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2017年以降の「国内山行報告」はこちら

2015〜16年の「国内山行報告」はこちら

2011年末までの「国内山行報告」はこちら

現役・OBの皆さんの国内の山行報告コーナーです
▼クリックするとそれぞれの山行報告詳細へジャンプします。


■2014年12月14日 乾徳山山行記録  内海 拓人(法学部1年)
■2014年12月7日 針葉樹会冬の懇親山行 笹子雁ケ腹擦山(1357b)
                                  仲田 修(昭和36年卒)

■2014年11月30日 大菩薩峠・牛ノ寝通り山行記録  辰川 貴大(法学部2年)
■2014年11月23日 鋸尾根、御前山、湯久保尾根  大矢 和樹(法学部1年)
■2014年10月25日 丹沢山行記録(塔ノ岳、丹沢山) 内海 拓人(法学部1年)
■2014年10月18〜19日 廻り目平合宿 岡田尭之(経済学部2年)
■2014年10月11日 甲州高尾山、棚横手山、宮宕山  大矢 和樹(法学部1年)
■2014年9月12〜15日 涸沢合宿山行記録 太田 貴之(商学部3年)
■2014年9月5〜8日  北岳山行記録  太田 貴之(商学部3年)
■2014年9月5日〜6日 バットレス敗退+白根三山往復  金子 晴彦(昭和46年卒)
■2014年8月29〜31日  甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳山行 太田 貴之(商学部3年)
■2014年8月24〜25日 富士山御来光ツアー山行記録  長島 弘賢(商学部4年)
■2014年8月20日 水無川本谷山行記録 太田 貴之(商学部3年)
■2014年7月31日〜8月3日 盛夏の白山 ― 花の山旅 ― 中村 雅明(昭和43年卒) 
■2014年7月6日 マチガ沢・一ノ倉沢雪上訓練  鈴木 陽介 (社会学部1年)
■2014年7月3〜7日 羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳 〜北海道山行シリーズ〜
                                      岡田 健志(昭和42年卒)
 
■2014年6月28〜29日 キタダケソウ観察会 竹中 彰(昭和39年卒)
■2014年6月28〜29日 キタダケソウ観察会・大樺沢雪渓訓練  鈴木 陽介 (社会学部1年)
■2014年6月29日 山行記録(大岳山) 太田貴之 (商学部3年)
■2014年6月21日 山行記録(軍刀利沢) 高橋 直道 (法学部3年)
■2014年6月7日 針葉樹会春季懇親山行・八柱山報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2014年5月27〜30日 青森県の山を登る(三四郎会山行) 岡田 健志(昭和42年卒) 
■2014年5月25日(日) 石老山・石砂山 上 茂衡(法学部2年)
■2014年5月18日 生藤山山行記録  辰川貴大(法学部2年)
■2014年5月5〜8日 70歳、47年振りの鹿島槍ヶ岳  中村 雅明(昭和43年卒) 
■2014年4月27日 新歓山行 御岳山・大塚山 辰川貴大(法学部2年)
■2014年3月27〜28日 八ヶ岳阿弥陀岳登山記録 吉沢 正(昭和42年卒) 
■2013年12月1日 懇親山行「九鬼山」結果報告 本間 浩(昭和40年卒)
■2013年12月1日 九鬼山(針葉樹会懇親山行) 岡田 健志(昭和42年卒) 
■2013年12月1日 九鬼山(針葉樹会懇親山行) 原 萌子(社会学部2年) 
■2013年11月 「廻り目平合宿」余聞(金峰山の呼称) 本間 浩(昭和40年卒)他
■2013年10月18〜20日 「廻り目平」学生OB合同合宿報告 本間 浩(昭和40年卒)
■2013年10月19日 茂来山(廻り目平合宿山行) 吉川 晋平(昭和42年卒)
■2013年10月19〜20日 初のOB現役合同山荘合宿、飯盛山(女子部員)
                      原 萌子(一橋山岳部:社会学部2年)

■2013年10月13日 中村学校開校記念山行・石割山  峯 弘卓(社会学部4年)
■2013年9月28〜29日 瑞牆山&編笠山 川名 真理(昭和63年卒)
■2013年8月2〜7日 黒部源流山行(赤木沢遡行・裏銀座縦走)  
                              中村 雅明(昭和43年卒)

■2013年7月13日 日本山岳会東京多摩支部定例山行
          ― 夜叉神峠周回路を歩く ―     竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年6月20〜21日 東京多摩支部・自然保護山行
          ― 三ツ峠・アツモリソウ保護活動 ― 竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年6月8〜9日 上高地周辺散策(明神池、岳沢小屋へ)
          ― 第一期初級教室 ―       竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年6月2日 久し振りの高尾山 ― 6/2の山の日集会に参加して ― 
                                    竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年5月25日 東京多摩支部平日山行・西丹沢・檜洞丸 
             ― シロヤシオツツジを訪ねて ―  竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年5月25日 万二郎岳〜万三郎岳(三四郎会山行) 中村 雅明(昭和43年卒)
■2013年5月19日 初山行で奥多摩(御嶽・大岳山)をめぐる
                      原 萌子(一橋山岳部:社会学部2年)

■2013年5月18日 今週二度目の大岳山へ ― 第二期初心者登山教室 ―
                      竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年5月13日 大佐渡石名天然杉・春 金子 晴彦 (昭和46年卒)
■2013年5月12日 奥多摩三山の最後に大岳山に登りました。
               ―― 2年越し、3度目の正直 ――   竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年5月11日 針葉樹会5月懇親山行 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2013年4月21日 六万騎山のカタクリ観察会 ―― 越後支部との交流観察会 ――
                               竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年4月20日 第2期初心者登山教室 ―― 第2回講座 三頭山実登 ――
                               竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年4月9〜10日 赤岳(八ケ岳)岡田 健志(昭和42年卒)
■2013年4月7日 奥多摩むかし道を歩く ――奥多摩山開きに参加して――
                               竹中 彰(昭和39年卒)

■2013年1月〜3月 今冬のスキー三題  竹中 彰(昭和39年卒)
■2013年2月28日 中央沿線・御前山五山巡り  中村 雅明(昭和43年卒)
■2012年12月22〜25日 上高地・蝶ヶ岳クリスマス登山報告  金子 晴彦(昭和46年卒)
■2012年12月20日 奥多摩・浅間尾根歩き  竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年12月10日 冬の北海道の恵山に登る  蛭川 隆夫(昭和39年卒)
■2012年11月25日 針葉樹会 秋の懇親山行−紅葉と満員の大山 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2012年11月23,24日 奥多摩・笹尾根山行覚書 佐薙 恭(昭和31年卒)
                                  蛭川 隆夫(昭和39年卒) 

■2012年11月15日 牛ノ寝通りを歩きました。 竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年11月4〜5日、14日 奥多摩・秋川ぐるり一周縦走―ふるさとの山巡り 
                                  中村 雅明(昭和43年卒)

■2012年10月27日 夜叉神峠周回路検分山行  竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年10月8日 渋沢丘陵散策報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2012年8月23日〜25日 学生との涸沢合宿 前神 直樹(1976年卒)
■2012年8月5〜6日 公募による一橋学生との富士登山 竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年7月28〜30日 針葉樹会懇親山行・妙高山〜火打山縦走 中村 雅明(昭和43年卒)
■2012年7月18〜20日 針葉樹会有志による北海道のアポイ岳登山 
                                  蛭川 隆夫(昭和39年卒)

■2012年7月13〜18日 針葉樹会有志による北海道・大雪山系登山
          ―― トムラウシ、黒岳〜旭岳 ――  竹中 彰(昭和39年卒)

■2012年5月26日 針葉樹会・春季懇親山行 三ッ頭山報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2012年4月18日 多摩支部・小河内峠越えとノラボウ菜摘み 竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年4月14〜15日 第一回三支部合同雲取山集中登山  竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年4月9日 甲州・小楢山登山(藤原組山行)  竹中 彰(昭和39年卒)
■2012年3月4日 針葉樹会春の懇親山行 甲州高尾山・棚横手山 仲田 修(昭和36年卒)
HUHACメール=一橋山岳会メーリングシステムで配信され たメール


■2014年12月14日 乾徳山山行記録  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部1年)

  ****** 2015年1月7日投稿 ******

●メンバー
部員:太田(商3)、西山(経3)、上(法2)、内海(法1)
OB:中村雅明(昭43)、藤原朋信(昭44)
●天候
晴れ、山頂付近で雪
●アクセス
JR中央本線山梨市駅よりバス、乾徳山登山口バス停下車
●コースタイム
1100乾徳山登山口バス停出発→1155休憩 1200出発→1220避難小屋付近→1240昼食 1250出発→1330山頂 1340出発→1420休憩1425出発→1525乾徳山登山口バス停
●コース状況等
12月も半ばとなり、山梨市駅で電車を降りると既に結構な寒さだった。駅前のバス停から市営の小さなバスに乗り、登山口へ向かった。
人気のない乾徳山登山口バス停で下車し、すぐに登山口へ入った。登山道は大きめな石が転がってはいたが、歩きやすい道であった。勾配もそこまできつくはなく、順調なペースで登っていった。
一回目の休憩を終えてしばらくすると、細かい白い粉のようなものが宙を舞い始めた。藤原さんにこれは何かとお尋ねすると、標高の高いところで降っている雪が風で流されてきたものだと教えて下さった。休憩後10分程進むと、いきなり水が流れている小さな沢のようなものが見られた。ここまで川などは一度も見られなかったので、少し唐突に感じられた。そこを超えると一旦平らな道となった。
左に避難小屋が見られる分岐点を通過すると、再び登りが始まった。10分程進むと木々が見られなくなり、開けた場所に出た。ここで昼食を取ることとなった。振り返ってみると見通しがきき、遠くまで見渡すことができた。しかし遮るものがないために風が強く、動いていないととても寒かった。寒さに耐え難いということもあり、10分程で出発した。
開けた場所を抜けると、再び木々が見られるようになり、間もなく岩場へと移っていった。大きく跨がないと登れない大きな岩、岩と岩の狭い隙間を抜けていく箇所などがあったものの、始めの方は難なく進んでいった。だが、鎖場が始まるとペースが落ちた。OBのお二人と先輩方の登り方を参考にしながら、慎重に登っていった。もし鎖から手が離れてしまったら相当下まで落下してしまうと思われる箇所もあり、多少の恐怖感は拭えなかったが、その分鎖場間からの景色は素晴らしかった。山頂手前には、見上げても上の様子が全く見えないほど高い岩の壁がそびえていた。それまでの岩とは異なり表面の凹凸が少なく、足場の確保に苦労した。岩と岩の隙間に足を引っ掛け、腕の力を使ってよじ登った。
最後の岩を登りきると、山頂に到着した。山頂はそこまで広くはないが、その分360度景色を楽しむことができた。遠くには富士山も見えた。鎖場から少し遅れていた西山さんが到着すると、ちらつく程度だった雪が強さを増してきた。雪が積もる前に下山するため、中村さんに学生4人の写真を撮っていただくと足早に山頂をあとにした。
雪の勢いが強くなり、不安が増した。地面に薄く付着した雪は思った以上に滑りやすく、手で体を支えながらゆっくり進んだ。山頂から10分程進むと間もなく雪は止み、晴れ間が見られた。一安心し、そこからはいつも通りのペースに戻った。
避難小屋の分岐点を過ぎ5分程進んだ日向で休憩を取った。休憩中、ここからはペースを上げて一気に下山するということに決まった。落ち葉が多い箇所は滑りやすく、落ち葉の下の様子がわからないこともあって歩きにくかったが、それを除けば小走り程度のペースでも難なく下ることができた。西山さんと藤原さんが10分ほど遅れて下山したが、無事全員が発車時刻までにバス停に到着した。
●感想
 今回の山行はコースタイム6時間半〜7時間のところを約4時間で終えることができた。特に下りは苦手に感じていたが、10月ころに比べると少しは速く下れるようになったと感じた。しかし先輩方と比べるとまだ体力面でも劣るので、引き続き訓練を重ねたい。また、初めて鎖場を体験した。一歩一歩の足の置き方など小さなことが難しく感じ、少し恐怖感も感じた。だが、その分登り切った時の達成感は今まで登った山とは一味違うものだった。機会があればまた鎖場に挑戦してみたい。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
避難小屋分岐点過ぎ
(昼食場所)より
(撮影:内海)12:50
山頂手前最後の岩場
(上部より中村、太田、上
撮影:内海)13:26
山頂より(撮影:内海)13:31 山頂にて
(左より西山、内海、上、太田
撮影:中村)13:36

会   報
***


■2014年12月7日 針葉樹会冬の懇親山行 笹子雁ケ腹擦山(1357b)
                          仲田 修(昭和36年卒)

           ****** 2015年1月10日投稿
参加者  ; 佐薙 恭(31卒)、仲田 修(36卒)、竹中 彰(39卒)、小島 和人(40卒)、
本間 浩(40卒)、佐藤 久尚(41卒)、岡田 健志(42卒)、宮武 幸久(45卒)、
*松尾 信孝(48卒)、兵藤 元史(52卒)、松田 重明(53卒) [以上昭和卒]
*4糟谷 知紀(平成18卒)、*糟谷 夫人の13名
山岳部員: 太田 貴之(商3)、*辰川 貴大(法2)、岡田 尭之(経2)、内海 拓人(法1)の4名
*印は 打ち上げ会には出席されなかった方々です。

 笹子雁ケ腹摺山、雁ケ腹摺山、牛奥ノ雁ケ腹摺山の三つを合わせて山梨県では三雁ケ腹摺山と呼ばれている。今回はその一つを登った。今回のコースは笹子駅から頂上に登り 笹子峠を経て再び笹子駅に戻る周回コースである。コースタイムは昭文社によると登り3時間、下り3時間である。
 9:20着の中央線で笹子駅に定時に到着。プラットフォームに降り立った20人ほどの客のうち 17人は我々一行だった。9時半過ぎに歩き始める。 これ以上無いほどの快晴の中を国道20号線(甲州街道)に沿って甲府方面に向かって歩く。道の両側にそびえたつ山々の稜線が青空に映えていてそのまま切り取って額縁に入れて飾りたくなるほど美しい。北風のせいか耳が少し痛い。国道を歩くこと30分ぐらいで登山口に到着。そこから見上げると山の端に馬鹿でっかい反射板が見える。「あそこが今日登る頂上のあたりだ!」と誰かが言う。
 登りにそなえて身支度を調える。いよいよ山道に入る。快調なピッチで登り始める。筆者にとっては少しペースが速すぎる感じ。案の定、呼吸が追いつかなくなる。心臓が口から飛び出しそうなくらい息が苦しい。ついに鉄塔のところで倒れ込む。先に行ってくれるよう皆さんに頼みこむ。佐藤さんにアテンドしてもらって最後部を歩く。「登りの時もストックを使った方が楽だよ!」と教わる。最初の休憩地点で本隊に追いつく。ピッチを少し落として登るようトップの本間さんに指示が出る。今度は本間さんのすぐ後を歩く。相変わらずの急登が続く。スピードが落ちたので今度は快適な登りだ。丁度12時に頂上に到着。
 360度のパノラマが眼前に広がる。息をのむようなすばらしい光景だ。すぐ目の前には富士山。秀麗富岳十二景の一つに数えられている雄姿だ。甲府盆地の向こう側には雪をばっちりつけた八ヶ岳や南アルプスの山々がくっきりと見える。雪をいただいた秩父連峰もどっしりとそびえ立っている。佐薙先輩は早速双眼鏡を取り出して山の同定作業を始める。狭い頂上はすでに数組の先客が居て混雑している。大所帯の我々は空いている場所に散らばって昼食を摂る。
 30分ほどで頂上を後にする。かなりの急坂だ。ところどころトラロープが張ってある。慎重に下る。隊列が伸びる。先頭と最後尾の間隔がかなり開く。甲斐大和駅との分岐で松尾さん一人が我々と分かれて甲斐大和駅に向かう。急坂の下りはさらに続く。山道を下りきったところが旧笹子隧道だ。このトンネルは登録有形文化財に指定されている代物だ。しかし県道212号線(旧甲府街道)のトンネルとして現在も使われているという。つまりまだ現役なのだ。ここから山道でなくこの県道を歩くことになる。途中、県指定の天然記念物である「矢立ての杉」に立ち寄る。しばらく下ると再び今朝登り始めた登山口に到着する。ここで大休止をとる。このあとは3時半過ぎの電車に乗るべく国道20号線をひたすら歩く。「もしかすると予定している一本前の電車に間に合うかもしれないぞ!」との声が起こる。早く飲みたい一心で小走りになるものが出てくる。結局二班に分かれて電車に乗るハメになる。
 打ち上げ会場である八王子の居酒屋「坊の房」に先に着いた組は「練習!」と弁解がましく言いながら全員揃う前に早々と乾杯を始めてしまう。寒い冬とはいえ一日歩いた後のビールはやはり旨い 。全員が揃ったところで本日の無事下山を祝して正式に乾杯する。一橋山岳部の将来を背負って立つ3人の現役山岳部員を囲んで今年の部活動の成果や思い出話や反省点などを熱く語り合う。さらには来年の計画や希望についても話が弾む。いつ果てるともなく話は続くが飲み放題の二時間の時間制限がきたため残念ながらお開きとなる。山行幹事さん!ありがとうございました。

●コースタイム
笹子駅9:31→10:04登山口10:11→11:58笹子雁ケ腹摺山山頂12:34→甲斐大和駅との分岐
13:24→笹子隧道13:44→14:12矢立ての杉14:20→登山口14:54→笹子駅15:30

●この機会に36年卒のヤロー会の近況について触れておきたい。一時は最大の陣容を誇っていたヤロー会も中嶋寛君、大賀二郎君、小林進二君、山本尚禎君、中川滋夫君の5人が他界され、現在では有賀、石、小林(正直)、仲田、永井、三股の6人と所帯が小さくなってしまった。しかし人数が減ったとはいえ親睦会は積極的に行っている。つまり暮れにはクリスマス会と称して集まり、春には一緒に温泉旅行を楽しもうという形で集まっている。この年2回の親睦の集まりは過去十数年来一度も欠かすことなく続いている。その秘訣はなんだろうか?
 この年2回の集まりには必ず女房連中に参加してもらっている。もちろんご主人を亡くされた中嶋、大賀、小林、山本諸氏の奥方にも参加していただいている。このように奥方と一緒に集まるという形式はヤロー会だけのユニークなやり方かもしれない。奥方連中はこのヤロー会の集まりを心から楽しみにしておられる様子だ。しかも女性が入ることで男性だけの集まりにくらべ話は数段弾み、かつ笑いが絶えない。これが長く続いている秘密ではないかと推察している。
 いままでに行った旅行先を列挙しておく。水上温泉と天神平、那須温泉と那須岳、草津温泉と白根山、箱根と金時山、富士見高原と入笠山、上高地と明神池、伊豆高原、会津・喜多方、淡路島・徳島などだ。今年の春は茨木県の五浦海岸を予定している。
も参加していただいている。このように奥方と一緒に集まるという形式はヤロー会だけのユニークなやり方かもしれない。奥方連中はこのヤロー会の集まりを心から楽しみにしておられる様子だ。しかも女性が入ることで男性だけの集まりにくらべ話は数段弾み、かつ笑いが絶えない。これが長く続いている秘密ではないかと推察している。
 いままでに行った旅行先を列挙しておく。水上温泉と天神平、那須温泉と那須岳、草津温泉と白根山、箱根と金時山、富士見高原と入笠山、上高地と明神池、伊豆高原、会津・喜多方、淡路島・徳島などだ。今年の春は茨木県の五浦海岸を予定している。


JR笹子駅集合(いざ出発)
(後列左から)辰川、内海、糟谷、糟谷夫人、松尾、佐薙、本間
(前列左から)宮武、岡田(尭)、太田、佐藤、小島、竹中、松田、兵藤、仲田

▼写真をクリックすると大きく表示されます
  12月7日 12:03
鴈ケ腹擦山頂からの
富士山
12月7日 12:19
鴈ケ腹擦山頂にて
(左から)
松尾、兵藤、仲田、佐薙、内海
12月7日 12:23
鴈ケ腹擦山頂にて
(左から)
仲田、竹中、本間



12月7日 12:29[撮影:岡田]
笹子腹擦山頂にて
(後列左から)岡田(健)、本間、松尾、佐薙、内海、辰川、竹中、岡田(尭)、小島、糟谷夫人
(前列左から)仲田、松田、兵藤、宮武、太田、糟谷

 ※参加者の岡田健志さんが『如水会々報』平成27年2月号に本山行の報告を投稿されました。

会   報
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■2014年11月30日 大菩薩峠・牛ノ寝通り山行記録  辰川 貴大(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2015年1月8日投稿 ******
 (編集前書き)
   牛ノ寝通りの紀行に関して、当HPの『国内山行報告』の
   「2012年11月15日 牛ノ寝通りを歩きました。 竹中 彰(昭和39年卒)」を
   参照願います。この山行では上日川峠から熊沢山経由で石丸峠に出ました。
 
●メンバー:部員 黄勉(修士1年)、太田貴之(商学部3年)、辰川貴大(法学部2年)、内海拓人(法学部1年)
      OB 中村雅明(昭43年卒)、藤原朋信(昭44年卒)
●天気:曇り

●山行行程:9:44甲斐大和駅集合→9:50上日川峠行きバス乗車、終点下車→10:35上
日川峠出発→11:20大菩薩峠→12:40榧ノ尾山→13:55大マテイ山→15:
35小菅の湯着→16:30上野原駅行きバス乗車→17:50上野原駅着解散

●山行内容:灰色の雲が立ち込める涼しげな朝。天気予報では午後から雨とのこと。多少の心配を抱えながら甲斐大和駅に集合。少し遅れた内海君も合流し中型のバスに乗車。自分たちを含め10人ほどの乗客。バスからは赤黄に染まる山々が見えた。上日川峠に到着すると他の登山客が多くいた。軽く準備運動して出発。幅2mほどの広い砂利道をひたすら登る。とてもきれいに整備されており、山道というよりもハイキング路という感じ。途中小学生の集団と何度もすれ違ったが、元気よく挨拶してくれ、自然と笑みがこぼれる。
 ある小学生の集団は「らーめんっらーめんっ」を大合唱していた。今日の山行後の夜ご飯はらーめんにしようと思った。コースタイム1時間半のところを50分という猛スピードでかけ登り切り、大菩薩峠に到着。頂上は雲がかかっており大展望を見ることができなかったが、晴れていたらかなりきれいな景色が見えると思う。そこからはあまり一般客が行かない道へ。そこまでの整備された道とは打って変わり、苔がうっそうと茂る薄暗い道が広がり、まるでもののけ姫の舞台のようだった。内海君と二人でその雰囲気に興奮し始める。苔の道を抜けると大草原が広がっており、まるでマチュピチュに来たような気持ち。その大草原の真ん中で昼食。自分たち以外にはほとんど登山客の姿はない。草原を抜けてからは霧に包まれた牛ノ寝通りをひたすら下っていく。途中「道跡不明瞭の道」の標識があり不気味だった。ほとんどアップダウンのない道だったが、紅葉が道に積み重なっており絨毯のようでとても綺麗だった。大マテイ山到着後も同じような紅葉の下り坂が続き単調だったが、内海君と最近の日本音楽業界についてなどを熱く語っていたためかあまり長くは感じなかった。
 下山後は小菅の湯に行き、お土産などを買った。今回の山行はアップダウンがあまり無かったため、いつもよりかは疲労がたまらなかった。トレーニングというよりもハイキングという感じだった。晴れていたらもっと素敵な景色が見れただろうが、それでも今までに見た景色の中でも5本の指には入るであろう、壮大な景色だった。また天気の良い日に来たい。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
11月30日 11:23(撮影:辰川)
大菩薩峠にて
11月30日 11:28(撮影:辰川)
大菩薩峠から石丸峠に向かう
(左から黄、太田、中村)
11月30日 14:04(撮影:中村)
大マテイ山山頂にて
(左から辰川、内海、太田、黄)


会   報
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■2014年11月23日 鋸尾根、御前山、湯久保尾根  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部1年)
     ****** 2014年11月30日投稿 ******
●メンバー
 部員:黄勉(修士1年)、辰川貴大(法2年)、内海拓人(法1年)、大矢和樹(法1年)
 OB:藤原朋信(昭44年卒)、前神直樹(昭51年卒)
●行程
 9:30 奥多摩駅出発→11:50 鋸尾分岐→12:05 大ダワ→13:40 御前山到着
 14:00 御前山出発→16:10 小沢バス停→16:45 白倉バス停
 以上、歩行時間7時間15分
●コース情報等
 この日は、比較的天気には恵まれてはいたが、僕自身前回山岳部として山に登ったのは、10月下旬の塔の岳・丹沢山であり、その時に比べ、ふもともすっかり秋めいて、いちだんと寒く感じられた。今回のコースである鋸尾根は6月下旬に大岳山、馬頭刈尾根方面への山行の時に経験しており、当時は季節的にも暑く、かなり長く大変であるという印象を受けていた。
 鋸尾根は登り始め、比較的階段が多い。特に、愛宕山の手前の階段は、長いうえにかなり急であり、ペースには気をつけながら登った。愛宕山を超えると、一旦少し下り、登計峠にでる。そこからは、かなり歩きやすい道が続いていくが、ところどころに岩場や小規模の鎖場も散見される。その後、鋸尾根に別れを告げ、少し下ると、大ダワと呼ばれる林道との交差点に出る。大ダワの標高が994mであるから、ここから御前山までざっと400mほど登ると考え、先日新しく購入したストックを利用することにした。道は比較的歩きやすかったが、随所にアップダウンが存在した。しかしながら、ストックを利用していたこともあって、楽に通過することができ、付近の紅葉を堪能することもできた。御前山の手前はそれまでの道に比べると、やや急であった。御前山の山頂はかなり広いが、付近には樹木が多く、眺望は枯れ木立の隙間からという感じである。茂みには、もう雪が降った跡もあり、冬の訪れを感じた。山頂には20分ほどいたが、さすがに相当寒く感じられた。
 当初は、ここから三頭山まで行く予定であったが、想定以上に時間がかかってしまい、ここから湯久保尾根を檜原村に下山することになった。下り道は、尾根を下るということもあり、基本的にはかなり歩きやすかった。しかしながら、かなりの量の落ち葉があって、一見道を見失いそうな箇所も散見された。落葉した木が多いところでは、道もかなり明るい印象をうけた。

●感想及び反省
 今回は、山に初めてストックを持参した。そのおかげか、前回の山行で課題として浮き彫りになった「下りのスピード」を少し克服できたように思える。また、一方では、下り道、もしOBの方がいらっしゃらなかったら、道から外れそうになりそうな箇所もあってその判断をしっかり自力でできるようになっていきたいと感じた。
9:45 愛宕山前の階段 12:03 大ダワ
12:04 大ダワ 13:43 御前山山頂 雪もある
13:44 御前山山頂 15:00 湯久保尾根

会   報
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■2014年10月25日 丹沢山行記録(塔ノ岳、丹沢山)  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部1年)
     ****** 2014年12月1日投稿 ******
●メンバー
部員:上 重衡(法2)、大矢 和樹(法1)、内海 拓人(法1)
OB:中村 雅明(昭43卒)、藤原 朋信(昭44卒)

●天候
晴れ

●アクセス
小田急小田原線渋沢駅よりバス、大倉バス停下車

●コースタイム
0915大倉バス停→1015駒止茶屋1020出発→1125塔ノ岳1130出発→1215丹沢山
ここより二組に別れて行動。
【藤原、上、大矢】
1230丹沢山出発→1320蛭ヶ岳1325出発→1425丹沢山1435出発→1515塔ノ岳1520
出発→1725大倉バス停
【中村、内海】
1310丹沢山出発→1410塔ノ岳1420出発→1510堀山の家1515出発→1630大倉バス停

●コース状況等
 当日は天気も良く、登りでは暑く感じるほどだった。バス停から3分ほど舗装道路を進み、そこから登山道に入った。地面は、所々岩が多く歩いていて不安定だと感じる部分もあったものの、木道や階段等も整備されており、全体としては歩きやすい道だった。塔ノ岳まではひたすら登りが続き、加えて日が短いなか蛭ヶ岳まで行くことを目標としてハイペースで進んだため、塔ノ岳に到達するまでが今回の山行で一番大変な区間であった。また、天気の良い休日ということもあり、塔ノ岳を過ぎるくらいまではハイカーがとても多く、道幅が狭い場所では追い抜くのに苦労した。
 駒止茶屋付近で5分間休憩を取り、しばらく進むと木々が減って視界が開けてきた。振り返ってみると、丹沢の山々や市街地を見渡すことができた。景色や木々の減り具合からもうすぐ山頂だろうと推測したが、実はまだ塔ノ岳までは30分ほどかかる地点であった。藤原さんの「ここを越えれば楽だ」という言葉を励みに、ひたすら登りつづけた。
 登り始めてから2時間10分ほどで塔ノ岳に到着した。山頂は風が強く、急に寒いと感じた。ここから丹沢山までは稜線を進んでいく形になるため、終始風は強かった。丹沢山まではそこまで大きなアップダウンはなく、標高が高いこともあり紅葉も見られ景色が良かった。そして塔ノ岳を出発してから45分ほどで丹沢山にたどり着いた。登山ガイド等に掲載されているコースタイムは4時間あまりであるが、私たちは3時間ほどしかかからなかった。このハイペースでの登りによる疲労と、私は下山が得意ではないことを考慮し、ここからは2組に別れて行動することとなった。
 私(内海)は後から追いついてきた中村さんと合流し、下山を開始した。ペースはそこまで速くなかったものの、登りのハイペースの影響か、思ったより疲労感は大きかった。また登っていたときはそこまで気にならなかったが、岩場の中には滑りやすい場所もあり、
転びそうになる場面もあった。私たちが大倉バス停に到着したときには既に日が傾き始めており、後続の3人が日没前に下山できるか不安に思った。
もう1組は蛭ヶ岳を目指して進んだ。しかし、日没の時刻を考慮して1時間の間に進めるところまで進み、そこからは引き返すという形になった。上さんは蛭ヶ岳まで到達し、大矢は残り約150m地点で引き返した。3人が大倉バス停に到着したときには既に日が沈んでしまっていたそうだが、無事に全員が下山することができた。

●感想
 今回のコースは全体として眺望がよく、景色を楽しむことができた。稜線の上から谷に広がる赤や黄に色づいた木々を見下ろすのはとても気持ち良かった。
 しかし、一方で自分にとっての課題も見つかった。まずは体力である。登りのペースについていくことができたところまではよかったのだが、結局そのあとが続かず、蛭ヶ岳を目指すことができなかった。また下山のスピードをもう少し上げる必要があると感じた。これから山行で経験を重ね、技術を磨いていきたいと思う。
▼写真をクリックすると大きく表示されます
丹沢山〜塔ノ岳間より(撮影:内海) 13:40 塔ノ岳より(撮影:内海) 14:10


■2014年11月2日 丹沢山行記録追加  藤原 朋信(昭和44年卒)
     ****** 2014年11月2日投稿 ******

 丹沢:3名(上・大矢・内海)の学生が参加して、現在の実力を判定しました。結果は大倉から蛭ヶ岳まで上さんが4時間5分(休憩含まないネットでは3時間50分)で到達、大矢さんは100m手前で打ち切りの1330分になり無念のタイムアウト、部員として初参加の内海さんは余力を残しながらも下りを心配して丹沢山で自重となりました。
コースタイム(山渓データブックで7時間35分、一般ガイドブックでは5時間35分)より、かなり早いペースでしたが、さすがに若者だけあり登りには強いところを証明しました。他方1年生の二人が帰りの下りに時間がかかり今後経験を積んで強化するポイントもはっきりしました。
 半年後の来年4月下旬に、今度は大倉から蛭が岳で引き返すのではなく、主脈縦走として姫次、焼山と北方に抜ける予定です。これからの半年で実力が大いにアップすると期待されるので各人の記録も向上する事でしょう。OBは北方から蛭が岳・姫次への往復で蛭が岳で学生に合流します。      

会   報
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■2014年10月18〜19日 廻り目平合宿 岡田尭之(一橋大学山岳部:経済学部2年)
     ****** 2014年12月24日投稿 ******

●10月18日(土曜日) 茅ケ岳
・メンバー
部員:太田貴之(3年)、高橋直道(3年)、黄勉(院生)、岡田尭之(2年)
OB:宮武幸久(昭和45年卒)
・行程
8時に国立駅南口に集合し、OBの宮武さんの車で国立を出発。山梨百名山である茅ケ岳に登頂し、廻り目平近くのOB藤原朋信さん(昭和44年卒)の山荘に入る。どちらもそれほど辛くはなかった。展望もよく、様々な山を一望できた。それらの山の位置や、なんという山が見えるのか、少しずつ覚えていきたい。山荘にはOBの本間浩さん(昭和40年卒)、中村雅明さん(昭和43年卒)が先着。お二人は小川山を山荘から往復された由(本間さんは展望台まで)。夕食は学生が準備・片づけを担当した。太田・岡田担当で鍋の準備に入るが、慣れない包丁さばきで結構時間がかかってしまった。夕食後、私の希望で山荘2階のクライミングボードでボルダリングに挑戦した。ボードの右ルートに何度かチャレンジしたが終了点までに行けずに来年まで課題を残してしまった。それでも藤原さんからは筋が良いと褒められた。次は藤原さんのように確実に登れるようにしたい。

●10月19日(日曜日) 甲武信岳
・メンバー:太田、高橋、黄、岡田
・行程:6時に起床し、宮武さんの車で長野県側登山口である毛木平まで送っていただいた。ここからはOB無しの学生だけの山行である。
毛木平−千曲川源流−甲武信岳−徳ちゃん新道−西沢渓谷
毛木平の駐車場から、7時30分に登山を開始し、千曲川源流遊歩道を歩いていくルートで山頂を目指した。休憩は8時20分から10分弱、9時20分から10分弱と約1時間おきにとった。11時過ぎに登頂し、昼食をとった。11時25分に次の山に向かい、徳ちゃん新道を歩く途中で12時15分木賊山に登頂した。そこで15分ほど休憩をとり、徳ちゃん新道を通って西沢渓谷へ向かった。15時30分に下山し、そこからバスで塩山駅へ向かい、塩山から電車で新宿に。

●感想:2日目は学生だけの山行だったので不安もあったが遊歩道は道も広く、登山客も多かったため、道に迷うことなくスムーズに登っていくことが出来た。遊歩道は緩やかで、わきには千曲川が流れており、景色が非常に綺麗であった。ただ途中から険しくなるところもあり、少々骨が折れた。頂上付近は岩場のようになっていた。下りは、全体的に急であり、その割に男子が速く下ってしまったせいもあってか、黄さんが遅れてしまうことが時々あった。もうすこしペースを考えて下山するように次回はしたい。また台風の影響もあってか木がたくさん倒れていたため下りにくい箇所もあった。ただ全体的には、標高が高い割にはそれほど辛くなかったように思う。自然を楽しみながら登ることができたので、機会があれば登りたいと思った。次は違う登山口から登ってみたい。
注:注:OB4人(本間・中村・宮武・藤原)は宮武さんの車で佐久の四方原山に向かったが
  登山口を間違えて四方原山近くの1715峰に登ったとの事です。
  途中、中村先輩がワナにかかって大変だったと聞きました。


10月19日 9:00
千曲川源流遊歩道
ナメ床
10月19日 11;00
甲武信岳山頂にて
中央は黒金山

■10月19日 四方原山に登る積りが1715峰登頂  中村 雅明(昭和43年卒)
     ******2014年12月25日投稿

 甲武信岳を越えて塩山に下山する学生4人を毛木平まで送って戻って来た宮武さんの車でOB4名は8:00に四方原山に向かいました。四方原山は上信国境、ぶどう峠と十国峠の間にある栂峠付近から約20km以上も西に延び。小海の近くで千曲川に没する長い尾根上にあります。四方原山の6km西に昨年の廻り目平合宿にてOB5名で登った茂来山(注1)があります。四方原山へは茂来山から往復するのと北相木村の白岩から登るコースがありますが、今回はぶどう峠経由滋賀坂峠から秩父に出て帰京する途中の白岩から登ります。川上村から馬越峠を越えて南相木村に入り、次に南相木村から大鰭トンネルをくぐって北相木村に入り登山口を探しました。指導標が見つかる前に左手の林道に入り、しばらく登ると右手に入る砂利道に「東山林道」の小さな看板を見つけ、これを登れば大丈夫と確信しました(実は誤解)。道が悪そうだったのでそこに車を置き、9:08登山開始。かなり急な林道を2pで峠に出た所で「どうもおかしい」と不安になりました。峠を少し下ると左手に稜線が見え、稜線の先のピークが四方原山だろうと衆議一決、取り敢えず尾根に出る登山口を探しました。少し行くと林道から別れ、尾根に登ると思われる林道が左手にあり、そこを辿りました。ところがその林道は途切れています。少し登れば尾根に出られそうだったので藤原さんがかすかな踏み跡を探しながら軽快に登り始めました。それに続いた中村が少し登った途端、「バシツ」と音がして落ち葉に隠れて仕掛けてあったケモノ用の罠が左足靴をしっかり捉えました。その罠を外すのに15分以上かかりました(この顛末は注2)。ほどなく尾根に出ましたが踏み跡あまり明瞭ではありません。でもこの時点では道を間違えたと思わず、尾根を登った先に四方原山が有るだろうと思い急ぎました。途中背丈ほどの藪竹を漕ぎ、10:50ピークらしき所に着きましたが、頂上の道標がなく展望も殆ど利かないので、違った尾根を来てしまったと判断しました。木の間越しに北方を見ると明瞭な尾根が西方に続いています。どうやら稜線から派生する支尾根の1715m峰を登った様です。「1631mの四方原山より高い山に登ったのだから良しとしよう」と負け惜しみを言いながらゆっくり昼食を摂った後、のんびり往路を戻りました。リベンジを考えた藤原さんはそのまま戻らず、林道を先に偵察し10分先に「四方原山」の看板を見つけて帰りました。12:30車を置いた所に戻り、林道を下って白岩に出て三寸木に向かう道を少し進んだ途端に、左側に「四方原山」、右側に「御座山」のしっかりした道標を見つけました。あと少し進んでいればと悔やみましたが後の祭りでした。

 注1)【国内山行報告】「」2013年10月19日 茂来山(廻り目平合宿山行)」参照
 注2)【三月会報告】「2014年10月20日開催 三月会記録」より抜粋

▽ケダモノ用のワナにかかった話から。FN山行で廻り目平に行った時、四方原山に登るつもりで出掛けました。麓に車を停めて林道を歩き始め、目指す四方原山に向かっている積りで登っていました。稜線の手前まで来て、どうも間違えて漁師道に入り込んだようだ、と気付いたものの、ひと先ず稜線までは行ってみようと、藤原さんを先頭に登っている時、2番目にいた中村(雅)さんが、落ち葉で綺麗に隠したワナに足を捕らえられて動けなくなったそうです。「歯」のあるワナでなくて怪我をせず助かったものの、また靴を脱いで足は抜けたものの、靴は抜けません。宮武さんが携行していたスプーンを使って、時間をかけて、何とか靴を外して、事なきを得た、との事でした。付近に打ち込んだポールにワイヤーで仕掛けてあったようです。登山靴は片方の足だけで、ポール、ワイヤー、もう片方の靴を担いで麓まで降りる羽目にならなくて良かった、という話でした。

■四方原山登頂  藤原 朋信(昭和44年卒)
     ******2014年12月20日中村宛てメールより抜粋

 10月19日から半月経った、11月6日木曜日(風林荘からの帰京日)水谷車で、前回確認した正しい林道に入りました。案内図がある沢筋の登山道入口で車を駐車してどちらに行くか思案したのですが、山頂に東側から迫る沢筋のルートは荒れているように見えたので、林道をそのまま分岐まで歩きました(50分)。分岐からは10分ほどで山頂西側の稜線に出て、そこから更に15分で頂上でした。四方原山は広い尾根上のなだらかな盛り上がりで、1715M峰のような藪竹もなく開放的な空間でしたが、樹木がまばらにあり展望はいまいちでした。往復2時間で今年の山荘生活の最終山行を水谷さんと楽しみました。ここ数年、気になっていた山でしたので登れて満足です。
                              


会   報
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■2014年10月11日 山行記録(甲州高尾山、棚横手山、宮宕山)

                   大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部1年)
       ****** 2014年10月17日投稿 ******
●メンバー
 部員:黄勉(修士1年)、大矢(学部1年)
 OB:藤原朋信(昭44年卒)
●行程 
 9:02 新宿駅をホリデー快速ビューやまなし号小淵沢行で出発  14:05  棚横手山(1306m)到着
 10:54 勝沼ぶどう郷駅到着  14:25 宮宕山(大滝山、1368m)到着
 11:05 当駅より登山開始  15:15 大滝不動尊方面との分岐(尾根)
 12:05 甲州高尾山へ続く尾根の鞍部に到着  15:50 大滝不動尊到着
 12:30 甲州高尾山剣ヶ峰(1091m)到着  16:00 大滝不動尊出発
昼食  16:50 勝沼ぶどう郷駅到着
 12:50 甲州高尾山剣ヶ峰出発
 12:55 甲州高尾山山頂(1106m)到着
 13:30  富士見台到着

●コース情報、その他
今回の山行は、当初10月12日に予定されていた日光・女峰山山行が台風19号の接近により延期されたことにより、急遽、山梨県の勝沼町付近の山を登る計画に変更されたものである。
 この日は、朝から天気がよく、行きの車窓から見られる風景も非常によかった。勝沼ぶどう郷駅には非常に多くのぶどう狩りにきた観光客がいるなか、そのぶどう畑の間の道を進んでいった。そして今回甲州高尾山へ続く尾根の鞍部に出るため、一般的な登山道を歩くのではなく、沢筋に沿って山林を登る「道なき道を行く」登山を行った。初め、ぶどう畑の間を登っていく道は舗装されているが、10分ほど歩くと、うっそうとした森林の中を歩くことになる。森林の中は、薄暗いものの、笹などの下草はほとんど生えておらず、落ち葉が腐葉土と化して、地面は比較的ふかふかしていた。勾配はかなり急であり、その上、地面が崩れやすいので、非常に体力をつかった。また、藤原さんに教えていただきながら、人の歩いた形跡を探りながら、登るということを学んだ貴重な山行となった。斜面を直登した後は、比較的勾配の緩やかな稜線にでた。少し余裕が出てきたので、地面に落ちているドングリやクリなどを見て、秋の訪れを感じることができた。
 しばらく歩いていると、前方が明るくなってきたので、山頂に到着したかと思われたが、実際には一般道があっただけで、山頂ではなかった。しかし、振り返ると遠くの山並みがくっきりと見え、晴れやかな気分になった。ほんの10分ほど歩くと、甲州高尾山剣ヶ峰に到着したので、そこの近くの茂みの中で昼食をとった。その際、OBの藤原さんから、山梨県ということもあってのことか、ぶどうをいただいた。またそこでは、飲み物は小さいペットボトルに小分けにしたほうがよいとの指摘を賜った。
 再び歩き出すと、間もなく甲州高尾山山頂に到着した。さらに歩き続けると徐々に視界が開け、富士山やその手前の山並みが一望できるようになった。甲州高尾山近辺の山では、山火事が過去に数多く発生しているため、木の多くが焼けてしまっているため、植樹した後の小さい木も数多く見られた。その山火事のために、展望がよいのだから、ものの良し悪しとはなんとも言い難いものである。その後、富士見台まではほとんどアップダウンといえるような部分はなく、風も心地よく、空は筋雲以外には高く青々していて、遠くに紅葉しているところが見えるという最高の時間であった。
 富士見台を過ぎると、いったん下って登った。その過程で、一旦休憩を取った。遠方には、紅葉箇所も散見された。そこから棚横手山までも、比較的見通しの良い山道であり、途中で林道とぶつかった。その林道から、ほんの少し登ると棚横手山の山頂があった。ただ、山頂は印がなければ一瞬見落としそうなレベルのものであったが、「大富士見台」という別名の通り、富士山はかなりはっきりと見えた。ちなみに、この棚横手山は「山梨百名山」に指定されている。この、棚横手山までは一般客も数多く訪れているが、その先の宮宕山にはほとんど人はいかないらしい。しかし、歩いてみると道は非常にわかりやすく歩きやすかった。ほどなく宮宕山に到着した。宮宕山の山頂は雑木林のなかにあり、小さい木で作った印がないとわからないほどに、こじんまりした山頂であった。そこで、もと来た道を引き返して、少々歩いて休憩をいれた。その付近には、いのししが掘った穴なども散見された。
 そのあと、稜線の鞍部にある分岐点で、大滝不動尊の方向へ道を変えた。かなり、うっそうとした森ではあったが、かなり歩きやすい道であった。その途中で、見事な滝を一望できる地点があり、目を見張ってしまった。滝の落差は相当なものであった。
 しばらく歩いていくと、その滝の下の大滝不動尊に到着した。下から見る滝もかなりの迫力のあるものであった。滝は二本あって、遠くからは見えなかった方の滝は、手に届きそうなところにあって、滝をかなり間近に感じることができた。
 大滝不動尊から勝沼ぶどう郷駅までの標準コースタイムは、80分〜90分ではあったが、この時点で16時、普通に歩いたら、勝沼ぶどう郷駅発17:09発のホリデー快速ビューやまなし号に間に合わないということで、かなりのハイペースで歩いた。途中からは、歩いていてはペースに追い付けなくなったので、私は小走りの状態で山を下りた。結果、コースタイムの6割以下の時間で、駅に到達することができた。
10月11日 13:10
甲州高尾山―富士見台の稜線
10月11日 13:30
富士見台付近より、紅葉も散見
10月11日 14:25
宮宕山山頂
10月11日 14:40
棚横手山―宮宕山間の展望

会   報
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■2014年9月5〜8日  北岳山行記録  太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)
     ****** 2014年11月3日投稿

  日程  2014年9月5日〜8日
  メンバー    太田貴之(商3) 本間浩(昭40)
  天候  5日晴れ  6日曇り7日曇り
  アクセス  電車とバス

●アクセスについて
5日の夜に出発する前回の甲斐駒ケ岳と同じアクセス方法で広河原に到着。

●コースタイム
6日
0650広河原バス停→0830白根御池小屋→0925大樺沢二俣→1250八本歯のコル
→1340トラバース道分岐点→1407北岳山頂→1430トラバース道分岐点→1455北岳山荘
7日(時間失念)
北岳山荘→北岳→北岳肩ノ小屋→大樺沢二俣→白根御池小屋
8日
0800白根御池小屋→0930広河原

●コース概況と感想
6日
荷物が重かったので非常に疲れた。特に、八本歯のコルのところは休み休みいった。水が無くなることを心配して、水を4〜5kg持ってきたことがまずかったと思う。そのため、八本歯の頭に行く気力もわかなかった。次回は行ってみたい。トラバース道分岐点で荷物を置いて、山頂に向かった。荷物があるとないとでは大違いで、山頂まで楽に行くことが出来た。北岳山荘では本間さんは山小屋に、僕はテントに泊まった。この日の夜の天気はすごかった。雨はもちろんのこと、風が荒れた。テントのポールがしなって顔にぶつかるくらいの風で台風みたいだった。隣でツエルトを張っていた人が仲間に向かって、「避難させてくれ」と頼んでいた。それから、すぐに心配していてもしょうがいないので、寝ることにした。途中、風に起こされることもあったが、意外と熟睡できたのは良かった。
7日
本当は間ノ岳に向かう予定だったが、天気がすぐれなかったので引き返すことになった。帰りは肩の小屋経由で行くことにした。運が良いことにライチョウを発見した。また、曇りでところどころしか見ることが出来なかったが、本間さんがそこから見えるいろいろな山を教えてくれてためになった。この日の夜は天候が安定していて、安心して休むことが出来た。

●コース


●写真
9月6日 12:55 
八本歯の頭
9月6日 14:5
北岳山頂付近から
小さく見える北岳山荘

9月6日  14:7
北岳山頂






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■2014年9月12〜15日 涸沢合宿山行記録 太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)
     ****** 2014年12月3日投稿
 
 日程  2014年9月12日(金)〜15日(月)
 メンバー  太田貴之(商3)  渡部顕志(経3) 宮武幸久(昭45)
 天候  晴れ
 アクセス  自動車とタクシー

●アクセスについて
宮武さんの車に乗せていただいて、自家用車で行けるところまで行き、そこから先はタクシーを利用した。バスを利用する方法もあるが、相乗りでタクシーを利用する場合、料金はバスと変わらなかったと思う。

●コース
12日
上高地インフォメーションセンター―徳沢
13日
徳沢―涸沢
14日
涸沢―ザイテングラード―穂高岳山荘―涸沢岳―北穂高―涸沢
15日
涸沢―ザイテングラード―穂高岳山荘―奥穂高―吊尾根―重太郎新道―岳沢小屋
―河童橋―上高地インフォメーションセンター

●コース概況と全体
12日
この日は徳沢に向かうだけだったので、快適に進んだ。このあたりはまだ観光地なので、普通の観光客もたくさんいる。テント場はやわらかい草が生えているところだったので、テントも快適でよく眠れた。
13日
6時に徳沢を出発して11時には涸沢に着いたので午後は暇だった。(記録係ではなかったので時間は空覚え)しかし、テントをよい位置に張ることが出来たので、これくらい早く着くことが出来て良かったと思う。というのも、時間が経つごとに、どんどんとテントが増え続けて、辺り一面がテントになったのだ。そのため、隣のテントの距離も相当近くて夜、トイレの帰りに足が引っかかった。また、トイレ行列も大行列になっていた。夜は非常に寒くて、今日、12月1日の国立よりも寒かった。
14日
登山道が大混雑していた。特に、ザイテングラードは非常に長い行列で、待ち時間が長かった。どれだけ長かったかというと後ろの知らないおじさんと複数の話題でおしゃべりできるくらい。穂高岳山荘からは混雑は改善されたものの、やはり、狭いところでは行き違うことが多くて、すこし、危険だった。しかしながら、登山道はスリリングで面白かった。
15日
吊尾根が景色もよく、道も面白くてよかった。ただ、風があったので少し寒かった。重太郎新道は非常に傾斜のきつい坂道ばかりで今までの疲労もあり今までいった山の中で一番大変だった。実際、翌日はひどい筋肉痛になった。上高地で遠くに穂高をみたときはやっと帰ってこれたと心底感じた。
全体
後日、サザエさんのオープニングで上高地からの同じアングル穂高岳を見た時も行って良かったなとしみじみ感じた。今まで行った山の中では一番大変であり、楽しい山だったからだ。また登ってみたい。それに加えて、登っているときにみえた槍ヶ岳にも登ってみたい。とてもかっこいい山だったからだ。




●コース図(国土地理院のサイトより)

9月13日 12:06 テント場から見た吊尾根と涸沢岳 9月14日 11:16 
北穂高〜穂高山荘にかけての登山道

9月14日 12:51 北穂高山頂
 (左から渡辺、宮武、太田)


■2014年9月16日開催  三月会記録 高崎 俊平(昭和41年卒)
         ****** 2014年9月24日のHUHACメールから抜粋

▽現役学生部員の涸沢合宿に参加された宮武さんから、山行の様子が紹介されました。上高地、涸沢からの穂高岳の景色に「日本にもこんな風景があるのか!」と学生さん達は痛く感激した様です。涸沢に幕営して、北穂高を、ザイテン・グラート〜穂高小屋〜涸沢岳〜北穂高〜南稜のコースで周回した、涸沢岳から北穂高に連なる稜線歩きは、崩壊が進んでいる様で緊張した、参加した学生は二人だったのでどうにか面倒を見られたが、当初計画の様に四人だったら、目配りが十分出来たかどうか心配になった、ザイテン・グラートから奥穂に向かった時は、登山者が多く渋滞して、コースタイムの倍以上の時間を要した、等々。今後暫くは、学生部員育成の為に、このような「合宿」には、複数の動けるOBの参加・指導が必要の様です。

■『針葉樹会報第131号』編集後記(抜粋) 川名 真理(昭和63年卒)
 9月の3連休に涸沢で久しぶりにテント泊しました。宮武さん、学生さんと同じ日程です(行動は別)。こちらは針葉樹会とゆかりの深い女性2人と一緒で、お二人はテント泊は初めて。横尾経由で入下山。涸沢に2泊して、中日はザイテンから奥穂をめざす予定でした。ところが、この連休は異様に混んでおり、ザイテンの上りですでに渋滞。奥穂の渋滞ぶりも見てとれるため、混雑を避けるために、急遽、涸沢岳〜北穂〜南陵へルートを変えました。
  ところがこちらも大渋滞。涸沢岳から北穂へ向かう最初の断崖の下り口で20分ほど待ったというだけでも、その混雑ぶりを想像していただけると思います。行程自体はさほどハードではなかったはずなのに、胃が痛む思いだったせいか夜のカレーがまったく食べられず。自分でも驚きました。
  現役時代から今に至るまで、ほとんど「非リーダー」として山に行って来ました。やはりリーダーは違います。そのことをつくづく実感し、現役時代および卒業後の山行リーダーを務めてくださったみなさまへ、感謝の気持ちを新たにしました。幸い、今回のメンバーと次のテント泊山行をめざす話が続いています。新たな展開にドキドキしつつ、前向きに夢をふくらませています。


会   報
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■2014年9月5日〜6日 バットレス敗退+白根三山往復  金子 晴彦(昭和46年卒)

        *********** 2014年9月16日投稿(PDF版)
※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。
pdf版その1(全26ページ) pdf版その2(全28ページ)


会   報
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■2014年8月29〜31日  甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳山行 太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)
     ****** 2014年11月3日投稿

 日程  2014年8月29日(金)〜31日(日)
 メンバー   太田貴之(商3)
 天候  30日曇り後雨 31日晴れ
 アクセス   電車とバス

●アクセスについて
4時35分から甲府駅から広河原へ始発のバスが出るので、29日の夜に甲府駅に着いて、駅で仮眠をとった。他にも同じような人が何人かいるので特に問題はないと思う。人によっては近くのホテルに泊まっているようだ。広河原に到着した後は南アルプス市営バスに乗り換えて、広河原に7時15分に到着した。

●コースタイム
30日(土)
0900長衛小屋→0925仙水小屋→0950仙水峠→1048駒津峰→1153甲斐駒ケ岳
昼休憩30分→1242摩利支天→1323駒津峰→1355双児山→1500長衛小屋
31日(日)
0600長衛小屋→0800馬の背ヒュッテ→0855仙丈ケ岳→0930小仙丈ケ岳
→1100長衛小屋

●コース概況と感想
30日
仙水峠から駒津峰に至る道は傾斜がきつく、なかなか骨が折れた。その後、進んでいくと、甲斐駒ケ岳の頂上までは2通りの道がある。1つは巻き道となっており、全員がこの巻き道を使っていた。僕も巻き道を使ったのだが、砂の道で少し滑りやすかった。今度、登るときはもう一つの道を使って登りたい。その道の方が面白いと思う。摩利支天に行く人は少なく、誰にも遭遇しなかった。もともと天気は良くなく、曇りがずっと続いていたのだが、下山途中から雨が降り出した。すぐに止むことを期待して、雨具を着ないでいたら結構濡れてしまい、寒くなったのでこれからは気を付けたい。前日の野宿で睡眠不足だったので、この日はテントに着くなり、すぐに寝てしまった。
31日
この日は前日と打って変わって晴れだった。仙丈ケ岳は馬の背ヒュッテにいたるまでの道の景色がよい。遮るものがないので雲海がよくみえるからだ。頂上は甲斐駒ケ岳と比べると狭かったので、少し休んで下山した。山頂で前日の駒津峰で写真を頼んで来た人が写真を頼んで来た。写真を撮ってくれるといったが恥ずかしかったので断った。この人に限らず、登山中、前日見た人が十数人いた。このコースは人気のようだ。実質、1泊2日で行けるので山岳部で行くのによいかもしれない。



●コース図
甲斐駒ケ岳 仙丈ケ岳

●写真
8月30日 11:55
甲斐駒ケ岳山頂
8月30日 11:55 
甲斐駒ケ岳山頂
からの展望
8月31日 7:20
藪沢小屋から
馬の背ヒュッテに
かけての道中で
8月31日 8:59
仙丈ケ岳山頂

会   報
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■2014年8月24〜25日 富士山御来光ツアー山行記録  長島 弘賢(一橋大学山岳部:商学部4年)
         *********** 2014年9月22日投稿
参加メンバー
** OB: 高崎治郎(昭31年卒)、小島和人(昭40年卒)、藤原朋信(昭44年卒)、宮武幸久(昭45年卒)
学生部員: 4年長島、3年高橋、西山、太田、2年辰川、中野、上、岡田、1年大矢
一般学生: 修士1年黄勉、3年菅沼祐作、志村幸祐、2年前川大、宮西達也、小塚満里鈴、水上奈々、
1年大楠康平、内海拓人

行程記録
** 8月24日
8時20分国立発、11時30分河口湖五合目登山開始、15時50分八合目白雲層、16時30分本八合目トモエ館着
8月25日5時トモエ館発、6時吉田口富士山頂上着、6時30分頂上発、7時トモエ館着、9時7合目着、10時5合目着、
11時15分五合目発

 一昨年の第一回富士山御来光ツアーに引き続き、今年も第二回富士山御来光ツアーを開催した。普段の山行とは異なり、一般学生を交えての山行であり、また初の富士山登山の学生が多かったため、事前準備を前々より進めていた。今回はその事前準備のことを含めて山行記録を書きたいと思う。
 富士山御来光ツアーの準備を始めたのは、今年の2月頃であった。部員の原が富士山御来光ツアーのチラシを作成した。そして宮武さんにたくさんのチラシを刷って頂いた。4月に入り、私の就活も終わり、本格的な富士山御来光ツアーの一般学生の参加者集めに入った。一学年上の小宮山さんのアドバイスを踏まえ、部員の友人のネットワークを利用して一般参加者を募るようにした。また、チラシもあるので、部員同士で協力し合い、学内の目のつくところすべてに貼り、また講義を受ける教室にも多くチラシを配布した。月に一回の部会では、富士山御来光ツアーの参加者獲得進捗状況を必ず確認し、部員による参加者集めを促した。こうした取り組みの結果、9名の一般学生の参加者を獲得することに成功した。第一回との参加者の大きな違いは、院生であり、かつ留学生の中国からの黄さんの参加である。また、チラシを見て参加したいとの学生もいて、チラシの宣伝効果を改めて実感した。全面カラー印刷にして頂いたおかげで、学内に無数に存在するチラシよりもはるかに目立つものとなり、多くの学生の目に留まった結果である。一般学生が9名の参加で、部員が9名の参加、計18名の学生の参加は、第一回の御来光ツアーの時よりも多くの学生が参加する結果となり、とてもよいものであった。
 そして、今年の富士山御来光ツアーでは、7月1日に佐薙さんによる富士山御来光ツアーの事前説明会も開催した。そのために、空き教室の確保や参加者募集のチラシの作成、そしてチラシの配布、学生支援課との交渉などを行った。初めての試みで、慣れない点もあったが、当日は50名近い参加者で、無事に進行することができた。この佐薙さんの講演を聞いて、富士山御来光ツアーに参加したいと意思を固めた参加者もいたので、非常に意義深いものであった。

 そして、8月24日の当日朝8時にはOBの方4名と、部員9名、一般学生9名が国立の西門前に集合し、8時30分に富士山五合目に向けてバスで出発した。途中の談合坂で休憩をとり、大きな渋滞もなく、11時には富士山吉田口五合目には到着した。初めて登る部員も一般学生も五合目が観光地化しており、多くの外国人がいることに驚いていた。18名の参加者を三チームに編成し、各チームのリーダーを任命した。そのチームを中心として登るように指示をした。そして、その場で各自装備と登山をする際の注意点を確認し、登山口で集合写真を撮り、11時30分山行を開始した。
 今回の山行は、部員とOBによる普段のFN短大の時のように1時間に一回の休憩ではなく、30分に一回休憩を入れるというゆったりとしたペースで歩くことにした。それは、私はこの御来光ツアーの一週間前に、個人的に友人と富士山を登った際、初心者は1時間に一回休憩を入れて歩くのではバテてしまうという経験を踏まえたものであった。また高山病を防ぐ為、事前準備の際、買い揃えておいた酸素ボンベも休憩の度に吸うことにした。
 24日は快晴で、休憩の度に富士山の良い景色を眺めることができ、学生たちも富士山からの眺めの良さに感動していた。最初の休憩ポイントである6合目付近には12時ごろ到着し、そこで昼食とした。その場では、OBの高崎さんから印象的な自己紹介の秘訣を伝授して頂き、それを踏まえ、学生同士でもお互いに自己紹介をした。6合目からはいよいよ本格的な登山となり、少し急な上り坂を延々と歩いて行った。その際も、30分に一回の休憩のペースは崩すことなく上るようにした。初日は大きな団体も少なく、大した混雑もなく順調に登ることができた。7合目に到着する手前のポイントで高崎さんと小島さんと部員の辰川といったん別れ、学生17名と宮武さんで本八合目のトモエ館を目指した。7合目からは山荘と急激な岩場の連続であったが、特に問題なくスムーズに登り進めることができた。そして、16時30分に本八合目トモエ館に到着した。山荘に到着した際は、多くの学生が疲れている様子であったが、大きな事故もなく、また高山病にかかる者もなく無事に到着することができた。やはり、30分に一回休憩を入れるペースで登ったためではないかと思う。17時ごろには、7合目付近で別れた、辰川とトモエ館で合流することができた。
 山荘では三部屋に分かれ、各自の寝床を確認した。山荘での寝泊りを初めて経験する者が多く、とても狭い寝床に戸惑う学生も少なくなかった。18時には夕食にハンバーグ付のカレーを食べた。部員の中には追加で山菜うどんや豚汁等を注文する者もいた。山荘での夜は早く、20時前には皆就寝した。しかし、初めての山荘であり、かつ窮屈な寝床のため、眠りにつくことができない学生が多く、朝まで山荘付近で起きている者も少なくなかった。
 翌25日は天候が悪く、登山の安全を考慮した結果、頂上にて御来光を仰ぐことを諦め、5時起床とした。激しい雨と風であったため、トモエ館の社員に交渉し、荷物をトモエ館に預けて、山頂まで登ることにした。また、二名の学生が体調不良となったため、その二名をトモエ館に残して、16名の部員と宮武さんと藤原さんで山頂を目指すこととした。山頂までの道のりは、険しい山道で、かつ非常に冷え込んでいたが、重い荷物がなかったため、皆快調に登ることができた。
 そして6時に富士山吉田口山頂に到着した。山頂付近は非常に冷え込んでいたため、山頂の山小屋で、暖をとることにした。その山小屋で、豚汁やラーメン、おしるこを頂くことにした。そして、暖を取った後、全員で集合写真を撮り、早々に下山を開始した。7時にはトモエ館に到着し、荷物を受け取り、体調を崩していた学生とも合流して、下山を開始した。下山は学生にとっては負担が軽く、順調に下山することができた。10時には五合目に到着することができた。そこで高崎さんと小島さんと合流し、ビールを頂きながら、昼食をとった。学生に話を聞くと、初めての登山でとても疲れたがいい思い出になったとの声が多数あり、第二回富士山御来光ツアーを開催して、本当に良かったと思う瞬間であった。また、1年の内海がこのツアーを機に、山岳部に入部するとの意思を固めてくれた。
 
 今回の富士山御来光ツアーは、前回よりも多くの学生参加者で開催することができ、かつ新たな部員を迎え入れることもでき、非常に意義深いものであった。心残りは、やはり山頂で御来光を仰ぐことができなかったことだが、それは次の機会に譲りたいと思う。
反省点は、部員が一般学生をしっかり引率することができていない時もあったということである。各チームのリーダーは、点呼等は率先してやってくれてもいたが、部員が一般学生を引率しているという意識が少し希薄であったと感じた。次回は部員がもっと今回の経験を生かして、一般学生を引率していってくれれば、と思う。また、参加者が部員9名と一般学生9名であった点だが、次回は合計20名以上の参加を目指してもらいたいと思う。そのためにも、チラシ等を使った広報は非常に重要になると思う。さらに、今回のツアーはバスや山荘の手配等、宮武さんをはじめとするOBの方の多大な協力のもとで行われたものであるが、次回以降は部員が今回の経験を生かして、率先してツアーの計画や山荘等の手配などを行ってくれればとも思う。

 最後に、今回第二回富士山御来光ツアーを開催するにあたり、多くのOBの方に協力して頂いた。事前講演会においては、佐薙さんに講演をして頂き、当日のツアーでは、高崎さん、小島さん、藤原さん、そして宮武さんに多大な協力をして頂いた。特に、ツアーの計画や山荘等の手配、募集チラシの作成、当日の進行等をして頂いた宮武さんには、大変お世話になった。この文面においてではあるが、改めて、OBの皆様にお礼を申し上げさせて頂きたいと思う。



8月24日 11:30(撮影:宮武) 5合目出発時の集合写真


8月24日 12:00頃(撮影:辰川)  6合目付近

8月24日 16:00(撮影:宮武)   本八合目到着


8月25日 6:30(撮影:宮武)  吉田口頂上にて雨中での集合写真


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■2014年8月20日 水無川本谷山行記録 太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)
    ****** 2014年10月18日投稿

日程 2014年8月20日(水)
メンバー 太田貴之(商3) 中村雅明(昭43) 藤原朋信(昭44)
天候 晴れ
アクセス 電車(渋沢駅)からバス

●コースタイム
0855大倉バス停→1020戸沢山荘1035→1200F2上→1310F3上→1355F8下→1432源頭
→1515塔ノ岳頂上1525→1725大倉バス停
●コース状況
入渓地点直前に水場があるので、そこで水分を補給するとよい。前回の沢登りと比べて、倒木が少なく、登りやすかった。ただ、滝を登る必要があり、それが面白かった。水の深さは一番深いところで膝くらいまでなので、ザックにそこまで気をつけなくても大丈夫だと思う。沢筋から尾根筋に合流するまでの傾斜がきつくて、大変だったが、途中から踏み固められた道が出現するので、それに沿って進むとそれまでと比べて、楽に進むことが出来る。塔ノ岳頂上からバス停までの登山道には多くの山小屋があったが、営業している小屋はなかった。
●登山ルート

(ヤマレコより)

8月20日 11:37(撮影:中村)
F1を登る太田

8月20日 15:15(撮影:中村)
塔ノ岳山頂
●感想
今回の沢登りはかなり骨が折れた。この後に、富士山と甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳に登ったが、疲労度はこの沢登りが相当上回っている。初めて沢筋を登って、山頂にたどり着いた。しかしながら、下山に対して、そこまで登った気がしなかった。やはり、沢筋であったため、下山と比べて、距離が大きく減ったからであろうか。また、日中、日差しが強かったこともあって、水が冷たくて気持ちが良かった。雨で沢登りになかなか行けないので、機会があればできるだけ参加していきたい。

会   報
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■2014年7月31日〜8月3日 盛夏の白山 ― 花の山旅 ― 中村 雅明(昭和43年卒) 
       ****** 『針葉樹会報』第131号より転載(一部改訂)

 本山行は昨年8月初に念願の赤木沢遡行を終え、引き続き行った裏銀座縦走の最後の山小屋(烏帽子小屋)の前で満ち足りた気分で濡れものを乾かしながら寛いだ時に、「来年の夏山はどこに行きますか」と小島さんが中村に問いかけたことからスタートしました。中村は「家内と一緒白山で高山植物を楽しみます。」と答え、小島さん、川名さんも同行を希望されました。今春中村が具体化した計画は、時期は確実に梅雨が明ける7月末から8月初旬、金沢まで夜行バスで行き砂防新道を登って頂上で2泊し、たっぷり高山植物を楽しんだ後、南縦走路を石徹白に下山、民宿に2泊するプランでした。
 5月の連休後に日程調整しましたが、小島さんは8月3日からのねぶた祭りの前に下山、川名さんは8月4日午後の仕事に合わせて下山する都合があり、それに合わせて白山登頂の後は、それぞれ別々に下山することにしました。また、石徹白に下山する積りの中村が5月中旬に民宿に予約電話をしたところ、8月2日から1週間、学童の林間教室で村の民宿全てが貸切りの為に宿泊不能であると判明したことから石徹白下山をあきらめました。他の下山コースは沢山ありますが比較的に楽に下山することが出来る岐阜側の大白川に下山することにしました。その日は、平瀬温泉で山の疲れを癒し、翌日白川郷に移動し、半日観光した後、合掌造りの民宿に泊まって翌日帰京する登山の後も楽しみなプランとしました。
 幸い天気に恵まれて予定通りコースを完歩し、お目当ての白山の高山植物も堪能できました。一つ誤算だったのは頂上での2泊目の南竜山荘が満員で泊まれず、山荘近くの南竜ケ馬場野営場に泊まることを余儀なくされたことです。荷物も増えましたが、そのお蔭で久し振りにテント泊も楽しみました。なお計画を固めるに当たっては、2009年8月末に奥様と一緒に白山に登られた竹中さんの山行記(『針葉会報第118号』「夏の終わりに加賀の白山」)を参考にさせていただきました。また、高校卒業後白山室堂で働いていた山崎孝寿さん(特別会員)には白山全般、特に石徹白の民宿を教えていただきました。

T メンバー
 小島 和人(昭和40年卒)、中村 雅明&玖美子、川名 真理(昭和63年卒)

U 行程
* 7月31日 7月31日 新宿(22:45)発 夜行バス
8月1日 金沢(6:45)=(バス)=別当出合(8:55〜9:35) − 2pで中飯場(10:25〜32) − 別当覗上(11:40〜45) − 2pで甚之助避難小屋(12:35〜13:10) − 3pで黒ボコ岩(14:52〜15:00) − 白山室堂(15:40)
8月2日 白山室堂(4:05) − 御前峰(4:45〜5:15) −(お池巡り)− 白山室堂(7:15)
 ※小島さんは御前峰から白山室堂に戻り、朝食後別山出合に下山
 [朝食] 白山室堂(8:32) − 南竜山荘(9:45)==南竜ケ馬場野営場
 [アルプス展望台往復、南竜庭園散策] 12:15〜14:45
8月3日 南竜ケ馬場野営場(5:50) − 柳谷(6:20〜30) − アルプス展望台(6:50〜55)− 平瀬道分岐(7:40〜45) − 3pで大倉山避難小屋(9:40〜50) − 3pで白水湖(12:00) =(宿の車)= 平瀬温泉
※川名さんは野営場で中村夫妻と別れて別山チブリ尾根を市ノ瀬に下り、夜行バスで翌朝帰京 

V 行動概要
●7月31日(木) 晴れ
 黒部源流山行は富山駅まで夜行バスで出掛けていたので、今年も22:45発の夜行バスで金沢に向けて新宿を発ちました。バス会社は昨年川名さんが乗ったWILLER EXPRESSです。昨年小島さんと一緒に乗ったバスよりも乗り心地が良く、昨年より疲れを感じませんでした。
●8月1日(金) 晴れ
 夜行バスは6時20分に金沢駅西口に着きました。朝から夏の日差しが強く夏山登山日和です。別当出合行きのバスは東口から6時45分と出発間もないので急ぎ乗り場に向かいました。乗り場に着くと登山客が列をなしています。定刻に発車したバスはほぼ満員です。市ノ瀬で小憩した後、金沢から2時間10分で8:55終点の別当出合(1300m)に着きました(バス料金;2200円)。白山登山の金沢側の主根拠地であるだけに大勢の登山者で溢れています。
  朝食、荷物整理の後、9:35出発。登路は室堂への最短コースで、白山登山者の8割以上が利用する砂防新道です。いつもの様に川名さんが先頭、小島さん、家内、中村の順に歩き出しましたが、登りが極端に弱い家内がついていけるか心配です。最初からかなり急なブナの樹林帯の道を2pで10:25中飯場(1550m)に着きました。綺麗なトイレ、石のベンチがある良い休憩所ですが、残念ながら豊富に出ている水は飲料不適でした。
 次のピッチで家内の足指が攣ってしまって歩行困難になりました。川名さんから「芍薬甘草蕩」をいただき飲みましたがしばらく歩けそうにありません。川名さん、小島さんには先に行っていただくことになり、室堂までは家内と二人で登ることになりました。
 大部休んだ後、何とか歩けるようになったので足の様子を見ながらゆっくり登りました。別当覗上で休憩した場所にナデシコに似た白い花のセンジュガンピの群落があり、その花のまわりを舞うアサキマダラ蝶に慰められました。中飯場から2時間かけて12:35甚之助避難小屋(1950m)に着きました。この小屋は2010年新築の広くて綺麗な小屋でトイレ、水があり、小屋の前のベンチは昼食を摂る人で賑わっていました。川名さん、小島さんの姿はなく、先へ進んだようです。我々もここで昼食大休止し、家内も元気を回復しました。足の調子も戻りました。13:10出発。黒ボコ岩(2300m)まで350mの急な登りですが、次々に高山植物が現れ疲れを忘れます。キヌガサソウ、ハクサンフウロ、イブキトラノオ、オタカラコウ、ニッコウキスゲ、シナノキンバイ、ハクサコザクラ、クロユリ、ヤマユリ、タカネナデシコ・・・書き切れません。
 14:52黒ボコ岩着。小憩後、弥陀ヶ原の木道を歩いて、最後の登り五葉坂を登って15:40白山室堂(2450m)に着きました。小島さん、川名さんに遅れること1時間。川名さんは甚之助避難小屋で我々がストップするのでないかと心配したそうで、2人の無事到着を喜んでくれました。早速宿泊手続きを済ませました。2食付宿泊代8100円でした。白山室堂は収容人員750名で、別棟の宿泊棟が3棟あります。その1棟の一室の2階が既に割り当て済で小島さん、川名さんのザックが置いてありました。その横に我々のザックも置き今夜のねぐらが確保されました。食堂前のテラスのベンチに戻ってしばし寛ぎました。室堂平で石川県自然解説員研究会の解説員による自然観察会が16時から開催されるので家内がそれに参加しました。間もなく戻って来ましたが、それから2時間近く激しい夕立がありました。幸い夕食前に雨が上がりました。夕食は入替制で6時から。まずまずの内容でした。夕食後、家内の案内で自然観察会のコースを辿り室堂平の花を楽しみました。タカネナナカマド、ウラジロナナカマド、ハリブキ、ハクサンフウロ、ミヤマキンバイ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、イワギキョウ、クロユリ、ハクサンコザクラ・・・色とりどりの花を順番に見て歩きました。家内は似た花の見分け方など観察会で教わったことを復習を兼ねて皆に説明してくれました。
 8時間近い夜行バス、休む間もなく2時間強のバス、高度差1150mの登りで疲れた4人は20時30分の消灯時刻の前に眠りにつきました。


8月1日 11:42(撮影:中村)
別当硯の先にて
(ゼンジュガンピとアサキマダラ蝶)
8月1日 12:38(撮影:中村)
甚之助小屋(ここで昼食)
●8月2日(土) 曇り時々晴れ
 3:45起床。前日、御来光が拝めそうな日は、その1時間くらい前に、白山比盗_社祈祷殿の太鼓が鳴り響くと聞いていましたが聞こえませんでした。それでも同じ部屋の人達が出掛けた様子なので4:05に御前峰に向けて出発しました。まだ暗いので御前峰に続く道は懐中電灯の灯が点々と連なっています。皆かなりのスピードで登るので息がはずみます。途中小休止しましたがコースターム通り40分で白山の最高峰、御前峰の頂上(2702m)に着きました。もう大勢の人が御来光を待っています。日の出を待つ間、宮司の白山についてのお話を皆で拝聴するのも霊峰ならではです。5時少し前に御来光を拝みました。東の空の雲がオレンジ色に焼け、雲間から太陽が出て荘厳な気持ちを覚えました。御前峰からは360度の視界が広がり、東には北アルプス、槍・穂高連峰、乗鞍岳、御嶽山などの山並み、南より西にかけては別山がどっしりと構えている奥に岐阜、福井の山々が連なります。北には剣ヶ峰は大汝峰、さらに妙法山、三方岩岳・・・・へと連なる稜線が望めます。大展望を楽しんだ後、御前峰の石柱を背に写真を撮った後、小島さんはここで皆と別れ白山室堂に戻りました。3日朝からねぶた祭りに出掛ける為に今日中に帰宅する必要があるからです。遠路はるばるの白山登山なのに早々の下山、誠にお気の毒でした。[この後の小島さんの行動は後述]
 小島さんと別れた後、川名さん、中村夫妻3人で「お池めぐり」をしました。白山は山頂部に大きな火口跡を持った山で、そこには油ヶ池、紺屋ヶ池、翠ヶ池・・・・などの池が散在し、雪渓が残る池畔にはイワカガミ、アオノツガザクラ、イワギキョウ、チングルマ、ミヤマキンバイ、ハクサンコザクラ・・・などの群落が咲き誇り、誠に楽しい花めぐりが出来ました。室堂の近くのクロユリ、ハクサンコザクラの群落も見事でした。深田久弥の『日本百名山』の「白山」に“仰いで美しいばかりでなく、登っても美しい山である。匐松と高山植物に覆われた頂上には幾つかの旧火口があって、そこには紺青の水が湛えられ、それに配する雪渓や岩の布置が、天然の庭園のような趣である”と書かれていますが、まさにその通りでした。
 室堂に7:15に戻り、遅い朝食を摂った後、荷物を整理し8:32室堂を後にして、トンビ岩コース経由で南竜山荘に下りました。途中雨がパラつきザックカバーをしましたが雨具を着ることもなく幸いでした。1時間強で南竜山荘に着き、早速野営の受付をしました。借りたのはテントの下に敷く敷板2枚、毛布3枚です。宿泊代300円/人、夕食3人分(南竜山荘)、朝食弁当2人分、〆て9200円でした。昨年まで借りられた貸テントが今年は無く誤算でした。その為2〜3人用テントを持参しました。それでも山荘で食事が出来たので食糧を運び上げる必要がなく助かりました。
 野営場は南竜山荘から少し下り柳谷を渡って少し登った台地(2080m)です。明るく乾いた気持ち良い野営場で100張、収容人員500人と広いものです。炊事場は広々とした水道付きステンレス流台がある立派なものでしたがトイレ棟は古くて不潔でした。
 早速テントを張りましたが、持参したフライが1〜2人用で小さく使えません。今晩も雨が降る可能性大なので途方にくれましたが、倉庫の管理人に相談したところ大きなブルーシートを貸してくれました。それをフライシートに代用することにして、中村主導であれこれ工夫してペグ、ロープでテントに固定できました。大きなブルーシートなので入口前に前室まで出来ました。これで今晩雨が降っても安心です。中村の作業を見ていた川名さんが「私が将来、ホームレスになったら、中村さんみたいな人に指導を受けてテントを立てたい」と冗談を言ったので皆で大笑いしました。
 テント設営後、お湯を沸かしてコーヒー、お茶を飲みながらゆっくり昼食。まだ夕方までたっぷり時間があるので、展望歩道のアルプス展望台まで2時間かけて往復しました。アルプス展望台までオオシラビソの中の急な登りでしたが、それを抜けると尾根の斜面は一面のお花畑でした。イブキトラノオ、タカネナデシコ、ハクサンフウロ、タカネマツムシソウ、カライトソウ・・・が咲き乱れていました。特にタカネマツムシソウは今回初見参だったので家内は大喜びでした。アルプス展望台からは遠くに北アルプスの山並み、眼下に白水湖が見えます。また、帰路、家内を喜ばすことがありました。オオシラビソの樹林帯にホシガラスが4〜5羽飛来し、近くの枝に止まりました。鳥の写真を撮ろうとしてもすぐに飛び立ってしまいますが、今回はじっと止まっていたので良い写真が撮れました。
 野営場に戻る前に、野営場の近くの南竜庭園と呼ぶ湿地に寄りましたが、乾燥が進んだ為か見るべき花がありませんでした。南竜庭園から少し行った所で川名さんは明日の下山ルートを偵察しました。別山チブリ尾根へ下る御舎利山へは一度赤谷までかなり下って、急な油坂を登り返すのが見え、「川名さん、明日は大変ですね」と同情しました。
 野営場に戻るとテントが大幅に増えてほぼ満杯でした。夏休みに入って第2土曜日の為でしょう。我々の隣にもテントが張られていましたが、その住人が我々のテントがブルーシートをかぶせていたので荷物置き場と勘違いしましたと言われ、「我々は白山の避難民」ですと冗談で応じました。
 夕食は5:30から小屋泊りの人に交って山荘の食堂で済ませました。夕食後はやることがないので早々と眠りにつきました。2〜3人用のテントなので3人横になると身動きできません。それでも小柄な女性2人なので何とかしのげました。完璧な雨対策をしましたが夜中雨は降りませんでした。ただ残念だったのは夜中にトイレに行きましたが曇天の為全く星は見えなかったことです。晴れていれば“満天の星空”を楽しめたでしょう。
8月2日 5:00(撮影:中村)
御前峰から御来光
(北アルプスの稜線からの日の出)
8月2日 5;27(撮影:小島)
御前峰山頂にて
(後列左から)中村玖美子、雅明
(前列左から)川名、小島
8月2日 5:49(撮影:川名)
お池めぐり(翠ケ池) 

8月2日 5:46(撮影:川名) 翠ケ池からの北アルプス遠望
●8月3日(日) 曇り時々小雨後晴れ
 4:00起床。まだ暗いです。外に出てテントの前でニューメン、ウドン、そばのごった煮を作り、簡単な朝食を済ませました。テントを撤収し5:50出発しました。今日は川名さんと我々夫婦はここで別れ、別ルートで下山します。川名さんは御舎利山から別山チブリ尾根を市ノ瀬に下ります。テントをバックにした写真を撮った後、お互いの無事を祈って5:50に野営地を後にしました。[この後の川名さんの行動は後述]
 久し振りのテント泊は小屋泊りと違った面白さがある、再開しようかと思いながら歩き始めました。我々は昨日登った展望尾根を平瀬道分岐に登り、大倉尾根(平瀬道)を白水湖まで下ります。初日に足が攣った家内が無事下山出来るか心配でした。ところが家内は意外に元気でアルプス展望台までの急登もコースタイムの1時間で登りました。展望台下のお花畑を楽しんだことは言うまでもありません。平瀬道分岐に7:40着。後は大倉尾根の下りなのでホッとしました。分岐付近にはクロユリ、ハクサンフウロが所々固まって咲いていたのが可憐でした。
 大倉尾根を下り始めると、正面遠くに北アルプスの槍・穂高連峰が望まれます。しばらく下ると、「迂回ルート」の道標近くの尾根にタカネマツムシソウの群落を見つけました。アルプス展望台下のお花畑より見事でした。「これほどのマツムシソウを見たのは初めて」と写真を撮りまくりました。シモツケソウも綺麗に咲いていました。
 さらに尾根を下って行くとずっと探しながら歩いていたグンナイフウロを見つけ歓声を上げました。マルバダケブキ、シナノキンバイの黄色も目を楽しませます。かなり急な下り道も花を見ながらなので苦になりません。家内も調子良く下りました。この尾根は岐阜県側からの一般コースで、日曜日でもあるので続々と登山者が登ってきます。9:40大倉山避難小屋着。コースタイムよりゆっくりですが時間はたっぷりあるので気になりません。立派なログハウスですが、水場、トイレが無いので泊まるのは不便でしょう。ここからは白水湖を見ながらブナ樹林帯の中を3pひたすら下り、12:00に白水湖に下山。3日間の白山登山を終了しました。
 駐車場には沢山の車が停まっていました。途中で会った登山者は皆ここに車を置いて白山を往復するのでしょう。今晩の宿は大白川を車で約30分下った平瀬温泉「くろゆり荘」です。昨年まで夏期定期運行していたマイクロバスが今年から廃止されたので、宿に迎えをお願いしてありましたが、16時の約束でした。時間が十分すぎる程あるので、湖畔にある露天風呂にゆっくり浸かりました。近くの白水湖水ロッジで料金を払って温泉小屋に入ると脱衣場があるだけの素朴な温泉ですが、湖を見ながら山の疲れをほぐすのは格別です。温泉の後はやることもないので白水湖水ロッジ近くの道端の東屋風のテントを借りて(無料)時間つぶしをしました。3時頃、宿のご主人の車が到着し予定より早く宿に入ることが出来ました。親切なご主人が途中で日本8三名瀑の一つ「白水滝」の展望台に立ち寄ってくれるおまけもつきました。
 今回、長年遠くから眺める山であった富士山、立山と共に日本三名山のひとつ白山に登ることが出来ました。白山の核心部を歩き、白山の良さを実感しました。天気に恵まれ、お目当ての高山植物も堪能しました。今年逃した石徹白道(南縦走路)、北には加賀禅定道、岩間道、中宮道など避難小屋1泊を覚悟すれば温泉に下山できるルートが沢山あります。川名さんとは山中で「来年は岩間温泉元湯、岩間の噴泉塔群を目指して岩間道を下りましょうか」と話が弾みました。白山シリーズとして何回か通っても良いでしょう。
8月3日 5:47(撮影:中村)
南竜ケ馬場野営場にて(いざ出発)
(左から)中村玖美子、川名
8月3日 7:52(撮影:中村))
大倉尾根下りにて(北アルプス遠望)

●RE;白山お世話様でした。 小島 和人
    (2014年8月7日中村、川名さんへの返信から抜粋)
 中村さん、川名さん
(前略)
 2日の日は5時20分に皆さんと別れ20分で室堂に帰りましたが、朝食の長い列で、先に帰る支度をして食堂へ。朝食を済ませて6時半に下りはじめ、途中のお花を写真に撮りながら中村さん川名さんの言っていた花の名前を一生懸命思い出しながら下りました。この日はバス停に降りてから聞いたのですが800人の入山者があったそうで砂防新道も入山者の列が続き、400回ぐらいは「おはようございます」と言ったと思います。それでも甚之助小屋に7時半、中半場に8時半、別当出合に9時半に着き11時半のバスまで余裕が出来ました。川名さんのご推薦を想いだしシャトルで市ノ瀬に出て、バス停前の永井旅館に上がりゆっくり温泉を楽しみ、ビールでくつろぎました。
 11時45分の予定のバスで金沢に出て越後湯沢経由で帰りました。
 弾丸登山となりましたが天候と仲間に恵まれ楽しい山行でした。
 来年も機会があればまた来てもいいかと白山のお花畑を思い出していました。
 中村さん川名さん有難うございました。

●RE;白山お世話様でした。 川名 真理
    (2014年8月6日小島さん、中村への返信から抜粋)
 中村さま
 小島さま
  白山では大変、お世話になりました。暑い中登り切ることができて、よかったです。
  余裕のある行程だったため、お花畑を存分に楽しみました。
 中村さま
 [編集注:中村の川名さん宛てメールより抜粋])
 川名さん
  お互い久し振りのテント泊、荷物は重くなりましたが、面白かったですね。フライでなく内張りと思われるものを持って行ってしまいフライ替わりのブルーシートを張ったテント、異彩を放ちました。前室まで出来たおまけもついたのは愉快でした。私に思いがけずホームレス生活の才能があることが判ったのは収穫です。
   (略)
 御舎利山への登り如何でしたか。展望尾根を登りながら川名さんを探しましたが見つかりませんでした。前日一緒に見た以上に大変だったのかも知れませんね。こちらは家内の調子が良く大倉尾根(平瀬道)を順調に下りました。お目当ての グンナイフウロを尾根の下り道で家内が見つけました。家内は自信を持ってそうだと言っています。
  (前略)
 テント泊、おかげさまで快適でした。ありがとうございます!
 手前のピークまで、ほぼ1ピッチで上ったため、おそらく見えなかったのだと思います。その後、中村さんたちがいる方向が見えるときは何度も振り返りながら目をこらしましたが、人影を認めることはできませんでした。
 稜線の左側はアルプス展望台と同じぐらいすばらしいお花畑で、2ピッチ目は写真を撮りながら、かなりゆっくり歩きました。途中で横向きに何度もガスが通り過ぎましたが、雨具をつけなくてもしのげる程度でした。
 市ノ瀬の永井旅館に着いたのが13時過ぎ。13時45分のバスだとゆっくりお風呂に入れないのでやりすごして15時45分のバスで金沢に向かいました。
 ほとんどマイカーの人ばかりで、その人達は白峰にある温泉へ行くらしく、永井旅館の風呂は気の毒なくらいガラガラでした。でも、利用する側としては、ほぼ独占状態でよかったです。
 市ノ瀬には食事処はなく、永井旅館の休憩室はとても小さかったのですが、カップめんを買って福井からきたという女性とおしゃべりするうちにあっという間に時間がたちました。
 白峰には国指定重文の仏様(もとは山頂に鎮座していたもの)が拝観できるそうで蕎麦も有名らしく、機会があったら白峰もまわってみたいなと思いました。(後略) 

会   報
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■2014年7月6日 マチガ沢・一ノ倉沢雪上訓練  鈴木 陽介 (一橋大学山岳部:社会学部1年)
      **** 2014年7月9日投稿 ****>>>pdf版(こちらをクリックしてください)

会   報
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■2012014年6月28〜29日 キタダケソウ観察会 
     ―― 芦安ファンクラブ主催登山教室に参加して ――  竹中 彰(昭和39年卒)

      ****** 2014年7月15日投稿

 予て、針葉樹会90周年記念事業の夜叉神峠‐高谷山周回路整備事業で協力関係にある芦安ファンクラブ(以下FCと略)が年に数回主催する登山教室のうち、掲題キタダケソウ観察会に本間さん、学生の鈴木さん(1年)と参加し、初日の入山日こそ梅雨期らしく雨具を着けての登りだったが、2日目は朝までの雨も止み、青空の広がる中を大樺沢雪渓から八本歯のコル経由で、北岳頂上と山荘への道の分岐に荷物をデポし、開花ピークのキタダケソウをジックリ観察した。
 この山行時には、往路の甲府への車中で、第二期登山教室・大菩薩嶺に向う(甲斐大和駅)の宮崎講師以下のスタッフに、広河原の開山祭会場で山梨支部古屋事務局長(山梨県岳連会長)に、帰路の大月駅乗換え時にキタダケソウ観察帰りの西村さん一行にも会うなど関係者に良く遭遇する山行であった。

●6月28日(土) 曇りのち雨
 広河原での11:30の受付に間に合せるべく、梅雨空の下、成瀬発6:03の横浜線で、八王子始発6:35の松本行き鈍行に乗る。天気予報も余り良くない所為か空いた車内で、偶然第2期登山教室大菩薩嶺に向うスタッフの北原さんに会う。聞くと甲斐大和まで乗車するとのことで、他の車両の講師、リーダーの宮崎さん、石井さん、小野さん等にも挨拶する。
 甲府駅に8:10に到着し、25日から運行開始した広河原行き直行バスが出る駅前バスターミナル6番乗場に向う。既に数人の客が並んでいたが、シーズン入りにしては稍々寂しい。出発の9時まで並んでいるが、同行する筈の学生の鈴木君が現れない。当方は部室ですれ違った程度で余り顔の記憶もなく、確認の為に芦安の本間さんの携帯を呼ぶが応答なく、同行している筈の小島さんに掛けて漸く繋がる。芦安は人も多く、広河原に向う乗合タクシーが捉まらないとのことだった。(小島さんは体調不良で開山式参加のみで下山して行った。)定刻近くになって混雑し始め、増発便共バス2台で出発することになった。
 乗車後腰も曲がり気味のシニア女車掌が切符を販売したが、消費税アップによる値上げ釈明と夜叉神から奥に入る客からマイカー規制実施協力金100円/人の呼びかけを低姿勢で行っていた。合計2050円を払う。途中市営芦安駐車場にストップしながら進むが、夜叉神峠入口で1/3近くの客が降車し、恐らく鳳凰三山方面に向って行った。この後夜叉神トンネルに入る直前左側に以前はなかった「檜尾峠」への案内標識が立っているのを確認した。
 林道補修工事のダンプとのすれ違いも多く10分程度の遅れで広河原に着く。
 着いた時には開山祭セレモニー*が終わった直後であった。
 *本年は南アルプス国立公園指定50周年、6月のUNESCOエコパーク指定で大いに盛り上がっていた。
車窓から先発の小島、本間さんの姿を確認する。降車後増発便に乗っていた学生の鈴木君とも合流し、FCの受付テントに向う。ここで何時も高谷山周辺道補修作業で世話になっている清水准一さん等に挨拶し、参加費12千円を払い込む。開山祭に用意された記念バッジ、パンフレット等が配られ、早速振る舞いソバの行列に並ぶ。行列の前方に、セレモニーを終って帰る古屋山梨支部事務局長を見つけて声を掛け、先日の三支部懇親会のお礼を言う。かき揚げテンプラの載ったソバを確保し、小雨が降出したので、インフォメーションセンターに入って食す。ソバの量も多く満足する。横で餅つきも行っていた。また、桶に沢山の桃が浮かんで冷されていたので、山に担ぎ上げて食べようと1個頂戴する。
 集合時間12:00も近づいたので、吊橋を渡って広河原山荘前に移動する。
山荘前の広場でリーダー紹介、3班への班分け、注意事項説明があり、軽くストレッチの後、12:11に1班からスタートする。針葉樹会グループ(本間・竹中・鈴木3人)は、横浜からの常連客藤田さん(♀)と共に清水リーダーの2班に組み入れられた。雨模様なので、大樺沢ルートを避け、尾根筋ルートから御池小屋を目指す。大樺沢との分岐を過ぎ、暫く登ったところで衣類調整の小休止(12:35-45)。次第に傾斜を増す樹林帯の中の登山道、幸い雨はそれ程激しくはならなかったが雨具を着けての木の根、大きな段差を越えての登り、特に標高1900mから2150mにかけてのキツイ登りは前回(2010/10)の本間さんとの白根三山縦走時にもアゴを出したところ。しかし、道々地元精通のガイド清水さんから植生や旧跡(嘗て甲斐ケ根神社*中宮の石積み?) や花の解説を聞き、観察しながら進む。
 *江戸時代の中期以降、北岳山麓の白根御池は、里の人々の信仰対象となり、五穀豊穣や無病息災、雨乞いの神として信仰されていた。当時の芦安村村長名取直衛(1817年〜1877年)が、北岳に神社を造るため現在の登山道(原形)を開き、山頂まで参拝できない人の為に、明治4年(1871年)、夜叉神峠付近に前宮甲斐ケ根神社を、北岳北峯に甲斐ケ根神社、白根御池下部に中宮を建立し、北岳の開山を果たしたとのこと。【“新甲州人”ブログより】
 第一ベンチ(12:20‐27)を過ぎて“金の目の坂”(嘗てボッカ時の駄賃の多寡の別れ目)を過ぎ、第二ベンチ(13:55−14:05)でピッチを切る。この間にクリンソウ(清水さんによると外来種)、ギンリョウソウ、ツバメオモト、ムヨウラン、イチヨウラン等を確認する。
 その後御池小屋へのトラバース道に入り小屋の水源の沢を渡り、2ピッチで小屋に到着する(15:18)。小屋の前では従業員が温かな甘酒を準備して振舞っていたがこれも開山祭イベントの余禄か。雨具を脱いで乾燥室に乾し、割当の2階の部屋に入って荷物を整理する。部屋はFCグループの8人で使用する。16時過ぎから1階の大部屋で懇親会が始まる。小屋からの差し入れのビール等に加えて参加者持参のアルコール飲料、ツマミ類がテーブルに並ぶ。秩父市から参加した男性は秩父の地酒「武甲」の1升瓶を担いで来た。ジョッキに生ビールのFCの女性もいた。その場で初参加者は、針葉樹会メンバーのみであることが明らかとなり、特に鈴木君が未成年でアルコール不可であることに驚きの声も出た。
 色々の話題で盛り上がる内に食事時間となり、食堂に場所を移す。
 豚肉のピリ辛炒め、山菜等の煮物、漬物を副食に夕食を終え、再度広間に集まり、7:30過ぎまで懇談する。この間も雨は降り止まず、明日の天気が気になる。
 就寝時はTシャツのままでも寒くなく、寧ろ暑い位であった。
 夜中に一度トイレに行ったが雨は相変わらずの様であった。 (総歩数19.8千歩)

●6月29日(日) 雨のち晴れ
 4時過ぎに起床したが、屋根を叩く音は相変わらずで、暗い気持ちになる。
それでも準備を整え、5時前に食堂に向かい朝食を済ませて、昼弁当を受け取り、テルモスにお湯を満たす。次第に明るく晴れに向いつつある天候であったが、一応雨具の上着だけ着けて準備を整える。大樺沢の落石対策に持参したヘルメットも被る。先日の丹沢ユーシンロッジ集会時に先輩から落石のみならず、何でもない所での転倒時にも有効と聞いていたのでイザに備える。
 予定通り6:00に小屋の従業員に見送られて班毎に出発する。小屋のスグ先の池は以前テントを張った辺りまで完全に埋まっており、その上を二俣、草すべりルートが通り、池を越えた辺りでルートが分れる。二股へのトラバースルート入口近くで単独行の女性が逡巡していたが、清水さんに小太郎尾根方面を指示されて去って行った。
 大きな石と木の根混じりの歩き難いトラバース道を清水さんからメボソムシクイなどの囀りの説明を聞きながら25分辿り、二俣のトイレ予定地に到着した。トイレは未だ準備中で、昨日すれ違った工事関係者が作業した結果、基礎の床は張られていたが建屋上部はこれからの段階であった。ここで着替え等の不要品をデポすることとし、床下に押し込む。アイゼン装着など支度して愈々大樺沢の雪上に降り立つ(6:25‐55)。この頃には完全に晴れ上がり、対面の鳳凰三山がクッキリ見え、足元に続く上部雪渓も強い光に白く輝いている。初めて本格アイゼン・ピッケルを使う鈴木君も清水さんから若干の注意を受けてブッツケ本番で歩き始める。歩きながらバットレスを見上げるが丁度逆光に暗く沈んで、2ヵ月後に相見える4尾根のルートもハッキリしない。大量の雪に埋まる左俣は出だしの傾斜が緩いが、次第に斜度を増す。3ピッチで上部のルンゼ分岐に着いて一息入れ(8:10‐15)、左を進んでハシゴが始まる所で尾根に取り付き、そのまま最初のハシゴをアイゼンで乗り越え、尾根上の平地でアイゼンを外す。
 (2570m、8:45−9:00)。二俣トイレからの標高差350mに2時間弱を要したことになり、稍々スローペースか。ここからは右にバットレスを見ながらハシゴ、桟道の続く厳しい道となる。所々補修を要する箇所(清水さんは近く補修に来るとのこと)も踏み越えながら尾根道を辿る。道々写真を撮るがバットレス側にはガスが去来してイマイチ。尾根に上がって2ピッチ45分で八本歯のコルに達し、間ノ岳、農鳥の山並が視界に入ってくると共に富士山が雲間から瞬間姿を見せる。コルの少し上で小休止(2880m、9:45‐50)。ここまで鈴木君も写真を撮りながら危なげなく歩いている。この先も所々ハシゴを乗り越えながら狭い尾根筋を進む。清水さん曰く、「このハシゴは自分の自信作で、冬でもアイゼン外して歩いて貰いくらい」とのこと。確かにガッチリした丸太を組み合わせたもので、腐食防止塗装も未だ本体をシッカリとカバーしていた。キバナシャクナゲなどに慰められて40分程度進み、大きな岩の重なった所を登り詰め、漸く北岳頂上と北岳山荘へのトラバース道の分岐に達する(3050m、10:35−11:30)。ここにザックをデポし自然保護指導員の腕章を巻いた清水さんに先導されてロープで仕切られたトラバース道を進み、今回の目的のキタダケソウとご対面。
 ガレ場を少し行くと白い花が道の両脇に咲いているが、それはハクサンイチゲとのこと。やがてお待ち兼ねのキタダケソウの群落が現れる。成る程これがそれか、と写真を撮り始めるが、幅広の葉の上に切れ込みの入った6‐8枚の白い花弁の中に周囲が薄黄色のオシベ、中心に緑色のメシベの姿を的確に捉えるには普通のズームレンズでは限界があり、花を際立たせる構図にはなり難い。
 それでも山の斜面上部にかけて群落が点在する様は、限られた時期に、ここまで歩いて登った限られた人間にのみ許される光景であり、満開状態の花にこの青天の下で出会えた幸運に感謝した。目を左に転ずると、中白根から間ノ岳、農鳥岳に続く3000mの稜線が腹に大きな雪渓を抱えて聳え立っている。キタダケソウの間にはハクサンイチゲ、オヤマノエンドウ等の花々が咲き競っていたが、チョウノスケソウなどは未だ蕾状態であった。
 デポ地点に戻って昼食とする。昨夜秩父の「武甲」を担ぎ上げた参加者がコンロでお湯を沸かし、食後のコーヒー、紅茶などを振舞っていたのでお相伴に与かる。
 小一時間過ごした後、下りのバス時間も気になるので、2・3班を早足組とユックリ組に再編、針葉樹会メンバーは早足組に組みこまれて11時半に下山を開始する。暫らく下り、往路で清水さんが自慢したハシゴを越えた辺り、細い棒が数本立てられ、岩陰に進む下山ルートを指示している所で、「はて、登りにこんな棒はあったかな?」と一瞬考えた際に、左足の爪先が一寸した岩の突起に引っ掛かり、右肩から転倒した。登山道の幅が少し広くなった場所であったので咄嗟に受身姿勢をとり、大事には至らなかったが、右側1.5m先は崖状になっているので傍目にはアワヤと肝を冷したかも知れず、やはり注意力を集中せねばと反省した次第。また、頭を保護するヘルメットが役立っていたかも知れない。コルで一息入れて(11:52‐55)、その後は気を引き締めてルートを辿り、コルから続くハシゴでは斜面に向き合って下降することとした。
 20分弱下ったところで、往路でアイゼンを外した地点に達し、アイゼンを装着して大樺沢左俣に入る(12:15−30)。そこからは緩んできた雪渓上をかかと着地でドンドン下る。上部の傾斜が急な所で鈴木君がスリップしたが、加速する前にピックを打ち込んで問題なくストップする。2ピッチで二俣のデポ地点に着き、(13:25−40)荷物を回収してそのまま雪渓上を下り、100m程下がった所でアイゼンを外して夏道に入る(2150m、13:45−55)。時々左のボーコン沢ノ頭側から流れ込む小沢で喉を潤しながら、ひたすら下る。かなり降りて来た所で、大岩の段差を左足から着地した瞬間、膝に急激な痛みが走った。
 その後はストックを頼りにダマシダマシ歩き続け、何度か立派な橋で沢を横断しながら、漸く先も見えた尾根・沢コースの分岐で一息入れる(1650m、15:08‐15)。この少し前から小雨がパラついたが直ぐに止む。その後15分程で広河原山荘前に到着し、先行していた1班のメンバーに迎えられた(15:30)。後続のユックリ組は到着しなかったが、甲府行き直行バス(最終16:30)を捉まえるべくインフォメーションセンターに向い、取り敢えずセンター2階に上がって缶ビールで無事の到着を祝った。定時に出発したバスは、芦安までは座席定員を上回る客を詰め込み、夜叉神峠でも高校山岳部員と思しきメンバーが乗り込んだが、芦安駐車場で多くの客は降車していった。甲府駅前には18:20に到着し、3人は駅前のソバ屋「奥藤本店」で暫し反省会を行った。その後甲府駅からは大月止まりの鈍行を選択し、新宿行きに乗り換える際にホームで偶然西村さん一行に遭遇した。西村さん達もキタダケソウを肩の小屋に上って観察したとのこと。
 西村さんは26−27日に三ツ峠でアツモリソウ保護、観察会に参加した筈なので花のハシゴを行っていたことになり、年齢(本年喜寿の筈)を感じさせないそのタフさは驚異であり、多摩支部の最強力女性に脱帽である。   (総歩数 25.6千歩)
(2014年7月9日記)





 
(2014.06.28. 広河原ビジターセンター前・開山祭での振舞いソバへの行列)

   
(尾根ルート上の花々(左上から時計回り)ムヨウラン、ツバメオモト、ギンリョウソウ、ゴゼンタチバナ)


(御池小屋での懇親会)

(6月29日 八本歯のコル目指して)

 (小屋前出発時は雨)
*
(清水さんのリードで大樺沢を詰める鈴木君)
(バットレスの雄姿 … 往路)
(清水さん自慢のハシゴ)
** *
(キタダケソウ) (オヤマノエンドウも)
(陽光を一杯に受けて) (頂上に向けての斜面に展開)

(帰路のバットレス)

 
                  



会   報
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■2014年6月29日 山行記録(大岳山) 太田貴之 (一橋大学山岳部:商学部3年)
     ****** 2014年7月3日投稿 ******
●メンバー
 部員;西山祥紀(経3)、太田貴之(商3)、上 茂衡(法2)、大矢和樹(法1)
 OB:中村雅明(昭43)、藤原朋信(昭44)、宮武幸久(昭45)
 特待生:前嵩西涼子
●日程
 2014年6月29日(日)
●天候
 曇一時雨
●アクセス
 行き 電車(奥多摩駅) 帰り 電車(武蔵五日駅)
●コースタイム
 9:30奥多摩駅―11:42鋸山―13:07大岳山―14:52つづら岩―16:15馬頭刈山―17:35軍道バス停―18:15五日市食堂
●コース状況とその他の情報
 6月29日はFN短大前期終了山行として日光・女峰山が予定されていましたが、前日の雷雨予報から秋に延期され急遽午後3時まで晴れ予報の大岳山に変更されました。
 雨が降った後なので、登山道には水たまりが見受けられましたが、特に、危険なところはありませんでした。天気は奥多摩駅から出発したときは晴れで強い日差しが刺していました。しかしながら、登っているうちに、次第に天気は曇りに変わっていき、大岳山頂上からの景色が雲に遮られてしまいとても残念でした。その後、雷が北側でゴロゴロ鳴り始めました。それでも、雨はなかなか降りませんでしたが、16時には雨が強く降り始め、一旦、休止して、雨具を身に付けました。そして、降ったり止んだりの雨の中で、軍道バス停に到着しました。けれども、バスの時間が18時30分でしたので、歩いて、五日市食堂に向かうことにしました。
●感想
 今まで、ランニングシューズを使っていましたが、今回、登山靴で登ってみたところ、とても快適でした。石ころをけってしまっても何ともなかったり、足への負担が非常に緩和されたりしました。それに加えて、靴の中の蒸れも全くなく、日常でも履きたいとさえ思うことができました。また、山頂から景色を見ることが出来なかったので、天気が良い日に再度登りたいです。


▼画像をクリックすると大きく表示されます。

写真1 6月29日 13:09
大岳山頂上にて山岳部員
(左から)大矢、上、西山、太田
**

写真2 6月29日 13:42
大岳山頂上にて全員
(後列左から)前嵩西、宮武、上、大矢
(弁列左から)藤原、西山、中村、太田

会   報
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■2014年6月28〜29日 キタダケソウ観察会・大樺沢雪渓訓練
 鈴木 陽介 (一橋大学山岳部:社会学部1年)

      ****** 2014年7月9日投稿 ******>>>>pdf版(こちらをクリックしてください)

会   報
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■2014年6月21日 山行記録(軍刀利沢) 高橋 直道 (一橋大学山岳部:法学部3年)
     ****** 2014年7月18日投稿 ******

○メンバー
 部員;長島弘賢(商4) 太田貴之(商3) 高橋直道(法3) 上 茂衡(法2)
 OB:藤原朋信(昭44) 
○日程
 2014年6月21日(土)
○天候
 晴れ時々曇
○コースタイム
 9:12藤野駅・・・9:26鎌沢―10:00鎌沢休憩所―11:00三国山―12:30入渓地点―15:20三国峠付近山道―16:30石楯尾神社・・・7:00上野原駅
○コース状況とその他の情報
 天候次第では予定を変更して山歩きということも予想されたが、特に雨にも降られず計画通りに沢登りを行うことができた。
鎌沢休憩場までの道は時折あじさいが綺麗に咲いていたが、蒸し暑い中、坂が続くのですぐ汗だくになる。それでも山に入れば涼しい風を感じられた。三国山での休憩のあとの道のりは、長島さんのルートファインディングに従って進んでいく。途中からはまさに道なき道といった様子で、藪だらけの斜面を横切ったりして入渓地点に到着した。
 藤原さんに用意して頂いた草鞋を装着し沢登り開始。
 最初はアスレチック気分でいたが初心者にとっては険しい滝もあり、藤原さんに手を貸して頂いたり巻き道を行く箇所が度々あった。近年のゲリラ豪雨のため倒木が多く、進みにくい場面もあった。また、草鞋が途中で外れたり破損したりすることもあったため、足元に関しては渓流シューズなど他の道具を検討する余地がありそうである。
 とはいえ全体を通して、滝の流れを肌で感じながらの沢登りは童心に返るようで楽しいものになった。どんどん直登して沢登りを満喫できるようにクライミングのレベルを上げていきたい。

軍刀利沢 小滝CS
左端:藤原 中央で登っている:高橋
下で見ている(左から長島、太田)

●「軍刀利沢」反省点  藤原 朋信(昭和44年卒)
      ****** 2014年7月19日投稿 ****** 

1.軍刀利沢に入るのは五日市駅から入るのが普通であるが、今回は山越えで、それもルートファインディングを要するルートであった。学生4人全員沢登りが初めてを考えたら欲張り過ぎの計画であった。来年はヤマヒルはいるが倒木もなくすっきりしている丹沢の水無川流域から始めるのが良いと思う。
2. 初級の岩場ということでザイル持参しなかったが、巻道に慣れていない学生さんにはザイルが必要であった。大いに反省するところです。


会   報
***

■2014年6月7日 針葉樹会春季懇親山行・八柱山報告 金子 晴彦(昭和46年卒)

*********** 2014年6月22日投稿(PDF版)


※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全30頁


【メンバー】( )内は卒業年(昭和)
 佐薙恭(31卒)、仲田修(36)本間浩(40)、
 中村雅明(43)、金子晴彦(46)
 松尾信孝(48 偵察、宴会、天気予報、アッシー)
 【行程】
 長野新幹線佐久平駅  着   9:19
 タクシーで八千穂自然園着 10:20
                 発 10:35
 八柱山東稜への登り口 着 11:40
 八柱山東稜        着 12:00  
 八柱山頂上        着 13:00  
                 発 13:20
 雨池東端          着 13:40
 北端             着 14:05
 西端             着 14:15 
 雨池峠登り口       着 14:45  
 雨池峠           着 15:50 
 縞枯山荘          着 15:55 
 ロープウェイ頂上駅    着 16:05
 夕刻よりアダージョにて懇親会


会   報
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■2009年5月27〜30日 青森県の山を登る(三四郎会山行) 岡田 健志(昭和42年卒)
      ****** 『針葉樹会報』第130号より転載(一部改訂)

日程 :2014年5月27日〜29日(延長戦30日まで)
参加者:蛭川、本間、村上、小島、三森、小野、坂井、原、佐藤(久)、池知、吉沢、中村(雅)、岡田

(はじめに)
 去年(2013年)の三四郎会席上で2014年の幹事に指名された。割り勘負けしないようにと、飲めない酒を飲んだら、当然、酔った。その勢いで、かつて3年間赴任したことのある青森の良さ(人、自然、温泉!)をPRし、三四郎会をここでやりましょう、と提案したところ、出席者の大半の支持を得た。
 また、牧田 肇弘前大名誉教授が蛭川さんの戸山高校時代の山岳部仲間で、現在弘前の「白神マタギ舎」に所属し、世界遺産「白神山地」のガイドをしておられるということもあり、白神岳に案内していただくこととなった。先生は又、白神山地の世界遺産指定に際し、中心的な役割を演じられたという。

●5月27日(火)
 北は札幌から南は広島から参加される方々が弘前駅に集合する、ということで、遅刻なしにちゃんと集合できるか?という心配は全くの杞憂に終わった。今日の宿泊地、西目屋村の「もりのいずみ」に着くころには、天気も暑いくらいの快晴となった。温泉に入り、アルコールも入り、早めにフトンに入り、明日の岩木山登山への英気を養った。

●5月28日(水)快晴(岩木山登山)
 期待通り快晴の朝を迎えた。「もりのいずみ」のバスをチャーターして出発。まず、人気(ひとけ)のほとんどない岩木山神社へお参りをすませ、8合目まで一気に登る。もちろん、スカイラインには雪は残っていないが、道のわきには所々残雪がある。
 8合目にバスを待たせてリフトで9合目まで。「頂上まではチョット…」という方々を9合目においてあとの人達は頂上を目指す。津軽に聳える独立峰・岩木山は、さすがに風が強い。また北緯40度という緯度のせいで、森林限界も1,000mちょっとと低い。つまり、強い風を避けようがない。歩き始めて30分で、頂上到着。天気が良い割に霞がかかって眺望がきかない。条件が良ければ、北海道も見えると聞いてきたのだが。
 頂上には、岩木神社の奥宮と立派なトイレがあった。
 岩がごつごつした下山路を注意深く下り、9合目で待っていた組と合流する。
岳温泉の「山のホテル」で昼食をとり、ここで十和田湖へ行くという村上さんと別れる。残りは弘前駅に戻り、牧田先生と落ち合う。千畳敷海岸、北金ヶ沢のイチョウの老大木を見て、この日は深浦町のペンション「美洋館」へ。
 牧田先生による白神岳講座を受けたあと夕飯。「美洋館」が特別に生産許可を得ているというドブロクを頼んだが、明日の工程を考えてか、みなさん控えめな酒量だった。
<コースタイム>
8合目出発(8:50)−9合目出発(9:10)−岩木山頂上(9:40〜10:10)−9合目リフト駅(10:30)

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5月28日 7:33(撮影:小島)
岩木山神社前にて(鳥居の奥は岩木山)
(後列左から)原、三森、小野、
中村、本間、佐藤
(前列左から)吉沢、池知、岡田、
坂井、小島、村上、蛭川
5月28日 9:49(撮影:岡田)
岩木山頂上にて
(左から)佐藤、小島、中村、
小野、原、三森
5月28日 10:35
9合目リフト駅上にて
(後列左から)原、吉沢、中村、三森、
本間、小島、小野
(前列左から)
池知、岡田、蛭川、佐藤、村上 


●5月29日(木)快晴(白神岳登山)
 2台の車に便乗して美洋館を出発。空が青いせいなのか、陰鬱な日本海がきれいなブルーに染まっている。今日も快晴。
駐車場にはすでに3台のくるまが停まっており、我々が一番遅い駐車場到着となる。歩き出してすぐに牧田先生の植物についての説明が始まる。(ご専門は植物地理学)
 登山コースは、昭文社マップのコースタイムで7時間半(休憩時間別)の蟶山(まてやま)コースで標高差約1,000mある。ブナを中心として茂る樹林帯をジグザグに登る。ブヨがうるさく付きまとう。事前に聞いていたので、防虫スプレイを互いにかけあった。蟶山をすぎ、地図上で977mのピークをすぎたあたりで、前方に白神岳へ続く稜線が木の間越しに見えてくる。残雪を何回か踏んでルートは急坂になる。オオミネザクラが花をつけている。笹が一面に生い茂った明るい稜線を南へ少しいくと立派な避難小屋とそれよりもまだ立派なトイレがある、その先が白神岳の頂上だった。頂上からは北東方向に白神山地最高峰の向白神岳(1,250m)が見え、その向こうに見えるはずの岩木山は霞のかなたで見えなかった。ただ白神岳が西端に位置する、世界遺産核心部の深い深い森と谷がうねるようにどこまでも続いている。私達はその景色に見惚れていた。
 頂上で遅い昼食をとり、来たルートを下る。
 退院間もない蛭川さんは、当初から白神岳登山をあきらめ、深浦町の円覚寺を見学してこられたが、駐車場まで取って返し我々を出迎えてくださった。この日は「美洋館」で連泊する。
<コースタイム>
白神岳登山口(8:05)−二股分岐(8:48)−最後の水場(9:30)−蟶山(10:38)−大峰分岐(12:45)−白神岳頂上(13:07〜13:40)−蟶山分岐(15:26)−最後の水場(16:00)−駐車場(17:05)

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5月29日 7:54(撮影:岡田)
白神岳登山口にて
(後列左から)吉沢、本間、三森、
小島、小野、牧田、原、蛭川
 (前列左から)坂井、中村、佐藤  
5月29日 10:04(撮影:中村)
ブナ樹林帯の登り
(後ろから)原、本間、坂井、小野
5月29日 12:59(撮影:岡田)
登山道脇のシラネアオイ
5月29日 13:08(撮影:岡田)
頂上近くのトイレ(左)と
避難小屋(右)
5月29日 13:34(撮影:岡田)
白神岳頂上にて
(左から)佐藤、本間、中村、
小野、牧田、吉沢、小島、三森
5月29日 13:37(撮影:中村)
白神岳からの下り
 (後ろから)本間、小島、小野


●5月30日(金)快晴
 参加者それぞれの事情で、この日の行動はバラバラになった。残った人で十二湖を案内していただいた。1700年初頭の山崩れでできたという十二湖(本当は33ある)は神秘的な光をたたえた青池や、幻の魚「いとう」を養殖している鶏頭場ノ池などいろいろな顔を持った池の数々であった。一回りする間、牧田先生から植生や池の成り立ちなど多岐にわたることを説明いただいた。
 昼食後、弘前まで戻り、3泊におよぶ長い三四郎会を無事に終えた。

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5月30日 8:43(撮影:岡田)
十二湖巡り途中での
牧田先生自然教室
(後列左から)本間、小野、中村、佐藤
(前列左から)吉沢、坂井、牧田
5月30日 9:14(撮影:中村)
神秘の青池

5月30日 9:59(撮影:岡田)
遊歩道脇のオドりコソウ


会   報
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■2014年5月25日(日) 石老山・石砂山  上 茂衡(一橋大学山岳部:法学部2年)
          ****** 2014年6月14日投稿
部員:上 茂衡(法学部2年)
OB:三井博(昭37)、本間浩(昭40)、中村雅明(昭43)、藤原朋信(昭44)

●山行時間記録(中村、藤原、上)
JR相模湖駅出発(8:55)-嵐山(9:35)-石老山到着&昼休憩(11:40)-石老山出発(12:00)-石砂山(13:30)-15:02(峯山)-下山完了、やまなみ温泉到着(15:30)

●2014年5月25日(日) 晴れ
 今回は晴天であった。しかし、気温、湿度ともに非常に高かった。藤原さんがおっしゃっていた春が終わると近郊の山に登るのは厳しくなってくるという意味を痛感した。今回の行程は前週の生藤山よりはまだ楽だったので脚のほうにはさほど疲労感はなかった。だが、常に体中から汗が吹き出し、湿度も高く体力を奪われた。また虫も増えてきて歩きづらいと感じた。午前中の石老山までの道のりで暑さで頭がクラクラしてしまった。だが途中見えた相模湖ではどこかのボート部の方々が直射日光を浴びながら漕いでおり、日陰が多い山の中のほうが楽だと思い直した。山頂はとても広く、家族連れなど楽しそうに昼食を食べている人が大勢いた。私は毎回おにぎり、パンくらいしかもって行かない。だがOBの方はいろいろなものを持ってきていて参考になった。(この日中村さんに浅漬け、藤原さんにマグロを加工したものを分けてもらった。)石老山から出発をした際、道を誤ったがとてもいい道で歩いていて楽しかった。ただ、OBの方がすぐに気づいて正しい道に戻れて本当に良かった。また石砂山付近にはギフチョウという大変珍しい蝶々がいるという看板があった。神奈川県指定の天然記念物である。今回は蝶々に興味のある者は皆無であったが、興味がある部員がいれば行くことをお勧めする。最後、峯山を気合で登り切って下山となった。6時間ほどの山行の割にはとても大変だった。

 下山後やまなみ温泉では本間さん、三井さんと合流後反省会となった。。実は本隊はやまなみ温泉に行かず、藤野駅まで歩くという案もあった。だが、高い気温・湿度と本間さんの熱心なお誘いでやまなみ温泉行が決定した。朝集合時は自分としてはどちらのコースでもよいと思っていたが、水分の残量も少なくなってきた山行途中にその知らせを聞いて、正直命拾いしたと感じた。
汗まみれになった分温泉は気持ちよく、ご飯もおいしかった。

●山行を振り返って
 自分は段々と歩くことに慣れてきて、入部当初より強くなった実感はある。だが、今までは歩きやすい春山のみで荷物も軽いものしか持っていない。今回慣れない天候だと思った以上に疲労することを実感した。山岳部員としてもっと強くなっていくためにやるべきことは多いが、頑張っていこうと思った。今回もOBの方々には大変お世話になりました。ありがとうございました。
(上 茂衡)

会   報
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■2014年5月18日(日) 生藤山山行記録  辰川貴大(一橋大学山岳部:法学部2年)

          ****** 2014年6月4日投稿  
●概要
2014年5月18日(日)、今回は生藤山を主に合計6つの山をめぐるとても長い山行になった。歩く距離もとても長かったが、山行時間も長く合計9時間にも及ぶ山行であった。さらに、下山後は反省会場までのバスがないというようなこともあり、多くの意味で山登りの厳しさを教えられた気がする。そして今回は、山行の前日が新緑の宴だったということもあったためか、OBの方も多く参加してくださり、より一層親睦を深めることができた。

●参加者
部員:渡部顕示(商学部3年)、太田貴之(商学部3年)、西山祥紀(経済学部3年)、上茂衡(法学部2年)、
    中野広美(商学部2年)、大谷彩子(商学部2年)、岡田尭之(経済学部2年)、辰川貴大(法学部2年)
OB:本間浩(昭40)、小島和人(昭40)、小野肇(昭40)、中村雅明(昭43)、藤原朋信(昭44)

●山行記録
JR藤野駅出発(9:25)−小淵山(10:10)−鷹取山(10:55)−三国山(13:15)−生藤山(13:20)−市道山(15:40)−臼杵山(17:00)−下山完了(18:30)

●2014年(日)5月18日 快晴
 前回の新歓山行に引き続きこの日も雲一つない気持ちの良い晴天だった。今だからこそ言える話だが、この日の私の体調はあまり優れなかった。というのも、山行の前日の17日は新緑の宴があった。この新緑の宴は私にとっては初めての参加であり、初めてお会いするOBさんもいらっしゃって、より一層OBさんの方々と親睦を深めることができた。そして改めて一橋大学山岳部の世代を超えた上下のつながりの強さというものを感じることができたし、これこそがこの山岳部の良さであると思った。そしてこの日は新緑の宴の後、部員数人で2次会をした。そのため結局その日は寝るのが遅くなり、山行当日を寝不足の状態で迎えてしまったのだ。多いに反省である。

 山行当日。この日は駅から歩く本隊と途中までバスで行く班の2班に分かれて行く計画で、部員も何人かはバス班で行く予定であったが、いきなり問題発生。中野が集合場所を高尾駅と勘違いし、乗る予定であった藤野駅発のバスの時間に間に合わなくなってしまった。結局、部員は全員本隊になり、小野さんと小島さんはバスで向かった。
 山行序盤はあまり急な坂もなく、気持ちの良い春の日差しと風を感じ、おしゃべりも交えながら登って行った。実は今回、渡部さんと山登りをするのは初めてで、お互いの趣味の話などをしながら登ったのだが、筋トレの話で盛り上がったのを特に覚えている。

 鷹取山の頂上で少し休憩したのだが、そこにはピンク色のかわいい花が咲いていて、思わず写真を撮ってしまった。そこからは一度山を下り、舗装された道をしばらく歩いた。そのあたりの道路は比較的広く、交通量も少ないためか、バイクのツーリングに来ている人が多くいて、我々の横を颯爽とバイクで通り去って行った。そして、生藤山の山道の前のベンチで昼食をとった。昼食を全員が食べ終わると出発し、後半へと入って行った。
 しかしこの後半がとても過酷で辛いものであった。今回の山行、予定では6時間コースと聞かされていたので、我々は勝手に16時ころには下山できるだろうと思っていたのだが、実際にはそんなに甘いものではなかった。生藤山〜市道山あたりからだんだんと足に疲労がたまり始め、市道山〜臼杵山の間では疲労がピークに達した。しかし、我々の思いに反し、急な坂が5か所ぐらいあり、体力と気力を奪っていった。その途中でバス組の小島さん・小野さんと合流し、臼杵山に何とか到着した。臼杵山頂上では皆足を投げ出し、休憩をしたのだが、そこから見える景色はとても見事なもので、一瞬身体の疲労を忘れるほどだった。情けない話だが、我々部員は持ってきた飲み物を全て飲みきってしまっていて、頂上では小島さんに飲み物を分けて頂き、本当に救われた。

 そこからはひたすら下り坂だったのだが、これまた急な斜面が多く、また、小石が多くあったので大変すべりやすく、尻餅をつく場面が多くあった。途中、駅の方面へ歩いて行くコースとバス停へと向かうコースに分かれたのだが、部員はもちろん全員楽なバス停コースを選択した。しかしそんな中、ただ一人藤原さんだけは駅へと歩くコースを選択し、疲れを微塵も感じていないような軽やかな足取りで、一人颯爽と下山を開始された時は部員全員唖然とした様子で鉄人藤原さんのすごさを改めて感じた。
 そしてなんとか全員無事誰一人脱落することなく下山したのだが、そこからがまた大変であった。なんと乗るはずのバスが目の前で行ってしまい次のバスまで1時間待たなければいけなくなってしまったのだ。すでにあたりは日が沈み、暗くなりかけていたのだが、我々は待つのをあきらめ反省会場まで歩くことにした。足の疲労は限界に達し、まわりも暗くなっていたので、無事帰れるか少し不安になっていた。しかし途中で遠すぎてさすがに無理だということになりタクシーを呼び反省会場へと向かい、今回の山行を終えた。

●山行を振り返って
 今回の山行では藤原さんが掲げたトレーニングの目標である「身体と精神2つの強化」が意味するように、身体だけでなく途中でくじけない強い精神を鍛えることができたように思える。また、今回は男子部員にとっても大変な山行であったのに、見事に最後まで登り切った女子部員2人には感服した。おそらく今後もこのぐらいの山行は多くあるだろう。今後もそれらのきついトレーニングを積み重ねることによって心身ともに鍛えていきたいと考えている。

●参加者感想

○渡部顕示(商学部3年)
山岳部員となって2回目の山行となった5月18日。計9時間の山行はもちろん人生初の体験であったために体力的には追い込まれた部分があったが、各山の山頂のその眺望から歩く活力を貰った。山行を終えた時の何物にも替え難い達成感・爽快感はやはり最高だ。知識と技術を身に付けて今後に繋げたい。

○太田貴之(商学部3年)
生藤山が今回の中で一番高い山でしたが、疲労もあって市道山から白杵山にかけてのルートが一番大変でした。そのため、白杵山に到達した後、景色を楽しむことは出来なくて残念でした。これから体を鍛えて、もっと余裕をもって、山に登れるようになりたいです。そして、そのときは、景色を楽しみたいと思います。ただ、山の中は思った以上に涼しくて、その気持ちよさを味わうことは出来たと思います。また、体力に余裕のある最初に、話しすぎないようにして、体力を温存することも大事だということもわかりました。

○西山祥紀(経済学部3年)
私が山岳部の練習に参加するのはこれが二回目であり、一回目に参加した山行は約4時間コースと非常に軽快なものだったので、今回の藤野山コースもあまりたいしたことはないだろうと思い込んでいましたが、朝の9時に駅を出発し、夕方の6時ころにやっと下山を果たしたように、想像以上に過酷な山行でした。しかし長時間の登山を終え、人家の灯りを目にした時の達成感は深く心に刻まれ、ふもとの料亭にてOBの方々がごちそうしてくださった、冷えたビールの味は格別でした。一方で、翌日になっても足の筋肉痛に悩まされることとなり、自分の練習不足を感じました。

○上茂衡(法学部2年)
今回の山行はおよそ9時間に及び、途中で疲れ果ててしまいました。そんな時でもOBの方々が元気そうに登っているのを見て、感服すると同時に若いのに負けてられないとも思いました。これからもっと山に登って鍛えていきたいと思います。

○大谷彩子(商学部2年)
三回登山に参加させていただきましたが、今回の山行が一番辛かったです。上り下りが急かつ歩いた時間も今までで一番長かったので、最後の方は足の関節という関節が痛くなり、大げさですが、いつ人間界に戻れるんだ…と不安になりました。けれど、歩かなければ戻れないので必死に右足と左足を交互に動かしました。最後の山路を下ってコンクリート道路が見えた時はとても嬉しかったです。先ほどから繰り返している通り本当に辛かったのですが、登り終わった後の達成感は言葉にできないほどのものでした。OBの方々がすいすい登って行く光景を見て、まだまだ頑張らねばとおもいました。これからも色々な山にできる限り登りたいです。

○岡田尭之(経済学部2年)
私にとっては初めての山岳部としての活動だったので刺激になることがたくさんあり充実した一日にすることができました。今まで登った山といえば高尾山くらいしかなかったし、9時間も歩き続けたこともなかったので非常に辛かったですが、その分終わった後の達成感が強く、歩ききれたことは本当に良かったと思いました。私が山岳部に入部した理由として、辛いことを乗り越えたときの達成感を味わいたいというのが第一にあったので、早速味わうことができ満足です。これからの活動でも、登りきったときの達成感、充実感を味わうために心身ともに鍛えて色々な山に挑戦していきたいと思います。

○中野広美(商学部2年)
9時間も山にいた経験は人生初でした。前半はまだ周りの景色や会話を楽しむ余裕がありましたが後半になると疲労がたまり何度も心が折れかけ、OBさんの支えや仲間がいなかったら倒れこんでいたと思います。今回の登山によって精神、体力共にすごく鍛えられたと思います。自信もたくさん付きました。辛い反面、登山によって得られるものはとても大きいと感じることができたのでまた挑戦したいです。


5月18日 17:10
臼杵山頂にて(カメラ:小野、撮影:中村)
(後列左から)藤原、渡部、上
(中列左から)小野、小島、岡田、大谷、中野、辰川
(前列左から)西山、太田 

■藤原組中村短大ハイキングに参加して  小野肇(昭和40年卒)
    ****** 2014年6月9日投稿
 山岳部員の加入が少なく部としての活動ができなくなって久しい。針葉樹会としてこの問題にどう対処すべきかかんかんがくがくの議論をやったのはいつのことだったろうか。
針葉樹会幹事群の地道なかつ粘りづよい活動がみのり今年度は15人も部員が増えたという報に接した。山岳部を卒業しはや49年、札幌で生活している私にとっては驚きかつ感激的な出来事でした。
 5月17日現役学生主催の新緑の宴が国立の小樽食堂で実施。その前に部室の環境整理。翌18日は学生とのハイキング、19日は三月会と行事が続くので上京し諸行事に参加した。
 5月18日快晴。前日の酔いを多少残しJR藤野駅集合。FN短大ハイキングはそこからJR武蔵五日市駅まで歩く計画。三国山「960M」、生藤山「990M」、醍醐丸「867M」,市道山「795M」、臼杵山「842M」と延々と歩くコースである。B班の小島とわたくしは鎌沢入口までバスを利用。本間さんはわけありでA班に編入。
A班はバスを利用せず小渕山、鷹取山を経由して三国山へ。学生が8人も参加。藤原さん、中村さん、本間さんの努力が結実した。
 三国山と隣の生藤山まではお茶畑をみたり桜海道をくぐったりでコースタイムどうりで登る。生藤山で富士山をみながら昼食。そこから八王子最高峰の醍醐丸へ。
 そこから戸倉3山の市道山へ。アップダウンが多い尾根道で70歳代の年寄りらしくペースがダウン。臼杵山の登りでA班に追いつかれる。
 臼杵山で全員そろっての記念撮影。時間の関係などもあり駅まで歩かずバス停までと変更。バス停には18時を過ぎたころ到着。
 バスの時間に間に合わずそこからしばらく歩きタクシーをよんで武蔵五日市の食堂で懇親。 
 わたくしにとっては久しぶりの9時間余りの山行。三四郎会の白神山登山「5月29日予定」のいいトレイニングとなった。万歩計も43756歩となり万歩計を携行しだしてからの最高記録となった。
 現役学生が山のよさがわかり部員同士の絆をふかめ心身とも鍛え安全で快適な登山ができることを祈念する次第である。


会   報
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■2014年5月5〜8日 70歳、47年振りの鹿島槍ヶ岳  中村 雅明(昭和43年卒)
    ****** 『針葉樹会報』第130号より転載(一部改訂)

5月8日 8:33(撮影:岡田)
爺ヶ岳南峰からの鹿島槍ヶ岳


 5月GWの後半、岡田さんと2人で爺ヶ岳南尾根を登って冷池山荘に泊り、これ以上ない天気に恵まれ、鹿島槍ヶ岳を登頂しました、2005年5月中旬に佐薙さん、上原さん、竹中さんが同じコースで冷池山荘入りされましたが運悪く悪天候の為、鹿島槍ヶ岳登頂は果たせませんでした(『針葉樹会報』第105号 上原利夫「未踏の鹿島槍は70歳の出発点になるか?」参照)。
また、昨年の同じ時期・コースで岡田さんと吉沢さんが鹿島槍ヶ岳を目指しましたが、早く下山したい小屋番の「明日は悪天なので今日下山した方が良いですよ」のアドバイス(虚言?)を受け入れて好天にも関わらず下山し悔いを残されました。従って岡田さんにとっては昨年の雪辱を果たした山行でした。
 私にとっては今回のコースは大学4年、1967年12月の冬合宿(学生時代最後の合宿)と全く同じコースです。扇沢出合から爺ヶ岳南尾根を登り、爺ヶ岳南峰の頂上にテントを張り、そこに9泊し八方尾根から入山し唐松岳〜五竜岳〜鹿島槍ヶ岳と縦走してくる予定の縦走隊を待ちました。その隊には同期の加藤、金成両君がいましたが二人とも若くして亡くなりました。縦走隊と連絡を取る為に鹿島槍ヶ岳南峰を2度、北峰を1度往復しましたが結局現れず、止む無く南尾根を下りました(『針葉樹』第14号に詳しい記録有り。以後、“1967冬合宿”)。その後、鹿島槍ヶ岳に登る機会がなく、今回その思い出深いコースを47年振りに訪れました。かすかに残る記憶を思い出しながら歩き、また亡くなった同期2人に思いを馳せる山行は誠に感慨深いものでした。
T メンバー
岡田健志(昭和42年卒) 、中村雅明(昭和43年卒)
U 行程 5月5日 新宿(23:00)発 夜行バス
5月6日 扇沢(5:00〜10)−扇沢出合(5:20〜30) − 5Pで爺ヶ岳JP(10:10〜20)
− 爺ヶ岳南峰(12:25) − 爺ヶ岳南峰先(12:30〜55) − 冷池山荘(14:30)
5月7日 冷池山荘(5:50) − 布引岳(7:05〜20) − 鹿島槍ヶ岳南峰(8:20〜50)
− 布引岳(9:25) − 冷池山荘(10:35)
5月8日 冷池山荘(4:50) − 冷池山荘上の台地(5:00〜15) − 冷池山荘(5:20)
冷池山荘(6:30) − 2Pで爺ヶ岳南峰(8:30〜40) − 爺ヶ岳JP(9:35〜45) −
2Pでハツ見ベンチ(11:55〜12:15) − 扇沢出合(12:50) − 扇沢(13:05〜35)
==大町(14:05) 登山終了(大町山岳博物館訪問)
V 行動概要
●5月5日(月) 晴れ
 本山行は3月の三月会の帰りがけに中村が岡田さんに「今年こそ残雪の鹿島槍に登りましょう。」と声を掛けたことからスタートしました。岡田さんがすぐ賛同し、高崎俊平さんも話に乗りました。昨年涙を飲んだ吉沢さんにも翌日岡田さんが声をかけましたが、諸事多忙とのことで参加出来ませんでした。
 設定した日程・コースはGWの混雑を避けてGWの最終日の6日に爺ヶ岳南尾根を登り冷池山荘に入り、翌7日に鹿島槍ヶ岳に登頂後冷池山荘に連泊、8日に往路を扇沢に下山する案です。
 インターネットでの営業案内では冷池山荘は6日泊りまでしたが、岡田さんが交渉し1日延長(“特別に”)してもらえました。岡田さんと私は5日の夜行バスで出発の日を迎えましたが、別途自分の車で出発する予定の高崎さんが、5月に入った途端にひいた風邪が治らない為、土壇場の5日に急遽参加を取り止めたので、70歳コンビの2人の山行となりました。5日の悪天候は回復に向かい、6〜8日の好天予報に意を強くして、23:00発の夜行バスで新宿を発ちました。
●5月6日(火) 小雨後晴れ
 夜行バスは予定通り5時過ぎに扇沢のバスターミナルに着きました。バスの外に出ると小雨が降って肌寒く、フリースを着込んでさらに雨具上下も着けました。軽く朝食を摂り5:20登山開始。車道を10分ほど戻って扇沢出合へ。駐車場には数台の車が停まっていました。出合の少し奥に登山相談所のテントが設営され、山岳指導員が駐在していました。岡田さんが手作りの登山計画書を提出、爺ヶ岳までの雪の様子など聞きました。
 最初は種池小屋・二代目の柏原正泰氏らによって拓かれた柏原新道を登ります。昔登った時の記憶ではもっと細い道でしたが、道幅も拡がり歩きやすくなっていました。
 登り始めはモミジ坂と呼ばれる急坂で、コメツガ、モミジ、シャクナゲの深い樹林帯をジグザグに登ります。晴れていれば八ヶ岳が見えると言う八ツ見ベンチから少し登った所で柏原新道と別れ、南尾根の踏み跡を辿ります。南尾根はジャンクション・ピーク(JP)手前まで木の根がはびこる尾根沿いを登ります。時折尾根を外れ、雪の斜面を登りますが、連休後半なのでトレースがしっかりついているので迷うことはありません。但し、樹林の中は雪が凍っているので転倒しない様に注意深く歩きました。
 扇沢出合から4p3間半で尾根の右側の雪の斜面に出てアイゼンを付けました。この辺りでガスが晴れ、青空が広がり急速に天気が良くなりました。アイゼンを付けると格段に歩きやすくなり、かなり急な登り40分で10:10にJP着。前方にはこれから登る南尾根が爺ヶ岳南峰まで続いています。正面(南方)にはスバリ岳から針ノ木岳、蓮華岳がどっしり構えています。蓮華岳の奥には槍、北穂、奥穂、前穂連峰が望めます。
 JPから50分高度を上げていくと雪が消えガラ場歩きとなりアイゼンが邪魔になり脱ぎました。足元は軽くなりましたが爺ヶ岳南峰までの急登は夜行バスで来た見にはつらいものでした。それでも進行左手奥に見える剱岳の迫力に慰められます。
12:25爺ヶ岳南峰着。登山口から7時間かかりました。一挙に北方の展望が広がり、鹿島槍の双耳峰が大きく聳えます。頂上はかなり広い雪の台地で、昔この辺りにテントを張ったのかと感慨を覚えました。黒部側から吹きつける風が強いので南峰を少し下った尾根の窪地で昼食。冷池山荘まではトレースがしっかりついている様子なのでアイゼンは装着しないで行くことにしました。中央峰、北峰は富山県側をトラバース気味に巻いて行きますが、進行方向に鹿島槍、左手に剱から立山の稜線を見ながら歩くのは格別です。
 北峰からかなり下って針葉樹林帯に入り、最低鞍部から少し登った処にある冷池山荘に14:30着。登山口から9時間、夜行で来て寝不足での歩行に二人とも“あー疲れた”とぐったりでした。冷池山荘は2004年に建て替えされたとのこと、収容人員250名と大きく、山小屋というより、山荘の名前にふさわしい作りで廊下も広く、部屋もきれいで快適でした。1泊2食9500円。同宿者は爺ヶ岳の登りで会った京都から来た年配のご夫婦の2人だけでした。山小屋の喧噪がなくゆったり過ごせました。連休の中を避けて最終日に宿泊したのは賢明でした。夕食は17:00から。少し物足りない感じでしたがおいしく食べました。夕食後布団に横たわると昼間の疲れもあり、二人とも直ぐに眠りにつきました。

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5月6日 10:06(撮影:中村)
 ジャンクション・ピークに
向かって登る岡田
5月6日 10:10(撮影:中村)
ジャンクション・ピークから望む
蓮華岳、針ノ木岳、スバリ岳、
赤沢岳、鳴沢岳(左から)
5月6日 15:15(撮影:岡田)
冷池山荘から望む爺ヶ岳連峰
(左から北峰、中央峰、南峰)

●5月7日(水) 快晴
 朝4:40起床。窓から空を見ると雲一つない快晴。絶好の登山日和です。
 5:50山荘を出発、一昨日アイゼンなしで鹿島槍に登ったとの小屋番の話から行ける所までアイゼンを付けずに行くことにしました。冷池山荘の少し上の台地に登ると朝日に輝く剱岳、立山連峰に目を奪われます。布引岳の登りにかかると雪が消え、夏道が露出していました。7:05布引山着。剱岳をバックに写真を撮り、鹿島槍を目指しました。布引山の先を少し下り、南峰への最後の登り途中で、上から下ってくる単独の女性に会いました。20代後半〜30代前半か。上から下までビシッと決めています。顔もキリッとしていわゆる“かっこいい”女性でした。山も女性上位の時代を痛感しました。頂上までの様子を聞いたところ、頂上の手前の雪の急斜面でアイゼンを付けたとのことでした。その急斜面は少し緊張しましたがアイゼンなしで慎重に登って、8:20鹿島槍ヶ岳南峰着。冷池山荘から2時間半、実に47年振りの登頂です。頂上からは360度の大眺望。特に北方の展望が開け、キレットからせり上がる五竜岳のどっしりした巨体、その先かなり遠くに白馬三山が続いています。鹿島槍ヶ岳北峰の右手奥には左から火打、妙高、乙妻、高妻が遠望できます。西方には北方稜線〜剱岳〜立山〜薬師岳〜三俣蓮華の稜線が連なります。さらに三俣蓮華の奥には笠ヶ岳まで見えます。南方には槍、穂高連峰、その左にうっすらとハヶ岳連峰も望めます。残念ながらその間に聳える富士山はかすみの先で見えません(ここまでは欲張り過ぎ?)。五竜方面を眺めていると1967冬合宿のことを思い出しました。この頂上で縦走隊と連絡を取るために、性能悪いトランシバーを耳に当て、“こちらサポート隊。応答願います。どうぞ”と何度もマイクに叫べども“ガガー・・・”の雑音のみで応答なく、寒風吹きつける中を2間以上も待っていたことを。縦走隊の主力であった同期の加藤、金成両君を偲んで冥福を祈りました。南峰の端から北峰へ続く吊尾根への下りを見下ろすと急な雪面、岩稜でザイルの確保なしではとても下れそうもにありません。1967冬合宿の記録を読むと北峰にも登っています。ザイルを使用したか不明ですが、怖いもの知らずの若さで苦労せずに北峰を往復したのかも知れません。風が強いので頂上滞在10分、少し下った道端で岡田さん持参のホットココアを御馳走になり一息つきました。写真をゆっくり撮って8:50下山開始。下りも慎重に足を運び、布引山で一休み。ここでも思う存分写真を撮りました。
 その後はのんびり下って冷池山荘に10:30着。天気はまったく崩れる気配なし。山荘にすぐに入らず、山荘前のベンチで爺ヶ岳(北峰・中央峰・南峰)〜種池山荘から岩小屋沢岳〜鳴沢岳〜赤沢岳〜スバリ岳〜針ノ木岳〜蓮華岳の稜線を眺めながら岡田さんと談笑しました。1967冬合宿の最終目標が針ノ木岳だっただけに見飽きることがありません。赤沢岳が三角形の秀麗な姿であることに今更ながら気が付き新鮮でした。小屋の周りに人影なし、見渡す限りの山々を一人占めしている気分で贅沢きわまりない至福の一時でした。この日の泊りは我々二人だけ。広い山荘貸切り、連泊割引き800円も有り言うことありません。夕食を夕日の差し込む2階の談話室で17:00から摂り、この日も18:00過ぎに就寝。

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5月7日 6;01(撮影:岡田)
冷池山荘上の台地にて中村
(後ろは朝焼けの剱岳)
5月7日 8:18(撮影:中村)
鹿島槍ヶ岳南峰から望む
五竜岳、唐松岳、白馬三山
5月7日 8;34(撮影:中村)
鹿島槍ヶ岳南峰下にて岡田
遠方は立山、劔岳(左から)

●5月8日(木) 快晴後晴れ
 4:30起床。昨日より朝食を遅くしてもらい、御来光を拝み、朝日に染まる山々の写真を撮りました。4:50カメラを持って山荘を出ると今朝も快晴。10分ほど上の台地に向かう途中で東方の雲間からの日の出を拝みました。柔らかい朝日が、鹿島槍の双耳峰を染め始める様を写真に収めました。布引山に向かう途中の台地に登ると剱、立山方面が徐々に染まってきます。初めて見る剱岳のモルゲンロートを瞼に焼き付けました。思い存分写真を撮って山荘に戻り6:00から満ち足りた気持ちで朝食。6:30山荘を後にしました。
 若い管理人が見送ってくれました。まだしばらく山に留まるとのこと、親切な対応に気持ち良く滞在できたお礼を言って別れました。好天に恵まれ順調に往路通りに下山しました。往路で2p装着したアイゼンは付けませんでした。13:05扇沢バスターミナルに着き無事登山を終了しました。
 13:35の路線バスに乗り大町駅に出た後、山行前に予約しておいた大町山岳博物館(駅から車で5分)を岡田さんと二人で訪問しました。岡田さんは2011年5月に一度訪れ、小谷部先輩の自筆山日記3冊のコピー他の資料を入手しました。今回の訪問目的は@山日記の一橋山岳会ホームページへの掲載を許していただいたお礼と山日記実物拝見A中島寛先輩の寄贈蔵書の閲覧B大学山岳部々報の収集協力打ち合わせでした。訪問の成果は別途報告予定ですが、山日記の実物の鮮明な図版、文字に感銘を受けました。また、小谷部先輩の姪の生田正子さんが山日記のみならず小谷部先輩のアルバム5冊、ネガアルバム6冊を寄贈されていることを発見したのが大収穫でした。『針葉樹』に掲載された写真がある貴重なものです。中島先輩の寄贈蔵書は別棟の「山岳図書資料館」にジャンル別書棚に収納され、誰でも閲覧できる様になっていました。ダンボール箱に入ったままで地下の倉庫に眠っていると思っていたので嬉しいことでした。
 15:30に大町駅に戻り、17:00松本着。駅ビルのレストランで食事、3月の阿弥陀岳に続いての充実した雪山山行を祝いました。
  今回、70歳の節目の年に47年振りに鹿島槍を再訪、絶好の快晴に恵まれ登頂を果たし幸せです。足腰はまだ丈夫ですので、来年もピッケルとアイゼンの残雪の山を楽しみます。

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5月8日 5:09(撮影:岡田)
冷池山荘からの朝焼けの
鹿島槍ヶ岳
   
5月8日 5:39(撮影:中村)
冷池山荘からの朝焼けの剱岳

5月8日 8;31(撮影:中村)
爺ヶ岳南峰頂上にて岡田
左奥は劔岳、
左下の黄点は種池山荘


会   報
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■2014年4月27日 新歓山行 御岳山・大塚山  辰川貴大(一橋大学山岳部:法学部2年)


●概要
 2014年4月27日(日)、部員5名と体験部員5名の合計10人で御岳山・大塚山をめぐる山行を行った。今回は初めてOBの付き添い無しでの山行となり、それに加え10人という大人数であった。当日は、春から夏への移ろいを少し感じることができるような暖かな陽気で、新歓山行にとってこれ以上のものはないほどの天候だった。また頂上付近では新入部員の鈴木君を中心にカレーうどんを作るなど豪華な昼食となった。そして、下山後には体験部員の大矢君が正式に入部を決めてくれるなど新歓山行は大成功に終わった。

●参加者
部員:長島弘賢(商学部4年:部長)、朴宰暎(パク・チェヨン:交換留学生3年)、上茂衡(法学部2年)、辰川貴大(法学部2年)、鈴木陽介(社会学部1年)
体験部員:3年西山・太田・山守、1年大矢・船橋

●山行記録
JR御嶽駅集合(9:30)−御嶽駅バス乗車(9:40)−滝本駅到着(9:50)−滝本駅ケーブルカー乗車(10:00)−御岳山駅到着(10:06)−登山開始(10:10)−御岳神社到着(11:00)−御岳神社出発(11:40)−大塚山到着(12:40)−下山開始(13:40)−下山完了(15:00)−JR古里駅到着(15:20)−国立駅到着解散(17:00)

●4月27日(日) 快晴
 とにかく気持ちの良い春の陽気だった。夏を思わせるような真っ白な雲が浮かぶ青い空、そこから差し込む暖かな日差し、そして時折吹く涼しげな風。この日はそんな絶好の山登り日和だった。
 9時30分JR御嶽駅に集合すると、そこには初めての顔がたくさんいた。原さんの知り合いだという3年の西山さんと太田さん、そして彼らの友人の大森さん。おそらくあまり山登りをしたことがないのだろうが、都内に買い物にでも行くような服装で、中にはハンドバッグで来ている人もいて少し驚いた。そして新入生の大矢君と船橋さん。大矢君はテニスサークル、船橋さんは合気道部への入部も考えていて、色々と迷っている様子だった。
 駅前で簡単に自己紹介をした後、バスに乗車。バス停には私たちと同じように山登りに行く人が大勢並んでいて、バスの中も大変混み合っていた。滝本駅に着くとそこからはケーブルカーに乗った。
 ケーブルカーの中も大変混み合っていて、犬を連れた山登り客もいた。ケーブルカーの中からは紫色のきれいな花がケーブルカーの両側を囲むように咲いているのを見ることもできた。
 ケーブルカーを降り、御岳山駅に着くとそこには展望台やリフト、お土産屋さんも多くあり高尾山に似た印象を持った。そして軽く準備運動をした後山登り開始。山登りと言っても御岳神社までは舗装された道が続き、むしろハイキングのようだった。その道中では、桜も咲いていたし、鶯を始めとする多くの鳥の鳴き声が聞こえ、存分に自然を楽しむことができた。御岳神社の手前には急坂と数百段の階段があり、呼吸を整えながらゆっくりと登った。
 そして11時御岳神社到着。ここまであまり休憩を取らなかったので、ここで少し休憩。桜の下のベンチに座り、お菓子を広げ、ここまでの感想などを話した。
 休憩後は途中まで来た道を一旦戻り大塚山へ。ここからは舗装された道が終わりようやく山道へ。山道と言ってもそれほど急な坂もなく緩やかな上り坂が続く。途中にはケーブルカーからも見えた紫色の花がトンネルのようになっており、目を楽しませてくれた。
 12時40分大塚山到着。ここで昼食をとることにした。実は、この山行の数日前、鈴木君と山行計画について話し合っているときに鈴木君の方から昼食時にカレーうどんを作らないかという提案があった。私はバーナーなどの道具を使ったことがなかったのだが、鈴木君は高校時代にやったことがあるというのでぜひやろうということになった。実際には当日は鈴木君が道具や材料(バーナー・鍋・具材・調味料・水)を全て準備してくれるなど任せっきりだったのだが、見事に成功して、豪華な昼食をいただくことができた。
 1時間ほど昼食をとった後、下山開始。下りは木の根が大きく突き出している部分や、大きな石がごろごろとあったりと、注意が必要な場所が多くあった。途中、二人の女性が道端で座り込んでいて、どうしたのかと思ったら、足を挫いたらしく、15人ほどの救急隊員が登って来るのとすれ違うということがあった。また、中盤あたりではあたり全面が巨大な杉で囲まれた場所があり、その景色は圧巻だった。どこか神秘的な雰囲気があり、何か自然から力をもらえたような気がした。
 そうして自然を感じながら、15時に無事下山を完了し古里駅へと向かい、山行を終えた。
上と鈴木君はまだまだ体力が余っていて物足りない様子だったが、帰りの電車の中では、新入生の大矢君が正式に山岳部への入部を宣言するなど十分すぎる新歓山行となった。

●山行を振り返って
 今回の山行は今までの山行とは少し違っていて、いつも山行を計画し、先頭を歩いてくださっていたOBさんのいない山行だった。今回は部員が山行計画をし、体験部員を部員だけで引率するもので(おそらくこれが山岳部の本来あるべき姿なのだろうが)、自分にとっては初めてのことだったのでとても良い経験となった。部員が増え、ますます活気づく山岳部、今後も勢いそのままに更なる経験・技術の向上を目指していきたいと思う。

      

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4月27日 10:45
御嶽神社前坂
(前列左から)上、大矢
(後列左から)太守、太田、パク・チェヨン、
鈴木、西山、長島
4月27日 11:00

御岳神社
4月27日 11:15
御岳山山頂
(左から)パク・チェヨン、船橋


会   報
***

■2014年3月27〜28日 八ヶ岳阿弥陀岳登山記録 吉沢 正(昭和42年卒)

        *********** 2014年4月4日HUHACメールから転載

  3月末の何かと忙しい時期に岡田、中村、吉沢の準後期高齢者3名で南八ヶ岳の阿弥陀岳を目指す(以下敬称略)。高崎さんも当初参加予定だったが、直前の中国業務旅行の疲れが癒えず辞退した。
 3月27日(木)早朝吉沢の車に岡田を乗せ横浜を出発。JR国立駅前で中村をピックアップし、中央自動車道を南諏訪ICまで飛ばす。途中ポツポツと降っていた雨もICに着く頃には上がったが、山麓を昇るに従い霧が濃くなり低速安全運転を強いられたため、予定より遅れて美濃戸口に到着(11:30)。ここから先車が入るのは困難との岡田が入手した山小屋情報に従い、車を捨て赤岳山荘(美濃戸)に向け歩行開始。出発して間もなく車の乗り入れも十分可能であったことが判明したが、時既に遅し。歩行を続け12:25赤岳山荘着。昼食の小休止の後、赤岳鉱泉向け歩行再開。15:00同鉱泉到着。
 最近度々降雪があったとのことで、小屋はスッポリ雪に覆われ、入口付近に水ホースで人工的に造形された氷壁にも若い人達が取り付いていた。宿泊客は我々を含め13名。鉱泉の入浴を期待していたが、冬場は無しとのことで皆がっかり。18:00夕食。中村と吉沢が缶ビールで明日の安全を祈って乾杯するが、岡田は例によって付き合わない。19:30就寝するも、中村の間欠泉のような鼾に悩まされ、なかなか寝付かれない。
 3月28日(金)5:30起床。小屋の朝食は6:30とのことなので朝食を昼の弁当に替えてもらい、持参したお握りを頬張って6:20赤岳鉱泉出発。登山ルートとして中岳・阿弥陀岳間の沢を遡行するのは雪崩の危険があるので、文三郎尾根を取ることに決めていた。
 途中、中山乗越にある展望台から真っ青な空中にくっきりと聳える赤岳、阿弥陀岳、横岳の雄姿を拝み観て、皆心を躍らせる。7:00展望台を下り、無人の行者小屋の入口付近に背負荷の一部をデポし、文三郎尾根を目指す。樹林帯を抜けると急傾斜の登りが続くが、雪は締まってアイゼンが良く効く。赤岳の西壁に二人組のパーティーが取り付いているのを見ながらひたすらに登る。尾根の上部は赤岳の西傾斜面をトラバースするようになるので、雪崩の危険は小さそうだが、何となく気持ち悪い。念のため間を取りながら慎重に赤岳の西斜面を行く。8:57文三郎尾根分岐点に到着。聞くところに拠ると昨年の今頃岡田、中村の両君で阿弥陀岳登山を計画し、この分岐点まで来たところ霧が出てきたので予定変更し、東の赤岳に転戦したとのこと。1年後に雪辱適い、今回はこの地点から西の阿弥陀岳に向かう。両君おめでとう。
 中岳の登りは傾斜がきつく積雪のため巻道もままならず、体力を消耗した。また阿弥陀岳に向かっての下りも痩せ尾根のリッジに雪がべっとりと付いており、万一南側に踏み外すと止まりそうもない。アイゼンは効くが、この時間になると所々表面がクラスト状になっており、そこを踏み込むとズズーと行ってしまいそうだ。用心しながら難所を越える。阿弥陀岳の登りはさしたる危険な箇所もなく、一気に登りきって10:31頂上到達。
 頂上からの展望は絶景そのもの。今日は朝から絶好の天気に恵まれ、雲ひとつ無く風も無い。透き通るような空の青さも尋常でない。山でこんな好天に巡り会えたのは何年振りのことだろうか。赤岳の赤黒い岩塊が眼前に広がり、南に権現岳、北に横岳・硫黄岳、その向こうに天狗岳や蓼科山などの北八ヶ岳山塊が連なる。また南方には南アルプスの仙丈、甲斐駒、北岳やその西に中央アルプスの主峰群が聳えている。更に北西方面には北アルプスの山塊が南端の穂高から大キレット、槍、鹿島槍等を経て白馬の北に至るまで、ひとつひとつはっきりと視認できる。岡田と吉沢が一眼レフ高性能カメラを持参しなかったことを仕切りに悔やむ。息を呑むような景観に暫し我を忘れた後、10:55下山開始。
 帰路は来た通りの道程を逆に辿り、中岳前後の危険箇所も慎重に通過して13:01行者小屋に無事帰還。ここで遅ればせの昼食を取り、デポした荷をピックアップして南沢経由で下山。15:34美濃戸山荘着。途中高崎さんから安全確認の携帯電話が入り、無事下山を連絡した。16:40美濃戸口着。
 紺碧の天空に聳える雪を抱いた数々の名峰の景観と、課題を成し遂げたことへの達成感に浸りながら車で帰路を急いだ。                (2014.4.3記)

      
    

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3月28日 8:28(撮影:岡田)
文三郎尾根からの中岳(左)と
阿弥陀岳(右) 
3月28日 9:03(撮影:岡田)
赤中のコルからの中岳
(左から中村、吉沢)
3月28日 9:39(撮影:中村)
中岳目指して登る岡田、吉沢(前から)
前方は阿弥陀岳
3月28日 10:39(撮影:中村)
阿弥陀岳山頂から望む北アルプス
(左から穂高、槍、鹿島槍、白馬三山)
3月28日 8:52
(岡田のカメラで撮影:中村)
阿弥陀岳山頂にて(岡田)
後ろは赤岳
3月28日 11:29(撮影:中村)
中岳コルからの中岳への登り
正面は赤岳
(前から岡田、吉沢)

会   報
***

■2013年12月1日 懇親山行「九鬼山」結果報告 本間 浩(昭和40年卒)
          ****** 2013年12月2日HUHACメールから転載
 (編集注)九鬼山報告は山行幹事の本間さんの総括、Aチームの岡田さんの紀行
      Bチームの原さんの紀行の3篇があります。本篇は本間さんの総括です。
      岡田さん、原さんの紀行は別に掲載しました。
1.日時    H25年12月1日(日)
2.行き先   九鬼山(山梨県大月市 970m)
3.参加者   [全員]禾生駅(9:30)〜富士見平(11:50 富士ビューポイント 昼食)
** ・コース [Bチーム] L佐藤(久) 佐薙 竹中 小島 中村(雅) 宮武 
「山岳部」原(2年)
富士見平(12:40)〜札金峠(13:25)〜菊花山(15:25)〜
かあちゃん食堂(16:15)
[Aチーム] L本間 仲田 三井 遠藤 宮本 三森 岡田
富士見平(13:05)〜田野倉駅(15:40)〜
かあちゃん食堂(16:30)
4、特記事項
****
@ 快晴に恵まれ、「秀麗富士」を拝見出来ました。
A 参加申込者全員(14名)定刻に元気で集合、反省会も滞りなく終え、八王子駅ホームで解散しました。三森さんが所用で反省会に出席出来なかったのが残念。
B Bチーム(針葉樹会山行現役の精鋭揃い)は、Aチームの倍の距離を4ピッチで走破、佐藤リーダーが予定した時間通りに到着。お見事(拍手)。
C Aチームは、お店に迷惑を掛けないように(女将さんには時間前入店の了承は得ていたが)、出来るだけBチームと同じ頃に着くよう時間調整しながら下った。それ故コースタイムは参考にならない。
D 費用の精算
○トン汁  集金 3900円(300円×13名 原さんを除く)、 
       支払い ほぼ同額。
           炊事用具の「お玉」は部室に持参予定。
○反省会(大月 かあちゃん食堂)
       飲む人H3000円、飲めない人B2000円で会費を徴収。3300円也。
       支払い 31400円。残り1600円
       残り1600円は、個々人に払う(133円)のも手間ですので、1月の新年会費用に廻したいと思います。
       ご異議なければ、高崎(俊)総務幹事に預かってもらいます(三月会)。
5、残念・反省
****
@ 岡田さんがBチーム参加の実力をお持ちである事は衆目の一致する処ですが、リーダー補佐として、Aチームに入ってもらいました。色々助けてもらい感謝です。有難う。
A 三森さん 「野点」有難うございました。富士を眺めながらお茶を戴く、ナント云う贅沢。残念なのは、もし事前にこの話を聞いていたら、「野点」を公行事として、
費用負担・荷の分担が図れました(トン汁はそのような扱いにしています)。
懇親山行で又やってもらえるようでしたら、その際は是非事前に連絡ください。
*小生は、普通にお茶を飲むように食後に戴きましたが、一口喫しこれは食前に戴くものではないかと感じました。「正式」を教えてください。
B 「在京連絡先」高崎俊平さんへの「無事帰l着」連絡が遅れてしまいました。ゴメンナサイ。今後かかる事の無きよう充分に注意致しますので、今回はご容赦賜りたく存じます。

12月1日 9:28 [撮影:岡田]
            禾生駅前にて“いざ出発”   
 左から仲田、小島、佐藤、佐薙、宮武、原、本間、竹中、三井、宮本、中村、三森、遠藤

▼画像をクリックすると大きくご覧になれます。
12月1日 11:53
富士見平にて
左から仲田、佐薙、佐藤、
宮本、宮武
[撮影:岡田]
12月1日 12:07
富士見平で野点(三森)
 [撮影:岡田]

12月1日 12:33
富士見平からの富士山
[撮影:岡田]


 12月1日 12:30 [撮影:中村]
               富士見平にて 
(後列左から)宮武、 竹中、 三森、 本間
(中列左から)仲田、三井、遠藤、宮本、佐薙
(前列左から)岡田、 佐藤、 原、小島

会   報
***


■2013年12月1日 九鬼山(針葉樹会懇親山行) 岡田 健志(昭和42年卒) 

          ****** 2013年11月12日投稿

日程  ;2013年12月1日
メンバー; 佐薙、仲田、三井、宮本、遠藤、竹中、本間、小島、三森、佐藤(久)、岡田、中村(雅)、宮武、原(萌子 学生)

記録
12月1日(日)
 富士急禾生(かせい)駅発(9:30)−落合水路橋(9:40)−弥生峠(11:07)−鈴懸峠分岐(11:44)−富士見平(11:48〜13:03)−九鬼山(13:07〜10)−<札金沢コース経由>−富士急田野倉駅(15:40〜16:19)−大月駅「かあちゃん」
 快晴無風の好天、富士急禾生駅に集まったのは、佐薙さんをはじめ14名。うち1名は原さん(学生)で唯一の女性。真っ白の雪をかぶって、関東からみるより倍くらい大きく見える富士山が駅周辺の家並からチラッと見える。九鬼山々頂からはどんなにきれいに見えるのか、期待に胸ふくらませて出発。
 富士急行、中央自動車道と並行する国道を10分歩くと落合水路橋をくぐる。落合水路橋は1907年に建てられたレンガ造りの水路橋で近くにある発電所に桂川の水を引くために建造されたとのこと。
 鳥居を経由する道からはずれ、杉山新道を取る。道はすぐに杉や檜の人工林のなかを登るようになる。そのため、富士山が見える箇所は1か所のみ。
 九鬼山(970m)は山梨県都留市と大月市の境にあり、山梨百名山の一つ。都留市の秀麗富嶽12景の一つでもある。頂上直下をリニアモーターカーの実験線のトンネルが走っている。
 昼前に富士見平に着き、ここで昼食にする。ここから見る富士山は、太陽が左横から逆光気味のため、この時刻では少し「キリッと」しなかった。富士山学の試験をトップ合格した佐薙さんが富士山に関する質問につぎつぎ対応しておられるのは流石だった。
 さて、富士見平での昼食である。恒例のトン汁は、今回も主催者、ガイド、ボッカ、シェフを兼ねた本間さんによって味わうことが出来た。アツアツのトン汁は青ネギのきざみが香り、大変美味しく、体を温めてくれた。
 さらに今回は、遠藤さんお持たせの鶴屋吉信の上品なお菓子(12月の茶事用だとか)と三森さんの野点のお薄がデザートだった。お菓子やお薄の味に加え、茶道具(チューリッヒ製の茶碗、ほか)や水やお菓子を山のテッペンまでわざわざ持ち上げ参加者全員にいきわたるようにサービスする心遣いには、本当に感謝の言葉もありません。
 長躯猿橋駅まで歩き、大月駅近辺の「母ちゃん(酒場の名前)」で合流する計画の健脚組を見送り、ショートカットして富士急田野倉駅まで歩くAチームは、13時に富士見平を出発する。富士見平と九鬼山は徒歩5分ほど。都留市の秀麗富嶽12景は九鬼山からではなく富士見平からの話であって、九鬼山々頂から富士山は見えません。
 九鬼山からの下りは「噂の危険なガレ場」で、工事用のトラロープがフィックスしてある。転ばないように慎重に下った。ガレ場というより、岩の多い急な山道、というところか。
これを過ぎるとあとは安全な山路で、降り積もった落ち葉が足元でカサコソと鳴っていた。
 田野倉駅では、1時間に2本しかない電車にタッチの差で乗り遅れ大月の「かあちゃん」に到着したら、健脚組が先着していた。
 「かあちゃん」は山行の主催者、本間さんの馴染みの店(本間さんという方は山行の終点のどちらににもなじみの店をお持ちで、休日にもかかわらず「本間さんのためなら」ということでわざわざ店を開けて待っている。ここで反省会をやってお開きとなった。

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12月1日 13:09
九鬼山頂にて
(左から)岡田、仲田、
遠藤、三森、宮本、三井  
12月1日 13;54
九鬼山から50分下った所
(左から)遠藤、宮本、
仲田、岡田、三森、本間
12月1日 13:56
九鬼山から50分下った所からの遠望
 (左から)
三ツ峠山、本社ケ丸、鶴ケ鳥屋山

会   報
***

■2013年12月1日 九鬼山(針葉樹会懇親山行) 原 萌子(社会学部2年)
           ****** 2014年1月5日投稿

●概要
 今回、12月1日に開かれた懇親山行「九鬼山」に現役部員として参加させていただいた。九鬼山(くきやま)は山梨県都留市と大月市の境にあり、山梨百名山の一峰でもある山である。富士山の展望に恵まれており、今回の参考でも見事な富士がくっきりと一望できた。また、桃太郎が鬼退治にやってきた山という伝説も持つ大変魅力的な山であった。
 今回は九鬼山をメインに据え、頂上到着後に最終地の大月に向かうコースと、札金峠、馬立山、菊花山を縦断する二つのコースに分かれての山行をした。あいにく現役部員の予定がつかず私一人での参加となり、OBの方々には多分にご迷惑をおかけしてしまったと思うが、下りの際のロープの使い方やきつい斜面の下り方など豊富な経験から的確なアドバイスを多くいただくことができた。今回の山行により自分のスキルアップに強く繋がったと実感している。また、道中や山頂でのOBの方々とのお話や頂上付近でのお茶会はとても楽しくまた本間さんから美味しい豚汁もいただくことができ、改めて山の楽しみ方の多様性やその魅力を感じることができた。

 次に、私が属していた後者の縦断するコースについて、山行記録を残すことにする。
●コース内容、参加者
*** Aコース: 禾生駅―杉山新道―九鬼山―札金峠手前分岐―田野倉駅〜大月駅)
所要予定時間:3時間35分
参加者:仲田さん、三井さん、遠藤さん、宮本さん、本間さん、三森さん、岡田さん(OBの方々)
Bコース: 禾生駅―杉山新道―九鬼山―札金峠―馬立山―菊花山―大月
所要予定時間:5時間35分
参加者:佐薙さん、竹中さん、小島さん、佐藤久さん、中村雅明さん(OBの方々)
     山岳部二年 原(現役部員)

●山行時間記録(Bコース)
  禾生駅出発(9:30)→弥生峠(11:10)→富士見平(九鬼山直下の場所)11:50到着&昼休憩→12:40出発
  →馬立山(14:13)→菊花山(15:25)→下山(16:05) 所要時間7時間35分
●2013年12月1日(日)  晴れ
 初冬もとうに過ぎ、例年ならば11月ごろから東京でも冷え込みが始まるのだが、今年は比較的暖かく冬山登山に適した快晴の日であった。今日ならば富士山もくっきり見えるだろうと期待を高めながら身支度をする。立川駅から高尾駅に向かう電車に一本乗り遅れてしまい、大月駅でOBの方々と合流した。事前に本間さんからメーリスで頂いていた、今回の山行の急な箇所などを地図で確認。九鬼山山頂からの降りとガレ場の難所、菊花山ルートの急な下りに不安を抱きながらも、段々と山梨の景色に変わっていく電車から少し遅れた紅葉を眺めていた。
 9時半に禾生駅に到着し、とりあえず荷物整理と軽く準備体操を行う。初めてお会いするOBの方もいらっしゃるため、自己紹介含めOBの方々の前で挨拶をさせていただいた。私の出身高校である都立国立高校を卒業された息子さんがいらっしゃるOBの方ともお話できてとても嬉しく感じた。駅の前で一枚集合写真を取り、いよいよ出発。道中の気温は確か4度をさしており、手袋をしないと少し肌寒く感じた。
 レンガ造りの古い用水橋をくぐり少し行くと登山道に入った。道は一人が歩けるくらいの幅で、初めは山というより森のような空間が広がっていた。天気もよく空が晴れていて、紅葉後の落ち葉で埋め尽くされている道を踏みながら歩くとその音が周りに反響するような幻想的な山道だった。段々と登りがきつくなり、同時に空を覆っていた木々がまばらになり、視界も開けていった。途中小川や湿った岩などもあり、落ち葉とともに滑りやすく危険な箇所もあったので注意して歩を進める。全員が一列で割とゆっくりのペースで進み、途中休憩も適度に入れていただいた。ジグザグな道を歩き進める途中OBの方の声で顔を上げると、富士山の姿が木々の間からくっきりと見えた。これほど富士山をはっきりと見たのは初めてだったので、頂上付近ではさらに綺麗に見えるだろうと楽しみにしながら道を進み、11時10分に弥生峠に到着。峠ではOBの方々と今の一橋の様子などを歓談し、今後の山岳部のあり方等についても相談に乗っていただきとてもありがたかった。私が持ってきている飲料が水だけだから、といただいた美味しいネパールの岩塩を口に含み、再出発。
 雑木林を歩き進みしばらく行くと、目的地の富士見平に到着。(11:50)驚く程富士山が一望でき、素晴らしい眺めに感激した。富士山の斜面はまるで真っ白い石膏の塊をそのまま割って砕いた様に粗粗しくありながら荘厳で、光を反射しながらてかてかとその存在を示していた。富士の前の山との色の対比や山から見る富士の背景を彩るすすきや木々もまた絶妙な配置で日本の富士を際立たせていた。頂上付近から流れるように吹き出る白い煙も、冬の富士の美しい姿を強調させていた。富士の姿を何枚も写真に収め、昼食をここで取ることに。今回の昼食では本間さんお特製の豚汁をいただけると同時に、山で調理するための道具であるバーナーの使い方を教わることができた。また、美味しいお茶菓子とお抹茶も富士の景色を見ながらいただくことができ、とても豪華な昼食の時間を過ごせた。
12時40分に富士見台を出て、九鬼山の頂上に向かう。富士見台から頂上まではすぐに到着することができ、小広い広場のような頂上から大菩薩連嶺や中央線沿線の山、奥多摩方面を見渡すことができた。ここから先はBチーム独自の山行ルートであり、九鬼山の登りよりもやや速いペースで登り始めた。次なる目的地である馬立山の途中にある札金峠まで一気に下る道が続き、やや不安になる。やはり落ち葉が茂っており、地面があると思って踏み込んだところがないなど、ひやっとする箇所もあった。急な下りがあるところやところどころロープがはってある所、すぐ隣が崖になっている箇所もあった。札金峠を過ぎると木の根やロープが張り巡らされている急な上りがしばらく続き、倒木をまたがなくてはならない場面もあり、息切れしながらなんとか登り切る。ジグザグで幅の狭い急な上りを終えた後にようやく馬立山の頂上に到着。(14:13)あまり展望は良くなく、少し休憩した後に次なる山、菊花山を目指す。
馬立山頂上からすぐ急な下り道が始まっており、下りの経験の浅い私は中村さんの次につき下ることに。怖がりながら降りると体重の重みがうまく足にかからずぐらついてしまう。ロープをうまく使いながら、それでいてロープに頼りすぎずに下らなければならなかったのがとても難しかった。足をかけやすい岩場や木の根を探しながら降りなければならず、不安定なところに足をかけてしまい滑るところもあり、怖い場面もあった。OBの方々からのアドバイスを頂きながら、ゆっくり下り、しばらくするとまた菊花山まで急な上り道となった。途中ガレ所もあり、最後に急な岩場を登った先に菊花山の頂上があった。(15:25)富士見平とはまた違った風景が広がっており、山々を一望できる素晴らしい眺めに、登ってきてよかったなと素直に喜ぶ。少し休憩したあと、Aグループと合流するため大月駅に向かう。下山の道も急なガレ所やロープを使って降りなければならないひやひやする箇所が何度もあり、最後まで気を抜くことができないと気を引き締める。16時5分に無事下山を終え、大月駅まで歩いて向かう。OBの方々も菊花山という名前に反しきつい山道もあったとおっしゃっていた。無事山行を終えたことに安堵し、明日の筋肉痛を憂慮しながら九鬼山、馬立山、菊花山登山を終えた。

●山行を振り返って
 今回、今までにないガレ所やロープがはってある急な下りを経験した。加え、紅葉の後の落ち葉はとても奥ゆかしかったものの、実際歩く際に滑りやすく少し怖い箇所もあったように思う。しかしそういった不安定な下りの際にきちんと体重をのせ、足を安定してかけられる箇所を探しながら歩く方法などのアドバイスをOBの方々からいただくことができ、とても勉強になった。また、何よりも美しい富士の姿を見ることができたのが今回の一番の収穫だと思う。頂上でも本間さんお手製の豚汁や、山の上でのお茶会に参加させていただき、「登る・見る」以外の新たな山の魅力に触れ合うことができた。次回は、今回学んだ下りの経験と知識を活かし、更なる山に挑戦できたら良いと思う。
 今回も、OBの方々には重ね重ねお世話になりました。ありがとうございました。

▼画像をクリックすると大きくご覧になれます。
 12月1日 15:27
菊花山頂から望む
百蔵山(左)と扇山(右)  
[撮影:中村]


12月1日 15:30
菊花山頂から望む
眼下に大月市街
正面中央に岩殿山
  中央最奥に雲取山
[撮影:中村] 
 12月1日 15:31
菊花山頂にて
 (左から)竹中、原
[撮影:中村]




会   報
***


■2013年11月 「廻り目平合宿」余聞(金峰山の呼称) 本間 浩(昭和40年卒)他

(編集子より)
2013年10月に行われた「廻り目平学生・OB合同合宿」の主幹事を務めた本間さんが、同合宿で学生が登った金峰山と同名の鶴岡の金峰山登ったことをHUHACメールに投稿しました。
二つの同名の山の呼び方が違うことから、それに興味を持った有志によるメールが交換されました。本稿はそれらを集成したものです。

●2013年11月7日 Re: 塩沢館長 受章  本間 浩(昭和40年卒)
          ****** 2013年11月7日 HUHACメールより抜粋(一部改訂)
 (前略)
先日、郷里の「金峰山(きんぼうさん 458m):注参照」に兄と一緒に登ってきました。
この山は小生実家からも見える、云わば、「高尾山」「大山」のように地元では親しまれている山です。もっとも、低いとは云え、山頂には金峰山神社があり、中ノ院もある、由緒正しい山です、が。
今秋、高い方の「金峰山(2595m)」に登り損ねて、低いキンボウを。江戸の仇を長崎で、の趣無しとは云いませんが。
 (注)本間さんの別メール(11月24日)より
小生、「きんぼうさん」と書きましたが、郷里では「きんぼうざん」と呼んでいるそうです(小生と同市同町生まれの女房殿の言です。正義は常にアチラにありますから、間違い無いでしょう)。寒い土地故口を大きく開けずに話す、と濁音にナリ勝ちなのだそうです。
因みに、母校小学校の校歌では「東に月山 南にキンボ」と歌っていました。

●2013年11月9日 Re: 金峰山  佐薙 恭(昭和31年卒)
          ****** 2013年11月9日 HUHACメールより転載(一部改訂)
本間さん、会員諸氏
 金峰山を本間さんの故郷では「きんぼうざん」と発音する由。
奥秩父の名峰「金峰山」は普通「きんぷさん」と発音するが、小生以前川上村から登った時、一人の地元のひとは「きんぽうざん」と発音していた。
 そこで質問その1; 今回の合宿山行で川上村地元の人、多数はなんと発音していましたか?
 質問その2;仏教/天台宗に詳しい人いますか? 天台宗の一派である「金峰山修験本宗・金峰山寺」はなんと発音するのですか? 教えて下さい。小生富士山の歴史に関連して少しばかり修験道のことを知りたいので。

●2013年11月9日 金峰山  高崎 俊平(昭和41年卒)
          ****** 2013年11月9日 佐薙さん宛てメールより転載
佐薙さん、
「金峰山」の件、下記URLを見つけました。既にご存知であれば、忘れて下さい。
http://rar.nagano.nii.ac.jp/file/2013
http://rar.nagano.nii.ac.jp/metadata/2013

●2013年11月9日 金峰山  高崎 俊平(昭和41年卒)
          ****** 2013年11月9日 佐薙さん宛てメールより転載
佐薙さん
長野県川上村のHP「川上村観光案内」の「金峰山」には:
「呼称について、山梨県側では「きんぷさん」と呼び、私達川上村では「きんぽうさん」と呼んでいる。」とあります。
また「金峰山小屋」のHPは、「kinpousankoya」となっています。

●2013年11月9日 Re: 金峰山  佐薙 恭(昭和31年卒)
          ****** 2013年11月9日 HUHACメールより転載
会員諸氏
小生の質問に対し早速高崎俊平さんが小生に直接連絡あり、長野県の或るURLの教示あり。
その他小生遅まきながらグ−グルで検索したり、手持ちの本を調べた結果以下;
1.川上村に遺跡あり、その名は「きんぽうさんしゅげんどういせき」
2. グ−グルで検索。金峰山寺は「きんぷせんじ」
3.深田100名山は 木暮理太郎発言に「きんぷざん」のフリガナつき。金峰山の稿には他の地方のいくつかの金峰山について記述があるがこれらにはフリガナなし。
4.「山梨百名山」 山梨日日新聞社では 「きんぷさん」だが説明文の中で「きんぷさん」が一般的だが、本来は「きんぷうせん」、或いは「きんぽうせん」。・・・「せん」は関西以西に多い読み方・・・などの記述がある。
俊平さん、いつもながらの素早い連絡有難う。

●2013年11月9日 Re: 金峰山 本間 浩(昭和31年卒)、藤原 朋信(昭和44年卒)
          ****** 2013年11月9日 佐薙さん宛て藤原さんメールより転載
佐薙さま
廻り目平近くの川端下に山荘を持つ藤原さんから、「地元の呼び方」の連絡がありましたので、転送します。
本間大兄 小生 HUHACメール網に入っていないので下記返信を佐薙さんに転送願います。
廻り目平に山荘を建てた7年前に昭文社の地図に長野県ではきんぼうさんと書> いてあって 本当かなと地元の人に聞いたら今でも皆さん きんぼうさんと言ってます(きんぽうさんと言う人もいます) 一方 転勤で10年過ごした奈良県の吉野の金峯山寺はきんぷせんじと言ってました。
いずれも本尊は蔵王権現で役小角に関係する修験道の関係でしょうが なぜ読み方が違うのかはよくわかりません。九州に勧請された金峰山は熊本 鹿児島にもありますが どれも きんぼ(ポ)うさんです。取り敢えずご連絡まで。


会   報
***


■2013年10月18〜20日 「廻り目平」学生OB合同合宿報告 本間 浩(昭和40年卒)


 当初の計画では、大弛峠から国師岳・北奥千丈岳を往復し、金峰山から川端下に入る予定であったが、数日前の台風で倒木が道を塞ぎその撤去作業中の為車は柳平の金峰山荘先のゲートまでしか入れない。そこでコースを変更、韮崎から車で瑞牆山荘まで車で入り、そこから金峰山を越えて川端下に入ることにした。別案に柳平のゲートから歩く、が有り大弛峠まで通常3時間30〜40分掛かるが、時間・体調の如何によっては、そのまま林道を下り川端下に入る手も有る(3時間10分位)。この川上牧丘林道はよく交通規制が掛かる線であり、その対策を事前によく検討しておく必要がある。

10月18日(金)
  本間 佐藤(久) 中村(雅) [山岳部]伊藤 長島
  藤原(大日岩下からサポート) 
無事全員車中で顔を会わせ、韮崎からジャンボタクシー(5人乗りタクシーはキツイ、料金1割増しならこちらがお得)に乗り込み、瑞牆山荘到着。
  瑞牆山荘(9:30)−富士見平(10:20〜10:30)−大日小屋前(11:20〜11:30)−
  大日岩(12:20 昼食 12:45〜50) 
これまで50分ピッチでほぼコースタイム通りに歩けたと思っていた。処が昼食中にサポートに来てくれた藤原によれば、遅い、この時間には金峰山頂に着いていなければとのこと。この先は、金峰山経由と八丁平経由の2チームに分け、中ノ沢出合で落ち合うことにする。
  金峰山組(中村(雅) 伊藤 長島 12:45) [本篇末「金峰山越え」参照 ]
  八丁平組(本間 佐藤(久) 藤原 12:50)  

八丁平コースは、富士見平小屋で佐藤(久)が管理人に聞いた所、道は荒れてしかも迷いやすい。自分も5〜6回迷ったとのこと。しかし金峰山からの下りの道も荒れているとか凡そ信じられない話(本間は数年前・中村は今年夫々歩いている)をしているので、彼の話は眉唾物だ、甲州側が信州側の悪口を言っているだけだ、と考えざるをえない。しかし歩いた事の無い道故エスケープルートとして我々だけで行くのは躊躇いがあった。
 先達はあらまほしきもので、藤原のリードで先ず大日岩に登る。巨岩・奇岩の集まる頂上に登った丁度その時曇り空が「一天にわかに掻き晴れてきた」。隣の瑞牆山・八ヶ岳・南アルプスが姿を現し、金峰の五丈石も見える。金峰山組は今どの辺かと語り合う(13:10〜13:45)。巨岩群を慎重に下りきると道は平坦となり、岩の無い土と落ち葉の山道らしい山道を見事なコケを見ながら歩く。奥秩父の山とはこれだと言う人もいたが、確かに深山の趣きのある、雰囲気のある場所であった。八丁平分岐(14:15 〜14:25)から沢筋の岩の多い道を下り中ノ沢出合に着く(15:25〜15:35)。ここで藤原は金峰山組の出迎えに山頂を目指し、本間と佐藤(久)は廻り目平の金峰山荘に向かう(16:40)。暫くすると金峰山組が現れ(17:15)、岩根山荘の車で中村(雅)・藤原・伊藤・長島は藤原山荘へ、本間・佐藤(久)は岩根山荘に落ち着く。
 尚大日岩を越える八丁平コースは登りに1ヶ所、下りに2ヶ所危険な所があり、特に下りの1ヶ所は滑ったら死にます。我々は、幸い藤原氏の指導により通過出来たが、ザイルを持たずに登る事はお勧めできない。大日岩以降は素晴らしい処故巻き道が欲しいところ。 
▼画像をクリックすると大きく表示されます


10月18日 13:20
大日岩にて 
左から藤原、本間


10月18日 13:25
大日岩から雲海の先に
八ケ岳連峰を望む

岩根山荘は食事が美味しく、量も適切で充分に満足した。また藤原氏の根回しもあり、車の送り迎え等便宜を図ってもらい感謝する。今後この形の山行を続ける場合の良き基地となろう。

10月19日(土)
茂来山:本間 佐藤(久) 吉川 中村(雅) 
  [別稿:茂来山(廻り目平合宿山行)参照]  ← 下線クリックでジャンプ
廻り目平ボルダリング実習、屋根岩コース周回:藤原 伊藤 長島
  [本篇末「19日の学生の行動」参照]
飯盛山、川上村文化センター:蛭川、宮武、原、菊田
  [別稿:初のOB現役合同山荘合宿、飯盛山(女子部員)参照]
    ↑下線クリックでジャンプ
横尾山:山田夫妻+娘さん
懇親会:蛭川 本間 佐藤(久)吉川 中村(雅) 藤原 宮武 山田夫妻+娘さん  
      (山岳部)伊藤 長島 原 菊田 
  [本篇末「廻り目平合宿懇親会」参照]
10月20日(日)
前日、明日の予定を協議。OBの疲労度を勘案、甲武信岳越えを小川山越えに変更、再び瑞牆山荘から韮崎に出ることにした。
  小川山組  本間 佐藤(久) 中村(雅) [山岳部] 伊藤 長島
  金峰山組  藤原 宮武 [山岳部]原 菊田
  吉川車   蛭川 吉川
  山田車   山田家家族
当日朝からの雨で、登山は中止し、吉川車(OB)・宮武車(山岳部)に分乗して東京に戻る事にした。
(2013.10.23記)

□2013年10月18日 金峰山越え(18日:金峰山組の行動) 中村 雅明(昭和43年卒)
          ****** 2013年10月25日投稿
1. 出発まで
 藤原さんの指示で、学生2名に中村が付き添って金峰山経由で藤原山荘を目指すことになった。大日岩到着が遅れたので、金峰山越えで廻り目平に明るい内に着けるか、本間さん、佐藤さんが心配されたが、藤原さんは「学生さんは下りが早いので大丈夫ですよ」と言い切った。それでも悪いケースを心配した佐藤さんが懐中電灯を持ってきたか聞いたところ、2人とも持っていないという。事前の学生向け案内の「7、登山装備」に「私物用具は、登山靴・衣類以外はOBより借用する」と書いてある。今回は佐藤さん、藤原さんが懐中電灯を貸したが、今後、懐中電灯、雨具は個人装備として持参する様に指導する必要がある。
大日岩までの3ピッチは本間さんの適度なピッチで登ってきたので、若い学生さんの早いピッチについて行けるか少し不安がよぎる。ただ、これから歩くコースは6月に藤原さんの案内で歩いた逆コースなので様子がわかっているのは心強い。12:45出発。
2. 金峰山頂まで
伊藤トップ、長島、中村で歩き始めたが2人は張り切って脱兎の如く樹林帯の中の急坂を登って行く。伊藤君は大股で力任せにぐいぐい登って行くのでストップをかけ「そんなスピードでは後が続かない。抑えて抑えて!」と注意する。それでもかなりのスピードで登り続けたので少し早めの13:30休憩。トップとしての歩き方を教える。トップを歩く時はどうしてもペースが速くなるので意識的に抑えること、後続のペースを常に気を付けること、・・・・など。13:37出発。
急な樹林帯の登りを10分ほど続けると樹林帯を抜け、砂払いの頭に立つと思いがけない景色に出会えた。上空のガスが消え、一面の白い雲海の先に南アルプスが見える。金峰山の右側には雲海から富士山も聳えている。学生も喜んで携帯で写真を撮る。
この先は山梨県側絶壁と長野県側のハイマツ帯との間を突き上げる岩尾根を登高する。伊藤君は相変わらず元気に登って行く。長島君の歩きもまずまず。但し、岩場は慣れていないので、「下りは怖いね」と2人共心配そう。そこで金峰山小屋への巻き道分岐で小屋を指差して、「下りはこの道でなく、頂上から金峰山小屋へ直接下るよ」と説明する。藤原さんからは学生が不調の場合は、頂上をあきらめ分岐から小屋に行くようにと言われていたが杞憂だった。ところがこの頃からガスが涌き、頂上付近が見えなくなった。岩尾根を登り切り、14:25山頂の一角にそびえ立つ五丈石の基部着。大日岩から2P1時間40分。コースタイムより若干早く及第点か。但し、伊藤君の歩くペースが課題である。展望はないが折角なので頂上に行くことにした。2人共ついて来たと思ったが、頂上に来たのは伊藤君1人。長島君は疲れて休んでいるとのこと。ガスは晴れず全く展望なし。晴れていれば奥秩父随一の展望を逃した伊藤君が気の毒だった。頂上の道標のところで伊藤君の写真を撮り五丈石基部に戻る。長島君はそこで暫し眠っていたとのこと。それほど疲れていたのかと心配になったが、中村の持ってきたリンゴを食べ元気が出た様子なので安心した。
3. 中ノ沢出合まで(下山)
14:47金峰山小屋に向けて頂上を後にした。小屋まではハイマツの間の岩の上を歩くの で慎重に足を運んだ。金峰山小屋は素通りし、樹林帯の中の道をどんどん下った。下りは慣れていない為か、伊藤君のペースは速過ぎることなく長島君との間も離れず適切だった。50分ほど下ったところで休憩。2人とも今回新調した靴を履いているので足の調子を聞いた所、伊藤君は問題なし、長島君は肉刺が出来て痛いとのこと。「あと30分で中ノ沢出合。その後は歩きやすい林道」と説明すると安心した様子だった。
15:47出発。10分ほど下った所で、中ノ沢出合から迎えに来た藤原さんと遭遇。今日2回目の出迎えに感謝。16:20中ノ沢出合着。ほぼコースタイム通りだった。明るい内に廻り目平に着く目途がついて安心する。
小憩後、歩きやすい林道を飛ばして17:15金峰山荘に着く。その手前でそろそろ着く頃と虫が知らせた佐藤さんの出迎えを受けた。岩根山荘のバスの出迎えが有り難く、藤原山荘に17:30着。本日の山行を無事終了した。
4. あとがき
伊藤君は9月の芦安登山道整備に続いて今回が2回目の山行。長島君は初山行。
金峰山に着いた時、長島君が疲れた様子だった理由が、藤原山荘での夕食時の話で判明した。彼の自宅は品川で18日の八王子発6:30に間に合わないので国立の伊藤君の下宿に泊めてもらった。ところが満足な寝具なし・しかも床に寝たので、寒くて痛くて満足に寝られず寝不足だったので登りが辛かったとのこと。歩き方のバランスは良いので体調良ければ大丈夫だろう。
2人の課題は、@雨具・地図・懐中電灯は必携個人装備として持参することA長時間リズム良く歩けるペースを身につけることである。
(2013.10.25記)

10月18日 13:46
砂払いの頭から雲海の先に
南アルプスを望む
10月18日 14:36
金峰山頂にて
(伊藤)

□2013年10月19日 19日の学生の行動  藤原 朋信(昭和44年卒)
          ****** 2013年10月25日投稿
1. 廻り目平の岩場に出かける前に
山荘でハーネスを付けて、ザイルの結び方を練習した。結び方は現時点で最も信頼がある8の字結びにした。
次にクライミングシューズを履いてみたが、伊藤君はピッタリであったが、長島君には小さすぎて気の毒であった。学生に大柄な人はいないという事前情報には178cmの長島君は入っておらず、私の確認ミスである。
山荘の最後に2階のクライミングウオールでボルダリングとアブミ練習を軽く行った。
2. 山荘から徒歩50分の廻り目平らにでかけたが最初のフリークライミングの岩場は増水した川の水に邪魔されてパス、以降ボルダリングの岩場を数箇所見学して(岩場が乾いていないので実習は易しいルート2本のみとした)廻った。
3. ボルダリング終了後は廻り目平のトレッキングコースである屋根岩コースを周回して帰途についた。ボッカ訓練も兼ねて5kg程度の石を持ってもらったが、さすが若者なんら問題なく帰着した。
4. 山荘で小休憩後 各人勝手にクライミングボードで練習したが、終了点まで到達できず、課題は次回に持ち越しとなった。宮武車の女子学生2名も山荘に到着し、菊田さんが1回ボルダリングにトライした。男性陣より見込みがありそうで次回以降に期待!
(2013.10.25記)

□2013年10月19日 廻り目平合宿懇親会(19日18:30〜20:15:岩根山荘)
                中村 雅明(昭和43年卒)  
         ****** 2013年10月29日投稿
出席者:蛭川、本間、佐藤(久)、吉川、中村(雅)、藤原、宮武、山田夫妻&娘さん
     [学生]伊藤(3年)、長島(3年)、原(2年)、菊田(2年:国立音大2年)

 今回の廻り目平学生・OB合同合宿は懇親会への出席のみが義務づけられたアダージョ型の懇親山行で、18日もしくは19日にそれぞれ行動した参加者は、19日の夜、岩根山荘に参集しました。司会は主幹事の本間さんの指名により中村が務めました。
(以下は中村が記憶している話題です。漏れがあると思いますがお許し下さい。)
冒頭、今回の合宿の立役者の藤原さんと本間さんに中村よりお礼の言葉を述べました。藤原さんは現地幹事としてご自身の山荘を学生の宿舎として提供&食材手配・料理一切の面倒を見ていただきました。本間さんは主幹事としてOBへの連絡・学生への木目細かい連絡・支援に迅力されました。この合宿の骨子は3年前、本間さんと藤原さんが立案したもので、それが今年実現した、お二人のお蔭ですと皆さんにお伝えしました。
 前置きの後は学生と初対面のOBが多いので、学生4人に自己紹介してもらいました。各自、出身高校、入部動機、今後の抱負などを話しましたが、伊藤君には9月の芦安登山道整備デビュー、11月3日開催予定の月見の宴にも触れてもらいました。
 遠路北海道から参加された蛭川さんの音頭で乾杯した後は、岩根山荘のおいしい食事&お酒を飲みながらのOBのスピーチで大きく盛り上がりました。                                      
○トップは、山田さん。結婚後久し振りの顔見世です。奥さん、お嬢さん(アズミちゃん)とご家族での参加です。顔がふっくらして、家族サービスに忙しく山から遠ざかっていると思いきや、年間30日も登っている、しかも難しいルートの登攀もされているとの話に皆さん感心することしきりでした。奥様にも同じ山岳会で山田さんとクライミングを共にされ結婚に至ったことをお話していただきました。お嬢さんも可愛らしく、雰囲気を和やかにしてくれました。
○芦安夜叉神峠登山道整備に昨年大活躍し、今年9月にも参加した宮武さんが学生向けに芦安と一橋山岳部との関わり、登山道整備のきっかけである芦安山岳館のことなど判りやすく話しました。またこの登山道整備のリーダーを務めた本間さんが補足しました。
○ヨーロッパアルプス・トレッキング、東海道歩きなど活発に活動されている吉川さんが、ゴルフ一辺倒から山登りを復活した現況の話の後、山岳部1年の時の忘れ難いエピソードをユーモラスに語り大受けしました。「夏合宿中にリーダーに、中学生が捨てた弁当を拾いにいかされたが、リーダーは自分だけで食べるのではなく半分分けてくれた」、「私物チョコレートを皆に分ける習慣があったが、リーダーは最後に残った1つを自分が食べるのはなくジャンケンで決めた」。山岳部は厳しくとも民主的な運動部であることが窺える話でした。
○9/9〜10/2インド・ヒマラヤトレキングから帰国間もない佐藤(久)さんが指名されましたが、佐藤さんは個人的なトレッキング体験談よりも、学生さんに参考になることを話しますと、@山登りは一生続けられる、年に応じた登り方が出来るスポーツA山岳部は開かれた部で先輩・後輩の繋がりが強い組織であるので、卒業まで山岳部に留まり、積極的にOB山行に参加することを勧めました。
○蛭川さんは、はるばる北海道から参加したのは、同期の本間さんが幹事であること、快気祝い(本当に回復したか確認?)と同期の友情の強さを語りました。
○今合宿の立役者の藤原さんは、3年前に企画した合宿が今回多くの参加者を迎えて盛大に実現したことは画期的、嬉しいと述べた後、現役時代から見ると別人の様に大変身した経緯、足取りなどくだけた口調で語りました。最後に「自分もそろそろ引退の年なので学生さんの岩登り指導は山田さん如何でしょうか」と締めくくりましたが、来年以降も廻り目平合宿を続けたい我々にとっては今後とも学生さんの指導をお願いしたいところです。
○懇親会の最後の呼び物は菊田さんが演奏・録音した山讃賦のピアノ演奏の初披露でした。
中村がインド・ヒマラヤトレキングに出掛ける前に依頼したものが懇親会に間に合いました。広い会場なので音量を最大にして再生したので雑音が少し気になりましたが、初めて聞く山讃賦のピアノ演奏に興味深く耳を傾けました。再生が終わった途端に、「3箇所、自分達は楽譜と違って歌っているね」との思いがけない?本間さんの感想に皆さんワーと反応しました。それからはもっと音質良いレコーダーで録音すべし、だれか歌の上手な人に演奏にあわせて歌ってもらおう・・・話が弾みました。
○終了予定の8:00を過ぎたので、全員立って山讃賦1番、4番を大合唱しました。終わった後、蛭川さんから、「4番の・・・山籟を遠くきくときの“山籟”を現役時代は“雷”と思って歌っていましたが“山風が樹木を吹き騒がす音”です。また、・・・うつつなくゑまいするかなの“ゑまい”は“笑む”で“めまい”ではありません。」との講釈があり、私も、私も雷にめまいすると思っていた、座って蛭川さんの話を聞きましょうと言うことになりましたが、藤原山荘に送ってくれるバスの用意が出来ましたとの声で、残念ながらお開きとなりました。
(2013.10.29記)

□廻り目平合宿の感想 伊藤 久裕(一橋山岳部:商学部3年)
          ****** 2013年10月28日投稿

 金峰山の登りは、雲海が見えるなど、絶景が後押ししてくれた事もあり、非常に楽しく登れま
した。ただ、山頂でモヤがかかっていたことが残念です。下りは、足場が慣れないこともあり、登りよりも大変でした。でも、まだまだ登れそうな元気は残ってました。
 一方、ロッククライミングの感想ですが、雨で体験があまり出来なかったが故の無念さに尽きます。ただ、藤原さん宅の室内クライミングを制覇できなかったのは非常に悔しかったです。またの機会があれば、是非、天気にも恵まれ充実した体験ができる事を祈るばかりです。

□廻り目平合宿の感想 長島 弘賢(一橋山岳部:商学部3年)
          ****** 2013年10月30日投稿

 先日の廻り目平山行に際しては、大変お世話になりました。
ロッククライミングやボルダリングなど大変貴重な経験になりました。
また、藤原山荘での食事も大変おいしかったです。
連日、お風呂にもいれていただたいたおかげで、山行も快適に進めることができました。
大変お世話になりました。




会   報
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2013年10月19日 茂来山(廻り目平合宿山行) 吉川 晋平(昭和42年卒)
          ****** 2013年10月30日投稿

 新緑の山と紅葉の山と,どちらが好きかと問われれば,私は躊躇なく紅葉の山と答える。歳を重ねて,人間が枯れてきたからかもしれない。でも,緑一色の景色よりも,赤黄茶緑が綾なす錦秋の山の方が好きだ。落ち葉を踏みしめながら歩くのは,自然の良さを足から感じる。都会の鋪装道路では味わえない感覚だ。色づいた葉がはらはらと散ってくるのも風情がある。
 本間さんから,廻り目平で,登山と学生との交歓とのメールが届いた。廻り目平,どこだろう。ネットで調べ,昭文社の地図を見たら,金峰山の裏側にあった。奥秩父は,これまで,塩山などの中央線沿線から登っていたので,佐久から入るのは感覚的には裏側だ。小海線を利用しての登山もしてきたが,いつも,小海線の西側(八ヶ岳側)の山しか登っていないので,やっぱり,裏側だ。 廻り目平からは,金峰山や小川山が登れるという。10月の下旬近いので,さぞかし,紅葉が綺麗だろう。紅葉を愛でながら,白い富士山も望める。地図を良くみると,廻り目平の近くは,唐松の紅葉が美しいとあった。大学2年,東京オリンピックの秋,北鎌尾根の冬のアタックのための荷揚げの帰り,湯俣川沿いの道。唐松林を歩いていると,黄色に色づいた唐松の葉が,風に吹かれて,腕に肩に散ってきた。とても感激した記憶がある。
 よし,参加しよう。ということで,茂来山登山となります。当初は,金峰山か小川山と考えていた。特に,小川山は登ったことがなく,今年の初夏に瑞牆山に登ったとき,ガイドが静かで奥深く面白い山と言っていたので,登れればと思っていた。しかし,本間さんが,前日に学生と金峰山に登るので,翌日小川山はきついとのこと,また,単独行は気が進まないので,結局,茂来山となった。
 本間さんから茂来山の名がでたとき,???。ネットで調べるにも読み方が分からず,しげる・くる・山と順に入力し,検索できた。もらいさんと読むのだ。佐久の名山とのこと。浩宮時代の皇太子が登った由緒ある山でもあった。標高・1717メートル。
 10月19日(土)朝8時過ぎ,本間・佐藤(久)・吉川・中村の4名で,今にも泣きだしそうな空の下,岩根山荘を出発。3年先輩・1年先輩・1年後輩と,学生時代に戻ったよう。国道から登山道に入る分岐点を見誤ったが,車1台がやっと通れる石と泥の道を通って,9時10分,霧久保沢登山コースへの駐車場(と言っても雑草が生い茂っている広場)に到着。9時20分,林道を歩き始める。17分で,登山口に。登山道に栗のいが殻が大量に落ちている。いが殻を踏みしめながら登る。実が全部無くなっているので,熊が食べた残り滓ではないか,熊が出たら誰が退治してくれるのか,やっぱり久さんかな,などと想像しながら歩く。ところが,本間さんが速い。歩き始めたとき,本間さんが先頭に立った。病み上がりと聞いていたので,自分のペース即ちゆっくり歩くのかと,勝手に考えた。この考えが浅かったことに直ぐ気がついた。本間さんは速い。登りも下りも速い。ついていくのがやっと。10時5分,こぶ太郎に到着。
 こぶ太郎。森の巨人たち100選の木。巨大なトチノキ。樹齢約250年。樹高・22メートル。幹周・5.31m。太い幹に,大人の頭程の大きさのこぶが沢山できている,こぶだらけの木。それで,こぶ太郎。こぶ太郎を鑑賞するために,木製の広いテラスが作られ,ベンチも設置されている。茂来山随一の見どころである。
 10時15分。出発。トチノキ・クヌギ・ぶな(?)などの,広葉樹の林の中の,急斜面の道を登る。落ち葉が石も土も見えないほどに登山道に積もっている。落ち葉がクッションになり,足に優しい。急斜面を喘ぎ喘ぎ登る。途中,大王トチノキを通過。こぶ太郎ほど幹周は太くないが,樹高は遙かに高い。屹立して,周囲を睥睨している。30分程歩いて,休憩を入れ,11時22分,尾根道に出,槙沢コースと合流。尾根筋の枯れ木の中を13分程歩き,最後に,7?8mの高さの岩山を登り,11時35分頂上到着。
 360度の眺望。八ヶ岳,甲斐駒・北岳など南アルプス,富士山,両神,浅間,遠くには雪化粧した北アルプス。が,見えるはずであった。残念ながら,生憎の曇り空。何も見えず。やむなく,吉川が持参した,茂来山頂上からの展望写真を見て,各人,頭の中に思い描いて,楽しんだ。岩根山荘手作りのお握りを食べた後,12時,下山開始。13時35分,駐車場に到着。帰途,想い出の松原湖を訪ね,岩根山荘まで帰る。他に登山者はなく,静かな山旅を楽しむことができた。本間さん,本当に有り難うございました。 なお,記録は全て中村さんの提供によるものです。

▼画像をクリックすると大きく表示されます
10月19日 10:08(撮影:中村)
トチノキこぶ太郎
10月19日 10:34(撮影:中村)
大王トノキ

10月19日 11:56(撮影:中村)
茂来山頂にて
  左から佐藤、本間、吉川


会   報
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■2013年10月19〜20日 初のOB現役合同山荘合宿、飯盛山(女子部員)

                      原 萌子(一橋山岳部:社会学部2年)

(針葉樹会OB&一橋山岳部現役部員合同秋合宿@廻り目平)
●概要
 今回の秋合宿は、OBと現役による、廻り目平の山荘での初の合同合宿の記念すべき第一回目であった。現役部員としてこのような素晴らしい体験をさせていただいたことに感謝しつつ、この企画を支えてくださったOBの方々、特に合宿場所として素晴らしい山荘を提供してくださった藤原さん、今回の企画の主に進めていただいた本間さんには本当に部員一同大変お世話になった。
 今回は、男子部員二名(伊藤さん、長島さん。共に三年生。)は18日から、女子部員二名(菊田、原。共に二年生。)は19日から山入し、西部奥秩父登山の信州側基地として有名な廻り目平において「山歩きと岩登り」を経験するというプログラムであった。宿泊はOBの藤原さんの山荘にお世話になり、二日目(19日の夜)には岩根山荘においてOBと現役の懇親会が行われた。
 19日は全体的に曇っており、山の中に霧が立ち込め、霧雨又は少しぱらつく程度の雨が降ったが、20日は比較的強い雨が降っていたため最終日の山行は中止となった。

●参加者
現役部員: 伊藤久裕(商学部三年)、長島弘賢(商学部三年)、菊田果琳(国立音楽大学二年)、原萌子(社会学部二年)

●山行時間記録(女子部員の山行)
メンバー:蛭川さん、宮武さん、菊田、原。
国立駅南口集合(6:15)→飯盛山山行開始(9:05)→頂上到着(10:23)→下山開始(10:46)→下山(11:56)→川上村文化センター(13時半頃)→藤原さん山荘(14:30)

●2013年10月19日 曇りのち晴れ
[第一部 飯盛山登山] 
 初のOBの方々との合同合宿、さらに初の山荘合宿、という二つの「初」が重なった今回の合宿は、私にとってとても大きな経験になったと思う。男子部員は前日の18日(金)から山に登り、一方女子は19日(土)からの一泊二日合宿であった。当日は朝6:15に国立駅南口で宮武さんの車で送迎してくれるとのことで、前日早めに就寝する。
国立駅で偶然菊田さんと遭遇し、宮武さん、蛭川さんと合流し、まず飯盛山に向かう。途中山梨のサービスエリアに寄ったが、すでに雨がポツポツと降り始めていた。駐車場の一角に笹子トンネル事故の弔いのための献花台が置いてあり、古い売店や食堂と、献花台の新しさ、埋め尽くされている花の対比が雨の中印象に残った。
 飯盛山には9時前には到着、しかし天気は曇りで、山の入口にある駐車場から本来八ヶ岳などが見えるはずが、曇っていて展望が開けていなかった。天気が回復することを望みつつ、9時5分から山行開始。菊田、原、蛭川さん、宮武さんの順で登り始める。蛭川さんは腰を痛めているとおっしゃっていて、少しペースを落としての山行となった。初めは比較的背の低い木々に囲まれた小道を沿うように登っており、少し開けると上が木に覆われていない、小岩が坂上に並んでいる道が進んだ。その後森の中に入ると、もともと曇りだったせいか、周りが全く見えない道に入る。雨が降ったようで、地面は湿っており、落ち葉に足が取られそうになるところもあった。道中は蛭川さん、宮武さんとOBの方々の一橋の風潮と、私が話す一橋の今の風潮の違いに花が咲く。今の一橋(大学全体に言えることだが)は出席が厳しかったり、学内禁酒だったりと、先生の生徒に対する干渉度が高まっているなど、様々な変化を知ることができとても楽しかった。
 道中雨が降ってきたため、雨具を使用。途中に鹿柵があり、鹿が山を降りて作物に影響を及ぼさないようにしているところも見られた。また、植物の種を植えているところもあり、山環境の維持への様々な取り組みが見られた。頂上につき、周りを見渡すと霧で見事に何も見えなかった。少し落胆したが、無事山の頂上にたどり着いたことに安心、頂上の写真撮影。(10:23)頂上で一休みすることにし、宮武さんからみかん、蛭川さんからチーズを頂いた。約二十分後に下山を開始する。下山は上りの時より速いペースで下り、途中山の花や木々の解説をしていただいた。段々と天気も晴れてきて、すれ違う登山者も増えてきた。OBの方々が、部員の国立音大の菊田さんの下り方がとてもよい、(彼女はこまたで小さく丁寧に降りていた)とおっしゃっていて、私もそれに見習おう、と思った。11:55に下山完了、天気も晴れやかになり、景色も広がっていた。駐車場のところで山々をバックに記念撮影し、飯盛山を後にしたことができ良かったと思う。

▼画像をクリックすると大きく表示されます
10月19日 12:時頃
登山口近くの駐車場にて
霞が消え晴れ間が見えた
 10月19日 12:10
登山口近くの駐車場にて
左から原、菊田、蛭川、宮武

[第二部 川上村文化センター]
 蛭川さんの提案により、山登りの後、川上村文化センターに縄文遺跡の見学に行くことになった。縄文遺跡に詳しい蛭川さんに、道中縄文、弥生時代の時代背景等を伺い、受験のとき日本史の記述問題で暗記したことを思い出した。
 川上村はレタスが有名で、「レタス富豪」と言われるほど、村全体が裕福であるよう。そのせいか?、川上村文化センターはとても綺麗な大きな施設であった。二階に、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、近代までの遺跡が飾ってあった。旧石器時代の打製石器から始まり、縄文土器と弥生土器の違い、土偶など、歴史の神秘に惹かれ、教科書で見ていた遺跡を実際に見ることができ、日本史が好きであった私はとても楽しい時間を過ごせた。また、弥生時代の遺跡の使用方法についても議論し、土偶や石棒といった具体的用法が想定しにくい又はまだ発見されていないものに関しては、祭場の時に使用したのではないかという意見でまとまった。歴史を学び、実物の遺跡を見ることはとても楽しいと感じた。

[第三部 藤原さんの山荘]
 山荘には2:30頃に到着、夜の山荘はかなり冷えるために早めにお風呂に入り、藤原さんの山荘についているクライミング施設を女子も体験した。夜は岩根山荘でOB現役の懇親会が行われ、現役部員の自己紹介や今後の意向、OBの方々の現役時代のお話や、今後OBと現役の合同山行を増やしていこう、などのとてもありがたいお話や提案をしていただき、部員一同とても楽しく過ごせた。次の日は雨のため山行できず、当初女子は金峰山に登る計画だったが、そのまま帰ることになってしまった。私と菊田さんは藤原さんの山荘の二二軒隣にある水谷さんの山荘にお邪魔し、色々なお話を伺い、その後宮武さんの車で、現役部員全員で帰途についた。
▼画像をクリックすると大きく表示されます。
6月3日 6:09
藤原山荘(撮影:中村)
10月20日 8:50頃
藤原山荘からの景色

[山行を振り返って]  原 萌子
 今回の山行において、OBの方々に大変お世話になった。特に私は初めてのOBの方々との合同の山行であり、ご一緒させていただいた山行はもちろん、道中の今とは違う一橋の姿や山の木々や花の名前を教えていただき、またこういった機会を得られるととても嬉しいと感じた。ただ、二日目の金峰山が雨で登れなかったことだけが本当に残念であったため、今度再チャレンジしたいと思う。

[山行を振り返って]  菊田 果琳
  ******2013年11月1日 井草、中村宛てメールより転載

 今回の合宿では、天候には恵まれなかったものの、貴重な体験をする事ができました。
初日は午前中に飯盛山登山、午後に川上村の縄文時代遺跡の博物館を見学。
 飯盛山の山行は、気温が低く小雨が降っている中での登山でした。途中、霧で先まで見渡せない道もあり、山頂では周りを雲で囲まれていて景色を見ることはできませんでした。また気温が低く、改めてこの時期の雨具や防寒具の必要性を痛感しました。しかし下山し登り口に着く頃には、天気が少し回復し雲が無くなっていて、駐車場から周囲の美しい山脈を見渡す事が出来たのはうれしかったです。
 川上村の博物館では、川上村の文化やそこに暮らしていた縄文人や弥生人の遺跡の展示を見学し、山以外にも川上村について知ることができました。
夜の懇親会では、OBの方々の様々な登山の体験を聞き、改めて登山を興味深く思いました。この合宿でかなわなかった金峰山にも、またの機会にぜひ挑戦したいです。
 今回の合宿全般で、とても貴重な時間を過ごしました。雨の中での登山も終わってみれば良い体験だったと思います。 OBの方々の企画、山荘をご提供いただいたことも、本当にありがとうございました。

 最後に、稚拙ではありますが、山讃賦のピアノ伴奏をさせていただきました。この歴史ある、OB、OG、部員の方々に歌われてきた曲の伴奏をするのは、非常に緊張しました。歌詞は、古風な言い回しがとても美しい言葉なので、その意味を考え、なるべくそのイメージを表現したいと思いました。また、山の頂きから晴れ晴れと眺め渡す景色を考えました。
 皆様のイメージと違っていたり、また、違和感のある演奏部分などがありましたら、なんなりとご教示いただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

会   報
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■2013年10月13日 中村学校開校記念山行・石割山  峯 弘卓(社会学部4年)
        *********** 2013年11月25日投稿
 (編集前書き)
 中村学校は藤原朋信さん(昭和44年卒)が一橋山岳部員の基礎登山技術習得・向上&体力強化を目的とした東京近郊の山行を企画し中村(雅)が賛同し開設されました。原則月2回、内1回は女子部員向けの比較的軽い山行を行い、期間は6ケ月を想定しています。
 今年は3年生、2年生の新入部員が一挙に6名と増えましたが、3年から入部した4年生だけでは下級生を指導育成するのは困難です。それを補うのが中村学校です。
 本山行は中村学校の第1回山行です。

<<参加者>>
 中村雅明(昭和43年卒) 藤原朋信(昭和44年卒) 峯 弘卓(社会学部4年)
※下の画像をクリックすると山行記(PDF版)がダウンロードされます。 全3頁 写真5葉

10月13日 13:36  2頁より
大平山頂から富士を望む
【内容】(段落見出し)
≪はじめに≫
@富士山駅→浅間大社 ・・・・1頁 
A浅間大社→長池山  ・・・・2頁
B長池山→大平山   ・・・・2頁
C大平山→石割山   ・・・・2頁
D石割山→二十曲峠→池ノ平→東桂駅  ・・・・2頁
おわりに      ・・・・3頁
会   報
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■2013年9月28〜29日 瑞牆山&編笠山 川名 真理(昭和63年卒)

          *********** 2013年10月6日投稿

▼山行の経緯(川名)
 中村雅明さんと藤原朋信さんが月2回のペースで山歩きをするなかで、学生をサポートする山行を組む話が、かねてより持ち上がっていました。なかでも女子部員が3人もいて、川名も女子のサポートをしたいと思っていたことから、話がまとまりました。8月の赤木沢?裏銀座縦走の帰り道に川名が思いつきで口にした二つの山を、中村さん経由で藤原さんが具体化してくださったのには驚きました。
 藤原さんのご友人の水谷さんが車を出してくださったため、韮崎駅?瑞牆山?廻目平(藤原山荘泊)?小淵沢駅?編笠山?小淵沢駅と、ダイナミックに移動することが可能になりました。藤原さんの山荘を使わせていただき、とても快適に楽しく過ごさせていただきました。このお三方のサポートがあって可能になった山行でした(中村さんはヒマラヤトレッキング中で参加はしていません)。
 ただ、川名が送信した案内メールが、着信した人によっては文字化けを起こしていたため、肝心の女子学生3人のうち2人にはメール内容が届いておらず、それがわかったのが1週間前。届いていた高橋さんは休部中、原さんは都合がつかず、日曜のみ都合がつく菊田さんのみの参加になりました。そこで私の友人の前嵩西さんも、参加させていただきました(反省点:PCから携帯メールに送信すると文字化けを起こす可能性があるので注意)

▼日程、山、参加者
9月28日(土) 瑞牆山(不動滝コースから往復) 
         藤原さん、水谷さん、前嵩西さん、川名
9月29日(日) 編笠山(観音平から往復) 
         藤原さん、水谷さん、前嵩西さん、菊田さん、川名

▼コメント(川名)
 土日とも天気に恵まれ、空気が澄んで、最高の展望を楽しみました。瑞牆山は藤原さんおすすめの北側の登山道を往復。山頂は人でいっぱいなのに、登山道では他の登山者とすれ違うことがなく、静かでよかったです。
 両日とも、上りは川名のペースでゆっくりコースタイムどおり。下りは、初日はゆっくり歩きましたが、二日目は電車に間に合わせるために、後半は結構、飛ばしました。
 菊田さんは、上りは楽々、下りもどんどん慣れて、安定して遅れずについてきてくれました。最後に心からの笑顔で「楽しかったです」と言ってくれて、本当によかったです。

▼網笠山コースタイム(記録:菊田)
09:42観音平発?10:39着(雲海)10:49発?11:42着(押手川の少し上)11:55発?13:09着(山頂)13:32発?14:25着(押手川の少し上)14:32発?15:32観音平着

▼コメント(菊田)
後日筋肉痛になりましたが、体力を付けてまた様々な山に登れればと思います。次回、機会がありましたらまたご指導よろしくお願いします。今回このような機会を設けていただき、本当にありがとうございました。


▼画像をクリックすると大きく表示されます
10月29日 13:24
編笠山頂上にて
(後列左から菊田、藤原)
(前列左から前嵩西さん、水谷さん)
10月29日 13:28
編笠山頂上にて北方の八ケ岳連峰を背景にして
(左から阿弥陀岳、横岳、赤岳、権現岳)
(左から川名、菊田)


会   報
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■2013年8月2〜7日 黒部源流山行(赤木沢遡行・裏銀座縦走)  
                                   中村 雅明(昭和43年卒)
     ******2013年10月24日投稿
 4年前の夏、小島さん、川名さんとの朝日連峰縦走からの帰りの列車で赤木沢遡行が次の目標となりました。ところが3年前は悪天の為、赤木沢を断念し、薬師沢小屋から雲ノ平に登り、高天原温泉−岩苔小谷−双六小屋−新穂高温泉と歩きました。2年前は快晴の絶好の沢登りの前夜、薬師沢小屋で夕食時に中村が悪酔し部屋に戻る時に転倒し頭を打ったので、翌日大事を取って山行を中止し断腸の思いで折立に下りました。昨年は3度目の正直と張り切りましたが、出発直前の天気予報が絶望的な悪天予想の為、山行を中止しました。こうなると赤木沢は止められません。意地でも遡りたい執念の沢となりました。
 今年は力強い前神さん、兵藤さんが参加、また山岳部4年の小宮山、町田両君も参加し賑やかな顔ぶれでめでたく赤木沢を遡行できました。延長戦で小島、川名、中村の3人は烏帽子小屋までの裏銀座を縦走し、充実した黒部源流山行を締めくくりました。

T メンバー
小島和人(昭和40年卒) 、 中村雅明(昭和43年卒)、 前神直樹(昭和51年卒)、 兵藤元史(昭和52年卒) 、
名真理(昭和63年卒)、 小宮山尚与志(山岳部4年)、 町田広樹(山岳部4年)
U 行程
82 新宿(23:30) 夜行バス(※1) 
 ※1 金沢・富山バス、WILLER EXPRESS
8月3日 富山(5:50〜6:20)−(タクシー※2)−折立(7:10〜20) − 三角点(9:31〜43) − 太郎平小屋(12:20〜13:00) − 薬師沢小屋(15:10)[泊]
 ※2 富山地方鉄道タクシー
8月4日 薬師沢小屋(5:06) − 赤木沢出合(7:20) − 赤木沢源頭(12:13〜55)
 ※兵藤、小宮山、町田は太郎平へ
− 中俣乗越(13:00) − 黒部五郎岳・カール分岐(15:35) −[黒部五郎岳往復(15:35〜16:15] − 黒部五郎岳・カール分岐(16:20) −黒部五郎小舎(19:00)[泊]
8月5日 黒部五郎小舎(5:25) − 三俣蓮華小屋(8:20〜9:10) − 鷲羽岳(10:58〜11:10)− ワリモ岳(12:10) − 水晶小屋(13:40) [泊]
8月6日 水晶小屋(5:40) − 東沢乗越(6:20〜30) − 真砂岳先(8:36〜45) − 野口五郎岳(9:30〜53) − 三ツ岳先(12:58〜13:20) − 烏帽子小屋(13:55)  [泊
8月7日 ○烏帽子小屋から烏帽子岳・烏帽子四十八池往復(5:30〜8:25)烏帽子小屋(8:40) −(ブナ立尾根)− 高瀬ダム(12:20) 登山終了大町温泉郷 − 大町から帰京
V 行動概要
** 8月2日(金) 晴れ
今年は7月中旬に“梅雨明け宣言“が出た後から7月末まで雨模様の天気が続きました。特に北陸地方は大雨に見舞われたので折立までの道路が心配になり、富山からのタクシーを予約した前神さんがタクシー会社に問い合わせた所、大丈夫とのことで安堵しました。天気も出発の2日前に回復し、8月10日頃まで好天が続く予報に意を強くして新宿西口23:30の夜行バスで富山に出発しました。バスは予約を中村、前神さんが分担したのでA車(小島、中村、小宮山、町田)とB車(前神、兵藤、川名)と分かれました。
8月3日(土) 晴れ後曇り後晴れ
6時前にA車が富山駅前に到着。ほどなくB車も到着、全員揃いました。駅周辺は青空が広がり入山日和と喜びました。6:20前神さんが手配したジャンボ・タクシーで折立に向けて出発。7:10折立着。駐車場は車が一杯、登山者も溢れています。朝晴れていた空は曇り、小雨がぱらつく予想外の天気模様が気掛かりです。7:20登山開始。過去2回よりずっと多い登山者に道を譲りながらゆっくり登りました。三角点の手前で天気が好転、青空が広がり安心しました。ここで学生さん2人は兵藤さんの勧めに従って太郎平小屋から薬師岳を往復する為に先行しました。12:20太郎平小屋着。コースタイム通りです。
13:00薬師沢小屋に向けて下りました。来る度に道が良くなっています。ほぼコースタイムで15:10薬師沢小屋に到着しました。小屋は土曜日の為か、かなり混雑しています。
上下2階の頭がつかえそうな下の階に入れられましたが、1人あたり布団1枚で良い方です。荷物整理の後、中村以外の4人は小屋の外でビールで乾杯。中村は2年前の失敗からコーラで我慢しました。小屋前を流れる黒部川の水量はそれ程多くない感じで安心でしたが、翌日思い違いだったことを思い知らされました。薬師岳を往復した学生2人が17:20に薬師沢小屋着。小屋に入らず、黒部川の河原でツェルト・ビバークです。
夕食後、明日の沢登りの準備をして早めに眠りにつきました。
8月4日(日) 小雨後晴れ
 朝4時起きしましたが、まだ外は真っ暗なのであと一眠りして4:30に起き出し、出発支度をしました。5時過ぎに小屋前のハシゴを降りて黒部川の河原を少し歩き、近くの岩陰でビバークしていた学生2人と合流。軽く朝食後、5:25赤木沢出合に向けて遡行開始。
 天気は小雨がぱらつく予想外の空模様で心配です。トップ前神さん、川名さん、小島さん、中村、小宮山君、町田君、ラスト兵藤さんの順で前後が強力ガイドの安心布陣です。
 最初のピッチ(1時間)は前神さんのルートファインディング宜しきを得て、左岸へ右岸へと渡渉しながら黒部川を気持ち良く遡ります。渡渉も膝、時折腰まででザイル確保の必要はありませんでした。ところが赤木沢出合に近づくにつれ黒部川の水量が増え、高巻きが必要な箇所が現れました。1回目の高巻きの後、河原に戻ると先行パーティーが次の高巻きの取り付きで苦労していました。ザイルを付けてガラ場を登っていますがあきらめて戻り始めています。前神さんが左岸をへつろうとしましたが胸までくる水量に引き返しました。それを見た兵藤さんが水の中の石渡り2回で右岸に渡りOKサインを出しました。中村が続きます。最初の石飛びは川の中ほど水面から30cm下の石に飛ぶ訳ですが、上を流れる水流が早いので緊張します。思い切って飛びましたが左足が滑り危うく転びそうになりヒヤリしました。次の石は右岸沿いなので難なく飛べました。
 次は小島さんです。小島さんは1回目の石飛びで転びましたが、水中に落ちることなく右岸に渡りました。ところが3人目の川名さんは1回目の石飛びの着地後、水流に負けて仰向けになり、下流に流されそうになりました。運よくザックに岩が当たり、その場にとどまりましたが、顔を残して水中に没しました。前神さんの助けで起き上がり、右岸に渡りましたが全身濡れた為に体温を奪われたことで体力を消耗しました。下流に流されなかったことは幸いでした。この渡渉はザイルで確保すべきでした。この後、右岸沿いに進めず、左岸に戻るのにあと一度難所が有りました。急流に洗われる岩に飛び移る訳ですが距離があるのでザックを背負ったままでは飛べません。兵藤さんが先に渡り、後続のザックを受け取り、テープスリングでサポートしました。先行パーティーは我々の様子を見て、左岸を水線沿いに抜けて行きました。そちらを通った方が抜けやすそうでした。その後は1回の高巻きで7:20ようやく赤木沢出合に着きました。出合の黒部川のエメラルドグリーンの淵は“聖域”と呼ばれる優美な淵です。薬師沢小屋から予定では1時間の所,2時間要しました。入山前に続いた雨で黒部川の水量が多かったのが原因です。赤木沢は思ったより狭い間口で黒部川に流れ込んでいます。左岸をへつっていよいよ赤木沢に入ると直ぐにナメ滝が現れました。沢の両側は草付の斜面で明るい感じです。ニッコウキスゲのオレンジが色を添えます。但し、小雨が降り続き、時に強くなるので肌寒く雨具、ザックカバーを付けました。赤木沢の別名“滑(なめう)谷”通り次々に赤褐色の美しいナメ滝や階段状の滝が現れます。途中2回高巻いた外は、気持ち良く直登出来ます。期待通りの沢に心弾みながら歩く内に知らずに高度を稼ぎます。
 大滝に近づく頃から雨が上がり青空が広がりました。10:15大滝に到着し大休止。川名さん、中村は大滝の直下まで行って写真を撮りました。見上げるとハングした岩の上から轟々と水が落ち迫力十分です。左岸の急な草付斜面をほぼ真っ直ぐ登り、落ち口付近は灌木の中の踏み跡を辿り、急な斜面を下って滝上の河原に出ました。昔遡った時は滝上の小さな釜で水浴びをした記憶がありますがそれらしき釜は見当たりませんでした。
 水量は次第に少なくなり川床をジャブジャブ歩けます。二股の手前に茶褐色のナメ床と小滝が続くところがあり、ほんの一時ですがチラチラと光も射し、「これぞ赤木沢」を実感しました。二股から左股に入ると沢はどんどん狭まり、源頭は草原とお花畑です。赤木沢の良さはナメ滝の連続する美渓にありますが、源頭の草原の好ましさにもあります。源頭で渓流シューズを脱ぎ、草原の上に残る雪渓を越えた草付で遡行完了しました。出合から5時間、予定タイムより1時間多くかかりました。皆の顔は満足感一杯です。小島さん、川名さん、中村の3人は、念願の赤木沢遡行が4年越しに達成できたのは、前神さん、兵藤さんのガイドのお蔭と2人に感謝しました。3人だけでは、赤木沢出合近くの黒部川の石を飛び渡る渡渉が出来ずに赤木沢に入れなかったでしょう。学生2人も初めての沢登りが赤木沢の幸運に恵まれました。大きなザックを背負いながらも軽快な足取りで沢登りを楽しんでいる様子が印象的でした。
 写真を撮った後、2組に分かれました。12:55小島、前神、川名、中村の4人は黒部五郎小舎に向けて出発。兵藤、小宮山、町田の3人は少し遅れて太郎平に向けて出発しました。(兵藤組のその後は末尾の*1参照)
 稜線に出たところが中俣乗越。そこから黒部五郎岳の登りにかかりましたが、沢登りで疲れた足にはつらい登りでした。渡渉で黒部川に全身が濡れ体力を消耗した川名さんがひどく辛そうだったので、前神さんが川名さんのザックを背負い、3p目の15:33黒部五郎岳頂上・カール分岐に着きました。そこにザックを置き、黒部五郎岳頂上を往復しました。その頃から青空が消えガスが涌き展望が全く無く残念でした。16時過ぎに頂上を後にして黒部五郎のカールに下りました。下る途中の斜面にはコバイケイソウが一面に咲いていました。今年は当たり年で、これほど見事な群落を見たのは初めてと皆同感しました。カールの底に着いた頃、雨が強くなり雨具を着ました。赤木沢を抜ける頃に回復した天気が再び悪化したのは意外でした。そこから黒部五郎小舎まで難儀しました。稜線から降りる尾根を越える樹林帯を何度越えても小舎が見えません。コースタイム1時間ほどのところ2時間以上要して薄暗くなり始めた19:00、3人共疲れ切って小舎に着きました。実に14時間の行動でしたから疲れたのも無理ありません。先行して小舎に早めに着いた前神さんが心配して、小舎の前でずっと待っていました。
 部屋取りもしてあり、前神さんが雨具の整理も手伝ってくれ助かりました。夕食が用意されましたが、川名さん、小島さんの順で疲労が激しく小島さんは少し食べましたが、川名さんは殆ど食べられません。明日も天気も悪い予報と2人の疲労を勘案して明日の行動を相談しました。前神さんから一緒に小池新道を下って鏡平山荘に泊りましょうと提案がありましたが、疲労が少ない中村が「1人でも水晶小屋に行きたい」と強く希望しました。小島さんが「明日の様子次第では、私も水晶小屋に同行しましょう」と言われたので、明日は取り敢えず三俣山荘まで行き、体調次第で最終決定することにしました。いずれにしても、当初予定した五郎沢、祖父沢遡行は取り止めました。小舎はゆったりしたスペースで快適でしたが、沢登りで普段使わない体のあちこちが痛くて良く眠れませんでした。
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8月4日 6:11
黒部川、腰までの渡渉
(赤木沢出合手前)
左から小島、川名、前神
 [撮影:中村]
8月4日 7:45
 赤木沢出合のヘツリ 
前から小島、川名、前神
[撮影:中村]
8月4日 7:49
赤木沢出合上
左から中村、川名、小宮山、
町田、前神、兵藤
[撮影:小島]
8月4日 8:15
赤木沢出合から約1時間
のナメ床を遡る前神、
川名、小島(前から) 
[撮影:中村]
8月4日 9:11
赤木沢トヨ滝先にて
左から前神、川名、小宮山
小島、町田、兵藤
「撮影:小島]
8月4日 16:42
黒部五郎のカールへ下る
川名、小島(前から)
斜面一杯のコバイケイソウ
 [撮影:中村]

** 8月5日(月) 雨
 朝5時起床。川名さんの体調が著しく回復し、水晶小屋に向かうとのことで安心しましたが、取り敢えず三俣山荘まで様子を見ることにしました。朝食は弁当にしてもらい、5:25黒五郎小舎を出発しました。小雨が降っているので上下雨具を着込んで三俣山荘へ向かいました。2Pで三俣蓮華岳・三俣山荘分岐に着きましたが、川名さんの足取りは心配ありませんでした。8:20三俣山荘着。雨が強くなってきました。山荘に入って朝食&ラーメンを食べながら今後の行動を相談しました。小島さん、川名さん、中村は明日からの裏銀座縦走の為、今日は水晶小屋泊、前神さんは当初予定通り単独で双六小屋経由で小池新道を新穂高温泉に下ることにしました。中村が三俣山荘で水晶小屋の予約をしましたが、混んでいますよとのことでしたが仕方ありません。9:20三俣山荘発。前神さんと別れ3人は鷲羽岳に向かいました。(その後の前神さんの行動は末尾の*2参照)。
 2Pで鷲羽岳頂上着。晴れていれば眼下に鷲羽池、彼方に槍ヶ岳の絶妙の景を楽しめるとのことですが雨の為まったく展望なし。ワリモ岳は山頂直下を巻き、ワリモ北分岐で岩苔乗越・祖父岳方面への道と分かれ、ワリモ乗越を越え、13:40水晶小屋に着きました。
 水晶小屋は定員30名と小さいので大混雑。小さい布団に2人。ザックを置くスペースはなく、壁のフックに掛けるしかありませんが濡れているので困りました。定番のカレーの夕食が済むと居場所もないので布団に潜り込みましたが、小島さんと同じ布団なので刺身寝しました。トイレは外なので雨が降っているといやだなと思いながら眠りに着きましたが、夜中に起きた時は雨でなくガスっていただけなので助かりました。

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8月5日 9:43
鷲羽岳の登り途中にて
左から中村、小島
[撮影:川名] 
8月5日 11:39
鷲羽岳からの下りにて
雨に濡れたイワギキョウ
 [撮影:中村]


** 8月6日(火) 雨後晴れ
 朝、空は暗くどんより曇っていますが、時折ガスに切れ間に槍・穂高連峰が見渡せるので急ぎ写真を撮りました。今日は悪天とあきらめていたので、天気が良くなるのではと期待しました。5:40水晶小屋を出発。東沢乗越の少し手前で、乗越から少し下った草原を歩く熊を見つけました。少し小振りなので最初は黒い犬と見間違えましたが熊と気が付き、「熊ですよ」と指差すと小島さん、川名さんも驚きました。熊は真砂岳方面の斜面に姿を消しましたが、裏銀座稜線近くに熊が居るのだと暫し話が弾みました。
 東沢乗越で小憩後、真砂岳に向かいましたが、雨が降り出し、かなり強くなり、岩陰で雨宿りした時は今日も悪天かと気が重くなりました。真砂岳手前の竹村新道分岐を通過する頃に雨が上がり見晴しが良くなりました。長大な東沢、その向こうには水晶岳から赤牛岳にのびやかに続く稜線、眼下に五郎池、前方の野口五郎岳にゆるやかに登る道を見ながらの稜線漫歩を楽しみました。9:33野口五郎岳着。広々とした頂上からは360度の展望が楽しめます。槍ヶ岳から大天井岳、燕岳、餓鬼岳の稜線は見飽きることありません。写真をたっぷり撮った後、9:53三ツ岳に向かいました。三ツ岳手前で素晴らしいお花畑に遭遇し歓声を上げました。雪渓が消えたばかりの草付斜面にチングルマ、ハクサンイチゲ、ツガザクラの群落が咲き誇り、正面には高瀬川からせりあがる槍ヶ岳が聳えます。写真撮影の絶好のポイントですのでここで長い休憩を取りました。小島さんは大学1年の夏山縦走で、劔を出て針ノ木谷支流の南沢を遡行して艱難辛苦の末、翌日稜線に出て裏銀座を逆に笠を目指した時にこのお花畑に立ち寄った場所と懐かしく思い出されました。
 三ツ岳の頂上は巻いて烏帽子小屋の向かう下り道にはコマクサの群落が次々に現れ、川名さんは何度も立ち止まって写真を撮りました。天気は完全に回復し、青空が広がり、烏帽子小屋に着く頃はジリジリと夏の太陽に照らされました。13:55烏帽子小屋着。宿泊手続きを済ませた後、小屋前の日当たりの良い丸太ベンチに座って渓流シューズ始め濡れものを乾かしながらビール(小島・川名)、コーラ(中村)で乾杯しました。烏帽子小屋は夕食がおいしく、水晶小屋と違って布団1枚に1人のゆったりスペースでゆっくり就寝できました。


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8月6日 9:20    
真砂岳先から野口五郎岳
に向かう道(前から川名、
小島) [撮影:中村]
8月6日 9:45
野口五郎岳頂上から望む
水晶岳、赤牛岳に続く
なだらかな稜線(右)
 [撮影:川名]
8月6日 9:54
野口五郎岳頂上
 (左から中村、川名、小島)
[撮影:小島]
8月6日 8:09
竹村新道分岐手前のお花畑
(遠くに霞むのは槍ケ岳)
 [撮影:中村]
8月6日 11:52
 三ツ岳手前のお花畑
 [撮影:川名]


** 8月7日(水) 快晴
 朝、雲一つない快晴。絶好の登山日和です。朝食後、下山に先だって烏帽子岳を往復しました。烏帽子岳に向かう稜線の岩陰にイワギキョウが可憐に咲いています。
烏帽子岳頂上から立山、劔岳が良く見えました。中村、川名はさらに烏帽子四十八池まで足を延ばしました。草原に池塘が点在し、その周りにチングルマ、ツガザクラが咲き乱れ、天上の楽園の趣です。池塘に稜線の岩峰がくっきり映り目を奪われます。写真を撮りまくりました。
 烏帽子小屋に戻り、8:40ブナ立尾根の下山開始。名にし負う急坂の連続ですが手入れの良い道なので調子良く下って4P(3時間40分)で、12:20高瀬ダムに着きました。但し、帰京後の小島さんのメールでブナ立尾根の下り2時間は右足膝の痛みがひどかったことを知りました。痛みを隠して頑張られたのでした。運良く客待ちしていたタクシーに乗って大町温泉郷に行き、風呂に入った後、赤木沢と裏銀座縦走の充実した山行を振り返って気持ち良く乾杯しました。

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8月7日 6:09
ニセ烏帽子岳先からの
烏帽子岳、南沢岳、
不動岳[撮影:中村]
8月7日 6:38
烏帽子岳山頂にて
(左から川名、小島)
[撮影:中村]
8月7日 9:54
烏帽子四十八池
池塘に映る烏帽子岳稜線
の岩峰[撮影:中村]

*1 下山報告 兵藤 元史(昭和52年卒)
               ******2013年8月6日 前神さん宛メールより抜粋
** 4日(日) 曇り 時々小雨 時々晴れ間
   (略)
* 中俣乗越で、右と左に分かれ、我々(小宮山、町田、兵藤)は太郎平へと(13:00)出発、太郎平小屋着16:00。小屋から10分の薬師峠キャンプ場にて、学生のツエルトで3人泊。夕飯の支度最中に雨が降り出し、朝まで断続的に降る。ツエルトに3人で、外側の学生二人には悲惨な夜になった。
5日(月) 曇りのち雨
4時過ぎに起きた時は雨は止んでいた。足の速い学生は、朝食後出発することにして兵藤は紅茶を飲んだだけで5時前に一人先行した。時々晴れ間が見え、一時は富山湾も見えたが、7時頃から本格的な雨になる。8時折立着。5:45に天場をでた学生も暫くして到着、2時間強で着いた。さすが早い。折立からは、バスで昔懐かしい有峰口経由、富山地鉄にて富山にて解散。

*2 下山報告 前神 直樹(昭和51年卒)
              ******2013年8月7日 兵藤さん宛メールより抜粋
5日
9時ころ三俣山荘で3人と別れ、当方は双六小屋を経由して新穂高温泉に17時下山しました。殆ど雨でしたが13時ころから雨は止んだものの16時くらいからまた降り始めて散々な下山でした。

会   報
***

■2013年7月13日 日本山岳会東京多摩支部定例山行
          ― 夜叉神峠周回路を歩く ―     竹中 彰(昭和39年卒)
 
          ****** 2013年7月18投稿

 山行委員会主催の7月定例山行で夜叉神峠に向かうとの告知があったので、昨秋の検分山行以来の夜叉神でありリーダーの副島さんに参加申込みを行った。
 三人目の一般申込みとのことであったが、実際には総勢7名のパーティーとなり、3連休初日で混雑する広河原方面とは打って変わって、曇り空ではあったが猛暑の下界を離れて静かな周回路を歩くことが出来た。

●7月13日(土) 曇り
 甲府駅前集合8:50に間に合せるべく、成瀬発6:03の横浜線に乗車するが、車内は登山姿の中高年が多く、連休初日であることを思い出させた。
 八王子駅の中央線下りホームも始発の松本行き普通電車にかなりの行列が出来ていたが、座席を確保して6:35に発車。車内アナウンスを聞くと、事前に調べた時刻よりも甲府着が2分遅くなるとのことで、途中駅で臨時の特急待ちを余儀なくされた。それでも甲府には余裕の8:12に到着し、駅前のバス乗場Eに向かう。既に乗場には大きなザックを持った客が溢れていた。少し前の方に行くと副島さんから声を掛けられる。かなり早く着いて9時の始発バスの待ち行列に「多摩支部名と番号」を書いた紙を地面に置いて場所取りをしていたとのこと。ここで、本日の行程の予定を聞くと、周回路のコース詳細が不明なので揃ってから決めたいとのこと。そこで、用意してきた昨年の周回路整備作業時の資料(「夜叉神旧道・カンバ平を歩いてみませんか」と「2万5千図の整備検討用拡大図」)をコピーして準備する。その内に特急などに乗ったメンバーが集まり、平均年齢69歳の総勢7名が揃う(副島一義CL、小野勝昭SL、松本好正、飯島文夫、高橋郁子、西谷可江)。
 山梨交通の係員の話では始発バスの前に早朝から既に20台の広河原行き臨時便が出たとのこと。メンバー全員着席し、数名立った乗客を乗せてバスは定刻に発車した。マイカーでぎっしり詰まった芦安駐車場等を過ぎ、10:20に駐車スペース満杯状態の夜叉神峠登山口で下車した(1380m)。林道監視ポスト横で準備体操して10:42にトンネル東口まで林道を歩き、「檜尾峠」の標識に従って登山道に入った。昨年の検分山行時にあった「上部で作業しているので注意」の針葉樹会、芦安ファンクラブ連名の看板はなくなっていた。ここには何か針葉樹会の名前が欲しいところ。その後県の治山事業の草付きの大トラバースに向けて急登が続くが、殆んど問題なく進む。途中で、木に大きな落石が引っ掛かっている箇所があり、辛うじて枯れ木で止まっていた2個が崩れ落ちたが、大事には至らなかった。トラバース後は檜尾峠に向けての緩やかな登りが続くが、余り歩かれていない為か、路肩が緩み加減の場所もあったが問題はない。この間はコアジサイ、キバナノオダマキ、センジュガンピなどの花が迎えてくれた。 2ピッチで11:40檜尾峠(1639m)に着き一息入れる。幸い曇り空が続き、林間を進むこともあって暑さは気にならず、檜尾峠から高谷山に向けての木の根、岩石混じりの標高差200mの急登に備える。
 木に掴まりながら30分弱で高谷山頂上(1842m)に着き昼食休憩とする(12:18‐13:00)。白峰三山の眺望は、残念ながら上部がガスに覆われていた。
 それでも、この数日の甲府盆地の異常高温続きに身構えて来たが、山頂は木陰もあって涼しい風が吹き抜け、全く別天地の趣だった。昼食中に男性中高年パーティーが夜叉神峠方面から登ってきたが、桃の木鉱泉に下るとのこと、その後甲府駅で再会し、無事に下山したことを知る。
 時間的に中の池、シラビソ平方面は割愛して夜叉神小屋に向かう。
 13:20に夜叉神峠小屋に着くが、ここからの展望も北岳、間ノ岳の頂上部はガスに覆われ、僅かに農鳥岳が切れ切れのガスの間から頂上を見せていた。
 昼食中の親子連れに声を掛けられ、檜尾峠から登ってきたことを告げると、「マニアックな」と言われ、まだまだこの周回路の認知度は低いと感じた。
 この後、登山口への下山途中で若者主体の3-4パーティーが大きなザックで鳳凰三山縦走に向かっているのとすれ違い、若者が山に向かう好もしい姿を実見して、彼ら世代を今後東京多摩支部にどんな形で勧誘出来るかをフト思った。歩き易い道を峠から30分程度で登山口に下山した。出発から3.5時間の14:20であった。高谷山からの途中で出合った花は、キンポウゲ、キンレイカ、ニガナ、カラマツソウ、マイヅルソウ、キツリフネなど。
 整理体操、水場で顔を洗うなどして、30分程度の待ちで14:51発の甲府行きバスを掴まえ、芦安駐車場経由で甲府駅には16:20に到着した。ここで、帰りの自由席特急券の払い戻しなどを行って、反省会の場所をバス停直ぐの「花の舞」に定めて靴を脱ぐ。1.5時間程ユックリ歓談して甲府発18:36の始発電車で帰宅した。

 昨年秋以来の周回路、それも逆コースで歩いたが、整備した部分は略良好な状態で維持されており、檜尾峠・高谷山間の尾根道はやはり登りの方が歩き易く、下りの利用者の為には少し手入れが必要と思われた。
 なお、今回の参加者の感想は、整備の手が入ったところは歩き易い道で楽しかった、檜尾峠からの登りはもう少し手が入った方がよい、秋の紅葉時期に再訪したいなど、総じて好評であった。    (2013.7.18記)
13.07.13.センジュガンピ 同 檜尾峠 同 高谷山頂上
 
同 キバナノオダマキ 同 キツリフネ 同 フタリシズカ



●2013年7月14日 RE:夜叉神周回路を歩きました 上原 利夫(昭和33年卒)
          ****** 2013年7月14日HUHACメールより転載

 竹中さん 上原です。
夜叉神トンネル東口から新コースを登り、檜尾峠から高谷山を経て夜叉神峠へ下った記事を初めて読みました。今後の利用が増えそうな様子が分りました。ありがとう。
(編集注)
 本メールは本篇の作者竹中さんの「2013年7月14日付HUHACメール 夜叉神周回路を歩きました」への返信です。また本篇はそのメールを別途纏めたものです。



会   報
***

■2014年7月3〜7日 羅臼岳、斜里岳、雌阿寒岳 〜北海道山行シリーズ〜
                                     岡田 健志(昭和42年卒)

      ****** 『針葉樹会報』第131号より転載(一部改訂)

期間;2014年7月3日〜7日
参加者;佐薙 恭(昭和31年卒)、本間 浩(昭和40年卒)、小島 和人(昭和40年卒)、小野 肇(昭和40年卒)、
佐藤(久)(昭和41年卒)、宮武 幸久(昭和45年卒)、高橋 結子、岡田 健志(昭和42年卒)

 会員による北海道山行は長い歴史と実績のある行事となっている。北海道在住の会員、そのご友人にはそのたびに一方ならぬお世話になっていて、いつも安全で快適な山行を行うことができている。会報の場をお借りして、お礼を申し上げたい。

●7月3日(木)快晴
女満別空港発(13:50)− 小清水原生花園(14:40〜15:10)− 海別(ウナベツ)自然休養村管理センター(16:30)

 札幌在住の小野さんと、蛭川会員の姪ごさんで今回東京から特別参加の高橋結子さん、お二人と女満別空港でドッキング。ここからレンタカーで海別自然休養村管理センターへ。途中、小清水原生花園へ立ち寄る。あまりにも静かなオホーツク海に拍子抜けしたものの、ハマナス・エゾカンゾウ・エゾスカシユリなどが咲き乱れる原生花園に見惚れてしまった。
 海別岳山麓にある海別自然休養村管理センターからは波静かなオホーツク海が望め、夕食は1,200円で食べきれないほどのご馳走が出て一同大満足だった。

●7月4日(金)曇りのち快晴 羅臼岳
海別自然休養村管理センター発(4:15)− 岩尾別温泉、ホテル「地の涯」、木下小屋(5:06〜5:37)− 弥三吉水(7:23)− 極楽平上(7:51)− 大沢の雪渓に下りる(8:51)−羅臼平(9:39〜9:55)−石清水(10:20)− 羅臼岳頂上(11:08〜11:40)− 石清水(12:25)−銀冷水(13:40〜13:49)− 極楽平下(14:23)− 木下小屋(15:55)− 清里温泉緑清荘(17:30)

 今日は知床半島一高い羅臼岳を往復する長丁場。宿の朝食準備が間に合わないので、朝食を持って出発する。今回の山旅では「最年少」の宮武さんが最初から最後までドライバーを引き受けた。
 海別から岩尾別までは、オホーツク海を左手に見ながら、知床半島を北上する。途中、オシンコシンの滝を見たり、オホーツク海へ切り立った崖間際の道を走るスリルを味わった。また、道端から車中の私たちを見上げている、エゾシカやキタキツネとも対面した。
 今回山旅は、札幌在住の小野さん(1965年卒)に大変お世話になったが、その小野さんから40数年前に故大塚先輩と一緒に泊まったというホテル「地の涯」の話を興味深く聴いた。このホテル、こんなところによくまあ建てたな、というような立派なホテルだった。
 木下小屋からはいよいよ山道になる。平日だが、登山者はそこそこ多い。さすがに世界自然遺産登録の地域だけのことはある。樹林帯の中の苦しい登りを行く。途中、弥三吉(やさきち)水・銀冷水といった水場があるが、キタキツネやヒグマのオシッコが混ざっていることを想像すると風土病が心配で飲む気にならない。
 オホーツクをゆく漁船が白い波を引いて行くのは見えるが、山はガスがかかり視界は良くない。そんな天候下、大沢の雪渓の登りにかかった。先頭を行く小野さんの熊避け鈴がチリンチリンと鳴り響く。
 雪渓が切れるあたりで、たくさんの高山植物が現われた。雪が無くなったので、足の置場が難しいが、後続のパーティーをリードする地元のガイドが下の方から、も少し右だ左だと大声で注意をしてくれる。
 羅臼平までの登山道にヒグマの糞があった。あとで聞くと、登山者がヒグマの姿を見たとのこと。やはり北海道だ。
羅臼平で休息後頂上を目指して登り始めるころには、ガスが晴れて快晴となった。這松帯を登るとしばらくして大きな岩がゴロゴロした所に出る。チングルマ・エゾノツガザクラ・キバナシャクナゲ・イワウメ・イソツツジ等が見事なお花畑を作っている。
 振り返ると知床半島の先端へ続く山々が見える。羅臼平にポツンと張ってあった黄色いテントも鮮やかだ。下りのことを考えると恐ろしくなるような、大岩を辿っていく急な道を登り、11時すぎに羅臼岳頂上に着いた。狭くて大岩がゴロゴロする頂上で昼食をとったり記念撮影をしたり忙しいことだった。東方は雲が厚く、国後島は見えなかった。ただ、雲の上から僅かに黒くのぞく爺爺(チャチャ)岳らしきピークが見えた。
 頂上直下の岩場を慎重に下り、ここをすぎるとあとはただひたすらに下るのみだった。
今夜の宿は清里町にある清里温泉緑清荘。緑清荘は、明日登る斜里岳が良く見える立派なホテルだ。

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7月4日 11:20(撮影:岡田)
羅臼岳頂上にて
(後列左から)
宮武、本間、佐薙、岡田、佐藤
(前列左から)小野、小島、高橋
7月4日 12:58(撮影:岡田))
羅臼岳平にて(バックは羅臼岳)
 (後列左から)
岡田、佐藤、佐薙、宮武、本間
 (前列左から)
小島、小野、高橋
7月4日 13:23(撮影:岡田))
羅臼岳 大沢の雪渓を下る
(前から)小野、本間、宮武
佐薙、小島、高橋、佐藤

●7月5日(土)快晴 斜里岳
緑清荘発(4:50)− 斜里岳5合目、清岳荘(5:15〜5:51)− 斜里岳登山口(6:12)− 仙人洞(6:55)− 下二股(7:14)− 羽衣の滝(7:45)− 万丈の滝(8:20〜27)− 見晴の滝(8:44)− 上二股(9:26)− 馬の背(10:24)− 斜里岳神社(10:40)− 斜里岳頂上(10:59〜11:30)− 上二股(12:20)− 熊見峠(13:19)− 下二股(14:16〜30)− 清岳荘(15:32)− 野中温泉(18:15)

 斜里岳は先人たちからオンネヌプリ(大きな山)と呼ばれ、神のごとく崇拝された。優美な裾野を長く伸ばし、麓の町に豊かな自然の恵みをもたらしている。
 斜里岳の西、オホーツク海にほど近い清里町は、一直線に伸びる農道、広がる四角い畑、間を区切る一直線の防風林と、日本離れした農村風景である(全国農村景観100選に選ばれた由)。
 清里からの斜里岳登山ルートは、5合目の清岳荘を起点にし、下二股から新旧コースに分かれる。一の沢川を遡行するのが旧道、熊見峠を経由するのが新道である。2つのルートは上二股で合流する。
 われわれは、旧道を登り始めた。道は一の沢川を何度も何度も渡渉する。水の中をジャブジャブと渡らなければならないほどの水量ではないので、石伝いにヒョイヒョイと飛びながら渡るわけである。これが70才超(中には80才超も)の身には少々ツラい。
 また沢の遡行なので、滝を横目に木やフィックスロープを掴んで登らなくてはならないところや、滝の高巻きを強いられる箇所もある。このルート(旧道)を下山に使うのは如何なものか?という話が出、衆議一決で下山路には新道を使うことが早々と決まった。
 上二股をすぎると道は水がほとんどないガレ場を登る。沢のドン詰まりは馬の背の稜線だった。
 斜里岳神社をすぎ、ガレ場を少し登ると斜里岳頂上だった。頂上付近の上空には、何羽ものアマツバメが飛び交っていた。(アマツバメについては、ホームページの8月18日三月会報告参照)こんなに高いところにエサになる虫がいるのか?それともスポーツのつもりなのか?
 新道を使っての下山ルートは、熊見峠までは、振り返ると斜里岳の頂上を見ることが出来た。熊見峠をすぎると、樹林帯の急坂が連続しておりこれが下二股まで続いている。
ヘトヘトに疲れて清岳荘へ戻って来た。
 仕事のある高橋さんは、みんなより早めに帰京するとのことで、清里の民宿まで送ってそこで別れた。清岳荘から今夜の宿、野中温泉までは車で3時間を要した。

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7月5日 8:53(撮影:岡田)
斜里岳めざして一の沢川を詰める
(見晴の滝付近)
(後から)本間、佐薙、小島、小野  
7月5日 9:10(撮影:小島))
斜里岳めざして一の沢川を詰める
(後から)宮武、本間、佐薙、小野
7月5日 11:26(撮影:岡田))
斜里岳頂上にて
(後列左から)岡田、小野、宮武
(中列左から)高橋、本間、佐薙
(前列左から)佐藤、小島

●7月6日(日)快晴 雌阿寒岳
野中温泉(7:45)− 雌阿寒岳オンネトーコース登山口(8:02)− 5合目(9:30)− 7合目(10:20)− 9合目(11:05〜14)− 雌阿寒岳頂上(11:30〜12:00)− 登山口(14:05)− 野中温泉(入浴)− 釧路(17:00)

 野中温泉は民営の国民宿舎で、大きな露天風呂がある。犬2匹とその犬たちととても仲のいい猫がいた。そのうちの1頭のゴールデンレトリバーは、ガイド犬で、雌阿寒岳頂上まで案内させてもいい、という話だった。
 オンネトーコースを登ったが、5合目とか6合目という号標識があり、羅臼岳や斜里岳にくらべると、緩やかなそして明るい樹林帯の中の登り道だった。
 オンネトーとは「年老いた湖」を意味するという。雌阿寒岳と阿寒富士を湖面に写し、紅葉の頃や雪のあるときはどんなにか美しいことだろう。
 6合目の標識をすぎるところから振り返ると空の青を湖面に写したオンネトーが見え、行く手には阿寒富士の礫でガラガラの斜面が見えた。水分などゼロとも見える瓦礫の斜面にコマクサ・イワブクロ・メアカンフスマなどが、咲き競っている。その花の間をコヒオドシ蝶が飛び回っている。(この蝶の名称は、昆虫少年だった佐薙さんが下山後教えて下さった)
 大きな爆裂口がある。活火山だけあって、蒸気がごうごうと音をたてて噴き出している。噴き出した蒸気は、真っ青な空へ消えていく。
 頂上からは、阿寒湖や雄阿寒岳がすぐ近くに、その向こうには知床の山々が薄く見えた。風が強く、寒いほどで、ヤッケを着て昼食を摂った。
 下りは、ザラザラの礫に滑らないように、リズムをとって歩く。樹林帯ではゴゼンタチバナが何株も花をつけている。ゴゼンタチバナは6葉の株に花をつけ、5葉株は花がつかない、と教えてもらった。
野中温泉で汗を流し、釧路に下る。釧路でのお楽しみは「岸壁炉端」での反省会だった。「岸壁炉端」は、川沿いの細長い場所を使っていくつもの「炉」が置かれ、客はそばの屋台から好みのものをその「炉」に持ち込んで焼いて食べるというちょっと変わったシステムの店。今山行の目的を完全に果たし、満足感に浸った反省会となった。


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7月6日 10:26(撮影:小島)
雌阿寒岳7合目付近にて
(バックの湖はオンネトー)
(前から)
小野、佐薙、宮武、本間、佐藤、岡田
7月6日 11:05(撮影:小島)
雌阿寒岳の噴煙(水蒸気)
(後から)
佐藤、本間、宮武、佐薙、小野
7月6日 19:16(撮影:小島)
釧路名物「岸壁炉辺」
(左から)
本間、佐薙、宮武、小野、岡田、佐藤

7月6日 11:53(撮影:岡田)雌阿寒岳頂上にて
(左から)佐藤、本間、佐薙、小野、小島、岡田、宮武


●7月7日(月)晴れ
 せっかく釧路まできたのだからということで、釧路湿原まで行く。広大な湿原を地面から見るのでは、その広大さが実感できない。ヘリコプターなどを使って、空中から見ることが出来たらと思った。
 釧路発昼過ぎのJRで、札幌に。ここでは今山行に参加できなかった蛭川さんも交え「花遊膳」で最後の反省会。立派な店で計画完遂を祝った。
 この地に「別」(海別、岩尾別、女満別…)のつく地名が多いことにつき、一体「別」とはどんな意味があるのか?という話になった。蛭川さんが宿題として持ち帰られ、その後調査結果をホームページに寄稿されている。
また、早くも来夏の北海道シリーズの計画も議論されるなど、意気軒昂な方々であった。

7月7日 21:16(撮影:小島)
札幌薄野「花游膳」にて打ち上げ
(左から)佐薙、小島、宮武、小野、本間、蛭川、佐藤、岡田
会   報
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■2013年6月20〜21日 東京多摩支部・自然保護山行
          ― 三ツ峠・アツモリソウ保護活動 ― 竹中 彰(昭和39年卒) 

          ****** 2013年8月12日投稿

 支部創立以来三回目となる支部自然保護委員会、集会委員会共催の三ツ峠・アツモリソウ保護活動(植生地の雑草刈り払い)に参加して、12名の仲間と三ツ峠山荘に一泊しボランティア作業、観察を行った。
 みさか道の途中、清八林道に抜ける三ツ峠登山口(裏からの最短ルート)を登路に、植物に詳しい会員から色々の花木の名前を教授されながら、時間を掛けてユックリ登った。梅雨の期間中ではあったが、幸い山荘に着いた時には高曇りの中、富士山も裾野を延ばした姿で出迎えてくれた。

●6月20日(木) 曇り時々雨
 マイカー3台の内の1台を提供する羽目となり、8時に八王子駅南口で他の3名のメンバーを拾う為に6:37に自宅を出発する。何時もの墓参りのルートで多摩丘陵を越え案外順調に7:43に駅前に着く。駅前には大型バスが3台も駐車していたが、何とかスペースを見つけて待機する。澤登さん、松川さん、茂出木さんの順で到着し、予定時刻前7:55にスタートする。中央高速途中の談合坂SAに8:30過ぎに到着し、他2台の車を待つ。合流後八木車を先頭に河口湖ICで出て、御坂峠への道を進み、トンネル手前の三ツ峠入口を右折して林道(御坂みち)に入る。暫らく進んで天下茶屋への道を左に分ける先にトイレ、駐車場があり、車を止める。平日の所為か駐車している車は少なく余裕がある。
 準備を整えて出発(1289m、9:55‐10:15)、未舗装ではあるが幅の広い林道を進む。この道には轍が残り、上の小屋への荷揚げ用ジープ等が通っている様子。
 道中、澤登、北原さんなどから植生の解説を受け、ウツギ、ヤグルマソウ、マイズルソウ、テンニンソウ、ハコネシロガネソウ、ギンラン、ウマノアシガタ(キンポウゲ科)、ヤママタタビ(受粉の虫寄せの為に葉が白く変化)等の花やブナやミズナラなどの樹木を観察するが、殆んどは右から左。途中でベンチ、テーブルのある休憩スポットで少憩を取り、周辺の花を探す(11:01‐17)。その後次第に樹木は少なくなって、ササ原などが現われ、12時前に山荘に到着したが、山荘の主・中村光吉さんが出かけていたので、外の展望台で雪の殆んど消えた富士山と対峙しながら昼食を摂る。
 小屋の飼い犬(甲斐犬風)が人懐っこく吠えてアピールする。昼食後待つうちに中村さんが帰ってきて、12:45からアツモリソウ観察と作業にかかることとなり、時々雨がパラつくので雨具を着用し軍手、鎌などを持って待機する。時間になり中村さんからアツモリソウを中心に三ツ峠の植生の概要について説明を聞いた後に出発し、木無山方面に少し下り、途中から左手の斜面に分け入る。少し先に頑丈な鉄カラマツの足元に篭で覆われたアツモリソウが2株ほど咲いているのを観察する。ここで、中村さんからアツモリソウを育てる特殊な菌との相関などの解説がある。
 盗掘対策とは言えこの鉄篭越しの花は如何にも無粋であり、何とかならぬかとの思いを強くするが、相変わらず盗掘の被害が出ている現状では已む無しか。
 元の道に戻って更に下り気味に進み、今度は右の斜面に入り、シカ柵の鍵を開けて入る。テンニンソウ、カイフウロ、ギボウシなどの大きな葉が茂っている斜面を進むと幾つかのアツモリソウの株が目に入る。所々では6-7株の豪華な群落を作って見事な花を咲かせており、大事に守られていることが実感できる。斜面を余り株の足元に近付かないように見て回り、元のシカ柵の扉から外に出る。
 元の登山道に出て作業場所に帰りかけると、中村さんから声が掛かり岩場の上の潅木の下にオノエラン(尾根の上ラン)が咲いているのを観察する。
 その後は草原に鎌を手に持って入り、一体にはびこるテンニンソウ、ギボウシ等の除草を行う。20人近い人手で小一時間作業し、それなりに作業前後の違いが分かる程度の成果は挙がった。終了後山荘に戻ると、中村さんから風呂の用意が出来ているので順番に入って欲しいと指示あり。最近風呂場を改築して広くなった様で、こんな所で風呂に入るとはと意外であったが、水や電気は下から上げているので問題ない様であった。入浴後2階の部屋で中村さん差し入れのビールを飲みながら四方山話を行っているうちに、下から声がかかり、開宴となる。
 先ずは中村さんから岳人別冊の夏山特集号で取上げられた「日本の山岳環境を考える、三ツ峠(新井和也執筆)」のコピーを基にアツモリソウ保護活動の解説が行われた。その後乾杯、一緒に作業した日本山岳会01会のメンバーとお互いに自己紹介などしつつ懇談となった。この日は我々ボランティア作業隊だけの貸切状態であり、2階の大部屋を広々と使って寝床を準備し、頃合いを見て転がり込んでスグ爆睡状態に。夜中に雨の音はしたが、下ではかなり遅くまで宴は続いた様子であった。

●6月21日(金) 曇りのち時々雨
 5時頃からウツラウツラしていたが、周りの起床の気配に起きだして、天気の様子を伺う。富士山は薄い雲の中に見えている。早速靴を履いて、三々五々三ツ峠の頂上に向けて歩く。四季楽園前を通過してザラザラした急斜面を登る。
 頂上(開運山)には先行した飯島、西谷、北原の面々が富士山をバックに写真撮影をしていた。東の空、雲の隙間から陽射しが道志、丹沢方面に少し漏れて明るくなる。その後、昨日聞いたカモメランを探して御巣鷹山に向かう。御巣鷹方面に右折する直前、左手の草叢の中にカモメランらしき小さな花を見つけ写真に撮る。後ほど確認してカモメランと確定する。その他昨日もあったグンナイキンポウゲ、ササバギンラン、ハコネシロガネソウ等も目にする。電波搭まで歩き引き返すが、四季楽園前の草叢にも
カモメランを見つけたが、中村さんによれば移植したものとのこと。
 山荘に戻り、7時過ぎから朝食となる。おかず類の種類も多く美味しく頂く。
 暫らく食後の休憩して、中村さんにお礼を述べて8:45に山荘を出発する。
 往路と同じ道をユックリ植物観察をしながら下る。白い小さな花を付けるコゴメウツギ、ウリハダカエデ、マタタビなどが目に入る。
 丁度1時間程で駐車場に着き、9:55にスタートして富士吉田道の駅横の富士山レーダードーム館に行く。低温体験、NHKの番組で取上げたレーダードーム建設記録映写などを見学し、改めて日本最高所にあった気象観測レーダーについての認識を新たにする。その後道の駅レストランで吉田うどんを味わい、向かいの民族館でもこの地の歴史、文化を勉強して、北口浅間神社に向かう。
 浅間神社に着く頃は雨が本降りになり、参詣客も少ない杉の大木の間の参道を進む。神社でお参りを済ませて14:30に解散となり、河口湖IC渋滞情報に、各車中央自動車道の都留ICを目指す。その後は夫々独自の行動となり、我が車は談合坂でトイレ休憩後八王子ICに向かう。夫々同乗者を最寄のスポットで下ろして、最後は日野から何時もの山越えの道で小川には17:20に帰着した。

 今回の自然保護委員会主催のアツモリソウ保護活動のボランティア作業は本年で3回目となり、設立後日の浅い東京多摩支部としては歴史を作りつつある活動である。それなりに草刈作業の達成感はあるが、アツモリソウ保護活動の中心になって活動する中村さんにどれ程の協力が出来ているか、かなり当方が甘えているのではないかとの印象も持つ。他にもボランティア作業に馳せ参ずるグループがある様なので、場合によってはこの辺りとの連携・調整も必要となるかも知れない。今後、中村さんの意向も良く確認する必要があろう。                              (2013.7.20記)
6/20 登山口近くにて 同 登山道を進む一行
 
登山道脇で(タマアジサイだったか不詳) ヒオウギアヤメ
同 山荘前から富士山 同 鉄篭内のアツモリソウ
同 アツモリソウの群落 同  オノエラン
6/21 三ツ峠/開運山頂上 同 カモメラン
同  御巣鷹山手前の看板


会   報
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■2013年6月8〜9日 上高地周辺散策(明神池、岳沢小屋へ)
          ― 第一期初級教室 ―       竹中 彰(昭和39年卒)
 

          ****** 2013年8月11日投稿
 
 第一期登山教室初めての宿泊山行で、日本山岳会上高地山岳研究所(山研)を利用して、初日に座学の後に明神池往復、二日目に岳沢小屋往復して好天の下で久し振りの上高地、穂高の山の香りを嗅いでリフレッシュした。

●6月8日(土) 曇り時々晴
 立川発6:45の貸切バスに間に合せるべく、成瀬を5:30の2番電車に乗車し、八王子経由で向かった。集合場所には既に受講生20名、講師・スタッフ14名が受付を済ませ、初めての宿泊山行に備えていた。受講生の中には今回の上高地行きを楽しみに、今までの講座、実習を頑張ってきた者も見られ、期待の大きさを感じさせる。何とか安定した天気をと祈らざるを得ない。
 途中、7:08に八王子ICから中央高速に入り、双葉SAでトイレ休憩、9:58に松本ICで降り、道の駅・風穴の里(坂本会員と合流)を経て11:30にズミ(コナシ)の花が残る上高地バスターミナルに着き、食材等の荷物を抱えて河童橋に向かう。岳沢は奥まで見通せ、タタミ岩には残雪が多く見られ、吊尾根には残念ながら雲が張りついている。観光客で賑わう河童橋を渡って山岳研究所(山研)に向かう。11:50に山研に着き、先ずは地下階(実質1F)に集合して注意事項、今後の予定、部屋割りの伝達を行う。昼食後、宮崎講師による地図読み講座(復習)を行う。講習後に裏のミニ水力発電小屋で坂本会員からその概要説明を受ける。その後賄い担当の坂本シェフを除く全員で明神池を目指して15:40河童橋から左岸を歩く。ネイチャーガイド資格を有する西村(智)会員が先頭を歩き、花や樹木の解説を行う。小梨平の先では子連れのサルの姿も見かけるが、こちらの人数が遙かにいるので先方も敬遠している感じである。
 途中植林の為のカラマツの母樹(植林用苗木の為の種を採取、精英樹)や、梓川のケショウ柳の説明、路肩の花の名前などを確認しながらユックリ歩を進める。昔は合宿入山時の重荷を背負って、或いは下山時に帰心矢の如しで、脇目も振らずにひたすら歩き通した道であり、この様にノンビリ歩いたことはなかったと改めて想い起しながら歩く。時々、木の間から明神岳のX峰、東稜・ひょうたん池へのルートなどを確認できるが、明神に近付くにつれて、梓川縁を通る所からはパノラマが開け、遙か先に蝶から大滝山の稜線が望める。
 明神館前(16:49‐57)でトイレ休憩後左折し、右岸に吊橋を渡って嘉門次小屋前を通って明神池前の祠で参拝して戻る。池から梓川への流れの中に岩魚の姿が見える。宮崎さんからは学生時代に明神池で悪戯をしたとの話を聞いたが、当方はX峰東南尾根を春山偵察で登ったことなどを思い出す。
 そのまま右岸の砂防工事道路を辿り、岳沢登山口前を通過して18:00山研に帰着した。念の為に河童橋方面に少し行き、梓川畔に出て見ると夕暮れの中、吊尾根の雲は消えて明日の好天を期待した。
 山研に戻って少憩の後、食堂に全てのテーブルを持ち込んで、全員着席、坂本シェフのヘルシーツマミ、ケイタリングのおかず(トンカツ中心)などを前に、短めの支部長挨拶などで開宴となる。テーブル毎に話が弾み、アルコールも色々と出て、特に澤登会員が持参した3‐4匹の白焼きの岩魚を材料に大鍋で骨酒が作られ、好評のうちに振る舞われる。賑やかに時間の経つのを忘れて盛り上るが、翌日のメインイベント岳沢小屋往復に備えて適当な時間でお開きになり、
 全員で後片付けを行なう。その後スタッフで簡単に打合せし、地下のスペースで布団、シュラフ組に別れ男性全員枕を並べて休む。

●6月9日(日) 晴時々曇り
 5時過ぎに受講生は三々五々河童橋方面に散歩に出かけ、その音で目覚める。
 当方も梓川畔に向い、期待通りの天気の下で岳沢を眺める。朝食は2グループ交代制で済ませる。7:35に山研を出発し、第2班に入って岳沢に向かう。途中シロバナノエンレイソウ、ヒメイチヤクソウ等を観察しながら進み、標識Hの風穴手前の尾根でピッチを切る(8:27‐32、1640m)。その後8:50に森林限界を抜け、部分的に雪渓の残る沢を登った上で休憩する(9:28‐38、1890m)。
 最後は小屋の直下の雪渓2ヵ所でトラバースし、こじんまりとした岳沢小屋には10:20に到着した(‐11:40、2130m)。小屋の前の石を積んだテラスのベンチで上高地を見下ろし、霞沢岳、焼岳を見ながら昼食を摂る。食後に小屋のコーヒーも出てユッタリ過ごす。天狗沢、タタミ岩、コブ尾根、南稜、奥明神沢に囲まれた絶好のロケーションで、50年前の岳沢合宿でこの辺りを歩き、登り捲くったことどもの思い出が甦って来る。また、コブ尾根の陰に隠れた岳沢・扇沢を倉知さんと上高地から白出沢コルの穂高小屋まで一気に登り切った5‐6年前の記憶も甦る。双眼鏡で覘くと重太郎新道を降りてくるパーティーも少し目に入る。トイレはチップ制有料だが、手洗いは珍しくお湯も出た。
 天気も安定し、気分良く過ごすうちに時間となり、希望を募って夏道班と雪渓班に分かれて下ることとなった。小生は14‐5名の受講生が参加した雪渓班の付き添いとなり、往路でトラバースした小屋の直ぐ下の雪渓から
真直ぐ下る。受講生の中には慣れない雪上歩きにヘッピリ腰となり、横向きにキックステップで下りにかかる者もあったが、滑っても直ぐ止まる状態であり、最大傾斜線に向けてキックステップで下る様に指導しながらスタッフ3名で周囲を固めて下ろした。他のメンバーとは少し間隔が空いたが、無事に夏道まで下ろし、夏道を下ってきた班と合流した(12:20、1921m)。
その後高度差で200m程下った森林限界手前のガレ場の上で休憩を取り、西穂の稜線、吊尾根等を間近に、穂高の姿を目に焼き付ける(13:10‐35、1717m)。
 その後はノンストップで登山口まで下り(14:17、1477m)、14:26に山研に帰着した。山研に戻って、着替え等の浴用道具を持って裏から(事前に宮崎さんから立教OBの奥原社長に依頼してあった)に向い、別館の温泉に入浴した。サッパリして梓川沿いの道を山研に戻り、パッキングを済ませて食堂に集合し、解散式を行う。簡単な挨拶の後に今回の山研体験登山の成功を祝して乾杯する。その後バスターミナルを16:06に出発し、風穴の里、談合坂に停車、渋滞に巻き込まれて立川駅前には21:25に到着した。

 かくて初級教室・初めての宿泊山行、上高地岳沢散策は幸い天候に恵まれ参加の受講生は夫々満足感を持って無事に終了した。
多くの講師・会員がスタッフとして参加したサポートの結果と感謝したい。
(2013.6,17記)
6/8 
シロバナエンレイソウ
6/8夕景の吊尾根 6/8 山研に戻って
6/8明神館前のズミ 6/9朝の吊尾根


会   報
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■2013年6月2日 久し振りの高尾山 ― 6/2の山の日集会に参加して ― 
                               竹中 彰(昭和39年卒)

          ****** 2013年7月23日投稿
 
 今年から東京でも始めた「山の日制定」運動の高尾山集会に東京多摩支部が主体となって協力することとなった為、高尾登山電鉄清滝駅前の集会に参加後、6号路を登り、3号路を下る周回コースを歩いて多くの花に出会った。

●6月2日(日) 曇りのち晴 
 東京に於ける初めての「山の日制定」運動の集会に参加する為に6月の第一日曜日に当たるこの日、天気予報を気にしつつ高尾山口駅に向かった。
 何時もの奥多摩での山行よりはかなり遅く、7:38成瀬発に乗車し、八王子、高尾経由で8:25に京王・高尾山口駅に到着し、登山電鉄・清滝駅前に向かった。
既に駅前広場では制定協議会・成川さん以下、この日の世話役、集会委員の坂本さんなどの東京多摩支部のメンバーが小舞台の設え、ベンチのセッティングを行っていた。
 今回の人寄せ材料である多摩太鼓の皆さんも準備を進めていた。準備を進めつつある中、他の支部メンバーや他組織の関係者も集まって来た。その中には本部の西村副会長や森常務理事夫妻(何れも支部メンバー)の姿も見える。予定時間が近付くと共にケーブルに向かう一般の登山客も増えてきたのでチラシ配布を始める。声掛けをしながら手渡すが、比較的快く受け取って貰える。
 9:30になっていよいよ多摩太鼓の登場となり、多彩な年齢層のメンバーでバチ捌きも鮮やかに色々の演奏が行われる。3年前の全国支部懇談会を多摩センターの京王ホテルで開催した際にも宴会場で多摩太鼓の演奏をお願いしたが、屋外の緑に囲いまれた中で力強い太鼓の音を聴くのは気持ちの良いもの。
 10分程度の演奏後、成川代表の挨拶でセレモニーが始まり、多摩支部長、都岳連、勤労者登山連盟等の代表から夫々山の日制定に対する思いが述べられ、登山者に制定への理解、支援を求める。15分程度で挨拶は終了してチラシ配布に向かう。天気予報が芳しくなく、昨日の1/3程度の人出とのことで少し盛り上りに欠ける。少し休憩して第2回目の太鼓演奏、挨拶、更に11:00前に最後のセレモニーが行われ、締めの太鼓演奏が勇壮に行われて11:30に終了した。終了後、椅子や幟、登山電鉄から拝借したスピーカーセット返却等の片付け作業に入り、関係者にお礼の挨拶をして第一回の高尾山集会は無事に終了した。
 その後ベンチで昼食をとり、支部参加者有志(小川,山本,西村,富澤,廣田,里見)で高尾山に向った。12:26登路は6号路にとり、花を愛でながらユックリ登る。この頃にはすっかり晴れ上がり、気温も上がってくる。
 出会った花々はキンギョチャン(ツバキの葉)、シャガ、ウバユリ、セッコク(スギの上部に)、サイハイラン、ミヤマハンショウズル、リョウメンシダ、マルバウツギ、ガクウツギなど多数。大山橋で沢を渡りベンチで一息入れるがここのスギにもセッコクが寄生していた(13:13‐20、400m)。その後は滑り易い沢を登り、最後の急坂を上った所で立派な公衆トイレを見学し、頂上園地の一角に着き、先行していたメンバー竹内、小松原を探すが人出も多く、見当たらないのでビジターセンター前で休憩する(14:07‐40、599m)。
 下山路は3号路にとることとして、スタートする。
 薬王院の伽藍までの道は比較的空いており、道端のタマノカンアオイ、サイハイラン等の花も観賞する。16:00頃には病院横を抜けて登山口に到着する。
 駅前周辺でソバ屋での反省会を考えるが、案外閉まっている店もあり、戻り気味に栄茶屋に入ってテンプラ、ソバなどをツマミにビールで乾杯する。
 1時間程度で解散して駅に向かう。八王子経由で18:30過ぎに帰宅した。
 梅雨の中の日程設定にしては降られることもなく、初めての東京都に於ける山の日集会が無事に終了した。東京多摩支部会員の参加が危ぶまれたが、予想以上に多くの会員が参加され、チラシ配布等に活躍して貰ったことに感謝したい。 (2013.6.7記)

会   報
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2013年5月25日 東京多摩支部平日山行・西丹沢・檜洞丸 
           ― シロヤシオツツジを訪ねて ―  竹中 彰(昭和39年卒)

             ****** 2013年7月23日投稿

 多摩支部の5月平日山行に檜洞丸が計画されていたので、あわよくば翌日からの「昼から会」山行(ヤビツ峠‐搭ノ岳(尊仏山荘泊))に合流出来ないかとの思いから参加することとしたが、翌日に他用が入り昼から会への合流は断念し、単純に西丹沢自然教室から往復することとした。
参加者:長瀬、松本、西谷夫妻、飯島、西村、北原、竹中の計8名
日 時:平成25年5月25日(土)新松田集合8:10

●5月25日(土) 晴時々曇り
 成瀬発6:55の横浜線で町田に出て小田急に乗り換え、新松田には7:49に到着した。改札を出ると、既に殆んどのメンバーは揃っており、8名の参加者なので時間のかかるバス(1200円) を避けてタクシー2台に分乗して入ることとした。最後の岡さんの到着を待って駅を離れる。何時もの玄倉川沿いに上がり西丹教室前、キャンプ場を過ぎて8:42にバスよりかなり早く檜洞丸登山口に着く(550m、1台9310円、@2.4千円)。準備を整えて8:53に出発する。
 林道から東沢沿いの登山道に入り、岩肌に桟道や朽ちかかった橋の架かる道を足元に注意しながら緩やかに登っていく。暫らくで若葉の茂る広葉樹の土の道に入り、先頭を歩く”松本植物博士”が後続の女性軍に木の名前等の解説を始める。この辺りは奥多摩等の植林帯がなく、道端にはミツマタ、テンナンショウ等の潅木、草等も見られる自然林の道で気持ちが和む。1.5ピッチで河原に出て飛び石伝いに流れを渡りゴーラ沢出会いに着く(762m、9:39‐50)。ゴーラの名の通り広い河原に大きな石がゴロゴロしており、砂防堰堤が上部には多く設置されている。ここで水分補給、腹に納めてツツジ新道の本格的な登りに備える。河原から愈々尾根に取り付き、急な登りが続く。所々に階段、クサリが現れる。
 急な登りに一汗かき、展望園地を過ぎた所でピッチを刻む(1080m、10:33‐43)。キッコウハグマの小さな白い花も見かける。途中のササには未だ葉は出ていないが花がついていた。相変わらずの急登で色々のパーティーが入り乱れるが、我々は案外早いピッチで進む。他のグループを見ると、相変わらず熟年グループの大パーティーがいる反面、若者の小グループも結構増えているのを感じ、彼等にこのまま山登りを続けて欲しいと願わずにはいられない。少し尾根の傾斜が落ち、稍々広い場所に出て少憩をとる(1390m、11:23‐33)。この辺りには盛りを過ぎたミルバツツジ(道に赤い花びらが落ちている)やお目当てのシロヤシオが葉の上に咲き、少し遠くにマルバアオダモが花をつけている。足元にはツルキンバイなども黄色の花をつけていた。再び登りにかかり、少し行くと次第に傾斜も落ち、立派な木道の上を歩くことになる。部分的に複線の所もあるが大分部は単線で下るパーティーとのすれ違いに苦労する。頂上が近付くにつれて頭上のシロヤシオは兎も角、下はコバイケイソウの群落となり味気ない景色に変わる。
 30分ほどで多くの人が昼食を摂っている檜洞丸の頂上広場に到着する(1601m、12:09‐53)。周囲は霞んで景色はイマイチであったが、穏やかな高曇りの空の下で座り込んで昼食とする。女性からミニトマト等の副食品が回ってくる。
 食事しながら下山後の反省会の場所について打ち合わせる。新松田駅前に「花の舞」が出来ていたとの話が出たが、小生は満員かもと案じながら若松食堂を推薦する。檜洞丸の標柱の前で記念撮影を済ませて下山にかかる。
 登りには余り気付かなかった樹上の花が良く分かり暫し写真などを撮りながら進む。ブナ林の中のヒメシャガなどを観察しつつ展望台まで一気に下り、展望はイマイチだったが呼吸を整える(13:53‐14:00)。更に急下降が続き、30分余でガーラ沢出合でピッチを切る。そこからは道もなだらかになり、バス時間を気にしながら少し飛ばす。林道の登山口に15:20に着き、林道脇のマルバウツギ、ガクウツギなどの違いを見つつ、10分弱で西丹沢自然教室バス停に到着した(15:26)。既に満席状態のバスが待機していたが、定時15:40に同時に増便が出るとのことなので行列の先頭で待つ。定時に座席定員未満の客を乗せて発車。暫らくで居眠りが始まり、玄倉に寄ったのも知らず、気付けばクルマはR246を走行していた。一時間余で終着の新松田に着き、さっそく若松食堂を覘くが、席は空いていたが5時からの予約が入っていて一杯とのことで駅前に戻り、花の舞、中華屋等を確認するが何れも予約で一杯とのこと。已む無く町田に戻って探そうとのことで小田急に乗って町田に戻り、駅前の居酒屋魚鮮水産で8名入れるスペースを確保して靴を脱ぐ。暫し歓談。満足して1.5時間程度で切り上げる。
 最近の山行は登山教室の付き添いが多かったので、好天の下で久し振りに会員との丹沢山行を楽しんだ。シロヤシオ(ゴヨウツツジ)が盛りを迎えており、それを目当ての登山者も多かったが、新緑の季節を堪能できた。
それにしても、反省会の場所確保にこんなに苦労するとは……。   (2013.5.28記)
(携帯電話のカメラによる)
(シロヤシオの下の木道)  (盛りを過ぎたミツバツツジ)  (咲き残るミツバツツジ)

会   報
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■2013年5月25日 万二郎岳〜万三郎岳(三四郎会山行) 中村 雅明(昭和43年卒)

          *********** 2013年6月11日投稿
 
5月25日 11:58 (カメラ;岡田) 万三郎岳頂上にて全員で
(左から)岡田、坂井、半場、佐藤(力)、木島、中村

** メンバー; 小島 和人(S40)、坂井 溢弘(S40)、半場 三雄(S40)、佐藤(力)(S40)、岡田 健志(S42)、
中村 雅明(S43)
行程: 5月25日
天城高原ゴルフ場登山口(9:00)− 四辻先(9:45〜52)− 万二郎岳(10:20〜30) − 石楠立(はなだて)先(11:12〜18)− 万三郎岳(12:00〜12:25)− 四辻(14:25〜31)− 天城高原ゴルフ場登山口(14:50)

 この山行は伊東温泉で開催された三四郎会の延長戦として行われました。深田久弥の百名山の一つ“天城山”はその名がついたピークは無く、伊豆の最高峰である万三郎岳(1406m)、万二郎岳(1300m)などの連峰が“天城山”と呼ばれています。本日のコースは天城高原ゴルフ場から万二郎岳〜万三郎岳と歩き、出発点に戻る周回ルートです。メンバー6人の内、約半世紀前にお兄さんと一緒に天城峠から大室山まで縦走した半場さん以外は初めてです。
 8:10宿泊先の伊東温泉“遊心楼”を2台の小型タクシーに分乗して天城高原ゴルフ場に向けて出発。空はどんより曇り気温も低めで、今日は登山日よりではないと憂鬱です。ゴルフ場に向けて高度を上げるにつれてガスも出て来て今日は眺望もダメとあきらめた矢先、ゴルフ場に近づくと突然ガスが切れ青空が広がってきました。約40分でゴルフ場着。着いてびっくり。天城高原ゴルフ場手前の登山者専用駐車場には車が一杯停車しています。バスも数台。登山口に登山者が溢れています。土曜日、シャクナゲが見頃の百名山なのでかなり登山者が多いことを予想していましたが、超人気の山と思い知りました。今日一日、前も後も登山者に囲まれての山登りでした。帰りのバスの時刻を確認し、9:00岡田さんを先頭に登山口を出発しました。四辻の先で1度休み、次のピッチで万二郎岳に着きました。頂上は馬酔木に覆われて展望ありません。小憩後、万三郎岳に向かいました。馬の背の先は有名な馬酔木のトンネル。花は殆ど終わっていましたが、白い小さな花が満開の頃は見事でしょう。石楠立(はなだて)の先で小憩後、万三郎岳の登りにかかりました。少し登った時に半場さんが休憩場所に買ったばかりのストックを忘れてきたことに気が付きました。ご本人は「安物だから取りに戻らない」とあきらめましたが、心優しくタフな佐藤さんが引き返しました。残念ながら見つかりませんでした。登山道両脇のアマギシャクナゲの群落の淡紅色の花が新緑の中に映えます。トウゴクミツバツツジのピンクの花も見事です。写真を撮りながら登るうちに12:00万三郎岳に着きました(登山口から3時間)。
 万三郎岳頂上は狭く展望なし。人が一杯で座るスペースが無いので写真撮影後、少し進んだ所で昼食。ここで半場さんから思いもかけない差し入れがありました。ザックからやおら取り出したのが6匹の“スズキの幼魚”の塩焼きです、昨日早朝、半場さんが魚市場で買い求め、さばいたものを奥さんが焼いたとのことです。20cmを越える大きさに感激してカブリつきました。12:25下山開始。山頂から200m先の指導標から木段の急な下りが続きました。トウゴクミツバツツジの花が随所に咲いています。涸沢分岐からは石柱101までは天城山中腹に付けられた岩混じりの単調な巻道が続きます。四辻に近くなると時折、ヒメシャラ、リョウブの林が現れ、その木肌の美しさが印象的です。14:25四辻に戻り周回が終わりました。最後の休憩後、登山口への最後のピッチは15:15発の伊東行のバスにあぶれない為に、後続グループに追い抜かれない様に頑張って歩きました。登山口に14:50着。約6時間の登山を終えました。登山口から少し先のバス停に着くと大勢の登山者がバスを待っていました。1台では乗り切れない人数に思えました。心配した通り15:15発のバスは10人ほど前で満員となり、臨時バスを待つことになりました。係員が「臨時バスはもうこちらに向かっていますから15分位で着きます。」と嬉しいことを言ってくれましたが大外れ。バスは中中到着しません。結局、16:10発の次のバスとあまり変わらない16時に発車しました。1時間ほどで伊東駅着。駅近くのソバ屋で乾杯、楽しかった天城登山を締めくくりました。

【メンバーの感想】
小島 和人
万二郎岳、万三郎岳は以前から登りたいと思っていました。
近くまで行ったことは何度もあるのですが家族や大酒飲みと一緒で果たせないでいました。
今回中村さんの計らいでクレージー会の仲間とも一緒に歩けて感激でした。
土曜日で石楠花を求めて随分たくさんの人が来ていましたが、気にならないほど山の若葉は精気に溢れ、森林浴の5時間は楽しめました。中村さん有難う。
坂井 溢弘
アセビのトンネル シャクナゲの尾根 少し下ればヒメシャラの森
花木(かぼく)豊かな木漏れ陽の道、ツツジも咲いておりました
高度差400m、歩行は5h 天城の山旅はメンバー佳し、景観佳し、爽やかで楽しい山旅でした。
初夏の空の様に・・・・・・。
リーダー、サブリーダーに多謝!多謝!ありがとう そしてメンバーにも(少しだけ)
半場 三雄
約半世紀前、天城峠から、大室山までを縦走して以来のことで、とにかく、眺望が全くきかずにやたら最後の大室山が印象にありました。
今回は、岡田、中村の両若手(?)とクレージーの4名という限られたメンバーの山行ではありましたが、大勢のハイカーで賑わっていて休憩時の場所には多少苦労しましたね。
歩行開始に先立って、ブレーキ役を申しいれておきましたが、中村幹事の予定コースタイムに間に合ったかな。ペースメーカーを勤めた岡田さんのおかげですね。
仕入れたての杖を置きわすれ、回収代行を買ってでてくれた力さんを筆頭に、同期の面々の強靭さは相変わらずでした。同行の各位に感謝します。
佐藤 力
あんな狭い半島に充分に楽しめる山々があったことを知り、伊豆を見なおしました。また幼い子供にまで、かなりの難所を歩かせている若い父親・母親の子育てぶりに頼もしさを覚えました。清々しい青葉やシャクナゲの風情を満喫させて下さった中村幹事さん、伊東の街をほとんど知らない小生(他の3人も?)に延々と道案内をして下さったシャンさん、このところ山歩きをサボっていた小生にしごきを与えて下さった半場さんに感謝感謝です。
岡田 健志
天城山への登山ルートの出発点の一つは「天城高原ゴルフコース」だった。
登山ルートの駐車場とゴルフコースのそれは殆ど同じ場所にある。しかし、広さは登山ルート駐車場が倍くらい広い。登山人口がゴルフ人口より圧倒的に多い(詳細データは知りませんが)ということを認識した。
コースに関しては、展望が全くきかないのにはガッカリしたが、新緑・シャクナゲ、アマギツツジが大変美しいので大満足だった。


▼画像をクリックすると大きく表示されます。
5月25日 11:24(撮影:岡田)
万三郎岳への登りにて
アマギシャクナゲ
5月25日 11:54(撮影:中村)
万三郎岳への登りにて
アマギシャクナゲ
5月25日 12:38(撮影:岡田)
万三郎岳からの下りにて
(前から)半場、坂井、佐藤、小島
5月25日 12:52(撮影:中村)
万三郎岳からの下りにて
トウゴクミツバツツジ

会   報
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■2013年5月19日 初山行で奥多摩(御嶽・大岳山)をめぐる
                      原 萌子(一橋山岳部:社会学部2年)

●概要 
 2013年5月19日日曜日、部員4人で御嶽から大岳まで山行に出た。新入部員である私にとって最初の山登りとなるものであり、山の持ち物や体調管理の仕方など、基礎から学ぶ機会となった。春の季節とは裏腹に寒い日が続く5月中旬であったが、幸い当日は天候に恵まれ部員全員で山行を終えることができた。
●参加者 
 小宮山尚与志(商学部4年:部長)、峯弘卓(社会学部4年)、菊田果琳(国立音楽大学2年)、原萌子(社会学部2年) 以上
●山行記録 
 JR青梅線御嶽駅前バス停集合(8:45)―バス(8:47-)―滝本駅到着(8:55)―出発(9:10)―御嶽神社到着(10:10)―鍋割山(11:20)―大岳山山頂(12:30)―御嶽山(14:50)―滝本駅(15:40)―バス(15:50-)―御嶽駅前バス停(16:00)

●2013年5月19日(日) 晴れ
 前日の5月18日に、OBOGの方々と現役部員による新緑の宴が行われた。就職活動を終えた現役部員の挨拶や新入部員との初顔合わせ、新入生勧誘活動も含め今までの山岳部を振り返り、部員数の増加した今後の山岳部の活躍を期待する会となった。山行当日に備えて持ち物の最終確認を行い、明日に備えて全員早めに就寝。
 当日はJR御嶽駅に現地集合することになる。まだ山岳用品を揃えていない私は、高校時の部活のジャージに運動靴、私用のリュックを持ち最寄りの牛浜駅から電車に乗る。青梅線沿線に住んでいるため、他の部員よりもゆとりを持って出発できた。
 駅に着き菊田さんと合流。バス停に移動する。すでに小宮山さんが到着していて、電車が遅れている峯さんを待ちつつ談話。菊田さんは以前奥多摩の温泉に家族で来たことがあるそうで、壮大な自然に驚きつつ郷愁を感じている様子。小学校の遠足以来御嶽山に登っていなかった私自身も、今日の初山行に思いを巡らせる。峯さんが到着し、バスに乗り込み発車。バスには同じく山登りに来ている様子の団体が多く、小さなお子さんを連れた家族連れ、友人同士の山登りを楽しむ若い女性達や、経験を積んでいるような年配の方などがいた。
 バスが滝本駅に到着し、準備体操を行う。小宮山さん、私、菊田さん、峯さんの順で登ることを決め、まず御嶽神社を目指し9:10山登りを開始する。御嶽駅にはケーブルカーでも行けるようになっている一方、登山者にはコンクリートで舗装された坂が用意されていた。天気は少し暑い位の快晴で、途中1番から770番位までの番号が割り当てられた杉が道の両側にそびえていた。考えていたよりもスムーズに進み、10:10に御嶽神社に到着。(標高929m)今後の進路を確認していると、御嶽神社の「太々神楽」という儀式の一部である、餅まき・金まきに遭遇。紅白の丸餅とお賽銭をいただく。鍋割山を目指し、山道に入る。コンクリートの道は途絶え、ようやく登山道らしい道が続くようになる。
 日光は出ていたが山の中は比較的涼しく、帽子を被る必要はなかった。途中平坦な道もあったが、木の根や石段による登り道が続くと息が上がってしまい、前を行く峯さんについて行くのに必死になった。途中峯さんと小宮山さんが会話を挟んでくれ、きついながらも親交を深めつつ楽しく登れた。40分に一度休憩する程度で、段々と木の根による段差が多くなっていくように思った。途中山行に来ていた人と挨拶を交わしながら、11:20鍋割山到着(標高1084m)。いつもより多くの水分を補給し、菊田さんと私は軽い昼食を取る。
 大岳山を目指して出発。途中湿った岩場や木の根に何度か滑りそうになりながら登る。私、菊田さんは山靴の重要さを認識する。大岳に近づくにつれ岩場が多くなり、手でよじ登るように進むところもあった。途中階段や小さな橋をわたり、小川を横切ることもあった。親子連れやランニングをする団体と挨拶を交わしながら山頂を目指す。少し寒くなってきたように感じたが、ついて行くのに必死であまり記憶がない。この時菊田さんもきつかったと後から言っていた。山頂間際になると、降りてくる家族連れとすれ違った。幼稚園位の年齢の子も一生懸命登っており、励まされる。12:30、大岳山の頂上(標高1266.5m)に到着。あいにくの曇で富士山はあまりはっきりとは見えなかった。各自昼食を取り休憩。犬と一緒に山上りを楽しむ人、コンロを持ち込んで料理をする人や山菜のお弁当を持ってくる人など、様々に山を楽しんでいた。13:30に下山開始。行きと比べて下りは楽に感じたが、濡れている岩場で再度滑りかけたので気を引き締めて下山する。帰りは登りと違うルートで下り、ロックガーデンなどの道を進む。途中比較的緩やかな道もあり、山の風がとても心地よかった。14:50、順調に御嶽神社に到着。軽く休憩をはさみ、コンクリートの道を再び下ることにする。途中休憩は入れず一気に下ることにしたため、休憩をしっかり取り準備。
 一時間弱で下山し(15:40)、帰りのバスに乗り込む。バス停着後コンビニで水分や栄養補給を行い、全員で電車に乗り込む。各自解散となる。

●山行を振り返って
 私にとって、山岳部として初の登山活動となった。今回の山行を振り返って強く感じたことは、「部として山に登ることの意義」と「陸上との環境の違い」である。私自身大学に入ってから一度高尾山に登る機会があったが、それは山登りというよりもむしろレジャー的な側面が強かったと思う。今回山岳部として部員皆で登ることで、共に声を掛け合ったりコミュニケーションを取り合ったりしながら山を登る大切さ、また同時に大変さを実感することができたと思う。二つ目は陸上との環境の差についてである。普段日常生活において激しい坂道や岩場に遭遇することはなかなかないと思う。普段ランニング等をしていたとしても、急な坂道や階段に対処できるようトレーニングを積んでおくことが大切であると感じた。初めての登山は不安なことも多くあったが、部員全員無事に山登りを終えることができ良かったと思う。

▼画像をクリックすると大きく表示されます。
5月19日 10:22
御嶽神社での餅まきの丸餅
5月19日 10:22
御嶽神社
5月19日 11:24
鍋割山
5月19日 12:40
大岳山頂上
(左:菊田 右:原)
5月19日 14:16
下山途中 ロックガーデンへの道

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■2013年5月18日 今週二度目の大岳山へ ― 第二期初心者登山教室 ― 竹中 彰(昭和39年卒)
              ****** 2013年7月23日投稿

本年度初心者登山教室の第2回実登で大岳山に向かったが、今週日曜日(5/12)に初級教室(第一期)で三度目の正直で大岳山に登れたのに続く一週間に2度目の大岳山であった。

●平成25年5月18日(土)  晴
 立川集合7時に間に合せるべく、何時もの様に家内のクルマで成瀬発6:14に乗り、八王子経由立川に向い、駅に7時丁度に着く。歩いて行く途中で三班のサブリーダーの岡さんと一緒になり、貸切バス出発地には7:07頃に着く。
多摩信金横の公園(公衆トイレ)横には既に受講生、講師、スタッフが集まっていた。受付を済ませて、班分け(3班編成)で2班に付くことを確認し、最後の読売新聞・宮沢記者を待って直ぐバスに乗車する。
 滝本への道中、車内では酒井講師による歩き方、特に大岳山直下の岩場の三点支持(確保)による登り方について改めて説明がある。滝本ケーブル下駅横の駐車場まで乗りつけて下車し、ケーブルに乗車して御岳平に上がる(8:30、830m)。点呼、挨拶、水分補給に留意などの注意事項伝達が行われ、小山さんの号令でストレッチ後、9:30にスタートする。御師集落、土産物店前を過ぎ、このグループは初めてなので、階段を登り御岳神社に安全登山祈願の参拝を行う(885m)。
 10:05に出発して直ぐに長尾平に着き、トイレ休憩、地図読み復習(現在地確認)を行う(10:15‐27,829m)。その後何時もの様に天狗の腰掛スギなどを経由し、30分ほどで綾広の滝分岐に着き、本格的な登りにかかる前に一息入れる(10:57‐11:08、837m)。咲き残ったヤマブキの他に余り花の無い時期だが、紫のラショウモンカズラが陽に輝いていた。この少し先で沢を渡って右岸を進む。少しジグザグを切る登りにかかった所で20人近い熟年グループに追いつかれ道を譲る。受講生は歩きながらトップの北原サブリーダーの花の解説などを聞きながら、何れも遅れることなく順調に歩を進めている。程なく芥場峠手前の尾根に上がり、小休止する(11:28‐33、973m)。少し傾斜が強まり、鍋割山からのルートが合流する芥場峠の先で道が狭く、クサリ、階段が出てくるが、先程の熟年グループの遅れている最後尾に追い着くが、道を譲られることなく大岳山荘前まで少しスローペースで進んで到着し、トイレ休憩とした(12:12−20、1110m)。熟年グループはザック類を此処にデポして全員空身で頂上に向かって行った。我々もその後を追って、受講生も岩場を危なげなくこなして頂上には12:44に到着し、先着の第1斑の横に昼食場所を定める(‐13:20、1266.5m)。頂上からは生憎霞がかかっていたが何とか富士山がうっすらと浮かび上がっており、班毎に記念撮影を行い、下山にかかる。
 一週間前よりも登り下りの渋滞も少なく、20分ほどで山荘前に着く(13:40‐50)。
 その後は芥場峠(14:19‐28)、分岐通過(14:45)、神社入口(15:15‐20)と進み、河野リーダーの顔なじみのお土産屋(宝亭)でお茶を頂いて休憩する(15:20‐16:00)。ケーブル上駅に16:10に着き、下駅に16:40、バスは駐車場を16:50に出発し、1時間程で立川駅前に戻る。その後はスタッフで何時もの反省会場(さくら水産)に向かって暫し懇談する(@2.5千円)。
 今回は初心者教室ではあったが、受講者の平均年齢も初級のメンバーよりも若く、体力に余裕がある所為か、順調に歩を進め予定時間で計画を遂行出来た。
その若さは羨ましい限り。(総歩数 23.30k)              (2013.5.20記)
会   報
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■2013年5月13日 大佐渡石名天然杉・春 金子 晴彦 (昭和46年卒)

         *********** 2013年5月20日投稿(PDF版)

●まえがき 金子 晴彦 (昭和46年卒)
         *********** 2013年5月26日投稿
友人から「佐渡の杉を見に行こう」と一冊の写真集(天野尚氏撮影)を渡された。2008年の洞爺湖サミット晩餐会場に飾られた巨大な杉を中心としたものだ。「こんな杉があるのか!」久しぶりのときめきを覚えて早速OKした。友人の友人は佐渡の相川で土建会社を経営しており、林道は正に自分の庭、山奥へ入るのはお手のものだった。2011年と2012年の両夏、佐渡の北側の山脈(大佐渡山脈)の北部にある森に出かけて圧倒的な力あふれる杉を堪能した。
屋久杉は写真でしか見たことがないが、荒々しい力強さは佐渡杉が優るだろうと思った。しかし、そうなったには冬の役割が欠かせない。今年の冬にはテレビで天野尚氏の真冬の撮影行を放映していたこともあり、何とか雪の中の杉を見たいとトライしたが土建会社もさすがに二の足を踏んだ。そして最早冬ではなく春ではあったが、ようやく5月13日に訪問する機会が得られた。
車は登山口手前1KMまで登ったものの、そのあとはやや複雑な地形で1人で迷いながら杉を探り当てた。結果、目にしたのは過酷な冬をようよう越えて茫然と樹肌をさらす巨大杉だった。これから夏までのわずか数ヶ月の間にあの力強い姿を取り戻せるのだろうかと思われるほどだ。その疲弊ぶりはまるで人を思わせ、深い親近感を覚えた。
山に登る内に様々な樹木に引きつけられるようになった。友人の友人のおかげで佐渡杉はぼくにとってはその一つの核になったようだ。

●大佐渡石名天然杉・春 金子 晴彦 (昭和46年卒)
         *********** 2013年5月20日投稿(PDF版)
※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全24頁 写真42葉


1頁 表紙(はじめに)  
 
▼画像をクリックすると大きくご覧になれます。
8頁 最初の大杉 11頁 象牙杉
15頁 四天王杉 17頁 大国杉

 22頁 羽衣杉

会   報
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■2013年5月12日 奥多摩三山の最後に大岳山に登りました。
         ―― 2年越し、3度目の正直 ――   竹中 彰(昭和39年卒)
           ****** 2013年5月15日 HUHACメールより転載

 昨年10月にスタートした日本山岳会東京多摩支部の企画、運営になる初級登山教室(昨年度の初心者登山教室修了生対象)の5月の教室で大岳山実登に向い、昨年計画しながら撤退(9/1初心者教室で大岳山荘から雷雨で)、中止(11/17初級教室で雨天予報で)に追い込まれていた2度の大岳山への挑戦だが、三度目にして全員頂上に立つことができ、初心者教室の触れ込みであった「山のベテランと楽しく奥多摩三山へ登ろう」を足掛け2年で達成することが出来た。

●平成25年5月12日(日)曇り時々晴
 前日の東京多摩支部の平成25年度通常総会開催、その後の懇親会の疲れの残る身体であったが、午前4時前に目が覚めウツラウツラする内に起床時間となり、予定の成瀬発5:52に間に合せるべく朝食、準備を整えて、家内のクルマで駅に向かう。予定よりも一本早い電車に乗れ、八王子で立川に向い、立川駅でも一本早い(6:39)青梅線奥多摩行きに乗車し、居眠りをする内に御嶽駅に着く。この間に何時の間にか車内には受講生、講師、スタッフの面々が乗り込んでいた。御嶽駅前のバス停に並び、前日の総会、懇親会の反省などを語らいつつケーブル駅に向かう始発バスを待つ。
 ケーブルで御岳平(839m)に上り、待機していた河野リーダー他のスタッフと合流、参加者確認、6月の上高地山行集金、注意事項伝達、ストレッチ等を行い受講生17名、講師スタッフ11名計28名を2班に分けて9:02にスタートする。初級教室としては3月の百蔵山‐扇山以来の山行となるが、夫々装備なども次第にシッカリしてきたことが伺われる。
 なお、今回は朝日新聞青梅支局の石川記者が取材に同行することになり、2班に編入された。山上の生活圏、御師集落、土産店前を通過し、御岳神社の下部石段を上がり、途中で左に逸れて登山道に入る。ワンピッチで長尾平に着き、トイレ、着衣調整などを行う(9:24‐30)。その後、天狗の腰掛スギなどを経由して岩石園・綾広の滝との分岐(休憩舎)まではなだらかに鍋割山の山腹を巻く道であり、両脇に咲くヤマブキや小さなチゴユリなども見ながら辿る。この分岐で一息入れていると多くのグループが追い越していく(9:55‐10:03)。ここからは芥場峠に向けて本格的な登りになる。オオルリ始めコガラなどの鳴き声をBGMに皆さん順調に登りをこなし、芥場峠に到着してピッチを切る((10:24−31、1031m)。一息入れた後、次第に険しくなり、所々クサリや鉄ハシゴのある道を進み、40分ほどで荒れた大岳山荘(無人)前に着く。トイレ休憩と最後の急登に備えて少しエネルギー補給を行う(11:13−20、1156m)。遠景は雲がかかっているが、天気もマズマズであり頂上には問題なく到達できるであろうと確信し、ホッとする。この後は直ぐ上の鳥居をくぐって大岳神社横を過ぎ、傾斜のきつい岩混じりの道を辿り、遂には両手も使ってのクライムを強いられる場所もあるが(一箇所頼りにならない虎ロープが下がっている部分も)、25分ほどで頂上に着く。受講生の中には慣れない登りでスピードの落ちる者もいたが、宮崎会員等のサポートで無事に通過していく。
 頂上では既に他パーティーが夫々弁当を広げて寛いでいたが、我々も30分の昼食休憩とした(11:48−12:20、1266.5m)。頂上からの展望は、期待した富士山は雲の中であり、手前の笹尾根、奥多摩三山の山では御前山は見えたが、三頭山の頂上付近は雲でハッキリしなかった。この休憩中に二俣尾に別邸を構え、その整理に来ていた北原(周)会員(翌週18日の初心者教室サブリーダー)が下見を兼ねて登って来た。食後に全体記念撮影をこの日の担当カメラマン飯島会員の手によって済ませて下山にかかる。 
 この頃になるとかなり下から登ってくるパーティーも増え、狭い岩場での行き違いに苦労する様になり、部分的に渋滞も発生する。途中で都のレンジャー2名とすれ違ったが、顔見知りの石井会員(サポートレンジャー)からロープ等の整備の必要を伝えた。結果的に登りよりも時間をかけて山荘前まで下り最後のトイレ休憩とする(12:58−13:10)。
ここで往路を戻る北原会員と別れて山荘を出て馬頭刈尾根に向い、植林帯と広葉樹の自然林の間を進む。広葉樹は新緑に輝き、陽が射すと一層若葉の瑞々しさが映える。13:35に分岐で馬頭刈尾根を右に外れて、白倉への下山道に入る。それまでの尾根道よりは稍々傾斜も増して来る。頂上と白倉バス停の標高差の略半分下がり尾根が少し西向きに屈曲し、下の谷の展望が開けた地点で小休止して一息入れる(14:10−20、810m)。その先は昔の大岳神社の参拝道の名残りの丁石(十九丁目以下を所々で確認)が部分的に残る道となる。この間に、チゴユリ、ミミガタテンナンショウ、スミレ、ウツギなどの花も所々で見られ、里近くではフタリシズカも。やはり受講生の中には長い下りに足の負担が大きく、段差の通過などに少し遅れ気味になる者も出たが、ザック調整等で最終的に予定のバス時間(15:48)に全員間に合せることが出来た。
 最後の所で林道に出て、少し右に再び登山道に入るガードレールの切れ込みがあり、ここを通過して程なく大嶽神社の鳥居、祠があり再び林道に飛び出し、飼い犬に吠えられつつ民家の間を進んで白倉バス停には15:25に到着した。
 バス停でストレッチを入念に行っている内に空のバスが到着し全員座ることが出来た。その後千足でも登山客が乗り込んで来たが既に立ち席状態となった。
 30分弱で武蔵五日市駅に到着し、駅前で解散式を行い女性参加者は「お茶をする」とのことで場所探しに行った。これには本日唯一人の女性会員、西村会員が参加した。残る講師、サポーターの会員は何時ものように本日の反省・意見交換会を拝島の庄屋で1.5時間程度行った。 (総歩数24.9千歩)
以 上
(13.5.15記)

会   報
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■2013年5月11日 針葉樹会5月懇親山行 金子 晴彦(昭和46年卒)

        *********** 2013年5月20日投稿(PDF版)

※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全16頁 写真27葉

2頁 撮影:金子 
*** 【行程】

10:30 野辺山駅集合 
12:50 平沢山頂
13:20 飯盛山頂 
15:00 清里駅到着
夕刻よりアダージョにて懇親会
 (追悼行メンバーと合流)
【メンバー】( )内は卒業年(昭和)
仲田(36)、三井(37)、中村(雅)(43)、

3頁 撮影:松尾奥様

会   報
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■2013年4月21日 六万騎山のカタクリ観察会 ―― 越後支部との交流観察会 ――
                           竹中 彰(昭和39年卒)
              ****** 2013年5月15日 HUHACメールより転載

 JAC多摩支部・岡田集会委員長が越後支部・櫻井会員との間で纏めた六万騎山のカタクリ観察会に参加し、雪が積もった中でカタクリのみならず、オクチョウジサクラ、ダンコウバイ、コシノコバイモ、ミズバショウ、ザゼンソウ、ショウジョウバカマなど多くの春の花々を観察した。

●4月21日(日) 雨、雪のち晴
立川発6:30の貸切バスに間に合せるべく、成瀬発5:30の二番電車に乗り、6:12に立川に着き集合場所に向かう。雨が強く降っており、関越トンネルの先の天気が気になる。小型バスに19名が乗車して圏央道から、一路六日町目指して雨の関越道を進む。
 上里SAでトイレ休憩の際に情報板を見ると雪の為に、月夜野からは50km規制、チェーン規制が出ていた。トンネルを抜けると雪が本降りになっており、塩沢石打SAでトイレ休憩後六日町ICを出て、六万騎山の登山口に向かう。登山口の駐車場には既に越後支部の桐生事務局長、ガイド役の桜井会員、地元の吉田会員他のメンバーが待機しており、早速岡田、河野委員長と天候を睨んで今後の予定を協議する。結果、坂戸山(634m)は断念して、六万騎山と原虫野のミズバショウ、ザゼンソウ観察に切り替え、レインウエアを着込んで六万騎山の登りにかかる。登山口から坂を上がって直ぐに、雪の上に顔を出すカタクリが現われ、また、アブラチャン、コシノコバイモ、ミチノクエンゴサク等を越後支部会員の解説で観察する。登るにつれてカタクリの数が増え、頭上からは枝に積もった雪が傘の上に引っ切り無しに落ちて来る。所々には咲きだしたオオヤマサクラに雪がついて、朧にピンクが浮き出ている。一行はカメラのシャッターを切りまくる。短いが急な尾根をひと登りすると、稍々開けた頂上直下のカタクリ畑とも言うべき群落が目に飛び込む。白い一面の雪の原に御前山のカタクリなど比べるべくも無い、カタクリが稍々俯き加減で佇立している。図らずも精美とも言うべき奇観に遭遇し、越後支部の皆さんも感激していた。
 頂上(320.7m)で全員記念撮影後、尾根を南に辿り、隣のピークに上がるとオオヤマザクラ、オクチョウジサクラ(マメザクラ)などのサクラが迎えてくれる。これらも雪に覆われた状態で、ぼんやりとピンクが透けて見える。ここからは、下りの斜面が稍々急になり、雪の足元を注意しながら下る。途中では、マンサク、アブラチャンなども咲き黄色が目に飛び込む。道端にはササの間に相変わらずカタクリが咲いていた。下の登山口に出た時には雪は雨に変わっていた。なお、先行した我々のグループは見逃したが、廣田会員によれば緑色のカタクリが登山口近くに咲いていたとのこと。ここの駐車場でバスに乗車し、越後支部会員車の先導で小出方面に走り、小出スキー場の「こまみの湯研修室」に入って多摩支部、越後支部両会員揃って昼食を摂る。
 相互に挨拶しつつ、越後側のコゴミやフキ味噌等の山菜の差し入れを頂く。
 暖房の利いた中で身体の内外を暖めた後再びバスに乗って小出町原虫野地区に向かう.農業用水路、雪の上の畦道を500mほど進むと、魚野川の河岸段丘崖の下に雪を割ってミズバショウの群落があり、間に濃い色のザゼンソウが点在している。本来は植生保護の為に傍には寄れないところだが、幸か不幸か5-6cmの積雪がカバーしている為慎重に歩を進めて間近に寄って観察し、花の中を接写している会員も。少し上の杉木立の下にはショウジョウバカマの紫色の花が咲いていた。こちらにも接近して観察していた。
 ひとしきり観察を行ったところでバスに戻る。ここで越後支部の皆さんにお礼を述べて帰途につく。小出IC近くの道の駅に立ち寄り、地元産のコゴミ、フキノトウなどの山菜、キノコ類、或いは山菜テンプラ等を買い求め、14:45に出発する。トンネルを抜け関東平野に出ると青空が広がり、陽射しが眩しい。
 車内ではさっそく越後支部・吉田会員差し入れの「越乃寒梅」の栓が開けられ、全員で味わう。バス後方席にはプラカップに軽く一杯ずつ割り当て、前席では比較的潤沢に飲めたとも。また、備付の冷蔵庫からアサヒスーパードライが@200円で販売されていた。前方から色々のツマミも回ってきて賑やかに進む。
 朝から天候が芳しくなかったせいか関越道の渋滞も余りなく、高坂SAでワンストップしただけで青梅まで来て降りる。その後の一般道はかなり渋滞し立川に18:01と、計画書通りの到着となった。
現地は生憎の雪模様の天気だったが、雪の上のカタクリ、サクラなどを堪能できて有意義な観察会であった。
 (総歩数 12.0千歩)

▼画像をクリックすると大きく表示されます
(登り口のカタクリ) (エンゴサク) (頂上カタクリ)
(雪中のオオヤマサクラ) (マンサク)  (原虫野のミズバショウ) (原虫野のザゼンソウ)

 ( 以 上 )
 (13.4.25記)

会   報
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■2013年4月20日 第2期初心者登山教室 ―― 第2回講座 三頭山実登 ――

                         竹中 彰(昭和39年卒)
          ****** 2013年5月15日 HUHACメールより転載

(本山行は4/26付け読売新聞多摩版に記事となっている) 
 本年度の初心者登山教室第一回実登を奥多摩三山の三頭山で実施し、26名の受講者(内1名は立川市田中係長)、講師・スタッフ16名と共に参加した。

●4月20日(土) 曇り一時晴後小雪
立川発7時30分の貸切バスに間に合せるべく、成瀬発6:14に乗車し、立川駅に7:00到着、集合場所の多摩信金横に向かう。途中で最近入会した竹次さんと一緒になり受付を済ませる。全員揃った所で予定より早く、7:24に出発する。今回は教室に参加の読売新聞・宮沢記者の同行取材を受ける。車内で酒井、宮崎講師から簡単に歩き方、地図読みの復習が行われる内に、渋滞もなく五日市駅前を経由し、予定より早く8:55に登山口の都民の森駐車場に到着する(1000m)。挨拶、ストレッチの後、3班に分かれ、小生は第一斑の隊列の中ほどに入ってミツバツツジが美しい遊歩道を9:25にスタート、森林館横を過ぎて大滝への道に入って、足に優しいチップ道(森林セラピーロード)を進む。15分程度進んだ展望台で小休止し、衣類調整を行う。気温がかなり低く、一向に身体が温まらずそのままで行く。9:53に大滝の橋の上から見物する(〜9:58)。
 この先で漸く身体が温まって来たので、上着を脱ぐ。沢沿いに上がっていくと数名のカメラマンが望遠レンズで鳥を狙っていた。聞くとミソサザイとのこと。この先で沢を横切り、探鳥路との分岐でピッチを刻む(1200m、10:15~20)。その後稍々傾斜を強めるブナの路をムシカリ峠を目指して進む。11:05にムシカリ峠に着きそのまま避難小屋に向かう。避難小屋で昼食とし、前夜握ったオニギリとインスタントにゅうめんを腹に納める。ジッとしていると冷えてくるので、この時期になっても温かいものが欲しい。その内に第二班も到着し、席を入れ替わる。やや遅れて第三班が到着したのを機に我々は頂上に向けて出発する(11:08〜33)。西峰に向けて急な路をジグザグを切りながら進む。この辺りに来ると登り下りの登山者、ランナーが増えて来る。然し、昼食後のエネルギー回復で難なく乗り切り、11:53に頂上に着く(1524.5m)。頂上では南面の富士山方面は全く視界がなく、看板に描かれた景色でイメージするのみ、辛うじて御前、大岳山方面は薄く浮かんでいた。頂上の気温は4度程度と低く、全員の記念撮影を待つがジッとしているとドンドン冷えてくる。後続を待つが第三班が遅れていたので、已む無く一、二班のみで頂上標識をバックに撮影し、一斑は先行して下山にかかる(12:25)。途中で三班が登って来るのとすれ違い、進んで行くと次第にサラサラと音がして細かなアラレが降ってきた。探鳥路分岐のベンチで一息入れる(13:05〜13)。滝見小屋でトイレ休憩し(13:22〜27)、30分ほどで森林館に着き、暖房の効いた館内を見学しながら後続を待つ(13:50〜14:30)。全員揃ってから駐車場に移動し、直ぐバスに乗車する(14:50)。
 この頃には雪が横殴りに変わっていたが、五日市に向けて標高を下げると、次第に雨になり、立川は雨降りであった(16:30帰着)。反省会に向かうスタッフと別れ、家内の古希祝いに参加すべく町田に向かう。 (総歩数 20.3k) (以上)
(13.4.24記)

会   報
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■2013年4月9〜10日 赤岳(八ケ岳)岡田 健志(昭和42年卒)
    ******2013年4月24日投稿

日程   2013年4月9日〜10日
メンバー 岡田、中村(雅)

●4月9日 快晴
 茅野(9:30)− 美濃戸口(9:50)− 赤岳山荘(10:43〜55)− 赤岳鉱泉(13:20)

 年金生活者の山行の場合、天気予報を見て100%好天が予想できたときだけ出かける。1泊くらいなら好天の下、山行を楽しめることが多い。
 9:30に中村(雅)さんと茅野駅で待ち合わせ。この時期、日は長くなっているので、鎌倉駅発5:36の横須賀線に乗るころはもうすっかり明るい。暗いうちに電車に乗って山へ行くのも、家人に駅まで車で送ってもらわなくてはならない、という自宅の立地事情からすると、なんとなく後ろめたい。
 八王子でスーパーあずさ1号を捕まえる。列車が勝沼駅を通過し、甲府盆地へ下りかける所から白根三山の白いピークが青空を背景に見える。桃の花(か?)が咲くその先に白根三山、素晴らしい!
 JR茅野駅から美濃戸口までの路線バスは、特定日運行になったということで、この日はタクシーを使わざるを得なかった。この路線に限らず、バス会社の経営が思わしくなく、路線バスは特定日運行または廃止が多くなっていくらしい。これもバス会社の構造改革・事業仕分けの影響だろうか?そのかわり、美濃戸口から1時間ほど登った赤岳山荘の駐車場には、車高の高い4輪駆動らしい乗用車が複数台止まっている。ここまでマイカーで来るのだ。
 美濃戸山荘をすぎて柳川北沢ルートを取る。道路には雪が残っている。暖かい日が続いたせいか、雪が解け、寒い日にはそれが凍って滑りやすい。会の某氏が少し前にこのルートを通ったときは、今日と同じように凍っていたようで、アイゼンを履いての入山だったとか。
 赤岳鉱泉に着くころには快晴で人工の氷壁が空の青に染まって美しかった。
 赤岳鉱泉はバカでかい旅館のような感じで、全館暖房かと思われるほど室内は暖かい。我々2人は、いずれも単独行の2人と4人で「大同心」と名付けられた部屋で寝た。毛布1枚かけフトン1枚だったが、十分暖かく寝ることができた。

●4月10日(ガスのち晴れ)
 赤岳鉱泉(5:52)−中山峠(6:23〜6:30)−赤岳、中岳の間(8:11)−赤岳(8:59)−赤岳、中岳の間(10:00)
 −行者小屋(10:37)−赤岳鉱泉(11:18〜53)−美濃戸山荘(13:35)−美濃戸口(14:30)

 昨夜は雪だったらしい。多いところで10cmほど積もっている。赤岳鉱泉周辺の針葉樹には雪がついている。ガスが出て山も見えない。天気は良くなるという予報だったので、6時前に出発する。
 赤岳鉱泉の方の情報では、阿弥陀岳の下りについて、中岳沢は雪崩の危険があるので、阿弥陀岳北陵寄りを下るか、文三郎尾根を下るのがベターということだった。行者小屋からみると、ガスも薄れ、文三郎尾根を詰めて赤岳、中岳のコルにでたあたりの標識が見える。風が強い。この天気と強風では、登頂は難しいとは思ったが、行けるところまではと登り始める。昨夜の雪で、ラッセルが少しあるが、大したことはない。それよりも、傾斜が結構急なのと、風と寒さで雪面がクラストしていたので、下りが難渋するだろうな、と思いながら登りつめていった。
 赤岳の基部を巻いて、右斜め上へ続くルートを登りつめて、赤岳と中岳の中間にでる。寒風が吹き付け腰をおろして休む気にもならない。ここから阿弥陀岳へ行くとなると中岳を昇り降りせねばならない。2人で相談してアッサリと赤岳登頂に計画変更する。
 強風のなか岩混じりのクラストした雪の上のルートを、フィックスロープや鉄梯子につかまったりしながら佐久側から回り込むように頂上に立つ。
 帰路は、予報どおりの晴天になったので、写真を撮りながらも文三郎尾根の途中までは慎重に下った。かたちの良い中岳と阿弥陀岳が並んだアングルや横岳から硫黄岳につながる岩と雪の稜線が美しく印象に残った。


▼画像をクリックすると大きく表示されます
4月9日 14:18
人工の氷瀑と大同心(赤岳鉱泉近く)
4月10日 9:06
赤岳山頂にて(中村)
4月10日 10:07
横岳と硫黄岳(文三郎尾根より)
4月10日 10:11
中岳、阿弥陀岳をバックに岡田
(文三郎尾根より)



●RE: 一橋山岳会 HP 更新のお知らせ(4月25日) 高崎 俊平(昭和41年卒)
        ******2013年4月25日中村、岡田充メールより転載

中村さん、岡田さん、
ホームページの記録・写真、見せてもらいました。絶好の天気(風を除けば)だったようですね!
新雪が覆っているようで、奇麗ではありますが、歩くのには多少苦労されたのかも知れません。
所で、赤岳鉱泉を06時前に出発されていますが、小屋の食事は6時半頃からだったと記憶しますので、朝食は自炊だったのですか?それとも、朝飯抜きで出発して、途中で弁当だったのですか?
やはり、何と言っても、雪の山はいいですね!

●RE: 一橋山岳会 HP 更新のお知らせ(4月25日) 岡田 健志(昭和42年卒)
        ******2013年4月25日高崎宛メールより転載

<高崎様>
小屋事情に精通した鋭いご指摘ですね。仰るとおり、赤岳鉱泉の朝食は6:30からですね。
私たちは早く出発したかった(ライトをつけて出発しようか?なんて思ったくらい)ので、前夜に「朝食を弁当にして」、と依頼したのです。朝食は前日買っておいたおにぎりを1個だけ食べて出発しました。 (後略)          
会   報
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■2013年4月7日 奥多摩むかし道を歩く ――奥多摩山開きに参加して――
                         竹中 彰(昭和39年卒)
                ****** 2013年5月15日 HUHACメールより転載

 4月第一日曜日に山開きが開催されるとのことで、日本山岳会東京多摩支部の仲間と参加した。前日は温帯低気圧の発達で日本中大荒れの天気で、翌日の交通機関の乱れや悪天の余波等を心配したが、総じて時折り強い風が吹くものの、ほぼハイキング日和に恵まれ、ヤマザクラ、萌え始めた対斜面の新緑などが薄くグラデーションを描く景色を眺めつつユックリ歩いた。

●4/7(日) 朝は稍々雲行きが心配されたが、次第に青空が広がる中を成瀬駅で2番電車(5:43)に乗車、八王子経由立川に、立川からは6:39発で奥多摩駅に向かう。車内で数人の仲間に出会う。
 7:46に奥多摩駅に着くと、駅前広場には既に三々五々各団体の参加者が立ち話をしながら式の開始を待っていた。山本事務局長や石井会員の紹介で地元関係者の方々と名刺交換する(奥多摩町・河村町長、原島観光産業課長、坂村商工係長、観光協会・鈴木会長、山岳救助隊・吉田警部、市原さん、雲取山荘・新井晃一、環境省・一瀬自然保護官ほか)。
 8:15頃から広場横の大木戸稲荷で神主の登山の安全祈願祝詞奏上で式典が始まり、各団体毎に代表者の玉串奉奠、参列の多摩支部一同(11名)参拝して登山の安全を祈る。式典終了後お神酒を頂き、更に観光協会事務所で軽く一杯頂き9:10に多摩支部一同はウオーキングに向かう。新しい奥多摩交番前を通り、むかし道への途中で武蔵野市在住の木村康雄会員(奥多摩一の山持ち)旧家に立ち寄り、青梅街道に面した広い画廊風の一階を見学し、支部イベントでの活用も可能との説明を受ける。
 氷川大橋を渡った先で右に「奥多摩むかし道(自然林、ヒノキ植林帯の下を進む森林セラピーロード)」に入り暫し羽黒坂の急坂を登る(9:33)。
 林道を辿って少し行くと、軌道の残る古いトロッコ道と交差する。その後も所々で橋や隧道で施設のあるトロッコの遺跡が見られる。道端にはハナダイコン(諸葛菜)の紫の花が咲いている。案内図の「槐木(サイカチ)」の所を始めこの道には要所に立派な公衆トイレが整備されていた。暫らくウワミズサクラ、ミツバツツジなど多摩川対岸の山肌のグラデーションを愛でつつヒノキの植林帯を進む。
 時々ヤマブキの黄色い花が現われ、スタートから1時間余で「不動の上滝」に着くが、ここにも公衆トイレが整備されている。滝は10数mあるが前日の雨の影響か水量はかなり多い。この先青梅街道の境橋の上部に当たる辺りに白髭神社が祀られ、少し寄り道する。神社は秩父古生層の露頭の岩壁の下に設置されており、過去に火災で焼失したのを再建したとのこと。
 少し先には「耳神様」があり、午後のルートにある「虫歯地蔵」と共にユニークな昔の民間療法(まじない)に驚く。更に進んだ先に、坂本家が道沿いにあり、石井会員が挨拶するとご主人が顔を出し、直ぐ横のモノレールの所有者であり、山の上にも畑と自宅がある様だが最近は殆んど下の家で生活している様子。ご主人からは、この辺りでは正月の門松に松は使わない、武田が徳川(松平)に滅ぼされてここまで逃げ込んだ為、との興味深い話が聞けた。11:53に惣岳渓谷に架かる「しだくら吊橋」に着く。渡橋の定員は以前5名だったが老朽化の為か3名に制限されている。橋を渡った対岸、シダクラ沢の左岸辺りで弁当を広げる(423m)。弁当を広げる頃に急に影って、気温が下がり俄か雨が降る。食後12:20に橋を渡り返して道に戻り、先に進む。直ぐに「縁結び地蔵」を通過し、青梅街道に近接した板小屋下、嘗ての茶屋跡に沢水を集めた「馬の水のみ場」ある。この場の枯れ枝等除去作業は石井会員たちがボランティアで定期的に作業しているとのこと。直ぐに旧道の難所、道端に馬頭ならぬ「牛頭(ごず)観音」が現われる。
 再び多摩川に架かる吊橋(堂所吊橋)を左に見送るが、この橋は現在は行き止まりとのこと。下の「中山集落」を過ぎ(13:10)、その先の「玉堂歌碑」を見送って林道との分岐に達し、左折して「浅間神社」前を過ぎてダム建設時の飯場後を通り、急坂を上って上の「中山」を目指す。13:30に眺めの良い集落に入った所で小休止し、狭い集落の中の道を過ぎて再び山道に入り、奥多摩湖堰堤(小河内ダム)よりも高い所まで上がって青目立不動尊に着く。この頃に再び雲が広がり雨がパラつき出したので、休み処に上がって一服する(14:10~40)。ここで下山後の反省会について打合せが始まり、駅前の餃子店が馴染みの店とのことで、石井会員が予約の電話を入れると、既に金さんが呑んでいたので、石井会員から下山後合流することを要請するが、時間が遅すぎるとのことで難色を示される。
各自饅頭、ソフトクリームなどを注文して休んでいる時に、大きなシイタケが目に止まり、お買い得な一笊500円とのことで、多くの人がお土産に買い求める。ユックリ休んで、店前で湖を背景に記念撮影し、ダムに向けて下る。
街道に出てダム横のバス停で時間を確認後、管理事務所横の「水と緑のふれあい館」を見学する。16:37発の始発バスで奥多摩駅に向かう。
 駅に着き、直ぐ帰宅するメンバーを除く8名で駅傍の「天益」に向かう。奥の座敷が地元消防団に押さえられていた為、カウンターに座る。電話では待てないと言われた、金さんが呑み続けて待っていてくれた。即生ビールで乾杯し、当店の名物餃子が出てきて賑やかに懇談会が始まる。
 小生は金さんの横に座って、3月末で警視庁(山岳救助隊)を退官した今後について色々と話を聞く(今日、明日は米国に行っている山野井夫妻の留守宅の畑のサル対策、当面2年間は「岳人」に事故回避の記事執筆、故郷の山形県小国町に帰る気持ちはない等)。金さんは早目に帰るとのことで、席を立ち際に多摩支部での活動への支援をお願いするが、役員は勘弁して欲しいとのこと。その後は何時もの支部員の反省会で、日本酒が次々に回ってくる。終わり近くに環境庁秩父多摩甲斐国立公園自然保護官の一瀬さんが入ってきて懇談(高山植物の本寄贈を受ける)、2時間ほどでお開きとなり、拝島、八王子経由で帰宅したのは21時頃であった。  (総歩数 23.8k) (以 上)

参加者:山本,岡,石井,河野,西村(智),高橋(郁),北口(マ),(西谷夫妻),竹中 計10名
    式典のみ:木村、ほか・・・・。
(13.4.11記)

会   報
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■2013年1月〜3月 今冬のスキー三題  竹中 彰(昭和39年卒)
       ****** 2013年7月23日投稿

 この冬は暖冬気味との長期予報に反して厳寒となり、各地スキー場は豊富な雪に恵まれたが、老年スキーヤーが向かったスキー場も天気の好悪はあったが夫々楽しい機会を提供してくれた。以下に思いつくままに記してみる。

其の一
白馬五竜スキー場(2013.1/20〜22)
例年、シーズン最初のスキー滑り初めは佐久のリエックスか白馬五竜に決めているが、今年は雪も豊富な遠見に決めてゲレンデに近くて安く駐車場も広い何時もの宿(ロッヂ五竜:とおみゲレンデ最左端のクアッドリフト(スカイフォー)の道を挟んで隣接)を予約した。

●1/20(日) 朝6時半頃に、家内と車で出発、圏央道高尾ICから高速に入り中央高速に乗って未だ復旧前の笹子トンネルに向かうが、案外スムーズに対面通行のトンネルを通過して順調に進む。豊科ICから名称変更した安曇野ICで高速を降り大町経由で白馬村に向かうが、例年に無く雪が多く一面の銀世界であった。佐野坂スキー場を通過して白馬五竜の看板に従って左折して大糸線の線路を渡り、スキー場への坂を登る。路面は殆んど除雪され、ウインタータイヤで問題なく走れた。11時半頃には到着し、宿の駐車場から荷物を運び入れ、早速ゲレンデに向かう。
チケット売り場で見ると、70歳以上はグランドシニアで、1日券が通常4.8千円(2日券8.5千円)のところを1日3.0(2日5.8)とお得感が大きい。家内は残念ながら数ヶ月の差で届かず、普通のシニアで1日3.8(2日7.3)と不満顔であった。
リフトで遠見ゲレンデに上がり、滑り降りてテレキャビン(ゴンドラ)に搭乗して上部のアルプス平(1516m)に登り、ガスに包まれ小雪が舞う中をアルプス平、パノラマ、グランプリコースを中心に滑り、時々下の遠見ゲレンデまで一気に下る。日曜日のせいか特に遠見はかなりボーダーの若者等で賑わっていたが、上部ゲレンデはそこそこの人出で圧雪されたゲレンデを自由に滑っていた。16時頃に宿に引き上げ入浴、食堂で食事を取る頃にはナイター営業が始まったが、再び寒さの中に出る気も起こらず、老齢スキーヤーにはもう十分と早々に就寝。

●1/21(月) ここ数年で最高の天気となり、早速テレキャビンでアルプス平に登る。
ゲレンデに出る前に、上部駅屋上展望台に初めて上がってみる。
眼前に、八方尾根越しに白馬乗鞍から白馬、杓子、鑓、と後立山連峰の峰々が正に圧巻のパノラマが広がり、唐松、直ぐ目の前に大黒、白岳に続く五竜岳の特徴ある武田菱の岩が黒々と聳える。学生時代の春合宿で三井さんと登ったG0から上部のGUにかけて五竜東面の尾根、ルンゼが輝き、東には浅間、八ケ岳、南アルプスが稍々霞んだ中に浮き上がっている。かなりの時間をここでの初めての景色の鑑賞に費やして、ゲレンデに出る。
リフトに乗っても温かな陽射しを浴びて飽きずに山々を眺めて退屈しない。
テレキャビン上部駅展望台より五竜、白馬三山 地蔵の頭ケルン

昨日同様パノラマ、グランプリコース中心に滑るが、上部で繋がったHAKUBA47スキー場のコースへも滑り降り、違った雰囲気を楽しむと共に、家内と別れて、リフト最上部(1624m)から少し急な斜面をツボ足で「地蔵の頭」の大きなケルンまで登って、「風切地蔵」にお参りし、一段と雄大な景色を楽しむ。頂上には大きなカメラバッグ、三脚などを担ぎ上げた男性1名、外人の男女一組が先着しているのみで、風も弱く昼寝も可能なコンディションであった。男性にシャッターを押して貰ってからスキーのデポまで下り、再びグランプリコースから遠見ゲレンデまで滑る。終日好天の下、時々家内と合流しながら適当に滑り、16時頃に切り上げて宿に戻る。月曜日で入場者も減っておりリフト券は極めて有効且つ効率的に活用できた。宿で夕食後精算する(一人7千円×2泊=14千円+アルコール代)。

●1/22(火) 昨夜から雪が降り続き、早目に帰宅した方が良さそうなので、11時頃出発を目標にグランドシニア券を求め、テレキャビンで上に上がった。昨日とは打って変わった天気で風雪も強く、またスキーを履こうとするが、何故かビンディングの調子が悪く、調整に手間取っているうちに意欲は萎える。諦めて再び下りのテレキャビンに搭乗して麓に降りる。宿に寄って荷物を回収しクルマの雪を除雪して10時過ぎには帰路につく。早いスタートであったので順調に進み、午後早い時間に自宅に戻った。

其の二
立教山岳部鹿島槍山荘(2/9〜11)
建国記念日の三連休を利用して、多摩支部の長瀬(直前キャンセル)、岡田、西村会員と共に、昨年の年次晩餐会時に立教OB会(山友会)会長の今村会員にお願いしたスキー懇親会の誘いに乗ることとなった。残念ながら天候には恵まれなかったが、初めてのスキー場で愉快な仲間とそれなりに楽しめた。

●2/9(土) 予定の8時半前に八王子駅南口のみずほBK前で、岡田、西村両氏を拾って八王子ICに向かう。数日前に復旧、開通した笹子トンネルをスムーズに通過して安曇野ICを出る。好天の下、今村さんの指示通り千国街道(R147)を進み、大町手前で大町温泉方面に直進し、大谷原手前を右折して鹿島槍スキー場に向かう。次第に登りの傾斜が増すと路面上の積雪が所々で凍結しており、普通タイヤで来た若者の車が路肩でチェーンを装着している。
係員に手前の駐車場に入ることを指示されるが、立教山荘に向かうと応じて予定通り山荘直下のスキー場黒沢駐車場に到着した。スキー場内セントラルプラザ1130で昼食後、車と宅急便の荷物をピックアップしてスキーを履き第3リフトで上がって東京芸大山荘前を通ってトラバース気味に林間を立教山荘に向かう。10分程度で山荘の上に着き、スキーをデポして山荘に入る。
山荘で先着の井野さん他立教関係者に出迎えを受け、大型の石油ストーブが据えられたダイニング・ロビーに落ち着く。山荘の間取りはB1に出入り口があり、直ぐ乾燥室、和室、風呂場、トイレがあり、1Fにロビーと和室2部屋、更にハシゴで登る2Fに個室等があるかなり大きな作り。ロビーの大きな窓からは鹿島槍から爺ケ岳の絶景が間近に望める。
鹿島槍南・北峰

暫らく待っていると今村さん等が大量の食材などを背負って駐車場から10分程で直登して来る。他の立教メンバー(慈恵医大関係も)はスキー場に出かけているとのことで、夕方になって懇親会メンバー全員揃う。ビールは部屋の外のテラスに置かれていたが、ギンギンに冷えており、持つ手が凍える感じであった。
風呂の窓からも鹿島槍等の展望が開ける。風呂上りにビールで渇きを癒す間に今村会長以下炊事担当の皆さんの手でメインのカレー以下色々の料理が準備され、宴が始まる。アルコールも日本酒、ワイン、焼酎など選り取り見取りで、小生の様に初参加のメンバーもあり、今村さんの司会で各自簡単な自己紹介をおこなう。立教メンバーには今村さん以外にも多摩支部の大倉会員が参加していた。呑むほどに酔うほどに場の雰囲気もほぐれ、ブラックダイアモンドで一新した山スキー道具の自慢話も。

●2/10(日) 昨日とは打って変わって雪模様の天気だが、山芋、納豆、玉子焼きなどの豪華朝食の後で、スノーシューとシール登行に向かう慈恵の浜口先生他4名のメンバーと別れてゲレンデに向かう。山荘上のデポ地点でスキーを履き、林間を芸大山荘に向かって進みゲレンデ上に出る。第3リフト横を滑ってチケット売り場に行き、回数券を購入する。全員打ち揃って今村さんの案内で各ゲレンデを回る。第1Qリフトで上がって3、4ゲレンデを数回滑り、第10Pが運転開始したのに乗って標高1550mのノースMTに上って林間を滑るが、狭いコースにボーダーに磨かれてツルツルになっており、おまけに所々でボーダーが尻餅をついて休んでいる等から慎重に下る。最下部まで滑ったところで今村さんの案内で第2Pに乗って中綱ゲレンデの方に回り、一本杉ゲレンデを滑り、第6Pで上がって、第5Pに回り1335mのウエストMTに上がるが相変わらず景色は全く見えない。昼食後も午前のゲレンデを繰り返すが、次第に天候も悪化してきた為早目に切り上げて山荘に戻る。
早目に風呂に入りロビーで休んでいるとスノーシュー組も戻ってくる。
夕食は立教OBを中心に色とりどりの料理が用意され、昨夜にも増してアルコールも進み歓談のうちに時間が過ぎるが、その間も雪は降り続いていた。

●2/11(月) 昨夜来の雪が山荘周囲の木立を白く飾り、起床後も降り続く。鹿島槍などの稜線は全く見えない。朝食後もユックリして天候回復を待ったが、改善の兆しが無いので、復路の渋滞を避けるべく早めの帰宅を決断して一回スキーで降りて雪を被った車に収容し、山荘に荷物を取りに戻って担いで下る。

其の三
チセヌプリスキー場(国民宿舎雪秩父)(3/1‐3)
例年札幌の針葉樹会員・小野さんが企画する雪秩父をベースとする合宿に参加し、仙台、金沢からの小野さんの仲間のお医者さんと愉快な3日間を過ごした。

●3/1(金) 羽田発8:15のADO 015便を予約したため、成瀬駅5:54で新横浜に向かう。そこから、6:25の空港行きリムジンバスに乗車し、羽田第2Tには7時頃に到着。搭乗手続き後、手荷物預けの際にスキー込の計量で1sオーバーと告げられ、出しますかとの係員の言葉に、バッグのポケットに入れていたシール等を適当に取り出すとOKとのことだったので、機内持込のザックに移す。
定刻に機内に進むと、ネットで座席指定(1A)の席は、何故か機種によって先頭8席程度に設定されているビジネスクラス並みの幅広のシートであった(ADOにはプレミアムクラスの設定はない)。
離陸後10千mに上昇して雲海の上に出る。千歳に近づき霧(雲)の中を降下して行くと、突然白一色の原野が広がり、高速道路等のみ黒く筋を描いていた。
9:40着陸し、荷物をピックアップして到着ロビーの椅子に座って待つほどに
10:30に仙台便の松野夫妻が到着、挨拶していると地元の小野さん、橋本先生が現れ、小松便の森、小山先生が到着、最後に羽田からスカイマーク便の川名さんが着いて予定の11時前に全員揃う。待機していた小型貸切バスに乗車するが定員20名程度のところに8名であり、ユッタリであった。空港周辺も例年になく雪が多く、今冬の厳しさを窺わせた。乗車と共に橋本先生差し入れのビールで乾杯、金沢の珍味等が配られる。途中何時ものトイレ横の自動ピアノ演奏がある「道の駅」に寄ってきのこ汁などを賞味し、14時頃に雲が垂れ込め、小雪の舞う雪秩父温泉に到着。部屋割りに従って荷物を入れ、着替えてゲレンデに向かう。幸いリフトは低速ながら運転しており、チケットを購入する。翌日の天候が更に悪化も予想されたので、取り敢えず回数券(11回・宿泊者割引後2300円)を購入。リフトで上部に行くに連れて風当たりが強くなり、特に20本ある支柱のうちNo.12、16の辺りは風の通り道になっており大きく座面が揺れる。風雪も激しくなっていたため整備されたCコースを滑る。リフトは減速運転中のため回数は稼げず、終了時間を知らせる「蛍の光」も鳴り出したのを機に宿に戻り、缶ビール片手に露天風呂へ直行する。タオルを頭に載せて雪除けとし、稍々温めの浴槽にユッタリ浸かる。18時の夕食時間に食堂に行くが、我々以外には規模の小さい4パーティー程度で、何となく我々の貸切状態となる。北海道、石川等各地の銘酒の栓が開き、歓談のうちに次々に空になる。そのうちに、小野幹事の企画になる歌集が配られ、金沢大医学部(十全会)山岳部の歌、山讃賦、雪山賛歌など懐かしい歌を次々に唄う。食後には幹事部屋を二次会の場所として宴は続く。次第に勢いを増す風雪の音を子守唄に9時半頃には眠りに落ちる。

●3/2(土) 相変わらず雪が降り続き、ゲレンデ上部は風と共に雷鳴も聞こえる最悪の天気になった。土曜日にも拘らず客の姿は無く、リフトも当然運転中止、チェア部分は取外されて運転見通しは立たずとのこと。朝食後一応シール登行の準備をしてゲレンデに向かう。小山、橋本両先生は馴染みのイケメン・インストラクターをお願いして、リフトが動いているゲレンデを探してレッスンに向かう。小野さん以下6名はリフト乗場でシールを装着し、9:15頃から川名さんをトップにゲレンデの右側、リフト寄りの斜面を上る。50分弱で10時前にリフト上部駅に着く。リフトであれば10分弱の行程だが略5倍の時間とそれ以上の労力を費やす。勿論他にスキーヤー、スノーボーダーの姿は見当たらず、我々も最も圧雪されたゲレンデ(Cコース)を滑る。下のリフト乗場まで15分程度で滑り降りるが、益々悪化する天候にリフト運転の兆しは無い。未だ体力に十分余力を残す川名さんが再度シールで登ると言うのに、松野、森、竹中が付き合って途中までの積りで進む。支柱No12、16の辺りは斜面を歩いていても風が吹きつけ、雪がつぶての様になって顔面をピシピシ叩く。このため上部の台地に上がるNo.16、15の間でギブアップしてシールを外し、下ることとした。
烈風吹き荒ぶ中で、風に持って行かれそうになるシールを何とか外してスキンセーバー(チートシート)に巻き取り、ザックに納めているとアッという声あり。声の方を見るとKさんの空のシール袋が風に飛ばされて、斜面を転がっている。あれよあれよと見ていると風に押さえられる形で下の方で何とか止まっている様子であった。然し、未だ作業の途中なので誰も回収に向かえない。作業を早く終えようとしていると、TLTビンディングのヒールピースを歩行モードに回転させていた為、スキーブレーキが機能していなかったKさんのスキーが風に飛ばされて音も無く滑り出し、ユックリではあるが、最大傾斜線に従って横の林に滑り込んで行く。これは一大事と、各自スキーを履いて林の縁まで行き、スキーの流れた方向を窺うがその姿は無い。足に自信の森、松野先生が林に入ってその後を追う。当方は片足スキー(途中でツボ足)のKさんを見ながらゲレンデを徐々に下る。シール袋は回収できたが片足スキーでは滑走も儘ならず、林組と別れる形でゲレンデを下っていく。下のリフト乗場の近くで合流したが、自衛隊スキー教育隊の訓練場所まで探したが結局スキー発見には至らなかった。風と雪で流れたスキーのシュプールは消えており、これ以上の捜索は困難と思われ、12時頃に宿に引き揚げる事とした。宿では小野さんが帰りの遅い我々を心配していた。
先ずは温泉に直行して身体を温める。露天風呂に向かうが、内湯との間は通路に雪が積もり、急いで駆け抜けて浴槽に飛び込む。頭にタオルを載せて雪避けとするが、解けて凍る状態。ユックリ浸かって人心地もつき部屋に戻り昼食に代わる、アルコール、豪華ツマミで真昼の饗宴が始まり歓談した。
レッスン組は吹雪の中、リフト運行のスキー場を探して、昼食も忘れて特訓を続けた様子であったが、16時頃に宿に引き揚げてきた。
夕食前には札幌近郊の小学生のグループが到着し、宿は急に賑やかになる。
18時に食堂に行くと、橋本先生が特注した追加料理ヤマベのフライが付いた豪華な宴となり、昨夜に続き日本酒が並び、加えてhaut‐Medocのワインも開けられる。話題は橋本先生がこの宿で、過去に認知症の老婆と風呂で一緒になった時に、脱衣場に出てみると浴衣から下着まで一切が重ね着されて困った話など、また夏の夕張、秋田駒、白山などの山行スケジュールの調整が行われる等皆さん冬も夏の意欲的に活動を志しておられる。その後の二次会も盛り上った。

●3/3(日) 朝のうちは未だ風もあってリフトの運行開始が遅れるとの情報から、全員シールで登ってKさんのスキー捜索に当たることになり、6人+橋本先生で昨日の流した地点までシール登行する。Kさんは貸しスキーを借りて、ツボ足で登ってきた。上部に達する頃にリフトが動き始める。
林に入って林間を探すが昨日来の降雪が多くて全く見当がつかない状況で、林を下に抜けた所で終了宣言をする。
その後は初日に購入したリフト回数券の残り7回分の消化に努め、C、A、B、Dの各コースを昼近くまで滑って、12:30の貸切バス発車に間に合せる。
ゲレンデ

風呂に入る時間は無かったが、最終日に何とかリフトも動き、変化あるコースも滑ることが出来たので、何とか有終の美は飾れたと言えよう。昨日行方不明になったスキーについては、リフト乗場及び、宿の係員に雪解けを待って発見された場合の連絡先を伝えて望みをつなぐ。
途中、例の道の駅で昼食を休憩を取りながら新千歳空港に向かうが、16時少し前には無事到着し、地元の小野さん、橋本先生や各方面に散る皆さんと別れの挨拶をしてチェックインして、各便も略スケジュールどおりの運行が確かめられたので安心して新装成った空港内をぶらつく。                           (2013.3.5記)

会   報
***

■2013年2月28日 中央沿線・御前山五山巡り  中村 雅明(昭和43年卒)
          ****** 2013年5月4日投稿

メンバー; 藤原朋信(昭和44年卒)夫妻、中村、藤原夫人友人[斉藤さん、小池氏]
行程:2月28日 上野駅(8:45)〜 御前山登山口(9:05−10)〜 鶴島御前山(9:50−58)〜 栃穴御前山(10:35−42)〜 栃穴(11:05)〜 四方津御前山手前(12:05−30)〜 四方津御前山(12:48−55) 〜 四方津駅(13:20−28)〜 大野貯水池(13:58−14:03)〜 綱之上御前山(14:57−15:10) 〜 斧窪御前山(15:58−16:15) 〜 梁川駅(16:45) 

 “御前山”と聞くと奥多摩三山の一つの「御前山(1405m)」を思い浮かべる人が多いでしょう。中央線・上野原駅から大月駅の間に“御前山”と名の付く山が6つもあるのをご存知の方は殆どいないと思います。実は私も藤原さんに教えてもらうまで知りませんでした。本山行は、2010年の前半に3回に分けて九鬼山〜高柄山の稜線歩き終えた後、藤原さんと一緒の山行をした折、私が「このコースは初めと終わりが“御前山”で面白いですね。」と得意気に話したところ、藤原さんが「2つどころではなく、桂川沿いに6つもありますよ。私は何回かに分けて全部登りました。1日で五山を巡る山行をしませんか」とお誘いを受けたことが切掛でした。その山行が今年1月31日に実現の運びとなりました。ところが当日、うっかり上野原駅の手前の藤野駅で下車してしまい、藤野駅から登れる能岳・八重山に行先変更したので持ち越してしまいました。その後、2月12日に藤原組で雲竜渓谷の氷爆見物に行った帰りの車中で、藤原さんが御前山五山巡りを話した所、皆さん大変興味を示し、上記5名の賑やか山行となりました。
 豊田発8:04の甲府行に乗り合わせ、上野原に8:36着。軽い体操の後、8:45歩行を開始しました。桂川橋を渡り栃穴部落へと続く車道を登ること約20分で登山口に着きました。
 すぐに鶴島御前山の登りにかかりました。少し登ったところで、斉藤さんが不調を訴え小休止。最初のピッチで藤原さんの早いペースについて行ったのが堪えた様でした。小憩し体調が戻ったので、かなり急な尾根をどんどん登り、約40分の歩行で頂上(484m)に着きました。狭い草地の頂上ですが上野原の市街を一望できます。軽い朝食後、二つ目の栃穴御前山に向かいました。少し進むと高柄山へ続く道(左手)との分岐に出ます。右手の痩せ尾根に入りました。踏み跡は薄くついていますが、急な斜面の下りや痩せ尾根が続くので慎重に足を運びました。コルからはロープに縋りながらの急登です。登りの途中で突然犬が現れびっくりしました。飼い主が後続すると思いましたが、結局現れませんでした。栃穴御前山の狭い頂上(431m)は樹木に覆われ展望がききません。頂上を示す指導標はなく、立木に「栃穴御前山」と書かれた白い看板が巻きつけてあるのみです。ここでは休みを取らず、登りより歩きやすい道を里山気分に浸りながら栃穴部落に下りました。
 部落から桂川に下り、老朽化した鉄板床の吊り橋を怖怖渡って対岸の部落へ。部落を走る甲州街道を横切りしばらく車道を登り中学校の右手の山裾に取り付きました。ここまで一切指導標が無いので、一度歩いたことがある藤原さんのガイド無しでは辿り着けなかったコースでした。尾根に出て高度を上げていくと次第に痩せ尾根となり、幾つか馬の背状の岩場を越えます。頂上近くの見晴らしの良い岩場で昼食を摂りました。この岩場からはトレースしてきた2山が良く見えます。また北方には権現山から雨降山を経て用竹に下るなだらかな長い尾根が印象的です。天気は絶好で、2月末とは思えない暖かな日差しを浴びて食べる昼食は格別です。
 岩場から四方津御前山の頂上へは急登15分で着きました。最高点には山梨放送のアンテナ塔が聳え興醒でしたが、少し先の気持ちの良い草地に三等三角点がありました(460.9m)。頂上を示す道標はなく、「三等三角点四方津村」と書かれた朽ちかけた板があるだけです。写真を撮った後、登りよりずっと良い道をコモアしおつ(四方津ニュータウン)に下りました。洒落たニュータウンの町並を眺めながらコモアブリッジ駅まで歩き、そこから斜行エレベーターで四方津駅に降りて帰宅する藤原夫人、斉藤さんと別れました。
 後半戦は男性3人です。四方津ニュータウンの端の車道を下り、大野貯水池へ登る車道を歩きました。大野貯水池から御春山(おはんなやま)に登る尾根の東屋で休憩。東屋からは歩いてきた御前山3山と“コモアしおつ”の住宅地が良く見えました。御春山までは2m幅の道が整備中です。その先もその幅の道が続いていました。貯水池を巡る遊歩登山道を建設中の様です。幅広道から別れると踏み跡の不明瞭な尾根道が続きます。最後の急登りに息を切らして綱之上御前山(568m)に15:00着。頂上には道標がなく立木に「寺山」の小さな看板が巻きつけてあるだけでした。1年間に数える人しか訪れないだろうと思いながら梁川に下る途中で女性2人連れに会い意外でした。甲州街道をしばらく歩き、梁川駅を通り過ぎた少し先の斧窪から斧窪御前山を往復しました。1ピッチの登りですが、ここまでの歩きで疲れが溜まった足に堪えました。斧窪御前山の頂上(523m)も立木に「斧窪御前山」の看板のみです。
 梁川駅に戻ったのが16:45。登って下って登って下っての五山巡りは行動8時間でかなり疲れましたが小池氏と中村は大満足でした。ユニークで面白い山行を企画してくれた藤原さんにお礼を言って缶ビールで乾杯、五山巡り完了を祝しました。

(あとがき)  
1. 五山は高さ4〜500m台の訪れる人も稀な里山ばかりで、その山だけを目的に行く価値はないと思いますが、1山、2山・・・と稼いで行く五山巡りは通常の山行と違った面白味がありました。中央沿線の山シリーズを続けている私にとっては、地図にマークするコースが一挙に増えて嬉しく思いました。
2. 今回は“御”と“五”の語呂合わせの五山巡りでしたが、6つ目の猿橋から登る駒橋御前山(730m)まで足を延ばすのは1日では無理です。斧窪御前山から鳥沢に下り、甲州街道を猿橋まで歩き、猿橋から駒橋御前山に登り、菊花山経由で大月まで歩くのは、日の長い6月頃の丸1日コースです。
3. ‘御前山がこの山域になぜこんなに集まっているのか’の疑問にインターネットで検索して見つけた以下の記事が答えてくれました。
 『ヤマレコ』「鶴島御前山」
*** ・・・各々の御前山は武田氏の狼煙台が置かれたそうで甲州路の情報伝達の役割を担っていたという話があります。古い祠なども残っており、歴史的にも面白い山です。
   


 ▼画像をクリックすると大きく表示されます
2月28日 9:53(撮影:中村)
鶴島御前山頂
2月28日 10:368(撮影:中村)
栃穴御前山頂
2月28日 12:53(撮影:小池)
四方津御前山頂にて
(左から斉藤、藤原夫人、中村、藤原)
2月28日 14:02(撮影:中村)
大野貯水池近くの尾根の東屋から
(左から四方津、釜窪、鶴島各御前山)
2月28日 15:08(撮影:中村)
綱之上御前山頂
2月28日 16:08(撮影:中村)
斧窪御前山頂

会   報
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■2012年12月22〜25日 上高地・蝶ヶ岳クリスマス登山報告  金子 晴彦(昭和46年卒)

          *********** 2013年1月17日投稿(PDF版)
※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全30頁 写真54葉

1頁より
  【行程】

 12月22日 
  松本=中ノノ湯〜大正池〜河童橋〜明神館
   (幕営)
 12月23日
   明神館〜横尾〜蝶ヶ岳付近稜線(天候悪化
   の為、蝶ヶ岳登頂断念)〜横尾〜明神館
 12月23日
   明神館〜中ノ湯=松本

8頁より
**
11頁より

会   報
***

■2012年12月20日 奥多摩・浅間尾根歩き  竹中 彰(昭和39年卒)

          ****** 2012年12月27日 HUHACメールより転載

 東京多摩支部12月の平日山行が12/20(木)に実施され、本年最後の山行として好天の一日を、未経験の浅間尾根を多くの支部の仲間と歩いた。
武蔵五日市からの西東京バスを浅間尾根登山口で下車し、尾根取り付きの急登をこなした後はほぼ尾根筋を緩く登降を続け、最後は払沢の滝を見学して未結氷を見届けてバス停に戻った。
 通常よりは、稍々ユックリ最寄りの成瀬から7時過ぎの横浜線に乗り込んだが、丁度遅めのラッシュ時間帯なのでかなり混雑していた。八王子で八高線に乗り換え、拝島で武蔵五日市行きを捉まえて8:33に駅に降り立つ。
既に多くの仲間が駅前のバス乗場周辺に屯して、本日の山行幹事に参加申告と安全対策費100円を支払っている。当方もそれに倣って手続きする。
幹事は当初計画を流した後で、バス時刻の繰上げ変更に気付き、遅れて来る人間の対策に頭を痛めている様であったが、既に総勢17名を数え、参加すべき人は来たとの判断で、幹事が残ることなく全員定刻8:57の数馬行きに乗車する。
 流石に平日の路線バスは数人の地元の人間、3人連れの女性パーティー以外は我々だけでユックリ座って行けた。小一時間で浅間尾根登山口に到着したが、準備運動するスペースもないので、バス停横のトイレに寄った後スグ出発する(9:50‐10:00、621m)。
 少し戻って秋川の一枚石橋を渡った所から民家の間を縫って進み、林道が大きくカーブする「民宿浅間坂」の横を進んで登山道に入り標高差で100m余上がり再び林道に出た所で着衣の調整とストレッチを行なう(10:26‐38)。改めてスタートし、10分ほど行った道の左手に未だ新しいホコラが存置されており、その先で道は左に曲って傾斜を増して上る、直進方面は廃道の様で山止めの枯れ木が置かれている。ひと登りで傾斜が緩やかな左山の斜面を辿る様になる。ヒノキ、スギやカラマツを主体とした林と広葉樹の自然林の下を進んで行くが、尾根筋では右手後方に三頭山が望める。前月の牛ノ寝の時から1ヶ月経過している為に流石に紅葉は全て散って、頭上は陽射しを通して明るく、足元に薄く積もっている。
 数馬分岐で略主稜線に上がり、900m前後の標高に付けられた嘗ての生活道路(官道の名残?)を進む。ところどころに馬頭観音などが祀られており、大きな岩にはサルイシ(猿の手形の窪みがある)の看板があったが、岩の表面を矯めつ眇めつしても、余りハッキリとは分からない。暫らくで一本杉(930m)に至るが、どれがそれであるかは分からなかった。一本杉の直ぐ先の石宮で少憩(11:25‐30)、北秋川方面の道が分岐している。この辺りからは、北に大岳山や御前山方面、南に笹尾根などが眺められ長閑な散歩道の趣きであった。その後30分弱で人里峠に至ったが、昼食は浅間嶺で、とのリーダーの言葉で先に進む(11:54)。
程なく北に開け、東屋やトイレの整った浅間嶺に到着したが、日当たりと眺めの良い稜線に上って昼食とする(12:19−13:00)。
 各自適当な所で弁当を広げ東側に雲を巻きシルエットになった白い富士山や笹尾根、丹沢などをオカズに箸を運ぶ。笹尾根の土俵岳と丸山の間に少し頭を出しているピークは何かとの質問に、権現山と正解が出る。殆んど葉のない周囲の木立では既に花芽を付けている木を囲んで花木の権威がアブラチャンと解説を始める。サクラの樹も多かったが種類は聞き漏らした。最後に大岳山をバックに記念撮影をして午後の行進を始める。
 暫らく進むと左に小岩と時坂の分岐があるが、地図の松生山を目指すこととして直進する。ジグザグの結構な急坂を登り、少し傾斜が緩んだ所、地図上936mのポイントに天領山の表示がある(13:20‐30)。このまま直進して松生山に行っても地図上の下山道はなく払沢ノ滝方面に下るにしてもこの人数では適当ではない、とのことで来た道を分岐まで戻ることとする。15分程度で戻り(839m)、峠の茶屋を目指して正規のルートを辿る。略右山のトラバース気味の道で、茶屋まで高差280m位下ることになる。
 後半は比較的傾斜も増すが、最後の所でシモバシラ(シソ系の草の中空の茎が水を吸い上げて凍る)が比較的発達したのを見出し、各自写真撮影に熱中する。当方は本日カメラを忘れたので携帯電話を使ったが、これも電池切れで写真はギブアップした。
そこから少しで林道に出れば、茶屋も間近であった。茶屋の前からは馬頭刈尾根越しに大岳山が堂々とした姿を見せていた(14:24‐30)。林道が分岐している所で右を辿り、東が開けた所で少し霞んでいるが新宿副都心やスカイツリーを遙かに眺め、副島さんが以前武蔵野市の水源涵養の為に針葉樹を植林した斜面で少し解説を聞く。そのまま林道を進んでトイレの在る場所から斜面に入り、民家の間を縫って林道をショートカットして下る。下の方ではユズなどを狙うサルのグループが横行していた。その後15:14に払沢ノ滝入口に着き、解散して滝見学組とそのまま15:34のバスで帰る組に分かれる(280m)。
 払沢ノ滝には遊歩道歩き10分程度で着き、暫らく滝の下で見学したが、本流は勿論周囲も小さなツララが下がる程度で結氷には程遠い状態であった。嘗ては全面結氷日宛クイズが行われていた様だが、温暖化した現在はその年の最大結氷日当てに変更されている様だった。見学後同じ道を戻って右に橋を渡ってバス停に向かい、バス停前の豆腐屋で名物のオカラドーナッツ(@90円)やユズ(3個180円)などを土産に求め、店頭に置かれたサービスのオカラをパッキングして16:14発のバスを待った。バスに我々が乗り込むと奥の小学校のスクールバスとして既に座っていた学童が席を譲ってくれ躾の良さを伺わせた。
16:50過ぎに五日市駅に戻り、この日の山行は無事終了した。
 帰りの電車の中で何時ものように反省会の場所定めの意見交換が行われたが、夫々の帰宅に好都合の拝島駅近くの庄屋と決めて下車し、総勢8名で向った。未だ早い時間だったことから問題なく席を確保し、1.5時間以上アルコールを入れながら懇談し、19:30時頃にお開きとなって20時半には適度の疲労とともに帰宅した。
かくて2012年最後の山行は無事終了した。今回もスタート地点620mから、登り300m余、下り650mで終着点280mと下山の長い山行で、総じて高齢者向きの計画あった。  (12.12.27記)

会   報
***

■2012年12月10日 冬の北海道の恵山に登る  蛭川 隆夫(昭和39年卒)
          *********** 2013年1月3日投稿
 (編集前書き)
小野 肇さん(昭和40年卒)が見つけた格安ツアーに蛭川さん、古田さん(お二人の友人)が相乗りし、三人で道南を旅行しました。本稿はその機会に計画された恵山登山の紀行文です。登山の模様はもとより、恵山の紹介(豆知識)、「高橋」のビブラム靴のこと、地名「椴法華」の読み方から波及してのトド(椴)マツ、「トド」の語原などが興味深く纏められています。

※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全4頁 写真3葉

12月10日 10 : 46  2頁より
恵山への登り(岬展望台の分岐点付近)
  【内容】(段落見出し)
  ●恵山豆知識 ・・・・1頁
  ●ひさしぶりに「高橋」のビムラム靴 
         ・・・・1頁
  ●恵山へと走る ・・・・1頁
  ●恵山に登る ・・・・2頁
  ●とどのつまり(椴法華とは)・・・・3頁


12月10日 11:59        3頁より
恵山山頂にて
(最後列左から)蛭川、小野 

会   報
***

■2012年11月25日 針葉樹会 秋の懇親山行−紅葉と満員の大山 金子 晴彦(昭和46年卒)

         *********** 2012年11月29日投稿(PDF版)

※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全20頁 写真53葉

 【行程】
 伊勢原=大山ケーブル駅〜男坂 〜 
  男女坂合流点〜南東尾根見晴台〜大山山頂〜
  表参道 〜下社〜大山寺 〜大山ケーブル駅
  =伊勢原
 
 【メンバー】( )内は卒業年(昭和)
 佐薙(31)、宮本(37)、竹中(39)、
  本間(40:山行幹事)、岡田(42)、金子(46) 
             1頁 表紙
 ●参加者勢揃い(14頁)

 11月25日 13:00
大山山頂
(後列左から)岡田、本間、佐薙
(前列左から)金子、竹中、宮本

会   報
***

■2012年11月23,24日 奥多摩・笹尾根山行覚書 佐薙 恭(昭和31年卒)
                        蛭川 隆夫(昭和39年卒) 


●2012年11月23日 Re.三頭山笹尾根に関して  佐薙 恭(昭和31年卒)
          ****** 2012年11月23日の中村雅明(昭和43年卒)宛返信より転載
(編集子注)本稿は中村が佐薙氏に宛てた以下のメールへの返信です。
***** 佐薙様
11月19日の三月会記録の「山行記録」に書きましたが11月5日に三頭山から浅間峠までの笹尾根を歩きました。これで三頭山から高尾山までの笹尾根をトレース出来ました。
2010年5月の蛭川さん歓送山行の時に、蛭川さんから佐薙先輩が笹尾根を三頭山に向けて登り奥多摩湖に下ったとお聞きしました。あの長いコースを登られたとは驚きです。
もし記憶されていましたら、山行年月、コースを教えていただけますか。ご参考までにお伺いいたします。
   
  中村さん
ずいぶん昔のことです。棄てずに保管してあった記録を読み返しました。
以下その内容です。
小生が長いアメリカ勤務から帰って山行を復活した6番目、1979年2月3日、小生46才、間違いなく土曜か日曜です。
その頃はもっぱら単独行でした。そのころメモを英語で書く習慣でした。その英語を日本語で表現し直すと;
#1 予定表では上野原からバスで郷原まで行き西原峠-三頭−ドラム缶橋となっています。
#2 ところが上野原で郷原行き始発バスの長い行列を見て嫌気がさし気が変った。
#3 予定変更して空いていた井戸行きのバス6.55に乗る。
#4 以下 時間と場所の記録
***** 7:15 神社、8:00 尾根、8:30 三國山、9:00 熊倉山、10:40 土俵岳、
11:20 丸山(ここで1回目の昼食)、11:45発、13:00 西原峠(2回目の昼食)、13:15発、
15:00 三頭山頂着、15:20山頂発
16:00 鞘口峠、17:00 数馬 となっています。
 私が奥多摩湖へ降りたと思っていたのは記憶違いでした。はじめの予定とmix-upしていたのでしょう。
#5 小生にとってはじめての数馬だったらしく メモには「道路など開発されていて少しがっかり」とあります。
以上ご参考まで。

●2012年11月24日 Re.三頭山笹尾根に関して  蛭川 隆夫(昭和39年卒)
          ****** 2012年11月23日の中村雅明宛返信より転載
  (編集子注)本稿は中村が蛭川氏に宛てた以下のメールへの返信(添付資料)です。   
***** 11月19日の三月会記録の「山行記録」に書きましたが、11月5日に
三頭山から浅間峠までの笹尾根を歩きました。遅ればせながら、これで
三頭山から高尾山までの笹尾根をトレース出来ました。蛭川さんとは、
三頭山〜西原峠(2010年1月)、日原峠〜連行峰(2010年5月)の2回
笹尾根をご一緒しました。
もし記憶されていましたら、これ以外の笹尾根山行の年月、コースを
教えていただけますか。ご参考までにお伺いいたします。
なお、佐薙さんにも同じお尋ねしています。
 中村

中村さん:
笹尾根のことで思いがけないご要請。懐かしさにかられて、この機会にメモをまとめました。貴兄のご要望にそうものかどうか分かりませんが、これにて回答とさせてください。

***(添付資料)*******************************
奥多摩の笹尾根
 中村雅明さんから、「笹尾根山行の年月、コースを」教えよと言ってきた。格別の思い出がつまった笹尾根だから、この機会にメモを纏めることにした。遠藤さんから揶揄されるA型人間の自分だが、意外にも?山行記録はきちんと整理していない。おぼろげな記憶も辿って…。
** 0. まずは、いいかげんな記憶から。
中学生のときに父に連れられて御岳から縦走して三頭山。結構長い距離だが中学生の自分が本当に歩けたのか。もしかしたら大岳山までだったかもしれない。
高校生、大学生のときにも笹尾根に行った可能性があるが(特に高校時代は)、これまたはっきりしない。
高尾山も、遠足を含めて小中高で登っているはずだが、記録も記憶もさだかではない。
1. 2001.4.14 生藤山。日本語学習者(外国人)多数を引き連れての、お花見登山。日本語教師仲間と計画。外国人(特に欧米人)は、日光や京都のありきたりの観光だけでなく、日本の自然を体で体験することに関心を持っている。それがよくわかった。
2. 2004.12.9〜10 三頭山一周。石井・山崎・佐薙・山本・高橋。佐薙さんが一同に脈拍を計らせ、登山の運動生理をご講義。寒かった。『針葉樹会報』103号。
3. 2006.12.5 単独。「都民の森」駐車場に車を置いて、鞘口峠から三頭山を一周。とても寒かった。
4. 2007.1.5 裏高尾(日影沢)。菅野寿之(高校時代の岳友)が癌死の3か月前に訪れた山。欠かさず紀行文を書いた菅野は、この最後の紀行文に「野草の穴場」と題を付けた。三回忌の気持ちを込めての山行。さすがに野草には早かった。
5. 2007.2.20 北高尾山稜。佐薙さんから「甘利さんのトレーニング・ルート」と教えられて以来、気になっていた宿題。山崎・三井・三森・高橋結子(姪)・濱村(昼から会)・加藤(高校岳友)という異色メンバーで宿題を果たした。山崎さんの尻餅が思い出される。当時夢中になっていたドッケ・シリーズの黒ドッケ、高ドッケを踏んだ点でも記憶に残る山行だ。
6. 2008.3.26〜27 西原峠〜槙寄山〜笛吹峠〜笛吹。石井・山崎・佐薙・高崎(治)・三井・遠藤・本間。『針葉樹会報』112号。山本健一郎さんの追悼山行。2004年の山行(上記2参照)と関連がある。途中で降雨あり、笛吹峠からエスケープ。
7. 2009.10.14 単独。電車とバスで、上野原〜丸山〜日原峠〜上野原。笹尾根の未踏部分をトレーする目的で行った。丸山から笛吹峠を往復。
8. 2009.11.21〜22 菅山会山行。三頭山から奥多摩湖に抜ける計画だったが、雨のため三頭大滝を見物して終わりとした。
9. 2010.1.30 三頭山一周(西原峠まで)。自分の誕生日だが、そのお祝いというわけではない。出不精の長澤を引きずり出す目的で、三森さんとたくらんだ山行。佐藤(久)さんや長澤と同じ勤め先の中村(雅)さんも加わっての旅。武蔵五日市が中村(雅)さんの生まれ故郷と聞いて驚いた。
10. 2010.5.28 日原峠〜生藤山〜連行峰。北海道へ移住する自分のために、送別山行として佐薙さんが発起してくださった。紀巳子と共に参加。佐薙・高崎(治)・高橋・本間・竹中・中村(雅)・西牟田。ある地点から農鳥岳と間ノ岳が見えたのには驚いた。三四郎会での上高地でケショウヤナギを観察したが、この日も佐薙さんと高橋さんからケショウヤナギのご講義を受けた。これで刺激を受けたのだろうか、移住後に、札内川の群生地や札幌郊外の森林公園でケショウヤナギを探訪した。上高地と北海道(それも広い北海道のごく一部)に隔離分布するという不思議さ。

 こうしてみると、笹尾根にはいろいろな感慨が湧く。石井さん、山崎さん、山本さんの思い出が詰まっているし、亡き岳友を思い起こすし、それになにより移住時のお別れ山行の場所だったからだろう。
 移住前に笹尾根はやっつけたと思っていた。ところが、中村さんのメールによると、笹尾根とは三頭山から高尾山までを指すらしい。そうだとすると、残念ながら連行峰〜景信山がつながらないことになる。上京時にこの部分をトレースしたいと思う。日程が許せば可能かもしれない。
 ここまで書いてきて、思いだした。かつて踏破しようとちらと考えた、三頭山から大菩薩へとつながる長大な尾根だ。松姫峠、鶴寝山、大マテイ山など心引かれる名前の山がある。ドッケの山もある。しかし、こちらはさすがに北海道ベースでは踏破はむりだろう。
*** (編集子注)笹尾根のみならず、高尾山周辺の山域の記録も収録されています。
  笹尾根の解釈は人によって異なりますので原文のまま掲載します。
  ちなみに編集子の笹尾根トレース記録を記します。
1)2010.1.30
2)2010.2.4
3)2010.5.28
4)2011.2.26
5)2012.11.5
6)2012.11.14
三頭山〜西原峠(蛭川氏 9.参照)
陣馬山〜景信山−高尾山(単独。中央沿線シリーズ山行)
日原峠〜生藤山〜連行峰(蛭川氏 10.参照)
陣馬山〜醍醐丸〜生藤山(単独。中央沿線シリーズ山行)
三頭山〜浅間峠(「奥多摩・秋川ぐるり一周縦走」参照)
陣馬山〜醍醐丸(「奥多摩・秋川ぐるり一周縦走」参照)

笹尾根地図(昭文社 『奥多摩』、『高尾・神場』より合成)

会   報
***

■2012年11月15日 牛ノ寝通りを歩きました。 竹中 彰(昭和39年卒)
      ****** 2012年12月6日 HUHACメールより転載
 
 本年度からスタートの東京多摩支部・平日(第二木曜日)山行に初めて参加した。
甲斐大和駅集合したところ、支部の見知った顔がそこここから現われ、今回の山行の人気の高さを実感した。晩秋の山で、マズマズの天候の下、登りよりも下りが圧倒的に長い稍々バランスを欠く山行であったが、足並揃って事故なく全員予定通り下山できた。

●日 時:平成24年11月15日(木) 8:10甲斐大和駅集合
 成瀬駅発6:21に乗車し、八王子発6:57甲府行き普通電車に乗り換え、ネットの情報通り「前から2両目、真中の扉付近」に乗車した。絶好の登山日和の中、車窓から扇山、百蔵山、岩殿山などを眺め、大月の先で富士山の白く輝く頂上付近がチラッと見え、「富岳12景」の小金沢山に近い石丸峠近くからの眺望に期待が膨らむ。
 甲斐大和駅に8:02に予定通り改札に上る階段横に着き(休日にはバス定員が小さいので座る為にダッシュするとのこと)、他の参加メンバーからも声を掛けられる。改札に上ると先着のメンバー数人が待機しており、駅を出たすぐの所のバスに乗車する様にと指示される。乗り込むと既にかなりの会員が席に座っていた。補助席も使って満席状態で定刻8:10に発車する。
 途中、車内で参加者リストに自己申告の結果、結局22名が参加していることが判明した。景徳院、天目山温泉、嵯峨塩温泉、大菩薩湖(上日川ダム)を過ぎて、8:50小屋平(1580m)で下車する。
 準備体操、出発準備を整えて2班に分けて出発する9:20。1班は浦辺L、河野SL、2班は長瀬L、副島SLと何れも山行委員会の委員が務める。以後は2班に属して進むことになる。林道から石丸峠を目指して進むが、スタート当初はカラマツ林の下の少し急な登りとなり、途中で木の間越しに遙かに富士山が望める。
 年賀状用の写真を数枚撮るが、少し雲も出てきており、稍々輪郭がボヤケテ、旨く使えるかどうか。1ピッチ歩き、上の林道に出て小休止する(1700m、9:45‐56)。富士山に加えて甲斐駒等の南アルプスも雲は多いながら白く輝いている。そこから再び登山道に入り、最初の標高差100m位は稍々急登だが、その後はブナ、ミズナラ、シラカバ等の混交林を緩やかに進み、熊沢山から小金沢山に連なる稜線近くでササ原となり、防火対策等で刈り払われ明るく開けた石丸峠に到着する(1930m、10:45‐54)。ここで望遠レンズに変えて小金沢山の肩の向こうの富士山を狙うが、この時もシャープさには欠ける姿であった。
 石丸峠を後にして少し縦走路を進み、牛ノ寝通りに入る。最初はなだらかな下り気味の道で、部分的に数日前に降った雪が残っていた。暫くでかなり急傾斜の下りとなる。1700m位の稜線を落ち葉を踏みしめて進む、部分的には落ち葉のプチラッセルも。尾根上にはかなり育ったブナも散見される。北側の斜面を辿る時には風を冷たく感じる様になる。落ち葉の下には凍っている部分もあって、思わぬ時に足を取られ気を抜けない。所によっては遠くに三頭山、大岳山等のスカイラインや雲取山、飛龍山等の稜線を望め、その同定を議論した。
 途中小休止も入れながら(1705m、11:37‐42)、落葉し切った晩秋の山を楽しみつつ進み、少し開けた榧ノ尾山(1429m、12:10‐12:50)で昼食とする。この少し前から陽が射しだし、温もりを感じるようになった。持ち寄った副食やデザート(北原さんの潰したサツマイモでカマンベールチーズを包んだもの等)を互いに交換しながら、ユックリ昼餉を楽しむ。尤も当方は頂く一方で感謝するのみではあったが。
 山名標識を前に全員で記念撮影後出発する。落ち葉を蹴散らしながら緩く昇降する尾根道をノンビリ進む間に、松本センセイを中心に紅葉、黄葉のカエデ種のお勉強が始まる。改めて細分化された種類の多さに驚く。狩場山(1376m)手前で一息入れる(13:45‐55)。その後スギの植林帯手前に左側にお地蔵さまが鎮座している先で、大マテイ山を経て松姫峠に至る道と小菅の湯への道の分岐「大ダワ」に到着する (1324m、14:16‐30)。そこの比較的新しい案内標識が、これまでにも所々で見かけた様に、端がガタガタに削られている。クマが看板が新しい時にシンナー遊びをした跡との説明だったが、先日の夜叉神峠周回路検分山行時に檜尾峠の看板が同様に損傷を受けていたことを思い出す。
 ここで浦辺Lに確認すると、小菅の湯到着予定時間は4時過ぎになるが、その先のバス便が少なく、温泉にユックリ浸かって軽く反省会をする時間があるとのこと。ここから左に折れて緩い傾斜の道を下る。標高が下がってくると木々には黄葉、紅葉が残っており、時々は西に傾く陽に鮮やかに浮かぶのにハッとする。途中で道がワサビ田経由と尾根道の分岐があったが、左側の明るい尾根道を選択した。傾斜が緩い為になかなか標高が下がらないが、15:30過ぎに田元バス停と小菅の湯分岐に至り(835m)、漸く先が見えた感がした。その先で奥多摩の山の下山時のお約束、里近くで急激に高度を落とすジグザグ道に出て、下のバイクや車の音が上がって来る。
 16:05に全員無事に小菅の湯に到着し、早速入浴(3時間600円)する。泉質はかなりヌルヌルした高アルカリ性温泉(ph9.98)であった。
 風呂上りには営業終了近い食堂に陣取って、ビール日本酒等で乾杯し、村営バス(金風呂行き)の出発時間18:20近くまで歓談した。帰路は金風呂で西東京バスに乗り換え奥多摩駅に19時過ぎに着き、拝島、八王子乗換えで21時半過ぎに自宅に戻った。
 流石に下りが長く続いた所為か、翌日のテニスでは大腿四等筋にかなりのツッパリを感じ、下山後の念入りなストレッチ不足を痛感した。  (12.12.06.記)


▼画像をクリックすると大きく表示されます
11月15日 9:30
牛ノ寝 紅葉の山と八ケ岳遠望
11月15日 10:50
牛ノ寝 石丸峠からの富士山
11月15日 13:30頃
牛ノ寝 散り残った紅葉の下を行く
11月15日 14:00頃
牛ノ寝 こんな紅葉も
11月15日 14:20
牛ノ寝 こんなメンバーと
11月15日 14:20
クマに愛された標識も

●RE:牛ノ寝通りを歩きました。 齋藤 正(昭和42年卒)
    ****** 2012年12月10日 HUHACメールより転載

 竹中さん
 大変面白く読ませていただきました。上野原に親戚がおりました関係で、大昔、松姫峠近くまで送ってもらい逆に牛の寝を登りましたが、当時は静かで味わいある尾根だったと記憶しております。その頃も随所に熊の爪あとがあり、狩猟を趣味とするその親戚は、峠辺りにはしょっちゅう出入りしていたようです。しかし、シンナー遊び・・・というのは、初耳で、驚きです。
 翌日テニスに励むというのも凄いですね。感服します。

会   報
***
■2012年11月4〜5日、14日 奥多摩・秋川ぐるり一周縦走―ふるさとの山巡り 
                                   中村 雅明(昭和43年卒

         *********** 2012年12月15日のHUHACメールより転載
 メンバー;中村 雅明(単独)
行程: 11月4日 三鷹(5:18)=武蔵五日市(6:14−18)〜 金比羅山(7:04−17)〜 日の出山先(9:37−45)
〜 大岳山(12:18−44)〜 御前山(16:00−05)〜 御前山避難小屋(16:12)
11月5日 御前山避難小屋(5:40)〜 御前山(5:49)〜 小河内峠(6:48)〜月夜見第2駐車場(17:18−27)
〜 鞘口峠(8:46−09)〜 三頭山(9:55−10:00)〜 槇寄山(11:05−10)〜 笛吹峠(12:09−21) 
浅間峠(14:05−16) 〜 上川乗登山口(14:51) = 武蔵五日市
11月14日 三鷹(5:18) = 藤野(6:14−18) 〜 陣場山登山口(6:37−44) 〜 陣馬山(8:16−30)
〜 醍醐丸(9:14−26)〜 市道山(10:19−30) 〜 刈寄山(12:20−56)〜 今熊山(14:46−56)
〜 広徳寺(13:37)

 私は奥多摩・秋川渓谷の玄関口、武蔵五日市で生まれ育ちました。大学卒業までそこで過ごしました。今は生家はなくお墓に訪れるのみです。秋川は本宿で南北に別れ、南秋川の源頭は三頭山、北秋川を見降ろすように大岳山、御前山が並びます。秋たけなわの11月の3日間、秋川を取り巻く奥多摩主脈を縦走しました。
 コースは日本山岳耐久レースの逆コース(五日市−金比羅尾根−御岳山−大岳山−三頭山−土俵岳−生藤山一醍醐丸−市道山−刈寄山−今熊山−五日市)です(※1)。
今回の山行の目的は三つ有りました。
* @ ふるさとの山域でありながら奥多摩三山は三頭山を登ったのみで、大岳山、御前山は登り残していたので心残り&恥ずかしかったこと。
A 三頭山笹尾根は、西原峠−日原峠が未トレースで、ここをトレースして三頭山から高尾山まで繋げること。
B 五日市への下山は、刈寄山から今熊山経由とし、その山麓にある古刹広徳寺にある両親+姪の墓参りをすること。
当初、御前山避難小屋で1泊し、翌日五日市までと欲張りましたが、時間・スタミナ切れの為、浅間峠から下山。14日に追加の山行をしました。

●11月4日(日) 快晴
 まだ夜も明けぬ4:50自宅発。立川発5:44の武蔵五日市行始発に乗って五日市に6:14着。通勤客もまばらです。駅から金比羅山に向かいました。途中に6年間通った小学校が有ります。昔は小学校に行く道の両側は畑でしたが、今は住宅地の中の道で少し迷いました。金比羅山の頂上近くは山桜並木で、桜の季節にはしばしば訪れたものです。1時間弱で金比羅山到着。琴平神社近くの東屋で朝食後、金比羅尾根から日の出山へ。昔、しばしば日の出山まで近所の餓鬼連中と腰弁当一つで往復したものです。一度、帰りが遅くなって大騒ぎになったことを思い出しました。日の出山のピークはパスし御岳山へ。御岳山に近づくと人が多くなりました。特に目を引いたのは中高年のトレイルランナー集団です。山も変わって来たことを実感しました。先を急ぐので御岳山の頂上近くの石段から大岳山に向かう道に入り、頂上はパス。ここまでかなり飛ばしてきたのと、シュラフ、コンロ、食糧などで重いザックを脊負っているので足が重くなって来ました。奥の院、芥馬峠を越えて大岳山への急な登りにかかった時、急に両足が攣り歩行が困難となりました。ザックを下ろし、急いで“芍薬甘草湯”を飲みました。効果てきめん。2〜3分で攣りが解消し、まもなく歩行再開出来ました。それでも大岳山への急登は足をいたわりながらの苦しい登りでした。
 12:18大岳山頂上着(五日市駅から丁度4時間)。頂上は快晴の日曜日だけあって大賑わい。家族連れ、若いグループが目立ちます。座る場所を探すのに苦労しました。流石、眺望絶佳。雪を纏った富士山が見事ですが残念ながら完全に逆光。三頭山は遠くに聳えます。
 昼食を済まし、12:44頂上を後にして御前山に向かいました。頂上からの急な下りを過ぎると黄葉・紅葉を愛でながらの快適な尾根歩きとなりましたが、鋸山への途中でまた足が攣りました。再び“芍薬甘草湯”を飲みしのぎましたが、ぐっとペースが落ちました。大ダワから御前山までの登りに3Pも掛けて16:00御前山頂着。夕暮れも近い時刻なので誰もいません。雲が出て眺望が望めないので頂上の写真だけ撮って、少し戻って御前山避難小屋に16:12着(五日市駅から10時間)。この小屋は前面が総ガラスで明るく別荘の様に立派です。水場も小屋の前にあり便利です。水を汲んでいると、今晩の同宿者が到着しました。
 埼玉の男性で大ダワに車を置いてこの小屋まで来たとの事。犬を連れています。
 小屋に入って夕食の支度を始めましたが、両腿にケイレンが走り仲々直りません。今日はオーバーワークだったようです。夕食は五目ピラフ、ニューメンで簡単に済ませ、早々にシュラフに潜り込みました。寒さを心配しましたが意外に暖かくて助かりました。
[行動時間]9時間54分[歩行時間]7時間42分[コース(昭文社)時間]8時間40分
  ※行動時間 = 歩行時間 + 休憩時間

●11月5日(月) 曇
 4時半起床、ラーメン+雑炊の簡単な朝食を済まし5:40出発。まだ暗いのでライトを点灯し歩きました。今日は曇り空で天気の崩れも早そうです。御前山から下り始めた頃、夜が明けてライトを消しました。鞘口峠までは紅葉を愛でながらの風情ある道ですが、所々奥多摩周遊道路で分断されるのは興ざめです。昨日のアルバイトの疲れが残り、足が重くスピードが上がりません。鞘口峠から三頭山までは短いピッチで休み休み。頂上近くでガスが出て眺望がなくなりました。東峰は捲いて9:55西峰到着。眺望が無いので5分休憩で笹尾根(※2)の下りにかかりました。頂上から少し下った所に三頭山避難小屋があります。ここで山仕事の人達が休んでいましたので、小屋は素通りしました。前回来た時に中を覗きましたが、この小屋も立派です。西原峠まではかなり急な下りです。そこから日原峠まで初トレース。笹ケタワ峰、数馬峠、笛吹峠、土俵岳と小ピークの登り降りとその間の峠を通過し、高度を下げて行きます。展望はあまりありませんが道の両側に笹が茂り、笹尾根の雰囲気十分です。かなりハイペースで歩いて日原峠に13:30到着。日原峠から先は過去に歩いているので、これで三頭山〜高尾山までが全部つながりました。このあたりで水・食糧が殆ど無くなり、昨日の疲れが残る足も限界近くなりました。後の行程時間を考え、五日市へ向かうのは無理と判断し、浅間峠から上川乗登山口へ下山しました。当初の目的の広徳寺での墓参りは果たせませんでしたが、大岳山、御前山、笹尾根をトレース出来き、満足感を抱いて下山しました。この日会った登山者は丸山近くで会った単独行者一人だけでした。
 [行動時間]9時間10分[歩行時間]7時間32分[コース(昭文社)時間]9時間45分

●11月14日(水) 晴
 11月5日は五日市に下山して、山行の締め括りとしての広徳寺での墓参りするのを残してしまったので、追加の山行をしました。
上川乗から浅間峠に登り、生藤山−醍醐丸−市道山−五日市のコースであれば完全でしたが、交通の便を考えて、上野原−陣馬山−醍醐丸−市道山−五日市のコースを取りました。
 前回と同様に三鷹発5:15の電車に乗り、藤野着6:14。藤野駅から陣馬山登山口まで歩き栃谷尾根を登って4Pで8:16陣馬山に到着しました。早朝なので誰もいません。
 富士山、丹沢の山々を眺めながらの朝食は格別です。
陣馬山から和田峠を経て醍醐丸へ。一度歩いたコースです。今日は荷物が軽いので足取りも軽く9:14醍醐丸着。小憩後、戸倉三山の一つ市道山へ向かう吊尾根を歩きました。
 このコースは初めてです。醍醐丸から下った後は、起伏の少ない歩きやすい道で紅葉が楽しめました。陣馬山から五日市に抜ける良いコースです。市道山着10:19(藤野駅から4時間)。少し戻って峰見通りを刈寄山へ。吊尾根より小ピークを捲かずに登り降りするので疲れます。刈寄山で昼食休憩後、今熊山へ向かいました。今熊山までの道も歩きやすい道です。今熊山は子供の時、近所の餓鬼連中と良く登りました。頂上に今熊神社があり、上川町登山口から参詣石段が続いています。刈寄山からの道はその石段に頂上近くで合流します。神社は石造りに変わっていますが、頂上付近の雰囲気は昔のままです。今熊山からは金剛ノ滝経由で広徳寺に下りました。このコースも昔歩いたものです。山腹の下り道にかすかな記憶がありました。広徳寺に13;37着。境内の大イチョウが色づき見事でした。
 広徳寺の墓地で両親と姪が眠る墓に線香を手向け、3日間のふるさとの山巡りを終えました。
 [行動時間]8時間19分[歩行時間]6時間19分[コース(昭文社)時間]6時間30分

●今回の山行は約60年振りに訪れた五日市近郊の山々への懐かしさ、奥多摩主脈への愛着を強く感じました。
・・・・・ふるさとの山は懐かしきかな、愛しきかな   以上

(※1)日本山岳耐久レース〜長谷川恒男CUP
1993年10月から始まり、今年10月7〜8日第20回が開催されました。
 奥多摩主要峰全山を縦走する国内最高峰のトレイルランニングレースです。
 全長:71.5km、制限時間:24時間、主催:東京都山岳連盟
 第20回の優勝者はDakota Jones 7時間22分7秒 (驚異のタイム!) 
西牟田伸一さん(昭和47年卒)がこのレースに参加(年不明)され、見事(辛うじて?)24時間以内に完走されました。
今回、御岳山〜御前山の稜線で沢山のトレイルランナーに会いました。
(※2)笹尾根
1. 笹尾根の解釈は人によって様々ですが、三頭山から高尾山までを笹尾根と呼ぶ説もあります。私はその説を採りました。
核心部は槇寄山から浅間峠までに連なる尾根と山々です。
2. 笹尾根をフルに縦走する場合は、初日は数馬から三頭山に登り、三頭山避難小屋(泊)、2日目に避難小屋を早立ちし一気に尾根を下るのが良いでしょう。
先の行程時間を見極めながら、下山ルートをどこからでも取れるのが笹尾根の安心な所です。  
3. 佐薙先輩(昭31年卒)が、1979年2月(46才)に井戸−三国山−土俵岳−西原峠−三頭山と笹尾根を登り、鞘口峠から数馬に下られました(単独)。長大な笹尾根は下るのが普通ですが、長い登りの縦走をされたのは驚きです(敬服します)。
4. 蛭川先輩(昭39年卒)は、何回かに分けて笹尾根を三頭山から連行峰までトレースされています。その詳しい記録は佐薙先輩の記録と一緒に別途ご紹介します。

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11月4日 12:21
大岳山頂からの富士山
(残念ながら逆光)
11月4日 16:04
御前山頂上の紅葉
11月5日 6:49頃
小河内峠から奥多摩湖を見下す
11月5日 10:23
槇寄山手前の紅葉
(日本耐久レース35km地点道標)
11月5日 11:56
笛吹峠手前の笹尾根
(まさに笹尾根!)
11月5日 12:38
丸山山頂(道標に笹尾根の板)

会   報
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■2012年10月27日 夜叉神峠周回路検分山行  竹中 彰(昭和39年卒)

        ****** 2012年11月10日HUHACメールより転載

 恒例の三四郎会が芦安で企画されたのを機に、予て山岳部創部90周年記念事業の一つとして進められてきた本年度分夜叉神峠周回路整備作業が終了したので整備された部分の検分を兼ねて、夜叉神峠登山口‐夜叉神峠‐高谷山‐檜尾峠‐トンネル東口ルートの周回路を歩いた。
全体的な印象としては、檜尾峠‐トンネル東口の整備対象部分は階段、道の補強等で歩き易くなっていたが、高谷山‐檜尾峠の既存ルート(地図上では桃の木温泉に下る)は岩と木の根の傾斜の急な尾根で、一般人の歩行に供するにはロープや階段を設置して安全度を高める必要を感じた。

日 時 :平成24年10月27日(土)
参加者: 上原(33)、仲田(36)、宮本、三井、遠藤(37)、蛭川、竹中(39)、本間、小島、半場、小野、坂井(40)、高崎、佐藤(久)(41)、中村(43)、川名(62)
現役:小宮山(部長、3年)、川尻(3年) 計18名

 前夜、拡大三四郎会に集結したメンバー15名と当日早朝東京を発って来た川名さん、現役部員が夜叉神峠登山口に集まった。また、同行の芦安ファンクラブ清水専務理事、山岳館の清水さん、富士通アイ・ネットワークシステムズ河田社長以下のメンバーも到着し、記念撮影の後、本間さん、清水専務を先頭に夜叉神峠目指して出発した(1370m,8:40)。
 夜叉神峠に向って緩やかな良く整備された道を辿り、途中で地元精通の清水専務の解説も聞きながら総勢24名のパーティーが黄色を主体に、時々紅葉した広葉樹、天然カラマツの混交林の間をユックリ進む。
 峠まであと後30分の看板のある所で小休止し、清水さんから右手に鳳凰三山の尾根に繋がっていた古い道があるとの説明があったが、微かに踏み跡らしきものが見られたが、最近は使われておらず薮に消えていた(1473m、9:20-30)。
 少し進んだ所、横手に清水があるとのことで、この辺りからツガ(樹肌が赤っぽい)、シラビソ(同白っぽい)が出てくる。
 10:00に夜叉神峠(小屋)(1770m)に到着するが、期待の白峰三山の展望は雲の中でガッカリ。少し杖立峠に寄ったところの夜叉神の祠の前で清水さんから勅使川(ミダイカワ)などに関わる伝説を聞く。
 20分程度休憩後に黄葉の進む稜線を高谷山に向う。途中雨が落ち始め、東からの風も冷たくなる。10:48に頂上に着き(1842m)、木々の間から北岳方面を望むが、相変わらず雲が垂れ込めて展望は利かなかった。10分程度の記念撮影等で、桃の木温泉への降り口の標識の矢印に従って檜尾峠に向う。出だしから傾斜の強い下降路となり、岩混じり、木の根混じりの滑り易い道を所々木に縋りながら慎重に下る。一般ハイキング客を迎えるにはロープやハシゴの設置が必要と思われた。11:45(‐50)に中池、桃の木、夜叉神トンネル方面の分岐となる檜尾峠に出る。中池方面は右にトラバース道が続いているようであったが、後刻清水さんに確認した所では数年前にファンクラブでハシゴ等整備をしたままになっているとのこと。整備対象の周回路はここから新しい「東口(駐車場)」の矢印看板に従って左手に入る。比較的緩やかな道が斜面にトラバース気味に付けられている。新しい丸太を組み合わせた土留め、ステップ、階段や桟道などがあり、それまでとは打って変わって安心して歩ける道に仕上がっていた。
 途中、山梨県の治山事業で大きな草付の斜面をトラバースする所で視界が開け、周囲の秋の山の風情も楽しむことが出来たが、大部分は広葉樹の林間の道であった。少し先で道はジグザグを切って取り付けられていたが、歩くのに不自由はなかった。檜尾峠までの急な下りの連続から、ひざを痛める者も出てきたが、ユックリ下り、12:55に夜叉神トンネル東口脇の広河原に通じる林道に飛びだした。ここには入口に「注意!上部で登山道整備中、落石注意。」との針葉樹会、芦安ファンクラブ連名の看板が掲示されていた。
少し下って朝の夜叉神駐車場に着き、夫々マイカー、タクシー等で山岳館下の祝賀会場に向った。
 13:15に到着すると、会場ではファンクラブの女性方中心にオードブル等盛り付け、河田社長差し入れのワイン、日本酒など各種のお酒が並んでいた。また、昨夜三四郎会でお世話になった白雲荘からはご主人からの大きな鍋物の差し入れがいい匂いを出していた。
 冒頭の針葉樹会会長挨拶(御礼)に続き、清水専務理事の挨拶、乾杯に続き、河田社長も作業参加時の思い、本日の検分についての感想を語るなどして宴は盛り上った。途中で南アルプス市の三井係長も参加され挨拶してもらった。
 残念な点は、これまで色々と面倒を見て頂いた塩沢館長が仕事の都合で急遽参加が叶わなかったこと。
 歓談のうちに甲府行きのバス時間となり、散会した。
 当方は跡片付けをして、白雲荘に挨拶し、高崎車で小島、佐藤(久)さんと甲府駅まで送って貰い、殆んど待たずに始発の「かいじ」に乗車して帰宅した。

 今回の周回路検分は、恒例の三四郎会を拡大して参加者を募り、懇親会翌日に実施したものだが、一時小雨、ガスの流れる天気で、期待の眺望も北岳方面は望めなかった。しかし、黄葉、紅葉の林間歩行で深まりつつある秋の山を堪能すると共に、作業に参加された地元の芦安ファンクラブ、富士通アイ・ネットワークシステムズの皆さんとの交流が出来て芦安がより身近に感じられた一日であった。
 芦安山岳館の「針葉樹文庫」開設時に上原さんが針葉樹会として地元活性化に役立つような登山道整備などを検討しては、との発想が具現化した訳だが、これまで地元との折衝や作業に中心となって参加された本間さん以下の針葉樹会員のご苦労に感謝すると共に、来年以降の整備作業をどう進めるかについて会員各位のご意向を伺いたい。




10月27日 8:30(撮影:高崎)
夜叉神峠登山口で記念撮影
(後列左から)小宮山、川尻
(前から4列左から)三井、遠藤、本間、宮本、佐藤、小野
(前から3列左から)○、坂井、蛭川、仲田
(前から2列左から)○、○、○、川名、半場、中村
(前から1列左から)○、○、上原、○。竹中、小島

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8:40(撮影:高崎)
夜叉神峠登山口
いざ出発
9:25(撮影:中村)
夜叉神峠まで30分
清水さんが古道説明
11:51(撮影:竹中)
檜尾峠に新設した看板
11:18(撮影:中村)
展望テラス
手前:川尻
12:09(撮影:竹中)
東口へ向かって下り
12:30(撮影:中村)
東口へ向かって下り


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■2012年10月8日 渋沢丘陵散策報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
     *********** 2012年10月19日投稿(PDF版)
 10.19の三月会で話題になった渋沢丘陵散策報告です。
 丹沢山塊を右に見て、左にはゴルフ場の先に相模湾を見て、
 なかなかの景観です。

   画像をクリックしてください

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■2012年8月23日〜25日 学生との涸沢合宿 前神 直樹(1976年卒)


 ようやく学生が定着してきたかと思った昨年、学生4名と竹中さんと佐藤(久)さんにも参加してもらい、徳沢で懇親山行を行った。蝶が岳の往復だったがずっと雨で学生にはそれはそれで良い経験にはなったかもしれないが、次は蝶が岳から見えたであろう穂高に登ろうと話していた。

 2012年に入り、北八ヶ岳で雪山のほんの入り口を経験した後夏の涸沢を大々的にアナウンス、多くの学生、OBが集結出来るようにした。現在学生部員は5人だが、結局今の態勢になった初期メンバーである小宮山君と町田君の2君のみの参加となり、OBは昨年に続いての佐藤(久)さんに加え、原さんご夫妻とワンゲルの同期で萩原さん、兵藤、川名、前神となる。
 8月23日(木)新宿からの直通夜行バスで上高地に到着した兵藤、川名、前神は学生2名と合流。夜行バスのチケットが取れなかった学生は前日の晩松本に着き、マクドナルドのようなところで夜明かししたとて少し疲れ気味。しかしステーションビバークも許されないとは世知辛い世の中になったものです。
 学生が持っているザックは部室にあったものやOBから譲ってもらったもので、6人用テントやかなり大量の食料を持っているのであれば入らないのではないかと危惧していたが、案の状ザックに入りきらないものが相当ある。そこで当方が持ってきたかなり大型のザックや兵藤、川名さんのザックにも無理やり詰め込み、一番大きなザックを小宮山君が担いで7時頃バスターミナルを出発。
 天気は快晴、昨年の上高地とは全く違う様相となっている。暑いことは暑いが、青空に浮き出た穂高や明神の稜線をみていると、気の所為かザックの重さとは裏腹に気持ちは軽い。学生も昨年全く見えなかった穂高の稜線を前にして嬉しそうである。
 徳沢は9時頃到着だったが、この日の朝、この徳沢から出発する、佐藤さん、原さん、萩原さんは勿論もういない。
 新村橋の手前で前穂東壁、奥又白について一くさり。
 空はあくまで晴天、横尾を過ぎて屏風岩の東壁を一望するところでも雲ひとつない。
 ほとんど徹夜だっただろうに学生は何事もなかったかのように黙々と進んでゆく。本谷橋まではずっと昔から変わらず、順調に来るがここからが一苦労。
 涸沢ヒュッテの風力計が早々と見えてきたが、これまた昔と変わらず曲者でこの風力計に涸沢のテン場は近いと錯覚させられる。風力計が見えても一時間はしごかれる。ゆっくりと登ってゆくが、学生のリュックに付いた大きな鍋が昔の合宿を彷彿させて、喘ぎ喘ぎ行く様も昔とかわりない。ただキスリングではなくスマートな縦型のザックであることが時代の違いを感じさせる。
 兵藤、川名、前神の3OBの足の筋肉も攣る寸前だったかも知れないが、何とか持ちこたえて涸沢の天場には2時過ぎにつく。適当な場所を探して早速今回が最初の使用となるダンロップの6人用テント設営にかかる。と、そのとき「ヤッホー、ヒトツ」のコール。
 原さん、佐藤さんはすでに小屋に着いていたのだ。
 新品のテント設営を終えて全員で涸沢ヒュッテに行くと、原さん、佐藤さんのほか、原さんの奥様とワンゲルのOBである萩原さんも居られる。まずはビールで喉を潤し、その後も飲み切れないほどの大量のアルコールをいただく。パノラマコースで如何に苦労したかを原さんから聞かされるが、事故が無く小屋まで来られてほっとする。
 しばしの歓談のあと、テントに戻り夕食を作る。なかなかうまいカレーだった。

 翌24日、これまた天気は最高で昨年の徳沢、蝶ヶ岳では見ることの出来なかった眺望が眼前である。朝日の当たる前穂や奥穂を見ながらザイテングラードに向かう。佐藤さんと萩原さんが先行しているが、ザイテンで一緒になり、学生2人にOB5人という陣容で奥穂の小屋に向けて進む。途中町田君の靴が底がはがれ始めその修理でしばし時間を食う。
 昔は何でも無かったと思われるザイテンもこの歳になると結構つらい。一方学生は小宮山君も町田君も嬉々として(と感じた)登って行く。歳という言葉は使いたくないが、やはり40年近い年月の差はどうしようもない。小屋に着いて小屋の向こうにそびえる笠が岳の威容に学生はあれはどこですか、と聞いてくる。自分も初めてこの地点に来たときは同じことを聞いていた。奥穂の山頂を目指して進むと、槍ヶ岳が姿を現しジャンダルムも出てくる。学生にはジャンダルムは奇怪な姿に映るらしい。11時ころには頂上だったに着き、大展望を満喫。昨年ガスと雨の中を登った蝶ヶ岳もくっきり見える。OB5名はそれぞれに穂高で苦労した話をして昔を懐かしむが学生はともかく眺望を楽しんでいる。この日奥穂から前穂まで吊尾根を通って往復するつもりであったが、吊尾根の途中で町田君の靴が崩壊してしまってはしゃれにもならないので、奥穂までに止め、下山。
 テントには2時前には着いたので、学生から頼まれていたザイルの結び方等のちょっとした講習を行う。この山行の後学生は登山講習所における研修山行を予定しており、予習としてザイルの基本的な結び方を覚えて参加するようにとの課題が出ている由。原さんや佐藤さんも一緒に見ていたが、昔懐かしいブーリン結びはできますか?と振ったところ、お二人とも完璧にこなされました。やはり体が覚えるくらい昔は使っていたということなのでしょう。
 夕食時に猛烈な雨が降ったが、さすがは新品のダンロップ、一切雨が漏ってこない。当たり前といえばそうだが、こういうテントで縦走してみると面白いだろうな、と年甲斐のないことを思ってしまう。

 翌25日、この日も快晴。原さんご夫妻、佐藤さん、萩原さんは帰られ、我々は北穂を往復する。実は学生を東稜に連れていこうか、とも思っていたが、最近の状況も全く判らず、また取り付きも定かではなかったので一般路の往復とした。
 昔は通勤するが如く北穂に毎日通い滝谷に入ったが、こんな歳になると北穂も一つ立派なやまである。昔だったら1時間強くらいしかかからなかったかも知れないが、3時間も掛けてのぼることになった。学生はこのくらいは軽いという雰囲気である。二人とも山岳部の前はボクシング部とサッカー部で基礎体力が出来上がっていて、普通の山であれば問題になるところはない。
 北穂頂上の手前で滝谷を覗いたりしていつかはそんな岩登りもあるかも知れないと想像を膨らませる。ドームも昔は見慣れていたかもしれないが、今更にその威容は圧倒的。
 頂上からの景色は幾ら見ても見飽きることはなく、のんびりと昼食とする。
 北穂からの下山中、テント場にあと15分くらいのところで猿の一群に出会う。子供もいるのでこの小さな群れが生活の最小単位なのだろうか。正直これまで数え切れないほど涸沢には来ているが猿に出くわしたのは初めてである。昨年の徳沢の猿といい、確かに昔とは違っている。こんな高いところまで猿が上がってきているのに驚いた。
 この日1時過ぎにはテント場まで下りてきたので、翌日の時間節約のために、この日の内に横尾まで下りることとした。
 横尾にはいわゆるキャンパーもいて、いかにもキャンプという立派なテントを張っている人もいる。

 翌25日も晴れていて順調に上高地のバスターミナルへ。
学生は何の問題もなかったが、心配していた我々OBの不調も事故もなく、「穂高よ、さらば」と心底感傷に浸りそうな、そんな良い山行だった。
 これから研修をへて、学生が自ら計画を立て楽しき山登りをやってくれることを節に祈るのみである。




奥穂高へ 奥穂高へ 奥穂高へ 小宮山(左)と町田
ヨツバシガマ 奥穂高岳山頂で
記念撮影
奥穂高から涸沢へ 北穂高岳へ
前穂高岳北尾根 町田(左)と
小宮山(右)
北穂高岳山頂から
槍ヶ岳をのぞむ
滝谷 北穂高岳山頂で
記念撮影
北穂高岳から
涸沢へ
トリカブト 涸沢の猿 テン場撤収 テン場撤収




会   報
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■2012年8月5〜6日 公募による一橋学生との富士登山 竹中 彰(昭和39年卒)

         *********** 2012年8月8日投稿

 本年6月の一橋山岳部創部90周年記念事業として企画された事業の一つ、一橋大生公募富士登山が去る8月5日〜6日に掛けて実施された。
 参加者は針葉樹会会員有志、山岳部員及び一橋大生合計25名で、本八合目から深夜1時過ぎにスタートして吉田口頂上(久須志神社口)に登り、4時過ぎから待機して5時前の御来光を拝み、お鉢巡り後スバルライン五合目駐車場に全員無事下山した。
概要は以下の通りである。
 本来は三井さんがCLの予定であったが、体調不良で不参加となり、急遽竹中が代理を務めることとなった。 
                                                         (以下敬称略)
参加者: [針葉樹会員] 佐薙(31年卒),高崎(同),上原(33),竹中(39),本間(40),小島(同),佐藤(同),
宮武(45), その他 伊東(上原さん女婿)   
9名
** [山岳部員] 小宮山(商3),町田(法3),,峯(社3),細川(商2),中沢(経2)   5名
** [一般学生] 小川(経3),川尻(法3),岡田(社3),寺本(商1),帖佐(紅一点、社3),
山下(商2),奥川(社3),高山(経3),工藤(商2),荒浜(経4),宮嵜(社3)  
11名

●8月5日(日) 晴後時々曇り
 朝8時15分一橋大学正門前に集合し、横付けされた富士急の大型貸切りバスに全員乗車して国立ICから中央高速にのり、車中で自己紹介後、佐薙“富士山学博士”(富士山検定最高齢最高点一級合格者)から「富士山の自然」(※1)についての講義を受講しながら、途中談合坂SAでトイレ休憩後富士スバルライン五合目に向う。大月から河口湖線に移るが、目指す富士山は裾野が少し見える程度で、雲中に隠れていた。スムーズに進行し、10時10分には河口湖ICを出てそのまま夏の最盛期でマイカー規制中のスバルラインに乗る。時々自転車を追越す際に減速しつつも順調に進み、ガスが去来し、登山客やバスで大混雑の五合目駐車場に10:50に着く(2300m)。
 ここで全体を1〜3班編成とし、名札、目印の赤布を着け準備を整えて、11:25に本間を先頭に六合目に向け出発する。馬車が行き交う道を進み、泉ガ滝から樹林、砂礫の登山道に入り、12:00に安全指導センターのある六合目に着き30分の昼食休憩とする(2380m)。
 ここで上原さんから脚の調子に不安を覚え、リタイアの申告があったが、七合目トモエ館で宿泊することにして上原・伊東組は別行動をとることになった。
 その後は岩尾根の末端から本格的な登りが始まり、オンタデの生える斜面を花小屋(七合目、2700m)、トモエ館前を経由して4ピッチ目で七合目救護センター上で休憩する(14:15〜20、2800m)。この間、学生諸君は歩行中もお喋りが絶えず、若さで苦もなく登りをこなしている。寧ろ針葉樹会員に稍々遅れ気味で、マイペースで歩く者も出てくる。
 その後階段や岩、砂礫の険しい道を色々の登山グループと入り混じりながら、列を作って喘ぎながら登り、時々雲の切れ間から足下に広がる河口湖や山中湖などの下界のパノラマを眺めつつ、1ピッチで3時前に3000mを越え、更に3ピッチで17時頃に予約していた本八合目トモエ館に到着した(3400m)。
 小生としては夏の富士山は初めての経験であったが、既に寝床が用意された狭い、まともに正座できない様な天井の低い部屋とは言えないスペースが宛がわれる。これが夏の富士山の実態かと諦めて寝転んでいると、早くも近くで学生の豪快なイビキが轟く。出発前の注意で高山病予防法(呼気を意識した深呼吸)等の話もしたが、余り心配する必要はなさそうであった。
 夕食は食堂で薄いハンバーグ付きのカレーライスであった。食事の際にお茶が出たが、お代りは100円とのこと。学生諸君は軽くカレーを平らげ、シニアが残したものも平らげ、それでも不足か、別途ラーメンを注文する者もいる元気さであった。
 夕食後は小屋の外で、遠く横浜や東京方面の町の明かりが次第に輝きを増してくるのを眺めて暫く寛ぐ。小屋のテレビの予報では傘マーク付きの曇りであったが、夜中に目覚めると月齢15日位の月が笠を被って浮かんでいた。

●8月6日(月) 曇り時々晴のち雨
 1時出発に備えて0時起床し、朝食の弁当を詰めるなどパッキングを行なう。
下の小屋から続々ヘッドランプを点けた登山者が上がって来て、トモエ館、江戸屋前は銀座並みの雑踏となってくる。我々も予定より少し遅れて1:20にスタートする。直ぐ胸突き八丁の急登となり、ライトで足下を確認しながら慎重に進む。更に行くと御来光館を過ぎ、九合目を通過して岩を登り、鳥居をくぐり石段を登ると久須志神社前となり、吉田口頂上に到着した(3700m、2:50)。我々が到着する頃に、頂上の小屋が雨戸を開けて商売の準備にかかっていたが、かなりの登山客で小屋前は雑踏であった。我々はお鉢巡りの進行方向に少し回って朝食を取りながら日の出を待つこととしていたが、少し風も出て寒くなってきたので、小屋(山口屋本店)に戻って休憩することにした。豚汁、汁粉、ラーメンなどで身体を温めて休憩する間も、下から登山者が続々登って来て喧騒を極めてきた。4時過ぎに先ほどの待機場所に移り、東の空が明るくなるのを待つ。周囲には多くの登山者が集まって来た。ザット2千人近い人が待っていたのではないか。4時半過ぎには次第に地平線の彼方の多くの雲の間が赤く染まって、次第にその色を濃くして行った。クライマックスは4時50分頃に円い真赤な太陽が昇って来て、我々を照らす瞬間、思わず多くの登山者からワーッと言う声が上がり、バンザイの声も聞こえた。カメラのシャッター音も絶え間なく響く。何処かから、“久し振りに見事な御来光です”とのアナウンスが流れてくる。興奮冷めやらぬ頃合いを見計らって、予て用意した「公益財団法人富士山をきれいにする会」の“美しい富士山をいつまでも”のゴミブクロ(グリーンバッグ)を周囲の人々に配布して協力を呼び掛けた。今回の登山の目的の一つであり、この後はお鉢巡りの途中、富士宮奥社でも配布活動を行った。5:10頃に腰を上げて剣ケ峰に進む。
 途中駒ケ岳(奥社、郵便局がある5:32〜45)、滑り易い馬ノ背を鉄柵等に縋り、剣ケ峰への登りはかなり渋滞していた。「日本最高点」の石柱と記念写真を撮る人でごった返しており、我々はこれを避け直ぐ横で全員の写真を撮り(3776m、6:10)、直ちに順路に出て久須志神社方面に進んだ。お鉢巡りの間ガスが捲き、眺望に恵まれなかったのは残念であったが、一周3ピッチで無事に久須志神社山口屋前に着いた(6:50〜7:05)。少し休んでから愈々下りかかる。下山専用道はブルドーザー道を下ることになる。砂礫の滑り易い道をドンドン下って本八合トモエ館横でメンバーが小屋に置いた荷物、忘れ物を回収して来るのを待つ(7:33〜40)。更に下って行くと、雲の中に入った所為か雨が落ち始め、次第に雨足が激しくなり、雨具を着ける。その後七合目のトイレ横で全体の隊列を整えるが、稍々バラつき出す。学生の一人が足を捻った様だが、本人の申告なく事情がハッキリしないので宮武、部員が付いてユックリ下らせる。それでも、六合目の安全指導センターで本隊が20分位待つ間に追い着いて来た。雨が激しくなる中、最終的に五合目バスターミナルには10;30に到着した。我々のバスは12時頃に迎えに来るとのことだったので、近くの食堂に入り、濡れた衣類の交換などを行い、取り敢えず生ビールで無事の登頂を祝して乾杯した。
 昼食なども済ませて、13時前にバスに乗車し、車内で学生諸君の感想などを聞きながら14:50に国立の大学前に到着し解散した。

【事業を終えて】
 今回は90周年記念イベントとして、初めての試みであり、公募方法、運営方法などに反省点も多かったが、担当幹事の宮武さんは学校当局、学生側との連絡やバス業者との折衝等全面的に引き受けてくれ、全員無事に富士山に登頂し、下山できた本プロジェクト成功の最大の功労者である。ご苦労様でした。
 来年以降の企画をどうするかは今後の検討事項であるが、それなりにコスト、エネルギーを要する事業であり、そのパフォーマンスを睨みつつ山岳部側の体制整備の状況も勘案して慎重に見極めていきたい。
 今回については先ずは成功と言っても良いと思われる。ご参加頂いた針葉樹会員諸兄には、後輩の為に役立てればとのお気持ちで費用負担のみならず積極的にご協力いただいたことに感謝申し上げます。
 今後とも一橋山岳部の再興にむけて色々のご高配をお願い申し上げます。

(2012年8月8日記)
※1 HP幹事から
    ここをクリックすると『富士山の自然』PDF版(9頁)をダウンロード出来ます。 

8月5日 11:15(撮影:竹中)
五合目駐車場、出発前
8月5日 14:00頃(撮影:小島)
7合目の近く
8月6日 4:46(撮影:竹中)
富士山頂からの御来光
8月6日 4:55(撮影:小島)
富士吉田口山頂近くにて(御来光が終わった直後)
(後列左から2人目宮武)
(前列左から本間、佐薙、竹中、高崎、小島、佐藤)

8月6日 6:30頃(撮影:小島)
剣が峰にて全員写真


会   報
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■2012年7月28〜30日 針葉樹会懇親山行・妙高山〜火打山縦走 中村 雅明(昭和43年卒)

     ****** 2012年8月30日投稿
山行日:2012年7月28〜30日
メンバー:三井[S37:山行幹事 7/29リタイアー]、中村(雅)[S43]、川名[S63]

 今年度の針葉樹会懇親山行第3弾は、三井さんが企画された越後シリーズ第7弾、妙高山〜火打山縦走でした。年初の新年会にはその企画が発表され、6月の総会、『針葉樹会報』第124号で正式に案内され、参加者が募られました。ところが、事前の7月中旬に実施された北海道(トムラウシ、黒岳〜旭岳、アポイ岳)山行に懇親山行の常連が大勢参加したこと、事後に8月初旬の富士登山を控えていたことから参加者が集まらず三井さんは苦慮されました。周到な準備をされた三井さんには誠にお気の毒な事態でした。何人かに直接呼びかけ、私が手を挙げました。川名さんが参加表明したのと行き違いに、人数が集まらないという理由で一度中止となりましたが、川名さんの熱意によって復活し、上記3人の懇親山行が実施されることになりました。

●7月28日(土) 曇り 赤倉温泉・新赤倉館に集合、宿泊
 三井さんと私は11:44の長野新幹線で東京を発ちました。長野駅で途中下車し、駅近くの三井さんお薦めのソバ屋で遅めの昼食(大ざる)を摂り、駅に戻り信越本線に乗って妙高高原駅で下車。赤倉温泉行きのバスに乗り新赤倉三叉路で下車し、バス停すぐ近くの「新赤倉館」に入りました。遅れて東京を発った川名さんが18:00前に到着しました。この日は夏休みだと言うのに宿泊客は我々3人だけでした。夕食のあとロンドン・オリンピックの女子サッカーをテレビで観戦しましたが、9時過ぎには途中でテレビを消し、明日の為に早めに就寝しました。

●7月29日(日) 晴 妙高山〜高谷池ヒュッテ(泊)
 6:00起床、好天で旅館の窓から妙高山が望めます。意外に高く見えませんでしたが、後で錯覚だったと思い知らされました。6:30から朝食。7:15出発。新赤倉館はすこぶる便利な宿で、妙高高原スカイケーブル駅が目の前です。朝1番7:30のスカイケーブル(3人乗り)に載って山頂駅(1.266m)に一気に上がりました。残念ながらガスが出てきました。準備体操の後、7:45登山開始。ブナ林の中の急坂を中村−川名−三井の順で登り始めました。滝沢の少し上で最初の休憩を取りましたが、最後に登って来る三井さんの足元がふらついているのを目にして「いつもと違うな」と感じました。2ピッチ目15分位歩いた所で、三井さんが「今日は体調が悪いので先へ行けない。ここで暫く休んだ後、ゆっくり下ります。二人で山行を続けて下さい。」と申し出されました。予想外の事態に驚きましたが、先程の気懸りが思い過ごしではなかったのです。お一人で下山されるのは心配でしたが、幸い1時間弱登っただけで危険な箇所がない下りなので、お言葉に甘えて川名さんと二人で登山を継続することにしました。本当にお気の毒、残念なことでした。樹林帯をさらに登って一旦車道に出ました。大谷ヒュッテを過ぎるとまた樹林帯の急な登りになり、10:03天狗堂(1,900m)に着きました。ここは燕温泉からの登山道の合流点で、それを登ってきた人、上から下りてきた人も皆一息入れる休憩ポイントで大勢休んでいました。天狗堂から1Pで鎖場下。鎖場は足場がしっかり切ってあり、鎖もがっちりしたものでしたので恐怖感はありませんでしたが、かなり長い距離の垂壁なので山に慣れていない人は怖がるでしょう。鎖場上で小憩後、急な岩尾根を30分ほど登って、12:15妙高山の南峰(2,454m)に着きました(登山口より4時間半)。ここには妙高大神の祠があります。三角点・山頂ポールがあるのは15分先の北峰(2,446m)。
 川名さんが携帯電話で三井さんが無事下山されたことを知り安堵しました。今夜宿泊する高谷池ヒュッテに連絡をしたところ、そちらにも三井さんから連絡があったことを知り安心しました。残念ながら眺望は今一つでしたが、思った以上に登りごたえがあったので満足感がありました。南峰−北峰間の巨岩が散乱する山上庭園の趣きも印象深いものでした。
頂上でゆっくり昼食後、13:00下山開始。北峰から急降下が1時間以上も続きました。長助池分岐から大倉乗越に向かいましたが、予想もしない急な登りに喘ぎ、予定より遅れが出始めました。大倉乗越から黒沢池ヒュッテに下り、茶臼山を越えて高谷池ヒュッテに16:55到着。かろうじて17:00前(登山開始から約9時間)に滑り込みホッとしました。このヒュッテは定員75名でほぼ満員でした。完全予約制なので布団スペースが確保されること、飲料水は水道から自由に汲めること、トイレも清潔なことで快適に過ごせました。夕食は到着が遅かったので第2陣の6:00から。行列して各自がカレー&ハヤシライスを好きなだけ盛り付ける(但し、残してはダメ)セルフ方式のヒュッテ手抜きスタイルです。料金は朝夕2食付きで7,000円。夕食後、ヒュッテ主催の火打山の花のビデオ鑑賞を楽しんだ後、早々に就寝しました。

●7月30日(月) 晴 火打山往復後笹ヶ峰キャンプ場へ下山。帰京。
 朝は好天。高谷池ヒュッテの前からは妙高山、焼山、雨飾山がくっきりと見えます。6時少し前に夕食と同じ第2陣で朝食。第1陣は5:30頃。朝食は中華丼とインスタント味噌汁。朝食を済ませて昼食の赤飯パックを受け取って「これは何んだ」と絶句。家庭で使うインスタント赤飯パックをお湯で温めたものと、小さなゴマ塩と漬物のポリ袋が付いているだけで〆て500円。注文しなかった川名さんは正解でした。
 小屋に殆どの荷物をデポし、雨具、懐中電灯、カメラ、昼食など身の回り品のみ入れたザックで6:20ヒュッテを出発し火打山に向かいました。歩き始めてすぐ、高谷池沿いの木道沿い脇の林内にキヌガサソウの見事な群落がありました。天狗の庭の手前の台地にはハクサンコザクラ、アオノツガザクラ、イワイチョウが木道の両脇に群落で咲き誇り見事です。6:50天狗の庭に到着。思った以上に広い、池塘を択山散りばめた湿地帯で、池塘の周りには白いワタスゲの群落が風に揺れ、池塘に映る火打山、雪渓が目を奪います。
天狗の庭から火打山までの稜線は正に「百花繚乱」。ライチョウ平まではイワカガミ(淡紅)、ウメバチソウ(白)、オンタデ(白)、ヒメシャジン(淡紫)、マルバダケブキ(黄)、ハクサンボウフウ(白)、クルマユリ(橙)・・・、色とりどりの高山の花が次々に現れ、写真を撮りながらゆっくり登りました。後から花に詳しい川名さんが私が見逃がした花を見つけ教えてくれます。
 ライチョウ平から頂上までは、カラマツソウ(白)、ウサギキク(黄)、シナノキンバイ(黄)が登山道の両脇に咲き誇り、登りの辛さを和らげました。この頃からガスが立ち込め展望が無くなりました。8:20火打山頂(2,462m)に着きました。残念ながら、焼山から雨飾山に続く稜線はガスの中です。今朝の出発時には「ライチョウが見られるかも知れない」と、少し先の影火打まで行こうと相談していましたが、展望が利かないので行くのを止め、20分の休憩後下山開始。
 登りに見逃がした花の写真を撮りながらゆっくり下りました。途中で中学生の団体とすれ違いました。「コンチワ」、「コンニチワ」のさわやかな挨拶に笑顔で応じます。10:20高谷池ヒュッテに戻り、預けておいた荷物をパックキング。早めの昼食を摂って11:00に笹ヶ峰に向かって下山開始。富士見平(2,050m)までは緩やかな下り。上では見られなかったサンカヨウ(白)、オオバキスミレ(黄)、ゴゼンタチバナ(白)が道脇にひっそり咲いていました。十二曲りの九十九折の急な下りで一気に高度を下げて黒沢に出ると水の天国が待っていました。大きな岩を流れ落ちる沢の冷たい水で喉を潤した後、中敷きが合わず、指を痛めていた川名さんが登山靴を脱ぎ、靴下も脱いで裸足になり、流れ落ちる沢の水に足を浸します。「ヒヤー気持ちいい!」の声につられて私も真似をしました。確かに足を切る様な水の冷たさに暑さが一遍に吹っ飛びました。「こんな身持ちの良いのは初めて」と二人は大満足でした。そこから笹ヶ峰までは見事なブナ林の中に続く木道を心地良く歩き、14:00笹ヶ峰バス停(1,300m)着。高谷池ヒュッテから3時間。コースターム通りの下山でした。
 山行計画ではバスの時刻まで時間が余り過ぎた場合は、タクシーで池の平温泉又は赤倉温泉に行き、入浴するアイデアもありましたが、タクシー代と時間があまり無いのを勘案して取り止めました。着替えの後、キャンプ場の施設に移動して生ビールで乾杯。その後、施設近くの涼しい林間で、川名さん持参のお酒を飲みながら充実した山行の余韻に浸っている内に瞬く間に時間が過ぎました。15:25発のバスに乗り、16:15妙高高原駅着。駅で三井さんに下山報告電話をして山行を終えました。
 山行幹事として本山行を企画、宿の手配等に尽力された三井さんには本当にお世話になりました。同行の川名さんには1度中止になった山行を復活していただきました。お二人の御蔭で久し振りに本格的な夏山が楽しめたこと感謝します。結果として懇親山行とは言い難い2人だけの個人山行の趣きとなりましたが、中止とならず幸いです。参加者が少ないので中止とするのは、山行幹事にとっては極めて残念なことと思います。今回のような懇親山行があっても良いのではないでしょうか。
 川名さんは秋の紅葉の時期に再訪したい、私は火打山〜焼山〜金山〜雨飾山の縦走をしたいとの思いが生まれた充実した山行でした。

○三井さんのコメント
 (その1)7/30中村、川名宛メール
  妙高山〜火打山縦走成功おめでとうございます。
荒々しい妙高山、花がきれいな火打山を皆様にご紹介いたしたくて、この時期に懇親山行を計画いたしましたが、肝心の三井が早々とリタイアーしてしまい、申し訳ありませんでした。
  (中略)
  尚、私の体調はまだ不安定なので、富士山の総リーダーは竹中さんに依頼し快諾を得ました。宮武さんも安心したようでした。どうも有難うございました。
 (その2)8/20中村宛メール
現在は普通の生活には何も支障がありませんが、整形外科で診察して頂いたところ、左の骨盤が歪んでおり矯正する指導を受けています。 身体がふらつく現象は今まではなく、気持が悪いので、脳神経外科、循環器などの診察を受け、異常がなければ、徐々に山行を復活いたします。
○川名さんの感想(8/30中村宛メール)
  私にとって、今年の夏山シーズン初の本格的な山行で、妙高山の登り下りはきつかったです。サウナのように水蒸気が多く、それが雲となって展望を遮り、高山植物もみられず、修行に近い状況でした。とはいえ、だからこその充実感がありました。火打山は一転しておだやかな山容で高山植物に恵まれ、とてもフォトジェニックでした。ワタスゲの最盛期と出会ったのは初めてで、早朝、中村さんと二人で静かに景色を独占できたことも相まって、想像以上の感動がありました。「三井さんに見せたかったですね」と何度、口にしたことか。三井さん、よくなったら、またぜひご一緒させてください。中村さん、おかげさまで楽しい山行になりました。ありがとうございます。


7月29日 13:15
妙高山北峰頂上にて(川名)
7月30日 6:53
天狗の庭から望む火打山
 (池塘に映る火打山) 
7月30日 6:59
天狗の庭から望む火打山
(池塘の周りのワタスゲの群落)




会   報
***

■2012年7月18〜20日 針葉樹会有志による北海道のアポイ岳登山           
                                     蛭川 隆夫(昭和39年卒)

          ****** 2012年8月20日投稿
● 7月18日(水) 
 トムラウシと第1次延長戦(黒岳〜旭岳)は、無事に終わった(別掲の竹中C.L.の「記録」を参照)。気持ちもあらたに第2次延長戦(アポイ岳)へ向かったのは、佐薙・本間・岡田・蛭川の4名。
 今日は350kmのロング・ドライブだが、「運転をやります」とまたも岡田の申し出。「では、少しでも眠くなったら遠慮なく言え。運転を代わるから」と注意をしてからハンドルを託した(それにしてもありがたいことだ)。
 旭岳温泉から道道をR237まで標高差で900mほど下り、そこから美瑛盆地と富良野盆地をそれぞれ南北に縦断する。たいした渋滞もなく、左に十勝連峰、右に夕張山塊を見ながらの快適なドライブだが、あいにく遠くが霞んでトムラウシもはっきりしない。
 岡田が「ラベンダーの見頃はいつごろですか」と聞くので、先を急ぎたかったが運転手の熱望を叶えてやろうと予定外の「ファーム富田」に寄ることにした。思ったほど混雑していなかった。岡田はここで何枚も写真を撮っていた。
 R237はやがて空知川に沿ってその源流部の金山峠へと高度を上げ、そしてそこから下る。金山峠は空知川〜石狩川(日本海)と鵡川(太平洋)の分水界である。四囲の山の名前を聞かれるが移住2年目の私には答えられない。
 トムラウシ初日に通過した占冠(しむかっぷ)ICから道東道に入り、帯広の手前で帯広広尾自動車道に分岐する。同道は、終点の広尾町まで完成していないせいか、無料である(同町の住民には悪いがこのまま工事が進まず無料であってほしい)。
 この無料区間の出口を出ると中札内村(R236)。出口からすぐの「道の駅なかさつない」に寄って、敷地内の「開拓記念館」(大正末期の旧農家住宅を移築・復元したもの)へと向かった。お目当ては、展示品の民俗品ではなく、併設されている蕎麦屋「蕎良」の手打ちそば。入口で本間が「俺はやめとく」。靴を脱ぎまた履くのがいやなのだというが、後で聞いたら屋台のつまみでビールを飲んでいたらしい
 腹を満たして、近くの「六花の森」へ。最近ガーデン街道がブームだが、ここはその7ガーデンのひとつ。「画家の坂本直行氏が描いた野の花を森で育て、記念館では作品を楽しめます」とHPでうたっているが、6月に家内の友人ご一行様のアッシー君として来た時と比べて花はずっと少ない。また、展示された坂本直行の作品はすべて野草の水彩画で(それはそれで興味深かいが)、日高山脈を描いたものはない。実は、6月の訪問の後、「大切な岳友が来るので山の絵を展示してほしい」と厚かましく電話で頼んだが、さすがにこれは実現しなかった。
 広尾町からR236は日高山脈に向けて登っていくが(通称:天馬街道)、我々はR336へ入り、襟裳岬を目指した。どちらでも目的地の様似(さまに)町(アポイ山荘)に行き着けるが、後者の方が距離は長くなる。5月に様似へ行って田中正人氏(様似郷土館の学芸員、教育委員会の主幹を兼務)にアポイ岳登山への同行と説明役をお願いしたとき、「襟裳岬を通ってあげた方が東京から来る方が喜ぶのでは…」と言われたので、あえて「遠回り」ルートを採用したのだった。
 R336は、海岸線すれすれの道路で、かつ山側は断崖絶壁。黄金道路という通称があるが、これは風光明媚だからではない。建設費が難工事の連続で予定を大幅に上回り、黄金を敷きつめられるくらいかかったことから付けられた。
 襟裳岬の駐車場から少し歩いて太平洋を展望できる断崖の上に出た。北海道の背骨の日高山脈がえんえんと高度を下げて岬になり、その突端でさらに落ち込んで数キロの細長い岩礁と化し、ついには点々となって沖の太平洋の波間に消えてゆく。それを岡田が印象深げに見ていた。岩礁の波打ち際まで歩いて行けるのであるが、名物の強風が吹いていたせいか、岡田も含めて誰も「行こう」と言い出さなかった。
 「襟裳岬」の歌碑が2つある。1つはもちろん森進一のだ。もう一つは島倉千代子のだが、「この歌は知らなかったな」と本間が言う。「風の館」という施設から双眼鏡や望遠鏡で岩礁のゼニガタアザラシを観察して、再び車中の人となり、今夜の宿アポイ山荘へ入った。ここまで、佐薙さんと蛭川がそれぞれ一度だけハンドルを握ったが、それ以外はすべて岡田運転手が引き受けてくれた。
 アポイ山荘は、山荘と言っても山小屋ではなく、第三セクターの立派な宿泊施設。チェックインしたら初日から今日までの疲労がどっと出て、お風呂に行く気にもなれず部屋で一人ごろっとしていた。タオルを握って戻ってきた本間が「思いきって浴びた方がいいんじゃないの」。その声に押されてやっと階下の浴室に向かったが階段を手すりにつかまりながらそろそろ下りる有様だった。明日は標高差740m。登れるだろうかという不安がよぎった。

●7月19日(木) 
 夜中に雨が降ったせいで道路が濡れていたが、出発時はさいわい止んでいた。宿に近い登山口の駐車場で田中さんと待ち合わせた。大きな傘を携行しているので、さては今日の予報は雨なのかと心配して聞いたら、写真撮影用の道具でストック代わりに持っているのだとの説明だった。田中さんを先頭にして出発(7:00)。
 すぐにミヤコザサの横を通過するが、ここで田中さんが注意をうながした。登山道際のササは縁が白くなっているが、離れた林内のササは背が低い緑の若葉で、縁は白くない。その理由はエゾシカ。登山道の近くまではエゾシカは来ないので、そこのササは2年目になって縁が白くなる(これは正常である)。それにたいして林内では1年目の葉を遠慮なくエゾシカが食べてしまい、ササは必死に新芽を出して光合成をするのだそうだ。美しい緑のササ絨毯などと感心しないで、その背後の生態系の悪化、野生動物による食害問題を見よというわけである。
 このように田中さんがときどき立ち止まって説明してくれたり、あるいはこちらから質問をしたりしながら隊は進む。佐薙さんが「クマゲラは見られますか」と聞くと「幌満で見ました」とのこと。残念ながら、天然記念物の幌満ゴヨウマツの群落でも知られる幌満は、アポイ岳を挟んで反対側に位置する峡谷である(来年、ここでクマゲラ・ツアーでもやりましょうか)。
やはり昨日の体調不良が続いているのか、隊から遅れ気味となり、田中さんの説明を聞き逃すこともしばしばとなり、残念な思いがした。
 樹林帯を抜けて、立派な避難小屋のある5合目に着いた(8:28)。岩場と礫の尾根が正面に立ち上がり、その頂点の馬の背からは右に折れて頂上に至る展望が広がっている。いよいよ本間が恋い焦がれていたカンラン岩ワールド!
 この礫の登山道を登り、立派な露頭のある所でカンラン岩の説明を聞いた。日頃から地学の本を読んでいるという本間から昨夜の宿でカンラン岩のことについてご進講を受けたが、その大筋が田中さんの説明とほぼ合っていたので感服した。
 本間がカンラン岩と(早池峰や至仏山の)蛇紋岩との違いを尋ねた。「岩」と「石」の違いを無視すると、マントルのカンラン岩が、地下深部で水分の作用を受けて変成したのが蛇紋岩、そのまま絞り出されるように地上に出てきて冷えて固まったのがカンラン岩。田中さんはこの説明に「カンラン岩は新鮮だ」という表現を使っていた。この新鮮さで「幌満カンラン岩体」は世界の地質学者の間で有名らしい。
 登山道の左右には高山植物も多く、花の名前を教えてもらった。とはいえ花の季節の6月と違い、咲いている花は少ない。その中でも黄色い花を咲かせているキンロバイ(草本でなく木本)のまわりで、二人の男性が葉の裏を見ては赤いお線香のような棒を地面に刺している。田中さんの説明によると、固有種のヒメチャマダラセセリ(以下、田中さんに倣って「ヒメチャ」と略す)の幼虫の有無を調べているのだそうだ。聞き落としたが、お線香の立った辺りをデジカメで撮ってこの蝶の生息数を調べるのであろうか。

ヒメチャマダラセセリ余談(田中さんに後日メールで教えて頂いたことなど):
 ヒメチャの食樹はキンロバイだが、ヒメチャは地面の礫からせいぜい10数センチの所のキンロバイにしか卵を生まない。ところが、ハイマツが増えて礫の高山帯を覆い、礫の露出面積がついに60年前の5分の1以下になってしまった。キンロバイはハイマツに負けまいと太陽を求めて背丈を伸ばすが(中には1メートル近くにまで)、ヒメチャはその高さでは卵を生まない(周囲温度が低くて羽化がしにくいから)。
 低い、羽化が可能なキンロバイが生育できる岩礫地は年々減っていて、ヒメチャはついに環境省レッドリストの絶滅危惧U類になってしまった。今秋、ハイマツを切って礫を出す作業をする。国立公園及び国指定特別天然記念物なのでその許可を申請中。
なお、上記の二人は、ヒメチャを発見した研究者と「日本チョウ類保全協会」の職員。少ない予算で(おそらく持ち出しで)貴重種の保護保全に当たっている方には、いつもながら頭が下がる。
それにしても、キンロバイは、本州にもあるし、園芸種にもなっている。それなのに本州にはヒメチャはいない。なぜなのだろうか。


 お二人と話し込んでしまい、やっと隊に追いついたのは、馬の背からの平坦な稜線。日高山脈南部を展望しながらの漫歩といきたいが、山はほとんど雲に隠れて見えない。 
 ハイマツ帯を過ぎると傾斜がきつくなり、それを登り切ると頂上(10:21)。そこはダケカンバなどの樹林帯。ハイマツ帯より高い所に樹林帯があるのが面白い(理由を聞いたのだが、記憶に残っていない)。ダケカンバの樹林の中にナナカマドが1本だけあるのを、佐薙さんがめざとく見つけた。亜高山帯のウラジロナナカマドならまだしも、ナナカマドは街路樹にもなる下界の木だ。「不思議な植生だ」と佐薙さんがつぶやいた。
 佐薙さんと田中さんがハッコウダゴヨウ(ハイマツとゴヨウマツの雑種)について何か話しをしている。後日の佐薙さんのメールによると、田中さんはそのとき「ハイマツの種には羽がない、ゴヨウマツの種には羽がある」とコメントした。帰宅後に図鑑を読み直してこの記述を確認した佐薙さんは、「それぞれの子孫を残すための戦略の違いなのだろうか」とメールを結んでいる。
 記念撮影をして下山したが、歩きながら再びカンラン岩談義。カンラン岩の英語peridotiteに対して、その主成分であるカンラン石はolivine (オリーブoliveから来た単語)。オリーブ色をしていることから名付けられたのは間違いないが、はてオリーブ色とはどんな色?私は黄色か褐色と主張したが、他の3人は(暗い)緑色。写真撮影のために先行した田中さんに追いついて聞いてみたら、やはり緑色。4対1では負けだと観念したが、なんとなく釈然としなかった。

オリーブ色余談(帰宅して調べたこと):
 国語辞典では、「黄色を帯びた緑色」『新明解』、「黄色みを帯びた暗緑色」『大辞林』。英和辞典では、olive色の説明として、「(1)日焼けした肌のような黄褐色。(2)オリーブの未熟果のような薄い黄緑色」『ランダムハウス』。英英辞典では、「名詞でthe yellowish green color of an olive。形容詞でyellowish green、yellowish brown。名詞でgreen or black fruit『OALD』。なんとも定義がバラバラである。しかし「黄」という要素があるとは言えそうだ。
 「食べ物知識Tell me about」というサイトに、「オリーブの実の色は、収穫した時点での、実の熟している度合いによって違い、はじめはグリーン、その後、イエロー、レッド、バイオレット、パープル、最後に、ブラックと」変わると説明されている。これまた、なんでもありだ。
 結局、オリーブは様々な色を示すとはいえ、その代表色である(暗)緑色にこの石の色は似ている。そこからolivineと名付けられた、そう解釈すればいいのかもしれない。
 なお橄欖岩と漢字で書くのは問題があるらしい。橄欖はベトナム原産の果木(カンラン科)。ヨーロッパ(地中海地方)のオリーブ(モクセイ科)とは別科の植物。幕末(文久2年・1862)に聖書を翻訳した時、oliveの実だけを見て橄欖と同じと誤認し、oliveの訳語に橄欖を当てた。以後そのまま誤訳が伝えられたという説がある。


 先ほどのヒメチャ保護活動家の所で田中さんとお別れ。田中さんはこの二人の活動のサポート役でもあったのだ。我々のために掛け持ちをして頂いたことにお礼を述べて、駐車場まで下った(12:30)。ここまでの1分単位の時間記録は、岡田手帳によった。
 さあこれからは一路札幌、ではない。いろいろ寄るところがある。
 最初は様似市役所の前庭にある「カンラン岩広場」。カンラン岩などの岩石研磨標本が置いてある。自分は、田中さんとの過日の打合せ時に見ているので、疲労回復を図るべく車内で待機。
車は、様似町を抜け、浦河町を過ぎ、新ひだか町に入る。まず、「三石(みついし)羊羹」(静内山岳会に何かと縁のある名店)。お腹を空かせた岡田さんは、オーナーの奥様がいれてくださったおいしいお茶を手に栗羊羹を頬張る。どうぞと言われて一口ご相伴にあずかった。その栗羊羹をお土産に買った。
 次は東静内の「あさり浜」というドライブイン。私の長男のお嫁さんご推奨の「磯ラーメン」を注文した。ツブ貝をはじめとした海の幸の旨みが濃縮した、塩味のスープがたまらない。ボリュームもあり、すっかり満腹になった。
 最後の寄り道は、トムラウシでお世話になった山田さんの「新雪荘」。あいにく山田さん自身は札幌に出張中であったが、店番をしていた奥様にご主人にお世話になったお礼を述べた。
 ここからは一気に札幌だ。新ひだか町を出て、新冠(にいかっぷ)町、日高町の日高門別までは太平洋をすぐ左に見ながら走る。3.11の時、津波の被害はなかったんですかと聞かれた(あまりなかったようです)。沙流(さる)川を渡ると日高富川(とみかわ)IC。ここからの日高道は未完成で無料区間。ほとんどが片側1車線ながらも快調に走って、苫小牧から有料の道央道に入った。もうここまで来たら、無事故でレンタカーを返すことあるのみ。札幌市内に入り、「パークホテル」に3人をおろした。
 今日ずっと1人で運転を担当してくれた岡田と交代して、日産レンタカーの営業所に向かった(トリップ・メーターの表示は1,157km)。ここで、“日産の車の、日産純正のナビに、日産の営業所の位置が正常に表示できない”という珍事があって、ぐるぐる探し回って30分のロス。おかげで自宅に戻ってもシャワーはおろか着替えをする時間もなくなり、やっと顔を洗っただけで3人が待つホテルに向かった。
 打ち上げは、ホテル近くの「鳥魚」。外観、内装ともシャビーな居酒屋で、およそ観光客が訪れるようなお店ではないが、安くてうまい。遠来のお三方を囲み、かけつけてくれた小野さん、妻の紀巳子、長男夫妻も含めて総勢8名は、賑やかに話し、笑い、食い、そして飲んだ。

●7月20日(金) 
 帰京便までの時間を利用しての小イベント。あらかじめいろいろ出した案の中から、佐薙さんのご希望で野幌森林公園のウォーキングと決まっていた。
 「野幌森林公園 自然ふれあい交流館」という長い名前の施設が公園の一角にあって、そこで事前に相談したら、予約すればガイドを出してくれると言う。願ってもないことで予約した。
 9:00にマイカーでお三方をピックアップ。途中のコンビニで昼食(ガイドの分も含む)を仕入れて、「交流館」に向かった。
 ガイドは、浜本真琴さん(普及啓発員)。彼女のお勧めで、公園の中でも最も原始が残っているという大沢コースを辿り、その終点の「大沢園地」で昼飯を取り、桂コースを歩いて戻るという一周コースとした。花(例によってすでに遅くあまり咲いていないが)、木、鳥、虫などの説明を聞きながら歩いた。
 岡田は、ここでもさかんにシャッターを押し、まめに手帳にペンを走らせる。よく質問もする。その様子は、さながら佐薙研究室の研究助手。自宅では写真と対照しながら図鑑を見るらしい。高山植物の名前も知っている(理由を聞いたら、武田久吉の植物図鑑が愛読書だという)。その岡田が途中で表情を曇らせて「手帳を落としました。探しに行きます」。
 「大沢園地」まで進んで、昼食を取りながら岡田を待つがなかなか現れない。「交流館」にケイタイがつながる所を見つけて電話したら、手帳は落とし物として届けられ先ほど本人が受けとっていったのこと。そうこうするうちに岡田が来て、「よかった。よかった」となった。2時頃出発点に戻り、浜本さんにお礼を述べて車に乗り、近くの「開拓記念館」を駆け足で観覧し、そして最寄りの新札幌駅にお三方を送った。
野幌森林公園は、世界でも数少ない、大都市近郊の広大な平地林。説明を受けながらとはいえ、また忘れ物探しがあったとはいえ、4時間ほどかけて歩いた面積は、多分、全体の10%にもならないであろう。札幌住民となった自分でも、園内すべてをじっくり歩き通すのは余命によっては難しいかもしれない―それが2012年夏の大イベント最後の感想である。

●「大イベント」と書いたが、その経緯などを付け加えたい。
 2011年の秋、上京時のお酒の席。個人山行で北海道の山に行きたい/では旭岳はどうですか/いや大雪山系にはもっと登りがいのあるトムラウシとかいう山があるそうじゃないか…と、お酒も手伝って話が発展しました。結局、トムラウシを本命に、その後で黒岳〜旭岳を縦走し、札幌に出て打ち上げ(元気があったら札幌近郊のもう一山)というラフ・プランができた。
 当初は、百名山派がよくやる東大雪荘からのトムラウシ日帰り往復案(百名山派の私も、かつて小野リーダーに連れられて日帰りで往復)。ところが、前年の2010年にトムラウシに行った静内山岳会の山田さんに最新情報を得ようと話しを聞いたら、前年はテントを南沼に上げて1泊したとのこと。すばらしい山岳展望、お花畑、星空などを聞いて心が動いた。くわえて、テント・寝袋・バーナー・食材・調理用具など一切を背負って高所のテントで寝る―この学生時代には当たり前だったことにもう一度(そして最後の?)挑戦をしたい、そういう思いもつのった。一方で、70歳を超える我々にはたして可能かという不安も当然あった。
そこへ、「トムラウシの件、都合がつきましたらお付き合いしましょうか」と山田さんからの思いがけないメール。ぐっと「南沼にテント泊まり」の構想に考えが傾いた。何かとトムラウシ計画に相談に乗って頂いた小野さんからも「それならいいじゃないですか」とお墨付き。竹中と本間との三者協議で、決断した。
 計画がさらに大きくなったのは、本間からのアポイ岳追加の依頼があったため。運転をしない人はこれで運転キロ数がどれほど長くなるのかわからないのだろうなと溜息が出たが、前からアポイ、アポイと騒いでいた遠来の同期生の願いをむげにもできない。こうして<C.L.竹中、山田さんにアドバイザーになって頂いてトムラウシ、第1次延長戦:黒岳〜旭岳、第2次延長戦:アポイ岳、日数8日>という骨組みができあがった。
 この骨組みを、札幌で知り合った山の経験者2人に出発前に話したら、ともに「えっ!?」という顔をした。2人の懸念にもかかわらず、山中、下界とも事故なく終えられてほっとしている。我々が昔より低下したとはいえ自力を発揮したというベースがあり、それに山田さんの参加、谷川・藤田両氏の追加参加、そして好天という条件があったからであろう。

 ○反省点:@テント・寝袋・炊事用具・燃料・バーナーなどの装備、10人2日分の食材、低体温症に備えた防寒具…、これらがいかにかさばるか。重量ばかり気にしていたが体積も問題だった(公物は段ボールで10箱)。谷川さんの車がなければ、初日のキャンプ場までも荷物を運べなかったかもしれない。Aメニュウは軽量化と調理時間がポイント。今回は、燃料のガスを使い果たし藤田さんの私物ボンベに頼った。Bガソリン給油:竹中C.L.の「記録」にある通り。層雲峡にGSがないとは夢にも思わなかった。事前調査が不足していた。
 ○コストについて:別稿で竹中C.L.が具体的に数字で述べましたが、少し補足します。航空券。13日は、3連休前日の金曜日だったせいで、格安チケットとしては高かったようだ(同じ便名で、12日と9日は13日の76%、10〜11日は58%)。旅館代は、南沼は当然ゼロだが、初日もキャンプ場でテント泊まりにして節約。レンタカーは、旅行業者経由で手配したが、直接日産と契約するよりも安かった。ただし、乗り出し日が14日以降の契約だったら夏料金で高くなるのは直接契約と同じ。なによりも、定員一杯の人員としたので割安だった。
 ○その他:北海道の山のオーバーユースの問題、関連して携帯トイレ(今回、本間と蛭川が実体験、「けっこういいものだ」という感想)、低体温症対策、道警への登山届け提出、参加費用精算金の一部をNPOに寄付など述べたいことがあるが、長くなるので省略。

7月18日 8:49(撮影:岡田)
富良野のファーム富田ラベンダー畑にて
(左から本間、佐薙、蛭川、岡田)
7月18日 15:16(撮影:岡田)
襟裳岬

7月19日 10:37(撮影:岡田)
(左から本間、蛭川、佐薙、岡田、田中氏)

会   報
***

■2012年7月13〜18日 針葉樹会有志による北海道・大雪山系登山
      ―― トムラウシ、黒岳〜旭岳 ――  竹中 彰(昭和39年卒

             ****** 2012年8月16日投稿

 昨年(平成23年)の10月頃から、針葉樹会の一部メンバー(35年入部の踏椿会メンバー中心に)の間でトムラウシ山などに登る計画が持ち上がり、80歳を迎える佐薙さんを含めて7名のメンバーが固まり、現地の諸準備を札幌在住の蛭川さんにお願いして計画を固めて行った。
 ニペソツ登山時の様な大掛かりなメンバー公募は準備の制約等から難しいと考え、現地の足にレンタカーを使用する関係で計画はこじんまりと当初メンバーに限って実施することとした。
山行日程は、竹中が関係する日本山岳会関連団体等の定例会議スケジュール等を考慮して7/13‐18と決めたが、結果的に晴天を捉まえることができた。また、蛭川さんが以前から所属している静内山岳会の会員3名が同行してくださり、そのアドバイスを全般に亘って受けて天候にも恵まれ、ほぼ計画通りに進捗できた。なお、一部メンバーは旭岳温泉下山後に花の山アポイ岳に向った。
 以下竹中に関わる部分の記録概要である。       
 (以下敬称略)
参加者:針葉樹会・*佐薙(31年卒)、竹中(CL.39)、*蛭川(SL.39)、*本間(SL.40)、
    小島(40)、佐藤久(41)、*岡田(42)      (*印はアポイ参加メンバー)
    トムラウシのみ・静内山岳会・山田(アドバイザー)、谷川、藤田  計10名
緊急連絡先:小野(40)
期 間:平成24年7月13日(金)〜17日(火)

●7月13日(金) 曇りのち晴
 新千歳空港集合10時に合わせて、在京メンバーは事前に各自便を予約した。
羽田8時15分発のADO015に間に合せるべく自宅を6時前に出て成瀬、新横浜経由で順調に羽田に到着し、受付カウンターで佐藤久に会う。搭乗口への途中で8時発ANA便で向う小島とも声を交わす。定刻が近づき、搭乗開始となる。
 飛行機に乗り込んで出発を待つが、一向に動き出さない。その内機内アナウンスで、機材の修理箇所は発生(右水平尾翼の油圧系)の為、時間がかかるので、降機してロビーで待機するようにとの指示がある。ロビーで待機中に昼食代1000円を支給するとのアナウンスがあり引換券を持って売店へ行き弁当を調達する。
 このところ、ADO便に関してはニセコスキーからの帰途も大雪に遭遇し、機材遅れで羽田に深夜到着し、公共交通機関が終った後なので、タクシーにて帰宅せざるを得ず、大出費を余儀なくされるなど、ツイテいない。
この間に札幌の蛭川にメイルするなどして、二時間程遅れて、10時半ごろに漸く出発した。12時過ぎに新千歳空港に着くと既に他のメンバーは揃い、加えて札幌在住の小野さんまでアルコール差し入れ持参で出迎えてくれた。
 直ちに空港を後にしたが、レンタカー(日産セレナ)は長期間且つイザに備えての防寒着類など荷物が嵩張りぎっしりの荷物と人で埋まっていた。岡田ドライバーの運転で道東に向う。途中トマムなどを遠望し、十勝清水ICで高速を降りて静内山岳会のメンバーを待つこととする。ICを出たところの駐車場に入れると札幌からの谷川、藤田両氏から声を掛けられる。遅れていた山田アドバイザーも14時半過ぎにトヨタランクルで現われ、全員揃って簡単に自己紹介後コンビニで翌日の昼食等を仕入れ、山田車に先導されて十勝ダムキャンプ場に向う。延々とR274、718を新得経由でロックフィルの十勝ダム直下のキャンプ場に到着する。そこには炊事場、トイレも整備され柔らかな草が一面に生え快適なサイトであった。
 久し振りのテント泊まりであり、標高も400m前後と低く、寒さを感ずることなくシュラフはファスナー全開で横たわっていたが、その内意識がなくなった。

●7月14日(土) 曇りのち晴
 午前3時頃から炊事準備が始まる音で目が覚める。本間シェフが計画し、蛭川が調達した食材で朝の雑煮がこしらえられ、1人2個の餅を食う。
 食後テントをたたみ、パッキングしてザックを車に載せ、4時53分に出発する。道道を経由してトムラウシ温泉東大雪荘に着き(5:50)、谷川車の駐車届、トイレ等を済ませて短縮コース登山口を目指して林道を進む。部分的に荒れた路面もものともせず、6:15に駐車場(965m)に到着、既に20台以上駐車する車の持ち主は出払っていた。我々も準備を整え6:27に山田氏を先頭にスタートする。
最初は緩やかな林間の土の道だったが次第に傾斜がキツクなる。隊列は山田氏の後に針葉樹会員、最後に谷川、藤田氏と組んで進む。
【閑話休題】
 静内山岳会の3氏のうち、山田氏(68歳)は、元々長野県人だが、今は静内で運動具店「新雪荘」を経営している。アマゾン奥地やペルーアンデス等の経験も持ち、我々と一橋同期で途中退部した門田君と一緒にアマゾンを探検したとの奇遇に驚く。また、日高山岳連盟の会長も務めている。谷川(64)、藤田(68)の両氏は、共に北海道警出身のベテランである。
 3人は、何れも明らかに針葉樹会員の平均年齢71.4歳を下回るヤングであり(パーティー全体平均は丁度70歳)、イザの時の大変心強い存在として、この山行成功の大いなる力となった。
 因みに、蛭川は、静内山岳会に北海道移住前に入会し、山田氏と顔馴染みであった。今回の計画策定に当たって山田氏に相談したことから話が発展して3氏の同行という結果になったものである。なお、静内は、競走馬(サラブレッド)の産地として有名であるが、蛭川の長男(北海道新聞)が支局勤務した地であり、またそのお嫁さん(陽子)の故郷でもあり、蛭川家とは浅からぬ縁がある。

 次第に木の根と岩混じりの急登となるが、30分ほどでトムラウシ温泉からの道と合流(分岐)し、一本立てる(1077m、6:57〜7:03)。その後もほぼ30分ピッチで進み、8:04にカムイ天上を通過する。この辺りからは高原状のササ原となり、次第に道がぬかるんで来る。ガイドブックではニペソツ山や前トムラウシ等が望まれると記載があるが、生憎の曇り空で望むべくもない。北海道は昨日まで数日間雨が続いたとのことで、登山道は田んぼ状態で、下の方は部分的に木道等で整備してあるが、カムイ天上から上では未だ手入れが追いついていない。ドロ道を避けて両側のササ原の中を進もうとするが、ササに進路を阻まれ容易ではない。また、道のフチを強引にササを掴んで突破を試みるもドロで滑り、ササを握る手や滑るのを防ごうと両足を突っ張ることで、稼ぐ距離の割りに疲労蓄積は甚だしい。また、適当な休憩場所もない。8:38〜43に休んだ後は1時間以上ひたすら進む。
 ドロ道が終り、少し下り傾斜になった先に林が途切れ、お花畑に囲まれた水場に出る(1488m、9:50〜58)。コマドリ沢への下りにかかった所で、この先の前トム平が遙かに望める。この山行で初めての本格的なお花畑であり、それまでの辛いドロ道の行動から開放されてホッとした事とも併せて、花をカメラに収める。特に岡田は意欲的に撮り捲っていた。この辺りではチングルマ、エゾコザクラ、ミヤマキンバイ、ヨツバシオガマなどが斜面に咲き誇っていた。
重い腰を上げてカムイサンケナイ川へ下降を続け、30分余で河原に降り立ち、コマドリ沢分岐(渡渉点)で、登りの前に一呼吸入れ、腹ごしらえする(1445m、10:34〜51)。水量は豊富だがエキノコックスを懸念して生水は避ける様に指示を受ける。石伝いに渡渉点を渡り、ウコンウツギが満開の中、沢を詰めて行くと直ぐ雪渓に出る。途中くびれ部分で上部雪渓に移り、更に雪渓上を進む。
雪渓を終り左岸に移って潅木の中を少し進み、大きな岩の積み重なった上で休憩(1580m、11:37~45)。下からガスが湧いて来て視界は閉ざされる。岩の間にはナキウサギが生息している様で、盛んにそれらしい声が聞こえる。残念ながら姿は現さず、人によっては瞬間見たとの報告も。しかしカメラには捉え切れなかった様子。その後はハイマツ帯に変わった砂礫地を所々で花に慰められながら進む。この辺りからはイワブクロの群生地が多い、時々はコマクサも。
 次第に視界も開け、前トム平に到着する(1733m、12:07~16)。暫し来し方を振り返り、此処まで来れば先は短いと、大の字になって休む。
 重い腰を上げて進むうちに、右ヒザ裏、太腿に攣る前兆の違和感を覚え、久し振りに芍薬甘草湯エキス(お馴染みの“68”)を服用して進む。ハイマツの間をトムラウシ公園前の小ピークに上がるが違和感が治まらないので、更に一包を追加で呑む。レッドキックホットも持参していたがズボンを下ろして塗るのが面倒だったので使用しなかったが、その内に治まってきた。大きなケルンが積まれている所で皆に追い着き小休止(1785m、12:32〜38)。その後小ピークを越し、岩混じりの斜面を下り切った所がトムラウシ公園の入口で小さな流れの間を進む(13:00)。少し先の花畑を避けた岩の傍らで休憩(13:05〜15)。行く手の雪渓の上に岩の稜線がシルエットで浮かび、山田氏からチョキ状の岩の裏辺りが南沼と説明があり、この日の終着点の見通しがつく。その後は雪渓や岩の積み重なりの間をもう少し、もう少しと気合を入れながら進む。幸い天気は急速に快方に向かい、雲がドンドン切れていく。2ピッチ弱で14:20に南沼のキャンプ指定地に到着する(1946m)。3、4張りのテントが設営されていたが、我々はオプタテシケ山に向う縦走路の脇、水場とトイレブースに近い所に3張りのテントを張った。目の前には岩を重ねたトムラウシ(2141m)が聳え、山頂に続くルートが目で追える。
ザックから担ぎ上げた缶ビール(一人当たり2本の配給を下で受ける)を目の前の流れで冷し、テント設営後頃合いを見て先ずは乾杯する。西に傾きつつある日差しが益々強烈になる中で、テントサイトの周囲にはハクサンチドリやヨツバシオガマ等の高山植物も花をつけていた。この間に静内の谷川、藤田両氏はトムラウシ頂上を目指して出発するが、針葉樹会メンバーは全員明日のお楽しみとして見送る。頂上に向った二人も小一時間程でテントに帰着した。
 テントに寝る場所を確保する前に、絶好の天気の下、外で夕食とする。事前に申告したレトルト食品(カレー、中華丼等のチョイス)に従って湯煎し、尾西のアルファー米と共に食す。食後はお茶、コーヒー等で余裕の時間を過ごす。ノンビリ過ごす間に何組かのパーティーが到着し、テントが急に増えてくる。
 長い夏の陽がなかなか沈まず、南沼の草地の外れまでオプタテシケ方面にブラブラ歩いた所から十勝連山の絶景が広がる。左端の標高は低いが端正な下ホロカメットク山(1668m)から富良野岳(1912)、上ホロカメットク(1920)、頂上を少し覗かせる十勝岳(2077)、美瑛岳(2052)、右端に堂々たるオプタテシケ山と競い合って夕陽に映える。
 西の方には雲海も広がる贅沢な眺めであり、ここまでの苦労が報われる気がした。20時過ぎに就寝体制に入ったが、かなり寝たと目が覚めたのは0時前後であった。小用に外に出るが、久し振りに見る満点の星で暫時見とれていた。

●7月15日(日) 快晴のち時々ガス(曇り)
 4時過ぎに隣の本間テントから炊事にかかる話し声で目が覚め、テントから顔を出す。次第に夜が明けていくが、相変わらず空には雲一つなく、絶好の登山日和となった。雑煮(各自2個宛の餅)の朝食を済ませ、ザックのパッキングを済ませてから、4:58に空身でトムラウシ頂上に向けてスタートする。山田氏をトップに、佐薙、小島、佐藤、岡田、竹中が続く。蛭川は以前に頂上を踏んだことがあり、本間は所用ありとのことで残留した。最初はイワブクロやイソツツジ、エゾノツガザクラ等が咲き乱れる砂礫地を進むが、次第に道は岩混じりの急登を時々コマクサの群落に迎えられ、最後は大きな火山岩の積み重なりを攀じ略30分で頂上に着いた(2141m、5:28〜46)。
 ゴツゴツした岩の頂上では四囲を遮るもののない大展望に迎えられた。北に遠く旭岳から北鎮岳、白雲岳に繋がる表大雪の峰々、手前にヒサゴ沼、化雲岳、五色岳、右下の方に沼ノ原などが望める。残念ながら北沼は直下なので見えない。東南にはニペソツが少し頭を覗かせていた。南西方向には昨日も見た十勝連山、南遠くには日高の山々もうっすらと見える。逆光にも拘らず写真を取り捲るが、結果的に出来映えはイマイチだった。北沼方面から数名のパーティーが到着し始めたのを潮に30分ほどの滞留でテントに戻ることにした。
 上から見るテント場も次第に陽が射すようになってきた。帰路の頂上直下の岩の積み重なりの間からエゾシマリスが飛び出し、意外に慌てる風もなく立ち止まり、その後消えていった。しかし写真に収める時間はなかった。下りはユックリ花を愛で、写真を撮りながらのノンビリペースの結果、登りと同程度の時間を要した(6:13)。
 残留組の4名で既にテントは撤収され、登頂した我々を待っていた。最終パッキングを終えて、名残りを惜しみつつ6:48にサイトを出発した。朝日を正面から受けて下山する一行の背中には、絶好の天気の下で計画通りトムラウシに登れた満足感が溢れていた。
2ピッチで歩き難い岩場を抜けてトムラウシ公園で休憩し、周囲のお花畑の写真を撮る(1730m、7:33〜45)。ボルダリングに好適な大きな岩がゴロゴロしており、山田氏は何度かトライしていた。
 その後は小ピークを登り返して一息入れる(1781m、8:05〜13)。この前後から次第に下から登って来る人数が増える(ツアー等含めて60〜70人)。次は前トム平で休むが、静内のメンバーの知人に声を掛けられる場面が増えてくる。流石に好天の3連休の中日の為か累計で200人を超す登山者がトムラウシを目指して行った。ハイマツ等の間を抜けてコマドリ沢に出て3回延べ400mに及ぶ雪渓上を下り、出合いに出て休憩する(1412m、9:38〜48)。
 その後暫らく沢に沿って右岸を下り、ササの間の急登にかかるが、前日のぬかるみ状態も少し乾いて改善されており、喘ぎ喘ぎ登って前トム平が望める昨日のお花畑に着く(1455m、10:25〜40)。しかし、前トム平方面はガスが捲き始め、稜線は雲に隠れる。ここでもカメラはフル稼働状態で、近接撮影、遠景で多くの種類の花を収めるなど、大忙しであった。ここから暫らくで昨日苦労したササ原の田んぼ道に出る、水も引き乾きつつあるが、相変わらず滑りやすく、苦労しながら進む。この頃から空はかなり曇ってくる。11:54〜12:10にカムイ天上で休憩(1275m)するが、この前後で背負子で材木を担ぎ上げ、登山道補修の為に当たる地元の新得山岳会のボランティアグループに出会う。「ご苦労様」と感謝の声を掛けながら下る。
90周年事業で芦安・夜叉神峠周回路整備に当って来た本間、小島等のメンバーは他人事ならずの心境であったろう。温泉・短縮コース分岐の手前で最後の休憩を取る(1130m、12:40〜55)。その後は13:10に分岐を通過し、部分的に急傾斜を下って13:30に登山口駐車場に到着する。流石に駐車場は満杯状態。
本間と蛭川は担ぎ下ろした携帯トイレ(排泄物)をトイレ棟前の回収箱に入れていた。
 山田車に続いて14:05東大雪荘に到着する。入館前に先ずは外の洗い場で靴、スパッツ等の泥落としに励む。未だ部屋の準備が整わないとのことで、ロビーで自販機からビールを調達してのどを潤し、直ぐ温泉に直行する。屋内、露天風呂共比較的規模が大きく、特に露天は直ぐ下にユウトムラウシ川、対岸に緑豊かな森を望み、紅葉シーズンにはさぞやと思わせる素晴らしいロケーションであった。
 温泉から戻り、部屋に荷物を運び込んで夕食まで待機する。夕食は食堂でのビールで祝杯を挙げでスタートし、その後は持ち込んだ小野さん差し入れの日本酒(東北の酒)で、交々トムラウシの反省を行なう。料理は余り印象に残っていないが、ヤマメ、シカ肉などを食した筈である。部屋に戻って2次会を始めたが、メンバー草臥れていたこともあり盛り上がりに欠け、岡田が一人デジカメの写真を佐薙さん持参の北海道の高山植物図鑑と照合しながら花の名確定作業に没頭していた。22時頃には就寝体制に入る。

●7月16日(月、祝日)曇り時々晴
 6時頃には起床し、7時半過ぎに朝食を済ませる。ここで、山田、谷川、藤田三氏とはお別れで、2日間のお世話のお礼、挨拶をして2台の車の出発を見送る。
 我々はユックリして10時頃に宿を後にする。この日も岡田がドライバーを買って出たのでお任せする。途中然別湖に立寄り、ソバで昼食をとる。ここでフロントに確認して、層雲峡まで直行しても給油所がないことが判明し、已む無く途中まで道を戻って、士幌町で給油後に糠平温泉郷経由で三国峠に向う。途中でニペソツ山行時にお馴染みのシナノキの森の間の道路を通る。延々とルピナスの花に挟まれた直線道路が続く北海道らしい風景の中で、途中ロードサイドのパーキングに止めてシナノキの確認をする。葉っぱをサンプルに佐薙教室が開講される。その後は三国峠に向って高度を上げ、展望台でお馴染みの峠のソフトクリーム(@300円)を舐めつつ、稍々霞むニペソツ方面の山々の同定を試みる(14:45〜15:05)。三国トンネルで峠を越えて大雪湖、石狩川に沿って下る。トンネルを抜けて1時間余で層雲峡に着き、先ずは翌日の昼食等をコンビニで調達し、ロープウエー駅近くのホテル・ノーザンロッジにチェックインする。その後は入浴、夕食、二次会と続くが、前日の疲労が残っていた所為か早々に就寝体制に入る。

●7月17日(火) 曇り時々晴
 6時始発のロープウエーで早く黒岳に登る為に、朝食も弁当にして貰い、5:30に宿を出る。改札で先頭に並び出発を待つ。ロープウエー、リフトを乗り継ぎ、リフトからは足下にヨツバシオガマを始め人手で植えられた高山植物が退屈さを紛らわせてくれる。6:28には7合目(1470m)に到着し、直ちに黒岳目指して登山道に入り、その後7:15に8合目を通過し、朝食弁当を取るなどしながら登り始めてから3ピッチでガスの中の黒岳頂上に着く(1823m、8:15〜22)。
 登る途中では見事なウコンウツギ、ミヤマキンポウゲ、チシマノキンバイソウ、トカチフウロ等の花々の群落が目を楽しませてくれる。岡田は写真撮影に余念がない。黒岳頂上では景色も全く見えず、寒いので記念撮影だけで早々に石室に向う。
緩やかな砂礫の道を辿る間にも、風衝地特有のイワウメ、イワヒゲ、エゾツツジ、コマクサ等の植物が両脇に張り付いている。20分ほどで石室に着き、小屋前のベンチでトイレ休憩をとる。ここからは若干のアップダウンはあるが雲の平と称される総じてなだらかな溶岩台地の上の登山道を進む。
 ハイマツや高山植物の間を抜ける相変わらずの砂礫の道である。ガスが捲き、残念ながらカムイミンタラ(アイヌ語で「神々の遊ぶ庭」)と謂われる雄大な風景を見渡すことは出来なかったが、足元の花々に元気付けられ、時にはホシガラスの出迎えも受けてお鉢平展望台に出る(2020m、9:45〜52)。この頃にはガスも消えて、南側の北海、間宮岳との間の中央火口(お鉢)が噴煙を上げるのが良く眺められる。その後は北鎮岳分岐に向けて急な登りとなり、雪渓を越えて10:26に分岐を通過しザックのデポはキタキツネ等の野生動物に荒らされる危険もあるとの事なので、担いだまま北鎮岳に向う。最後の急登をこなして20分で道内第二の高峰の頂上に着く(2244m、10:45〜11:00)。それまで他のパーティーには会わなかったが、ここで何人かの単独行者とすれ違う。頂上ではトムラウシ方面は確認できなかったが、ガスの切れ切れの中に大雪山の山並みが姿を見せていた。10分ほどで分岐に戻って愈々最高峰旭岳に向う。途中奇妙な形に造形された火山岩や相変わらずの砂礫地に咲くコマクサ、タカネスミレなどに惹かれつつ、11:24に中岳(2113m)を通過し、中岳分岐で昼食とする(2050m、11:38〜12:05)。中岳温泉方面からのパーティーも登って来る。食後は間宮岳に向けての登りとなり、だだっ広いピークが北海岳方面との間宮分岐となっている(2185m、12:33)。ここを通過すると緩い下り、登りが現われ、縦走路の左手に若い外人の男女パーティーが歌を歌いながら賑やかに楽しんでいる。右手には大きな雪渓を抱える険しい岩場の熊ケ岳が聳える。滑り易いザラザラの斜面を慎重に下り、最後の旭岳への登りにかかる前に一息入れる(2100m、13:10〜20)。雪渓とこれに続く急斜面を登りきって最後のピーク、旭岳に着くが、ガスが一層濃くなって展望は全く利かなくなった(2291m、13:48〜14:05)。下りも基本的にガスの中を足元を確かめながら下っていく。8合目、7合目を略25分ピッチで通過し、6合目手前で一息入れる(1850m、14:53〜14:05)。
 この間次第に麓の方のガスは薄れ、右手の地獄谷、ロープウエー駅などが視界に入ってくる。その後25分で姿見池展望台に着き、旭岳を望むが、頂上は一部ガスがかかっており、スッキリとは見えない。展望台には関西弁の観光客が賑やかに集っていた。ロープウエー駅への途中で、ガイドに案内された裏旭キャンプ指定地に向うと思われる5−6人の女性パーティーが頂上に向って行った。15:45に駅に着き、16:00発に乗車できた(1600m)。下って16:30過ぎには下部駅近くのホテルベアモンテに5分程歩いてチェックインした。
 ベアモンテはホテルであることに拘り、レストランでのホテルの浴衣着用は不可、シャツ、ズボン着用をと指示され、温泉入浴後に寛いだ身には稍々窮屈であった。
夕食はバイキングスタイルであったが、食事を持ち込む席は個室にセットされていた。全員揃っての最後の晩餐であった為、トムラウシ登頂、層雲峡‐旭岳縦走の全計画が一人の故障者、脱落者なく完遂できたことを肴に盛り上ったが、翌日のアポイグループの早立ちが予定され、またこれまでの疲労もあったことから早目に切り上げた。

●7月18日(水) 曇りのち晴
 ユックリ食堂に向うと、アポイ組(佐薙、蛭川、本間、岡田)は既に食べ終えて、出発準備を行ない早々に車で出発していった。
 この日帰京する竹中、小島、佐藤は空港行きバスの時間が11時過ぎなので、チェックアウト後、向いのビジターセンターを訪れて旭岳を中心とする大雪山系の地学、動植物などの自然について勉強した。その後バス停のあるロープウエー下部駅のみやげ物店をぶらついていると、タクシー運転手からバス料金(@1000円)並みで空港に行くとの売込みがありこれに乗る。タクシーは山の上から見えた忠別湖の横を通り、ソバ畑の間を縫って予定よりもかなり早く旭川空港に到着した。着後、13:25の羽田行き便が予定通りなのを確認して食堂でソバを食べる。ADO機は略定刻に夏雲の間を上昇して羽田に到着し、3人は解散して帰宅した。東京は夏真っ盛りであり、涼しさに慣れた身体には暫く堪えた。   (以上)
 蛭川企画、事務局長による計画は無事に完遂され、参加者は充分満足出来たものと思われた。綿密な計画を策定し、現地での諸手配を担って頂いた同氏には心から感謝したい。また、現地で足となるレンタカーを独りで運転頂いた岡田さんにもご苦労様と感謝の言葉を伝えたい。
(参考)
今回の遠征費用の概要は以下の通り。
 
 ・羽田‐新千歳/旭川‐羽田(ADO)      30.5 千円
 ・現地宿泊・食料費等              42.0
 ・レンタカー(層雲峡‐旭岳温泉回送費共)  10.6     
   合 計                      83.1 千円

 やはり海を越えて山登りをしようとすると少なくない出費を覚悟せざるを得ない。
今回はレンタカー定員一杯で移動したのでかなり足代は軽減出来たものと思われる。
年金生活者には辛い所であるが、それなりの満足感は得られたので文句はない。

7月14日 14:55
テント場からのトムラウシ  
7月14日 18:05
十勝連峰夕景
7月15日 5:30
トムラウシから旭岳、北鎮岳を望む
 7月15日 6:46
南沼テントサイトにて
(後列左から岡田、本間、静内山岳会3氏)
(前列左から蛭川、佐薙、佐藤、小島、竹中)
7月17日 8:21
黒岳頂上にて
 (後列左から小島、蛭川、佐薙、本間、竹中)
 (前列左から岡田、佐藤) 
7月17日 13:52
旭岳頂上にて
(後列左から佐藤、小島、佐薙、岡田)
 (前列左から本間、蛭川、竹中) 


会   報
***

■2012年5月26日 針葉樹会・春季懇親山行 三ッ頭山報告 金子 晴彦(昭和46年卒)
     *********** 2012年6月11日投稿(PDF版)
 【行程】
 小淵沢(8;54〜9:05) 〜 天女山駐車場 (9:30〜45) 〜
 天の河原(10:00〜10) 〜 前三ッ頭(12:45〜13:30) 〜
 三ッ頭頂上(12:45〜15:00) 〜 三ッ頭登山口(17:35)〜
 アダージョ(18:30)
 【メンバー】( )内は卒業年:昭和
   仲田(36)、三井(37)、宮本(37)、本間(40)、佐籐(力)(40)、
   齋藤(42)、中村(雅)(43)、金子(46:山行幹事)
   画像をクリックしてください
            1頁 表紙


●2〜27頁   山行幹事の金子さんの写真+文章紀行が掲載されています。
●28〜31頁  参加者全員の感想が掲載されています。



13頁 三ッ頭頂上から(14:25)



17頁 三ッ頭頂上にて(14:30)


会   報
***


■2012年4月18日 多摩支部・小河内峠越えとノラボウ菜摘み 
                ―多摩川から奥多摩主脈越え秋川へ―  竹中 彰(昭和39年卒)

             *********** 2012年4月24日投稿
日本山岳会東京多摩支部の集会委員会・自然保護委員会共催山行に参加し、奥多摩湖から大ブナ尾根、惣岳山経由小河内峠越え陣馬尾根を下って藤原に抜けるコースを辿った。大ブナ尾根上部では少し花の時期には早かったがカタクリやバイケイソウの群落、陣馬尾根の下方では足元に各種のスミレ、満開の白梅とミツバツツジなどの競演や古民家を眺め遅目の春を満喫した。また、ワラビやノラボウ菜の収穫など実益もある山行であった。
日  時:4月18日(水) 晴れ
メンバー:本多、石井、西谷夫妻、岡(集会委)、西村(総務)、飯島、茂出木(高尾
     森)、大船(集会)、竹中、河野(自然)、加藤(入会予定)、平井、廣田(集
     会)、芦川、岡田(集会) 計16名  (2万5千図:奥多摩湖、猪丸)
奥多摩駅8:40集合に合わせて、成瀬発6:39の横浜線に乗車し、八王子、拝島、青梅と3回乗換えてギリギリで駅に到着。何時もながら丹沢と異なり奥多摩方面に来るには地の利の不利は否めない。集合場所のバス停に着くが、8:42発「鴨沢西行き」は平日にも拘らず大勢のハイキング客が列を作っていた。グループメンバーの中には電車を降りるや否やダッシュして席を確保している者も。平日なので増便はなく、満員状態で発車する。20分ほど揺られて奥多摩湖に到着し、参加者確認の点呼を取り、簡単に挨拶して出発する(533m、9:00~15)。ここで大船さんが電車接続の都合で遅れていることが判明し、電話連絡を取って、我々は予定のコースを先行し、大船さんは後から短縮ルートで小河内峠に直行して峠で落合うこととした。
ルートは一昨年の御前山定例山行と同じ湖畔からサス沢山経由大ブナ尾根を辿って惣岳山に至るもの。小河地ダムを右岸に渡って取り付きから急登が始まり、むき出しの木の根などで歩き難い。最初は737mでピッチを切り(9:53~58)、2ピッチ目でサス沢山に着き、奥多摩湖や対岸の鷹巣、七ツ石などの山並みが綺麗に望める、但し先日の雲取山は霞んでハッキリしなかった(949m、10:28~33)。
その後も緩急の尾根筋の登りが続くが、足元や道の両脇にはカタクリの葉が現われ、時々は薄紫の可憐な花を付けている株に慰められて進む。更に進むとトリカブト、ハシリドコロ、バイケイソウ等が姿を見せるが、何れも花はまだまだ先である。これ等の植物名については、日山協、都岳連等の組織でも自然保護委員等を務める広田さんが詳しく教えてくれる。
空腹を覚える頃に5本位丸太のベンチがある惣岳山頂上に着き、昼食休憩とする(1357m、11:47~12:20)。ジッと座っているとかなり風を冷たく感じ、思わず上着を重ねる。何時の間にか空には雲が広がっていた。休憩中に小河内峠から御前山方面に数組のパーティーが通り過ぎて行った。昼食後小河内峠に向うが、北側に低い柵が設置されている不安定な急坂を下っていく。途中痩せ尾根を辿る所では、3年前のハセツネカップ24時間レースで峠方面からのランナーが急に曲っている1200m地点で転落した急な谷を覗き込み、南側に付けられた捲き道を安全に辿る。ただ、急な下り等で足が攣るメンバーも出てペースダウンを余儀なくされ、峠で休憩(1049m、13:15~23)し、大船さんを待つが一向に現われない。電話連絡をすると、朝の連絡時とは別のルートを進んでいる様子で、下山後に会えればとのことで、結局別行動をとることになった。
峠からは南斜面をトラバース気味に、杉の植林帯と広葉樹自然林の間を進み、陣馬尾根にのって進む。一部崩落箇所もあって慎重なトラバースを強いられるが、落ち葉ラッセルもあり、快適に下っていく。途中に中ノ平遺跡を通過し(936m、14:00)、碑が刻まれた石は丹那トンネル近くで採れた本小松石(安山岩)とのこと。猿江峠を14:23に過ぎ、急な下りに入る。10分くらい進むと杉林の下に1軒の民家が現われる。その少し先には大きな杉の樹の根元の辺りに軟らかい、ホンノリ甘みも感ずる清水が湧き出ていた(大杉の井戸)(797m、14:33~42)。そこからは部分的にコンクリート舗装の生活道路になり、国重要文化財・旧小林住宅に着く。ここは現在檜原村で修復の為の解体修理中であったが、敷地内の斜面にはミツバツツジ群落がピンクの花を全開状態であった。ここまではモノレールの線路が敷かれており、工事用資材のみならず、人間も乗せる様であったが、途中で急斜面の様子を見ると特に下りには敬遠したい乗り物であった。暫らくツツジの群落の間で休憩し、斜面に生えているワラビ採りに時間を過ごす(14:50~15:18)。更に下って旧藤倉小学校、春日神社を通過するが、途中の道の法面には色々の種類のスミレが咲いていた(エイザンスミレ、ナガバノスミレ、ヒコスミレ、ヤブケマンなど)。
藤倉バス停には15:55に到着し、大船さんと携帯で連絡を取ると、湯久保尾根を下山中の様子で、途中のバス停で合流の可能性ありとのことであった。
16:12発五日市行きの始発バスに乗車し、途中で大船さんも乗り込み全員が揃った。戸倉近くのバス停で下車して愈々本日のイベントの一つ本多さんの畑でノラボウ菜(アブラナ科の青菜)を収穫をする。本多さんの摘み取り方指導で全員2枚の農協の出荷用の袋に押し込む。その後は少し高台にある光巌寺の境内の花々や満開のヤマザクラの巨木(東京のサクラの三大巨木の一つとのこと)を見学する。おりしも暮れ六つの鐘が鳴り出したので鐘楼に向かい、住職と暫らく話す。大分暮れて来たので、16名がぞろぞろと本多邸近くを抜けて沢戸橋を渡り、子生(こやす)神社にあるノラボウ菜の碑(*)を確認してバス停に出る。
駅近くで反省会場所を探すが、本多さん行きつけの場所は何れも定休日だった為、飛び込みで開いている呑み屋で1時間程度懇談して解散。
帰路は五日市駅から拝島、八王子乗換えを辿ったが、拝島で30分間所在無く待たされたのは、何時ものこととは言え八高線の早期ダイヤ改正が望まれる。
*五日市地区(旧五日市町)に約250年前から伝わるアブラナ科の青菜。 埼玉県比企地方などでも栽培されるが、甘みが強いのが五日市産の特徴。 収穫は5月上旬まで。「天明・天保の飢饉から村人を救った」と記した石碑が子生神社に残る。
                                       (平成24年4月23日記)


会   報
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■2012年4月14〜15日 第一回三支部合同雲取山集中登山  竹中 彰(昭和39年卒)

     *********** 2012年4月24日投稿
第一回日本山岳会・三支部合同雲取山集中登山が埼玉支部主管で開催され、東京多摩支部、山梨支部所属の会員が多数参加して交流、懇親の実を挙げた。
この合同登山の企画は昨年から持ち上がり、昨年中は台風襲来等もあって2回延期となり今回は三度目の正直で、雨天決行を前提に計画策定、遂行された。
初日の入山日は雨と雪で頂上から山荘までの北斜面は氷化した上に新雪がのり、軽アイゼンを装着して慎重に下った。翌日は打って変わった快晴の朝を迎え、新雪の景色を楽しみつつ頂上に登り返して奥多摩、富士山はもとより、北岳以下の白峰三山、奥秩父、小金沢連嶺、道志、丹沢の山々のパノラマを飽かず眺めて三支部交流を行ない夫々下山した。
日 時:平成24年4月14日(土)−15日(日)  
参加者:竹中,酒井,小川,山本,富澤,高橋,神崎,宮崎,西谷夫妻,澤登,副島,小清水,
    長瀬,小山,小松原,田中,飯島  計18名  (2万5千図:丹波、雲取山)
●初日(4月14日) 曇りのち雨、雪
集合場所はいつもの八王子駅南口、みずほ銀行前。7時集合に間に合せるべく成瀬発6:14で向う。八王子駅前のローソン?で昼食用のオニギリを調達していると高橋さんが日本酒900mlを買い求めている所であった。
マイクロバスの傍には城所さんが見送りに来ていた。定刻少し過ぎにキャンセル2名を除く全員が揃って出発する。略2時間の乗車であきる野、青梅を経由して青梅街道を進み、鴨沢から更に小袖集落まで乗り入れる(860m、8:58~9:15)。少し雨が落ちてきているので雨具等身支度を整え、記念撮影後スタートしてすぐ登山道に入り、急なツヅレ折を上がる。程なく左手から来る鴨沢からの登山道に合流して杉の植林帯を進む。約1時間、堂所手前でピッチを切る(1220m、10:16~24)。次の2ピッチ(1478m、11:14~20)、(1772m、12:47~13:15)でブナ坂、石尾根を進み、ヘリポート手前で昼食休憩。この頃から天気はハッキリ雪に変わってくる。これまでにパーティーの足並が乱れて来ていたので、出発時に先行と後発に2分することとした。先行組に入って13:40に奥多摩小屋横を通過し、捲き道を右に見てヨモギノ頭を直登する。雪が次第に本格的になってくる中、ジグザグの道で高度を上げ、小雲取山の先、右からの捲き道分岐でピッチを切る(1920m、13:55~14:00)。更に進んで、15:00の埼玉支部等との邂逅時間近くになったのでコールを掛けるが、応答なく、立派な避難小屋に出て一息入れる(2131m、14:45~52)。小屋には先客が既にシュラフを広げて寛いでいた。小屋の少し下には独立したトイレ棟があった。ここで、必要ならアイゼン装着をと指示があったが、従う者少数。小屋を出て数分で雲取山頂上(2017.09m)に着き、雪の中で一等三角点、看板等を確認して他支部や後発パーティーが現われないのを確認して雲取山荘目指して下山に移る。
北斜面を下り始めると、道は氷結した上に新雪がのって極めて滑り易い状態になっていた。全員アイゼン装着が指示され、不安定な斜面で軽アイゼンを着ける。既に避難小屋でアイゼンを着けていた西谷さん(TUSAC・OB)は先見の明があったと言う様な顔付きであった。後発隊で追い着いてきた神崎、酒井さんはアイゼンを持たないので、登山道を外して新雪の中に踏み込んで下って行った。段差のある道を慎重に下ること30分余で漸く雲取山荘に到着した(15:47)。
入室に先立って、入口横の乾燥室棟に雨具、スパッツなどの濡れた物を吊るす。山荘では2階の401号室が割り当てられ、取り敢えず先着の全員が集合する。部屋はストーブで暖められ、コタツもあって快適な環境であった。後発隊が到着し、山行リーダー兼大蔵大臣の長瀬さんが早速ビールを調達し乾杯する。暫らくすると山梨支部隊7名が着き、割り当ての隣室に入り早速小宴会を始めた模様。その後山荘スタッフが、新井(新太郎)さんからの差し入れとのことでビール2ケース、日本酒2本、雲海1本を運び込み、おでんの大鍋も届く。埼玉用には別の鍋があるとのことで、結局全員揃っても飲み切れず、食べ切れないほどの量であった。心配した埼玉支部の到着は17時過ぎとなったが、全員無事到着した。北からの縦走路は雪も多く、アップダウンも激しくかなり消耗した様子であった。18時から1階食堂で夕食となり、メニューは固めのハンバーグ、マッシュトポテト、山菜煮物等であった。30分程度で済ませて先程の部屋に三支部全員集合して改めて懇親会をスタートする。幹事の埼玉・大久保春美支部長(石橋支部長が脳梗塞で倒れた為急遽登板、山岳会支部初の女性支部長)の開会挨拶に続いて、小生が東京支部を代表して感謝の言葉を述べ、山梨支部の古屋事務局長が挨拶した。その後は各支部持参分、差し入れ分と有り余るアルコールを消化しつつ、全員が順番に自己紹介を行った。総勢45名の大所帯なのと、人によってはタップリ喋る人もあり、また神崎さんの山岳界の状況説明、山岳会員の果たすべき責任等の話しもあり時間はドンドン過ぎ、アット言う間に消灯時間の21時が近づく。終了間際に立ち話ではあるが、山梨の古屋さんに針葉樹会の芦安の登山道整備事業について、地元支部であるのでお耳の入れておく説明した。古屋さんは塩沢さんから聞いているとのことであった。
懇親会の後片付け、布団を敷く等している内に時間となり、部屋の電気はバシッと消える。大きな部屋であったが、2つのコタツを囲んで7人程度とユックリした状況であった。外は雪が降り止まず静かに更けて行った。(総歩数12.9k?)
●第2日(4月15日)晴れのち曇り
朝食5時なので、出発は7時とユックリだが4時過ぎには起床してスタンバイする。窓から外を見ると木々の枝には雪が乗っている。
山荘では従業員が9時からのヘリコプターによる物資搬入に備えて準備に大童であった。このヘリで主人の新井さんが上がって来るとも言っていた。
朝食後は荷物のパッキング、アイゼン装着、山荘前の新雪で装った周囲の様子、雲海の広がり等を写真撮影して出発に備える。
山荘をバックに三支部全員、支部毎に記念撮影し、山梨支部からスタートする。
頂上から山荘に戻る埼玉支部員は空身で登る後を我々が続く(1850m、7:00発)150m余の標高差を登り返す。
雲取山頂上(7:32~55)に上がると、富士山、丹沢、道志、南アルプス、大菩薩連嶺、奥秩父等々が青空の下に浮かび、足元の新雪の白さが眩しい。ひとしきり三支部の交流会、記念撮影を行い三支部夫々のルートで下山する。
埼玉に別れを告げて山梨が先行し、多摩支部は避難小屋で少憩(7:57~8:05)の後に本格的に下山開始する。20分ほど下った所で積雪も薄くなったのでアイゼンを外し、ツボ足で歩く。ヨモギノ頭捲き道分岐まで一気に下って一息入れる(1846m、8:50~9:00)。その後は往路と異なり捲き道を辿って奥多摩小屋下のへリポートで休憩し、眼前に広がる小金沢連嶺のかなたに鎮座する富士山を眺めながら軽く腹を満たす(1796m、9:12~30)。次のピッチは七ツ石山手前の捲き道分岐で切り、衣類調整を行う。ここで本隊と分かれ、神崎、宮崎、小川、小松原さんが七ツ石山経由で進むのに同行して往路で捲いたピークを目指す。
この登りでは7名位のパーティーとすれ違う。小川さんの呼吸法講釈(肺に空気を吸込む時には肺の圧力が低下して酸素の取り入れはなされず、排気の時に肺の圧力が高まって酸素の血液への取込みが行われる)等を聞きながら進む。15分程度で頂上に着き三角点にタッチして少憩後(10:18~25)、名前の謂れと思える幾つかの (ボルダリングに適したような) 岩の下を通って七ツ石小屋の前を通過して捲き道分岐で休んでいた本隊と合流する(10:53~11:00)。その後は11:20頃に堂所を通過し、1150m地点の稍々広くなった所で休憩する(バス停まで1h05mの看板あり、11:44~50)。更に下り、往路の小袖からの合流点(約820m)を12:40頃に通過し、林道の駐車場に着き軽い昼食とする(11:45~55)。そこには山梨支部一行の車があり、最後の挨拶をして出発して行った。
我々は更に30分程度急な下り坂を進み、鴨沢バス停に到着した(13:27)。
休日なのでバスの本数が少なく、次のバスは14:30と1時間以上の余裕があり、バス停に設置された泥落しホース(時刻表には泥を落とす様にとのお願いが書かれていた)等で靴を洗ったりして時間を潰した。この周辺には店もなく乾杯ビールもお預けとなった。定刻に増発のバスに乗車し奥多摩駅には15:10過ぎに到着した。恒例の反省会については、下山した時間が早く、メンバー夫々バラバラの帰宅経路であったため参加せず、奥多摩駅から拝島経由で八高線、横浜線と乗り継ぎ帰宅した。    (総歩数22.3k)
●今回の雲取山は学生時代から略50年振りであったが、当時の記憶は全くなく殆んど始めての山の感じであった。山そのものはクサリ場がある訳でもなく単純に歩けば着くといったところで、今回は小袖までマイクロバスで入れたので行程1時間程度短縮出来た筈だが、途中で故障者もありパーティーを二分するなどで、逆に休憩を含む歩行時間は昭文社地図による鴨沢からの標準時間5h40mを上回る6h30mかかっている。初日の降雪が行程にアクセントを付け、二日目の青空の下の雪景色を演出してくれたのが幸いであった。
                             (平成24年4月19日記)
  

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4月14日 14:13
雪の中、小雲取山への登り
4月15日 7:45
雲取山頂上、竹中(左)
4月15日 7:46
雲取山からの下り、
正面遥かに丹沢を望む
4月15日 7:59
雲取山避難小屋前から
富士山


会   報
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■2012年4月9日 甲州・小楢山登山(藤原組山行)  竹中 彰(昭和39年卒)

   *********** 2012年4月24日投稿

 予て藤原さんが毎月未踏の山々を(基本的には最寄駅から駅まで歩いて)巡りたいとの考えに、本間さんが企画担当者として各地の山行計画を策定して有志メンバーに流しているが、その4月の計画として、塩山からの小楢山登山を計画したのに応募して参加した。 

日  時:平成24年4月9日(月) 晴れ
メンバー:佐薙、仲田、竹中、本間、中村(雅)、藤原 計6名(2万5千図川浦)

 成瀬発7:25で八王子に向うものの、折悪しく通勤ラッシュ時間に当り久し振りに超満員の車内で立ち通しで八王子に着き、甲府行きに乗り換えるが、他のメンバーの姿は見当たらないので1人で座って行く。途中の駅で特急待ちの間に本間さんが喫煙の為に降りてきて、前方車両に他のメンバーが居るとのことなので移動する。9:38に塩山に着き、直ちに駅前からタクシー2台に分乗して登山口に向う。15分程で現在は営業休止中の市営施設「オーチャードビレッジ・フフ」先の鉄柵のゲートで降車する(850m、3050円)。10:05にパッキングを確認してスタートする。途中で座頭塚、大山祗神社、布袋石、開山碑、作業小屋等を確認しつつ幅があり、所々舗装された林道を進むこと1ピッチ1時間で父恋し路・母恋し路分岐に至る(1240m、11:05〜15)。ここで左手の急傾斜の父恋し路に分け入る。暫らく進むと達磨岩を示す立派な道標があり、本間さんの計画書にも達磨石経由の記載があったので、標識に従って進んだが、途中で道が悪くなり引き返して正規の登山道に戻る。(何故本間さんの計画書に達磨石の記載があったかについては不詳。) 

 道はかなり傾斜を増し、石仏、地蔵などが設置されている急登を汗をかき、喘ぎながら進み、姫百合地蔵、白雲の滝を抜けた斜面でピッチを刻む(1485m、11:58〜12:10)。その後も屏風岩、蛙岩などの間を抜けて進むが、足元の岩の間などには消え残った雪や氷も現われる。地図にある石門と思しき辺りで尾根に出て昼食とする(1662m、12:42〜13:15)。視界が開け富士山などの遠景は霞んでいるが、要害山の稜線等は比較的ハッキリと確認できる。ただ、余り起伏が大きくなく最近そこを辿った藤原、中村さん達も個別の山名同定は難しかった様だ。

 昼食後は尾根を進むが、鎖の設置されている幕岩は下を捲き、大沢山、小楢峠を経由して14時少し前に広場のある小楢山頂上に着く(1712.5m、13:45〜14:05)。頂上からは北方向、五丈石の頂上近くに雪をのせた金峰山が望まれる。頂上には幾つかの看板があり、「山梨百名山、霊山古那羅山」や「その昔、夢想国師の修業の地と言われておりました。この山の頂は東西二峰に分れ、東峰はゴン鉢を伏せたような形から権鉢山の名があり、西峰は奇岩怪石が塁々とし、滝もあり深山高山の気分を満喫するに充分である。この山は水楢、小楢が多く、俗字をもって小楢山と当てはめたが夢想国師がこの山に命名したのは古那羅山である。東峰、西峰共展望は素晴らしい。…とあった。

 記念撮影後、14:15に小楢峠を通過して母恋い路をひたすら下るが、父恋し路と違ってなだらかなジグザグの道であった。1371mでピッチを刻み(14:55〜15:03)、15:17に林道に出て5分で朝の父と母の分岐を過ぎ、往路では意識しなかったが下るとなると意外に急な道をゲートまで戻る(16:01)。
下る途中で本間さんが電話でタクシーに予約の電話を入れ、ゲートに着いた時には既に2台の車が待機しており、そのまま塩山駅に戻る。
駅前で反省会の場所を探すが、一方は満員、他方は客なしの2軒があり、満員の方のドアを開けると、オバサン5人組が席を立ち譲ってくれる。聞くと要害山の帰りとのことで、我々に質問があり、小楢山往復6時間との情報を伝える。
生ビール、日本酒、馬刺しなどで暫し歓談の後、上り電車で八王子経由佐薙、本間さんと横浜線に乗り換え帰宅する。

 この方面の山は、2006年4月に太刀岡山、2008年5月に避難小屋を利用して乾徳山、何れも昼から会メンバーと登って以来のことだが、明るい雰囲気の山との印象が強い。今回も季節的には花には早く、木々も葉を落としていたので稍々単調な感じは否めないが、天気に恵まれ気の合った仲間との楽しい山行であった(反省会も含めて)。
                             (平成24年4月19日記)
 


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4月9日 10:49
開山碑由来
4月9日 13:11
石門(昼食場)から要害山方面
4月9日 14:15
小楢山 山頂にて
左から中村、佐薙、藤原、
仲田、本間、竹中

会   報
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■2012年3月4日 針葉樹会春の懇親山行 甲州高尾山・棚横手山 仲田 修(昭和36年卒)

     ****** 2012年3月28日HUHACメールより転載

2012年最初の懇親山行は 3月4日(日)総勢11名で甲州高尾山に登った。
懇親山行幹事がこの山を選んだ理由は 富士山、道志御坂山塊、南アルプス、八ヶ岳、奥秩父と息を呑むような眺望が得られるので 山座同定を楽しもうという配慮からだった。
しかし 当日は雨こそ降らなかったものの 今にも降り出しそうなあいにくの天気だったため 幹事一同のせっかくのお膳立ても ふいになってしまった。
 遠藤、三井、小島、本間、佐藤(久)、中村(雅)、金子、仲田の針葉樹会員8人と現役山岳部員の小宮山君を合わせた9人は7時26分高尾始発小淵沢行きの電車に乗り込み 8時40分に勝沼ぶどう郷駅に到着。佐薙先輩はすでに早い電車で到着して我々を待っていた。次の電車で来る現役山岳部員の町田君の到着を待つ時間を利用して 今日の会費4千円の徴収が行われた。到着後直ちに3台のタクシーに分乗する。歩けば1時間50分かかる大滝不動尊までの距離をわずか20分足らずで一気に登り切ってしまう。ほとんどの人が積雪による悪路を予測してスパッツをつけていた。出発前に一列に整列して 久々に参加した金子さんのカメラにおさまった。今回しんがりをつとめた金子さんは終日写真を撮りまくっていた。その中から49点にのぼる臨場感あふれる写真を選び それに味わいのある文章をつけて アルバム仕立てにしてくれた。
 9時45分いつもの通り本間さんをトップにして登山開始。まず仁王門をくぐると急な石段が待ち構えている。これを登り切ったところが大滝不動尊奥宮である。山奥に鎮座している割には派手な色使いの建物である。今日の無事を祈って手を合わせる。本堂の脇から登山道に入る。本堂の裏手にある大滝は完全に凍結していた。山の寒さの厳しさを思い知らされる。小気味のいいテンポを刻んで本間さんは隊列を引っぱっていく。”箒で掃いたような”と金子さんが描写する、うっすらと雪が積もった山道を20分ほど黙々と登ると突然林道に飛び出る。右に行けば展望台との標識があったが 眺望は得られないということで林道を左へ向かう。10分ほど歩くと右手に富士見台への登山道の標識が出てくる。登山道に入る。薄暗い樹林帯の中を長い隊列が整然と行く。その様は”まるでラマ僧の行列の様でおのずと祈りがわきあがる”と金子さんは 描写している。黙々と登ることさらに20分で稜線に出る。
ここが富士見台だ。雲が重く垂れ下がっている。ところどころ霧も出ている。晴れていれば目の前に広がるであろう山々の眺望がまったく得られないことを悔やむばかりだ。ここで今日最初の休憩を取る。歩き始めてから50分だ。尾根道を左つまり北に取る。急登をすること30分で棚横手山山頂に着く。標高は1306メートル。今回の山行の最高地点だ。やはり眺望が効かないので 一息入れただけで富士見台まで引き返し そのまま南に直進する。この辺りは4回も山火事があったとのことで 斜面には木が一本も生えていない。軽いアップダウンのある枯れ草の尾根道を40分ほど快調に歩くと標識に出会う。ここが甲州高尾山だ。まったく山頂らしくないところだ。標高も1091メートルと棚横手山より低い。
 ここで昼食を取る。佐薙先輩は早速ガスコンロを取りだし現役部員にコンロの組み立て方、使い方を伝授。本間さんが手塩をかけて仕込んでくれたトン汁を暖め、器と箸付きで全員に振る舞う。手伝いもせずただ食べるだけの人もいる。気温零度の寒さの中だけに これ以上のご馳走はない。”旨い!”と どこからともなく声が上がる。本間さんの心こもったもてなしに いつもより深く感謝!その上佐藤さんの入れてくれた熱々のコーヒーまで付くのだからだから まさに至れり尽くせりのもてなしだ。再び金子さんに集合写真を撮ってもらって出発だ。
これから先は1時間40分の急な下りが待っている。疲れてきたせいか 列が3つぐらいのグループにばらけかける。急な下りが足にこたえる。本間さんは時々止まっては隊列の乱れ具合を確かめながら下る。中央線のトンネルの上を横切る。1時間ほど下ると 送電線の鉄塔のあるところに着く。ここが柏尾山だ。ここで一息入れる。あと40分の最後の下りが待っている。
 終着点の五所神社(すぐ横が国宝の大善寺。)に到着したときは、先頭組と真ん中組と後続組の3つの塊にばらけていた。全員揃ったのは2時30分だった。雪もほとんどなく道も乾いていたのでアイゼンやスパッツのお世話にならずにすんだ。ここでタクシーに分乗。5分ほどで勝沼ぶどう郷駅に到着。駅の売店で思い思いにワンカップのワインを買い求め、今日の無事を祝した。暖房の効いた電車の人になると いつしか心地よい眠りに落ちていた。
 反省会は 八王子駅近くの鶏料理の店「坊の房」で行なわれた。金子さんを除く8人が現役部員の2人を囲むように座り 話は大いに盛り上がり 酒のピッチもまた上がった。今朝集めた会費では足らないと 幹事が慌てて臨時徴収する場面もあった。今回もまた思い出多い山行だった。



3月4日 9:45(撮影:金子)
大滝不動尊にて(いざ出発)



3月4日 13:00(撮影:中村(金子のカメラで))
甲州高尾山山頂にて
(後列左から)仲田、遠藤、三井、小宮山、佐藤、金子
(前列左から)町田、佐薙、小島、本間
 
ここをクリックすると金子さんの山行アルバムをダウンロードできます。

会   報
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