ここで初めて人に遇いましたが、精進湖からついてきたという野良犬君にも遇いました。この峠は旧く、新旧道祖神数体が見守っています。
ここから三方分山へゆったりとした道を辿る。頂上付近になると植生が変わり、何故か唐松の疎林がみられる。頂上は親切に南だけ刈り込まれて、ここでやっと待望の富士が見えた。ここから精進山にかけては馬酔木の巨木のトンネルが続く。精進峠までどんどん下り、やがて根子峠をこえれば、15分で富士の絶景を拝むパノラマ台へ着いた。富士は頭だけを出していました。ここから根子峠に戻り、精進湖に降りましたが、その道も実に良く保守されており、楢やブナ、楓に囲まれた素敵な道でした。

         
         
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 10月2日 8:05 
王岳山頂
10月2日 9:38
五湖山付近 梅鉢草
10月2日  9:47
王岳下りより
三方分山を臨む
10月2日  10:00
女坂峠付近より
パノラマ台遠望
奥は毛無山竜ケ岳
10月2日  12:38
パノラマ台より富士山
10月2日  12:43
パノラマ台より王岳、
十二ケ岳方面
10月2日
下山後、根場より王岳を臨む



会   報
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■2010年10月1日〜3日 蓮華温泉から白馬岳 岡田 健志(昭和42年卒)

1.月日;2010年10月1日〜3日
2.メンバー;岡田 健志(昭和42年卒)、白馬大池まで藤本、大森、中尾(麻布高校友人)
3.記録

●10月1日 晴れ
上越新幹線で越後湯沢まで行き、越後湯沢から糸魚川駅経由でJR大糸線平岩駅まで。麻布高校の同学年の友人の一人が車で平岩駅までお出迎え。信州そばで昼食後、蓮華温泉に13:10に到着。
天気が良いので、鉱山道へ行ってみる。カモシカ展望台往復におわった。午後になると雲がでてきたため、視界が開け景色が良いという散歩ではなかった。往路で大森君がハチに刺されたがちょっとしたハプニング程度に思っていた。ところが、復路、同じ場所で今度はかなりの数のハチの群れに襲われ、5ケ所刺された。1ケ所に2本のハチの針が刺さったままになっていて痛かった。ロッジに泊りあわせた北ア燕山荘社長によれば、ハチは天敵である熊の体色(黒)に対して攻撃的になるとのこと。確かに当日は濃紺のカッターシャツを着用していた。
ロッジに帰着後、近所の野天風呂へ出かけた。「仙気の湯」と「薬師の湯」に入り汗をながす。紅葉には早すぎ、全山紅葉のなか露天風呂に入った、と言うことができず、残念。蓮華温泉には内湯のほか近辺に4つの露天温泉がある。上記の2湯は湯船が大きく5人くらいは入浴できる。
露天風呂で一緒になった、能弁なお年寄りがいた。昔の話になり、都電で通学したというような話になった。「ひょっとして・・・」と出身の学校を聞いたところ、なんと麻布高校卒(昭和9年生)とのこと。一同あまりの偶然に開いた口ふさがらず。ロッジのすぐそばまで自動車が入る立地ゆえか、いろんな人がいた。

●10月2日 快晴のちガス
蓮華温泉ロッジ(6:50)−天狗ノ庭(8:40)−白馬大池(10:20〜10:30)−小蓮華山(12:34〜13:00)−三国境(13:40〜13:45)−白馬岳(14:50〜15:00)−白馬岳頂上宿舎(15:28)

快晴の朝、朝食をとらずに早立ちする人達もいたが、我々は規則どおりの時間に朝食をとって出発。今日は、他の3人は白馬大池まで往復し、私だけは白馬岳を目指す。約1,500mの高度差とコースタイムで7時間の所要時間を考えると「大丈夫?」という気持ちが少なからず、ある。
樹林帯のなかをジグザグに登る。途中、朝日岳・雪倉岳が快晴の空をバックになかなか立派である。白いシラタマノキの実や赤いゴゼンタチバナの実があざやかに色づいている。かなりな樹齢と思えるブナの大木などが登山道の脇にあり、気持ちの良い登りであった。
樹林限界に近く、展望のきくところが天狗の庭だった。ここからは、朝日岳、雪倉岳が大きく見えた。
突然視界が開け、白馬大池が見えてきた。想像していたよりも大きい池だ。白馬大池周辺は、緑のハイマツ帯を縁取るチングルマやコケモモの草紅葉が見事な広い平らな場所だった。チングルマの花の最盛期にまた来てみたいところである。すこしだけ風が吹いており、大池の池面にさざ波が白くきらきら光っていた。青空をバックに小蓮華山がたちはだかるように見える。小屋の前に小さなテントが一つ、ポツンとたっていた。
蓮華温泉へ戻る3人にはここで別れ、白馬岳へ向かう。これから白馬岳へ向かおうという人たちも何人かいる。傾斜が急なうえ、小さな石をしきつめたような登山路で歩きにくい。振り返ると、蓮華温泉へ戻る3名の仲間がはっきり確認できた。「ヤッホー」と声掛けしたが、届いた様子がなかった。
何人かの人達とすれちがうが、聞けば栂池か白馬大池を出発し、小蓮華山往復というパターンが多い。登山路が山の北側斜面にあるため、白馬岳方面はあまり見えないが、雪倉岳から北に連なる山々は良く見える。稜の南側は地図上も等高線が密集した険しい崖となっている。空は快晴なのに、稜線の南側からガスが吹きつける。時々、道が稜線に出ることがあるが、そんな場所から少しだけ後立山の山々が見える。槍ヶ岳の穂先が一瞬の間見えた(と思った)。
小蓮華山の頂上付近は、ロープが張ってあり立ち入り禁止となっていた。剣のある頂上から南側は、崩壊の危険があり、このようになっているらしい。小蓮華山の下りは不安定な石のゴロゴロした道で歩きにくい。
三国境は西部劇の舞台のように乾燥した、石のゴロゴロした埃っぽいところだった。今朝、朝日岳小屋を発ったという女性がちょうどやってきてにぎやかにおしゃべりしていった。女性は強い!
三国境から約1時間、乾いた急な山道をあえぎながら白馬岳の頂上へ。10数名の人がそこにいて、思い思いに頂上を楽しんでいる。旭岳にさえぎられ、剣岳や立山といった西側の山々をのぞむことはできなかった。白馬岳の頂上も、東側はロープが張ってあり立ち入り禁止となっている。小蓮華山の頂上といい白馬岳の頂上といい、東側の崩壊の進行具合は心配である。
この日の夕食は、噂のとおり、ビュッフェスタイルだった。タンシチューをメインに焼きナス(すり生姜添え)、鮭の焼きもの、ジャガイモサラダ、漬物、味噌汁という内容で、食べられるだけよそうことにより残飯の発生量を抑え、山の汚れを軽減するという狙いだという。

●10月3日 曇り
白馬岳頂上宿舎(6:28)−避難小屋(6:59〜7:10)−葱平(7:25)−岩室跡(7:36)−雪渓取付き(8:00)−大雪渓末端(8:55)−白馬尻小屋(9:08~9:15)−猿倉バス停(9:57)

天気は予報通りくもり。晴れていれば、小屋から稜線まで登り返し立山や剣岳を拝みたかったが、天気をみてこのアルバイトをあっさりあきらめて下山にかかる。杓子岳側からの落石に注意を払いつつ、花もない景色も見えない雪渓左岸の急坂を黙々と下った。出発して1時間30分ほどで雪渓を下る個所に達する。アイゼンを準備していたが、わずかな距離のためにアイゼンを着脱するのが面倒だったので、そのまま下ることにした。
案の定、12〜13分でルートは雪渓を逃げて今度は右岸を下る。これがまた、上から落ちてくる土砂が堆積した下りにくい道で、大変シンドイめをしたことだった。
大雪渓上はクレバスがところどころ切れており、危険で歩けないのでしようがないが。
咲き残ったトリカブトとリンドウが僅かに目に入ったのが、疲れを和らげてくれた。
猿倉発のバスは今年は10月11日でおわりとか。乗客は2人だけ。青々した葉の山道をクネクネと下り白馬駅へ。
会   報
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■2010年9月29日 秋の懇親山行(その後) 佐薙 恭(昭和31年卒)
     *********** 2010年9月29日HUHACメールより転載
苗場・鳥甲の懇親山行に参加したおかげで幾つかの、私にとって興味ある事柄に出合いました。
<その1>
#1 「北越雪譜 鈴木牧之」による秋山郷と苗場山
 帰宅後、わが本棚で1/4世紀も眠っていた「北越雪譜」を開いてみた。「秋山の古風」という項目がある。今でも秘境と呼ばれる秋山郷が18世紀ころ、同じ越後、塩沢の人、鈴木牧之の目にどう映ったか。全文や要旨をここで説明するには長すぎる。下山の際のバスの車窓から見た風景が強く印象に残った人には是非一読を薦めます。或は次の三月会で。
この本には「苗場山」という項目もあり彼自身が登頂した記述もある。今回、私が苦登した頂上直下のラストピッチの登りを「岩にとりつき竹の根を力草とし、一歩に一声発しつつ気を張り汗をながし、千辛万苦しのぼりつくして馬の背という所にいたる・・・」と表現している。昔も今も変わらないなあ。
 ●「秋の懇親山行(その後(その1))」への返信 斉藤 正(昭和42年卒)
  佐薙さんの話に得心が行きました。
先ず鈴木牧之のことですが、せっかくの機会がありながら記念館に寄れなかったことを後悔しております。
  (後略)
 
#2 苗場山頂からの展望
小屋の食堂には詳細な展望図があった。しかし小屋に着いた午後は雨で視界ゼロ、食堂での長い酒盛りのせいで展望図には注意を払わなかった。翌朝は快晴、展望図を予習するヒマもなく小屋の外へ。あの辺りの山には滅多に出かけないので山座同定にはあまり自信がなかった。そこで帰宅後、苗場山からの展望図がある「山岳展望ハンドブック 1 佐古清隆 山渓」をアマゾンから求めた。
本に示された展望図とあの時、我々が同定した状況を比べると、小屋を出て左に見えた越後三山から荒沢あたりまでと右のほうに見えた志賀高原-浅間-北ア-妙高はほぼ一致していた。しかし中央部のそれは違っていた。あの時、朝の光線の具合で中央部の山並みは一塊でスカイラインを形成しており、近い山域、遠い山並みの区別はつかなかった。私は中央部に見えたスカイラインの殆んどが(日光白根以外は)谷川岳を中心とする、茂倉から平標の稜線だと思い、大きな筈の万太郎などなぜ確認できないのかな?という不思議な感じを持っていた。佐古本によると中央部のスカイラインには谷川連邦は右端の平標あたりを除きスカイラインには出てこない。あの中央部のスカイラインは殆んどが奥日光の山々だ。
苗場は2100強、谷川連邦は殆んどが視線より低い1900台、日光は白根の2500強、そのほか2400〜2300台、多少見上げる形。苗場から谷川、日光への距離など考えて、同一方向の谷川連峰がスカイラインに出てこなかったのは当然と今気がつくのだが。
なお、佐古本によれば白砂山の右肩に富士山がほんの少しのぞいている。前述の鈴木牧之も富士を見たと書いている。
9月18日 7:16(撮影:竹中)
苗場山よりの越後駒ケ岳〜中の岳
9月18日 7:16(撮影:竹中)
苗場山頂小屋より
(遠景は日光連山、最高峰は白根山)

 ●「秋の懇親山行(その後(その1))」への返信(@) 兵藤 元史(昭和52年卒)
  佐薙さま
ご無沙汰致しております。兵藤@ジャカルタです。
苗場からみるスカイラインの話ですが、山が見えなかったということではなく、遠くの(奥日光の)スカイラインと勘違いしたという意味でしょうか?
ご承知のように、苗場から川一つはさんで平標や仙ノ倉岳があります。見えないということは無いと思いますが・・・・。 苗場はえらい昔に登っただけで記憶はあまりありませんが、最近も(といっても3年以上前になりますが)山スキーで何度か通った平標や仙ノ倉からは苗場が見えていたと思います。
朝の光線のせいですかね。
 ●@への返信(A) 佐薙 恭
  兵藤さん
小生の文の説明不足でしょうか。
その時は早朝、中央部はほぼ逆光でした。そのため中央部はシルエットだけが見え、遠くの高い山並み(日光)と近くの谷川連峰の識別が出来なかったのです。光線が順光になれば当然日光連山の手前に、低い形で谷川連峰が識別出来たでしょう。しかし高さの関係で谷川連峰がスカイラインを形成することはなく、スカイラインは日光の山並みなのです。
 ●Aへの返信 兵藤 元史
  佐薙さま
良く分かりました。お手数をおかけしました。
 ●「秋の懇親山行(その後(その1))」への返信 斉藤 正(昭和42年卒)
  佐薙さんの話に得心が行きました。
(中略)
次に例のスカイラインの事ですが、三国〜平標〜仙ノ倉〜万太郎のものとしてはかなりに遠く、また長過ぎる・・・・という感じで、いささか違和感がございました。そこで私も帰ってから調べてみましたが、佐薙さんと同様見解に達しました。
それが下記アドレスのパノラマ写真および図解です。
   http://www.geocities.jp/canada_194/naebasanharai.html

<その2>
#3 見慣れない木の実 タムシバ
鳥甲の登り、多分高度1500mくらいの所、腰を下ろして休んでいると隣の佐藤久さんが足元に落ちているどうやら木の実らしい奇妙な物を見つけた。うすい赤い色の木の実のようなものが5〜6個、ロウ付けのようにひとかたまりになっている。上を見上げると木の枝にその妙なかたまりがいくつもついている。図鑑で見たような記憶がおぼろげながらある。帰宅して図鑑を調べた。葉や実や花だけを見て、それから図鑑でその木の本籍にたどり着くのはなかなか難しい。数冊を数回、数時間かけてようやくたどりついたのはモクレン科モクレン族のタムシバだった。平地でよく見るコブシの親戚だ。説明によるともう少し経つとそのかたまりが割れ、幾つかの赤い実が白い糸で垂れ下がるのだそうだ。コブシの実も同じようなものらしい。今回は目視で記憶していた葉の形からコブシではなくタムシバだと判断した。それにしても春、独立して咲いている花がどうして秋になるとこんな集合体のようなロウ付けされた実になるのだろうか。

#4 ミヤマナラの葉の上の赤い玉
同じく鳥甲の登り。高い木が無くなり低潅木となった辺り、1600〜1800Mくらいだろうか。ミヤマナラが多くなりその小枝をつかんで急登することもあった。やはり腰を下ろして休んだ前にミヤマナラがありその葉1枚のほぼ真ん中に赤い5〜6ミリくらいの玉が1個着いている。ミヤマナラはミズナラの近似種、後者は高木だがミヤマナラは後者より高い場所、且つ裏日本側に生育する低木。すぐ近くの枝の先にはドングリが着いているからこの赤い玉は実である筈は無い。とりあえず写真を撮った。大雑把に言うと、見渡したミヤマナラの葉1000枚の内、3〜4枚にこの赤い玉が着いていた。帰宅してミヤマナラを図鑑で調べたがわからない。小生は植物については独学だから頼るべき師匠はいない。
そこで三月会の席で、三月会随一の植物学徒、高橋信成さんに調査をお願いした。彼はメ−ルで受け取った小生からの写真をコピ−し、彼の師匠格の権威ある人に尋ねてくれた。答は「虫によるコブ」だろうという。赤い玉は葉脈の主脈のほぼ中央に着いているのだが、葉の付け根から赤い玉までの主脈はその先の主脈よりこころもち太く見える。この中を虫が通って行ったから太いのだろうか。そしてその虫がどんな活動をしてこんな丸い、コブと言うより玉を作り、何故それが赤いのだろうか。
 
     9月19日 (撮影:佐薙)   
     ミヤマナラの赤い虫こぶ   
9月19日 (撮影:佐薙)
虫こぶのすぐ上の部分
(枝の先のドングリなどによりこの木が
ミヤマナラであることが判る)


#5 ヒノキかクロベか
苗場の山頂から小赤沢へ下る途中、4合目辺りだろうか、一見ヒノキのような巨木が数本あった。下の方の樹皮ははがれ、つるつるした赤っぽい樹肌が出ていた。「ヒノキだろう」という声があった。小生は葉を少しちぎり葉の裏を調べた。ヒノキの特徴であるY字型の気孔帯がない。気孔帯が目立たないからクロベだろうと思ったが確信が持てなかった。
やはり帰宅して図鑑を調べた。クロベのペ−ジに我々の見たのによく似た写真が出ていた。桧枝岐村で写したもので、説明に「東北地方の亜高山帯でヒノキに似た木を見かけたらクロベと思って間違いない」とあった。苗場は東北ではないが近接している。だから今になって、あの木はやはりクロベだと確信をもって言える。
そういえば1年前、風吹大池で一見ヒノキ状の木を見つけたが葉の裏にY字はなかった。小屋の主(なかなかの学識者)に質問したらクロベだという説明があったのを思い出した。
会   報
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■2010年9月19日 鳥甲山(懇親山行)登山報告 佐藤 久尚(昭和41年卒)

     *********** 2010年9月26日HUHACメールより転載
参加者 : 佐薙 恭(31)、竹中 彰(39)、本間 浩(40)、佐藤 久尚(41) 
※三井さんは体調不良により登山断念 ( )内は卒年

9月19日(日) 晴れ時々曇り 
鳥甲山の登山ルートとしては、和山からのルートと屋敷からのルートの二つがあり、通常、ガイドブックなどでは、和山から登って屋敷に下るコースが紹介されている場合が多い。和山からのルートは、ナイフリッジあり、ハシゴやクサリ場ありで、高度感も味わえ変化に富んで面白そうではあるが、今回は、万一途中でリタイアーする者がでることもあり得ることを考慮して、屋敷から登って同じルートを屋敷に下るというコースを取った。
 早朝4:30起床、前夜泊った屋敷温泉秀清館の車で登山口まで送ってもらい、5:06薄暗い中を歩きだす。堰堤工事のために作られたブルドーザー用の車道を、1ピッチ登ると立派な堰堤が現れ、そこから本格的な山道となった。最初はツガやシラビソ、ブナなどが茂る樹林の中の急登。本来ならばロープやクサリが設置されていて然るべきような急な登りの連続であるが、登山者が少ないため登山道の整備が進んでいないせいか、それらの類のものは一切ない。木の根や岩に捉まりながら攀じ登るようにして登ること約2時間30分、かなり消耗したところで1,460mの屋敷山鞍部という平らな所に出た。ここからは道は尾根道となり傾斜も落ちてかなり歩きやすくなるが、それでもところどころ急登を余儀なくされるところがあった。赤ーの頭を経てノゾキという左側がすっぱりと切れ落ちていて緊張する所を過ぎ、少し行くと和山からの道の合流点に着く。そこから頂上はすぐで、10:05頂上に着く。登山口からジャスト5時間かかったことになるが、昭文社の地図によるコースタイムも5時間であり、コースタイムが休憩時間を含まないとすれば、我々はかなりいいペースで登ったことになる。
 鳥甲山の頂上は、北側がツガの疎林と背の高いクマ笹で蔽われていて、360度の展望という訳にはいかなかったが、それでも南側は開けており、岩菅山や横手山など志賀の山が一望できた。ゆっくりと昼食を取り記念撮影後、10:36下山にかかる。また、あの急坂を下るのかと思うと気が重くなるが、下での温泉とビールを楽しみに重い脚を運ぶ。慎重に下り、幸い誰も大きなスリップをする者もなく、14:13今朝出発した登山口に着いた。登山口には途中携帯で呼んだ旅館の車が迎えに来てくれていて、林道を歩くことなく秀清館に着いた。バスの時間まで余裕があったので、ゆっくりと温泉で汗を流したうえで、冷えたビールと旅館でサービスに出してくれたナシと新鮮なミニトマトを堪能して豊かな気分で最終バス乗って、湯沢経由帰京。
 鳥甲山は交通が不便なところにあるため訪れる人も少なくまだ、静かな山といっていいと思います。

9月19日 6:09(撮影:竹中)
鳥甲山へ(屋敷ルートのブナ林帯の急坂)
(前から)本間、佐薙、佐藤
9月19日 10:41(撮影:竹中)
鳥甲山頂上の一行
(左から)佐薙、本間、佐藤、竹中
9月19日 11:17(撮影:竹中)
尾根道から鳥甲山を振り返って
9月19日 13:39(撮影:竹中)
鳥甲山の下部ブナ林帯の急坂を下る
(前から)本間、佐藤

会   報
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■2010年9月17〜19日 平成22年度針葉樹会懇親山行
(越後シリーズ・苗場山、鳥甲山) 竹中 彰(昭和39年卒)

     *********** 2010年9月28日投稿

恒例の針葉樹会懇親山行・越後シリーズ第4弾は苗場山及び鳥甲山を連続して行う企画(初日は東京を朝出発して苗場山に登り、山頂小屋に宿泊、翌日秋山郷に下山し、平家の落人の里の旅館に泊り、三日目に鳥甲山をピストン往復して帰京する)が三井山行幹事により発表され、参加することとした。
(参加者)佐薙恭(31)、※高崎治郎(31)、三井博(37)、竹中彰(39)、本間浩(40)、佐藤久尚(41)、※斎藤正(42)  ※は苗場山のみ参加

第1日
9/17(金) 曇りのち雨
東京発7:00の「とき303」に間に合わせるべく、つくし野発5:19の電車で出発。新幹線ホームで指定席の三井さんと遭い、越後湯沢で落ち合うこととする。
自由席にならんでいると、佐薙さん、本間さんが現れ、自由席の6席分をユッタリ確保する。三連休前の金曜日にしては余り混んでいないのにホッとする。
8時過ぎに越後湯沢駅に到着、先行していた斉藤、高崎さんと改札口で落ち合い、タクシー乗場へ。2台に分かれて乗車し、30分ほどの乗車で一気に高度を稼ぎ、8時50分に和田小屋(1,380m)に着いて出発準備を整える。国道を分岐して林道に入ってからは、所々で重機を入れて「かぐら・みつまたスキー場」の整備を進めている光景を目にしたが、果たしてどの程度稼働するものか。
9:00丁度に小屋横を出発し、祓川コースに入って進む。樹林の中、足元の悪い登山道を30分進んで6合目を通過し、更に進んで木道が広がった所でピッチを切る(1,580m、9:40〜50)。この頃から稍々雲行きが怪しく、少し雨が落ち始めた。次のピッチの途中で雨が激しくなったので、「下の芝」ベンチ(1,680m)で本格的な雨対策をとる(10:15〜15)。(高頭式の”日本山嶽志”には「(祓川から)一里許ニシテ芝生アリ、下・中・上ノ三處ニ分ル、相距ル十町許、各廣サ數・十百間、」とある。)風も出てきたが何とか傘も使える状態だったので、雨具上着とザックカバーで凌ぐこととする。この辺りで尾根筋に出て来たが、2万5千の地図上では未だスキー場のリフトが右側の谷筋近くに(1,800m位まで)設置されている様子だが、確認は出来なかった。
なお登り続けて「中の芝」(1,825m)で休憩し(10:48〜56)、「上の芝」を11:13に通過して8合目の神楽ケ峰(2,029.6m)で小休止(11:40〜44)。雨が降り続く為に、身体も冷え、余り水分も欲しくない状態だった。この頃から何時もは体力十分なMさんが遅れ気味で、体調が良くない様子だった。
降り止まない雨の中、尾根は神楽ケ峰から下りにかかり、股すり岩を過ぎて1,945mの9合目で休憩をとる(12:20〜25)。前方から高校生の集団が下山して来るのに遭遇、男子生徒の一人に聞くと学校行事ではなく部活との答え、しかし引率者に聞くと200人近い数であり、明らかに学校行事であったと思われる。
後方には女子生徒のグループもいたが、皆それなりの足拵えと雨具を着けていた。狭い尾根道やえぐれた道でスレ違いに時間がかかったが、12:40に雲尾坂を通過し、登り返して暫らく進むと苗場山の高層湿原を走るシッカリした木道に出た。周囲の景色は殆ど見えず、相変らず雨は激しく、かなりズボンから下が濡れてきた。行く手に小屋が見えてきたが、嘗ての遊仙閣であり、現在は廃止されているとのこと。小屋を回りこんだ所に苗場山の頂上(2,145m)があり、標柱に並んで雨の中で写真を撮って、少し下って宿泊場所の山頂ヒュッテ「自然体験交流センター」に到着した(13:15)。直ちに雨に濡れた雨具、スパッツなどを乾燥室にぶら下げ、割り当てられたスペースに荷物をおく。着替えて食堂に集まり、先ずは小屋で買求めたビールで乾杯、日本酒、焼酎などで歓談する。この日は予約客も少なく、我々のグループが最大勢力で、他には夫婦連れ、単独行が数人と合わせても12、3人といったところ。
18時に夕食が始まるが、内容は今時の小屋飯にしては貧相な感じで、おかずは豚汁をメインに皿には山菜の煮物、サーモン缶詰少し、漬物、梅干といったところ。雨は降り続いていたが天気予報では明日の好天が期待され、自家発電の20時消灯前には毛布2枚をかけて寝床に入る。(総歩数9.6千歩)

第2日
9/18(土) 晴
寒さは殆ど感じることなく安眠し、5時前後に夫々起床する。外は気持ちよく晴れており、乾燥室に入れた衣類などもほぼ乾いた。
6時に朝食が始まったが、味噌汁に目玉焼き,海苔などが付いた普通のメニューであった。荷物をパッキングして7時前には小屋の前で大パノラマを前に山名の同定(北アは白馬から立山、槍、穂高、谷川、越後三山など)、記念撮影を行い、先ずは昨日の雨の中だった苗場山に戻り、更に昨日の木道を少し戻って小池の散在する湿原を散策する。花はピークを過ぎていたが、リンドウなどが多く咲いていた。越後駒方面の景色を確認し、再び小屋の横を発って、小赤沢に向けて下山をスタート。少し進んだ所の木道脇の岩の上に役の行者のモニュメント(? 高頭式“日本山嶽志”には「大石ノ上に保食神ノ銅像」とある)があった。
その後も木道上を景色を愛でつつ進み、展望台で明日の鳥甲山、浅間、志賀高原方面を眺める(7:45〜50)。ここから先で道はハイマツの間の急坂となり、開けた所の木道脇に下の展望台が設置されている(1,795m、8:50〜55)。その後も急坂が続き10分位で6合目を通過し、灌木帯に入って1,625mで少憩(9:27〜31)。その後もひたすら下り、次の2ピッチで4合目水場に着く(1,450m 10:18〜22)。その後も足場の悪い、所々ロープが張ってある場所や水没している所なども過ぎ、2ピッチで3合目駐車場に着く(1,275m、10:58〜11:10)。
ここに上から斎藤さんと携帯で連絡を取り合っていた夫人が車で待機していた。
荷物を車に載せ、高崎さん、三井さんが同乗して林道終点の「楽陽館(鉄分の多い赤い温泉あり)」に向かう。我々は空身で林道とは違うブナの大木が多く気持の良い登山道を下る。11:52に林道に飛び出し、その後は舗装道を下り、30分で楽陽館に到着する(815m、12:22)。既に到着して温泉にも入って持っていた先行パーティーと合流し、ジョッキで乾杯、地元のにごり酒などで反省会、昼食はわさびソバを食す。ここで、鳥甲山組は夫人に屋敷の「秀清館」まで車で送ってもらう。高崎さんは越後湯沢駅まで送ってもらって斎藤夫妻と別れる予定。
宿に入って風の通る2階の部屋で早速アルコールで体内消毒に努めながら、明日の長丁場に向けてザックを整理する。偶々部屋に布団を敷きに来たお手伝いさんが十日町出身とのことで、十日町小唄も飛び出すなどリラックスする。頃合いを見て温泉にも入り心身をほぐす。しかし相変わらず体調の勝れない三井さんが鳥甲山行き断念を表明し、4人での決行となった。
夕食は下の食堂に準備された。イノシシ(汁)、岩魚(塩焼きを澄まし汁に)、山菜などが並びツマミおかずには十分過ぎるほどで、酒も一層進む。大分時間も過ぎ、三井さん、本間さんが席を外したのを潮にお開きとした。(総歩数15.3千歩)

第3日
9/19(日) 曇り時々晴れ
朝4時過ぎに起床し、準備の後玄関に用意された朝・昼2食の弁当をザックに収め、三井さん、宿の主人に見送られて出発した(4:56)。主人からは、我々の前後期高齢パーティーの様子に心配して、くれぐれも無理をしないようにとの言葉があった。屋敷側の登山口までは宿から2km近くあるが、宿の車で送ってくれることになり、屋敷の部落を抜けて高度差170mくらいを稼ぎ10分弱で到着した(870m)。
5:06に本間さんトップでスタートし、薄暗い中をライトで照らしながら砂防堰堤工事用の道を辿ったが、暫らく行くうちに空は明け、足元もハッキリしてきた。こんな奥にと思うほどの大きな3箇所目の堰堤の下部を捲いた所から登山道が始まる(1,035m、5:35〜50)。沢沿いの道は直ぐに濡れて滑り易い岩と土のミックスした急坂となり、喘ぎながら高度を稼ぐ。周りは直立した綺麗なブナ林が広がり、木の間から下の秋山郷の集落の一部が覗ける。
その後も急登は続き、下山時の足元の不安定さが心配だったが1,210mで2回目の休憩を取る(6:20〜26)。3度目の休憩時に朝食を摂る(1,390m、6:58〜7:15)。
弁当は海苔のオリギリ2個にトンカツを煮た物、小形の岩魚(?)甘露煮、きゅうりの漬物など結構豪華版であった(1,000円)。そこから5分位で左側の切れ落ちた尾根道に出た所に、「鳥甲山⇔屋敷」の標柱があった。その後は狭い尾根道を登降しながら高度を上げ、更に2ピッチでダケカンバの笹原を過ぎて1,745mに達する(8:45〜55)。その10分位手前に、頂上へ1時間50分の標識があり、11時前には頂上に着く目処が立つ。
次のピッチでかなり切れ落ちたノゾキ(足元にクサリが張ってある)を通過し、頂上に向けてのざらついた草付の斜面を上り「和山」からの道との分岐に達する(1,960m、9:53〜58)。頂上は見えないが、頂上へ200mの標識があった。ここで後続の本間さんを待つが現れないので、先へ進む。10:05に2,037m(1,950m、カシオ高度計の標高は50m近く低く出ていたことが判明)の木に囲まれた頂上に到着した。先行者が1名休んでいた。程なく4人パーティーが現れたが、登路は何れも和山からであった。
頂上は軽井沢、志賀高原方面は視界が開けていたが、その他は木に遮られ殆ど展望は利かなかった。15分後には本間さんも到着し、全員無事登頂を果たした。
朝の弁当の残りなどを食べ、休息を取り記念撮影を他のパーティーに頼んだ後に下山にかかった(10:35)、時々雲が陽を遮り、谷からは涼風が吹き上げて、汗ばんだ身体を乾かしてくれ、今夏の暑さも陰を潜め極めて快適であった。
分岐までに屋敷ルートを上がってきた女性、更に尾根筋でも女性とすれ違い、この日の屋敷ルートは我々共に6名が利用した様であった。
20分程でダケカンバの笹原、11:10に赤ーのカシラを夫々通過し11:13に尾根上で小休止(〜18、1,800m)。続く2ピッチで1,420mまで下がり、急降下前の少憩をとる(12:28〜35)。岩や木の枝、根などを掴みながら、ロープやクサリが欲しい様な滑り易い道をくだり、2ピッチで朝の堰堤の下に出て(1,030m)、携帯(ドコモだけ通じる)で秀清館に迎えの車を依頼する(13:50〜55)。そのまま工事用道路を下り、朝の降車場所に14:13に到着した。既に車が待機してくれており、旅館に戻って、温泉で汗を流した後はビールで乾杯。16:23の津南行きの最終バス(一日3本?)までユックリ寛ぎ、和山から折り返してくるバスに乗車、津南で湯沢行き急行バスに乗り換えて越後湯沢に戻った。その後19時の新幹線で車中小宴会をやりながら帰京した。(総歩数16.7千歩)

帰宅数日は大腿四頭筋に痛みが残り、急坂下降の後遺症に悩まされ、従来の懇親山行に較べると稍々ハードな行程であったが、苗場山とセットで何とか「秋山郷随一の霊山」と鈴木牧之が激賞した(?)鳥甲山に登れたことは幸いであった。
今回の計画策定、手配など頂いた三井さん、会計担当の本間さん、同行諸兄、更に斎藤夫人のお世話になったことを感謝いたします。
                     
 9月18日 7:16(撮影:竹中)
苗場山より(遠景は越後駒ケ岳〜中の岳)
9月18日 7:10(撮影:佐薙)
苗場山頂ヒュッテ前にて
(後列左から)佐薙、竹中、佐藤、本間
(前列左から)斎藤、三井、高崎
9月18日 7:44(撮影:竹中)
苗場山の木道を行く一行(前方に明日の鳥甲山)
(前から)本間、高崎、佐薙、三井、佐藤
9月18日 8:00(撮影:佐薙)
苗場山の木道休憩所にて

会   報
***


■2010年8月29〜31日 日光奥白根・男体山 本間 浩(昭和40年卒)

                      ****** 2010年9月11日投稿
参加者;本間 浩(単独行)                                
4年前、06年7月小野さんの百名山達成のお手伝いに蛭川さん、竹中さん達と尾瀬の至仏山・燧ケ岳を登った。燧ケ岳の山頂で会津駒に行く皆さんと別れ、奥白根を丸沼側から登ろうと大清水からタクシーで民宿に向かう。翌日は曇りで一面ガスがたち込め嫌な予感がした。歩き出して1時間位で雨が降り出し合羽を着た。山頂までは登山者も数パーティいて問題なさそうだが、湯本側へは登山道が多く道に迷うことが懸念され、山は逃げない、と無理せず下山した。(今回登ってみて正解だったと思った)
当初は朝一番で電車に乗り、男体山に登り志津側に降り湯元に入る予定だったが、チョット前に女峰に登った斉藤さんから雷に気をつけるようにとの脅し付きアドバイスを受け、午前中が勝負と、1泊増やして2泊3日に変えた。

●8月29日 3時前に湯元の「紫雲荘」(何でここに決めたかお分かりでしょう)に着き、スキーリフト上の登り口まで下見にいった。明朝はヘッドランプを使うのと町場は道に迷いやすいため。左側に工事用の車道があり、少し遠回りでもこれの方が歩き易そうなので明日はこの道を使うことにした。
ビール350mlに甘露薄め水割り一杯。多分翌日を考え控えめになったか。
●8月30日 4時35分に出発。町の明かりと下見のお陰でランプを使わずに登り口まで行けた(5:15)。稜線まで一本調子の登りで木の根を掴んでよじ登るところも有り、適当に汗もかきイイ山登り。早出が正解だったと思いながら朝飯(お握り2個+おかず)を頂き、またアルバイト。稜線(7:05)から先は緩やかな道で、前白根山(8:10)に到着。快晴、奥白根のデカサ、森林帯を抜けてジグザグをきる登山道、そして五色沼。写真を撮り避難小屋(8:50)へ。
森林帯を抜けるとカンカン照りの登りで、2500mとは云え汗をたらして一踏ん張りする。下山の数パーティとすれ違うが丸沼から登った連中だろうか。奥白根山頂(10:20)は羽虫?が多く、若い二人連れが入れ替わり立ち替わりで登ってくる為早々に弥陀が池に下る。この降りは落石に気をつけなきゃならない所もあり慎重に降りて、弥陀が池畔で昼食にする(11:25 〜12:15)。後は五色山(13:10)にチョット登り、長いが湯元に下るだけ。と思いながらルンルン気分で歩き出したが、先ず国境平の先の熊笹林。道は判るが、足元不明、土から始まり木の根はあるは石・岩も。木の根に足を取られよたよたと倒れこむ、笹の上故泥が付かないのが取り得。その内ざわざわと言う音、沢の音か麓は近い、と思ったが、実は雨。前日下見の時も雨が降ったがパラパラですんだため、今日もその程度と思い合羽、ザックカバーを着けるのが遅れた。道は小川になり、神経を使って下山。道が平らになってもナカナカ旅館に着かない。15時35分ようやく着いて先ずビール、びしょ濡れのため軒先でグイット。バスで中禅寺湖畔の「すぎもと館」へ。運転手によれば、バケツをひっくり返したような雨だったとのこと。この程度ですんで良かったのかもしれない。それにしても11時間、予定を2時間オーバーしていた。
この山、中高年が少なく若い人が多かった。
●8月31日 前日同様4時半頃に出ようかと思ったが、二荒山神社の開門が6時とのこと。この時間だと朝飯も用意してもらえ、車で送ってくれるとのこと。社務所でお守りとルートを詳しく教えてもらい出発(6:05)。3合目、5合目、7合目、9合目で休み,男体山頂へ(10:35)。6合から8合の間が岩坂歩き、それ以外は比較的緩やかな登り。登っている時は快晴で樹間から中禅寺湖が見え、さて頂上で写真をとおもうと、雲がわきだしとうとう撮らずじまいとなる。ゆっくり昼飯を食べ、11時35分に下りだす。道中特に何も無く
7合目と4合目で休み、14:05分社務所に下山報告。
登山口の鳥居の手前で靴やストックを洗い、階段を下りだした処、三人の善男善女が手を合わせ小生を拝んでいるではないか!これに応え小生も疲れを厭わず、背を伸ばし、口を引き締め、厳かに足を運んだ。今日は私にとって満足のいく山行であったが、彼らにとっても生き神様にお目にかかれて幸せな一日だったであろう。
今日は昨日と違い、中高年登山者だけ。しかもしゃべりっぱなしの中年女二人組、足が速いときているから余計腹が立つ。
今山行は再起トレーニングの最終版のため、細かくタイムを記録した。
その結果は次の通り。
** コースタイム 本間
*********** 奥白根 登 * 4時間30分 * 4時間45分 * 15分オーバー
3時間30分 3時間40分 10分オーバー
8時間 8時間25分 25分オーバー
休憩1時間15分、食事(2回)1時間10分、行動時間10時間50分
男体山 登 3時間30分 3時間45分 15分オーバー
2時間20分 2時間10分 10分短縮
5時間50分 5時間55分 5分オーバー
休憩1時間05分、食事1時間、行動時間8時間

1. 従来は、(実動+休憩)をコースタイム内に収めることが出来、それをベースに計画
を組んできたが、完全に破産。1年間のブランクは大きい。
2.食事に1時間は取りすぎだが、小生の腹では止むを得ないと思う。
3.早出は良い。三文の徳也。尤も旅館の朝飯か、おにぎりかは迷う処。
4.日帰り荷物で、50分10分のペースは、今の自分に合っている。
5.登り禁煙は、身についてきたようだ。問題は降り。酒は2日目過多。

▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
8月30日 8:15
前白根山頂より
奥白根山
8月30日 8:15
前白根山頂より
奥白根山と五色沼
8月30日 8;15
前白根山頂より
五色沼
会   報
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■2010年8月12〜17日 黒部源流山行 小島 和人(昭和40年卒)

     ******2010年9月17日 HUHACメールの訂正版より転載

昨年の夏、雨に祟られた東北、朝日連峰縦走の帰りの列車の中で話題になった黒部の
沢登り、意気揚々と向かったのですが、天味方せず沢は断念、しかし美しい花々に恵まれ、雷鳥も挨拶に現れました。概要をご報告します。
(1)メンバー 小島和人(昭和40年卒) 、中村雅明(昭和43年卒)、川名真理(昭和62年卒)
(2)行程
** 8月12日 新宿(22:30)−(バス※1)−
※1 さわやか信州号 東京−立山・室堂アルペンルート
8月13日 有峰口(5:45〜55)−(タクシー※2)−折立(7:10〜7:45) − 三角点(9:20〜30) − 太郎平小屋(11:45〜12:10) − 薬師沢小屋(14:20)[泊]
※2 富山地方鉄道タクシー
8月14日 薬師沢小屋(5:55) − アラスカ庭園(8:30〜40) − 祖母岳分岐(9:20) [アルプス庭園・祖母岳(9:30)往復] − 雲ノ平山荘(10:00〜11:00) − 高天原(13:35〜45) −高天原山荘(13:50)[泊]
○高天原温泉往復(往:15分、復:20分)
8月15日 高天原山荘(5:50) − 水晶池分岐※3(6:40〜55) − 岩苔乗越(9:25〜40)− 黒部源流の碑付近(10:40〜11:05) − 三俣山荘(11:50〜12:05) − 三俣峠(13:00〜15) − 双六小屋(15:00) [泊] 
※3 分岐から水晶池往復
8月16日 双六小屋(6:10) − 鏡平分岐(7:35) − 弓折岳(7:45〜50) − 鏡平分岐(8:00) − 鏡平山荘(8:35〜45) − チボ岩(10:15〜45) − ワサビ平小屋(12:35〜13:15) −新穂高温泉(14:15〜55) −(バス※4)− 平湯(15:28〜17:45) − (バス※4) −松本 (19:10)   
※4 濃飛バス
○松本駅 −(タクシー)− 相澤病院 ?(タクシー)− 東横イン(泊)
8月17日 ○スーパーあずさ4号で帰京 松本(6:51) − 八王子(8:49) − 立川(8:58)
(3)概要
●8月12日(木) 11日の出発の予定を、台風の通過を待って一日延期、12日の夜行バスで新宿京王プラザホテルの裏から出ました。私達の乗った室堂行き高速バスは20名ほどの中年?登山者で程良い混み具合。途中2時間おき位のトイレ休憩もあり、まあまあのリクライニングで3人共よく寝て富山に向かいました。
●8月13日(金) 6時前に予定通り有峰口にバスは到着。私たちともう一組の登山者がバスから降りただけで大半は室堂に向かいました。川名さん手配のタクシーが待ち構えておりスムーズに乗り換え。しかし有峰林道小見線の入口ゲイトには乗用車の長い列、全て登山者だとの事で、有峰口からの入山の人気の高さに驚きました。心配された台風による崖崩れも無く、小一時間で折立ヒュッテのある登山口に着きました。ここに100人近い登山者が準備中で、我々もおにぎりで朝食を済ませ、遅れを取らぬ様、早々に出発しました。登山者の長い列が出来たり、追い抜いたり追い抜かれたり賑やかな登りでしたが、薄日も射す曇り空、猛暑の今夏としては最高の天候に恵まれ快調な入山日となりました。最初の急登も2ピッチで三角点、後は薬師から黒部五郎に掛けての稜線を見ながら緩やかな登りの連続で気分よく折立から約4時間で太郎平小屋に到着。薬師沢への急な下りに掛かると急に登山者が減り静かな黒部の佇まいが感じられるようになりました。最初の一時間は急な岩の多い、又はしごなどが在る歩きにくい下りで、小島は生まれて初めて足が攣り、暫く休みました。薬師沢の中俣に出ると、流れに沿って心和む草木に囲まれた山道に変わり遠く水晶岳など望みながら黒部の空気を楽しんで歩くことが出来ました。花の盛りは過ぎているようでしたが、それでも、ゴゼンタチバナ、エゾシオガマなどが歓迎してくれました。川名さんと中村さんが多くの高山植物を見つけ写真に収めています。HPに掲載されますのでそちらをご覧下さい。14時過ぎには薬師沢小屋に入り、早速ビールで乾杯し「台風も行って明日からはいい天気になるだろう。」など話している内にポツリきましたが、時々薄日が差し、翌日の好天が期待されました。小屋はかなりの混雑でしたが、3人で2畳に三枚の掛け布団を利用でき、翌日の赤木沢に胸膨らませて早めに眠りに入りました。ところが夜半、屋根を打つ雨の音で目覚めました。以来ズーと雨と仲良く3日間過ごすこととなりました。
●8月14日(土) 赤木沢を諦めざるを得ず、しっかりした雨の中を雲ノ平に向かうことにしました。小屋から吊橋を渡り、取っ付きから垂直のはしごが象徴するように、非常に厳しい急登に掛かりました。雲ノ平の行程では最も悪い急坂道で、雨の日など下りでよく怪我人が出るとの事、吐き気を感じる程の雨中の2時間でした。しかし地獄の後は極楽、急坂が終わるとアラスカ庭園、立ち込める雨霧の下に広がる草原と祖母沢の清らかで豊かな流れは苦労を流し去ってくれました。そこから脇道に入ってアルプス庭園・祖母岳に遊び、小雨になった中、チングルマ・イワイチョウに囲まれて暫しの時を過ごしました。そんなゆったりした雲の中の漫歩の後、8月10日に新築なったばかりの雲ノ平小屋に入り、ラーメンに舌鼓。木の香を楽しめる小屋はトイレなど設備も素晴らしく、「来年はここをベースにして黒部の沢を歩きつくそう」等と夢が大きくなりました。又降だした中、高天原を目指しました。暗くぐちゃぐちゃの林の中の急な下り、増水して沢のようになった下り、艱難辛苦のあと高天原について物見台に上がる頃には雨も上がりました。ちょっと気になったのは高天原のお花畑が大分水晶岳側からの笹に侵されてきていることです。これも地球温暖化の影かと感じました。小屋にチェックインしてすぐに今回の山行のメインイベントになった秘湯に向かいました。テクテクと20分ほど下ると温泉沢の渓流沿いに湯船がありました。緑白色の湯は温かく他の登山者6〜7人と一緒でしたが、狭く感じない掛け流しの湯船で長いこと黒部の森を見て過ごしました。勿論男女別々の湯船で女性用はスノコで保護されていて、夢にまで見てやって来た川名さんは中村さんと私が去った後も楽しんでおられました。天候の悪い高天原山荘は比較的空いていて、一人一畳、ゆったりと休むことが出来ました。
●8月15日(日) 天候は変わらず。計画短縮を考え、目標をお花畑に絞り、岩苔小谷から岩苔乗越に出て、鷲羽岳をまいて、黒部源流に下り、三俣山荘に登って双六岳をまき、双六小屋へと向かいました。本来なら稜線から楽しめるはずの北アルプスの山々は雲に包まれ何も見えませんでしたが、雨は殆ど降らず何時も周りに花々が満ちていました。特に水晶池を過ぎて岩苔小谷に近づいて登る足元にはお花畑が広がり、ミヤマトリカブト、シナノキンバイなどが美しく、岩苔乗越の手前に大きく残る雪渓の近くは、ハクサンイチゲ、ヨツバシオガマのお花畑が広がり、さらにはクルマユリが見事な色合いを見せていました。渓谷に雪渓の多く残る脇を通る、黒部源流の鷲羽の巻き道も花々が何時も励ましてくれました。霧に包まれながらお花畑だけを楽しみに歩き続けたわけですが予期せぬ恵みはさらにありました。三俣蓮華のキャンプ場を過ぎて登りに掛かっていたところ,雷鳥を川名さんが見つけ、写真を撮るべく中村さんが近づくと、雷鳥は中村さんに近づき、暫く中村さんの足元で遊んで行きました。高校生の頃、木曽駒に登って雷鳥をよく見かけた記憶が蘇りました。今回の雷鳥は随分太っていましたが。。。
双六小屋の夜、前夜に腕を虫に刺され少し腫れた川名さんが控えるなか、中村さんと私で生ビールのジョッキを傾けました。小屋には公衆電話もあり、山が便利になっているのに感心しました。薬師沢、高天原そしてこの双六小屋、どれも清潔で食事が美味く、布団もまあまあ、値段は共通の9000円弱ですが山小屋山行も決して悪くないと実感しました。この双六でも美味しい夕食を終えて外に出て見ると星座が現れ、三日月が西の空に出、三俣から樅沢岳への稜線もくっきりと現れていました。早速、予定変更で、「明日は双六に登り黒部五郎から三俣への稜線を楽しんでから帰ろう。」ということになり荷物を準備して床に就きました。
●8月16日(月) から身で双六岳に登りアルプスの山並みを見渡しながら来年の黒部攻略を話し合うべく4時半に朝食を済ませました。しかし、しかし、好天の予想に反し双六小屋を包む霧は晴れず雨さえ混じり始めました。6時に予定を又変更、新穂高に向けて下りに掛かりました。途中期待した槍も滝谷も見えずで、寄り道もして弓折岳近辺のイワカガミ等も楽しみながらゆっくり下りに掛かりました。鏡平から2ピッチほど下った、チボ岩の近く大きな岩が続く道で、魔が差したのか、川名さんが足を滑らせ、岩と岩の間に頭から倒れこみました。急いでザックをもって起こしたところ顔面から出血があり、直ちに水で洗い流し確認したところ目の上を2センチ程切っておりました。通りか掛かった登山者の消毒薬も借りて、手持ちのオロナインを使い特別バンドエイドで口をふさぎ上から手ぬぐいで縛り30分ほど安静にした所、血も止まったようなので川名さんも自分で荷を担ぎ、手ぬぐい鉢巻でゆっくり下山しました。わさび平小屋で親切な登山者から消毒薬を借り三角巾を貰って頭部を縛り新穂高に下りました。新穂高の診療所は開いておらず、平湯にも診療所が無く平湯で旅の汗を流し、最終バスで松本に出て、救急指定病院の相澤病院で午後8時に医師の診察を受けました。結果的に、川名さんによれば、5針縫い、破傷風の予防注射もしてもらい、9時前に、大事に到らず治療は終わりました。3人で松本の東横インに泊まりました。ほんとに軽い怪我で不幸中の幸いでした。
●8月17日(火) 早朝、松本駅で蕎麦を食べ6時51分の「あずさ4号」で東京に帰りました。雨に祟られた山行でしたが、多くの花々にめぐり合い、雷鳥と遊び、秘湯・高天原温泉を楽しみ中々充実した4日間でした。今回の山行で、新聞などで報道されている「若い女性の山歩き」も実感しました。連日、若い女性が一人で、グループで、カップルで結構な荷物を背負って、私などより随分元気に歩き、山小屋でも活発に過ごしていました。華やいだ雰囲気も又楽しいものです。でも付け睫毛まで正装の女性にはビックリでしたが。。。女性が美しかったからで無く、黒部の魅力を再確認して、来年是非再挑戦をと3人で誓って帰京しました。
  
■黒部源流山行(補足) 川名 真理(昭和62年卒)
     ******2010年9月19日 HUHACメールより転載
 転倒した場所は雨で濡れていたものの、なんということもないガレ場だったのですが、左足がすべったら、ヒュンと宙を切って体が下向きになり、ゴツンと頭でとまりました。スローモーションのように転ぶのでなく、ヒュン→ゴツンと一瞬のできごとでした。倒れた場所が一段低くなっており、不思議なことに体のどこにもふれずに、頭だけでとまったのでした。
 左眉の上が切れましたが、意識ははっきりし、痛みもほとんどありません。小島さんが傷を水で洗い、手ぬぐいですぐ止血してくださいました。さらに登山者の方がマキロン消毒後、大きな絆創膏を貼ってくださいました。
 30分ほど休憩したのち、ゆっくり自力で下山できました。途中、わさび平小屋で別な登山者の方に再度、マキロン消毒後、新しい絆創膏と三角巾をあてがっていただきました。
 新穂高温泉〜平湯〜松本とバスを乗り継ぎ、事故から9時間後に松本の救急病院に到着。病院では「傷が深いので縫い合わせるのはできるだけ早いほうがよい、すでに時間がたっている」と言われました。深部は溶ける糸で縫い合わせ、表面は5針。東京の病院で抜糸するため、紹介状を書いていただき、念のために破傷風の予防注射も打ってもらいました(3回で「完全免疫」がつき、10年間有効。怪我しやすい人や土いじりをする人はおすすめとのこと)。薬 は痛み止めと抗生物質の処方を受けました。同行の小島、中村(雅)両先輩には松本一泊までおつきあいいただき、頭が上がりません。すみやかな消毒と止血、縫い合わせが大切だと、身をもって理解しました。荷は軽く、体調もよく、歩きやすい道だったため、調子に乗りすぎていたのかもしれません。痛み止めのお世話になることもなく、一週間後に無事、抜糸。これですんだことは不幸中の幸いです。これからは「高齢者の転倒事故が増えている」という記事を他人事として読めなくなりました。
        
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 8月14日 14:51(撮影:川名)
高天原温泉をバックにして
(左より中村、小島)
8月14日 16:05(撮影:川名)
高天原山荘前の
テラスにて
(左より小島、中村、川名)
8月15日 9:04(撮影:中村)
岩苔乗越手前の
お花畑にて
(左より川名、小島)
8月15日 12:43(撮影:中村)
丸々と太った雷鳥
(三俣峠への登り道脇にて)
8月15日 14:05(撮影:小島)
三俣峠〜双六小屋間の
巻き道にて
(左より中村、川名)
8月15日 14:38(撮影:中村)
双六小屋へ向かっての登り
(前より川名、小島)
会   報
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■2010年7月24日 女峰山 齋藤 正(昭和42年卒)

       *********** 2010年8月12日投稿

●2010年10月24日(土)霧降高原ルートから女峰山に登り、同日二荒山神社に下山しました。母の介護と農作業と天気、そして持病を見計らって一点突破の山行となるのでついつい単独行となる。今回は前々から目をつけていた女峰山に登る事とした。その雄大な山容は、女王が男体山、小・大真名子山・赤薙山や太郎山などを恰も傅かせているようで、単にたおやかというのではなく威厳も感じられ、この山群で最初の火山と言うのも何となく納得させられるものがある。
志津の林道から短時間で行くルートもあるが、物足りない。霧降からは長い登りとなるが、雲竜渓谷側の大崩壊壁を見ながら赤薙山を越える変化に満ちたルートは魅力がある。唐沢の避難小屋に一泊すればそんなにきつくは無いとの判断だ。
霧降第三リフト駐車場からトンネルをくぐってすぐキスゲ平への登路。(参考:今回私は使っていないが、市営リフトは八月で営業そのものを終わるという。)一汗掻いてキスゲ平。赤薙がぐんと迫る。お馴染のコメツツジの残り花を楽しみながら歩けば意外に頂上は近い。深い雲竜渓谷がガスの中から見え隠れする。頂上の神社は質素ながら趣深い。そこから赤薙神社奥社跡までは気持ちよい山稜。まだ咲き残るシャクナゲを分けつつ小さな岩峰をいくつか越えていくと見晴らしの良い岩峰にでる。ここが独標で、このあたりから先の長い稜線を一里ヶ曽根という。左側はスッパリと切れ落ちて雲竜渓谷の赤く荒々しい壁の奥に女峰山の頂上らしきものが見えるが、この頃は少し疲れも出てきて、頂上まで結構長くきつい。上り始めて五時間半で頂上。悪いペースではない。この頃視界悪く、隣の帝釈山は見えても、太郎山も、真名子山も見えない。
避難小屋へは急なガレを下って約30分。しっかりした良い小屋であり、清潔。地元の人が定期的に登って保守するという。先客はなんとたった二人。もう少し時間が下れば増えるであろう。迷ったが時間が早いので、暫く休んで、日帰りを決意。遥拝石あたりで、恐れていた雷がやってきた。ゆっくり谷を見る余裕も無く、転がるように降りる。長い!!やがて雷鳴とともに雨。だが幸いにもそう近くではない。途中の森林帯は、熊笹に覆われた殺生禁止の神社領域で、よく見れば木には熊のひっかき傷もある。アブもうるさい。ろくに休まずひたすら歩き、行者堂経由大猷院脇に下山。ハングルと中国語の喧騒が出迎えてくれた。
今回の上り方が良いとは思えない。本来もっとゆっくり楽しむべき山であろう。

● コースタイム
(天気:朝方晴れ、やがて曇り、午後より雷雨。ザック18キロ・・・水4リットル含む)
5:35霧降第三リフト駐車場−6:22キスゲ平−7:43赤薙山−8:46奥社跡−9:42一里ヶ曽根−11:15女峰山11:45発−12:15唐沢避難小屋12:30発−13:15遥拝石−13:57白樺金剛−15:02殺生禁断碑−15:35大猷院に下山。  
山頂、避難小屋の休憩のほかに、途中30分程度の小休憩を含む。迷いそうな分岐等は無い。

注1.近くに大笹牧場などあり、やたらアブが多い。黄色くてでっかく、しつこい。
注2.赤薙をすぎてから意外にドコモの携帯通話が効かない。(日光市内、東京への。)
注3.霧降ルートは、天候や体の異変で途中から引き返すなら独標より手前で決めたほうが良
さそう。
注4.出合った人数:14人(霧降から4人)
注5.日光は雷の名所。コース設計上のキーファクター。遥拝石とそれを過ぎてからのガレ場
あたりは隠れ場無し。
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7月24日
キスゲ平より
赤薙山を臨む
7月24日
ハクサンオミナエシ
赤薙山頂付近
7月24日
ハクサンシャクナゲ?
一里ケ曽根
7月24日
ミヤマシャジン
赤薙山への登路
7月24日
赤薙山神社
7月24日
遥拝石より赤薙山、
一里ケ曽根を臨む

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会   報
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■2010年7月17〜20日 南アルプス悪沢岳登頂 三井 博(昭和37年卒)
*********** 2010年7月29日のHUHACメールより転載
南アルプスの悪沢岳は標高3141mの日本第6位の高峰である。私は当初椹島〜赤石岳〜荒川三山〜椹島の毎日新聞旅行のツアーに申し込んでいたが、日程その他の事情により、単独で椹島〜悪沢岳のピストン登山に変更した。
●7月17日(土)
椹島宿泊。森林伐採やダム工事の旧作業者の部屋を改装した5〜6棟の建物があり、食事も旨く風呂もあり快適であった。
●7月18日(日)
朝早く出発するのが常識であるが、今日は千枚小屋までなので、レストハウスでモーニングセットを食し、弁当を持って7時に出発する。明石小屋方面の登山路を見送り、清見橋の手前を梯子を使って下り、4本の吊り橋を渡る。本日は快晴であるが、連日の降雨でどの沢も幅いっぱいに滔々と水が流れ、恐怖感さえ覚える。最初に小山を乗り越すところがあるが、岩場の連続であり、赤いペンキを頼りに慎重に上下する。まもなく急坂を上ると林道を横切る。広い尾根道を木や岩に付けられたペンキやテープをたどっていくと、又林道を横切り細い山道を延々と登っていく。高度があがらず時間のかかること夥しい。巨大な樹木が行く手を覆い、展望
は全くない退屈な尾根である。やっと11時30分に清水平という水場につき昼食をとっていると、上方から若い単独者がすっ飛んできて、林道の横切り箇所はあとどのくらいかと聞いてきた。まだ大分あるよと答えると、どうしても椹島14時発の最終バスに乗らなければならないと言って下っていった。
 その後、やや急になった樹林帯の登山道をわき目も振らず登っていく。草原状の蕨段、悪沢岳が見える見晴台、じめじめした駒鳥池を経て、千枚小屋に15時に着いた。やれやれ8時間もかかってしまった。
  
*** 標高** 千枚小屋 **2610 m
*** 椹島ロッジ 1123 m
*** 登り標高差 1487 m
 
●7月19日(月)
千枚小屋の宿泊者は、荒川三山、赤石岳に登り、赤石小屋まで歩く人が多い。したがって午前3時ころからごそごそ動き出し、午前4時の朝食は小屋番の指示に従って椅子に座り、食べ
始める。食事の内容はなかなかおいしい。ご飯・味噌汁のお変わりをする人が多い。さっさと食事を済ませ、歯を磨き、4つのトイレの前に並ぶ。トイレは各人工夫して前夜や朝早く処理するので、意外と混んでいない。雲海に浮かぶ朝焼けの富士山をカメラに収めてから、4時50分に出発した。ヘッドランプは不要であった。急だが歩きやすい山道を登り、約1時間で千枚岳(2880m)についた。風が強い。 千枚岳まで登ると、南アルプス南部の山々が眺められ、目の前に赤石岳の大きな山容が迫力をもって迫ってくる。これから登る丸山、悪沢岳も立派だ。反対側には笊ヶ岳の双耳峰が見事だ。しかし、千枚岳は通過地点なので、早々にして丸山に向かう。千枚岳から丸山の間は急峻な岩場が連続している。鎖もロープもないが、岩に付けら
れた赤いペンキにしたがって、三点確保で後ろ向きに降りる。降りると狭い山稜になり、しばらくすると又岩場が現れる。このようにして5か所の岩場を下降すると、丸山との鞍部となり、膨大な砂山のような丸山を登っていく。丸山(3032m)着 7時。強風が何故か北から吹いてきてTシャツとカッターシャツでは寒いので、雨具を着る。これで落ち着いて行動食のパンを食す。 悪沢岳の登りは、大きな岩の間を登るところが多く、見かけほど大したことはなかった。8時悪沢岳(3141m)登頂。標識は荒川東岳となっていた。ここで20分ほど滞在して、千枚小屋に戻った。丸山から千枚岳への岩場は今度は登りになるが、慎重に処理し千枚小
屋に10時半に着いた。往復5時間40分のピストン登山であった。千枚小屋の管理人から椹島に降りるのならば、午前中にスタートしなければ駄目だよと言われていたので、一息ついて11時から下降を始める。問題なく下れるはずであったが、悪沢岳を登頂したことで、やはり気が緩んでいたのだろう。なかなかピッチがあがらない。あと1時間半との表示を見たのち、道に迷い、赤いペンキ、テープを探してうろうろしてしまった。やっと時間をかけて林道を横切り、
急斜面を降りて吊橋を渡り、小さな岩山を超すところまできたが、昨日はすいすい越した小山がなかなか厳しく、やや暗くなってきたこともあり、赤いペンキを探しながら、必死になって道をたどった。やっと川沿いの歩道を歩いていると、前方にドサッという音がして二人連れの登山者が道でないところを下りてきた。やれ安心との気持ちで吊橋のところまで来ると、私に先に行ってくれと言う。4つの吊橋を渡り、椹島に帰着した。帰着時間は18時で、トータル
13時間もかかってしまった。
*** 標高** 悪沢岳 **3141m **悪沢岳 **3141 m
*** 千枚小屋 2610m **椹島ロッジ 1123 m
*** 登り標高差 531m **下り標高差 2018 m
 
●7月20日(火)
椹島〜帰京


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7月18日 15:00
千枚小屋前の
お花場の
シナノキンバイ
7月19日 4:50
千枚小屋から
見た富士山
7月19日 5:50
千枚岳頂上
7月19日 7:00
丸山頂上
7月19日 8:00
悪沢岳
(荒川東岳)
頂上


会   報
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■2010年7月8〜14日 大雪連峰縦走(黒岳〜トムラウシ山) 中村 雅明(昭和43年卒)

*********** 2010年8月5日のHUHACメールより転載(一部加筆)
メンバー;中村 雅明、中村 航(長男)
行程
7月8日 羽田(7:25)−旭川空港(9:10〜25)−旭川(10:02〜10:45)−層雲峡(12:38〜14:30)−黒岳7合目(14:30〜45)−黒岳(15:55〜16:05)−黒岳石室(16:40)。
7月9日 黒岳石室(4:55)−北海岳(6:40〜6:55)−白雲分岐(8:00〜10)−白雲岳(8:40〜9:15)−白雲分岐(10:00)−白雲避難小屋(10:22)
●白雲避難小屋(11:35)−稜線分岐(11:55〜12:00)−緑岳(12:10〜22)−稜線分岐(12:32)−小泉岳(13:12〜15)−小泉分岐(13:18〜22)−白雲分岐(13:32)−白雲避難小屋(14:00)
7月10日 白雲避難小屋(4:55)−高根ケ原分岐(6:12)−忠別沼(8:39)−忠別岳(9:40〜10:00)−忠別岳避難小屋分岐(1050)−忠別岳避難小屋(11:10)
7月11日 忠別岳避難小屋(5:30)−五色岳(6:30〜40)−化雲平分岐(7:56〜8:05)−化雲岳(8:25〜45)−ヒサゴ沼分岐(10:00)−ヒサゴ沼避難小屋(10:35)
7月12日 停滞
7月13日 ヒサゴ沼避難小屋(4:20)−雪渓上(5:05〜15)−ロックガーデン(5:49〜55)−北沼(7:00〜10)−トムラウシ山(7:35〜55)−南沼(8:13〜40)−前トム平(9:50〜53)−カムイ天上分岐(12:20〜32)−温泉平分岐(13:15)−トムラウシ登山口(14:25)−東大雪荘(14:30)
7月14日 東大雪荘(7:45)−新得駅(8:40〜9:07)−帯広(9:47〜13:45)−とかち帯広空港(14:28〜15:25)−羽田(17:00)

北の山、大雪、トムラウシ、何てロマンを感ずる言葉だろう。遥かなるトムラウシを目指して、花また花の大雪連峰を縦走するのは長年の夢(憧れ)でした。昨年の4月にもう一つの夢であった屋久島・宮之浦岳の登頂を果たし、帰りがけにいよいよ大雪連峰の縦走をしようと息子と話が纏まりました。7月中旬の予定で準備を始めましたが、息子の仕事の調整がつかず、1年延期することにしました。ところが、昨年7月16日にトムラウシ山で8名が死亡する山岳史上に残る大遭難が発生しました。今回の山行は、その遭難に関する新聞・雑誌記事を精読し、そこから得た教訓を生かすべく諸準備(行動・装備計画等)を1年がかりで進めました。

(その1) 長丁場(8時間半)・難コースのトムラウシ山を越える日は予備日を設定し、悪天日の行動を避ける。
(その2) ヒサゴ沼避難小屋までの行程もゆったりとしたものとする。その為に、通常1日コースである白雲避難小屋からヒサゴ沼避難小屋までを2日行程とし、忠別岳避難小屋で泊まる。これによって雨天に行動してもあまり濡れることなく宿泊小屋に着けることは勿論、混むことが心配される各避難小屋に早く到着し、寝場所を確保できること、途中で遭遇するお花畑で心ゆくまで花を眺める余裕が生まれます。
(その3) 強雨・低温対策として、高機能雨具、吸汗速乾素材のアンダーウエア、インナーザック、インナーダウン、カイロを用意する。
(その4) 的確に気象判断するために、山ラジオ(SONY製)、携帯電話の予備電池パックを持参する。
(その5) 非常事態に備えて2人用ツェルトを持参する。
今回の山行の相棒は、長男(38歳)です。山登りに関しては学生時代には無縁でしたが2006年に日本アウトドア・バウンド協会長野校の「冒険教育指導者育成コース(68泊69日)」を受講し、山登りの本格的な訓練を受けています。体力面の心配もなく、心強い相棒と言えます。さらに良いのは「超晴れ男」で、一緒に旅行すると悪天予報でも必ず好天に恵まれます。その強運を信じて、梅雨明け前の不順な天気が続く東京を後にしました。

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7月9日 6:36
北海岳山頂を
目指して
* ●7月8日(木) 曇り後小雨(一時晴れ間) [縦走1日目]
旭川行JAL第2便(7:25)で羽田を出発、9:10に旭川着。1階到着ロビー総合案内でガスカートリッジ3個を購入し、直ちにリムジンバスで旭川駅に向かいました。
旭川駅で層雲峡行のバスに乗り継ぎ(45分待)、12:35に層雲峡に到着しましたが、途中で降り始めた大粒の雨が止みません。バス待合所で昼食を済ませ、雨具、スパッツ、ザックカバーの完全武装でロープウエイ駅に向かいました。ところがロープウエイ駅に着いてびっくり。雷の為、一時運休中でした。このまま動かなかったらいきなりの計画変更で麓で一泊し、早くも予備日を使ってしまうと危惧しました。幸い14:00に運行が再開されホットしました。リフトを乗り継ぎ黒岳7合目に着いた時(14:30)は殆ど雨が上りました。ここでシマリスの出迎えを受けにっこり。荷物を整理して黒岳に向かって歩き始めました。
丸5日分の食糧の重さがこたえます。すぐに晴れ間が広がりました。時折、黒岳から下山してくる登山者に会いました。八合目、九合目と登るにつれて登山道の両脇にウコンウツギ、チシマノキンバイソウ、カラマツソウ、オオカサモチ、トカチフウロ、ハクサンチドリの群落が次々に現れます。早くも大雪の高山植物に出会えて歓声を上げ写真を撮りまくりました。黒岳山頂に到着する頃(15:55)はガスが広がり残念ながら眺望がありません。冷たい風も吹いてきたのでエゾツツジ、イワブクロの写真を撮ってすぐに石室に向かいました。石室の近くもエゾコザクラ、チングルマの群落が見事です。石室に16:30に到着しました。受付で「雨の中を良く来ましたね」と労いの言葉を受け、黒岳周辺はかなり激しい雷雨に見舞われたことを知りました。1人当たり1枚のゴザと毛布を借りて、二段になっている寝床の上段に二人分の場所を確保しました。石室はそれほど混雑していませんでした。外はまだ薄明るいのですが、窓がない小屋の中は暗く、ヘッドランプの灯りを頼りに夕食の準備にかかりました。水は入り口近くに設置してあるポリタンクの雪渓を溶かした水を使用します。炊事は入り口の近くの炊事棚でやる決まりですが、遅れて小屋に着いたため、スペースがなく、片隅の土間でやるのが不便でした。本日の献立はパックご飯とレトルトカレーが主食で、にゅうめんが副食、キュウリ、レタス、トマトの野菜もついてかなり御馳走です。山に来てまで野菜が食べられると息子が喜びました。尤も、野菜は明日までです。石室は窓が無く薄暗く快適とは言えませんが、程無く電灯がつき居住性が良くなりました。食事を終え、別棟のトイレに行くと少し雨が降っています。トイレは今まで見たことがない立派なもので、使用後は自転車漕ぎをしてオガクズを混ぜるバイオトイレです。宿泊代の2000円はこの設備負担のためかと納得しました。2階のためか石室の割に寒くなく、毛布はエアマットの代わりに下に敷き、18:30に就寝。天気予報では明日は好天が見込まれるのでそれに期待して寝つきました。
●7月9日(金) 晴れ後曇り [縦走2日目]
4:55黒岳石室を出発。ガスっていますが、直ぐに晴れてくる気配に心弾みます。石室から這松帯を下って間もなくチングルマ、エゾツガザクラの群落が見事な自然庭園を通過しました。その先の大きな雪渓を登りにかかる頃から次第に青空が広がってきました。雪が朝日に輝き青空とのコントラストが何とも言えない美しさです。写真を摂りながらゆっくり登りました。雪渓の一部が切れて赤石川が滔々と流れている脇を通過しました。「山の上にこんな流れがある!」と感嘆しました。大雪山のアイヌ名(ヌタクカムウシュペ=川がめぐる上にそびえる山)を実感する景色でした。北海沢に沿った尾根を登り始めるとチングルマ、エゾノツガザクラ、イワブクロの群落が次々に現れました。特におおきな塊になって咲いているイワブクロの見事な群落に目を見張りました。ザラザラした斜面を登って6:40北海岳着。旭岳はまだガスの中ですが、間宮岳から歩いてくる5〜6人のパーティが見えました。
御鉢平越しに北鎮岳、凌雲岳、桂月岳の連なりが望めます。頂上付近で大雪山だけに見られるキバナシオガマを見つけました。北海岳から白雲分岐へ向かう途中の草原で小憩。ここも高山植物が咲き乱れる本当に気持ち良い所でした。チングルマ、エゾノハクサンイチゲ、エゾノツガザクラ、ハクサンチドリが一面に咲き競って色取り鮮やかです。白雲分岐で大休止。この頃にはガスがすっかり晴れ、眺望この上なし。
ここにザックを置いて白雲岳を往復することを考えましたが、熊に食糧を狙われるのを心配して重いザッを背負ったままで白雲岳に向かいました。頂上近くの白雲平と呼ばれている火口原脇のチングルマ、エゾノツガザクラの群落が見事でした。頂上直下は大きな岩が積み重なり重荷では息を切らしました。8:00白雲岳山頂着。白雲岳からの眺望は360度の大パノラマです。旭岳から北鎮岳、黒岳、さらにこれから縦走で歩いていく高根ケ原、忠別岳までが遠望されます。残念ながらトムラウシ山はガスの中です。旭岳から北海岳にかけての残雪模様は見飽きることがありません。高根ケ原の緑の雄大な拡がりにも圧倒されました。風も心地よく35分山頂で存分に景色を楽しみました。
帰りがけに白雲平の向かい側に林立する岩石群に立ち寄りました。そこに行く途中でハハコヨモギ、コマクサの群落を写真に撮りました。この岩越しに白雲避難小屋が見えました。
白雲分岐に戻り、20分下って10:22白雲避難小屋に到着。収容人員60名の木造2階建ての立派な小屋です。小屋番は外で仕事中なので、勝手に上り込み2階の窓際に陣取りました。
荷物整理、昼食を済ませ、小屋の下の雪渓を渡って板垣新道経由で小泉岳と緑岳の稜線の分岐へ上りました。この登りでピンクのエゾツツジの群落を楽しみました。小屋に縦走の荷物の入ったザックを置いて出たので足取り軽快です。12:10緑岳山頂着。大雪高原温泉から登ってきた女性二人が休んでいました。残念ながらガスが湧きだし眺望は得られません。
先ほどの分岐まで戻り、今度は小泉岳に向かってゆるやかな斜面の中を登っていきます。この斜面のお花畑は高山植物の宝庫でした。ホソバツメクサ、チシマキンレイカ、エジツツジ、コマクサ、マルバシマツケ、シロバナミヤマアズマギク、ホソバウルップソウ、メアカンキンバイが次々に現れ、その種類の多さと彩りの美しさに驚き感激しました。メインの縦走路から外れているので小泉岳に寄らない人が多いと思いますが、ここを薦めてくれた小野先輩に感謝しました。小泉岳はピークというより、広い台地でどこが頂上かケルンがないと判りません。広々とした中に山頂を示す道標がポツンと立っているのはとても幻想的な光景でした。息子は「こんな山があるのだ」と感心しきりです。小泉岳から白雲分岐に出て、先ほど歩いた道を下って14:00に白雲避難小屋に戻りました。
夕方になるにつれて少しずつ宿泊者が増えて、2階に7人、1階にツアーパーティ10人と小さな小屋が賑やかになりました。それでもまだ余裕ありました。夕方から小雨。明日は好天が望めそうにない模様です。17:00夕食。19:00就寝。
●7月10日(土) 曇り時々小雨  [縦走3日目]
今日は忠別沼避難小屋までの楽な行程です。3時起床。4:55白雲避難小屋発。小雨が降りやまずガスって眺望はありません。小屋から直ぐの大きな雪渓脇を下った後、少し登って高根ケ原に出ました。高根ケ原は標高1700m台の溶岩台地で殆ど登り下りのない平坦な道が続きます。高根ケ原は花の名所です。火山性の平たい石の散らばる地面のあちこちに。
高山植物の見事な群落が見られます。場所によっては、エゾツツジ、チシマキンレイカ、ホソバウルップソウが寄せ植えのように入り混じって咲き競い、ピンク、黄、薄紫の色の取り合わせが美しく目を楽しませてくれます。また、エゾハハコヨモギだけが一面に咲いている所もあります。高根ケ原分岐を過ぎると道の両側の地面一杯にコマクサの群落が現れ、一輪ずつの可憐な姿とその群落のスケールに圧倒されました。写真を撮りながらの贅沢な道草道中です。後から出発した3人パーティ、10人パーティに追い越されますが今日は忠別岳を越えるだけの行程なので気になりません。しばらくすると稜線の左側が切り立った崖になり、雪渓の下に高原沼などいくつかの沼が見えてきました。沼の周りの道は熊が出没するので通行禁止となっています。平ケ岳のピークを左に捲いて、幾つものお花畑を通過して行きます。エゾツツジのお花畑でシマリスを見つけました。リフト終点で見て以来2度目の対面です。やがて緩やかな下りになり、8:40忠別沼に出ました。沼の周辺に一面キバナシャクナゲが咲いていました。ガスが晴れるのを待って写真を撮り、忠別岳の登りにかかりました。この登りでもイワブクロの群落を見ました。思ったほど苦労せずに9:40忠別岳に着きました。山頂の片側は大きく削られて切り立った崖になっています。先行の10人ツアーパーティが休んでいました。運よくトムラウシ方面のガスが晴れ、遠く高く聳えているトムラウシ山を見ることが出来ました。ほんの一瞬だけですぐ姿を隠しました。好運な初見参に感謝しました。雨が少し強くなってきたので下りにかかりました。下り始めの登山道の両脇の広い斜面は、チングルマの花が満開のお花畑です。それを過ぎると這松帯に入りましたが、背丈を越す這松は枝払いをしていないので雨具がびしょびしょになりました。それもかなり長い下りです。「逆コースを縦走してここを登るのはイヤだね」と意見一致。50分下って10:50忠別岳避難小屋分岐に着きました。先行2パーティが休んでいる所を通り抜け、避難小屋に向かいました。分岐から下ること20分。雪渓を斜めにトラバースした先に三角屋根で二階建ての忠別岳避難小屋がありました(11:10)。まだ早い時刻なの誰もいません。1階は暗く湿っぽいので今日も2階に陣取りました。なかなか快適です。今日の同宿者が少ないことを予想して、シュラフ、マット等寝るのに必要なもののみ2階に上げました。昼食の後、夕飯の準備まではたっぷり時間があるので、シュラフに寝転んで記録整理などでのんびり過ごしました。3時過ぎに単独行者が二人到着しました。
二人とも沼ノ原から登って来たそうです。二人とも大雪に足繁く通っているとのことで、トムラウシまでのコースについていろいろ教えてもらいました。特に東京から来た人は毎年大雪に通い今年が13回目で、「大雪に来たら他の山に登る気がしない」との言葉にうなずきました。この日も夕食を早く済まし、18:30就寝。
●7月11日(日) 霧雨  [縦走4日目]
3:45起床。5:30忠別岳避難小屋を出発。雨が上がっていますが、ガスがかかり眺望がききません。五色岳までは這松帯なので、朝露に濡れる恐れから今日も完全雨具支度です。
雪渓を登り、這松とササの茂る林を抜けて稜線に戻りました。五色岳の登りの這松帯は、枝払いが良くあまり濡れずに済みました。ゆるやかに登って6:30五色岳山頂。五色岳から1P目の休憩で携帯電話の電波をキャッチしました。Yahooの天気予報で上川町の天気は12日は気圧の谷が通過するので雨(午前中は強風雨)、13日は好天と知り、明日は停滞、13日に下山の方針を固めました。化雲平手前の大きな雪渓をトラバースし、化雲平の木道を進むとホソバウルップソウの群落が見事です。それに目を奪われながら歩を進めるとガスの中に池塘群が現われました。池塘の中に点在する石の配置の妙と池塘の周りに咲き競うチングルマの美しさに息を飲みました。それも一つだけでなく、大小四つ五つ配置されています。ガスが晴れるのをじっくり待って写真を摂りました。化雲岳に登る登山道の両脇にも素晴らしいお花畑が広がっていました。見渡す限りの斜面一面がチングルマの白い花で埋められています。8:25化雲岳山頂。まさに山頂に「化雲岩」という大きな岩塔があり、上に登る踏み跡がありましたが、少し危険と考えて登るのを控えました。帰宅してから深田久弥の「日本百名山」を読み直したら、「その狭い頂きへ攀じ登っておしゃべりの一刻を過ごした。」とあり、登るべきだったと思いましたが後の祭りです。この頃から化雲岳近くのガスが切れ始め、上空に青空が広がってきました。トムラウシ方面のガスが晴れるのを暫く待ちましたが、晴れそうにないのであきらめてヒサゴ沼に向かいました。化雲岳から下り始めてすぐに「神遊びの庭=カムイミンタラ」に着きました。ここもチングルマの群落が見渡す限りに広がっています。まさに天上の花園の様な景色に心を奪われます。ヒサゴ沼分岐に降りて行く途中でサァーとガスが晴れて眼前にトムラウシ山に続く稜線が見えてきました。日本庭園、ロックガーデン、北沼に登る登山道が良くみえます。いよいよトムラウシに近づいてきた実感が湧きました。残念ながらトムラウシ山の頂上近くのガスは晴れません。でもその為にトムラウシ山の両方の山腹がそのまませり上がり頂上が遥か高いところにあると錯覚し荘厳な気持ちになりました。息子は「この山行はロード・オブ・ザ・リング」の様で、目的地である北海道第2の高さのトムラウシ山にリングを納めに行くようだ」と感想を漏らします。私もそれにうなずき、腰をおろして飽かず眺めました。
頂上のガスが晴れるのを待ちましたが、晴れそうにないのでヒサゴ沼に向かいました。ヒサゴ沼分岐から10分ほど岩礫地帯を歩くと、沢に広がる大きな雪渓の向こうにヒサゴ沼が見えてきました。北欧かカナダか・・・と日本離れした光景に唸りました。沼に下る雪渓の上は夏の暑い陽差しが照り返し半袖でも暑いくらいです。勿論、軽アイゼンを使う必要がありません。10:35ヒサゴ沼避難小屋着。小屋には誰もいません。滞在者は出払っている様です。2階の冬の出入口の近くに陣取りました。木製のドアを開けるとヒサゴ沼が良く見える絶好の場所です。ドアの近くに濡れ物を広げ乾かしました。昼食の後、小屋近くの沼に雪解け水が流れ込む水場に行きました。ここ数日間、ティッシュで拭き取るだけだった食器を洗い、身体もタオルで拭いてさっぱりしました。小屋に早く着いてこの様にのんびり過ごすのは良いものです。3時過ぎから宿泊者が増えてきました。4時過ぎには10人ツアーパーティが到着し、1階に陣取りました。2階の同宿者は8名でゆったりです。夕方からガスり、夜半から雨になりました。明日は恐らく停滞です。18:30就寝。
●7月12日(月) 雨後夜半より晴れ  [縦走5日目]
4:45起床。朝から低気圧の接近のため風雨が強く、昨日決めた通り休養日とすることにしました。他パーティも殆ど停滞ですが、天人峡へ下る5人パーティのみ強い雨の中を出発しました。ゆっくり朝食を済ますと暫しまどろみます。余り寝てしまうと夜眠れなくなるので、昨年の遭難に関する資料を精読しました。それが済むと、恰好な暇潰しを見つけました。重いのを覚悟で持参した『北海道の高山植物』と首っ引きで昨日まで撮った花の名前を調べました。図鑑で花が見つかると紙の小片を挟みます。小片はかなりの数になりました。あと一つの暇潰しは、食糧の整理と来年の縦走食糧計画です。山行前に作成して持参した献立表を実際食べたもので修正し、評価を○△×で付けました。今回の食糧は軽量化・コンパクト化があまり考慮されていません。副食扱いで持参したにゅうめん、みそ煮込みうどんなど「岳食」が◎で、家庭用のごはんパックは×です。重くかさばるのとお湯で温めるのに時間がかかるのが難点です。次回からフリーズドドライ食品主体にして軽量&コンパクト化を図ることで改善案が一致しました。夕方5時近くに大阪の5人パーティが、6時過ぎに道内の消防士3人パーティが到着し、小屋はほぼ満員になりました。新しいメンバーの様子を眺めていると気が紛れます。夕方には雨が上り、うっすらと日が差し、
明日の好天が見込まれ嬉しくなりました。17:30就寝。
●7月13日(火) 快晴  [縦走6日目]
今日はいよいよトムラウシ山を越える日です。前日は停滞日で動いていないのと、気持ちの高ぶりで1時半頃に目覚めてその後寝付かれません。2:30起床。皆が寝静まっているので物音を立てない様に食事の準備をしました。すぐに湯を沸かしてパックのご飯を温め、さらにそのお湯でみそ汁とカルビ丼の素を湯戻しして朝食の出来上がり。3時過ぎには食べ終えて、パッキングしました。その頃には小屋の内部も明るくなり他のパーティも起き始めました。4:20に他のパーティに先駆けて出発。1点の雲のない快晴。風は強いですが、これ以上ない天気に心弾みます。荷物もぐーんと軽くなりました。これぞ縦走の楽しみです。ヒサゴのコルに登る雪渓は早朝故、凍っていて危険なので軽アイゼンを付けて登りました。コルからの急登をしのぐと道はなだらかになり景色を眺めながら気持ち良く歩きました。ほどなく日本庭園に着きました。石を絶妙に配置した池塘の周りにチングルマが咲き競い、正に神様が作った庭園の趣です。何度も立ち留まり写真を摂りました。その先は巨岩がゴロゴロするロックガーデンです。岩の上に足をバランス良く置き慎重に進みます。
岩稜歩きの初心者にはつらい箇所です。昨年の遭難パーティはここで転倒する人がいました。強風雨の悪天では確かに難儀する箇所だねと息子と意見一致。
ロックガーデンを越えると北沼への急登が待っていました。息を切らしてそれを登ると北沼が眼下に広がります。北沼は想像した以上に大きな沼、と言うより山上の湖で雪渓が周りにあって青い空とのコントラストがなんとも言えず美しく、心地よい風に吹かれて休みました。昨年の遭難の時はこの沼の水が溢れ出し、30cm以上の渡渉を強いられ、ここで4人も死亡しました。今日は水面も静かでそんな悲劇が起った沼とは思えません。いよいよ最後の難関トムラウシ山の登りにかかりました。頂上近くになると傾斜が急になり岩の間を息を切らして登りますが、岩陰に咲くエゾノツガザクラの見事な群落に慰められます。北沼から登ること25分でトムラウシ山(2141m)の頂上に着きました(7:35)。念願の頂上に感激ひとしおです。息子と二人でガッチリ握手。息子も嬉しそうです。頂上には短縮ルートから登って来た1番乗りの単独行者がいるだけで、静かな頂上からの景観を存分に楽しみ、写真を撮りました。360度の大展望。遠くの山もクッキリ見えます。十勝連峰、ひときわ十勝岳の秀麗な姿が目を惹きます。トムラウシ山からオプタテシケ山に続く緑溢れるゆるやかな稜線も歩いてみたい気を起こします。北に目を転ずると自分達の足跡を残してきた黒岳、白雲岳、忠別岳、五色岳、化雲岳が延々と連なります。五色岳から沼ノ原に降りる長大なだらかな尾根にも心惹かれました。西方には石狩岳、二ペソツ山も望めます。
20分ほど展望を楽しみトムラウシ温泉への下りにかかりました。途中、短縮コースからトムラシシ山を目指す登山者に多数出会いました。殆どが日帰り往復者ですが、中に大きなザックを背負った縦走者もいます。トムラウシ山を越えて縦走する人に敬服しました。岩がゴロゴロする急な下りを過ぎると南沼に着きました。ここは草原の中を雪渓から流れ出る清冽な水が流れ、高山植物が咲き乱れる山上の楽園です。水際の石に腰をかけ、昼食を摂るのは気持ち良いものでした。さらに下り、岩と水と雪渓そして林立する奇岩のトムラウシ公園でも高山植物を楽しみ、前トム平で小憩しました。ここで見事なチシマギキョウの群落を見つけ感激しました。コマドリ沢の長い雪渓を下り終え、尾根へ登る頃から暑くなりました。カムイ天上までの長いササの切り払いの尾根道は雨上がりの為かドロンコで苦しめられました。温泉コース分岐からは道も良くなり、疲れにめげずひたすら歩いて14:25にトムラウシ登山口へ下山。5泊6日の縦走を無事終了しました。東大雪荘はすぐ近くで、大きな露天風呂が二つある良い温泉でした。部屋は個室が満室の為、登山者用の大広間の男女相部屋(1泊2食7500円)です。各自の布団に陣取りました。それでも避難小屋に5泊してきたので天国です。同宿者は殆どが翌朝3時にトムラウシ山に出発する人で、こちらが翌朝目を覚ました時は、布団が殆どたたまれていました。昨年の遭難の後、縦走ツアーは減り、日帰りが増えたそうです。夕食前後に温泉にゆっくり浸かり、身体の疲れを癒し充実した山行の余韻を楽しみました。
●7月14日(水) 曇り時々晴れ  [帰京]
朝は5時半に起きてまず温泉へ。下山した翌朝の温泉は格別です。渓流沿いの露天風呂は山の緑が美しく、流の音とひんやりした空気に包まれて最高の気分です。7時に朝食。事前に予約しておいたタクシーに8時前に乗り込み、東大雪荘を出発。1時間ほどで新得駅に到着。路線バスの運行開始(7/17〜)前で14000円の出費は痛かったですが、運転手さんとの会話を楽しめました。新得から根室本線で帯広に移動し、駅近くで買物・食事を楽しんだ後、帯広空港に向かい、15:20発のJAL便で夕刻帰京しました。
※今回、長年念願の大雪連峰の縦走を天気に恵まれ果たすことが出来ました。想像した以上に雄大優美な山岳景観と素晴らしい高山植物の群落を満喫しました。今までに重ねた山行の中でベストワンです。
※今回の山行に当たって、小野さん、蛭川さんに有益なアドバイスをいただきました。
竹中さんが書かれた北海道紀行(1)の黒岳〜忠別岳の記述も参考にさせていただきました。感謝いたします。

7月9日 8:51
白雲岳山頂から
高根ケ原を望む
(正面は忠別岳)

7月9日 9:09
白雲岳山頂から
旭岳、間宮岳を
望む

7月10日 6:32
高根ケ原から
高原沼群を
見下ろす

7月10日 9:42
忠別岳から
トムラウシ山を
望む
(手前は五色岳)

7月11日 7:59
化雲平の池塘

7月11日 10:16
雪渓上から
ヒサゴ沼を望む

7月13日 7:10
北沼分岐から
北沼

7月13日 7:32
トムラウシ山頂
(念願達成の握手)

7月13日 7:39
トムラウシ山頂
から十勝連峰を
望む(右側は
オプタテシケ山)

7月13日 7:39
トムラウシ山頂
から
旭岳、白雲岳
方面を望む

会   報
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■2010年7月5日 毛無山(1,946m 富士山外輪山) 齋藤 正(昭和42年卒)

1.月日;2010年7月5日
2.メンバー;齋藤 正(昭和42年卒)
3.記録
●7月5日 曇り時々雨
麓(5:55)−毛無山々頂(8:55〜9:30)−麓(11:35)

登山口から不動の滝経由で標高差1,070mを往復した。途中で出会ったのはわずか4人。静かな山でしたが、頂上での蚋(ぶよ)に悩まされました。下山して靴下を脱いだらなにやら足首から出血の跡。どうやら蛭と思われます。
展望は全くなし、携帯電話の通話は、尾根筋の下部をのぞき概ね順調でした。
病後三週間、おかげさまで少しずつ体力も回復してきました。ご心配をおかけしました。

▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
アヤメ
2010.7.5 9時
毛無山々頂にて
マルバダケフキ
2010.7.5 9時
毛無山々頂にて
不動の滝
2010.7.5 11時
二合目にて

会   報
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■2010年6月4〜5日 八右衛門沢から霞沢岳(2550m地点) 中村 雅明(昭和43年卒)

        *********** 2010年7月1日投稿


6月3日 15:00頃 (撮影;岡田)  西穂稜線丸山からの霞沢岳
稜線に突きあげている雪渓が八右衛門沢

メンバー;竹中 彰(昭和39年卒)、佐藤 久尚(昭和41年卒)、
中村 雅明(昭和43年卒)、高橋 信成(昭和38年卒:雪渓末端迄)
行程:6月5日 西糸屋山荘(7:40)−八右衛門橋(8:00)−雪渓末端(8:35−8:45)−
    アイゼン装着(8:50−8:55)− 4ピッチで2550m撤退地点(12:50−
13:05)−2ピッチで 雪渓末端(15:25−15:45)−上高地バスターミ
ナル(16:10−16:45)
この山行は上高地で開催された三四郎会の延長戦として行われました。霞沢岳の一般ルートは徳本峠から往復(7時間)ですが、現在、徳本峠小屋が建て替え工事で営業を休止しているので当初は対象外としていました。ところが5月末の懇親山行の宿で、本間さんの
「八右衛門沢を途中まで登ったことがあるよ」の一言から、八右衛門沢の雪渓を詰めて霞沢岳に登るクラシックルート登山が急浮上しました。
※村上泰介さん(昭和39年卒)が昭和36年4月に短時間で八右衛門沢から霞沢岳を往復しています(針葉樹第13号)
●6月4日(金) 晴れ時々曇り
三四郎会の宿舎の西糸屋山荘に早めに到着した竹中さん、中村はそれぞれ翌日の山行に備えて偵察を行いました。竹中さんは上高地温泉ホテル前から八右衛門沢をカメラに収めました。中村は帝国ホテル前のバス停から200mほど中の湯方面に戻ったところにある八右衛門橋から左岸の林道を10分ほど歩き、林道終点から八右衛門沢を遡り、雪渓の末端が見える地点から引き返しました。宿に戻ると西穂から下山してきた岡田さんから、「霞沢岳の雪渓は急で怖そうだよ。本当に登るの」と心配(脅)されました。
夕刻、山行メンバーの一人の斎藤さんが高熱を発した為、三四郎会への参加を取り止め、翌朝帰宅することになったことを知らされ、驚きかつ残念でした。
夕食前に宿舎の奥原社長(山岳ガイド)に八右衛門沢の状況を3人で伺いました。「1週間前に沢に行ったが、中ほどの雪渓が大分融けてシュルンドが多く、落石の心配もある。
お勧め出来ない。八右衛門沢を登るのなら5月中旬迄です。」と悲観的な見解でした。言外に「行かない方がいい」とのニュアンスがあり迷いましたが、3人で協議の結果「慎重に
行ける所まで行って悪ければ引き返す」ことにしました。
●6月5日(土) 晴れ
朝食後すぐに、涸沢に向かう岡田さんほかの皆さんに別れを告げ、霞沢岳に向かいました(7:40)。空晴れ渡り、絶好の登山日和です。今朝、樹木観察の目的で高橋さんが雪渓末端まで同行することになりました。佐藤さん、中村は河童橋近くの売店で昼飯・飲物を調達しました。売店は朝6時から営業しているとの事で、便利になったと感心しました。帝国ホテルに向かう木道で猿と遭遇。高橋さんは写真を撮りました。昨日下見した八右衛門橋横のゲートを潜り(8:00)、林道を終点まで歩き、八右衛門沢に入りました。円筒型の奇妙な鋼鉄製の堰堤の脇を抜けると二股。左は表六百沢、右に進みます。堰堤を幾つか越えると雪渓の末端に到達しました。
ここでヘルメット装着、ピッケルを片手に写真撮影。一気に登攀気分になりました。高橋さんは写真撮影の後、ここから下山しました。まだ雪渓の傾斜がゆるいのでアイゼンは着けず、佐藤−中村−竹中の順で雪渓を登り始めました(8:45)。しばらく登ると傾斜が急になり足元が滑るので、大きな岩を越えた場所で軽アイゼン(6本爪)を着けました。竹中さんと中村は10爪のアイゼンも持参していましたが宿に置いてきました(後で後悔することになりました)。宿で警告されたほど雪渓は荒れてなく、快調に高度を稼ぎました。背後に見下ろす帝国ホテル、温泉ホテルの赤い屋根がだんだん小さくなります。二度目の二股も右に進みました(左は三本槍沢)。沢の中央部で雪渓を直進できず(夏は滝か?)右手のガレ場を登りましたが、傾斜が急で木につかまりながらのイヤらしい登りでした。地盤がゆるんで木の根が抜け、落石しきりで間を開けながら慎重に登りました。時々「落!」の声を発します。ヘルメット必携です。これを抜けるとまた雪渓に戻り、少し進むと沢が2分し、左手の沢の中央部に顕著なピナクルが見えました。その上部も登れそうに思えましたが、常に右寄りに進む記録に従って右手の沢を進みました。西穂山荘が次第に目の高さになって高度を稼いでいるのを実感します。しばらくすると雪渓が切れ、涸れた沢(ガレ場)がかなり続いていました。それを抜けると沢が二つに分かれ、右手はブッシュの中に僅かに雪渓が残っています。左手は雪渓が続いて尾根に突きあげている様に見えました。左手にルートを取り登り始めましたが急傾斜になり、トップの佐藤さんはジグザグにステップを切りながら一歩一歩登ります。日が高くなり雪が融け始め時折滑ります。6本爪の軽アイゼンは足元が不安定で、10本爪のアイゼンの方が良かったと思いましたが後の祭り。雪渓脇の草付きで小憩後、中村がトップを交代しましたが更に傾斜が急になり、ジグザグの幅が狭まり時間がどんどん経過していきます。「ここでスリップしたら止まらず下のガレ場に突っ込んで遭難」の思いが頭をよぎります。ようやく雪渓が切れましたが、最後の登りは真上に階段状のステップを切りました。その上は這松漕ぎ。背丈を越える這松を抜け小さなコルに到達しました(12:50)。ところが、その先は這松が密生する大きな岩塔で登るのが困難に見えます。よしんば登れてもその先が切れ落ちているのではと危惧し、前進をストップしました。ルートを違えていることがはっきりしました。稜線から派生する小尾根に突きあげたのです。右手の沢の上部は稜線近くまで雪渓が続いて見えます。ここは高度2550mで、霞沢岳の山頂(2646m)まで高度で約100mの地点です。笠ケ岳の稜線が良く見えます。這松越しには岳沢も望め高度感十分です。2度目の昼食を摂り、一息入れてから3者会談。尾根の左手はヤブ漕ぎをあまりしないで雪渓に出られそうだが稜線に続いているか不安。右手の沢に出るためには長い距離のヤブ漕ぎを強いられ、時間がかかりそうとどちらも躊躇しました。既に13時過ぎで時間も気になります。ここで、佐藤さんが「ここから戻りましょう」ときっぱり提案。竹中さんも同調します。最年少の中村は先へ進まざるを得ないと観念していましたが、お二人の判断さすがと納得しました。そのまま前進していたら、最終バス(18;05)に乗り遅れたか、最悪ビバークする羽目になった可能性大でした。早速、中村−佐藤−竹中の順で、下りにかかりましたが、這松を抜けて雪渓に降りるまでの岩場が足場がなく苦労しました。雪渓に降りてからも急傾斜の雪面が融けて、登る時に切ったステップがあてになりません。ステップを切り直して下りますので時間がかかります。特にラストの竹中さんは前二人が足場を壊すので苦労します。降り始めて直ぐに、竹中さんがスリップしました。雪が柔らかくピッケルがききません。雪と一緒に滑り始めました。下で見ていた中村が「ヤバイ」と心配しましたが、10mほど滑った所(佐藤さんの近く)で止り、事なきを得ました。その後、竹中さんは殆どクライムダウンで雪渓を下りました。急傾斜の雪渓を終え、雪渓が消えるガレ場に近い斜面で今度は中村が滑り、ガレ場に突っ込みました。傾斜がゆるく距離も短かったので肘を少し擦りむいた程度で済みました。あと一か所、登りで苦労した落石ガラガラの急な岩場が待っていました。足場がなく、木につかまりながらのイヤらしい下降に苦しみました。
悪場を抜けてホッとし「後は雪渓を下るだけ」と安心しましたが、雪がだんごになり足がふらつきます。ところがおまけがついていました。登りには難なく越えた大石からシュルンド越しに雪渓に飛び移る所が、石の上の雪が融けてジャンプするほかありません。中村、佐藤さんが飛んだ後は雪渓の足場が崩れ、竹中さんは遠くからのジャンプで、雪渓に勢いあまって前のめりに転びヒヤリしました。
雪渓末端に辿りついたのが15:25.アイゼンをはずし、ヘルメットを脱いで安堵しました。
霞沢岳の頂上は逃しましたが、久し振りの本格的登山に3人とも満足した山行でした。
今回急病で参加できなかった斎藤さんと一緒に再挑戦したいと思います。
(教訓)
1. 八右衛門沢の登行の適期は、5月連休〜中頃。6月は雪渓が切れて時間がかかる。
2. 軽アイゼンは不向き。ステップが切りずらい。10爪が良い。
3. ピッケルもシャフトの短いのは不適。急斜面では不安定(竹中、佐藤談)
4. ヘルメットは必須。落石の危険個所あり。
5. ツェルト、補助ザイルも持参した方がベター
(竹中さんは両方持参しました。さらにビバークに備えて水も余分に持参する用意周到さに敬服しました。)

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6月5日 8:43(撮影:竹中)
八右衛門沢雪渓末端で
 (左から佐藤、中村、竹中)
6月5日 9:43(撮影:竹中)
八右衛門沢の急な雪渓を詰める
 (上から佐藤、中村)
6月5日 13:05(撮影:竹中)
撤退した最高点(小尾根上)から
K1への尾根を望む
***
6月5日 13:05(撮影:竹中)
撤退地点(2550m付近)にて
岳沢を望む

●勇気ある撤退  斎藤 正(昭和42年卒) 6月10日付け中村宛メール
中村さん
手短な貴君の報告(*1)でも、なかなかにタフで、スリリングな様子が伝わってきます。それにしても頂上直下100メートルから撤退した勇気に敬服します。またその判断が正しかったようですね。
中村さんは確か徳本峠からは登られたと記憶していますが、私はまだです。あの辺の山群では、大滝山と霞沢・六百山は私には処女地で、いつかもう一度トライしてみたいです。それまでにマイヘルメットを買っておくことと、もう一段トレーニングのレベルを引き上げねばなりませんが・・・
*1 本稿のダイジェストメール
●RE. 勇気ある撤退  中村 雅明(昭和43年卒) 6月11日付け斎藤さんへの返信
斎藤さん
私は徳本峠から霞沢岳には登っていません。インターネットで調べてみると、霞沢岳は積雪期(残雪期)に八右衛門沢以外にも西尾根、無名尾根から登られています。
また、表六百沢から六百山の記録もありました。
上高地から登れるのは良いですね。南アの蝙蝠岳と一緒に霞沢岳も登りたい山として心に留めましょう。

     


会   報
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■2010年6月3日〜4日 西穂高岳 岡田 健志(昭和42年卒)
       *********** 2010年6月14日投稿
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* 1.月日;2010年6月3日〜4日
2.メンバー;岡田 健志(昭和42年卒)
3.記録
1965年3月の合宿で、我々縦走隊は、深いラッセルに苦労しながら上高地から西穂稜線にたどり着き、西穂高岳、奥穂高岳を越えて明神岳の本隊と合流した。
あれから45年が過ぎた。今回、上高地西糸屋山荘での三四郎会開催にかこつけて、新穂高岳温泉から西穂高岳へ登り、上高地へ下山する計画をたてた。事前の調査で、困難な西穂山頂往復は無理かな、とあきらめの気持ちももっていたが、天気にもめぐまれ、計画どおり登ることができた。
●6月3日 晴れときどきくもり
   新宿(7:00)−平湯(11:30〜11:40)−新穂高温泉(12:15〜12:30)−西穂高口(2,140mロープウェイ終点 12:50〜13:00)−西穂山荘(2,385m 14:25〜14:40)−偵察行−西穂山荘(16:30)
新宿7:00発の高山行きのバスに乗り、平湯で高山発新穂高温泉行きのバスに乗り換えると12時すぎには新穂高温泉に到着する。開業40周年というロープウェイが一気に西穂高口(標高2,140m)まで運んでくれる。ロープウェイの終点から西穂山荘までは、雪がかなり残っているが、標識完備のうえしっかりしたトレースがあった。途中、オオシラビソの樹間から西穂方向の稜線が見えるものの、山の名前がわからない。
山荘に着いたのがまだ早かったので、明日のルートの確認もかねて偵察行。ウィークディのこんな時間帯に稜線を歩く人もいない。独標の手前、石のゴロゴロした登りで時間切れとなり引き返す。稜線からは、東は霞沢岳・上高地、西は笠ヶ岳・抜戸岳、北は西穂稜線と前穂・明神岳、南は乗鞍岳・焼岳と360度の展望がきく。稜線に雪はなく、夏道がずーっと続いている。手の甲に触れるハイマツの葉の感触がなんともなつかしかった。

●6月4日 快晴
西穂山荘(6:19)−丸山(6:30〜40)−独標(2,701m 7:40〜8:00)−ピラミッドピーク(8:30)−西穂高岳(2,909m 9:37〜9:55)−ピラミッドピーク(10:53)−独標(11:26〜36)−西穂山荘(12:20〜45)−宝水(13:30)−上高地(15:06)−西糸屋山荘(15:25)

 同室の単独行氏は、4時ころ山荘を発って、奥穂高岳を越え白出沢を下るという。なんとも過激な登山に思える。こちらも早く目が覚めてしまい、6時からの朝食前に朝日が笠ヶ岳にあたるところを写真に撮りたくて、丸山まで往復する。
 この時間帯、蒲田川はまだ朝日が届かないので眠っているように見えるが、笠ヶ岳から双六岳に至る雪の稜線は、ピンク色に染まって美しい。早起きして良かったと思う。
 ルートの状況を山荘の方に教えてもらった結果、ピッケルもアイゼンも山荘におかせてもらい、非常食とテルモスのミルクティーおよび防寒具だけもってサブザックで出かける。昼食は山荘へ帰ってきてから食べることにして、持参しなかった。
 快晴で360度の展望を楽しみながら稜線漫歩するも、独標手前からルートの様相は一変し、緊張を強いられる岩稜歩きの連続となる。こんなルートを45年前の積雪期に歩いたなんて!独標の頂上からはこれから行く西穂山頂と、それを護衛するかのようなピラミッドピークがよく見えた。西穂までは随分と遠く感じられた。
 西穂の頂上は、今回山行の最高のながめを提供してくれた。奥穂高のずっと向こうに右へかしいだ槍ヶ岳が見える。奥穂高から前穂の吊尾根が意外に短く見えた。
独標から西穂まで、ピラミッドピークもいれて4つほどのコブがあり、この登り下りに緊張させられた。下りは「慎重に、慎重に」と独り言を言いながらすべてクライムダウンで下りてきた。
西穂山荘でラーメンの昼食をとり、上高地への下山にかかる。山荘からしばらくは雪の上を下る。人の気配もせず、そんな中で変な沢に迷い込まないよう細心の注意を払って標識やトレースを探しながら下る。宝水付近で積雪もなくなり、夏道を行くがこれがとても長くつらかった。梓川に近づくと、唐松の新芽がやさしく、ツバメオモト、ニリンソウ、エンレイソウなどが花盛りで、いやされた。梓川右岸を河童橋に向かい、今日の宿の西糸屋山荘へ。
▲6月3日 15::00
西穂高への稜線
▲6月4日 7:40
ピラミッドピーク、
西穂高、
奥穂高(独標から)
▲6月4日 9:40
吊尾根
(西穂頂上から)
▲6月4日 9:40
槍ケ岳と
奥穂高岳
(西穂頂上から)
▲6月6日 12:00頃
西穂稜線
(上高地から)

会   報
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■2009年5月23日 秩父御岳山(懇親山行)登山報告 齋藤 正(昭和42年卒)
    *********** 2010年5月27日HUHACメールより転載
参加者 : 佐薙、遠藤、蛭川、竹中、本間、佐藤(久)、中村(雅)、齋藤
宿泊先 : 日本秘湯の会 旅館鳩の湯
9時2分   落合部落、普寛神社登山口発(ここまでは旅館のマイクロバス)
11時13分 秩父御岳山頂上
11時43分 三峰口駅方面への下山開始
13時15分 三峰口駅近傍贄川宿着
概ね頂上以外は30分に付き休憩5分。

(山行記)
案の定早朝から雨。天気は次第に悪くなるという、限りなく確度の高い予報にも拘らず、「止めよう」と言い出す者一人として無く、当たり前のように出発。ウーム!流石というべきか、とにかく皆さん山が大好きなんですね。
実は筆者齋藤は前日夕方諸兄と合流。その日の武甲山登山に参加できませんでしたので、房総の先から秩父のどん詰まりの隠れ里のようなところまでやってきて、いざ登山中止となったらしょぼくれて一人で登ろうかと密かに思っておりました。そんな訳で、雨だろうが諸兄と楽しく山に行けるのは嬉しい限り。ところで佐薙先輩によると、某局の某お天気姉さんに、「予報が雨のとき、ぽんぽんと柏手を打ってお願いすると晴れるときがある」と言う事でありましたが、生憎昨夜は宴会中でそれにかまけて各人すっかりそれを忘れてしまったこともあったのかなあ?!
先ず、登山口の普寛神社に詣でて安全祈願。神社に造詣深い遠藤先輩は早速にお札を収集し写真を撮る。氏はこの神社がちょっとばかり寺の匂いがするのが気に入らないようだ。この神社、秩父御岳山開祖の修験者普寛に由来する。さて神社脇の舗装路をチョイと行くと小さな沢(その名も御岳らしく、王滝沢)があり、そこの草臥れた小屋の所から登山開始。好ましい明るい小さな谷に沿って一時間余、未完成の林道に出て、トンネルを右にみて再び登る。道標もしっかりしていて迷うところ一つ無い。どこまでも明るく、岩場も、根走りも階段状の所も無く、きつ過ぎもしない快適な登りである。林道をいくつか横切りやがて稜線に出る。ここから頂上まではきわめて緩やかな登りで、一汗で頂上。頂上直下ではじめて下山する二人と遇う。
雨と霧で展望はイマイチながら、頂上からは時折奥秩父や両神の山容が朧に浮かび出て山の深さを堪能。緑も滴るばかり。目の前に和名倉山の悠揚迫らぬどっしりしたシルエットが望める。両神はこの方向からはあの険阻な面影は無い。

頂上は三坪あまりの狭いところで、半分を社が占めているので人があまりゆっくり出来ない。人が多いと大変だろう。ここで昼食。蛭川先輩がいつもどおりスープやらコーヒーやらを振舞ってくれた。有難い事だ。
三十分ほどで下山開始。すぐ強石への下山道を分けやがてまた鞍掛山への道を分けると、快適な巻き気味の下山道をひたすら行く。途中また登山者一人に遇う。奥宮を過ぎて暫くしたあたりから、待っていたような少し急な下りとなるが、雨の中、諸兄等の足の速さといったら・・・。
あっと言う間に(ここもまた木曽に縁ある)その名も贄川宿跡にたどり着いた。
登りも下りも標準コースタイムを大幅短縮。私以外みな連ちゃんの登山なのに。
それにしても良く整備された登山路である。山を大切にしている地元の方々に感謝するばかり。
そのあと三峰口駅まで10分ほど歩き、恒例の”反省会”。「神社概論」やら「血液型論」
など談論風発の楽しい一時を過ごして帰路に着いた。

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5月23日 11:35(撮影:佐薙)
秩父御岳山頂上
(左から)佐藤、斎藤、竹中、中村、
佐薙、遠藤、本間、蛭川
5月23日 11:36(撮影:佐薙)
秩父御岳山頂上
ヤマツツジ
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会   報
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■2009年5月22日 武甲山(懇親山行)登山報告 佐藤 久尚(昭和41年卒)
   *********** 2010年6月1日HUHACメールより転載
参加者 : 佐薙、中川、遠藤、三井、竹中、蛭川、本間、佐藤(久)、斎藤、中村(雅)

5月22日(土)晴れ 
9時に横瀬駅に斎藤さんを除く9名が集合、予め予約しておいたタクシー2台に分乗して生川の武甲山表参道登山口へ向かう。9:10登山口着、武甲山は秩父の名峰として人気があるだけに、登山口には所狭しと車が駐車してあり、小学生の団体や家族連れ、中高年のグループなど、老若男女の登山客であふれていた。人が多くて準備体操をする雰囲気ではないので、タクシーを降りるとすぐに本間さんをトップに歩き始める。
武甲山の表参道には、頂上の御嶽神社を五二丁目とする丁目石が置かれているが、歩き始めるとすぐに壱丁目石が現れる。壱丁目石を過ぎて生川沿いの舗装された道を進むと養魚場があり、そこから道もだんだん山道らしくなる。薄暗いが歩きやすい杉木立のなかの道をしばらく進むと、右手からきれいな滝(不動滝)が流れ落ちている十八丁目の水場に到着(9:48)、小休止。この後、道は少し急になるが、歩きやすい道がつづいており、丁目石を追って登るうちに3ピッチで御嶽神社に着いた。(11:35)。神社の前の開けた所でお湯を沸かし、幹事の蛭川さんが持参したチキンスープやオニオンスープをいただきながら昼食を食べる。昼食後、神社に参拝して頂上に向かう。神社を左手に回りこんで少し登ると、突然金網のフェンスが現れ行き止まりとなり、そこが頂上(第一展望台)であった。フェンスの先は断崖絶壁となって切れ落ちており、覗くと石灰採掘現場の異様な光景が展開していた。
武甲山の頂上は北側半分が大きく削り取られ、ピークの体をなしていないため、ここが頂上なのかと、一瞬、疑ってしまうようなところであった。それでも展望は開けており、山頂に設置された表示板によると、視界が良ければ谷川連峰から浅間山まで見えるはずであった。しかし、この日は生憎靄っていて、奥秩父の山並みや両神山など近場の山が霞んで見えるだけで、ちょっと残念。一通り展望を楽しんだ後、佐薙さん持参の三脚とカメラで記念写真を撮り下山にかかる。下山は、登って来た道を小持山の方に少し戻り、表参道からの道が合する山頂下十字路というところで尾根を右に折れ、橋立川の方に下るルートを取る。しばらく急な杉林の中の道を下ると、きれいなカラマツ林に入り、所々に発破のための避難小屋と発破の時刻を表示した看板が現れた。興味深くそれらを見ながら下ると、再び薄暗い杉林の中の道となり、最後の急坂を下ると突然ポンと車道に出た。(14:40)そこで山頂から携帯電話で予約した宿の車を待つ。程なくして迎えの車が現れたので全員乗り込み、今宵の宿、“鳩の湯”に向かう。途中、明日の昼飯を購入するためコンビニに寄ったが、日帰り参加の中川さん、三井さんはそこで分かれて浦山口駅に向かった。
宿は日本秘湯を守る会会員の宿で、建物も新しくきれいで、従業員も愛相がよく、なかなか感じのいい宿であったが、ただ主人に問題あり。(蛭川さんが事前に打ち合わせのために訪れた時は、主人の機嫌が悪かったせいか、応対がひどく悪かったので、我々は蛭川さんから「宿の主人は難しい人なので言動に注意するよう」事前に警告を受けた。翌朝も私自身は気が付かなかったが、チェックアウト時に主人は気難しさを見せた由である。)
宿で明日の御嶽山登山に参加する斎藤さんと合流し、夜は秩父の地酒“秩父錦”とボタン鍋で宴会、大いに盛り上がった。

(追記) 
 武甲山の山頂に小さな石柱が建っていて、そこに「1336−41+9」と表示されていた。計算してみると答えは1304となる。地図で武甲山の標高を見てみると、1304mとなっているため、最初、これは武甲山の標高を表しているのかなとは思ったが、それにしてもこの表示の仕方は不可解。そこで家に帰って、昔の「ブルーガイドブックス 奥秩父」(昭和40年4月20日発行新訂第1版)を引っ張り出して、武甲山の標高を確かめてみると、1336mと記されていた。ということは、「武甲山の標高は元々は1336mであったが、41m削られて低くなったということか、」と理解したが、それでも「+9」の意味が分からない。そこで横瀬町観光協会に電話して聞いてみたところ、電話に出た人は最初よく分からないと言っていたが、親切にも周りの人に聞いて調べてくれたようで、しばらく待つ内に「「+9」の意味は、その地点が御嶽神社から9m高いということを表しているのではないか。」と教えてくれた。しかし、考えてみると神社より9m高いことを表すのに、「+9」と表示するのはおかしい。どうしても納得できないので、インターネットで調べてみると答えはすぐに分かった。答えは次の通り。

(ウイキぺディア)―1900年の測量では、武甲山の標高は1336mと記録されたが、石灰採掘が進められた結果、三角点が移転させられ、1977年の測量では1295mと記録された。2002年に改めて調査したところ、三角点より西へ約25m離れた地点で1304mが得られたため、国土地理院は1295mと1304mの両方を表示することにした。
改めて昭文社の最新の地図を見てみると、武甲山の山頂のところに1304と1295.4という二つの数字が記載されている。しかし誰も一つの山に二つの標高があるとは思わないだろうから、この地図を見た人は1304が山頂の標高で、1295.4が御嶽神社の標高と思ってしまうのは無理からぬことかもしれない。横瀬町観光協会の人もこの地図を見て、上記のような回答になったのではなかろうかと推測した。

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5月22日 12:43(撮影:佐薙)武甲山頂上
(前列左から)中川、三井、竹中、中村
(後列左から)佐藤、遠藤、本間、蛭川、佐薙
5月22日 12:55(撮影:佐薙)
武甲山頂下十字路付近
ニリンソウ

会   報
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■2010年5月8日 黒髪山(佐賀県)山登り 三森茂充(昭和40年卒)
    ********** 2010年5月12日HUHACメールより転載
連休明けの5月8日、田形さんのフル・アテンドで佐賀県有田の「黒髪山(516m)」に遊んだ。田形さんとは、カトマンズで会って以来丸3年ぶり。今回は「幼稚園の遠足」でもよく行く山と言って、博多や久留米のわたしの友人3人(女性2人)を誘った。
何組かのグループに会ったが、平均年齢は間違いなくわたしたちが低い。
穏やかな天気に恵まれた一日、新緑のまぶしいハイキングで、低山とはいえ頂上近くは鎖場・ロープ、人工のステップなどがあり「騙された」と言われたが、360度の眺望があるピークには達成感も得られたようだ。
登山口に洒落た料亭があり、下山の後、鯉料理を楽しんだ。
武雄温泉にゆったりつかり、福岡に帰着、一同、ガイド・ドライバー・写真係をしてくれた田形さんに感謝した。改めてお礼を申しあげます。
●黒髪山(佐賀県)山登り 田形 祐樹(平成6年卒)
    ********** 2010年5月10日HUHACメールより転載
  (本山行の第1報)
お久しぶりです。伊万里在住の田形祐樹です。
三森茂充先輩が、こちらに遊びに来ていただいたので、三森さんの知り合い3人も含めて、近郊の黒髪山というところに登りました。
(中略)
下山後は、鯉洗い料理、武雄温泉などで楽しみました。なお、私は近いうちに伊万里を離れる予定です。
遊びにきていただいたのは、今回の三森先輩のほかは、竹中彰先輩でした。ありがとうございました。
●黒髪山(佐賀県)山登り 山崎 孝寿(特別会員)
    ********** 2010年5月10日HUHACメールより転載
  (田形さんのメールへの返信)
>>下山後は、鯉洗い料理、武雄温泉などで楽しみました。
山歩きではないですが、このGWに有田の陶器市を訪れその際に武雄温泉にも立ち寄りました。素晴らしい湯です。
元湯に入りましたが、いつかは鍋島藩の専用風呂だった殿様風呂にも入りたいと思っています。佐賀県の魅力にあらためてひきいられています。
*********
(黒髪山写真) 5月8日 11時頃(撮影:田形)
黒髪山頂上から東北方面

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会   報
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■2010年4月7日〜8日 赤岳(八ケ岳) 岡田 健志(昭和42年卒)
    ********** 2010年4月19日投稿
1.月日;2010年4月7日〜8日
2.メンバー;岡田 健志(昭和42年卒)、中村 雅明(昭和43年卒)
3.記録
3月に硫黄岳(八ヶ岳)に登った。立派で快適な小屋に泊り、天気さえ良ければ1泊2日で頂上を踏んでその日に帰宅できる。八ヶ岳のロケーションは素晴らしい。
三月会でそんな話をしていたら、「赤岳へいきたいね」という話が出、計画を立てることとなった。天気予報をにらみながら、連絡を取り合って日程をかためたが、最終参加は硫黄岳と同じ岡田(昭和42年卒)と中村(昭和43年卒)の2人となった。
移動性高気圧にすっぽりとおおわれて、快晴無風のなか、赤岳登頂は無事成功したが、積雪期の赤岳は事前調査で受けた印象よりはるかに厳しく、危険が多い山だった。
今後、私たちのような高齢者が安全で楽しい登山を実施するに際し、季節や山域の選択、事前トレーニングをどこまでするかなどの課題を残した。
それでも相棒は、「雪山完全復活」を宣言した。Good Luck!!
●4月7日 茅野は雨、美濃戸口から上はみぞれ
茅野駅(10:20)− 美濃戸口 1,502m(11:10〜11:25)− 赤岳山荘(12:15)−美濃戸山荘(12:25〜45)− 赤岳鉱泉 2,230m(14:50)
<夕食内容>
ステーキ(ピーマン、しめじ、玉ねぎ)、サラダ、トマト、トン汁、フルーツ

「特急あずさ」が甲府盆地に向かって下りて行く。両サイドは桃花が満開で、これに雪の白峰三山が見えたりしたらどんなに興奮しただろうか。残念ながら雨が降り出した。
茅野駅で中村と合流。昼飯とポリの傘を買い込んで、10:20発の路線バスに乗りこむ。結局、乗客は美濃戸口まで私たちとあと2人の登山客のみ。傘をさして美濃戸口をスタートする。カラマツの芽もまだ固く、天気のせいもあってか、春はまだ遠い。
雨がみぞれにかわった。美濃戸山荘あたりから道の周囲も白さが増してきた。日本鹿の群れがエサを探して道にも出てきている。エサの少ない時期だとおもうが、結構太っている。みぞれの中、傘をさして北沢沿いの道を黙々と歩いて赤岳鉱泉に到着。周囲の山は全く見えず。
赤岳鉱泉は、小屋というより「旅館」のように大きく、清潔だったが、風呂はこの時期やっていなかった。

●4月8日 快晴
赤岳鉱泉(7:20)− 中山乗越(7:55〜8:00)− 行者小屋(8:10〜8:20)− 地蔵の頭(10:00〜10:30)− 赤岳 2,899m(11:30〜12:00)− はしごの下(13:00〜13:15)− 行者小屋(13:35)− 赤岳鉱泉(14:10〜14:40)− 堰堤広場(15:20)− 美濃戸山荘(15:50)− 赤岳山荘(16:05)− 美濃戸口(16:40)
<朝食内容>
ホッケのひらき(サラダ付)、納豆、味噌汁、フルーツ

バスで一緒だった2人組は、テント持参だったが、昨日の悪天のため急きょ小屋泊まり(自炊)となり、今朝は早朝5時ころに赤岳にむけて出発。小屋泊まりの不便さは食事時間が厳密なため、早出したくともかなわぬこと。赤岳鉱泉の朝食は6時半からで、出発も7:20になってしまった。
私たち以外に、先の2人と10人のグループが同宿し、みなさん私たちより先に出発した。10人グループは文三郎尾根経由で赤岳へ登り、地蔵尾根経由で下山とのことだが、いずれにせよ踏み跡があって気が楽になった。
この日は、移動性高気圧が本州をおおい、天気は快晴無風。雪の稜線と空の青のコントラストが本当に美しい。2人で「やっぱり雪山はいいね」と感激する。
40年ほども前に、行者小屋付近に幕営した記憶があるが、小屋も随分と立派になっていた。赤岳や阿弥陀岳が良く見える。
行者小屋の前から地蔵尾根にとりつく。この尾根は、尾根の長さが短いわりに稜線までの高度差があるため、結構傾斜のあるルートである。特に、はしごの上から稜線までが急で、キツかった。「帰路このルートをとるのはよそう」と話しあったことだった。
尾根からは硫黄岳から横岳にいたる稜線、阿弥陀岳、そして振り返ると乗鞍岳から槍穂稜線、後立山連峰が一望できた。
地蔵の頭から赤岳の稜線は、佐久側の雪の斜面をアイゼンのツァッケを効かせて登る。諏訪側は岩が露出する急斜面、佐久側は風で固くしまった雪面で、滑落したらどこまで落ちていくかわからない。とちゅうで赤岳から下山してきた10人グループとすれちがった。
赤岳頂上には11:30に到着。富士山・南アルプスから北アルプス、北八ヶ岳と360度の展望を楽しむ。
地蔵尾根上部がワルかったので、文三郎尾根を下ろうと赤岳をくだりはじめたが、正規ルートをはずしたらしく、岩まじりの急な斜面になったため、「これはイカン」とほうほうの体で赤岳頂上まで登りなおし、結局、地蔵尾根を下った。
赤岳鉱泉からの帰り道、昨日はたくさんあった残雪がうそのように消えており、来たときとあまりに違うのに驚いた。
▼画像をクリックすると画像が大きく表示されます。
4.8 赤岳(地蔵の頭から) 4.8 中村(赤岳頂上 赤岳神社にて) 4.8 大同心

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会   報
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■2010年3月11日〜12日 硫黄岳(八ヶ岳) 岡田 健志(昭和42年卒)
    ********** 2010年3月25日投稿
1.月日;2010年3月11日〜12日
2.メンバー;岡田 健志(昭和42年卒)、中村 雅明(昭和43年卒)
3.記録
3月11日 快晴
茅野駅(11:30)− 桜平(12:10〜12:20)− 夏沢鉱泉(12:30〜13:20)− オーレン小屋(15:25〜15:31)− 夏沢峠下(16:00)− 夏沢鉱泉(17:15)
 年金生活者2人だけの山行は、日程の調整が容易で、天気予報を見ながら好天の日を選んで出発するので、はずれがない。今回も全国的に大雪を降らせた低気圧が東の海上を遠ざかったあとの快晴のなか入山した。
中央線から見る南アルプス、富士山は雪で真白で、ひさしぶりの雪山への期待を大いにふくらませた。
夏沢鉱泉からの出迎えの車で茅野駅をスタート、桜平で雪上車に乗り換えてまったく歩かずに夏沢鉱泉に着く。
空は真っ青、新雪が50cmほど夏沢峠へ続く樹林帯の山道はゆったりとした登り。散歩と翌日のためのラッセルを、ということで夏沢鉱泉を発ち歩きだす。ときどき小鳥のなく声も聞こえる。ヤマガラかコガラだろうか?
竹中針葉樹会会長をまねて書きますが、この日の夕食内容は以下のような内容でした。
入浴後、20時ころにはふとんに入る。
<夕食内容>
赤魚の煮つけ、鳥唐揚げ(枝豆のしんじょう、アボガド、ミニトマト、ブロッコリー、ホウレンソウ、キャベツ千切り付)、しし鍋、たまご豆腐、山芋、かぼちゃの煮つけ、キク芋とナスの漬物、デザート

3月12日 快晴のち午後からくもり
夏沢鉱泉(6:40)− オーレン小屋(8:05)− 夏沢峠(9:05〜9:25)− 硫黄岳山頂(11:30〜11:50)− 夏沢峠(12:25〜12:35)− オーレン小屋(13:00)− 夏沢鉱泉(13:50〜15:00)− 茅野駅(16:05)
<朝食内容>
焼きシャケ、豆の煮物、卵焼き、キャベツ千切り、焼のり、漬物、味噌汁、グレープフルーツ
 充実した朝食をとる。昭和17年生まれのご夫婦が硫黄岳へ行くとのことで、我々より一足さきに出発する。すっかり肥え太った身体で、アイゼンをつけるのに大苦労。太りすぎはイケナイですね。
 先行のご夫婦と、ビデオカメラをもった単独行者に追いつく。昨日のラッセルが効き、オーレン小屋までは昨日にくらべると極めて順調。オーレン小屋をすぎ、1ピッチほど行ったあたりからラッセル跡もなくなる。昨日もそうだったが、わがラッセルマン中村(雅)氏の強いこと、たよりになること。新雪が50cmほど積もった樹林帯の道を、目印の赤布を追って、一人で確実に進んでいく。
9時すぎには、夏沢峠に到着した。天気は快晴、真っ青な空と雪のコントラストが美しい。樹林帯にあるため、風はあまり気にならない。
峠の上1ピッチは樹林帯で、傾斜があるぶんラッセルもきつい。樹林帯をすぎると、西側からの風が強く、雪も凍ってアイゼンのツァッケがよく効く。40年以上前のシモンのピッケルは木のシャフトで大変重い。これを使いこなす腕力はとても持ち合わせていないけれど、強い風にあおられながら、固い雪の斜面を越えて、どうにかこうにか頂上へ到達させてくれた。
稜線からの展望は360度、南アルプスが近くに、北アルプスが遠くに見えた。風が強く、カメラを取り出す余裕は殆どなかった。
11時30分硫黄岳山荘に到着。雲が出てき、風は相変わらず強い。赤岳が大変立派に見えた。
下りはさすがに早く、夏沢鉱泉には13:50に帰着。お風呂に入って着替えをする時間的余裕もあった。
雪山は、2007年3月福井県の取立山(1,307m)へ登ったのが最後でした。大阪を日付が変わるころに車でスタートし、山麓に駐車して仮眠のあと山へ登るというスタイルでしたが、それにくらべると、快適な小屋(というかロッジというか)に泊っての今回の山行は、本当に気分が良かったです。

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▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
3月11日 15:15
(撮影:岡田)
硫黄岳を背にする
中村
(オーレン小屋手前)
3月12日 9:10
(撮影:岡田)
ヒュッテ夏沢から
の硫黄岳
**
3月12日 11:12
(撮影:中村)
硫黄岳からの横岳、
赤岳、阿弥陀岳
(左から)
3月12日 11:45
(撮影:岡田)
硫黄岳山頂
(左から中村、岡田)
会   報
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■2010年3月10日 「なめこと山余聞:神楽」  山崎 孝寿(特別会員)

佐薙さん、蛭川さんとのナメトコ山登山から早5ヶ月がたった。さまざまな出会いの山行であったが、おかげですっかり早池峰神楽にはまってしまった。
山旅の魅力は自然に抱かれる喜びもあるが、その山を神と崇める民の民俗芸能や文化とのふれあいもまた楽しみの一つである。

2009.10.15付けHUHAC投稿「ナメトコ山報告」で若干解説したとおり、「早池峰神楽」は「岳(たけ)神楽」、「大償(おおつぐない)神楽」を中心とする500年以上の歴史を持つ、いわゆる山伏神楽で、かつては修験者の加持祈祷の舞であっただけに山歩きを愛好する者にも不思議な魅力が感じられた。

昨年10月初めに佐薙さん、蛭川さんとナメトコ山に登った時、ちょうどこの早池峰神楽がユネスコの世界無形文化遺産に登録されたニュースが岩手で大きく報じられていた。ナメトコ山登山の後、早池峰山への移動の途中で、この登録記念を祝う「早池峰神楽共演」が、花巻市大迫町の内川目体育館で開かれ、佐薙さん、蛭川さんと共に偶然鑑賞する機会に恵まれたことが、早池峰神楽の「おっかけ」の起点となった。
特に能や歌舞伎につながるような舞のしぐさや、その独特なリズムにすっかり心を奪われてしまった。
ちなみに、早池峰山登山のために佐薙さん、蛭川さんが宿泊した岳の民宿は、神楽を伝えた六坊の一つであったという不思議な縁でもつながっていた。

(神楽に魅せられて・1)
ナメトコ山の旅から戻って数日後、岩手県のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」(中央区銀座)の第53回いわて学講座「早池峰神楽といわての民俗芸能」(講師・盛岡大学教授、橋本裕之)に参加。
この先生は日本テレビの「世界一受けたい授業」に出たりNHKの大河ドラマ「義経」(2005年)の時代考証も手掛けたりする、なかなか面白い先生で、また早池峰神楽に対する思いが募る。
とくに岳神楽は南部藩というパトロンがついていた反面(たしかに岳神楽の神楽幕には南部藩の家紋である向鶴(むかいづる)が描かれている)、大償神楽は、より民衆の支持を背景にしていたといったような話があり印象に残った。

(神楽に魅せられて・2)
「はやちね全国神楽祭」(2009年10月31日〜11月1日)を鑑賞。
ナメトコ山登山同様、東京を夜に立ち、未明にあの菊池雄星投手の花巻東高校の前にある花市巻総合体育館(神楽祭の会場)の駐車場で仮眠。早朝の校門をくぐる野球部員たちの清々しい挨拶の声に目が覚める。
さすがに全国から選りすぐりの神楽が集まる大会だけに開場前から200人位が並んでいた。早池峰神楽はもちろんのこと、秋田の根子番楽(ねこばんがく)が真剣に火花を散らせ印象的であった。この日上演された神楽は
  胡四王神楽 (花巻市)
  村崎野大乗神楽(北上市)
  玉山神楽(盛岡市)
  石鳩岡神楽(花巻市)
  呑香稲荷神社神代神楽(二戸市)
  早池峰岳神楽(花巻市)
  根子番楽(秋田県)
  伊勢大神楽(三重県)
  保呂羽山の霜月神楽(秋田県)
  佐陀神能(島根県)
  早池峰大償神楽(花巻市)

初日の公演を終えて駐車場に戻る際、花巻東高校の野球部員たちの練習光景が見えた。
花巻市内で食糧の買い出しを行い、花巻では最後の銭湯「高砂湯」で入浴。宿泊は花巻郊外の道の駅「とうわ」で自炊&車中泊。
翌日は早池峰神社と大償神社を訪問。
大償神社は早池峰神社に比べ質素ではあるが、別当家の庭内にある折口信夫(釈迢空)の歌碑があり、静かな山里をしばし散策した。    
          山の神も夜半の神楽にこぞるらし 舞屋の外の闇のあやしさ(釈迢空)

また大償神社からの帰路、やはりこの大償地区にある「神楽の館」を訪問し、奥座敷の権現様(獅子頭)を参詣。
大迫(おおはさま)の農産物直売所では地元名産の葡萄やリンゴを購入。とくに葡萄は逸品。ワイン工場やワインシャトー、体験工房「森のくに」も訪れたが、どこもおすすめの場所である。

(神楽に魅せられて・3)
吹雪となった12月20日、大償神楽の「舞納め」を訪れた。数日前からの降雪で東北道は完全な雪景色。前回同様の道の駅「とうわ」で自炊&車中泊。冬対策の完全装備で意外や快適に。隣接する日帰り入浴施設・東和温泉の露天風呂ではまさに雪見風呂を堪能。
神楽鑑賞前の時間を利用して、大迫町を見下ろす向山森林公園の展望台に鎮座する権現様まで軽い山登り。この権現様の見つめる先には早池峰山。後日、大迫の人から、ここの権現様は岳や大償の権現様のそれぞれの特徴をミックスした権現様と聞かされる。
さて「舞納め」であるが会場は、前回訪れた「神楽の館」。古い民家がベースだけに囲炉裏横の板座敷から鑑賞。この年の最後の舞だけに、若手の舞や、普段はめったにお目にかかれないという出し物に、あっという間に時間が経過した。

(神楽に魅せられて・4)
さすがに「舞初め」は時間がとれなかったものの、今年の「神楽の日」(花巻周辺の神楽の定期公演会)の初演を、旧正月の元旦、世間ではバレンタイン・デーの日に鑑賞できる機会を授かった。
宿泊はまたもやお気に入りの道の駅「とうわ」での自炊&車中泊。
開演少し前には、たんぽぽの会による「大型紙芝居・大迫の伝説」が上演され、方言たっぷりの語り部の語り口を楽しむ。
この日の「神楽の日」は大のお気に入りの大償神楽。初めての出会いから4度目の鑑賞となるが、益々その魅力に引き込まれる。
なお、会場となった花巻市交流活性化センターの隣には「早池峰と賢治」の展示館という、軽便鉄道鳥谷崎駅前にあった旧稗貫郡役所を復元した建物があり(寓話「猫の事務所」のモデルではないかと言われている、入場無料)、ここがなかなか素晴らしい。

ここまで4度の神楽鑑賞。やはり岳、大償に加えそれぞれの弟子神楽が奉納される夏の大祭(場所は早池峰神社)を訪れてみたい。また映画「早池峰の賦」(監督・羽田澄子、1982年)も見たいところ。
さて、私が一番好きな舞は「山の神」。山の神とは大山祓命(おおやまつみのみこと)のことで春は里に降り農業の神様となり、秋には山へ帰り山の神様になるとか。農業や山の仕事をする人、神楽の演者にとっても大事な演目だそうで、山(サン)が産(サン)にも通じ安産の祈祷もすることがあるそうです。
この「山の神」、大償では口を開いた「阿」形の赤面、岳では口を封じた「吽」形の赤面が用いられている。

大償神楽はこの3月下旬、ロシア・サンクトペテルブルクのエルミタージュ劇場で開催される「日本の春」フェスティバルに出演するそうである。さすがにロシアまでの追っかけは無理ですね。
▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
写真左から(1)大迫町から権現様を見上げる。(2)向山森林公園の展望台に鎮座する権現様。
(3)権現様の眼下に広がる大迫町、その見つめる先に早池峰山がある。
(4) 「早池峰と賢治」の展示館にて
なお、早池峰神楽の写真は撮影が制限されていることが多いので
掲載するものがありませんが、動画配信サイトユーチューブなどで実際の舞がご覧になれます。
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会   報
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■2010年1月30日 奥多摩・三頭山から蛇の湯温泉たから荘 三森 茂充(昭和40年卒)
    ********** 2010年2月11日のHUHACメールより転載
日にち:2010年1月30日(土)
参加メンバー: 蛭川 隆夫(昭和39年卒) 長澤 道彦(昭和39年卒) 
三森 茂充(昭和40年卆) 佐藤 久尚(昭和41年卒)
中村 雅明(昭和43年卆)

昨秋雨模様の高水三山に一緒に行って以来ご無沙汰の長澤さんを誘って、またどこかへ行きませんか、と蛭川さんに声をかけた。
秘湯マニアの蛭川さんの提案で、都民の森から三頭山のブナの森を巡り数馬の蛇の湯温泉たから荘に宿泊する計画を固めて中村(雅)さんも誘い、三月会で話したことから佐藤(久)さんも乗った。
参加者は全員65歳以上、立派な老人になった5名、当日かぞえ70歳誕生日を迎える蛭川さんを祝福するように快晴無風の好日、8時半過ぎ武蔵五日市駅に集合した。40年以上前の記憶しかない五日市駅や街のたたずまいの変わりように目を見張った。中村さんが大学時代まで過ごした実家の前をタクシーで通り過ぎるが、町並みも建物も昔の面影がなくなってしまったと言う。蛇の湯温泉で宿の車に乗り換え出発点の都民の森に着く。

登り始めは10時40分、このあたりはかつて皇室のご料地だったことから奥多摩でも珍しいブナの自然林が残されているという。道標や解説の案内板が多すぎて、作られすぎた公園の感も強い。天気にも恵まれていたので、駐車場には自家用車やバスで着いた登山者が思ったより多くみられた。
私たち老人グループの歩みでは、コースタイムの1.5倍はかかると読んだ。牛歩部隊の先導は非常に難しく、結局中村さんに任される。後から来るグループに次々追い抜かれるが気にすることはない。
ゆっくりだが、着実に鞘口(さいぐち)峠に上がる。三頭山はピークが3個あるために付けられた山名というのが定説らしい。三頭山東峰の見晴台から御前山より大岳山に連なる山稜の向こうに青梅の街が望めた。
12時に最高点の中央峰を通過、近くのベンチで弁当を広げたり昼寝をしているパーティーがあった。
12時半ごろ東峰・中央峰のピークを迂回して西峰に先着した蛭川・長澤さんと合流し昼飯とする。湯を沸かしていただく温かいスープやコーヒーが有難い。逆光に吉田大沢側の雪面を見せる堂々とした富士山が素晴らしい。目を凝らすと左下に都留、中央に富士吉田の町並みも望めた。
昼食の後かなり下りが続く。久しぶりに山道を歩く長澤さんのヒザの具合が悪化して、気の毒なほど痛そうだ。
老人に相応しく、会話の大半が「健康管理、なかんずく体重管理の大切さ」であった。佐藤(久)さんの10ヶ月で10キロ減量したダイエット成功物語に全員耳を傾ける。徹底したカロリー管理、マシンを使って毎日のランニングなど、意志力が問われるきついハードルがあるようだ。とはいっても「超過体重」で問題なのは私と長澤さんだけで、スマートな蛭川・中村(雅)さんは他人事のごとく聞き流していた。
頑張って退避ルートの分かれ道まで来て休憩、長澤さんは皆に説得されて当初の計画で周回することとした。蛭川さんのヒザサポーターを借りて補強する。
このあたりで、宿へ着くのは6時くらいになると覚悟する。多少暗くなっても天気は十分もつだろうから問題ないだろう。この地域は稜線近くまで全て林だが、今は葉が落ちて景色が透けて見えるのがいい。
穏やかで、枯葉の積もった尾根歩きは気持ちが良い。突然大きな音を立てて後ろを歩いていた三森が顔面から転倒する。枯葉の中に隠れた石にけつまずいたようだ。しばらく起き上がれず手を貸してもらってようやく立ち上がるがヒザが痛い。
「ケツメタワ」との道標を見つけて蛭川さんの「タワ=峠」との講義を受ける。
3時半近く、日が傾いて多少寒さを感じたころ、ゆったりと広い槙寄(まきよせ)山の頂上に着く。
あとはだらだらした下山道をさらにゆっくり下る。途中で「国定忠治が登って遠見をした」というと大木の説明板などを覘く。このあたりは忠治が上州から信州への逃避行の途中道ではないので、腑に落ちない。
足元が暗くなって茶畑の下に大きな民家の明かりが見え、舗装された村道に出たところで、宿の主人に携帯で出迎えを頼む。わずかな距離だがとても助かった。
5時40分に宿に帰着、温泉で冷えた身体を温め、工夫に富んだ宿の食事を堪能した。蛭川さんの「古希のお祝い」と「札幌移住の決断」を讃えてお酒もいつもながらすすんだ。
また、佐藤・中村さんが今年、ネパールヒマラヤの「カラパタール登頂」の意欲を語ったことも特筆しておきたい。
1月30日 11:16
三頭山東峰手前で休憩
左から長澤、蛭川、佐藤、三森
1月30日 12:41
三頭山西峰頂上
左から長澤、佐藤、蛭川、三森、中村
1月30日 12:54
三頭山西峰頂上からの富士山
1月30日 15:29
槇寄山頂上
左から長澤、佐藤、蛭川、三森、中村
会   報
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■2010年1月29日 雪のない大寒の三国山稜 三井 博(昭和37年卒)
       *********** 2010年2月6日のHUHACメールより転載
今年は暖冬かと思いきや、急に寒い冬になったりと寒暖の差が激しく、皆様方も体調の管理にご苦労されていることと拝察いたします。
 その暖かい方の1月29日(金)に富士山の近く、山中湖の東南部に連なる三国山稜(三国山ハイキングコース)を歩いてきました。標高が低い楽なコースばかり歩いていて恐縮ですが、報告いたします。
 メンバーは先月の「九鬼山」で報告した「雲取会」のメンバーで7名です。
富士急バスで富士吉田駅から出発し、籠坂峠で下車して登り始めました。何故か私が先頭に指名されましたが、登り始めは雪が溶けて凍ったルンゼ状の急斜面です。何のこれしきと思って氷の上を進んでいくと、ツルッと滑って両膝をしたたか打ちつけました。「三井さん。アイゼンを着けましょうか」と後方からリーダーの八木氏が声をかけてきましたが、当然のことながら、
アイゼンを着用するスペースがありません。このままいきます、と言って慎重に歩いて行くと、氷がだんだん少なくなり、左方に曲がると土の上を何とか歩けるようになりました。この間15分ほどでしたが、結果として本日の行程では一番厳しかったところでありました。
 あとは稜線散歩です。アザミ平を通過し、大洞山(1383m)で一息つきました。この山は山稜の最高峰です。このコースは富士山の展望を期待していましたが、なぜか富士山も山中湖も見えません。下って登っての1ピッチで楢木山に着き、昼食を広げました。
 昼食後、ブナ坂峠に下り三国山に登りますが、これも1ピッチでいきました。三国山は山梨、静岡、神奈川の県境にありますが、ここも展望はありません。三国山の下りは泥道になって下半身が汚れそうなので、高い萱の踏み跡をたどって下りました。下ったところが三国峠です。二車線の舗装道路が山中湖畔の平野から静岡県の山北町に通じていて、下から車がすっ飛んでくるので、気をつけながら渡ります。本日4番目の山が鉄砲木の頭(アタマ)、別名明神山です。正面に坊主のようなのっぺりとした山が立ちはだかり、それを直登します。曲がるところがほとんどない一直線の登りです。1ピッチで登り切ると、素晴らしい展望が待っていました。御坂山塊、道志山塊、大菩薩方面、南アルプスまで見えましたが、富士山は雲に隠れて見えませんでした。
 ここで一人で山北町に下るという横浜の友人に別れて、山中湖畔の東電入口めがけてかけ下りました。その後、バス便が悪いので、タクシーを呼んで、山中湖温泉紅富士の湯で入浴し、大月で懇親会をして帰京しました。大月で「かーちゃん」を訪ねたのですが、「かーちゃん」は朝日ビールしか置いてなく、メンバーの中にキリンビール出身者が2名もおり、キリン以外
は絶対に駄目、とのことで、別の場所にしました。

 コースタイムは次の通りです。
籠坂峠 9:55〜 アザミ平 11:00〜 大洞山 11:25〜 楢木山 12:00〜 三国山 13:10〜 三国峠 13:30 〜 鉄砲木の頭 13:50 〜 東電入口バス停 14:40
 登り600m、下り680m、歩行距離11km、 歩数18,000歩
 
▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
1月29日 12:00
楢木山頂上
右端が三井

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1月29日 13:10
三国山頂上
左から4番目が三井

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1月29日 13:50
鉄砲木の頭
御坂山塊の鬼ガ岳、
十二ガ岳方面を確認
左から2番目が三井

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会   報
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■2009年12月23日 初冬の九鬼山を歩く 三井 博(昭和37年卒)
   *********** 2010年1月2日のHUHACメールより転載
 一橋大学37年卒の同期で悠々会という組織が作られており、ゴルフ、ハイキング、囲碁、カラオケ、畑などの趣味の会が立ち上げられていますが、ハイキング悠々会は最近ウオーキングが主体となってきましたので、それに飽き足りない連中がもっと山に登ろうと、独自に立ち上げた組織が「雲取会」という団体です。2009年1月に私が南高尾山稜に始めて参加した時は、「八木登山教室」という仮名でしたが、その後改名したものです。夏は北アルプスや南アルプス、秋〜春は近郊の低い山に登っていますが、今回が第41回目となかなか活発に活動しています。その雲取会に久々に参加しました。
 山は皆さん先刻ご承知の九鬼山で、富士急行の壬生駅から杉山新道経由で九鬼山(970m)に登り、猿橋方面に北に縦走し、札金峠を過ぎ、馬立山の近くから西に下る新道を気持ちよく下り、富士急行田野倉駅に着きました。5時間弱の軽い山でしたが、雪はなくアイゼンを使う場所はありませんでした。ただ、九鬼山の北斜面は急で霜柱が凍りついたところもあり、慎重に下りました。九鬼山頂上からは富士山が見えませんでしたが、その少し手前に富士見台という展望に優れたところがあり、雲ひとつない快晴で立派な富士山が真正面に見えました。
 下山後はこの会の特徴である温泉(都留市のつるの湯)、反省会(懇親会)を経て、温泉の車で大月駅まで送って貰い帰京しました。
 

▼時間は以下の通りです。

  8:55  壬生駅発
 10:45  九鬼山着
 11:30   〃 発
 12:30  札金峠
 14:15  田野倉駅着
 登り累計  739m
 下り累計  768m
 歩行距離  7.4k 
 歩数    18千歩

12月23日 11:25  
九鬼山頂上  後列左から3人目が三井

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会   報
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■2009年10月12〜14日 錦秋の蔵王連峰縦走(北蔵王・南蔵王)中村 雅明(昭和43年卒
   *********** 2009年10月25日のHUHACメール(訂正版)より転載

メンバー;中村 雅明、中村 玖美子
行程:10月12日
東京(6:12)− 山形(9:02−9:29)−笹谷峠(10:10−10:30)−
雁戸山(13:35−13:48)−南雁戸山(14:52−15:04)−八方平避難小屋(15:30)
10月13日

八方平避難小屋(7:00)−名号峰(9:01−9:12)−追分(9:48−10:00)−
熊野岳避難小屋(11:05−11:30)−熊野岳(11:40−11:55)−刈田岳(12:44)−
刈田峠避難小屋(13:16)
10月14日

刈田峠避難小屋(5:39)−杉ガ峰(6:21−6:24)−芝草平(6:40)−
屏風岳(7:31−7:38)−南屏風岳(8:10−8:20)−不忘山(8:58−9:10)−
南蔵王登山口(11:14−11:34)−吉沼バス停(11:52)

蔵王で思い浮かべるのは、エメラルドグリ−ンの御釜と樹氷とスキーで、山登りより観光をイメージする人が多いと思います。今回、家内と二人で笹谷峠から不忘山までの北・南蔵王連峰を縦走しました。このコースは有人の山小屋なし、水場なしで、寝袋・食料・水を背負って避難小屋2泊の高齢夫婦にはかなり厳しいものでしたが、幸い天気に恵まれ、紅葉を愛でながらの静かな山旅を楽しみました。

●10月12日(月・祝日) 晴れ 北蔵王連峰(前半)
山形新幹線の山形行始発(6:12)のつばさ101号で東京を出発、9:02に山形着。駅で6Lの水を補給し、タクシーで笹谷峠に向かいました。この方面はバスの便が悪く、祝日はバスが運休なのでタクシーを利用するしかありません。途中で車が不調となり、運転手さんが誤ってメーターを倒した為、正確な料金がわからず、推定で6000円(チップ込み)払いました。3連休の最終日の為か峠の駐車場には自家用車が沢山停まっていました。ここに車を置いて、神室岳、雁戸岳を登る人が多いのを知りました。荷物を整理して、いよいよ北蔵王連峰の縦走を開始しました。2日分の食料、水(6L)、寝袋等の重さがかなりこたえます。2p目で家内が濡れた石で滑り前向きに転倒し、胸、膝、手を痛めヒヤリとしました。幸い歩行を続けることが出来ました。緩やかな登り2時間ほどで関沢からの道と合流します。途中で下山してくる登山者と多数出会いました。雁戸山への登りは急になり、蟻の戸渡りと呼ぶ細い岩尾根を息を切らして登りました。風も強くなりザックの上部に入れた4Lの水がゆれてバランスを崩しそうになりました。雁戸山(1484.6m)に13:45到着。3人の登山者が休んでいました。360度の展望、周囲の山肌の紅葉が見事でした。雁戸山をかなり下り、ほぼ同じ高さを登り返し、南雁戸山(1486m)に到着しました。二人だけの頂上を楽しんだ後、下りにかかりました。南雁戸山から少し下った所で、八方平小屋が見えました。紅葉の台地に小屋が見え、絵本の中の小屋の様で心が和みました。15:30八方平小屋に到着。二階建ての大きな小屋で、内部も綺麗です。夕食の時、小屋のドアを開けると夕日が小屋一杯に差し込んで綺麗でした。5時半には夕食を終え、暗くなってきたので早々に就寝しました。同宿者はなく二人だけの夜です。風が強くドアがガタガタと鳴って家内は怖くてなかなか寝付かれなかったとのことです。流石に秋山、寒さがこたえて持ってきた衣類を全部着込んでしのぎました。
●10月13日(火) 晴れ 北蔵王連峰(後半)
本日は楽な行程なので7:00に出発。小屋から稜線を鞍部まで下り、名号峰までは樹林帯の中の緩やかの登りです。眺望が利かない登りですが、ミズナラ、ブナの紅葉がキレイで足が進みます。名号峰が近づくにつれてナナカマドの赤い実が青空に映えます。ところが、道の真ん中にクマの糞と思われるものを続けて発見。クマ除けの鈴を持って来るべきと反省しきり(忘れ物その1)。名号峰に9:01に到着。明るい花崗岩の広場で大休止。昨日から歩いてきた雁戸山からの稜線、これから向かう熊野岳を望める絶好の休憩スポットでした。名号峰からは道が良くなりました。背の低いアオモリトドマツの潅木、岩まじりの道をゆるやかに登ります。熊野岳にかかる頃から雲が空一面に広がり、天気が下り坂になりました。大石のゴロゴロした最後の登りに息をきらし熊野岳の稜線に出ました。少し歩いて熊野岳避難小屋に着きました。軽装のハイカーが二人休んでいました。石室ですが中は意外に明るく居住性は良さそうです。少し食べた後、熊野岳頂上(1840.5m)へ向かいました。風が強く歩くのが少し困難でした。頂上の熊野神社にお参りし、写真撮影の後、御釜に向かいました。37年ぶりの御釜でしたが、どこで御釜を見下ろしたか記憶にありません。自分の足で縦走してきて見る御釜は格別です。御釜展望台には観光客が一杯です。レストハウスでトイレを借り、名物のコンニャク玉を食べてしばし観光気分にひたりました。家内は明日は雨と悲観し、帰りたいと漏らしました。それを冷たく聞き流して出発。刈田岳(1758m)はザックを背負ったままで写真を撮り、そのまま刈田峠に向かいました。40分ほどで刈田峠避難小屋に着きました(13:16)。小屋は思った以上にキレイで驚きました。トイレが中にあるのが助かります。荷物の整理が済むと夕食までにやることがありません。文庫本を持ってきましたが読む気にならず、ラジオも持ってくればと悔やみました。ラジオがあれば明日の天気模様が判るので避難小屋泊まりの時はラジオ必携です(忘れ物その2)。小屋に入る頃からガスが流れてきました。風もかなりのもので気温も低くなりました。シュラフに入って暖を取りました。夕方までに同宿者は現れず今日も二人だけの夜になりました。夕食を早く済ませ、暗くなった頃早々と就寝しました。雨がバラバラと屋根をたたき始め、明日は雨中の縦走を覚悟しました。ところが、一眠りした8:30頃、窓から星が沢山見えました。外に出て空を見上げると満天の星です。思いがけない天気好転を喜びました。夜半に寒さがつのりましたが、小屋に備え付けの毛布をかけてしのぎました。 

●10月14日(水) 曇り(ガス)後晴れ 南蔵王連峰
長い夜を過ごし、4時起床。外を見るとガスっていますが雨の心配はなさそうです。ロウソクの灯りで手元を照らしつつ、即席ラーメンの簡単な朝食を済まし、5時半過ぎに出発しました。雨の心配は無いものの、風やや強くガスが流れてくるので、雨具上下、スパッツの完全雨仕度です。杉ガ峰まで登りが続きましたが、水、食料が殆ど無くなり荷物がぐーんと軽くなり、難なく杉ガ峰(1745.3m)に着きました。ガスで眺望がきかないので少し休んだだけで芝草平に向かいました。芝草平は、蔵王連峰最大の湿原で、夏季にはチングルマ、ワタスゲ、キンコウカなどが咲き乱れる山上のパラダイスとのこと。今の季節は何もないので休まず通過し、屏風岳の登りにかかりました。この付近の道は手入れが良く、丸太を埋め込み、その間を石が丹念に敷き詰めてあり、登りの苦しさを忘れました。屏風岳(1825m)の頂上で小休止し、軽い昼食を取りました。この頃からガスか切れ始め、青空が順次広がり、陽も差し始めました。南屏風岳まではハイマツやアズマシャクナゲに覆われた緩やかな稜線歩きで快適でした。シャクナゲが咲く季節は、楽しい稜線漫歩となることでしょう。南屏風岳からの下りから不忘山まではヤセ尾根で、ロープを張ったガレ場に注意しながら歩きました。不忘山の登りも大したこともなく、予定よりは早く最後のピーク不忘山(1705.3m)に着きました。不忘山と言えば、今年の3月、妙高山で遭難死された近藤泰さんの追悼写真展(一橋山岳会HP)に不忘山の中腹で倉知さん、前神さんと一緒に撮った写真があります。それを思い出し彼を偲びました。頂上でガスが晴れるのを待ちましたが、晴れそうにないので下り始めました。頂上から少し下の「不忘の碑」で写真を撮った後は、どんどん下りました。ガスはすっかり晴れ、空一杯に広がった青空の下、眼前に広がる山肌の紅葉を見ながら気持ち良く下山できました。途中で単独行の男性に出会いましたが、今日会ったのはこの1人だけでした。ほぼコースタイムで南蔵王登山口に到着(11:14)。小休止の後、吉沼バス停まで歩き、2日半の蔵王連峰縦走を終えました。バスを乗り継いで白石蔵王に出て、夕刻帰京しました。家内にとっては荷物も重く、避難小屋の夜の怖さ・寒さが堪えたきつい山行だった様ですが、自分にとっては水場のない稜線を避難小屋に2泊して縦走が出来たこと、登山対象としての蔵王連峰の良さを味わえたことで大満足でした。(同行・完歩してくれた家内に感謝)
▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
(左)10月12日 13:3 (中央)10月12日 14:59 (右)10月12日 15:35
雁戸山頂
南雁戸山頂上
山乃神の碑
八方平避難小屋
(左)10月13日 10:09 (中央)10月13日 12:10 (右)10月14日 10:14
ナナカマド越しに雁戸山を望む
(中央の双耳峰)
御釜展望台から御釜を見下ろす
下山途中に不忘山(左上)を望む
(右上の斜面の人物は家内)

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会   報
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■2009年10月3〜4日 賢治のナメトコ山を訪ねて 山崎 孝寿(特別会員)
  *********** 2009年10月15日のHUHACメールより転載

メンバー:佐薙 恭(昭和31年卒) 蛭川 隆夫(昭和39年卒) 山崎 孝寿(特別会員) 
地図:国土地理院 2万5千分の1「須賀倉山」
参考文献:宮沢賢治『なめとこ山の熊』
(エピソード1)山の名前
宮沢賢治の『なめとこ山の熊』に描かれている「なめとこ山」は、はたして実在の山名かどうか調査が行われ、明治初期の「岩手県管轄地誌」に「那米床山」「ナメトコ山」という記載があることが判明。実在と位置が特定されたため、国土地理院は宮沢賢治の生誕100周年の1996年に2万5千分1地形図「須賀倉山(秋田)」に山の名を記した。
(エピソード2)大沢温泉
宮沢賢治の『なめとこ山の熊』には鉛温泉が登場するが、同作品の淵沢(ふちざわ)川のモデルと見られる豊沢(とよさわ)川には、宮沢賢治はむろん高村光太郎なども訪れた名湯「大沢温泉」がある。
今回は大沢温泉の中でも数多くのファンを持つ自炊部を宿とした。
(エピソード3)早池峰神楽
登山当日の「岩手日報」の一面記事に早池峰神楽がユネスコの無形文化遺産に登録されたと大きく報じられる。早池峰神楽は、岳(たけ)神楽と大償(おおつぐない)神楽の総称で、花巻市大迫(おおはざま)町に伝承されている国の重要無形文化財で、宮沢賢治記念館における企画展「早池峰山と賢治・いにしえの残丘(モナドノック)幻想」でも紹介されていた。

10月3日(土)
前夜23時に車で東京を出発。5時過ぎに花巻南ICで下車。
コンビニで食糧を補給したりして豊沢川沿いの道を走る。
県道234号の中ノ股沢と西ノ股沢の合流地点が駐車場スペース。簡単に朝食を取りながら登山準備。6時15分登山開始。天候は曇りで予報の「曇り時々雨」よりは好転。次第に晴れ間も。西ノ股沢沿いに30分程歩くと「ナメトコ山登山口」の標識(標識はあるものの、公式には「登山道は整備されておらず、登ることは出来ません」との看板があったように、実際の道も時折道を見失いかけやすいので注意が必要)。
登山口標識から北ノ股沢に入る。賢治の作品の主人公の名前からとったと思われる「小十郎の滝」からは、北ノ股沢を離れ尾根を目指すルートに。尾根に出てからが背丈を覆い尽くす笹の藪を突進。藪こぎにあえぎながら9時15分ナメトコ山の山頂(標高860m)。
「鉄砲持たねで来てけろや」と書かれており、ここは完全な賢治ワールド。鉄砲はもたねどクマよけの鈴は必携で、豊かなブナ林の幹のあちこちにクマの爪痕も。
藪こぎでかいた汗が体を冷やしはじめ、山頂には20分程度の滞在で、下山は東への周回コースを選択。ブナ林と笹のやぶこぎが続き4つほど下りと上りを繰り返したあと、豊沢金勢大権現(とよさわこんせいだいごんげん)神社の祠に到着(11時25分)。ここからは登山道も格段によくなり10分ほどで県道234号に。12時ちょうど車に戻り、登山を無事終える。
いったん買出しを行い大沢温泉自炊部で登山靴の紐を解く。タンザニアの一行も自炊部の湯治客として来ており、佐薙さん、蛭川さんはキリマンジャロ談義で友好を深める。
ナメトコ山登山を無事終えた酒宴は、岩手の地酒に「七賢」(山梨)、「金のしずく」(金沢)をメインにカツオやイカの刺身、豚汁で盛り上がる。
尚、鳥釜飯も準備していたものの、さすがに食べきれず、こちらは翌日の早池峰神楽鑑賞前の昼食となる。
参考までに大沢温泉自炊部は調理道具から食器にいたるまで完備している他、完全な自炊でなくとも、ご飯のみ宿から提供してもらい、おかずは自炊ということも可能。売店では豆腐や納豆など簡単な副食も販売されている。宿泊も布団なし(寝具持ち込み)のシンプルな選択も可能だが、布団付きでも3千円弱と、いわゆる湯治宿の中でもお値打ちの宿である。特に自炊部に宿泊ながら高級?旅館部(山水閣)の湯も利用できるのはありがたい。
しかしそれにしてもタンザニアの一団が魚をさばいていたのには驚いた。
10月4日(日)
金勢神社参りと宮沢賢治記念館訪問、早池峰神楽鑑賞。
ユネスコ無形文化財登録を記念した神楽公演「早池峰神楽共演」が花巻市大迫町内川目で行われ、これを鑑賞する機会に恵まれた。500年以上にわたって受け継がれてきたという岳、大償の両神楽が上演されたが、後ろ髪を引かれる思いで中座。早池峰山登山をめざす岳の民宿へ佐薙、蛭川を送り、山崎は東京への帰路につく。

(エピソード4)コンセイサマ
大沢温泉では毎年4月末に金勢祭りが行われる。
大沢温泉近くの山の上にある金勢神社にはコンセイサマが祀られており、金勢祭りには名物の露天風呂にコンセイサマが入浴なさる。その日、女性がコンセイサマにまたがることで子宝に授かれるといい、大沢温泉の人は、いつの年かまたがった女性何人のうち何人かが子供を授かったと説明してくれた。
佐薙、蛭川、山崎の3名はコンセイサマの御威光を我にもと祈願するため大沢温泉近くの金勢神社を参拝した。
なお、ナメトコ山からの下山途中に出会った豊沢金勢大権現(とよさわこんせいだいごんげん)神社のコンセイサマは太さ20cm・高さ60cmで石で作られたもの。しかもふぐり付きとか。事前調査が足りず見落としたのが悔やまれる(祠は厳重なカギで守られていた)。
コンセイサマは、子孫繁栄、縁結び、安産などに効験ありという。
金勢神社は同じように男根をご神体としている金精神社と同系と思われる。

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(左)ナメトコ山の解説看板。遠くナメトコ山が見える。しかし登山道は未整備で登れないとある。
(中央)頂上周辺の豊かなブナ林は熊たちのものである。いたるところに爪あとが。
(右)笹の籔を進む蛭川(10月3日)

(左)ナメトコ山頂上にて。「鉄砲持たねで来てけろや」とある。蛭川&佐薙(10月3日)
(中央)県道へ下山。豊沢金勢大権現の看板前で。蛭川&佐薙(10月3日)
(右)大沢温泉の奇祭のコンセイサマが祀られる金勢神社にて。蛭川&佐薙(10月4日)

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会   報
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■2009年9月19〜21日 中央アルプス縦走 川名 真理(昭和62年卒)
   *********** 2009年9月28日のHUHACメールより転載
9月19(土)〜21日(月)に
佐藤活朗(昭和53年卒)先輩、前神直樹(昭和51年卒)先輩と中央アルプスの縦走に行ってきましたので、ご報告いたします。

■プランの経緯
佐藤さんは木曽駒未踏、前神さんは空木岳未踏のため縦走してお互いの未踏峰をつなぐプランが立案されました。川名も空木岳は未踏であり、縦走もしたく、参加させていただきました。
■行程
9月19日 12時ごろ  千畳敷発
       13時半ごろ 駒ヶ岳頂上山荘テント場着
               〜木曽駒〜濃ヶ池〜テント場(泊)
9月20日   5時半   駒ヶ岳頂上山荘テント場発
               〜宝剣岳〜檜尾岳〜熊沢岳〜空木岳〜
       18時半ごろ 駒石(泊)
9月21日   6時     駒石発
       11時過ぎ  駒ヶ池 
3日間とも快晴に恵まれ、「中央」にあるアルプスならではの大パノラマを堪能しました。
駒ヶ岳からは槍のスカイラインもくっきり。八ヶ岳、南アルプス、富士山、御岳山…
晴れても景色が黄色くにごって見える日もありますが、今回はとてもクリアに見えました。
稜線上は紅葉が始まり、花崗岩の白、ハイマツの緑にウラシマツツジの紅色が美しく映えていました。
……と、美しいことだけ書きたいのですが、実は中日でバテました。

▼以下、ちょっと長いです。お時間のある方だけおつきあいください。
1日目の夜、強風。
風がテントの下に吹き込み、横になった体がふわーっと浮き上がり、船に乗っているように揺られるほど。あまり眠れず、朝、少し吐き気がする。
2日目の早朝、強風。
一日、稜線上でこの風を受けるかと思うと不安になる。上下の下着を着込み、厚手の手袋もつける。砂ぼこりが目に入り、呼吸も乱れがち。
しかし、それも1ピッチでやみ、ホッとする。9月下旬、すでに冬支度が必要なのだなあと実感。用意はあったが心の準備は追いついていなかった。
宝剣を越え、しばらくゆるやかな道が続いたところで元気が出てくる。日が照り、暑い。朝の寒さがうそのよう。しかし、だんだん登りになると吐き気が…。
今日の目的地は……空木岳手前でテントを張りたいねと先輩方と打ち合わせしていた。
問題は、駒ヶ岳頂上山荘テント場以外、中央アルプスは幕営禁止ということ。縦走する人はたいてい空木岳手前の木曽殿小屋(営業小屋)を利用するようだが、ここは要予約。当日は満杯。
その他のオプションとして避難小屋があるが、そこを利用すると1日の行程が短か過ぎるか、長すぎになってしまう。東北の朝日連峰や飯豊連峰も全山幕営禁止だが、避難小屋が充実し
ているのに比べ縦走する人に不親切。ついでに、これはしかたのないことだが、今回、稜線上で水が得られたのは駒ヶ岳頂上山荘のみ(木曽殿小屋で買うことはできる)。縦走の醍醐味が得られる山だが、そういう意味で不便だ。結局、空木岳を越えるしかないことがわかり、歩みを進めたのですがあまりにも進まず、途中、前神さんと佐藤さんになんとなんと、ダブルボッカしていただいてしまいました!本当に申し訳ございません。ダブルボッカなんて現役1、2年の時以来です、たぶん。お恥ずかしい。。。空木岳直下の駒峰ヒュッテに素泊まりの案もありましたが、混んでいるので避け、避難小屋をめざすも、テン場好適地を前神さんが見つけてくださり、巨石のたもとに落ち着きました。乾いた小石が敷き詰められ、テントに居ながらにして南アが一望できる、すばらしい場所でした。
その夜は何も食べられず、自分でも意外なほど、本当にバテていると認識しました。原因は、前夜の睡眠不足? 高度障害? 体力不足? それぞれ少しずつ当てはまりそうです。まだ縦走もしたいので、日頃の体力づくりの必要性を痛感した次第です。
テントを張った駒石周辺は、白砂青松がたおやかに広がる中、巨石がところどころそびえ、独特な景観をなす美しいところでした。            
▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
写真左から
9月19日 14:52 木曽駒ヶ岳山頂(左から川名、佐藤、前神)
9月19日 15:03 馬ノ背からウラシマツツジの紅葉と御岳
9月20日 18:02 空木岳(後:川名、前:前神)
9月21日 6:49 駒石周辺(左から佐藤、前神)


会   報
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■2009年9月14〜16日 雲取山周遊・・・山行報告 齋藤 正(昭和42年卒)
   *********** 2009年10月2日投稿
9月15,16の両日雲取山をぐるりと回ってきました。単独行です。妻には詳細なコース・予定時間・途中途中の退避ルート・避難小屋などを記したものを渡し、かつ説明して出かけました。以下簡単に報告いたします。
●9月15日、稲村岩尾根−鷹巣山−七つ石山−奥多摩小屋 9月16日、奥多摩小屋−雲取山−長沢背稜−酉谷山−小川谷−日原このコースは高校生時代の懐かしいトレーニングコース。半年前、川苔山から本仁田山へ行った際、稲村岩からぐんぐん登る素晴らしい尾根とどっしりした鷹巣山を改めて見て、トレーニングとはいえ、石を積んでひいひい言って登った50年前の郷愁に取り込まれた。せっかく石尾根へ上がるなら、あの静かな長沢背稜と素晴らしい森林と清流に囲まれた小川谷もセットにして歩こうと思い立った。
●14日: 駅前の交番に登山届けを提出。たまたま救援隊副隊長の金(こん)さんが居られ、懇切なアドバイスと山の状況を教えてくださった。酉谷小屋が小屋の下の崖崩れで当分閉鎖と知る。熊に注意するよう言われた。この方は著名な方で、山野井さんの熊の被害の時にも救援に携わっている。雲取山域には50頭程いるという。この日は奥多摩駅近くの旅館に宿泊。朝飯のおにぎりを頼む。夜、下の河原で学生達が朝までキャンプで騒ぎまくっていてひどい寝不足。
●15日 朝一番(6:02 発)のバスで東日原へ。熊よけ鈴をつけて一旦川へ下り、稲村岩下の谷から岩のコルへの急登を登りきったところで雨。岩がぬれているし、道中が長いので、稲村岩の天辺まで行くのを諦めてヒタスラ雨にたたかれながら鷹巣山への尾根をたどる。ただの一箇所も登りが緩まない道をゆっくりとひたすら登り続ける。ブナや水なら、杉や栃などの美しい木々に囲まれ、道は広く、危ない箇所など一つも無い。とても好ましい快適極まりない尾根だ。頂上までさしてないところで雨がやみ、たまたまヒルメシクイのタワと呼ばれる唯一登りの緩んだところでゆっくり朝飯。そこから再び急登30分ほどで、鷹巣山頂。1736m。ガスで全く視界ゼロ。風も強い。しかしとにかく静か。勿論人一人会わない。その昔わざわざ積んできた石で、ケルンを積んだっけ。ここで熊よけの鈴をはずす。自分でもうるさいと思う。結構寒くなってきたので避難小屋へ下る。そこで植物調査をしている若い女学生二人に会った。 避難 小屋は立派。後述の奥多摩小屋より居心地良さそうだ。ここでもう一度腹を満たしてから、ピーク稼ぎと、ひょっとしてカモシカにあえるかもと思って防火帯の尾根伝いに行く。クッションが効いていい尾根だ。日陰名栗峰、高丸山と1700mの峰を二つを踏んでから巻き道へでる。楽ちん楽ちん。 寝不足で少し疲れが出てきた頃七つ石山へ。頂上すぐ下にひしゃげた鳥居と社がある。頂上は汚い。なぜこんなに汚いのか。ここまで全くゴミというものを見なかった。実はこのあと小川谷へ降りてくるまで、山は実にきれいに保たれていた。ここだけが餓鬼の食い散らし跡のようだった。鴨沢からの銀座通りだから仕方ないとはいえ・・・・・・。 よせばいいのにピーク稼ぎなどして疲労も出てきたし、冷たい 風とガスもあって、この日は奥多摩小屋に泊まることとする。七つ石からはなにも見えぬがプロムナードだ。 途中ご存知マルバダケブキの一大群落が続く。と突然一人の御婦人が走ってきた。いま流行の山岳マラソンらしい。奇特なことだと思ったら今度は自転車の若い男性が二人やってきた。六つ石から奥多摩駅に下りるという。うーん!!石尾根ならではだ・・・と、妙に感心。午後3時、奥多摩小屋着。早いが天気も悪く強風で気温が下がってきたので無理しない事とした。ここの小屋番全く無愛想。いきなり宿帳を出して料金をせがまれた。口を利くのも煩わしいという素振り。外は10度を切っている寒さだが囲炉裏に火もないし遂に炊いてくれなかった。布団も冷たく湿っていて、前に寝た人が布団をそのまま丸めたところに行けという。粗末な食事をして(ここは素泊まりだけ)、8時に寝た。夜は冷えた。寒暖計は8度。
●16日、曇り。5:40発。雲取山には指呼の距離。頂上の眺望なし。20分待っても晴れないので下る。雲取山荘で、水を買う。途中ビバークもあるかも知れないと思って2リットル調達。この時期こんな小屋でも人は2−3人。静かで良い。水場の前に小屋の人が丹精したであろう車百合が咲き誇っていた。大ダワを経て芋の木ドッケへ登り返す。結構急だ。やがて風倒木が累々と重なる尾根を過ぎるとアズマシャクナゲの群生するヤセ尾根となる。木の根に脚をとられぬよう注意が必要だ。そして長沢山の登り。11時山頂。この 長沢背稜、眺望はよくない。せっかく晴れてきたというのに。しかしここからがこの尾根の醍醐味だ。頂上を下るとブナの森林が迎えてくれる。時間が押してきたので、急ぐ。水松(あららぎ)山の巻き道で再びブナの森林となる。素晴らしい。一汗かいて天祖山分岐に着く。ここからはひたすら巻き道で時間を稼ぐ。酉谷山も巻いた。1時15分酉谷小屋。なるほど小屋の足場近くが崩壊している。日原まで1000メートルを下る。素晴らしい森林だ。ブナや楓の中をぐんぐん下る。あちこちに山トリカブトが咲いている中、崩壊した道を2−3度高巻きしたりして、脚にきはじめた頃林道に出る。15;30.谷の道は何箇所か崩れた跡があったが、よく整備されている。 もうこれ以上林道は作らないで欲しいと願うばかり。美しい、深い、清らかな谷だ。問題はここから10キロの林道。マメの痛さが気になり始めた頃鍾乳洞へ着き、更に2キロほどで、東日原のバス停到着。午後5時30分。酉谷山から4時間。奥多摩小屋から20キロ・10時間歩き続けた。 2日間、眺望こそ無 かったが、ほとんど人と出会う事も無く奥多摩らしい静かな森林の山旅が出来た。ちょっぴり脚に自信もついた。また青春の思い出に触れられた。

●気のついたことなど:
1)日原のタクシーは来なかったり、電話がつながらなかったり当てにならない。 呼んでも鍾乳洞までしか来ないので、注意。同様に日原川林道にも入らない。
2)紅葉の頃の小川谷がお奨め(昔の経 験から。)
3)酉谷山から天目山まで行き、そこの避難小屋に泊まるという手もある。時間の余裕があれば泊まらなくても天目山からよこすず尾根を下る手もある。
4)このコースなら、やはり初日に雲取山避難小屋または雲取山荘まで行っていたほうが翌日楽。その分小川谷をゆっくり楽しめる。
5)奥多摩駅観光センターで貰った地図は大変良い地図だが、コースによって少しきつ過ぎる感じもある。自信なければ少し余裕を見たほうが良いと思う。
6)携帯(ドコモ)は鷹巣山を越えてから通話不能となった。回復したのは長沢山の頂上で瞬時。その後酉谷小屋〜小川谷〜鍾乳洞までは不能。
7)奥多摩小屋のトイレは外で電気は無い。水場は4−5分下ったところ。宿泊料素泊まり3,500円。応対最悪。
8)雲取山頂上の避難小屋は清潔で、水・寝具さえあれば快適そうだ。
9)酉谷小屋脇の水は渇水する事がある。わたしは幸いうまい水を飲めた。
10)長沢背稜の道もまず迷うようなことは無い。道標もしっかりしている。しかし小川谷は、高巻などで道が臨時で変わっているところも数箇所ある。
11)日原の宿は、平日、人が少ないとやっていないことがある。

●コースタイム:
1日目。東日原−55分稲村岩のコル−2時間35分−鷹巣山−1時間20分(稜線伝い)−千本ツツジ−35分−七つ石山−50分−奥多摩小屋  当日:雨風雨やや強し
2日目。奥多摩小屋−55分−雲取山−12分−雲取山荘−15分−大ダワ−50分芋の木ドッケ−80分−長沢山−70分−酉谷小屋−100分−小川谷林道−130分−東日原 当日、曇り後晴れ 。
上記には休憩時間を含まない。早くも無ければ遅くも無いという感じだと思います。
拙文拝読を感謝します。
          
▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
写真左から
9月16日 長沢背稜より雲取山
9月16日 雲取山荘前のクルマユリ
9月16日 13:18 酉谷小屋から遠く鷹巣山を望む
9月16日 13:20 閉鎖中の酉谷小屋


会   報
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■2009年8月26〜29日 夏の終わりに加賀の白山に出掛けました。 竹中 彰(昭和39年卒)
     *********** 2009年9月2日のHUHACメールより転載
夏休みやお盆休みの喧騒も落ち着く頃と期待して加賀の白山に家内と出かけた。平日に計画したことで幸い登山者は数えるくらいしかおらず、地元中学生の団体が騒いでいた以外は小屋も空いており、北海道以来続く悪天候も小康を得て2日間殆どガスの中での行動で、話題の雷鳥とのご対面は叶わなかったが、結構花にも出会えて楽しい山行だった。
日 程 :8/26(水)〜29(土)
メンバー:竹 中 彰、光子
【行程概要】
●8/26(水) 曇りのち晴れ
週間天気予報から安定した天気が期待できること、復路の高速代は1000円の恩恵に与るべく水曜日に金沢泊、翌日マイカー規制を避けて別当出合経由で室堂に泊り、早朝のご来光を御前峰で仰いで下山、白山スーパー林道を通って飛騨・平瀬温泉の「秘湯を守る会」の宿に泊る計画を立てた。
稍々出発に手間取り、7:05に自宅を出発して八王子ICを8:10通過、松本ICを目指す。順調に10:30に松本の料金所(3,500円)を通過して野麦街道(R158)を沢渡経由安房トンネルを抜け、高山には12:30に着く。街中での駐車場探しも難儀なので、そのまま市外の道の駅「ななもり清見」に進み高山ラーメンの昼食を摂る。その後直ぐ傍の中部縦貫道・高山西ICから東海北陸道・飛騨清見ICに入り北上して福光ICで出る(1,400円)。東海北陸道は往復2車線のトンネルが連続し、特に五箇山からは12kmの長い飛騨トンネルがありウンザリする。
福光からは医王山の北側を通って金沢駅前のビジネスホテルにチェックイン(15:30、407km)。夕食は翌日の入山に備えて控え目に駅前のイオンのビルの回転寿司屋で地物の魚を食して済ませる。
●8/27(木) 晴れ時々曇り
夏山シーズンもピークを越え、別当出合の駐車場までマイカーで入れる(月〜金・20:00まで)ので、余裕を持って7:30にホテルを出発する。R157を鶴来からは手取川に沿って南下し、手取川ダムからは狭いトンネルの多い道を白峰で勝山への道を分けて左に市ノ瀬に向い、終点の別当出合に着く(9:35、標高1260m)。駐車は100m程下った一般車駐車場に下る手前、道路際の駐車帯(工事関係者用?)に1台分の空きスペースがあったので、ズルしてそこを利用させて貰う。入山届を出して9:55に釣り橋で別当谷を渡り、砂防新道に入る。平日で遅い時間の出発のせいか、前後に人影は全くなく、ブナ林の間を進む。2ピッチ目で中飯場(1520m)を通過し(10:46)、ハクサンシャジンらしき花を見かけ写真を撮る。この頃から下山してくる家族パーティーなどと行き違う。2ピッチ目を1590mで刻んだ(11:07〜15)後、別当覗(1750m)を11:33に通過。歩き出しでなかなかピッチが上がらないまま1855mで3ピッチ目の少憩(11:53〜57)、きつい傾斜ではあるが比較的歩き易い道を辿る。、センジュガンピや次第に増えるハクサントリカブトなどを見ながら12:20に漸くトイレ、水場のある甚之助避難小屋(1980m)に着きオニギリとカップラーメンで昼食とする(〜12:50)。ここまで来ると先行パーティーや下山して来たパーティーで少し賑やかになる。この頃一時雨がぱらついたが本降りにはならなかった。食後の最初のピッチで南竜分岐(2100m)に着き(13:13〜18)、南に展望の利く場所で一息入れる。この後は黒ボコ岩を目指して暫らくトラバース気味に緩い斜面を進むが、2、3ヶ所水場があり周辺にはハクサンフウロなどの花も綺麗に咲いている。2230mでピッチを刻み(13:47〜53)、水がチョロチョロ出ている「延命水」を過ぎてひと登りで弥陀ヶ原の末端、観光新道との合流点、黒ボコ岩を通過する(2320m、14:15)。ハイマツ、ササの間を平坦な木道が続くが、行く手はガスで目指す御前峰は全く姿を見せず期待はずれであった。五葉坂登り口(エコーライン分岐)で少憩(2365m、14:23〜30)。ハイマツの中の大きな岩が重なった五葉坂を乗りきって15:00に室堂ビジターセンター着、一人2食付き7,700円を払って受付を済ませる。受付時に登下降ルートを確認されるが、明日の観光新道については尾根筋で悪天(雨、場合によって雷)が予想されるので避けた方が良いとのアドバイスがあった。
室堂は700人収容の大規模な小屋であり、部屋の割り当て(2段の下の奥、布団、毛布2枚と枕)を受けて場所を確保した後、明朝も悪天が予想されるのでこのまま御前峰に向うことにする。運が良ければ西が晴れて頂上でブロッケンに遭遇出来るかもと期待したが…。
15:15にスタートして直ぐ上の白山ヒメ神社祈祷殿横を抜けて登って行く。相変らず山頂方面はガスで、青石、高天ヶ原を過ぎ、次第に風も強くなる中、家内は稍々遅れ気味ではあるが16:05に頂上の白山奥宮到着。周囲はガスの中で全く何も見えず、御前峰(2702m)の石柱をバックに写真撮影して下山する。頂上で年輩男性2人組、下山途中で同じく3人組と出会う。17:00からの夕食時間まで余裕があるのでイワギキョウ、ウスユキソウの頭花(?)などの花を愛でつつ下る。道は大きな石を積んであるが、段差も適度で歩き易い。昔からの登拝道であり丁寧に作られている感じ。途中で高校生3人組がトレーニングで登りのダッシュを繰り返していた。祈祷殿に戻り、来春中学受験の孫娘に受験祈願のお守りを求める。ビジターセンターに16:40に戻り、夕食まで生ビール(500ml相当800円、350ml缶は500円、ここで買ったものも空き容器は持ち帰りを求められる)を飲みながら待つ。食事は余り食欲の出る内容ではないが、味噌汁のお代り、フリカケ等で流し込む。食後暫らく受付周辺で天気情報、花情報などの掲示板を確認し、備付けの図書のページを繰る。トイレ(簡易水洗で使用済みペーパーは箱に分類)を済ませて19:00過ぎには寝床に横になり、廊下の中学生団体の声を聞くうちに眠りに落ちた。(歩数11.8千歩)
●8/28(金) 曇り
早朝中学生の団体が起床してご来光を目指す音で目覚めるが、外は濃いガスで覆われているので、そのままユックリ寝ている。6時過ぎに学生が濡れそぼって戻り、寒い寒いを連発していた。7時から朝食を摂り、7:45に上下雨具を着けてビジターセンターを出てガスの中を下山する。同室者は15分前に出発していたが、五葉坂下のエコーライン分岐で追いつき、相前後して木道の続くエコーラインを下る。少し進んだ所で女性パーティーがカメラを構えている先に羽毛状の花柱を伸ばしたチングルマの群生地があり、この後もかなりの頻度で道の両側に展開していた。その他カライトソウ、シモツケソウ、アザミ、ハクサンボウフウ、イブキトラノオ、ミヤマトリカブトなどが目を楽しませ、急な下りも余り気にならない。家内は途中で膝と大腿筋に違和感を覚えたとのことで、ペースが落ちしばしば立ち止まって待つ。9:00に往路に休んだ南竜分岐を通過し、程なく甚之助避難小屋に着き(9:15〜45)、お茶を沸かしてユックリ休む。この頃には雨の心配もなくなり雨具を脱ぐ。その後左手の柳谷が開ける場所から眺めると眼下に大規模な砂防堰堤が広がり、急で崩れ易い谷との攻防を窺わせる。中飯場の水場で休んでいると(10:45〜55)、夏休み最後の週末を控えて、子連れのパーティーが多くなってくるが、総じて子供の方が身軽に先行して来る。その後の下山途中で蔓性の植物の先に白い壷状の花が垂れ下がっているのを見たが、名前は分らなかった。別当出合の吊り橋が見える所まで降りてきてホッとする。橋を渡り、鳥居をくぐれば終着の休憩舎に到着(11:40)。外のベンチ、
テーブルで昼食とする。駐車場に向うと、砂防工事も休みなのか来た時には満杯状態だったが数台しか止まっておらず、途中ですれ違った多くの良い子は正規の駐車場に入れた様子。12:25に駐車場を出て市ノ瀬経由白山スーパー林道に向う。手取川ダムを越えてトンネルを抜け、瀬戸、中宮、一里野(標高550m)と尾添川に沿って進み、スーパー林道に入る。特別割引期間中で通常3,150円が2,500円になっていた。途中落差86mのふくべの大滝(900m)、白山展望台、三方岩駐車場(1450m)を通って白川郷展望台(1200m)から飛騨側料金所(780m)に降りていくが、ところどころヘアピンカーブはあるものの往復2車線の完全舗装道路で、車は少なかったが秋の観光シーズンには相当混雑が予想された。飛騨側でR156で平瀬温泉に予約した宿「藤助の湯ふじや」に入る(16:00)。源泉は96℃の含硫黄ナトリウム塩化物泉(弱アルカリ)で15km引き湯し、井戸水で熱交換して適温に下げている由。無色透明で稍々ヌルヌルした「子宝の湯」。久し振りに「秘湯の会」の温泉で、スタンプ帳も漸く3個となったが前途遼遠。(16.5千歩)
●8/29(土) 雨のち晴れ
夜間から朝までかなり雨が激しく降っていたが、温泉につかってユックリする。やはり前日の下山のせいで筋肉痛が出ている。9:40に宿を出発して、往路とは異なり東海北陸道を南下し、一宮で名神・東名を走ることとする。1,000円の恩恵に与る積りが横浜町田ICで出た時には結果的に1,350円であった。途中厚木の辺りの事故渋滞に巻き込まれ、帰宅は19:00過ぎになった。(総走行距離1042km)
家内には昨年秋の大室山以来久し振りの山行だったが、瞬発力のテニス等とは違う筋肉トレーニング不足は否めず、今後の山行に際しての課題と言える。

*▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
 【写真左から】
(1) 8月27日 10:11 砂防新道から吊り橋を望む
(2) 8月27日 14:54 五葉坂を上って室堂センターへ(竹中光子)
(3) 8月27日 16:12 御前峰にて(竹中)
(4) 8月28日 10:38 柳谷川の大規模砂防堰堤

■山崎 孝寿 特別会員の感想
   白山は小生が二十歳の時、春〜冬の閉山までのワンシーズンを小屋番として過ごした思い出の地です。
   その後も室堂で働き、今の皇太子を迎えたこともありました。
  次回訪れるときは、大聖寺にある石川県出身の深田久弥「山の文化館」をお勧めいたします。
     ****
会   報
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■2009年8月25〜27日 北アルプスの二つの山上湖を結ぶ追悼の旅  蛭川 隆夫(昭和39年卒)
     ********** 2009年9月2日HUHACメールより転載
    メンバー:佐薙 恭(昭和31年卒) 蛭川 隆夫(昭和39年卒) 三森 茂充(昭和40年卒)
●8月25日(火)
長野新幹線の佐薙・蛭川とマイカーの三森は、長野駅で合流し、オリンピック道路を経て白馬村神城の民宿「さかや」に至った。オーナーは、三森さんの数十年来の知人、下川信敏氏(一橋山岳部がお世話になった下川又寛さんと同姓だが、縁続きではないそうだ)。
氏は、ありがたいことに我々をゴンドラの駅まで送ってくれた。ゴンドラとリフトを乗り継いで、一気に1,860mの栂池自然園入口(時間の関係で同園の散策は省略)。トリカブトの蕾が開いていて秋の訪れを感じる。
天狗原を経て、乗鞍岳に向かった。天狗原からは岩塊の急登だが、ときどきハクサンフウロなど花を見つけては、立ち止まって観察したり、デジカメを向けたり、のんびり登った。
到着した2,437mの頂上と小蓮華山2,769mとの鞍部を見下ろすと、白馬大池が光っている。今夜の宿である白馬大池山荘の赤い屋根も見える。その2,380mの鞍部へと降り始めると、左右にダイニチアザミ(帰宅後、図鑑に「頭花はうなだれて咲く」とあったのでデジカメの写真を再生したら、たしかにそう写っていた)。道が大池の岸沿いになると、その斜面にはウサギギクなどのお花畑。山荘のある広い鞍部には、チングルマの大群落。今は、花はすでになく、花柱も開いて薄赤紫色または白色の羽毛になっている。水辺には、ヒオウギアヤメがまだ花を残していた。
予約していなかったが、我々だけで5人部屋を占有できた。なにはともあれ、ビールを買い(500mlで800円)、佐薙さんの音頭で献杯。今回の山行は、7月に亡くなられた山崎さんを追悼する旅なのだ。佐薙さんが昨年発案した、この山上湖を結ぶ山行を、山崎さんはずっと楽しみにしておられた。予定どおり8月下旬にこうして計画が実現したが、残念にも山崎さんを偲ぶ旅となった。持参した「男山」缶酒も開けて、しばし故人の思い出話にふけった。
●8月26日(水)
小屋番によると、早朝の最低気温は1度で、薄氷が張ったそうだ。昨日の道を逆行して、再び乗鞍岳頂上。好天の中、しばし山名同定にふけった。朝日岳、雪倉岳、杓子岳、雨飾山、妙高山、火打山、戸隠山、高妻山…。巨岩を踏みながらの急な下りに難儀して、昨日
の天狗原に戻った。天狗原からは、千国揚尾根を辿る。最初は、湿原の長い木道だ。こ
こでも、左右の高山植物(タケシマランなど)にたびたび足を止めて鑑賞や撮影。化け物のように巨大化したミズバショウは、初夏の楚々とした姿とは大違いである。これも夏の終わりの風景だ。木道が終わると尾根らしくなり、風吹大池に向けて下りとなる。
14:00ごろ、風吹山荘1,790mに到着。夏の北アルプスだというのに、ここまで天狗原から誰にも行き交わなかった。山荘の他客も、富山からの単独行者のみ。定員35人の、北アルプスでは珍しく静かな小屋だ。
荷物を預けて、反時計回りでの風吹大池/風吹天狗原巡りに出た。ガイドブックには1周90分などとある(例年は水量がもっと少なく、水際を歩けば60分だとか)。我々は、小敷池、科鉢池、神ノ田圃、血ノ池などの寄り道を加えてたっぷり150分。途中で、ツバメオモト(瑠璃色の実)、カニコウモリ、ミツガシワ(花は終わり)などを鑑賞。トラノオに似た白色または紅色の花があり、三人で同定を試みたが、結論は出なかった。山荘に戻って小屋番に聞いたら、イワショウブだと即答。なるほど根葉はショウブそっくりだ。これで昨日からずっと胸につかえていた宿題が解決をみた。
東京は深川出身というこの小屋番氏、夕食後ウイスキーを抱えて我々の話の輪に入ってきた。そのウイスキーと佐薙さん持参のハナタレとで、大いに話が盛り上がった。どうしてそういう話題になったのか記憶にないが、小屋番氏がひとくさり火山や岩石や地質を語った。偶然だが、晩年その方面を勉強していた山崎さんを偲ぶいい夜となった。
●8月27日(木)
起きると、地面やチシマザサが濡れている。さすがに今日は雨中行軍かと覚悟しながら下山にかかったが、歩くほどに晴れてきた。このところずっと雨男を務めてきたが、どうやらお役ご免となったようだ。またまたゴゼンタチバナやアカモノの朱色や紅色の実を楽しみながら、標高約1,300mの林道まで下山。そこは、浦川を挟んで、日本三大崩れの一つ、稗田山(ヒエタヤマ)崩れの崩壊斜面が見える場所である。コーヒーをいれて待つほどに、下川氏の迎えの車が到着。民宿「さかや」まで行き、そこで奥様が打ってくれた十割蕎麦で昼食を取ってから、三森車に乗り換えて帰路についた。
*▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
(左)8月25日 撮影:三森
乗鞍岳頂上にて
左から、佐薙、蛭川、三森
  (右)8月25日 撮影:三森
  白馬大池と小蓮華岳
佐薙
(左)8月26日 撮影:佐薙
風吹天狗原の木道を散策
左 三森 右 蛭川
  (右)8月27日 撮影:佐薙
  風吹山荘にて
  左から 蛭川、佐薙、三森


会   報
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■2009年8月7〜9日 カムイエクウチカウシ山行報告 川名 真理(昭和62年卒)
           *********** 2009年8月23日のHUHACメールより転載
8月7(金)〜9日(日)に北海道の小野先輩に誘っていただきカムエク(カムイエクウチカウシ)山に行ってきましたのでご報告いたします。
●行程
 8月7日 7時    札幌のホテル発(車で移動) 
      12時過ぎ  札内川林道ゲート着(3時間半)
      16時ごろ  八ノ沢出合い(泊) 
 8月8日 5時     八ノ沢出合い発〜山頂往復(11時間半)
      16時半   八ノ沢出合い着
 8月9日 5時過ぎ  八ノ沢出合い発(3時間半)
      8時半ごろ 札内川林道ゲート着〜温泉〜食事〜夕張メロン農家経由
      15時ごろ  千歳空港着
●参加者
小野肇先輩(昭和40年卒)+川名(昭和62年卒)+(ガイド2人+小野さんの山仲間6人)
●プラン・参加の経緯
 小野さんと日本登山医学会のお医者さんを中心とするメンバーが数年前から日高の山を毎年、登っており、川名は昨年のアポイ岳が初参加。今回もそのプランに混ぜていただきました。
小野さんは28年前に日本山岳会北海道支部の行事でこの山に登ったことがあるそうです。(そのときの支部長は大塚先輩で、望月先輩や佐々木先輩も一緒)今回、リードするのは難しいとのことで、ガイドさんを頼んで計画が立案されました。
●難易度
1)荷物
 キャンプ地まで平坦地を片道3時間半なので、今回のメンバーでテント・食事をかつぐことは可能と思いましたがガイドさんがテント2張と食糧・鍋・コンロ・ザイル等をすべてかついでくれました。(ほかにガイドさんはテント1張をキャンプ地に残置していました)
2)技術
 沢には巻き道がずっとついており、時間短縮のためにすべて巻き道を通りました。
 少しは沢登りして遊びたいところでしたが、人数が多いので仕方ありません。
 危険に思う箇所は下りの1箇所のみ。そこはフィックスロープを張ってもらい、ハーネスは付けず、ロープにつかまりながら下りました。 われわれは(年の割に?)「歩き慣れている。足並みがそろっている。優秀です」とガイドさんにほめてもらいました。
3)徒渉
八ノ沢出合いの下流でわたしが1度、八ノ沢出合いの上流で同行の女性が1度、徒渉中に転びました。危険はないものの、腰から下がずぶ濡れに。以降、深い部分ではガイドさんに手を貸してもらいました。
4)ルートファインディング
「よい巻道(徒渉数が少なく、浅瀬を渡れる道)を探すのは難しいんです」とはガイドさんの言。とくに八ノ沢出合いの下流は無数に巻道があるので、同じ道を通ろうとしてもできないのだそうです。八ノ沢出合いから上は目標が明快に見えるので、迷うことはなさそうです。
ただ、増水すると前進も後退もできない。状況判断が難しそうです。
●魅力
八ノ沢出合いから上流に少し進むと、その日の行程が一望できます。沢をふさぐ雪渓、垂直の滝、はるか上に見える稜線の直下に緑のくぼみ(カール)…山頂だけはわずかに隠れています。直線上のコンパクトなエリアに一日の行程が凝縮されているのです。
ただし、高度差はすごいです。滝は高巻きますが、すぐ脇を通るので、お花畑ごしの涼やかな景色が楽しめます。
ハイライトはカール。涸沢カールは荘厳な美しさがありますが、八ノ沢カールは「あ、みーつけた!」と言いたくなるような、かわいらしいサイズ。さりげなくそこにあります。ザ・カールではなく、ア・カールの良さです。お花畑が広がり、雪渓も残り、昼寝に最適。一晩泊まりたくなるところです。日高の山には、稜線の脇にそんなカールがいくつもあるそうです。その一つ一つにヒグマの家族が暮らしているとか…。幸い遭遇しませんでしたが、頂上で出会った人は前日に親子3匹を見たそうです。
(この山は福岡大ワンゲル部員3人がヒグマの犠牲になった山としても知られています)
おかげさまで夏休みらしい夏休みをとることができました。なんとたき火を囲みながらシャンパンで誕生日も祝っていただきました。
小野先輩、ありがとうございます。一生忘れません。
●ガイドさん
30歳前後の若いガイドさん。札幌の「ノマド」という会社に所属。一人はガイドさんになりたてのようで初々しく、夏場は1か月に25日も山にいるそうです。もう一人はプロスキーヤー(本番は冬)で、大回転のデモンストレーターとして日本有数の人とか。
手際よくおいしいキーマカレーをつくってくれ、感激しました。ガイド業のほか、車の送迎、食事、たき火の支度、後始末とこなすのは大変な仕事だなと思いました。
ガイドさんたちの楽しげで圧迫感のない仕事ぶりのおかげもあり、リラックスして過ごすことができました。
針葉樹会の方に山スキーや沢に連れていっていただく機会があります。リードしていただいたり、車に乗せていただいたり、そのおかげで山に行けるわけで、今回、ガイド付きで山に行って、そのありがたさを改めてかみしめる機会にもなりました。
●おまけ
2日目に目の下を虫(ブヨ?)に刺され、すぐつぶしたのですが、3日目の夕方からはれはじめ、翌日は顔半分がはれあがってしまいました(眼帯で顔を隠して出社)。
なおるのに1週間ほどかかりました。虫、おそるべし。
*▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。
 (左 )8月8日 6:45 雪渓を通過
 (中央 )8月8日 7:25頃 急登(撮影:松野正紀先生)
(右) 8月8日 8:54八ノ沢カール
(左) 8月8日 10:55 頂上直下(花:ヨツバシオガマ)
 (中央) 8月8日 11:16 頂上でくつろぐ小野さん
(右) 8月8日 11:19 ガイドさん
(左)8月8日11:23 カムイエクウチカウシ山頂、
後列左から2番目が小野、4番目が松野先生、前列右端が川名
(中央) 8月8日 13:42 帰路、フィックスロープを張る
 (右) 8月8日 14:39 滝(下山時に巻道から撮影)
会   報
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■2009年7月31日〜8月2日 越後シリーズ第四弾(浅草岳・守門岳)     竹中 彰(昭和39年卒
                   *********** 2009年8月8日投稿
夏の懇親山行が三井山行幹事によって越後シリーズの一環として企画され、多くの会員の参加により無事計画を達成した。
参加メンバー:佐薙(S31)、上原(33)、三井(37)、蛭川・竹中(39)、本間・三森・佐藤力(40)、斎藤(42)、中村(43)
   10名 蛭川、佐藤力は浅草岳、三森は守門岳のみ参加
   日程:7/31(金)小出駅集合、只見線で大白川へ、浅草山荘のバスで山荘
   8/1(土)山荘からバスでネズモチ平へ、浅草岳頂上から桜ソネ経由下山
   8/2(日)山荘からバスで大原スキー場上登山口へエデシ、小烏帽子経由守門岳、
往路を下山後バスで入広瀬駅近くの寿和温泉へ、
今年3回目の懇親山行が浅草岳、守門岳で実施され、この数年続いた越後シリーズ(06/8越後駒・中ノ岳縦走、07/8八海山・丹後山縦走、08/8荒沢岳、平が岳)に参加してきた身として、その一環として参加した。
●7/31(金) 曇りのち雨
幹事指定の小出駅ホームに16:05集合すべく13:30過ぎに東京駅上越線新幹線ホームに並び、佐薙、本間、斎藤さんと共に自由席を楽勝で確保したが、指定席組の三井、中村さん、先行の上原さんとは浦佐駅で合流。接続の悪い在来線で2駅8分先の小出を目指す。小出駅で1日5便のダイヤが編成されている只見線に乗り換えて、在来線などで来た蛭川、佐藤さんと合流し予定の9名全員揃う。乗客の殆どが地元中学生?のディーゼルカーに揺られ、50分弱で目的の大白川駅着。無人駅に予約した国民宿舎浅草山荘の立派な小型バスの出迎えを受けて乗車し、浅草山荘下の音松荘に向う客1名と相乗りで出発する。15分ほど走り浅草大橋を渡って取付け道路を上がって宿舎着。宿舎にはテニスコートが4-5面並び、学生の運動部合宿に相応しい設備が備わっていた。早速館内の源泉100%掛け流しの浅草岳温泉に入る。入浴後は缶ビールで乾杯、食堂での登頂前夜祭となる。食事は先付け、刺身、地元山菜などを中心に結構凝った料理が並ぶ。食堂利用時間が19:30とのことで、程々で部屋に引揚げ、2次会へ。
夜に入って雨と雷がかなり激しくなり翌日の山行に不安を感じながら就寝。
●8/1(土) 曇り時々晴れのち雨
起床時には空は晴れ、所々に雲が浮かぶ状況。7:30から食事を摂って弁当をパッキングし、8:00に宿のバスで出発。20分余で展望休憩所のある駐車場(870m)に着き、8:30に9名の隊列が蛭川さんをトップにスタートし、桜ゾネに通ずる林道を進む。8:40にネズモチ平登山口(930m)を通過し、立派なブナ林の間の滑り易い道を上がる。その後も同じ様な道を1100m位まで登り、その後も急になった登山道を進み、4ピッチで前岳の分岐に着く(1550m、11:22〜32)。そこから一部雪田の残る草原状の稜線下を浅草岳に向かって進み、11:45に頂上(1585.5m)到着。頂上には先行パーティーが2-3組休んでいたが、我々も大きな海苔で包んだオニギリ弁当を広げる。曇り空で展望は余り芳しくなく、食事、集合写真を撮って下山に移る。10分余で前岳分岐に着き、桜ゾネ登山口に向けて下る。最初は草原の間を木の階段、木道が整備されていたが、嘉平与ポッチのピーク(1484.7m)を過ぎて、歩き難いえぐれた急な道の下降がブナ林の中を縫って続く。時々少ない花をチェックしながら進む内に、トップの蛭川さんが「アッ、蛇だ」と叫ぶ。この辺りの山はマムシが多いとも聞いていたので、一瞬ギョッとするが、説明ではアオダイショウの様子で一安心。最初のピッチを1310mで刻み(13:15〜23)、この頃から雨がパラつく様になり、雨具を着ける者も。更に30分弱下った所で大粒になるが降ったり止んだり。14:15に1050m地点の皇太子成婚記念で設置された「浅草の鐘」を通過し、そこでネズモチ平から続く林道に飛び出す。林道を少し進んだ所に右の山側から小沢が流れ落ち、コップで受けて美味しい水を味わう。雲行きが益々怪しくなり、ひたすら林道を急ぐ内に14:40に朝の出発点のネズモチ平を過ぎ、本降りになった14:45にバスの待つ駐車場に到着。全員揃った所で山荘に戻ると守門岳に参加の三森さんが日光からマイカーで到着し、入浴していた。我々も温泉、ビールで乾杯、夕食と続く。夕食は昨夜とは異なるメニューだったが、岩魚の塩焼きや山菜など品数多い美味しいもので、一部は翌日の昼食のオカズ回すべく、アルミホイルを用意してもらって包む。その後は部屋で二次会。
▲8月1日 9:25
浅草岳へ(ブナ、オオカネノキ等も林間を辿る)
▲8月1日 11:54 浅草岳頂上へ歩を進める
三井さん(後方は木道〜前岳)
▲8月1日 11:56  浅草岳頂上(竹中) ▲8月1日 12:38  浅草岳山頂からの帰路、
前岳分岐で(後方は浅草岳)
●8/2(日) 曇り時々晴れ
夜中に2回地震の揺れで目を覚ますが、特段のことなく朝6時前の明るい日差しで目覚める。7:30からの朝食後、残置荷物を含めてパッキングして撤収する。食後8:05に山荘のバンと三森車に分乗して大原スキー場上の守門岳登山口に向う。流石に日曜日でもあり、駐車場には3台程度の先行者の車があった。
中村さんをトップにした隊列が登山口(630m)を8:30にスタートし、当初は稍々ぬかるんだ草原状の木道を進むが、直ぐにブナやオオカメノキ(ムシカリ)、ユキツバキの樹林帯に入り、エデシと呼ばれる尾根上の分岐に向って次第に傾斜を増す道を登る。略正確に30分ピッチで810m、950mと刻む。この間9:10に東側の大雲沢の布引ノ滝への分岐を見送り、2ピッチ目の9:35に上原さんが足の調子不良とのことで、別れて下山することになる。尾根上を進んで行くうちに雨がパラツキだし雨具を着ける者、そのまま行く者と各自の判断で対応する。尾根は次第に岩混じりになり、お助けロープが張られる部分や、頭上の木から垂れ下がるロープに縋り、振り子トラバース気味に進むなど変化のある登りが続く。3ピッチ目で遥かに燧岳の双耳峰、越後駒、中ノ岳、八海山、魚沼丘陵などが望める展望の良い所で一休み(1100m、10:05〜16)。更に進み、少し下って小さな沢を横切る所が水場で、タップリの水が流れている(1180m、10:41〜47)。補給後歩き難い急坂を登って主稜線に飛び出し、西側からの田小屋ルートとの分岐となる小烏帽子(1280m)を通過する(11:00)。稜線にはお花畑が広がり、ニッコウキスゲが満開状態であった。ナナカマドやコケモモなどの植生の間を抜けて進み、足元は所々切れ落ち、水分を含んで滑り易い土や岩に緊張するが、クガイソウの優しい花に慰められる。途中で本間さんが自然の欲求に応えて止まる間に、他のメンバーは頂上を目指して進む。1370mで少憩(11:25〜32)後、最後の急登ヒト登りで守門岳頂上に到着(1537.2m、11:59〜12:30)。頂上には2パーティーがいたが、何れも別ルート(北側の大岳?)から登っ手来た様子。頂上でユックリ周囲の展望を楽しみ、昼食を摂り、集合写真を撮る。我々と同じルートから上がって来たアベック(女性の方が屈強な感じでリードして来た)が着くなり早速ビールの缶を開けて乾杯していた。
後続の本間さんを待つが、現れないので下山に移る。下山中に小烏帽子ピークの手前を見ると本間さんと思しき人影が点で見える。佐薙さんが双眼鏡で覗いて、本間さんの着衣と一致することを確認し、向こうも下山に移ったことを知る。ニッコウキスゲの群落の所で本間さんに追いつき、小休止して花の写真を撮る(13:04〜10)。その後分岐点を過ぎ水場の小沢を渡るところで、ラストを歩いていた三井さんが足を滑らせ腰を打つ。三森さんが付き添いユックリ降りると言うので、その他のメンバーは先行することにした。岩混じりの尾根を下降し、少し開けた所で休憩して三井さん達を待つ(13:45〜14:00)。
この間に追い越して行った頂上で会ったアベックから、三井さん達からの待ってて欲しいとの伝言を聞く。再び全員揃って下るが、14:25に布引ノ滝への分岐を通過し、尾根を外れて林間の道に入る。ひたすら下り、14:52に山荘のバンが待つ登山口の駐車場に着き、滝見物に回った上原さんとも合流し無事に守門岳山行が終わった。15:10に三森車と2台に分乗して入広瀬駅近くの寿和温泉に送ってもらう。日曜日で家族連れなどでかなり混み合っていたが、汗を流してサッパリして館内のお休み処で生ビールなどで乾杯し、今回の懇親山行計画達成に祝杯を挙げた。その後、10分程度荷物を担いで入広瀬駅へ歩き、17:10発の小出行きの列車を待つ。小出着17:42、上越線浦佐行き18:32まで時間があるので駅前のソバ屋「富貴亭」に繰り込み、各自ソバを注文する。ご当地名物の「ヘギソバ」は5合と一升があるが、聞けば5合で普通のザルソバの2人前強あるとのことで、斎藤さんが一人で5合は行けるとのことなので、中村さんと3人で1升を頼む。他のテーブルには夫々注文の品が届くが、ヘギソバはなかなか出て来ない。時間も気になるので催促して暫らくすると綺麗にヘギ(薄い杉などの板で作った盆)に盛り付けられたソバが出てきた。3人で時間を気にしながら一気にツユに着けて食べる。斎藤さんは事前に東京に着いてから千葉の自宅に帰るまで2時間がかかるので、小出に泊る為に駅前の旅館を予約し、これから旅館に入って夕食を食べるとのこと。その健啖振りに驚く。
何とか時間内に食べ終わり、駅のホームに戻る。浦佐からは19:17発のとき346号に乗車したが幸い自由席も比較的空いており、楽に座れた。寧ろ指定席車両の方が混んでいた様だった。駅の案内板では指定券もこの列車の2本後からは全て売切れで、長岡の花火大会からの帰り客が大勢乗って来るのではないかと思われた。ソバで腹一杯になり、ビールや酒も余り欲しくなく、大宮、上野で夫々下車するメンバーを見送り、雨模様で蒸し暑い東京駅に21:00に着いた。かくて浅草岳、守門岳に登った、越後シリーズ第四弾も幕を閉じた。幹事の三井さん有難うございました。参加の皆さんお疲れ様でした。
▲8月2日 8:55 守門岳へ(ブナ林の急登) ▲8月2日 10:14
守門岳へ(八海山から越後駒ケ岳から中岳)
▲8月2日 11:06
ニッコウキスゲの群落を見ながら守門岳へ
▲8月2日 11:16 
守門岳頂上は目前、尾根道を行く。
足元は滑り易い。
会   報
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■2009年7月24〜25日 風雨の富士山登頂 三井 博(昭和37年卒)
*********** 2009年8月28日のHUHACメールより転載
富士山に行ってきましたので、報告いたします。
皆様は何度も富士山に登ったことでしょうが、私は剣が峰に登っていなかったので、お鉢廻りができるツアーは当社のみ、という謳い文句につられて、おなじみの毎日新聞旅行のツアーに参加しました。
●7月24日(金)新宿からバスで吉田口5合目着、昼食を適宜食べて、12時00分出発、途中で降雨となり雨具を付ける。6合目でトイレタイムをとったが、数名が待てど暮らせど帰ってこない。結局30分ほど待たされた。それほど人が多く、トイレが少なく、トイレの待ち時間で大幅に時間をとられる。毎日旅行のツアーはハードで有名だが、このツアーは比較的弱い人も混合しているらしく、31名の参加者のうち、5名が大幅に遅れた。八合目の白雲山荘に着いたのは、6時で予定時間を1時間オーバーしていた。
 リーダーは仙人と自称する小野田さんという現地案内人であるが、大変厳しい人で、遅れた5人及び連絡をよこさない添乗員は明日は連れていかない、下山してもらう、と食事の前に大見えを切った。そこへ30分遅れで比較的元気な6名が到着した。明日はどうするのだろう。
●7月25日(土)本日は睡眠というより仮眠である。7時半頃寝付いたが、隣の男性のいびきが凄くて寝付かれない。トイレにでも行こうかとおき上がったら、頭を木の横柱に思い切りぶつけた。トイレは外で風雨が荒れ狂っていた。これでは登山どころではなく、いかにして帰るのか、という思いをもって、ウトウトしていると、11時半起床、12時(0時)出発となった。ヘッドライトで足元を照らしながら急な岩道を慎重に登り、2時50分に吉田口頂上久須志神社
前に着いた。登山者は21人で、昨日バテた5人と本日登頂断念した5名、計10名が小屋に残り、ゆっくり睡眠をとって下ることになった。添乗員は下山しなかった。当たり前であろう。
 リーダーが剣が峰希望者を募ったら私を含めて10名であった。しかし、少し歩き始めると、猛烈な突風がきて吹き飛ばされそうになる。皆体を低くかがめて突風が収まるのを待つ。数回これを繰り返したが、危険を感じたのか、リーダーが断を下して頂上小屋に戻った。数日前に馬の背で2人が転落死したばかりで、賢明な判断であった。
 風は強いが雨は上がり、2時間ほど待機してご来光を見ることができたのはラッキーであった。 とにかく寒く、零下となり、ありったけの防寒具を着こんだが、失敗したのは手袋の替えをもっていかなかったことである。危うく指が凍傷になりそうであった。下りは下山道をスタコラと下り、午後早い時間に極暑の東京に戻った。

7月25日 5:20頃*雨が上がり、雲海の上のご来光 7月25日 5:30頃***ご来光を背にした三井
会   報
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■2009年7月18〜20日 朝日連峰縦走 川名 真理(昭和62年卒)
*********** 2009年7月27日のHUHACメールより転載
メンバー:小島和人、中村雅明、川名真理
日程:7月18日(土)〜20日(月・祝)

▲7月20日 5:26
以東岳山頂(左から川名、小島)

▲7月20日 5:35
以東岳から中先峰に向かう(左から中村、小島)

▲7月20日 7:35
北寒江山から狐穴小屋を望む

▲7月20日 7:40
北寒江山頂(左から中村、川名)
●7月18日(土)強い雨 
  6時8分 東京発(JR)10時27分 鶴岡着
  10時57分 鶴岡駅前発(バス)上田沢(バス)泡滝ダム
  13時5分 泡滝ダム発
  16時30分 大鳥池小屋着(泊)
ぬかるんだ水たまりにはまりながら、バス同行者の最後尾をゆっくり歩く。小屋は満杯で、神秘的な大鳥池との出会いをイメージしていたので、ちょっとがっかり。
あらかじめ水をくんでから小屋に入ると、中には蛇口つきの立派な洗面所があり、トイレもきれい。発電施設があり、畳も敷いてある立派な小屋。
●7月19日(日)強い雨、稜線上は暴風
  5時5分    大鳥小屋発
  9時40分  以東小屋着(泊)
予定では竜門小屋まで8時間以上歩く予定だったが、雨が強く、身体も荷物も濡れがちなうえに、冬の富士山頂上並みの暴風にあい、なかなか前に進めない状態で以東小屋泊まりとする。
直前のトムラウシの事故を想起させたが、気温が高くて助かった。小屋はさほど混んでおらず、濡れ物を思うまま乾かせたので御の字。風で小屋が地震のように揺れるのに驚く。
(翌日、この天気の中、稜線上でツェルトなしでビバーグした6人とすれ違う。無事でよかったが、耐えられたのもすごいと思った)
●7月20日(月)曇
  5時   以東小屋発
  11時    竜門岳発 
  14時20分 日暮沢小屋(タクシー)大井沢温泉(タクシー)羽前高松駅(JR)山形〜帰京
雨が上がり、ガスの間からときどき周囲の山や稜線が顔を出す。足元はお花畑。チングルマの綿毛が無数にあり、花の時期はさぞやと思う。日が差すに連れ、花も気を取り直したかのように新鮮な花を咲かせ始める。見頃を迎えていたのはハクサンイチゲ、タテヤマリンドウ、ヨツバシオガマなど。大鳥池側も、日暮沢小屋側も、ギンリョウソウの群生地があった。下山時にウソのカップルを見た。なぜか登山道の先を休み休み飛ぶのでまるで先導してくれるかのようだった。「山と高原の地図」を信じて竜門岳から日暮沢小屋まで3時間と見込みタクシーを呼んだが、3時間20分かかってしまった。見込みが甘かった。最後の1ピッチは1時間20分休まず歩いたため、一同、足腰がくがくの限界状態。
タクシーの運転手さんはとても親切で、温泉に寄りたい希望をOK してくれ(その間、料金とらず)帰りの電車の時間も調べてくださっていた。車中では「うちのばあちゃんの手作り」という「しそ巻」(みそ、唐辛子、もち米などをしその葉で巻いて、揚げたもの)をふるまってくださり、感激。お礼の気持ちのチップ込みで1万5000円(ひとり5000円)だから、御の字。
大井沢温泉(300円)はアトピー気味の肌にばっちり効いた。とりあえずビールで乾杯後、新幹線で小島さんとふたりで「出羽桜」をあっという間に飲み干す。
なによりも「暴風」が記憶にのこる山行でしたが、体力的にもがんばりが必要で、こなせたことに満足しました。
小島さん、中村さん、同行してくださり、ありがとうございました。
■同行した小島 和人(昭和40年卒)会員の感想
川名さん、中村さんほんとに楽しい山行でした。久しぶりの経験の連続でした。有難う御座いました。又やりましょう。
■同行した中村 雅明(昭和43年卒)会員の感想
朝日連峰の山行、波乱万丈でしたね。2日間は、風雨の中の難行苦行でしたが、 最終日は、好天に恵まれ花を愛でながら楽しい縦走ができました。下山した後の温泉も最高でした。終わり良ければ全て良し!!! 山小屋2泊の本格的な縦走は久し振りで、まだまだ登れるかなとちょっぴり自信を持ちました。3人の山行、いいですね。また行きましょう。
■竹中 彰(昭和39年卒)会員の感想   ***7月27日HUHACメールより転載
朝日連峰縦走お疲れ様でした。小生も04/7末に本間さん他と大朝日から以東岳へ縦走しましたが、天気には恵まれたものの、終始首筋から後頭部に太陽を受け消耗した記憶が戻ってきました。
強風に吹かれたとのこと、2月の天狗、5月の八方尾根などで晴天にも拘らず風に悩まされたことも思い出します。何はともあれ強力チームの無事の帰還をお喜びします。

会   報
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■2009年7月13〜17日 
北海道紀行(2) 
シマフクロウと釧路湿原ガイド・ツアー 
蛭川 隆夫(昭和39年卒)

▲7月14日 12:56
標津岳頂上にて(左から佐薙、竹中)

紀行本文はこちら 
pdf版でご覧下さい。








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▲7月14日 14:19
標津岳からダケカンバの純林を下る

▲7月16日 9:58 釧路湿原(温根内)の木道を行く。
左から、ガイド、蛭川、佐薙
■2009年7月9〜12日 北海道紀行(1) 大雪山系の花と鳥を訪ねて 竹中 彰(昭和39年卒)
*********** 2009年7月25日のHUHACメールより転載
▲7月9日 15:22 黒岳頂上
(左から佐薙、蛭川夫人、蛭川、藤田)
▲7月12日 7:12 白雲岳からトムラウシ山を遠望
▲7月12日 8:11小泉岳から
白雲岳・分岐・北海岳方面を望む
▲7月12日 8:12
小泉岳にて白雲岳をバックに(左から蛭川、佐薙)

7/9〜17の日程で梅雨のない(筈の)北海道・大雪山系、道東、釧路湿原などを訪ね、雨に降られたものの多くの花やシマフクロウ、タンチョウヅルなどに出会えました。稍々長文ですが前半の大雪山系の部分を投稿いたします。
後半は近く蛭川さんが記録を纏めて投稿される予定です。乞ご期待。
●梅雨のない北海道の花と野鳥を楽しもうとの蛭川さんの呼掛けに乗って大雪山系の黒岳−忠別岳−赤岳周回、道東の標津岳、西別岳を目指した。
・メンバー:佐薙恭(S31)、蛭川隆夫(39)、蛭川紀巳子(夫人)、竹中彰(39)、藤田晴紀(藤田さんは小野さん(40)と北電 同期入社で、過去にも世話になっている) の5名
・行程:7/9 羽田→旭川 →層雲峡 → 黒岳→ 黒岳石室
10 石室 → 白雲岳避難小屋
11 白雲岳避難小屋から忠別岳往復
12 白雲岳避難小屋 → 赤岳 → 銀泉台 → 旭川で前半行程打ち上げ
【概要】
●7/9(木) 曇り一時雨
早朝各自自宅を出て、予定の7時に在京メンバー4名が羽田に集合。
7:40発のADO031便で9:20に旭川着。ターミナルで藤田さんの出迎えを受けて直ちに藤田車(以前札幌のトヨタディーラー副社長専用車だったフル装備のクラウン)で黒岳の麓、層雲峡に向う。道中藤田さん(送電関係技術者)お得意の電気に関する話題(電気の貯蔵について、室蘭製鉄所厚板ロール操業時の電圧の乱れetc.)で盛り上がる。層雲峡ロープウエイ駅に11;20到着、食料、共同装備の配分パッキング後、ロープウエイ(1,000円)、リフト(400円)を乗り継ぎ黒岳7合目(1500m)に到着。リフトに乗り継ぐまでの遊歩道、リフト下には高山植物も現れる。
12:55にリフト終点の7合目をスタートして直ぐ雨がぱらつき、雨具を着ける(13:05)。ルートは06/9の針葉樹会ニペソツ山遠征時に辿った時と同じ。登山道脇にはウコンウツギ、キバナシャクナゲ、ウラジロナナカマド、ハクサンイチゲ等の花が咲き、這い松の赤い雄花が目立つ。
稍々スリッピーなジグザグ道を上がり、13:35、14:20でピッチを切り、マネキ岩を左手に見て3ピッチの15:05に黒岳(1984m、〜15:15)到着。
遠景はガスってハッキリしないが、下り気味の平坦な道を黒岳石室を目指す。道中にはエゾコザクラ、イワブクロ、コマクサ、ツガザクラ、ヒメシャクナゲ等が咲き乱れ、疲れを癒してくれる。30分強の歩行で15:50に石室(避難小屋・定員100人)着。狭く薄暗い小屋だが、1人2千円を払って受付を済ませると、薄べりと毛布1枚ずつを割り当てられた場所に広げ、佐薙さんのホンマキラー(95%アルコールのウオッカ)をポカリスエットで割って乾杯。水は小屋前のタンク(ドラム缶?)から汲み、煮沸して使用する。到着後次第に雨が激しくなり、到着する客も増えてくる。炊事は入口近くの棚にバーナーを据えてパーティー毎に交替で行う。初日の夕食は鰻丼として保冷剤でキープしたレトルトの鰻を温め、アルファー米に載せて食べる。今回の食事は基本的にレトルト物を活用して炊事に手間をかけない事を眼目に計画した。トイレは隣接の建物に洋式便座と朝顔がセットになった個室が4室あり、使用後は自転車漕ぎでオガクズを混ぜる事になっていた。食後はする事も無く、時々外に出て天気の回復を窺うがガスが薄くなったり厚くなったりで視界も悪い。ただ、連泊客によれば前日までの土砂降りよりはずっとましとのこと。岩室で土間の上に板を渡した簡単な構造の故かシュラフに入っても湿っぽく冷える。深夜にトイレに出た時には薄く月も見える状況で翌日に期待が持てた。
●7/10(土)風雨のち曇り
他パーティーの出発準備の音(特にヒグマ除けの鈴)で目が覚め、5時過ぎに起床。食事の仕度にかかるが、外は雨模様。紀巳子さんが寒さで余り熟睡できなかったようで、体調不調を訴え藤田さんが付き添って下山する事になる。豚汁雑炊の朝食後食料の配分を変更し、パッキングして8:25に小屋を出て直ぐに下山組と別れる。上下雨具の完全武装で、佐薙、蛭川、竹中は白雲岳避難小屋に向けて石室からかなり下る。トレースのある北海沢のスノーブリッジがやせ細っているのを見て、数十メートル下流の雪渓上を右岸に渡り、雪渓、岩混じりのルートを辿る。北海岳手前でピッチを切り、一息入れる(2125m、9:51〜57)。
その後も岩の多い斜面を斜行し、10:40に北海岳頂上に着く。稜線に上がった為に風も強くなり、写真撮影に際し蛭川さんのレインハットが脱げて風に数回転がったと思う間に、サッと飛ばされて回収も不可となる。写真を撮って直ちに道標に従い、今までの進路から左手(南東方向)に90度折れて、白雲分岐を目指す。それまでの左後方からの風が進行方向左斜めからに変り、強風と雨に逆らって深くえぐれた登山道を進む。30分程でベンチの置かれた北海平に着き小休止するが、雨風は止まず、視界も良くない。その後もアゲンストの風に向って進むが、気温もかなり下がって来ているのを実感し、濡れた手袋で手も凍える。一時アラレが降り、指が2月の天狗岳に向かった時の様に痺れ、一生懸命に動かしていたとの蛭川さんの言があったが、夏山とは思えない低温に驚く。後刻小屋で旭岳から来たガイドの話では気温は4〜5度位とのこと。(後日トムラウシに向って縦走していたツアーが遭難し、8人もの死者を出したが、20mを超す風に吹かれれば我々も危なかったかも……と感じた。)
白雲岳直下のかなり大きな雪渓をトラバースし、岩の重なり合ったルートを黄色ペンキを目印に登って、11:30に白雲分岐を通過し、下りにかかる。その後12:00に漸く木造2階建ての立派な白雲岳避難小屋(定員60人)に到着、コースタイムで3時間の所を殆ど休憩しなかったにもかかわらず3時間35分を要した。濡れた雨具を脱ぎ、受付して2階の奥のコーナーを割り当てられ、シュラフ等を広げて態勢を整えて先ずは気付け薬で乾杯。雨は相変らず降り止まず、花に目をやる余裕も無く過ぎてきた道中を思いながら寛ぐ。石室より暖かく快適であった。
夕食はレトルト中華丼を温め、海藻サラダと共に摂る。トイレは小屋の外に2つのポットントイレ個室で、「使用後のペーパーは持ち帰ること」との注意書きがあるが、覗くと下に散乱しており、マナーの悪さを感じた。
●7/11(日)ガス時々雨
この日の予定は高根ヶ原、忠別沼を経て忠別岳まで往復し花と鳥を探勝する旅。
4時過ぎに起床しラーメンの朝食後、どのパーティーより早く5:45にサブザックで小屋をスタート。暫らく進んだ所で笛を吹きながら小屋番が戻って来るのに会う。早朝から出ていたのは、この先の分岐から三笠新道を経て高原沼巡りコースにヒグマの出没情報があるので、新道への立ち入り禁止の看板を設置する為であった。ヒグマは通常1か月程度居座るとのことで、当分解除にはならないとのこと。この先我々も鈴を鳴らし、藤田さんから拝借した笛をピーピー吹きながら進むことに。
霧と雨に濡れながら緩い登り下りを繰り返し、時にはハイマツ、イソツツジ等のトンネルを潜り抜けチシマザサをかき分け、ウルップソウ、キバナシオガマ、エゾオヤマノエンドウ、ハクサンチドリ等の花が咲き誇る中をひたすら進む。ハイマツの中からは鳥の鳴き声が聞こえ、時々は前方で鳥が飛び立つが見分ける間もなくガスの中に消えてしまう。
所々水で覆われ、或いは深く抉れた道が続き、だだっ広い平ヶ岳を過ぎ、木道を通過した所でピッチを刻む(1700m、7:40〜57)。更に1時間弱で忠別沼を通過する。沼の中程には対岸の雪田から離れた雪の塊が浮き、雪田に生じたガスが漂う。そこから更に1時間のかなりの登りで本日の目的地・忠別岳(1962m、9:35〜10:00)に到着。相変らずガスが濃く視界は殆ど利かない。若干の菓子類を口にして休んでいる所に、後続のツアーのパーティーが到着し一息入れていた。ガイドに引率された中高年部隊だがこの先ヒサゴ沼まで進む様子。風も吹き寒いので、記念撮影後我々も早々に引き返す事になった。引き返した直後に更に2パーティーとすれ違ったが、その後は行き交う登山者はいなかった。
帰りは砂礫帯のコマクサなどの花々をジックリ観察しながら進み、11:30に往路の休憩地に着き、バーナーを使ってスープを作り昼食を摂る(11:30〜12:03)。その後も花の写真を撮りながら進み、雨も上がりつつある中、最後の小屋への登り返しにフーフー言いながら14:50に白雲岳避難小屋に帰着した。
小屋に入ると、前日とは様変わりで混み合い、2階の我々のスペースは稍々片付けられ、2/3程度に縮小していた。その後も新たな客が入り、最終的には前日には廊下だった部分にも3名入れ込み、また、1階の階段下の狭いスペースにもシュラフが敷かれていた。翌日の好天予報と日曜日であったことからかなり詰め掛けてきたものと思われた。また、テント場も最終的には20張り余り張られ、こちらも混み合っていた。小屋に落ち着くと流石に3万歩近くを歩いた疲労が広がる。例によってホンマキラーで一息ついた後は、レトルトカレーを温める。
●7/12(日)晴
4時過ぎに起床すると、白雲岳などの山々にかかっていたガスが次第に切れ、朝陽がさし、久し振りに気分の好い朝を迎えた。朝食後5:40に小屋を出発、一昨日降りてきた白雲分岐に向けて登り返す。小屋の水場の傍にはリュウキンカの黄色い花が朝陽に映えている。途中数パーティーに追い越されて、6:20に分岐に着いた。以前に白雲岳に登ったことのある蛭川さんに荷物の見張りを頼んで、空身の佐薙、竹中が頂上を目指す(6:35)。分岐から大きな岩屑の斜面一登りで、広い草原のような所に出て暫らく進むと、岩が積み重なり、小さな雪田を踏んで頂上に抜ける(2229m、7:00〜15)。既に頂上には多くの先客がいたが、雪渓と緑が美しい周囲の景色を堪能する。生憎くトムラウシ、美瑛岳方面は雲が湧き、頂上がその上に突き出している。
分岐に戻ってパッキングして赤岳を目指す(7:32〜45)。途中の小泉岳(2158m)に向けて緩く登り、ピークは登山路から外れて、緑岳へのルートを少し進んだ先にある(8:05〜11)。再び登山路に戻り25分で赤岳(2078m、8:36〜52)。ここまで来ると銀泉台から上がってくる登山者が急に増え、岩を積み上げた狭い頂上での記念撮影、北鎮岳、旭岳、白雲岳などの展望を楽しんでいた。
その後はかなり雪の多い第四、第三雪渓をグリセードの真似ごとなどで下降した所で小休止(1840m、10:02〜10)。その後コマクサの群落があるコマクサ平(監視小屋が設けられている)を登って来るツアー客の間を縫って下り、目的地の銀泉台の車が見える展望地で、朝に準備したすしの素を混ぜたアルファー米を海苔で巻いて昼食(1740m、10:35〜11:06)。その後は一部急な雪渓のトラバースなどもあったが、ウラジロナナカマド等の群落帯を経てひたすら下り、11:55に藤田さんの待つ銀泉台に到着。藤田さんから紀巳子さんの下山後の様子を確認するなどして、藤田車に乗車。層雲峡に下る車中で、藤田さんが我々を待つ間に層雲峡ロープウエイ駅近くでシナノキ自然樹を何本か見付けたとの話があり、案内してもらう。それは駅上の小学校の近くにあり、接近して葉の様子、樹肌などを確認して勉強した。我々がシナノキを意識したのは、3年前のニペソツ山遠征の際に糠平温泉に泊まった時に、昔は周辺にシナノキが非常に多かったこと(ニペソツはアイヌ語で「シナノキが群生するところ」の意味)、樹皮繊維の活用、花の蜂蜜などについて宿の人から聞いてからである。佐薙さんはそれ以来シナノキの実物を探し求めていた。そのことを知って藤田さんは札幌市内に街路樹として植樹されたシナノキで予め勉強しておいてくれた上で、層雲峡近辺で実物探しをしてくれた。
研究を終えて、旭川の駅前の「ホテルメイツ」にチェックイン。夕食は日曜日で営業している店も少なかったが、藤田さんの情報に従って、お座敷居酒屋「大舟」に上がって北海道の山海の味を楽しみ、併せて藤田さんへの感謝の集いとした。
……以上第1部…
■佐薙 恭(昭和31年卒)会員の大雪山系コメント 
***2009年8月7日のHUHACメール 『09年夏の北海道と越後の山行のあと』
より抜粋
この夏上記二つの山行に参加しました。山行前に十分予習していけばよいものを、結果として下山後復習などで学んだこと、数件ご参考までに。
(1)「大雪山系の黒岳からトムラウシにかけては永久凍土が存在する」(ソ−ス;森を歩き・・・河原輝彦、東京農大出版会、他1件)(因みに富士山では3200m以上が永久凍土の由)
(2)「大雪山系では夏季でも氷雪に見舞われることがあるので雨具や防寒具の準備を絶対に怠ってはならない。」(花の百名山#17朝日新聞社)
これらを事前によく読んでいけばあのトムラウシの悲惨な凍死遭難も未然に防げたのでは?
(3)「小泉岳と白雲岳の間で先住民族の石器がその昔小泉氏により発見された。」(同上)(知っていれば自分も探したのに)
(4)復習ではないが知っていることを実行しなかったばかりにひどい目にあった一例。黒岳-白雲岳避難小屋の行程では横殴りの強い風雨だった。ザックカバ−を使ったが雨は多分背中あたりからザックに浸入、ニュ−ジ−ランド方式(注)を怠ったためザックの底のシュラ−フが半分雨を吸っていた。
注)その方式はザックの内側に大きなビニ−ル袋を先に入れその中に内容物をつめるやりかた。
会   報
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■2009年6月12日 日光の鳴虫山に行きました 竹中 彰(昭和39年卒)
*********** 2009年6月13日のHUHACメールより転載
昨日から日光の学習院大・光徳小屋に出かけ、メトロ会世話人会懇親会に出た後、本日(6/12)三森さんの別荘の裏庭にある鳴虫山(1,103m)に登りました。
●6/11(木)梅雨入り宣言で、雨の中浅草10時:発の東武特急で日光に向い、駅前で軽く昼食、バスで光徳温泉に着く。知事を退任して久し振りに東女世話人の堂本さんが参加。隣に座って、針葉樹文庫のことなどバス車内でで四方山話。堂本さんも広い知事公舎から狭いマンションに居を移し、蔵書整理の為に別に一室の提供を受けて何とか納めたとのこと。14:00頃に光徳牧場の奥にある小屋に到着し、学習院関係者の出迎えを受けて早速八海山の栓が抜かれる(東農大世話人は都合で欠席だったが、名代で八海山は大量に送られて来ていた)。次第に天気も回復し、小屋の前のズミの花が満開で、風に桜吹雪の様に散る。
そのうちに慶応大の宮下さん夫妻、岡部さんも到着し、岡部さん得意のドライマティニ―が振舞われる。今回は宮下さんのJAC会長退任慰労、堂本さんの退任慰労のダブルの慰労会の意味も。
18時から会食がスタート、学習院の贄田さん(38年卒、OB会山桜会会長)が例年の様に、前菜、スープ、魚、肉、デザートまでのコース料理に腕を振るう。吟味した材料、味付け、料理に合わせたシャンパン風からワイン、日本酒などに参加者は堪能。最近の各校の現役部員の動向、新たなJACの役員人事など話題は広がり、女性方を除いて23時頃まで続く。この中で、翌日の予定を各自申告する中に、鳴虫山との聞き慣れぬ名前が出たので、参加することに。
●6/12(金)前夜の星空に期待した様に晴天で明ける。6時過ぎに起床、7時には純和風の朝食を済ませ、残ったご飯でお握りを2つ作る。各自の予定は、男体山に1人(日大)、戦場ヶ原ウオーク5人(千葉大、明治、東女)、水上温泉1人(日大)及び鳴虫山2人(法政、一橋)となり、慶応の3人、中大1人は所用ありとのことで、直行。小生は法政の酒井さん(33年卒)と光徳温泉8:35のバスを郷土センター前で下車、住宅街の中を通って、天理教会裏から登山口(450m)を9:55に通過。気持のよい林間のルートを辿り、3ピッチで11:45に頂上(1,103m)着。頂上は木に囲まれ稍々朽ちかけている展望台はあるものの展望は利き難い。頂上には5‐6人の中高年の先行者が休んでいた。持参の握り飯を分け合って食べ、12:10に下山開始。温泉に入るために憾満ガ淵を目指して北向きに進む。登りよりもかなり急な階段などもある下山路で、所々登り返し等もあり、なかなかピッチが上がらない。2ピッチで13:45東電発電所横に着き、そこの作業員に「やしおの湯」への道を確認し、そこから1.5km14:05に温泉着。
日光市営の温泉で、通常500円のところ、65歳以上は市外居住300円(市内200円)とお得で、泉質もヌルヌルスベスベして気持ちよい。露天風呂なども楽しんで、次の目的地ユバ屋とソバ屋を目指す。清滝1丁目バス停から日光支所前まで乗車、酒井さんお奨めのユバの店(ふじや)で土産を調達、更に下のソバ屋(魚要)に向うが準備中の看板。時間が15:30を過ぎているので已む無しと、ユバ屋まで戻り、隣のソバ屋「弦庵」を覗くと今火を落したとのこと、然し時間を貰えば出来るとのことで、入店。店はイタリアンレストランの雰囲気で、弦楽器が色々と並べてある。ビールとツマミにユバともりソバを注文。もりソバは650円だったが盛りも良く、おしんこ、ふき煮、冷やしトマトなどもついたもの。終わるとコーヒーもサービス。満足して日光駅に向う。
駅で特急券を買うと、来る時1,300円だったものが1,000円と午後割引が適用される。この日は500円分得した気分で快い疲労にウトウトする内に北千住到着、千代田線に向う酒井さんと別れ、田園都市線で帰宅。梅雨入りしたとは思えない晴天に恵まれ、適度の山で充実した1日でした。 (6月12日記)
会   報
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■2009年3月9日 権現山(三四郎会・西丹沢山行) 高橋 信成(昭和38年卒)
 ****** 2009年3月20日投稿
 メンバー;高橋(単独)         
 記録:8時40分登山開始。9時50分二本杉峠。10時40分頂上。10時50分下山開始。駐車場12時着。
                      
●駐車場から100メートルほど行くと下のほうで堰堤をつくる工事をしていた。
そこを過ぎて杉林の中にミツマタの花が何本も咲いている。あまり日も射さないこんな場所でよく咲いているなと思う。二本杉峠から権現山へは比較的急な登りであった。登り終わるといったん少し下って又急な登りとなる。
途中で中川温泉の当たりがよく見える場所があった。
頂上はゆったりしているところであったが、展望は余りきかない。
丹沢湖の近くにある山で、目立つのでいつか登ってみたいと思っていたので雨も降らずよかったと思っている。
   
▲3月9日 二本杉峠                ▲3月9日 権現山頂上
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会   報
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■2009年3月9日 屏風岩山(三四郎会・西丹沢山行) 本間 浩(昭和40年卒)
 ****** 2009年3月18日投稿
 メンバー;佐藤 力(昭和40年卒)、本間 浩(昭和40年卒)                                
●丹沢湖の脇にある権現山に行く高橋さんの車で大滝橋の登り口まで送ってもらい、大滝沢に沿って歩き出した(8:20)。見事な眺めの滝も幾つかあったが鎖や梯子も結構あり、4〜5年前こんな所を下ったのかと記憶力の悪さをぼやきながら一軒屋避難小屋に着く(9:25)。沢沿いから尾根にジグザグに登り間もなく大滝峠上に着く(10:15)。ここから初めて歩く道でイササカ緊張するが入り口の笹薮も綺麗に刈られ、その先も道はしっかり付いていて、要所々に赤布・赤テープがあり迷う事はない。
●尾根筋をしばらくいくと右手に富士山が見えてきた、儲けた様な得した様な気になりながら屏風岩山に着く(10:55)。一休みして前日三森さんが下った左の尾根ルートと別れ、二本杉峠への直進ルートを行く。道はこれまで通りで非常に歩き易い。ただ一箇所左に下る処は間違え易い。ここは小さなルート指示板があるが、これまで頼りにしてきた赤テープが直進方向に多くそちらに向かいたくなる。尤もすぐ「赤」も無くなり道も無くなり戻って左の道を下ることになるのだが。邪魔な「赤」は誰かが取ってくれたらいいのにと思いながらも我々も引返す程の親切心も無くそのまま下った。やがてミツマタの林を抜けロープにつかまり急降下し、山腹を回りこんで二本杉峠へ(12:05)。昼食を取りひとやすみしてバス停細川橋へ(13:00)。
*岩の無い、土と落ち葉の道で山歩きを楽しめる、もっと歩かれて良いコース。
*畦が丸から屏風岩山へ、屏風岩山から権現山へなども面白いのでは。
会   報
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■2009年3月8日 屏風岩山(三四郎会・西丹沢山行) 三森 茂充(昭和40年卒)
  ****** 2009年3月25日投稿
●3月9日(月)  概ね曇り                                 
前夜小島さんから天候不安のため中止の電話をもらったが、すでに弁当を用意させた手前、よほどの悪天でなければどこかを歩いてみようと雨具を入れて家を出た。
朝9時半ごろ新松田に着き、仲間の誰かがいないか見回してみたが見つからない。まもなく西丹沢行きのバスが来たので、大野山行きの年寄りグループとともに乗り込んだ。地図を眺めてみると大滝峠から屏風岩山への薮こぎトレースに不安もあったが、天気も持ちそうだし、歩くことにした。
バスは玄倉で単独の釣り客を降ろしたのでこれで乗客は私だけになった。大滝橋で下車、すぐに沢沿いに上がる。ヤマメの釣り人が入渓していたが、魚影はなくこのように堰堤が多い沢では無理だろう。聞いてみるとこの時期10センチに満たない小物しかいないそうだ。

●空はどんよりしていたが、適度な寒気に汗もかかず気持ちがいい。ところどころ木製のはしご橋があり、バランスに気をつかう。斜度のある階段状の橋では、コケにでも足をとられたら滑り落ちるのでは、と帰り道のことが頭をよぎる。しばらく行くと滝があり、これが大滝なのだろう。ただすぐ上に大きな堰堤があるのは興ざめだ。何度か渡渉のあと一軒家避難小屋につく。中も覗いてみたが、立派な小屋だ。外で昼飯を取る。
この先ステタロー沢を登り続けるが、途中「みつまた」の群落があり丁度シロと黄色の花が盛りで目を楽しませる。馴染みのヤドロギ沢の広大な群落を思い浮かべた。
眺望がやや開けると対岸の檜洞丸の斜面の積雪が目立つが、足元は霜も降りておらず季節が緩んでいることを実感する。枯葉の山道はクッションが快い。
●大滝峠で一呼吸するがこれまでに出会った登山者は二人の単独行と2組の夫婦のみ、全て畦が丸の帰途らしい。峠から屏風岩山の道は、薮だが見たところよく刈られている。いきなりの下りが結構急で長く、帰りの登り返しがしんどそうだ。信玄平への別れみちがコルであった。
屏風岩山の山名にふさわしい眺めを探しながら稜線を登る。まもなく「屏風」らしき斜面のピークに到達するが木に覆われて眺望はない。標識の前で苦労してセルフタイマーをセット、証拠写真を撮る。二本杉への赤布も見えるが、これで十分。同じ道を下山する。静かで穏やかな一日であった。

★大滝橋バス停(10時40分)−一軒家避難小屋(11時50分)−大滝峠(12時30分)−屏風岩山(13時半)―大滝橋バス停(14時40分)

(蛇足)今回はたまたま一人で畦が丸の近くを歩き、40年前の出来事を鮮明に思い出しました。

●茅ヶ崎に住む会社の先輩が「自家製の猫獲器(ネコトリキ)」で捕まえた猫を、しぶきが凍りついた西沢に支流の川原に放擲してきたことです。                                  
自宅の芝生に跋扈して「ねこばば(猫糞)」を落としていく近所の愛猫どもを懲らしめるべく、鯵の干物でおびき出し、猫獲器で捕獲したわけです。
匂いにつられて入ったところを、糸のついたえさ針が落し蓋に反応する単純な構造だが、がっちりした板を使って確実に取り逃がさないしろものです。
一匹は丸々と太っていて、あの当時の「梶山静六」幹事長そっくりでした。
この猫はよく知ったご近所さんが飼い主なので、最初捕まえたときは、その先輩は裏庭に猫獲器を移動し、真冬の2晩たっぷりの冷水をかけて、反省を求めたそうです。
しかし一度ならず二度目の不敵な悪行に業を煮やし、今回は私を伴い丹沢山中に捨てるという刑罰を執行したものです。
●今考えて見れば、「丹沢猫なべ」の食材にぴったりだったと、残念な思いもします。
猫嫌いの人間には鋭い感覚を持ってあたるのが通常の猫で、昨日私が蒔いた「ふわふわな」ジャガイモ畑が今朝見ると、見事にあらされネコババが置いてありました。
この上は、仲小屋のおじい(北村政次郎−戸沢の「政次郎尾根」を開いた)のところで、お仕置きに「肛門やけ火箸」の刑に処した、「成城嶽士鉄人会」の別の先輩の真似でもしてやろうかと思ったくらいです。
理由はたしか、小屋の「蝿帳」の中に仕舞って置いた大事な食料の「アジの干物」を無断で失敬したため、連帯責任を取らせたといっていました。
   
▲3月8日 ステタロウ沢のみつまた群落      ▲3月8日 屏風岩山頂上     
会   報
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■2009年3月8日 畦ケ丸(三四郎会・西丹沢山行) 中村 雅明(昭和43年卒)
 ****** 2009年3月19日投稿                    
メンバー;竹中 彰(昭和39年卒)中村 雅明(昭和43年卒)
記録;西丹沢自然教室(8:15)−権現山分岐−(8:41〜8:50)−善六ノタワ(9:48〜9:51)
   −畦ケ丸(10:35)−畦ケ丸避難小屋(10:43〜11:35)−本棚ノ滝分岐手前(12:15〜12:20)
   −西丹沢自然教室(13:12)
●畦ケ丸班は、竹中さんと私の二人でした。私は、西丹沢は昨年末の檜洞丸に続いて、畦ケ丸が2山目でしたが、竹中さんは西丹沢に精通しているので安心して同行させて頂きました。新松田駅に着いたら、大室山班の岡田さんと竹中さんは既に到着していました。
●大室山班は高橋さんの車で入山するので、予定通りの7:20発のバスに乗り込みました。まもなく高橋さんの車が到着し、岡田さんから「二人も乗れますよ」と声が掛かり、勇躍バスを降り、高橋さんの車に乗り込みました。小野さん、佐藤(久)、吉川さんもまもなく到着し、7時半頃、新松田駅を出発しました。バスより30分ほど早く、8時過ぎに西丹沢自然教室前で下車、さらに奥に向かう大室山班を見送って、畦ケ丸に向けて登山を開始しました(8:15)。天候と積雪状況によっては途中で引き返す覚悟の出発です。竹中さんも私も花粉症で、マスク二人組です。 
西丹沢自然教室の左手の吊橋を渡り、西沢の河原沿いの道を30分ほど歩いて、権現山分岐で最初の休憩。高校生とも思われる7〜8名の男女のグループが休んでいました。
山では近頃珍しい若いグループでしたが、帰りに出会わなかったので、畦ケ丸には登らず、権現山、もしくは滝見物だった様です。権現山へのルートは私のガイドブックには載っていませんが、竹中さんの2万5千分の一の地図には載っていて往復したことがあるそうです。
●分岐からさらに西沢沿いに歩き、下棚ノ滝分岐、本棚ノ滝分岐を過ぎてまもなく西沢から離れ、尾根に取り付きました。かなり急な登りが続きますが、竹中さんはかなりのペースで登って行きます。私は、妻と歩くことが多く、妻は登りになると足が進みません。途中で妻を待つことが多いゆったりペースに馴れているので一寸息が切れました。
善六ノタワの少し前で休憩。寒さを予想して二人とも厚着でたっぷり汗をかいたのでここでシャツのみとなりました。善六ノタワで休憩後、畦ケ丸に向かいました。ブナ林の間の尾根道で歩きやすくなりましたが、木の階段が連続する急な登りが頂上近くまで続き、かなり息切れしました。
●雪は頂上近くに少し残るだけで拍子抜けでした。畦ケ丸到着は10:35.昼食中の単独行者がいた山頂は樹林の中で展望が利かないので、ザックを背負ったままで写真を撮り、直ぐ下の畦ケ丸避難小屋まで足を伸ばしそこで昼食(10:43−11:35)。立派な避難小屋で大きな薪ストーブが真ん中にあり、寝具もあります。竹中さんは前に、佐薙さん、本間さんと3人で泊まったことがあるとのことでした。昼食を済ませ、小屋の外に出ると、薄日も差し始め、雨の心配は無くなり安心しました。気温も到着時の1度が出発時には5度に上がっていました。下りは、最初の計画では一軒家避難小屋から大滝橋バス停のコースでしたが、踏み跡が無いとの積雪情報に従って、登ってきたコースを戻りました。途中から青空が広がり、「こんなこともあるのですね」と喜びました。尾根を降りきった所で休憩しただけで、快調に下り、西丹沢自然教室バス停に13:15に着きました。この間にすれ違った登山者は3名のみでした。西丹沢自然教室前の陽だまりでのんびりバスを待ち、14:00のバスで三四郎会の宿泊地の中川温泉に向かいました。 
●今回は積雪を心配してのピストンだったので比較的単調なピークハント&足馴らし的山行でしたが、頂上から大滝峠上経由で大滝橋バス停に下りる当初のコースであればもっと趣があったことでしょう。また、コース途中にある下棚ノ滝、本棚ノ滝は、時間がたっぷりある下山だったので立ち寄ってくるべき(一見の価値あり)でした。
西丹沢は今回で2山目でしたが、静かな山登りが楽しめる山域として気に入りました。紅葉の季節に、白石峠−畦ケ丸−菰釣山−高指山−山中湖のコースを歩きたい、権現山から畦ケ丸−屏風岩コースも面白そう、大室山に登って道志側に降りたい・・・と具体体な目標が出来たのは大きな収穫でした。
   
▲3月8日 9:54 善六ノタワ(中村)   ▲3月8日 10:36 畦ケ丸頂上(竹中)
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■2009年3月8日 大室山(三四郎会・西丹沢山行) 岡田 健志(昭和42年卒)
****** 2009年3月16日投稿
1.月日;2009年3月8日(日)
2.メンバー;高橋 信成、小野 肇、佐藤 久尚、吉川 晋平、岡田 健志
3.記録
   新松田駅(7:30)− 西丹沢自然教室(8:10)− 用木沢出合(8:20〜8:30)−
   犬越路(9:55〜10:10)− 加入道山との分岐(11:55)− 大室山(12:00〜12:35)−
   犬越路(13:45〜14:00)− 用木沢出合(14:55)− 中川温泉(15:30)

●畦ヶ丸へ行く竹中さん、中村さんをいれて総勢7名が高橋さんの車に便乗し西丹沢自然教室へ。ここで、畦ヶ丸グループを降ろして大室山グループは用木沢出合まで。ここには先行者の車が3台おいてあった。午後から雨という予報が出ていたため、降りだしたら即下山というつもりで必要なものだけを持って歩きだす。残雪もあるという事前情報があったので、アイゼンもリュックに入れていくことにする。(事前の情報では、3月初めに降った雪が残っているということだったが、残雪は1,400mより下ではゼロだった。)

●犬越路までの登山路は、途中立派な橋があったり、朽ちかけた橋があったり、渡渉もどきがあったりの用木沢に沿った東海自然歩道。
最長老の高橋さんの「丹沢山塊の成立ち」に関する講釈をききながら葉の落ちた樹林帯を登る。
熊笹の中の道を上りつめたところ、立派な避難小屋のある犬越路までは3ピッチかかった。
曇ってはいるが、雨は降り出しそうもない。大室山まで行けるところまで行こうと歩きだす。
高橋さんはますます快調で、小鳥(アメリカコガラ)の脳の話など、話題も豊富・舌好調で疲れというものをご存じない様子。1,400mより上になると、わずかながら残雪もみられたが、アイゼン(この日のために新調した人もいた)をはく必要はなかった。1,490mでは頂上は雲に隠れてはいたが、富士山もみえた。
県境の尾根には残雪も多く、樹林帯のなかとはいえ春の日差しがまぶしいくらいで、快適に歩けた。
●この日の屏風岩山行きを早々に中止した本間さんに、状況報告のための電話をいれたが、何回試みても圏外表示となって目的を果たせなかったのは非常に残念だった。
大室山の頂上は樹木におおわれていて残雪がかなりあったが、木の葉はすべて落ちつくしていて、明るい場所だった。
下山をはじめた直後に、木々の枝越しに真白い白峰三山や甲斐駒が見えたので一同大変感激した。  
(3月10日記)
 
▲3月8日 12:30 大室山頂上にて (左から)小野、高橋、佐藤、吉川、岡田
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■2009年2月18〜19日 冬の八ヶ岳・天狗岳山行 竹中 彰(昭和39年卒)
*********** 2009年2月22日のHUHACメールより転載
先日、夏沢鉱泉から天狗岳に登ってきましたので記録を投稿致します。
メンバーは佐薙、蛭川、高崎(俊)及び竹中です。
晴天ではありましたが、久し振りに厳しい冬山の一端に触れてきました。
[ 冬の八ヶ岳・天狗岳行]
三月会の場でアイゼン・ピッケルの世界へ行きたいとの希望が佐薙さんから出され、これを岳界に復帰した高崎俊平さんが受け止めて企画(ルート選定、小屋との連絡など)を進め、蛭川、竹中の2名を含めて4名の前・後期高齢者で実行に移し、天候が安定している内に無事に天狗岳を往復して下山しました。
メンバー:佐薙恭(S31)、蛭川隆夫(39)、竹中彰(同)、高崎俊平(41)
●2/18(水)晴れ
12:00に高崎さんの地元相模大野駅前に集合し、スタッドレスタイヤを履いた高崎さんの愛車アウディ・クアトロで出発。地元地理に精通する高崎さんの運転で、混雑するR16を避け裏道を抜けて相模湖インターから中央高速に乗る。途中トイレ休憩を挟んで順調に進み、14:45に諏訪南インターを出て何時もアダージオに向う道を尖石遺跡博物館方面に右折し三井の森別荘地を過ぎて唐沢鉱泉・桜平分岐に至る。予約した夏沢鉱泉の迎車時間(16:00)よりかなり早く着いたので、時間変更の連絡をとり、分岐にある大山祇神社の祠があったので登山の無事を念じてささやかな賽銭をあげる。待つ内に下から食糧等の買出しから戻るバンが止まり、高崎車から荷物を移し変えて乗車する。暫らく走って道路の雪が増えてきた河原木場で駐車中の雪上車に乗り換える。この間道の両側には石楠花の木が多く、雪の中で葉は小さく下向きに畳まれていたが花芽はシッカリとついていた。なお、桜平の手前、醤油樽入口の看板の先には石楠花と同じ頃、6月上旬に九輪草が綺麗に咲くとのこと。雪上車に揺られて16:20に夏沢鉱泉に到着(2,060m)。小屋はオーナーと2人の従業員で、今日の客は我々4名のみとのこと、早速受付し、一泊2食11千円を支払う。部屋の希望を聞かれるが、4名同室を申し出、2階の部屋を指定される。食事は18時頃からとのことで、それまで食堂で焼酎(先日の三月会の残りと佐薙さん持参のしま茜)を飲みながら四方山話。食事は、メインの鶏肉のケチャップ煮(?)の他に魚の煮つけ、カボチャ、山芋の短冊、玉子豆腐、漬物の他にしし鍋と豊富な内容で、ゼリーのデザートも付いた豪華版でした。これらを高崎さん持参のボルドーの赤ワインを飲みつつ完食。
小屋の電気は24時間自家発とのことで、一応消灯は21時だがその後もスイッチを捻れば点灯する。また、トイレは暖房便座の水洗(残念乍ら温水洗浄ではない)でマズマズ快適であった。19時前後にTVのスイッチも入り、天気予報、ニュース、ためしてガッテン(オレオレ詐欺)などが流れる。翌日は7時出発を目指し、朝食は6時に用意することを確認して部屋に戻る。売り物の鉱泉を覗きに行った佐薙さんが脱衣所、浴室が冷えているとのことで、ギブアップ。結局竹中だけが消灯直前に滑りこみで入浴。かなり熱めの湯で、暫らく湯揉み、加水し、適温にしてユックリ温まる。浴室を出て寝床に向うと、既に他のメンバーは就寝体制で、布団の足元には湯たんぽが置かれ、一晩中寒さを感じる事も無く快適に過ごせた。 (総歩数:2.8K)
●2/19(木)晴れ後高曇り
6時前後にゴソゴソ動き始めて起床。6時過ぎに食堂に座るが、朝食も生卵、納豆、焼海苔、塩サケ焼き物、肉、コブの佃煮、サラダ、味噌汁とご飯と旅館並のものが並ぶ。ゆったりした気分で朝食を終え、テルモスにお湯を貰って紅茶等を用意する。2階の部屋に戻って出発の荷物をパッキングし、余分な荷物は廊下にデポして玄関に出てオーバーズボン、スパッツ、アイゼンなどの装備を身につける。久し振りのアイゼン装着に気持も弾み、蛭川さんトップでスタートする(7:08)。出発時の小屋の寒暖計はマイナス13度を示しかなりの冷え込みであった。
比較的緩やかな、5-10cm程度昨夜の雪に覆われた林間の踏み跡を略夏沢に沿って進む。時々針葉樹の葉に積った粉雪がサァーッと落ちかかるが気温が低く握っても固まらない。ピッケルを握る手も冷えて稍々痺れを感じ、手袋の中で握ったり延ばしたりしながら歩き続ける。オーレン小屋に近づくに連れて次第に傾斜が増してくる。夏沢鉱泉から300m位標高を稼いだ所で新築の大きなオーレン小屋に着いて最初の休憩(8:22〜28)。冬期休業中で、小屋の向いに小型の避難小屋が設置されている。ここからは夏沢峠を経由することなく、箕冠山(ミカブリヤマ)に向けて直登ルートが踏まれているとのことなので、左に曲がって林間の赤布等の目印を確認して登る。次第に新雪も20cm前後と増え、踏み跡がハッキリせず、時々深く踏み抜く所もある。トップが蛭川さんから一番若い高崎さんに代り、強力なラッセルパワーを発揮する。傾斜もキツクなり、呼吸を整えながらユックリ登る。次第にシラビソ等の針葉樹林が疎らになり、左手方向の樹林の間から白い北アルプスがちらちら見え出す。樹林上部(2,560m)で2ピッチ目を刻む(9:36〜42)。そこから少し歩くと箕冠山(2,600m)で、樹林の中の根石岳から硫黄岳への主稜線に達した。全く眺望が利かないのでそのまま通過すると、樹林が終わり根石小屋への下りとなる。小屋の周囲、ロープが張られている雪の下はコマクサ自生地とのことだが、雪の少ない石ころの出ている夏道上を歩く。風が強く吹き抜けるロープの支柱にはエビノシッポが綺麗に発達していた。左には槍・穂高の稜線が綺麗に見える。根石岳の登りにかかる頃から風が一段と強くなり、時には立ち止まって耐風姿勢を余儀なくされる。根石岳頂上(2,603m)も風が強く写真を撮るだけで過ぎる(10:05〜10)。根石岳を下り、本沢温泉への道を右に見て、イヨイヨ天狗岳の登りにかかる。相変らず強く吹く風に向ってかなりの急なクラストした雪面にアイゼンを利かせピッケルに頼って登りつづける。時に四つん這いで登る場面もある。
天狗岳の前山のような所を過ぎ、東側に切れ落ちる東壁に注意しながらハシゴ、クサリ場を過ぎ、最後の急斜面を登ると東天狗岳頂上であった。竹中が着くと、反対側から単独行者が同じく頂上に着き挨拶を交わす。先方はしらびそ小屋から来たとのこと。お蔭で全員写真のシャッターを押して貰う事が出来た(10:57〜11:05)。この先、当初予定通り西天狗岳に向うかどうか相談したが、余りの強風と寒さに一度下ってから雪稜を辿って前方に聳える頂きに挑戦する意欲も失せ、本日はここで十分となった。北アルプス、乗鞍岳方面の空にも雲の広がりが認められた。頂上から少し戻った岩陰で小休止の後下山を開始した(11:10)。登る時には問題なく通過した部分も、下るとなると岩混じりの雪の斜面をクライムダウンなど慎重に行かざるを得ない。それでも帰りは風を背中に受けるので歩き易い。根石岳、根石小屋横を過ぎて箕冠山への登りになり、空腹も覚え始めた。樹林に入って、風も遮られてホッとする。箕冠山で大休止と決め昼食を摂る(12:10〜40)。そこにオーレン小屋方面から賑やかな声が上がってくる。暫
らくすると地元の中高年男女10名のスノーシュー部隊が姿を現し、写真を撮って通過して行った。今朝8時頃に夏沢鉱泉に上がり、根石岳を往復する計画の様子。我々も腹を満たした後は下るのみ。オーレン小屋に向けて下るが、こんなに急な道だったかと改めて認識する。ドンドン下って30分でオーレン小屋、更に35分で夏沢鉱泉には13:50に到着。蛭川さんが昨秋のキリマンジャロ遠征時に調達したパルスオキシメーターを今回携行して時々計っていたが、各人行動中は85-90程度、小屋に帰着時には90を稍上回る状態でマズマズであった。
アイゼンなどを外し、小屋に上がってビール(@400円)で乾杯、但し、ドライバーの高崎さんはソフトドリンクで。その後2階の荷物を回収し、パッキング後15:00に小屋の雪上車を出して貰う。雪上車運転の小屋の女性と話しをしている内に乗り換え地点、16:00過ぎにパーキング場で高崎車に乗り込む。その後は来る時と逆に、諏訪南インターから中央高速に乗り、談合坂SAで少憩後相模湖インターで出る。車中で往復交通費の精算(往復340km余、高速代6,100円…@2,500/人の負担、3人はドライバーに車損料・運転手当など別途@1,000/人支払)を済ませる。裏道からR16号に出て相模大野駅に17:00前に到着。往復運転の高崎さんにお礼を言って解散し、小田急で江ノ島方面、町田方面に別れ夫々帰宅。 (総歩数:8.9K)
西天狗岳はスキップしたが久し振りに冬山らしい寒気と強い風に身をさらし、アイゼン・ピッケルの世界を味わう事が出来た楽しい山行でし
      
2月19日 9:19               2月19日 9:51
オーレン小屋を経て箕冠山に      箕冠山を経て根石山荘越しに
向けてラッセルする高崎さん           西天狗岳を望む
   
  2月19日 11:00               2月19日 12:18
          東天狗岳山頂の一行      箕冠山での高崎、蛭川さん(左から)        
左から竹中、高崎、蛭川、佐薙 *************                        

2月19日 10:57
 東天狗岳直下で一息入れる
蛭川さん

2月19日 11:08    天狗岳からのパノラマ、右中央は雪煙上る根石岳
右後方は硫黄岳、横岳、赤岳、左後方は、野辺山高原方面、その右後方に南アルプス
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会   報
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 2月8日 13:00
  展望台から見た阿蘇中岳



  2月8日 13:00
展望台から見た中岳噴火口



 2月8日 14:00
阿蘇山山頂(高岳)



2月9日 9:00
西千里が浜から見た久住山



2月9日 10:00
久住山山頂
■2009年2月8〜9日 雪のない冬の阿蘇山・九住山に登りました 三井 博(昭和37年卒)
*********** 2009年2月19日投稿
 阿蘇山・久住山といっても冬は降雪があり、冷たい強風が吹いて、それなりの厳しさがある。
 おなじみの毎日旅行新聞のツアーであるが、阿蘇山の中岳の雪道を冬山完全装備でトラバース
している案内パンフレットを見て、面白そうなので参加した。アイゼンは軽アイゼンでは駄目と
の案内であったが、10本爪は重いので6本爪を持参した。このツアーの参加者は12名(男7
名、女5名)で人数が少ないので、リーダーの坂井さんが添乗員を兼任していた。
●2009年2月8日(日)
 羽田空港からJALで熊本空港着。大分交通系列のバスで阿蘇仙酔峡に向かう。
仙酔峡に到着すると、雪などカケラもなく、アイゼン不要の状態であった。ロープウエイは本日
から運行していたが、当ツアーは当然乗車せず、階段のような舗装された広い道をトントコトン
トコ登っていった。2ピッチでロープウエイ終点に到着。展望台から中岳や中岳火口から白い煙
が湧き上がっているのを眺める。
 あと2本でいくからなあ、とリーダーが言う。1本とは1ピッチのことで、だいたい30分だ
が、時には40〜50分になることもあるそうである。中岳への登りは案内パンフレットにあった
狭い急な道で左側が切れているので要注意であるが、本日は雪がないので全く問題がない。予定
どうり中岳まで1本、最高峰高岳(1592m)まで1本で登った。天候は快晴で展望は素晴らしく
20分間くつろいだ。
 下りは殆ど休まず、展望台まで1本、登山口の仙酔峡まで1本で1本で、1時間20分で駈け下
りた。
 
●2009年2月9日(月)
 本日は午前中晴れ、午後は曇りのち雨との予報で、雨に遭遇しないように早立ちした。昨日は
暖かく夏のようであったが、本日は非常に寒い。宿泊した長者原のホテルから昨日のバスでバッ
クして牧ノ戸峠に到着、すぐに登り出す。セメントで固めた急な階段で、手がかりになるものも
なく、雪が凍ったときなど下りは危険とのことである。しかし本日も快晴で、雪は全く見当たらず、1ピッチで沓掛山の登った。沓掛山の下りは梯子が2か所あり、そこを通過すると、あとは緩やかなアップダウンが続く。扇が鼻分岐で1本立て、右の山を回り込むように歩いていくと、西千里が浜という広大な草原に出て、目指す久住山の円錐形の雄姿がくっきりと見えた。かなり遠く、高く見える。「えー、あれを登るの」とみんなびっくりしたようであるが、リーダーは「見た程ではないよ」と平気で草原の凍った泥道の上をサクサクと歩いて行く。原が尽きると、左側の斜面を登り、小さな尾根を越えて下ると、避難小屋があった。
 リーダーからウインドブレーカー、毛糸の帽子・手袋を着用するよう指示があった。
久住山の登りは今まで雲ひとつない快晴だったのが、下からモクモクと雲が湧き上がり、同時に
猛烈な冷たい風が襲いかかってきた。吹き飛ばされそうになるのを踏ん張り、寒さをこらえなが
ら少しづつ標高を稼ぐ。雪も次第に多くなり、凍りついているので慎重に登る。
 やっと久住山頂上(1786.8m)に着いた。その途端に風は止み晴れ間が広がってきた。展望
もひらけて、阿蘇山連峰、祖母山、由布岳の双子峰、近くの大船山、飯田高原、法華院方面など
素晴らしい眺めであった。
 下りはアイゼンを着けても良いよとリーダーが言ったが、風も弱くなり雪はまだら模様なので
誰も着用せず、避難小屋に戻った。下りが得意なリーダーは避難小屋から3本(途中2回の小休
憩)で登山口の牧ノ戸峠に下った。今回のメンバーは足が揃っていて、誰一人泣き言を言わず、
少しも遅れることもなく、予定時間を短縮して楽をさせてもらったとリーダーからお褒めの言葉
をいただいた。
 
 幸い雨にも遭わず、アイゼンを着用もせず、冬山とは言えないハイキング的な登山であった。
2月8日
■時間は右記の通り。 
 11:50    仙酔峡登山口
 12:50    阿蘇山東
      (ロープウエイ山頂)
 13:40    中岳
 14:00    高岳
    20    〃下山
 15:40    仙酔峡登山口


2月9日
■時間は右記の通り。  
 7:30  牧ノ戸峠登山口
 8:00  沓掛山
 8:40  扇が鼻分岐
 9:15  避難小屋
 9:55  久住山
 10:15   〃 下山
 10:55  避難小屋
 11:50  沓掛山
 12:06  牧ノ戸峠登山口
会   報
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■2009年2月7日 川苔山から本仁田山 齋藤 正(昭和42年卒)
*********** 2009年2月27日のHUHACメールより転載
●日頃畑仕事と遊びで忙しく、山登りから遠ざかっておりましたが、痛い膝をかばってボチボチまた登ろうかと考え奥多摩を歩き始めました。
●2008年12月26日
 筑波山で足慣らし。マイナス8度、風速15メートルに震えました。
●2008年12月30日
 足慣らし第二回。高尾山から城山経由相模湖。山本健一郎さんが、慶応OBの河西さんらとボランティアで道を整備したという城山辺をゆっくり歩かせていただきました。感謝!
●2009年1月5日
 足慣らし第三回。御岳山から日の出山経由日向和田。足に負担の来ない良い下りです。今頃は下山口の梅林が最高でしょう。

勝浦からですと、朝一番で出ても奥多摩は登山口で既に11時を回っているので、これらは実質半日コースと申せましょう。

●2009年2月7日
 少し自分に負荷を与えてみようかと、川苔山に本仁田山を加えて見ました。川苔山はかって知ったる山で、10回くらいは登ってますが、本仁田山を繋げるのは2回目。
前日国民宿舎鳩ノ巣荘(駅歩2分)に宿泊。質素な宿ですが、風呂はまあまあ。食事は期待してはいけません。
2月7日天気快晴。7:40鳩ノ巣駅脇の上り口−8:10大根山ノ神−9:15舟井戸−
10:40川苔山−11:50大ダワ−12:35瘤高山分岐−12:55瘤高山−
13:20本仁田山−14:45安寺沢−15:15奥多摩駅
天気がよく、丹沢、雲取・飛竜など奥秩父、埼玉との国境の山山が一望できましたが、時間が悪く、富士が見えなかったことは残念至極。一方、本仁田山の眺望は南側だけ。期待できません。
以下気がつきましたことなど。
1)標高は低いですが、標高差は結構あり、川苔山1050メートル、本仁田山850メート  ル。上のルートは無難なルートですが、川苔山から大ダワに下って、また本仁田に登り返すので、二つ繋げると結構いいアルバイトです。
2)舟井戸から尾根伝いに瘤高山を目指すルート(昔私が使ったルート)は今は荒れて、通行禁止となっています。
3)大ダワから瘤高山分岐へは快適な巻き道ではありますが、時折右側尾根から落石があったり、岩を抱いて桟橋をよぎることもあり、左側(鳩ノ巣側)がすっぱり切れているので、積雪時や凍結にはチョット注意が必要です。
4)上のコース時間は休みをそれなりに含んでいます。積雪はほとんどなく、川苔山頂付近にあった程度ですが、落ち葉の下に凍結した雪が結構ありました。ご注意下さい。私はアイゼンなしでした。
5)本仁田山からはいくつか下るルートがありますが、上記ルートは一番キツイ下りで、覚悟が要ります。また落ち葉が全てを隠していますので、足をくじかないようにご注意下さい。
6)瘤高山への尾根は、短いキツイ尾根ですが、馬酔木の群落があります。
7)奥多摩駅から徒歩7〜8分。もえぎの湯。込んでましたが、良い湯でした。
本仁田山からの下り、鷹巣山が立派に見えました。稲村岩の裏から登った50年前のことを思い出しました。

       
【写真説明】(左)中央が雲取山、その左にうっすら見えるのが飛竜山、右が白岩山。
左に長い尾根が見えるのは七つ石と鷹ノ巣をはさんだ石尾根。
【写真説明】(右)川苔山から石尾根を見る。左が六つ石山、右の高いのが鷹ノ巣山。
尾根越しに見えるのは大菩薩嶺。

会   報
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■2009年1月29日 南高尾山稜を歩く 三井 博(昭和37年卒)
*********** 2009年2月1日のHUHACメールより転載
●高尾山の南に広がる南高尾山稜を歩きました。この山稜は神奈川県と東京都の県境をなす低い山稜で最高峰大洞山でも536mにすぎない手軽なハイキングコースです。朝思い立って出かけても十分間に合う静かなコースです。
●37年卒の悠々会には、ゴルフ、ハイキング、囲碁、カラオケ、畑など種々の趣味の会がありますが、ハイキング悠々会は、最近山に登らず平地を歩くウォーキング会の様相を呈していました。それに飽き足らない人たちが立ち上げたグループが「仮称八木登山教室」で同期の八木修治氏が呼び掛けた10人ほどのメンバーです。夏〜秋は日本百名山を登り、冬〜春は低い雪山登山を月1回実施しているそうです。八木氏の呼びかけにより、私三井と遠藤晶土君が南高尾山稜登山に参加しました。
●相模湖発八王子行きの神奈中バスを大垂水峠で下車し、やや急であるが歩きやすい山道を登ってゆきます。リーダーの八木氏の登山計画書にアイゼンを用意するようにと書いてありましたが、雪の気配は全くなく、枯葉を踏んで晩秋の登山の趣です。45分位かかりましたが、第1峰の大洞山につきました。曇りでもあり展望は全くありません。小休止(5分位)ののちに小さな登り下りをくり返し、中沢山、西山峠、泰光寺山と歩き、右下に細長い津久井湖を見下ろすところで、大休止しました。昼食後中山峠、榎窪山と歩き、草戸山(365m、町田市最高峰)でまた休憩、右下の湖は城山湖に代わっていました。
●本日の登山は今までで一番楽だそうで、10人のメンバーは山以外の思い思いの話に夢中でした。これからは一路京王線高尾山口駅に下り一方かと思いきや、小さなアップダウンが続き、ややうんざりする頃突然町並が現れ登山終了です。ウイークデイで天候も曇りであり、登山客も数人会っただけで、我々だけの静かな山旅が味わえました。
●お楽しみの温泉は、高尾駅から歩いて15分(バス5分)のところに「天然温泉ふろっぴー」という最近開業したような大浴場があり、サウナ、露天風呂、ジェットバスなど多数の浴槽がある施設で1時間すごしました。ここは温泉は良いのですが、運営が下手でサービスがあまり良くない。高尾に戻ってぐるめ街の一つに入り、大宴会。私はビール、遠藤君はウーロン茶でしたが、他の人は飲むは飲むは、とっくりを多数明け、食べ2時間を過ごしましたが、1人あたり二千円でした。話があちこち飛びましたが、楽しい時を過ごして散会しました。
 山行年月 2009年1月29日(木)
 参加者  37年卒の10名
 目的地  南高尾山稜(大垂水峠から登り、大洞山、草戸山を経て高尾山口に下りる)
 登山時間 9:10〜14:30(休憩含む)
 標高差  登り464m、下り675m
 歩行距離 9km
 歩数   20,000歩
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会   報

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1月5日 14:38
塔ノ岳山頂手前、
旧日の出小屋直下で:
小雪が舞う中、一心不乱に
草(木の皮?)を食す大きな鹿
   




1月5日 19:43
尊仏山荘で宴会の中締で
(フルメンバー)
(左から)
尊仏山荘の営業部長を抱く竹中
安藤、門脇、高橋、本間





1月6日 7:00
尊仏山荘の前からの
モルゲンロートの富士山
   




1月6日 8:57
尊仏山荘から下り、水場で
(左から)
高橋、本間、門脇、安藤

























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■2009年1月5〜6日 新年の塔ノ岳山行 
                    竹中 彰(昭和39年卒)
*********** 2009年1月30日のHUHACメールより転載
「昼から会」新年恒例の山行で塔ノ岳に出かけた。
日程:09.1.5.〜6.
参加メンバー:“丹沢の主”本間さん、蛭川さん友人の安藤さん、高橋さん、小生の計5名。
●1月5日(月)
新年から続いていた晴天が若干曇るような予報ではあったが、大崩れはなかろうと朝9:00に渋沢駅に集合、9:12のバスで大倉へ。大倉バス停でパッキングを整え、9:35スタートでバカ尾根(大倉尾根)を登りだす(210m)。
10:08〜13観音茶屋(405m)、ここで門脇さんが佐薙さんのノンストップ体力測定に倣って休まずに登ると止まらずに進んで行く。
残った4名は10:40〜51見晴茶屋(545m)で高橋さん持参の大きなりんごを荷重軽減の為もあって食す。なかなか右手の表尾根三ノ塔の高さに達せず、傾斜も増してきて735mで3ピッチ目11:21〜27。ここで、本間さんからマイペースで上がるので先へ行ってくれとの発言。次第に空模様は雲が広がり、気温も下がってくる。塔へ1.5時間の標識の先で4ピッチ目を刻む12:02〜05(885m)。花立下、天神尾根分岐の先で少し雪か霰がチラツキ出したところのベンチで昼食(1090m)、かなり冷え込んで来る12:37〜55。6ピッチ目は休業中の花立山荘前のベンチで一息入れる(1280m)。ここで安藤さんも塔までノンストップで行って見ると別れる。結局5人が夫々の考えに従って4通りの登り方で頂上に向うことになった。金冷シ手前で上から駆け下りてきたスニーカー、短パンに空の背負子を担いだ人物とすれ違う。「尊仏泊り?」と声を掛けられ、「盛大な新年会」と答えて別れる。何とか登り4.5時間を切って14:00に1491mの塔ノ岳頂上に到着。
尊仏山荘で先着の門脇さん(13:30着)、安藤さん(13:45)と合流し、本間さんの到着を待つ。この間花立さんの話で、我々だけの貸切と思った小屋は1名の同宿者が居ることが判明。花立さんとしては電話が入った時に断る積りだったが、麓の渋沢駅から掛けて来たので断れなかったとのこと。
暫らく待っても本間さんが現われないので、門脇、高橋さんが迎えに行くことにして小屋を出る。14:30になっても到着しないので、竹中も様子を見に日の出小屋の下まで降りるが、ガスと小雪で視界が悪い。その内下の方でガサガサ音が聞こえるので道の左側、音の方向を見ると体長1.5m以上の立派な角を持ったシカが木の皮などを一生懸命食べており、3-4mに接近しても全く動じない。更に道の右側でも音がするので見ると同じ様なサイズのシカが食事中だった。本間さんたちが現れないので、寒さ凌ぎに「ヤッホーヒトーツ」と2、3回コールして見るが、反応が返って来ない。身体も冷えて来たので小屋に戻る。
暫らくして窓から雲の中に人影が見え、15:00前(14:57)に本間さんが到着。到着後ビールを購入し先ずは乾杯! 落ち着いてから本間さんが花立さんに挨拶の「しま茜」を差し入れ、小屋の蔵書用に担いで来た山本健一郎さんの丹沢関係書籍を渡す。花立さんからは炊事用に約10l分の水を渡され、有難く頂戴した。何時もの様に下の水場往復の労役から免れる。
早速宴の準備に入り、門脇さんの日本酒2l、安藤さん、高橋さんの赤白ワイン、本間さんのしま茜0.5l、竹中のウイスキー180mlのアルコールと高橋さん用意のコブ締めのマグロ、白身魚、本間さん用意のシシャモ、や乾き物、竹中のビーフジャーキー等など色々のツマミが現れる。呑み、食べ、ダベリしている内に小雪が舞い日が暮れる。ほろ酔い気分の中で、竹中が用意したキリタンポ鍋の準備にかかる。
年末の打合せ会席上で我が家の定番鍋メニューの一つ、キリタンポ鍋を候補に挙げ一同賛同したもの。鍋をつつきながらご飯ものもお腹に納まるので良かろうとなった。高橋さんからは家庭用カセットコンロと土鍋も担いでとの提案があったが、too much!とのことで却下。
冷凍して来た鶏肉、昨夜カットした大量のネギ、ゴボウ、キノコ類をコッヘルの比内地鶏スープに入れ、略煮立った所にキリタンポをカットして入れる。極めて簡単な調理だがスープの旨みも良く具材に馴染んで身体も温まり、酒も進む。結果的に酒はウイスキーを残して全て飲み乾し、持参量は適正であった。呑みながら昼から会の昨年の蛭ガ岳直登や、堂平からなど尊仏山荘宿泊コース、過去の山旅の想い出や明日の下山ルートなどを話し合う。明日はユーシン経由、雨山峠越えで寄、新松田に降りることとする。新松田では当然若松食堂での反省会が予定される。反省会の時間からの逆算で朝の出発はユックリ8時過ぎとする。(総歩数7.2千歩)
●1月6日(火)
前夜降った雪(霰?)が薄っすら積る前景の向こうに稍々高曇りの中で富士山がピンクに染まる気持良い朝を迎えた。
既に塔ノ岳常連の登山者や昨日会ったボッカが入って来て小屋の土間は賑わってきた。その横で我々の朝食は餅焼網をバーナーに載せ、微妙な火加減で餅を焼き、昨夜のキリタンポ鍋の残りスープなどを調整して雑煮を作る。
今朝はガソリンを運んできたボッカ氏の話では、本当はもっと荷を揚げたいが花立氏にセーブされている、今日はこれからもう一度揚げる、スニーカーに短パンが一番効率的で、長ズボンはズボンの摩擦でも効率が落ちるとのこと。
食事を済ませパッキングをして、8:45に小屋を後にし、富士山を目の前にしてユーシンを目指す。不動の水場(昭文社地図上に尊仏から往復30分の記載)に向って急な雪の着いた木のハシゴ混じりの斜面を下る。下り口には道にロープが張られ通行止(ユーシンから玄倉への林道トンネル崩落のため)の表示があったが、雨山峠へ向う我々はこれを無視して進む。5分程度で水場を過ぎ、その後はアイゼンを着けるまでもない雪道、落ち葉で埋まった道を踝位までのラッセルしながら、ドンドン下る。途中尾根から尊仏ノ土平に左折する標識を見逃し、通りすぎて少し手間取るが、無事に土平の堰堤に着き一息入れる(785m)10:05〜15。その後は鍋割沢左岸の工事用道路を進む。広い道を下り熊木沢出合で昨年の蛭ケ岳直登のルートを確認し、ユーシンロッジへの分岐を見送って雨山橋に着き、軽く昼食635m(11:20〜33)。右側の斜面を登って雨山峠への道に入る。雨山沢に沿って桟道が続き、高捲き、ヘツリ気味に進んで行く。桟道の上にも落ち葉が積り、足元がハッキリしない所もある。コースタイムの一時間を何とかクリアして12:25に峠に着く905m、風が抜けるので寒く、富士山にも雲がかかって景色もイマイチなので早々に下山にかかる(〜12:33)。その後鍋割峠分岐下(13:20〜27)、恵水の森入口415m(14:05〜15)とピッチを刻み、寄大橋を14:30に通過した後はひたすらアスファルトの車道を進み、14:58に目指す寄バス停に到着した。時刻表には15:32の新松田行きがあったので、それまで待合小屋でお湯割りで最後のウイスキーを空ける。腹に沁みる……。
定刻通りのバスに乗って新松田には程良い時間に着き、新年初めてのその名もめでたい‘若松’食堂に繰り込む。定番のツマミなどを注文して昨夜に続く新年会兼反省会を行う。安藤さんからは以前に昼から会で行った北八ツ行きのプラン、高橋さんから共同装備で家庭用卓上コンロの小型版を購入したいとの提案などがあった。今年も昼から会は良く飲み、良く登る会であり続ける様だ。終了後の精算で本間会計幹事から最初に集めた15千円から3.2千円の配当あり。 (総歩数28.7千)
会   報

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12月25日 9:31
ゴーラ沢出会(岡田)

12月25日 10:31
展望園地からの富士山

12月25日 12:04
檜洞丸山頂近くの木道(岡田)

12月25日 13:05
檜洞丸山頂(中村)  
■2008年12月25日 檜洞丸(1,601m)
          岡田 健志(昭和42年卒)
          同行者;中村雅明

 *************** 2008年12月26日投稿

記録 ;西丹沢自然教室(8:26)−ツツジ新道取付き(8:35)−ゴーラ沢出合(9:30)−展望園地(10:30)−分岐点(11:55)−檜洞丸(12:20〜13:05)−テシロノ頭(13:45)−箒沢への分岐(14:35)−板小屋沢の頭(15:05)−箒沢バス停(16:20)

●三四郎会総会は2009年3月8日〜9日に開催予定です。幹事2人で会場予約ついでに当日の山登り対象の候補と目される檜洞丸へ登ってきました。予報どおり天気は午前中快晴、午後から風が強くなり、雲が出ました。南斜面を登る午前中はポカポカと暖かかったのですが、風が強くなった午後からは、寒く感じました。
●新松田駅からの車中から見た、朝日に染まった富士山には感動しました。このコース全体はブナをはじめとする落葉樹の樹林帯を行くのですが、富士山が良く見えます。時間が経ち、太陽が高いところから照らすようになると、富士山もドテッとしてきます。キリッとした富士山を見るためには、早めの時刻に取付くのが良いでしょう。
●登りに使ったツツジ新道は、良く整備されており、難所に鎖が張ってあったり真新しい桟道・はしごも完備していました。やたらに道以外を歩き、植生にダメージを与えないようにということもあります。ただ、急坂が続き、苦しい登りとなりました。
尾根筋を行くため、水場は取付きからゴーラ沢出合の間にしかありません。
 檜洞丸からの下山には南方向、石棚山経由にルートをとりました。石棚山までは、落ち葉が道に降り積もり、フトンの上を歩くようでした。が、落ち葉の下に丸太や石が隠れており、踏み外して転びそうになったことが何度もありました。ここで日本シカの母子に会いました。まさに「奥山のもみじ踏みわけ・・・・」を頭にうかべるシーンでした。
 石棚山をすぎると、急坂の連続で往年の一橋下山部員もトシのせいか疲れきってしまいました。
 箒沢バス停に着いた時には、中川川の谷筋も夕闇に包まれ始めた頃になってしまったのですが、運よく下りのバスがすぐに来て、厳しい一日を締めくくることができました。
●なお、下山途中にユーシンロッジに下る道および玄倉へ下る道が分岐しています。しかし、崩壊などのために、現在、通行禁止になっていますので、皆さんご注意を。
会   報

    

11月25日
沢口山山頂


   
11月25日 
天水から撮ったもの
正面の鋭角峰が朝日岳、
その後方が大無間山、
その右方のピョコンとした
峰が風イラズ

   
11月26日
朝日岳山頂


   
11月26日
朝日岳山頂から15分位
下った風当りのない所。
ここで昼食






■2008年11月25〜26日 晩秋の南アルプス深南部の山 
                 三井 博(昭和37年卒)

 ********* 2008年11月27日のHUHACメールより転載

●南アルプス深南部はまだ登った山がないので、初めて登ってきました。この地域は標高が低いうえに展望が必ずしも良くなく、6月から10月にかけて、山蛭やダニが大発生するので、あまり人気がありません。しかし11月になると、害虫もいなくなるので、登り易くなります。おなじみの毎日新聞旅行のツアーに参加しました。
●11月25日(火)
前夜東京駅前23時発のマイクロバスは焼津インターを下りて山犬の段(1404m)に午前5時に着き6時まで仮眠する。朝食、トイレを済ませ、6時40分に出発する。リーダーは、この地域を知り尽くしているという、広沢さんというベテランであるが、足がめっぽう早く休憩をあまりとらないので有名な人である、と前夜添乗員の市川さんから恐ろしい紹介があった。
 山犬の段は、南明石林道の交通の要衝にあたり、前黒法師岳、高塚山、大札山などの登山道が集まっており、東北方向がこれから行く沢口山方面である。
 点呼を取って準備体操もなく、緩やかな斜面をバラバラと登り始める。間もなく傾斜は急になり、アップダウンが続く。八丁の段を通過し、ホーキ灘というフォッサマグナを形成する大岩壁の上を歩く。登山道が狭いので慎重に歩く。広沢さんは、すぐ離れるが、しばらく行って待機している。大分苦情があったらしく、ゆっくりとあるいている(本人談)。
 広河原峠(峠ではない)というところで、5分間休む。すでに1時間は歩いている。急斜面を登ると板取山(1513m)であった。大きな板が取れることから名前がついたそうだが、展望は全くない。樹林帯のアップダウンが続き、この縦走路の最高峰である天水(1521m)についた。天水とは奇妙な命名であるがれっきとしたピークで、ここが一番展望が良いところだそうである。前方に光岳およびそれに連なる山山や不動岳、前黒法師岳、右方に大無間山、風イラズ、その手前に明日登る朝日岳の急峻な鋭角峰が見える。雪を被った白い聖岳がチラリと見えた。
 沢口山に到着したのは、まだ9時20分であり、早いけれどもここで昼食をとった。広沢さんは参加者全員(20名、男性9名、女性11名)が支障なくついてくるので、安心したらしく、1時間の時間をとり、経験談を語り談笑する。猪が掘った土のあとや鹿が角を研いだ木の皮、熊が木の皮をはいで中の虫を食べた後などを説明してくれた。沢口山(1425m)から木馬(キンバ)の段を経て、寸又渓温泉の光(テカリ)山荘についたのは、13時30分であった。

 光山荘は単純泉の温泉で肌がすべすべする。食事も手作りの種類が豊富で、この種の旅館としては、大満足であった。男性5〜6人と話したが、300名山踏破したものが3名、あと6座で踏破するものが1名、250座完歩したものが1名ととんでもない連中で、皆さん顔なじみであり、広沢さんとも親しい人もいた。大体週1のペースで歩いているそうである。
●11月26日(水)
 今日のコースは、寸又渓温泉(540m)から朝日岳頂上(1827m)まで高度差が1287mあり、温泉から寸又川の猿並橋(サンナミハシ)まで150m降下するので、実際は1437mの高度差がある体力勝負の難コースである。昨晩は7時過ぎに早々に就寝したので、皆元気がよさそうである。猿並吊り橋を4人づつ渡り、まず林道までの150mの急登に喘ぐ。今日はリーダーも手加減をしてくれなさそうである。林道からいきなりの急登が続く。展望が全くない樹林帯をひたすら黙々と登る。登山道は幅が狭く、落ち葉の下に湿った木の根や岩が隠れているので、細 心の注意が必要である。しかもリーダーを始め、前半の女性陣も足が速い。後半の男性陣もしっかりとした足取りで歩を刻んでいる。真ん中にいる私は、ともすれば遅れそうになり、必至についていった。
 途中にザレ場のトラバースがあり、やや危険とのことであったが、案ずることもなく、昨日の両側が切れ落ちている細い尾根道の方が怖かった。このようにして約2時間休みは5分休憩が2回ほどで、直登を続け、合地ボツ(1232m)という尾根が合わさったところに出て、一段落した。展望は全くないが、傾斜は緩やかになり、白樺林の広い尾根を落ち葉を踏みしめながら登っていくのは快適であったが、それはすぐに終わり、朝日岳直下の急斜面が待っていた。高度が高くなって天候は晴れであるが、寒くなってきた。しかし、最後の急登はなかなか終わらず、汗をだらだら流し、眼鏡を拭きながら必死の思いで遅れないようについていった。
 栗山沢の頭を過ぎると、傾斜も緩くなり、10時45分に朝日岳頂上に到達した。頂上には雪がうっすらと積もっていた。4時間強の上りであったが、殆ど直登なので、いささかきつかった。
 頂上は寒いので、少し下ったところで食事をとった。30分とのことであったが、リーダーはいつもの癖で、15分くらいで皆が食べ終わったのを見計らって、寒いからボツボツ行きましょうかと誘いをかけてきた。しかしお花摘みに行く女性もいて、さすがにこれは拒絶されていた。
 帰りは何といっても急降下であり、時間も早く、14時20分には光山荘に到着し、また温泉に入って帰京した。今日はややつらいコースであったが、終わった時の爽快感を味わうことが出来た。

■懐かしいですね。10代のころ、大井川鉄道でアプローチ、ようやく登山開始、 光、赤石岳と縦走した青春時代を思い出しました。いまもたいへんなんですね。(HP管理者:山崎)
会   報

   
■2008年11月16日 晩秋の雨の丹沢塔ノ岳 三井 博(昭和37年卒)
      *********** 2008年11月17日のHUHACメールより転載
●表尾根に行ってきました。
 7月の雄阿寒岳で不注意による事故を起こし、治療、リハビリに専念してきましたが、4か月経過して完治しましたので、登山活動を再開しました。
 塔ノ岳表尾根は、皆さんご承知の一般コースで、私も数回登っていますが、一人では行けないので、クラブツーリズムのツアーに参加しました。同社のパンフレットには、中級Bクラスで、体力勝負のロングコース、岩場・鎖場のある難関コースと書いてありました(笑)。しかし久し振りなので謙虚に行動いたしました。
 売物が、富士山・箱根・相模灘などの展望ですが、あいにく小春日和が続いた後の低下圧の来襲で、雨が降ったりやんだり、雨具を着たり脱いだりの連続で意気が上がらないこと夥しい。
 最初の二ノ塔の上りが結構きつく、行者岳の下りの岩場では、こんなところがあったかなあ、という今浦島のような思いでしたが、尊仏山荘でコーヒーを飲んで息を吹き返し、大倉尾根を下山しました。なんとか今後の山行も大丈夫そうです。
■参考までに行程記録を記しておきます。
 11月16日(日)
 クラブツーリズムツアー 
 参加人員 11名(男4、女7)、土屋講師、大塚添乗員
 マイクロバスで新宿から往復
 
  9:00 富士見橋
 10:30 三ノ塔
 11:30 行者岳
 13:20 塔ノ岳尊仏小屋(昼食)
 14:00 大倉尾根を下る
 17:00 大倉バス停留所
会   報

   

10月27日 11:32
犬越路にて
 前景左から竹中、竹中(光子)
後左から 
加藤、高橋、蛭川、高橋(さき)

10月27日 13:36
大室山頂上にて
前列左から 蛭川、高橋
後列左から 
  竹中、竹中(光子)、
高橋(さき)、加藤

10月27日 14:14
大室山から犬越路への
紅葉の下で一休み  
左から加藤、蛭川
■2008年10月27日 丹沢・大室山 竹中 彰(昭和39年卒)
*********2008年10月29日のHUHACメールより転載

●10/27(月)に久し振りの「昼から会」の山行で大室山に出かけました。
参加メンバーは、゛丹沢の主"本間さん、゛キリマンジャロ帰り"の蛭川さん(昼から会の発起人)、蛭川さん友人の加藤さん、高橋夫妻、小生と家内の計7名。
●前日までの雨模様からスッキリと晴れ上がった朝8:00に新松田駅に集合。8:10のバスで西丹沢自然教室(西丹)へ。中川から先は貸切状態で9:20に西丹(標高540m)着、身支度後9:30に用木沢出会いを目指し、本間さんトップで林道を進む。出合に着いても行進は止まらず、用木沢の鉄橋を渡り、沢沿いに進み左の杉木立の中を暫らく登った所でワンピッチ目の休憩(760m)10:25-35。その後コシツバ沢の犬越路まで700mの標識を過ぎ、急登を喘ぎながら、途中真っ赤な実を密集させたウラシマソウを観察、最後に深いササに覆われた道を辿り11:15に明るく開けた犬越路(1,060m)に飛び出す。
●トップの本間さんの快調なピッチに追いつけないメンバーもいたが、何とか昭文社のコースタイム(西丹から犬越路迄2002年版1h40m、新版では1h45m)に沿って歩けたことに一安心。軽く腹ごしらえして11:35に出発。今回は出発が遅かったので西丹発17:05のバスに間に合すには大室山を遅くとも13:50には出発する必要がありと目標設定。
●立派な避難小屋を横目に急坂を登り、ブナなどの広葉樹、ササの平坦な尾根道を行く。所々に真っ赤に染まったカエデが日に映える。
また、小さなりんごのようなズミの実もバラバラと降りかかる。家内が「クリスマスリース用に使えるかも」と拾い集める。ガイドブックに1,221mのコブの先にクサリ場ありとあったが、3m程度のもので問題なく通過。その先も登り下りが続くが、少しペースダウンして3ピッチで大室山の西の肩(加入道山との分岐)1,570mに到着、13:23。ここで、本間さんは犬越路に先に降りてお湯を沸かして待つとのことで、別れる。この頃から少し曇ってきて少し雨粒も落ち、稍々寒さを感じる。
ここのベンチにザックをデポし、空身で頂上に向う。今までとは違い緩やかな道を辿って程なく大室山頂上(1,588m)に到着13:30〜40。
記念写真を撮って直ぐに引き返し、ザックを回収して肩を13:45に出発。
降るほどに天気も回復するが、久し振りの急坂の下降に大腿四頭筋が悲鳴を上げ、芍薬甘草湯を服用して何とか宥める。略1時間で本間さんが待つ犬越路のベンチに到着14:50〜15:20。予定のバスにも間に合う見込みも立ち、コーヒー、紅茶で、ケーキなどを口にしてホット寛ぐ。
●用木沢出合への下降もかなり大腿四頭筋に来る辛いものだった。途中河原で通りすぎた横を1m以上はあるヤマカガシがくねくねと石の間を逃げて行くのにギョッとすることはあったが、何とか薄暗くなる頃16:20に林道へ出て一休み。16:50には全員西丹のバス停に到着し、ユックリバスを待つ。少し遅れて来たバスは貸切状態で出発。
●18:15には新松田の定席「若松食堂」で乾杯、蛭川さんのキリマンジャロ遠征の土産話、写真を肴に何時もの様に賑やかな反省会が20:00まで。
 (10月29日記)


会   報

   

1)全景と登攀ルート(赤線)
(撮影:山田)

2)スノーブリッジ上を歩く
(撮影:山田)

3)フトンビシスラブを登る
(撮影:山田)

4)1ピッチ目。
右上のギザギザリッジが
核心リッジ。(撮影:山田)

5)3ピッチ目。(撮影:山田)

6)3ピッチ目。ナイフリッジの
上に立つことさえ怖い。
(撮影:古田)

7)4ピッチ目。折れそうなナイフリッジに這い上がる。
(撮影:山田)



■2008年9月15日 雨飾山の岩登りの記録 山田 秀明(平成15年卒)
●登攀日:2008年9月15日*********** (2008年10月16日投稿)
  登攀者:古田茂(平成7年卒)、山田秀明(平成15年卒)

●駐車場から1時間で荒菅沢出合。出合ちょっと前からフトンビシが眺められる。確かにきれい。そしてこれから行こうとしている中央稜がバッチリわかる。モチベーションが上がるというもんだ。荒菅沢は水に浸かることなく溯行できた。しかし右に折れ、ちょっとゴルジュっぽくなった先に、スノーブリッジが横たわっていた。心の準備はまったくしていなかったが、左側から簡単に渡り150mほど歩くと、途切れ簡単に下りられたので良かった。下りたところがフトンビシスラブの基部。ここまで駐車地から1時間半ほど。結構近い。

●基部でクライミングシューズに履き替え、白いスラブをスタコラ登る。中央稜は末端で二つに分かれ左は藪の着いた緩いリッジで右が藪の少ないスッキリしたリッジ。我々は右に向かって簡単なスラブを登る。登るにつれ、傾斜がだんだん強くなり、脆くなってきた。そろそろロープ出そうかという感じになってきた頃には、いい支点が得られそうもないところに突入していた。何とかキャメ#0.5で取れるところがあったので、そこからロープを出すことにする。クライミングシューズを履いたところから250mほど歩いたところになるだろうか。
●1P(古田、V+、45m)
 難しくないだろうと思っていたが、潅木もリスもなく、あまり支点が取れない。そのうえ脆い。それなりに怖い。45m伸ばしたところにカムで支点が取れるところがあったのでそこまで。
●2P(山田、V+、25m)
 1P目と同じ感じ。左リッジとの合流点下は傾斜があるが、左のルンゼ状を登ればそこだけは岩が堅い上にカムでランナーが取れるので一安心。合流点にリングボルト3本打たれたテラスがあったので、短いけれど、そこで切る。
●3P(古田、W、25m)
 ここからナイフリッジ。日本でこれだけのナイフリッジはそんなにないのではないか。壮観な光景がある。しかも脆い・・。
 最初はリッジを忠実にあとは左から登り、再度リッジへ。残置ピンは結構あるので多少安心。ロープの流れが悪くなってきたので、ハーケンが2本打たれた窓をビレイ点とする。
●4P(古田、W+、25m)
 なおもナイフリッジが続いているが、ルート図でも最近の記録でもこの窓から左側へ懸垂し、ナイフリッジを巻いて再度ルンゼ状を登るようだ。っが、リッジ上にも残置が見え、可能性が見えていた。ラインも合理的。そして何といってもカッコ良いのでリッジをそのまま登ることにする。
 いきなり苦労して登っている。なんだか崩れそうなリッジに全体重をかけてリッジに乗り、厚さ20cmほどのリッジに馬乗りになって進んでいる。窓に立ち、ピナクルでランナーをとる。このあと、核心部の途中のランナーはすべてピナクル。途中見えていた残置ハーケンはすべて手で抜ける。グラグラしている岩にやはり馬乗り。さらにはそこに立ち、厚さ10cmのナイフリッジに全体重をかけてリッジクライミング。再度、馬乗りになる。ランナーはピナクルを使うが、だいたい長スリングなんてそんなに持っていない。やがて長スリングがなくなり、支点はピナクル、しかも馬乗りでビレー。フォローでも絶対に落ちられないということはまず間違いない。技術的にはW-程度だろうが、精神的には確実にX級。
●5P(古田、W、45m)
 今回もやはり折れそうなナイフリッジに全体重をかけることから始まる。しかも足場はないに等しい。だが、上手く安定した登り方でリッジを進んでいく。そんな感じのリッジを20mぐらい行けば、落ち着いた。半端ないナイフリッジは終了で、あとはしっかり利いた残置がたくさんあるV級程度の岩場をロープいっぱいまで登る。
●6P(山田、V、45m)
 引き続きV級の岩をロープいっぱいまで登ると潅木帯。
 ここでロープを解き、靴を履き替、簡単な藪漕ぎリッジを10mほどすると平らになり、あとは藪漕ぎ。しっかりルーファイをしながら登山道まで行くと、いい平地だった。
 そこに荷物をデポして、雨飾山の山頂へ往復15分。あとは登山道を1時間半ほど走り下れば駐車地。古田さんとがっちり握手させてもらった。
<HP幹事より>
 本報告は、2008年9月17日のHUHACメールで山田様より配信された原文をHP用に要約して頂いたものです。原文は、山田様の登攀中の気持ちをストレートに表しています。ご本人曰く
「まぁ、いろいろ読み苦しいところもあるでしょうが、自分としては傑作記録を書けた!という自負がある」ですので、原文も是非お読み下さい。 
 ここをクリックすると原文へジャンプします。
    
  8)4ピッチ目。見よ、          9)5ピッチ目。
   この厚さ10cmのリッジを・・。       残置ハーケンは手で抜ける
    (撮影:古田)                のでとらない。(撮影:山田)

             
  10)5ピッチ目。辿ったリッジは左上に伸びるリッジ。
     (撮影:古田)
会   報

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■2008年8月27〜30日 北岳逍遥・先発組の記録
 三月会で企画した北岳バットレス4尾根登攀&北岳逍遥計画(8月27〜31日)は、先発組が出発した後、まれに見る大雨に見舞われ、後発組は計画キャンセルを余儀なくされました。先発組も入山してから天候が悪化し、予定の行動が出来ず無念の退却をしました。
北岳バットレス、是非再挑戦していただきたいものです。先発組の皆様、お疲れ様でした。(HP幹事:中村)
●2008年8月27〜28日 先発組・本間浩さん(昭和40年卒)の山行記録
*********** 2008年9月1日のHUHACメールより転載
8月27日(水)  仲田  本間
 広河原で昼食を取り、12時に出発。距離はあるが、緩やかな大樺沢ルートを登る。
曇り空で大樺沢も100m先位しか見えないが、雨の気配はなく、16時頃白根御池小屋に着く。暫くすると鳳凰の方向に青空が見え、明日は雨なしで北岳を廻れるのではないか、とも思う。ただ天気予報では、明日28日は曇りと雨、29日も悪天候とのことで、悪天が1日づつ後ろにずれているように感じ、その旨竹中さんに連絡。翌朝5時出発の予定で8時前に就寝。
8月28日(木)
 4時起床。小降りではあるが雨。朝食の準備をしながら様子をみる。6時前に雨が上がり、とにかく行こう、となる。ただ岩が濡れており下りに時間がかかるので、北岳は諦め、北岳山荘分岐或いは八本歯のコルまでとする。早いとはおもったが、こちらも早く出たいため6時半過ぎ竹中さんに電話、状況を伝え、即出発。二俣を過ぎ暫く登ったところで雨が降り出す。本降りに近くなったが、時間も早いので登り続け、八本歯の登り口、梯子の手前の右から入る大きな沢の辺りで札幌から来た中年夫婦に追い越される。後5分か10分でコルの梯子という地点でガッという音がし、岩が、畳1枚位か、大樺沢の中央を飛んでくる。近くの岩にへばりつき、見送り、仲田さんが落石と叫ぶ。7〜80m下の登山者にも声が届き身構える事が出来た由。これだけ大きな落石は初めての経験で、雨で滑り易くなっている事でもあろうし、ここで引き返すことにする。ジグザグの道を左岸から中央に出ようという時に気づいた岩が斜めに跳ねずに真直ぐ落ちた、途中砕けなかった等運がよかったとしか言いようが無い。
9時30分に下り始める。左岸沿いに慎重に下り、12時前に小屋に着く。雨は一段と強くなり、小屋情報によれば、30日も雨とのこと。その旨竹中さんに伝え、特に周回組は、今日の我々と同じ様に、途中で引き返す結果になると思われるので、中止をすすめる。
 仲田さんは明日下山しなければならず、私もこのままでは沈殿続きになるだろうから、明日朝仲田さんと一緒に下り、広河原で入山組を待ち、今後を検討することにする。今晩着予定西牟田さんにも明日の下山をすすめることにし、一杯飲みながら時間をつぶす。
 3時頃小屋の人から、今日6時にゲートを閉鎖、雨が続くようなら明日も閉鎖が続く、これから下山してはどうか、タクシーは我々が着くまで待ってくれるよう手配しておく旨話があり、仲田さんは下山を決め、私は今後のこともあり予定通り泊まるつもりでいたが、小屋の人に単独では危険といわれ、一緒に下ることにし、3時半に出発。小屋の人の奨めもあり、急だが短い尾根筋の道を下り、6時前にタクシーの待つ広河原に。
今年の北岳での事故は、
(1)20日前、広河原にテントを張り、北岳に向かったが帰ってこない。八本歯の向こう側に赤い、それらしいものがみえるが、悪天候のためヘリが飛べず確認できない。
(2)北岳と間の岳の間で、一人行方不明。
天気予報と空模様に振り回されましたが、70歳プラス・マイナスとしてはこれが精一杯の処でしょうか。今でも落石をおもいだすと寒気がします。
大急ぎで小屋を後にしたので、メモをどこかに忘れたらしく、時間がハッキリしないのですがご勘弁を。
●2008年8月28〜29日 先発組・西牟田伸一さん(昭和47年卒)の山行記録
*********** 2008年8月29日のHUHACメールより転載
無事帰還しました(8月29日18:10)。
昨日は甲府発9:30のバスに乗り遅れ、12:00のバスになりました。3時間かけて御池小屋も考えましたが、アメの中やる気が萎えて、広河原山荘に素泊まりを決めました。その時点で明日のバスがないかも知れないから、芦安まで退却したら?ともいわれた上での決断でした。昨夜からはほとんどアメも降らず、今朝5:45から1時間ばかり降っただけで、12時頃バスに乗る頃には日差し燦燦でした。今日は南アルプス林道が朝から通行止め、(歩くことも禁止)。
広河原山荘に「12:00開通、14:00からバス運行開始の報」が入ったのは10:00頃だった。じっくり飲食物の整理をしてから、早めにバス停に行っていたら、ジャンボタクシーなる者が来て、12:50頃11名の乗客をのせて出発。途中すれ違った山梨交通のバスに「客はあらかた戴いたよ」と軽口をたたきながらバスより30分早く1時間半で甲府。JRが相模湖高尾間普通で復旧は19時頃との知らせが張り出されていた。本来高尾行きの14時48発は大月行きで出発。すぐさま相模湖行きに変更。ついには高尾行きになってラッキーな帰京となりました。ご心配おかけしました。
まずはご報告まで 西牟田
会   報

   


8月10日 7:15 
前嵒の岩峰


8月10日 8:03 
荒沢岳 沢には雪渓が残る


8月10日 10:19 
堂々たる中ノ岳


8月10日 11:53 
帰路 前嵒の頭を目指す一行
■荒沢岳に行きました(越後シリーズ第3弾前半)竹中 彰(昭和39年卒)
        ***********  (2008年8月12日のHUHACメールから転載)

●3年前の越後駒ケ岳(〜中ノ岳)にお姫さまと4名のお付きでスタートした越後シリーズの第3弾・伝之助小屋をベースに荒沢岳、平が岳に登る計画のうち前半の荒沢岳に8/10に登りました。プランを策定された三井さんが思わぬアクシデントで参加を断念され、小生も昨日朝に腰を痛めた為、荒沢岳のみで下山しましたが、一番最初のメ ンバーである姫と2名のお付きは本日無事に平が岳を往復したものと思われます。何れ、正式に報告されるものと思われますが取り敢えず、前半分について簡単に記します。
●参加者:佐薙、高橋、本間、川名、竹中(記録)(内当初メンバー佐薙、竹中、本間、川名)
●8/9:晴
東京発11:12発「とき319」に竹中、本間、川名が乗車、浦佐で佐薙さんも合流、13:40の奥只見ダム行きバスに乗車。乗客は我々4名(高橋さんはマイカーで別途古跡に寄って銀山平へ)の他には女性2名で略貸切状態。シルバーラインの長いトンネルを抜けて銀山平へ。バス停から10分程度の歩きで伝之助小屋へ。小屋とは名ばかりで、ウオシュレットトイレもあり、浴衣も出る温泉民宿の雰囲気。前回(5年前)泊った時はなかった露天風呂が裏に出来ており、早速汗を流して小屋前のパラソルの下で全員で前祝い。 夕食はクラブツーリズムの団体(越後駒、平が岳往復)と一緒で、このツアー団体との同宿が翌朝の混乱の原因になるとは予想しなかった。主人から食膳の料理、素材、翌日の各ルートの注意事項の説明の後、我々は翌日のハードな行程を考慮し地酒「荒沢岳(伝之助の水で醸造)」で“軽く”乾杯。お開き後部屋に戻って8時過ぎには就寝。
●8/10:晴
5時出発を予定したが、団体の4時出発の動きで目を覚まされる。朝食と昼食は夫々オニギリ弁当が玄関脇に用意されていたが、我々の分は朝食4食、昼食2食と夫々注文よりは1食少ない数しか置いてなかった。従業員に確認しようにも皆就寝中で、どうしようもなくあるもので間に合わせる事として、我々も4:42に小屋を後にする。奥只見湖方面に5分位戻った所に荒沢岳登山口があり登り始める、ここには駐車場、トイレもあり、3-4台の車が止まっていた。登り始めて5分弱の所に沢水の取水タンクがあり、道は沢を離れて右手の尾根に取り付き300m程の急登を前山(1,090mに至る。前山直前の995mで休息(5:20-25)、その後5:40に前山を通過、右手から伝之助小屋の少し上流から登って来る道の合流点も過ぎ、時々右手に越後駒、前方に前嵒(クラ)を眺めながらブナ、ミズナラ等の尾根の上を辿り、1,200mで少憩(6:11-20)。尾根上は昨年の八海山から中ノ岳縦走時程ではないが、汗だくで進むことになり、水の消費が激しい。
●前嵒の基部に着くと、「これより岩場注意」の看板(1,280m)を眺めながらお腹に入れる(6:47-55)。その上から直ぐクサリ場、ハシゴの連続となる。岩は確りしていてそれなりにホールド、スタンスもあるが、所々で滲み出る水に濡れた部分や草付き等もあり足下がかなりの急傾斜で切れ落ちてなかなか気が抜けない。クサリは雪の降
る前に撤収し(そのままでは大部分雪庇の崩落で飛ばされるとのこと)、翌年架けるとのことだがよくもこんな所にルートを開き、鎖、ハシゴ等を整備したものと感心する。50分かけて漸く難所を抜け前嵒の頭手前でホットする(7:45-8:03)。荒沢岳にはかなり近づいたが未だ先はかなり長い。出発後直ぐに前嵒の頭を通過し、その後1,575m 8:35-40、1,720m 9:17-25と略30分でピッチを刻み、計画よりは早く、10:02に頂上(1,967m)に到着した(計画は宿を5:00発、頂上着10:40の予定)。頂上には途中で我々を追い越して行った3パーティー5人が休んでいた。昼食を摂って、落ち着いたところで駒から中ノ岳、兎、丹後山の稜線を眺めながら一昨年からの越後シリーズを思い起し、平が岳や尾瀬方面の山々の同定をするなどして10:46に頂上を後にする。1,690m 11:19-30、前嵒の頭12:10-25、その後クサリ場を抜けて「これより岩場注意」の看板の所で大休止(13:15-38)、木陰で涼しい風も吹きぬける気分の良い所で、緊張も解れなかなか腰が上がらない。汗も引いた所で出発する。その後は1時間ピッチでひたすら下る。1,090m 14:18-25、その後前山の手前(1,040m)の分岐(14:38通過)で来た時とは別の伝之助小屋へ直接下るルートに入る。正規ルートに較べて余り道の状態は良くないが、急な傾斜を下り時間的には早く下の道(国道352)に出て15:07に小屋に帰着。既に明日の平が岳に参加する遠藤さんも到着していた。靴を脱いでいる所に駒に行ったツアーの一行が戻ってきたので、大急ぎで風呂に入る。サッパリしたところで部屋で軽くビールで乾杯。竹中は出発前のパッキング中にギックリ腰になり、荒沢岳は何とか往復したが、翌日の平が岳参加は稍々ムリと思えたので、高橋さんの車に便乗して帰京する事とした。越後シリーズの最終章に参加出来なかったのは残念だったが、姫を当初からのお付き2名を含む3名がしっかりエスコートしたものと思われる。

会   報

   
■荒沢岳山行写真 高橋 信成(昭和38年卒)      ***********      (2008年8月19日投稿)

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▼画像を」クリックすると画像が大きく表示されます。

★写真説明(左から)
1:伝之助小屋・・銀山平にある山小屋。この小屋に8月9日午後到着し、宿泊。
2:荒澤岳頂上手前の最後の岩場。8月10日4時42分に小屋を出発。
トップ本間、セカンド佐薙、三番川名。メンバー5名。
3:荒澤岳頂上を展望。頂上には他のグループのひとがみえる。

4:荒澤岳頂上。10:03着。左川名、中央本間、右竹中。
5:頂上。奥にY字型の雪渓の見える山が中の岳。右側の駒ケ岳は雲の中。
6:「これより岩場注意」の看板のあるところで休息。中央川名、手前本間、奥右佐薙。小屋まであと一息。

会   報

   
  
7月19日 8:35 笹ヶ峰登山口
(右から2人目西牟田)






7月19日 9:40 黒沢橋
(左端西牟田)






7月19日 18:10 
高谷池ヒュッテ
(夕食後の一杯、左端西牟田)
■妙高・火打山行の記録 (JAC同期会麗山会) 西牟田 伸一(昭和47年卒)
***********************(2008年7月21日のHUHACメールから転載)
●この計画は2年越しのもので昨年も同時期、同内容で企画されていたが、天候の関係で中止された。
●7/19朝8:30笹ヶ峰バス停集合、出発の予定であった。前夜、妙高高原のホテル泊組と池袋からの夜行バス組に分かれた。
●私は夜行バス組だったが出発でトラブル。池袋東口バス停発とのことだったが、バス停が見当たらない。西武デパート前には都バスのバス停しかない。ウロウロ探したが見当たらない。既に出発時間を5分過ぎ、ソロソロあきらめムードが出てきた頃ようやく西武バス2台が停まっているのを発見。グリーン大通りと呼ばれる大通りだった。乗務員らしき5,6名が集まっていたのは遅れている「ニシムタ」の扱いを協議していたのだろうか。今井さんが同じバスに乗られていたが、聞くと畑島さんがバスに乗る予定だが、こなかったという。「たぶん、バス停が見つからずあきらめたんでしょう。」と私はかってに決め込んだ。
●5:20JR高田駅着、6:06妙高高原駅で他の4人とバスを乗り換え、笹ヶ峰の登山口へ。8:15笹ヶ峰発登山口に差し掛かるとそこにはなんと畑島さんが待っていた。予定を変えられ、車でほかのお仲間と共に前夜泊されたらしい。9:40黒沢橋、11:25富士見平。このあたり、登山客多く、やれ「銀杖草」(ギンジョウソウと聞こえたもの)だ、「岩かがみ」だと花の名前が行き交う。12:52高谷池ヒュッテ着、先発隊(前泊組)は既に火打山頂に着いていると無線連絡。13:20ヒュッテ発。14:50火打山頂着。まだ山頂に残っていた先発組と記念撮影。15:05発。途中天狗の庭(2100m)あたりはカエルの鳴き声がグーグーと煩い。16:20ヒュッテ帰着16:47分最終組帰着。この日は梅雨明けを思わせる陽気であったが、お仲間には「巻雲だ、羊雲だ、いわし雲だ」と不吉なことを言う人がいた。カレー&ハヤシライスの夕食だった。
●翌20日は5時15分朝食。5:55出発。6:50黒沢池ヒュッテ、7:25大倉乗越、8:25分岐、9:55妙高山頂、10:20発、12:07天狗堂 この日は朝から曇りがちで大倉乗越ではパラつきはじめた。北地獄谷から下は予定の下山道が水害のため通行禁止とされていたため、思わぬ回り道を強いられた。また交通渋滞も激しく、中には36人の近ツリのツアーもいて狭い岩場で交差するのに15分もかかった。14:19麻平分岐、15:12燕温泉到着。予定より2時間も遅れた。
●無事の帰還を祝して解散。その後我々5人(ほかに浦辺、金中、今井、宮川)は入浴の後近くのみやげ物屋兼食堂に。そこで出会った2人も同じ方面を下ってきたという。2人は山形の鳥海山付近に暮らすが朝も同じ道を登ったという。ただし、朝は規制された道を回避して登ったが、途中規制されている道を多くの登山者が通るのを見た。そこで帰りは早かったという。要するに通行に支障はないが、週日は工事の邪魔になるので通行を規制しているらしいのだ。畑島さんは詳細な最新登山道図を用意されていたが、そこにはそんなことまでは書かれていなかった。
●この妙高・火打はちょうど10年前、会社が勤続25年を祝して休暇と手当てをくれたのを良いことに計画した山のハシゴ計画の最終計画だった。前半は大学生の息子と高千穂平基点の八ツ岳南半分日帰り縦走、後半は当時60歳の(私より10歳上)友人と戸隠・高妻山を縦走し、笹ヶ峰貯水池(乙見湖)、までたどり着いたところで断念したのだ。
●また、妙高は、大学の寮も、会社の寮も池の平にあったのでこの35年くらいゲレンデスキーをやっていましたので親近感を持っていました。
ようやく達成できた長年の悲願でありました。麗山会の皆さんいろいろとありがとうございました。
●参加者:会長・高石道明、CL・玉田真一、SL・金中利和、畑島良一、気象・今井秀正、会計・宮川美知子、永井和歌子、記録・西牟田伸一、浜田多喜男、鈴木秀郎、浦辺充
★(麗山会とは)
2003年度に日本山岳会に入った人の同期会ですが(れいさん)、このごろは別に日本山岳会に入った人なら入れます。
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7月5日 11:00 武尊山山頂



7月5日 12:00 日本武尊像
(頂上より40分下)







■上州武尊山に登りました。        三井 博(昭和37年卒)
     *************** (2008年7月2日のHUHACメールから転載)

●7月4日(金)18:30新宿発、群馬県片品村 のロッジ北沢22:00着のクラブツーリズムのツアーに参加 しました。私は生ビールを飲んで寝込んでしまいましたが、梅雨明けを思わせるような土砂降り、落雷、雹まで降ってきて、バスの運転も大変だったみたいでした。ロッジ北沢は、スキーがメインの民宿ですが、家族的なおもてなしと、食堂などのインテリアが素晴らしく落ち着いて過ごせる温泉宿です。夜中も落雷や落雹があったみたいですが、私は気がつきませんでした。
●7月5日(土)雨は上がり、民宿のマイクロバスで武尊牧場スキー場三合平から、武尊山を目指して登りはじめました。熊出没注意の看板が幾つかありました。このあたりは月の輪熊の密度が濃いそうで、子供の登下校などは、鈴の音を鳴らせながら、行くそうです。雨が上がると、太陽が照りつけて温度が急上昇 してきました。 しかし、ぶななどの樹林帯が続き、時折冷たい風が吹き付けてくるので、絶好の登山日和です。緩やかな登りが 続くと、突然岩壁が現れ、鎖を頼りに攀じ登ります。当ツアーは23人(うち男13人、女10人)とリーダー、添乗員をいれ て25人の大所体で岩場では、時間がかかります。足場はあるが、細かい岩くずが沢山あり、これを落とさないようにするのが、一苦労でした。鎖は3本あり、この通過に30分以上の時間がかかりました。
●岩を登ると、急坂となり、中ノ岳の分岐を経て、 武尊山の最高峰である沖武尊(2158m)に到着しました。 約4時間かか りました。すこし雲がかかっていましたが、直ぐ近くに至仏山、笠が岳、があり、平が岳、日光白根山、皇海山など360度の大展望を満喫しました。昼食後、下山にかかりましたが、先ほどの鎖のある岩で登りの団体と交錯して、1時間近くの時間を取られました。牧場の登山口についたのは、下山後4時間15分で登りより時間がかかりました。武尊山は地味な山でしたが、緑が濃く、野鳥も鶯など一日中啼いており、高山植物もヨツバシオガマ、サンカヨウ、ゴゼンタチバナ、キヌガサソウ、マイズルソウなど多数咲いており、楽しめる山でした。水芭蕉やレンゲツツジは終わっていましたが。
●沼田インター近くの白沢高原温泉で入浴し、ビールと食事を頼みましたが、食堂は若い女性が一人でやっており、いつ出来るかわからないというので、ビールだけで我慢しました。秋田山ノ会、国分寺山ノ会など百名山を目指す団体が押し寄せていて、大変な混雑振りでした。他人の事はいえないのですが。
●行程の時間は大よそ次のとおりです。
武尊スキー場三合平  6:50
高山平(武尊避難小屋)  8:00
中ノ岳分岐点 10:00
武尊山頂上 10:40〜11:15
中ノ岳分岐点 11:45
高山平 14:45
武尊スキー場三合平 15:30
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4月2日 7:59熊木沢を辿る



4月2日 8:33
熊木沢を辿る(本間さん)



4月2日 11:19
直登の途中(1,570m付近)
(高橋、門脇さん)



4月2日 12:34
蛭ガ岳山荘前(本間、門脇、高橋さん)



4月2日 14:01
鬼ガ岩から蛭ガ岳を振り返って(左端の稜線がルート)
■蛭ガ岳直登の記録      竹中 彰(昭和39年卒)
*************************(2008年4月3日作成:2008年7月2日投稿)

昼から会メンバー、丹沢の主・本間さんが長年温めていた「蛭ガ岳直登」を実行したいとの考えに、本年1/6に塔ノ岳・尊仏山荘に参集した同会メンバーが賛同し、4/1〜3のスケジュールでユーシンロッジから熊木沢を詰め、第七堰堤手前から蛭ガ岳に至る尾根に取付いて、所々にある目印テープを確認しながらかなり急な斜面を攀じ登って取付きから3時間10分を要して頂上に至り本間さんの宿願は果たされた。
メンバー本間 浩、門脇哲朗(住高で竹中の同期、早大山岳部OB)、高橋康夫(蛭川さん元同僚)、竹中 彰…何れもover66yearsの自称アルツ世代
●4/1(火) 晴れ
8:45に新松田駅に集合し、タクシーを利用して寄大橋まで入る(9:11)。
途中の管理棟で登山届を提出し、9:30にスタート。寄沢を辿り、10:01に右岸の登山道入口、10:55沢を横切り鎖場上に着く。寄コシバ沢を越え峠への急な登りを辿り11:49に雨山峠(1,000m)に上り、晴れあがった富士山を眺めながら休憩。桟道の多い雨山沢を下り、更に玄倉から通じる通行禁止中の林道20分を経て12:50にユーシンロッジ到着。 (総歩数:15.2千歩)
●4/2(水) 晴れ後曇り
6時前に起床、餅入り雑炊を食べ、併せて昼食用の五目飯にお湯を入れて準備する。7:00にスタートし玄倉川沿いの林道を遡り、熊木ダムを横目に暫らく進み7:30頃に熊木沢出合に着く(標高約800m)。熊木沢の奥に目指す蛭ガ岳が頂上直下に白い雪を光らせて聳えている。
嘗てあった熊木沢の砂防堰堤工事用の林道が既に廃道(地理院2万5千図の熊木沢を上がる点線は嘗ての林道跡)となっており、出合では橋が落ちていることから河原を歩くこととなり、主に左岸を進む。少し登った所に右側に弁当沢の頭経由で棚沢の頭に出る小さな標識があった。
第1堰堤に近づき本間さんが偵察するが堰堤際の斜面は登行困難なので、40〜50m位戻った所から左岸上部に林道跡を見つけ這い上がって道を進んで堰堤の上に出た(7:55〜8:05)。堰堤を越えて300m弱そのまま左岸寄りを進むが、第2堰堤手前で流れを右岸に渡った後は主に右岸の河原を行く。暫らく進むと右岸に付けられた所々コンクリートで固められた林道跡に出て、ミツマタの花が満開の中を弁当沢出合、カギカキ沢出合、盆沢出合を過ぎ第3(東沢)堰堤、第4堰堤の間で休憩(1,035m、8:45〜55)。第4堰堤手前で林道跡は左に大きく迂回するが、我々は流れに沿って第5堰堤を通過し、ミカゲ沢を左に見送って進むと第6堰堤が立ちはだかっていた。ここは堰堤の左の潅木と岩のミックスした所をを攀じ登る。上に抜けて見上げるとこのルートを記した過去のブログ等に出てくる林道の端に放置されている赤い自動車があり、正しいルートであることが確認できた(この辺りで標高1,000m)。堰堤上部を左岸に渡り西沢を少し行くと、目の前に第7堰堤があり、その壁に蛭ガ岳への赤い矢印があった(9:15通過)。愈々直登ルートの始まりで、最初は疎林交じりの砂礫の急斜面を本間さんをトップにして登る。踏み跡は余り明瞭ではないが、所々にピンクや黄色のテープが枝に捲かれてあるのを目印に進む。足元は崩れやすく、特にジグザグを切って登る際の足元は極度に不安定である。1ピッチ目は取付きから100m強上がった所で休む(9:25〜35)。見失いそうになるテープを4人の目で探しながら少し行くと1,150m辺りで左の尾根にしっかりした踏み跡があるのを確認し、以後はこの尾根上を進むが目印が時々消えることもあり、目を皿にして探すことになる。急傾斜と目標探しでペースはなかなか上がらず、2ピッチ目は1,230m地点での少憩となった(10:00〜05)。1,300mを越えた辺りから時々雪の上を歩くようになり、また、踏み跡もハッキリしなくなる。第3ピッチ1,380m(10:30〜40)、途中左手に臼が岳の肩越しに富士山も姿を見せる。
第4ピッチ1,500m(11:15〜35)とスローペースが続き、蛭ガ岳頂上12:00着の目標が怪しくなる。第5ピッチで鎖場(ロープ)下に着き一息入れる(11:50〜12:05)。遥か下に熊木沢を見下ろし、また左手にはこれから辿る鬼が岩にかけての主稜線がハッキリ見える。雪と岩混じりの鎖場は足元も切れておりなかなかスリルある部分だった。但し、用意したザイル、ヘルメットを使用することもなく通過した。鎖場を過ぎると上部の雪田風のところで、キックステップで登り切ると蛭ガ岳頂(1,673m)であった(12:25〜13:25)。途中のコース取り・確認に手間取ったり、稍々厳しい部分で慎重に対処したことなどから昭文社の標準コースタイムを大幅に超える取付きから3時間10分の記録であったが、全員、中でも本間さんが無事に完登したことの満足感は大きく、本来ならビールでも開けて乾杯したい所だが、今夜の宿泊地塔ノ岳・尊仏山荘は未だ遥か彼方、蛭ガ岳山荘前のテーブルでお湯を沸かして豚汁と五目ご飯の昼食に止める。
●タップリ1時間休み、主稜線上を500円の缶ビールが待つ塔ノ岳目指して出発。直ぐ大きな下りとなり、雪の残る夏道を進む。鬼ヶ岩、棚沢の頭、とピッチを刻んで丹沢山(1,567m)通過は15:45。更に最後の登りにしごかれて尊仏山荘到着は17:10となり、この日は延べ10時間余の行動となった。
●主人の花立氏に迎えられ、先ずビールで乾杯。既に休憩室では関西弁のパーティー、外国人パーティーがテーブルを占拠して酒盛りなどを始めていたので、その横を拝借して我々も始めた。ツマミは乾き物、昆布締め残りの昆布の細切り、加えて本間さんの奥さん差し入れのシシャモを炙って、この日の久し振りのアルバイトを振り返る。花立氏によると20年くらい前には当時尊仏山荘と蛭ケ岳山荘の双方を経営していた先代の下で、林道から蛭ケ岳山荘に直登ルート経由で30kgボッカし、その足で尊仏に廻り、土平から下山して再びユーシンから塔へボッカを行なったとの、イマはムカシの物語りを聞く。本間さんが事前に電話で状況を問合せた時には、本当に我々が蛭に抜けるかは半信半疑だった様子。小屋の夕食、カレーライスを食べた後も、オーナーズルームで他の客2人と共に23時頃まで歓談。終わって寝床 (総歩数22.3千歩)
●4/3(木) 晴れ時々曇り
7時前に起床、他パーティーは出発して行く中、小屋のおでん定食を食べ、下山ルートをバカ尾根(大倉尾根)に決める。但し大倉の何時もの「さか間」の定休日に当たっていることは分っていたので、大倉からは鶴巻温泉駅前の弘法の里湯に行くことに決めた。富士山も霞む陽気の中、7:45にスタート、金冷シを経て一気に改装中の花立山荘まで下り(8:15〜37)、平日にも拘らず多くのパーティーが登って来るのとすれ違いながら、そのまま下って大倉バス停には10:44到着、ドロだらけの靴を洗いタクシーで11時半前に秦野市営弘法の里湯に着き、広い湯船に身体を沈める。
●浴後は1階の蕎麦屋で反省会、ビール、日本酒、焼酎等など、最後はソバで締め、この蕎麦屋は味は兎も角、従業員教育がなっていないと本間さんは不満を洩らしていたが、計画通り遂行できた満足感をもって今回の山行は終わり、昼下がりの道を鶴巻温泉駅へ向かった。
以 上

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