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■2011年11月5日 月見の宴が行われました。 ■2011年10月21〜23日 夜叉神峠西口登山道づくりに参加して ■2011年8月7日 富士山をきれいにする会、結成50年記念式典に参加しました。 ■2011年6月2〜5日 第6回三四郎会顛末記 半場 三雄(昭和41年卒) ■2011年 4月23日 新緑の宴が行われました。 ■2010年12月12日 初冬の針葉樹会懇親山行が丹沢(七沢温泉から飯山温泉)で行われました。 ■2010年11月20日 中村保さん(昭和33年卒)がポーランドから二つの栄誉 −国際探検家賞とポーランド山岳会の名誉会員 ■2010年11月6日 月見の宴が行われました。 ■2010年9月28日 第18回メトロ会懇親会が開催されました。 ■2010年6月28日 金子晴彦さん(昭和46年卒)の「香港アルプス」が発刊されました. ■2010年6月4〜5日 三四郎会(第5回)が上高地で行われました。 ■2010年5月22〜23日 針葉会懇親山行が武甲山&秩父御岳山で行われました。 ■2010年 4月17日 新緑の宴が行われました。 ■2010年 2月20日 竹中彰さん(昭和39年卒)が日本山岳会東京多摩支部の 初代支部長に選出されました。 ■2010年 2月10日 針葉樹会懇親山行が大磯・高麗山で行われました。 ■2009年12月 1日 故・山崎擴さんの蔵書が針葉樹文庫に追加されました。 ■2009年10月31日 月見の宴が行われました。 ■2009年10月18日 針葉樹会が南アルプス市から功績者表彰を受賞 ■2009年9月26日 中村保さん(昭和33年卒)が第4回スポーツグランプリを受賞されました。 ■2009年9月12日 故山崎擴会員の納骨式が執り行われました。 ■2009年9月11日 国立部室の現況 ■2009年7月31日〜8月2日 夏の針葉樹会懇親山行が浅草岳・守門岳で行われました。 ■2009年6月20日 三ツ峠山で一橋山岳部新入部員歓迎山行が行われました。 ■2009年5月18日 一橋山岳部に2年生2名が入部しました。新歓山行が行われます。 ■2009年5月16〜17日 初夏の針葉樹会懇親山行が夜叉神峠で行われました。 ■2009年5月16日 南アルプス芦安山岳館・針葉樹文庫見学会が行われました。 ■2009年4月 4日 一橋山岳部の国立部室で花見の宴が開催されました。 ■2009年3月27日 妙高山・山スキー中の事故で死亡した近藤君の葬儀が行われました。 ■2009年3月15日 春の針葉樹会懇親山行が丹沢・二の塔〜三の塔で行われました。 ■2009年3月8〜9日 三四郎会山行&総会が西丹沢・中川温泉で行われました。 ■2009年 2月 4日 「針葉樹文庫」を開設することとなりました。 ■2008年12月7日 針葉樹会懇親山行が高川山で行われました。 ■2008年12月 6日 日本山岳会年次晩餐会席上で、中村保さん(昭和33年卒)に 名誉会員章が授与され、会長特別表彰が行われました。 ■2008年11月24日 一橋山岳部の国立部室で月見の宴が開催されました。 ■2008年11月12日 日本山岳会理事会で中村保さん(昭和33年卒)が名誉会員に 推挙されることが承認されました。 ■2008年9月30日 中村保さん(昭和33年卒)の英国王立地理学協会メダル受賞祝賀会 が八重洲富士屋ホテルで開催されました。 ■2008年7月13日 一橋山岳部新入部員歓迎山行(高尾山)が行なわれました。 ■2008年6月 2日 中村保さん(昭和33年卒)が王立地理学協会の年次総会で 日本人で初めて「Busk Medal 2008」 を受賞しました。 |
HUHACメール=一橋山岳会メーリングシステムで配信され たメール |
■2011年11月5日 月見の宴が行われました。 前神 直樹(昭和51年卒) ****** 2011年11月24日投稿 日時 11月5日(土) 場所 国立部室 17時くらいより22時くらいまで。 参加 石原、上原、三井、竹中、本間、小島、佐藤(力)、佐藤(久)、金子、井草、 兵藤、岡部、川名、前神(記) (学生)米田、山根、 町田、小宮山 久方振りの大人数での宴会となる。 ●月見の宴開始の前にまずは部室周辺の草刈を実施。 午後二時ころから開始。本間、小島、佐藤(久)、金子、前神、兵藤、 小宮山(学生)、町田(学生)でせっせと刈ったが、これくらいの人数でやると作業も速い。 雑草だらけであった部室周辺も散髪後の頭のようにすっきりする。小島さんが如意団のお互いの間の雑草を何とかしてくれといわれていたそうですが、これでしばらくは苦情も出ないでしょう。 ●草刈終了後いつものスーパーで川名さんと待ち合わせて兵藤とともにこんなに食べれるかと思うほどの食料を買い込む。ただ今回は人数も多いので中途半端な量ではすむはずもなく。今年の鍋はキムチ鍋となる。 宴会の準備中に今年の新緑の宴で余っていたビールは飲み干され、その後5時ころから宴会を開始。宴がたけなわになる前にと、上原さん、本間さん、小島さんから芦安の支援体制の話がなされる。 宴では井草さんが持ち込んでくれえた生わさびや毎回のように差し入れをしていただく佐藤(力)さんの手料理が花をそえる。 OBからは山に対する情熱や、部を生き延ばさんとする強烈なDNAが出され、学生もそれに応えんとはしているものの、全員がほぼ初心者であるが故にどうやって山の計画を練るのかなど、まだまだ部活動が順調に動き出すというところまで行っていないのが実情。 ともかくも今後もOBの立案する山登りに学生に参加してもらおうということになり、冬には北八ヶ岳にでも行こうか、という話がでる。 最後は10時頃何とか片付けて部室は出たが、60前の(若手?)OBは殆どがどうやって帰宅したのかわからないとの後日談となった。 |
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■2011年10月22〜23日 夜叉神峠西口登山道づくりに参加して 宮武 幸久(昭和45年卒) ****** 「芦安ファンクラブ通信 第43号 秋」より転載(一部改訂) 【はじめに】 『カンバ平周回路 補修整備事業』本間 浩(昭和40年卒)より抜粋 23年10月22日(土)〜23日(日)に恩賜林100周年記念事業として、夜叉神トンネル西口〜夜叉神峠の登山道復旧工事を行う旨の連絡を受け、5人(上原・小島・中村・宮武・本間)が参加しました。(労働力としてよりも、作業とは?を知る為に参加。その為針葉樹会員の参加範囲を広めませんでした) 22日7時半集合のため前日芦安に入り、前回訪問で雨の為行けなかったE高谷山〜カンバ平〜檜尾峠〜トンネル東口を廻ってきました。カンバ平までは野呂川を挟んで白根三山に対し、天気が良かったらさぞかし素晴らしい眺めであったであろうと思いました。カンバ平の整備、その先のシラビソ台も将来の作業候補です。 22日〜23日 作業 技術力の無さは体力でと5人、ボッカ班を志望。6尺の丸太(路作りのメイン資材:階段・土固めに)2本を背負いスタート、他に路の均し、拡幅・足場きり等を行う。工事の出来る地元の男性女性の主要メンバーと作業後の登山道の足踏み班の中高年女性(賛助会員)もいるという、気配りの利いた組み合わせで無理のないボランティア参加も催しでした。終了後には森林講座もあり、樂しく2日間を終えることができました。 【本文】 夜叉神峠西口登山道が見事に復元されました。芦安ファンクラブを初め、参加された皆様「お疲れ様」でした。優れた指導者と手慣れた連中が集まれば登山道の整備ということを予定通りに、しかも嬉々として楽しみながら完成させることが出来るんだと実感しています。 会から5名が参加しましたが、それは数年前、塩沢館長のご尽力により芦安山岳館に「針葉樹会蔵書コーナー」を設けて頂き、そのお礼をと考えていた時に今回の企画に恵まれたからでした。道づくりには全くのシロウトの私に何が出来るんだろうかと不安な中、10月22日雨が降りしきる朝始まりました。清水リーダー以下総勢20数名、標高1,380mの西口からおよそ400m上の峠迄の約1.5km、概ね400kgの資機材の運搬と道の整備です。先導隊・ボッカ隊・草刈隊に分けられ、私は他に出来そうにないのでボッカ隊に入り、結局この日2往復することに。1本5kgの丸太を迷わず2本(3本の方も大勢いました)背負子に括り歩き出しました。標高1,500m位の第一テント場迄の直登は悪路とも重なりかなりシンドク、2本で正解という思いでした。テント下の急斜面には、階段づくりが始まっていて、2回目の時はほぼ完成というところでした。かねがね山の階段は段差があり歩きづらいと不満を持っていましたが、なんと浅薄なことと反省するに到りました。段差は斜面の角度によって自ら決まってしまうものだからです、標高1,700m位の第二テント周辺は水場があり藪に覆われた危険箇所です。リーダーから「そこの楢の木を切れ」と声がかかり30m位下の沢沿いの倒木を2本、道の上迄引き上げ、「どうするんだろう」と見ているうちに倒木は梁になり、打ちこまれた杭としっかりジョイントされ「立派な」橋が2ケ所出来上ました、杭の不揃いなのは打ち方の下手な私のせいです。 予報には反し素晴らしい天気に恵まれた2目日は、道幅を拡げる若干の手直し、重量隊による踏み固め、そして道案内の為の真新しく真紅なテープを樹々に巻きつける仕上げ作業の後、正午すぎにそれ迄峠にあった「西口通るべからず」の看板を取り外すことが出来ました、 より高みを目指した先人達が通ったであろう峠はその役目を終え、今日峠そのものを目標にやって来る方々の為に少しはお役に立てたかなと思うと感謝の気持ちで一杯です。本当にありがとうございました。 (追記)芦安のアルカリ性の温泉が痛めた腰に効くこと、2日目作業終了後、夜叉神峠東口登山口まで[森林樹木講座]がありましたが、その時の斉藤講師が(立川)高校の先輩あることが解り喜びが倍増しました。 |
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10月22日 15:53 作業終了後に全員で (後列)右から1人目が中村、3人目が宮武 (前列)左から2人目が本間、3人目が小島、右から2人目が上原 |
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■2011年8月7日 富士山をきれいにする会、結成50年記念式典に参加しました。 小島 和人(昭和40年卒) ****** 2011年8月7日のHUHACメールより転載 昭和39年、一橋山岳部が中心になって清富会を結成して参加した「富士山をきれいにする会」が50周年を向かえ、昨日8月6日に記念式典が開催されました。一橋山岳会90周年のプロジェクト候補の「一橋現役学生との富士山(清掃)登山」を企画する準備として、三井博さん、宮武幸久さんと3人で、針葉樹会として参加して来ました。 式典は朝6時45分甲府駅北口集合でしたので前夜駅前のビジネスホテルに宿泊して参加しました。甲府駅からバスで富士北麓公園に行き8時半から出発式で、主催は「富士山をきれいにする会]ですが、環境大臣や地元の知事、市長,村長や実行委員の山梨放送、山梨日日新聞が現場に参加、NTTなど多くの企業が支援して、一般人1900人が参加する一大イベントでした。 出発式の後、我々は富士5−6合目を掃除するグループに入りバスで5合目ロータリーまで移動12時まで付近のゴミ拾いをやりましたが、御存知のようにかなリゴミは少なく道を外れたところに少しばかりのゴミを見つけ回収しました。 午後は富士山アリーナに移動して記念式典となり、C.W二コル氏の[日本の自然の多様性とすばらしさを富士山とともに考える」記念講演を含めて3時半まで式典が続きました。 富士山、特に5合目から上は大分きれいになっています。この50年に125万人が清掃活動に参加、5000トン近いゴミを集めたそうです。登山者のマナーもよくなっていますが、今後とも啓蒙活動、少しでもゴミ集めをする必要があるとの認識で,毎年約30,000人が清掃活動に協力しているとの事です。 「富士山をきれいにする会」でも我々の昭和39年からの活動を高く評価、記録に残しており、今回の参加を機会に同会との連絡を復活させながら来年の一橋富士(清掃)登山を、三井さん宮武さんが幹事になって具体化していきますので会員の皆様の御協力をお願いします。 最後に、二コルさんの話も興味深く、我々の芦安プロジェクトでも[自然の再活性化]の色合いをもう少し濃くすべきかなと思いながら帰りました。 ●富士山をきれいにする会出席については、山梨日日新聞の8月7日版に三井さん、宮武さん、私の写真が大きく載りました。富士山のほうは一歩始まったと言う感じです。 小島和人 ****** 2011年8月7日のHUHACメールより抜粋 |
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『山梨日日新聞』2011年8月7日 朝刊19面 「元大学山岳部約40年ぶり活動」写真左から三井、小島、宮武 |
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■2011年6月2〜5日 第6回三四郎会顛末記 半場 三雄(昭和41年卒) *********** 2011年6月9日投稿 6月3日・4日に実施された第6回目となる三四郎会の顛末を報告します。平年より12日も早く、たしか5月の27日に東海地方の梅雨入りが発表されましたが、三四郎会当日の天気が気がかりで、毎日、週間天気予報をみては好天を、の願いがかない、前日(6月2日)までの雨が上がって、6月5日の延長戦日までの3日間、良好な天気に恵れました。 ただ、前哨戦組が雨に見舞われたのは気の毒でした。 今回の三四郎会は、メンバーにとって、馴染みのない土地(愛知の奥三河)での催行故、集まり具合も気にしていたところ、以下のメンバー(敬称略)の参加を得て、盛況であった。 前哨戦@ 6/2 龍爪山(静岡市) 3+1名 蛭川・本間・小野 前哨戦A 6/2・3 木曽駒&宝剣岳 4名 岡田・斉藤・吉沢・中村雅 ●1日目 6/3 乳岩(670m)12+2名 蛭川・竹中・本間・小島・小野・佐藤力・坂井・半場・高崎・原・佐藤久・池知 ●2日目 6/4 鳳来寺山(684m) 11+2名 蛭川・竹中・小島・小野・佐藤力・坂井・ 半場・佐藤久・岡田・吉沢・中村雅 ●延長戦 6/4 茶臼山(1415m) 3名 小島・小野・半場 6月3日 午前11時に浜松駅から10名(助っ人ドライバー2人を含む)が乗用車に分乗し出発。 途中下車して、浜名湖を眺望する。 高崎・原・佐藤久・池知の4名が浜松西ICで合流し、豊川の支流の宇連川(うれがわ)湖畔の板敷で昼食、[愛知県民の森]での一服の後、乳岩渓谷&乳岩へ(頂上で記念撮影)。 道中、洞窟見物などしながら下山。下山後は、回り道して鳳来湖見物。 17時頃から、三四郎会では恒例となっている[ゆーゆーありいな](湯谷温泉の一角の施設)で温泉入浴。 全員風呂上りのタイミングで中央アルプス帰り(17時46分湯谷温泉駅着)の岡田・斉藤・吉沢・中村雅の4名が合流し、車4台に分乗して、宿伯場所の[山びこの丘]へ18時30分頃到着。 19時からは、これも恒例となっている夕食を兼ねた宴会を仏法庵(余人を交えない戸建)ではじめる。今回初参加の吉沢(S42卒)氏による自己紹介を兼ねた前哨戦の山行報告。宴が一段落したところで、次回(2012年)幹事を選任…全員拍手にて決定(幹事:高崎&佐藤久)。催行日時・場所は幹事に一任。 21時頃からは、長屋風建屋一室で、延長酒宴。延長酒宴では、今までにない高尚な話題(*1)で、白熱し、全員が各部屋へ散ったのはシンデレラ姫が落とし物をしたのと、ほぼ同時刻であった。 *1 高尚な話題(針葉樹会の役員が積極的に問題を提起): ―針葉樹会の財政の窮状をどう打開するか(固定会費の他に賛助会費制度を考えるetc) ―学生を山(山岳部)へいざなうには(大学の協力を得るにはetc)→基数を拡張する ―針葉樹会の会員の山行計画など各種行事への参加意欲の高揚策 ―90周年事業の内容とその意義(富士山クリーン活動を積極活用し、社会性をアッピールetc) ―海外で遭難した針葉樹会会員の発見・収容などの手順・てだて・費用の捻出・拠出方法 |
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6月3日 15:38(撮影:中村英一氏) 乳岩山頂 (後列左から)高崎、池知、小野、竹中、坂井、原、小島、本間 (前列左から)佐藤(力)、佐藤(久)、半場 |
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6月4日 朝食後、午前8時30分宿発、繰上げ散会の5名を除き鳳来寺山へ 石段(約1400段…途中鉄梯子を含む)の始まりのところで、記念撮影後、歩行開始。 2名は車道の利用で石段登りの一部を省略して五合目駐車場へ。山頂を踏んだのは8名 挑戦むなしく?3名は途中までであった。全員が東照宮(三大東照宮の一つ…日光・久能山)参拝後、パークウエイ駐車場から車で昼食予定場所の[かさすぎ]へ下山。 時間に余裕が出来たため、[鳳来自然史博物館]へ全員入館(…料金¥210は会費外で自己負担)し、文化系の我等に似合わず、これも高尚な勉強(*2)のひと時の後、食堂[かさすぎ]で、めいめい好みの昼食(各自負担)をとる。 13時30分に散会とし、延長戦の3名を除き、本長篠駅、及び浜松駅へ。 *2 高尚な話題(蛭川氏の依頼により学芸員が付き添って説明): ―鳳来寺山と瑠璃山の位置関係と名前の変遷など ―日本列島の形成過程と中央構造線(大断層帯)/フォッサマグナ/糸魚川・静岡構造線 ―仏法僧(コノハズク)・モリアオガエルの卵 延長戦の3名は6月5日の予定を繰り上げて、茶臼山(愛知・長野県境で愛知県最高峰)へ。(蛭川氏は本長篠駅で途中下車し、14時時発の豊橋行きで関西方面へ) 茶臼山高原は、芝桜祭りの開催中で、リフト(冬季はスキー用)は大賑わいであった。 約1時間の歩行で、駐車場所とピークを往復し、[山びこの丘]への帰路、道の駅[アグリステーション名倉]へ立ち寄り、ごく軽い御幣餅定食を夕食代わりとする。 四ツ谷の千枚田(鳳来町)を見物。ここでは、偶然にも祭り(竹筒の中にローソクをともす)当日に当りカメラマンが夕暮れのシャッターチャンスを狙って群れていた。 小規模な酒宴でも、もっぱら高尚な話題の続きであった。 |
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6月4日 10:30(撮影:小島) 鳳来寺山頂 (後列左から)小島、小野、佐藤(久)、吉沢、竹中、岡田 (前列左から)中村、佐藤(力) |
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6月5日 延長戦の3名は花ノ木公園の滝見物・長篠城跡・博物館へ全員入館(…料金¥210) 気賀の関所跡(姫街道沿い)見物など、高尚な勉強第2弾の歴史勉強を終える。 舘山寺の高所(大草山)の展望台から、少しかすんだ浜名湖を眺望、軽い昼食の後、13時30分に浜松駅で小島・小野の両名をリリース。小島氏は横浜へ、小野氏は大阪へ。 ●「御礼と報告」 蛭川 隆夫(昭和39年卒) ****** 2011年6月9日の半場さんへのメールより転載 蛭川です。 フクロウ好きとして、有名なコノハズク/ブッポウソウ取り違え事件の現場(鳳来寺町)を訪問したいとかねがね念願していました。それで半場さんに幹事をお願いすれば行けると昨年考えたのですが、そういうよこしまな気持ちがいけなかったのか、肝心の鳳来寺山の頂上に立てませんでした。どうも最近は心臓がばくばくして、山登りも無理になりかけています。頂上は踏めなくても、山麓の博物館で、取り違え事件の詳しい経緯を学芸員から説明してもらえたので、満足しています。 半場さんのおかげで、楽しい旅になりました。ありがとうございました。ご舎弟と甥っ子さんにも感謝の念をお伝えください。なお、「舎弟」は老人語ですが、半場さんは若い頃からこの言葉を使っていたと記憶しています。 私は、愛知・滋賀・福井方面の遺跡と博物館めぐりの延長戦をこなし、小松から札幌に戻りました。福井歴史博物館には、北海道移住のコーナーがありました。同県は明治から昭和まで開拓者の供給基地だったらしく、多い年には県の人口の100人に1人が蝦夷地へ渡ったと展示パネルにありました。驚きです。 ●「三四郎会幹事への謝辞・経ヶ岳山行報告など」 斎藤 正(昭和42年卒) ****** 2011年6月7日の半場さんへのメールより転載 1. 半場様、そして弟様やご親戚のスタッフの皆様の幹事の労に感謝申し上げます。海千山千のメンバ相手にさぞご苦労ありましたでしょう。楽しいひと時を過ごさせていただきました。おっしゃられるように来年もまた元気に諸兄とお会いしたいと思います。 卯の花腐しむかえ黒子が温泉(ゆ)に並び ・・・・ 失礼!! 2. 経ヶ岳登山報告 会の帰路、伊那市に投宿。経ヶ岳(2296メートル)を登ってきました。静かで、 良い山でした。梅雨の絶好の中休みのそれも休日というのに、会った登山者は5人でした。道は紛れることも無い一本道で、危ないところ一つ無し。箕輪の中学生が集団登山し、標識をつけてくれているとのこと。嬉しいですね。コースは緩やかながらひたすら登りで、7合目からややきつくなり、ピークを二つ三つやり過ごすと頂上。観音像と経文の石柱がある。展望は無いが落ち着いたいい頂上です。 翌日電車からみると(伊那松島辺り)長い尾根が頂上辺まで見渡せました。 6月5日(日) 単独行 天気曇り(終日) 5:08仲仙寺−9:40経ヶ岳10:02−12:55羽広神社(最後の下り100メートルで、間違えて仲仙寺の隣に降りてしまいました。) *避難小屋或いはそれらしきもの、また岩屋とか、巨大樹木のうろとか、一時的避難の場所がありませんので、退くのは早めに。また水は途中一切ありません。 *携帯電話は(ドコモ)八合目ピークなら通じます。 [編集註] 1.前哨戦の「木曽駒&宝剣岳」の山行記&写真が、当ホームページ『国内山行報告』の 「木曽駒・宝剣山行記」に掲載されています。 2.延長戦の「経ヶ岳登山」の詳しい紀行&写真が、当ホームページ『国内山行報告』の「経ヶ岳紀行」に掲載されています。 |
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■2011年4月23日 新緑の宴の報告 前神 直樹(昭和51年卒) ****** 2011年4月28日のHUHACメールより転載 会員各位 c.c.望月君、 米田君 4月23日予定通り1700より新緑の宴を行いましたので報告いたします。 昨年の月見の宴では、部室の鍵が入っているキーボックスのキーがおかしくなっていて部室に入るのに大騒ぎだったが、昼前から来られて図書の整理をやっておられた中村さんも今年はすんなり入られました。 参加者 (敬称略) 竹中、佐藤(力)佐藤(久)、中村(雅)、西牟田、前神、 (学生)米田卓矢(茶道部・法4)、望月(茶道部 4)、 山根範子(茶道部・経3)、 の9名が集まりました。 食べきれないくらいのおでんを用意し、また今回も佐藤(力)さんが手作りのお惣菜を持参いただいたが、さすがは学生、殆ど残さずかなりあった酒も殆ど飲み干す。 就職戦線の最前線に立っている4年生が二人いたので、就職をいかに勝ち取るとるか、などという話で盛り上がる。昔は就職よりも山登りの方が大事だった、などという些か時代錯誤的な発言もでたが、まだ山にどっぷり浸かったわけではない学生にその感覚がわかったか、どうか。 しかし昔に比べると学生生活は随分窮屈になっている様子。ただ最近の一橋の学生はおとなしすぎるのでは、という発言に学生も同感という反応。 このままたまの宴会や日帰りのピクニック程度の山よりもう少し話を進めようという発言もあって、8月19-21日に徳沢でテント泊まりの学生と合同で行うことになった。登る対象は蝶ヶ岳。当初黒部源流の沢登りという話も出たが、沢登りもしたことがないのにいきなり黒部源流はきついということになり、景観もきれいで危険もほぼないと思われる蝶ヶ岳に落ち着く。 本件はOB側でももっと検討せねばなりませんが。 いろんな話をしているうちに時刻は10時近くにもなり、片付けを行い、10時すぎに部室を後にした。 ●「新緑の宴」 西牟田 伸一(昭和47年卒) ****** 2011年4月23日のHUHACメールより転載 今日は予報にも恵まれ(15:00−18:00)曇り。まずまずの日和でした。前神、中村 両幹事が取り進める中、採用面接目前の学生と、担当役員を経験済みOBのやり取りがおもしろかった。これこそ、我らがめざす実学ではあるまいか。 |
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■2010年12月12日 懇親山行・丹沢(七沢温泉から飯山温泉へ) 報告 小島和人(昭和40年卒) ****** 2011年1月23日投稿 平成22年12月12日(日) 8時45分本間山行幹事の企画による懇親山行参加のため、小田急線本厚木駅に石原、高崎(治)、上原,仲田、遠藤、本間、中村(雅)、小島の8会員と現役3年米田さん、2年山根さんの、計10名が集合。 9時10分のバスにのり七沢温泉入り口で下車。始まったばかりの今年の冬は思いの他寒さが厳しいが、本日は好天に恵まれ全員元気溌剌。七沢温泉のバス停を9時半に出て、10分ほど歩いて遊歩道の入り口を見つけ、「関東ふれあいの道」伝いに歩く。20分ほどで順礼峠。後は尾根道を和気藹々。緩やかな登りの約40分続いて物見峠付近で石原先輩から[股関節を使った山歩きのコツ〕を実演つきで現役学生に伝授。「なるほど」と感心した会員も。11時30分ごろ白山神社にお参り。冬の好天で眺望素晴らしく遥か新宿、池袋のビルまで見え、片や相模湾が 拡がる。皆さんお腹が空いてきたらしく、女坂を下るも、観音様は素通り。 12時30分飯山温泉「ふるさとの宿」に到着。露天風呂につかった後早速懇親会。学生さんを囲んでの若やいだ忘年会となりました。 ●現役 米田さんの感想 ****** 2010年12月22日『部誌』より転載 12/12の懇親山行兼新歓山行は、横浜の景色も眺められ、とても楽しかったです。ありがとうございました。新しく鍵が出来たので、忘年会を部室に催しました。今年一年の思い出を語りつつ、来年の抱負などを話し合いました。山岳部では富士山に登りたいです!! 経2 山根 法3 米田 社1 栗原・木村(入部希望者) |
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■2010年11月20日 中村保さん(昭和33年卒)がポーランドから二つの栄誉 −国際探検家賞とポーランド山岳会の名誉会員 ****** 2010年12月7日、28日 中村さんのHUHACメールより編集 中村 保さんがポーランド第二の都市ウッツ(人口65万人)で開催された市あげての町興しの行事 "The 12th Explorers Festival"に招待され、2010年11月19日に「東ヒマラヤの氷河」、20日に「チベットのアルプス」と2回の講演を行いました。20日の講演が終わった後、国際探険家賞の受賞、名誉会員の認証書の授与が同時に行われました。 1.探検家賞 "Explorer International Award 2010" 対象は登山、探検、アドベンチャー、研究の広範な分野にわたる。 今までの受賞者はクリス・ボニントン、エドモンド・ヒラリー、ダグ・スコット、クルト・ディ−ンベルガー、リン・ヒル、マルコ・プレレジ、日本人の舟津さんなどである。 2010年の受賞者が私を含め4人、スイスの人力飛行士、カラコラム・ヒンズークシュの地図作成のポーランドのイェルジー・ワラさんも受賞した。 舟津圭三さんは、アラスカ在住のマッシャー(犬橇使い)です。探検家と呼ばれることもあります。1989年12月から1990年3月にかけて行われた国際隊の史上初の犬橇による南極大陸横断に日本人メンバーとして参加、その功績でその年の朝日スポーツ賞を受賞している。 犬ゾリレーサーとしても知られ、現在アラスカのフェアバンクスに在住し、北極アドベンチャー・ツアーの仕事もしていると聞く。 2.ポーランド山岳会の名誉会員。 存命中の外国人名誉会員は、クリス・ボニントン、ヘルガ・エッガー、ハリッシュ・カパディア、クラパチェル・ワルテル、ナジル・サビル、シューベルト・ピットである。 故人ではアダムス・カーター、グンター・ディーレンフルト、リカルド・カシン、ジャン・フランコ、エドモンド・ヒラリー、ジョン・ハントなどがいる。 ※これらの詳細は『ヒマラヤの東』コーナーの「2010 ヨーロッパ紀行」をご覧下さい。 |
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ポーランド山岳協会の名誉会員認証 *** |
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■2010年11月6日 月見の宴が行われました。 前神 直樹(昭和51年卒) ****** 2010年11月19日の投稿 11月6日一橋祭真っ只中、月見の宴を行いましたので報告いたします。 最初に大変だったのは、部室に入ること。 部室の鍵が入っているキーボックスのキーがどうもバカになっているようでいくら正しい番号を合わせてもまったく反応せず。1時間ほど悪戦苦闘するもどうにもならず。 普段であれば土曜日はしまっている学生課がこの日は学園祭とあって随分おそくまでやっていて、参加者にある山根さんに学生課まで付き合ってもらい、スペアーキーを借り受けやっとことで、部室にはいることが出来た。学生課がスペアーキーを保管してくれていたのは僥倖でした。 幹事の連絡が些か急であったため、少々寂しい宴とはなりましたがそれでも下記10名が集まりました。 (敬称略) OB: 石原、佐藤(力)、竹中、本間、前神 学生:望月優(部長、山友会・商3)百瀬尊生(山友会、法1)山根範子(茶道部・経2)、 伊藤研祐(茶道部・社3)、米田卓矢(茶道部・法3)、 佐藤さんがご自宅で調理された料理がゴソっと持ち込まれ、腹をすかした学生はそれを殆ど残さず平らげ、焼酎、日本酒の類も結構な量であったがすべて飲んでいました。 昔は山でも結構ヘビースモーカーがいて一橋の「ひ」は「拾う」の「ひ」でシケモクを集めていた話とか、今の世代では想像も付かない話の披露があったが、学生が使っている奇妙奇天烈な造語にはOBの方が正直面食らってしまった。 これから学生の山登りがどうなるか予測付かないが、交流だけは続けておかないと思う次第。 |
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■2010年9月28日 第18回メトロ会懇親会が開催されました。 【本文】 ■2009年9月28日 第18回メトロ会懇親会が開催されました。 去る9/28日、池袋のホテル・メトポリタンで第18回メトロ会懇親会が開催されました。 本年度当番幹事校は日本大学、来年度は立教大学です。 なお、メトロ会の一橋大学世話人(暫定)は竹中さんです。 針葉樹会参加者:石原脩(30)、上原俊夫(33)、丸子博之(35)、三井博(37)、竹中彰(39)、本間浩(40)、高崎俊平(41)、中村雅明(43) ( )内は卒年 ●パンフレット |
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表表紙 裏表紙 |
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●プログラム | |||||||||
●2010年7月19日 メトロ会総会出席依頼 竹中 彰(昭和39年卒) *********** 2010年7月19日 HUHACメールより転載 皆 様 暑中お見舞い申し上げます。 さて、このメイルを差し上げる多くの方はご承知のことと存じますが、故山本健一郎さんがお世話役として活躍された場に日本山岳会の外郭組織ともいうべきメトロ会と言うものがあります。ただし、そのメンバーは日本山岳会会員には限りません。 山本さんは針葉樹会の中でも三月会と言う場を立上げ、毎月の定例会を定着させ、その中から色々の国内のグループでの山行を実績として生み出されました(その一つに越後シリーズもあります)。針葉樹会以外に日本山岳会の中でも広く活躍され、その一つにメトロ会世話人(一橋山岳部OBを代表して)としての活動がありました。 メトロ会は在京の大学山岳部(日本山岳会学生部に集った仲間)OBの親睦会で、東大スキー山岳部出身の竹内哲夫さん(S28卒、元国鉄出身、池袋のホテルメトロポリタン社長等歴任)が中心となって六大学等の関係者でスタートし、年1回総会を開催し、既に今年18回を迎えます。メトロ会としてはその他に日中韓三国学生合同登山プロジェクトへの寄付も続けています。 現構成大学は、中央、学習院、法政、慶応、明治、日大、立教、東大、東京女子大、農大、早稲田(稲門女子)と2000年から参加した千葉、一橋の13大学です。幹事校は持ち回りで、平成18年秋には一橋が当番校で、山本さんが病後の身体で頑張られ、小生がお手伝いした経緯がありました。然し、平成19年2月に山本さんが急逝され、取り敢えず穴を埋めるべく小生が世話人として暫定的に対応しております(未だに暫定対応です、何れ正式な世話人を決めたいと考えています。) 本年の総会は9/28(火)に池袋(ホテルメトロポリタン、18:30〜、会費1万円)で予定されておりますので、各位におかれましては期末近くで何かとご多忙のことと存じますが、是非当日の予定に入れて、ご出席頂きたくお願い申し上げます。 近日中に当番校(本年は日大)から預かった往復ハガキを発送させて頂きますので、当番校世話人(山本さん)宛にご返事頂きますよう宜しくお願い致します。 本件ご案内先(敬称略):石原、高崎(治)、中村(保)、上原、市畑、丸山、沢木、丸子、中川、石、有賀、山本(尚)、三井、遠藤、高橋、小島、本間、三森、高崎(俊)、佐藤(久)、岡田、吉川、中村(雅)、金子、および山田(学生担当、ご招待)。 山田さん 9/28のメトロ会には現役学生(出来ればリーダーの望月さん・ご招待)と貴兄にも参加頂きたいと思いますので学生への連絡方お願い致します。 ●2010年9月29日 メトロ会出席有難うございました。 竹中 彰(昭和39年卒) *********** 2010年9月29日 HUHACメールより転載 皆さま 皆さん昨日はお忙しい中をメトロ会にご出席頂き有難うございました。お疲れ様でした。 他大学山岳部でも現役学生確保には頭を痛めていますが、昨日は舞台に上がった学生を羨ましく見ていました。わが一橋山岳部も現在のような曖昧な形でおいておくのではなく、何処かの時点で決断が必要かもしれません。 |
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■2010年6月28日 金子晴彦さん(昭和46年卒)の「香港アルプス」が発刊されました。 ***********2010年6月28日投稿(ご本人) ●このたび、3年ほどをかけて準備してきました、香港のハイキングガイドブック「香港アルプス ジオパークメジャートレイル全ガイド」が完成いたしました。 ●私は 1995〜1999年の4年間、香港に駐在いたしましたが、その間、週末ごとに楽しませてもらった香港の山々のいわば遅れてきた報告書です。折しも香港のカントリーパークが30周年を迎え、また、東岸部分がユネスコ認定基準のジオパークにも指定されました。そのご紹介も兼ねて、香港政府のご支援をいただき、出版にこぎつけることができました。 ●去る6月21日には明治記念館で香港政府主催の「緑あふれる香港」セミナーが開催され、その中で当ガイドブックをご紹介いたしました。 ●ご存じのとおりイギリス統治の成果の一つである香港のカントリーパークは摩天楼のすぐ隣でみごとな緑を育んでいます。この自然は今後とも香港のさらなる発展に不可欠のもう一つの世界となることでしょう。「香港アルプス」ではこのカントリーパーク誕生の経緯から現在の姿までを余すところなくご紹介しております。季候の良くなる秋にはカントリートレイルを辿るツアーも企画されます。 ぜひこの本をご覧いただき、香港の自然をより深くご理解いただければ幸いです。 ●なお先日の針葉樹会総会で「香港アルプス」をお買い上げいただきましたが、収益金1万円は針葉樹会会計にご寄付させていただきました。お買い上げいただいた皆様有難うございました。 詳細はこちらをクリックしてください。 *** |
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■2010年6月4〜5日 三四郎会(第5回)が上高地で行われました。中村 雅明(昭和43年卒) ****** 2010年6月28日投稿 第5回目となる三四郎会が梅雨時には稀な絶好の好天に恵まれた上高地で開催されました。 三四郎会は昭和39〜43年卒の会員の懇親会で、高橋さん(昭和38年卒)が特別参加しています。初会が2006年3月4日に開催されたのにちなんで「三四郎会]と名付けられました。 今回の幹事の三森さんは当初の「日光近辺で宿泊、カレーライス自炊」プランを断念し、皆さんに改めて開催場所(日光近辺、奥鬼怒温泉、上高地、大洗温泉)をアンケートし、圧倒的多数が上高地を希望しました。三森さんの「小梨の咲く上高地に集まり、新緑と残雪のコントラストの素晴らしい眺めを楽しもう」の呼びかけに北海道移住が間近い蛭川さん夫妻ほか14名が参加しました。6月4日の午後、宿舎の「西糸屋山荘」に参集し、夕刻から食事・宴会、その後宿泊部屋に集まって二次会(酒盛り)といつも通りの三四郎会の夜を過ごしました。 (三森さんによれば、皆さん年相応に酒量は激減しました!) 翌5日、朝食の後、次回の幹事半場さんからご挨拶があり、浜松での再会を約して解散しました。なお、有志によって上高地散策、延長戦(山行)が引き続き行われました。 これらの模様の詳細は特記事項、参加者間で交わされたメールをご覧下さい。 |
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【特記事項】 1.西糸屋山荘は河童橋を渡って左に折れてすぐの便利な場所にあります。三森さんお薦め通り大浴場の窓からの西穂〜奥穂〜前穂の稜線の眺めが見事です。料理も岩魚・山菜・地元の産物で美味でした。また泊まってみたい宿です。 2.お気の毒かつ残念だったのは、参加予定で3日にご家族で上高地入りした斎藤さんが高熱を発し、皆さんにうつすと悪いからと参加取り止めを余議なくされたことです。 (5日に帰宅後の診察の結果、肺炎と判明しました。入院せず快癒され幸いでした。) 3.宴会の冒頭、坂井さんの提案で、昭和45年6月に前穂高岳A沢の踏替点近くで遭難死された平川さんのご冥福を祈って黙祷しました。その後の話題の中心は蛭川さんで、北海道移住、歓迎コンパでの小野さんとの秘話、横尾尾根(春合宿)のあわや遭難エピソードなどで大いに盛り上がりました。 4.山行(前哨戦・延長戦)&写真撮影&追悼 @岡田さん:6月3日 新穂高温泉−西穂山荘(泊) 6月4日 西穂高岳を往復し、上高地へ下山・西糸屋山荘入り 6月5〜6日 涸沢往復(涸沢ヒュッテ泊) ※今回一番の頑張り単独行に脱帽です。お得意の写真も沢山撮影されました。 ※西穂高山行は当HPの『国内山行報告』に掲載されています。 A竹中さん、佐藤(久)さん、中村: 6月5日 八右衛門沢から霞沢岳を目指しましたが2550m地点から 時間切れ撤退しました。高橋さんが樹木探索の目的で雪渓末端まで 同行しました。 当初、斎藤さんも参加予定でしたが、前述の事情で不参加。 なお、前日4日に竹中さんは温泉ホテルから八右衛門沢を偵察、中村が 八右衛門橋から20分ほど林道経由で八右衛門沢を登り下見しました。 B高橋さん:6月4〜5日 上高地の樹木・花の写真撮影 ※撮影された写真は「6月の上高地の花」として当HPの『写真コーナー』に 掲載されています。 C三森さん:6月5〜6日 上高地−焼岳小屋(泊)−焼岳−中の湯 D小島さん、坂井さん、小野さん、半場さん、佐藤(力)さん: 6月4日 新村橋の袂で平川さん追悼 ※平川さんのレリーフは新村橋を渡り、奥又白沢沿いの道を登ること2時間、 中畠新道がついている尾根の末端の岸壁にあります。 【参加者間で交わされたメールの抜粋】 ●(倉知さんのご意見について) 小島 和人(昭和40年卒) 6月6日 竹中さん、蛭川さん、高崎さん、中村さん 三四郎会ご苦労様でした。天候に恵まれよかったですね。 我々、坂井、半場、小野、力、私は新村橋の袂で平川さんをしのんで、 小さな流れの淵に花束を挿しウイスキーを捧げ、山讃賦を歌い、ウイスキーで 献杯して帰りました。 ○(RE.倉知さんのご意見について) 高崎 俊平(昭和41年卒) 6月6日 平川さんの追悼、有難う御座いました。彼もきっと喜んでいる事と思います。 ●お見舞いと連絡 三森 茂充(昭和40年卒) 6月7日 斎藤さん 上高地では、具合が悪いのにわざわざ奥さんと西糸屋まで来てくれて恐縮でした。 無事に帰宅されたと思いますが事後順調に回復されていることを祈ります。 (略) 来年の三四郎会は、半場さんが幹事で6月に浜松近辺でやることが決まりました。 PS:岡田さんは西穂高登頂の後、上高地から涸沢まで往復したそうです。 さすが若くて元気ですね。私は、ゆっくり登り快適な焼岳小屋に宿泊、快晴の 翌朝に登頂、富士山も見える360度の景色を堪能して中の湯(新道経由)に 降り、昨夜7時過ぎ帰宅しました。 小屋はオープン初日、7名の宿泊客でしたが、小屋番の青木さんはとても 感じのいい人でした。 ●上高地三四郎会の会計報告(メモ) 三森 茂充(昭和40年卒) 6月7日 三四郎会の参加者の皆さま(幹事から) (坂井さんへは封書郵送) 小梨の花は咲いていませんでしたが、最高の天気で上高地を楽しめたことと 思います。 発熱を押して、西糸屋まで顔を出してくれた律儀な斎藤さんには敬意を表し、 事後の早急な回復を祈ります。 久しぶりに宴会幹事を務め、アルコールと「あて」の量に予想が大幅に狂い ました。考え抜いた銘柄選定でしたので、二日酔いはなかったでしょうが、 メンバーの皆が年相応に酒量は激減しましたね。健康管理面からも財政規律上 も結構なことです。 持ち込み料金、キャンセル料など必要なところ、宿の奥原社長が気を遣ってくれた ので、幹事の独断で別途お礼をすることとしました。 (略) 蛇足:三四郎会の主旨が「温泉&宴会」と承知したうえ、酒の手配に苦労しました。 質はとにかく量が多すぎたことは反省しています。ただし、一部の方々には 持ち帰りいただき、味わっていただけたことで安堵しています。 ご協力ありがとうございました。 ●忘れえぬ三四郎会(?) 斎藤 正(昭和42年卒) 6月8日 三森さん、幹事ご苦労様でした。そして三四郎会に参加された皆さん全員に ご迷惑をおかけした事を深くお詫びします。 私は家族共々旅程の全てを打ち切り、五日・土曜日夜に勝浦に戻り、その足 で鴨川亀田総合病院救急センターに行って詳しい診察を受けまして立派な肺炎 と判明、しかしあさましい事に熱は37度余ありながら食欲も旺盛で、面構えが 元気そうということで、入院はさせられず一旦帰宅。 それから今日まで、床に這いつくばって、どうにか今日は熱も36度5分ほどに 下がってきまして、一安心したところであります。 少なくともこの二年あまり風邪を引いた記憶が無い私なのに、よりによって今回 のような場面でその災を被るとは、なんともはや情けなく、また皆様方には申し訳 ないことです。ご容赦くださいませ。 思うに、出発前の1週間というのがこの上ない良い農作業日和が続き、馬鈴薯の 土寄せ・さつま芋の畝立てと植え付け、落花生の播種、夏大根の間引きなどなどで 疲労が重なっていたようです。 蛭川さんや奥様と山旅をする機会をえながら出来なかったこと、申し訳なく存じます。 中村(雅)さんには、同行をお願いしながら、出来ませんでした。迷惑掛けました。 (略) ○RE.忘れえぬ三四郎会(?) 三森 茂充(昭和40年卒) 6月9日 斎藤さん とにかく入院させられずよかったですね。 他人ごとではないので、あまり無理はしないように快復に務めてください。 それでは総会で会いましょう。 ●写真ありがとうございます。 三森 茂充(昭和40年卒) 6月8日 高橋さん: 上高地の写真、さっそくお送りくださりありがとうございました。 天気予報通り、快晴の焼岳からの景色を楽しめました。 また登山道の2輪草が絶好の見ごろで、一人で見るのはもったいないくらいでした。 添付したのは、2輪草ならぬ3輪草です。結構見つかるものですね。 大して珍しいものではないでしょうが。 |
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6月5日 3輪草(焼岳登山道にて) |
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●RE.上高地三四郎会の会計報告(メモ) 小島 和人(昭和40年卒) 6月8日 三森さん ご苦労様でした。楽しい会で天候にも恵まれよかったですね。半場さんも張り切って いますので来年も楽しみですね。有難う御座いました。 ●RE.上高地三四郎会の会計報告(メモ) 小野 肇(昭和40年卒) 6月8日 三森さん 小野です。 本日無事札幌に戻りました。いろいろありがとうございました。来年また楽しみ にしてます。まずはお礼まで――。 ●RE.上高地三四郎会の会計報告(メモ) 佐藤 力/頌子(昭和40年卒) 6月8日 三森様 & 三四郎会の皆様 まずは三森様入念な計画と御心遣い、ほんとうにありがとうございました。 普段の仕事(家庭以外)に疲れておりましたので、小平祭をさぼっての参加でした。 山を歩きたくてうずうずしておりました。 予想に反して、上々のお天気だったようですね! 岳沢に登り、満足して9時過ぎに無事帰宅しました。 ケイタイも使えない化石ですので心配しておりましたが、やれやれでした。 このメールは主人の指示ではありません。私がお礼を申し上げたく・・・ 翌日の小平祭は無事終わりました。今日も元気に仕事に行きました。 もろもろお世話様になりました。御礼まで。 佐藤 頌子 ●RE.上高地三四郎会の会計報告(メモ) 中村 雅明(昭和43年卒) 6月9日 三森さん 皆様 上高地での三四郎会お世話になりました。事前に延長戦(前哨戦)の連絡役を 努めましたが、4日は不覚にも日本酒に悪酔い(ほんの少々飲んだだけでしたが) してしまい食事の途中で退席、そのまま部屋で寝込み朝を迎えてしまい申し訳 ありませんでした。 小野さんには部屋までの付き添い、途中での様子見など面倒を見ていただき 恐縮です。深夜まで皆様と楽しく歓談の時を過ごすのが三四郎会の楽しみの 一つですので残念でした。 でも睡眠十分だったこともあり、翌5日に竹中さん、佐藤(久)さんと一緒に登った 霞沢岳は相当厳しい登行でしたがバテずに済みました。 昨年の穂橋会の平川さん追悼会、今年の三四郎会と2年続けて6月の上高地を 訪れ、いずれも絶好の天気に恵まれて嬉しく思います。 また、同期の二人(加藤、金成)がいない今、皆さんとお付き合いできる有難さを 痛感しております。 ●来年の三四郎会の予定の件 半場 三雄(昭和40年卒) 6月25日 日時:2011年6月3日(第一金曜日) 宿泊場所:[山びこの丘](愛知県新城市鳳来町…浜松からは車で約70分 山登り(愛知県東三河): 候補1…[鳳来寺山] アプローチ:宿泊場所から取り付き迄車で約10分 所要時間:約5時間(スカイライン利用の短縮ルートあり) 候補2…[乳岩峡谷(乳岩)] アプローチ:宿泊場所から取り付き迄車で約25分 所要時間:約3時間 オプション:浜名湖での[たきや漁…日没〜23時位](荒天中止の場合あり) 注1)三四郎会恒例の宴会と時間が重なるため、前日にしないと無理。 連泊をいとわないかどうか、後日、あらためて各位の希望をとりたい。 注2)[ ]付きはインターネットで検索願えれば詳細がわかります。 注3)交通アクセス等の詳細は、別途案内します(来年)。 なお、希望があれば、協力応えたいと思います。 |
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■第2回懇親山行無事終了(速報) 蛭川 隆夫(昭和39年卒) ***********2010年5月25日のHUHACメールより転載 山行幹事の蛭川です。 5/22〜23の第2回懇親山行(武甲山&秩父御岳山)は、幹事がブレーキ役となってしまうお粗末こそありましたが、無事終了。正式な記録・報告ですが、武甲山は佐藤久尚さん、秩父御岳山は齋藤正さんから投稿されます。乞うご期待! (編集係より) 佐藤さん、斎藤さんの山行報告は『国内山行報告』に掲載されています。 『国内山行報告』はここをクリックして下さい。 **** |
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■2010年4月17日 新緑の宴の報告 前神 直樹(昭和51年卒) ****** 2010年4月21日のHUHACメールより転載 4月17日土曜日、国立の部室で花見に代えて新緑の宴が行われました。 準備や買い物は佐藤さん、中村さん、川名さんや学生で行われ、例によってすっきりした部屋で16時頃からスタートしました。 参加者は、延べで上原、竹中、佐藤(力)、中村(雅)、西牟田、前神、佐藤(活)、川名、コースチャの9名のOBと近年では最多の学生8名があつまりました。 川名さんはこの宴では最初になるブイヤベースを作るため、宴の半ばまで立ちっぱなし、その間各人の自己紹介が進み、各OBの現役時代の思い出、なぜ山登りを続けてきて良かったか、などという話を学生にしておりました。 本棚にさりげなくおいてある戦前の肉筆の部誌には、学生も驚いた様子でした。 学生は望月君が部長で彼の山の繋がりで5名、茶道部関係で3名の出席でした。 各人はそれぞれ現在ワンダーフォーゲルや山友会などに所属していますが、それなりの経験もあり、望月部長の下に楽しい山登りをしてくれることを祈るばかりです。 最後は常連の山岳合唱部の先輩がおられないので、些か小さめの声で山讃賦そして一橋山男の歌で締めてお開き、皆で掃除をして部室をあとにしました。 参加した学生の名前は川名さんが整理してくれました。 部長 望月優 (山友会・商3)、山根範子(茶道部・経2)、伊藤研祐(茶道部・社3)、 米田卓矢(茶道部・法3)、湯田啓斗(ワンゲル、商2)、棚橋友洋(山友会・如意団・商2)、松林佳隆(山友会・如意団・商3)、菅原由衣(津田塾大学国際関係1) 次回は11月頃の月見の宴ですが、 よろしくお願い致します。 ●「新緑の宴の報告」への返信。 兵藤 元史(昭和52年卒) ****** 2010年4月21日のHUHACメールより転載 前神さま お疲れ様でした。昔のような活動ができる日は、いつになるのでしょうかね。 一歩一歩進んでいきましょう。 ●「新緑の宴の報告」への返信。 中村 雅明(昭和43年卒) ****** 2010年4月26日のHUHACメールより転載 新緑の宴、学生さんが多数出席し、楽しい宴でした。これをきっかけにして、望月部長の下、活発な山登りが行われることを期待します。 上原先輩が思い出話の中で、阿部謹也元学長が学部時代に山に良く登り、山の道具を借りにしばしば旧部室を訪れたことを話されました。先日、図書館でふと『阿部謹也自伝』新潮社を目にし借りて来ました。「大学受験の頃から山登りに夢中になり、その後山との縁が切れなくなった」と書かれていますが、山に関する記述が多々あります。単独行が多かった様ですが、岳友として昭和33年卒の塩川清彦さん、加地幸雄さんが登場し、お二人との山登りの思い出が綴られています。新緑の宴に参加された学生さんは所属が様々ですが山仲間として山行を共にし、一生続く付き合いの基を作ったら良いと思います。 |
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■2010年2月20日 竹中彰さん(昭和39年卒)が日本山岳会東京多摩支部の 初代支部長に選出されました。 2月20日に立川市のホテルで日本山岳会東京多摩支部の設立総会が開催され、初代支部長に竹中彰さん(昭和39年卆:針葉樹会会長)が選出されました。 同支部は、全国で29番目の支部で、会員約200名です。 |
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▲2010年2月21日 朝日新聞朝刊37面より |
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●JAC(日本山岳会)多摩支部設立 西牟田 伸一(昭和47年卒:JAC会員) ****** 2010年2月26日のHUHACメールより転載 2/20に立川のホテルで設立の会合が開かれたそうです。水曜日(24日)の麗山会で教 えられました。支部長は我らが会長竹中さん、副支部長2人のうち一人は麗山会会長金中さんです。金曜日の朝日新聞にその記事を見ていたのですが、人事の詳細までは知りませんでした。 |
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■2010年2月10日 針葉樹会懇親山行が大磯・高麗山で行われました。 | |||||||||
2月10日 12:35 (撮影:三森)浅間山頂上 (後列左から)岡田、三森、蛭川、仲田、三井、丸山 (前列左から)中村(雅)、竹中、高崎(治)、佐薙、高橋 *** |
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●「2010年2月15日開催三月会報告」に「2/10の懇親山行(高麗山)の思い出」が掲載されています。 ●針葉樹会懇親山行の報告 竹中 彰(昭和39年卒) ***********2010年2月22日のHUHACメールより転載 日時:2010年2月10日 9:30 大磯駅集合 参加者:佐薙、高崎(治)、丸山、仲田、三井、高橋、蛭川、竹中、三森、岡田、中村(雅) 昨年11月の計画が悪天候で中止となったため、あらためて相模川遡上の途中で遭難された山崎さん追悼の意味を込めて大磯の高麗山で懇親山行が行われた(山崎さんは数年前平塚に移られてからしばしば高麗山でウォーキングや樹木観察を楽しまれていた)。 大先輩の近藤恒雄さん(昭4卒)は、大磯に居を構え、悪天時以外は朝の日課として麗山登山を続け、山麓の自宅から頂上にかけての斜面を敷地の幅で買収して他人を立ち入らせないと豪語されていたとのこと。佐藤久さん(復刻版編集長)によれば、かつて『針葉樹』(復刻版)を作成する際に、部室や心当たりを当たっても見つからなかった『針葉樹第3号』を大事に所蔵していた近藤さん所有のオリジナルをバラしてコピー後完全な形に復元してお返しすることを確約の上で拝借したとのこと。 曇天の中、11名が大磯駅に集合し、山行幹事の佐薙さんから大磯観光協会のガイドマップを手渡される。東海道線のガードを北にくぐり、線路に沿って茅ヶ崎方面に歩く。途中、大磯八景の一つで化粧坂の松並木や井戸を通り、高来神社(元、麗寺)に参拝してその裏から麗山を目指す。緩い女坂を辿って最後に石段を登り、11:25に頂上(167.3m)に着く。 小憩の後、遊歩道となったカシ、スダジイ、タブノキなどの常緑広葉樹が育った尾根道を歩き、八俵平を経由し浅間山に向かう。ときどき散歩する地元の人ともすれ違い、20分ほどで一等三角点のある頂上(181.3m)に到着した。有志が担ぎ上げた水とバーナーで幹事が準備したスープ、コーヒーを作り、昼食とする(11:57〜12:40)。 食後は大きなテレビ塔のある湘南平に向かい、寒桜(?)が咲く千畳敷広場の反対側にある展望台に登って360度の眺望を楽しもうとしたが、あいにくの天候で視界はきかず、風も強いため早々に引き上げる。ただ、反対側から上がってくる車道の終点の広場の端の大きな石碑の解説をみると、日本山岳会の先達、岡野金次郎翁の顕彰碑で、いわく「山を愛し山を楽しみ晩年平塚に住み平塚で終わった日本山岳界に於ける先駆者を偲ぶ」とあり、針葉樹会の懇親山行にふさわしいものであった。 そこから下山にかかり、豪邸の並ぶ住宅街の間を抜けて東海道線のガードをくぐり、国道1号線に出て、大枚100円を払って我が国三大俳諧道場の一つ西行法師ゆかりの「鴫立庵」を見学する。その後は、終戦後に社会的に大きな話題となりシニア層には懐かしい名前エリザベス・サンダース・ホームを覗いて14:20に大磯駅に戻る。 大磯から2駅戻って茅ヶ崎駅で、佐薙さんおすすめの駅前の「花はん」の予約席に15:00過ぎに落ちつく。降り出す前に無事に計画を完遂できた安堵感で、反省会はいつものようにビール、地酒「天青」、芋焼酎などが地魚の刺身などとともにすすむ。店を出る頃は雨模様になり、茅ヶ崎駅からそれぞれ満足感をもって家路についた。 山行幹事の佐薙、三井、蛭川さんご苦労様でした。お世話になりました。 |
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■2009年12月1日 故・山崎擴さんの蔵書を針葉樹文庫に追加 蛭川 隆夫(昭和39年卒) ****** 2009年12月9日のHUHACメールより転載 故・山崎擴さんの蔵書を針葉樹文庫に追加しましたので、以下報告します。一部敬称略。 蛭川図書幹事(S39)、本間山行幹事(S39)、中村(雅)図書幹事(S43)は、12月1日(火)に、針葉樹文庫の置かれている南アルプス芦安山岳館(以下「山岳館」)の塩沢館長を訪問し、寄付について申し入れと協議を行った。 その結果、次が決定した。 1.持参した山崎蔵書40冊のうちの2冊: 針葉樹文庫図書として山岳館に追加寄付し、現行の同文庫本棚のわずかなスペースに収容する。 2.残りの38冊: 山岳館に寄付する。山岳館にて蔵書印を押印して、しかるべく有効活用を図る。例えば、@山岳館の一般本棚に収容して来館者の閲覧に供する、A現在建設中の環境省施設「野呂川広河原インフォメーションセンター」(塩沢館長がその展示の一部を委託されている)に展示する。 3.中村が針葉樹文庫の蔵書リスト(Excelファイル)のアップデートを担当する。 あわせて、中村が(蛭川とともに)図書幹事として針葉樹文庫の担当窓口となることで、塩沢館長の了解を得た。 また、針葉樹文庫への将来の寄付/追加(=専用本棚の増設)に関して山岳館の意向をサウンドしたが、現状では図書コーナーのスペースの関係などで難しいとの回答だった。 経過説明: 山崎さん死去に際して遺族窓口となった本間が、山崎夫人から山岳書の整理を依頼された。山岳館で活用できないか本間から相談があり、山岳館と協議してきたが、今般上記のような結末となったものである。 ついでの山行: 芦安を後にして、「七賢」酒蔵経由で、崖の湯温泉(日本秘湯を守る会)に一泊。翌日、霧訪山に登山。快晴に恵まれ南・北・中央アルプスの容姿を満喫。こんなにすばらしい景観の山をはじめて(?)針葉樹会に紹介した故・山本健一郎さんに感謝。帰路、小野酒蔵店に寄って「夜明け前」をゲット。これは故・山崎擴さんがお好きだったお酒です。 |
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■2009年10月31日 月見の宴が行われました。 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2009年11月1日のHUHACメールより転載 昨日国立の部室で恒例の月見の宴が予定通り行われました。宴の前に部室内の整理も有志で行われ、16時頃からスタートしました。 例年余り天気に恵まれなかった月見の宴も今年は穏やかな天候、月齢13.9の月が昇る下で鍋を囲み、3名の学生も参加しました。参加者は、延べで石原、上原、竹中、佐藤(力)、西牟田、前神、川名、宗像、糟谷(4年)、伊藤(2年)、米田(〃)及び糟谷さんの叔母さん、祖母さんの計13名。参加費@2000円 小生は少し遅れて参加したため、既に石原さん以下で宴は始まっていた。川名さんが腕を振るったキムチ鍋が供される頃に、糟谷さんが本日初日の一橋祭見物がてら上京の叔母さん、祖母さん連れで参加し、女子高時代に南アルプス縦走などの経験がある叔母さんなどと歓談。糟谷さん達が去った後に茶道部で後片付けをしていた伊藤、米田さんが参加。 一人ずつ自己紹介などを行い、OBから現役時代の想い出(可さん、甘利さん、阿部謹也さん、石さん、針葉樹9号…)、南アルプス市の功績者表彰式の模様などが語られる。現役の2名が茶道部の作業に戻る前に石原さんから安曇節、イタリア民謡などが披露され、最後は山讃賦で締めてお開きにする。 後片付けをして鍵箱を開けるのに手間取っている間に、宗像さんが自転車で現れ、残った5名で駅前の居酒屋とむで暫し歓談。23時過ぎに国立駅からそれぞれ帰宅。 ●部室がきれいになりました。 中村 雅明(昭和43年卒) ****** 2009年11月5日のHUHACメールより転載 HP&図書幹事の中村です。 昨日、部室図書整理(3回目)のために部室に赴きました。竹中様の月見の宴のメールで「宴の前に部室内の整理も有志で行われ、・・・」とありましたが、大変きれいになっていました。前神さん、糟谷さん他ご苦労様です。お陰様で気持ち良く作業することが出来ました。図書の整理が終わるともっと居心地の良い部室になると思います。 図書の整理はボチボチです。他大学の部報の整理がほぼ終わりましたが、道遠しです。 なお、月見の宴の写真は撮られなかった様ですのでHPのトピックスには「月見の宴」の本文に加えてきれいになった部室内外の写真を掲載させていただきます。 |
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■2009年10月18日 針葉樹会が南アルプス市から功績者表彰を受賞 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2009年10月20日のHUHACメールより転載 10月18日(日)、南アルプス市の桃源文化会館での南アルプス市市制6周年記念式典において、針葉樹会が功績者表彰を受賞し、竹中が参列して今沢市長から表彰状を受け取りました。 表彰事由は多額寄付者としてであり、本年「南アルプス芦安山岳」に「針葉樹文庫」の形で642冊の山岳書籍を寄贈したことが挙げられております。 式典は立派なパイプオルガンのある大ホールで、関係者等200人程度が着席する中で、10時から野中副市長の開式挨拶で始まり、国歌斉唱、市の歌斉唱、市民憲章朗読と続き、今沢市長が式辞で市長在任2年間の業績回顧を織り交ぜ総合計画で目指す「人と自然が響き合う文化都市 南アルプス市」についての前置き後、表彰対象となった16名1団体が紹介された。この日の表彰対象者は市会議員、職員等OB12名の他は、地元南アルプス市出身の各氏、即ち自身の水彩画100点を寄付した画家・山田耕三氏、アカデミー賞受賞作品「おくりびと」のプロデューサー中澤敏明氏、8000m峰14座中8座登頂の故加藤慶信氏(08/9クーラカンリで遭難、明大OB、父親が受領)、山岳書1735冊を寄付した土屋豊氏及び針葉樹会だった。 5グループに分けて名前が呼び上げられ、針葉樹会は最後の組で土屋氏(夫人が代理)と共に舞台に上がり市長から額(賞の記念品)に入った表彰状を手渡される。 表彰が済んだところで、受賞者を代表して山田氏がお礼の挨拶、その後市議会議長挨拶、横内県知事(代理)、県選出後藤衆院議員(民主党)、米長参院議員(〃)、金丸県会議員の祝辞と続いた後、内田県議の音頭で万歳三唱、最後に野田教育長の閉会の辞で11時半に終了した。 会場で芦安山岳館の塩沢館長の姿を探したが見当たらなかった。セレモニー終了後舞台では市文化協会舞踊部の婦人による揃いの浴衣での「南アルプスすこやか音頭」、「甲州盆唄」が踊られ、次に県立巨摩高校吹奏楽部により3曲演奏された。アトラクション終了後別室で受賞者の記念撮影が行なわれ、12:10頃に全てが終了し、今沢市長と名刺交換して会場を後にし、15:00からの学習院大山岳部創部90周年に参加すべく予約してあったタクシーに乗車し、甲府駅に向った。 ●市制施行六周年記念式典パンフレット表紙 |
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●功績者表彰状 | |||||||||
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■2009年9月26日 第4回スポーツグランプリ受賞 中村 保(昭和33年卒) ****** 2009年10月1日投稿 この度、9月26日に天皇陛下御在位20年記念・第64回国民体育大会(国体)の開催地・新潟で「第4回スポーツグランプリ」を受賞しました。 長年私の探検・踏査行をサポートしてくれてきた家内と一緒に出かけました。 グランプリ授与の趣旨は『長年にわたりスポーツを実践し、現在も継続して活動され、中高年年齢層の顕著な記録や実績と上げるなど、国内外で高い評価を得た方にたいして、その功績を讃へ表彰する』というものです。 山岳部門の受賞は今回が初めてで、日本山岳協会の推薦のお陰によります。 評価の対象は18年に亘る山岳の探査と記録・地図の内外への発信です。 表彰状には次のように書かれています。 「あなたは永年にわたり登山に親しみながら日々研鑽に努められ未知の東チベット踏査探検を18年の長きにわたり続け探検地図を作成するとともにその地図を初めて世界に発信した功績により英国王立地理学協会から日本人で初めてバスクメダルを受賞するなどのご活躍は広く国民に感動や勇気を与えました。 よってここにその功績を讃へ日本スポーツグランプリを授与します。 平成21年9月28日 財団法人 日本体育協会 会長 森 善朗 」 ●今回の受賞者は水泳・ラグビー・テニス・馬術・卓球・重量挙げ・陸上競技・山岳の部門から9名が選ばれました。年齢は74歳から103歳までの「生涯現役」組です。 御臨席の天皇陛下とお話する機会も賜わり、東チベットに関するご質問にたいしてラサの東のチベット辺境についてお話をさせて頂きました。 陛下は中国青海省(東チベット圏と一部イスラム圏)との位置関係についてご関心がありました。 皇太子殿下のご興味についても触れさせて頂きました。 アスリートでない私ではありますが、喜んで頂戴しました。 記者会見では「山岳」は競技ではなく多様性のある分野であり、記録や勝負を争うスポーツではないと前置きしたうえで、観客のいない舞台での未踏域探査記録を内外へ発信し「オンリーワン」を目ざした結果が評価されたことが嬉しいと話しました。 ●このような栄誉を頂くことができた背景には「針葉樹会」と言うベースキャンプがあり、良き仲間に恵まれたこと、その素晴らしさと幸せを実感しています。 ●じつはこういう賞があることは私自身知りませんでしたし、登山や探検・冒険関係の人たちは知らないのと思います。 その反応の一端として、日本を代表する国際的のクライマーで、わたしが一番尊敬する坂下直枝さんからの嬉しいメッセージを紹介させて頂きます。 「中村さん、第4回スポーツグランプリ」受賞、おめでとうございます。 不明にして、このような賞があることを知りませんでしたが、オリンピック金メダリスト、三段跳びの織田幹雄さんとか、旧姓前畑の兵藤秀子さんとかは別格として、有名選手でも、長くスポーツを続けられる方は、少ないようです。 ボストンマラソン優勝者の山田敬蔵さんや君原健二さん達は、今なお生涯現役選手として、活躍しておられるようで、後進の皆さんには大きな励みとなるように思います。 改めて考えてみると、74歳を越えて、なおスポーツを実践するのは、かなり大変な事業ですね。 本人の健康な肉体はもちろんですが、なお挑戦しようとする強い精神、そのスポーツにかける深い情熱、それを可能ならしめる経済的な基盤と、そして家族・仲間のサポートなど、これらすべての条件を満たす必要があるのですね。 中村さんはまさにこれらの条件を見事にクリアされ、その上、実践の中身に価値があり、その表現・伝達方法も素晴らしいわけですから、受賞も当然のことと存じます。 二日前の土曜日、岩場であった54歳のMさんから話しかけられましたが、彼曰く「若いやつが登れるのは、当たり前ですよ。 年取ったオヤジが登り続けるのが、カッコいいんですよ」とのことでした。遥か先を行く先達の活躍は、私達にとって、本当に励みになります。中村さんのご説明の、「登山は競技ではなく多様性のある分野である」ことが、私達を登山に引きずり込んだ魅力でもあり、また、長い間続けられる理由でもあると思っております。 私の後輩が、ヨセミテのエルキャピタンの難しい壁を登ったとき、「岩と雪」に発表した手記の題名が「垂直のクルーズ」というものでしたが。 今秋の東チベット踏査行、自在のクルーズを楽しんできてください。 また、素晴らしい山々の写真を楽しみにしております。 “カッコいい”、中村さんの74歳現役とグランプリ受賞に乾杯!! 坂下直枝」 |
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『スポーツグランプリ・パンフレット』より 『表彰状』 |
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●Re: [HUHAC] 第4回スポーツグランプリ 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2009年9月27日のHUHACメールより転載 中村 保 様 この度のスポーツグランプリ受賞誠におめでとうございます。寡聞にして、国体に関連してこのような賞があることは存じませんでしたが、単に山岳関係団体のみならず一般のスポーツ関係者に混じっての受賞であり、生涯現役を続けておられる中村さんならではのものですね。 天皇陛下にも東チベットに関してご説明されたとのこと、皇太子のみならず、皇室にも中村さんが共通の話題となっているようですね。 本当におめでとうございました。針葉樹会としても大変名誉なことと感じております。 併せて来月からの探査行での大いなる成果をお祈りしております。 09.9.27. 竹 中 彰(針葉樹会会長) ********** |
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■2009年9月12日 故山崎擴会員の納骨式が執り行われました。 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2009年9月15日のHUHACメールより転載 去る8/18付けのHUHACでお知らせしました様に、9/12(土)午後1時から横浜緑園キリスト教会にて山崎擴会員の納骨式が執り行われました。 参列されたのは、ご遺族関係者の他は。旧制東京府立第一中学の同級生及び針葉樹会員12名でした。祭壇前のテーブルにご遺骨と並んで山崎会員の笑顔の写真とが飾られ、原田牧師の主宰で旧約、新約聖書読み上げ、祈祷、参列者による賛美歌合唱などで滞りなく進行し、その後同所内の納骨堂にご遺骨を納めて式は終了しました。 その後場所を緑園都市駅近くの店に移して、ご長男の山崎貫さんのご挨拶、一中同級生及び佐薙会員からの故人の想い出ご披露があり故人を偲んで懇談しました。 改めて山崎擴会員のご冥福をお祈り申し上げます。 針葉樹会参列者(敬称略):佐薙恭、中村保、中川滋夫、有賀盈、 三井博、蛭川隆夫、竹中彰、本間浩、小島和人、三森茂充、 高崎俊平、中村雅明 |
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●納骨式の栞最終頁 |
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■2009年9月11日 国立部室の現況 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2009年9月11日のHUHACメールより転載 本日久し振りに一橋植樹会のボランティア作業に参加しましたが、その際これも久し振りに部室に寄りました。部室の周囲は胸までの雑草に覆われ、恥ずかしい様な状況でした。 隣の如意団は現役学生3人がOBに言われて7月の末に自主的に草刈りを行った様で少しマシでした。 本日の植樹会作業は西キャンパスで3ヶ所に分かれて行なわれたので、小生は如意団周辺(柵の近くに桜やツバキが植樹されているので、その周囲の雑草刈り)のグループに入り、正規の作業と共に部室周囲の草刈りを行いました。他のメンバーにエンジン刈り払い機でかなり刈ってもらいましたので比較的スッキリしました。只部室の雨戸や壁に密着した草(網戸に絡まって伸びるもの、床下の風通しに入りこむものなど)は刈りましたが、更に周囲を綺麗にする必要があると思われます。部室建設時に高橋さんが植えた草などは雑草に紛れて区別つきません。部室の内部も余り整理されているとは言えない状態で、ゴキブリ親子の死骸が転がり、机上のファイルを手に取るとその下からヤモリの子が慌てて逃げて行きました。その後外で草刈り中に親のヤモリ?が雨戸の戸袋に逃げ込んで行きました。 陸上競技グラウンド近くの秋の七草エリアの花も女郎花、ハギ、ススキが見頃で、もうじきフジバカマが咲きそうです。鑑賞がてら部室周辺の整理作業をしては如何と思います。 なお、部誌を見ると、殆ど現役学生は出入りしていないようで、最近は7/末に糟谷部長が靴を買ったので山に行きたいと記しているのみでした。学生のHPも全く動きがないようですが、どうなっているのでしょうか? 折角三ツ峠で新歓山行を行ったのに勿体無いですね・・・・。 2009年9月11日記 ●前神 直樹代表幹事(昭和51年卒)のコメント ****** 2009年9月14日のHUHACメールより転載 部室の惨状をお聞きして胸が痛みますが、こちらもなかなか部室を訪問する機会もつくれていません。最近の学生にとっては部室という存在が(あるいは部活動そのものが)ひと世代かふた世代前から全く違う物になってしまっているんだろうなと感じます。 ともあれ掃除くらいはしないと拙そうですし、少なくとも掃除を兼ねて月見の宴は挙行しましょうか。今年の一橋祭は10月31日から11月2日とのことで10月31日でも計画しようかと思います。 その前に仰る通り、周りの草刈をせねばなりませんね。 |
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■2009年7月31日〜8月2日 浅草岳・守門岳山行記 齋藤 正(昭和42年卒) ****** 2009年8月8日投稿 時: 2009年7月31日〜8月2日 メンバー:佐薙(以下敬称略)、上原、三井、竹中、蛭川(浅草岳のみ)、本間、 三森(守門岳のみ)、佐藤(力)(浅草岳のみ)、中村(雅)、齋藤 リーダー&コーデイネーター:三井 三井さんの呼びかけと努力で、最終的に10名が参加し、越後の名峰で日本200名山の一つである守門岳、300名山の一つ浅草岳の2峰を2日連ちゃんで登るという企画が実現、首尾よく登頂を終えた。 以下その概略を記したい。 ●7月31日、東京駅集合、上越新幹線で、浦佐へ、更に上越線、只見線と乗り継いで、大白川駅に到着。迎えのマイクロバスで、国民宿舎浅草山荘へ夕方5時ごろ到着。この日は夕食頃より雷雨となり、やっと10時頃止む。夜には地震というおまけもついた。ここから15キロ程西の新発田−小出断層といえば有名な活断層だということを思い出した。夕食に先立ち、つい先ごろなくなられた山崎氏に佐薙さんの音頭で献酒し、ご冥福をお祈りした。夕食後いつも通り、部屋で、佐藤氏持参の名酒と肴で”検討会”。山荘は立派過ぎるほどの建物で、部屋も湯もよく、食事もなかなか良かった。しかし我々のほかには一組だけで、盛夏の山荘としては寂しい限り。結構暑い。就寝9時。 ●8月1日。7時半朝食、8時出発という登山にあるまじきことになったのは、ひとえに山荘の”親方日の丸”のせいで、どうにも朝食を早める事が出来なかったためである。マイクロバスで8時20分にネズモチ平駐車場着。既に数台の車あり。朝方見えていた青空も、この頃には既に湿気一杯のガスで閉ざされ、谷を隔てて見えるはずの守門岳方面も全く見えない。8時半出発。軽舗装の林道を10分ほど歩き、・・・桜ゾネ登山口からの巻き道の合流点から登山開始。すぐにぐちょぐちょの道を、木の根に滑りながら登る。ぶなの巨木は見事で、秋ならさぞ雰囲気も良かろうと思う。佐薙氏の木々草木の解説に一同感服。浅草岳は水が豊富な山で、ずっと沢の水音をききながらのぼり標高900メートルくらいでそれが切れると少し急になる。気温は20度。とにかく蒸し暑い。風なし。途中雨がぽつぽつしたがすぐ止む。尾根はそぎ落ちたようなところも無く安全だ。迷うところも全く無い。木が少しづつ減り急なのぼりにひときわ汗をかくと前岳の分岐に出る。この頃は短時間ながら視界が広がり浅草岳や周囲の山々が見えた。分岐から15分、庭園のような草原の木道を行くと浅草岳だ。時期が時期なら、このあたりヒメサユリが裾をなぞるはずだが、時遅し。到着11時45分。田子倉湖や鬼ヶ面岳も暫くは見えていたが食事している間に視界は失せた。我々のほかに数人。静かなのがいい。 蛭川、佐藤氏は今日中に帰宅なので、早々に下山開始。12時半。 下山路は前岳分岐で、鬼ヶ面へ道を分けてから木道を行きやがて尾根筋となる。カへヨの何とか言う小ピークをあっと言う間に過ぎ尾根を下る。ところどころ尾根は痩せているところもあるが総じて安全。いやなのは道が雨で掘れていて歩きづらい事くらい。200メートルほど下って木々が増えてきたところで遂に雨具の世話になった。ひたすら暑さに耐え、2時30分、皇太子殿下成婚記念の鐘がある、桜ゾネ登山口・・・・ネズモチ平への巻き道舗装道路にでる。途中数年前の雪崩による救援隊の遭難碑に合掌。更に30分歩いて登山口に戻り、出迎えたマイクロバスで山荘に。 雨はその後も止まず。風呂に入り、早速部屋で”反省会”する事30分。蛭川、佐藤氏は帰ったが、この時には三森氏も合流し賑やかとなった。夕食時後ろの席で食事をしていたご婦人方がはからずも佐薙氏の高校の後輩とわかる一幕があった。彼女らは明日の長岡花火大会に行くという。 夜再び”反省会”。就寝9時。 |
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▲8月1日 12:28 浅草岳山頂 (後列左から)三井、竹中、佐薙、蛭川、本間 (前列左から)上原、中村、佐藤、齋藤 |
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●8月2日。 出発8時5分。マイクロバスで、入広瀬大原スキー場まで行き、そこから登山開始。8時30分。意外にも雨が降らない。牧場跡を横切るといきなり急登となる。しかし道は浅草岳より木の根が蔓延っていない分登りやすい。40分で、尾根に出る。ところどころ尾根はそぎ落ち、石のような粘土のような滑り安い路面が急傾斜で続き、数箇所ロープの張られたところもある。不注意は禁物だ。出発後1時間、上原氏の脚の調子悪く、一人で下山する。危険な尾根筋を1時間ほど急登すると水場。更に急登30分で、緩やかな草付き道となる。キスゲの花盛りが出迎えてくれ心和む。最後の急登10分で守門岳頂上着。11時59分。結構視界も良く、浅草岳は勿論、西に黒姫、南に越後山脈や三国山脈の山々、東に遠く会津の山々が望め、食事しながら360度の眺望を堪能した。佐渡や能登方面が見えなかったことをぼやくのはのは贅沢というべきか。気温はやはり20度前後で蒸し暑い。 花で有名な守門岳だが、しらねあおい、ひめさゆり、ごぜんたちばなどはみな終わって少し寂しい感じであったが、ノリウツギ・くがいそう・キンコウカ・イワショウブ・コケイランなどが盛り。いわかがみなどはこれからのようだ。佐薙氏の該博な知識には恐れ入るばかりだ。あかものの実を食べてみたが結構いけることが判った。 下りも同じルートを取る。登り同様滑りやすい土に少し緊張したが、予定通り3時に登山口に戻り、待っていた上原氏と合流。山荘手配の車で入広瀬駅前の壽和温泉に。入浴後例により”反省会”をし、帰宅の途に。小出駅では待ち時間に駅前の蕎麦屋で、皆で上等の蕎麦を戴いた。 なにより事故の無い事、雨の降らない事が良かった。標高差1000メートル余を2日連続で登るのは、率直に言ってそんなに楽なものではなかろうが、私よりいくつも年上の先輩諸氏のタフさにはただただ感服するばかり。 齋藤は帰宅時間が夜中になる関係で、小出駅前旅館に投宿。この晩また雨となったが花火大会はあったようだ。3日湯沢の町湯につかって帰宅。 針葉樹会の方々との山行には長いブランクがあったが、心配掛けないように精進しようと思う。 今回の山行では三井氏にひとかたならぬお世話になった。改めてそのご努力に感謝申し上げたい。 |
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■上原 利夫(昭和33年卒)会員の守門岳コメント ***2009年8月5日投稿 (前略)こむらがえりの原因は硬直した筋肉が軟化するときの症状と思われます。 対策は下半身のストレッチです。ジムで今後の鍛錬方針について指導を受けました。 ところで、只見線に乗ったのは初めてでした。この線の福島県側に「本名」という駅があるのを発見。オランダで知り合った「本名さん」の出身地らしいので、雪深い彼の故郷を想像しました。本名さんは故人近藤君の東京銀行本店での上司でした。 ■佐薙 恭(昭和31年卒)会員の浅草岳コメント ***2009年8月7日のHUHACメール 『09年夏の北海道と越後の山行のあと』 より抜粋 この夏上記二つの山行に参加しました。山行前に十分予習していけばよいものを、結果として下山後復習などで学んだこと、数件ご参考までに。(中略) (5)越後の山「浅草岳は成層火山」(花の百名山#16)え!という感じ。 (6)同じく浅草岳「豪雪のため山頂付近の雪庇の庇の長さは50メ−トル」(同上)一度見た いものだ。 (7)ブナ林の林床に常緑樹。私の今までの経験ではブナ林の林床にあるのはササ類か落葉 低木、または何もない。ところが浅草岳は林床に常緑樹の低木があった。同行の斉藤氏が[ユキツバキ、枝や幹が柔らかく弾力的、炭俵の蓋に使われる」と教えてくれた。帰宅して 図鑑を見ると入広瀬村の写真、ブナの下にユキツバキやエゾユズリハがあった。裏日本の豪雪地帯ならではの様子なんだろうか |
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■6月20日 新歓山行三ツ峠(御報告) 山田 秀明(平成15年卒) ****** 2009年6月22日HUHACメールより転載 ●6月20日(土)に行われた新歓山行、三つ峠ですが、天気にも恵まれ、意外にも充実したハイキング(?)になってしまいました。 最終的な参加者は学生4名(糟谷、伊藤、米田、望月)、OB7名(竹中、蛭川、小島、佐藤力、中村雅、本間、山田)の総勢11名。OBは駅からの標高差1200mにめげないツワモノばかりです。 途中「あれっまた休憩するの?」と思いたくもなるほどの頻繁な休憩の数(失礼!)を挟みながらも、予定通り駅から4時間、ちょうどお昼に三ツ峠山の肩にある小屋へ到着するのはお見事。学生はここまでは余裕の態。しかし、頂上直下にある岩場で行われているクライミングの姿に少し驚いていたようでした。こんなのをやってみたいと志すモノが一人ぐらいいるかと思い、三ツ峠を新歓山行の場に選んだのでしたが、誰もいませんでした..。残念。 さて、小屋のテーブルは一人100円の使用料の張り紙。そのお陰で、我々だけで立派なテーブルを占拠。本間さんが準備された味噌汁やコーヒーをたしなみました。某お二人方以外は、チョンボせずしっかり山頂に登り、記念撮影。でも残念ながら、富士山は見えません。 下山は、同じルートを変えるのはつまらないだろうと、御巣鷹山方面へ少し行ったところにある北口登山道から宝鉱山へ。宝鉱山のバスは一本しかないため、ちょっとドキドキです。しかし、この道がなんともいえない悪い道なのです。途中で道がわからなくなったりもしますし、沢沿いで滝を巻き下ったりしたりするところもあります。ここではOBが面目躍如。一方の学生は、まったくなれていないのか苦労しています。しまいには足があからさまにガクガクしている始末。結果、コースタイムよりもちょっと時間がかかり、バスの時間が迫ってきます。最後は、林道を走るように下り、バスの5分前でセーフ!っと思ったら、バスの時間が20分いつの間にか遅くなっていたというオチも。 バス、富士急行を経由して大月「かあちゃん」で盛大に打ち上げをして、帰途につきました。 それにしても、ハイキングとはいえないハードな登山でしたね。お付き合いくださったOBの皆様、どうもお疲れ様でした。 ●糟谷主将の感想 ***6月24日針葉樹会総会でのスピーチより 大変ハードでした。最初は僕等はまだ20代、60過ぎのOBの方に勝てるだろうとちょっと慢心して登っていました。登りはまあ遅いかなと思っていましたが、下りは悲惨でして先輩の方々について行くのがやっとでした。自分の基礎体力の無さとOBの方のお元気さに驚かされました。今後の目標ですが、夏休みにアルバイトをして靴を買って再チャレンジしたいと思います。 ●市畑 進会員(昭和33年卒)感想 ***6月22日HUHACメールより転載 宝鉱山への道はそんなに悪かったのですか。一度計画したことがあるが、登らなくてよかった。 面白さは別として、清八峠から笹子に抜けたほうが快適だったかもしれません。 降りてからが旧甲州街道が長いですが。 |
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■一橋山岳部に2年生2名が入部しました。歓迎山行が行われます。 ****** 2009年5月18日の三月会報告より引用 学部の糟谷さんが新入部員2名を連れて参加してくれました。 伊藤 研裕君 社会学部2年 米田 卓矢君 法学部 2年 ともに茶道部在籍で伊藤君は野球を、米田君は剣道をやっていました。 伊藤君は山登りの経験有り、ということで早速「歓迎山行」の話が持ち上がり 「6月20日(土) 三つ峠山」ときまりました。 詳報でますが、その節は参加方よろしく。 ●新歓山行のお誘い(6月20日) 山田 秀明(平成15年卒) ****** 2009年6月5日のHUHACメールより転載 今年も米田君、伊藤君の2名の山岳部新入部員を迎えることができました。 まずは、この新入部員を含めた学生現役部員を交えて、歓迎山行を実施しようと考えておりますが、やはり人数は多い方が楽しいに決まっており、ぜひ針葉樹会OBの皆様をお誘いいたしたく、このたび御連絡を差し上げる次第です。 場所は、岩登り訓練などでよく訪れたであろう三ツ峠です。今回、もちろん岩登りは行いません(行ってもいいですが)が、ぜひ皆様、お誘い合わせの上、数多い皆様の御参加を心よりお待ち申し上げております。どうぞよろしくお願いいたします。 【 記 】 日時:6月20日(土) 集合:富士急行線三つ峠駅 8時00分 ※八王子駅06:35発松本行にご乗車くださると間に合います。 ※朝早く申し訳ございません。 行程案: 三つ峠駅0800、山頂1200-1230、宝鉱山1540バス停→都留市1600、 大月駅前で打ち上げ ※下山コースへ変更する可能性もあります。 *飛び込み参加も大歓迎ですが、小生まで、e-Mail、電話で御連絡くださると幸いです。 *会員のご同期の方々でメール会員でない方とお話をする機会がありましたら、本山行の件、よろしくお伝えください。 ◎ 山田(H15)電話:090-2677-7529 e-Mail:canpachi@yahoo.co.jp(自宅)、hide.mt.5574@docomo.ne.jp(携帯) *** |
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■2009年5月16〜17日 初夏の針葉樹会懇親山行 夜叉神峠 蛭川 隆夫(昭和39年卒) ****** 2009年6月13日のHUHACメールより転載 月 日: 5月16日(土)〜17日(日) コース: 夜叉神峠登山口〜夜叉神峠〜高谷山〜夜叉神峠〜登山口 参加者: 石原夫妻・佐薙・高崎(治)・鈴木・上原・中川・山本・有賀・ 永井・仲田・三井・遠藤・高橋・竹中・本間・蛭川・小島・小野・ 三森・佐藤(久)・岡田・斉藤・中村・西牟田 合計25名 ●初日は、幹事企画山行としての夜叉神峠。甲府駅から9人乗りジャンボ・タクシー2台に分乗した電車組は、先着していたマイカー組と夜叉神峠登山口で合流。5/10に本間と蛭川が幹事として下見に来たときは青空の下を半袖で登ったが、この日はあいにくの曇り空で、少し肌寒かった。帰りにこの登山口から芦安まで歩いて下る「若手」元気組(三森・岡田・斉藤・中村・西牟田)が先発し、本隊は少し遅れて歩き出した。峠まで先発隊2ピッチ本隊3ピッチと見込んでいたが、途中さほど汗もかかず、遅れる者もでず、五本松(五葉松ではありません。カラマツです)まで足をのばして、その根元で一休み。佐薙さんが「オーション会は休まず歩こう」と声をかけるが、腰を上げる者なく、一人先発隊を追っていった。この先はU字カーブの緩い登りとなり、まもなく、鳳凰三山に続く稜線上の夜叉神峠(1,770m)に着いた。展望はない。右折して一登りすると夜叉神峠小屋。ここで昼食とした。樹木が刈り払われていて、残雪の白峰三山の絶好の展望台なのであるが、この日はただ雲が深く垂れ込めているだけだった。 ここでまた先発する元気組を見送ってから、本隊は、夜叉神峠まで戻り、笹の間の尾根道をそのまま高谷山(1,842m)へ向かった。途中で雨が落ちてきて「ここで引き返そう」という声も聞こえたが、結局、そろって頂上へ。北岳の池山吊尾根が雲の切れ間に見えた。峠に戻り、そこからは三々五々マイペースで登山口に下り、タクシーと「公用車」4台で芦安へ。日帰り温泉で汗を流してから、南アルプス芦安山岳館に入館した (今回の懇親山行は、針葉樹文庫見学会を兼ねた計画だった)。 16時ごろ、またまたタクシーと「公用車」で、蓼科のペンション「アダージオ」に向かった。宴会では、見学会から合流された山本昭子さん(故山本健一郎会員の夫人)、山本イクヨさん(同義妹)を囲んで、故人の思い出話などに花が咲いた。例年のことだが松尾オーナー夫妻の心づくしの料理にお酒も進んだ。向かいのペンションでの二次会も、大いに盛り上がったようだ。 ●翌日は、雨模様。日向山グループ(仲田・三井・遠藤・中村)は早々に中止。天気好転の予報をあてにした唐松岳グループ(佐薙・竹中)は、すさまじい強風で八方尾根の途中で前進を断念。鳥居峠グループ(有賀・高橋・小島・三森)は、軟弱な林道に車が往生し、分水嶺に立つことなく引き返した。 アダージオから遠い夜叉神峠での山行に見学会も加えた、欲張った計画だったが、「公用車」のおかげで順調に移動ができた。運転してくださったオーナー・ドライバー4名(佐薙・山本・遠藤・高橋)には感謝したい。 それにしても、あらためて、山登りは天気だと思った。 追:調べたら夜叉神トンネルの開通は昭和29年。ということは、小谷部全助が冬 の北岳バットレス第4尾根に向かったときは、重いザックを担いで夜叉神峠を越え て野呂川に下ったのだろうか。 (蛭川&本間・記) |
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5月16日 夜叉神峠登山口(撮影:山本) (後列左から)永井、三森、竹中、三井、西牟田、本間、中川、小野、鈴木、齋藤、岡田、佐薙、山本 (前列左から)蛭川、有賀、上原、中村(雅)、遠藤、小島、佐藤(久)、仲田、高崎(治) 5月16日 夜叉神峠(撮影:山本) (後列左から)有賀、三井、蛭川、石原夫人、佐薙、遠藤、石原、小野、 三森、鈴木、本間、中川、永井、山本 (中列左から)中村(雅)、仲田 (前列左から)佐藤(久)、小島、齋藤、岡田、高崎(治)、竹中、西牟田、上原 *** |
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■針葉樹文庫見学会(報告) 蛭川 隆夫(昭和39年卒) ****** 2008年6月4日のHUHACメールより転載 |
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▲南アルプス芦安山岳館パンフレット表紙 ▲南アルプス芦安山岳館外観(撮影:石原) |
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・ 見学日:2009年5月16日(土) ・ 見学先:南アルプス芦安山岳館 〒400-0241南アルプス市芦安芦倉1570、電話055−288−2125 ・ 参加者(敬称略):会員から25名(石原夫妻・佐薙・高崎(治)・鈴木・ 上原・中川・山本・有賀・永井・仲田・三井・遠藤・高橋・竹中・本間・ 蛭川・小島・小野・三森・佐藤(久)・岡田・斉藤・中村(雅)・西牟田)。蔵書旧 蔵者の一人である故・山本健一郎会員のご遺族(山本昭子、山本イクヨ)。 南アルプス市から、秋山農林商工部長と塩沢南アルプス芦安山岳館長。 針葉樹文庫は、昨年の7月以来、南アルプス芦安山岳館(以下、山岳館)に開設すべく準備を進めてきた。その見学会を、恒例のアダージオ懇親山行の機会を利用して実施した。 芦安は、北岳の玄関口。その北岳を仰ぐ夜叉神峠・高谷山の往復を幹事企画山行として組み合わせることにした。幹事企画山行、見学会、アダージオでの懇親会と欲張った計画になったが、マイカー参加者のご協力を得て順調に移動でき、ほぼ滞りなくスケジュールを消化した。 夜叉神峠から下山して、14時頃から山岳館の情報コーナーで図書の寄付式。竹中針葉樹会長が、挨拶をして、図書目録『針葉樹文庫解題』と『針葉樹』第9号を秋山部長に進呈。これに対して、秋山部長と塩沢館長から寄付を受け入れる旨の謝辞があった。文庫開設は、芦安を往来して北岳バットレスに挑んだ小谷部全助先輩が取り持った縁と言えなくもない。そのことを象徴するものとして、500冊をこえる寄付図書を『針葉樹』第9号で代表させたものである。塩沢館長は、ご挨拶の中で、「小谷部全助が活躍した商大山岳部は私の心の中で存在感がありました」と吐露され、また「自分が歩んできた青春の証拠として山岳書を大事にしたいと思っています。その気持ちは皆さんも同じと考え、針葉樹会の依頼を少しでも実現したいと思いました」、「自分がいなくても文庫が後世に伝えていかれるようにしたい」と述べられた。 山岳図書コーナーに移動して、本棚の前で、針葉樹文庫開設式。文庫の概要を記した説明パネルを上原さんが紹介し、それを受け取った秋山部長と蛭川が本棚側板に両面テープで貼り付けた。また、「針葉樹文庫」という三角プレートを天板に載せた。これで、針葉樹文庫の公式開設となった。最後に、石原さんと山本夫人が、南アルプス市に対して御礼を述べ、また今後の図書保全をお願いした。 式を終えて、館内を自由見学。展示室では、小谷部全助、森川眞三郎、望月達夫、佐々木誠、大塚武らの諸先輩が芦安の宿で記帳した‘宿帳’やその説明パネルを見学した。 16時頃、日帰り組5名を除き、遠路をアダージオに向かった。 『針葉樹文庫解題』の眼目は文庫の図書目録とそれに関連する凡例と人名索引であるが、文庫設立の経緯や背景、所蔵図書の構成、文庫としての性格や特色などを多岐にわたって‘解題’した文章を巻頭に載せた。また、図書旧蔵者(増山清太郎・山本健一郎)の随想など8編の短文を付録として収めた。この冊子は、山岳館に置いて来館者希望者に配布するほか、針葉樹会員全員に配布する(見学会参加者などには渡しずみ)。また、広報の目的で、会員有志を通じて他大学山岳部関係者などにも配布することにしている(配布先に心当たりがある方は、蛭川まで連絡ください)。 物故会員遺族から整理を依頼された蔵書が、転じて、一橋山岳部、針葉樹会アーカイブとしての針葉樹文庫となった(その経緯は『針葉樹文庫解題』を参照)。瓢箪から駒ではあるが、できたからには、会の事業としてその保存、充実を図りたい。さらに、芦安ひいては山岳館への訪問者を増やすための公的行事などが主催、共催できたらすばらしい。 最後に一言。山岳館には、針葉樹文庫を含めて、約一万冊の山岳書が収蔵されている。ほとんどの本棚は、開架式である。針葉樹文庫を含む一部は、貴重図書としてガラス戸棚が施錠されているが、頼めば開けてくれる。新緑や紅葉の盛りに御勅使川の河原にでもテントを張って、山岳館に通い、思う存分山岳書に読みふける。目が疲れたら日帰り温泉に浸る。天気を見計らって夜叉神峠を往復して北岳を眺めてくる。「嫁の在所に孫抱きに」の境地である。 |
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5月16日 芦安山岳館語り部コーナー(撮影:山本) (後列左から)佐藤(久)、本間、三森、佐薙、有賀、遠藤、斉藤、山本昭子、石原秀子、永井、中川 (中列左から)小野、西牟田、仲田、高橋、岡田、中村、山本イクヨ、蛭川 (前列左から)小島、竹中、石原、上原、塩沢館長、三井、高崎(治)、鈴木、山本 ***** |
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■4月4日 16時より国立部室にて花見の宴が開催されました。 前神 直樹(昭和51年卒) ****** 2009年6月6日投稿 出席者 (会員)石原、三井、蛭川、竹中、佐藤(力、同夫人)、高崎(俊)、中村(雅)、金子、西牟田、前神、白石、山田、鳥本、コースチャ (会員外)山崎(HP管理人)、田崎(西牟田、金子友人。1999年の第1回花見の宴にも参加) (学生)糟谷 総勢18名の大宴会となった。 若い(中年)の世代には既に神話の世界の話にはなるが、往時の伝説的な歌、正調山の歌がどんどん飛び出し、山岳部か「合唱部」かと言われた世界を現出させた。 現役学生の糟谷君も就職活動で超多忙の中参加、この伝統に些か感激したようであった。今後の学生部員獲得に何がしかの一助になったと信じたい。 ▼画像をクリックすると画像が拡大されます。 【写真説明】 (写真左) 蛭川、山崎、高崎、佐藤夫人 (写真中央) 竹中、白石、山田、鳥本、前神、コースチャ、金子 (写真右) 田崎、西牟田、糟谷、三井 ****** |
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■近藤君の葬儀が行われました。 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2008年3月27日のHUHACメールより一部転載 本日12:25からたまプラーザの葬儀場で滞りなく告別式が執り行われました。 会社関係者以外にも針葉樹会から多くの会員がお手伝い、会葬に参加しました。 式では会社代表者に続き、会員の佐藤活朗、前神直樹、斉藤誠さんが夫々故人とのスキー山行の想い出、遭難時の思いなどの弔辞を読まれ、多くの参会者の心に染みるものでした。 遭難の報を受けてから丁度1週間で、一区切りついた訳ですが、この間多くの針葉樹会員に現地入りや東京での連絡窓口として活動して頂きましたことに感謝申し上げます。 ● 新潟県警へのお礼 ****** 2008年3月31日 新潟県警のホームページの「ご意見・ご要望など」に投稿 新潟県妙高警察署地域課 大島 真一様 先日妙高山で山スキー中に遭難した近藤泰君及び同行2名の所属する針葉樹会(一橋大学山岳部OB会)の会長を務める竹中彰でございます。 上記三名の遭難に際しては、事故発生の直後からヘリコプターの出動、地元救助隊の編成、捜索など各般に亘って地域の関係機関の皆様と連携されて迅速かつ的確なご対応を頂き、心より御礼申し上げます。特に悪天候をついての地上捜索隊による二名の救助、そして負傷した近藤君の収容に当たっては二重遭難も危惧される危険な状況の中、数次にも亘るヘリコプターの出動、待機という緊迫した事態を切り抜け、無事収容頂きましたことに我々関係者一同心から感謝申し上げます。また収容に至るまでの間、捜索状況について、適宜ご丁寧に説明頂いたことも我々関係者にとっても大きな支えとなりました。 残念ながら救助の甲斐なく死亡した近藤君の通夜、告別式は夫々26日、27日に横浜の式場で滞りなく執り行われました。 楽しかるべき山行が今回の様な大きな遭難事故を惹起した事実を真摯に受け止め、改めて会員に注意を喚起すると共に、今回の事故原因の究明、対策など今後に生かすべく「針葉樹会」としての組織体制の見直しなども検討して行く所存であります。 末筆になりましたが、貴地域課が今後とも管内の警察活動の中で力強い役割を担われ、市民生活の安寧に大きく寄与されますことを祈念し、御礼とさせて頂きます。有り難う御座いました。 平成21年3月31日 針葉樹会 会長 竹 中 彰 ********************* |
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■2009年3月15日 春の針葉樹会懇親山行 丹沢・三の塔 本間 浩(昭和40年卒) ****** 2009年3月19日のHUHACメールより転載 日時 3月15日(日) コース 秦野駅(バス)ヤビツ峠(9:40)〜富士見橋〜二の塔〜三の塔(12:10〜13:00) 〜大倉(15:20) 蕎麦「さか間」 (バス)渋沢駅 参加者 山崎 佐薙 高崎 中川 仲田 三井 遠藤 高橋 蛭川 竹中 小島 中村 西牟田 本間(記録) 14名 ●幹事が気に掛けていることは、当日の天気・定刻集合・反省会場への定刻入店で、今山行はこの三つを見事クリヤーしました。幹事にとっては文句なしの好山行でしたが、ご参加の皆様方におかれましては如何でしたでしょうか。肝腎の山登り・山下りにつきましては、「山岳部OB」ですからさほど気にしないで済みます。 ●二の塔の登りは暗くジメジメした植林帯を抜ければ明るい雑木林で、大山から江ノ島方面が見える展望地もあり、適度に休みながらゆっくり歩き何時の間にか二の塔へ。頂上で富士山・南ア(荒川三山、赤石、聖等)を眺めながら軽く食事をとり、三の塔に向かいました。出だしの下りは泥道で難儀しましたが登りはマアマアで山頂へ。もっともコースタイムの15分では無理でしたが。ちょうどパラグライダーが数機飛んでいてそれを見ながら昼食を。 ●三の塔尾根を下りますが、今回は登り500m、下り900mと山下りが主眼で愈々これからが本番というわけです。急な下りが二箇所、これを過ぎると緩やかになり、ジグザグ道に出れば間もなく林道と山道の分岐点です。ここで林道を下る組と山道組に別れ大倉を目指しました。大倉大橋の手前で合流し、靴とストックの泥を落としてそばやへ。 ●尚林道組では、若手(?)がどうしても山崎さんに追いつけなかった由、長老健在。 今山行は天気に恵まれ、中高年登山は天気次第としみじみ感じました。 コースも軽すぎずキツすぎずでマアマアだったのではと思いますが。因みに翌日の三月会には参加メンバーの内が7名出席しておりました。 ▲丹沢三の塔山頂 3月15日 (後列左から)仲田、三井、高崎(治)、佐薙、遠藤、竹中、本間、小島、中川 (前列左から)高橋、山崎、中村(雅)、西牟田、蛭川 ****** |
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■2009年3月8〜9日 三四郎会総会の報告 (幹事)岡田 健志(昭和42年卒) ****** 2009年3月10日投稿 (編集者註)三四郎会は昭和39〜43年卒の会員の懇親会で,高橋さん(昭和38年卒)が 特別参加しています。初会が2006年3月4日に開催されたのにちなんで [三四郎会]と名付けられました。今回は4回目です。 1.月日;2009年3月8日(日)〜9日(月) 2.場所;西丹沢中川温泉郷「蒼の山荘」 3.参加メンバー;17名 ●三四郎会総会は、山岳部OB会らしく「登山の部」と夜の「総会・懇親会(要するに宴会)の部」の二部構成になっています。 ●今年はOB17名の参加をえて(2008年のように、学生の参加が得られず残念でした)、中川温泉郷の“秘湯”「蒼の山荘」で開催されました。 ●当初計画では、8日は西丹沢の山を3グループにわかれて登り、夕方「蒼の山荘」に終結して総会を実施。9日は早々に帰宅せねばならない人もおりましたが、それ以外の人たちも、前夜の深酒が災いとなること必定で、「もうひと山」というのは現実味がとぼしいという大方の予想でした。 3月に入ってから、低気圧がいくつも襲来し、その間の降雪がルートをおおい、現地からの情報では、アイゼン携行が必至とのことでした。直前の天気予報でも、8日の天気は曇りのち雨(平地)ということで、一応は計画通り集合するものの、天候を見ながら行けるところまでという和戦両様の構えでおりました。 ●各パーティーの登山記録については、それぞれの報告を待つことにしてここでは省略いたしますが、8日は、時にまぶしい春の日射しを受けての登山となり、大室山グループ、畦ヶ丸グループ、屏風岩山グループ(三森さん一人)がそれぞれに目標を達成して下山しました。 一方、総会の方はスタート1時間前から早々とはじまり、重要議題はトントン拍子に消化され そのため、正式開宴時には、赤い顔で会場にあらわれる人がほとんどでした。 はじめて本会に参加された藤沢 恵一さん(昭和40年卒)の自己紹介があり、次回幹事の三森さんから、抱負発表がありました。 使用に時間制限のある宴会場での一次会を終えたあとも、宿泊部屋での二次会は夜の更けるまで続けられました。 8日に大室山へ登られた高橋さんが9日に権現山へ、8日に山登りできなかった本間さん、佐藤(力)さんが9日に屏風岩山に登られ、意気軒昂としたところを見せられたことを最後に特記しておきたいと思います。 ▲3月9日 8:50 中川温泉バス停にて(撮影:三森) (左から)齊藤、佐藤(久)、蛭川、竹中、岡田、中村(雅)、坂井、小野、藤沢 マスクの二人は花粉症。高橋、本間、佐藤(力)は山行に出発済みで写っていません。 |
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■【針葉樹文庫開設のご案内】 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2009年2月4日のHUHACメールより転載(一部編集) 山本健一郎さんが残された山岳関係蔵書の処分に関連して、その後宮川さんのご好意で増山清太郎さんの蔵書なども加えて、北岳の入口旧芦安村の「南アルプス芦安山岳館」の立派な図書室に独立の書棚の提供を得て、針葉樹文庫を開設することとなりました。 中間的な報告はHUHAC上で昨年11月に流れておりますが、形式としては針葉樹会の名前で南アルプス市に寄付することになりました。 基本は山本さん、増山さんが個人で収集された書籍で、不足部分に倉知さん、蛭川さんから提供された書籍などを加えて名実共に針葉樹関係の図書類が網羅されることとなります。 本件については、芦安の山岳館との切っ掛けを作られた上原さん、多面的にアドバイスして来られた倉知さん、それに何よりも文庫の整理、先方との交渉、現物搬入等多大の労力を提供された蛭川さん、等の会員のご協力の結果であり、関係者のこれまでのご努力に感謝致します。 会としては何よりも、小谷部さん以来我々一橋山岳部と縁の深い北岳の麓の設備の整った「山岳館」に全巻揃いの「針葉樹」などが常置され広く閲覧の用に供されることを喜びたいと思います。 今後、開設に伴って発生した若干の費用を21年度に針葉樹会として予算化する予定です。 また、5/16‐17の懇親山行の際にはこの見学会も予定しておりますことを申し添えます。 今後芦安周辺に足を伸ばされる方は是非「南アルプス芦安山岳館」で実際に文庫をご覧頂きたいと思います。 |
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■針葉樹会懇親山行 高川山(12月7日) 絶好の好天に恵まれ、頂上で360度の大パノラマを楽しみました。参加者14名。 高川山山頂 12月7日 (後列左から)本間、松尾(寛)、石和田、中村(雅)、佐薙 (中列左から)三井、石原、山本(尚)、高崎(治) (前列左から)竹中、山崎、西牟田、金子、蛭川 ●「2008年12月15日開催三月会報告」に山行の模様が掲載されています。 ●高川山の宿題 山行幹事;蛭川 隆夫(昭和39年卒) ***********2008年12月13日のHUHACメールより転載 過日は我々の日ごろの行いのよさか、すばらしい山行を満喫できました。それほど寒くはなく、風もなく、それでいて霞や雲が湧くこともなく、さらにそれが一日続くというのは珍しいと思います。 「かあちゃん」での座興で我々の平均年齢を出すことにしましたが、 高川山 71歳7か月 キリマンジャロ 70歳1か月 佐薙・中川・遠藤・小野・小島・蛭川 2008年 ミルフォード 70歳6か月 山崎・佐薙・高崎・石井・上原 2001年 となりました。 |
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■中村保さんが日本山岳会の名誉会員に推挙され、会長特別表彰されました。 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2008年12月6日のHUHACメールより転載 ●本日の日本山岳会年次晩餐会席上で、宮下会長から中村さんの名誉会員章授与並びに中村さんによるJapanese Alpine Newsの立上げと9年間に及ぶ編集長として日本の登山動向の世界への発信(海外からの高い評価)などのこれまでの功績に対して会長特別表彰が行われました。 ●会場では中村さんは、会長や3年振りに出席の皇太子殿下、秩父宮記念山岳賞受賞者(@大日岳巨大雪庇の研究、A東海支部の冬期ローツェ南壁完登2006)と同じメインテーブルを囲んでおられました。 ●謝辞の中で、偶々本日が74回目の誕生日であるとの発言もありましたが、今年はRGSのバスクメダル受賞を含めておめでたいこと続きで、年末に有終の美を飾られ、同じ針葉樹会員として大変誇らしい気持になりました。 以上取り敢えずご報告致します。 |
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■月見の宴の開催報告(お礼) 山田 秀明(平成15年卒) ****** 2008年11月25日のHUHACメールより転載 ●昨日、11月24日の午後、一橋山岳部の国立部室にて石原、遠藤(晶)、竹中、小島、中村(雅)、井草、前神、山田(秀)、原口(山岳部)<敬称略>の合計9名が参加で、賑やかに行いました。 ●最近の一橋の学生の質の違いなど、まぁ高尚なお話や、某S氏にまつわる噂話など、まぁいわゆるくだらないお話で盛り上がり、最後は恒例の山讃譜でしめくくりまして、お開きといたしました。当日はあいにくの雨で、もちろん月は見ることもできません(そもそも新月だったらしいですが・・)でしたが、なかなかに楽しいヒトトキを過ごすことができました。遠いところわざわざ足を運んでいただき、御参加くださいました皆様、誠にありがとうございました。 ●なお、この山讃譜について。 石原さんから、その歌詞の読みが世代ごとで乱れているのが目に余る!との一声あり。 やはり世代で、ちょっとずつ読みかたの受け継げられかたが変化してしまったようでして、特に 1番 「白銀」:×ハクギン ○シロガネ 4番 「殿堂」:×トコロ ○デンドウ 4番 「宮庭」:×ミヤイ ○キュウテイ の3つについては上記の通りだろうと仰せで、今回については統一し熱唱と相成りました。 どうぞ、御参考まで・・。 ▼画像をクリックすると画像が拡大されます。 写真左 :左から石原、中村、小島、竹中 写真中央 :左から原口、山田、前神、遠藤 写真右 :左から前神、遠藤、井草 |
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■中村保さんが日本山岳会の名誉会員に推挙されます。 竹中 彰(昭和39年卒) ****** 2008年11月13日のHUHACメールより転載 ●昨日の日本山岳会理事会で中村保さんが名誉会員に推挙されることが承認されました。 ●正式には12/6(土)開催の年次晩餐会席上でお披露目されることになりますが、既にAAC等海外の山岳会から受けている栄誉からすれば当然のことでしょう。遅きに過ぎたとも言えますが、バスクメダル受賞に続き、今年はアタリ年でお目出度い限りです。針葉樹会員でJAC会員の方は是非この晩餐会に参加され、お祝いして頂きたいと思います。 ●なお、理事会前に図書室で中村さんの豪華本「ヒマラヤの東(チベットのアルプス)」を拝見しました。噂(?)に違わぬ重量感溢れる装丁で、内容のドイツ語は読めぬものの、大判の写真、カラーの等高線の入った地図、氷河の後退を示す以前の地図とランドサットからの写真との比較等・・・見ているだけで楽しいものです。 ●索引の人名から嘗て中村さんに同行された春日井さん、田形さんの名前も表示されていました。 ただ、小生が拝見したものでは2つのページで印刷上の不具合か、薄い茶色の線が縦に入っていました。他のもので同様の不具合があるのか確認できていませんが、一寸残念な点でした。 いずれにしても素晴らしい本が出来上がったものです。会員諸兄姉も是非ご覧頂きたいと思います。 ■(11月17日HP幹事宛追伸) なお、針葉樹会員で過去JAC名誉会員に推挙されたのは1977年の吉澤さんと1985年の望月さんでした。いずれの方も副会長経験者でした。 針葉樹会員ではありませんが(一橋山岳部創立以前)、東京高商の卒業生では加賀正太郎、中村清太郎氏らが名誉会員となっています。 |
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■中村保さんの英国王立地理学協会メダル受賞祝賀会が開催されました。 ● 祝賀会に出席された竹中彰さん(昭和39年卒)が祝賀会の様子を『如水会々報』に投稿されされました。 ◎中村会員受賞祝賀会開催*******『如水会々報』平成20年11月号より転載 中村保会員は平成20年6月2日ロンドンの王立地理学協会年次総会でバスクメダルを受賞されました(本誌6月号既報)。 9月30日、日本山岳会他の山岳関係団体、地理学関係団体共催の祝賀会が、中村さんご夫妻をお招きし、針葉樹会員を含め180名余が参加して開催されました。 地理学団体トップの祝辞で王立地理学協会(RGS)の歴史・伝統と共に、日本人唯一の中村さんの受賞が如何に大変な栄誉であるかが紹介され、山岳関係者以上に高く評価されたのが印象的でした。 中村さんは山岳部現役時は部活動に積極参加される傍ら穂高滝谷・グレポン初登攀等の記録を有する先鋭的アルピニストであり、卒業後はプラントの海外輸出に携る企業戦士として活躍されました。 1990年から「ヒマラヤの東・チベットのアルプス」の辺境踏査を始めて昨秋迄に29回を重ね、この10月下旬から再び計画中です。 中村さんは日本山岳会の英文ジャーナル「Japanese Alpine News」の創刊、編集長として自身の探検記録に加え、ヒマラヤ等での日本人の活動を纏め、定期的に国内外に発信して来た事が海外から高く評価される所以です。 ( 竹中記) ● 祝賀会で中村保さんが使用されたスライドをHP用に編集した写真集を、当ホームページ の特設コーナーに掲載しました。トップページの[中村 保 ヒマラヤの東]ボタンをクリックするとご覧になれます。またここをクリックすると直接ご覧になれます。 |
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■一橋山岳部新入部員歓迎山行(高尾山) この4月に原口さん(リーダー)以下8名が、一橋山岳部に入部しました。 その第1回目の山行が学生幹事(本間、佐藤(力)、川名、山田)のバックアップの元、 7月4日に高尾山で行なわれました。新人6名、会員11名の多数が参加しました。 中列左から:高橋、山田、糟谷(新)、三井、石和田、西牟田、大橋(新)原口(新)、 前列左から:竹中、本間、佐藤、高崎、植松(新)、中村(新)、田平(新)、上原、川名 (新)は新人 ●コースタイム 9時35分 高尾山口駅発(稲荷山コース) 11時15分 高尾山頂着 12時20分 高尾山頂発 13時20分 日影バス停着 (原口さん感想)高尾山は小学四年生以来だったのですが、その変わりように驚きました。目線の高さが変わったせいかもしれませんが、新鮮に感じられたように思います。また、下山時の道は静かで涼しく、沢の雰囲気などは格別でした。また、行きたいと思える山行でした。 (川名さん感想)人数が多かったため3班に分かれて出発。歩き出しで早くも暑さを 感じましたが、道はゆるやかで樹林の中は案外すずしく、学生も余 裕ばっちり。会話がは ずむのがあちこちで聞こえました。山 頂では幹事が用意したスープと味噌汁の ほか、冷えたスイカ やブルーベリーの差し入れも。日影沢への道では行き交う 人 も少なくなり、山歩きらしい風情がありました。「反省会」は八王子の駅ビ ル上階、ニュートーキョー系列の店で。おかげさまで参加率100パーセン ト。こちらも3グループに分かれざるをえませんでしたが、山とは違うとりあ わせで各テーブル話がはずみました。まだまだ明るいうちに解散。新人とOBそれぞれの思いやりの心がとけあう、なごやかでさわやかな一日となりました。。 |
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■中村保さんが王立地理学協会(RGS)からメダル受賞 ●『針葉樹会報』第112号に中村保さんによる詳しい記事が掲載されています。 なお、末尾でドイツ語版の「チベットのアルプスーヒマラヤの東」の出版予定も触れています。(刊行済) ●針葉樹会総会(6月30日)開会挨拶の中で竹中会長がお祝いを述べています。 「皆さんご承知の様に、会員の中村保さんが我が国で初めて英国王立地理学協会の BUSK NEDALを受賞されました。昨年のアメリカ山岳会(AAC)名誉会員推挙に続いての名誉であり、心からお祝い申し上げたいと存じます。」 ●『岳人』2000年8月号で江本嘉伸氏が「ドイツの良き友人を得て」の記事の冒頭で、中村保さんのRGSメダル受賞を伝えています。 この記事の主題はドイツ語版「チベットのアルプス」の発行人ペドロ氏との親密な交流です。 ●2008年8月2日の朝日新聞夕刊2面に「東チベット踏査を表彰」の記事が掲載され、バスクメダルの日本人初受賞が報じられました。 なお、このニュースは、山本尚禎会員(昭和36年卒)から同日の午後3:36のHUHACメールでいち早く会員に連絡されました。
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