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会   報 会   報


2017年以降の「国内山行報告」はこちら

2014年末までの「国内山行報告」はこちら

2011年末までの「国内山行報告」はこちら

現役・OBの皆さんの国内の山行報告コーナーです
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■2016年12月23〜25日 燕岳山行記録 上 茂衡(一橋大学山岳部:法学部4年)
■2016年12月21〜22日 「昼から会」メンバーによる丹沢のマイナールート踏査
               ―― 源次郎尾根〜鳥尾仲尾根 ――  竹中 彰(昭和39年卒)

■2016年11月13日 金時山 山行記録  鈴木 由佳理(一橋大学山岳部:社会学部1年)
■2016年11月9〜10日 懇親山行延長山行(畦ヶ丸〜菰釣山〜高指山〜平野)
                                中村雅明(昭和43年卒)

■2016年11月9日 懇親山行−畦ヶ丸  佐藤 久尚(昭和41年卒)
■2016年10月21〜23日 博士山、志津倉山(越後・会津シリーズ 第10弾)
                                  齋藤 誠(昭和63年卒)

■2016年10月21〜23日 越後・会津シリーズ懇親山行(速報) 岡田 健志(昭和42年卒)
■2016年10月14〜17日  大峯奥駈道縦走(その2:弥山〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳)
                                  中村 雅明(昭和43年卒)

■2016年10月13〜16日  南ア・荒川三山〜赤石岳  佐藤 周一(昭和54年卒)
■2016年9月25〜28日 南アルプス赤石岳・荒川三山縦走記 吉沢 正(昭和42年卒)
■2016年9月1〜4日 シニア会員の岳沢行  竹中 彰(昭和39年卒)
■2016年8月16〜19日 夏合宿(常念山脈縦走) 
                     内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部3年)

■2016年7月31〜8月5日 「聖・赤石」行  本間 浩(昭和40年卒)
■2016年7月4〜10日 幌尻岳・神威岳行  宮武 幸久(昭和45年卒) 
■2016年6月13〜17日 ミヤマキリシマの九重連山  中村 雅明(昭和43年卒) 
■2016年5月28〜29日 八ヶ岳縦走山行 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部3年)
                 八ヶ岳合宿     田中 亨(一橋大学山岳部:商学部1年)

■2016年5月28〜29日 第4期登山教室山岳研究所宿泊登山
                ―― 上高地散策〜岳沢小屋往復(竹中 彰:昭和39年卒)

■2016年5月22〜23日 富田新道からの雲取山 ― 多摩百山取材山行 ―
                                   竹中 彰(昭和39年卒)

■2016年5月21日 乾徳山・黒金山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2016年5月21日 棒ノ折山・岩葺石山  松橋 凛太郎(一橋大学山岳部:法学部1年)
■2016年5月18日 多摩百山(網代城山、雹留山)取材山行  竹中 彰(昭和39年卒)
■2016年5月15日 新歓山行(甲州高尾山) 小久保 剣(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2016年5月7日 新歓山行(川苔山)  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2016年5月7日 古希での単独行回帰  藤原 朋信(昭和44年卒)
■2016年5月4〜7日 残雪の八方尾根から唐松岳  中村 雅明(昭和43年卒) 
■2016年5月3〜6日 岳沢合宿報告  佐藤 周一(昭和54年卒) 
■2016年5月1日 御坂山地(黒岳、節刀ヶ岳) 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部3年)
■2016年4月30日 塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部3年)
■2016年4月3日 大山(丹沢)懇親山行  岡田 健志(昭和42年卒) 
■2016年3月30〜31日 谷川岳(天神尾根から) 岡田 健志(昭和42年卒) 
■2016年3月20〜23日 屋久島宮之浦岳縦走 内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2016年3月15日 笹子雁ヶ腹摺山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部1年)
■2016年2月26日 丹沢塔ノ岳・丹沢山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部1年)
■2016年2月19日 雲竜渓谷  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2016年1月9日 生藤山・笹尾根山行  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)


■2015年12月23〜25日 燕岳山行記録 太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部4年)
■2015年12月6日 懇親山行本社ヶ丸・清八山 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2015年11月29日 1年生企画 武甲山山行 小久保 剣(一橋大学山岳部:法学部1年)
■2015年10月17〜18日 女峰山(1泊2日班)
                     内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)

■2015年10月16日  谷川連峰・白毛門沢  藤原 朋信(昭和44年卒)
■2015年9月28〜30日 北岳バットレス第4尾根往復登攀 金子 晴彦(昭和46年卒)
■2015年9月23〜26日 北アルプス山行記録 
                       大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)

■2015年9月5〜6日 初秋の妙高山  加藤 博行(昭和51年卒) 
■2015年8月21〜23日 紀伊山地行  半場 三雄(昭和41年卒) 
■2015年8月18〜20日 北岳夏合宿(二泊三日班)
                       内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)

■2015年8月18〜19日 北岳夏合宿(一泊二日班)
                       大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)

■2015年8月12〜13日  富士山  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2015年8月6〜7日  雲取山合宿  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2015年7月30日〜8月2日 南アルプス 荒川三山・赤石岳縦走
                   小島 和人(昭和40年卒) 中村 雅明(昭和43年卒) 

■2015年7月16〜19日 十勝岳・富良野岳行  宮武 幸久(昭和45年卒) 
■2015年7月8〜13日 十勝連峰〜トムラウシ縦走  中村 雅明(昭和43年卒) 
■2015年5月31日 八ヶ岳赤岳・県界尾根合同登山報告(針葉樹会・一橋山岳部)
                          金子 晴彦(昭和46年卒)

■2015年5月30〜31日 八ヶ岳スーパートレイル山行報告
                          大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)
                          工藤 京平(一橋大学山岳部:経済学部1年)

■2015年5月23〜24日 谷川白毛門・マチガ沢雪渓訓練  
                           原島 大介(一橋大学山岳部:商学部1年)

■2015年5月17日 日の出山・御岳山  有田 麻子(一橋大学山岳部:社会学部3年)
                          坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部1年)

■2015年5月7〜11日 蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、燕岳 吉沢 正(昭和42年卒) 
■2015年4月25日 丹沢主脈縦走  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2015年4月7〜12日  大峯奥駈道縦走(その1)  中村 雅明(昭和43年卒)
■2015年4月3〜4日 屋久島・宮之浦岳 西山 祥紀(一橋大学山岳部:経済学部4年)
■2015年3月26〜28日 硫黄岳〜天狗岳縦走(春の八ヶ岳) 岡田 健志(昭和42年卒) 
■2015年3月21〜22日 学生との北八ヶ岳合宿 前神 直樹(昭和51年卒)
■2015年2月28日〜3月1日 針葉樹会懇親山行・雲取山山行記録
                               太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)

■2015年2月25日 大岳山・御岳山・日の出山記録 太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)
■2015年2月7日 日光雲竜渓谷山行記録  上 茂衡(一橋大学山岳部:法学部2年)
■2015年1月18日 初鹿野の山々 −徳並山・古部山・三角コンバ−
                                      藤原 朋信(昭和44年卒)

■2015年1月11日 三ツ峠山行記録   西山 祥紀(一橋大学山岳部:経済学部3年)
■2015年1月4日 葉山アルプス新春初歩き山行  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部1年)


■2016年12月23〜25日 燕岳山行記録 上 茂衡(一橋大学山岳部:法学部4年)

     ****** 2017年1月29日投稿

●参加者(学年は山行時)
   学生:上茂衡(4年)、西山祥紀(5年)、内海拓人(3年)、山本竜希(1年)
   OB :前神直樹(昭和51年卒)、兵藤元史(昭和52年卒)、佐藤周一(昭和54年卒)
●コースタイムと行動
* 12月23日 曇り時々雨  *
 10:30 有明駅集合
 11:20 宮城ゲート出発
 14:30 中房温泉着






12月24日 曇り     *
  5:40 中房温泉出発
  6:25 第一ベンチ
  7:15 第二ベンチ
  9:35 合戦小屋
 11:15 燕山荘
 12:10 燕岳
 12:40 燕山荘
 13:45 合戦小屋
 14:35 第三ベンチ
 15:50 中房温泉着
12月25日 晴れ     *
  8:10 中房温泉出発
 11:25 宮城ゲート着








●1日目 12月23日 曇り時々雨
 前日から学生は部室に泊まり、国立5時30分発の鈍行で有明駅へと向かった。この時期は青春18きっぷが使えるので交通費が安く済み助かった。松本駅で前神さんと合流し、有明駅に向かった。
 有明駅からは兵藤さんと佐藤さんに車で送っていただき、宮城ゲートに到着した。一息ついて登山計画書をポストに入れ出発した。兵藤さんは「ゆっくり行こう」とおっしゃっていたが、実際歩き始めるとペースが速く驚いた。最後の2,3キロがきつかったが、約13キロの林道歩きは去年より楽に感じた。中房温泉に着くと、すでに2張のテントがあった。私たちもテントを張ったのだが、ここで重大なミスに気付いた。ダンロップのテントの外張りが夏用だったのである。中房温泉だったので問題はなかったが、阿保なことをしてしまったと反省した。
 その後ペミカンを使ったキムチ鍋とごはんの夕食を食べながら話し合いをした結果、装備の不安などを考慮して合戦小屋にテントを張るのをやめ、次の日に中房からピストンで燕岳に登ることになった。合宿の初日は大体寝付けずに辛い思いをするのだが、この日も例外ではなかった。寝袋の中で今更ではあるが自分はアウトドアに向いてないのではないかと思いながら時間が過ぎるのを待っていた。

●2日目 12月24日 曇り
 起床してラーメンともち一個ずつを食べて出発した。去年は第二ベンチあたりまでほとんど雪がなかったが、今年は登り始めるとすぐに雪が積もっていた。しかしトレースがついておりかなり登りやすかった。第二ベンチくらいまでは楽々登っていたが、第三ベンチを過ぎたあたりから少し疲れてきて、早く合戦小屋に辿り着きたくてしょうがなかった。合戦小屋の少し手前からアイゼンをつけ、稜線へと向かうと燕岳の方向は青空で元気が出た。
 燕山荘に着いたときには雲に隠れていた槍ヶ岳が少し姿を見せ、後輩たちはカシャカシャとたくさん写真を撮っていた。燕山荘の前で集合写真を撮った後、一足先に下山する前神さん、兵藤さんと別れ燕岳へ向かった。頂上までの道では風が強く、かなり寒かった。しかし、燕岳の上空は見事に晴れており、とても綺麗だった。
 頂上では後輩二人が楽しそうにしているのを見てこの合宿をやってよかったなとうれしい気持ちになった。西山さんは装備をケチったためにかなり寒そうにしていた。その後急いで下山し、日が落ちる前に中房温泉に帰ってくることが出来た。この日は久しぶりに先頭を歩いたため、ペースが速かったり遅かったりと乱れてしまって本当に申し訳なかった。その後、夜ごはんのシチューとパンを食べながら和気あいあいと楽しく過ごした。さすがに疲れていたので、この日はぐっすり眠れた。

●3日目 12月25日 晴れ
 6時くらいに起床し、朝飯を食べ、帰途についた。帰りの林道は凍っていてツルツルで皆何回も転んでいた。宮城ゲートに着いた後、OBの方々に焼肉をご馳走していただいた。久々においしい肉が食べられて本当に嬉しかった。その後駅まで送っていただき解散となった。学生はそのまま松本の銭湯に行ったあと、青春18きっぷを使って鈍行で帰った。交通費が抑えられたのは良かったが、イルミネーションでも見てきたのか相模湖駅で大量のカップルが乗車してきて、特急あずさで帰ればよかったと少し後悔した。

●総括
 今回の合宿ではいろいろミスもあり、情けない山行であったと反省している。それでも、部としては大きな経験になったのでやってよかったと思う。山岳部が復活してから冬山はほとんどやってこなかったが、冬山をやる気のある人も集まってきたのでこれからはどんどんチャレンジしていって欲しい。
 同行していただいた前神さん、兵藤さん、佐藤さんには計画の段階からいろいろとご指導頂き、なんとか無事に終えることが出来ました。山行中にもいろいろと改善点を指摘していただき、大変参考になりました。本当にありがとうございました。



2月24日  11:24(撮影カメラ:内海) 燕山荘前にて
 (左から前神、兵藤、上、山本、西山、内海、佐藤)



12月24日  11:22(撮影:内海)
燕山荘前から燕岳を望む

会   報
***



■2016年12月21〜22日 「昼から会」メンバーによる丹沢のマイナールート踏査
                 ―― 源次郎尾根〜鳥尾仲尾根 ――  竹中 彰(昭和39年卒)

          ****** 2016年12月28日投稿
 
 予て丹沢のマイナールート踏査に意欲を燃やし、何度か源次郎尾根ルートの入口を偵察してきた本間さんが愈々計画を立て、小生の他に岡田さん、「昼から会」メンバーの高橋さんが手を挙げて年末忘年山行として決行した。
 結果は好天の下で、源次郎尾根を登って尊仏山荘で忘年会挙行、翌日天気が大崩れする寸前に烏尾山仲尾根を下ることができ、成功裡に終った。

●参加メンバー:本間浩(40年卒)、岡田健志(42)、竹中彰(39)、高橋康雄(外部)

●12月21日(水)  晴れ
 小生としては1月の大山金毘羅尾根以来の昼から会山行であり、しかも昨年12月以来1年ぶりの搭ノ岳・尊仏山荘泊まりとあって、新ルートのトレースは勿論、年賀状用の富士山撮影も兼ねて参加を決めた。鎌倉から参加の岡田・高橋さんの到着時間を考慮した渋沢駅集合8:15に間に合せるべく通勤ラッシュに近い横浜線成瀬発7:20を掴まえて本間さんの待つ渋沢に着いた。
 全員揃ったところで、タクシー2台に分乗(地元組合の申合わせで2名以上はのせない由)して戸沢山荘手前の駐車場に向う。9時前に到着し、公物の調整等行って直ちにスタート。戸沢山荘前を通過し、源次郎沢を堰堤下で渡り、階段を登って本谷沢沿いの書策新道(廃道)に乗って暫らく進み、150m程標高を上げて色テープの標識源次郎がある尾根ルートの分岐に至る(710m、9:38‐45)。
 この先は植林帯の中を刈り払われた小枝も散在する中ジグザグを切りながら、時に直登を交えてひたすら上部を目指して進む。時に左手に源次郎沢を見下ろす部分もあるが総じて薄暗いスギ林の中を高みを目指して進む。ルートは比較的踏み跡もシッカリしており、また所々の木の枝にはピンク、黄色、ブルーのテープが巻かれており、見失うことはない。全体的にはかなりの急斜面で、地図で推計すると大倉尾根までの平均斜度は30度前後あると見られる。従って部分的にはより急傾斜に感じられたが、足元は比較的柔らかな土の斜面が多かった。30分ほど進み200m弱高度を稼いだ所で1本立てる(905m、10:21‐30)。
 更に登り続け、赤テープが巻かれた枯れ木が立つ辺りから植林帯を抜け広葉樹の自然林が明るい陽射しの中に出る。この先に赤土を草が覆う下の草原が現れ表尾根や下界の視界が広がる(1109m、11:10‐25)。草原の中のロープスリングが巻かれた枯れ木が側にある。草は枯れているが空は広く、気持ちの良い場所で行動食を摂り、写真などを撮る。目の前に明日下る烏尾山からの仲尾根が良く見え、途中の僅かにある植林帯、草原等が確認できる。距離が短く傾斜はキツそうである。
 その後も傾斜のキツイ潅木混じりの草付の踏み跡を辿り、黄色、赤のテープが目立つ上の草付きで少し霞んできた下界を展望する(1265m、11:55‐12:05)。
 相変わらず大山をバックに三の搭にかけての表尾根の絶好の展望地である。
 更に進むと左から源次郎沢からの道が上がって来て、沢の源頭部の岩場をかすめて笹原の中の道になり上部のスギ林の横を辿って大倉尾根の登山道に飛び出す(12:13)。場所は花立山荘から160mほど上った、大倉尾根の道標40の少し下であった。これまでは全く他パーティーに会わず貸切状態で登って来たが、平日にも関わらず流石に大倉尾根では登下降する人も多い。この少し先の木道が始まる辺りの左手の草原に入って昼食とする(1374m、12:30‐50)。目の前に鍋割山稜越しの富士山の全景や蛭ケ岳を眺め、無事に源次郎尾根を完登出来た喜びにユックリと寛ぐ。
 この先は勝手知った金冷し経由の道であり、搭ノ岳手前の階段登りに一汗かいて頂上に出た(1491m、13:20)。尊仏山荘に入っていくと、主人の花立さんが本間さんの顔を見て驚いていた。何時もなら事前予約して宿泊するのだが、今回は源次郎尾根完登に必ずしも自信を持てなかった本間さんが途中で引き返すことも有り得べしと慎重に構えた結果である。しかし、事前に花立さんからルートの情報を得ていたこともあり、完登できたので、花立さんにお礼を述べた。
 この日の宿泊客は我々4人を含めて13人程度なので、泊まることに問題はなかった。花立さんから2Lボトル3本の飲料水差し入れを頂いた。従来なら本間さんが主人の愛飲する「甘露」の900cc瓶を差し入れる所だが、今回はルートの険しさ等を考慮して本間さんが軽量化を徹底し、持参のアルコールは「菊正宗上撰紙パック900cc×2」に絞った為、珍しくアルコールの少ない山行となった。
 しかし、その後酒盛りを始める段になって、花立さんから「大吟醸古都の雫(京都・鶴正酒造)1升ビン」の差し入れまで頂いた。
 従来なら3時半過ぎ、夕刻近くの山荘到着になるのだが、今回は異常に早い到着となったので忘年会開始も早まった。
 富士山が何時までも姿を見せているので、時々外に出て写真を撮る。日没までに多くのシャッターを押す。甲斐駒、白峰三山、赤石、聖岳までも見えている。
 手前の山中湖は薄闇に沈みつつあったが、金時、神山、駒ケ岳、天城山などもシルエットで浮かぶ。丁度この日が冬至なので、日没は富士山の左側目一杯の所まで移った様である。なお、花立さんによれば、来年2月23日(富士山の日)頃にダイアモンド富士が見られるとのこと。(この日は皇太子徳仁親王の誕生日)
 アジの開きを家庭用ガスコンロで炙ってツマミとし、小屋で求めたビールで乾杯。遠慮して外で焼くことも考えたが、風が強まってきたので、花立さんの了解を得て室内で焼いた。隣の地元男女ペアはシャンペンを持ち込んで酒盛りをしていた。平日で客も少なく、本間さんの顔もあって快適に過ごす。小生としては1年ぶりの尊仏であるが雰囲気は変わりないが、聞くと名物営業部長(雄の三毛猫)が当月の9日に死んだとのことで、稍々寂しい感じがする。
 途中昼寝タイムを挟んで16時頃から本格的に忘年会を始める。この日の本間シェフの献立は焼肉と付け合せのキャベツ、モヤシ等の野菜。軽量化の基本方針の下で、何時ものナベモノは避けた。何時もの窓際のコーナーに陣取りステーキ肉、スキヤキ用肉を焼き始める。花立さん、隣の夫婦パーティーとも会話を交しながら差し入れの大吟醸(古都の雫)の消費が進む。初めてだったが、クセのないフルーティな味わいであった。日没後も宴は盛り上がり、アルファ米2個をお湯で戻したが、殆んど手を付けず翌朝の雑炊用に残すこととなった。結局消灯時間の20時直前に2階の寝床に横になり、スグ眠りに落ちた。夜間は強風が吹いて散発的に雨が窓に当たる音も聞こえたが朝には風が残るのみとなった。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
12月21日  8:57
源次郎尾根〜鳥尾・仲尾根
作治子や駐車場・表尾根方面
12月21日  9:09
鳥尾・仲尾根遠望
源次郎沢堰堤下を渡る
12月21日  9:29
源次郎尾根
書策新道から源次郎尾根取り付き点
12月21日  11:18
源次郎尾根下の
草原に特徴ある目印の木
12月21日  11:47
源次郎尾根下の草原から
相模湾を眺めて
112月21日  11:47
源次郎尾根
明日の鳥尾・仲尾根を偵察
12月21日  11:48
源次郎尾根
鳥尾からの仲尾根
12月21日  11:48
源次郎尾根
鳥尾からの仲尾根・
はげた部分がる尾根
12月21日  12:21
源次郎尾根〜大倉尾根から
富士山に写る飛行雲
12月21日  16:27
源次郎尾根〜冬至に沈む陽、
尊仏山荘から
12月21日  17:10
源次郎尾根〜尊仏山荘からの
富士と御殿場の灯



●12月22日(木) 曇り一時雨
 早朝5時前から向かいの5人パーティーの準備の声やビニールのガサガサ音に目覚める。風は一時よりは治まるとともに幸い雨は未だ落ちていない様子であった。富士山は御殿場方面が雲に隠れているので姿を見せなかった。
 予定通り寄せなべ用のスープにアルファ米2.5袋、シラスを入れて最後に溶き卵を入れて完成。食後はゴミ等を整理し、カラの一升瓶などをザックに詰めて花立さんに別れを告げ、会報発送作業のために早目に大倉尾根を下山する岡田さんを見送り、三名は表尾根を烏尾山方面に向う(7:22)。
 木の又大日(7:54)、新大日(8:00)、政次郎尾根道標12(8:23)を経て、行者岳手前のクサリ場を抜け(8:34)、特徴ある三角屋根の烏尾山荘に着く(9:20)。小屋の前には独立したトイレが整備され、青銅製(?)の立派な展望盤も設置されている。晴れていれば、遠く大島から富士山、北岳等南ア、北ア、八ケ岳、浅間、燧山などが望める様である。また、昨日昇った源次郎尾根の様子も良く分かる。
 頂上に出る直前、道標bXの所に仲尾根への入口がある。入口にある山止めの横棒を踏み越えてえぐれた尾根道に入る(1130m、9:33)。出だしは急傾斜の潅木交じり、イバラ、枯れたスズタケのある草地である。暫らくの間ロープがガイドしてくれる。足元を確かめつつ慎重に下る。30分ほど下ると源次郎尾根を正面から見る地点に至る。所々に「神奈川県水源の森林」、「林野庁の境界見出点」などの杭がある。ネットで調べた時にはスズタケに手こずった記述もあったが、殆んど枯れており、障害にはならなかった。
 一時植林帯を通過するが、スグ急な草原に出て明確なトレースに従って順調に下る。松が散在する所で、ロープが張られて、左に向うように指示する看板があり、休憩して行動食、昨夜の残りのトマト等を口にする(900m、10:14‐25)。
 手製の欠けた看板には戸沢出合20分(又は30分とも読めたが)、結果的には20分、烏尾山60分の記載があり、先が読める。この先は少し狭まった尾根を行く。目の下の植林帯の入口に赤いテープなどが視認できる(10:30)。
 入口には先ほどと同様の黄色、ピンクのテープが巻かれた看板があり、戸沢出合10分の表示がある。これに従って植林帯の中の急な岩混じりの道を行く。
 10分ほど下がった地点の右手下に何か黒い固まりが木の下に蹲っている。スワ熊かと緊張したが、カモシカであった。暫らく立ち止まって観察するが時々頭を動かすだけで、逃げ出す雰囲気がなく、足に怪我しているのか、石を投げて驚かすことも憚られたのでその場を離れた。そのまま木の根で歩き難い道を下降し、15分で作治小屋直下の戸川林道に飛び出した(650m、10:55)。
 入口には「至烏尾山100分」の表示があるが、烏尾山からは標高差480m、1時間20分要した。短い尾根だけに傾斜はきついが早く下りられた。
 この後、目前の作治小屋に向かい、テーブル、ベンチ等のある東屋に入り、残った日本酒、ツマミを消費する(11:05‐12:05)。少し雨も落ちてきたが、休憩に小止みになり、大倉に向って林道を歩く分には支障はなかった。部分的に紅葉の残る林道にひたすら足を運ぶ。途中戸沢から3.7km地点、全国名水百選の一つ丹沢名水「竜神の泉」(27/6実施水質検査成績書にはpH7.6、何れの検査項目についても水質基準に適合)で水筒に水を汲んでお土産とする。
 作治小屋から1時間余の歩きで大倉の「風の吊橋」が見え、渡橋して13:20に大倉バス停に到着した。通常は大倉に下山するとソバ屋「さか間」で反省会を行うが、木曜日は定休日であり、また、同行の高橋さんに屈託があるとのことで、バス停前のお土産屋の奥にある食堂に入った。腰をすえてビール、地酒、餃子、おでん、ラーメンを腹に納め、目出度く平成28年の有終の美を飾った。
 本間さんの長年の希望が叶えられ、ルートも登り、下り共にそれ程困難でなく、丹沢で余り人の入らない静かな山歩きが出来て一同満足の山行であった。
  本間、岡田、高橋さん有難うございました。               以上



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12月22日  8:34
鳥尾・仲尾根へ、
行者のクサリ場を登る本間さん
12月22日  9:10
鳥尾・仲尾根入口
12月22日  9:24
鳥尾・仲尾根入口から行者、
塔ノ岳方面
 12月22日  10:05
鳥尾・仲尾根中間に
張られたロープ、左へ
12月22日  10:05
鳥尾・仲尾根中間ロープ際の
私製道標
12月22日  10:31
鳥尾・仲尾根下部
植林帯入口の道標
12月22日  10:42
鳥尾・仲尾根下部で
蹲るカモシカ
12月22日  10:55
鳥尾・仲尾根戸川林道へ出る


会   報
***
■2016年11月13日 金時山 山行記録 鈴木 由佳理(一橋大学山岳部:社会学部1年)
      ******2016年11月18日投稿

●参加者
 (社3)、羽二生祥馬(法3)、小久保剣(法2)、吉田和磨(法1)、福家一裕(法1)、松橋凛太朗(法1)、鈴木由佳理(社1)

●天気
 晴れ

●コースタイム
 8:50地蔵堂→9:20夕日の滝→10:45猪鼻砦跡→11:30金時山山頂、昼ご飯→12:00出発→12:35長尾山山頂→
 12:50乙女峠→13:20丸岳→14:25富士見ヶ丘公園→15:30桃源台

●山行内容
 東京では寒い日が続いていたため、この日の山行もそれなりに寒くなるだろうと覚悟していたが、実際に山のふもとに着いてみると、天候はさわやかな秋晴れで心地の良い涼しさだった。ふもとからは山が黄色や赤に色づいているのが見え、今回の山行への期待がより高まった。
 地蔵堂のバス停を出発するとまず、コースから少しそれたところにある夕日の滝へ。少しの間滝を眺めてから、今回のコースに戻り、9:20登山を開始した。時折小さな川を横断しながら、比較的緩やかな登山道を進んでいく。10:45に猪鼻砦跡に到着。ここからは、今回の山行では初めて雄大な富士山を眺めることができた。猪鼻砦跡を出発すると傾斜は徐々に急になっていき、金時山山頂の手前には急な階段の道が続いていた。息を荒くしながら急な階段を上りきると、11:30ようやく金時山の山頂に到着した。
 登山客に人気の山というだけあって、山頂では多くの登山者が休憩をとったり記念写真を撮ったりしていた。山頂で少し長めに休憩をとり昼食を済ませると、長尾山に向けて出発した。金時山の山頂を出発すると所々に急で滑りやすい傾斜が見られたが、比較的緩やかな下り坂が続いた。12:35長尾山の山頂に到着。周囲は木々で覆われていてあまり景色を楽しむことは出来なかったが、ここでいったん立ち止まり地図を確認、次のポイントである乙女峠までの道のりと時間を確認するとすぐに出発した。
 長尾山から乙女峠までは長い丸太の階段が続いた。所々ぬかるんでいたり、丸太が湿っていたり滑りやすい道になっていたので、転ばないように注意を払いつつ階段を下っていくと、15分ほどで乙女峠に到着した。記録用の写真を撮るとすぐに乙女峠を出発。丸岳に向かう道を進んだ。乙女峠から丸岳までは緩やかなアップダウンを繰り返す道が続く。草木が低く、きれいな景色のよく見える尾根道を進んでいくと、やがて大きなアンテナが見えてきた。そこからは数分とかからずに丸岳の山頂に到着。山頂からは神山と芦ノ湖の美しい景色が一望できた。空には少し雲がかかっていて、多少風も吹いており肌寒かった。各自気温に合わせ服装を整えると、丸岳の山頂を出発、いよいよ下山を開始する。
 丸岳山頂を出発するとすぐに、富士山と芦ノ湖を見渡せる富士見台というポイントに到着した。芦ノ湖と富士山を一度に見られるのはここだけ、ということなので展望台に上がってみると、確かに片側に富士山、もう片側に芦ノ湖が見渡せた。景色を眺めるのもそこそこにしてすぐに出発した。ここからの下り坂は地面がかなりぬかるんでいて滑りやすかった。周囲は竹に覆われていたが、右手からは自動車の走る音や排気ガスのにおいが。山道と車道がかなり近かったようだ。14:25富士見ヶ丘公園というところに到着。周囲は木々で覆われていて景色を楽しむことは出来なかった。ここからはひたすら単調な下り坂が続き、一気に下山。15:30桃源台に到着した。
 今回の山行は、緩やかな道が多く、ゆったりとした雰囲気で山行を楽しむことができた。また今回は、初めて一年生が中心となって山行を計画したという点で、有意義な山行になったと思う。これからより多くの知識と経験を身に付けて、よりスムーズな山行を計画・実施できるよう努力していきたい。


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11月13日 11:30頃(撮影:鈴木)
金時山の山頂にて
11月13日 13:25頃(撮影:鈴木)
丸岳の山頂にて

会   報
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■2016年11月9〜10日 懇親山行延長山行(畦ヶ丸〜菰釣山〜高指山〜平野)  中村雅明(昭和43年卒)
                   ****** 2017年1月12日投稿 ******

●はじめに

 2015年から体力が残っている内に登り残した山を縦走でトレースする志向が強くなりました。懇親山行でも延長戦を考えます。2015年9月の「妙高山」では、妙高山を下った長助池分岐で皆と別れ高谷池ヒュッテに泊まり、翌日、火打山〜焼山〜富士見峠でテント泊、翌々日雨飾山まで縦走する計画を立てました。ところが山行前の天気予報が悪天だったので取り止めました。
 2015年12月の「本社ヶ丸・清八山」では、清八山で皆と別れ、三ツ峠山まで縦走して三ツ峠山荘に泊まり、翌日府戸尾根を下り河口湖まで歩きました。
 今回の畦ヶ丸は2009年3月に「三四郎会」の前哨戦(西丹沢山行)で竹中さんと一緒に登りました。その報告の最後に「紅葉の季節に、白石峠−畦ヶ丸−菰釣山−高指山−山中湖のコースを歩きたい」と書きました。佐藤さんからご案内いただいた畦ヶ丸までコースがその時のコースであったので、畦ヶ丸で皆さんと別れ、その日は甲相国境尾根を菰釣避難小屋まで縦走しそこに泊まり、翌日菰釣山〜石保土山〜高指山まで縦走し、山中湖の平野に下山する別行動をお伺いしました。その別行動が了解され、直前の天気予報で好天が見込めたので延長戦を実施することにしました。
 菰釣避難小屋は2006年12月に建て替えられた立派な小屋ですが、水場が近くに無く小屋下のブナ沢乗越からブナ沢まで下りなければなりません。そこで水2リットルを持参、食料・寝具・コッヘル・ガスバーナーも背負うので60リットルのザックで畦ヶ丸に登りました。ザブザックの皆さんに遅れないか心配でしたが同じペースで歩けました。

【行程・タイム】
  11月9日  畦ヶ丸(12:55) − モロクボ沢ノ頭(13:16〜32)− 大界木山(14:06〜16) −城ヶ尾峠(14:36〜40)−
         中ノ丸(15:18〜36)− 菰釣避難小屋(16:00)
  11月10日 菰釣避難小屋(6:20) − 菰釣山(6:40〜45)− ブナノ丸(7:01) − 油沢ノ頭(7:20〜27)− 3pで高指山(9:35〜45)−
         平野バス停(10:20〜40)=(バス)=富士山駅(11:22)

●11月9日(水) 晴れ後曇り

 12:55皆さんと別れてモロクボ沢ノ頭に向かって下りました。出発が予定より30分遅れての出発なので少し早足です。20分でモロクボ沢ノ頭に着きました。ここから甲相国境尾根を歩きます。甲相国境尾根は大室山以西、三国山までの山梨県(甲斐国)と神奈川県(相模国)の県境に延びる延長約20kmの尾根です。大室山周辺を除けば全体的に高低差が少ない尾根で、標高は1,100m〜1,300m程です。
 また稜線部は東京都の高尾山から大阪府の箕面山を結ぶ東海自然歩道の一部になっています。その為、道標、ベンチが良く整備されています。また、急な登り下り道には丸木階段とプラ土嚢が設置され安全歩行が出来ます。大界木山、城ヶ尾山、中ノ丸、ブナ沢ノ頭と小ピークが連なる尾根道は樹林の中晩秋で木々の葉が落ちているので木の間越しに山が望め慰められ登りも苦になりません。誰にも会わず晩秋の静かな山の良さを味わいました。快調に歩いて16:00、5p3時間で菰釣避難小屋に着きました。出発が遅れましたが予定した時刻に着いてホッとしました。
 小屋はまだ新しく綺麗で快適でした。大きな木のテーブルで夕食の準備。例によってお湯を注げば出来上がるフリーズドライの五目ごはん、にゅうめん、ミートボールで5時前には夕食を終え、あとは寝るだけです。暗くなっても誰も到着しません。晩秋なので夜の寒さが心配でした。3シーズン用寝袋なので、シュラフカバー2枚、上下のダウンウエアーも着込んで寝たので寒さを感じないで眠ることが出来ました。

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11月9日 14:47
城ヶ尾山山頂
11月9日 16:03
菰釣避難小屋外観
11月9日 16:04
菰釣避難小屋内部

●11月10日(木)曇り

 今日の行程は短いので5:10起床。モチ入り煮込みうどんの朝食を済ませ6:20小屋発。
天気は曇り、雨の心配は無さそうです。1pで6:40菰釣山頂(1379m)着。畦ヶ丸(1,296.2m)より高いです。樹林道を抜けた頂上は、かつてはブナがうっそうと茂っていましたが今は明るく開けています。南西には山中湖越しに富士山、北西には御正体山が望める絶好な展望台です。
 富士山は5合目から上は雪、手前に紅葉の甲相国境尾根のコントラストが見事です。曇り空が青空であったら最高でした。15分の小憩後、かなり下りほぼ同じ高さまで登ってブナノ丸(1,340m)。ここから尾根は高指山まで南西にほぼ真っ直ぐ伸びています。正面に富士山、右手に御正体山を眺め、時折現れる心を洗われる鮮やかな紅葉を愛でながら気持ち良く歩きました。
 油沢ノ頭、樅ノ木沢の頭、西沢ノ頭と小ピークを次々に越えて8:20石保土山(1.293.7m)着。その先の大棚ノ頭で山伏峠への道を右手に見て直進。高指山までの道は落ち葉敷きつめた明るい樹林道で気持ち良く歩きました。高指山手前の富士岬平は富士山の絶景ポイントでした。ススキの原越し、眼下に大きく広がる山中湖からすっきりせり上がる富士山に見とれました。さらに15分進んで9:35高指山(1,174.1m)着。まだ早いせいか誰もいません。結局、昨日の畦ヶ丸からずっと誰にも会いませんでした。
 ここも富士岬平と同様な富士山の絶景ポイント。中腹から頂上まで一面カヤトの草原名所です。カヤト越しに富士山の写真を沢山撮りました。また、富士山の右側に山中湖を巡る大平山〜平尾山〜石割山の山稜を望みます。この山稜は2013年10月に藤原朋信さん(昭44)、峯弘卓さん(平26)と「中村学校開校記念」山行で歩きました。甲相国境尾根はさらに切通峠〜鉄砲木ノ頭〜三国峠〜三国山に続きます。東海自然歩道は高指山から平野に下ります。そのコースで平野に下りました。カヤトの斜面を下り別荘地に出ると後は車道を歩き10:20平野バス停に着き山行を終えました。
 今回は、甲相国境尾根をモロクボ沢ノ頭から平野まで歩きましたが、次回は北上して白石峠〜加入道山〜大室山まで歩き道志側に下山したいと思います。また、三輪神社から御正体山に登り山伏峠〜大棚山ノ頭のコースも歩いてみたいと思います。

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11月10日 6:43
菰釣山山頂
 11月10日 6:45
菰釣山山頂からの富士山
(手前の尾根は甲相国境尾根)
11月10日 8:20
石保土山山頂
11月10日 9:17
高指山へ向かう落ち葉の尾根道
11月10日 9:22
富士岬平からの富士山
11月10日 9:44
高指山のススキと富士山

会   報
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■2016年11月9日 懇親山行−畦ヶ丸  佐藤 久尚(昭和41年卒)
     ****** 2016年12月17日投稿 ******

 「ナンチクさんを偲ぶ会」が中川温泉で開かれるのを機に、西丹沢での懇親山行を企画した。対象の山は、畦ヶ丸(1292.6m)。都心からのアプローチが容易で、季節も紅葉が楽しめるベストシーズンなので多数の参加者が期待できると思って、広く針葉樹会員並びに学生部員に参加を呼び掛けた。が、結果は前日の「ナンチクさんを偲ぶ会」に参加した者のうちから9人が参加しただけであった。

 【参加者】
  佐薙 恭(昭31)、仲田 修(36)、竹中 彰(39)、本間 浩(40)、池知昭洋(41)、佐藤久尚(41)、岡田健志(42)、
  中村雅明(43)、宮武幸久(45)

●11月9日 晴れ
 中川温泉入口8時13分発のバスで、大滝橋まで行きそこから歩き出す(8:25)。道は大滝沢に沿った歩き易い道で、東海自然歩道と言うこともあって標識も良く整備されている。しばらくは沢に沿った緩い登りが続き、一軒家避難小屋を過ぎたところから尾根に取り付き少し急な登りとなる。それを登り切り、畦が丸から屏風岩山に続く尾根の上に出たところが大滝峠上という所で、そこには紅葉に染まった西丹沢の山並みと、5合目位まで雪をかぶった白銀に輝く富士山の眺めが待っていた。
 さらに所々大きな段差のある尾根道を登ると畦が丸避難小屋に着いた(12:55)。そこから頂上までは約5分程度であるが、そこには木製の大きなベンチもあり休むには絶好の場所なのでランチ休憩とする。ランチ後、菰釣山経由山中湖の平野まで行くという中村(雅)氏と別れて、8人は頂上に向かう。5分で頂上に着いたが、畦ヶ丸の頂上は樹木に囲まれた何の変哲も無い頂上なので、休むことなく通り過ぎ、西沢を目指して下る。
 下山道も東海自然歩道のサブルートに指定されているので、道も整備されているだろうから、それ程コースタイムから外れることなく下れるだろうと高をくくっていたが、甘かった。下山道は予想以上にショッパク、時間がかかった。最後は少し走るなどして、西丹沢自然教室バス停に着いたのは、予定していたバスの発車2分前であった(16:23)。かろうじて間に合ったバスの中で、トランプのアメリカ大統領選勝利を知る。新松田駅に出て駅前の居酒屋で打ち上げ。メンバーが4月の懇親山行(大山)の打ち上げの二次会の時に、伊勢原の居酒屋で愁嘆場を演じた面々とほぼ同じであったため、その時の話で大いに盛り上がった。今回は、酒宴も大団円で終わって、皆いい気分で帰路についた。


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11月9日 8:58(撮影:中村)
大滝沢沿い登り始め
(前から本間、佐薙、
仲田、佐藤、宮武)
11月9日 10:12(撮影:岡田)
大滝沢沿い登り
(前から本間、佐薙、竹中、
宮武、仲田、佐藤、中村)
11月9日 10:30(撮影:中村)
一軒家避難小屋
(左から佐薙、竹中、仲田)
11月9日 12:15(撮影:岡田)
畦ヶ丸への登り
11月9日 12:42(撮影:岡田)
畦ヶ丸山頂近くからの富士山
 11月9日 13:15(撮影:中村)
畦ヶ丸避難小屋近く
(後列左から岡田、池知、本間、仲田)
(前列左から竹中、佐藤、宮武、佐薙)


会   報
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■2016年10月21〜23日 博士山、志津倉山(越後・会津シリーズ 第10弾) 齋藤 誠(昭和63年卒)
          *********** 2016年11月9日投稿

 山、高きが故に尊からず。とかく若い時分には標高の高い日本アルプスや難易度の高い岩や雪山などに目が行きがちだったが、50を越えた今になってみると、低山や‘やさしい’山々にも味わいがあると実感できるようになった。
 特に生まれ育った会津の山々は地味だが豊かな植生を湛えていて魅力的だ。熊との遭遇、事故の報道が後を絶たないが、そもそも熊の領域に人間が入って行くわけだから、鳴り物やラジオなどを準備して、単独行を避けることでリスクを軽減することはできる。
 今回、針葉樹会員諸氏に大挙して会津を訪れてもらう機会を得て、特に幹事の岡田さんには事前に下見までお越しいただき感謝している。東京からの距離、時間はそれ程変わらないのに、どうしても長野や山梨、静岡方面へ出かける‘山や’が多い中、温泉や地酒、地元の観光などと組み合わせれば、会津の山々も十分に魅力的ではないかと自負しているところです。
 そんな中、今回選んだ山は博士山と志津倉山。ブナの森が美しいコンパクトだが変化に富んだ山だ。滝谷川を挟んで対峙している。博士山へは西側の柳津町からの登山だが、東側の麓、会津美里町で私は生まれ、高校までの18年間を過ごし、また、将来、終の棲家とし、地域興しに関わりたいと考えている。
 宿はコストパフォーマンスと使い勝手の良さから、つきみが丘町民センターを選んだ。この柳津町は4年前までの3年間、私が駐在した奥会津振興センターの管轄エリアの入り口にあたる。
 戦後日本の電力を支えた只見川沿いの5町村が東から西へ、柳津町、昭和村、三島町、金山町、只見町と並んでいるが、私の事務所と宿舎は三島町にあった。
 会津という名前は『古事記』によれば、古くは相津と書いたという。崇神天皇の時代、諸国平定の任務を終えた四道将軍大毘古命と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子が、この地で合流したことに由来する。
 蘆名氏に始まる会津藩の幕末に至る歴史は余りにも有名である。

 ●10月21日(金)大方のメンバーが宿に参集し、各自、虚空蔵尊や版画の斎藤清美術館などを訪れた後、にしんの山椒漬けなどの会津料理で前夜祭を開催した。紅葉はもう少しという時節だったが、直近2〜3日の寒気のおかげで急速に進行し、山頂付近では見頃となった。事前の天気予報では、土日とも雨模様だったが、諸先輩の熱気で見事雨を吹き飛ばす。

 ●10月22日(土)はマイクロバス出発時間の関係で7時に宿を出発、熊に注意の看板がおどろおどろしい道海泣尾根登山口から7:45に登り始めた。上原、小島両名は体調不良により、そのままバスに乗って帰る。博士山に通ずるメインの登山道とは思えない急登で、道海という坊さんが泣き泣き登ったという、わかりやすい命名である。ハシゴが架けられた急登をシャクナゲ洞門を過ぎて2時間で稜線に出る。案内役の私が先導するが、途中幾度となく、キリマンジャロから帰ったばかりの岡田さんから「ポレポレ!」「ポレポレ!」の号令がかかる。
 30分ほどの稜線歩きで社峰に着く。先に紹介した四道将軍大毘古命と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子の出会いの時、国家鎮護のため国土開拓の神様であるイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を新潟県境の御神楽岳に奉斎したのが伊佐須美神社の起源とされている。
 その後、博士山、明神ヶ岳を経て欽明天皇十三年(552年)に高田南原の地に遷御し、更に同二十一年(560年)現在の宮地、東原に御神殿を造営した。その社峰があったところとされる。古を偲びながら10:50、社峰から20分で山頂(1482m)に着く。木々が伸びていて展望は部分的だが、わがふるさとも視界に入り、会津平野の末端に位置することがわかる。しばしの休憩の後下山。途中西側に巨大な山塊、飯豊連峰を認める。登りの尾根の‘超’の付く急坂ではないが、‘普通に’急な下りを2時間強で13:30大谷滝尾根登山口に到着。
 時間に余裕があるので迎車のマイクロバスに交渉して、昭和村のからむし工芸博物館を訪ねる。からむしは、イラクサ科の多年草で、苧麻(ちょま)とも言われ、繊維を青苧(あおそ)と呼んでいる。からむしを原料とする上布の生産地では、越後(越後上布・小千谷縮布)や宮古(宮古上布)、石垣(八重山上布)などがあり、昭和村は本州における唯一、上布原料の産地となっている。
 夜、前神さんが合流し、2度目の前夜祭。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
10月22日 7:40  (撮影カメラ:齋藤)
博士山への登山口にて
(後列左から宮武、岡田、齋藤、佐薙、本間、加藤)
(前列左から上原、小野、小島、中村、佐藤)
10月22日 8:20  (撮影:中村)
博士山道海泣き尾根の急登
(前から佐薙、岡田、小野)
10月22日 11:13  (撮影:齋藤)
博士山頂上にて
(後列中央左から佐藤、宮武、加藤、小野、佐薙)
(前列左から岡田、本間、中村)
10月22日 11:53  (撮影:中村)
博士山から下山
(前から佐薙、本間、岡田)


 ●23日(日)は志津倉山へ。標高1234m、美しいスラブとブナや栃の巨木が魅力的な変化に富んだコースを有するコンパクトな山。宿の出発は7時。7時40分過ぎに登り始める。スラブを右に見ながら1時間小沢を遡ると昨日に引き続いての急坂を木の根や岩に捕まりながら30分強登って三本松へ。そこから30分弱で稜線。15分程西へ進むと、志津倉山頂へ。残念ながらガスで眺望はなく、寒い。約1時間かけて急坂を下る。
何かと博識な佐薙先輩から不明な葉っぱの究明を命ぜられ、下山後図鑑とにらめっこした。結果、ヒトツバカエデであることが判明。
 最後のブナ平に出る頃から雨となり、残念ながら少し濡れてしまった。それに伴い、ガイド役の足が止まらなくなり隊が分散してしまった。反省、次回に活かします。ちょうど12時頃登山口に全員もどる。乗用車4〜5台が駐車しており、追い抜かれることはなかったが中々人気の山。迎車のマイクロバスで宿に戻り、入浴後多くのメンバーは会津若松駅まで送ってもらう。名物のあわまんじゅうをお土産にする。
佐薙大先輩を始め、諸先輩の健脚に驚かされた2泊3日の充実した山行だった。
 会津への列車によるアプローチは南部であれば浅草から東武を使って会津高原駅等へ直行できる。更に近く感じていただけるはずなので、またの来訪を心からお待ち申し上げております。

10月23日 7:35  (撮影カメラ:齋藤)
志津倉山への登山口にて
(左から中村、本間、加藤、前神、齋藤、
佐藤、小野、岡田、佐薙、宮武)
10月23日 8:07  (撮影:岡田)
登山口から1p、雨乞岩の大スラブを望む
10月23日 9:07  (撮影:中村)
志津倉山シャクナゲ坂の急登(小野)
10月23日 10:20  (撮影:齋藤)
志津倉山頂上にて
(後列左から加藤、本間、宮武、小野、前神、佐薙)
(前列左から岡田、佐藤、中村)


■リハビリ登山―――博士山――  小野 肇(昭和40年卒)
          *********** 2017年1月8日投稿

 2015年9月12日右肩脱臼、肩甲骨頭部のひび、腕神経叢麻痺の診断を受けてからリハビリに励み博士山は再起のリハビリ登山でした。
闘病記をまとめてみました。
 2015年の9月、道外の友人7人を夕張岳に案内した。夕張岳は道外の岳人には人気があり5年前から登りたいと所望されていたが林道が決壊して修復ならず延び延びになっていた。
 2014年に林道も修復され山小屋も新しく建て直したこともあり実現した。
 当日は小雨。12時過ぎに登頂、昼食後下山。13時頃左足をハイマツに引っかけ右足がすぐに前にでず右腕から転倒。ねんざでもなく骨折でもない。まさか脱臼とは…。右腕を三角巾で固定し鎮痛剤を飲んで下山。
 右腕使えず下山難渋する。携帯も使えず救助要請もできず空身でひたすら下山。2時間後鎮痛剤効力なくなり1歩、1歩に痛みが走る。
暗くなる前に駐車場までなんとか下り電波の届く国道まで車に乗せてもらう。救急車を呼んだが近くの病院では脱臼治す医師がいない。救急車は札幌まで。車がゆれるたびに激痛走る。21時札幌厚生病院でようやく肩を入れてもらう。痛み和らぐ。
 長時間外れたままのため腕の神経に麻痺が残り右指動かず以降回復に時間がかかってしまった。肩甲骨の頭部にひびがはいっていたので脱臼が治ったのは10月27日、1ヶ月以上もかかった。
 理学療法士によるリハビリが開始される。15分電気療法、15分温熱療法、30分マッサージを週5回受ける。11月14日、ペンで字が書け、15日、はさみ使え、パソコン操作できるようになる。11月19日、夜外出。左手で料理つまみさかずきを傾ける。11月27日、左手で除雪。やはり両手でないとうまくいかない。
 12月3日から作業療法士にもお世話になる。指を動かす訓練。痛い。2016年1月22日、カフスボタンつけることに成功。22日、ネクタイも締めることできる。2月26日、電気療法終了。5月9日、血液の循環よくする薬と痛み止め卒業。8月2日、理学療法士のリハビリ卒業。
 9月27日から週1回のリハビリとなり、今回の懇親山行後の10月25日でリハビリ終了。病院診察18回、リハビリは140日通った。ようやく病院から解放。
 博士山では無意識に右手がでて鎖や木をつかんで登っていた。登山再開できることに喜びを感じた博士山でした。 



■志津倉山  前神 直樹(昭和51年卒)
          *********** 2017年1月4日投稿

 秋の針葉樹会懇親山行として奥会津の博士山と志津倉山の計画が出てきたとき、日程を調べると支障無さそうで参加を表明した。両方ともこれまで聞いたことのない山名だが、福島県にいる斉藤君が計画してくれた山ならきっと面白いだろうし、そして紅葉が期待できるだろうと、思った。ただ日程が合うと言っても22日の土曜日にしか東京を出発できず、登れる山は志津倉山一つとなる。
 岡田さんから宿泊場所である柳津町・つきみが岡町民センターへの行き方を事前にお聞きしていたのにそれに従い東京駅のホームにて新幹線を待っていた。当該列車が入線して乗り込もうとしているとリュックを背負った小島さんが降りてこられる、「風邪を引いたみたいで博士山は止めて帰ってきた、みんな待ってるよ」と。こんなことってあるんだと思いながら列車に乗り込み郡山経由会津若松へ。会津若松から只見線に乗り換えるのだが、只見線と言うと上越線・小出から出ていることばかりが頭に浮かんで会津若松を結んでいるとはこれまで全く念頭になかった。柳津も「やなつ」ではなく「やないづ」と読むことも全く知らなかった。要は会津と言うと会津磐梯山しか知らず殆ど馴染みのなかったことを改めて認識。高校生と近隣の乗客しか乗っていない只見線で会津柳津に着いたが、駅に黄色一色の車で迎えに来てくれた斉藤君に「なんで只見線は小出行きではなく会津川口止まり?」と訊くに「2011年の大雨で鉄橋が流されて川口・只見間が不通、復旧には100億円以上の金がかかる」と。観光シーズンならいざ知らず、日常の大半の利用客が自動車に食われるのでは100億以上の金がかかる復旧はたぶん現実的ではないのだろうと感じる。
 (後日、たまたま週刊誌の鉄道の風景とかいうグラビアで、川の途中で見事に切り取られた只見線の写真を見たが、自然の威力の凄まじさを改めて思い知らされた)
 夕食ではいろんな話が出たが、中で最近は大学の規制で構内でのアルコールが禁止されているため部室での宴会が出来ない、山岳部にとってある意味重要なイベントなのに残念という話から、昔の山岳部宴会で各OBがどれだけの苦労をさせられたかの話で盛り上がる。

 翌23日(日)朝食を終えると町民センターで手配してもらったマイクロバスで出発。
 しかしこのマイクロバスがどこまで入るのかと思うくらい山奥に進んでゆく。会津若松に比べて柳津自体が随分奥まったところにあると思ったが、志津倉山の登山口は奥また奥だった。
 登山口には志津倉山の概念図が書かれていて斉藤君から我々は周遊コースを採るとの説明があった。それほど高い山ではないのだが、過去遭難した人間がいたとの表示もあったがどうしてこの山で遭難などあるのだろう、よほどの難所があるのだろうか。
 7時40分頃登山口を出発。天気は曇り。1ピッチほど行ったところで尾根の向こうにスラブ帯が見え、また雨乞岩なる岩場もあってこれが山名に倉が付いている所以だろうか。おそらく遭難もそういう場所で起きたのだろう。しかしこの辺りの岩場から見える紅葉は見事で期待通り。あまり紅い色は見えないが、楓類が多いのだろう黄色が空に映える。やはり紅葉の山は良いなと思う。
 やがてシャクナゲ坂と言われるところを登るが「坂」どころではない急傾斜。春なればシャクナゲがおそらく綺麗なのだろうが、今は花も何もなく、木の根っこや枝を掴んで必死になって体を持ち上げる。上を見ると今にも人が降ってくるのではないかと思うようなところもあった。なんとかこの「急坂」を越えると一転して普通の尾根道になり、のんびり歩いてゆくと志津倉山の頂上だった。附近の黄金色の紅葉も見事。学生時代の山はひたすら歩を進めるだけで植物も動物も何も愛でるようなことはなかったが、最近はそういう周りの景色にも随分気が向くようになってきている。
 前日にみなさんが登った博士山からは飯豊が見えたそうだが、この日は曇りで眺望はもう一つ。この辺りあまり馴染みのない地域なので付近の山ももう一つ良くわからない。のんびりと昼を食べると下山。登りほどではないがやはり急傾斜なところがあって、梯子やロープも張ってあるが、若いときに比べれば確実にバランスが悪くなっていて、こういうところも恰好良くは通過できない、やや不恰好な体勢で降りてゆく。
 下山の途中で佐薙さんから紅葉した楓の葉に付いて講習を受けたが、レベルが高すぎて頭にすんなりと入ってゆかない。博物学の世界はすごいと感嘆することしきり。
 二時間足らずで元の登山口到着。既にマイクロバスも来ていて、幹事の手際の良い手配に感謝である。
 宿で身繕いをするとそれぞれに帰京、帰宅。佐薙、小野、本間、岡田、中村、宮武の諸先輩と私は会津若松駅近くの蕎麦屋で一杯、店のお姐さんに薀蓄をいろいろ訊きながら地酒を楽しませてもらって、山を終えた。山登りそのものよりもその後の一杯がなかなか嬉しいひと時になってきている。


会   報
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■2016年10月21〜23日 越後・会津シリーズ懇親山行(速報)
 岡田 健志(昭和42年卒)
          *********** 2016年10月24日投稿

 2016年10月21日〜23日に奥会津の柳津町のつきみが丘町民センターに2泊して開催。
 現地近くに生まれ育ち、今も福島県庁に勤務している会員、齋藤誠さん(昭和63年卒)の案内で、博士山(1、482m)と
 志津倉山(1、234m)に登ってきました。
 黄葉の真っ盛りの会津の山を、みんなで楽しむことができました。
 (山行幹事 岡田)

▼写真をクリックすると大きく表示されます
10月22日 博士山への登山口にて 10月22日 (撮影:岡田) 博士山頂上にて
10月22日 8:20 (撮影;中村)
博士山 道海泣き尾根の急登
(前から佐薙、岡田、本間)
10月23日 9:06 (撮影:中村)
志津倉山 シャクナゲ坂の急登(小野)


会   報
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■2016年10月14〜17日  大峯奥駈道縦走(その2:弥山〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳)  中村 雅明(昭和43年卒)
                                           ******2016年12月25日投稿

 本山行は2015年4月の大峯奥駈道縦走(その1:吉野山〜山上ヶ岳〜奥駈道出合)の続きとして計画しました。当初はトンネル西口から奥駈道出合に登り、弥山〜八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜太古ノ辻まで縦走し、さらに南奥駈道を熊野本宮まで縦走して大峯奥駈道縦走を完遂させる目論みでした。昨年の山行直後にメールで報告した藤原朋信さん(昭44)が「前鬼から玉置山は歩いたことがないので来年は同行します」と同行を約束してくれていました。また、今年の年賀状で伊勢の弁護士田形祐樹さん(平6)に「一緒に行きませんか」と声を掛けた所、同行の返事がありました。
 仕事現役の田形さんが日程を早く決めたいということだったので4月初旬に出発日を10月14日(金)に決めました。田形さんは長期に仕事を休めないので14日天川川合、15日弥山小屋、16日八経ヶ岳を往復後天川川合に下山の行程としました。中村は八経ヶ岳で田形さんと別れて釈迦ヶ岳〜持経ノ宿で藤原さんと合流します。
 藤原さんは13日の夜行バスで奈良入り、14日吉野山〜二蔵宿小屋、15日山上ヶ岳〜行者還小屋、16日八経ヶ岳〜釈迦ヶ岳〜持経ノ宿で中村と合流。藤原・中村は17日笠捨山〜玉置神社、18日熊野本宮着の行程も決めました。藤原さんは1回で奥駈道全コース踏破のパワフル行程です。
 これで日程、コースが決まりましたが、6月末に奥会津(志津倉山、博士山)懇親山行が10月21〜23日に行なわれる案内がありました。藤原さんは前から志津倉山を狙っていました。中村も参加を希望したので、17日に縦走を太古ノ辻で切り上げ前鬼に下ることにしました。さらに8月に藤原さんが体調を崩したことから参加を取りやめました。
 キリマンジャロ山行から帰った10月初旬に、天川川合の民宿、弥山小屋、前鬼の宿坊を予約し、山行準備が終わりました。弥山小屋は以前泊まったことがある藤原さんから食事がひどいと聞いていたので素泊まりにして自炊することにしました。山行直前の天気予報で好天が見込めそうなので意を強くしました。

 <メンバー>
  中村 雅明(14〜17日)、田形 祐樹(14〜16日)

 <行程・タイム>
  10月14日 東京(7:33) =(新幹線)= 京都(10:11〜40) =(近鉄)= 下市口(12:31〜13:20)=(バス)= 天川川合(11:14)
         =(宿の車)= 民宿あおば(14:30)
         ※田形さんは伊勢の事務所から自家用車で民宿入り(17:50)
  10月15日 民宿あおば(8:50) =(タクシー)= トンネル西口(9:30〜40) − 2pで奥駈道出合(10:36〜45)
         − 聖宝ノ宿跡(11:30〜39) − 2pで弥山山頂(12:39〜13:00)
         ※弥山小屋に荷物を預け八経ヶ岳往復
           弥山小屋(13:30)− 八経ヶ岳(13:50〜14:22) − 弥山小屋へ戻り(14:42)
  10月16日 弥山小屋(5:57) − 八経ヶ岳(6:20〜27)− 2pで楊枝ヶ宿小屋(8:43〜58) −仏生ヶ岳先(9:35〜40)
         − 2pで釈迦ヶ岳(11:31〜58)− 深仙小屋(12:28〜35)− 太古ノ辻(12:50〜56) − 二つ岩(13:30〜35)
         − 2pで前鬼小仲坊(14:30)
  10月17日 前鬼小仲坊(4:23) − 小仲坊へ戻り(5:22)− 2pで前鬼口(7:34) =(バス)= 大和上市(9:25) =(近鉄)
         = 京都 =(新幹線)= 東京




『大峯奥駈道概念図』 赤線は今回のコース



●10月14日(金) 晴れ後曇り
 7:33の新幹線ひかりで東京を出発。京都で近鉄に乗り換え、下市口に12:31着。13:20発の中庵住行のバスに乗って14:15天川川合のバス停に着きました。バスに乗る時に連絡しておいたので、民宿のおばさんが車で迎えに来ていました。宿の部屋に落ち着くとおばさんに「明日は必ず登山届を出して下さい。」とかなり強い口調で言われ訝しがりましたが、続いての話が驚きでした。単独で弥山へ出かけた島根県の土木部長が行方不明中で、9日下山予定だったので既に5日経っている、職場の同僚、奥さん、息子さんの3人が同じ宿に泊まっているとのことでした。登山届を出していなかったので捜索が難航していることから最初の話があったのでした。
 伊勢の事務所から車を走らせて来た田形さんが18:00前に到着しました。田形さんとは久し振りに会いましたが、以前と違って眼鏡なし、筋骨逞しくなって見違える風貌で別人の様です。
 日頃トレーニングに励んでいる成果とのことで、その具体的な内容が山行中の山以外の主な話題となりました。
 直ぐに夕食。夕食はこの宿名物の18種類の天ぷらです。自分で衣を付けて臺状の天ぷら鍋の中で揚げます。野菜、肉、魚はもとより栗、餅等の変わった具があり楽しめます。
 捜索立ち合いの3人も一緒でした。今日は捜索本部に詰め、明日は捜索活動は休み、明後日に再開するのでしばらく滞在されるとのことでした。流石に心痛のご様子で誠にお気の毒でした。8時前には明日の荷物の整理を済ませ、田形さんが風呂に入っている内に寝つきました。

●10月15日(土) 快晴後曇り
 今日の行程は短い(2時間)のでゆっくり起床&朝食し、予約してあったタクシーで8:50にトンネル西口へ向けて出発しました。車中の話題はもっぱら遭難の事です。運転手は登山道に精通し、過去の遭難の事も良く御存知でした。行方不明の可能性が1番高いのが弥山小屋から天川川合に下るコースで、16日に田形さんが同じコースを下るので、迷い易いポイントを教えてもらいました。40分でトンネル西口に着きました。駐車場には土曜日なので自家用車が沢山停まっていました。ここに地元の山岳会の方が捜索に出向いていたので、田形さんは話を聞き地図も入手しました。
 登山口で登山届を提出して9:40登山開始。奥駈出合までは急な登りの連続ですが、2p約1時間で奥駈出合に着きました。昨年は冷たい雨に震えましたが、今日は暖かい日差しを浴びて心地良く休みました。
 出合から弁天ノ森〜聖宝ノ宿跡まではシロヤシオ、ブナ原生林な中をゆるやかに登ります。。6月上旬にはシロヤシオの花回廊となるそうです。紅葉には未だ早いですが、明るく気持ちの良い尾根道です。1pで理源大師像のある聖宝ノ宿跡。ここから聖宝八丁(胸突き八丁)と呼ばれる急坂が弥山小屋まで続きましたが、2p1時間で弥山山頂(1,905m)に着きました(12:39)。弥山頂上には天河弁財天の奥宮があります。その前に芝生が広がり、左手前方に八経ヶ岳を望む気持ち良い山頂で昼食。田形さんがスマホで調べた天気予想では明日は午後から雨予報なので今日八経ヶ岳を往復することにしました。弥山小屋にザックを預けて、小屋の前からトウヒ、シラビソの純林を古今宿の鞍部まで下り、登りにかかってオオヤマレンゲを鹿の食害から守る保護柵の扉をくぐりしばらく登り、小屋から20分で近畿最高峰八経ヶ岳山頂着(13:50)。360度の大展望を楽しみました。北方に弥山、山上ヶ岳、稲村ヶ岳、東方眼下に白川又川の深い谷筋、南方に釈迦ヶ岳、さらに南奥駈道の峯々を満喫しました。30分たっぷりと頂上を楽しんで3時前に弥山小屋に戻りました。
 田形さんはすこぶる元気で、小屋の前で日頃のトレーニングの一端を披露してくれました。立命館大スポーツ健康科学部長の田畑泉教授が考案した「タバタ・プロトコル」を実演してくれましたが、全力に近い運動を20秒続け、10秒休むことを8回繰り返すことで効率的に持久力を高めることが出来るそうです。年配者にはとても真似できない激しい運動を実践している田形さんに敬服しました。受付を済ませ小屋に入りました。
 弥山小屋は収容人数200名の大きな小屋です。土曜日なので混んでいます。我々は素泊まり(5,500円)、自炊です。山行前の調査で自炊場なしとの事でしたが、入口の土間奥に炊事台があり座りながら炊事が出来る良い炊事場があり助かりました。夕食はお湯だけで出来る“フリーズドライ”食品オンパレード。主食は五目ごはん、にゅうめん、おかずはおさかなボール、サンマの旨煮、それにきゅうり+味噌の夕食メニューは田形さんに満足してもらえました。夕食が済むと宿泊部屋に入りました。夕食後のビールで天気に恵まれた今日の山行を祝して乾杯。小屋で夕食を済ました相部屋の2人と暫し談笑しました。「食事はどうでしたか」と聞くと「まあ良かったですよ」と予想外の答えがありました。「明日下山しますが、良い温泉知りませんか」と聞かれたので昨年宿のご主人に案内していただいた「天の川温泉センター」を教えました。部屋はストーブで暖房され、ふとんも大きく厚いので暖かく安眠できました。


▼写真をクリックすると大きく表示されます。
10月15日  10:38(撮影:中村)
奥駈道出合にて(田形)
10月15日  12:40(撮影:中村)
弥山山頂・天川弁財天
 10月15日  13:55(撮影カメラ:田形)
八経ヶ岳山頂にて
(左:田形、右:中村)



●10月16日(日) 曇り  
 まだ暗い4:30に起床、リヒトを点けて朝食の準備。朝食はわかめうどんに切り餅2個、お湯が沸けば直ぐ出来上がります。朝食を済ませ、外が明るくなった6:00に出発しました。一面のガスです。今日の天気が心配です。天川川合に下山する田形さんと別れ、八経ヶ岳に向かいました。20分で八経ヶ岳着。昨日と違って展望は全くありません。女性が1人休んでいました。
 千葉を昨日朝出発し、飛行機で関空に飛び、空港からレンタカーでトンネル西口へ。夕食の時刻までに弥山小屋に着いたとの事。そのパワフルな行動に驚きました。
 6時半前に八経ヶ岳を後にして楊枝ヶ岳小屋に向かって下りました。午後には雨が降り始めるだろうと考え、自然に足が速くなります。明星ヶ岳は巻き、菊ノ窟遥拝所を過ぎた鞍部で小憩。雨の気配がしたので雨具のズボンを穿きザックカバーをして雨が何時降っても良い様にしました。次のピッチで楊枝ヶ宿避難小屋着(8:43)。立派な小屋です。1回目の昼食を済ませ釈迦ヶ岳に向かいました。仏生ヶ岳まではかなりの登りです。孔雀岳を越えたから岩混じりの険しい稜線を歩くうちに岸壁の裂け目、両部分けに達しました。吉野からここまで金剛界、これより先、熊野までが胎蔵界とみなされます。
 両部分けから釈迦ヶ岳までは急な登りの連続で息が切れました。11:31釈迦ヶ岳着(1,799.9m)。弥山小屋から5時間半。ほぼコースタイムで来ました。登山者が2人休んでいました。私の後に逆コースから3人到着し、賑やかになりました。頂上に立つ釈迦如来像は高さ3.7mの銅像で大正13年に吉野の剛力(オニ雅)が像を3分割して前鬼から一人で運び上げたとの事。下から見上げると大変立派です。銅像の下で2回目の昼食をゆっくり摂って11:58m、深仙小屋に向けて下りました。昼頃には雨を覚悟していましたが、薄日も差して来たので助かります。深仙小屋まで急な下り30分。小屋は中央にたき火が出来る土間、三方に90cm幅の木床があり泊るのは快適そうです。小憩後、大日岳に向けて登り頂上の岩峰を巻いて12:50、今回の縦走の到達点である太古ノ辻に着きました。太古ノ辻より南は南奥駈道と呼ばれ、指導標に「本宮まで45キロ、24時間」と表示されています。吉野からここまで約2/3の縦走が終わりました。
 来年はここから本宮まで縦走し全コースを踏破する目途が立ちましたので感慨一入です。
 太古ノ辻から前鬼までコースタイム1時間半の下りです。3p1時間半で14:30前鬼小仲坊に着きましたが、下り30分の二つ岩までは急な木の階段が連続する下りなので、来年の登りが思いやられました。
 前鬼の里は役行者の従者前鬼の子孫が代々継いだ宿坊で、明治の半までは5軒の宿坊があり奥駈行を支え続けてきましたが、今は小仲坊1軒のみ。営業は土日祝・連休・年末年始のみです。幸い今日は日曜日なので予約した時に61代目当主の五鬼助(ごきじょ)義之氏が「前鬼口から上がりますから」と約束してくれました。五鬼助氏の住居は本坊で、修行者・登山者は「前鬼山小仲坊」の看板が掲かる宿泊棟(収容人員50名)に泊まります。宿泊棟の前にザックを置き、本坊に五鬼助を訪ね挨拶すると「随分早く着きましたね。直ぐに風呂を沸かします。」と言ってくれました。弥山小屋から8時間半。普通の登山者より1時間位早く着いた様です。明日は前鬼口1日1本7:34発のバス(R169ゆうゆうバス)に乗るために林道を10km近く、2時間半歩かなければなりません。安全を見て4:30に出発した方が良いと五鬼助氏に言われました。宿泊棟に入り、濡れものを整理している内に風呂が沸いたと声がかかりました。相当汗をかいて下山したので大変気持ち良い風呂でした。風呂から上ると奥さんから「夕食は4時からでいいですか」と聞かれました。少し早い時刻と思いましたが「いいですよ」と答えると、「お客さんの食事が済んだら前鬼口に下ります。ここは自家発電なので夜は真っ暗になります。朝食はお弁当を用意します」と言われ、小仲坊の流儀が判りました。夕食を本坊の縁側で庭を眺めながらゆったり頂きました。味もボリュームも十分満足しました。
 宿泊棟に戻って、暗くなる前にと布団をひいて寝支度です。宿坊は32畳敷で、隅っこに布団を敷き、夕食時に飲んだビールの酔いもありまだ明るい6時前に眠りましたが、8時頃に目がさめてそれからがいけません。昼間の疲れがあるのになぜか目がさえて全然寝つけません。昨年、南ア・百闢エで小島さんが一睡も出来ずに朝を迎えたのと同じ様でした。止む無く1時間毎に別棟のトイレにいったり、お湯を沸かしてコーヒーを飲んだりして気を紛らわしましたが時間が経つのが遅くて困りました。

▼写真をクリックすると大きく表示されます。
10月16日  8:08(撮影:中村)
八経ヶ岳からの下りにて
10月16日  11:31(撮影:中村)
釈迦ヶ岳山頂・釈迦如来像
10月16日  12:52(撮影:中村)
太古ノ辻
10月16日  16:40(撮影:中村)
前鬼小仲坊・宿泊棟



●10月17日(金) 雨後晴れ  
 3時に起き出して下山支度しました。 生憎、強い雨が降り出していました。雨具上下、スパッツの完全雨支度をしてリヒトを点けて4:23に出発しました。外は真っ暗、しかも大粒の雨なので歩行ままなりません。リヒトが照らす狭い範囲、弱い光では道路の全貌が判りません。ガードレールと道路際の白線を頼りに下りました。ところが、落ち葉などで白線が隠れている箇所は不安です。20分位下ると一般車両通行止めの鎖が道路一杯に張ってありました。
 それを跨いてしばらく進むと白線が見えなくなりました。自分としては真っ直ぐ進んでいると思っていましたが足の向きが変わっていたのです。そこで完全にユーターンしたのに全く気づきませんでした。少し進み先ほど跨いだ車留め鎖を跨いだときは、先に進んだ道にも鎖止めがあるのだと思い込んでいました。実は下ってきた道を登り始めたのです。昨晩、奥さんから「一本道なので暗くても迷いません」と聞いていたので、真っ直ぐ歩いていると思い込んでいる自分は先を急ぎました。昨日、地図も見ながら道の様子を詳しく聞いておくべきでした。そうすれば誤ってことをもっと早く気が付いたでしょう。登りが続くのでおかしいなと思いましたが、林道は下りだけでなく登りがあることも多いのでいずれ下りになるだろうと思いそのまま進みました。随分登った後さすがにおかしいなと思った頃、道がなくなり人家が出てきました。
 この頃には夜が明けて視界が利き始めました。何たること、1時間前に出発した前鬼の小仲坊ではありませんか。茫然自失、時計を見ると5:22、1時間のロスです。30分の余裕を失ったばかりか、30分ロスしてバスの時刻まで2時間しかありません。お粗末なのはこの時点でユーターンしたと思わず、なぜ振り出しの戻ってしまったのか不思議でした。頑張れば2時間でバス停に着ける可能性があると思い直して下り始めました。もうリヒトなしで歩けるので先ほどまでの暗闇の中の歩行と全く違います。最初の車止めを過ぎてなお下りがずっと続くので初めてユーターンしたことに気が付きました。視界がない雪原ならぬ暗闇林道でのリングワンダリング!こんな経験をするとは! 暗くなければ間違えようがない道です。
 その後はひたすら急ぎました。大粒の雨は止まず、傘を差していても、靴下が濡れ、雨具を通してシャツも次第に濡れてきました。林道が前鬼川に沿って進む様になると緩やかな下り、時折登りがあるので距離が稼げません。休みを取らず1時間半歩き続けましたが、7時半を過ぎると7:34までに前鬼口に着くのが厳しくなったと悲観的になり、疲れも激しいので廃屋で5分休憩しました。ここでもう間に合わないと諦め、ペースダウンして歩き始めました。タクシーを呼んで上市に行こう、でもタクシーが呼べるだろうか、五鬼助さんに電話しようか・・・善後策を考え始めました。
 ところがすこし歩いていると大きな車道に出て「前鬼登山口」の看板を見つけました。そればかりか道路脇に「前鬼口」のバス停があり、「あれ、着いたのだ」と嬉しくなりました。時計を見ると何と7:34、バスはまだ来ていないかもと期待して待つと1分もしない内にバスが来ました。1度諦めたバスに乗れたのでこの上なく嬉しかったです。バスに乗ってからスパッツを脱ぎ、濡れた雨具を脱いでようやく座席に座れました。上市までたっぷり2時間もかかり、途中のバス停の様子ではタクシーを呼べる感じがしなかったのでこのバスに乗り遅れたら途方に暮れたことでしょう。今日帰れなかった可能性があった、まだ運が残っていたと思いました。
 大和上市に9:25に着き近鉄に乗って、ようやく藤原さん、田形さんに下山報告の電話をして山行を終了しました。京都経由で東京に着くまで乗り換えが忙しかったので、濡れた靴下、下着を換えることも出来ずそのまま帰宅しました。
 最後はさんざんな下山でしたが、弥山、八経ヶ岳、釈迦ヶ岳を登り、修験の拠点前鬼を訪れることが出来たので充実した山行でした。来秋には前鬼から太古ノ辻に登り南奥駈道を熊野本宮まで縦走して、大峯奥駈道縦走を完遂したいと思います。

【 後日談 】
** 1. 弥山小屋から下山中に行方不明となった島根県の土木部長が22日に13日ぶりに発見されました。正午ごろ、自力で弥山の中腹の栃尾辻へ辿り着き、登山者に救助を求めました。
衰弱しており病院に搬送されましたが、命に別状はないと報じられました。
別報に「登山道を外れて滑落した。湧き水を飲んで過ごした。」「2週間食べていない。胸や腰が痛い。」との遭難者のコメントが載っています。この時期、夜間の山中は寒く、17日は夜半から明け方まで強い雨が降ったので、絶望的ではないかと危惧していたので正に奇跡的な生還です。
今回の遭難の教訓は@登山届は必ず提出すること、A八経ヶ岳が100名山に入っているので大勢の登山者が押し掛けますが、山が深く道を誤る危険が大きい山域であることを知らしめること、B指導標の増設です。
2. 弥山小屋の名誉に関わることなので以下付言します。
山行前に調べたインターネットの情報では、小屋番が不愛想、食事は出来合いが多く、とても勧められないなど悪評でした。
それを真に受けて今回は自炊しました。ところが小屋番の対応も普通で、前述の様に夕食を食べた人から問題ないと聞きました。
帰宅してから確認したところ、@悪評の記事は2009年の古いものA最新の山小屋案内で管理人が変わったことを知りました。
小屋番も変わった様です。


■2016年10月16日  天下川合への下山  田形 祐樹

 田形は中村さんと山荘で別れてから、途中2回ほどの休憩を入れて、08:50に下山。コースタイムの6割くらいの時間だった。天気も悪くなかったので、下山道も特に迷うようなところはなかったが、天気が悪かったり、ガスっていたりしたら、迷うのかもしれない。実際に、以前に遭難した方は、この下りで遭難している。











会   報
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■2016年10月13〜16日  南ア・荒川三山〜赤石岳  佐藤 周一(昭和54年卒)
        *********** 2016年11月10日投稿

【参加者】 神野 隆・佐藤周一(ともに昭54卒)
        K女史(佐藤の登山ガイド受講生仲間)

【本計画の経緯】
 本年10月上旬(7日〜9日)には、兵藤元史さん発案による甲斐駒・仙丈ケ岳行の計画が立てられていたが、その実施の10日ほど前に、佐藤(周)の登山ガイド講習仲間であるKさん(40歳・佐久市在住)から「南ア南部の百名山に登りたい」とのリクエストが寄せられた。神野と佐藤(周)にとっても、38年前の春山合宿中に起した悪沢岳滑落遭難事故の現場を再訪できる機会でもあり、甲斐駒・仙丈ケ岳行から下山後は一旦、松本市内の兵藤先輩の実家に戻るも、中2日で再び南ア・荒川三山と赤石岳を目指す延長戦として位置づけた。
 当初は静岡側から入山して、椹島を起点に千枚岳〜荒川三山〜赤石岳〜椹島の周回ルートを想定していたが、稜線上の山小屋が10月初旬の三連休を最後に閉鎖されたために椹島までの東海フォレストのバスが使えないので、急遽、長野県側からの入山ルートである三伏峠から荒川三山経由で赤石岳を狙い、山中の避難小屋に3泊しながら長躯ピストンするというプランに変更した。

【第1日目:10月13日(木):晴れ】
 前日のうちに、鳥倉林道の入口に近い小渋温泉・赤石荘に宿泊していた神野と佐藤は、朝食を握り飯弁当にしてもらい、払暁の5時過ぎに車で出発した。
赤石荘は大鹿村の外れに位置し、リニア新幹線のトンネル工事現場に近いことから、鹿島建設などJV関係者の常宿となっていた。夕食時も、登山者は他に見当たらず、工事関係者の方が多かった。
 少しづつ明るくなった林道脇で、鹿の家族?が朝食中なのを横目で見ながら鳥倉林道を走ること30分ほどでゲートに到着。K女史は昨夜遅くに着いて車中泊していた。身支度とトイレを済ませ、いざ出発。神野と佐藤には、前哨戦の甲斐駒・仙丈が山中の2日間ともに降られて北沢峠でのテント沈を強いられただけに、今回はリベンジの気持ちが強い。
 7時には三伏峠への取り付きに到着し、神野・K女史・佐藤のオーダーで登山開始。Kさんは40歳を迎えたスリムな女性で、見た目は若く独身かと思わせるが、なんと5年前に離婚して3人の娘を養育するシングルマザー。厳しい状況下ながら、永年の夢である登山ガイド志向が諦め切れず、大阪から昨年、山に囲まれた佐久市に移住し、アルバイトで生計を立てながら、トレーニング山行やガイド講習に参加するというタフガール。留守中の家事は、中1・小5・小3の3人姉妹が協働でこなしているとのことだが、これから娘たちの多感な時期を控え、教育費も掛かり始めるのに・・・と他人ごとながら心配してしまう。
 そんな身の上話をするうち、9時半には三伏峠に到着。大半の登山者はここから塩見岳を目指しており、赤石方面に踏み出すのは少数。稜線に出ると右側(西側)が崩壊によりガレた地形が続く。烏帽子岳を過ぎ、前小河内岳に着くと漸く荒川三山が視野に入ってくる。小河内岳には丁度お昼に着き大休止。頂上直下の避難小屋を見に行くと、2階から入る冬季小屋はよく整備されて快適で、最終日にお世話になるのは悪くない。但しトイレが夏季期間中だけ使用可で、冬季は扉が打ちつけられて使用できなくなっているのは辛い。
 小河内岳から急坂を下り樹林帯に入ると、北八ツや奥秩父を彷彿とさせる広くて気持ちの良い尾根を辿る。時々現れる草原は盛夏には高山植物の乱れ咲く花畑らしい。大日影山・板屋岳を過ぎ、樹林の間を下降していくと初日の宿泊地である高山裏避難小屋が見えてきた。
 小屋には先客が2組いたが、いずれも室内の板敷きの上にテントを張っている。厳冬期ならともかく、狭い板敷きをフルに使っても精々10数人しか泊まれそうにない小屋なのに、半分以上のスペースを3人(1組は高齢カップル、もう1組は単独)で占有するのは如何なものかと感じ、神野がそれとなく注意すると、カップルの男性は「人が来たら片付ければ良いだろう」と開き直る。神野と佐藤が水汲みに行っている間、Kさんが小屋の外で一服していたら、この男性が「後から来たくせに偉そうな物言いをしやがって。あんな奴等は凍え死んだら良い」との声が聞こえたというから恐ろしい・・・。

  5:20 赤石荘 → 6:00 鳥倉林道終点駐車場 → 7:00 登山口取り付き → 9:30 三伏峠 → 12:00 小河内岳 
  → 15:50 高山裏避難小屋(泊) 

【第2日目:10月14日(金):晴れ】
 今日と明日は、神野一人と佐藤+Kの2パーティーに分かれることになる。理由は2年前に前立腺癌の手術を受けリハビリ中の神野には、荒川前岳の登りを越えて赤石岳まで行く負担が大きく、安全策として高山裏から悪沢岳までのピストンをして小屋に連泊し、3日目は昨日立ち寄った小河内岳避難小屋まで進み、そこで佐藤らの帰還を待ち受けるというもの。
 小屋から尾根の左側をトラバース気味に上がり、ケルンが置かれた地点から右折し前岳頂上に向かっての広いガレ場をひたすら登る。標高差700メートル近くを3時間半かけて頂上に到着。稜線上は風が強く、赤石岳の大きな山塊が目に飛び込んでくる。
 前岳と中岳のコルに荷を置いて、空身状態で悪沢まで往復する。途中の中岳避難小屋は小河内岳のそれと類似。悪沢岳とのコルに向かって下降していくと、38年前の遭難現場である急斜面が目の前に広がって来る。
 あの春合宿中、頭部と左足を骨折し瀕死の重傷を負った中西を収容するテントを立てたコルは、こんなに狭かったのかと当時の感覚との相違に戸惑う。そして自衛隊のヘリはよくこんな場所でホバリング出来たものだと感心する。コルから数十メートル上がった地点に、滑落時に衝突したと思われる大岩がある。そこから上部100メートル近くにわたり白くザレた浅いルンゼ状の地形が見えるので、恐らくここを真っ直ぐに落ちたものと推測されるが確証はない。時間の経過と共に記憶が曖昧になってしまっており、事故後の雪が消えた時期にでも速やかに現場検証に来ていれば・・と悔やまれるが後悔先に立たず。
 急斜面上部の岩場を越えると緩斜面となり、しばらくで悪沢岳(荒川東岳)山頂に着く。遮るもののない360度の眺望を楽しんだ後、往路を戻り、前岳コルにてパーティーを分ける。(以下は佐藤+K女史の縦走組の記録)
 荒川小屋に向かって始めは左下へのトラバース下降、やがてジクザグの急下降となり30分ほどで小屋に着く。丁度、小屋番の若い男女二人が小屋閉めして下山するところだった。千枚小屋を経て下りる二人に労いの声をかけ、当方はテント場そばの水量豊かな水場でたっぷり補給し、本日最後の登りに挑む。
 大聖寺平まではライチョウが遊ぶハイマツ帯をトラバースし、広い平から徐々に傾斜を強めていく。小赤石岳の肩に出る直前の急傾斜で道をロスト。丈の低いハイマツ帯を強引に直上する。30分ほど余計な汗をかいて稜線に出た。ここからは雄大な景観を左右に楽しみながらの稜線漫歩。風も穏やかながら、すでに4時を回って日が傾き出しており励まし合いながら赤石山頂を目指す。
 山頂に着いたのは5時少し前。11時間近くに及ぶハードな行程は夕日に照らされながらフィナーレを迎えた。寒さを感じるので早々に山頂での憩いを切り上げ、百メートルほど先の避難小屋へ。
 小屋には単独行の先客のみで、快適で広い小屋に安心したが、なにより驚いたのは豊富な残置食材の山・・。どうやら9月末までの夏季営業期間中に売れ残った食材で、管理人によるメモ書きには「どうぞご自由に利用を」とあり、寸志を入れる箱が置いてある。ペットボトルの飲料各種、缶ビール等のアルコール類、カップ麺やレトルト製品、おでんのパックまで箱単位で置いてある。
 今夏の不順な天候のせいか、もしくは仕入れ量の見込み違いか、いずれにしろ想定外の「プレゼント」に欣喜雀躍。ワンカップを燗酒にして、おでんをつまみながら演歌をうなる・・山頂小屋での豪華な晩餐となった。 

  6:00 高山裏避難小屋 → 9:30 荒川前岳 → 11:00 悪沢岳 → 12:00 荒川前岳 → 13:00 荒川小屋 
  → 16:45 赤石岳山頂避難小屋(泊)
       






10月14日 撮影午後2時頃
大聖寺平から小赤石岳に向かう途中から「荒川三山」を撮影。
悪沢=荒川東岳は右側の山。


【第3日目:10月15日(土):晴れ】
 放射冷却のためか冷え込んだ朝。早々に食事を済ませ、ご来光を拝んでから下山しようと身支度を整え山頂に立つも、余りの寒さにじっとしておれず、そのまま歩き出す。すると小赤石山頂付近で富士の中腹から太陽が顔を出した。角度から考えて、聖岳辺りなら「ダイヤモンド富士」が見えたかもしれない。
 帰路は荷も気も軽くなって快調に進み、荒川小屋から前岳への登りを終えてコルに着くと、今回の山行の核心部を終えられた安堵感で満たされる。しかし、ここからの落差ある大下降で膝がガタガタになり、高山裏避難小屋に着いた時点では「ここから神野にサポートしてもらえれば・・」と感じる。気を取り直し、緩い樹林帯の登りを神野や私の各種「しくじり人生」を語りながら歩く。森林限界を抜けたところで本日最後の休憩。K女史からの貰いタバコが美味い。
 小河内岳山頂に着くと、小屋からサンダルで来た神野とバッタリ出くわす。再会を喜び避難小屋に入ると、先客が二組(女性二人連れと単独男性)。女性組から具沢山シチューのお裾分けをいただき、縦走中の2日間の話をしながら最後の夜が更けていった。

  5:30 赤石岳避難小屋 → 7:40 荒川小屋 → 9:40 荒川前岳 → 11:40 高山裏避難小屋 → 15:30 小河内岳
  → 15:40 小河内岳避難小屋(泊) 

【第4日目:10月16日(日):晴れ】
 今朝も無風快晴だが、日が出る東方面の水平線は雲に覆われており、昨日のような綺麗なご来光は拝めなかった。山頂周辺で写真を取り続けている先客たちを後にして下山開始。三伏峠は塩見岳から下りて来た登山者で賑わっていた。
 3日間の溜まった疲れを膝や腰に感じながら下り、登山口に到着。折り畳み自転車が数台置いてあるのは、駐車場からの林道歩きを嫌う人たちのモノか?
その林道をおしゃべりしながら歩いて車に着き、登山終了。K女史とはここで別れ、神野と佐藤は松川インター近くの温泉で汗を流して帰路についた。

  6:00 小河内岳避難小屋 → 8:30 三伏峠 → 10:00 登山口 → 10:40 林道終点駐車場(解散)
      
 

10月16日  8:35
三伏峠にて(左から神野、K女史、佐藤)
近くで休憩していた別パーティーの方に撮影していただく。

【最後に】
 登山ガイド修業を始めた今年、各種講習会の合い間に各地の山へ出掛けたが、今夏までの不順な天候続きで「不完全燃焼」の日々が多かった。その鬱憤を一気に解消するかのような4日間の晴天に恵まれ、またパートナーにも恵まれて、懸案で念願の悪沢・赤石の山頂に立つことが出来た。20キロ近い荷を背負い、10時間超えの行動が出来るか、出発前は少々不安であったが、なんとか踏破出来たのは達成感があった。出発前日、9月までに終えたガイド検定試験の合格通知が下宿先に届いていたこともあり、来年度から業務を始めることに名実共に自信を持つことが出来た有意義な山行であった。神野君、Kさん、ありがとう。


会   報
***



■2016年9月25〜28日 南アルプス赤石岳・荒川三山縦走記 吉沢 正(昭和42年卒)
          *********** 2016年10月13日投稿

 9月下旬長雨の合間を縫って、妻(浩子)と二人で南アルプス南部主峰の赤石岳・荒川三山の踏破を目指した。赤石岳は確か山岳部現役生だった50年程前に、1年先輩の佐藤久尚氏ほか数名と赤石沢を遡行して登頂しており、それ以来のチャレンジだ。その当時このエリアはアプローチが悪く、山梨県側から入り転付峠経由で沢の取付きまでに1日以上かかったのを覚えている。今では静岡県側からマイカーやマイクロバスを使って登山口の椹島まで足を使わずに行ける。
 この赤石岳・荒川三山は昨年夏に小島和人、中村雅明両氏が聖岳・光岳登頂を含めた大山行計画を作成した際に、その前半部分を成していた。その時は千枚岳、荒川三山、赤石岳を無事通過したものの、聖岳に向かう途中でメンバーの体調不良のため計画を中断し、赤石岳へ戻って下山している。今回は両氏の行程とは逆に時計回りでまず赤石岳に登り、荒川三山を経て椹島へ下山するルートを選んだ。

【行程概要】
** 9月25日(日)  8:00 横浜の自宅を車で出発→10:00 新東名高速道路の新静岡インター着→
13:00 県道27号、189号、60号を経由して畑薙夏季臨時駐車場着→
15:00 特殊東海フォレストの送迎マイクロバス乗車→15:50 椹島ロッジ着
9月26日(月) 6:00 ロッジ発→8:10 カンバ段着→10:00 標高2,325m地点着→12:00 赤石小屋着
9月27日(火) 5:30 赤石小屋発→6:20 富士見平着→7:20 北沢源頭着→9;00 赤石岳への分岐点着→
9:30 赤石岳頂上着→10:50 大聖寺平着→11:30 荒川小屋着→13:30 中岳(避難小屋)着→
15:00 悪沢岳着→16:20 千枚岳着→16:50 千枚小屋着
9月28日(水) 5:30 千枚小屋発→6:40木馬道跡着→7:40清水平着→9:40鉄塔下着→11:30椹島着→
14:00 マイクロバス乗車→14:50 畑薙夏季臨時駐車場着、マイカーにて寸又峡の温泉宿に向かう。

【山行記】

●9月25日(日) 晴れ

 朝8時マイカーにて新東名高速の新静岡インターに向かう。当初前日24日(土)に出発の予定だったが、天候調整で1日繰り延べた。このところ連発台風の影響による雨天続きで、登山日程を見極めるのが難しい。幸い快晴とは言わずともまあまあの天気で、高速を順調に飛ばし、2時間で新静岡インターに着く。ここからは県道の曲がりくねった細い道を行く。前日までの長雨でメンテの悪い県道のあちこちに水溜りができ、こぶし大の落石が処々に転がっている。運転席に座った浩子がそれらを巧みに避けながら進んで行く。途中の渋滞、悪路等を予想して早めに家を出たが、予想外に順調なドライブで、マイカー終点の畑薙夏季臨時駐車場には13:00に着く。マイクロバスが15:00の出発なので、用意して来た昼食の弁当を食べながら時間を潰す。ここで登山計画書を提出。
 時間通りに来たマイクロバスに乗り、15:50に椹島ロッジに着く。ロッジは規模も大きく小奇麗で、付近一帯も登山基地に相応しく開発されている。一泊2食付きの標準料金は9,000円だが、明日からの登山の体調保全のため2,000円を追加して個室を頼んだ。案内された部屋は山小屋というよりも安旅館並みだ。風呂にも入り、安旅館よりも上等な夕食を頂き、早めに床に就いた。

●9月26日(月) 晴れ

 朝5時の朝食をゆっくり済ませ、6:00ロッジ出発。最近珍しい2日続きの晴天と昨夜の風呂の効能か、足元が軽い。ロッジから10分で千枚岳方面へのトラック道と分かれ、鉄梯子の掛かった急な登りに取り付く。2時間、息を切らせながら大倉尾根(東尾根)の急登をひたすら登り詰めると、林道を横切りやや開けたカンバ段に着く。この登山道には赤石小屋までの距離を5等分して示した標識が置かれているが、ここは2/5を少し過ぎた所だ。
 更に急登を行き、10:00に4/5地点(標高2,325m)に到着。ここまではほぼ標準タイム(4時間)通りに来ている。ここまで来ると急登にもなだらかな部分が出て来て、遠望を見る余裕が生じて来る。時折樹林の間から赤石岳が顔を出す。「ボッカ返し」の標識を過ぎ急坂を上ると「小広場のピーク」という開けた丘に着く。このまま行くと赤石小屋には12時遥か前に着いてしまうので、昼食を取りながら時間調整する。
 12:00赤石小屋着。高度差1,400m、歩行距離4.8kmをほぼ標準時間で踏破できたことになる。自分を褒めてやっていいだろう。ここも椹島ロッジと同様特殊東海フォレスト経営の小屋で、規模も大きく整備が行き届いている。一泊2食付き9,000円、料理も山小屋にしては上等だ。個室はなかったが、浩子が受付で「連れは鼾が酷いので、離れた場所を」と要請したところ、誰も居ない2階の奥まった所を占拠することができた。季節の変わり目のせいか、宿泊客は少ない。20時消灯。

●9月27日〈火〉 晴れ

 今日も晴れだが、昨夜の天気予報(長野県大鹿村方面)によると明日(28日)は曇り後雨とのこと。当初計画通り本日の行程を荒川小屋までとすると、翌日の千枚小屋までの厳しい稜線踏破中に雨に合う可能性が大きく、悩ましい。思案の末今日は足を延ばして千枚小屋を目指し、途中体力的にニッチもサッチも行かなくなった場合には荒川小屋ないし荒川避難小屋泊まりとすることにした。
 5:30小屋出発後急坂を登ると50分程で見通しの良い富士見平に着く。登山道のやや左に姿を見せた赤石岳の雄姿が圧巻だ。その左に聖岳が顔を出している。右手には荒川三山のゴツゴツした岩肌が迫ってくる。稜線を暫く行くと1時間で水場のある北沢源頭だ。ここから高度差300mのガレ場の急登だ。この夏赤石岳から下りてきた中年女性がこの急斜面で滑落し、死んでいる。慎重に一歩一歩足を踏み固めて登るが、今にも心臓が飛び出しそうだ。
 何回か休みを入れ、9:00赤石岳への分岐点に到着。ここでメインザックを置き、水、防寒具、カメラ、スマホ等をサブザックに入れて頂上に向かう。9:30山頂(3,121m)到着。小休止して記念撮影。スマホ(NTTドコモ)で撮った写真は「赤石岳頂上だよ!」のメッセージを付けてラインで娘と孫に送る。
 360度の景観を十分に堪能した後、メインザックを置いた分岐点に戻り、荒川三山を目指す。右足下に北沢カールの形状がはっきりと視認できるが、お花畑は季節外れのせいか最盛期の華々しさは無い。小赤石岳(3,081m)を経由し、ガレ場を300m下って10:50大聖寺平着。ここから稜線東側の斜面をトラバース中に、後から若い女性が追い抜いて行く。今日はどこまで行くかと問うと、本人は荒川小屋の従業員で休暇から戻ったところだと言う。更に「我々の歩調で今日中に千枚小屋まで行けるだろうか」と野暮なことを聞くと、「11時台に荒川小屋を通過できれば、日のある内に千枚小屋に着けるでしょう」と親切に答えてくれる。これに力を得て千枚小屋を目指すことにする。
 11:30荒川小屋着。小屋前のベンチで昼食を取り、先を急ぐ。中岳(3,084m)を目指し前岳東側斜面の急坂を登り、13:30前岳と中岳の鞍部に出る。この辺り紅葉はまだ早いがナナカマドだけは深紅色に色着き、疲れを癒してくれる。前岳往復は割愛し,避難小屋の前を通過して悪沢岳の登りに取り付くが、ザレた岩場の急登で体力と神経を消耗する。15:00悪沢岳(3,141m)着。南方の赤石岳、聖岳、北方の塩見岳、その遥か遠方の北岳を含む南アルプスの大展望をしっかり目に焼き付けた後、大岩のゴーロ帯を足が補られないように慎重に下る。擂鉢を伏せたような丸山(3,032m)を経て16:20千枚岳(2,880m)着。ここから二軒小屋方面への分岐道を左に見て急坂を下り、16:50暗くなりかけた千枚小屋に到着。朝出てから11時間20分の歩行で心身共に疲れ果てたが、標準タイム10時間20分と比較してもそれ程遜色の無いことに満足する。
 この小屋も赤石小屋と同系列の経営で、規模も大きく良く整備されている。例によって浩子が受付で「連れが・・・」と離れた場所を要請すると、はじめは渋っていたが何とか認めて貰い2階の奥まった場所に案内してくれた。上等な食事が出たが疲れ過ぎで食が進まない。明日の天気予報を見ると、午前中曇り午後から雨とある。やはり無理して今日中にここまで来て良かったと安堵する。20時就寝。

●9月28日(水) 曇り後雨

 5:45起床。早めに朝食を済ませ5:30出発。標準時間通りに歩けば、椹島10:30発のマイクロバスに間に合うはずだが、昨日の無理が祟ってか思うように速度が出ない。無理に急ぐと筋肉疲労で膝下から崩れ落ちそうになる。6:40木馬道跡着。既に標準タイムを超えている。小休止後活を入れて後れを取り戻そうと速度を上げるが、直ぐにへばってしまう。浩子が鼻歌混じりで後にピタリと付いて来るのが煩わしく、疲れが倍加しそうな感じだ。何度か休憩を入れ比較的緩慢な斜面を下り続けるが、途中2組の若いパーティーがことも無げに追い越して行くのが恨めしい。7:40清水平着。この頃予報通り小雨が降り出し、下りが更に苦しくなる。苦闘の末9:40鉄塔下着。ここでタイムを確認するが、ここから標準タイムで下っても10:30のバスには間に合わないことがはっきりしたので、急に力が抜け、倒木を枕に暫し横になることにした。
 11:30椹島ロッジ着。この頃には雨も本降りになっていた。バス停の休憩所でアイスクリームや山菜蕎麦などを食べながら、次のマイクロバス出発時刻の14:00まで時間を潰す。
 予定通りに来たマイクロバスに乗り、14:50マイカーのある畑薙夏季臨時駐車場到着。ここで帰路立寄りを計画していた寸又峡の温泉旅館にスマホで連絡を試みるが、通じない。赤石岳山頂からは遠くまで通じたのにここからはダメなのは、この地域が山に囲まれて電波を遮断しているからか。30分ほど走って山並みが切れたあたりで再度試みると、今度は通じて予約ができた。16:40寸又峡でも有数の温泉旅館翠紅苑に到着。
 まずは湯量豊富な大風呂に浸かり、登山の疲れを癒す。手の込んだ山菜料理を突きながらビールで乾杯し、地酒の熱燗をじっくりと飲み乾す。至福の一時だ。この感激は厳しい登山を終えた者のみに許された特権だろう。今一度大風呂に浸かり、床に就く。         完

  


9月27日 9:40   赤石岳山頂(吉沢)

会   報
***


■2016年9月1〜4日 シニア会員の岳沢行  竹中 彰(昭和39年卒)
          ****** 『針葉樹会報第137号』から転載(写真増補)

 夏の終わりに、久し振りに上高地(岳沢)から前穂、徳本峠から霞沢岳へ行こうとの本間さんの誘いに乗って、佐薙さんと共に3人のシニアメンバー(平均78歳)が上高地に向った。残念なことに徳本峠小屋が満杯とのことだったので、3日目の宿を徳沢ロッヂに変更し、4日の行動計画が修正されることになった。小生は早朝にロッヂを出発し、徳本峠を越え島々宿経由で帰京した。

9月1日(木)晴  河童橋発12:25‐岳沢小屋着15:28(5ピッチ)

 朝一番のスーパーあずさ1号に乗車し、定刻9:39に松本駅に着き、10:15発の上高地行き直行バス利用の為に、アルピコ交通(旧松本電鉄)のバスターミナル(BT)に向った。駅から4分ほどの地点にBTが整備され、地下階にはスーパーがあり、弁当調達に便利である。上高地までの直行便は片道2450円で電車乗継2650円(個別購入)に比べて若干安く、且つ乗換えの煩わしさから解放される。
 12時前に上高地BTに到着し、河童橋の畔で晴れ渡った岳沢を囲む山々をオカズに昼食を摂る。この日の橋周辺には外国人観光客の姿は殆んどなく、静かであった。橋から梓川右岸の工事用道路を進み、日本山岳会・山岳研究所(宿泊施設)前を通り越して、少し先の岳沢分岐で登山道に入る。ルート上に付された標識をI番から逆に辿って、F風穴の冷風に体の汗を静め、A胸突き八丁で息を切らせつつも、好天の下の西穂〜奥穂にかけての穂高の峰々に嘗ての前期合宿で駆け回った岩の壁、尾根に懐かしさを覚える。このところ、毎年5月下旬に東京多摩支部の登山教室で2年目の受講生を山岳研究所からここまで案内してきたが、何時も美味しそうなメインディッシュの匂いを嗅がされるばかりで、やや欲求不満が嵩じていたのでこれが解放されるとの期待感が高まる。
 橋からは3時間要して小屋に入る。受付を済ませて早速く生ビールのジョッキで乾杯.。台風一過後の晴天狙いで、多くの宿泊客が入っている。18時前に夕食の合図が有り、20人余のキャパシティの食堂に向かう。今回本間さんと小生は各自「甘露」を合計で1L程度持参したが、翌日の前穂登頂を控えて我慢する。
 夕食後はテラスでアーベントロートに輝く前穂、西穂稜線、暗く沈んでいく上高地河童橋界隈を眺めて時間を潰す。食堂脇の衛星TVが明日の天気予報とカープ戦を映しているのを横目に割当ての部屋「ジャンダルム」に入り布団に横になり、スグ意識がなくなる。夜中に暑さに目が覚めたが、未だ0時前であり、トイレのついでに外に出て見ると、満天の星空で明日の晴天を確信する

▼写真をクリックすると大きく表示されます。
9月1日  (12:20)
河童橋上の佐薙、竹中
9月1日  (12:23)
    吊尾根遠望
9月1日  (18:08)
前穂残照


9月2日(金)晴  小屋発5:53‐紀美子平8:52/9:00−前穂頂上10:00/

 10:45−紀美子平11:28−岳沢小屋着13:45

 早朝4時過ぎに部屋の電気がバチッと点いたので目が覚める。朝のお勤め後5時過ぎからの朝食に並び、食事を済ませる。早々に出発する他パーティーを横目に6時少し前にスタートする。岳沢を横切りテントサイト脇を登って次第に傾斜を増す登山道を進む。途中で、佐薙さん、本間さんがマイペースで登るとのことなので、独り先行する。途中チムニー状の岩場、ハシゴ、カモシカの立場、絶景ポイント、雷鳥広場(7合目)、クサリ場等を過ぎ晴れた空の下に「紀美子平」に到着した。既に平には老若男女多くの登山者が休み、或いはザックをデポして前穂頂上に向っていた。多くのパーティーは頂上を踏んでから吊尾根を経由して奥穂高岳頂上、穂高岳山荘に向う様子であった。
 こちらは岳沢小屋連泊の予定であり、天気も安定しているのでユックリと頂上を往復すればと気楽であった。佐薙さんに携帯電話を入れると(岳沢はほぼ全域圏内)、体調不良の為に小屋に戻って昼寝するとのことであり、また本間さんの到着も時間がかかりそうだったので、そのまま独り頂上に向うことにした。
 昭文社地図では岳沢→紀美子平3時間、平→頂上30分計3.5時間とのことであったが、老骨にムチを入れつつも平から頂上へは倍の1時間を要した。この点はショックであった。頂上は大昔の記憶の通り、南北に細長い大きな岩が積み重なった安定したスペースであった。先ずは3090mの一等三角点脇で若者グループに頼んでシャッターを押して貰い証拠写真を確保した。その後は360度の展望を満喫しつつ、昼食を摂る。北側の端に寄ると、北尾根2峰から数パーティーがアプザイレンで降りて来るのが目に入る。その後パーティーに尋ねると涸沢からX・Yコル経由で登って来たとのこと。雪も全く消えたガレ場をコルに上るのはご苦労様という感じ。学生時代の涸沢定着時には、雪渓をV・Wのコルに上って北尾根経由で前穂に登った記憶がある様な、ない様な・・・。
 槍ヶ岳から北方の後立山方面の山々の眺望も十分楽しんだ後、次第に頂上の登山者も増えて来たので、重い腰を上げて下山にかかる。
 急な下りで、登りのパーティーとのすれ違いで待機することもあったが、下りも紀美子平まで40分余を要した。一息入れた後平を後にする。本間さんに携帯をかけると、紀美子平から下山して、上部のハシゴの下辺りを下山中とのこと。追いかけるべくスタートしたが、紀美子平直下のクサリ場で障害を持つかなり高齢の女性登山者が苦労してユックリ登って来るのを待機した為かなり通過に時間を要した。しかし、岩場や足元の不安定な場所の下りでは加齢によるバランスの悪さを痛感し、最早この様な登山は自分には無理かもと寂しい気持ちになった。その後岳沢パノラマで本間さんに追い着き、周囲の岩尾根と下部の草付の緑のコントラストなどを眺めながら10分ほど休憩し、その後は再び、クサリ、ハシゴ場等を経由して下り、13:45には佐薙さんが待つ岳沢小屋前に帰還した。本間さんはその後30分余で無事に戻った。全員揃った所で持参の「甘露」、ツマミを前に真昼の饗宴を開始し、昨年3月に急逝された高崎(治)さんの高崎酒造がらみの懐旧談で盛り上がった。夕食後は特にすることもなく、明日は徳沢へ下り、パノラマコース分岐(中畠新道)で平川さんの遭難碑を捜すだけなのだが、今日のアルバイトで疲労も蓄積していた所為か、布団に横になった途端に眠りに落ちた。
9月2日  (5:40)
明け行く霞沢岳
9月2日  (7:31)
岩屑混じりの尾根から奥穂方面
9月2日  (8:51)
紀美子平から奥穂、アップ
9月2日  (9:58)
前穂高岳山頂(竹中)
9月2日  (10:23)
前穂頂上から北穂、槍、
手前は北尾根2峰の下り
9月2日  (10:23)
北尾根を見下して


9月3日(土)晴  小屋発6;10‐風穴7:15‐岳沢入口8:05‐明神池9:35

 ‐徳沢ロッヂ10:42/11:45‐パノラマ分岐13:20/14:20
 ‐新村橋15:03‐徳沢ロッヂ15:30

 早朝から前穂(奥穂高岳)を目指す多くの登山者が出発した後、上高地への道を下った。途中風穴でワンストップしたが、土曜日の所為か下からはかなり多くのパーティーが登って来た。中でもテントを担いだ若い女性だけのパーティーが目立ったが、岳沢日帰りの予定か、かなり軽装の若者パーティーもいた。
 順調に岳沢入口に着き、小休止の後に梓川右岸の遊歩道を明神池目指して進む。5月に来た時には上高地と北海道のみに生育するケショウヤナギが雪の様に雄花(?)を降らせていたが、今は青々と葉を繁らせていた。明神池手前の流れ出る展望場所で暫らく明神岳の連なりを見ていると、池にはカモ(佐薙説ではオシドリのメス)がエサを漁りながら遊弋していた。その後久し振りに穂高神社に拝観料を払って神域明神池を見学する。残念ながら期待したオシドリは見当たらなかった。明神橋を渡って左岸に移り、明神館前で上高地から涸沢、槍沢に向うメインストリートに出ると人通りが絶えず、賑わっていた。ソフトクリーム400円也を舐めて元気を付けて徳沢への道を進む。5分程で徳本峠への道を右に分け、ひたすら徳沢を目指す。10:42に徳沢ロッヂ前に到着し、後続の佐薙、本間さんを待つ。全員揃った所で昼食を済ませ、不要な荷物をロッヂにデポして新村橋を目指す。徳沢園を出たところで、関西弁の姦しい男女混合パーティーがいたので、追い抜くと共に早めに梓川に出た。
 更に右岸の作業道に出ようとしたが、かなり奥に取り付けおり、時間距離をロスするので、河原伝いに新村橋に向った。橋から治山道に出て暫らく行くと「北ア山小屋交友会」のプレートを付けた数台の車が駐車している。ここから奥又白谷の砂防堰堤作業用の道に左折し、登りが始まる(12:23)。その後次第に傾斜が強まり、左右に点在する苔むした遭難慰霊碑を横目に2ピッチ進み、潅木帯を抜けてパノラマコースとの分岐に到着した(13:20)。中畠新道への道は潅木、ブッシュに覆われて確認し難かったが、微かな赤ペンキに導かれて踏み跡を辿って松高ルンゼ入口に到着した。右手の岩壁を窺うと、3‐4 mの高さに緑がかったプレート様のものが設置されており、佐薙さんの双眼鏡で見ると鳥の羽のようなデザインが確認出来るとのことで接近して確認した。結果的には熊本登高会の遭難碑(昭和52年5月)であった。その後色々周辺を捜したが、それらしい物は発見できず、已む無くガレ場上で佐薙さんと山讃賦1番を唄って慰霊した。下の分岐の大岩で待っていた本間さんに合流すると、周辺を小動物がウロチョロしているとのことで、よく見るとオコジョが岩の隙間を走り回っていた。余り人を恐れる様子もなく、可愛らしい顔を覗かせていた。
 下りは40分余で一気に新村橋に戻り、左岸に渡って小休止。玄関先にハルニレの巨木が繁るロッヂまでは20分程度の歩きで到着。チェックイン後2段ベッドが4台入った相部屋に荷物を置き、すぐ風呂場に向う。今年4月に耐震補強工事を機に館内全面改装したとのことで、2011年8月に新入部員を連れて蝶ケ岳に向った際に宿泊した時の雰囲気は全く残っておらず、快適、近代的なロッヂに生まれ変わっていた。嘗ては、徳沢の村営小屋の名であったが、合併で松本市に吸収された結果、現在は松本市山岳観光課が運営している(他に上高地アルペンホテル、上高地食堂、焼岳小屋がある)。
 風呂場も大きな浴槽、10ヵ所程度洗い場でユックリ入浴できた。浴後は1階のラウンジで早速生ビールで乾杯し、夕食まで待機する。夕食は岩魚の塩焼き、豚の冷シャブ、煮物、デザートと300ml×2本の冷酒の肴として適量であった。
 小生は翌朝早立ちを予定していたので、本間さんが交渉して朝食弁当にしてもらったが、食後に手渡された。また、お湯も食堂カウンター脇の給湯器からテルモスに詰めた。食後暫しラウンジに戻って「甘露」を飲み干し、追加のアルコールなどを嗜みつつ歓談する。8時過ぎには部屋に戻って横になる。

9月3日  (7:09)
岳沢コース(風穴)
9月3日  (9:09)
岳沢コース、最南峰をバックに
9月3日  (13:46)
パノラマコース、中畠新道分岐


9月4日(日)晴

 ロッヂ発5;30‐徳本峠分岐6:03‐(3p)‐峠(8:05/8:30)‐力水(8:55)‐岩魚留小屋(9:57)‐(3p)‐二俣(12:20)‐徳本峠入口(13:45)

 朝4時起床を予定したが、この数日の行動の疲労からか、1時間遅れて目覚め、慌しく準備して5時半にロッヂをスタートした。明神に向う道に殆んど人影はなく、偶に単独行者やランナーと擦れ違う程度。ほぼ30分で徳本峠分岐に着き、ベンチで腹ごしらえする。弁当の内容は予想以上に豪華で、昆布や細かく刻んだ野菜等を炊き込み2枚の笹の葉で包んだご飯と、やや小振りのちまき風のご飯に、キザミ生姜と豚肉の佃煮、タクアンがおかずとして添えられていた。その他に200cc紙パック入りお茶とブルーベリー味ソイジョイ1個が袋に入っていた。食事中に男女各1人の単独行者が峠に向って行った。峠への道にはトリカブト、サラシナショウマ等の花に加えてナナカマドやオオカメノキの赤い実等も目に付いた。次第に傾斜を増す中、時々水場やベンチで小休止しながら分岐から3ピッチで峠に到着した。峠に近づくに連れて次第に明神、前穂方面の視界が開け、写真撮影にも足を止める。頂上には数張りのテントがあったが、何れも撤収にかかっていた。峠の標柱にカメラを置きセルフタイマーで西穂・明神岳をバックに自撮り、何本もの大きな突っ支い棒が目立つ旧小屋の横で2回目の朝食を腹に納めたら遙かな島々宿目指して出発する(8:30)。.
 10分ほど前に5,6人の男女パーティーが岩魚留方面に峠を下って行った。
 これを追いかける形で急なジグザグ道を下る。25分程でジグザグを一下りした「ちから水」で先行したパーティーが休んでいたので当方も水を補給がてら少憩。
 その後は先行パーティーを追い越しながら島々谷南沢に沿って下り、部分的に高捲きや稍々踏み跡の薄い所もあるが、問題なく通過する。「ちから水」からは1時間弱で岩魚留小屋に到着する。
 老朽化、無人の小屋の縁側で一息入れていると下から男女ペアが登って来た。
 この日、下からのパーティーとスレ違ったのはこの一組のみ。10分ほど休んでいると、後続隊が下って来たので腰を上げる。その後は谷の岩壁下に設置された桟道、橋を進み、所々右手の沢の土砂が押出している箇所、狭い道などを踏みながら二俣への中間点(2.6km地点)のベンチまでノンストップで進む。雨天時等天候次第では難易度も上りそうなルートであった。ベンチで15分ほど軽食を補給して、二俣を目指す。暫らく進んだ所で後ろから60-70L位のザックを背負った若い単独行者が追い着いて来たので道を譲る。その後二俣で再度合流して聞いたところ、自然環境等をテーマに研究中の信州大の学生で、夏休みにクラシックルートを歩いているとのこと。
 その後は地図にもある、炭焼き窯跡、戻り橋、行き橋、飛騨城主三木秀綱奥方受難碑(折口信夫の追悼詩)、奇怪樹形(あがりこサワラ)を経て二俣に着く(12:20)。
 ここにも「戦国落人悲話」として、先の秀綱奥方の悲話と折口信夫(釈迢空)の歌碑が設置されていた。折口が昭和元年に上高地入りの途次この地を通り、歌を詠んでいる(「をとめ子の心さびしも清き瀬に 身は流れつつ人恋ひにけむ」)。大正から昭和の始めに、多くの文人墨客がこの地を通って上高地入りした一例。
 島々谷北沢と合流した二俣からは島々谷川に沿って林道を下る。この頃には少し雲も広がって来たので、強烈な陽射しも遮られていたが、砂防ダムや発電所を過ぎ、車も通る単調な6km余の道に飽き飽きする頃最後(下流からは最初の)のシッカリしたゲートに着き、駐車場には5、6台のクルマが駐車していた。
 そこからは人里の匂いが強くなり、川沿いの道を10分ほど進むと徳本峠入口の大きな看板に着いた。スグそばにアルピコ交通のバス停があったが、表示がテープで隠されたような気配があり、廃止された様子であるが代りのバス停の案内がない。近くに交番があるが、日曜日で閉まっている。入口の転送電話で問合せるが、電話口の警官も移転先は分からないとのこと。辺りに人気もなく途方に暮れる。已む無く周辺を歩き、漸く国道(沢渡‐新島々)にバス停の表示を見つけ、14:16のバスがあることを見つけて一安心。それにしてもアルピコは不親切だと強く思う。折角島々に辿り着いて気分良くしているのに、一瞬でも不安な気持ちにさせるのはブチ壊し。携帯電話の電池も無くなり、公衆電話も見当たらないので尚更であった。
 ほぼ定刻に新島々行きのバスが到着し、先頭座席の外人さんの間の補助椅子に座らされて駅に到着した(@280円)。ヤレヤレ。松本行き電車は20分後の14:45に発車するので、その間にシャツを着替え、冷えたコーヒーを飲んで改札の行列に並ぶ。日曜日と言うことで、下山客で混み合うかと思って徳本峠の下りも少し急いだ感があるが、未だ時間が早い所為かそれ程でもなく、松本駅での接続もスグあずさ24号が発車するのに飛び乗ったが、自由席は十分な余裕があり、茅野辺りまでは2人掛け席を独りで座っていた。順調に八王子経由成瀬駅に戻り、今夏の夏山は無事に終了した。

*今回の計画並びに実施に当っては、本間さんに計画策定、宿の予約等仕切って頂き、当方は若干のアルコールを持参して計画に乗っていくだけで済むという大変楽な山行でした。勿論実際の登山では、自分自身の体力に半信半疑であったが、何とか前穂登頂計画を遂行できたこと、逆コースとは言え初めての徳本峠越え(大学2年次の夏合宿涸沢入りに際しては、本隊の徳本峠越えの前に先発隊として米等食料調達、ボンベボッカ等の為バスで上高地入りした)を何とかこなして、無事に島々宿に着くことが出来たことなどは、ある面自信にはなった。夏の終りとは言え、岳沢全体に全く雪が無く、学生時代の前期合宿で雪渓などを自由自在に登降した経験からすれば、物足らない面はあったが、後期高齢者入り目前で久し振りの穂高の峰を踏んだことは十分満足できるものだった。佐薙さん、本間さん有難うございました。  (以 上)
9月4日  (7:22)
徳本峠途中からの明神、穂高
9月4日  (7:38)
徳本峠途中からの前穂、常念
9月4日  (8:02)
徳本峠から西穂、前穂
9月4日  (8:20)
徳本峠小屋
9月4日 (9:51)
岩魚留小屋(廃屋)
9月4日  (12:21)
二俣の分岐(ルートとトンネル)
9月4日  (12:22)
戦国落人秘話(折口信夫の詩)

会   報
***


■2016年8月16〜19日 夏合宿(常念山脈縦走)  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部3年)
      ******2016年10月28日投稿

●参加者
 内海拓人(CL 法3)、大矢和樹(法3)、安藤由都(法2)、小久保剣(法2)、坂本遼(SL 法2)、原島大介(商2)、山本竜希(社1)

●行程
 8月16日
 11:25中房温泉→12:25第二ベンチ→14:00合戦小屋→15:10燕山荘
 8月17日
 3:30起床→4:30燕山荘→4:50燕岳5:10→5:30燕山荘6:20→7:05大下りノ頭→9:00大天荘→9:15大天井岳9:20→
 9:30大天荘9:50→12:10常念小屋
 8月18日
 3:00起床→4:30常念小屋→5:50常念岳6:10→9:20蝶槍9:40→10:15蝶ヶ岳→10:25蝶ヶ岳ヒュッテ10:45→13:40徳沢14:00→
 15:30小梨平キャンプ場
 8月19日
 5:00起床→7:00上高地アルペンホテル→10:05上高地バスターミナル→12:00松本駅
 ※8月20日 予備日

●天気
 8月16日 晴れ時々曇り。
 8月17日 霧、一時雨。
 8月18日 霧のち晴れ、午後に雨。
 8月19日 晴れ。

 この合宿は、8月上旬の甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳に続く今年2回目の夏合宿である。計画の骨子は2年生の安藤、坂本が立てた。5月頃の計画当初の段階では、2年生の間では穂高へ行くことも考えられていたが、岩場やハシゴの経験値が不足していると判断して今年は見送った。そこで、去年の9月に悪天候のため途中で中止となった常念山脈の縦走を行うこととなった。本格的な冬山合宿を行っていない中、この夏合宿を成功させることが部にとって一つの目標であった。今年こそは何としても成功させたかった。

●8月9日 事前ミーティング
 甲斐駒ケ岳・仙丈ケ岳の合宿の翌日、コース概況や装備分担、献立等の確認のために事前ミーティングを行った。朝食のメニューを調理に時間のかからないパンに変更するなど、前の合宿の反省を活かした提案がされた点は非常に良かった。また、去年の常念山脈縦走に参加した大矢、坂本が実際に歩いた経験を全体に共有できたことも良かった。しかし、装備分担に関しては話し合いが甘い部分があり、結局出発前日に足りない装備を買い足すなど、準備に余裕がなかった。

●1日目 8月16日
 出発2日前まで天気予報は最悪だった。台風が接近しており、本当に16日に出発することができるかどうかさえ怪しかった。前日になってやっと予報はましになったが、停滞する可能性は否めなかった。そのため、予備日を含めた5日分の食料をザックに詰め込んだ。
 穂高駅からジャンボタクシーに乗り、中房温泉に到着すると思っていたよりも天気が良く、暑かった。この暑さの中合戦尾根を登るのは辛そうであった。準備体操を終えて登り始めると、いきなり急登であった。荷物の重さと蒸し暑さで体力を奪われた。疲れたな、と思うと丁度よいタイミングでベンチや小屋が現われた。燕山荘に近づくまで眺望のきかない樹林帯であったため、正直歩いていてもあまり面白くはなかった。ようやく樹林帯を抜けたと思ったら、辺りはガスで真っ白であった。景色が見えないことを残念に思いながら歩いていると、予想より早く燕山荘に到着した。時計を見ると予定より1時間程早い到着であった。
 テント場は比較的空いており、調理なども広々と行うことができた。風が吹くと下界では考えられない寒さで、防寒具が必要であった。常念山脈の山小屋では水は有料で、1リットル200円かかった。南アルプスの北沢峠は横に川が流れており、水浴びができるほど水が豊富だったため、少し不便に感じてしまった。1日目の夕食は豚汁であった。仕込んできた肉の味付けが薄く、味の薄い豚汁を食べなければならないのかと一瞬焦ったが、安藤が追加の味噌を持ってきていたため助かった。夕食を終えると寒いのですぐにテントの中に入った。天気予報を確認すると、2日目の天気は良さそうだった。2日目が最も長い距離を歩く計画となっていたので安心した。テントの中で少しトランプをやった後、7時頃就寝した。

●2日目 8月17日
 3時に起きて外に出ると雨は降っておらず、ひとまずほっとした。結構冷え込んでおり、動き出すまではダウンを着て丁度よいくらいだった。テント場からはふもとの街の夜景が綺麗に見えた。星も見え、もしかしたら燕岳から景色が見えるかもしれないという期待を抱きながら朝食をとった。今回の合宿では朝食を麺類からパンに変更したため、以前よりも出発までの時間を大きく短縮することができた。出発の4:30頃には周囲が明るくなり始めた。
 燕岳までの道はアップダウンも少なく、とても歩きやすかった。ただ、周囲はガスに包まれており、山頂からの景色はあまり期待できなかった。予想通り、山頂に着いても周りは真っ白だった。ガスが抜ける一瞬を待って写真を撮り、燕山荘へ引き返した。途中でイルカ岩という岩があり、本当にイルカの顔の形のように見えた。このように何かに見えるという岩は山にはたくさんあるが、ここまで納得できたのは初めてかもしれない。
 テント場で撤収を済ませると、再び荷物が重くなって若干憂鬱だった。小屋の前で軽くミーティングを行って今日の行程を確認してから出発した。燕山荘から続く道は表銀座の縦走コースとも被っており、本来は北アルプスの素晴らしい景色を楽しめるはずなのだが、終始霧が出ていた。稜線の西側の谷からガスがわいてきているようで、体の右半分が濡れた。
 大天荘手前は、去年歩いたことのある大矢と坂本が言っていた通り急登であった。大天荘までの距離を示す看板が設置されていたが、むしろ残りの距離数を示される方が辛かった。辛いとは言いつつも、大天荘に着いて時計を見ると去年よりだいぶ早いペースで登ることができていた。小屋の横に荷物をデポして、大天井岳に向かって歩き始めた。山頂には10分程で到着したが、人は誰もおらず、景色は全く見えず、天候がどんどん悪くなっていった。雨は強まるばかりで、長時間滞在していても仕方がないので、看板の横で自撮りで集合写真を撮って山頂を後にした。小屋に戻ると雨は本降りになり、嫌々レインウェアを着た。動かないと体が冷えるので、短めに休憩を取って再び歩き始めた。
 天候悪化のため気分が沈んでいたが、幸いにも雨は長くは続かなかった。1時間程経つと霧が晴れる時間もあり、これから歩く稜線が綺麗に見えた。アップダウンは続くが、強く記憶に残るほど辛い箇所は無かった。3、40分に1回休憩をしながら順調なペースで歩いていると、12時頃にもう常念小屋が見えてしまった。2日目は最も長い距離を歩くと警戒していただけに、少し拍子抜けだった。
 テント場に着いて設営を終えると、まだまだ夕食までは時間があった。テントに入ると昼寝をしたりラジオで甲子園を聞いたりと、各々のんびり過ごせた。15時半頃に空腹に耐えきれず夕食の支度を始めた。今日のメニューは、山本が高校の部でよくトマト缶を使っていたという話を聞いて僕が提案したメニューだった。トマト缶にソーセージの缶詰を入れて、コンソメで味付けして煮込んだ。味見の段階では後輩の反応が悪く、また僕が提案したメニューが失敗したか、と不安になったが、最終的にはとても美味しく仕上がった。このメニューは今後もリピートして良いと思う。
 夕食が終わると、翌日の行程について話し合った。当初は蝶ヶ岳ヒュッテに宿泊する予定だったが、今日の歩くペースを考えると少なくとも徳沢までは下山できそうだった。しかし、天候がそこまで良くなかったので、ここまで山頂から景色を見ることができていなかった。そこで、明日常念岳または蝶ヶ岳から景色が見えれば徳沢まで下り、景色が見えなければ蝶ヶ岳ヒュッテに泊まって翌日の朝に蝶ヶ岳に再び登ることにした。天気予報を確認すると明日も大きく崩れることはなさそうだった。徳沢まで下ることができれば上高地で時間に余裕が生まれるので、できれば下ってしまいたい。またみんなでトランプをして遊び、19時頃に就寝した。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
8月17日  (5:23  撮影:内海)
燕岳〜常念小屋間にて
8月17日  (11:24  撮影:内海)
大天井岳〜常念小屋にて


●3日目 8月18日
 起床して外に出ると冷え込んでいた。お湯を沸かして飲んだインスタントスープが身に染みる。ここで晴れて常念岳から景色が見えれば、悔いなく上高地を目指すことができる。周囲が明るくなるのをドキドキしながら待った。
 出発してから徐々に周りの様子が見えてきた。雲が多めであった。そびえ立つ常念岳の山頂は下からはよく見えなかった。歩いているうちに雲が抜けるように祈りながら登った。山頂までの長い登りは、起き抜けの体には少しハードだった。だが、途中雲が切れて今まで歩いてきた稜線や雲海を見ることができ、元気が出た。
 30分に1回ほどこまめに短い休憩を取りながら、6時前には山頂に到着できた。山頂は思ったより狭く、下に雲海が広がっていることもあり随分高い所に来たな、という印象を抱いた。雲は多めだが、十分景色を楽しむことができた。思ったより早いペースで登れたので、記念撮影などをして少しのんびり過ごした。
 20分程山頂で過ごした後、蝶ヶ岳に向けて出発した。ここの下りは、危険は感じないものの大きい岩が多く歩きにくかった。また、地図上に載っているチェックポイントらしき標高地点を見つけることができず、今どこを歩いているかを掴むことができなかった。周囲はしばらくガスに覆われて景色を楽しむこともできず、歩いていて面白くなかった。しばらく歩くと、秩父や奥多摩を思わせるような樹林帯の中をアップダウンする箇所もあった。稜線と異なり、風も抜けないので暑い。このような場所が北アルプスにもあることが少し意外だった。
 大きなピークを登りきると蝶槍の看板が見えた。ちょうど天気も良くなって久しぶりに晴れ間がのぞき、これから歩く稜線が一望できた。この3日間で一番の絶景に気分が高まった。相変わらずペースは(オーバーペースではないかと心配になるくらい)順調であったので、長めの休憩を取った。
 歩き始めてからも天気は良好であった。久々に見た青空と稜線の緑のコントラストが美しく、先には蝶ヶ岳が見えた。こういう瞬間があるから山に登るのは止められないのだな、と思いながら清々しい気持ちで歩いた。蝶ヶ岳ヒュッテに着くと荷物を置き、空身で蝶ヶ岳山頂へ向かった。少し雲が増えてきていたが、十分に満足のいく景色だった。山頂には自衛隊の方々がいた。集合写真を撮って頂いたときに話を聞くと、訓練のために登り、すぐに下ってしまうそうだ。このような理由で山に登る方々もいるのだと思うと、面白いと感じた。荷物を取ってヒュッテから出発しようとすると、隊員用のレトルトのハンバーグを分けて下さった。1つしかないので、誰が食べるか揉めそうだな、と少し心配になった。
 時間に余裕があり、満足のいく景色も見ることができたので、計画書の予定より早く下界を目指すことにした。地図を見る限り徳沢までの下りが長くて急で辛そうだな、と予想がついた。下り始めるとすぐに樹林帯に入ってしまって景色も楽しめないので、他愛もない話をしながらひたすら歩き続けた。
 徳沢まで残り半分を切ったあたりだっただろうか、急に雨が降り始めた。始めはそこまで本降りではなかったので、もう樹林帯に入っていたこともありレインウェアは着なかったが、やがて土砂降りになってしまった。今さらレインウェアを着ても無駄だったのでそのまま歩いたが、体力的にも精神的にもストレスであった。びしょ濡れになって徳沢ロッヂに辿り着いた時には、みんな元気がなかった。
 徳沢ロッヂの軒下で、今後の行動についてみんなで話し合った。徳沢から上高地までコースタイムでは2時間となっており、1日の行動時間が10時間を超える長丁場となる。しかし、ここからの道はただの林道であり、アップダウンもなかった。今日徳沢にとどまっても、雨でテントの外に出ることもできない。今日中に上高地まで行ってしまった方が、明日のんびりと過ごすことができると考えられた。最初は安藤や大矢が難色を示していたが、結局上高地に向けてもうひと頑張りすることにした。(2人とも翌日には進んでおいて良かったと言っていたので、結果としてこの判断は正しかったと思う。)
 上高地へと向かう道はとても美しかった。鮮やかな緑の森と梓川を見ているととても癒された。しかし、確実に疲労は溜まっていた。足は思ったより大丈夫だったが、荷物のせいで肩が凝ってきていた。夕飯のカレーライスを楽しみにしながら、どうでもいい話をしながらひたすら歩いた。ようやく小梨平キャンプ場に着いたときは、大きな達成感を覚えた。
 テント場で荷物を降ろすと、疲れからか驚くほど設営のやる気が起きなかった。また雨が降ってくると面倒なので、「みんな早くテントを張ろう」と自分を奮い立たせるために呼び掛けた。このキャンプ場は炊事場と水洗トイレが整備されており、水は有料でトイレは汲み取り式だった山の中と比べると生活の質が大きく向上した。尋常ではないほどの腹の減り方だったので、夕食のカレーライスが物凄く美味しかった。自衛隊の方から頂いたハンバーグは仲良く切り分けて食べた。夕食が終わると、トイレに行った山本からなぜかラインの着信があった。見てみると、紙を持っていき忘れたので届けてほしいとのことだった。これにはみんなで大爆笑した。届けに行くと、扉に大きく紙はないという趣旨の張り紙が貼ってあったのでさらに面白かった。

8月18日  (6:01  カメラ:内海)
常念岳山頂にて
(後列左から原島、安藤、内海、大矢)
(弁列左から小久保、坂本、山本)
8月18日  (9:42  撮影:内海)
蝶槍〜蝶ヶ岳間にて


●4日目 8月19日
 起きてテントの外に出ると、晴れていて気温も丁度よかった。昨日頑張ったおかげで、今日は温泉に入って帰るだけだった。朝食を取って撤収を終えた後、ひとまずバスのチケットを買いにバスセンターへと向かった。河童橋付近から、これまで一度も見ることができていなかった槍ヶ岳を見ることができた。梓川の清流と深い緑の森、槍ヶ岳を望むその景色を見ていると、天国ってこんな場所なのではないかと思った。
 立ち寄り入浴を行っているホテルで温泉に入った。そこで偶然ICUのワンゲルの方々に会った。話を聞くと、黒部五郎岳の方から1週間ほどかけて上高地まで抜けてきたとのことだった。その後、山本などとうちもぜひ1週間ほどの山行をやってみたいと話していた。
 温泉に入ってお土産などを買った後バスに乗り込んで松本駅を目指した。松本駅では体調不良のため同行して頂けなかったOBの佐藤さんに昼食をご馳走して頂いた。昼食を頂いた洋食屋どんぐりは、昔から一橋山岳部が北アルプスから下山すると立ち寄っていた店のようだ。久しぶりに食べた肉、久しぶりに飲んだビールが驚くほど美味しかった。
 店を出て駅まで歩くと、朝までいた上高地とは比べ物にならない暑さであった。行きは出発時間を早めるためにやむなく特急を使ったが、帰りはお金がないのでいつものように鈍行列車に乗った。八王子駅に着くと帰宅ラッシュが始まっていて、急に現実に引き戻された気がした。


8月19日  (6:43  撮影:内海)
    河童橋付近にて
●総括
 部として、そして僕自身が自ら計画する宿泊山行を始めてから丸1年が経過した。計画したコースを踏破できず、パスタを茹でるのに失敗していた去年の雲取山合宿と比べると、回数を重ねるごとに山行のレベルは様々な面で上がっていると思う。
 計画の立て方は、余裕のある行程にすることで確実に成功させることのできる山行に近づけることができている。今回から予備日も設けたので、万が一停滞することになってもある程度柔軟に対応できるようになった。ただ、(悪いことではないかもしれないが)今回は思ったよりもあっけなく、1日分余った状態で全行程が終わった。余裕を持たせることと内容を充実させることのバランシングが難しいと感じた。これは今後、個人としても部としても経験を重ねていく中でより的確なプランニングを目指していきたい。
 生活技術に関しては、山本など山岳部出身の経験者のアドバイスが非常に効果的であった。先輩からの技術の伝承が少ない分、後輩の経験者が部員に技術を共有することはとても重要なことであると改めて感じた。
 今年はスケジュールの関係等で実現しなかったが、来年の夏合宿ではぜひ1週間程度の長期山行に挑戦してみたい。そして、このような長期の合宿に参加できる部員が増えるように、部全体のレベルを上げていきたい。 


会   報
***


■2016年7月31〜8月5日 「聖・赤石」行  本間 浩(昭和40年卒)
        *********** 『針葉樹会報』第137号より転載(写真増補)

 今年の「赤木沢隊山行 聖・赤石」に参加を許された。
 赤木沢隊は、小島・中村(雅)・川名の三氏がかつて数年掛りで赤木沢の遡行をなしとげ、次に「加賀白山」そして去年南アに転じ、荒川三山から赤石岳を歩いた。2年目の今年は聖光小屋から主稜線を光岳に南し翌日北上、聖赤石と廻り小渋川を降ろうという、昨年と併せ南ア南部を繋ぐスバラシイ(すざましい)計画であつた。
 小生、「赤石・聖」は3年秋の合宿以来で、その時のメンバーは長沢・小野・石田・本間の4人で、荒川三山から光岳までの所謂「南ア南部縦走」であった。
 最近北部の北岳・塩見・仙丈は歩いたがその南はご無沙汰で今回は正しくセンチメンタル・ジャーニイ。
 小生は慣れぬ沢下りは敬遠し、赤石岳を登った後は赤石小屋分岐で別れ東尾根(大倉尾根)を降ることとした。この山行は降りだけでなく、登りが一段と厳しくかんじられた。2日目聖光小屋から光小屋まではコースタイムで約9時間、これに休み時間と高齢割り増しをプラスすれば12〜13時間の行動を覚悟しなくては!覚悟だけでは持たないので早速丹沢で1日10時間行動のトレーニングに入った。効果の程は?だが、ナントカ持つだろうと云う楽天的な気分にはなったような気がする。
 出発前の聖光小屋への宿泊申込時に、管理人が亡くなり現在休業中と聞き山行内容からテント持参は無理と判断、ルートを変え椹島から聖平小屋に入ることになった。
 その後山中では毎日3時過ぎに豪雨に見舞われ、沢も増水しているだろうと思い、小渋川コースを東尾根へと変えた。
 このような事情で当初プランから大きく変わったが、南アルプスの大きさ・辛さは充分に味わうことが出来た。

●メンバー L 中村雅明  小島和人  本間浩

●1日目 7月31日(日) 
 静岡(9:50)=路線バス=畑薙第一ダム(13:15 14:25)=マイクロバス=椹島ロッジ(15:30)(泊)

 バスを乗り継いで「椹島」に入るのだが、乗り継ぎ地の畑薙第一ダム(仮 停留所)での客扱いは如何なものかと思う。ピーク時にお客さん全員を満足させよ、とは云わないがベンチも屋根も無い所に1時間以上放りっぱなしとは酷くないか! 

●2日目 8月1日(月)    
 椹島ロッジ(6:15)=マイクロバス=聖沢登山口(6:25 6:30)〜吊橋(8:20)〜滝見台(11:50)〜遭難碑(13:10 13:20)〜
 聖平小屋(14:30)(泊)

 ロッジの車で登山口まで送ってもらい、登りにかかる。聖沢沿いに山腹を緩やかに登るものと思っていたが、支尾根を乗り越え沢を渡り、時には沢がかなり下に見えることもあるような山道で結構消耗する。遭難碑のある岩頭展望台の手前で雨が降り出し雨具をつけるがやがて止む。尤も雨具をつけないとビョヌレになる位一時的だが激しい。聖沢の源流部に入るとゆるい登りになりそうこうする内に聖平小屋に着く。間もなく豪雨となり、これが夜通し続く。昼過ぎに一時的な雨、3時頃から豪雨が続く、が今山行の降雨パターンのようだ。
 小屋は大型で居心地良く、食事も悪くない。歩き初日のせいか、何時の間にか寝込みそのまま寝続けた。

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 8月1日  (6:31)  聖沢登山口 8月1日  (11:46)
岩頭瀧見台手前の吊橋 (前から本間、小島)
8月1日  (13:10)
岩頭瀧見台から聖沢を見下ろす
8月1日  (13:28)
聖平小屋に向かう沢にて(ミヤマトリカブト)

●3日目 8月2日(火)
    聖平小屋(泊)〜往復〜南岳手前
  朝になっても豪雨は止まない。出掛けるパーティーも結構多いが、我々は無理をせずに今日は沈殿とし、明日の天気に期待することとした。7時過ぎ頃になると雨は上り、日も差し始めてきた。そこで聖岳の反対・上河内岳方面に行ってみるとことにした。上る途中でも聖岳は見え、南岳の手前に北方が見渡せるポイントがあり、ここで大休止し、軽く食事をとる。一登りで南岳だが「行こう」と云う声も上がらず、ここで引き返す。

写真5  8月2日  (6:31)
南岳に向かう道から小聖岳、前聖岳を望む
8月2日  (10:21)
岩頭付近から南岳を望む

●4日目 8月3日(水)
    聖平小屋(5:00)〜小聖(6:35 6:45)〜聖岳(8:20 8:50)〜兎岳避難小屋(11:20 11:35)〜小兎岳〜中盛丸山(14:15 14:25)〜百闢エ山の家(15:30)(泊)
  1日休んでの出発。小聖まで林の中、その先は岩山の道を山頂へ、1000m弱の登りは流石に疲れる。奥聖はパスしたが、今日のハイライト部分は無事クリアー、後は降るだけと思うとどこかホットする。アニハカランヤ今日の難場はここからだった。小さな降りと登りを繰り返しながらのこの下りが凄まじい。バテバテの状態でやっと聖兎のコルへ(10:50)。赤石岳の名の由来のラジオラリヤの赤い岩石が周りを囲んでいるのも異様。ここで一休みして兎岳の登りにかかる。下りも急だったが登りも急で、息継ぎに立ち休みしながらヤット山頂に。この先小兎岳、中盛丸山と降り登りを何度か繰り返し、大沢山はパスし(14:30)、途中豪雨に見舞われながら百闢エ山の家へ。この山小屋は小造りな4階建てだが内の施設(食堂・談話室・トイレ・乾燥室等)は充実していて、圧巻は夕食の「トンカツ」。余計な説明はしない、是非食べて欲しい。この為だけで泊まる価値がある、ついでに聖なり、赤石なりに登ればより一層の歓びではないでしょうか。

8月3日  (5:46)
小聖岳に向かってお花畑沿いを登る
(前から本間、小島)
8月3日  (6:35)
小聖岳手前
(前から本間、小島)
8月3日  (8:40)
聖岳山頂にて
 (左から小島、本間、中村)
8月3日  (9:39)
聖岳からの下りにて
(ライチョウ)
8月3日  (11:49)
兎岳山頂

●5日目 8月4日(木)
    百闢エ山の家(5:20)〜百阨ス〜赤石岳(9:30 10:30)〜東尾根〜富士見平〜赤石小屋(13:30)(泊)
  山の家から1時間半位で百阨スへ。今山行唯一のオアシスで気が和み、ノンビリ一休みする。赤石の登りは山腹をグルリと一廻りしながら山頂に立つと云う感じで、疲れよりも山頂がナカナカ近づかないという苛立ち感の方が強い。しかしそれも山頂避難小屋の美味しいコーヒーで救われる。避難小屋とは言えシーズン中は管理人常駐で宿泊可とのこと。ここの日の出は素晴らしいと主人は言うがその通りであろう。一度泊まってみたいと思うが、マア無理か?
  東尾根の下りは急だが途中に小滝の水場、富士見平等休み処も適宜有り、退屈しない。
赤石小屋は取り立てて言う事も無いが、めずらしく混み合っていて「刺身」で寝ることになった。今山行の山小屋の食事は、丹沢や富士に比べれば上々で赤石小屋も例外ではない。
8月4日  (5:08)
朝の百闢エ山の家
 8月4日  (6:53)
百阨スにて(聖岳を背にして)
 (左から中村、小島、本間)
8月4日  (7:44)
百阨ス先から小河内岳、塩見岳を望む
月4日  (9:55)
赤石岳山頂にて
 (左から小島、本間、中村)
 8月4日  (11:27)
赤石岳東尾根北沢源頭にて
(タカネマツムシソウ)
 8月4日  (11:27)
赤石岳東尾根北沢源頭にて
(ハクサンフウロ)

●6日目 8月5日(金)
    赤石小屋(5:50)〜樺段〜椹島(9:10)=マイクロバス(12:30)=畑薙第一ダム(13:30 14:25)=路線バス=静岡(17:30)

 緩やかだが長い下りを椹島ロッジへ。先ずシャワーを浴びその後お互いの健闘と無事を祝い乾杯。バスを乗り継ぎ静岡へ。
  椹島ロッジは設備・食事等に不満は無いが、ロッジ外の諸施設、マイクロバス乗車等の案内は有ってもイイのでは?と思った。その点今回は中村さんが緻密に調べてくれていたお陰で戸惑う事なくスムーズにすすんだことには感謝します。
 をクリックすると動画がスタートします。
【 赤石小屋からの展望動画 】 8月5日 5:25(撮影:中村)
    


 ※赤石岳〜小赤石岳〜富士見平
※荒川東岳(悪沢岳)〜千枚岳


●「聖・赤石」行(前後)  中村 雅明(昭和43年卒)

1.山行の企画・準備

 本山行は昨夏、光岳までの縦走が果たせなかった椹島から下山の帰りに小島さんと「来年が易老渡から入山し、光岳〜茶臼岳〜聖岳〜百闢エまで北上する雪辱戦をやりましょう」と約束したことからスタートしました。問題は百闢エからの下山路です。普通に考えれば赤石岳を越え赤石小屋経由で東尾根を椹島に下りるコースです。しかしそのコースは昨年の下山コースで気が乗りません。そこで浮上したのが大聖寺平から広河原小屋に下り小渋川を遡行して大河原に下山するコースです。小渋川の遡行は20回近い渡渉があるので、降雨後の入谷は危険です。しかし、このコースはウェストンが赤石岳登頂(1892年)に利用したことで知られ(注1)、赤石岳への最短の登路で、椹島からのコースにその地位を奪われるまではメインルートでした。昭和初期にこのコースから赤石岳、荒川岳を目指した紀行が『針葉樹』第4〜6号に載っています(注2)。また、中村も大学1年(1964年)の10月に、3年の原さん(CL)、石田さん(SL)、1年の加藤、金成両君と5人で、大河原から入山し小渋川を遡行し広河原小屋(泊)、その後沈澱日3日を交えて5泊6日で大聖寺平から赤石岳往復、荒川前岳から三伏峠まで縦走し鹿塩に下山しました。ところがこの山行の記憶と言えば、午後遅くの赤石岳の頂上でのかすかな記憶しかありません。秋の冷たい小渋川の渡渉体験は1年生にとっては鮮烈だったと思いますが全く記憶がありません。実の所、今年の新年会で原さんからこの山行のことを知らされ、小渋川からでなく三伏峠から入山し、高山裏避難小屋から赤石岳を往復したと思い込んでいたことを思い知りました。この山行で一緒だった石田さん、加藤、金成両君は早くに他界しました。従って小渋川を下って下山することは、1)大先輩の足跡を偲ぶこと、2)自分が歩いたコースの再訪、3)3人の慰霊の意味があります。
 以上から小渋川を下る思いが強くなり、3月中旬に小島さんをお誘いしたところ、小渋川下山コースに賛同していただきました。朝日連峰から夏山を共にして来た川名さんの意向を確認している内に、5月中旬に丹沢大山に本間さんとご一緒した小島さんがこの計画を本間さんにお話したところ参加を希望されました。勿論大歓迎です。本間さんは沢の遡行をしない方針ですので、赤石岳の先の大倉尾根下降点まで2人に同行し、その後別れて大倉尾根(東尾根)を赤石小屋経由で椹島に下る事になりました。川名さんも一緒なら心強いと川名さんの参加を要請しましたが、仕事の調整がつかず残念ながらそれは叶いませんでした。
 当初設定した日程は8/4日〜10日でしたが、梅雨明けが7/25日頃の予報が出たので出発を早め7/31日〜8/6日に変更しました。
 さらに出発直前に想定外の事態が発生し、前半の行程の変更を余儀なくされましたが、それは本間さんの報告をご覧ください。

 (注1)ウェストン 青木枝朗訳『日本アルプスの登山と探検』 岩波文庫
 (注2)『針葉樹』第4号 磯野計蔵・近藤恒雄「晩春の塩見赤石縦走」
 『針葉樹』第4号 芋川稔一「小渋川に沿いて」
 『針葉樹』第5号 園山徳三郎「赤石岳、聖岳」
 『針葉樹』第6号 園山徳三郎「春の赤石岳」 

2.山行を終えて
 後半の目玉であった小渋川を逃しましたが、百闢エから聖岳までつながったので満足しています。これで茶臼岳までの稜線トレースができたので、来年は南ア南部縦走を完了する目途がつきました。畑薙の茶臼岳登山口から茶臼岳に登り、易老岳〜光岳まで縦走し、さらに池口岳まで足を延ばそうと思います。
 今年の夏山は従来の梅雨明け後に太平洋高気圧が日本列島を覆って、連日好天が続くパターンが崩れて不安定な天気が続きました。本間さんがお気の毒だったのは、聖岳、赤石岳の頂上からの大展望が得られなかったことです。この不安定な夏山は今年だけの例外でなく、これからも続きそうですので夏山の日程が組立てにくくなり困ったことです。
 昨年から南アに戻りその深さ・雄大さを堪能していますが、南部縦走を完成した後も楽しみが残っています。北沢峠から仙丈岳に登り、仙塩尾根を塩見岳まで縦走して蝙蝠岳から二軒小屋に下りるコース、白峰三山から南へ転付峠まで続く白峰南嶺コースに心惹かれます。いずれもこの歳では厳しいコースですが、75歳までにトレースしたいと思います。


会   報
***


■2015年7月4〜10日 幌尻岳・神威岳行  宮武 幸久(昭和45年卒)
           *********** 『針葉樹会報』第137号より転載
●7月4日
 羽田発8時半SKY705便は順調に飛行し10時35分新千歳空港に到着。迎えに来られた小野さんのウインドブレーカー姿に驚かされると同時に私自身3度目の北海道山行に「やっと来たんだ」との実感がわいてきた。今回の参加者は 小島さん(40年)佐藤久さん(41年)岡田さん(42年)中村さん(43年)と私の5人で幌尻岳・神威岳を、小野さんの会社時代の後輩手塚さんが後半の神威岳のみの参加となった。当初足の便をどうしようかとフェリーとかレンタカーをと思案していたが手塚さんが前半部の送り迎えもかって出て頂き昨年同様大変お世話になることになりました。
 一行7人は手塚車で平取町とよぬか山荘へ。途中川の流れとか濁り具合を見ながら明日からの渡渉に思いを馳せながらチェックインの3時前にとよぬか山荘に到着。小野さんからボンベの差し入れを頂き札幌に帰る小野さん手塚さんと別れる。
 とよぬか山荘は学校を改造した平取町町立で完全予約制で2段ベッド24名収容可能とのこと。

 ▼写真をクリックすると大きく表示されます
7月4日  (15:00  撮影:岡田)
とよぬか山荘
7月4日  (17:00  撮影:岡田)
とよぬか山荘夕食


●7月5日 晴れ 
 とよぬか山荘で朝食のあと9時半発シャトルバスで約50分終点第2ゲートまで。第2ゲートよりいよいよ今回の歩行開始。北海道電力の取水施設までは単調なというより第2ゲートまでより広くいい道でなんでここまでバスが来ないのかとブツブツ言いながら12時50分取水施設通過。
 ここから林道と別れ額平川右岸の小道に入り約1時間行ったところで渡渉準備。14時いよいよ幌尻山荘までの高低差約250メートルの渡渉開始。最初は何とか濡れまいとするも、すぐに腿あたりまで水につかりこうなりゃと観念して進む。おぼつかなかった渡渉もしばらくするとやや下流に足を運べば水の抵抗が少なくすむとか直角に見下ろすと川底がよく見えるとか段々慣れてきたと思ったら足をとられて腹這いに。大先輩の記録に渡渉回数20回とあったので話のタネと思い、数え始めて17回あれやこれやで濡れたシャツも乾き始めた15時半本日の宿営地標高960メートル幌尻山荘到着。幌尻山荘では雨降り以外調理も食事も野外とのことでビニールシートの上で食事の準備開始。今回の自炊にあたって献立をどうするか何年も自炊の経験がなく諸先輩の顔を浮かべながら迷っていましたが経験の豊かな中村さんに全面的依存し軽量化を優先し朝昼晩ともお湯を注げばすむ物で統一しましたがさすがに注文もなく無難にすんだのかと思っています。
 夜は用意された短冊状の毛布を下に敷き夏用のシュラフで寝たが寒くもう一枚セーターでもと思うぐらいであった。
7月5日
(12:56 撮影:中村)
北海道電力
取水施設
7月5日
(14:11 撮影:中村)
 額平川の渡渉
(前から佐藤、岡田、
宮武、小島)
7月5日
(14:21 撮影:中村)
額平川の渡渉
(前から岡田、宮武、
佐藤、小島)
7月5日
(15:10 撮影:中村)
額平川の渡渉
(前から佐藤、小島、
宮武、岡田)
7月5日
(15:15 撮影:中村)
額平川のへつり
 (前から佐藤、小島、岡田)

●7月6日 曇り時々小雨
 朝食後6時半小屋を出発。間もなく小雨が降り始めるがそのまま進む。標高1500メートルあたりからハイマツが現れた。昨年の十勝岳周辺では1000メートルあたりだったので随分と違う。ここ日高地区は北海道でも少雪地帯であるとのこと。やはり太平洋の暖流の影響なのか。 命の水8時半着小休止。道から外れた斜面に上部の雪渓からの水が飲める。
 命の水からワンピッチいったあたりで稜線にでる。雨も上がり雄大な北カールをはさみ幌尻岳がみえる。馬蹄形の稜線を時計と反対回りで頂上へ向かう。11時標高2052メートル北日高地区の名峰幌尻岳到着。快晴ではないもののお陰様で北に大雪山系の山々、北西には夕張岳芦別岳が見える。11時半風がやや強くなったので下山開始。13時命の水。途中で食べた昼飯について一言。これもお湯を注げばすぐにできるものだが、味といい三角形の形といいコンビニの握りよりおいしい。五目・鮭・野沢菜と種類があるが特に五目がおいしく、これからの参考にと思っています。
 14時15分幌尻山荘着。今日は雨模様なので小屋内で食事。ストーブで濡れたものを乾かしながらないと聞いていたビールがあったのでまずは乾杯。その後食事・就寝。幌尻山荘はやはり平取町町立で完全予約制で50人収容、管理人一人で運営。この日はツアー客もいて40人ぐらいとのこと。
7月6日
(8:21 撮影:岡田)
命の水手前にて
(シラネアオイ)
7月6日
(9:48 撮影:中村)
幌尻岳に向かって
(前から岡田、佐藤、
小島、宮武)
7月6日
(10:30 撮影:中村)
幌尻岳に向かう稜線にて
(エゾノハクサンイチゲと
チングルマ)
7月6日
(10:58 撮影:岡田)
幌尻岳山頂にて
(左から佐藤、中村、
宮武、小島)
7月6日
(12:38 撮影:中村)
幌尻岳から
下山途中にて
(ミヤマハンショウズル)

●7月7日 曇り
 朝食後5時40分出発すぐに渡渉開始。昨日の雨の影響もなく水量は来た時とあまり変化はなかった。渡渉回数のカウントには中村さんも加わり終了時にはなんと20回丁度。大先輩の記述の正確さに改めて感じ入りました。7時40分取水施設着。この後単調な林道を第2ゲートへ。10時10分第2ゲート着。11時シャトルバス発12時とよぬか山荘着。
 ここで手塚さんと合流し手塚車で南下し国道235号へ。途中食料の買い出しをし、荻伏を左折し一路神威山荘へ。神威橋を渡り林道をしばらく行ったところでこちらを見ている羆に遭遇。逃げる羆を追走したがすぐに見失う。この時はこちらが車の中だったこと、まだ子熊だったことから恐怖感はなくむしろ初めてみた新鮮さがあった。しばらくして無人の神威山荘(標高約400メートル)に到着。夕食は手塚さんお手製のすき焼き、コメから炊くごはんやはり違う。そして何よりなのは昨年もびっくりした冷たい生ビールの飲み放題。改めて感謝いたします。

7月7日 (5:32 撮影:岡田)
幌尻山前にて
(左から岡田、佐藤、宮武、中村、小島)
7月7日 (5:55 撮影:中村)
額平川の下り渡渉
 (前から岡田、佐藤、小島、宮武
7月7日 (6:12 撮影:中村)
額平川の下り渡渉
 (前から佐藤、小島、宮武)

●7月8日 曇り
 今日も前半ニシュオマナイ川の渡渉、後半神威岳への登山の標高差1200メートルのコース。5時15分渡渉スタイルで出発。しばらく笹の群生地を歩くと一行の誰彼となくヤーとかオーとか声がかかり始めた。笹と言えば熊の大好物であることを思い出したのは私一人ではなかったようである。沢は昨日の額平川に比べそれほど深くもなく順調にすすむ。524メートル右からの沢の合流点を通過。しばらく探し回ったが合流点から少し進んだ右岸にある大先輩大塚さんの遭難碑前7時15分到着。
 大塚さんが亡くなられてから33回忌にあたるという。少し茂った草を整理しお線香とワンカップで追悼。ワンカップは持ち帰るとのこと。小島さんによると、大塚さんは酒は全く嗜まず、当時立場上多くの贈答品が有り余っていて、小野さん達後輩がその中から好きなものを持ち帰っていたそう。OB達の楽しそうな交流が偲ばれ、ふと私の1年上の加藤さんのことが頭に浮かんできた。加藤さんは残念なことに早く逝ってしまったが札幌での生活はさぞや楽しいものだったはずです。
 小野さんに渡すワンカップをザックにしまい出発。710メートルの二股を右に進む。8時40分尾根の取りつき点到着。標高差約800メートルの登山開始。両側が笹やぶで人ひとりが通れる程の狭い急登を歩くがどうも様子がおかしい。経験上どんなに急登でもいつまでも続くことはなく必ずやや平坦なところが現れるはずである。ところがここは行けども行けども急登ばかりが続き、休憩も斜面に1列縦隊でとらざるえない。こんな状態が頂上近くまで続き悪戦苦闘の末12時20分やっと標高1600メートル南日高地区の名峰神威岳頂上に到着。雲間に日高山脈が連なり、襟裳岬方面にアポイ岳か見渡すことができた。
 13時頂上発、もう最初から笹を両手でつかみぶらさがるようにして下る。ただただ黙々と歩くのみで沢の音が近ずいた時はさすがにほっとし、ようよう14時50分尾根の取り付き点到着。ここまで沢の水はよくないとのことで自重してきたのが委細構わずがぶ飲み。
沢靴に履き替え下り開始。途中16時20分遭難碑前で山讃譜合唱。18時神威山荘着。車に乗り換え1時間。浦河町野深の柏陽館へ。当初我々の案では神威山荘にもう一泊だったところ、手塚さんの提案で変更したところであった。風呂、ビール、地元の味覚は大変な行程の後だっただけに大変助かりました。ぐっすり就寝。
7月8日
 (5:14 撮影:手塚)
神威山荘前にて
(左から小島、岡田、
宮武、佐藤、中村)
7月8日
(6:34 撮影:中村)
ニシュオマナイ川の
遡行
(前から岡田、佐藤、
小島)
7月8日
 (7:20 撮影:手塚)
大塚武氏レリーフ前
にて
(左から岡田、佐藤、
小島、宮武、中村)
7月8日
 (9:59 撮影:中村)
神威岳への急登
(小島)
7月8日 (12:33)
神威岳山頂にて
 (後列左から岡田、佐藤、
宮武、手塚)
(前列左から中村、小島)

 をクリックすると動画がスタートします。
 【 神威岳頂上からの展望動画 】 7月8日 12:25(撮影:中村)

※東面〜南面〜西面〜北面〜東面の時計廻りにカメラを移動
※最初に見える双耳峰はソエマツ岳、その右(南)に1529峰、ピヌカヌプリ、
トヨニ岳、楽古岳、オムシャヌプリ、・・・
※頂上で憩う人物は左から岡田、小島、宮武、手塚、佐藤
※北面に1893峰、カムイエクウチカウシ山、ペテガリ岳・・・

(編集子より)
   本HP『トピックス』に
「2016年7月8日 神威岳山麓に大塚氏先輩の遭難レリーフを訪ねました。」が掲載されています。


●7月9〜10日
 お陰様で予備日を使うことなく9日札幌10日東京と無事終了しました。小野さんアドバイス、手塚さん何から何までありがとうございました。次回もよろしくお願いします。
                   (2016年9月30日記)


会   報
***



■2016年6月13〜17日 ミヤマキリシマの九重連山  中村 雅明(昭和43年卒) 
    ****** 2016年9月18日投稿

 梅雨の最盛期の6月中旬に坊ガツルの法華院温泉に連泊し、九重連山のミヤマキリシマを満喫しました。メンバーは私共夫婦と家内の妹さん3人です。九重山域は1971年4月に新婚旅行で訪れて以来45年振りです。その時は由布院温泉で一泊し由布岳を登った翌日、「やまなみハイウエイ」長者原でバスを降り、諏蛾守越コースから坊ガツルに入り法華院温泉に泊まり、翌日大船山に登り竹田市に下りました。今回は懐旧の山旅でもありましたが、覚えていることは法華院温泉のたたずまい、大船山に登る途中から見下ろした坊ガツル(まだ枯野)、大船山の頂上らしき風景など断片的なものです。

 梅雨時にも関わらず九重連山に向かったのは、九重山群を象徴するミヤマキリシマです。5月下旬から山麓から開花したミヤマキリシマは、だんだん山頂に向かって開花を進め、6月中旬ごろに山頂付近が見頃になります。特に平治(ひいじ)岳は山頂一体がミヤマキリシマの群落で埋め尽くされピンクの絨毯に圧倒されるとのことです。

 4月14〜16日に発生した熊本地震に先立つ3月中旬には、飛行機、法華院温泉、ホテルの予約を済ませました。地震の影響が心配でしたが、出発の10日前に宿舎に電話して、余震、建物、道路の状況を確認した所、大丈夫と判断して予定通り出発することにしました。出発前に気になったのは、ミヤマキリシマの盛りが過ぎてしまったのでは?、梅雨時なので連日雨の中を歩くのでは?です。

 結果的には奇跡的な好天の下、満開のミヤマキリシマを愛でながら九重連山を楽しむこと出来ました。
T メンバー
  中村夫妻、他1名(家内妹)
U 行程
  6月 13日 羽田(12:10) = 大分空港(13:45〜14:00) = 由布院駅前バスセンター(14:50〜15:00)
= 由布院温泉花の庄(15:30)
  6月14日 花の庄(8:30) = 由布院駅前バスセンター(8:40〜9:00) = 長者原くじゅう登山口(9:52〜10:05)
− 2pで雨ヶ池越(11:50〜12:09) − 坊ガツル(12:30〜58)− キャンプ場(13:15〜20)
− 法華院温泉山荘(13:35)
  6月15日 法華院温泉山荘(7:40) − 2pで大戸越(8:42〜50) − 平治岳(9:27〜50) −大戸越(10:13〜25)
− 2pで北大船岳手前(11:33〜52) − 北大船岳(12:55)− 段原(12:00〜08) −大船山(12:27〜40)
− 段原(13:00〜09) − 2pで大船登山口(14:12) − 法華院温泉山荘(14:35)
  6月16日 法華院温泉山荘(7:55) − 鉾立峠(8:25〜31) − 2pで白口岳(9:55〜10:02) − 中岳(10:51〜11:00)
− 九住分れ避難小屋(11:36〜58) − 3pで牧ノ戸峠登山口(13:35〜40) − 牧ノ戸温泉九重観光ホテル(14:30)
   6月17日 九重観光ホテル(10:00) = 長者原(10:05〜20) = 由布院駅(11:00〜15:10) = 大分空港(16:05〜16:55)
= 羽田(18:30)

●6月13日(月) 雨後晴れ
 出発の前日からそれまで南に下がっていた梅雨前線が北上し日本列島に停滞し、九州から大雨になりました。夜半から関東も雨が強くなり始めました。明け方少し小降りになりましたが相当に濡れる雨です。9時過ぎにいよいよ梅雨本格化と暗い気持で駅に向かいました。12:10羽田を発った時も雨が止みませんでしたが、大阪付近で上空が明るくなりました。13:45に大分空港に着くとすっかり晴れ上がっていたので思わぬ好天に喜びました。

 発車間際の空港バスに乗って由布院へ。約1時間で由布院駅バスセンターへ到着。駅近くの由布院温泉花の庄というホテルに15:30に入りました。地震の影響で大きなホテルなのに宿泊客は10人位で大浴場は貸切り状態。のんびり過ごせました。

●6月14日(火) 晴れ
 今日も晴天です。9:00発の九州横断バスで由布院を後にして「やまなみハイウエイ」を50分ほど走って「長者原くじゅう登山口」に着きました。バスを降りたのは自分達だけです。駐車場には自家用車が沢山停まっているので、車で来る人が多いのでしょう。

 長者原駐車場脇のタデ原湿原入口には「坊がつる讃歌の碑」があります。「坊がつる讃歌」は広島高等師範学校山岳部の「山男の歌」をアレンジしたもので、昭和53年にNHKみんなの歌で芹洋子が歌って九重山群が人々に広く知られるようになりました。

 タデ原湿原を横切って雨ヶ池越に向かいました。このコースは九洲自然歩道なので良く整備されています。樹林の中の道で初夏の強い日差しが遮られます。かなりの登りですが左右の木々には樹木名のプレートが沢山あり楽しく歩けます。清楚な白い花が綺麗なコガクウツギ(小額空木)が道の両側にありました。また、オオヤマレンゲの大きな白い花も見事でした。2Pで樹林が切れ展望が開けたベンチに着き小憩しました。ここからは平坦な草原になり木道を進むと雨ケ越です。雨が降ると水が降ると水が溜り池になりますが今は草原状態です。前方奥には平治岳、大船山が見え頂上付近はピンクに染まっています。ここに来る前に見たミヤマキリシマは盛りを過ぎていたので1週間遅かったかと思いましたが稜線から頂上付近は十分楽しめそうと安心しました。木道に腰かけて昼食後、雨ケ池越のピークまで一登りした後は坊ガツルまでの樹林帯を下り坊ガツルに12:30に到着しました。

 北面以外は三方を山に囲まれ、緑豊かな草原が伸びやかに広がっています。明日以降に巡る予定の平治岳から北大船山、大船山に連なるピンクに染まる稜線、その右に立中山〜鉾立峠〜白口岳の稜線が続いています。南奥にある法華院温泉山荘に向かう前に坊ガツルキャンプ場に立ち寄りました。草原の廻りにトイレ、炊事場、避難小屋があり快適にキャンプできそうです。キャンプ場の水は九洲最大の河川築後川の源流です。『坊がつる讃歌』の4番「四面山なる坊がつる 夏はキャンプの火を囲み 夜空を仰ぐ坊がつる 無我を悟るはこの時ぞ」が思い浮かびます。キャンプ場を後にして法華院温泉山荘に向かいました。14:35山荘着。九州で最も高い場所(1303m)にある温泉宿です。6畳の個室に入りました。

 ミヤマキリシマの最盛期は22有る個室が満室になり120畳敷の大部屋に一人一畳の割り当てになるそうです。風呂は白濁の硫黄泉の掛け流し、熱めの良い湯で疲れが取れました。
 18:00から夕食。山小屋とは思えない品数、ボリュームに大満足しました。明日は今回のハイライト、平治岳、北大船山、大船山の3座を巡りミヤマキリシマを堪能する予定なので早めに就寝しました。

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6月14日 9:58
タデ原湿原入口の
「坊がつる讃歌の碑」)
6月14日 11:10
雨ヶ池に登る樹林帯の
オオヤマレンゲ
6月14日 12:46
坊ガツルから望む平治岳
(左が本峰、右が南峰:
頂上付近はミヤマキリシマ)
6月14日 12:46
坊ガツルの草原を囲む山々
(北大船山〜大船山〜立中山)
6月14日 13:13
坊がつるキャンプ場
6月14日 13:35
法華院山荘温泉



【 坊ガツルを囲む山々の展望動画 】 6月14日 12:53
左から平治岳、北大船山、大船岳、立中山〜鉾立峠〜白口岳、三俣山

●6月15日(水) 晴れ
 朝から梅雨時には珍しい快晴。今日は平治岳〜北大船山〜大船山を1日かけて巡ります。6:45朝食後、身支度を整え、法華院温泉を7:40に出発。坊ガツル草原をキャンプ場に進みました。キャンプ場の先が右に大船山、左に平治岳の分岐になっています。左側の樹林帯に入ってゆるやかに登るとだんだん黒土のドロンコ道になりました。一石運動に協力して両手に石を持って登り石置き場に積みました。沢沿いの急な登りをしばらくすると急に視界が開け、8:42大戸越(うとんこし)に着きました。出発してから1時間。比較的楽な登りでした。大戸越周辺のミヤマキリシマは盛りを過ぎていましたが、平治岳南峰にかけてはピンクに染まっています。南峰へは2本のルートがあり、花の時期は登りと下り専用の一方通行となっています。ミヤマキリシマ満開の時期の休日には、この一方通行の道も登山者で溢れ大渋滞を引き起こすとのことですが、今日は先行者2人がいるのみです。頂上の近くになると花のトンネルです。南峰に着くとさらに素晴らしい景色が待っていました。

 南峰を少し下った先にピンクの絨毯を敷き詰めた平治岳本峰が控えていました。南峰からゆるやかに右側にルートを取って登って9:27平治岳本峰(1640m)に着きました。頂上に向かう道は満開のミヤマキリシマに雑じってドウダンツツジの花も目立ちました。濃紅色のツクシドウダン(筑紫灯台)、ピンクのベニドウダン(紅灯台)、白色のシロドウダン(白灯台)の3種類を楽しみました。頂上からの展望も見事です。頂上付近のミヤマキリシマ越しに三つのピークの三俣山、その左に硫黄山、星生山、天狗ヶ城、中岳、稲星山・・・九重連山が連なります。北東遠くに双耳峰の由布岳が望めます。

 大戸越に戻って小憩後、北大船岳に向かいました。ウツギなどの樹林帯を40分登ると見晴しが良くなり北大船山に向かって緩やかな道が続きます。道の両側がミヤマキリシマ満開の素晴らしい稜線です。振り返ると先ほど登った平治岳の山腹から頂上一体が鮮やかなピンク色に染まっています。北大船岳の手前で見渡す限りのミヤマキリシマを堪能しながらの昼食は格別です。北大船山を越えた先で下った鞍部は段原(だんばる)です。段原は「坊がつる讃歌」の3番「ミヤマキリシマ咲き誇る 山はピンクに大船の 段原彷徨う山男 花の情も知る者ぞ」に読み込まれています。段原で小憩後、米窪の縁沿いに登り、最後の急坂を越えて12:27大船山頂(1786.2m)に着きました。この頂上には45年前に登っていますが、かすかに残る記憶の頂上は樹林に囲まれた狭いもので目の前の開けた頂上は全く違っていました。残念ながら登る途中でガスが出て眺望はありません。晴れていれば九重山群西部の山々、祖母傾山群、阿蘇五岳などが望めたでしょう。
自分達より先に着いた若者3人組は竹田市久住側に下って行きました。12:40に頂上を後にして段原に戻りました。そこからリョウブやミズナラなどに樹林帯1時間強の下りで14:15坊ガツルキャンプ場に着きました。

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6月15日 9:00
大戸越から平治岳への登山道沿いの
満開のミヤマキリシマ
6月15日 9:13
平治岳手前から坊ガツル、
背後の九重連山を望む
(左から中岳、天狗ヶ城、星生山、三俣山)
6月15日 9:17
平治岳南峰から本峰を望む
(山頂にかけてミヤマキリシマ満開)
6月15日 11:22
北大船山手前のミヤマキリシマ
6月15日 11:56
北大船山山頂
6月15日 12:46
大船山山頂から北大船山を望む

●6月16日(木) 
 雨のち曇り梅雨の最中なのでやはり好天が続きません。6時に起床して空を見ると今にも雨が降ってきそうです。何とか午前中はもって欲しいと祈りましたが、6:45からの朝食を終えて出発準備をしていると大粒の雨が降ってきました。雨具上下、スパッツの完全雨支度で7:55に法華院温泉を出発しましたが、思いがけず殆ど雨が降っていません。空も明るくなっているので意を強くしました。山荘から少し歩くと池ノ小屋への登山道の入り口がありますが「崩落の為登山禁止」の看板があるので当初と予定を変えて鉾立峠に向かいました。緩い登り30分で鉾立峠着。ここから白口岳まではかなり急な登りです。しかも滑りやすい斜面の道です。

 2p1時間半で9:55白口岳着。頂上に着く少し前から雨が降り始めだんだん強くなりました。正面にこれから向かう九州本土最高峰の中岳がガス越しに見えます。頂上にかけてミヤマキリシマが点在して咲いて綺麗です。白口岳から稜線を下り、稲星山腹をトラバースして十字路コルに出ました。コルから一登りで中岳頂上へ。鎖場もある急な登りですがミヤマキリシマに慰められました。晴れていれば360度の大展望、北から三俣山、左廻りに扇ヶ鼻、久住山、大船山の九重連山が楽しめたのですがガスの中の頂上で残念でした。雨やまず寒いので、天狗ヶ城を越えて久住分かれを経由して久住分かれ避難小屋に下りました。道々のかしこにミヤマキリシマが咲き乱れていました。避難小屋は石室で板敷がない殺風景な造りでとても泊まれるものではありません。久住山域の避難小屋は皆同じ造りのようです。それでも雨がしのげるのは助かります。昼食を摂り12:00出発。

 避難小屋から岩の間を星生崎脇まで登りきると、西千里浜の平らな広い砂道が続きました。雨も殆ど止みました。沓掛山(1503m)までは緩やかな尾根下りです。晴れていれば気持ち良いでしょう。沓掛山から急な下りになりました。第一展望所に13:22着。又、雨が強くなりました。そこから舗装道路を下って牧ノ戸峠登山口に13:35着。標高1330mの牧ノ戸峠は「やまなみハイウエイ」の最高所で久住山へは最短時間で到達できるので、天気が良ければ多くの登山者で賑わう所です。峠から長者原へ下る遊歩道を1時間歩いて牧ノ戸温泉・九重観光ホテルに14:30に着きました。避難小屋から3時間、比較的楽な下山でした。九重観光ホテルは大きな老舗ホテルですが、地震の痛手から回復せず、宿泊者は自分達3人だけで申し訳ないほど寛げました。風呂良し、食事良しで山の疲れを十分に癒しました。


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6月16日 8:32鉾立峠 6月16日 10:48
中岳頂上に向かって登る
(頂上付近はミヤマキリシマ満開)
6月16日 13:09
沓掛山山頂

●6月17日(金) 曇り
 今日は、長者原11:37分の九州横断バスで由布院駅に出て、由布院で観光した後大分空港に移動し16:55発の飛行機で帰京する予定でした。それに合わせて10:00にホテルの車で長者原に送ってもらいました。ところが、バス停の時刻表に11:37は載っていません。売店で確認したところ、地震の影響で間引され1日1本、16:20の便のみであることが判明しました。

 山行前にホテルに確認しバスは支障なく運行しているとの話で安心してしまったのです。バス会社に直接確認すべきであったと反省しました。止む無くタクシーで由布院に向かうことにしました。タクシー会社に電話したところ、幸い近くにいたタクシーがあり5分後に出発することが出来ました。50分で由布院駅に到着しました。まだ11:10、当初の予定より早く着いたので空港に向うまでたっぷり時間があるので、駅から金鱗湖までの通りをゆっくり散歩し、金鱗湖で食事。帰りは静かな友の川沿いの道を散策し由布院駅に戻りました。

 当初予定した九住山は逃しましたが、平治岳、大船山、中岳など九重連山の重鎮に登りミヤマキリシマを存分に堪能した充実した山行でした。

会   報
***


■2016年5月28〜29日 八ヶ岳縦走山行  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部3年
              ******2016年6月13日投稿

●メンバー:
  内海拓人(CL 法3)、大矢和樹(SL 法3)、(社3)、原島大介(商2)、坂本遼(法2)、小久保剣(法2)、
  田中亨(商1)、岩崎拓実(法1)

●コース及び時間:

≪一日目≫
  10:35麦草峠→11:20丸山→12:20白駒池にゅう方面分岐点(昼食20分)→13:45にゅう山頂(休憩25分)→
  15:00中山峠→15:10黒百合平
≪二日目≫
  5:00黒百合平→5:05中山峠→6:15天狗岳山頂(休憩15分)→6:55根石岳山頂→7;25夏沢峠(休憩10分)→
  8:25硫黄岳山頂(休憩20分)→9:00赤岩の頭→9:50赤岳鉱泉→12:20美濃戸口

●感想等

≪一日目≫ 5月28日

 今回の八ヶ岳山行は昨年の同時期の八ヶ岳山行が気候的に非常に良かったことが思い出された上、新入生にはテント泊に慣れてもらおうということで計画されたものである。起点を麦草峠に据えたのは、北八ヶ岳方面から縦走できるためである。僕自身、テント泊は実に昨年9月末の北アルプス表銀座縦走以来であり、夏に向けてある意味でリハビリのような側面もあった。

 天気はほぼ終始晴れており、絶好のコンディションであった。初日麦草峠へ向かうタクシーの中で八ヶ岳方面を見ると薄雲が出ているのが少し気になったが、タクシーの運転手の方に聞いたところ、天候は問題ない、ただしやや寒いかもしれないとのことだった。実際に、麦草峠に降り立ってみると、やや肌寒く感じられた。しかし、時々吹きぬける涼しい風を感じると、八ヶ岳に来たのだなあと感慨に浸り、またテンションが高まった。麦草峠についていうと、トイレはやや登山口から離れたところにあるという点は注意されたい。

 麦草峠から丸山にかけては、地図上一か所小ピークが存在するが、ほとんど気にならないレベルのものである。道は雨が降った後であるとぬかるみそうな個所が多い。また、丸山直下は踏み跡やリボンを丁寧に見ていかないと一瞬道がわからなくなることがあった。もっとも、終始今回の山行の先頭は私が歩いたが、何度か道を外れそうになったのでまだまだルートファインディング能力が低いと痛感させられた。

 毎度、私が先頭を歩く山行は登り始めのペースが異常に早く非難を浴びるところではあるので、今回はかなり気にかけて抑えて入った結果、麦草峠から丸山にかけてはコースタイムの9割前後であった。丸山はれっきとした一つの山であるが標高があまり高くないために展望はあまりきかないのはやや残念であるが、山頂には少しスペースが存在するので休憩をとるには適している。

 丸山から高見石方面への道は、丸山直下は石が多く少々急であるため、やや歩きにくいがすぐに平坦な道になった。ほどなくして高見石小屋を通過したが、問題が発生した。地図上にある高見石自体が見つからなかったのである。道自体は間違ってはいなかったものの、何故見落としたかは謎である。白駒池への下り道は比較的緩やかだったのでテンポよく下ることができた。あたりを見渡せば、まだ色の薄い新緑が森全体を覆っていて、森全体が生き生きとしているように感じられた。5月下旬の北八ヶ岳は森の中では昼でも冷涼な空気に満たされていて、深呼吸をすると体の中が洗われるようにさえ感じられるところである。

 白駒池に到着すると、登山客ではない写真家の方や、ちょっと散策していますというようないでたちの方に会った。白駒池自体は我々のような面倒なコースを通ることなく、国道299号線沿いの駐車場から比較的アクセスしやすいため、当然といえば当然なのかもしれない。写真では紅葉の季節が最高に良いということは知っていたので、紅葉にも訪れてみたいと思ったが、紅葉の季節でなくても静謐な湖畔に佇むというのはまた一興であった。湖畔で昼飯を摂ると、いよいよにゅうに向けて歩き出した。すると湖畔を離れてまもなく、ちょっとした湿原のような場所に出た。広くはなかったが、周囲が森林で囲まれているところにあるのでちょっとしたオアシスのような空間であった。にゅうへの登りも丸山への登りと比較的似た様相を呈した。北八ヶ岳の山林の中をひたすら黙々と登っていく。黙々と登っている中で、ふと足元に視線を落とすとこけの種類の多さにも気づく。種類だけではなく、コケは実際に生えている絶対量も多いと感じた。そういわれてみれば、過去に北八ヶ岳を訪れた時も結構霧がかかっていることが多いように感じる。このような湿潤な環境がコケの多様性を生み出しているのであろう。

 ほどなくしてにゅうに到着した。にゅうの山頂は岩がちである。しかしながら、景色は非常に良い。眼下には白駒池のほか、JR小海線沿いの町と思われる町も一望できた。南側に目を向けると雄大な硫黄岳や天狗岳も見えた。さらに硫黄岳の裾野付近に小さく富士山もしっかり見ることができた。

 想像以上に良い景色で盛り上がっていたら山頂に長く居すぎてしまったため、にゅうから中山峠までは少々速いペースで歩いた。基本的には尾根を歩いていくのでアップダウンはそれほどなかった。尾根を歩いているものの、尾根の幅が広い上、森の中なので尾根を歩いているような感じはしない。ここもただひたすらに歩いていたら中山峠に到着した。中山峠は個人的には昨年3月以来であり、前回来たときは積雪期であったためやや印象が異なった。中山峠から黒百合平へ行くのは一瞬であった。途中木道が整備されていた。

 黒百合平はおそらく激混みであろうと覚悟していたが、想像以上に空いていて驚きであった。そのためテントは非常に立てやすかった。テントの設営に関して、高校山岳部出身の田中にポールはテントに通しながら組み立てるものだということを初めて習った。6人用テントを二つ用意していたので、それぞれ4人ずつテントに入るように割り振ったが、テント内はかなり余裕があり、快適であった。食事に関しては天候も安定しているうえ、さほど寒くなかったので久々外で調理した。豚汁の準備は二年生が担当したが、味もよく、非常によくできていて、旨かった。炊飯は自信満々の内海が担当したが、さすがの出来栄えであった。アルファ米の方が軽くてよい面もあるが、普通のコメの方がやはり実際食べてみるとうまいので、できればこれからもコメは炊くようにしていきたい。夕食の準備をしている頃は、まだ上空に薄雲が広がっていたが、徐々に雲は薄くなり、夕食食べ終わったころにはすっかり晴れ渡っていたので、満天の星空を期待した。なお夜は8時ごろ就寝ということにしたが、僕は何故か眠れなかったので一人テントの外に出たが、空には期待通りの満天の星空であり非常に感動した。この時点で、黒百合ヒュッテの前の気温計はまだプラス値を示しており、それほど気温は下がらないのではないかと思っていたが、実際はそんなことはなかった。

≪二日目≫ 5月29日

 起きたのは午前二時。起床予定よりも一時間も早く起きてしまった。気温は零下4度まで下がっていた。することもないので30分くらいシュラフにくるまっていたが、また星空を見に行こうと思い、早めにテントを出たところ月が煌々と照っていた。午後8時は少々人影や、ヘッドランプの明かりも見えていたが、午前二時半の黒百合平には人気とヘッドランプの明かりは皆無である。周囲には自分一人しかいない静謐な環境の中で見る星空は何にも代えがたい感動を与えてくれる。そして、ぼーっと佇んで月をみながら、イヤホンから流れる絢香の三日月を聴いているとき、なにかこみ上げるものを感じた。

 午前三時になるとみな起き始め、朝食の準備を開始した。朝食もかなりスムーズに行えた。朝食はいつも通りラーメンにコーヒーである。ラーメンにしても、コーヒーにしても少し液体を残しておくと完全に凍り付いてしまうほどの寒さであった。テントのフライシートにはびっしり露が凍り付き、なかなか取りにくかった。今から考えればこのときしっかり氷を取っておくべきだったと感じた。

 出発は予定通り五時に出発した。中山峠から少々登った地点が開けていて、北アルプスや大菩薩方面等々の山々を一望できる上、麓が朝霧の流動の中で見え隠れしている風景があまりに幻想的であったので、ついつい見とれたり写真を撮っていたりしたら少し休みすぎてしまった。天狗岳への道は想像以上に岩がちで歩きにくく、積雪期のイメージとは全く違った。しかしながら、天狗岳には休憩時間を除けばコースタイムよりだいぶ早い時間で登頂することができた。ほぼ完全な快晴で、中央アルプス、北アルプスは立山、剣岳の方まで、御嶽山、妙高山系、日光方面すべて見ることができて感動であった。天狗岳の山頂は比較的とがっているので流石に圧巻の景色であった。南側にはこれから自分たちが進んでいく道がはっきり見えてなおやる気がでてきた。

 少々長めに休憩を取って、硫黄岳に向かって歩き出した。天狗岳から少し下ったところで、硫黄岳へ向かう景色が北アルプス表銀座の燕岳方面から歩いて大下りの頭から大天井岳方面を眺めた時の景色と類似していると感じた。天狗岳を下りきると素晴らしい稜線歩きになった。稜線を吹き抜ける風が頬を撫でる感覚は格別である。途中、根石岳を通過したが想像以上にしっかりとしたピークであり、少々驚いた。根石岳から夏沢峠にかけてはかなり長い下り坂が続いているなという感覚であった。しかし勾配はきつくないので歩きやすかった。しかしこのころから、リュックサックが重いと感じていた。あとから確認したところ、フライシートの露が融解してリュック内で浸水し、服が水を吸っていて重くなったのだと判明した。今回は一泊二日の山行だったので問題にはならなかったが、数日間続く縦走であれば致命的なミスであるので、今後は気を付けなければならないと感じた。夏沢峠に到着し硫黄岳を見上げるとその標高差にやや絶望したが、本日最後の登りだと思って頑張った。ちなみに夏沢峠から見えるのは硫黄岳のピークではなく、だいたい八合目に当たる部分である。実際に登ってみると峠から見える地点までは30分かかるかどうかで登ることができたが、そこから実際の山頂までが非常に長く感じた。

 硫黄岳の山頂は広く平坦で、霧の時は降りる向きを間違えそうである。近くには爆裂噴火口が存在し、壮観であった。景色は天狗岳より標高が高いこともあって良いが、高度感はあまり感じられなかった。しかし相変わらず天気は良かったので、良い景色を堪能できた。風が比較的しっかり吹いており、フリースを着ていないと寒く感じた。

 硫黄岳からはひたすら下りである。硫黄岳の直下は人通りが多い割には狭く、岩がちなので気を付けた方が良い。赤岩の頭から赤岳鉱泉までは快調に飛ばせた。コースタイムの半分くらいのペースであったのでだいぶ下りも速くなってきたように思う。赤岳鉱泉まではよかったが、感覚としてはここから美濃戸口までが果てしなく長く感じられた。勾配はほとんどないので平坦な部分を歩いているような感覚であった。美濃戸口についたときには想像以上にばてていた。

 全山行を通して一年生は二人とも運動部出身だけあって非常に体力があり、ペースが落ちなかったのは素晴らしいことであると感じた。今回も様々な反省点があったので、次の山行に生かしていきたい。なんといっても最高の週末であった。




5月29日  6:17   天狗岳山頂より

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5月29日  6:55
根石岳より南側
 5月29日  8:27
硫黄岳より赤岳、阿弥陀岳、南アルプスを望む


■2016年5月28〜29日 八ヶ岳合宿  田中 亨(一橋大学山岳部:商学部1年)

● 天気:両日晴れ
【事前準備】 
 5月25日(水)の部会後にテント類・調理道具等の装備分けをした。その後先輩方はモンベルで足りないモノを調達してくださった。今回の食事は内海さんのご提案で豚汁を作ることに決まった。ネットにある腐らない簡単な山豚汁の作り方に従い、二年生の先輩方が豚肉を焼いて味噌漬けをするなど事前調理を行ってくださった。私は前日までに個人装備のα米の予備食、非常食、医具・裁縫用具一式、携帯トイレ、スパッツ等を準備した。今回はテント類はほとんど先輩方に持っていただいたので、私は共同装備がテントポールだけだったこともあり、水を多めに4リットル入れても15キロ弱でとても軽く感じた。

●5月28日
 朝は電車の時間が長かったため、とりあえず体力温存もかねて電車内では休眠をとった。
 現地のジャンボタクシーでは少し酔ったが、降りた後のすこしひんやりした麦草ヒュッテは私に始まりの高揚感を与えてくれた。その後しばらくすると山の中に入り少し急登を上ると丸山についた。小さな頂上に神社があったのは驚き、山岳信仰の深さを感じた。事前にこの場所に三角点があるのを確認していたにもかかわらず、現場で確認できなかったのは多少の心残りである。その後緩やかな下りを過ぎると白駒池についた。ボートが浮かんでいた白駒荘とは反対に曲がり白駒池の周りを歩いた。とてもきれいな白駒池を長めながら昼食を取り、今後訪れるであろう本日最大の敵、ニュウ手前の登りに向けて鋭気を養った。ここまでは山の中を歩いたり、湿原の横を歩いたりなどそれほど高度を感じることはなかった。
 しかし、ニュウは高かった。巨石の周りには自分より高いモノは何もなく2000メートル以上の高さに自分がいることを実感した。その後は下りが続き本日の幕営地黒百合平に到着した。到着後すぐにテントを張り夕食の調理に取りかかった。本日の夕食はレトルトカレーと豚汁だった。先輩方の事前準備のおかげでとてもおいしい夕食になった。夕食後は先輩からコーヒーをいただき一日の疲れを癒やした。その後はみんなでトランプゲームを行い、先輩方がとても興味深い(?)話をたくさんしてくださった。就寝は21時で、気づいたら眠りに落ちていた。

●5月29日
 3時に起床後お湯を沸かし、朝食のラーメンを食べた。その後テントを撤収し5時に出発。朝はとても寒くフリースとダウンを羽織っての出発となった。東天狗岳の前には岩の登があったが、景色は最高だった。その後根石岳を超えた後、一旦夏沢峠までくだり硫黄岳を目指した。どこまで行っても登りの景色が見えるという長くつらい時間だったが、硫黄岳からの景色は360度見渡すことができ、今までの登りのつらさを差し引いてもあまりある光景だった。そこで眺めの休憩と記念撮影を行い景色とお別れをすると、そこから後は主に緩やかな下りで最後は林道に入り今回の山行との別れを惜しみながら美濃戸口に到着した。帰りは小学生ぶりくらいに二階建ての電車に乗り帰宅した。

【総括】
今回は大学入ってから初めての合宿で、装備やメンバーなどが一新された新しい環境での合宿に多少の不安もあった。しかし、それを吹き飛ばす先輩方や同期、さらには私を変わらず暖かく迎え入れてくれた山の存在に触れとても楽しい山行となった。東京からはアルプスへの交通利便も良くこれからも新たな魅力的な山とであえたらなと思う。



●2016年6月18日 Re:八ヶ岳山行記録  中村 雅明(昭和43年卒)

 大矢さん
  今回も読みごたえのある山行報告ありがとう。
  大変充実した山行でしたね。特に入部間もない1年生が2人参加し、しっかり歩いたことは素晴らしいです。
  これからが楽しみです。2、3年生が着実に力をつけていること頼もしいです。
  午前二時に起きて星空を見て感動したくだりいいですね。
  山の景観に感動するだけでなく、足元のコケ、星にも感動する感性は山登りを豊かなものにします。
  二日目の逆コースを2015/3/26〜28に高崎さん、岡田さん、小生の3人で縦走しました。天気に恵まれ大変楽しく
  縦走しました。HPに「硫黄岳〜天狗岳縦走(春のハヶ岳)」を岡田さんが投稿されていますのでご一読下さい。
  ピッケル、アイゼン技術を磨いて是非挑戦して下さい。

●2016年6月19日 Re:八ヶ岳山行記録  藤原 朋信(昭和44年卒)

 大矢さん
  会心の山行だった様子が文面から伝わってきました。先ずは計画通り、テント縦走を完走したのは大成功です。
  この勢いで来年は、最高地点の露天風呂がある本沢温泉でテント張って、南八ヶ岳を小淵沢まで縦走の計画検討下さい。
  高見石は、高見石小屋横の累々と積み重なった岩石の総称です、縦走路から1分です。

●2016年6月20日 Re:八ヶ岳山行記録  前神 直樹(昭和51年卒)

 大矢さん
  山行記録読ませていただきました。
  一年生を連れて八ヶ岳幕営山行とは頑張りましたね。8人での山行というものいいですね。
  大昔はこういう山行も当たり前だったのですが、近年はそれ以前の段階から始めていて、だんだんとレベルが上がって
  来ていると感じました。
  是非今後も自分たちの実力に応じた山をどんどん計画して実行して下さい。
  夏の雲ノ平の山行になるべくたくさん部員が参加することを期待しています。



会   報
***



■2016年5月28〜29日 第4期登山教室山岳研究所宿泊登山
                ―― 上高地散策〜岳沢小屋往復(竹中 彰:昭和39年卒)

        *********** 2016年6月8日投稿

 H27年4月に初心者教室としてスタートした第4期初級登山教室(27/7‐29/3)の講座として、日本山岳会が上高地に所有する山岳研究所(河童橋を渡って治山道路ゲート際)での宿泊研修を行った。受講生21名、リーダー・スタッフ13名計34名貸切バスで入山し、初日は明神池周回で上高地の植生や周囲の山岳景観を楽しみ、翌日は岳沢小屋まで往復し、下山後は西糸屋の温泉に入浴し帰京した。

●5月28日(土)晴
 立川駅北口6;40集合に間に合せるべく、自宅を5:15に出発し、成瀬駅5:30の電車を捉まえ、八王子経由で立川に向った。全員定刻までに揃い、バスがスタートした。途中双葉SA、波多のスーパーに立ち寄り上高地バスターミナルに昼前に到着した。上高地は中国人を主とするアジア系の観光客で大賑わいで河童橋の辺りでは大声の中国語が飛び交っていた。食材等手分けして山岳研究所まで運び、部屋割り(男性13名は例年の様に1階の資料室に銀マット、シュラフで雑魚寝)の後に2F食堂で昼食を取る。食後山研裏のミニ水力発電棟前で受講生に説明するが、この日は取水する善六沢の出水状況が芳しくなく運転休止だったのは残念。

 13時に出発し、観光客で混雑する河童橋を渡り返して、梓川左岸を小梨平経由で明神に向う。丁度ズミ(コナシ)が満開状態であり、またケショウヤナギも細かな白い花序を風に乗せて散らしている状況であった。明神への道中は観光客や下山する登山者が交錯しソコソコ賑やかであった。小梨平を過ぎるとカラマツの母林があり、幹に標識が巻かれている。また路肩には二輪草、シロバナノエンレイソウ、ヤグルマソウ、ツバメオモト、オオカメノキ、ヒメイチゲ等の白色系の花に混じってイワカガミのピンク、ラショウモンカズラの紫色が咲き、高い場所には薄ピンクのシャクナゲ、ミネザクラ、ウワミズザクラ等も目に付いた。ズミが盛りの明神館前で一息入れて徳沢方面に進み、徳本峠への分岐を過ぎた先の常念岳が遠望できる場所でUターンして梓川を明神橋で渡り、明神池前の穂高神社奥宮で参拝して右岸の遊歩道を山研に戻った。時間に余裕があったのでそのまま治山道路を進み、ウエストンレリーフに詣でて記念写真を撮る。

 眼前に八右衛門沢、霞沢岳が広がり、6年前の三四郎会の際にチャレンジしたが雪の状態が悪く途中でリタイアしたことを思い出したが、今年はその時よりも雪は少ない様子であった。17:50頃に山研究所に戻って寝床を準備し、18;30から管理人の元川さん(会員、自然保護委員)も交えて懇親会を開始する。用意した3L入りのワインも空いた頃に、私物で持ち込んだアルコールも補充され受講生含めて山への思い等が語られた。片付け後11時頃には就寝した。

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5月28日 12:49
山岳研究所
5月28日 12:49
明神周回
5月28日 14:46
ツバメオモト



●5月29日(日)晴
 4時半過ぎに散歩に出かける音で目を覚まし、カメラを持って梓川の畔に出かける。既に日の出時間を過ぎており、吊尾根背後の薄い雲が淡いピンク色に変わっている。次第に稜線に朝日が当る様になり色付いていく。写真撮影を済ませて山研に戻り、岳沢往復の出発準備を整える。5:30過ぎに炊事担当のスタッフにより朝食が準備され、前夜はご飯をスキップして空腹状態だったので美味しく頂く。7:00に山研前でストレッチして出発する。10分で岳沢登山道入口に着き、そのまま進む。土石流で木々が薙ぎ倒されている明神南沢を通過して風穴手前で一息入れる(1730m、8:00-10)。その後2ピッチで岳沢小屋に到着する(2197m、9:55-10:50)。上高地を俯瞰し、周囲の岩尾根を受講生に説明しながらユックリ眺める。前穂に向う重太郎新道は途中の2箇所のハシゴが光って見え、双眼鏡では時々通過する登山者の姿も見える。学生時代の岳沢合宿なども思い出しながら、また丁度10年前倉知さんと扇沢を詰めて奥穂、涸沢周回したことなどを懐かしんだ。早めの昼食を済ませ、乗鞍をバックに集合写真を撮ろうとしていた所に外人4人パーティーが通りかかり、中の女性からシャッターを押そうとの申出があり、有難くお願いする。横浜在住のオーストラリア人だが、Tシャツ短パンの軽装であった。その後も登下降する外人パーティーが多く意外に人気なのに驚く。一期生の時には雪渓上を気持ち良く下ったが、今年の雪は殆んど消えており、夏道を下るしかなかった。

 最後に林間に入る手前のガレ場で名残りを惜しんで少し休憩したが、2ピッチで13;13に山研に着き、デポした荷物を回収して入浴の為に西糸屋に向う。西糸屋のオーナー奥原宰さんは立教大山岳部OB(S53年卒)。14時から入浴可とのことだったが、到着時にOKだった。汗を流してさっぱりしたところでバス停に向かい、集合時間前に、ターミナルの案内所2階で信濃支部がウエストン祭70周年の回顧展を開催していたので宮崎会員と一緒に覗く。その後バス停に向かいバスは定刻15:00に出発した。談合坂SAで夜食を摂り、その後渋滞もあったが、20:00前に立川に到着し無事に解散した。
天候に恵まれ、昨年の乗鞍岳に向った時のバス車外に出ることも難しかった悪天に比べれば雲泥の差で、受講生も色々と初めての体験を得た山行であった。  以 上
                             (平成28年6月4日記)


5月29日 5:01
明けゆく岳沢
5月29日 5:05
岳沢
5月29日 8:49
天狗岩から奥穂
5月29日 10:49
岳沢小屋前テラスで寛ぐ



5月29日 14:34
信濃支部ウエストン祭70周年記念展示



会   報
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■2016年5月22〜23日 富田新道からの雲取山 ― 多摩百山取材山行 ―  竹中 彰(昭和39年卒)
        *********** 2016年6月8日投稿

 ガイドブック「多摩百山」取材の為に東日原から富田新道を経由して雲取山に登り、翌日三条の湯経由で後山林道をお祭りに下山した。何れも前後に長時間の林道歩きを強いられるコースだが、好天の下で豊かな緑の中にトウゴクミツバツツジ、ヤマツツジの赤や朱色がアクセントとなり満足できる山行であった。

参加メンバー:石井秀典(L)、竹中彰、石塚嘉一、川本俊之(非会員・サポレンメンバー)

●5月22日(日)晴

 当初立川発7:15のホリデー快速乗車の予定であったが、混雑を予想して一本早く奥多摩駅着の普通で八王子、拝島、青梅で夫々乗り換えて8:12に奥多摩に到着した(成瀬発6:03)。駅到着と同時に駅前東日原行きのバス停には長蛇の列が出来たが、中には川乗橋(百尋の滝・川苔山)に向う登山者も多く、川乗橋行き増便が8:20過ぎに出発すると行列は半分以下となった。しかし、ホリ快到着と共に駅前は再び大混雑となり、後続の石井さんには先発して東日原で待つ旨をメールしてバスに乗り込み座る。終点で荷物整理等準備中に後続も合流し、川本さんとも顔合わせをする。9:10にBSをスタートして日原街道を日原駐在所前を経て対岸の特徴ある稲村岩の裾を巻く様に日原川沿いに進み、1.5km先の小川谷橋を渡って、地震による落石等から通行禁止中の小川谷林道分岐に至り、左の日原林道を更に4kmほど歩く。途中で砕石輸送施設の残骸が残る奥多摩工業の氷川鉱山入口前を通過し、八丁橋で右に孫惣谷林道を分ける。(10:10)。この先で天祖山への登山道を見送り、都水道局水源管理事務所の注意看板を確認してゲートを過ぎる。

 この先に文化庁と都教育委員会の「関東山地東京地区カモシカ保護地域」の看板もある。名栗沢橋を過ぎ、日原林道巨樹コース・天狗のカツラ(樹高40m)入口、同・鍛冶小屋窪トチノキ(同35m)の矢印看板、6kmの標柱がある。少し先に右に天祖山に直登する赤石尾根の入口がある。程なく都の管理番号(18-040)の「大ダワ・雲取山」の標識が左に立ち、富田新道入口に着いて腹ごしらえする(1000m、11:50‐12:15)。左の日原川にトラバース気味に下り、10分弱で吊橋に着く。

 吊橋を渡って所々岩屑混じりの急登を20分余進むと(18−090)の標識があり、唐松谷経由ブナ坂と富田新道の分岐となる12:55)。その後も急斜面に付けられたジグザグ道を登り、これが奥多摩三大急登(鷹ノ巣/稲村岩尾根、本仁田山/大休場尾根、三頭山/ヌカザス尾根)にも比肩すると言われる急登かと納得する。
 
 吊橋から1時間10分、標高1285mで尾根に上り付く。暫し呼吸を整えて少し登った1307mに東日原方面への道標がある。1500m辺りから延々と尾根道の登りが続く。急坂を登りきった1700m辺りから傾斜が緩んで「サワラノ平」と呼ばれる所である。この辺りからは広葉樹の疎林となり、明るい雰囲気の中で登山道を辿るが、何箇所かにトウゴクミツバツツジが赤い花を付けている。更に1800mまで登るとブナ林があり、アセビなどの潅木も出てくる。緩い尾根通しの登りが続き時々踏み跡の薄い所もあり、登りは問題ないが、下山利用の場合は右側に迷い込まない様に注意する必要があろう。カラマツ林と草付の尾根を辿るうちに小高い所を何箇所か踏んでいく。事前に権衛の頭を確認することをテーマとして来たので暫らく往復しながら探すが、山名板もなく明確にそれと判る場所もなく、恐らくは地図上の1845mの「野陣のピーク」手前、高度計で1812mを指す地点であろうとする(16:00)。その先の「野陣のピーク」と思われる場所には赤い樹肌のダケカンバが佇立しているのが特徴的であった。その先はササハラを20mほど下り少し登って、奥多摩小屋からの巻き道分岐に至る(16:20)。その先は少し急なササの間を10分程度進んで石尾根主稜線に合流し、少し上が小雲取山のピークである(1925m、16:30)。この少し先に近くでカラ系の鳴き声がするので足元を見るとヒガラの雛がヨチヨチ歩いていた。近くの巣から落ちたのか、頭部に白い毛が残り未だ恐れを知らぬ体で、止まっていると近づき靴に乗って突付いてくる。可愛さに遊んでいると何処か近くで親鳥の声が聞こえるので、先を急ぐこととする。5分先に雲取山荘への巻き道分岐を右に分けて進むと今度はメスジカが2頭の子ジカを連れて草原で餌を探しているのに遭遇する。既に16時半を回っていて縦走路に人影もないので野生動物が出没するのであろう。縦走路からは飛龍山がシルエットで浮かんでいる。生憎富士山は霞んで視界に入らない。そのまま進んで16:50に人っ子一人いない雲取山頂上に着く。いつもは大賑わいの頂上しか見ていないので、暫し静寂の頂上を楽しむ。

 その後は北側斜面を下って事前に予約していた雲取山荘に到着する(17:25)。

 翌日は月曜日であり、宿泊客は余り居ないのではとの予想に反してほぼ満室とのことで雲取山の人気の程を知る。受付を済ませて、2階の個室に入りコタツに入ってビールで予定通りの完登を互いに労う。夕食は何時ものハンバーグ定食であったが、全員完食であった。食後は部屋で少量のアルコールで暫し歓談するが、平均年齢73歳余の老人パーティーが東日原のバス停から8時間15分の長丁場、特に日原林道と富田新道の急登をこなして無事に到着した健登を讃え合う。この日の総歩数は23.5千歩であった。

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5月22日 9:16
日原から稲村岩
5月22日 9:36
日原林道入口(日原鍾乳洞分岐)
5月22日 11:47
大ダワ分岐から川へ下る
(吊橋を目指す)
5月22日 12:25
吊橋を振り返って
5月22日 15:11
明るい尾根(野陣尾根)にツツジも
5月22日 15:12
権衛の頭を調査する一行
5月22日 16:03
カラマツが綺麗な
緩い起伏の尾根道
5月22日 16:27
小雲取山で
巣から落ちた?
ヒガラの雛と遊ぶ
5月22日 16:33
登山道脇でエサを捜す
メスジカ
5月22日 16:51
人気のない雲取山頂

●.5月23日(月)晴

 朝4時半過ぎに部屋の電灯がバチッと点き目覚める。モット早い時間から周辺の部屋ではガサガサと出発準備の気配が伝わって来ていた。東に開けた山荘前には4時半過ぎの日の出に備えてカメラを構える客が待機していた。我々の部屋からも十分日の出は拝める位置にあり、その瞬間をカメラに捉える。

 5:30からの朝食を済ませて、出発準備を整える。1階の受付に山荘オーナーの新井晃一(新太郎氏長男)氏が出ていたので石井さんと2017年のイベント等について話し合う(現時点で余り大袈裟なことは考えていない、宿泊客に記念品を提供する程度か?)。

 6:50過ぎに山荘を出るが、山荘下のシカ柵内にシカが入り込んで出られないで居るとのことで見物して結局7時発となった。出発後階段を上ったスグの所に三条ダルミへの巻き道の標識があるが、通行止めになっていた。また、これまで素通りしていた田部重治氏(奥秩父の紹介者「日本アルプスと秩父巡礼/大正8年」・英文学者)のレリーフに詣で、更にその上にある祠も訪ねる。祠には誰かが「奥秩父東国奥駈第一箇度修行の碑(平成23年8月3-7日」なる札を置いていた。そこから10分ほど上った所に「鎌仙人レリーフへの巻き道」があるが、途中の道が芳しくないので見送り、容易に行ける上の入り口から入ることにした。5分進んだ所に右にレリーフに向う道があり、そこからは20m先の埋め込んである大岩も見えるので道脇にザックをデポして向う。そこには秩父山岳連盟による碑文とレリーフが嵌め込まれている。この後は雲取山頂上を目指して登るが、3月中旬に第3期登山教室の受講生(山荘で修了式)のサポートで登った時に比べて雪のない分足元が悪い。取材の為にユックリ寄り道をしたので頂上には7:40(〜50)に到着した。

 頂上に先着していたのは男女2人連れで、聞けば奥多摩駅を深夜2時頃に出て石尾根を登り、これから再び石尾根を駅まで下るとのことで、石尾根を日帰りで往復するパワーに圧倒される思いであった。なお、頂上には幾つかの標石があるが、その内最も北側の台形状のものは明治15年に内務省地理局によって設置された「原三角測點」、その横に補助点、一等三角点及び国土地理院の説明板がある。頂上の山名看板は東京都、埼玉県夫々が設置しているが、山荘の新井さんは近く都県共同の看板に更新するとのこと。

 頂上からの遠景は霞み富士山や南アルプスも見えなかった。この後で、山梨側の頂上に行き暫し山座同定を行った。東方は奥多摩三山をバックに石尾根に連なる山々、長沢背稜、天祖山等は確認できた(7:53〜8:18)。

 頂上を後に三条ダルミへの南西斜面を下る。最初10分程はかなり急傾斜が続くが、その内にカラマツなどの混交林の下、緩やかな笹の間の道を進むようになる。山梨側頂上を出て30分で右に雲取山荘への巻き道(但し冬期通行止め)、直進は飛龍山、左は三条の湯への分岐、南に開けた三条ダルミに着く(8:45‐9:05)。ここには埼玉県警山岳救助隊ニュースがファイルに入って置かれていた。同行者からドラ焼きなどの差し入れを有難く頂戴しユックリ休憩する。しかし、早くも虫が出てきて煩わしいので、ハッカスプレイを振りかける。

 三条の湯に向っては水無尾根の東側斜面を右山のトラバース気味にドンドン下る。スタートして暫らくして男性の単独行者とすれ違う。また、既に終ったと思われた赤紫色のトウゴクミツバツツジが咲き残っているのを目にしたが、下るに連れて一層斜面の下や頭上に咲き競っている。下の方ではアセビの新芽も出て隣り合って彩り豊にすると共に、ヤマツツジの朱色も現れる。

 10時頃にパイプから水が湧き出している所に着き休憩を取る(1517m、9:58−10:05)。休憩中に下から若い女性二人連れパーティーが登って来た。聞くと昨日親川からサオラ峠を越えて三条の湯でテント泊、今日は雲取山から下山とのこと。なかなか健脚である。

 下りの途中にはやや岩を乗り越す部分、土の斜面が崩れ気味で慎重な行動を要する箇所などもあるが、桟道、ハシゴなども整備され、総じて手入れされた歩き易い道であった。水場から30分で尾根が馬の背状になり、明るく開け飛龍山方面が見渡せる場所に至った。地図上の青岩鍾乳洞分岐に注意していたが、気付かぬままに三条の湯手前の三条沢を渡る橋に着く。橋から程なく三条の湯(三条小屋)に到着する(1100m、11:10〜12:10)。

 小屋の看板によれば、地番は「山梨県北都留郡丹波山村奥後山4025の1番地」。小屋には小屋番独りが留守を守り、オーナーの木下浩一氏は下山したとのことで、雲取山荘の晃一氏から林道を車で送ってくれるかもと聞いていたが、残念だった。同行した川本さんが40年以上昔の高校時代にこの小屋で赤ん坊の頃のオーナーと撮った写真を持参してオーナーに言付けていた。土日の泊り客は60人位あり、下のテント場も満杯状態だったとのこと。

 ここのオーナーは狩猟免許を保有しシカ撃ちをしているが、以前支部会員の読売新聞記者宮澤さんが飛龍山を歩き、ここの浩一氏に狩猟の取材をしたいと石井さんに依頼があったが、タイミングが合わなかったことなどを受付に話していた。受付窓口には「シカ肉薫製8切れ300円」の看板も下がっていたので、昼食時に試食すべく注文したが、小屋番氏が皿に盛った薫製を差入れてくれた。試食したところでは,塩と胡椒が効いてビールのツマミに最適と感じた。なお、薫製はここで作っているとのこと。以前に比べて風呂場も増設した様子で、タイル張りで快適そうであった。

 昼食もユックリ摂っていよいよ後山林道に向う。小屋の裏から三条沢沿いのテント場に向けて下り、青岩谷橋に向けて三条沢を下る。この辺りは山梨県によって「やまなしの森林100選」に「63.三条谷の広葉樹林」として指定されている美しい森が続く。樹種はシオジが中心とのこと。100選には同様のシオジ主体の森では「62.小菅川雄滝ノシオジ林」「71.小金沢のシオジ林(雁ケ腹摺山北側)」などが指定されているが、62.63.何れも多摩川に注ぐ都民の水源林である。
小屋から30分で林道終点に着く(966m、12:40)。終点は車の回転用に道幅が広くなっているがスペースも限られ、一般車への林道開放は難しいと思われた。
その後はひたすら直射日光の下、日陰を求めて左右に振れながら林道を下る。

 上のゲート13:10、蔦久保橋13:33、塩沢橋13:46(石尾根のヨモギ尾根取付き)、釜の沢橋14:10と進み、大きな砂防堰堤のある新片倉橋で一息入れる(690m、14:15〜20)。ここで、下の後山川から釣り人が上ってきた。更に進み林道後山線ゲート14:30、林道入口(お祭り)15:07で青梅街道に出て程なくバス停に到着する。入口には「三条の湯10km徒歩3時間」とあるが、我々は下山でほぼ3時間を要しており、登りで3時間は難しいのではと思われる。兎に角歩き切ったのでヤレヤレである。バスは15:58の奥多摩駅行きまでなく、バス停前の食堂も月曜日で休業なので、街道沿いの日陰でストレッチ、荷物整理しながらバス待ちをした。この日の総歩数27.7千歩。
定刻に来たバスに乗車し、奥多摩駅に16:24に着いたが、生憎月曜日で駅周辺の多くの店舗は天益含めて休業なので、缶ビールを購入して電車に乗り込む。2日間林道歩きに良く耐えた互いを労って乾杯した。お疲れ様。
 以上                            (平成28年5月27日記)

5月23日 4:32
雲取山荘から日の出を迎える
5月23日 6:46
雲取山荘上、田部重治レリーフ
5月23日 7:13
雲取山下、富田治三郎(鎌仙人)
レリーフ
5月23日 8:40
三条ダルミの道標
5月23日 9:15
トウゴクミツバツツジも盛り
5月23日 10:11
途中崩れた箇所も
5月23日 11:07
三条の湯受付、
シカ肉燻製8切れ300円の
看板も
5月23日 12:26
三条谷の広葉樹天然林
(山梨の森林100選)
5月23日 12:32
後山林道終点標識
5月23日 15:01
お祭りの林道入口案内看板
5月23日 15:04
青梅街道から後山林道入口


会   報
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■2016年5月21日 乾徳山・黒金山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部2年)
      ******2016年5月31日投稿

●メンバー
  部員: 坂本遼(法2)、(社3)
  OB:藤原朋信(昭和44年卒)、中村雅明(昭和43年卒)

●天気:晴れ

●コースタイム
  徳和9:10−駒止10:00(出発10:05)−扇平10:53(出発10:58)−乾徳山11:32(出発11:55)−
  黒金山13:12(出発13:30)−西沢渓谷1512−西沢渓谷バス停16:10
 
  総行動時間7時間

 今回は昨年秋に行けなかった乾徳山と、その先の黒金山を経由して西沢渓谷に下るという日帰りにしてはかなり距離の長い山行であった。当日は天気も非常によく、ちょうどよい気温でまさに登山日和といった感じであった。思えば5月は非常に天候に恵まれたと思う。6月の梅雨の時期も、登山日には何とか天気がもってくれることを祈るばかりだ。

 バス停から駒止めまではなだらかな登りが続く、うっそうとした森の中を歩くため少しひんやりするくらいだ。他の登山客を抜かしつつも、中村さんを先頭に一定のペースを保ってゆっくり登る。乾徳山まで約4時間の道のりのところを、2時間20分を目指すというのだからどんなペースで登るのかと思っていただけに、このペースは正直予想外であった。しかし地図でのコースタイムと確認してみると、順調に登っているのだと知り、改めてコースタイム設定の難しさを感じた。自分で計画を立てる際に、4時間を2時間半ほどで計算できまい。これこそ登ったことのある人でしかわからない経験則なのだろう。駒止を過ぎると国師ヶ原十字路にさしかかり、ここから一気に視界が開ける。景色が一変するのは乾徳山の醍醐味であろう。存分に満喫しながら歩みを進めると、少々登りが急になってくる。

 日差しが照り付けるため先ほどよりも暑さは感じるが、それでも難なく扇平まで到達。ここからがいよいよ岩場である。あたりに岩が多くなり、アスレチックのような感覚で登っていく。岩場の登山道はアクセントがついて楽しく、おまけに高度も一気に稼げるので好きだ。ところがここで、中村さんが足をつってしまった。今度は自分が先頭になって先に進む。終盤は大きな岩をよじ登る少しスリルのある登山道だ。鎖を使いながらうまく足場を探して登っていく。最後の一枚岩は渋滞が起きていたためう回路を通って山頂に至る。ほぼ計画通りのペールで到着。中村さんも無事到着し、ここで昼休憩。山頂からはこれから歩く黒金山までの尾根道がずっと見渡せ、さらにその奥には西沢渓谷を挟んで甲武信ヶ岳が見えている。日帰りでは難しい甲武信ヶ岳は、今年中に泊りで行ってみたいと思いながら、岩に腰かけ昼食をとる。まだまだ先は長い。20分ほどで出発。黒金山を目指す。

 黒金山までは基本的に稜線を歩くので先ほどのような登りはなく、軽いアップダウンを繰り返しながらどんどん進む。地図上では2時間45分と書いてあったところを1時間半もかからずに着いてしまい、何ともあっけない感じである。藤原さんいわく、乾徳山から先の登山道は登山客が少なく、そういった道のコースタイムは長めに設定されているらしい。確かに乾徳山にはひっきりなしに登山客が来ていたが、黒金山までの道では人とほとんど会っていない。しかしこの山からの眺めは想像以上であった。正面に北奥千丈岳をはじめ国師ヶ岳などの奥秩父の山々が見渡せ、さらに奥には金峰山も小さく顔を出しており、右を向けば奥秩父の稜線が連なり甲武信ヶ岳に至る、奥秩父の山々が眼前にそびえたっているのである。いつか向こうの山々を歩いてみたいと思いながら、しばし景色を堪能する。

 黒金山を過ぎると道は西沢渓谷に向かって徐々に高度を下げていく。といってもなかなか下がっている印象がない。下がったと思うとまた小さな登りがあるといった箇所がいくつもあり、ほとんど展望がきかない道を黙々と歩いていく。牛首のタルの分岐を過ぎると大きな登りがあり、まだまだ気が抜けないと気持ちを入れなおす。驚いたのは中村さんの下るスピードだ。足をつっていたのもあって登りは明らかにスピードが落ちていると感じたが、それが下りになると一転して、転がるように駆け下っていく。自分も必死について行ったが、さすがは一橋下山部の異名を持つ山岳部だっただけのことはあるなと、ただただ驚くばかりであった。中村さんに聞くと、身体に染みついているとのこと。我々現役が山行であのようなスピードで下れるだろうか。普段はいいとして、最終バスに遅れそうだとか、小屋につく前に日が沈みそうといったときなど、どうしても急がなくてはならないときに、あのスピードが出せるだろうか。日ごろから時々でもこの速さで下る練習をするのは非常に有効であろうと感じた。部内では歩荷山行を行おうという意見も出ている。週末ただ山に登るだけでなく、それぞれ目的を持ったものに変えていく必要があるだろう。最終バスに間に合うか危ぶまれたが、中村さんの圧倒的なスピードで無事間に合うことができた。今回の山行はいいトレーニングになると共に、奥秩父の山々をこの目で眺められて個人的には得られるものが非常に大きかった。そろそろ夏合宿の予定が立ち始める頃である。去年以上に充実した夏の山行になるよう、最大限の準備をして夏を迎えたい。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月21日  11:38(撮影:坂本)
乾徳山直下、岩場の途中にて
 5月21日  11:48(撮影:坂本)
乾徳山山頂から黒金山、甲武信ヶ岳を望む
月21日  12:00(撮影:中村)
乾徳山山頂にて(坂本)
5月21日  13:16(撮影:坂本)
黒金山山頂から、北奥千丈岳、
国師ヶ岳、朝日岳などの
奥秩父の山々を望む。
稜線左にかすか見えているのが
金峰山
5月21日  13:25(撮影:中村)
黒金山山頂にて
(左から坂本、曲)
5月21日  14:11(撮影:中村)
牛首ノタル〜紅葉台
(アズマシャクナゲ)


●2016年6月1日 Re:山行記録送ります  藤原 朋信(昭和44年卒)

 坂本さん
 先週末、大先輩の記録を読んでいて「良く読み、良く登り、良く書く」の他に「良く聴くと良く考える」が山岳部の伝統であったことを知りました。貴君の記録は、正に「良く考える」が文章に反映されたもので、山岳部も貴君個人も経験をステップにいろいろ考えながら成長しているのが良くわかります。

 中村さん
 実は、乾徳山には47年来、十数回登っていますが、いつもグループ登山でしたので、黒金山まで足を伸ばしたのは今回が初めてです。机上登山のみの黒金山に、今回実際に登れて満足です。メンバーの皆様の足が揃って7時間で歩けたのが成功でした。


会   報
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■2016年5月21日 棒ノ折山・岩葺石山  松橋 凛太郎(一橋大学山岳部:法学部1年)
      ******2016年5月30日投稿

●参加者
 内海拓人(法3年)、水洞章夫(法3年)、羽二生祥馬(経3年)、鈴木由佳里(社1年)、松橋凜太郎(法1年)、吉田和麿(法1年)

●天気
 快晴

●コースタイム
 御嶽駅9:00→惣岳山10:20→岩葺石山11:00→黒山12:45→棒ノ折山13:10→清東駅15:00→(徒歩)→川井駅15:55

●概要
 早朝の東京は肌寒い気温であったため奥多摩はより気温が低いのではと危惧したが、そんなことはなく山行を通して非常に爽やかであった。天候もよく、登山日和であった。

 御嶽駅到着後、山道に入る。山道入口はひっそりしており、竹が生い茂っていたのが印象的だ。実際人にすれ違うことが少なく、都会から離れ落ち着くことができそうだ。勾配は少々急であったが、道自体は踏み固められており、浮石もなくのぼりやすかった。丸太階段をずっと上った後、関東ふれあいの道に入る。丸太階段はなくなり,杉の木に囲まれたなだらかな道がつづいた。花粉症の人にはつらい道であったかもしれないが、今回は鼻詰まりを訴える部員はいなかった。道なりに進み、惣岳山山頂に10:20分に到着。休息をとった。

 ここは山頂ではあるが杉に囲まれており、木々の合間からの景色を楽しめる程度であった。休息後岩葺石山山頂を目指す。惣岳山〜岩葺石山間は登りと下りの繰り返しといったアクティブな登山道である。木の間隔はだんだん広くなり、開けた場所に出ることが多くなってきた。頂上に近づくにつれ登山者に遭遇することが増え、話しかけられもした。御嶽山口から登り始めたことを伝えると、ずいぶん長く登っているねと言われた。御嶽口はメジャーではないもかもしれない。11:00に岩葺石山山頂に到着。登山者が多く休息していた。

 この時点で予定より一時間弱早く登っていることが判明し、部員一行にどよめきが走った。しかし皆の顔に疲れの色は見えず、優秀だなと感じた。休息中にクマンバチが一行の周りを飛んでおり、追い立てられるように頂上をあとにする。途中までは下りが続いた。一か所だけここは危ないなと思う難易度の高い岩場があり滑落に十分気を付ける必要があったが、地面は乾燥しており滑ることもなく歩きやすかった。ここまででもかなり歩いたはずだが、疲れはあまり感じない。

 木に囲まれていたためにほとんど木陰だったことがよかったのかもしれない。途中編隊が真ん中で途切れてしまうことが多々あったが、これはおそらく許容範囲内なのだろう。黒山には12:45分に到着。山頂というよりは道の途中に標識が立っているという感じの場所であった。一人で登っていたら気づかなかった可能性すらある。休息後棒ノ折山山頂を目指す。マウンテンバイクで下山する人とすれ違ったのが新鮮であった。山頂までは30分強で到着。この日の中では最高の景色である。高さは969mで登りやすい山なこともあり、来年の新刊山行の候補になるという声が先輩の中から聞こえた。昼食をここで済ませ、集合写真をとっていよいよ下山する。

 下山は2段階あったと感じた。1段階目は単調な下りで、勾配も急であった。30分ほど下った後渓流が見えてきた。これに沿って下ったのが二段階目だ。ぬかるんでいる場所も多かったが、川を見ながら下るのは楽しく、また涼しげでもあった。ふもとの清東橋バス停に3:00に到着。予定よりかなり早い下山になった。三時台のバスが一本もなく、待つのも億劫だという結論になり、川井駅まで55分歩いて向かい、山行終了。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月21日  11:00
岩葺石山山頂風景
5月21日  13:40
棒ノ折山山頂にて
(左から松橋、鈴木、水洞、
内海、吉田、羽二生)
5月21日  14:30頃
下山中
(手前から鈴木、内海)


●2016年6月1日Re:21日棒ノ折山山行記録  中村 雅明(昭和43年卒)

 坂本さん
  (略)
 1年生の松橋さんが早速山行報告を書いたのは素晴らしい。
 文章もしっかりしています。有望株ですね。
 一橋山岳部のモットー「よく読み、良く登り、良く書く」が根付いてきたこと嬉しく思います。

●2016年6月1日Re:21日棒ノ折山山行記録  前神 直樹(昭和51年卒)
 
 中村さん
 (略)
 仰るように読みやすい紀行文だと思いました。
 学生が行く山行自体は危険のなさそうなところが多く、
 ともかくも今後も地道に力を付けてもらえればと思います。


会   報
***


■2016年5月18日 多摩百山(網代城山、雹留山)取材山行  竹中 彰(昭和39年卒)
     *********** 2016年6月8日投稿

 JR五日市線の南の秋川に沿って東西に連なる網代城山、弁天山を歩き、更に東南のゴルフ場に挟まれた雹留山の山名に引かれて足を延ばすこととする。
 このルートは都立秋川丘陵自然公園の一郭(「かたらいの路」)を構成している。

 網代城山に向うには、五日市街道を五日市線沿いに1kmほど東に戻った所の高尾神社から向うルートと都立小峰公園入口近くの留原(とどはら)から向うルートがある。今回は小峰公園前からのルートを歩く。

 五日市駅前の信号を渡って檜原街道(五日市街道)を西に進み、ほどなく秋川橋を越えてスグ左手に階段があり降りたところが秋川街道です。これを道なりに秋川渓谷のバーベキュー場などを右下に見ながら進み、次第に上り坂になるがなおも進むと留原(とどはら)の交差点に至る。交差点を過ぎてスグ左にルートの入口がある(ここまで駅から約30分)。小峰工業団地の北側、小高い前山公園のサクラ、ナツツバキ等の広葉樹の下を進むと程なく道は短いトンネルの上を渡って五日市トンネルに続く道に降りる。道なりに東に進むとスグ天王橋を渡り、標識(151-410)に従って分岐を(第二紫水園へ)右折する。その先の交差点を直進して間もなく「登山道入口」の標識がある。標識(151-380)に従い左折して30mほど先に「東電小峰線の黄色杭」と「網代弁天山1.3km」の標識がある。左に入り70−80m先に「城山0.8km」の標識があり、緩くジグザグの登りとなる。この辺りはエゴノキ、ヤブコウジ等の植生が目立つ。

 次第に傾斜が増し、次第に植生はスギ、ヒノキに変わる。シッカリした木製階段(約170段)を踏むようになると傾斜は更に増し一汗掻いた頃に「小峰公園(1.5km←→網代弁天山(0.8km)、→増戸駅(2.3km))の標識があり、進むと程なく網代城山跡に着く。木立ちに囲まれて展望はないが、「三等三角点(330.8m)」「南一揆」の解説板がある。ここから先に弁天山を目指すが、先ず急な木製階段の下降になる。10分ほど進むと「網代弁天山0.5km」の標識(151−340)があり、その先のヘアピンカーブを標識(151-320)に従って右に進むと木の根と岩混じりの急登になり、すぐ岩の露出した狭い弁天山頂上に至る(城山から約20分)。頂上からは西武ドームや視界が良ければ新宿、スカイツリー等も望める。

 頂上を後にして先程のヘアピンカーブ方向に少し下り、階段手前で左に分ける道を進んで頂上を捲くように下ると弁天洞穴の前に出る。この洞穴内にはスグ下にある貴志島神社(弁財天社)の伊奈石製石造大黒天像が安置されている。

 洞穴前を過ぎて進むと神社前を過ぎて道は緩やかに下り、弁天山頂上から直接下って来る道に合流し、標識(151-290)は武蔵増子駅1.7kmを示している。

 途中で右手に正体不明の鉄とコンクリートのがっしりした古そうな構造物がある。道なりに進むと右手の小高い所に右奥「凱旋山」の高札(看板)がある。足元に無葉蘭(ムヨウラン)を見つけて暫し足を止めることも。そのまま進み、集落に出る前に貴志島神社の鳥居、参道を過ぎる(頂上からユックリ歩きで30分ほど)。下の舗装道路に出て直進すると三叉路に突き当たり、標識(151-260)の「二条城4.7km」に従って右折する。少し先で自治会の掲示板があるところで道路が二股に分かれるが、左手の道に入る。そのまま進んで人用橋「弁天橋」を渡り、道なりに山田大橋、網代トンネル方向を目指す。

 標識(151-230)、(151-210)に案内されて二条城方面を目指して進む。目の前を山田大橋から網代トンネルに至る都道61号線が走る手前で交差点に出るが、都道に平行して直進し、網代トンネル右側から東京五日市CCの東縁に沿って緩く坂道を登って行く。途中右手のゴルフ場側に先ほど通って来た城山、弁天山が赤松の間から望める。道なりに進んで左側にゴミの最終処分場入口を見送り、なおも進む。地理院25千図にあるように高圧線が頭上を横切る下を暫らく進むと、少し先に車止め柵があり、傍の標識(151-190)に行く手は「二条城2.8km、秋川駅6.7km」と表示されている。更に進むと標識(151-180)には「上戸吹バス停3.8km、二条城2.7km」とある。この先、東京サマーランドの裏入口が左にあり、料金案内看板(大人600円、子供300円)も出ている。隣には「企業の森」の看板もある。何時の間にか右側に上川霊園が広がっている。更に進むと右手にやや小高くなった所があり、踏み跡に従って進むと疎林の中に「雹留山260m」の私製の看板が松の木に打ちつけられ、最終目的地に到着したことを知る。ここまで、網代トンネル傍の交差点からほぼ1時間です。以前はこの辺りに由来を解説した看板もあったようだが、最近は取り払われた様子。この頂上からスグ左下の「GMG八王子ゴルフ場」との間に注連縄の張られた赤い鳥居と石の祠が鎮座し、横には西洋博打の木が植えられている。かつては、この辺りの山がゴルフ場開発で大きく削られ、本来の「雹留山」や祠も移設されたとの話があるが、真相は不明です。ゴルフ場横を道なりに進み(朱書きの数字が4から1へ表示されている)、西八王子病院・ウエスト・ケア・センター前を通過して進み、舗装道路に従って下ると程なく秋川街道に出る。左手に進むとスグに「GMGゴルフ場」バス停があり、JR八王子駅経由京王八王子行きバスが運行されている。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月18日 11:00
網代城山登山道へ左折地点の道標
5月18日 11:03
道標に従って弁天山への登り口
(東電高圧線小峰線も標識も)
5月18日 11:37
網代城跡の説明板
5月18日 11:38
城山の標識と三等三角点
5月18日 12:36
弁天山頂上標識
5月18日 12:36
弁天山頂上からの東方、西武ドームも

5月18日 12:51
五日市CCの
コース間を緩く登る
5月18日 13:25
東京サマーランド裏口
5月18日 14:15
雹留山頂上にて
(後ろの松に私製の看板あり)
5月18日 15:14
雹留山横の祠、
更に右はGMGゴルフ場


  (平成28年5月25日記)

会   報
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■2016年5月15日 新歓山行(甲州高尾山)  小久保 剣(一橋大学山岳部:法学部2年)
      ******2016年6月4日投稿

●参加者 
  内海拓人(法3)・清野有紀(ICU3年)・原島大介(商2)・安藤由都(法2)・高謙(社2)・田中亨(商1)・岩崎巧実(法1)・
  袁銘(明治大学1年)

●天気:晴れ(山頂付近はやや雲がかかっていた)

●コースタイム
  勝沼ぶどう郷駅9:30(発)→大善寺10:05→柏尾山10:30→剣ヶ峰11:3→甲州高尾山山頂11:40→富士見台12:35
  →(40分ほど昼食)→展望台13:20→大滝不動尊13:40(着)→勝沼ぶどう郷駅15:05 

  合計5時間35分

 大善寺から柏尾山までの急な坂は多少困難だったが、それ以外は岩場などもなくわりかし易しい山行であった
 メンバーは直前にキャンセルが続いたため、予想していた雰囲気とは少しちがうものの、体験の袁銘さんを中心に
 和気藹々とした山行であった。

●感想と反省
 今回初めて自らが計画した山行であったため、いつもの後ろについていく山行とはまるで登山の感じ方が違っていて、気疲れはしつつも新鮮で充実した山行であった。朝、勝沼ぶどう郷駅につくまでに、もともと参加を予定したメンバーの中、四人がキャンセルなってしまい、新入生(まだ部員になっていない者)が一人という新歓山行になってしまい、さらにもともと予定していたルートが大日影トンネル(個人的にとてもみたかった…)封鎖のため使えなくなってしまい、急遽昨年の新歓山行ルートで回ることになってしまった。そういった想定外の事態が立て続けにあり、内心動揺しつつなんとかこの山行を成功させようという思いで駅を出発した。こういったトラブルに遭遇することを想定することが大事で、特にルートに関しては過去の山行記録やヤマレコといったものから事前に十分な情報を得ておくことが必要不可欠だと強く感じた。

 先頭にたって列を導くこと、それがこんなにも不安だとは思いもしなかった。緊張しつつ、少しの道の間違えなどにビクビクしていた。反省点としては、できるだけペースを落とそう落とそうとしていても少しペースが早くなってしまうことが序盤にあって、後半は絶え間なく後ろを見返してペースを調整することを心がけた。次に富士見台に向かう時に地図に書いていない巻道を使ってしまい余分な時間をかけてしまったことだ。これからは分岐点についた時はより一層の注意を払ってルートを確認しようと思う。最後に、休憩する予定がない場所や時間帯であっても景色が良いところでは少し立ち止まる時間を作るべきだと感じた。今回は予定に忠実にすることに頭がいっぱいで、次はもう少し自由に幅をきかせることをしていけたらいいなと思う。その他は順調そのものといってよく、天気も荒れることはなかったし、富士見台では晴れた日のもとで集合写真を撮ることもできた。自分も一眼レフを持参して、少ないながらも数枚いい写真が撮れて楽しみを享受できた。その後アフターも数人で行ってがっつり肉を食って、いい週末を過ごせたなあと感じた。

 これで今年の新歓山行が終了ということで、新入生の参加が少なかったのは本当に残念であったが、自分のように新歓山行の後の夏頃から山に登って入部することもできるので、どしどし山行に参加して登山の楽しみを味わってくれたらと思う次第である。
 



5月15日  13:05(撮影:小久保) 富士見台にて
(後列左から内海、岩崎、安藤、原島)
(前列左から田中、袁銘、高謙、清野)



 5月15日  13:35(撮影:小久保)
大滝不動尊に向かう山中にて
(前から袁銘、高謙、清野、内海、田中、岩崎、原島、安藤)


●2016年6月1日 Re:山行計画書のご確認お願いします  中村 雅明(昭和43年卒)

 小久保さん
 山行報告受領しました。
 新歓山行の企画・実行ご苦労様。
 人に連れて行ってもらう山行より苦労が多い分得るものも多いこと実感したでしょう。
 山岳部の山行の意味を考える良い山行でしたね。
 山行は記録(報告)を書くまで終わりません。 甲州高尾山は貴兄の報告を以ってめでたく終わりました。


●2016年6月2日 Re:山行計画書のご確認お願いします  藤原 朋信(昭和44年卒)

 小久保さん
 リーダーとしての「感想と反省」大変面白く読ませてもらいました。こういう新鮮な思いは経験しないと分かりません、
 自分は学生時代にリーダーの経験が無く楽をした分、社会人になって直ぐに職場山岳部の責任者となり苦労しました。
 貴君達は山岳部が新たな揺籃期であり、いろいろ有意義な体験が出来ますね 29人の部員全員が山岳部活動を通して
 何らかの糧を得られる事を期待しています。
 甲州高尾山も3回目で参加人数も最初の3名から確実に増えてきました。今後とも定番山行として続けてください。



会   報
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■2016年5月7日 新歓山行(川苔山)  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2016年5月15日投稿 ******

●メンバー
  部員:鈴木由佳理(社1)、胡迦安(経2)、坂本遼(法2)、原島大介(商2)、内海拓人(法3)、水洞章夫(法3)
  体験:松橋凛太郎(法1)、山本竜希(社1)

●天気:晴れ

●コースタイム
  登山口9:45−細倉橋10:30(出発10:40)−百尋の滝11:23(出発11:31)−沢12:07(出発12:22)−
  川苔山13:08(出発13:31)−作業道途中14:20(14:27)−登山道途中15:20(15:23)−古里駅15:50
  総行動時間6時間5分

 高尾山に続く新歓山行第2弾ということで、今回は川苔山を目指す山行となった。新歓行事と重なるなどして第2弾の開催が5月にもつれこんだのは今後の大きな反省点であるが、それにもかかわらず2名の新入生が体験に来てくれたのは嬉しいかぎりである。自分としては昨年の川苔山新歓山行時に、中腹で隊を分けてからのペースについて行くのが大変で、山頂でへとへとになっていた記憶があり、この山にはあまり良い印象がない。自分がこの1年どれだけ成長したかを測るうえでもよい機会となる山行であった。

 当日の朝、新歓期ということもあり連日出歩いていた疲労からかあまり体調が良くなかった。先週の丹沢はこの体調ではまず無理であっただろう。今回は新入生と一緒に登ることが大事と考えとりあえず自宅を出発したものの、去年も苦労した山なだけに不安があった。さらに電車の中で、複数の部員から欠席の連絡が相次ぎ、今回CLを務めるはずであった安藤も体調不良ということを聞き、安ちゃんと相談の上急遽自分がCLを務めることになった。もし自分まで休んでいたらさらに厳しい山行となるところであった。忙しい時期ではあるが、改めて体調管理の重要性は自分含めた各員に徹底したい。

 今回は去年と異なり奥多摩駅からバスで川乗橋に入り、百尋の滝を経由して登るコースとなっている。考えてみると先頭を歩くのは1年生企画以来である。ペース配分に気をつけることを意識して歩き始める。最初は細倉橋までアスファルトの道を少しずつ登っていく。新しく入った鈴木と話しながらゆっくりと歩くことを心がける。彼女はGW中に帰省した際装備一式を購入してきたらしい。新入部員の山に対する意気込みが強いことは本当に嬉しい。今後も経験を重ね、1年後には新入生をリードして先頭を歩いてもらいたい。細倉橋までは地図にあるコースタイム通りで進み、ここから本格的な登山道に入る。緑が多く時折さわやかな風が吹く素晴らしい気候で、新緑を満喫しながら進む。緩やかな登りなので、そこまで苦労もせずに百尋の滝に到着。ここまでも地図上のコースタイム通り。まずまずといったペースであろう。滝は迫力があり、しばしの間水と戯れる。滝を訪れる登山道は今までになかったので新鮮であった。気分新たに川苔山を目指す。このあたりから本格的な登りが始まり、ペース配分にさらに気をつけて進む。部員の表情も気をつけるため時々後ろを振り返りながら進む。すぐ後ろの鈴木の表情が曇ってきているのが見受けられ、声をかけて状態を確かめながら慎重に進む。登りは40〜45分に1回程度の休憩を意識していたが、場合によっては途中で休憩すべきかとも思えたが、登りの後に平坦な道を通過する感じで続けて長時間登りが続くことはなかったので、無事プラン通りの休憩で済ませることができた。途中の沢で少しご飯を食べたりするなどかなり休憩に時間をかけたのにもかかわらず、設定されていた2時間を下回る1時間半ほどで川苔山に到着。急な登りがあったものの、気温もそこまで高くなく、会話も弾みながらの良いペースだったかと思われる。山頂からの展望は抜群によく、素晴らしい景色を見せられたのではないか。これで川苔山は2年連続で天候に恵まれた。来年以降の新歓山行でも候補に入ってくるのは間違いないだろう。体験の男子も疲れた顔を見せず、今後の活躍が楽しみである。
 
 下りも去年とコースを変え、赤抗尾根を古里駅に向かって下りていく。下りは1時間に1回ほどの休憩を意識する。コース紹介に書いてあった通り時折展望がきくコースで、奥多摩の山や東京の街並みを遠くに眺めながら進んでいく。メンバーの表情を確認しながら進むが皆そこまで疲れている様子もなく、軽快に下山できた印象だ。2時間50分のところ2時間20分で下ることができた。全体としてペースも乱れることなく、無事先頭の役目を果たすことができ、満足して帰路につく。

 後日談であるが、11日の部会で松橋山本両名が入部してくれた。今後一緒に登れるのが今から楽しみである。心配だった体調であるが、登山最中はそこまで悪くなかったが、下山後疲れが一気にきて山行を書いている15日現在も本調子でない状態が続いている。来週にはOBの中村さん、藤原さんとの乾徳山行きが控えており、1日も早い体調回復に努めたい。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
 5月7日  10:43 細倉橋付近にて
(手前から鈴木、胡、松橋、
内海、山本、水洞、原島)
5月7日  13:08
川苔山山頂にて
 5月7日  13:10 川苔山山頂にて
(前列左から鈴木、松橋、山本)
(後列左から原島、胡、坂本、水洞、内海)

会   報
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■2016年5月7日 古希での単独行回帰  藤原 朋信(昭和44年卒)
     ****** 2016年5月7日投稿 ******
 
 昨年、針葉樹会での継続課題である「中村短大」と「北岳バットレス」を終えて、再び気ままな山行を計画できるようになりました。又本年二月に数えの古希を迎えて、これまでの山登りスタイルの手直しを迫られる区切りの年でもあります。
 岡山の母が、その急先鋒ですが、“お前も歳だから運動量を落とせ、危ないことはするな”というのが周りからの一致したアドバイスです。確かに最近疲れやすいし、回復も遅くなりました。とはいえ、登り残した山の多さ(現時点で300以上)に比べ、残された年月は多くないので、体力・気力が少しでもある限り山行回数は落とさず、新規の山を目指したいというのが今の気持ちです。膝や腰には疲労がたまってはいるものの、幸いまだ使用可能なので今年一杯100日登山を継続して、体調等を見極めたいと思います。
 年頭に計画しながら、5年来繰り越している魚沼三山の八海山・中岳、奥秩父の和名倉山、四国の三嶺、兵庫の扇ノ山、会津の荒海山、東北の恐山等々が今年こそ実行する山でありますが、 取り敢えず関東地方で、公共交通機関利用ではアプローチが遠く、過去計画倒れに終わった日帰り可能な山々を、古希の歳の登山対象にして計画の練り直しです。地図を精査して出発点と到着点を決めるのが最初の課題になります。アプローチのバスもあまりあてにせず歩くか、最悪タクシー利用も考えると、後は実行あるのみで気力の有り無しになります。
 千葉の家を早く出ても、登山地の歩き始めは10時過ぎです。日が長い春でないと、とても予定コースをこなせません。
 以下1〜7の山は3月末から4月末、1ヶ月間での日帰り単独行による新規登山の記録です。1〜5の三石山までは青春18切符を利用しました。
 季節が桜の時期と重なり、長いアプローチも飽きることなく歩けました。最初の計画から実現迄5年以上かかった山々だけに、どの山も登頂後は予期した以上の達成感が得られました。 先ずは順調なスタートをきれたと安堵しています。
**
1.

3月29日 御坂山地・蛾ヶ岳 
 身延線・市川本町駅より往復。 10:50〜15:00

 甲府駅2分の乗り継ぎで、身延線に乗り換え、予定通り市川本町駅に着きました。
いつもながら家をでてから5時間です。山の中より往復の乗車時間が長いのですが、中央線は車窓からの展望が良く飽きることがないので助かります。
 登り始めて、1時間半で四尾連湖に着きました、事前に抱いていた観光地イメージと違い、山の中の静かな湖でした。案内板に富士八湖との表示がありましたが、五湖以外は知らないので、富士山検定試験合格者に聞いてみようと思いながら通過です。
 頂上に辿りつくと大展望が待っていました。富士・八ヶ岳・奥秩父と四方良く見えますが、蛾ヶ岳ならではの見ものは白銀に輝く白峰三山です。昨年まで通ったバットレスも確認し、来し方にしばし思いを馳せました。

2.

3月31日 御坂山地・釈迦ヶ岳―大栃山
 石和温泉駅からバスで檜峰神社前下車。ここから釈迦ヶ岳―神座山―大栃山と周回。
 10:20〜16:20

 1月に中村さんと登りに来て、雪のあまりの多さに撤退した釈迦ヶ岳に再トライです。季節が2ヶ月進んだだけで同じコースが全く違う景色になります。バス停から歩いて1時間の檜峰神社まで車で入れるので結構ハイカーもいるようです。
 しかし、釈迦が岳は岩山で近郊の山には珍しくアルペンの趣が満載の山でした、大栃山からの下りにトビス峠付近から眺めた釈迦ヶ岳は槍ヶ岳と見まごうばかりです。針葉樹会諸兄で、釈迦ヶ岳に未踏の方がおられれば是非一度登頂下さい。手近な所でアルペンムードの山を楽しめます。もちろん展望は四方何もさえぎるものの無い絶景です。

3.

4月6日  御坂山地・春日山−滝戸山
 石和温泉駅からバスで檜峰神社前下車。
 檜峰神社―神座山―春日山―滝戸山―石和温泉駅   10:25〜18:25

 前回の釈迦ヶ岳で通過した神座山まで登り返して、鳥坂峠への道に入ります。中村さんと登山継続中の御坂山地主稜に並行して走る稜線ですが、道はあまり良くありません。山梨100名山に選定されている春日山・滝戸山ですが車で上がってきて、それぞれ近くの峠から1時間以内で往復するのがパターンで、それ以外の路を通しで歩く人は少ないようです。
 滝戸山からの下りが、今回のポイントです。車道の開通で消えかかっている昔ながらの尾根路を探しながらの下山です。悪戦苦闘しながらも何とか麓の金比羅神社に辿りつきました。ここから石和温泉駅へはバスが無いので2時間歩いて終了です。山の麓は桜と桃でピンクに染まっていました。ここから振り返って見る釈迦ヶ岳は大層立派な山でした。

4.

4月8日  久慈・月居山―男体山
 袋田駅から袋田の滝経由―月居山―男体山―西金駅   10:35〜15:45

 久慈男体山は以前真夏に水郡線の西金駅から往復し熱射病でふらふらになりながら登った山として記憶しています。今回は袋田の滝が目的で、本来冬の氷結した滝が狙いだったのですが、春の滝見も良かろうと計画しました。袋田の滝は中国人が一杯で、人込みが苦手な私は、早々に月居山への階段に逃げ込みます。
 階段を登るに連れて、滝上の景観が開けます。日本ではあまり見ない丘陵地帯に牧場が広がる伸びやかなジオラマ風地形で、これを見るだけで来た甲斐があったと感激物です。また、思いもかけず月居山の頂上斜面はカタクリの花が一面咲いていました。来年カタクリの時期に妻を連れて行く最有力候補地が見つかり、月居山から男体山への縦走路も静かな気持ちの良い道だったので、穴場を沢山見つけた幸せな気分で帰りました。穴場といえば水郡線の車窓から見る、久慈川の清流もなかなかのものです。1月に八溝山へ行った際下車した、常陸大子での浅瀬が続く久慈川も忘れられない風景になっています。

5.

4月10日 身延・三石山
 身延駅から往復。   12:25〜16:25

 青春18切符の最終日ということで可能な限り遠出をしました。中央線・身延線・東海道線と周遊鉄道旅の間に三石山往復です。三石山は日本百低山に選定されている名山?ですが、泊りがけで行くほどでもなかろうとの判断です。
 身延駅を下りて身延山と富士川をはさんで対面する三石山へ向かいます。登山に許された時間は4時間です。日本の典型的な山村であり、かつ実際は消滅して殆ど残っていない集落がここには残っていました。大崩の集落は上5軒、下5軒で最奥の家の傾斜地にしだれ紅桜が満開の花を咲かせていました。
   

6.

4月16日 丹沢・菰釣山―畦ヶ丸山
 富士山駅からバスで山中湖平野下車。ここから菰釣山―畦ヶ丸山―西丹沢自然教室へ縦走。   
 10:45〜16:45
 
 学生の頃、過激派組織が西丹沢で軍事訓練をやっていた関係で、西丹沢は避けていたのか? 社会人になってから後もなじみの無い地域になってしまっています。
 過去の記録と記憶が曖昧で登ったのか登ってないのかハッキリしないのも北アルプスの蓮華岳と、ここ西丹沢の畦ヶ丸山です。東京近郊の良き山は、大体複数回登っているので、記憶にも刻み込まれていますが、畦ヶ丸山は記憶にありません。今回の計画では菰釣山がメインですが畦ヶ丸山に抜ければ問題は解決します。
 ただコースタイムが長いので、平野から山伏峠までは車道を歩いて時間短縮を図ります。大棚の頭より西丹沢稜線に入ると、トレールランナーが5月の競技の下見で数人走っていました。 トレールランナーとはいえ、抜かれて置き去りにされるのは気分が良くないので、年甲斐も無くムキになって歩いていると菰釣山には予定より早く着きました。後は時間に余裕が出来たのでペースを守って畦ヶ丸山に出ました。頂上直下に避難小屋がありますが、小屋を見た瞬間40数年前に同じ光景を見たというデジャブ状態です。
 畦ヶ丸山頂は馬酔木が小さな釣鐘型の花をつけていました。過去―現在―未来と「時間と存在」の哲学的思索にしばし浸れるのも誰も居ない山頂だからでしょう。

7.

4月29日 丹沢・畦ヶ丸山―鳥ノ胸山
 御殿場線谷峨駅からバスで大滝橋下車。
 ここから畦ヶ丸―大界木山―鳥ノ胸山―道の駅道志―道坂トンネルー富士急谷村町駅。   
 10:40〜18:25

 鳥の胸山はトンのムネ山と読むらしいのですが、車利用の場合413号線の道の駅道志に駐車して、そこから往復するか、道志の湯から南側の浦安峠に出てそこからの往復になり、適度なハイキングコースになります。ところが車無しだとバスが走っていないので出入りが全くお手上げです。長年の机上登山では梁川駅から立野峠を越え、更に道志山脈の朝日山を越えて入る案を検討するのですが、どうにも時間がオーバーします。
 前回山行時、畦ヶ丸山の手前の大界木山近くにテープと踏み跡を見つけて、そこから浦安峠に下れる事が判明しました。それなら畦ヶ丸側から入れば鳥の胸山行は成立するのではないかと実行計画を詰めて。西丹沢から入り、道坂トンネル越えで都留市に抜ける案になりました。結果、谷村町駅着は予定通りでしたが、道の駅道志までは1時間先行したものの、道の駅―道坂トンネルー谷村町駅の車道に3時間超かかり、それまでの貯金時間と体力を全て使い果たした山行になりました。
以上

【山行日数の記録】(2016年5月12日 調査依頼した中村雅明会員への返信)

 中村さん  拙い記録にお目通し頂き恐縮です。古希の区切りに記録として整理しましたが、貴兄ご指摘の年間日数等調べて見ると、記録が針葉樹会との関わりと連動しているのが良く分かります。
 2010年の後半から年間100日ペースですが、2010年の10月に中川さんの北岳バットレスに参加し針葉樹会活動に入っています。翌年2011年2月に中村さんとの扇山があり、この年に年間100日達成し、以降2015年までの5年間100日以上継続中です。
 今年で6年目ですが4月まで良いペースなので、今年もなんとか100日越えで、未踏の山々を踏破したいと思います。

登山日数 内 単独行 内 中村短大
2010 66 56
2011 100 88
2012 102 74
2013 112 48
2014 114 32 26
 2015 101 48 11
(太田君との沢4含む)
2016
1−4月 44(年132ペース) 38 
(坂本君との1含む)
       注:2013年/2014年は 風林荘での水谷さん(車)との山行があり、回数増になった。

会   報
***


■2016年5月4〜7日 残雪の八方尾根から唐松岳  中村 雅明(昭和43年卒)
    ****** 『針葉樹会報』第136号より転載(一部改訂)

 2010年3月の八ヶ岳・硫黄岳、4月の赤岳に岡田健志さんと一緒に登頂し、長いブランクから目覚め、雪山登山を再開しました。2013年4月には岡田さんと2人で再び赤岳、2014年3月に吉沢正さんと3人で阿弥陀岳、2015年3月に高崎俊平さんと3人で硫黄岳〜天狗岳縦走と春の八ヶ岳の雪山登山を続けました。2014年からは5月の連休の後半の北アルプス残雪の山行を始めました。その年は岡田さんと2人で爺ヶ岳・鹿島槍登頂、2015年は吉沢夫妻と4人で蝶ヶ岳〜常念岳〜大天井岳〜燕岳縦走と続け、残雪の山仲間が増えました。
 今年も岡田さんの音頭で話が進みました。4月の三月会で五竜・唐松山行の大筋が固まりました。五竜山荘の5月連休の営業は5月7日までなのでそれに合わせて遠見尾根を登り、五竜山荘に泊まり、翌日五竜岳を往復後、唐松岳頂上山荘まで縦走し、唐松岳往復。調子が良ければ八方池山荘まで下り、翌日八方尾根を下る案です。
 この案を岡田さんが関係者にメールで発信した処、吉沢夫妻、中村が手を挙げ、昨年の5月連休山行と同じメンバーとなりました。佐薙さんからの返信で会報102号にご自身が書かれた山行記(「残雪の唐松から五竜」)が載っていることを教えていただきました。2003年5月中旬に単独で、初日は八方池山荘に泊まり、2日目に八方尾根を登って唐松岳に登頂後、五竜山荘まで縦走し、五竜岳を往復。3日目に遠見尾根を下山されました。「適度に緊張感のあった残雪と岩稜漫歩の、静かで快適な山行」と結びに書かれています。天気予報、バスの予約、吉沢さんの帰宅希望(7日)等、諸般の状況から最終決定したコースは佐薙さんの前掲コースと同じものになりました。5日朝、バスで新宿を出発。昼過ぎに白馬八方に到着、ゴンドラ&リフトで八方池山荘に上がって泊まり、6日八方尾根を登って唐松岳登頂後、五竜小屋まで縦走し泊まり。7日五竜岳登頂後、遠見尾根下山の計画でした。
 バス、山小屋の予約が済み、明日は出発の前日に吉沢さんの風邪の具合が悪いので夫妻が不参加となりました。結局、一昨年の鹿島槍と同じ、72歳コンビの山行となりました。
 なお、八方尾根から唐松岳行は岡田さんは2011年5月中旬に単独で八方尾根から登って唐松岳頂上山荘に2泊して唐松岳、五竜岳(頂上直下まで)に登って以来5年ぶり。中村は大学3年10月(1966年)の八方尾根から唐松〜五竜〜鹿島槍山行以来、実に50年ぶりです。 

** T メンバー
岡田健志(昭和42年卒) 、中村雅明(昭和43年卒)
U 行程(タイムは岡田さんが記録)
5月5日 新宿バスタ(8:15)発 − 双葉SA(10:06〜20) − 梓川SA(11:30〜45) −大町駅(12:37)−
白馬八方バスターミナル(13:30)
5月6日 ロープウエイ駅発(8:00) − 八方池山荘発(8:35) − 八方山ケルン(9:00) − 公衆トイレ(9:15) −
八方池(9:35) − 上ノ樺(10:25) − 丸山(昼食:11:55〜12:15) − 唐松岳頂上山荘(13:06) −
唐松岳頂上(13:36〜50) ? 唐松岳頂上山荘(14:10)
5月7日 唐松岳頂上山荘(7:00) − 丸山(7:40) − アイゼンを脱ぐ(8:20) −八方池(8:37) −
八方池山荘(リフト最上駅9:18) − 白馬駅(10:15)

●5月5日(木) 晴れ

 バスタ新宿から8:15発の京王高速バス(4,850円)で出発しました。バスタ新宿は4月4日にオープンしたばかりで、新宿駅南口から直ぐ近くで以前より便利になりました。4日に吹き荒れた強風は収まり、五月晴れの絶好の入山日です。まだ連休中なのに予想外にバスはガラ空きです。車窓から見る新緑の山々を眺めながらゆったりした気持ちで白馬に向かいました。道路の混雑もなく予定通り13:30白馬八方バスターミナルに着きました。

 ところが白馬五竜辺りから強まった風がより強まっていました。ゴンドラが朝から動いていないと知り、まさかの事態にあせりました。動く見込みがないので、止む無く歩いて八方池山荘に上がろうと考え、山荘に電話して状況を聞いたところ、風速30m以上の風が吹いているので歩くのも危険だと諭されました。万事休す。今日は麓の白馬村泊まりを余儀なくされました。案内所で紹介された宿(「岳栄館」)は値段も手頃(8,200円/1泊2食)で、料理も味良し、ボリュームも十分の良い宿でした。夕食まで時間があるので宿で教えてもらった白馬連峰の写真スポットである「白馬大橋」まで散歩しました。橋からの小蓮華山、白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳の展望が見事です。最初稜線にかかっていた雲も次第に切れて青空をバックに白馬連山がくっきり聳えています。帰りがけに五竜、鹿島槍も良く見えました。宿に帰って夕食前に入った風呂で、東京野歩路会(創立が一橋山岳部と同じ大正11年!)の2人と一緒になりました。6人パーティーで専用バスに乗り合わせて夜通し走って早朝、白馬に着いたが強風の為足止めを食ってずっと時間をつぶしているとの事でした。本来の予定では今晩は唐松岳だった由、自分達より気の毒でした。宿の主人は昔、キレット小屋で働いていたことがある山のプロで、夕食後自分が撮ったパノラマ写真、後立山の話をたっぷり聞かせてもらいました。今年は異常に雪解けが早く、スキー場は3日に営業終了、八方尾根は楽に登れるでしょうとのことでした。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月5日 15:11
(撮影:岡田)
白馬岳(左)と小蓮華山(右)
  (白馬大橋から)
5月5日 15:53
(撮影:岡田)
五竜岳と遠見尾根
(白馬大橋から)
5月5日 16:02
(撮影:岡田)
白馬大橋から
白馬三山を望む
(左から白馬鑓ヶ岳、
杓子岳、白馬岳)
5月5日 16:35
(撮影:中村)
松川の先に白馬岳、
小蓮華山を望む
(白馬大橋近くの公園から)

●5月6日(金) 曇り

 8:00始発のゴンドラに合わせて7:30宿を出ました。20分で八方駅(標高770m)着。既に20人以上並んでいました。ゴンドラリフト「アダム」、クワッドリフト(4人乗り)2本乗り継いで30分で八方池山荘(標高1,830m)着。山荘付近は雪が無くしばらく夏道が続きましたが公衆トイレ(冬期閉鎖中)を過ぎると雪道になりました。緩やかな雪道なのでアイゼン無しで歩けました。雪に埋まった八方池手前は白馬三山、不帰ノ嶮、唐松岳の絶景スポットでした。大きな山岳景観板がありピークを同定できます。1967年3月(大学3年)の春合宿は杓子岳双子尾根から唐松、白馬三山でした。それ以降訪れたことがなかったので感慨深く眺めました。特に双子尾根は10日間過ごした尾根で、小日向のコル手前にC1、ジャンクションピーク先にC2、快晴の1日、存分に白馬三山を歩いたことなど思い出すことが多々ありました。

 下ノ樺手前から傾斜が増すので先行パーティーはアイゼンを着けていましたがそのまま進みました。雪が軟らかくキックで足場が出来るので不安は感じません。上ノ樺に登る手前でライチョウと遭遇しました。いつもは近づくと逃げるのに今日は登山道間近かの至近距離でライチョウの良い写真が撮れました。丸山ケルン先で昼食休憩。そこから急な岩稜のひと登りで13:00稜線に出ました。唐松岳頂上山荘は少し下った処にあります。八方池山荘から4時間半。比較的楽な登りでした。

 山荘の前にザックを置いて唐松岳を往復(往:30分、復:20分)しました。頂上からの展望は期待通りでした。南には五竜岳、西には剱岳、北には白馬岳のパノラマを動画に納めました。頂上から不帰キレットに続く険しい稜線、天狗の大下りは1967年の春合宿で天狗山荘から10時間30分かけて唐松岳を往復した(帰路は風雪)加藤、宮武両君の苦闘を思い起こしました。唐松岳頂上小屋は、僕らの様に前日麓で足止めを食った人が多かった為か20数名が宿泊していました。1泊2食付き9,800円にしては食事がいま一つでした。

 部屋は寒々として毛布が無く重い布団だけなので夜の寒さが心配でしたが、布団を2枚かけありったけ着込んで帽子までかぶって寝たので寒くありませんでした。寝る前に、明日好天であれば五竜山荘に泊まり8日に遠見尾根を下ろうと相談していましたが夜中に雨風が強くなりました。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月6日 8:40
(撮影:岡田)
白馬三山
(八方山ケルンから)
5月6日 9:01
(撮影:岡田)
五竜岳(右)と
鹿島槍ヶ岳(左奥)
(八方池ケルンから)
5月6日 9:01
(撮影:岡田)
左から唐松岳と
不帰3峰、2峰
(八方池ケルンから)
5月6日 10:23
(撮影:中村)
上ノ樺手前のライチョウ
5月6日 13:39
(撮影:中村)
唐松岳頂上からの剱岳 
5月6日 13:39
(撮影:中村)
唐松岳頂上からの
不帰、天狗ノ頭、白馬鑓ヶ岳
 5月6日 13:41
(撮影:岡田)
唐松岳頂上からの五竜岳
5月6日 13:47
(撮影:中村)
唐松岳頂上にて(岡田)

【 唐松岳頂上からの展望動画 】 5月6日 13:43(撮影:中村)
 をクリックすると動画がスタートします。



 左から五竜岳、立山、剱岳、北方稜線、天狗ノ頭、白馬鑓ヶ岳、妙高山

●5月7日(土) 小雨後晴れ

 5:30頃起床し山荘の外を見ると小雨、風も相当強く吹いています。午後から風が強まる予報も考え、五竜山荘に向うのをあきらめ下山することに決めました。

 雨具上下、スパッツ、アイゼンの完全武装で7:00に山荘を出発、稜線下の岩稜帯を下り終えると雨は小降りになり、風も弱くなりました。昨日登って勝手知った道を順調に下って8:20八方池手前でアイゼンを脱ぎました。そこで山荘で一緒だった長崎から来た3人パーティーが追いつき、リフト&ゴンドラが動いていることを教えられ安心しました。

 9:10八方池山荘着。直ぐにリフト、ゴンドラを乗り継いで八方駅に下り、山行を終了しました。八方駅に着くと雨が止み薄日が差してきました。タクシーで白馬駅へ向かい10:15着。大糸線は本数が少なく次の松本行は12:26。たっぷり時間があるので、人影がないのをこれ幸いと待合室のストーブガードに雨具等の濡れものを広げました。但し、火が付いていないので水気を取るのみ。昼食はタクシーの運転手に教えてもらった駅から飯森方面に歩いて5分ほどの「そば神」で美味しいザルそばを食べ山行を締め括りました。

 今回は、思わぬ強風、雨の為、八方尾根から唐松岳を往復したに留まり、五竜岳に登り遠見尾根を下ることが出来ませんでした。特に遠見尾根からカクネ里への下降ルートを自分の目で確認したかったので残念です。

 来年の5月連休後半に遠見尾根の大遠見山or西遠見手前にテント(BC)を張り、五竜岳登頂、カクネ里往復などの雪辱山行をやりたいと思います。



会   報
***


■2016年5月3〜6日 岳沢合宿報告  佐藤 周一(昭和54年卒) 
    ****** 『針葉樹会報』第136号より抜粋転載

*** (期 間) 平成28年5月3日(火)〜5月6日(金)
(参加者) 兵藤元史(S52)佐藤周一(S54)斉藤誠・川名真理(S63)
 【中途から】前神直樹(S51)佐藤活朗(S53)神野隆(S54)
(概 要) 5月3日(火) 松本駅で集合(兵藤・佐藤周・斉藤・川名)後
斉藤車で沢渡へ。タクシーに乗換え上高地へ。
昼食後、上高地を出て岳沢小屋BC着(16時)
5月4日(水) 午前中は奥明神沢の偵察。昼から前神・佐藤活が合流。
5月5日(木) 6人で西穂沢から西穂高岳を目指す。6時半出発
11時半に登頂。岳沢小屋BC帰着は16時。
前日までに職場の友人と霞沢岳方面へ行っていた神野が昼過ぎにBCテントに合流。
5月6日(金) 上高地経由で松本へ。7人で村井の兵藤実家に立ち寄り打ち上げ宴会し、各自で帰路へ。

(1)当該合宿に至る経緯  

 今回の合宿は、今年1月末に予定されていた八王子でのゴルフコンペ企画が契機となった。残念ながら今冬一番の寒気に見舞われたゴルフ場クローズでコンペは出来なかったものの、19番ホールの飲み会は予定通り行われ、そ の席上、兵藤から出身高校である松本深志高校山岳部OB会が所有するテントを活用した岳沢合宿をGWにやりたいとの提案があり、数名の賛同が得られた。深志高校と言えば、昔から上高地・小梨平のテントサイトが知られているが、諸般の事情で設置が困難となり、その一部代替策のような形で山岳部OB会が岳沢小屋の協力を得て6人用のダンロップテントや炊事道具などを小屋に預け、関係者がいつでも利用できるようにしているとのこと。しかし、上高地時代と異なり岳沢では利用率が芳しくないことから、少しでも利用実績を残すため、兵藤+その友人たちという構成でテント泊させてもらうことになった次第。メールのやり取り等を通じ最終的に7人が参加した。

(2)合宿報告

●初日:5月3日 曇り時々晴れ
 GW前半から天候不安定が続き、北ア方面でも遭難事故が多発している状況下、3日の午前10時にJR松本駅にて先発隊の4人が集合した。佐藤周は前述の通り、前日から松本市民となって泊まった兵藤実家から電車で。兵藤と川名は新宿発のスーパーあずさで。そして斉藤は勤務先のいわき市からマイカーで4時間かけて松本入り。大容量のエスティマに荷物を積み込み沢渡へ。沢渡のマイカー駐車場はすでに満杯に近く、4日間駐車する車は奥の方へ停めさせられることに。通常は専用バスで上高地へ向かうところ、4人なのでタクシー利用でも単価的には差異が無いことから迷わずタクシー利用。アルピコ交通社の運転手は最近、関東方面から夫婦で移住・転職したばかりとのこと。松本市内の浅間温泉近くに住まわれているそうで、健康面、特に水質の良さが奥方の体調改善にも大きく寄与している等の話を聞かされた。
 昼少し前には上高地に到着。後発隊(前神・佐藤活)の状況を知ろうとメールしたところ、新宿を朝7時に出た高速バスは早速、GWの渋滞につかまったほか、これは後で判明したが、その後、沢渡近くのトンネル内交通事故の影響で結局、上高地着が夕方になり、この日の合流は叶わなかった。
 先発隊4名は食事後、装備を整え登山届を提出して出発。高曇りながら、観光客も行き交う新緑美しい梓川右岸の道を辿る。明神池方面への道を分け、岳沢方面への道に入ると徐々に傾斜がきつくなり、重荷にあえぎながら登る。
 針葉樹会有志によるこのような合宿に初見参の佐藤周は、丁度40年前の山岳部2年時のGWに岳沢での小合宿に参加したことを思い出す。当時始めたばかりの山スキーを試そうとサレワの重たい板を担いで上がったものの、岳沢では連日のように雨にたたられ、テント近くの雪面上を川のように水が流れる状況に山スキーどころではなくなったのを覚えている。
 今年も暖冬のためか、岳沢には残雪が少なく、小屋の直下でようやく雪渓が現れた。深志高校山岳部OB会のテントは、小屋の好意ですでに張り終えられており、トレーニング不足で疲労困憊の体には助かる。張り綱を竹ペグで補強するなどの作業を終えて中に入ると、ダンロップテントは居住性抜群で4名で使用するには丁度良い。深志高校装備のナベ等を使い夕食のカレーを堪能。食後には持ち寄った各種アルコールのほか、CDプレイヤーによる演歌鑑賞というオマケ付きで楽しく夜が更けた。

●2日目:5月4日 晴れのち曇り
 夜半に強風と雨となり、テントが激しく揺さぶられたが、強度的には何ら不安を感じることなく夜明けを迎えた。朝食後には急速に好天となり、風も収まったので、4人で奥明神沢に偵察に行くことに。久し振りにアイゼンを付け雪上を歩く佐藤周は、30分ほど歩いて小憩とったところで自主的な雪上訓練をしたいのでと一行と別れ引き返す。途中、訓練をしている別のパーテイーの横でピッケルストップをしたが、雪が腐っているので利きが悪い。1回やっただけでBCに引き揚げ、小屋でモーニングサービス中のおでんと焼酎を注文し、冷えた体を温めた。偵察から3人が戻った昼少し前に、後発隊の二人がBCに合流。小梨平のホームレス的な住人や売店のコンビニ居酒屋風サービスなどが話題となった。早めの夕食は肉たっぷりの鳥ナベで、食後は再び演歌鑑賞タイム。持参した酒はほとんど飲み尽くされてしまった。

●3日目:5月5日 曇りのち晴れ
 夜半に再び強風となったほか、寒気が襲来して冷え込みがきつくなり、若干の降雪も見られた。それでも夜が明けると風が弱まり、予定通り、西穂沢から西穂高岳を目指す。6時半には装備を整え出発。途中の間の沢あたりではデブリを避けるためか、先行トレースに従い大きく迂回下降して西穂沢に取り付いた。この時点では上部はガスで何も見えない。斉藤がトップを務め、力強いキックステップで2時間ほど歩くも、上方に眺望改善の兆しが見えないことから、10時半の時点で兵藤Lが「11時までに稜線に上がれなかったら引き返す」とのご宣託が下された。早く戻って「おでん+焼酎セット」を楽しみたい筆者は「やった!これで戻れる」と喜んだのも束の間。じきにガスが晴れて、少しばかり雪庇が張り出す稜線が見えたので登攀続行。
 1メートル弱の雪庇を崩して稜線に出ると、そこは強風吹き荒れる冬山の世界。稜線上の積雪は少ないものの、斜面の夏道を覆う箇所ではアイスバーン状の氷雪面が出現。慎重にピッケルとアイゼンのツァッケを利かせながら登る。斜度のきついピッチを抜けると山頂に出たが、眺望は殆ど得られず、強風下で記念写真を撮るのがやっと。早々に下りにかかるも、登路以外に楽に降りられそうな道が見つからない。やむなくザイルを出して登路を下降することになり、斉藤がトップで下る。ハーネスを保険として持参した筆者はよもや実戦で使うことになるとは・・と感心する暇もなく、順番待ちの時間の経過と共にかじかむ指を気遣いながら下る。結局、悪場で2ピッチ、ザイルをFIXにして下りた。川名のペースに合わせて慎重に西穂沢への下り口に到着。沢に入れば風はやみ、ホッとひと息つく。アイゼンを外し、あとは腐った雪面に足をとられながらのんびり下ると、上空が晴れ始め、対岸の明神岳や奥明神沢が正面に綺麗に見え始めた。行きの迂回下降路ではなく、出来るだけ岳沢小屋に向けた水平トラバースを試みるが、ガレ場や樹勢の強い灌木に遮られるなど苦闘の末、4時前にはBC着。すでに神野が昼過ぎから待ちくたびれていた。
 7人全員が揃って、夕食の食材と追加アルコールも神野の荷揚げで揃い、現地での最後の晩餐へ。具沢山のトン汁に舌鼓を打ち、「石川さゆり」「テレサ・テン」のベストアルバムをBGMに岳沢の最終夜は更けて行った。

●4日目:5月6日 晴れのち曇り
 今日はテントを撤収し、小屋に預けて帰るだけなので、テントを乾燥させる意味もあり、各自のパッキングのあと、テントを裏返して天日干しする。上高地には10時過ぎに着き、2台のタクシーに分乗して沢渡へ。ガラ空きとなった駐車場でエスティマに荷物を移し、タオルと着替えを持って近くの日帰り温泉に浸かり4日間の汗を流した。
 斉藤の運転で松本市内の兵藤実家まで全員で行き、向かいの中華料理屋に生ビールを注文し、ジョッキで乾杯。早めに戻る佐藤活を送り出したあと、兵藤の従兄弟氏が経営するこの中華料理屋で豪華晩餐会となり、前神と川名が乗る最終のあずさの時間まで打ち上げを楽しんだ。散々に酔っ払った4人(兵藤・神野・斉藤・筆者)は結局、兵藤旅館へお泊り。
 以上、多少シビアな状況もあった今回の合宿。個人的には40年ぶりの岳沢での雪上生活が楽しめて良かったです。西穂高岳には、山岳部1年時の春合宿で西穂〜奥穂に挑んで敗退した際に頂上を踏んで以来のこと。本当に懐かしさで一杯になった山行でした。皆さん、本当にお世話になりました。今後の反省としては、ピークを目指す以上は装備を万全にしたいと思います。(手袋に防水性が無いのを持参してしまい、凍傷にかかる不安を感じました。またハーネスとカラビナは偶々持ち合わせていただけで、プルージックに必要なシュリンゲを持っていなかったのも反省点です)




▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月5日 11:47(撮影:斉藤)
西穂高岳山頂にて
(左から兵藤、佐藤(活)、前神、
川名、佐藤(周))
 5月5日 12:09(撮影:佐藤(活))
西穂高岳頂上直下を下る兵藤
 5月6日 10:04(撮影:川名)
上高地(岳沢を背にして)
(左から神野、兵藤、佐藤(活)、
佐藤(周)、斉藤、前神)



会   報
***


■2016年5月1日 御坂山地(黒岳、節刀ヶ岳) 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部3年)

     ****** 2016年5月6日投稿 ******

●メンバー:大矢和樹(法3)、藤原朋信(昭和44年卒)、中村雅明(昭和43年卒)

●コースタイム:
  10:30三つ峠入口→11:35御坂峠→12:15黒岳(休憩15分)→12:55破風山→13:00新道峠→
  13:25中藤山→14:00不逢山→14:05大石峠(休憩10分)→15:00節刀ヶ岳(休憩10分)→
  15:45大石峠(休憩15分)→17:00大石ペンション村→17:25吉原バス停
  総行動時間 6時間55分

●感想等
 今回の山行の行き先は、いままで足を踏み入れたことのない御坂山地であったので、非常に楽しみであった。下車駅は富士山駅であったが、千葉県に位置する自宅からは4時間以上かかり想像以上に遠いと感じた。そのため、登山開始時間は比較的遅い時間からとなった。しかしながら、日没が18:30前後であるため、それでも長い時間歩くことができ、ゴールデンウィークはやはり登山にはもってこいの時期なのかもしれない。
 今回通った御坂峠はかつて峠道として実生活の中で使われており、旧芦川村の集落の方々には頭があがらないものである。現在ではトンネルが開通して、バスも通っており比較的便がよくなったようである。御坂峠への道はいまでは登山道として使われる以外にはあまり使われてはいないため、少々荒れてはいるものの、それでもやはりかつての峠道だけあって一般的な登山道のなかではかなり歩きやすい道である。道自体は比較的小さい石が多い。また、御坂峠への直登もジグザグ徐々に高度を上げる道なので、無理なくテンポよく登ることができる。また、登る際に周りの木々に注目すると、新芽の状態が標高によって異なるので非常に面白い。御坂峠に到着する直前では、いまにもはじけだしそうな新芽を見ることができた一方、より標高の低い場所ではすでに新芽が開き、新緑が美しく五月晴れに映えていた。御坂峠には壊れかけた小屋も存在した。おそらくかつて峠越えのために使われていたのであろう。なお、現在ではとても人が入り込めるような状況にはない。
 御坂峠から節刀ヶ岳にかけては気持ちの良い尾根歩きが楽しめた。相変わらず、非常に歩きやすく、普通の運動靴でも問題なさそうなレベルである。しかしながら一か所、小規模ではあるがロープ使用箇所もあった。僕はロープを使用して通過したが、藤原さんは使うことなく岩を乗り越えており、さすがという感じである。黒岳までの道は比較的平坦な道の個所と、かなり道が急な個所と交互に存在した。黒岳の山頂付近はなだらかであり、少し山の形態としては珍しいのかなと感じた。黒岳の山頂部に展望はなく、少々歩かないと展望台はない。今回、展望台はコースから外れるため行かなかった。しかしながら、山頂部は広いので、ゆったり休むことができた。
 黒岳からしばらくは比較的勾配の厳しい下り坂を下った。勾配が厳しいとはいっても、普通の山では平均的な傾斜である。ある程度くだると、ほぼ平坦ともいうべき傾斜の緩い下り坂となった。ところどころ峠やピークはあるのだが、本当に山なのか疑わしいピークにも一つ一つ名前がついていて、なんだか不思議な感覚であった。途中、破風山を下ってすぐ、富士山の展望台が存在した。なんと、写真撮影台まで完備されておりずいぶんきめ細かいサービスが施されているのだなと感心した。
 道の傾斜が緩く、歩きやすかったこともあってかなり快調に飛ばした。すると、黒岳を出て二時間もたたぬうちに大石峠に到着した。大石峠も、御坂峠同様、芝生で覆われていて、御坂山地の峠の一つの特徴なのかもしれない。ここで、楽に節刀ヶ岳に登頂するため、OBさん二人は荷物を大石峠において山頂を目指すことにしたが、僕は鍛えるためにリュックサックを持って山頂を目指した。普段から歩くスピードが速い上、荷物のないOBについていくのは結構しんどいだろうと思っていたが、比較的問題なくついていけるようになっていて自分の成長を感じられてうれしかった。ただ、持ってきている水の量が1リットルであり、最後は水が枯渇したのが少々きつかった。結果的には節刀ヶ岳と大石峠の往復は、コースタイムの6割前後であった。節刀ヶ岳にかけては小さなピークは少々存在したが、たいして体力を余分に使うほどのものではない。節刀ヶ岳の直下は少々石がごろごろしており、やや急であった。しかしながら、節刀ヶ岳からの眺めは非常によく、富士山もしっかり拝めた。なお、この日は春霞で、真冬のようにくっきりはっきり富士山が見えたというわけではないが、それでもしっかり全容を見ることはできた。時々、傘雲はかかっていたが、それもまた富士山の一風景というものであり、まさに日本といえばこの図だなとしみじみ感じられた。
 大石峠からの下りは、御坂峠への道と同様、かなり勾配としても歩きやすい道であった。帰りは下ったすぐのバス停だと時間が余ってしまうので、少しずつ、後続のバスに追いつかれない程度に、バス停まであるいた。バス停からははっきりと富士山の雄姿を拝むことができた。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月1日  11:36(撮影:中村) 
御坂峠
 5月1日  14:01(撮影:中村) 
不逢山頂上
5月1日  15:05(撮影:中村)
節刀ヶ岳山頂(大矢)
5月1日  15:05(撮影:大矢)
節刀ヶ岳山頂からの富士山

会   報
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■2016年4月30日 塔ノ岳・丹沢山・蛭ヶ岳  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部3年)
     ****** 2016年5月10日投稿 ******

●参加者
  坂本遼(法2年)、内海拓人(法3年)、羽二生祥馬(経3年)

●天気
  晴れ時々霧

●コースタイム
  7:35大倉→8:35駒止茶屋8:45→9:25花立山荘9:35→9:55塔ノ岳10:05→10:50丹沢山11:00→11:40棚沢ノ頭11:45→
  12:15蛭ヶ岳12:30→13:35姫次13:45→14:50焼山15:00→16:10焼山登山口

 気付けば今回で5回目のバカ尾根だ。このうち2回蛭ヶ岳を目指して失敗している。入部したばかりの1年生の秋は、FN短大のハイペースについていけずに丹沢山でダウンした。そして、ちょうど1年前は天候不順のためやむなく引き返した。なので、今回は何が何でも蛭ヶ岳まで行きたかった。出発時間を早めに設定し、天気予報も晴れだったので、今回は絶対に失敗できないと思って歩き始めた。
 何度登ってもやはりバカ尾根は辛いのだが、少しずつペース配分などが掴めてきて、以前よりはずいぶんと楽に登れるようになった。GW中ということもあり人が多く、追い越すのに少し苦労した。休憩を含めて2時間20分で塔ノ岳まで行けたので、まずまずのペースであったと思う。塔ノ岳から丹沢山にかけてはそこまで急な登りもないので、いつも通りペースを上げられた。バカ尾根で坂本がバテ気味で少し不安だったが、何の問題もなくついてきていた。
 丹沢山より奥は初めて足を踏み入れる道であった。以前このコースを歩いたことのある上さんや大矢から聞いてはいたが、想像していたよりも登りが多いように感じた。丹沢山までは快晴だったにもかかわらず、蛭ヶ岳に近づくにつれて霧が出てきた。歩いている分には涼しくてよいのだが、蛭ヶ岳山頂から景色が見えるか不安に感じた。
 蛭ヶ岳に到着すると、やはり周りは霧で真っ白だった。立ち止まると体が冷えてきた。檜洞丸方面に抜けることも考えてはいたが、疲労感とコースタイムの長さを考えると止めた方がよいという結論に達した。焼山方面に行くにしてもまだ距離はあるので、写真を撮ると早々に出発した。
 蛭ヶ岳を過ぎてからは、姫次手前を除けば基本的に下りでとても歩きやすい道だった。3人と少人数なこともあり、下りもペースを落とさずに歩くことができた。焼山登山口からはバスもあったが、三ケ木までは一般道を歩くことにした。しかし思っていたよりも距離があったようで、三ケ木に着いたときには相当疲れていた。
 今回は登山道23キロと一般道7キロの計30キロを歩くハードな山行であった。このような山行も楽しいし、同時にトレーニングとして必要であると感じる。また、個人的にはようやく蛭ヶ岳に登頂することができて満足している。機会があれば蛭ヶ岳からの景色を見て、檜洞丸方面へも行ってみたい。

4月30日  12:30  蛭ヶ岳山頂にて
(左から内海、坂本、羽二生)




●2016年5月12日 Re:丹沢縦走山行記録  藤原 朋信(昭和44年卒)

 内海さん  
 丹沢記録読ませて貰いました。3回目の挑戦で主脈完走し、更に三ヶ木まで歩いたのは快挙ですね!! もし、山登りに資格試験があるとすれば、関西では須磨から宝塚への六甲全縦、関東では丹沢主脈縦走が相当すると思います。また何度もチャレンジする姿勢こそ山岳部の伝統です。
 ホップ ステップの段階は終えて後はジャンプです!  夏山を楽しんでください。


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■2016年4月3日 大山(丹沢)懇親山行  岡田 健志(昭和42年卒) 

       *******2016年4月21日投稿 

月  日;  2016年4月3日
参加者;  20名
*  今回の懇親山行は、老はオーション会(1956年卒)のお三方から、若は新2年の学生まで多くの参加を得て盛大に行われた。
一つには参加者の体力に応じて、A班からC班までのルートが選べる山域を選んだこと、二つには、下山後の懇親会場をまえびろに予約する必要があったことから、たとえ山登りができないような悪天になっても懇親会だけは開催する、と前喧伝したことが功を奏して上記のように大変盛大な会となったと思う。
班分け 当所予定したルート 参加者
A班 ヤビツ峠〜諸戸神社〜(金毘羅尾根経由)〜
大山〜見晴台〜日向薬師〜(バス)〜伊勢原駅
佐藤(力)(65)、佐藤(久)(66)、吉沢・岡田(67)、
中村(68)、山崎(特)、内海(3年)、工藤・坂本(2年)
B班 ヤビツ峠〜(イタツミ尾根経由)〜大山〜
見晴台〜阿夫利神社下社〜大山ケーブルバス停
〜(バス)〜伊勢原駅
佐薙・松尾・鈴木(56)、本間・小野(65)、池知(66)、
宮武(70)
C班 阿夫利神社下社参詣(大山詣) 上原(58)、仲田(61)
D班 伊勢原駅前「GEN」での懇親会参加 小島(65)、高崎(66)
※参加者のあとの数字は卒年(西暦)

 A班は8時に小田急線秦野駅に集合し、バスでヤビツ峠まで。ヤビツ峠を9:05に出発したが、この時点で小雨。水の枯れた小さな沢沿いに諸戸森林事務所まで歩く。金毘羅尾根経由の登山道ははここにある諸戸神社の脇をとおり杉林の中を登る。(諸戸神社発9:35)
 このルートは、「山と高原地図」(昭文社)には記載されていないが、「東丹沢登山詳細図」(吉備人出版)にはちゃんと記載されている。(金子 晴彦さん、守屋親子の踏査・作成された地図ですよ)
 このルートは、急ではあるが、石がゴロゴロしているわけでもないので、比較的歩きやすい。ただイタツミ尾根との合流点に近くなると、水が流れる溝のようなところを行くようになっていて、これが滑りやすい。登っている間はずーっと冷たい雨は降り止まず、ポンチョを着用していてもかなり濡れた。
 A班より1時間遅れでヤビツ峠を出発したB班とはイタツミ尾根との合流点付近で一緒になり、昼食を一緒にしようというのが計画だった。しかし、この日の天気ではそれもかなわず、そこから5分ほど登った大山の頂上で昼食をとりながらB班が到着するのを待つことにした。(頂上着11:35)
 頂上には阿夫利神社の奥の院があり、その物陰は冷たい雨に濡れるのを防ぐことができる。頂上まで無事に来ることが出来たお礼を奥の院に述べたあと、その物陰に入ってそれぞれが持参した昼食を摂る。
 そのうちにB班も登って来て、同じように昼食を摂る。ところが、濡れた体に冷たい雨風に冷え切ったA班は、B班の食事の終了を待つまでもなく、予定の見晴台経由日向薬師のルートをあっさりと諦め、あたふたと参詣道を下山始める(12:20)。佐薙さんから出ていた宿題「日向薬師ルートの九十九曲がりは実際にはいくつの曲がり角があるでしょうか?」については、次回に持越しになってしまった。
 参詣道といえ、段差の大きな石組みの道は、雨の中、慎重に一歩一歩を踏み出さないと転びかねない。下社に着くころには、膝が笑い出していた。(下社着13:20)
下社のすぐ下の急な階段のところで、登ってくる人がいる。上原さんであった。予想はしていたが、C班の人と会うことが出来たので、大変幸せに感じた。同じC班の仲田さんは下社から見晴台まで歩かれたとのこと。このルートはB班が下山路として予定していたからだが、B班も予定を変えて参詣道を下ったので、下社へ帰り着いて漸く合流できたらしい。

 一方B班はA班に遅れること1時間、ヤビツ峠を出発(10:00)。この班は、「高齢でも体の具合が良くなくても山歩きが出来るし楽しもう」ということを狙いとした。雨の中を無理せずゆっくりと登った。大山頂上着(12:00)。残念ながらA班と大山山頂同着はならなかったが、所期の目的は十分達成できたのでは、と思う。
昼食もそこそこに、先に出発したA班を追って下山開始(12:40)し、大山ケーブル駅についてのは15:20であった。

 さて、懇親会である。
 本間さんは、たいていの下山場所に馴染みの店をキープしておられる。小田急沿線でいうと、大倉尾根を下山してきた場合は大倉バス停の「さか間」、松田駅前の「若松食堂」、そして伊勢原駅では今回の「GEN」。もっとも、これらの店は、さらに年上の先輩から本間さんが引継ぎ、今や我が物顔とか。
 「GEN」に、山行には参加できなかった小島・高崎さんもはせ参じての大宴会。高崎酒造の「しま安納」一升瓶が2本空いた。
丸山さん(58)もA班に参加のご予定でしたが、足のお怪我のため断念されました。次回は是非ご参加ください。
 次回こそ、青空の下での山行を計画しますので、更に多くのみなさまにご参加いただけますように。そして、足腰を鍛えておいて下さるようお願いいたします。


(山行幹事 岡田 健志)


 

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■2016年3月30〜31日 谷川岳(天神尾根から) 岡田 健志(昭和42年卒) 
    *******2016年4月21日投稿

 日程 ;2016年3月30日〜31日
 メンバー;吉沢 正(昭和42年卒)、岡田 健志(昭和42年卒)

 サンデー毎日の立場を生かし、天気図をにらみながら日程を決めて行動する。
 そんな山行が何年か続いているが、今回もそうやって「青い空と雪」の春山を堪能した。

●2016年3月30日(水)
 JR東戸塚駅(12:00)−圏央道−関越自動車道−水上IC−湯檜曽温泉「永楽荘」到着(15:00)
 今回も同期の吉沢の車に便乗しての山行。ゆっくりと家を出て、JR東戸塚駅で拾ってもらう。高速道路の脇に咲く桜を満喫し、初めての関越自動車を楽しんで、湯檜曽温泉「永楽荘」に到着。「永楽荘」は古い日本式の旅館で、田部井 淳子さんやその他有名な登山家を客としてもてなしたことを自慢にしている。
 夕食を終えてから玄関の外へ出てみると、小雨が街道を濡らしている。天気予報とは違うので、明日の天気を気にしながら部屋に戻った我々の部屋は、雪解け水で増水し、音高く流れる湯檜曽川に面している。音が大きいから寝ることが出来ないのでは?というのは完全に杞憂で、2人とも21時には爆睡していた。

●2016年3月31日(木)
 「永楽荘」出発(7:55)−谷川岳ロープウェイ駅(8:05〜8:30)−天神平ロープウェイ駅(8:45〜9:00)−熊穴沢の頭(9:50)−避難小屋(10:00)−肩の小屋(11:50)−オキの耳(12:20〜12:35)−肩の小屋(昼食、13:00〜13:25)−天狗の留め場(13:45)−避難小屋(14:08〜14:25)−天神平ケーブル駅(15:40)
 昨夜の雨が嘘のように空は真っ青、落ち葉した枯れ枝の間に見える谷川岳は真っ白。ロープウェイ駅の建屋にある駐車場に車を入れ、始発のロープウェイに乗る。乗客は登山者だけでなく、スノウボーダーも混じっている。
 天神平駅に着き、建物から出ると、雪がまぶしい。谷川岳の双耳峰のピークは真っ白にそびえたっている。振り返ると笠岳、白毛門も存在感を誇示している。天神平はスノウボーダーやスキーヤーの天国で、登山者はロープで地域指定された雪の斜面を登らされる。接触事故が怖いからだろう。
ル ートは良く踏み込まれた雪の斜面だが、雪がザラメ状に柔らかく、アイゼンはあまり効かない。天神平ロープウェイ駅から乗り継いで、さらに上に行くリフトの終点(1,502mピーク)を巻いて稜線に出る。稜線とはいっても、森林限界線の下で、そのためか風は穏やかだった。
 避難小屋は雪に埋もれ赤い屋根だけが雪から出ていた。出入り口の雪が除雪され、中へ入れるようになっていたが、積雪は2m以上かと推測された。
 避難小屋を過ぎるとしばらくは尾根状のルートを辿るが、やがて尾根が雪面に消えてノッペリとした、傾斜のやや強い雪の斜面を登る。後から来て、我々を追い抜いて行った登山者が、点々とこの雪の斜面をトマの耳目指して登っているのが見える。
 温度が高いため、雪の状態はザラメになり、歩きにくい。谷川岳から西に延びる稜線上にあるオジカ沢の頭や万太郎山の形の良いピークが左手に見える。
 雪の斜面が緩やかになった所が肩の小屋だった。小屋には寄らずトマの耳の下を巻いて、とりあえず今回の目的ピークのオキの耳へ向かう。稜線の右手には大きな雪庇が出ているので、ルートをはずさないように慎重に歩く。
 オキの耳には12:20に到着した。360度の眺望を楽しむ。稜線の延長線上にある一ノ倉岳や茂倉岳が近い。とはいえ、以前に谷川岳に来たのは半世紀も前の話、記憶に残っていない。振り返るとトマに耳の頂上に人がいるのが見える。東側へ張り出した雪庇はかなり大きい。
 強くなってきた風をよけて、肩の小屋で昼食を摂り、下山する。
 天神平のロープウェイ駅から振り返ると、西に傾きかけた太陽を浴びた双耳峰が、少し赤みを帯びた雪をまとっていた。
 一日中快晴で、半世紀ぶりの谷川岳登山を楽しめた。

▼写真をクリックすると大きく表示されます

3月31日 8:49 谷川岳の双耳峰(天神平から)

3月31日 10:39  トマの耳への登り


3月31日 12:28    オキの耳からトマの耳を見る

3月31日 12:52
 トマの耳にて
 (左から岡田、吉沢)

3月31日 15:36
笠ヶ岳(左)、朝日岳(奥)、白毛門(右)
(天神平から)




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■2016年3月20〜23日 屋久島宮之浦岳縦走  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2016年4月4日投稿 ******

●参加者
  安藤由都(法1年)、胡迦安(経1年)、高謙(社1年)、小久保剣(法1年)、坂本遼(法1年)、
  内海拓人(法2年)、、清野友紀(国際基督教大学2年)

●天気
  21日:晴れ 22日:晴れ

●コースタイム
  21日
  民宿あんぼう(安房)5:00→(タクシー)→6:00淀川登山口6:15→6:50淀川小屋7:20→8:55花之江河→
  11:30宮之浦岳12:10→13:15平石岩屋→14:45新高塚小屋(泊)
  22日
  4:00起床、新高塚小屋6:00→7:20縄文杉7:50→8:15大王杉→9:00ウィルソン株→12:30太鼓岩→
  14:30白谷雲水峡バス停→(タクシー)→民宿ふれんど(宮之浦)

 僕は山岳部へ入る以前から、漠然と屋久島へ行ってみたいと思っていた。テレビや雑誌などで縄文杉や苔むした森を見て、いつかここを歩いてみたいと考えていた。そして山岳部に入ってから九州最高峰、宮之浦岳の存在を知って、ますます登ってみたいという気持ちが強くなった。夏にはアルプスに行きたいし、比較的暇で雪の無い季節ということを考えると、2年生の春休みが最後のチャンスになるかもしれないと思い、去年の冬頃から本格的に計画を立て始めた。1,2年生に声をかけると、予想を上回る8人も集まってくれて嬉しかった。
 計画を立てる段階で最も苦労したことは、コース設定である。宮之浦岳に登頂して縄文杉、白谷雲水峡も見ることのできる縦走コースは、本などを読むと上級者コース扱いだった。特に若干ロープ場があること、歩行距離と標高差がそれなりにあり体力が求められることが不安要素であった。この時期は積雪期の山に入る部員が少ないので、しばらく山に登っていないというメンバーも多い。果たして僕たちのパーティはこのコースを縦走できるのか、不安が拭い切れなかった。そのため当初は、標高差は大きいが縄文杉を確実に見ることができるように、実際に歩いたコースとは逆回りで計画していた。しかし、坂本から「登れない前提の計画だ」という指摘を受け、加えて藤原さんと中村さんに相談に乗って頂いた結果、今回歩いたコースに決定した。(実際に歩いてみると、逆回りの登りは相当辛いだろうと感じた。)やはり計画を立てる際には、誰かに相談するという過程を踏むことが大切だと改めて感じた。

●前日準備 3月19日
 昼過ぎに部室に集合して、装備分担を行った。避難小屋泊予定だったが、小屋が満員になった場合のことも考えて念のためテントを1張持っていくことにした。シュラフ、マット、調理器具類(ガス缶は飛行機移動なので持っていけなかった。)などを詰め込むと、テント泊のときよりは荷物が少ないように感じた。その後、西友へ食材を買いに行った。今回の献立は食事係の女子3人に立ててもらった。山中での夕食のカレーと朝食のパスタの食材を買った。パスタは、夏の雲取山での悲劇を繰り返さぬように、茹で時間1分の早茹でパスタを購入することのないように細心の注意を払った。部室に戻って食材を分担し、翌日の空港の集合時間や全体のスケジュールを確認してから解散した。帰宅後、自分の荷物をパッキングすると、なぜか80リットルザックは満杯になっていた。山行毎に思うが、僕は荷物が多くなる傾向がある。心配性なのか、良くないとは思いつつも色々と持っていきたくなってしまう。

●1日目 3月20日
 前日に絶対に遅刻しないようにと言っておきながら、羽田空港に着くと僕がビリだった。朝が早かったこともあり、飛行機の中ではよく眠れた。鹿児島空港でのバスへの乗り換え時間が短くて不安だったが、東京の空港とは違って荷物はすぐ出てきて、バス停は出入り口の目の前にあったので、予定通りのバスに乗ることができた。高速船ターミナルに到着して乗船券を買った後、昼食を食べた。鹿児島ラーメンと名付けられたものを食べたが、正直東京のラーメンとの違いがわからなかった。高速船が出航すると、目の前に大きく桜島が見えた。船は揺れることもなく、とても快適だった。
 14時頃、ようやく宮之浦港に到着した。東京を出発してから既に6時間以上経っている。屋久島の遠さを実感した。船を降りると、風が暖かく春の陽気だった。バス停まで歩いて向かうが、島で一番大きい港のわりには全然人がいない。バスからの車窓を眺めていると、この島では時がゆっくり流れているように感じた。安房に到着すると、まずは荷物を置きに宿に向かった。途中にモスバーガーがあり、屋久島にもチェーン店があるんだ、などと話していると、綺麗な海が見えてきた。この海沿いに今日泊まる民宿があった。こぢんまりとした民宿で、まるで友達の家に遊びに来たかのような感覚だった。荷物を置いてしばらく休んでから、スーパーへ買い出しに出かけた。途中、なぜか消防署と思われるような場所でBBQをしている人達がいた。言葉ではうまく表現できないが、街全体がほのぼのとした雰囲気で、老後はここに移住したいと思ったりした。夕食は宿の方おすすめの洋食レストランで食べた。開店直後に行ったのになぜかハンバーグは2つしか出せないと言われたが、どの料理も絶品だった。宿に帰ると、翌朝の起床が早いのでさっさと準備をして布団に入った。だが、部屋の蒸し暑さと翌日から始まる縦走に対する期待と不安で、寝付くまでに少し時間がかかった。

●2日目 3月21日
 3時50分にスマホのアラーム音で起きた。電気ケトルでお湯を沸かしながらドライヤーのスイッチを入れたところ、なぜかブレーカーが落ちた。朝から面倒くさいと思いつつ後始末を後輩に頼んで、自分は前日に予約した登山弁当を受け取りに行った。5時に予約していたタクシーが迎えに来て、宿を出発した。あたりはまだ真っ暗であった。途中、荒川登山口方面に日帰りで縄文杉を往復する人達がたくさん集まっていた。それを見ながら運転手さんが、今日は縦走する人はそんなにいないと思うが、念のために小屋には早く到着するように心がけた方がよいとおっしゃっていた。眠かったのでタクシーで寝たかったが、タクシーが急カーブを予想以上のスピードで走り抜けていくことへの不安から寝ることができなかった。
 6時頃、淀川登山口に到着した。まだ明るさは十分でなく、ヘッドランプを用意した。準備運動を終えて歩き始めると、早速いつも歩いている山とは雰囲気の異なる森が広がっていた。(具体的にはわからないが)植物の種類が多く、深い森という印象だった。なぜか歩いているだけでワクワクした。淀川小屋に着く頃にはあたりも明るくなってきた。予報通り天気は良さそうで、宮之浦岳山頂まで快晴が続くことを祈った。ここから先はしばらくトイレがないのだが、淀川小屋のトイレは1つしかなく行列ができていて思わぬタイムロスとなった。
 淀川小屋を過ぎると傾斜が急になってきた。ここでバテるとこの先辛いので、ペースを上げずに一定に保つことを強く意識して歩いた。標高を順調に稼ぎ、木々の背丈が低くなってきた頃、「展望台」と書かれた看板と側道があった。寄り道してみると、岩の上から今まで進んできた森とこれから目指すピークを見渡すことができた。何枚か写真を撮った後、再びコースに戻った。
 道に湿り気や水の流れが多くなってきたと思っていると、目の前に湿原が広がった。看板を見ると花之江河だった。さっきまで森だったのにいきなり湿原が現れるなんて、今まで登ってきた山にはない不思議な感覚で面白かった。その湿原をよく見ると、ヤクシカが3匹草を食べていた。ヤクシカは想像していたよりも小さく、今まで奈良などで見てきたシカよりもかわいかった。
 ここからは視界を遮るような背の高い植物が少なく、解放感の溢れる道だった。足元を見ると澄み渡った沢が流れ、前を見るとこれから登るピーク、草原、どこからやってきたのか不思議に思われる巨石が見渡せた。天候も安定しており、気分は最高であった。花之江河過ぎあたりから、計画段階で懸念していたロープ場が現れてきた。だが、写真で見て想像していたよりも高さも傾斜もなく、ロープを使わなくても登れるようなものばかりであった。懸念事項が1つ消えて、正直内心ではほっとしていた。
 黒味岳分岐あたりで眺望がとても良かったので、居合わせた単独行の方に黒御岳をバックに写真を撮っていただいた。その後はしばらく、ピークを1つ越えると新たなピークが見えてくる、といった登りが続いた。「あれが宮之浦岳ではないか?」と話していると実は違った、といったことを2,3回繰り返していると疲労感が増した。巨石につける名前を考えたりしながら登りに嫌気がさし始めた頃、ようやく宮之浦岳山頂で記念撮影する人影が見えた。
 若干雲がかかってはいたものの、山頂からは海まで見渡せる大パノラマが広がっていた。眼下に広がる草木の緑の濃淡がとても美しい。コースタイムよりも早く歩けていたので、昼食休憩をたっぷりとることができた。早朝に受け取った登山弁当を食べたが、期待しすぎたせいだろうか、失礼ながらコンビニ弁当の方が美味しいのではないかと感じてしまった。昼食後は、岩の上に座るなどして互いに写真を撮りあった。写真部にも所属している小久保は一眼レフを持ってきていて、この山行で終始「カメラマン」と呼ばれていた。40分程山頂での時間を楽しみ、新高塚小屋へ向けて再び出発した。
 小屋への下りは特に難所もなく、順調に歩を進めることができた。宮之浦岳付近から、ある中高年の方々のグループとほぼ同じペースだった。そのグループも新高塚小屋泊ということを聞き、小屋に先客がいないかどうか少し不安になった。標高を下げていくと、朝に通ったような深い森の中へ再び戻ってきた。
 15時前に小屋に到着すると、まだ2名ほどしか到着していなかった。一安心して小屋の一角にスペースを確保して、のんびりと水汲みや夕食の準備を開始した。夕食はレトルトカレーであった。米は何度も炊いたことがあるので、もう手慣れたものだ。米を炊きながら、待ち時間にみんなでトランプをした。昨日宿で後輩に教わったゲーム(名前を何度聞いても覚えられない)が予想以上に面白く、何度やっても飽きなかった。気付くと米が炊けており、レトルトカレーを温めてチーちゃんがくれたソーセージを入れて食べた。食後には前日にスーパーで買ったラテを飲んだ。山でコーヒーを飲んでいるとき、やはり山はいいなと毎回考えている気がする。日が沈んでくると、昼間の暖かさが嘘のように冷え込んだ。ダウンを着込み、他の部員のいびき対策として耳栓をしてシュラフに入り込んだ。後から話を聞くと、小屋中でいびきの音が響いていたようだ。この部で宿泊山行に出かけるとき、耳栓を絶対に忘れてはいけない。

●3日目 3月22日
 5時になると小屋の他のグループの人達も起き出した。薄暗い中、小屋の外のテーブルで朝食の用意を始めた。メニューはパスタである。そのままの長さだとコッヘルに収まらず、半分の長さに折る必要があるのだが、パスタが飛び散って意外とうまくいかない。坂本からチャック袋を借りてその中で折ると、袋はたちまち破けた。出発前にハサミで切っておくのが正解のようだ。茹で時間は5分のものを使い、茹ですぎないように全神経を集中させた。その結果、今回はいい茹で具合に仕上がった。無事に雲取山のリベンジを果たすことができてほっとした。朝食の準備に時間がかかったこともあり、出発は予定より1時間遅くなってしまった。起床から1時間以内に出発するためには、フリーズドライなどのお湯を沸かすだけで作れるものを利用することになりそうだ。
 歩き出すと、目の前に昇ってくる朝日が見えた。今日も天気が良さそうで、これから見る縄文杉や白谷雲水峡への期待が高まった。縄文杉へはずっと下りで、苦労する場所はなかった。1時間半ほどで縄文杉に到着すると、周囲には誰もおらず僕たちだけで独占できた。実際に傍で見てみると、写真で見ただけでは伝わってこない迫力、存在感を感じることができた。30分ほど記念撮影などを行い、白谷雲水峡を目指して再び歩き始めた。
 縄文杉を越えてから、だんだんとすれ違う人の数が増えていった。人が多いとゆっくり記念撮影をすることも難しそうなので、早い時間に到着して良かったと思った。道は木道などが整備されていてとても歩きやすかった。だが、道幅が狭く人とすれ違う時には気を遣う必要があった。日帰りで縄文杉を目指す人は、ガイドをつけている人が多いようだった。多くのガイドの方に「2日間とも晴れてよかったね。」と言われ、天候に恵まれたことは相当運が良かったのだと改めて実感した。
 縄文杉の次の大きな見どころはウィルソン株だった。到着して株の横に荷物を降ろそうとすると、隣にいたガイドらしきおじさんが、「あの人たちは縦走ですね、縦走だと風呂に入れないから体が香ばしい香りに…」などと自分が連れている大学生らしき女性グループに話し始めた。縦走してきた人達の前で、本人に聞こえるようにそんな話をするなんて失礼極まりない。(そもそも香ばしい香りなんてしない。)あのおじさんも縦走の素晴らしさを知っているはずだし、プロが話のネタとしてあんなことを言うのか、と少し残念にも感じた。だが、話を聞いている3人が誰一人として笑っていないのを見て、少しだけ鬱憤が晴れた気がした。
 ガイドについての文句などを話していると、トロッコ道に出た。トロッコ道は高低差もなくこの上なく歩きやすいのだが、単調なので飽きやすいということでも有名だった。すると、合唱サークルにも属している坂本と安藤がなぜか一橋の校歌を歌い出した。合唱をやっていない限り校歌など知らないので、みんなが知ってそうな卒業ソングを歌ってくれとリクエストした。「旅立ちの日に」を歌ってくれたが、このしんみりとした曲では思ったより盛り上がらなかった。
 トロッコ道を抜け、楠川分れより先は登りが始まった。1日半分の疲れがたまっていることもあり、ここからの登りが想像以上に辛かった。森はだんだんと苔むしていき、「もののけ姫」の世界に近づいているようだった。僕は「もののけ姫」を観たことがなかったので、ここへ来る前に観ておくべきだったととても後悔した。
 太鼓岩への分岐で昼食を取った。太鼓岩へと続く道を見ると、急登が続いていた。疲れていたので一瞬迷いが生じたが、せっかくなので寄っていくことにした。太鼓岩については事前によく調べていなかったので大きな期待はしていなかったのだが、急登を登り切って岩の上に立つと驚いた。180度パノラマビューで、今までに味わったことのない解放感であった。こんなにも色々な景色で僕たちを楽しませてくれる屋久島はやはりすごい場所だと改めて感じた。
 太鼓岩から先は再び下りだった。苔むした岩の間を澄んだ沢が流れる、これこそまさに屋久島の森という景色が続いた。白谷雲水峡のバス停に到着すると、ちょうどタクシーの予約時間の30分ほど前であった。タクシーの運転手さんは行きと同じ方だった。宮之浦へ下る道の途中で、街全体と海が見える場所で車を止めて頂いた。春になると山桜が綺麗に咲くそうだ。車に揺られていると、疲労感と無事に全員が歩き切った安心感で眠くなってきた。
 15時頃、タクシーが宿に到着した。風呂に入れるのは17時からだと告げられ、少ししんどかった。やることもないので、近くのスーパーへ買い出しに出かけた。途中にあった宮之浦川にかかる橋では、左を見ると青い海、右を見ると今下りてきた山々がそびえていた。スーパーのアイス売り場で、1年生と今まで見たことのない「ジャムモナカ」というアイスを買おうという話になった。買って食べてみると、なぜか既に溶けていて、その上尋常でない甘さであり、買ったことを後悔した。夕食はネットで調べた店が満席だったので、途中で見かけたレストランに入った。1日目の店もそうだったが、屋久島のレストランの料理はとてもボリュームがある気がする。

●4日目 3月23日
 5時頃に起きて早い高速船に乗れば帰りに鹿児島に立ち寄ることもできたが、当然ながら疲れていて無理であった。高速船は10時頃出発だったので、朝はのんびりと過ごせた。宿を出て港まで歩いていると、東京に帰りたくないという気持ちが強まってきた。帰ったら春休みが終わって学校が始まり、ついに3年生になってしまう。もう少し屋久島にいて山に登り、現実逃避していたかった。
船の席を予約した後、乗り場にある売店でお土産を見た。安藤とシャツを買おうという話になり、僕はウィルソン株のシャツ、安藤はなぜかウミガメの柄のシャツを買った。船に乗り込み、離れていく屋久島の姿を見ながら、絶対にまたここに戻ってきたいと強く感じた。

総括
 今回の屋久島山行では、今までの経験を活かすことができたと感じている。計画段階では役割分担を行い、他のメンバーと話し合う中でプランをより良いものにすることができた。このような山行の立て方を定着させることができれば、部としての登山がより充実したものになると思う。個人的にもこの1年間、計画を立てたり先頭を歩いたりする機会が多かったこともあり、計画の立て方やパーティとしての歩き方が少しは掴めてきた気がする。反省点は、8人中3人がヘッドランプを忘れて現地で購入したことである。ヘッドランプは特に持参するように呼びかけていなかったが、山に入るときには日帰りであっても当然に持ってくるべきものである。装備の確認など、一人ひとりの安全な登山への意識はまだまだ低いと感じる。部全体で知識を共有するなど、改善のための取り組みを進めていきたい。
 大学生活折り返しを前にして自分の目標の一つであった屋久島に行くことができ、その山行の内容も今までの中で最高のものにすることができた。まだまだ行きたい山はたくさんあるので、今後も積極的に山に登っていきたい。

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3月22日  7:28 縄文杉前にて 
メンバー全員


3月22日 12:43(撮影:内海)太鼓岩にて
左から小久保、坂本、安藤、内海


3月21日  8:57
(撮影:内海)
花之江河にてヤクシカ


3月21日  12:20
(撮影:内海)
宮之浦岳山頂より


3月22日  13:52
(撮影:内海)
白谷雲水峡の森



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■2016年3月15日 笹子雁ヶ腹摺山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部1年)
       ****** 2016年4月4日投稿 ******

●参加者:坂本遼(法1)
       OB(敬称略):中村 雅明(昭43)、藤原 朋信(昭44)

●天気:晴れ

●コースタイム
 笹子駅9:25→ゲート10:12→中尾根11:00→中尾根ノ頭手前のベンチがあるピーク11:57→笹子峠13:15→
 笹子雁ヶ腹摺山14:25→笹子峠15:15→下山16:27

 今回は自身初めての新雪体験ということで、天気が良くなかった14日の翌日にOBの先輩2人に連れられて笹子雁ヶ腹摺山を目指した。延期が続き三度目の正直で実現した山行であっただけに、朝気合い十分で笹子駅に向かったのだが、電車に乗っているときから徐々に不安が募ってきた。高尾駅を過ぎたあたりから、あたりの景色に昨日の雪がかなり見受けられるのである。

 2月に登った倉岳山、高畑山にもしっかりと雪がついていて、雪がない景色とは一変していた。大月駅を過ぎると山だけでなく線路沿いにもしっかりと雪が残っていて、今回の山行はなかなか大変なものになるのではないかと思われた。笹子駅を出て甲州街道を避けて裏道を歩き始めたが、いきなり除雪されていない10センチほどの雪の中を進む。すでに2月の丹沢に行ったときに体験した雪の量とは違っている。とにかく疲れないようにと大きな筋肉を使うよう意識して歩く。ゲートまでは中村さんが先導してくださり、そこからはいよいよ自分がラッセルを行う。最初のうちは道幅の広い林道で比較的平坦であり、歩くのよりも枝葉に付いた雪が降りかかってくるのを払うほうが大変であった。

 進むにつれて積雪量が増すのが感じられ、林道からそれて山道を歩き始めると急に歩きにくくなった。勾配もきつくなり道も細くなり、いよいよ雪との本格的な戦いが始まるといった感じである。ゲートから50分ほどで中尾根と思われる尾根に到着。それにしてもこの尾根に至る山道を、地図にも載ってないのに一体どうやって見つけたのだろうと、藤原さんの凄さを改めて感じられずにはいられなかった。尾根に出てからも地図上には登山道はないのだが、尾根ということもあり少し歩きやすくなった。ここまでは自分としても比較的余裕を持って歩けたし、この程度であればとだいぶ不安も和らいでいた。しかし本当の戦いはここからであった。

 尾根に出てからしばらくして急に勾配が厳しくなってきた。今までのように雪に対して平行に足を出していては歩けなくなり、雪に対して角度をつけて足を出し階段状の足場を作る感じで登り始める。これが想像以上に難しい。足場を作って登るものの、その足場が崩れて滑ってしまうのである。おそらく昨日の雪は水気を多く含んでいて、しっかりと固まらないのではないだろうか。この辺りまで来ると積雪は20センチほどあり、1歩1歩がとても重く感じられた。これがいつまで続くのかとだいぶへばってきたところで急登が終わり、比較的平坦になった。とはいっても前述のように今進んでいるのはちゃんとした登山道ではない。雪がたくさんついた枝が行く手を阻む中、懸命に姿勢を低くして進む。時々枝に引っかかると、ついていた雪がザックやウェアに降り注ぐ。

 尾根に出てから約1時間で、ようやくベンチがあるピークに到着。12○○(判別不明)m地点という標識がほとんど雪で埋まってしまっている状態だったが、地図上で自分たちの位置をおおよそ把握することができた。ここで昼食をとる。富士山もわずかに見えて、枝が周囲を囲っているものの雲がほとんどない青空と白銀のコントラストを堪能することができた。ここからは地図にも載っている登山道に合流する。相変わらず雪は深く、ゆるくない勾配が続いて慎重に進む。しばらく行くと少し開けた分岐点と思わしき地点に出た。現在位置がはっきりしないが藤原さんの判断で右に折れる。15分ほど雪の重さでしなる枝をかき分けて進んだところで周囲を見渡せる場所に来た。

 ここから道が一気に下り始めるのを見て、藤原さんが尾根を一本早く曲がってきてしまったと言い、先ほどの分岐点まで戻る。ラッセルしたとはいえ今度はゆるい登りである。ようやく分岐点まで戻ると、ここで先頭を行っていた自分が何か雪の中に埋もれていることに気付く。掘り返してみると、中尾根ノ頭という立派な標識であった。地図を見ると自分たちの現在位置がはっきりして、先ほど行った道が正しいことが判明した。再び戻ってきた道を戻り、同じ道を3回行き来するという思わぬタイムロスとなってしまった。雪の中では標識が埋まっていることもある。慎重に進まねばならないと再確認させられる出来事であった。

 道は尾根に沿って一気に下る。この辺になると積雪は25〜30センチはあったのではないか。一歩一歩が深く雪に埋まり歩きづらい。加えて雪で道もはっきりせず、何度か道からそれそうになり、後続の先輩方に修正していただく場面があった。そして態勢を崩して尻餅をつくことも何度かあり、ここまで下るのに苦労したのは初めてであった。そんなこんなで、笹子峠に到着。ここで大きな荷物を置いて、笹子雁ヶ腹摺山まで往復する。登り始めから急な傾斜である。雪がついていて滑りやすく、慎重に進む。道はすぐに比較的平坦になりしばらく歩くと分岐点に至る。左は尾根道、右は新道となっていておそらくまき道であろう。ここは藤原さんの判断でトレーニングがてら尾根道を行く。覚悟はしていたが想像以上にアップダウンが続き、徐々に疲労がたまってきているのを感じた。

 富士山も遠目に見えたのであたりの景色を見て気を紛らわそうとしたが、目線を上に向けているといつ滑るか分からない。そろそろ着くだろうと思っていたら目の前に大きな山が現れる。どうやらここが笹子雁ヶ腹摺山のふもとらしい。ここから一段と傾斜がきつくなり、再び足場を階段状に作りながらの歩みとなる。昼食前の急登と異なり、今は疲労もたまり足取りも重い。唯一救いだったのは先ほどのような行く手を遮る枝が少ないということである。

 笹子峠から50分、なんとか休憩なしで山頂まで到着した。山頂からの景色はとても良く、ここまでの疲れが癒される。藤原さんにここまでラッセルしたのはたいしたものだとお褒めの言葉もいただき、頑張った甲斐があったと感じた瞬間であった。帰りは先ほどとは異なりまき道を行く。行きのアップダウンを思い返すとホッとしたが、尾根道とは違い今度は山の斜面を歩く。ところどころ小さな土砂崩れを起こしているところや木が倒れているところもあり、通り抜けが難しい箇所もあった。斜面に沿った道ということで道幅も狭く、これはこれで歩くのに苦労した。とはいってもアップダウンがないに等しいのはありがたい。行きほど苦労せずに笹子峠まで戻ってくることができた。
 笹子峠から少し進むと旧笹子トンネルに出て、ここから無雪期は車両も通行できる舗装路を歩く。とはいっても深く雪に覆われている道で、ここにもしっかりと雪は残っていた。1時間ほどで元の笹子駅周辺の集落に戻ってくることができた。

 今回はたっぷりと新雪体験を行うことができ、非常に貴重な体験であった。藤原さんいわく、ちょうどいい積雪だったとのこと。これ以上降ると前に進めなくなり断念せざるを得ないらしい。ちょうどいいとはいっても、まともに雪道を歩いたことのなかった自分からすれば、こんな道でも進んでいくのかという驚きの連続であった。おそらく現役部員だけでは引き返していたのではないかと思える。こんな機会を与えてくださったOBの先輩方に今一度感謝の意を表して、この山行記録を終わりたい。


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3月15日  12:10(撮影:中村)
中尾根ノ頭手前の
ベンチがあるピークでの
昼食風景(坂本)
3月15日  12:32(撮影:坂本)
中尾根ノ頭−笹子峠間の
雪を一杯つけた樹木
3月15日  14:27(撮影:坂本)
笹子雁ヶ腹摺山から富士山を望む



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■2016年2月26日 丹沢塔ノ岳・丹沢山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部1年)
            ****** 2016年3月6日投稿 ******

●参加者:内海拓人(法2)、大矢和樹(法2)、坂本遼(法1)

●天気:晴れ

●コースタイム
 大倉発9:00→駒止茶屋10:00(出発10:10)→花立小屋11:05(出発11:15)→塔ノ岳11:43(出発12:02)→
 丹沢山13:00(出発13:20)→塔ノ岳14:15(出発14:20)→堀山の家15:20(出発15:26)→大倉到着16:50

 自分としては2月17日に倉岳山・九鬼山を訪れて以来約2週間ぶりとなる山行である。これからはこのくらいの間隔で登りたいものだ。今回は2年生の先輩方が以前から計画されていた丹沢山行に同行する形で参加した。積雪も予想されるため、今回のために現在自分が使用している靴にも装着できる軽アイゼンを購入し、本山行に挑んだ。以前から丹沢の話は先輩方から聞いていたが、実は今回が初挑戦である。暑くてバテたりだとか、きつい登りがあるとか、かなり苦労した体験を耳にしており、なかなかに手強い山のようだ。先輩に遅れないよう頑張らなくてはと気合を入れて電車を降りる。電車やバスの車窓から山を見る限り、山にはしっかりと雪が残っている。昨日あたりに降った雪で、序盤から雪があるのではと考えられた。雪だと速度がでないと聞いてホッとする一方で、慣れない軽アイゼンを早々に使用するのだなという緊張感もあった。

 大倉からバスを降り、いよいよ出発である。最初は舗装路を歩き、徐々に登山道に入る。予想通り周囲には雪が残っており、進むにつれて歩いている道にも雪が見られるようになった。帰りは雪が溶けてぐちゃぐちゃになり滑りやすくなるだろうから、はやめに下山を開始するべきだと話しているのを聞いて、そういうことを考えながら歩けばいいのかと、後ろを歩きながら大変勉強になった。見晴茶屋をすぎたあたりから、最初の長い登りがある。だらだらと登っていく延々と続くかに思われるこの登りは、確かに猛暑の中歩いたらさぞかし大変だろうと感じた。丹沢に登るのは5月あたりまでが適しているだろうと考えると、2月の終わりの今もむしろこういう山に登るのはちょうどいいのではないかとさえ思われた。気温は低くても、すでに汗ばんできている。出発から1時間ほどで、駒止茶屋に到着。

 このあたりから大学生と思われる男性3人のグループと一緒になった。彼らはなんと運動靴でここまで登ってきたようだ。雪も残るなかあまり褒められたものではない。駒止茶屋を出発すると登山道も雪で覆われることが多くなり、丸太などで組まれている階段が雪をかぶって土以上に滑りやすくなっており注意して歩く。それに加えて上を見上げるとだらだらとした登りが延々と続くかに思われる道のりである。次第に体力も奪われ、無言で歩くことが多くなってきた。集中していないと滑りかねないし、喋っていられるほど余裕がない。記録をみると花立小屋で休憩したようだが、正直ほとんど記憶がない。それは疲れもあるだろうが、その後塔ノ岳山頂から見た景色があまりに素晴らしくて、記憶のほとんどをこの景色が占めてしまったのも原因の一つであろう。今まで天候に恵まれなかった先輩方も、今日が一番きれいだと喜んでいた。

 こんな日を丹沢の初挑戦日にできるなんて、大変嬉しく思った。塔ノ岳までのペースも、コースタイム3時間半のところを休憩含めて2時間43分と、悪くないペースであったようだ。多少しんどいところもあったが、この塔ノ岳山頂でお昼を食べたりしっかりと休憩をとったりしたおかげで、体力はだいぶ回復した。ただこの塔ノ岳で一つ難点なのが、風の強さである。先輩から事前に言われていたため、スキーにもっていくような分厚い防寒具をザックに詰めて持って行ったが、登山中も暑くていつこんな防寒着を使うのだと思っていた。不思議なもので塔ノ岳に着いたとたん冷たい風が吹き付けてきて、帽子をかぶって手袋もして最大防寒していなければ凍えてしまいそうな状況であった。今後登る機会があれば後輩たちにもぜひ防寒着の用意を進めたい。また防寒着を詰め込むと日帰り登山で使用していたザックもパンパンになり、行動食などを取り出すのにえらく時間がかかり、不便であった。これをうけて、ついに入部以来はじめてとなる自分のザックを後日購入した。カリマーの30リットルザックで、大矢さんも使用している色違いのモデルである。30リットルのわりにたくさん入るという話も聞いているので、2泊程度の山小屋山行には使えるのではないだろうか。3月9日のOBの方々と登る山行がこのザックのデビューとなる予定だ。今から楽しみである。

 さて、話を本山行に戻そう。晴れた天気だけあって、塔ノ岳から丹沢山に向かう道から見える景色はずっときれいで、見とれて足元の雪で滑ってしまいそうであった。尾根といってもアップダウンがあり、また疲労を感じてきたあたりで丹沢山に到着した。ここから蛭ヶ岳に向かう縦走路もあるようだが、さぞや登り甲斐のあるコースなのだろう。丹沢にテント泊山行もありかもしれない。しかしそうすると今まで登ってきた道のりを、テントを担いでということになり、なかなか大変だろう。そんなことなどを考えているうちに、下山の途につく。

 しかしこれが思った以上に時間のかかることとなった。塔ノ岳からの下りは溶けた雪の残る道であり、滑らないよう慎重に進む。それに加えて3人で様々なことを熱心に話しているうちにどんどんペースは落ち、登りと同じとまではいかないものの、登りのコースタイムに比べてかなりゆっくりと山を下りてきた印象だった。それでも17時前には下山できたわけだし、丹沢初挑戦の本山行は自分にとって大変充実したものとなった。余談であるが、丹沢山から塔ノ岳に戻る途中、前述の大学生らしき男性3人グループとすれ違った。内海さんが「今から丹沢山に向かうのは帰りの時間を考えたら無謀だ。すれ違ったときに教えてあげればよかった。」と話しているのを聞いて、登山とはお互い助け合って行うものだと改めて実感した。登山中すれ違う人との挨拶も、お互いのことを気にしあっている表れなのだろう。自分も今後、山のことをよく知らないで登っている人に教えられるくらい経験を積んだ登山者になりたい。

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2月26日  13:22
丹沢山山頂(内海)
2月26日  13:3
丹沢山−塔ノ岳間、箒杉沢を望む
2月26日  14:41
塔ノ岳付近から撮影


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■2016年2月19日 雲竜渓谷  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2016年3月7日投稿 ******

●コースと時間
 9:40瀧尾神社→10:35ゲート→11:05見晴らし台→12:05雲竜渓谷→12:15雲竜渓谷折り返し(氷瀑手前)→
 12:30雲竜渓谷階段手前の河原にて昼飯、12:45出発→14:20ゲート→14:50瀧尾神社→15:30東武日光駅付近

●メンバー;太田貴之(商4)、上茂衡(法3)、内海拓人(法2)、大矢和樹(法2)

●感想・行程等
 今回の山行は、もともと北八ヶ岳・天狗岳に一泊二日の日程で遠征予定であったのが、天候不順が予想されたために、急遽その代替として実施されたものである。上さんに関しては、就活の関係で来られない予定であったが、急遽来られることになり心強かった。

 八ヶ岳に行けなかったのは非常に残念であるが、やはり雪山であるから天気が悪ければ登ることを控えるのが当然であり、時にはこのような判断を下さなければならない時もあるのだということを再認識させられた。
 日光自体は、完全なる快晴で、ふもとからは男体山、大真名子山、小真名子山、女峰山、赤薙山の雄姿を見ることができた。昨年10月にも日光を訪れているが、また秋の山々とは違った趣があり、雪をかぶって白と黒の二色で構成される山は、より鋭く厳しく見える。

 日光駅から時間短縮のため、瀧尾神社まではタクシーを利用した。タクシー会社によって、どこまで奥に入ってもらえるか変わるらしいのだが、長い距離を歩くことは厭わないので、特に気にならなかった。道は、ところどころ完全なアイスバーンとなっていたが、基本的にゲートまでは、雪が申し訳程度に残っている、というくらいであった。その上、この日は非常に暖かったので、行きに凍っていた箇所も帰りにはほとんど融解していた。

 最初はとにかくひたすら林道歩きである。勾配も緩やかであり、ところどころアイスバーンになっていて滑りやすいこと以外には、たいして苦労することはなかった。ゲートに到着すると、道が二手に分かれていたので右側を進んでいった。少し歩くと、大きな橋が見えた。この橋以外に道はなさそうなので、とりあえず渡ってみた。だが、どうも不安だったので、立ち止ってあたりを見渡してみると、川の対岸、すなわち渡る前の側の嶺に沿って、道があるのを発見してしまった。ここで、ゲートで間違った方向に来てしまったことがわかったので、大急ぎで元に戻った。ちなみに、上記のコースの通過時間は、戻った時点での時間である。正規ルートに戻ってからは、また再び林道歩きになった。しかし、先ほどまでとは異なり、かなり勾配はきつめである。日蔭にはしっかり雪も残っていた。しばらく進むと、ついに林道から完全な雪道になった。しかしながら、この暖かさで雪はかなり解けていて、足元はフカフカというよりシャリシャリしていた。

 ある程度平坦な道の後、かなりきつい坂をよじ登るところが続き、個人的にはなかなか手間取った。雪が幸い、あまりついていなかったが、ついていればピッケル等をしっかり使わないと厳しいレベルであり、初心者は戸惑いそうである。渓谷間近の広間から、実際渓谷に行くための階段も、雪が氷ついており、かなり怖かった。慎重に行かなければすぐに転んでしまいそうである。
 今回新たに露呈した問題としては、沢の渡渉がかなり苦手であるということである。今回、4回ほど靴が水に浸かってしまう事態が発生し、そのせいで靴の中も靴下も水だらけになってしまった。替えの靴下を持って行って大正解という感じである。

 結局、気温も高く、どんどん氷柱が溶け落ちている状況を見て、渓谷はある程度進んだ場所で引き返すことにした。昼飯は、渓谷の開けた場所でとることにした。踏み跡を外れて、足を踏み入れようとしたところ、ずぼっと足がはまりそうになったりした。昼飯を食べていると、時折比較的強い風が吹いたりもした。風が吹くと、さすがにやや寒い。岩陰に隠れて風をよけたりもした。
 帰り道、階段を登り切って、下りが本格的になる前に、この日初、いや今シーズン初めてアイゼンを装着した。やはりアイゼンを付けると、滑りやすい個所でも抜群の安心感があって良い。ただしかし、雪が消えている箇所もところどころあり、アイゼンを傷めないか少々心配であった。

 渡渉をうまく行うには、やはりバランス感覚を養う必要があるということであろう。
 また、今回の山行は四年生である太田さんと登る最後の山行となった。ほとんどの山行に参加していた太田さんが抜けてしまうのは非常にさびしいが、太田さんから学んだ多くのことをこれからの活動に活かしていきたいと思う。
 
2月19日  12:18(撮影:大矢)雲竜渓谷にて


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■2016年1月9日 生藤山・笹尾根山行 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)

     ****** 2016年2月12日投稿 ******

●メンバー
 黄勉(修2)、大矢和樹(法2)、清野友紀(ICU2)、、高謙(社1)、坂本遼(法1)

●コース
 石楯尾神社9:40出発→三国山11:00→生藤山11:10到着、11:50出発→熊倉山12:25→粟坂峠13:15→
 浅間峠13:25→土俵岳14:30→小棡峠15:00→笛吹バス停16:05着(総歩行時間6時間25分)

●概況
 はじめに一月は大学のテストシーズンであり、ここで登っておかないとだいぶ時間が空いてしまうなと感じ、突発的に計画を立てたのにもかかわらず、5人も集まってくれて感謝という感じである。新年一発目ということを鑑みて、そんなに大変ではないところをルートとして選択した。
 まずは、上野原駅に集合し、石楯尾神社前に向かった。このバスは乗っている時間の割には運賃が高めであるのでやや注意する必要がありそうである。バスから降りると、ひとまず新年最初の登山ということで、安全祈願を行い、登山を開始した。道自体は、さすが有名な山だけあって、非常に分かりやすかった。途中までは一般道、林道を通って行き、途中からは山道になるというような感じであった。尾根に出ると、傾斜はより一層緩やかになる。尾根は時折開け、開けた箇所からは富士山や南アルプスの白嶺の一部を拝むことができた。もっとも、三国山や生藤山の山頂からも観測することができた。三国山に到着すると、すでに多くの人でにぎわっていた。そのため、昼飯は生藤山でとることになった。生藤山は一転、ほとんど人の姿はなかった。生藤山で昼飯をとっている時間帯は、非常に暖かく、いわゆる小春日和という感じであった。
 その後、陽のあたる箇所では暖かかったが、少しでも日陰に入るとたまらなく寒いという感じであった。道としては、笹尾根はトレランのコースになっているだけあって、非常に歩きやすく高低差が少なかった。景色はイマイチであるので、何とも言えないが道の様相だけみれば、新歓登山にも利用できそうである。
 小棡峠からの下り道では、なんどか道を見失いそうになった。しかしながら、何度も地図の等高線の向きなどを確認しながら下ったので、たいして問題にはならなかった。バスの時間がかなりぎりぎりで、最後はかなり早めに歩くことになったが、誰一人遅れることなく歩けていて、幸いであった。

生藤山山頂
左から清野、黄、曲、大矢、坂本



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■2015年12月23〜25日 燕岳山行記録 太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部4年)

           ****** 2016年2月24日投稿

●日程       2015年12月23日(土)〜12月25日(日)
●メンバー    高橋直道(法4) 太田貴之(商4) 上茂衡(法3)
●コースタイム
           23日 12時宮城ゲート→15時30分中房温泉
           24日 7時40分中房温泉→13時燕山荘→14時20分燕岳→15時燕山荘
           25日 7時燕山荘→10時15分中房温泉→13時宮城ゲート
●ルート図

●12月23日
 夏に常念岳まで縦走したときと同じコースを取って、燕岳に登った。夏は中房温泉までバスが通っているが、冬は通行止めとなっている。そのため、宮城ゲートからは徒歩で中房温泉まで向かう必要がある。その距離は約15kmで、中房温泉から燕岳に登る2日目よりも、1日目の宮城ゲートから中房温泉までの行程の方が体力的に大変だった。中房温泉ではテント泊をした。僕たち以外には誰もテントを張っておらず、独占することができた。ここのテント場は、温泉の地熱のおかげで、地面が温かく、快適に眠ることができた。また、この地点までは、雪がほとんどなく、夜に雨がふったので、冬用の外張りは必要ないかもしれない。

●12月24日
 2日目に、1つ問題が生じた。インターネットの情報では、中房温泉で荷物を預かってもらうことができるとあったが、テント泊の僕たちの荷物の預かりは拒否されたのである。そこで、幕営用具一式を登山道にデポして、燕山荘に向けて、出発した。ベンチを目安に休憩しながら、登っていった。昨日と比べて、荷物の負担が大きく軽減されていたので、幾分、楽することができた。合戦小屋で、アイゼンを装着し、急な坂を進むと、辺りが開けた。その景色は非常に良かった。
 その後は、天候が悪化したので、少しとはいえ、見ることができたことに満足している。燕山荘で多少休憩して、燕岳を往復した。この時には曇り空になっていたので、頂上で少し時間を過ごし、急いで燕山荘に戻った。2日目は12月24日ということもあり、ケーキやワインをふるまって頂いた。その際、小屋の人が他の登山客と一緒に僕たちの写真をとった。おそらく、燕山荘のブログやフェイスブックに使おうと考えていたのだろう。しかしながら、他の登山客は全員単独で来たおじさん、僕たちも男だけのグループということもあり、その写真をブログやフェイスブックでみることはなかった。

●12月25日
 3日目は山頂付近の視界が悪く、風も強かったので、急いで下山した。中房温泉で帰りのタクシーを予約したものの、自分たちの下山スピードを過信していたため、予約の時間に遅れそうになった。宮城ゲートから中房温泉の間は電波が非常に入りずらく、電波が入るポイントを探しながら、下山して、やっと見つけたポイントでタクシー会社に時間変更の連絡をなんとか取ることができた。
 当たり前だが、中房温泉でタクシーを予約するときは、余裕をもった時間に設定するとよい。帰りは松本で温泉に入って、リフレッシュした。とても疲れた山行だったが、冬の北アルプスを少し体験することができて、良い山行であった。


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12月23日  15:42
中房温泉テント場
12月24日  12:09
合戦尾根
12月24日  14:26
燕岳山頂からの展望


12月24日  14:27
燕岳山頂記念撮影(高橋、上)


12月24日  14:29
燕岳山頂記念撮影(高橋、太田)




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■2015年12月6日 懇親山行本社ヶ丸・清八山   大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2015年12月14日投稿 ******

○  日程;2015年12月6日
メンバー;
現役部員…太田貴之(商4)、上茂衡(法3)、大矢和樹(法2)
OB…佐薙恭(昭和31年卒)、小島和人(昭和40年卒)、佐藤久尚(昭和41年卒)、中村雅明(昭和43年卒)、
    宮武幸久(昭和45年卒)
   ※中村は清八山で皆と別れ、三ツ峠山に縦走し、三つ峠山荘泊り。
     翌日、府戸尾根を下り河口湖駅まで歩いた。
コースとタイム
都留市駅を8:50に出発し、宝鉱山口までタクシーで30分。9:15出発→12:20本社ヶ丸登頂、12:40出発→
13:20清八山到着、13:45出発→15:55笹子駅到着
概況と感想
 自身、北アルプス山行以来、山行記録執筆から遠ざかっており、久々の担当となった。同時に、自身今年最後の締めくくりの山行であるという気持ちで参加した。振り返ってみれば、今年度は山岳部としては大きな変化があった。多くの人が今春新規に入部を果たし、今年初めに比べれば部員はほぼ倍増した。そして5月の八ヶ岳山行で、僕が入部したころから続いていたFN短大は、一つの区切りを迎え、いよいよ部員による自発的な活動が主となった。これらの活動が可能となったのは、ひとえに昨年までのFN短大のおかげであることは間違いないであろう。
 そのような山岳部の変貌の中で、今回の山行はメンバーが全員古株であり、加えてOBとの懇親山行であったから、去年から在籍している身からすると、昨年までの少人数FN短大を彷彿させ、非常に懐かしさも覚えた。
 この日は、やや雲もでていたが、おおむね天気の崩れはなさそうであった。地元の千葉県からも富士山を望むことができるほどで、富士急行の車窓から見える、大きな白銀の嶺には外国人観光客も興味津津であった。気温としても、それほど寒いわけでもなく個人的には非常に登りやすかった。宝鉱山口から歩き始めるとまもなく、鉱山を意識させるような坑道も散見され、付近の岩は黄土色に染まっていて、なかなか独特の雰囲気を感じた。道自体は、最初からやや勾配はきつめであったが、歩きにくさはほとんどなかった。道は沢筋にあり、一度渡渉した。しかし、紅葉真っ盛りの山もよいが、落葉し、木漏れ日が照らす枯れ木立の中を進むのもまた、風情がある。道は落ち葉で覆われており、ふかふかしていたが、途中には親切なことに小さい階段のようなものも埋め込まれていた。渡渉地点から、しばらく登ると、道が分かりにくくなった。一見、普通に道はあったのだが下りにも見える道であった。よって、OBの判断で、道なき尾根の急登を敢行することになった。このようなことは、学生だけの山行ではかなり難しい。よい経験になる。急斜面を直登するにせよ、少しずつ高度を稼いでいけば登ることは可能である、ということも学ぶことができた。急登を終えると、如何にも登山道であるというような道が表れ、ややほっとした。このあたりから、日蔭の箇所ではちらほら雪も確認できた。また、霜柱もあり、これらは場所によっては土がかぶさった状態でかちかちな状態になっていた。
 本社ヶ丸に着く直前には、岩がごろごろあって、少し急であった。しかしながら、本社ヶ丸は絶景であった。北の方には金峰山や、八ヶ岳、そしてはるか遠くにはぎりぎり北アルプスを確認することができた。また、少しばかり目をうつすと、南アルプスが北は甲斐駒ケ岳、南は聖岳まで一望できた。肉眼で確認した感じでは、北岳、間ノ岳、農鳥岳、塩見岳、赤石岳、荒川岳、聖岳などは雪をかぶっているようであった。その景色は圧巻であり、非常に美しかった。しかしながら、これでもOBによれば雪の量は例年より少なめであるとのことだった。この絶景を見ながら食べる握り飯ほどうまいものはないだろう。
 本社ヶ丸から清八山までは岩が多く、歩きづらい箇所も少なくはなかった。どこに足を置くべきかやや判断が遅く、時間がかかってしまうこともあった。しかしながら、清八山まではそれほど時間はかからなかった。清八山からも南アルプスはしっかり確認できた。また、清八山付近は、日当たりの都合か、霜が溶けて登山道は大変滑りやすい状況であった。
 清八山から下り始めて間もなく、高齢者のグループと遭遇した。このグループは総勢40人以上であり、かなりの存在感であった。また、下りの道もかなり滑りやすくなっている箇所もあった。しかしながら、概して下りの道は非常に下りやすい状態であった。途中からは林道であったが、こちらもさほど距離を感じることはなかった。
 無事笹子駅について、八王子まで列車に揺られた後は、打ち上げを行った。OBの方と食事をする機会は、山岳部ならではではないかと感じる。このような貴重な機会は大切にしていきたいし、OBとのつながりは今後も維持していきたいと感じた。

●2015年12月6〜7日 懇親山行・延長戦報告  中村 雅明(昭和43年卒)
皆様
** 懇親山行お世話様です。
6日 清八山で皆様と別れ、2時間で三ツ峠山荘に着きました。
御巣鷹山までかなりの登りで疲れ、小屋に入ったら両足が激しく攣って大変でした。本社ヶ丸への登りで大部疲れていたのですね。
泊は1人。個室でコタツがあったので暖かく眠れました。
7日 朝から快晴。小屋の前から見る富士山は良かったです。
7:40小屋発。木無山から府戸尾根を下り、2時間半で河口湖駅に着きました。この尾根道はなだらかな傾斜なので足任せに下れます。
なにより富士山を正面に見ながら、右手下に河口湖を見ながらのんびり下れるので、時間がある場合はお薦め下山コースです。
前日は曇りで富士山の良い写真が撮れませんでしたが、今日は良い写真が取れました。 

 ▼写真をクリックすると大きく表示されます
 12月6日 (9:40)撮影:中村
歩き始め
(前から佐藤、佐薙、小島)
 (後ろ左から上、太田、大矢)
12月6日 (10:34)撮影:中村
樹林の中の登り
(前から佐藤、佐薙、
小島、大矢、太田) 
 2月6日 (12:19)撮影:大矢
本社ヶ丸山頂から
南アルプスを望む
12月6日 (12:20)撮影:大矢
本社ヶ丸山頂からの富士山
12月6日 (12:44)撮影:中村
本社ヶ丸山頂にて学生全員で
(左から上、大矢、太田)
12月7日 (7:44)撮影:中村
三つ峠山荘前からの富士山



 12月6日 (12:44)撮影:中村
本社ヶ丸山頂にて全員で
(後列左から太田、大矢、上、佐薙、佐藤、小島)
(前列左から宮武、中村)

会   報
***

■2015年11月29日 1年生企画 武甲山山行 小久保 剣(一橋大学山岳部:法学部1年)
           ****** 2015年12月22日投稿

●参加メンバー
 内海拓人(法2)、大矢和樹(法2)、坂本遼(法1)、高謙=チー(社1)、
 胡迦安(経1)、小久保剣(法1)
●天気
 晴れのち曇り
●行程、コースタイム
 9:35登山口→10:25妻坂峠→11:55大持山→12:35子持山→13:15シラジクボ→14:05武甲山→
 14:45長者屋敷の頭→15:35林道→16:25橋立
 計6時間50分

●西武秩父線の電車に揺られながら、人生で初めての埼玉県に入った。実は山岳部も埼玉県の山行は初らしく、経験が浅いながらも新天地に挑むような心持ちがした、そんな心地の良い朝だった。
 今回の山行は1年生企画と題し、いつも計画立案してくれている2年生の代わりに、1年生の手によってなされたものであった。といってもその計画立案全てをこなしてくれたのは同じ一年生の坂本大先生であった。横瀬駅に降りた後、その大先生が率先して予約してくれたタクシーで登山口まで向かうことに。坂本には本当に感謝。
 タクシーの移動時間は思ったよりもすぐで、一人当たりの料金も880円と手ごろであった。そして登山口から出発。道のりは順調そのもので、ほぼ一本道であったので迷うことは一切なかった。その一方で、天気が良かったために景色は素晴らしく、序盤からかなり良いロケーションが続いていた。昼食を大持山でとったあと、子持山、武甲山を目指して進んでいくと、色づいた紅葉や雪や霜柱があたるところに見受けられ、季節感を感じることができ、非常に情緒があった。場所によっては地面が凍っていたり、岩が出っ張っていたりして通りにくいところもあったがそこまで苦では無く、どちらかというと武甲山頂上直前の長い上り坂がすこし大変だった。武甲山頂上付近には神社やトイレが設置され公園のような広場があり、そこからもう少し歩いて頂上につくと、周囲の山々に囲まれた盆地に位置する秩父市の街並みの大パノラマが一面に広がっていた。そこまで標高が高くない山でもこんなに雄大な景色が観れるのだと感動に震えた。下山するぐらいに天気が曇りだしうす暗くなったが、雨が降ることも無く、無事浦山口駅に到着して今回の山行が終了した。
 行程の時間についてはコースタイムより少し早いペースで全体的に登ることができ、途中何度か休憩を入れて穏やかでのんびりとした時間を過ごしながらも、5時間50分で回ることができた。
 自分自身は一橋祭後なかなか山行に行ける機会がない中、今回の山行に来てやはり山に来て自然を観て体感することは、心が安らぎ充実するものだなあと改めて感じられた。これからはもっと山行に行ける機会を増やしたいと思えた、そんな素晴らしい山行であった。

11月29日  12:10
大持山〜小持山間
11月29日  14:00
武甲山山頂より、秩父市、横瀬町等を望む
11月29日  14:00
武甲山山頂
11月29日  15:10
武甲山〜林道終点間
11月24日  15:10
武甲山〜林道終点間

会   報
***


■2015年10月17〜18日 女峰山(1泊2日班)
                 内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)

     ****** 2015年10月25日投稿 ******
○参加者
 辰川貴大(法3年)、内海拓人(法2年)
○天気
 1日目:雨のち晴れ
 2日目:晴れ時々曇り
○行程、コースタイム
 1日目
  10:15霧降高原駐車場→11:50-12:20赤薙山→12:45赤薙奥社跡→15:00-15:30女峰山→16:00唐沢避難小屋→
  16:40水汲み終了、夕食調理開始→18:30就寝
 2日目
  5:40起床、水汲み、朝食→8:00唐沢小屋出発、道に迷う→10:00再び唐沢避難小屋に戻る→
  11:45水場〜稚児ヶ墓間で日帰り組と会う→13:30二荒山神社

●1日目(10月17日)
 FN短大から天候に恵まれず、何度も延期となっていた女峰山に遂に行くことができた。当初は日帰りの予定だったが、コースタイムを見る限り山頂まで到達するのはとても厳しそうであった。日光駅周辺の安宿に前泊するプランや霧降高原駐車場にテントで前泊するプラン等も考えたが、宿は秋の行楽シーズンということで既に空きはなく、また駐車場周辺にテントを張ることができるのかも不明であった。そこで、女峰山山頂付近の唐沢避難小屋を利用して1泊2日で確実に山頂を目指すことにした。
 参加者は、当初2年生の羽二生を含めて3人であった。だが、朝に北千住から日光行きの快速電車に乗り込んでも彼の姿は見えない。携帯で連絡を取るが、反応がない。嫌な予感が頭をよぎった。するとやはり、彼から寝坊したという連絡が入った。今回は幸運なことに、辰川さんがガスとコンロを1セット持っており、僕がコッヘルを余分に多く持ってきていたので山行を継続することができた。だが、1歩間違えればその場で山行が中止になるところであった。
 日光駅に到着すると小雨が降っていた。駅前から貸し切り状態の路線バスに乗り込み、霧降高原を目指した。標高が上がっていくにしたがって、沿道の木々が色づいてきた。だが、天候は悪化の一途を辿り、登山口に着いた時には辺りは霧で真っ白、雨は音を立てて降っていた。予報では午後にかけて天気は回復傾向であったので、予報が当たることを信じて歩き始めた。
 最初は約1400段の階段をひたすら登った。100段毎に看板が設置されていたのだが、段数がわかってしまう方がむしろ辛く感じられた。相変わらず霧は晴れず、階段の先がどうなっているのか全く見えなかった。不安を感じながらも階段を登り切ると、雨が弱まり空には晴れ間が見えた。ふと後ろを振り返ってみると、霧は晴れて麓の駐車場まで見渡すことができた。紅葉の色づきも見ることができ、絶景であった。キレイな景色を見るとやはり元気が出る。そこからはしばらく尾根の上を進んでいった。まだそこまで標高は稼いでいなかったが、既に雲は眼下に広がっていた。尾根歩きが終わると森の中に入り、傾斜が急になってきた。少し辛かったが、全身を使って登っていく感じがとても楽しかった。コースタイムより30分程早く赤薙山に到着し、そこで昼食をとることにした。
 赤薙山を過ぎてからも急な登りとアップダウンの繰り返しが続いた。決して楽なコースではなかったが、歩いていくにつれてコースの表情が変わっていき、飽きがこなかった。一か所ロープが設置されている岩場があったが、ロープを使うことなく登ることのできる程度のものであった。山頂手前30分程の地点から、空に突き出した美しい形の山頂がキレイに見えた。日の光に照らされたその姿は、僕が今まで見てきた山頂の中で一番美しいと感じた。
 一面シャクナゲが広がる尾根を通り抜け、山頂に到着した。休憩をしっかり取ってもコースタイムより45分早く到着したので、良いペースで歩くことができたと思う。山頂には誰もおらず(ここに来るまでに1グループとしかすれ違っていなかったので、この日霧降高原側のルートで登ったのは僕たちだけだったのではないか。)、静かに景色を楽しむことができた。男体山は雲に隠れてしまって見えなかったが、雲の切れ間から中禅寺湖は見ることができた。尖った美しい形のピークに看板が立てられており、やはりこの山頂はカッコいいなと感じた。
 30分程休んだ後、避難小屋に向けて下り始めた。しばらくガレ場を下っていったが、予想以上に足元が不安定だった。ガレ場を横切る箇所は少しヒヤヒヤした。登りで体力を使ったせいか、小屋到着まで思ったよりも長く感じられた。小屋に到着すると荷物を置き、暗くなる前に水を汲みに行くことにした。地図を見て不安には感じていたが、水場までの傾斜はそこそこ急であった。帰りにまたここを登らなければならないことを考えると、下るのが辛かった。水を汲み終わって戻ると、中高年の4人グループが小屋に到着していた。すぐに夕食の準備に取り掛かったが、コッヘルもガスも1セットしかないので、米を炊き終わるまで他の作業が進まず、時間がかかった。メニューは炊いた白米と各自持参したレトルト食品、僕が持参したコンビニのポテトサラダとチーズであった。夏合宿での経験もあり、米はうまく炊けた。調理の手際は少しずつ良くなっているのではないだろうか。(もう少しメニューに幅を持たせることができればなお良いのだが。)食後にコーヒーを飲もうとしたが、コッヘルで沸かしたお湯に米が浮くという問題の解決方法が見つからず、翌日の朝までおあずけとなった。日が沈むと寒さが厳しくなった。外に出て空を見上げると、まるでプラネタリウムのような星空であった。上半身はフリースなどを持っていたので問題なかったが、下半身の防寒対策が甘かった。寒くて寝ることができそうにないので、ダウンジャケットを足に巻いてシュラフに入った。他のグループが早々に寝てしまい、僕たちもやることがないので18時半ころには寝てしまった。

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10月17日  10:43(撮影:内海)
階段上展望台より、霧降高原
10月17日  15:10(撮影:辰川)
女峰山山頂(内海)

●2日目(10月18日)
 日の出を見るために日の出の時刻に合わせて起床したが、残念ながら小屋の前からは良く見えなかった。水を汲みに行った後、朝食の準備に取り掛かった。メニューは定番のインスタントラーメンであった。辰川さんが持ってきて下さったツナ缶とチーズをトッピングしたところ、予想を上回る美味しさであった。昨晩断念したコーヒーも無事飲むことができ、荷物をまとめて出発した。時間には余裕があり、下山後に東照宮などを見に行こうなどと辰川さんと話していた。
 小屋を出てから10分程で道が険しくなってきた。草木を押しのけて進む枯れた沢のような道が続き、足元も不安定であった。しばらく下るとガレ場に合流した。ガレ場があることは知っていたが、想像していた以上に危険な場所だと感じた。そして、踏み跡らしきものをはっきりと見つけることができなかった。少しおかしいと感じて、立ち止まって地図とコンパスを取り出した。地図上では進むべき方向は南東であったが、ガレ場は南西方向へと続いていた。ただ、少し先にガレ場の方向が変わっていると思われる場所があったので、ひとまずそこまで下ってみることにした。ガレ場の端を下っていき、目指した地点から下を見下ろすと、崖であった。ここがコースでないことは明らかであった。沢の途中で曲がるべき道があったのであろうと考え、来た道を戻り始めた。結構下ってしまったので、再び登るのは骨が折れた。下ってきたと思われる枯れた沢を登るが、どんどん草木が深くなってきた。こんなに深い草木をかき分けてきた覚えはない。登ってくる際には両側に注意していたが、道らしきものも見当たらなかった。ここで、完全に道に迷ってしまったことに気が付いた。しばらく周囲をうろうろしていたが、出口は見つからない。そんなに険しい道から沢のような道に入った覚えもなかった。再び少し下り、ようやく道と呼べなくもなさそうな箇所を見つけて入り込んだ。すると、同じような枯れた沢が再び目の前に現れた。何が起こっているかいまいち理解できなかった。ガレ場から戻る道をそもそも間違えたのだろうか。まだ時間は早いから大丈夫だと自分に言い聞かせたが、「遭難」という2文字が頭をよぎった。周囲を見渡して必死に道を探していると、何か青いものが動いているのが見えた。人であった。その横を見ると避難小屋があった。おそらく人生で一番ほっとした瞬間であった。
 小屋に戻って、一息ついて心を落ち着かせた。青い帽子をかぶった男性は、以前僕たちが下ろうとしているルートを通ったことがあるということだった。話を聞くと、そんなに険しい箇所はなかったとのことだった。おそらく枯れた沢に入った時点でもう道を間違えていたのであろうと推測し、再び出発した。コースを示すマークに細心の注意を払いながら進むと、見覚えのある枯れた沢が現れた。そしてまっすぐ前を見ると、枯れた沢をまたぐように道が続き、マークもしっかりと見えやすい位置についていた。これを見落として沢の方へと下っていってしまったようだった。注意力が欠如していることを痛感した。(当然であるが、)そこからの道は、先程と比べるとずいぶんと歩きやすく感じられた。だが、余計に2時間歩き回った身体的、そして精神的な疲れから黒岩までの道はずいぶんと長く感じられた。黒岩は眺望が良いと聞いていたが、ガスで真っ白であった。そこからの道も行きのルートと比べると単調で退屈に感じられた。水場が近づき、ようやく視界が開けたあたりで上さんと出会った。この先進んでも決して楽な道ではなく、黒岩に行っても眺望は望めないことを伝えると、僕たちと一緒に下山することとなった。まもなく上さん以外のメンバーも合流した。僕たち3人以外は景色のいい場所で昼食を取ってから下山することになった。そこからも順調なペースを維持して、気付くと二荒山神社の横に着いていた。
●総括
 今回は反省すべき点が多い山行となった。第一に、当日になって欠席者が出たことである。今回は偶然にも荷物の分担上、大きな問題は生じなかったが、テントなど重要な荷物を分担していたら山行を実施することは不可能であった。山行には一つのチームとして臨んでいるという意識を忘れてはならないと強く感じた。
 そして第二に、単純な注意力不足から遭難しかけたことである。道迷いは歩き始めに生じやすい、そして遭難事例としては沢を下っていってしまうことが多いということを聞いたことがあったが、これらを身をもって体験することとなってしまった。普通なら見落とさないであろうマークを2人ともに見落としたこと、そして怪しいと立ち止まった時点ですぐに引き返し始めなかったことは大いに反省すべきである。そして、道に迷ったときに冷静さを保つことができないということもよくわかった。この経験を部内で共有し、同じことを決して繰り返さないようにしたい。
 様々なことがあったが、女峰山は登りごたえのある、とても楽しい山であった。登るのであれば霧降高原からのルートの方が良いと感じた。もし再び行く機会があれば、より多くの部員で山頂を目指してみたい。

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10月18日  8:00(撮影:内海)
唐沢避難小屋内部
10月18日  8:23(撮影:内海)
迷い込んだ道

会   報
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■2015年10月16日  谷川連峰・白毛門沢  藤原 朋信(昭和44年卒)
           ******2015年11月8日投稿
1. 日時
2015年10月16日(金曜日)  8:55〜15:10(6時間15分)
2. コース
土合橋8:55―東黒沢入渓9:05―ハナゲノ滝9:30―白毛門沢出合9:50―タラタラのセン11:00−白毛門頂上13:00〜30−松ノ木沢ノ頭13:40―土合橋15:00−土合駅15:10
3. メンバー
中村雅明(昭和43年卒)  藤原朋信(昭和44年卒)
4. 天気  
高曇り(事前の天気予報は晴れ、関東沖合いの低気圧が予報より発達した影響で悪化)
5. 前書き
 白毛門沢は上越らしい快活なナメと爽快なスラブを楽しめる渓ということで、9月上旬に学生の太田貴之君(商学部4年)とチャレンジした。前日に裏妙義の谷急沢と二日連続の沢登りの予定で,泊まりは水上温泉にある知人所有の温泉付きリゾートマンションという贅沢な計画である。
 結果は山の神が安逸な登山者に懲罰を与えたものか、初日の裏妙義は谷急沢の入渓箇所を見つけられず沢登りは不発。やむなく、コースを変更して一般ルートから丁須岩に登った。その日は他の登山者に一人も会わず、不思議に思っていたが、横川から高崎への電車内で中学生がヒルだと騒ぎ出し (二人が持ち込んだ数匹のせいだが、当人達は夜、温泉に入って初めてヒル被害に気づく始末)、裏妙義が山ヒルで夏はブロックされている事を知った。
 二日目の白毛門沢は、まだ夏場の水量が豊かでスケールが大きなナメや滝を気分良く登って行った。天気も快晴である。どうやら神様のご機嫌も直ったかと思った頃、中間の大滝であるタラタラのセンを大きく廻り込む所で道を間違えルンゼに入り込んだ。急なルンゼで引き返すのは危険なので強行突破で上に抜けるしかなかった。
雪の重さで下向きに枝が伸びた急斜面の潅木帯を2時間掻き分け、足が攣りそうになった頃、漸く松ノ木沢ノ頭近くの登山道に飛び出た。
 最近、一発で完登できる山が無くなり、2度3度と通って完成するのが当たり前になった。これも歳のせいで仕方がない。できれば年内に再訪と考え、中村さんに計画を持ちかけた。中村さんは夏の水根沢谷ですっかり調子を崩してしまい、このままでは沢アレルギーに陥る危険性もあったので、それを克服する為に同行を決断された。折から、気候は秋の紅葉シーズンに入っていた。
6. 当日の記録
 日ごろ、登山には金をかけないことで意見が一致している二人だが、秋の、日の短い日帰りでは、致し方なく新幹線利用で上毛高原に向う。天気の予報が外れ東京は雨である。高崎を過ぎた辺りから曇り空に変わる、ただ視界は悪くない。
 土合橋から暫く白毛門登山道を辿り、分岐点を過ぎた地点から東黒沢に下りた。
東京近辺の沢に比べて川幅が広く気分も良い。暫く川を右、左と渡りながら進むと、長大なナメ『ハナゲノ滝』だ、休憩タイムではないがカメラタイムで休憩する。
 二股を左に白毛門沢に入ると、階段状のナメや滝が連続する。滝は直登するまでも無く沢のどちらかに巻道がある、前回は太田君が巻きすぎて下りるのに難儀したので、早めに本流に戻るようにする。白毛門沢は関東の山や沢にベタベタあるテープ類がない分、各人の判断が正確なルート探し、ひいてはコースタイムに影響する。
 遡行し始めて、2時間弱でタタラのセンの巻き道にかかった。前回迷い込んだルンゼに着いて周りを見渡すと、ルンゼを2m上がった地点の右側潅木帯に踏み跡があった。潅木を掻き分け右にトラバースし本流に戻る。ここが白毛門沢の大ナメ滝及び大岩の直下である。40日かけて、今、正しいルートにいる事に満足し昼食とする。
 初めて目にした大ナメ滝と大岩を過ぎると、水流も細くなり、やがて源流の雰囲気が濃くなった。乾いた白いスラブが頂上に向って真っ直ぐ伸びている開放的な空間だ。軽い岩登りの感覚で頂上に迫る。左手にジジ岩とババ岩が近い。最後に笹薮の踏み跡をひと登りすると、そこが白毛門の頂上であった。平日ということで沢では誰にも会わなかったが、頂上には3組のパーテイーが憩っていた。
7. 感想
 天気は今ひとつだったが、それでも紅葉が山一面に広がる絶景と、爽快な沢のぼりを楽しむことができた。懸案を来年に残さず終えたので大いに満足し帰路についた。



▼写真をクリックすると大きく表示されます
10月16日  9:28(撮影:中村)
ハナゲノ滝
10月16日  10:03(撮影:中村)
上部トイ逆くの字ナメ
10月16日  11:12(撮影:中村)
大ナメ滝上の大石
10月16日  11:32(撮影:中村)
二俣手前のナメ
10月16日  14:03(撮影:中村)
松ノ木沢ノ頭下付近の紅葉



会   報
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■2015年9月28〜30日 北岳バットレス第4尾根往復登攀 金子 晴彦(昭和46年卒)
             *********** 2015年10月18日投稿(PDF版)

  ※ここをクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全60頁 写真107葉


33頁 マッチ箱 正面に中央稜、左手に城塞(右端の3角形の岩が崩落)


34頁 マッチ箱からアップザイレン 正面に圧倒的に中央稜が聳える


 【メンバー】
   竹中 彰(昭和39年卒)、藤原 朋信(昭和44年卒)、金子 晴彦(昭和46年卒)
 【行程】
* 9月28日 広河原(11:00)− 二股(13:25:偵察)− 御池小屋(15:00)
9月29日 御池小屋(5:27)−5尾根末端(7:20〜40)−dガリー横断ポンイト(8:20) − 四尾根取付(9:05)
−マッチ箱(12:45〜48)− 6回の50m懸垂下降−5尾根取付(15:51〜16:06)−御池小屋(17:21)
※5尾根取付からマッチ箱までほぼ5時間、同じコースを下るのに3時間20分
※12時間の行動時間
9月30日 竹中  
御池小屋(7:15)− 二俣分岐(8:359 − 広河原(9:00〜10:15) − 甲府(12:00)− 帰宅

藤原、金子  小太郎山往復後帰宅
御池小屋(5:35)−小太郎尾根分岐(6:50)−小太郎山(7:50)−小太郎尾根分岐(9:17)−
御池小屋(10:00)−広河原(11:00)


●北岳バットレス顛末  竹中 彰(昭和39年卒)
              *********** 2015年10月15日HUHACメールから転載

 懸案のNMKB(Nakagawa Memorial Kitadake Buttress)に決着をつける時が来た。
2010年、最初に壁に向った時の最長老メンバー中川さんの年齢に追い着き、体力、気力からして今年が最後の挑戦と定め、十分とは言えないまでも月に1回のクライミングトレーニングを藤原さんの指導で続けてきた。しかし、成果を問うべき入山日程が定まらない。この夏は梅雨明け10日は何とか暑い夏が続いたものの、旧盆過ぎからはエルニーニョの影響や台風やらで不順な天候に見舞われ、8月下旬から9月中旬にかけてイライラと天気図と睨めっこの日が続いた。
 最終的に9月下旬の移動高気圧に覆われる日を登攀日とすることとし、他のスケジュールを見ながら待機が続いたが、この間関係者に少なからず迷惑を掛けたことをお詫びしたい。予想に反して意外に早くシルバーウイークの連休が晴天続きとなり、これはタイミングを失したかと不安が過ぎったが、最初からこの大連休に山に向うプランはなかった。連休明け後少しぐずついたが、9/28−30には再び晴天が続く見込みとなった。
 ボチボチ初雪の声も聞こえ始めたので、この機を逃したらチャンスが無くなると考え、計画実行を9月ギリギリに定めた。この間遅く発生した台風21号の動向も気になったが、幸い大きく西へ逸れて大陸方面に抜けた。
 結果は第四尾根完登ならず残念であったが、中川さんの発想から長年に亘って同じ目的に向って努力した針葉樹会のシニアの仲間を含めて貴重な成果が得られたと思う。個人的には、ここに来て73歳という年齢の限界は感じざるを得ない。寂しいことではあるが・・・。
 これで区切りが付いたので、厳しい岩登りからは足を洗うことも決断できた。
 嘗て思い描いたバットレス後に剣岳のチンネ、なんぞは夢のまた夢である。
 この間協力頂いた多くの会員には感謝の言葉以外ない。特に当初からサポート隊を買って出た本間さん、今回はスケジュールの都合で参加が叶わなかったが、2010年の中川さんの時以来献身的なサポートを続けて頂いた。また、当然のことながら、この3人の平均年齢69歳のパーティーの登攀リーダーとしての役割を果たし、近郊のゲレンデ、廻り目平等で小生の毎月の岩場トレーニングの指導に当ってくれた藤原さん、2014年9月と今回のチャレンジに遠路岡山の地から参加してくれた金子さんには感謝あるのみである。

                             ・・・・  中略  ・・・   

 かくて、中川さんの発意でスタートし、嘗て山田亮三先輩が登山再開して46歳時(昭41/9)に完登したバットレス四尾根への高齢パーティーの挑戦は終った。
 残念な結果ではあったが、チャレンジした過程を含めて自分なりに評価できるものであった。この間の皆さんのご支援、ご協力に改めて感謝したい。
  ※本稿は「NMKB北岳バットレス第四尾根への最終挑戦 2015年9月の記録」より抜粋

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9月29日  11:23
四尾根コーナークラックを行く藤原
9月29日  12:07金子を確保する藤原
- -
9月29日  15:06
マッチ箱からテラスに戻る
藤原、金子
9月29日  15:23
四尾根を下降する金子
 
9月30日  5:35
モルゲンロートの北岳


●2015年10月7日 竹中さんへのメール  藤原 朋信(昭和44年卒)

 竹中大兄   記録改めて読ませて頂きました。今回の北岳登山が時系列に余すところ無く記録されており感服しました。さすが我等の会長です!
 今から振り返れば 反省点も多々ありますが、この年齢トリオできついアプローチ、下部岩壁、横断バンド、潅木帯を突破し、且つ4尾根核心部のコーナークラックを越えて、ピラッミドフェースの頭まで到達したのは快挙だと思います。
 また、そこから懸垂の連続で無事取り付きまで下りたのも、これまでの成果実力があって出来たことかと思います。

反省点は
@私が横断バンドで不注意から落下し(金子さん止めてくれてアリガトウ!)、右ひざ、手の甲を打撲して無理が出来なくなったこと(城塞ハングを突破するのに不安が生じた).
Aコーナークラック下のリッジで、ショルダー等の方法で時間を費やさずに突破すべきであったこと。
B日頃の練習がフリークライミングのみで荷物を持ったクライミングが無かったこと。
C予備ザイルを持参せず、懸垂時に故障あれば立ち往生の事態も有り得たこと等々でしょうか。いずれにしろ老化の最大の弱点は判断の劣化で致命的なミスをおかすことと思いますが,我々
は無事に帰還できました。文句なしに良くやったと自分達を褒めてあげましょう !!

●2015年10月1日 藤原さん、竹中さんへのメール  金子 晴彦(昭和46年卒)

 藤原様 竹中様 本日岡山に戻りました。7年間、諦めずに(一時期諦めたが)やって来て最良の天候に恵まれ、宿願を果たす事が出来ました。藤原さんには何から何までお世話になりっぱなしで、これは中国地方の山巡りアッシーとして何らかのお返しをしなければと切実に思った次第です。竹中さんには変わらぬ熱意を教えられました。今後はのんびりした山旅をお楽しみ下さい。登攀中に撮影したものを編集していずれお見せしたいと思います。有り難うございました。


会   報
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■2015年9月23〜26日 北アルプス山行記録 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)

     ****** 2015年10月13日投稿 ******

○メンバー
 ・高橋直道(法4)・太田貴之(商4)・大矢和樹(法2)・水洞章夫(法2)・坂本遼(法1)

○コース及び所要時間
 1日目(23日)
  中房温泉12:10→合戦小屋15:05→燕山荘前16:05
 2日目(24日)
  燕山荘前5:50→燕岳6:20着、6:45出発→燕山荘前7:15着、テント撤収、燕山荘前8:10出発→
  大下りの頭8:55→小林喜作レリーフ10:55→大天荘11:35着、小屋で休憩し12:10出発→
  大天井岳12:30到着→大天荘12:45着
 3日目(25日)
  大天荘8:10出発→常念小屋10:30→常念岳12:05→常念小屋13:20着
 4日目(26日) 
  常念小屋5:35出発(アタック隊:高橋、太田、大矢)→常念岳6:25着、6:40出発→
  常念小屋7:40着、8:15出発→笠原沢9:50→一ノ沢登山口11:35着

○概況と反省等

●一日目(23日)

 この夏は、すでに人生初のアルプス登山として、北岳に行ってきたわけであるが、ついに憧れであった北アルプスに初めて挑むことになった。穂高駅に向かう旅路、あずさに揺られながら、遠くを眺め、ずいぶん高いところに行くのだなあとぼんやり感じた。穂高駅から中房温泉まではバスであるが、南アルプスの広河原に甲府駅から入るのと比べて、ずいぶんあっという間についた印象である。中房温泉には、シルバーウィーク最終日ということもあり、おそらく燕岳に登って、下山してきたのであろう人たちで溢れかえっていた。中には3歳くらいの幼い子供もいて、随分頑張ったのだろうなあとしみじみした。中房温泉で持参した昼食をとりながら、目をふと山の方に向けると、最上部が紅葉で染まっているのが目に入り、登った先がどうなっているのかとても楽しみであった。

 事前に調べたため、この合戦尾根は北アルプスの中でも急登であり、丹沢の大倉尾根の比較的よく似ているということは知っていたが、実際に登ってみると、確かに様相は似ていたように感じる。急な登りと、時々現れる平坦な道のコントラストがそっくりである。しかしながら、丹沢のようにスピードあげて歩けたかと言われれば、そうではなかった。さすがに75リットルザックパンパンに詰め込んだ状態での歩行であったから、スピードはかなり落ちてしまい、結果的にはコースタイムと同レベルくらいのタイムであった。登っている際にも、連休最終日を感じさせるかのように多くの下山客とすれ違った。

 合戦小屋のあたりまで登ってくると、あたりの木々の葉が黄色や赤に色つきはじめていることに気付いた。合戦小屋の付近のベンチにはほとんど人もおらず、とても静かであった。合戦小屋から燕山荘までは、等高線をみる限りそれほど大変ではないのかなと思ったが、そんなことはなかった。だんだんと標高が高まるにつれ、木々の高さが低くなるので、見晴らしは良くなっていき、道の両側に紅葉が広がっているという状況だった。しかしながら、さすがに高低差1000メートル以上登っていることもあり、皆の関心は、あと小屋までどれほどなのかということに集中していたように感じる。とはいっても、休憩をとり、少し落ち着くとその美しさに心を奪われるのである。次第に、頭の上に広がっていた青空は曇り始め、気付くと沢からもくもくと霧が上がってきて、たちまち視界が悪くなった。ほんの10分ほどでいったんは、まっ白になってしまい、山の天候の変化の速さに驚かされた。そうこうしているうちに、霧の中、燕山荘前に到着した。

 しばらくすると、霧が晴れてきて眼下には美しい雲海が広がっていた。実際に眼下が完全に埋め尽くされるような雲海は始めて見たので、非常に感動した。

 日が暮れるか暮れないかという時間帯に、夕食を作り始めた。夕食はテントごとにテント内で作った。外は日暮れにはだいぶ寒く感じられたためである。この食事に感じては一つ反省点がある。それは、軽量化を意識するあまり、α米やフリーズドライばかり持って行ってしまい、生の食べ物(缶詰等)を一切持っていかなかったことである。一日目はよかったのであるが、三日目には少し飽きが来てしまった。しかし、先輩方から肉料理を分けてもらいほっこりとした気分であった。とはいえ、山の上であるから水と食料にありつけるだけでもよいと感じるのである。水もさすがに2700メートルという高地にあっては、1リットル200円かかった。これほど水が貴重で、尊いと思う機会も、日本にいては、山に登っていなければそうそう感じることはないであろうから、良い経験であるといえるだろう。また、テントの数は極めて少なく10張りほどしかなかった。燕山荘前2泊目の方によれば、連休中は本来50張しか張れないはずの敷地に70張ひしめき合っていたという。こんな静謐な状況は大学生の時くらいしか味わえないのだろうと感じると、これも非常に貴重なひと時なのだろうと思った。

 夜7時も過ぎれば、あたりは完全に漆黒の闇の中に包まれた。雲は少なく空気は澄み切っていた。空には月が煌々と照っていたので、星はあまり良く見えなかったが、月の周りにうっすら輪が見えるという現象を目にした。さらに感動したのは、稜線の見晴らしの良い所に行くと、北アルプスの黒部五郎岳をはじめとする裏銀座の山々及び槍の穂先がうっすらと闇の中に浮かんで見えたのには震えるほどに感動した。さらに裏銀座の稜線上にはおそらく登山客のヘッドランプと思われる光がうごめいているのも確認することができた。しばらく眺めた後、20時頃に就寝した。

●二日目(24日)

 二日目は三時半に起床した。外に出ると、やはり寒かったが、眼下には安曇野市の夜景を見ることができた。起きて一通りの用事を済ませて、朝食を作り食べた。朝食にはコーヒーを飲んだわけであるが、コーヒーを持参したのは前回北岳山行の時の反省からである。

 さすがに自身三回目のテント泊になると、だいぶ手際が良くなるらしく、予定より50分ほど早く出発の準備が整った。日の出まで暇なので、ずっと東の空を眺めていることにした。日の出三十分前ほどになると、東の空は真紅に染まり始めた。そして、日の出の時間に向かって徐々に稜線全体が光に照らされるようになっていく。他の登山客も、みな東の空を見て、いまかいまかと日の出の時を待っていた。そして、5時30分過ぎ、ちょうど浅間山のあたりから太陽が登った。眼下は雲海であったが、南東から、南アルプスの山々、富士山、八ヶ岳連峰、美ヶ原、浅間山、日光の山々、妙高連山が雲海からちょっぴり顔を出しており、とても幻想的な風景が広がっていた。

 日の出後、その景色に魅了され、写真をとるなり眺めるなどすること20分、ようやくテント等の荷物を放置して、燕岳の山頂を目指した。道は極めて歩きやすく、高低差もさほどなかった。途中には、有名なイルカ岩や眼鏡岩も確認することができた。後半は徐々に岩が増えてきたものの、さほど足場に困るということはなく登ることができた。こうして燕岳に登頂することができた。燕岳登頂時は非常に天気がよく、360度の大展望であり、遠くの山々まで全てはっきりと見渡すことができた。北を見れば、立山、剣岳等も見え隠れしていた。相変わらず、南アルプス、富士山、八ヶ岳の姿をはっきり捉える事が出来た。ここに関しては燕岳山頂からのパノラマ写真を参照されたい。しばらく山頂にいると、新たに登山客が登ってきたので、ここで集合写真を撮った。

 燕岳から下ってくると、数人の登山客が立ち止っていた。事情を聴くと、ライチョウを見かけたということのようであった。教えられた方を見てみると、一羽のライチョウが岩の間に見え隠れしているのが見えた。はっきりとライチョウを見たのは初めてであったので、感動した。そうこうしているうちに燕山荘前に到着した。そうして、いそいそとテントを片づけ、燕山荘を後にした。

 歩き始めの気温は高めで、長袖1枚で歩いてちょうどよいレベルであった。道もほとんど平らであり、歩きやすかった。天気も良く右手に裏銀座と槍・穂高連峰、目の前に大天井岳を望みながらの稜線歩きは、この上なく気持ちの良いものであった。大下りまではコースタイムよりやや早いペースで、極めて快調だった。大下りの頭からのくだりもジグザグ下っていくような道であったので、非常に下りやすかったように思う。しかしながら、大下りを下ったあと、切通岩までは想像以上に時間がかかった。それほどペースが落ちたとは思えなかったが、確かに少し急なところや道がかなり細くなっているような場所も少なくなかった。

 一番ひやっとしたのは、小林喜作レリーフの箇所にある鎖場である。この鎖場は一見どこに足を置いたらよいのかわかりにくく、やや怖さを感じたが、短い距離だったこともあり、難なく通過することができた。実に予想では午後から崩れるはずであった天気は早くも午前中からあやしく、途中からはポツポツと雨が時たまぱらついたりもした。そして、切通岩からはひたすら大天荘まで登りであった。ちょうどこの道を歩き始めてしばらくして天候が崩れ始めた。この登りが個人的にはなかなか厳しく、周りの様子などはほとんど見る余裕もなかったものの、雲が出始めたことははっきりと認識できた。大天荘に着いたころには、雨がしっかり降り始めた。かなり一気に天候が荒れてきたので、一度小屋の中で食事をとることで、今後の予定等を考えた。その結果、とりあえず大天井岳にアタックすることになった。雨は少し小康状態になっていたので、途中までは登りはさほど大変ではなかったが、まもなく頂上に近づくにつれ、明らかに風が強くなった。足元の石を見てみると、寒さからか、一部凍結しているものも見られた。

 そんな状況下にあったので、大天井岳では、視界がほとんどきかず、風と雨がより一層強くなってきたので、早々に下山してしまった。そして、天候の悪化から、常念小屋を目指す当初の予定を取りやめ、大天荘以遠へ、歩を進めることを断念した。大天荘につくと、まずは雨の中、なんとかテントを立てた。雨風の中でテントを設営するのは初めてであったが、慣れていたので問題はなかった。しかしながら、ペグを打ち込む作業等で、手が雨にぬれた状態でいると、一気に寒さを感じた。しかしながら、先輩が立てたテントは、テントの不備が原因なのか、あっという間に冠水してしまったようで、使い物にならなくなってしまった。さらに、より一層雨風が強まってきて、その日テント泊をするのは危険であろうとの判断から、全員小屋泊になることが決まった。そして小屋についてからは、のんびりしていたが、なぜか若干頭が痛くなったので、午後は横になっていた。

 夕方になると、夕食を作った。談話室での火器使用が認められる上、水もタダで使えるというから随分と恵まれた山荘であった。夕食を食べ終わった後は、次の日も朝早い予定であったので、テレビに流れていた天気予報を見て、早々に就寝した。部屋は我々、山岳部で一部屋与えられていたので、非常に寝やすい環境だったといえるだろう。しかしながら、外では風雨が強いようで、小屋に打ちつける雨音が時折激しく聞こえていた。

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9月24日  5:35(撮影:大矢)
燕山荘前からの日の出


9月24日  6:30(撮影:大矢)
燕岳頂上
(後列左から坂本、水洞、大矢)
(前列左から太田、高橋)

9月24日  6:30(撮影:大矢)燕岳山頂からのパノラマ (左から坂本、水洞)


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9月24日  6:28(撮影:大矢)   燕岳山頂からの動画


●三日目(25日)

 三日目も一応三時半頃起床した。相変わらず、雨風は強そうではあったが、昨晩に比べると少々マシであったが、この時間に起きていた太田さんと話した結果、天気が改善しないようであれば、この小屋にとどまることも視野に入れ、原則は燕山荘方面に引き返すことにしていた。そして、とてもではないが午前四時の時点では歩を進めることのできる状況ではなかったので、午前六時にもう一度起床することにした。

 午前六時に外を見ると、二時間前に比べて相当状況は良くなっていた。そこで、とりあえず、天気が安定しているうちに常念小屋まで向かうことにした。そのため、朝食をとると、早々に外に張りっぱなしになっていたテントをかたづけた。テントは水を含んでいて、とんでもなく重くなってしまった。

 大天荘を出発する頃には、雨はほとんどあがり、霧が出ているという程度になった。天気がやはりそれほどよくはなかったものの、大天荘から横通岳まではかなり歩きやすい部分が多かったので、助かった。まず、大天荘を出てしばらくは、ほとんど平らな道であった。濃霧であったので、景色は一切見えなかったが、それでも稜線歩きの良さは感じられた。しばらくすると少々長めのくだりがあったが、ここもやはり道は砂がベースで時々岩が顔を出しているという程度であったので、極めて歩きやすかった。そして、しばらく進み、東天井岳が見える位置にくると、道沿いに数羽のライチョウを見ることができた。この日は特にライチョウが多く、横通岳付近に到着するまでに10羽以上のライチョウに出会うことができた。もしかしたら、東天井岳から横通岳にかけてはライチョウの観測スポットなのではないかと感じるほどに集中していた。

 また、この日は度度述べているように、天気が悪く、結局、常念小屋に到着するまで、ひとっこひとり人と会わなかったくらいには人の数が少なかったため、ライチョウも安心して道沿いにもやってきていたのかもしれない。途中横通岳に着く直前にはかなり大きめの水たまりが散見され、通るのが少々大変な箇所があった。そして、横通岳の直下で休憩し、進もうとしたところで問題が起こった。一見したところ登山道のように見える道が2本現れたのである。太田さんが少し歩いて確認したところ、どちらが本道かはわかったのであるが、少し危なかった。なぜなら、間違った道の方は、登山道のような様相を呈しているのに対し、本物の登山道のほうはごつごつした岩の連続で、一見登山道には見えないような状態だったからである。

 後から調べたところ、間違った方に下っていた場合には、沢に下りてしまい、しかも数個滝が連続しているというような危険なところであったので、気をつけなければならないなと感じるとともに、霧の中を行動する難しさも思い知ることになった。横通岳からはひたすら常念小屋までそれまでに比べればやや急な道を下ることになった。途中からは、木も生え始め、常念小屋が森林限界よりも標高が低いことを知ることになった。

 想定よりも早い時間に常念小屋についたので、少々休憩し次第、とりあえず蝶ヶ岳まで行くことを決めた。この時点では、霧がかかっていて小雨が降っているという状況であったが、コースタイムの通り歩ければ、蝶ヶ岳につけるかもしれないなと感じたからである。しかし、そこまで甘くはなかった。

 常念岳は下から見上げる限りかなり急そうであった。登り始めてみると、ジグザグ登っていく感じではあったが、完全に岩場でありなかなか大変であった。特に、岩は濡れていてすべりやすかったので、慎重に歩こうとするあまり、スピードが遅くなってしまったりした。さらに、雨をたっぷり含んだテントをザックにしまっていたため、だんだんと重さを感じるようになり、足取りも重くなり始めてしまった。それでも、岩に書かれている「○」や「×」を目印にもくもくと登った。もちろん、あたり一面霧であったから、全く景色は見えず、ただ頭上の山頂を見上げながら登った。ある程度登って、いよいよ山頂かと思いきや、霧の向こうにより大きい山頂のようなものが見えた瞬間は、やはりガクッときた。どうやら、下から見えていたのは常念岳の8合目であった。この時点で、この時点で悪天候や疲れ等も重なり、相当ペースが落ちていたので、三日目はやむなく蝶ヶ岳行きを断念し、常念岳に登ったあとは常念小屋に下ることを決めた。

 そうときまれば、山頂にバッグを持っていく必要はないであろうということになり、一同8合目にザックを置いて、常念岳を目指した。8合目からは少々平らな場所があったが、最後常念岳直下の岩登りはなかなか厳しく、岩がつるつる滑るので、慎重にきした。そして、小雨の中何とか常念岳の頂に立った。晴れていれば、大層きれいな風景が広がっていたのだろうなあと思うと残念であった。下りは、より一層滑落に注意しながら、慎重に下った。常念岳に登って感じたのは、やはり岩場歩きの経験がまだまだ少ないということで、もっと慣れる必要があるなということである。結局、行きとほとんど同じくらいの時間をかけて、常念小屋に下った。

 小屋に着くと、まずは、身の廻りの物をかたづけたり、乾燥室にものを置きに行ったりなどして、のんびりと昼食をとった。昼食はあまっているパンやお菓子になったが、これらのものだけでもある程度腹にたまるので、満足である。常念小屋は昨日の大天荘に比べて、標高が400mほど低いうえ、大きいので、かなり小屋内はあったかかった。午後は、団らん室で、発表された成績及び、履修について話していた。

 夕食は17時頃には作り始め、食べはじめた。先輩たちは国立名物「すた丼」を想定した肉ご飯を作っていたので、肉を少し貰ったが、非常にうまかった。常念小屋に至っては、そもそもお湯が用意されていたので、そもそもお湯を沸かす必要すらなかった。
 三日目も、次の日の朝は午前4時起きを想定しているので、早めに就寝することにした。

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9月25日  8:35(撮影:大矢)
大天井岳〜東天井岳
(前から太田、高橋、坂本、水洞)

9月25日  9:40(撮影:大矢)
大天井岳〜東天井岳
(ライチョウ)


●四日目(26日)

 ついに最終日になったわけではあるが、この日も午前4時にしっかり起きることができた。外に出てみると、晴れていて、星空が広がっていた。北側を見れば、昨日はほとんど見ることができなかった横通岳が見え、登山者のヘッドランプの光も見えた。その後、4時半過ぎから朝飯を作って、食べたわけであるが、ここで部長から提案があった。「もう一度常念岳に登らないか」というものであった。僕は、もう一度登って景色を見たいという気持ちが強かったので、登ることを決めた。結果的に、荷物は常念小屋に置き、日の出とともに、部長、太田さん、ぼくの3人で常念岳を再アタックすることになった。

 この日も眼下にはっきりと雲海を見ることができた。そして遠く雲海の彼方から、太陽が昇ってきたのを確認するや否や、常念岳に向けて出発した。それまでの二日間とは打って変わって、かなり晴れており、常念岳の8合目も下からはっきり確認できた。登っている感覚は、前日悪天候の中ザックを持って登っていた昨日のそれとは裏腹に、気持ちよく軽快に登れているなあというものであった。みるみるうちに眼下の常念小屋は小さくなり、対側の横通岳付近の登山道がはっきり見えてきたので、昨日はあんな高い稜線をあるいていたのだなと感慨に浸ったとてもではないが、昨日の濃霧の中では、そのような高い位置の稜線を歩いているという自覚は、あまりなかったからである。

 そして、前日のおよそ6割程度の時間で、常念岳の頂に立つことができた。昨日は全く見ることのできなかった蝶ヶ岳方面へ伸びる登山道もはっきり見え、次回は、きっちり蝶ヶ岳方面へ縦走したいという気持ちに駆られた。北側を見れば、それまで登ってきた山々がそびえ、達成感を得た。しばらくすると、それまで少し雲がかかっていた、槍・穂高連峰が眼前に現れて、その雄大さに言葉を失った。この日も、はっきりと富士山を観測することができた。どこへいっても、まず富士山を探し、そして見えると無性にうれしくなるというのは、やはり日本人としてみな持ち合わせている共通の感情なのだろうと悟った。

 長々と頂上にいるということはしなかったが、いずれまたこの地に帰ってきたいと感じながら、常念岳の山頂を後にした。下りも、これまでの路で比較的長い間岩場を歩いてきたこともあり、少し岩場歩きになれたように感じ、スムーズな歩行をすることができた。下っているときには、岩陰にリスのような動物を見かけた。

 小屋に下ってくると、少々出発の準備をして、小屋を後にした。そして、およそ2日半過ごした常念アルプスの稜線にさよならを告げた。下り始めは地図を見て予想していた通り、少々急であった。僕たちが下っていると、早朝に一ノ沢に着くバスから降車して登ってきたのであろうか、駐車場で一泊したのであろうか、かなり多くの登山客とすれ違った。道はところにより、かなり狭く、対向者とのすれ違いが困難な箇所も少なくなかった。しかしながら、常念岳へのメジャーコースとだけあって、定期的にベンチが設置されているなど、比較的整備されているという印象を持った。どんどんひたすら下っていくと、次第に沢を流れる水の音が大きくなり、開けた。

 この、最初に開けたあたりは上部の方に石等が崩れてきた形跡があり、注意が必要である。その後、道は沢に沿うようになったのであるが、二か所ほど橋がないのに沢を横切る箇所があった。沢は比較的増水しており、流れも速かったため、少し渡るのに慎重になった。さらに下り、標高2000メートル付近には胸突八丁という箇所があるのだが、ここから比較的傾斜が緩やかになった。石はあいかわらず多かったが、標高を下げると、石の数は少なくなり、大きさも比較的小さめになった。また、休憩のときなどに、振り返ってみると鮮やかな紅葉が見え、心の癒しになった。しかしながら、下り始めてしばらくたったころには、常念岳の上部はすでに霧がかかっていて見ることはできなかった。一ノ沢コースの中盤はとにかく長いという印象を受ける。

 しかし、傾斜が緩やかなので歩きやすく、苦には感じない。途中、あたりの草がうっそうと茂っていて、日が当らず、じめじめしているところもあれば、かなり日は差し込むものの、沢の流れの関係で、登山道にも普通に水が流れているような箇所もあった。途中、数回ほど本沢や支流を渡ったが、すべて橋があり、しかもしっかりしていたので安心感があった。最後、残り1.5キロメートルほどになると、あたりは霧に包まれた。しかし、そんなに濃くなく、登山道もはっきりしているので、ひたすらに下った。そうして、11時半過ぎに一ノ沢登山口に下った。登山口には、朝、山小屋で予約したタクシーが停まっていたので、スムーズに穂高駅に向かうことができた。下山場所では、どこかの大学の方が、登山客の意識調査をしているらしく、アンケートに答えるなどした。

 帰りのタクシーの運転手の方に伺ったところ、これほど登山客が増えたのは、ごく最近のことらしい。中には関西方面からのお客様も、下山してその日のうちに地元まで帰る方もいるということを聞いて、大変驚いた。そうこうしている間に最初の出発地、穂高駅に到着した。おそらく、この日も多くの登山客が、自分たちが今登ってきたところへ登りに行くのだろうと思うと、なかなか感慨深かった。そうして、僕らは100周年を迎えた大糸線に揺られ、松本駅で下車して信州そばを食すと、帰宅の途に就いた。

 今回の山行を統括するならば、「かなり多くの要素を含んだ収穫の多い貴重な登山であった」ということができよう。一部には鎖場、またガレ場や岩場も少なくなく、一方で天気に目を向ければ、晴れ、曇り、雨、風、霧といった様々な気象条件の中に身を置いていた。また、常念岳には二回登ることによって、天候の良し悪しで、これほどまでに印象が変わるのだということに気付いた。天候の悪化による計画の変更は残念であったが、また、変更せざるをえないのだということを学ぶいい機会になったともいえる。今回の山行で気付いたこと、学んだことを生かして、これからの山行に活かしていきたいと感じた。

9月26日  5:55(撮影:大矢)    常念岳頂上直下 (上から高橋、太田)


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9月26日  6:27(撮影:大矢)  常念岳山頂からの動画



会   報
***

■2015年9月5〜6日 初秋の妙高山  加藤 博行(昭和51年卒) 
          *********** 『針葉樹会報』第134号より転載(改訂版)

 9月6日、我々9人は早朝5時前から夕方5時近くまで、約12時間に亘る妙高山(2454メートル)登山を終え、燕温泉に戻り、ずぶ濡れの雨具と服から解放されて、熱めの温泉に頭から浸かっていた。立ち込める硫黄泉の匂いで満たされながら、長かった今日一日の登山路を振り返り、全員無事登らせてくれた故郷の山に感謝した。

1.懇親山行「越後シリーズ」

 5月連休明けに、佐藤(久尚)さんより、三井さんが長く続けてこられた「越後シリーズ」の地元幹事を引き受けるようメールで依頼が来たことが、きっかけだった。昨年は、私のいる地元三条の粟が岳登山を5人の会員にご案内したが、暑さで途中ギブアップとなり、おまけに蛭にかみつかれ、何人かが血まみれになった。弥彦温泉に泊まり、翌日の弥彦山登山を期したが、こちらも雨天中止で皆さん散々だったことから、幹事の要請は少し気が重かった。今度こそ東京から来る諸先輩方に何としても越後の山に登頂して帰ってもらいたいと思う反面、山によっては足並みがそろわず、全員に満足のいく山行プランは容易ではない。
 最初の案は柏崎西方にある端正な「米山」(983メートル)にのんびり登って佐渡を遠望し、海岸べりの温泉に宿泊して、日本海に沈む夕日を眺めるプランを考えていた。米山は、薬師如来を祀った現世利益のある山であり、この山ならどなたも登ったことがないだろうし、多分全員ご利益で登れるから大丈夫だと考えた。ところがその後佐薙大先輩が「妙高山」をご指名とのこと。いやこれは大変だ、登山スタート地点から1400メートル近い高度差は、健脚でも往復のコースタイム9時間の長丁場、失礼ながら平均年齢は70歳を超える諸先輩が集団で登れるものか不安になった。妙高山は、阿弥陀如来を祀った来世利益の山である。佐薙大先輩は、現世利益よりもはや来世利益を考えておられると理解した。
 スカイケーブルを利用する新赤倉温泉からの少し易しいルートは、始発便が午前7時半でこれではとても明るい時間に帰ってこれない。結局明治時代より百年の歴史ある燕温泉から北地獄谷を登るクラシックルートしか選択肢はなかった。

2.北陸新幹線で行く妙高登山

 昨年の針葉樹会報第131号(2014年11月)に、「上越後(かみえちご)の山・海・風土」の拙文を寄せたが、その中で、間もなく開通する北陸新幹線の話題に触れた。
 既に北陸新幹線は3月に開業して以来、連日北陸方面は大盛況だが、案の定速達型の「かがやき号」が素通りする上越妙高駅は今一つ盛り上がりを欠き、それでもテレビに放映される機会は増えた。
 また時を同じくして「妙高戸隠連山」が新しい国立公園に指定され、地元は観光復興に望みを賭けている。(実際は上信越国立公園が広すぎるので、妙高戸隠を分離したもの)
 少し俗っぽいが、今回の越後シリーズは、「北陸新幹線上越妙高駅を利用した前泊日帰り妙高登山」をキャッチコピーとして、素案を作り、在京幹事の宮武さんに送って、参加者の募集をお願いした。
 計画作成にあたり、7月下旬、鉄道やバスの接続状況、予約した宿と登山路の下見に出かけた。下見ルートは、出発地から北地獄谷ルートを登り、妙高山頂上への尾根にある標高1935メートルの天狗堂に至るまでである。まだ沢筋には雪も残っていて涼しい箇所もあったが、樹林の中の猛暑でバテ、これは本当に登頂は容易ではないと悟った。
 あとはメンバーの足並みと天候次第だが、9月は残暑厳しい頃であり、苦しい登山になることが想定された。参加メンバーは、佐薙さんを最長老に、小野さん、小島さん、岡田さん、吉沢さん、中村さん、宮武さん、そして若手では、福島より斎藤君が駆けつけてくれて心強かった。

3.燕温泉でのひと時

9月5日 新幹線組を上越妙高駅で迎えて在来線に乗り換え、関山駅下車。
      午前中2本しかない燕温泉行に6名が乗り、残り3名が車での現地集合となった。

 燕温泉は、標高1100メートルにある日本の秘湯百選にも選ばれた名湯で、少し麓の関温泉、赤倉温泉と並んで、古くからの愛好者が多く、週末には近隣から温泉好きが無料の露天風呂に入りに来る。
 今年の初秋は、予想に反して雨模様の日が続き、残暑がなかった。この週末も長雨が続く中、わずかな晴れ間が期待されたが、霧に覆われていた為、妙高山の絶景ポイント周遊散歩は諦めた。当初妙高から雨飾への縦走を企画されていた中村さんも、早々と延長戦を断念されていた。
 宿に全員到着後、名物の日本そばをゆっくりといただく。佐薙さんと宿の女将が同世代で、戦時中の疎開話に花が咲いた。そして昼食後、登山口を散歩がてら下見し、日本の滝100選の惣滝を遠望、近くの「黄金の湯」なる露天風呂に寄った。露天風呂には、信州更埴市から日帰りで温泉に入りにきていた先客がいた。「妙高登山は大変だね。やはり靴は5万円以上のしっかりしたものでないともたないね。」などとひとくさり。我々は適当に話を聞き流して露天風呂を楽しんだが、これが後々真実となる。宿に戻って、佐薙先輩より、「ところで妙高山は何火山なの?」と尋ねられ、「休火山ですね。頚城三山の内、火打山は火山ではなく、焼山は活火山で一部入山禁止ですが。」と答えて、そうだ佐薙さんは富士山検定をトップで合格したことに気が付き、事前の勉強不足を悔いた。そこから、佐薙さんより、日本の火山のうんちくを賜り、現在は概ね一万年以内に噴火した火山や現在活発に噴気している火山を全部活火山と呼ぶこと、そしてそれらは最新で110山あることを教わる。妙高山も活火山であることを改めて知り、不学を恥じた。
 この日の夕食は、地元の食材を中心とした料理を賑やかに楽しみ、夜は明日に備えて皆そこそこに就寝した。

4.妙高山登頂

9月6日 燕温泉岩戸屋発4時55分‐源泉作業小屋5時45分‐麻平分岐6時35分‐天狗堂8時‐妙高南峰10時20分

 当日は朝方うす曇りであったが、昨日より視界が良かったのが幸いであった。宿で用意してくれた握り飯を入れて、5時前少し暗い中を出発し、一ピッチ目の源泉作業小屋で水を補給し、そこから小野さんトップで進む。いつも針葉樹会報を読んでいて、北は北海道から全国を登っている一部の諸先輩の元気さには少々驚いていたが、小野さんの歩き方を拝見して、少し合点がいった。兎に角無理をしないのである。最近は自分の場合単独行が多く、気ばかり急いてバテることが多い気がする。
 麻平との分岐を過ぎ、北地獄谷の「胸突き八丁」を難なく登りきれば、8時には下見に来た天狗堂に到着した。この時点で、これは行ける、あとは天候が半日持ってくれれば何とかなると確信した。
 天狗堂から上部はほぼ尾根伝いを一気に高度を上げていき、光善寺池、風穴を過ぎれば、目の前に大きな岩壁が現れる。振り返れば、高曇りの中、遠くに野尻湖と斑尾山を望み、眼下に広がる、赤倉・池の平の温泉郷。赤い屋根がシンボルの赤倉観光ホテルに目が行くと、佐薙さんが昔新婚旅行で2晩泊まり、岡田さんが十数年後に続いた話題で盛り上がる。ナナカマドが薄らと紅葉しはじめて、白樺とのコントラストが美しい。
 大岩壁の長い鎖場は登りと降りの人が一人ずつしか通れないため、毎年登山シーズンには交通渋滞を起こすほどだ。この日も我々の前を信州から来た英国の若者3名が日本語をしゃべりまくって我々とすれ違った。外国人が山登りにも大勢来ているというのが昨今の印象である。
 鎖場を越え、大きな溶岩が乱立する中をひと登りすると、ほどなく最高点の妙高南峰に10時20分到着。一人の脱落もなくにこやかに登頂できたことは、本当に僥倖であった。

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9月6日  6:34  (撮影:中村)
麻平分岐手前の沢を渡る
(左から吉沢、斉藤、宮武、加藤)
 9月6日  9:45  (撮影:中村)
大岩壁の鎖場
(前から小野、吉沢、小島)
 9月6日  9:49  撮影:中村)
大岩壁の鎖場
(前から小島、宮武)
 9月6日  10:27  (撮影:岡田) 妙高南峰にて
(後列左から小野、斉藤、宮武)
(前列左から加藤、佐薙、吉沢、岡田、小島、中村)
9月6日  10:30  (撮影:岡田) 妙高南峰にて
(後列左から佐薙、小島、宮武、斉藤)
(前列左から加藤、吉沢、中村、小野)


5.秋雨の下山路

 妙高南峰発10時20分‐黒沢池分岐12時30分‐長助池12時50分‐大倉沢徒渉15時‐燕温泉16時55分

 頂上からの帰りはまだ時間に余裕があったことと、あの鎖場をまた通る気がしなかったので、当初の計画通り内輪山を横切る燕新道を降ることとした。北北西に進路をとり、一等三角点のある北峰を過ぎて長い急な下りが続く。小雨になり濡れ始め、灌木帯の枝をかき分け全身びっしょりになり始める。頂上を出発して2時間後の12時50分、漸く長助池に出る。内輪山の底にあるぽっかりとした湿原には、オヤマリンドウ、ヤマトリカブト、ハクサンコザクラが咲き、晴れていれば天国のようなところであろうか。岡田さんは疲れを知らないかのように花の撮影に熱心だった。
 しかしここからの降りは本当に厳しかった。秋の長雨で道がいたるところでぬかるんで、歩き辛いことこの上ない。途中から不幸にも片方の靴底が割れてしまった吉沢さんに、どなたかが昨日の露天風呂の5万円の靴の話を蒸し返す。針金と修理具を持っていた斎藤君がサポートしてくれ急場をしのいだ。
 また次第に全員の疲労が増していく中、小島さんの明るい掛け声に救われ、慎重に下りを続けた。大倉沢の徒渉点では、まだそれほどの増水ではなくホッとした。そこからのブナの林をアップダウン繰り返すと、見慣れぬ工事中の橋が出現した。道を間違えたのかと思ったが、とにかくしっかりした林道が続いており、そこを歩き切ると、ひょいと燕温泉の上に出た。少し偵察不足であったが、道なりに来たところが燕新道の終了点であった。時に5時少し前。登り5時間半で、下りは6時間半。さすがに皆さん疲れきったが、無事終了となった。昨日の宿の女将が迎えてくれ、濡れモノを抱えた我々を快く温泉に入れてくれた。
 『懇親』ならぬ『渾身山行妙高山』はこうして終わり、延泊することになった吉沢さんを残し、皆それぞれの手段で帰路に就いた。
わが故郷の山に来ていただいた皆さんに地元幹事として御礼申し上げます。


9月6日  12:59  (撮影:岡田) 長介池にて
(左から斉藤、中村、加藤、佐薙、宮武、小野)
9月6日  12:58  (撮影:岡田)
    長介池にてミヤマリンドウ
10月3日  9:30頃  (撮影:加藤)
    赤倉温泉から望む赤倉観光ホテル
    (後日撮影:当日晴れていたら!)
 10月3日  10:00頃  (撮影:加藤)
いもり池から望む妙高山の絶景
 (後日撮影:9月6日晴れていたら行く予定だった)
会   報
***


■2015年8月21〜23日 紀伊山地行  半場 三雄(昭和41年卒)
         *********** 『針葉樹会報』第134号より転載
メンバー(敬称略)
    トップ…小野、セカンド…半場、次…佐藤力、レーダー…小島、しんがり…宮武の5人衆
コースタイム(記録は宮武さん)
    8/22(土) 7時50分 ビジターセンター発/ 8時40分 日出ヶ岳頂上/ 10時 尾鷲辻 /10時40分大蛇ー/
           11時40分 シオカラ谷着 昼食/ 13時ビジターセンター着
    8/23(日)  8時30分 馬越公園発/9時 馬越峠/10時 天狗倉山頂上/11時 馬越公園着

●8月21日
 「おじさん軍団…大台ヶ原ですれ違った見知らぬ方の命名」は浜松駅から車で(9時50分発)
伊勢湾北部を経て道の駅「関宿」(東海道五十三次の一つ)で昼食休憩をとり、東名阪国道を西進し
伊賀の近くからは紀伊半島中部を吉野川沿いに溯り、奈良県上北山村の「佐和又山ヒュッテ」泊(16時40分着)。
 恒例の一杯の後は、定員60名位の大部屋(廃校校舎の再利用施設)で各自の寝息が届かぬ距離をとりZZZZZZ。海抜1100m故か、真夏で冷房なしでも各自よく寝られた様子。

●8月22日
 7時に出発し「大台ヶ原ドライブウエイ」で、散策基地の「ビシターセンター」のある駐車場へ。
形ばかりの準備運動をし、登山届けを提出し、経験者の小野さんをトップに、小島さんの「しんがりを宮武さんで」の声と共に隊列が整い、東大台コースを時計回りに散策開始。
 「日出ヶ岳」から「正木ヶ原」までは小野さんによると昔は未整備であった木道が整備され正に遊歩道だ。
道中では、「アサキマダラ」の撮影に出会え、大蛇ー(ーの読方はぐら…英訳ではCLIFF)のスルリングさが印象的であった。
「日出ヶ岳…散策路のピーク」「シオカラ谷…散策路のボトム」では、へばりかけたが小島さんのキャラメルと小野さんの梅干に元気ずけられ、強靭なメンバーにみまもられて全体としては何とか帳尻が合って予定のコースタームで周回が出来た。
 佐藤力さんの靴が悲鳴をあげていたが、小生の心臓と、天候(一時的なミストに包まれた程度)と共に、何とかもった。
 散策を終え、ドライブウエイを下った後の国道を、一路宿泊地を目指して半島を南下、熊野市の端からは通行量が少ないが立派な国道を東進し、尾鷲市の「民宿イワナの里」泊(16時20分着)。
ペットとして飼育されている小鹿3頭を横目にイワナの刺身を主菜の宴会兼夕餉。
宿からは、翌日目指す天狗倉山(てんぐらさん…海抜522m)がくっきりと望まれる。

●8月23日
 7時半に出発し「熊野古道」の一端である「馬越峠(まごしとうげ)道…江戸時代初期に整備されたようである」を裏口になる尾鷲側から目指す。宿主から教えられた道順で、馬越公園(駐車場)を目指すがスンナリとは行かずに歩行開始までに30分以上ロスし何とか辿りつくことが出来た。
馬越峠の分岐点と天狗倉山のピークとの往復。頂上直下では岩登りイメージの急登となるが頂上からは尾鷲湾に点在する島々と、眼下には鯛の養殖筏がくっきりと見え、能書どうり素晴らしい眺望だ。
 この日も心肺機能の差を実感することとはなったが、馬越公園(駐車場)で散策を終え、道の駅「海山」(「馬越峠道」の表口登山道入り口は日曜でもあり、沢山の自家用車とハイカーで賑やかだった)
で一服してからはひたすら鳥羽港へ。何とか13時出航のフェリーに間に合った。
下船後、伊良湖港からは途中2箇所の道の駅に立ち寄って16時40分浜松駅着。
 各自買い求めた土産物のパッキング姿を横目に、3日間の天候と、行事の無事終了を感謝。

紀行文後記
 今回の2泊3日の計画は、クレージー会の集まりの場で、小島さんの発声から「いつも関東方面で催行されているクレージー会をたまには浜松方面…例えば関が原近辺で」の小島さんの発声から紆余曲折を経て計画された。
 催行時期は紅葉の時期がベストのようではあるが、移動距離などを考慮した結果、クレージーの面子4人にゲストの宮武さんを加えてのこの時期の催行となった。
 多くの道の駅で小休止しながらとはいえ、移動距離が長くて苦痛ではなかったかと思うところがあるが、車中では夫々の分野のエキスパートの薀蓄が聞けて退屈するところは無かった。



8月22日  10:00  (撮影:小野)   日出ヶ岳山頂にて
(左から宮武、小島、佐藤、半場、小野)



8月23日  10:00  (撮影:小野)  熊野古道、馬越峠にて
 (左から小島、佐藤、宮武、半場)

会   報
***


2015年8月18〜20日 北岳夏合宿(二泊三日班)

               内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2015年10月3日投稿 ******
・メンバー
  上 茂衡(法3)、内海 拓人(法2)、安藤 由都(法1)、工藤 京平(経1)
  小久保 剣(法1)、原島 大介(商1)
・天気
  2日目:晴れ
  3日目:雨

・行程、コースタイム
(1日目、2日目北岳山頂までは一泊二日班の記録参照)
2日目
 9:00北岳山頂→10:30北岳山荘→10:50中白根山→11:35-12:30間ノ岳→13:05-13:20中白根山→13:50北岳山荘着、幕営
 →16:00夕食→19:30就寝
3日目
 3:00起床→3:30朝食→4:30撤収→5:25北岳山荘出発→6:30北岳→7:15北岳肩ノ小屋→8:50白根御池小屋→10:15広河原

●1日目(8月18日)
 出発の前日、降雨量が規定値を越えたため甲府駅から広河原へ向かうバスが運行中止になっているという情報が入ってきた。集合時間を1時間遅らせて様子を見ることになったが、正直僕の中でのモチベーションは相当下がっていた。甲府駅に行ってもバスが動いている保証はなく、天気予報によると北岳山頂に向かう2日目以降は雨だった。あまり乗り気ではないが電車に乗り込み、高尾駅の鈍行列車で部員と合流した。高尾から甲府までは2時間近くかかるが、話しているとそこまで長くは感じられない。
 甲府駅に降り立つと予想に反して晴れていた。幸いにもバスは通常通り運行していた。駅前のバス停から登山者とザックで一杯のバスに乗り込み、広河原へ向かった。車内では元気のいい車掌のおばさんが勢いよく話していた。出発して間もなく寝てしまったが、途中車の揺れに起こされた。気付くと山奥へと入ってきており、道はバスが通るとは思えないほどの道幅、急カーブの連続であった。
 甲府駅出発から2時間、ようやく広河原に到着した。各自準備、装備分担の確認をしていると太田さんが慌ててインフォメーションセンターでフリーズドライの雑炊を買ってきた。2日目夕食のレトルトカレーを家に置いてきてしまったようだった。忘れたのが米の方でなくてよかった。
広河原を出発し、吊り橋を渡ると早速急登が始まった。僕は列の後ろから2番目にいたが、ついていこうとすると少し息が上がりそうになった。真ん中の1年生も苦しそうだったので明らかにペースが早すぎたようだった。毎回のことだが、歩きはじめのペースを掴むのは難しい。
 急登が一段落してしばらくするともう御池小屋が見えてきた。思ったより早い到着であった。小屋に到着すると、ヘリが着陸するということですぐには幕営できず、しばらく休憩した。みんなでヘリの着陸の様子を見た後、幕営をして夕食の準備をした。1日目の夕食はペミカンを用いたシチューとパン、アルファ米であった。シチューは、ペミカンの脂っこさが疲れた体に嬉しく、感動的な美味しさであった。ペミカンを使えると料理の幅が広がると感じた。日が沈むと冷えが強まってきて、フリースを着て丁度よかった。小屋の掲示を見ると、2日目の天気予報が上向きになり、雨が降ることはなさそうであった。翌日稜線上から景色が見えることに期待を寄せて就寝した。

●2日目(8月19日)
 起きると、雨は降っていなかった。まだ暗かったので晴れることを期待しながら朝食の準備を始めた。朝食はインスタントラーメンであった。調理に失敗するはずもなく、肌寒い中で温かいラーメンは嬉しかった。撤収を始めていると、次第に明るくなってきた。良く晴れており、北岳頂上が朝日に照らされて赤く見えた。
 撤収を終え、北岳山頂へ向けて出発した。草スベリは相当な急登であると噂は聞いていたが、実際登り始めるとやはり辛かった。後から見ればコースタイムを大きく上回るペースであったので、もっと遅いペースで登るべきであった。高度を上げるにつれて、眺望が開けていった。小太郎尾根分岐まで到達すると、稜線上に出た。視界を遮るものはなく、今までに見たことのないスケールの景色であった。風が少し強くなり、防寒着を1枚着て稜線歩きを始めた。雲の上に出た山脈を眺めながら歩いていると、本当に来てよかったと感じた。北岳山頂までは思っていたよりも険しい登りがあったが、景色を見ていると疲れも忘れられた。
 北岳山頂には予定より1時間程早く到着した。文字通り360度のパノラマビューで、雲海上には富士山も見えた。南西方向には間ノ岳へと続く稜線が見えた。記念撮影などを楽しんだ後、一泊二日組と別れて北岳山荘方面を目指して出発した。
 山頂出発から僕が先頭を歩いたが、なぜか出発直後から道でない所に入ってしまった。元のコースに戻るまで10分程無駄にし、その後は急な岩場を下っていった。下に見える谷はとても深く、地図上にも危険マークがついている箇所であったため緊張感をもって進んだ。険しい岩場を超えると北岳山荘が見え、再び気持ちの良い稜線歩きであった。北岳山荘で休憩し、今後の行程を話し合った。3日目の天気予報が良くなかったため、行動時間が9時間を超え、沢の渡渉をしなければならない農鳥岳・奈良田への縦走は取りやめることとなった。天気の良い2日目中に肩の小屋まで戻ってしまうことが望ましかったが、間ノ岳往復をするためには時間が足りなかった。そこで、北岳山荘に荷物を置き、時間が許す限り間ノ岳にアタックすることとなった。間ノ岳まで辿り着くためにはコースタイムの1.5倍ほどのペースで歩く必要があった。途中の中白根山あたりまでは良いペースを保っていたが、間ノ岳頂上が見えたところで時間切れとなった。だが、山頂を見てしまうとどうしても行きたくなった。また、帰りもこのペースを保つのは難しいと思われた。そこで、2日目は北岳山荘に幕営することにして、そこからはゆっくりと間ノ岳を目指した。時間に余裕が生まれたので、間ノ岳登頂の後はペースを上げる必要もなく、景色を楽しむことができた。北岳山荘に到着すると幕営をし、夕食まではコーヒーを飲むなどしてのんびりと過ごした。これが登山、特にテント泊の醍醐味であると感じた。2日目の夕食はアルファ米、フリーズドライ食品であった。夕食後は寝たい人は早めに就寝し、僕は1年生とトランプをして遊んだ。明日天気が崩れるとなると、こんなに楽しい登山は今日までかもしれないという不安を抱いて就寝した。

●3日目(8月20日)
 目が覚めると、フライシートに雨が打ちつける音が聞こえた。朝はまだ降っていないだろうと思っていたので、気分が沈んだ。朝食はもう一つのテント内で作ることにした。水を汲みに行くと、ヘッドランプの光が霧に反射して視界が悪かった。雨でさえ嫌なのに、北岳山頂下の岩場を霧の中進むのはとても不安に感じた。インスタントラーメンを食べ終えると周囲が明るくなってきた。だが雨は止まなかった。今日はペースを上げることもできなさそうなので、なるべく早く出発する必要があった。気分が全く乗らないが、雨の中撤収を行った。濡れて重くなったフライシートをゴミ袋でくるんでザックに押し込んだ。
 パッキングが終わると北岳を目指して出発した。幸いなことに霧は晴れて視界は悪くなかった。だが、濡れて滑りやすくなった岩の上を歩くのは気分が良いものではなかった。足にはこれまで2日分の疲労が感じられた。昨日まで絶景だったとは思えないほど周囲は雲で真っ白だった。北岳山頂直前で一瞬霧が晴れて、間ノ岳方面の稜線が見えた。綺麗な景色を見ると不思議と元気が出た。
 北岳山頂を越えると再び雨か強まった。岩場が不安であったが、実際に下ってみると登っていたときに感じたほど急ではなかった。むしろ長時間続く草スベリの急斜面を下る方が辛かった。御池小屋が見えるとようやくここまで戻ってきたと少し安心した。
 御池小屋で休憩後、広河原に向けて再び出発した。疲労の蓄積からか、登りよりもずいぶんと長い道のりに感じた。広河原の小屋が見えると思わず笑みがこぼれた。奈良田に下りていれば温泉に入れたのだが、残念ながら広河原には何も無い。代わりに甲府駅でほうとうを食べることにして、東屋の下で雨をしのいでバスを待った。

●総括
 天候悪化の懸念から、結局当初予定していた白峰三山縦走は叶わなかった。実際に3日目は天気が崩れたので、最後に沢の渡渉がある縦走を取りやめた判断自体は正しかったと思う。だが、仮に天気が安定していたとしても、3日目の疲労感を考えると9時間ほどかけて奈良田まで歩くのは厳しかったように思われる。やはり白峰三山を縦走するためには甲府に前泊し、初日の早朝に広河原に入る必要があると感じた。
 今回の合宿は2泊3日で、僕にとっては最長の山行となった。最終日の疲労感は今までに感じたことのない独特のものであった。ただ前回の雲取山合宿と比べると、荷物の重量によって体力を削られる感覚は軽減された。今後より長い距離の縦走を行っていくためには、重い荷物を持った状態での歩行にもっと慣れていく必要があると感じた。
今回の合宿では、高低差の大きさや天候の不安定さなど、3000m級の山であるからこそ考慮しなければいけないことがたくさんあった。だが、その分見える景色は今までに見たことのない程スケールの大きいものであった。今後もぜひ南アルプス周辺、そして今シーズンは行けなかった北アルプスの山々に挑戦していきたいと思う。

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1日目夕食のシチュー
(撮影:内海)1日目17:00
御池小屋より。朝日で赤く染まる北岳。
(撮影:内海)2日目5:07
北岳山頂より。間ノ岳方面の稜線。
(撮影:内海)2日目8:16
北岳山頂より。富士山。
(撮影:内海)2日目8:27




会   報
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■2015年8月18〜19日 北岳夏合宿(一泊二日班) 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)

    ****** 2015年8月29日投稿 ******

1.メンバー
** a. 二泊三日班 b. 一泊二日班
・上 茂衡(法3)
・内海 拓人(法2)
・安藤 由都(法1)
・工藤 京平(経1)
・小久保 剣(法1)
・原島 大介(商1)
・太田 貴之(商4)
・大矢 和樹(法2)
・坂本 遼(法1)



2.コースとタイム(一泊二日班)
** 1日目 2日目
時間 出発/到着地点 時間 出発/到着地点
12:00
12:20
12:45
14:35








広河原到着
広河原出発
大樺沢コースとの分岐点到着
白根御池小屋到着








 5:10
  ↓
 6:25
 6:45
 7:35
 8:25
 9:05
 9:35
10:00
11:40
12:05
12:25
14:30
白根御池小屋出発
(草すべりコース)
右股コースへの分岐点
小太郎尾根分岐点
北岳肩の小屋到着
北岳山頂到着
北岳山頂出発
北岳肩の小屋到着
小太郎尾根分岐点
大樺沢二股
白根御池小屋到着
白根御池小屋出発
広河原到着

3..感想及び反省等

 今回は、個人的には初めてのアルプスであったので、計画段階から非常に楽しみであったのだが、私的事情により部分参加となってしまった。まず、反省点としては、準備段階で、振り分け等の指示が遅れてしまい、他の部員を煩わせてしまったことである。次回、計画する際には、もっと早めに行うことが肝要であると感じた。
 今回は登山口である広河原自体が相当、甲府駅から遠く、甲府駅の集合時間をかなり早めに設定していたため、部室に前泊することにした。しかしながら、困ったことに、前日の時点で北岳一帯は大雨であり、林道が雨量規制値超えの影響で、バスが運休していた。そのため、太田さんとともにバス会社や交通局に電話をし、確認したところ、次の日は9時まで運行できるかわからないということであった。そのため、集合時間を当初の8:30から9:30に変更することにした。

●8月18日(火)
 朝起きて、中央線を西へ西へと進んだわけだが、天気はかなりよさそうであった。甲府駅につき、広河原行きのバスが運行されていることを確認すると、安心できた。甲府は広く認知されているように暑かったためか、広河原に到着してみると、空気は幾分ひんやりと感じられた。目の前を流れる、早川は澄み渡っており、まさに清流であった。広河原のバス停からつり橋を渡り、広河原山荘の横から登山を開始した。登り始めは特に急でもなかったのだが、大樺沢との分岐点を境に、一気に急になり始めた。しかしながら、自分が先頭になると、なぜか急登になるとコースタイムより圧倒的に速いペースで歩く癖が出てしまい、他の部員からペースが速いと指摘をうけるということになってしまうのである。休憩は比較的こまめに入れた。それでも、テント泊の荷物量はなかなか多く、みな大変そうであった。そんななかでも、目の前にそびえたつ鳳凰三山の雄姿は、心に余裕を持たせるものであった。
 白根御池小屋には、コースタイムのおよそ六割の時間で到着してしまった。さっそく、テントを張りたいと思っていたのだが、小屋の方からヘリの着陸を知らされ、テントは15時半ころ張り始めた。
 夕ご飯は小屋前の机があいていたので、そこで料理等を行った。太田さんが作成してきたペミカンとシチューの素で、シチューを作り、パンおよびご飯で夕食とした。目の前には薬師岳が夕日に照らされ、悠然とした姿を堪能できた。夜は、次の日は3時起きであったので、早めに就寝した。

●8月19日(水)
 二日目は予定通り3時に起床した。空を見上げるとイマイチ星が見えないので、曇りであろうと判断した。二日目の朝ごはんはラーメンを食した。山の朝は8月といえどもかなりひんやりしており、温かいラーメンの汁は絶品であった。
 空が白み、徐々に朝焼けが出始めた。朝焼けに照らされ、頭上の北岳は橙色に燃え上がり、池の水面には朝焼けと薬師岳が映し出さ、自然の神秘を感じた。
 午前五時過ぎ、一通りの準備が終わり、北岳の山頂に向けて出発した。まずは草すべりコースを抜けるのにおよそ2.5時間かかるとされていたので、かなり大変であろうなと予想していた。当初、歩き始めは寒く、セーターまで着こんでいたのだがものの10分歩くと暑くて仕方がないような状態になり、結局半そでで歩くことにした。草すべりはなかなか急登であり、半袖でも少し汗がにじんだ。例によって、自分が先頭を歩いていたのでスピードがでていたらしく、何度も指摘されるもののなかなかなおらず、かなりのペースであったようだ。しばらくすると振り返ると鳳凰三山と山頂と似たような高さにいることが分かり、雲海が見えた。さらに目を移すと、大樺沢の雪渓が垣間見えた。
 白根御池小屋を出て、わずか90分で、小太郎尾根分岐地点に到達した。気がつけば、北岳の山頂は目の前に近づいて見えた。それだけではない。鳳凰三山のやや左には八ヶ岳が見え、近くの甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳もはっきり確認でき、さらにこの日の朝は空気が非常に澄んでいたので、遠くにあるはずの槍ヶ岳を初めとする、北アルプスの山々が見えた。さらに中央アルプスの山々もはっきり見え、非常に感動した。
 尾根に出ると、とたんに気温が下がり、さらに風が強めに吹いていたので、体感温度はかなり低くなった。道も途中まではかなり歩きやすかったものの、途中からは岩場であったのであるきにくい箇所もあった。岩場を歩く際には、緑色のマーキングを探しながらという感じであったが、なかなか見つけにくく、霧や豪雨時など視界が悪い時にはなかなか危ないなと感じた。そうこうしていると、北岳肩の小屋に到着した。標高3000メートルの標識をみると、なかなか感慨深かった。北岳は肩の小屋からはさほどかからなかった。最後岩場を登っていき、頂上だ!と思ったら、その先に頂上が見えたときは、ややガクッときたが、その頂にたったときの気分はなかなか最高だった。遠くには雲海のかなたに富士山が見えた。360度のパノラマはここまで登ってきたきつさを全て忘れさせるようなものであった。また、北岳はかなり有名なやまだから、山頂はかなり混雑しているのだろうと思っていたのだが、想像以上に空いていて驚いた。保護員のような方がいたので、聞いてみると、次に賑わうのはシルバーウィークのころだという。「ま、そのころにはもう氷張っているよ」と陽気に話してくれた
 帰りは元来た道を引き返すだけであったが、小太郎尾根分岐の近くでもくもく白い雲が湧きあがっているのを見かけた。振り返ってみると山頂は霧の中に隠れてしまってもう見えなかった。いいときに山頂にいったなという感じであった。小太郎分岐尾根からは、行き帰り全く同じ道でも味気ないので、右股コースを通った。話は変わるが、この日はなぜかハエが一帯に大発生しており、かなりうっとうしい感じではあった。
 最後は主に自分の足に巨大なマメができてしまったことが原因であるが、スピードが落ちてきてしまった。やはり、75リットルザックパンパンにつめて、一日に800メートル登って1600メートル下るのは、想像以上に体力がいるのだなという印象である。
 しかし、天気には非常に恵まれたといえる。一日早ければ現地入りは、バスの運休で困難であっただろうし、一日遅ければ雨天であった。北岳から見えた、仙丈ケ岳や甲斐駒ケ岳等には登ってみたいなあと感じ、帰りのバスにゆられた。

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8月18日 12:38
広河原小屋〜大樺沢方面分岐点間
8月18日 16:56
白根御池小屋前にて
二泊三日班メンバー
(左:上、中央:安藤、右奥から内海、工藤)

会   報
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■2015年8月12〜13日  富士山  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2015年8月15日投稿 ******

●参加者
 工藤京平(経1)、高謙(社1)、坂本遼(法1)、原島大介(商1)、内海拓人(法2)、
 清野友紀(国際基督教大学2年)、有田麻子(社3)

●天気
 1日目:晴れのち曇り
 2日目:強雨のち晴れ時々雨

●アクセス
 中央道八王子バス停より高速バス、富士山スバルライン5合目

●行程、コースタイム
** 1日目
* 7:40西八王子駅集合→9:20高速バス乗車→11:10五合目着→12:15登山開始→12:35-40休憩→12:55六合目→13:27-32休憩→13:47七合目→14:08-13休憩(鎌岩館前)→14:38-43休憩(東洋館前)→15:11八合目→15:20-25休憩(蓬莱館前)→15:55白雲荘着
2日目
3:00起床、朝食→4:00白雲荘発→(ここより天候不良のため記録なし、一部失念。)→6:00-45山頂→8:20七合目付近→10:00五合目着→15:00高速バス乗車

 春頃に、新入部員の中から富士山に登ってみたいという声が上がったのが今回の富士登山計画のきっかけとなった。僕自身、去年の山岳部主催の富士登山ツアーに参加したのだが、高山病で倒れて山頂まで辿りつけなかった。そこで、僕のリベンジマッチも兼ねて富士山に登ったことのない新入部員7名と共に富士登山を行うことにした。(去年のツアーを通じて部内での富士山の評判はとても良くないので、個人山行という形にした。)

 当日の朝、中央道八王子バス停へ到着すると、既に高速道路の渋滞が始まっていた。他の合宿等の日程の関係上、時期がお盆と重なってしまったため、それなりの渋滞は考慮に入れていたが、若干不安であった。結局、想定内の1時間遅れくらいで五合目に到着した。お盆の時期の富士山は相当混雑しているのであろうと覚悟していたが、五合目はむしろ去年の方が混んでいたのではないかと思われる程度の人の多さであった。天気は薄曇りで、半袖1枚では少し寒いくらいであった。1週間前の灼熱の雲取山に比べれば、ずいぶん快適な登山ができそうであった。1時間程、高度順応のために五合目で休憩した後、ゆっくりと歩き始めた。

 今回の富士登山の目的は何といっても「8人全員登頂成功」であった。去年の僕のような悔しい思いをする人は絶対に出したくなかった。そのため、ペースはできる限りゆっくりで、休憩をこまめに取る(30分に1回程度)ことを徹底した。なるべく歩幅は狭く、少しずつ進んでいった。六合目でさすがにペースが遅すぎたのではないかと不安になり地図を確認したが、むしろコースタイムより10分早かった。そのままのペースを維持して、順調に高度を上げていった。雲がかかっていて景色はなかなか見えなかったが、七合目を過ぎたあたりで少し雲が切れて山中湖が見えた。

 山小屋は、去年利用した本八合目の小屋は高度が高過ぎると判断し、八合目付近の小屋を利用した。順調なペースで16時過ぎには八合目過ぎの白雲荘に到着した。去年富士山の山小屋を利用したことのある僕以外は、その狭さに驚いていた。16時半頃から夕食で、メニューは定番のカレーとハンバーグであった。去年は体調が悪く食欲が全然なかったが、今年はとてもお腹が空いていて、その美味しさに感動した。少しのんびりした後、特にやることもないので就寝した。過去の山行での経験上、いびきがうるさいと思われる部員がいたので不安であったが、幸いなことに耳栓をしていれば特に音は気にならなかった。だが、それでも2時間毎くらいに目が覚めてしまい、時計を見ては早く起床時間にならないかと思っていた。去年もそうであったが、なぜ富士山の山小屋はあんなに寝づらいのであろうか。

 なんとなくウトウトしていると、起床時間の3時となった。今回は山頂で御来光を見るのではなく、高山病にかかりにくいといわれる八合目過ぎあたりで御来光を見るプランを組んでいた。いろいろ調べたところ、山頂より八合目付近の方が御来光が見える確率も高いというデータもあるらしい。起きると若干頭が痛く、去年の二の舞になるのではないかという恐怖感、ガイド役のような自分が倒れたらお粗末だという焦りを覚えた。そこで、去年の教訓から持参した頭痛薬を服用した。(本来は、高山病の症状を薬で抑えることはあまり望ましくないようだ。だが、今年は意地でも登る気であったので飲んだ。)すると頭痛はすっきりと取れた。

 朝食は前日配られたいなり寿司と太巻きであった。山小屋の食事スペースはフリースが欲しいくらいの寒さで、風の音が小屋の中まで聞こえて外の天気の様子が気になった。身支度を終え、小屋の外に出ると思いっきり雨が降っていた。慌ててザックカバーをつけ、山頂に向けて出発した。僕は山頂までの道は渋滞し、ヘッドランプの光の列が見られるような混雑を予想していたが、登山道には僕たち以外ほとんど人がいなかった。真っ暗な登山道の中をヘッドランプの光を頼りに進んだ。高度を上げるに従って雨風共に強まってきた。布製の手袋はもはや用をなさず、眼鏡についた水滴が視界を遮った。しっかりとした装備で臨んでもこの状態なのに、昨日見た半袖短パン、サンダルの人はどうなってしまうのだろうと思った。もう御来光どころではなく、無事に山頂にたどり着けるかが心配になっていた。

 九合目付近で雷の音が聞こえ、不安は最高潮に達した。だが、もう山頂まで山小屋もないので、登りきる以外の選択肢はなかった。山頂手前の鳥居が見えたときは少しほっとした。白雲荘を出発してから約2時間、ついに山頂に到着した。だが、雨風は更に勢いを増す。逃げ込むように小屋に入り、各自温かいものを注文した。僕は味噌ラーメン(どう見てもインスタント)を食べたが、あんなに美味しいラーメンは下界ではなかなか食べられない。体が温まると、もう外に出たくなくなってしまった。しかし、小屋の方がこれから天候は悪化する一方だとおっしゃっていたので、記念撮影だけ済ませて下山することとなった。小屋を出て山頂と記されている石碑へ向かおうとすると、文字通り体が吹き飛ばされそうな暴風であった。仕方なく、小屋の前で記念撮影を済ませ、逃げるように山頂を後にした。

 八合目を過ぎたあたりで雨風も弱まり、次第に晴れてきた。すると、眼下には雲海が空の奥まで広がり、その切れ間から湖が見えた。ここにきてやっときれいな景色に出会えた。悪天候で疲れ気味だったみんなの表情も少しは明るくなった気がした。去年の下りはなかなか取れない頭痛の中で相当しんどかった記憶しかないが、みんなで話しながら下っていると五合目まであっという間に感じた。混雑している前提でバスの予約をしたため、五合目に到着してからバスの発車時刻までは5時間もあった。インフォメーションセンターの2階の部屋やレストランで暇を潰した。入ったレストランは、ちょうど1年前に僕が藤原さんから熱烈な勧誘を受けて、山岳部入部を決めたレストランだった。この1年間で山岳部の様子は大きく変わった。今年入部した部員のみんなと登った今回の富士登山は、今後の山岳部の活動をさらに楽しみにさせるものになった。

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8月12日 16:32(撮影:内海) 
白雲荘
8月12日 16:37(撮影:内海)
夕食のカレー
8月13日 8:30(撮影:内海)
下り八合目〜七合目間より



会   報
***


■2015年8月6〜7日  雲取山合宿  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)

     ****** 2015年8月10日投稿 ******

●参加者
 高謙(社1)、小久保剣(法1)、原島大介(商1)、内海拓人(法2・SL)、
 清野友紀(国際基督教大学2年)、有田麻子(社3)、 上茂衡(法3・CL)、大谷彩子(商3)

●天気
  1日目:晴れ、午後2時ごろより強い雷雨、その後晴れ、日没後断続的に雷。
  2日目:晴れ

●アクセス
 行き:JR奥多摩駅よりバスで約40分、鴨沢下車。
 帰り:鴨沢よりバス、JR奥多摩駅。

●行程、コースタイム
** 1日目
* 9:30奥多摩駅集合→9:40バス出発→10:15鴨沢バス停着 10:25バス停出発→11:05-10休憩→12:00-05休憩→12:30-35休憩→13:05-15昼食→14:00-15:30七ツ石小屋着、小屋内避難→15:30幕営→17:00夕食→20:00就寝
2日目
4:00起床、朝食→5:50七ツ石小屋出発→6:10七ツ石山→7:05-10休憩(奥多摩小屋付近分岐通過後、岡部さんと合流)→7:55-8:20雲取山→9:10-15休憩→10:00七ツ石小屋着、撤収→11:10七ツ石小屋出発→12:10-15休憩→13:25鴨沢バス停

●前日準備
 出発前日5日の午後から、燃料と食料の購入と備品分担を行った。献立を直前まで決めていなかったため、食料購入は半ばその場で決めるような形になってしまった。テント泊の経験のある先輩方と相談するなどして、献立はもっと時間をかけて練るべきであった。燃料と食料を購入後、部室で新品の80リットルザックに装備を詰めていった。80リットルザックを背負ったことのある人はおらず、その大きさに少し驚いた。しかし、実際に物を入れていくと案外すぐにいっぱいになった。パッキングの仕方もまだまだ改善の余地があると感じた。

●1日目
 朝、奥多摩駅に集合すると体にこたえる暑さだった。鴨沢西行きのバスに乗り込み、40分程で鴨沢バス停に到着した。ここで新入部員の小久保を交えて自己紹介を行い、その後登山道へ向けて出発した。バス停から登山道に入るまでは、いきなり日陰のない急坂だった。一歩一歩足を踏み出すたびに、今まで味わったことのない荷物の重さが感じられた。先頭を歩いていた僕は50分に休憩1回のペースを考えていたが、暑さに耐えきれずに出発から40分程で1回目の休憩を取った。
 登山道に入ると日差しが遮られ、暑さは少しましになったが、決して涼しいというわけではなかった。また、ダラダラとした登りが続き、目印も少なかったのでペースを掴みづらかった。2回目の休憩までは40分ペースを保っていたが、次のピッチで明らかにペースが落ちた。
 皆口数が減り、特に女子の疲労が色濃く感じられた。そこで、ここからは30分ペースで進むことにした。だが、自分自身の足もだんだんと重くなるのが感じられ、ペースは一向に上がらなかった。ようやくブナ坂方面のまき道との分岐点に到着して自分たちの位置がわかり、コースタイムを下回るペースであることがわかった。そして、ここで雨が降り始めた。天気予報では夕方頃からの降り始めとなっており、雨が降り始める前に雲取山荘まで辿り着けると考えていたが、甘い考えであった。すぐ先には七ツ石小屋があったので、とりあえずそこまで行ってから今後の行動について考えることにした。
 まもなく七ツ石小屋に到着し、地図を広げて雲取山荘の手前の奥多摩小屋まで進むか否か話し合っていると、次第に雨が強まってきた。結局ここまでのペースと悪天候を考慮し、七ツ石小屋のテント場に幕営することに決めた。すると、いきなり雨脚が強まり、全員が小屋の中に入ると瞬く間に激しい雷雨となった。もし奥多摩小屋を目指して進んでいたら、と考えると、潔く七ツ石小屋に避難するという判断は正しかったと感じた。
 しかし、こんなにも丁度よい所に小屋があったのはただ運が良かっただけであり、一歩間違えれば雷雨の中長い距離を移動せざるを得なかったかもしれない。避難方法・エスケープルート等は事前にしっかりと確認しておかなければならないと改めて感じた。平日ということもあり小屋には僕たち以外は誰もおらず、小屋の一室を貸して頂いた。荷物を降ろして畳の上に座ると、大した距離も歩いていないはずなのに強い疲労感を感じた。
 思ったより早くに雨は上がり、今までの雷雨が嘘であるかのように晴れてきた。小屋のご主人曰く、夏の雲取山は午後になると雷雨が多いそうだ。再び雨が降ってくる前に幕営を済ませることにした。マットが人数分ないこともあり、整地は入念に行った。今回テントは3張で、新品の5-6人用テントを女子テントとし、残りの2つに男子が別れることとなった。
 丁度テントを張り終えると再び雨が降ってきたので、急いで荷物をテント内に移動した。幕営が終わると夕食の準備にとりかかった。夕食のメニューはジャーマンポテトとカレーライスであった。コンロの数の関係上、まずジャーマンポテトを作ってから炊飯をすることにした。米を水に浸してから、ジャーマンポテトの調理を始めた。
 小屋のご主人のご厚意で、小屋の土間で調理させて頂いた。じゃがいもは予め切って軽く茹で、玉葱は予め切ったものを持参した。じゃがいもの半分を忘れてくるというハプニングがあったが、量的にはさほど問題とならなかった。むしろ、サラダ油を忘れたことのほうが問題であった。それを見た小屋のご主人がなんとサラダ油を分けて下さった。
 玉葱を炒め始めると、食欲をそそるいい香りがしてきた。ここまでは良かったのだが、じゃがいもは炒めてもなかなか柔らかくならない。結局時間切れということで、じゃがいもが完全に柔らかくなる前にジャーマンポテトの調理は打ち切りとなった。調理に時間がかかった割には、味についての皆の反応も薄く、結論としてはジャーマンポテトはテント泊のメニューには向かないと思われる。メニュー考案者としては少し悔しかった。
 次に炊飯を開始した。3つのコッヘルに9合の米を分けて炊こうとしたが、ここで3つのコンロのうち1つが持ってきたガス缶に装着できない型であることが判明した。事前のチェック不足であり、時間のロスとなってしまった。仕方ないので2つのコンロで順に炊くことにした。始めは強火で、吹きこぼれ始めたら弱火にして20分というネットで調べた手順通りに進めた。2つのコッヘルのうち1つから焦げ臭いにおいがして一瞬不安がよぎったが、炊き上がるとどちらも上出来であった。
 カレーは今回レトルトを利用する形となった。そのため味付けに失敗するようなこともなく、カレーライスはとても美味しかった。(これもネットで調べた情報であるが)レトルトを温めたお湯はコンソメスープにして飲んだ。ちょうど夕食が終わる頃に日が沈んだ。
 翌日は荷物をテント場に置いて雲取山に登り、同じ道を下山することを確認して、各自テントに入って就寝した。シュラフに入ってしばらくは、予想以上のテント内の蒸し暑さと断続的に続く雷への不安から寝付けなかったが、次第に眠気に負けてぐっすりと寝てしまった。

●2日目
 翌朝は4時に起床した。思っていたよりもしっかりと寝ることができて、すっきりとした目覚めだった。あたりはまだ暗く、ヘッドランプの光の中で朝食の準備を開始した。朝のメニューはサラスパを用いたパスタであった。サラスパは通常のパスタに比べて細くて短く、茹で時間が短いことから時間のない朝に向いていると考えて採用した。だが、半分ほどのサラスパを茹ですぎた結果、柔らかすぎて食感がほぼ感じられない、お世辞にも美味しいとは言えないものが出来上がってしまった。
 一部からは人生で一番不味いものを食べたという声も聞かれた。パスタソースだけではとても食べることができず、茹で汁で作ったコンソメスープで流し込んだ。調理の技術については(もはや登山の技術ではないかもしれないが)改善の余地があると感じた。
 朝食を終え、6時前には雲取山に向けて小屋を出発した。荷物が軽くなっただけで、前日とは比べものにならないほど楽に感じられた。天気は晴れで日差しが強かったが、早朝なので空気がひんやりとしていて涼しかった。20分程で七ツ石山に到着し、そこから何回かアップダウンを繰り返した。左手には黄色い花が咲いていた。昨日とは違って後ろから話声も聞こえ、皆余裕があることがわかった。ヘリポートを通過し、急な傾斜を登り切ったところで岡部さんと出会った。
 岡部さんは前日に秩父側から雲取山荘まで登り、テント場で僕たちと合流する予定だった。岡部さんの話によると、昨日は雲取山荘付近も激しい雷雨だったそうだ。岡部さんと別れて再び急登すると、避難小屋が見えてきた。そしてまもなく雲取山頂に到着した。残念ながら富士山までは見えなかったが、景色は良好であった。全員で記念撮影後、下山を開始した。コースタイムを上回るペースで七ツ石小屋に到着し、撤収を開始した。鴨沢のバスの時間を確認し、余裕をもって七ツ石小屋を後にした。再び重くなった荷物に若干の不安を覚えたが、下りは特に問題なかった。順調なペースで下り、バスの時間の30分程前にバス停に到着した。

●総括
 今回の合宿は一言でまとめると失敗に終わったといえる。まず、そもそも計画に若干無理があった。当初の予定は1日目に雲取山荘まで行き、2日目に都県境尾根を経て天祖山、日原方面へ下るというものであった。したがって、初日は予定していた距離の半分程度しか歩いていないことになる。今までの日帰り山行の計画では、コースタイムを上回るペースで考えることも少なくなかった。だが、ほぼ全員が初めてのテント泊であり、重い荷物に慣れていない今回の合宿で同じような計画の立て方をしたのは良くなかった。
 また、夏山の午後は天気が崩れやすいことを考慮し、テント場に早い時間に到着することを忘れてはいけないと感じた。テント場に早く到着するために、1日目の出発時間をもっと早くするべきであった。今後、合宿の計画を立てる際には注意したい。事前準備に関しても、不十分であったと感じた。結局、コース設定や装備分担、献立の作成等をほぼ僕1人でやってしまっていた。きちんと役割分担をして、より時間をかけて部員同士で話し合って準備を進めるべきであった。ただ、みんなでテントを張って食事を作り、1泊2日の生活を共に送るテント泊には、日帰り山行とは一味違った魅力があると感じた。今後もぜひ積極的にテント泊を行っていきたいと感じた。
 部として久しぶりの学生だけでのテント泊となった今回の合宿は、テント泊の楽しさと厳しさを知るとても良い機会となった。今回の経験を後に控える種々の夏合宿や今後の山行に活かしていきたい。最後に、七ツ石小屋のご主人には大変お世話になった。この場を借りて改めてお礼を申し上げたい。

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8月6日 17:05(撮影:内海)
テント場
8月6日 17:40(撮影:内海)
ジャーマンポテト調理中
8月6日 18:26(撮影:内海)
炊飯
8月7日 4:31(撮影:内海)
パスタ調理中
8月7日 8:14(撮影:内海)
雲取山


■OBのコメント(内海さんへの返信)

●2015年8月13日 中村 雅明(昭和43年卒) 


 10人、テント3張りのテント泊の貴重な経験が出来ましたね。6日は強い雨で大変だったでしょうが逆に言うと今後に生かせる良い経験をしました。
 天候判断、行動の修正は適切でした。
 それと食事作りについても全て勉強になったと思います。
 日帰り山行と違って、準備、荷物の重さ、山での生活技術・・・・テント泊こそ山岳部の山登りです。南アルプス、北アルプスの次のテント泊縦走で一段と成長されることを期待します。

●2015年8月14日 藤原 朋信(昭和44年卒)
 内海さん  雲取山記録読ませてもらいました。大変充実した記録で感心しました、体力、経験も進化してますが書く能力もアップしてますね。今後の改善点が全て網羅されているので、参加しなかった部員も記録を読めば体験を共有でき勉強になります。18日からの白根3山縦走にも生かせます(計画の変更などで既に反映されてますが)。
 百聞は一見にしかずで頭で理解しても実際に経験しないとわからないことが多いのですが、今回は天候、パッキング、食料の準備から調理、パーテーの歩き方等々全て経験できたので山行は大成功です !!
 最後に、立派な記録なので(もし送ってなければ)七つ石小屋のご主人に礼状をかねて送付してください。
 PS. 富士山登頂おめでとう。

○藤原さんへの返信  内海 拓人
  藤原さん
 ぜひ部員で共有し、今後の合宿に活かしていきたいと思います。
 連絡手段が確認でき次第、七ツ石小屋のご主人にもお送りしたいと思います。
 富士山は、去年の僕と同じような思いをする人を絶対に出したくなかったので、全員無事に登れてほっとしています。


●2015年8月14日 前神 直樹(昭和51年卒)
 内海君
 雲取の山行記録楽しく読ませていただきました。
 調理や幕営などの生活技術は間違いなく山登りの一部です。こうした技術が高まると山登りは進化してゆきます。
 今後も是非テントによる山行続けてください。1泊2泊3泊とだんだん長くなると別の楽しみもでてきます。
 部員も多く、山登りも結構活発になってますね。積極的な山登りの中で慎重さも求められます。このバランスが難しいですが、これからも頑張ってください

○前神さんへの返信 内海 拓人
 前神さん
 調理や幕営などの技術向上のためには、さらに経験を積む必要があると感じました。
 今後も積極的にテント泊を行っていきたいと考えています。

 計画の立て方など、まだ手探り状態の部分もありますが、安全を第一に配慮して活動していきたいと思います。

●2015年8月14日 山崎 孝寿(特別会員)
 中村さん、内海さん
 (略)
 そういえば山でパスタを茹でるのは結構たいへんなんですが前に「ためしてガッテン」というNHK番組で山で使えるいいアイデアの番組をやっていました。
  http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20131009.html
  http://matome.naver.jp/odai/2138358242351403901
 うちでは家庭でも時折この裏技を使っています。
 朝食なら前夜から夕食なら朝に裏技の準備をしておくといいかもしれませんね。
 ご参考まで 

●2015年8月15日 宮武 幸久(昭和45年卒)
 内海君 雲取山山行記録読ませていただきました。食事に苦労したようですが今後に生かしてかしてください。山での食事が楽しくなることと思います。それと公物私物の重量を計量器でも買うかして事前に調べておいて公物配分の参考にもするようにしてください。

○宮武さんへの返信 内海 拓人
 宮武さん
 食事に関しては、白峰三山合宿で新たなメニューを計画しており、より良いものを目指したいと考えております。部室に計量器があるという話を聞いたことがあるので、今後備品分担の際には活用していきたいと思います。



会   報
***


■2015年7月30日〜8月2日 南アルプス 荒川三山・赤石岳縦走
               小島 和人(昭和40年卒) 中村 雅明(昭和43年卒) 

     ****** 『針葉樹会報』第134号より転載

 小島さん、川名さんと続けてきた恒例の夏山登山は今年は南アルプス(以下南ア)南部縦走を計画しました。椹島から入山し、荒川三山〜赤石岳〜聖岳〜光岳と歩き、易老渡に下山します。
 山小屋に6泊。南ア南部の縦走は昔は大変で、転付峠を越えて二軒小屋に下り千枚岳まで南ア南部でも屈指の急登に苦しみ、はるばる光岳まで縦走した後の下山も寸又峡温泉まで延々11時間を越える林道歩きがあり、時間と体力がある学生時代でないとできない山行でした。
 小島さん、中村の70歳超の2人が縦走する気になったのは、静岡から椹島までのバス便があること、光岳小屋からタクシーを予約しておくと下山口の易老渡から1時間20分で平岡に出られることです。昔に比べると交通の便が良くなったのと、小屋泊で縦走が出来るのは助かります。日程は梅雨が確実に明ける7月末から8月初の8日間(予備日含む)として3人の都合を調整しましたが、川名さんの都合がつかず、小島さん、中村の2人で行くことになりました。小島さんは初めての挑戦、中村は荒川前岳から赤石岳が50年振り、聖岳から茶臼岳が45年振りです。7/28に入山し、好天にも恵まれ荒川三山、赤石岳を縦走し、7/31に予定通り百間洞に着きました。
 ところがその晩に小島さんが一睡も出来ない事態に見舞われました。翌日は聖平までの8時間のコースタームを考えてここで縦走を打ち切り、赤石岳に引き返し赤石小屋に一泊し8/2に椹島に下山しました。目標とした光岳まで縦走できず残念でしたが、南ア南部の核心部分の荒川三山、赤石岳を存分に楽しみました。3000mを越える稜線からの大展望、豊富な高山植物は期待以上でした。来年は易老渡から入山し、光岳〜茶臼岳〜聖岳まで北上する雪辱戦(「南アルプス縦走(その2)」をやろうと小島さんと意気投合しました。(文責:中村)

T メンバー
  小島 和人、中村 雅明

U 行程
 7月28日 静岡(9:50)=(バス:ずてつジャストライン)=畑薙第一ダム(13:15〜14:00)   
        =(シャトルバス:東海フォレスト)=椹島(14:50)
 7月29日 椹島(5:32)−6pで清水平(9:20〜40)−5pで駒鳥池(12:35〜45)−2pで千枚小屋(13:25)
 7月30日 千枚小屋(5:38)−3pで千枚岳(6:35〜45)−3pで荒川東岳(9:38〜9:00)−3pで中岳(10:25〜35)
       −2pで荒川前岳(10:50〜52)−2pで荒川小屋(12:15)
 7月31日 荒川小屋(5:18)−2pで大聖寺平(5:58〜6:06)−2pで小赤石岳(7:50〜58)−2pで赤石岳(8:42〜9:50)
       −3pで百間洞山の家(12:18)
 8月 1日 百間洞山の家(6:30)−8pで赤石岳(11:00〜37)−赤石小屋への分岐(11:55〜58)
       −3pで富士見平(13:51〜58) − 赤石小屋(14:30
 8月 2日 赤石小屋(5:58) − 3pで椹島ロッジ(8:40〜10:30) =(シャトルバス)=畑薙第一ダム(11:30〜40)
       =(タクシー)=静岡(15:00)
 
V 前半の行動概要(7月28日〜31日:入山から百間洞まで)  中村 雅明

●7月28日(火) 晴れ
 南ア南部の登山拠点椹島の中継基地の畑薙第一ダムに静岡駅発9:50の南アルプス登山線(しずてつジャストライン)で向かいました。1日1便、完全予約制(3100円)です。途中2回休憩して13:15畑薙第一ダム夏期臨時駐車場に着きました。約3時間半の長丁場でしたが、中村は小島さんから「休憩でバスを降りた時以外は殆ど寝ていたよ」と笑われました。
 ここで東海フォレストの送迎バスに乗り換え、50分で椹島ロッジに着きました。このバスには椹島ロッジ等東海フォレストの山小屋に泊まる人のみ乗ることが出来ます。乗る時に払ったバス代3000円は、1泊2食9000円に含まれています。椹島ロッジは定員180名の大きなロッジで風呂もあり(但し、2人とも入浴せず)、食事も美味く快適でした。

●7月29日(水) 曇り時々晴れ
 5:30に椹島ロッジ出発。今日は千枚小屋(2,500m)まで標高差1,400m、約7時間のコースタイムなので気を引き締めて登山を開始しました。林道を二軒小屋方面に進み、瀧見橋の手前から左手の登山道に入りました。大井川本流沿いの崖を削って出来た道をしばらく辿り、奥西河内の吊橋を渡ると岩交りの尾根の急登が始まりました。天気は曇りで樹林帯の道は薄暗く南アの奥深さを感じました。急登ひと登りで鉄塔、その先の岩尾根を慎重に下り、林道を横切った後、小石下に登り返すと清水平まで緩やかな単調な樹林帯の登りが続きました。清水平は冷たい沢の水が流れる絶好の休憩場所でした。1回目の昼食を摂って一息つきました。
 その後、蕨段まで急登が続いて少し緩やかな登り、見晴台を過ぎると木馬道跡の急な坂道が続きます。この坂道で小島さんの足が攣って「芍薬甘草湯」を飲んだこともあり駒鳥池までゆっくりペースで登りました。駒鳥池の周囲は湿地で緑色の苔に覆われて幽玄の趣きがありました。駒鳥池からオオシラビソの原生林を抜けジグザグを登って13:25千枚小屋に着きました。椹島から8時間。樹林帯の中の単調な登りの連続で疲れましたが、今日は曇りで暑い夏の日差しがなかったので助かりました。小屋の廻りの斜面はマルバダケブキが咲き誇るお花畑で綺麗でした。千枚小屋は2009年6月末に焼失し新築されたとのこと。まだ新しく小奇麗でした。収容人数100名ですが夏の最盛期なので満室でした。1泊2食+トイレ代で9100円。
▼画像をクリックすると大きく表示されます。
7月29日 12:35 駒鳥池 7月29日 13:52 千枚小屋

●7月30日(木) 晴れ
 今日は荒川三山を縦走して荒川小屋までのコースタイム3時間40分の短い行程です。5:40千枚小屋発。登り始めからシナノキンバイ、ミヤマキンバイ、ハクサンフウロ、マルバダケブキなどが咲くお花畑です。それを過ぎると樹林が開け富士山撮影ポイント。次のピッチで千枚岳見晴に着くと一気に展望が開けました。荒川前岳から小赤石岳、赤石岳に続く稜線に初見参。
 振り返ると昨日登ってきた尾根とその奥遠くに笊ヶ岳の双耳峰が聳えています。
 ザレ場を直登して千枚岳頂上(2,879.8m)に6:35到着。頂上から北方に塩見岳から蝙蝠岳、さらにその先に北岳、間ノ岳の展望を楽しみました。頂上の岩陰にはチシマギキョウ、タカネマツムシソウも可憐に咲いています。千枚岳からの登山道はやせ尾根となり、丸山とのコルに下りる岩場は鉄梯子が欲しい危険な箇所でした。その先の足元、尾根の斜面にはチシマギキョウ、タカネマツムシソウの紫、ミネウスユキソウ、イワツメクサの白、ウサギキクの黄、ヨツバシオガマの赤桃、色とりどりの花が咲き緊張感が和らぎました。丸山(3032m)を過ぎると岩稜帯になり、大きな岩の上を越えながら悪沢岳の頂上を目指します。
かなりつらい登りですが、遠くに赤石岳を眺め、足元の花を楽しみながら登るので疲れが癒されます。歩き始めてから3時間、8:40荒川東岳(悪沢岳)3,142m着。主脈から離れ日本で第6位(南ア南部の最高峰)の高さなので南アの中でも優れた眺望が得られます。これから向かう中岳、前岳、赤石岳、前岳から北方に小河内岳から塩見岳、その奥に間ノ岳、北岳の巨峰が聳えます。頂上の岩陰にはチシマギキョウの紫、カンチコウゾリナの黄、イワツメクサ、ミヤマミミナグサの白、ヨツバシオガマの赤紫が咲き、360度の山岳展望と合わせて贅沢な頂上です。
 荒川中岳へは傾斜が急なもろい尾根を250m下ってその高さまで登り返します。中岳避難小屋前で小憩後、前岳へ。荒川小屋への下降点にザックを置いて荒川前岳往復。頂上には三伏峠から縦走して来た年配の女性が1人で休んでいました。荒川小屋へ下る荒川前岳の南東斜面は南ア最大のお花畑。縦200m横100mの斜面一杯に黄色のミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、イワベンケイ、ミヤマタンポポ、白色のハクサンイチゲ、ミネウスユキソウ、紅色のタカネヤハズハハコ、ハクサンフウロ、茶褐色のクロユリ、紫色のミヤマトリカブト、ミヤマオダマキ・・・が咲き乱れていました。正に百花繚乱。今回の山行のお目当て通りの素晴らしいお花畑に満足して12:15荒川小屋に着きました。昼食を兼ねてのラーメン(1000円)で腹ごしらえした後、ビールで乾杯。荒川小屋は収容人員100名。トイレ、水場が少し離れた所にあるのが難点ですが、小屋内部は綺麗で食事も良く快適でした。

7月30日 4:48
千枚小屋からの富士山
7月30日 6:37
 千枚岳頂上にて(小島)
7月30日 6:56
千枚岳先の岩場(小島)
7月30日 8:48
赤石岳を背に荒川東岳手前にて
(中村)
 7月30日 8:56
荒川東岳(悪沢岳)頂上
 7月30日 8:56
荒川中岳頂上にて(小島)

●7月31日(金) 晴れ
 縦走3日目、5:18荒川小屋発。ガスもなく空は晴れ上がり気持ち良い夏山の朝です。小屋から急登の後、道の両脇に朝露に濡れるキバナシャクナゲの群落を見つけ写真を撮りました。その先の小礫のトラバース道を緩やかに登ります。大聖寺平まで正面に小赤石岳を見ながら歩く気分は「これぞ南ア縦走」と格別です。ダマシ平からつづら折りの急登3pで小赤石岳。ここでライチョウの子供2羽を見つけました。チョコチョコ動くので中々焦点が合いませんが何とか写真を撮りました。小赤石岳から少し進んだ稜線で今度は親のライチョウを見つけました。普段はすぐ移動してしまうところ稜線でじっと動かないので良い姿の写真を撮ることができました。赤石岳へ続く稜線はお花畑が連続するので有名です。稜線から少し足を踏み入れたお花畑でミネウスユキソウ、イワツメクサ、チシマギキョウの見事な群落写真を撮りました。
 8:42赤石岳頂上着。夏山の最盛期、南ア南部で最も人気のある山だけあって多くの登山者で賑わっています。聖岳以南はガスの中でしたが、赤石岳から下って百間平に向かう馬ノ背の稜線が「これぞ南アの稜線!」と印象的です。北方には昨日歩いて来た荒川三山、その先に塩見岳、その右奥に北岳、左奥に仙丈岳など南ア北部の3000m峰、遥か遠くに北アルプス、その左に中央アルプスの山々が望めます。深田久弥が「日本百名山」で赤石岳の頂上を「私の記憶にあるあらゆる頂上のなかで、赤石岳のそれほど立派なものはない。それは実におおらかな風貌をそなえている。広々としているがただの緩慢ではなく、キリッとした緊まりがある。これほど寛容と威厳を兼ねそなえた頂上はほかにあるまい。」と絶賛しています。
 この居心地の良い頂上で1時間たっぷり休み、9:50百間洞に向かいました。ここから先は登山者が少なくなりました。赤石岳避難小屋の手前で右に折れしばら行くと急な下りになりました。下り終わると「百間洞へ120分」の標柱。そこからは赤石岳斜面のトラバース道。それが終わると馬ノ背の尾根歩き。南アルプスの縦走の楽しさを味わいながら気持ち良く歩きました。この尾根の途中の窪地の聖岳・荒川岳のビューポイントで休憩しましたが、ガスが涌いて展望がなく残念でした。百間平を過ぎると百間洞に向かってどんどん下ります。正面に百間洞から中盛丸山に登る道が見え、下るにつれ登りがそれだけ高くなり「あしたはあれを登るの」と嘆きました。ゴーロの急坂が終わると樹林帯に入り、沢筋を少し下ると12:18百間洞山に家に着きました。
 定員60名。1992年秋に新築された小屋で快適でした。洞の暗いイメージと違って小屋の前のベンチ脇には綺麗な水が流れ、涼しい風が吹きわたります。ベンチに座って順調に縦走してきたことを祝ってビールで乾杯しました。小屋の近くに聖岳の展望台がありました。そこに行く道の両側の斜面がミヤマトリカブトの群落が見事で写真を沢山撮りました。夕食はボリュームたっぷりのとんかつに感激しました。縦走の疲れもたまっていたので、早々と就寝しました。

7月31日 7:55
小赤石岳山頂にて(小島(左)、中村(右))
7月31日 8:03
小赤石岳先のライチョウ
7月31日 8:05
赤石岳に向かって(小島)
7月31日 8:55
赤石岳山頂にて(小島(左)、中村(右))

 W 後半の行動概要(7月31日夜〜8月2日:百間洞の夜〜下山)  小島 和人

●7月31日夜
 昼には百闢エの小屋に着き先ずは受付二階に自分たちのスペースを確保、それから外に出てゆっくり缶ビールで中村さんと乾杯、アタリメを肴にゆったりと小屋の横のせせらぎの音と爽やかなそよ風に包まれてこれぞ極楽とのんびりしました。昨日今日と歩いて来た南アルプスの3000m稜線の、叫びたくなるような澄み切った山々の景色を思いだし、快調な体の調子に思わず感謝していました。
 夕食のとんかつに、山の食事も良くなったものだと感心し、6時過ぎに再び外に出てウイスキーを取り出し、明日の聖岳の稜線の漫歩を想像して思わず体全体が喜びに震えていました。長引かないように注意して7時半ごろには床に就きました。寝ようと思いましたが昼からゆっくり休んだからか、一向に眠くならず昨日今日の稜線の美しい景色、雷鳥親子、山の桔梗の鮮やかな青紫色と色々なことが浮かんで来ました。二時間ごとに小屋の外に出て月夜に浮かぶ山容を眺め、火照った体を冷やしました。山以外の事を考えた方が良いかと最近のゴルフのすべてのショットを思い浮かべました。でも状況に変化はありません。

●8月1日(土) 晴れ時々曇り
 寝られぬままに新しい日を迎えました。これは拙いぞと思い始めましたが頭はさえるばかり、一時間おきに外に出て体を冷やし、水でハンカチを濡らして持ち帰り頭を冷やす。トイレから一階、一階から二階の寝床に上がる階段で動悸を覚えるように感ずる。「後3時間眠られる大丈夫、あと2時間大丈夫、あと1時間かー。」午前3時半過ぎに階下の台所で物音がして、下りて行って従業員に「一睡もできなかった。血圧計を貸してください。」「そんなものありません。」
「朝になったら無線で相談できるお医者さんいますかね?」「そんな人いません。」
 かくて打つ手なし、朝ご飯が済んだらもう一度寝て今日は沈殿しようと密かに決める。朝の食欲普通で、朝食を平らげる。食後中村さんから睡眠剤をもらって飲んで寝ようとするが眠くならない。考えてみると、以前に徹夜明けで会社から帰りそのまま一風呂浴びてゴルフに行ったら信じがたく良いスコアーが出たことがある。横になっていたのだから体は大丈夫ではない?
 予定通り聖に向かおうか?いや万一途中で心臓発作等起こしたら「シニア―が無理な登山で遭難」と報じられるに違いない。再建途上の一橋山岳部に大変な迷惑がかかることは絶対避けなければいけない。あれやこれや考えて、山小屋のご主人達と相談して、結論は「人通りが少なく、小屋も少ない聖方面に行くのは避け、赤石岳に戻って赤石小屋から椹島に帰る。」案に収まった。幸い小屋に在った唯一の測定器で血中酸素は正常であるとの判定。駄目だったら戻る前提で稜線まで赤石岳方面に出よう、そして出来るだけ早く知り合いの医者に連絡を取ろうと6時半小屋を出発する。最初15分ピッチ次から20分ピッチでゆっくり歩いてもらう。心配するものだから体が重い。しかし三ピッチほどで少し自信が出てくる。
 稜線について携帯が通じるようになり、八時過ぎに知り合いの医者に連絡取るも留守。止む無く北海道の小野さんに連絡し先日十勝で一緒だった橋本先生に事情を話注意事項など訊いてもらう。結果的には「極度の興奮」位しか判断が出ず。体も動くことが解ったので先に進む。百間平周辺では昨日雲の中だった聖岳の全容が目の前、昨日霞んで見えていた槍・穂高がはっきりと見えた。夏の静かな南アルプスの稜線を満喫できる精神状態になった。。それでも体を気遣ってゆっくり進む11時過ぎに赤石岳の避難小屋に着いた。夏の間小屋を守るご夫婦が連絡を受けていて「異常はないですか?お茶出すからゆっくり休んでから下りなさい。」といたわってくれる。ぶっきらぼーに見えた百闢エの小屋の主人が丁寧に連絡してくれていた事を実感、感謝する。
 小屋での大休止の後赤石山頂から12時に赤石小屋への分岐、それから急なガラ場の斜面を45分、気を使うくだりだったが谷川が近づく連れ、北沢源流部のシナノキンバイ、ハクサンイチゲ、ホソバトリカブトなどの群落にホッとする。高山植物の好きな中村さんカメラを出してパチパチ。樹林帯に入り、やれやれ着いたかと思ったのは誤りで、トラバースの長いこと、一時間半、雷が近くでなりだしたが雨の前に2時半に小屋に到着できた。
 赤石小屋に着くと小屋の主人が「あー小島さんの事は連絡が入っています。今夜は週末で大変混んでいますが、布団一枚確保できる静かなところを使ってください。」と本館から30m位下ったところの小屋に案内してくれた。後でわかったことだが、冬季に登山者が使える避難小屋で柱等骨組丸出しの大きな木造建物。最初静かであったが、次々にシニア―のパーティーが送り込まれて二階まで一杯になった。それでも私と中村さんは十分なスペースを確保できた。夕食でビールを楽しみ7時過ぎには床に入った。間もなく寝込んでいたようである。
8月1日 8:00
聖岳を背に百間平にて(中村(左)、小島(右))
8月1日 9:39
標柱から聖岳を望む

●8月2日(日) 晴れ
 昨夜は小用に一度起きたがぐっすり9時間眠ることが出来た。前夜は一体なんだったのか?5時からの朝食も美味しく平らげて小屋の前に広がる赤石岳の雄姿に当たる朝日を眺めて暫く過ごす。しかし一昨日の事が胸の内にわだかまる。百闢エの小屋に無事下山したと伝言を依頼し、小屋に御礼を言って下りにかかる。一部急なところもあるが全体に歩きやすい道で、どんどん下る中村さんを追って、2−3組の団体登山を追い越して下る。3ピッチで3時間半の工程を2時間半で下る。`一橋下山部`と自負していた元気な現役時代を思い出し気分爽快。一昨日の事も忘れる。
 椹島ロッジでまずは10時半のクラブバスを予約、13時まで待たねばと思っていたのに大分早く帰れそう。シャワー室に行くと我々が一番、またまた爽快。ロッジでビールとコーラで乾杯。なんと私がコーラ。クラブバスの後畑薙ダムで予約したタクシーに乗り、来る時と同じ3時間で静岡駅に着いた。タクシーの中で中村さんと聖岳・光岳への再挑戦を約束をし、塩見岳を初めとする南アルプスの稜線歩きを数年やろうと話した。是非針葉樹会員に声を掛け実現したいものだ。
(後日談:その後知り合いの医者にいろいろ相談したが「興奮したのでしょう。」の結論です。
大枚をはたいて心臓ドックなど受診しましたが結果は‘健康‘でした。)
8月2日 5:13
赤石小屋から赤石岳を望む
8月2日 5:13
赤石小屋から聖岳を望む

■2015年12月19日の佐藤、高崎、小島、池知、中村宛てメール  原 博貞(昭和41年卒)

 (前略)針葉樹会報が届き、小島さんと中村さんの南ア縦走の話が出ていました。家内がこれを見て「アレマ− 小島さんて思っていたよりデリケ−トな方だったのねえ」と感心しました。
 もう何年も前(※1)ですが、家内と同じコ−スを辿り光まで縦走しました。これについては会報にも出したような気がします(※2)。驚きなのはコ−スタイムで、どこでも2時間近く我々が早かったようです。たとえば百阨ス小屋についたのは9時半頃で、「もう泊まっても良いでしょうか?」と聞き、小屋の人から「どうぞどうぞ、早い方が遅い寄りズ−ッと良い」と言われた記憶があります。
 そうそう、晩飯はやはり揚げたてトンカツでした。歓迎されたのには理由があって、数日前に、同じように早く着いた年寄りが「今日中に下まで行きたい」と言って聖の東尾根を下り行方不明になったからです。翌朝は静岡県警山岳救助隊の人達と聖まで同行し、「東尾根から多分、赤石沢に降りたと思う」とアドヴァイスしました。冬に東尾根から赤石岳に登った事があったからです。
 でも小島さんと中村さんとは良いコンビで最後にコ−ラとビ−ルで乾杯した所で爆笑でした。

 ※1 2002.8.7椹島着〜8.13下山(2016.1.3メール)
 ※2 会報には要求されない限り投稿しないと思いますので、仲間に出しただけかも知れません。(2016.1.7)

■2002年8月7〜13日 南ア南半縦走  原 博貞(昭和41年卒)

同行:妻
これが3回目の挑戦です。1回目は高崎と1964年5月。マンノウ沢(現在は廃道)から千枚へ。頂上で暴風雨に遭遇し2日間ツエルトでびしょぬれで粘るも断念。 2回目は1997年、妻と椹島から千枚小屋に至るも、これも大雨で断念。
8月7日 椹島ロッジ泊。
   8日 曇り 
ロッジ発 6:15 千枚小屋着 11:53 夕食のメインは鳥唐揚げ
   9日 曇り時々雨 
小屋発 5:40 荒川小屋着 9:53 前岳避難小屋で雨激しく暫く停止。今回も駄目か?と思う。 
夕食:カレ− 煮物 酢の物 漬物2種 デザ−トに西瓜。
小屋に着いたとき、宿泊の申し込みをすると先についていた千枚小屋同宿の連中から「早すぎる、今日中に赤石を越えるべき」とブ−イングを浴びた。(余計なお世話だ!)
  10日 曇り時々薄日 
荒川小屋発 5:20 百闢エ着 9:10 夕食:揚げたてのトンカツ キャベツ千切り付き 汁ソバ (驚異のメニュ−!)
 日のブ−イングもあり小屋番さんに「ちょっと早過ぎますか?」と恐る恐る聞くと「早いのは大いに結構です。大歓迎」と言われた。数日前に、前岳避難小屋を出発した単独行の爺さんがここに着くや「今日中に下まで行きたい。聖平経由か、聖東尾根経由でどうか?」と聞かれ、小屋番はちょっと困って「各人の脚力は判らないから答えられない、無理はしないで」と言ったと。しかし、爺さん、そのまま聖方面に向かい、行方不明になっていた。 部屋に入ると前日ブ−イングを浴びせた夫婦が恥ずかしそうに座っていた。膝を痛めたのだと。(それ、見ろ!)この小屋は蔵書がそろっていて退屈はなし。
  11日 曇り時々晴れ 
小屋発 5:10 聖平着 11:40 夕食:カレ− デザ−トはゼリ−
百闢エから聖の頂上まで先述の行方不明者捜索の静岡県警山岳救助隊の二人と同行した。「奥さん、いいペ−スで歩きますね」とかなんとか、さんざん、おべんちゃらを言われ、気を良くした家内はチョコレ−トやレモンなどをせっせとプレゼントしていた。頂上で別れる時「私は冬、この東尾根を往復した経験がありますが、下りで東尾根から椹島に降りる右の沢に入る所が間違いやすい、多分不明者はそこを通り過ぎて赤石沢に入ってしまい動きが取れなくなったのでは?」とアドヴァイスしておいた。
  12日 曇り 聖平発 5:15 光小屋着 13:25  夕食 山菜天ぷら ポテトサラダ 汁
のんびりの1日でしたが、光岳は大きくて期待以上の良い山でした。
  13日 小屋発 5:55 易老岳に戻り、易老渡へ下る。10:10着 光小屋からタクシ−を予約してあり、そこから飯田線平岡駅へ。1963年秋 長澤さんと山本さんに連れられ平岡駅から西沢渡まで延々と歩いた軌道道が眼下に見え、大いに愉快なドライブだった。
天気がパッとしないのが残念だったが、これで宿願は果たせ満足した。
夕食のメニュ−に拘ったのは、南の小屋は飯が不味い!という定評があるのにこの地域だけ、革命的な献立が導入されており、感動したからです。カレ−といっても普通のカレ−でなく良く煮込んだ手の込んだ品でした。



会   報
***


■2015年7月16〜19日 十勝岳・富良野岳行  宮武 幸久(昭和45年卒)
          *********** 『針葉樹会報』第134号より転載

●7月16日
 出発の朝は台風11号の影響で雨の中であったが羽田に着く頃はすでにやんでいた。
 日頃の行いの良い方がたは佐薙さん(昭31)を筆頭に小島さん(40)佐藤久さん(41)と私の内地組と札幌の小野さん(40)の会員と今回は小野さんの山仲間の橋本さんと手塚さんの総勢7名の参加となった。
 橋本さんは内科の女医さんで針葉樹会員とは過去にスキーでご一緒したことがあるとのことで地域限定のビールをはじめ大量の食糧を差し入れしていただきました。
 手塚さんは北電山岳部で小野さんの後輩で今山行では車の運転から献立・買い出し・調理など全てを一手に引き受けてくださいました。お二人のおかげで山行が一段と楽しいものになりました。大変感謝します。ありがとうございました。
千歳から富良野のラベンダー畑を経由し連泊することになる十勝岳温泉郷白銀荘に向かう。
 白銀荘は富良野町営で自炊専門の1泊2600円ではあるが調理・食事器具がすべてそろっており何よりも各種の温泉が豊富でなかなか快適なところであった。これに加え持ち込んだ新鮮な肉・魚介類・野菜そして圧巻なのが20リットル入りの生ビール樽があいまって連日の「ビール・ふろ・ビール」の毎日となった。

●7月17日
 いよいよ十勝岳へ高低差約1000メートルの登山に朝6時半出発。歩き始めて間もなく標高1100メートルぐらいだろうか這松帯が現れさすが北海道の山らしさが感じられた。望岳台からの道に合流、十勝岳避難小屋を過ぎるころは火山礫を踏みしめるようになり1ピッチで200メートルを稼ぐ快調なペース。十勝岳往復の案もあったが十勝岳を越えて上ホロカメットク岳・上富良野岳経由凌雲閣までの周遊コースと決め噴煙の中を一路十勝岳へ。11時十勝岳2017m頂上に到着。眺望もよく遠くは重量感あふれる旭岳、ピークが二つに割れている特徴的なトムラウシ山近くは富士に見えるが美瑛富士でないよと教えてもらった美瑛岳など大雪山塊を見渡すことができた。
 その後富良野町・美瑛町の田園風景を見ながらの稜線歩き。手塚さんの実家がやっているかぼちゃファームが見えている。奥深い北海道の山々の中でアプローチの手軽さがこの辺の人気の高さの理由なんだろうとも思う。このころからやや下向き加減の歩行になり上ホロカメットク岳は一も二もなく巻くこととして上ホロ避難小屋へ。ここで今までの景色が一変しまさしく一面のお花畑と雪渓からの冷たい水に出会えて元気を取り戻す。その後上富良野岳より急坂を下山開始。道中は佐薙さんに教えてもらう「今標高何メートルだ」との掛け声に一喜一憂しながら明日登る富良野岳への分岐点・安政火口を経由して16時15分十勝岳温泉凌雲閣に到着し、約10時間のアルバイトを終了。
 昨日のうちに回しておいた手塚車で白銀荘へ。そして「ビール・ふろ・ビール」

●7月18日
 やや曇りの中富良野岳登山口の凌雲閣へ。凌雲閣前の駐車場はすでに満員で路肩に駐車する。
 凌雲閣はいまも定期バスの終点で昔からの登山の拠点だったようだが現在は外国人の旅行客で予約を取るのがなかなかむずかしいとのこと。
 6時40分標高差約700mの登山開始。分岐まで昨日の道今日も快調のペース。途中の安政火口は大雨で土砂が埋まり一時不通になったとのこと。7時45分分岐点。ここから富良野岳へは昨日と違って背の低い樹林帯の中を頂上近くまでを歩く。佐薙さんの年齢を聞いてびっくりした若いカップルと最後まで抜きつ抜かれずのペース。9時40分に稜線に、やや曇りがちだったがこの時は晴れて、昨日の十勝岳が秀麗な三角錐を見せてくれた。頂上までは高山植物の連続。そして10時半富良野岳1911メートル頂上着。さすがに登山客も多く人気の高さをうかがわせてくれる。
 大雪山塊との別れを惜しみつつ下山開始。下山は来た道を分岐・安政火口を経由して凌雲閣へ。
 凌雲閣着14時30分。白銀荘へそして最後の「ビール・ふろ・ビール」

●7月19日 
 帰京日、2〜3の観光地をご案内いただき渋滞を避け旭川経由で無事千歳空港へ。
 札幌組の至れり尽くせりのご配慮に再度感謝します。本当にありがとうございました。
 最後に、聞くところによれば会の北海道シリーズも名峰を登りつくし一応の節目を迎えたとのことですがまだまだご一緒したいと思っていますのでよろしくお願いします。



7月17日 十勝岳山頂にて
    (後列左から小島、宮武、佐藤、小野、手塚)
    (前列左から橋本、佐薙)


 7月18日 富良野岳山頂にて
(後列左から佐薙、小野、小島、佐藤)
(前列左から宮武、橋本、手塚)

会   報
***


■2015年7月8〜13日 十勝連峰〜トムラウシ縦走  中村 雅明(昭和43年卒) 
    ****** 『針葉樹会報』第134号より転載(一部改訂)

メンバー;中村 雅明、中村 航(長男:42歳)
行程: 7月8日 羽田(6:45)−旭川空港(8:25〜40)−旭川(9:10〜11:33)−上富良野 (12:25〜12:49)
−バーデンかみふらの(13:14)
7月9日 バーデンかみふらの(4:30)−凌雲閣(5:00)−安政火口分岐先(5:30〜45)上ホロ分岐先(6:32〜40)
−富良野岳稜線分岐直下(7:28〜37)−富良野岳稜線分岐(7:40〜45)−富良野岳(8:15〜25)
−富良野岳稜線分岐(8:43〜50)−三峰山手前(9:38〜58)−上富良野岳(10:46〜11:20)
−十勝岳温泉分岐(11:25)−上ホロカメットク山(11:35〜38)−十勝岳温泉分岐(11:47)
−上ホロカメットク避難小屋(12:17)
7月10日 上ホロカメットク避難小屋(4:32)−十勝岳(5:29〜43)−美瑛岳登山口(6:32〜40)
−美瑛岳手前(7:20〜30)−美瑛岳分岐(8:00)−美瑛岳(8:22〜28)−美瑛岳分岐(8:43〜9:00)
−美瑛富士分岐(9:31〜45)−美瑛富士(10:09〜15)−美瑛富士分岐(10:26〜35)
−美瑛富士避難小屋分岐(11:05〜10)−石垣山先(11:50〜12:00)−ベベツ岳先(12:30〜40)
−オプタテシケ山手前(12:53〜13:10)−オプタテシケ山直下(13:50〜58)−オプタテシケ山(14:18〜25)
−双子池キャンプ指定地(16:35)
7月11日 双子池キャンプ指定地(4:48)−カブト岩手前(5:32〜41)−1668m峰(6:21〜39)
−コスマヌプリ先(7:26〜35)−ツリガネ山手前(8:20〜25)−ツリガネ山先(9:15〜30)
−ツリガネ山下り(10:10〜18)−1507m峰先(10:58〜11:05)−三川台手前(11:39〜11:45)
−三川台先(12:15〜21)−南沼手前(13:01〜20)−南沼キャンプ指定地(14:45)
7月12日 南沼キャンプ指定地(4:47)−トムラウシ公園(5:37〜45)−前トム平(6:15〜25)
−コマドリ沢手前(6:58〜7:05)−コマドリ沢分岐(7:20〜30)−尾根への登り終了(7:55〜8:05)
−旧道との分岐(8:58)−カムイ天上(9:10)−温泉コース分岐(9:42〜55)−3pでトムラウシ温泉(11:36)
7月13日 東大雪荘(9:50)−新得駅(10:50〜11:06)−帯広(11:36〜12:40)−とかち帯広空港(13:40〜15:50)
−羽田(17:30)

 2010年7月8〜14日大雪連峰(黒岳〜トムラウシ山)を長男と2人で縦走しました。トムラウシ山頂上で見た十勝連峰、ひときわ連峰の盟主十勝岳の秀麗な姿が印象的でした。また、南沼からオプタテシケ山に続く緑溢れるゆるやかな稜線もいずれ歩きたいと思いました。
 それから5年、長男に十勝連峰〜トムラウシ南沼までの縦走を呼びかけました。長男にとって大雪連峰縦走が良かったのでしょう。即、話に乗りました。十勝連峰の縦走の起点として最初は富良野岳登山口から原始ヶ原湿原を経て富良野岳に登るコースを考えました。縦走コースとして完璧、原始ヶ原が魅力的だったことからですが、登山口までのバスの便がないこと、宿泊場所がないことからこのコースを断念し、十勝岳温泉を起点としました。
 十勝連峰は大雪連峰と違って避難小屋が少ないのが難点です。縦走の初日は十勝岳の手前の上ホロカメットク避難小屋に泊まれますが、その先の双子池、南沼はテント泊となります。天気が悪い場合は十勝連峰の縦走で打ち切ることにしました。昨年9月の御嶽山噴火以来、火山の活動が活発になり、活火山である十勝岳を心配しましたが、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)から1(平常)に下がったことを小野先輩から伺い実施することにしました。出発直前に調べた天気予報で、十勝岳方面は好天が続く予報に意を強くして東京を発ちました。

●7月8日(木) 晴れ [入山]
 旭川行エアドウ第1便(6:45)で羽田を出発、8:25に旭川空港着。1階到着ロビー総合案内でガスカートリッジ2個を購入し、直ちにリムジンバスで旭川駅に向かいました。旭川駅から上富良野駅まで富良野線で移動、車中は中国人観光客が殆どです。上富良野駅前から町営バスで12:49十勝岳温泉へ。
 約40分で“バーデンかみふらの”で下車。バス停の前から富良野岳、三峰山、上富良野岳が良く見えます。終点の凌雲閣(十勝岳温泉登山口がすぐ近く)に泊まりたかったのですが、4月時点で満室だったので徒歩約1時間下の“ヒュッテ バーデンかみふらの”が今晩の宿です。
 鉄筋2階建ての山小屋風の大きな建物で、にごり湯の露天風呂が快適でした。夕食は富良野地域ではここでしか食べられない“ふらの和牛”を使用したステーキを美味しく食べました。夕食時から中国人の学生グループ、家族づれが続々到着し、宿泊者の殆どが中国人でした。凌雲閣が満室で取れなかったのもおそらくこの為かと推測しました。明日は早立ちなので早々に就寝しました。

▼画像をクリックすると大きく表示されます。
7月8日 13:17
ヒュッテ バーデンかみふらの
      
7月8日 13:17
バス停の前からの富良野岳、三峰山、上富良野岳

●7月9日(金) 快晴[縦走1日目]
 3:30起床。昨日、コンビニで買ったおにぎり、パンの簡単な朝食を済ませ、4:30に宿を出発しました。空は晴れ上がって雲一つありません。60Lのザックの一杯の荷物の重さは20kgで久し振りに肩に食い込みます。宿の横から樹林の中に作られた翁地区遊歩道に入って凌雲閣に向かいました。ガイドブックに載っている案内板は無く、道にも草が生え、最近は歩く人が少ない様です。カミホロ荘を過ぎ少し上った所で車道に出ました。
 展望は良いものの山道より遠廻りになることを覚悟して歩いていると、自家用車が止まり「どうぞお乗りください」と声をかけられました。有り難く便乗したお蔭で、コースタイムの半分の30分で凌雲閣の駐車場に着きました。登山口(1,280m)からしばらく幅広い砂利道が続きます。三段山分岐を過ぎ、緩やかな登りを進んで、ヌッカクシ富良野川へ下って対岸に渡り斜面を登った処が安政火口入口。ここから三峰山、上ホロカメットク山が良く見えました。ここからは山腹の道を辿り2pで8:43富良野岳稜線分岐に着きました。
 途中に雪渓あり、沢有りの変化に富んだコースでした。稜線に近づくと三角錐の十勝岳が見えました。この分岐は広くて展望が良い絶好の休憩ポイントです。ここで第2回目の朝食を摂った後、ザックを置いて富良野岳を往復しました(往路:30分、復路:18分)。富良野岳は“花の百名山”の中でも高山植物が豊富な事で有名です。富良野岳に登る道脇の斜面にチングルマ、ハクサンイチゲの見事な群落が広がります。登るにつれてエゾコザクラ、エゾノツガザクラ、チシマキンバイ、ハクサンチドリが次々に現れ、かなり急な登りも気になりません。8:15富良野岳山頂(1,912m)に到着。
 登山口から3時間15分、縦走の最初のピークです。人気の山だけあって狭い頂上は登山者が溢れています。十勝連峰の南端でしかも天気は快晴、360度の大展望を楽しみました。北方には手前の三峰山から上富良野岳、上ホロカメットク山、十勝岳と十勝連峰が続きます。左遠くには大雪連峰、右遠くには石狩連峰が連なります。東には十勝岳連峰から分岐して境山、下ホロカメットク山へ続く優美な山並み、その遠方にはニペソツ山やウペペサンケ山。南西眼下に頂上から前富良野岳に続く稜線、南麓に緑の針葉樹林帯が広がり、その中に草地、池塘、真っ白な雪田が点在する原始ヶ原を見下ろします。その奥に夕張岳、芦別山が聳えます。北西には増毛山地の暑寒別山も見えます。これ以上ない展望に満足して富良野岳温泉分岐に戻りました。勿論、帰りも花をたっぷり楽しみました。
 分岐からいよいよ稜線歩きです。三つのピークを持つ三峰山を越え、10:46上富良野岳(1,896m)に到着。分岐から2時間。かなりの登りでしたがチングルマ、アオノツガザクラの群生に慰さめられました。頂上からは十勝岳の姿が大きく見えます。振り返ると先ほど登った富良野岳が大きく聳え立派です。頂上には昼寝に最適な岩があり、そこに寝転ぶと寝姿と三峰山から富良野岳がそっくり入った良い写真が撮れました。
 頂上から少し下った十勝岳温泉分岐から10分の上ホロカメットク山(1,920m)を往復。
頂上から見る安政火口の荒々しい山肌は迫力満点です。この頂上からは十勝岳がより近く、より大きく、富良野岳がより遠くに見えます。遠方には石狩連峰が連なります。
 分岐からトラバース気味に下り、上ホロカメットク頂上から下る尾根を乗越して沢に下り、少し上った台地に建つ上ホロカメットク避難小屋(以下上ホロ避難小屋)に12:17着きました。このコースも花が豊富で分岐からの斜面で見たハクサンコザクラ、エゾノツガザクラ、チングルマの群落、避難小屋近のキバナシャクナゲが見事でした。
 小屋は鉄骨木造2階建て、収容人員30名の正方形のこじんまりしたものです。外部の木部は相当老朽化していますが、内部はまだ痛んでいません。2階の冬期入口近くに陣取りしました。まだ早い時刻なので同宿者は1階に3人、2階に単独行の2人でした。その1人は黒岳から大雪連峰を縦走して来たとの事、2年前に山を始めたばかりなのに大変な縦走をしていると敬服しました。途中、南沼でテントが飛ばされるほどの強風雨で死ぬ思いをしたとの話に驚きました。1日南沼で停滞した後、昨日美瑛富士避難小屋に移動し、今日この避難小屋に来たそうです。
 3時半頃8人パーティーが到着。ガイド、ポーターは小屋前のテント、女性6名が2階に陣取り賑やかになりました。16時頃から夕食の準備。水は小屋から100mほど下がった雪渓から得られます。本日の献立は尾西の五目ご飯+にゅうめん、キュウリ+みそ、ミニトマト、フルーツゼリーです。最近の山の食料は軽くてお湯だけで仕上がるので調理は簡単です。明日は早立ち予定なので早めに就寝しました。

7月9日 7:34
富良野岳稜線分岐手前からの展望
(右から三峰山、上富良野岳、上ホロカメットク山)
(左端の雲の上に聳えるのが十勝岳)
7月9日 8:15
富良野岳山頂にて
(左:中村、右:中村航)
 7月9日 11:35
上ホロカメットク山頂にて
7月9日 13:55
上ホロカメットク避難小屋

●7月10日(金) 快晴 [縦走2日目]
 3:20起床、4:32上ホロ避難小屋を出発。今日も雲一つない快晴に心弾みます。小屋から少し登ると稜線。正面に十勝岳を見ながら火山灰と砂礫の道を進みます。大砲岩よりさらに進むと岩礫の尾根が広がっています。徐々に傾斜を増してくる急斜面を登り切って5:29十勝岳(2,077m)頂上。
 小屋から約1時間。早朝の頂上から360度の大展望を満喫しました。北西にはこれから歩く美瑛岳までの稜線、その奥に旭岳からトムラウシまでの大雪連峰が連なります。ひときわトムラウシに目を奪われます。南東には上ホロカメットクから境山〜下ホロカメットクに緑の稜線が続いています。その右手(南西)には昨日歩いて来た富良野岳〜三峰山〜上富良野岳〜上ホロカメットクの稜線が足元まで続いています。富良野岳の背後には夕張岳と芦別岳。その右奥に日高連山が望めます。足元(西側)の前十勝岳付近では、新火口(62-U)から盛んに白い噴煙が上がっています。15分存分に展望を楽しみ、5:43美瑛岳に向かいました。
 十勝岳の下りも草木一本の無い砂と岩のみの道です。平ヶ岳付近の道は北インドのザンスカール山地を思い出しました。鋸岳の直下を大きく巻いて下る途中で見上げた山肌が中国西域の火炎山の山肌にそっくりです。爆裂火口の縁を回り込んだ辺りからイワウメやエゾノツガザクラのお花畑が現れ、目を楽しませます。十勝岳が後方どんどん高くなり、目の前にはオプタテシケ山とその奥にトムラウシ山が広がります。下り終わったコルで小憩後、美瑛岳へ1時間半登り返し、8:00に美瑛岳分岐。
 美瑛岳頂上は縦走路から離れています。ザックを置いて爆裂火口縁の斜面道20分ほど登って美瑛岳(2.052m)に到着。イワウメ、チングルマが足元の登山道脇に咲いていました。十勝岳とほぼ同じ高さなので山頂からの展望が見事です。南方随分遠くに十勝岳がすっきりした三角形で聳えています。十勝連峰の盟主の風格十分です。その右奥に富良野岳。今までは十勝岳の左側に見ていましたが右側に変わります。歩くにつれて展望がどんどん変わっていくのが縦走の醍醐味です。北方の眼下に美瑛富士、その右手からオプタテシケ山に続く緑の稜線、さらにその奥のトムラウシ山の眺めも存分に満喫しました。
 美瑛岳分岐に戻って1回目の昼食。今度の山行では昼飯用に尾西の“携帯おにぎり”を持参しました。朝、お湯をそそいで15分。いつでもおにぎりが食べられます。出来上がるとなぜか三角形なのもご愛敬です。パンと違って水気があるので昼飯には最適です。“ウーン。これは良い。これからいつもこれにしよう”と2人の意見が一致しました。美瑛富士分岐から岩ガラガラの急斜面を300m下って美瑛富士分岐へ。この長い下りで長男の足の痛みが増し、私に遅れること15分。5年前に痛めた足首の靭帯が完治していなかったそうです。
 長男は分岐で休憩。美瑛富士(1,888m)へは私1人で往復しました。縦走の重荷から解放された空身なのでコースタイムの半分以下で往復しました。美瑛富士からは南に美瑛岳、北にオプタテシケ山を近くに望みます。登山道にはチングルマ、エゾノツガザクラの群落が見事でした。美瑛富士分岐からは美瑛富士の山肌の巻き道を30分行き、美瑛富士避難小屋避難小屋分岐に出ました。途中、ショウジョウバカマ、エゾヒメクワガタを見つけました。
 ここからオプタケシケ山に向かって登りが続きます。登り始めに岩陰に1人で休んでいる登山者に会いました。今日は双子池から来たとの事で、テント場、水場を教えてもらいました。石垣山へ登る途中で眼下に美瑛富士避難小屋が見えました。小屋の前で宿泊者が2人で話していました。石垣山、ベベツ岳とアップダウンを繰り返しオプタテシケ山の登りにかかりましたが最後の急登に息を切らしました。14:18オプタテシケ山(2,012m)に到着。美瑛富士避難小屋分岐から3時間強。ほぼコースタイムですが、夏の日差しに照らされての急登は堪えました。オプタテシケ山は十勝連峰の最北端、来し方を振り返るると美瑛岳がどっしり構え、その後ろに盟主十勝岳が高く聳えています。北方を望むと双子池に下りる尾根の先にコスマヌプリ、ツリガネ山、三川台が続き、さらにトムラウシ南沼になだらかに登る“十勝岳オプタケシケ山縦走コース”が一望出来ます。南沼の上方に“荒々しい岩峰を牛の角のようにもたげた(深田久弥)”トムラウシが屹立しています。
 十勝連峰の南端の富良野岳から北端のオプタテシケ山までの縦走を終えた満足感に浸ってゆっくり休憩した後、14:35双子池へ向かって“後は下るだけ“と気楽に下り始めました。ところがこれは大きな間違いで大変な下りが待っていました。少し進んだピークから眼下の双子池まで標高差600mの激下りが始まりました。急な岩ごつごつした斜面に足を置いて下るのは大変でした。足を痛めている長男にとってはつらい下りです。半分ほど下ったところから急な雪渓が現れました。年によっては軽アイゼンが必要な危険な雪渓ですが幸い雪渓脇を下りことが出来ました。長男は1歩1歩足を置きながらの下りなので時間がかかります。振り返るとオプタテシケがどんどん高くなります。逆コースでとても登る気になりません。コースターム1時間30分のところ2時間かけてようやく下り終えました。
 テント場は雪渓が切れた台地脇の池塘跡の窪地です。地面が乾燥状態、窪地なので風がテントの上を吹き抜ける絶好の場所でした。水もすぐ近くの雪渓から得られます。テントは石井G-LIGHT X2〜3人用。昨年白山で使用した時は3人で窮屈でした。今回は2人なのでゆったりしています。今晩の献立は、白米+カレー、ポタージュスープ、キュウリ+みそ、ミニトマト、フルーツゼリー。長男の疲れが心配でしたが食欲があったので安心しました。明日も早出なのでこの日は早く就寝しました。

7月10日 5:32
十勝岳山頂から富良野岳を望む
(針葉樹会報第134号表紙)
7月10日 5:57
十勝岳を背に火山礫の道を下る
(中村航)
7月10日 8:21
美瑛岳からオプタテシケ山を望む
(奥の双耳峰がトムラウシ山)
7月10日 10:10
美瑛富士山頂にて
7月10日 14:35
オプタテシケ山から双子池へ下る稜線
(右奥はトムラウシ山)

【十勝岳山頂からの展望動画】
をクリックすると動画がスタートします。


 7月10日 5:32
富良野岳〜境山〜下ホロカメットク山
        


7月10日 5:38
前十勝岳付近の新火口の噴煙

●7月11日(土) 快晴 [縦走3日目]
 3:00起床、4:48双子池キャンプ地を出発。今日も快晴。小屋泊と違ってテント撤収に少し時間がかかります。双子池はテント場から少し下ったところにありますが、縦走路から離れており、池まで行く道も見当たりません。背丈以上ある笹原が見通しの利かない灌木とハイマツの中の道になり登りにかかります。45分登っていやになった頃巨岩トンネルを通り抜けるカブト岩に到着。見通しは良くなりました。ここから広く緩やかなハイマツの尾根を登ると1668m峰。この頂上は北西面が切れ落ちているので硫黄沼〜三川台〜トムラウシ山までが一望できました。ここからはコスマヌプリ肩、1591m峰、1558m峰、ツリガネ山(1,708m)西肩へとアップダウンを繰り返してハイマツと灌木の縦走路を進みました。
 ところが長男の足の調子が思わしくありません。昨日痛んだ右足をかばって無理をしたので左足も痛み出し、下りに極端に時間がかかります。私が先行し長男を待つピッチが多くなりました。日差しも強くなり暑さも堪えます。南沼までまだ遠いので、先が心配になりました。三川台付近で幕営するか、私が南沼まで先行しテントを張った後引き返し長男のザックを私が背負うか・・など対策を考えました。ツリガネ山の肩から振り返るとオプタケシケ山が空高く聳えています。“オプタケシケ”はアイヌ語で「槍がそこに反り返っているような」という意味ですが正にそれを実感しました。そこから鎖場も現れる急坂を下って最低鞍部まで下りました。
 ここから灌木と笹の急坂1507m峰まで登るとゆるやかな登りが三川台下まで続きます。右手に沼や雪渓を源とするユウトムラウシ川源流が現れた先の急坂を登って広い台地の三川台に12:15に着きました。長男は足の痛みを堪えながらの登りでしたが、頑張ったので後の見通しも明るくなり安心しました。三川台という名は辺別川と美瑛川とユウトムラウシ川の3本の源頭が三方から突き上げている台地状の地形で十勝連峰と表大雪への縦走路の交差点です。ようやく大雪山域に入りました。
 三川台から南沼に続く道は縦走のフィナーレを飾る素晴らしいコースでした。左手に広大な黄金ヶ原の湿性お花畑を眺め、右下に残雪と池塘が点在するユウトムラウシ川の源流部を見下ろしながら、トムラウシに一歩一歩近づいて行きます。このコースはなだらかですが足元が時々岩礫帯になり、かなり長く続きますが、草原、ミヤマキンバイ、チングルマの大群落、池塘が次々に現れるので疲れを感じません。
 1時間ほど歩くと次第に傾斜が強まり、ロックガーデンの様な道を進み、南沼に到着しました。南沼の周囲は雪渓が残り、紺碧の水との対比が綺麗です。小憩後、急な斜面を登り切ってしばらく進み、14:45南沼キャンプ指定地に着きました。出発してから10時間。長男の足の調子が悪かったのに関わらずテント場に早く着けました。土曜日なのでテント場はかなり一杯でしたが、水場に近い良いスペースが確保できテントを設営しました。テント場は雪渓から雪解け水が豊富に流れる絶好の宿泊場所です。まだ夕刻までには時間があるので濡れた衣類を乾かし、コーヒー&紅茶を飲んで予定通り縦走を終え、トムラウシの懐に抱かれた満足感に浸りました。明日は時間を気にしないでトムラウシ温泉に下山するだけなので安心して眠りに就きました。

7月11日 10:22
三川台(左奥)からトムラウシまでの稜線
(中央奥はトムラウシ山)
7月11日 12:50
三川台先の池塘
 (奥の三角錐は十勝岳)
7月11日 14:34 南沼(奥は十勝連峰) 7月11日 15:44
南沼キャンプ指定地 (背後はトムラウシ山)

●7月12日(日) 晴れ [下山]
 2:25起床。今日はゆっくりで良かったのですが昨夜早く寝たので早く起きてしまいました。
 4:47南沼キャンプ指定地発。テントを数えると13張ありました。夏山最盛期&土曜日の為でしょうが、最近テント山行をする登山者が増えた様に感じます。トムラウシ温泉まで5年前と同じコースを下山したので、下山の模様は前回と違ったことのみ述べます。
 @コマドリ沢の雪渓は今年の方がずっと長かったです。A5年前はカムイ天井から先がドロンコ道でうんざりしましたが、今年はずっと好天でしたので水たまりが乾燥していて楽でした。道も木道が随分整備されていました。
 11:36にトムラウシ登山口へ下山。3泊4日の縦走を無事終了しました。東大雪荘の部屋は5年前は登山者用の大広間でしたが今年は個室でゆっくり休めました。

●7月13日(月) 曇り時々晴れ [帰京]
 朝から小雨。山行期間中の好天、特に縦走の3日間が全て快晴をお天道様に感謝しました。
 9:50の宿のマイクロバス(無料)で新得駅に出て、根室本線で帯広に移動し、帯広空港15:50発のJAL便で羽田に17:30着きました。この日は針葉樹会の総会がありましたので羽田から如水会館に直行しました。このおまけで充実した山行を締め括りました。
※今回の縦走で大雪連峰の北端の黒岳から十勝連峰な南端の富良野岳の主稜線を完全トレース出来て大満足です。
 『針葉樹第15号』に1994年9月5〜10日に夏合宿で渕澤さん、吉武さんが旭岳〜黒岳〜白雲岳〜化雲岳〜トムラウシ山〜美瑛岳を縦走された記録が掲載されています。流石学生さんの山行、テント9泊10日です。悪天の為、あのオプタテシケ山に2回も登っているのに驚きます。

 ※十勝連峰の高山植物は正直言って大雪連峰ほどでないだろうとあまり期待していませんでしたが、富良野岳、三川台からの南沼までのお花畑の素晴らしさに感激しました。十勝岳の一木一草のない稜線との対比の妙が有りました。
※北海道中央高地の次なる目標は、今回遠望した石狩岳、二ペソツ山です。ただ、どちらも奥深く入下山に苦労しそうです。
会   報
***


■2015年5月31日 八ヶ岳赤岳・県界尾根合同登山報告(針葉樹会・一橋山岳部)
                                   金子 晴彦(昭和46年卒)

            *********** 2015年6月15日投稿(PDF版)
※下の画像をクリックするとPDF版がダウンロードされます。 全24頁 写真50葉
***
 
 【行程】
  9:49 野辺山着 
 10:20 県界尾根登山口
 12:30 小天狗 (学生と合流)
 13:45 大天狗
 15:35 清里ハイランドパーク
 17:05 アダージオ

  アダージオ当主、町議当選報告会

 【メンバー】( )内は卒業年(昭和) 、
 佐薙(31)、小島(40)、三森(40)、中村雅)(43)、
 藤原(44)、金子(46):山行幹事
 一橋山岳部員 11名((集合写真参照)


6頁 小天狗にて 12:45 (撮影:金子)


会   報
***


■2015年5月30〜31日 八ヶ岳スーパートレイル山行報告
                  大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部2年)
                  工藤 京平(一橋大学山岳部:経済学部1年) 

      ****** 2015年6月15日投稿 ******
 
(編集前書き)
本山行は、第5回八ヶ岳スーパートレイル山行にFN短大終了山行を合体して行われた。二日目のOBと合同の赤岳・県界尾根登山のOB側の正式報告が当HP『国内山行』「2015年5月31日 八ヶ岳赤岳・県界尾根合同登山報告」として掲載されている。
●参加メンバー
a. 学生
黄勉(修2年)、太田 貴之(商4年)、有田 麻子(社3年)、大谷 彩子(商3年)、辰川 貴大(法3年)、内海 拓人(法2年)、大矢 和樹(法2年)、(社2年)、高謙=チー(社1年)、工藤 京平(経1年)、坂本 遼(法1年)
b. OB
中村 雅明(昭和43年卒)、藤原 朋信(昭和44年卒)
●コース・タイム
1日目(編笠山班{メンバー;中村、太田、辰川、内海、大矢})
10:35小淵沢駅→(タクシー)→11:00観音平着、11:10出発→11:40雲海(1880m)→12:10押手川→(途中で昼食20分)→13:30編笠山山頂(2523m)→13:50山頂出発→15:00雲海→15:20観音平→16:40甲斐小泉駅着、16:47甲斐小泉出発→(小海線)→17:20信濃川上駅着、その後ナナーズ川上店で食材購入後、廻り目平へ(タクシー)
1日目(飯盛山班{メンバー;藤原、黄、有田、大谷、曲、工藤、高謙、坂本})
清里駅13:10→飯盛山14:30→下山15:45
2日目
9:00野辺山駅→9:35JR鉄道最高地点→12:25小天狗(2178m)→(昼食20分)→13:40大天狗到着、13:50出発→14:40小天狗→15:40美しの森→16:25清里駅

●編笠山・赤岳県界尾根 感想及び概況、反省  大矢和樹
 今回の山行は、OB主催のFN短大の総決算に位置づけられる山行になった。これまで、山岳部は人数が少なく経験も少なかったため、OBの力なくしては到底成り立つものではなかった。僕自身、昨年の4月に入部して以来、数多くの山行に参加し、この一年で、特に体力と歩行速度という面においてかなり成長できたと思っている。今回は、特に一日目の編笠山が時間的にかなりきつい設定にあった。下山地点の甲斐小泉駅を通る小海線は2時間に一本しかなく、さらに信濃川上駅降りてから買い出しもあったので、なんとしても間に合わなくてはならなかった。
 僕自身、家が千葉県にあるために、一日目の起床時刻は4時ころとなった。その甲斐あって、高尾駅には7時半過ぎには到着でき、体力温存のための甲府までの座席を確保できた。中央線に揺られながら、車窓の景色を眺めてみると、遠くに残雪が残る富士山が見え、天気のよさを改めて実感した。甲府駅で乗り換えてからは、いよいよ左手にやはり残雪がまだ少し残っている南アルプスの山々が見え始め、一気に気持ちも高まった。小淵沢駅に近づくと、八ヶ岳の雄姿もはっきりと目で捉えられるようになったが、山頂付近に黒っぽい雲が見え、やや天気の面で不安にもなったが、なんといっても約二か月ぶりのご対面である。胸の鼓動の高まりを覚えた。
 小淵沢駅から観音平まではジャンボタクシーで向かった。観音平には、すでにおびただしい数の車があった。改めて、八ヶ岳の人気ぶりを象徴する光景であった。標高1500メートルの高地にありながら、観音平は比較的暑かった。しっかり水分を補給して歩を進めた。
 観音平を出て間もなくは、背丈の低い笹が一面に生えている中、ゆるやかな傾斜を登った。季節からすれば、おそらくレンゲツツジであろう。ところどころに、オレンジ色の花が顔を出していたのが目立った。薄緑色の背景にオレンジ色の花はかなり映えていた。時間のことが頭にあってか、最初のポイント、雲海にはかなり速いペースで到着した。
 雲海から先は少しずつ、石の量が増えてきた。標高が上がるにつれて、すこしずつそのサイズは大きくなってきたように思う。傾斜も、それまでに比べればやや急になってきた。しかしながら、ペースとしてはかなり良いペースではあった。だんだん腹が減ってきたので、押手川から少し上がったところで昼食をとることにした。しかしながら、このタイミングが大変大きな誤算となってしまったのである。
 昼飯を食べ終わり、歩き始めるとなかなか奇妙なことに気付いた。岩と岩の間に手を近づけると、そこから冷気が出ていたのである。よくみると、その穴の中には雪があった。穴の中の空気が雪で冷やされて、それが噴出していたのであった。徐々に、石というよりはごつごつした岩が多くなり、一気に急になった。急になり始めて間もなく、視界が開けた。目の前には南アルプスの山々、眼下には八ヶ岳山麓の森がはっきりと見え、山頂はいかにきれいなのかと思わず先走ってしまいそうにもなった。しかし、ここからが試練であった。先行するツアー客の集団がきわめてゆっくりのペースなうえ、道を譲ろうとしなかったのである。ただし、ここで文句を言っていても始まらないので、ここはゆっくり登って下山に向けて体力を温存しようと自分に言い聞かせた。
 13時半。やっと山頂に到着した。山頂は石がゴロゴロとしており、歩きやすくはなかったが、景色は一級品であった。南を見れば、目の前に南アルプスの山々がかなりはっきりみることができた。すこし東側に目を移せば、遠くにかすみつつも富士山の雄姿をしっかり確認することができた。感動はこれに尽きなかった。山頂の北側に行ってみれば、そこには遠くからしか見たことがなかった南八ヶ岳の山々が、とても接近して眼前にそびえたつ姿を見て非常に感動した。このとき、赤岳はほんとに少し赤っぽい色をしていることを知った。そのほか、北アルプス、蓼科山、霧ケ峰、などなど360度どの方向を見ても圧巻の景色であった。
 さて、頂上で少々休んだら、列車の時間もあるので下山を開始した。元来下りはあまり得意ではなかったのだが、大方予想していた通り圧倒的に僕が遅れた。岩の大きさが大きいところではなかなかスピードがつかず、苦心することになった。それでも、目標タイム通り、観音台まで下ることができた。
 観音台から林道に出るまでの道はゆるく傾斜した道であり、非常に歩きやすかったが、ここからかなり本気のペースになった。途中からアスファルトの道になり、さらにペースを上げた結果、ぎりぎり甲斐小泉駅に到着できた。一瞬、駅と間違えて、となりの美術館に入りそうになったが、なんとか電車には間に合わすことができた。
 信濃川上駅までは、のどかな小海線に揺られて、この夕方に信州にいられるという非日常をかみしめた。その後、タクシーで買い物をしつつ、藤原さんの別荘へ向かった。雲はでていたが、天気が崩れないでほしいと願うばかりであった。
 夕食は飯盛山班が作成し、みなで鍋や焼き肉をつついた。ありきたりではあるが、大人数で食べる食事はうまい。かなりその日歩いたこともあって、食欲はつきることがなかった。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月30日 12:54(撮影:大矢)
押手川源流〜編笠山
(中央は辰川)
5月30日 13:05(撮影:大矢)
押手川源流〜編笠山
 (中央は内海)
5月30日 13:33(撮影:大矢)
編笠山山頂からの展望
(右から蓼科山、霧ヶ峰、
諏訪湖方面を望む)
5月30日 13:40(撮影:中村)
編笠山山頂にて学生全員で
(左から辰川、内海、太田、大矢)
(背景は右から権現岳、赤岳、阿弥陀岳)
5月30日 13:46(撮影:大矢)
編笠山山頂から
南アルプスを望む
5月30日 19:57(撮影:中村)
藤原山荘で夕食



二日目
 二日目の朝は朝食当番であったために、やや早めの6時に起床した。外を見た感じでは、まったく天気の心配をする必要性はなさそうであった。
 山荘を後にした8時半には、5月の信州とは思えないほどに暖かった。タクシーに乗っていると、八ヶ岳が雲にすっぽり覆われていて、やや天気が心配になった。まだ観光客の姿も見られない野辺山駅からは、まず線路沿いをひたすらJR最高地点まで歩いた。ここを歩いているときはやや曇っており、風もあって一枚はおらないと寒いくらいであったが、この涼しさこそ野辺山の高原の本来の涼しさなのだろうと思ったJR最高地点で少々休憩した後、八ヶ岳牧場内の林道をひたすらに歩いた。林道は砂利道で、意外にもここで少々疲れてしまった。しばらく進むと、堅牢な鹿対策用の防護柵があらわれた。この防護柵を通ると、やっと山らしい、土の道があらわれた。ここからしばらくは、低背丈の笹地であり、傾斜もさほどきつくはなかった。ときより吹き抜けていく風が非常に心地よかった。少し歩くと、樹林帯に入っていった。どうやら、この道はメジャールートではないらしく、途中からは笹の背丈もやや高くなって、道が埋没してしまっており、非常にわかりにくかった。
 ひたすらに上り続け、およそ1900mを過ぎたあたりから、所々、開けたところが出てきた。しかし同時に、やや急なところも出てきた。そんな感じでひたすらに登る我々を、冷涼な八ヶ岳の風が励ましてくれた。
 長いこと登ったなあと思ったら、小天狗に到着した。ここで先行していたOBさんのグループに会うことができ、小天狗で昼食をとり、集合写真も撮った。てっきり、時間的に、今日は小天狗までかなと思っていたら、案外大天狗まで行けることになり、歓喜した。小天狗から少々歩くと目の前に、赤岳が燦然と眼前にそびえたっていた。やはり、美しい容貌をした山だなと感じた。大天狗までの道のりは、途中まではかなり緩やかで、歩きやすい、気持ちの良い尾根歩きだと思われた。道端には、雪が少々残ってるところも見受けられた。しかし、途中から急登が始まった。比較的疲れていたので、少々厳しかったが、大天狗に到着したときにはかなりの達成感であった。大天狗から赤岳まではおよそ100分。しかしながら、八ヶ岳屈指の難コースということで、ここからの登頂は極めて厳しいであろう。しかしながら、メジャールートからでもよいから、是非赤岳に上ってみたいという意欲がわいた。
 さて、ここからは下りである。下りも、みんなペースが順調であった。小天狗からは、野辺山ではなく、清里方面へ下山した。概して、歩きやすい道であった。かなり下ってきて、もうまもなく一般道にでるところまできたときのことだった。左のがけから「ガサガサ」と物音がして、見たら、なんと天然記念物のニホンカモシカであった。自身、以前に八ヶ岳に来た時にニホンジカに遭遇したことはあったが、天然記念物に遭遇したしたのは初めてであった。
 美しの森でOBの方々から、無事FN短大卒業を告げていただき、別れた後は渾身のペースで清里駅に向かった。山から下った後のアイスはなかなか最高だった。そして、小海線に乗車し、小淵沢駅まで向かった。家の位置の問題で、僕と坂本以外は、ここから各駅停車で帰宅するということで、小淵沢駅でお別れとなった。僕は30分ほど余裕があったので、ホームから今一度、南アルプスと八ヶ岳の山々も目に焼き付けた。そして、ホームに滑り込んできたあずさに乗車して、小淵沢をあとにした。
 素晴らしい山行であったが、課題も見えた。一番には、体力の面である。二日目の最後はさすがにペースが落ちてきてしまった。これは、これから長めの泊りの山行をやるうえで、ちょっとずつ解決していかなければならない問題である。
 とはいえ、何と言っても天気に恵まれたのは大きい。天気には、感謝したいところである。


5月31日 8:23(撮影:中村)
藤原山荘前にて
 (左から)坂本、内海、太田、高、辰川、大矢、有田
                    黄、大谷、工藤、曲

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月31日 11:08(撮影:大矢)
県界尾根登山口〜防火線の頭
(前から辰川、内海、太田)
5月31日 12:04(撮影:中村)
防火線の頭〜小天狗
(前から)有田、坂本、曲
5月31日 12:56(撮影:大矢)
小天狗先にて(大天狗めざして金子)
正面は赤岳


5月31日 12:35(撮影:大矢)小天狗にて
 (後列左から)内海、辰川、大谷、坂本
 (前列左から)黄、高、太田、曲、有田、大矢、工藤 

●飯盛山の感想及び概況、反省 工藤 京平
 自分史上二回目の登山で、初めての合宿で心をわくわくさせながら電車に揺られ、清里駅に到着!合宿2日前にぎりぎり買った登山靴やらバックパックやらを身に着け、いざ登山開始です。当日は幸か不幸か天気に恵まれ、日差しが強く、暑いのなんの。開始早々汗だくです。
 厚着しすぎたな、とかぶつぶつ思いつつ歩いていましたが、途中からは木々の陰に入り少し涼しかったです。静かな山の中に、鳥の鳴き声、みんなの歩く足音が響き、さらにはなにか懐かしさを覚える花々を見て、やっぱり山はいいなと感じました。初めはこのような調子で登っていましたが、途中からは雑念がなくなるほどきつくなってきました。あまりにもしんどく、前の日の出山の時はそうでもなかったのにな…体力が落ちたのかもと思いつつ、やっとのことで休憩。しんどいのは自分だけだと思っていたのですが、他のメンバーも割と疲れているように見えました。というのは、OBの藤原さん曰く、先頭のペースが速く、初めから飛ばし過ぎたとのこと。さらにはこの暑さも重なって体力が消耗されたとのこと。
 先頭を歩く人は後ろから追われている気になるためどうしても無意識にペースが速くなってしまうと聞いてなるほどと納得させられました。このことを心にとどめ、登山再開。飯盛山まで残り1キロの所からは歩く地面が湿った土ではなく、木くずが混じってかなり乾燥した地面に変わりました。周りの木々も少なく、見晴らしが徐々によくなってきました。前方には飯盛山の山頂が見え、あとひと踏ん張りだと気を入れ直しました。しかし見晴らしがよくなったとしても山頂から見える景色を楽しむため、途中で後ろなんて振り向きません。ただひたすら前を見て登りました。そして登頂。そこから見える楽しみで仕方なかった景色は、絶景でした。周りに障害物がないため180度景色を堪能することができたのです。
 山頂からの景色に満足したら、下山開始です。下山道は急なところも少なくそれほど苦労することなく歩くことができました。これで今日の登山は終わりだと思いつつ、早く明日になってまた山に登りたいなと心を燃やすのでした。

■Re.:八ヶ岳山行記録  藤原 朋信(昭和44年卒)
       ****** 2015年6月15日メールより抜粋 ******
 飯盛山班は予定より早く風林荘についたので、希望者(大谷、工藤)が2階のクライミン
ングボードにトライしました。二人とも体が柔らかいので将来性は十分ですが、さすが短時
間で終了点に達するには至らず、未だ学生で課題を突破した人はいません。次回のチャレンジに期待です。
 風林荘の宿泊者も昨年の徳島の山グループの11人を超えて13人と記録更新です。
中村短大の最終計画である宿泊山行に、これだけの人数が揃ったのは、我々OBには驚きと感激しかありません。夕食を食べながら会話が飛び交う様子は今後の発展を確信させてくれました。
 



会   報
***


■2015年5月23〜24日 谷川白毛門・マチガ沢雪渓訓練  原島 大介(一橋大学山岳部:商学部1年)
           ****** 2015年12月21日投稿

・期間
 2015年5月23日?5月24日 
・目的
 雪渓訓練、山行
・場所
 白毛門、一ノ倉沢、マチガ沢
・メンバー
  学生
   リーダー   太田 貴之(商学部4年)
   サブリーダー 西山 祥紀(経済学部4年)
   医療係    原島 大介(商学部1年)
  OB
   中村 雅明(昭和43年卒)
   宮武 幸久(昭和45年卒)
   前神 直樹(昭和51年卒)

●5月23日
 初日は宮武さんの車で国立駅から土合橋の駐車場に向かった。駐車場に着くとそこから一ノ倉沢のふもとまで歩き、そこにテントを張った。雪がまだ多く残っている割には寒くはなかった。最低限の荷物だけを持ち、白毛門にむかう。白毛門へはずっと急登が続き、久しぶりの山登りであったこともあって非常に疲れた。白毛門山頂でお昼を食べ、下山し初日の行動は終了した。
●5月24日
 二日目は前神さんと中村さんと合流しマチガ沢へ当初の目的である雪渓訓練に出発した。適当な場所へ着くと訓練が始まった。訓練内容は滑落停止とグリセード、トラバースの練習だった。一番難しかったのはトラバースで、自分はキックが弱く足場をうまく作れず何度も滑ってしまった。今回の訓練で雪山を本格的にやるのは中途半端な覚悟ではいけないと感じた。

▼画像をクリックすると大きく表示されます
5月24日  11:42(撮影:中村)
マチガ沢出合いからのマチガ沢
5月24日  12:35(撮影:中村)
訓練中の小休憩
(上から前神、太田、原島、西山、宮武)
5月24日  13:24(撮影:中村)
停止訓練
(上から原島、太田)
5月24日  14:49(撮影:中村)
訓練終えてテント場にて
(左から太田、西山、原島)


をクリックすると動画が始まります。



動画1  5月24日  13:26(撮影:中村)
停止訓練中の太田
(立っているのが左から原島、前神)




動画2  5月24日  13:26(撮影:中村)
停止訓練中の原島
(立っているのが前神)



動画3  5月24日  13:48(撮影:中村)
グリセード訓練中の西山
(立っているのが左から太田、原島、宮武)



【 参加者のコメント 】
 ●太田 貴之

 僕は2回目の雪渓訓練でしたが、今回の訓練でよかったことは、白毛門にのぼることができたことや時期が早く、雪がなめらかだったことです。これからも、これくらいの時期にやるとよいと思います。また、この滑落停止訓練は万が一の時に備えて、非常に意味があるものなので、できれば多くの部員が参加できるように前々から日程を決める必要があると思います。雪渓訓練はレインウエアが傷むので、それが嫌なひとはワークマンなどで用意したものを持っていくのがおすすめです。
 
 ●西山 祥紀
 このたび二日にわたって実施していただいた雪渓訓練は、おもに1)雪面の歩き方、2)滑落時の緊急回避方法の二点について指南をいただいた。
 雪面の歩き方のレクチャーをへて、軸足の置き方やピッケルの置き方ひとつとっても、一つ一つの要素に留意するだけで、訓練前とはくらべものにならないぐらいスムーズに雪面走行を実現することができた。
 また滑落時の緊急回避方法の習得は一筋縄ではいかないものであった。仰臥の状態で滑落したと仮定する。この状態から伏臥の状態にシフトし、ピッケルの刃を雪面に突き刺しながらその摩擦で滑落のスピードを削ぐというものであった。が、私はピッケルを自分の体に誤って刺してしまうのではないかと尻込んでしまい、自然にうつぶせの身構えをとることになかなか苦労した。
 こういった危機回避メソッドについては、本やネットの説明を読みいくら頭で理解しても、練習を通じて条件反射的に習得しなければ実践では生かしづらい。そのため、今回の雪渓訓練は雪渓を楽しむにあたり重要な基礎づくりをすることができた。この場を設けてくださった山岳部OBの方々、どうもありがとうございました。

 ●宮武 幸久
 (編集前書き)
  新潟在住の加藤 博行さん(昭和53年卒)が前触れ無しに白毛門に先行し、宮武パーティーに遭遇しました。
 (前略) 加藤さんの方から声がかかり大変うれしく思ったのを覚えいます。残念ながら正確な時刻はわかりませんが歩き始めて3ピッチ目ぐらいのところで頂上から降りてくる加藤さんとの出会いでした。後でわかったことですが我々が白毛門に行くことは前神さんからの連絡で加藤さんは知っていたようです。

 ●前神 直樹
 昔の雪渓訓練はほぼマチガ沢と相場は決まっていた。昨年は時期が遅すぎてマチガ沢にほとんど雪が無かった経験に基づき、今年は昔通りの5月下旬に訓練を行う。それでも年々雪が少なくなっているのか、5月下旬でもマチガ沢の出会いの雪はズタズタに切れている。雪渓をただ上部に向かって歩けばよいうと思っていたが、大袈裟にいえば沢登りの様相を呈していた。訓練を終了して帰路わかったが、マチガ沢の雪渓に入るためには厳剛新道を20/30分たどれば容易に雪渓に降りれることが判明した。
 われわれが訓練をしていた下部ではスキー訓練に励む中年の一行がいたが曰く、「このマチガ沢には昔大学山岳部が随分雪上訓練をやっていたが最近は全く見なくなった。今日は随分珍しいものを見させてもらった。」と。他の大学はどこで雪上訓練をやっているのか、それとも雪上訓練なるものはもうやらないのか、不思議におもったものでした。



会   報
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■2015年5月17日 日の出山・御岳山  有田 麻子(一橋大学山岳部:社会学部3年)

     ****** 2015年5月21日投稿 ******
●メンバー
* 部員: 胡 迦安(経済学部1年)、高 謙(社会学部1年)、坂本 遼(法学部1年)、曲 文(社会学部2年)、
清野 友紀(国際基督教大2年)、大矢 和樹(法学部2年)、有田 麻子(社会学部3年)、太田 貴之(商学部4年)、
西山 祥紀(経済学部4年)、山崎 智慧子(M1)、黄 勉(M2)
体験者: 1年 工藤京平(経済学部1年)
OB: 佐藤 久尚(昭41)、中村 雅明(昭43)、藤原 朋信(昭44)、宮武 幸久(昭45)

●天気
 快晴

●コースタイム
 御嶽駅9:40→日の出山12:10→御岳山12:55→鳩ノ巣15:50
 合計6時間10分

 天気に恵まれた。日の出山と御岳山を歩いた。御嶽駅では、岩を登ったりカヌーに乗ったりする人が見られた。今回のルートは、OBの方が考えてくださったもので、地図上には載っておらず、また御嶽駅から日の出山までの道は奥多摩観光協会からは危ないので避けるべきとされているとのことだが、実際にはそのようなことはないのだとあらかじめ教わったので安心して歩き始めた。御嶽渓谷の遊歩道を歩き、ほどなく登山道に入る。少し登ると車道に出て、簡単に見過ごしてしまいそうな細い階段を上ると本格的に山歩きスタート。あまり急な登りではなかったが、40分ほど歩いていると、見晴らしが良く達成感が湧いてきた。
 新緑を眺めながら登って、日の出山に着く少し前の平たい道で昼食をとる。ケーブルカーを利用する人が多いため、日の出山までの道のりはとても静かで気持ちがよかった。木々で日差しが遮られるため涼しく、自分も含め皆あまり疲れは見えていなかったと思う。日の出山の山頂(902m)にたどり着き絶景を楽しむ。奥多摩の山々をかたどった模型があり、自分たちがどこにいるかを確認した。御岳山はにぎわっており、何段もの階段を上り神社にお参りした。 
 帰りは「鳩ノ巣駅へ緑陰の近道」との標識にしたがって下りる。下りは急なところがほとんどなく、とても歩きやすかった。ふもとの大橋屋という定食屋さんでから揚げやおにぎりやラーメンをごちそうになる。特にふきのとう天と採りたてのエシャロットに感動した。一つ登ったら、次どこへ行きたいと広がるから、山登りは奥深いとのOBの方のお言葉にわくわくした。自分は今回で4回目の山行で、少し体力がついた気がする。今回は地図を自分でも確認しながら進むよう心掛けたが、やはり難しかった。徐々に、先輩方についていくだけではなく自分でもわかるようになりたいと思う。

■2015年5月17日 日の出山・御岳山  坂本 遼(一橋大学山岳部:法学部1年) 
     ****** 2015年5月26日投稿 ******
●メンバー(略)
●コース(略)
●当日の山行
 今回は新歓山行明け初めてのOBの方々との山行となった。奥多摩にある日の出山(標高902.3メートル)と御岳山(同929メートル)に登る。OBの方々とはこの日が初対面であったが、皆さんとても明るく元気な方ばかりで、すぐに打ち解けることができたように思う。経験豊富な人と登れるのは心強い。
 北尾根に登る手前の多摩川沿いで自己紹介を済ませ、いざ出発。事前に祖父から借りた地図に目を通していたところ、御嶽の駅から直接日の出山に至る登山道が見当たらず、どうするのだろうと思っていたのだが、聞くところによると自然保護のために閉ざされている尾根の道を行くらしい。地図に記されていない道を行くなど初めての経験であり期待と不安が入り混じった心境であったが、比較的きれいに踏み固められた狭い道で、個人的にはあまりに人工的な整備が行き届いている山道よりもよっぽど歩いていて楽しかった。左右に近隣の山々を眺め、心地よい風を感じながらのとても気持ちのいい登りが続き、日の出山に至る手前で昼食をとった。
 藤原さんがクライミングの話をしてくださり、この部活にはまだまだ自分の知らない世界がたくさんあるのだと改めて感じた。さらに5月末の八ヶ岳合宿の際宿泊する山荘の話も聞くことができ、新たな山行に期待を膨らませた時間でもあった。
 日の出山山頂では西東京の街並みがはっきりと見え、非常に見晴らしがよかった。その名の通り、ここで見る日の出は最高だろう。以前の山行から先輩方と話している、各山の山頂から見える白いドーム状の建物は一体何なのか、そろそろ本腰を入れて調べてみても面白いと思う。日の出山からはきれいに整備されたなだらかな道が続く。このあたりは登山者も多く、様々な服装の方々とすれ違う。すれ違う際にあいさつをするのは登山をする者であれば当然なのであろうが、初心者の自分には非常に新鮮である。相手の体調にも気を遣う思いやりあふれる慣習を、自分もこれから積極的に実践してきたい。
 土の道から舗装された道路に入り、山荘や土産物店が並ぶ通りから神社に登った。なんとこの神社が御岳山の山頂であった。これから始まる大学生活の充実と一橋大学山岳部のますますの発展を祈願。OBの方に「願うだけでなく、自分で積極的に頑張ることが大切だ」というアドバイスをいただき、まったくその通りだとその言葉をしっかりと心にとめて下山を開始する。
 御岳山からはロープウェイとバスを乗り継ぎ御嶽の駅に戻るルートが一般的なようだがここはさすが山岳部、山道を歩いて鳩ノ巣駅に下山する。未舗装の道を少しずつ下っていく。木々が直射日光をさえぎり、暑さをやわらげてくれて非常に歩きやすかった。途中で休憩をはさみながら大楢峠に到着。ここからは少し下りが急になるが、じきに舗装された林道に出た。このまま舗装路を行くのかと思われたが、林道ができる以前から使われていた道を選択してもらい、最後まで自然を満喫しながら下山することができた。
 下山後は鳩ノ巣駅前にあるお店で懇親会を行った。1人1人の詳しい自己紹介やOBの方々のお話を聞くなど、貴重な機会を作っていただいた。社会人として長い人生を今まで送ってこられた方々の話す大学生活についての話は、非常に説得力のあるものであった。
●感想
 今年入部した自分は3回目の登山となったが、前回の川苔山のような早いペースで歩くところもなく、全行程楽しく歩くことができた。時間的にもほぼ予定通りであり、ペース配分もしっかりと考えられていたのはやはり経験の豊富さゆえであろう。これからも様々な山に登る機会があるだろうが、「自然を感じて楽しむ」という山に登りたいと思った初心の動機だけは忘れずにいたい。


▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月17日 10:30(撮影:有田)
日の出山北尾根からの展望
5月17日 10:32(撮影:中村)
日の出山北尾根で最初の休憩
5月17日 12:30(撮影:有田)
日の出山の山頂


5月17日 12:10(撮影:中村)
日の出山頂にて学生全員で
(後列左から)胡、曲、大矢、清野、坂本
(前列左から)西山、太田、工藤、高、有田、黄、山崎


5月17日 12:13(撮影:中村)
日の出山頂にて学生7名+OB全員で
(左から)太田、宮武、西山、黄、工藤、高、佐藤、藤原、有田、清野


■本山行に関するメール交換(感想など)

●2015年5月19日 新入部員有田です。御岳山山行記録  有田 麻子
     ****** 中村宛てメールから転載
 中村さま
山岳部新入部員の有田麻子と申します。
日曜日は、とても素敵な山行を計画してくださり、本当にありがとうございました。
山行記録を書きましたので、添付いたします。
初めてなので見よう見まねで書いたのですが、個人的なことを書きすぎたかもと少し不安です。何か不備があれば教えていただけると嬉しいです。

●2015年5月19日 Re:新入部員有田です。御岳山山行記録  中村 雅明
     ****** 山岳部員宛てメールから抜粋&追記
 有田さん
 17日は新入の皆さん8名も交えて大変楽しい山行が出来ました。
 大橋屋での反省会(懇親会)も大いに盛り上がりました。
 こんなに早く山行記録が届き驚きました。内容的にも大変結構です。
 当日藤原さんが言った「一橋山岳部の伝統は、良く読み、良く登り、良く書く」を早くも実践してくれました。
 (略)
 なお、一つコメントします。今回の入山、下山コースは『奥多摩東部登山詳細図』吉備人出版には載っています。
 15000分の1の地図です。足繁く奥多摩の山に通う人には役に立つ地図です(勿論、本文を訂正する必要はありません)。
 (追記)
 鳩ノ巣でワサビを仲間と栽培し、馴染みの大橋屋を紹介していただいた井草長雄さん(昭和48年卒)が懇親会に顔を出して自己紹介されました。また、今日収穫したワサビを差し入れしていただきました。

●2015年5月20日 RE:新入部員有田です。御岳山山行記録  藤原 朋信
     ****** 山岳部員宛てメールから抜粋
 有田さん  OBの藤原です。記録読ませてもらいました。日ノ出山北尾根の上りを"急とは感じませんでした”の感想には驚きです。山歩きに向いた体質なんでしょうね ! 多分クライミングにも適した能力があるのだと思います。    
 6月からは登山シーズンです、アルプス他全国の山旅に出かけましょう ! 夏の間、部の仲間、友人と一緒に風林荘に来られて3−4日、登山・クライミング・勉強(避暑)に集中するのも良いですよ。

●2015年5月25日 FW:一橋大学山岳部1年 坂本です  中村 雅明
     ****** 坂本さん宛て返信メールから転載
坂本さん
 山行記録受領しました。執筆ご苦労様。 有田さんの報告が先に出たので、さぞかし書きずらいのではとの老婆(爺)心から、感想だけで結構と言ってしまいましたが、立派な報告が届き嬉しいです。これだけ書ければ結構です。行動、感想がしっかり書けています。有田さんのとは違った趣きがありますのでHPに連名で追記します。
  



会   報
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■2015年5月7〜11日 蝶ヶ岳、常念岳、大天井岳、燕岳 吉沢 正(昭和42年卒)

          *********** 2015年5月20日投稿

 期間;2015年5月7日〜11日   
 参加者;岡田 健志(昭和42年卒)、吉沢 正夫妻、中村 雅明(昭和43年卒)

●5月7日(木)
 新宿発22:30(さわやか信州号)

●5月8日(金)晴れ
 上高地(5:36)−明神(6:26〜6:36)−徳沢園(7:26〜7:53)−横尾山荘(8:53〜9:10)−槍ヶ岳見ゆ(9:40〜9:48)−
 なんちゃって槍見台(10:48〜11:05)−アイゼン着用(12:45)−分岐(14:11)−蝶ヶ岳ヒュッテ(14:40)

 昨夜22時30分に新宿を発った夜行バスが上高地バスターミナルに着いたのは、朝靄立つ5時20分。筆者(吉沢)はエンジン音と揺れが気になり、殆んど一睡もできなかった。他の3名(岡田、中村両君に家内の浩子)は神経が太くできているのか、すっかり熟睡した晴れ晴れしい顔をしている。
 地上に立つと直前まで降っていた雨が止んだが、処々に水溜りができ空は雲で覆われている。5時36分身づくりをして出発。明神に着くころには雲も切れ、明神岳の三本槍が晴れ間に遠望できる。積雪は例年より少ないようで、この辺りには殆ど残っていない。徳沢園で朝食を取り横尾へ向かう。ここまではほぼ標準タイムで来た(8時53分横尾着)。
 横尾山荘の先を右折し蝶ヶ岳を目指す。岡田君が先頭を行き、浩子、筆者、中村君が後に続く。出だしの登りが予想外にきつく、とたんにペースが落ちる。苦しい登りの中、振返れば明神連峰の各峰や屏風岩が、この頃にはすっかり晴れ渡った眼前の天空にくっきりと浮かんでいる。登山道は連休前に相当の人員と金を注ぎこんで整備したようで、あちこちの梯子や支柱等が新品に代わっている。途中ゴロはいいが意味不明な「なんちゃって槍見台」という休憩所にも真新しい、がっちりしたベンチが2〜3個設置されており、登山道とは思えない豪華さだ。昼食を取りながら槍、穂高連峰の雄姿を目で楽しむ。アイゼン着用で一時間ほど登ると森林限界となり、蝶〜常念縦走路と交わる分岐点に達する。ここからアイゼンを外して蝶ヶ岳ヒュッテまで一気に登る。予定時間超過だがまあまあのペースだろう(ヒュッテ到着14時40分)。
 ヒュッテは連休後のためか、泊り客は我々を含め僅か10名。一泊二食で世間並以上の9,500円の割にはサービスが良くない。食事のおかずは一枚のプレート上に突出し状の物を何種類かおままごとの様に並べただけだ。夜具も汚く、敷布団は大き目なものを二人でシェアーするようになっている。見ず知らずの男女ペアーの場合はどうするのだろう。ともあれ夜行バスと急登の疲れのためか、皆床につくなり爆睡に陥った。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月8日 6:45(撮影:岡田)
明神から明神岳5峰を望む
5月8日 10:10(撮影:中村)
蝶ヶ岳へ目指して樹林帯を登る
(前から岡田、吉沢夫妻)
5月8日 14:00(撮影:岡田)
稜線分岐から北穂〜
大キレット〜南岳〜槍ヶ岳


●5月9日(土)曇り、小雪、風強し
 蝶ヶ岳ヒュッテ(6:32)−分岐(6:55)−2,625m(7:06)−蝶槍(7:19)−アイゼン着用(7:40)−
 アイゼンはずす(9:10〜9:15)−常念岳(11:47〜12:09)−常念小屋(13:09)

 不味い朝食を掻き込み、6時32分ヒュッテ出発。この日は終日小雪と北西の冷たい風に見舞われた。今日の蝶〜常念の行程は4人のうち誰も経験した者がいないのは意外だった。誰しもが、どうせこの季節イージーなだらだらした稜線歩きだろう、ぐらいに考えていた節があるが、現実は遙かに厳しかった。初めて名を聞く「蝶槍」を含め大小多数のピークを越えねばならない。また稜線や巻道の樹林帯にも残雪がある箇所があり、アイゼンの着用を強いられる。この辺りは雷鳥が多数生息していると聞いていたが、悪天の中に目を凝らすと登山道のすぐ脇に2,3羽が固まって動いていたり、低空を飛んでいたりするのを何度か目視することができた。その都度最後尾の中村君がカメラを出しパチパチやっている。常念の登りに掛かる頃には皆すっかり消耗し、頂上到着は予定時間を遙かに超過した昼近くになった。
 山頂で小休止していると、流行りの山用アパレルに身を包んだ若い美形の女性が忽然と我々の後方から現れた。例によって岡田君が笑顔で何処から来たのと尋ねると、今朝上高地を発ち蝶ヶ岳を経由して来たが、これから大天井の無人小屋に向かうとのこと。何度か聞き返したが、同じ答えが返って来る。我々が二日掛るところを一日で、更にその先まで行くのだ。皆開いた口が塞がらない。しかも無人小屋に泊まるのだから、寝袋や食材、炊事用具等も携行している筈で、ザックの重さは見た目でも20kgぐらいありそう。世の中にはとんだスーパーウーマンがいるものだ。
 スーパーウーマンに啓発されてか、頂上から常念小屋までの下りは標準時間の1時間で済んだ。
 小屋の泊り客は20名ほど。宿泊料は前夜と同じ二食付9,500円ながら内容は遙かに良さそうだ。談話室で寛いでいると小屋の従業員から、岡田君宛に安曇野警察署及び奥さんから電話で我々4人の安否を照会していた、との伝言があった。状況を質すと、大糸線方面から蝶及び常念への登山道となっている三股付近で登山客が雪渓上で誰かが滑落したような跡を発見し、警察へ連絡したのが発端で、警察は確認のため前夜蝶ヶ岳ヒュッテに宿泊した全ての登山客に連絡を試みたとのことらしい。ヒュッテには我々の山行計画も置いてきたので、そこから岡田君の自宅の電話番号を聞き取り、奥さんにも連絡したようだ。小屋経由で警察署および岡田君の自宅宛に、当方無事であることの連絡を依頼した。実際は何事もなかったようだが、山岳事故に対する安曇野警察の真摯な対応には頭が下がる。
 夕食は本格的に調理したハンバーガーを始め、手の込んだ料理が皿に盛られている。寝室も山小屋には珍しい天井の高い8帖敷きの個室が宛がわれた。寝具も清潔でふっくらしている。8時前に皆安らかな眠りにつく。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月9日 8:21(撮影:中村)
常念岳への登り
(前から岡田、吉沢夫妻)
5月9日 12:03(撮影:岡田)
常念岳頂上にて
(左から中村、吉沢夫妻)
5月9日 13:00(撮影:中村)
常念岳の下りで雷鳥を見る



●5月10日(日)晴れ、風強し
 常念小屋発(6:30)−横通岳まき道(7:27〜7:36)−大天荘(10:25)−大天井岳山頂(10:43〜11:00)−
 大天荘(11:15〜11:33)−大天井ヒュッテ(12:23)−槍ヶ岳方面と大天井岳との分岐(13:43)−
 ”大下り”の標識(15:47)−燕山荘(17:03)

 今日は天気晴朗ながら冷たい北西風が強い。朝食を済ませ防寒具などに身を固めて6時30分小屋を出発。稜線の登山道には残雪が殆ど無いのでアイゼン無しで進む。進行方向左手には槍がくっきりと浮かんでいる。時々強風にバランスを崩しながらも横通岳、東天井岳を順調に通過する。気付かぬ内に中天井岳を越え大天荘(無人小屋)に到着。ここには前日常念山頂で会ったスーパーウーマンが泊まった筈だ。そのまま20分ほど登って10時43分大天井岳山頂到着。ここまではほぼ標準タイムで来ている。
 小休止の後燕方面に向かって下ろうとするが、ガレ場で踏後もはっきりしない。地図を見ても行き止まりになっている。取り敢えず大天荘まで戻り昼食とする。食後地図にある東側の巻道をトライするも積雪が深く、トレースも無い。止む無く西側の表銀座縦走コース上にある大天井ヒュッテまで下り、そこから北上するコースを取ることにした。これが大誤算であった。下り出すと間もなく腐れ雪のべったり着いたルンゼが目前に現れた。傾斜がきつく踏み跡も消えている。左に目を遣ると雪渓が遙か下方彼方まで続いている。雪崩はなさそうだが、滑落したら相当のダメッジを免れないだろう。逃げ場も無いのでトラバースすることにする。岡田君が教科書通りに、右手でピッケルを雪中深く突き刺し、靴を雪渓に向かって鋭角に蹴り込みながら、20メートル程先の対岸に向かって慎重に先頭を進む。その後を3人が続く。全員無事トラバースし終え、やれやれと思って暫く進むと又同じような雪の詰まったルンゼに遭遇した。また岡田君が慎重にステップを切って先頭を行き、全員無事に渡り終えたが、これが其の後5〜6回続いた。その中には雪のルンゼだけでなく、直上の岩が露出した部分に大きな浮石が今にも落ちて来そうな箇所があり、滑落と落石の両方に神経を使わなければならないトラバースもあった。最後のトラバースでは気丈の浩子も「もうダメ」等と弱気を吐いたが、3人で励まし何とか急場を凌ぐ。難所を無事通過して大天井岳北側直下の分岐点に到着した時には皆心身ともに疲れ果ててしまった。歩行時間も予定を大幅に超過し、この西側の巻道だけで2時間以上を費やした。後に分かったことだが積雪期には、地図には無いが、大天井岳頂上からガレ場を北に向かって直進降下するのがルートで、それだと直下の分岐点まで40分で行くとのことだった。事前に調べておくべきだったが、後悔先に立たず。
 ここで一息入れる。相変わらずの強風の中、目を左に転ずると槍ヶ岳がやや後方に移り、北アルプス中心部の山々が俯瞰できる。遠くに立山連峰が見取れ、北方面には鹿島槍が優美な姿を見せている。勿論今日の目的地燕岳も目前にあり、麓の燕山荘がはっきりと見える。
 ここからは難所もなく、為右衛門岩、蛙岩等の奇岩・巨岩を通過して山荘に向かったが、大天井岳巻道の疲労と終日の強風に晒されたためか、足が重く山荘がなかなか近づかない。この区間も予定時間を大幅に超過し、山荘到着は17時過ぎであった。
 この小屋は斜面に建っているが奥が深く600人は収容できるそうだ。今夜の泊り客は20人程度。到着が遅れたので夕食時間をずらして貰い、4人のみで食卓に着いた。標準並み料金の割にはまあまあの待遇で、食事も上等だ。寝所もやや大き目のスペースで寝具も清潔だ。皆疲れているので食事後直ぐに床に就く。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
5月10日 9:48(撮影:中村)
大天井岳へ向う稜線にて
北穂〜槍を望む
(右から岡田、吉沢夫妻)
5月10日 10:14(撮影:中村)
大天井岳目指しての稜線漫歩
(前から岡田、吉沢夫妻)
5月10日 16:01(撮影:岡田)
燕山荘手前から槍ヶ岳を望む


■大天井岳頂上からの大展望(動画)


5月10日 10:42(撮影:中村)
(左から右にカメラを移動)
前穂高岳→奥穂高岳→北穂高岳→南岳→大喰岳→槍ヶ岳・北鎌尾根
双六岳→三俣蓮華岳→鷲羽岳→ワリモ岳→水晶岳、薬師岳
真砂岳→野口五郎岳→三ツ岳、立山、針ノ木岳 


●5月11日(月)快晴
 燕山荘発(6:48)−アイゼン着用(7:30〜7:39)−合戦小屋(7:44〜7:58)−第3ベンチ(8:44)−
 第2ベンチ(9:19)−中房温泉(10:13)

 今回一番の快晴で風もない。岡田、中村両君が日の出前から起き出し、ご来光に輝く雄峰の数々をカメラに収めていたようだ。朝食を済ませ、6時48分山荘出発。今日は日本3大急登の一つと言われる合戦尾根を3時間で中房温泉まで一気に下る予定だ。50分ほど下った所でアイゼン着用。暫く下って合戦小屋を通過し樹林帯に入る。樹林帯に入っても急傾斜は変わらない。途中何度か休憩を入れ、ほぼ予定時刻の10時13分中房温泉到着。
 ここから大糸線の穂高駅まで行く不定期バスの発車時間が、事前に調べておいた通りの12時30であることを確認し、まずは登山客用の有料露天風呂に浸かる。これは昨夜から考えていたことで、そのために山荘の出発時間を7時前にしたのだ。露天風呂の醍醐味は登山の達成感を伴った時に倍加する。じっくりと湯に浸かっていると、縦走の疲れが飛び去り、体の隅々に精気が蘇ってくるような気がする。心身ともに晴れ晴れとしたところで、露天風呂の表側に場所を構えるそば処に入り信州そばと生ビールを注文する。これがまた堪えられない。露天風呂、生ビール、信州そばの三点セットを十分に堪能した後、不定期バスに乗り込み家路に就く。

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5月11日 6:47(撮影:岡田)
燕山荘前にて
(右から岡田、吉沢)
5月11日 6:53(撮影:岡田)
燕山荘から大天井岳を望む
5月11日 7:04(撮影:岡田)
燕山荘を後に槍ヶ岳を背に
(左から中村、吉沢夫妻)


■日の出直後の燕山荘からの大展望(動画)



5月11日 4:44(撮影:中村) 
(右から左にカメラを移動)
水晶岳←真砂岳←野口五郎岳←三ツ岳←烏帽子岳、燕岳
双六岳←三俣蓮華岳←鷲羽岳←ワリモ岳
大天井岳、奥穂高岳←北穂高岳←南岳←大喰岳←槍ヶ岳 


会   報
***

■2015年4月25日 丹沢主脈縦走  内海 拓人(一橋大学山岳部:法学部2年)
     ****** 2015年5月8日投稿 ******

* 参加者
部員:黄勉(院2)、太田貴之(商4)、高橋直道(法4)、西山祥紀(経4)、辰川貴大(法3)、内海拓人(法2)、大矢和樹(法2)
体験:安藤桂吾(院1)
天気
曇りのち雨
アクセス
小田急小田原線渋沢駅よりバス、大倉バス停下車。
コースタイム
大倉バス停9:10→駒上茶屋10:10−10:20→花立山荘11:10-11:20→塔ノ岳11:40−12:05→丹沢山12:50−13:00→塔ノ岳13:50−14:20→花立山荘14:45−14:55→駒上茶屋付近16:00−16:10→大倉バス停16:50
コース状況等
 渋沢駅での集合が少しずれ込み、大倉バス停には予定より一本後のバスで到着した。軽く準備運動を行い、予定の10分遅れで大倉を出発した。最初は木が生い茂る森林の中を進んで行った。勾配はそこまできつくなく、わりと早めのペースで進んだ。20〜30分進むと、次第に勾配が急になった。早めのペースだったこともあり、このあたりで黄さんと距離が空いてしまうようになった。ペースをあわせながら、駒上茶屋で最初の休憩を迎えた。
 駒上茶屋を過ぎると、さらに急な斜面・階段が続いた。ここでペースの違いが埋まりそうにないため、先行組(高橋・安藤・辰川・内海)と後発組(黄・太田・西山・大矢)に一旦別れて、塔ノ岳で合流することとした。
 2組に別れたあたりから、木が無くなり開けてきた。前回(去年の10月)に同じコースを登ったときは、直射日光が照りつけてとても暑かった。だが今回は曇っていたので、前回と比べると体力を奪われなかった。先行組は花立山荘で1回休憩を挟み、特にペースを落とすことなく塔ノ岳に到着した。
 先行組が到着して約20分後に後発組も塔ノ岳に到着した。時刻は12時少し過ぎだったので、結局全員がほぼ計画通りのペースで塔ノ岳までたどり着いたことになる。塔ノ岳は相変わらず風が強く、汗が一気に冷えて寒かった。大倉方面は雲もなく広く見渡すことができたが、丹沢山方面は空が真っ黒だった。天気への不安を抱えながら、先行組が一足先に塔ノ岳を出発した。
天気が崩れることへの不安もあり、塔ノ岳〜丹沢山は少しペースアップした。塔ノ岳を出てから30分程で落ち葉に降る雨の音が気になり始めた。ひとまず丹沢山までは行くことに決め、歩を進めた。
丹沢山に着き、蛭ヶ岳方面を見渡すと、明らかに雨が降っているようだった。また雷が相当近くで鳴り、恐怖を感じた。周囲の登山者も次々と塔ノ岳方面へ引き返し始めた。苦渋の決断ではあったが、私達も予定を変更して引き返すこととした。
 丹沢山を出発した直後に、後発組の姿が見えた。丹沢山の様子を伝え、再び塔ノ岳で合流することとした。5分程すると、雨が土砂降りとなった。引き返して正解だったと思っていたが、30分もすると雨はほとんど止んでしまった。晴れ間も見える空の下、やはり引き返すべきではなかったのではないかと後悔しながら塔ノ岳を目指した。
 塔ノ岳で再び後発組と合流すると、先行組が出発して5分も経たないうちに蛭ヶ岳方面は晴れていたという話を聞いた。しかし、丹沢山方面の空はやはり暗いように見えた。きっと蛭ヶ岳方面は天気が悪かったに違いないと自分に言い聞かせながら、大倉へ向けて塔ノ岳を後にした。
 下りは日没まで余裕があったこともあり、特に慌てることもなかった。相変わらず大倉方面は天気が良く、景色を楽しみながら歩くことができた。2回の休憩を挟んで、無事下山した。
感想
今回、丹沢は2回目の挑戦であった。前回(昨年10月)は体力面の限界から丹沢山往復となったため、今回は蛭ヶ岳、さらにその先へと縦走することを目標としていた。しかし、天候悪化により今回も丹沢山往復にとどまる結果となってしまった。体力的にもコースタイム的にも順調に進めていれば縦走可能であったと思われるだけに、非常に残念だ。ただ、同じコースを歩いたことで前回よりも少しは力がついていることを実感できた。機会があれば再び挑戦し、蛭ヶ岳からの景色を自分の目で確かめてみたい。また、今回の山行では天候変化によって引き返す際の判断の難しさを実感した。山行後の藤原さんのメールによれば、蛭ヶ岳方面はやはり雨が降り、雷が鳴っていたそうなので、今回の判断は正しかったことになる。今後は部員自ら計画を立て、山行を実施していく機会が増えると思われるが、常に「安全第一」ということを忘れないでいたい。


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塔ノ岳(撮影:内海)
11:55
塔ノ岳より丹沢山方面
(撮影:内海)11:55
花立山荘付近より大倉方面
(撮影:内海)14:40


■2015年4月23日 土曜日 丹沢山行の確定計画連絡  藤原 朋信(昭和44年卒)

       ****** 学生専用宛メールより転載 ******

学生各位 : 人数、コース等確定しましたので連絡します
* 1.渋沢組 小田急線渋沢駅改札口に830分に集合し、845分頃の大倉行きバスに乗車。
大倉915−塔ノ岳1200−丹沢山1300−蛭ヶ岳1415分−八丁坂の頭1530分−東野林道1630分
※−焼山1645分−焼山登山口バス停1730分
メンバー(敬称略〕 高橋 太田 西山 黄 辰川 大矢 内海 体験者1名   計8名
*大倉尾根の上りは、後の事を考えて中ペースで進んで下さい。
*八丁坂の頭で一旦二班に別れますが、国立付近で再結集して反省会も良いでしょう。
2.裏丹沢組 国立駅南口で8時にピックアップし東野林道ゲート付近まで車で入る。
ゲート1000−八丁坂の頭1130−蛭ヶ岳1345分(ここで渋沢組と合流)−丹沢山・塔ノ岳−大倉1800
メンバー(敬称略) 中村 宮武 岡部(新人 博1) 藤原   計4名
*岡部さんは渋沢駅の集合時間が厳しいので、裏丹沢から大倉に縦走します。       
追加の参加希望者があれば、歓迎します(裏丹沢での足は別途検討します、はみ出た部員は三カ木まで歩いても1時間のアルバイトです)

●2015年4月25日2:30 Re;土曜日 丹沢山行の確定計画連絡  内海 拓人(法2年)
       ****** 学生専用&藤原さん宛メールより転載 ******
本日の山行に参加なさっている皆様
こんにちは。
一橋山岳部2年内海です。ただいま、丹沢山行中で、塔ノ岳山頂におります。
一度、丹沢山まで到達しましたが、雨・雷が近づいてきて危険と判断したため、引き返して来ました。このまま大倉バス停へと向かう予定です。
途中でペースに差がでたため、高橋・安藤(体験)・辰川・内海の組と、黄・太田・西山・大矢の組に分かれております。大倉バス停で合流する予定です。今回参加なさっているOBの方々の電話番号がわからず、このような連絡となってしまい申し訳ございません。

●2015年4月25日23:15 Re;土曜日 丹沢山行の確定計画連絡  藤原 朋信(昭和44年卒)
       ****** 学生専用宛メールより転載 ******
内海さん 連絡ありがとう。雷を予知して丹沢山から引き返したのは賢明な判断でした。とはいえ貴君と大矢さんはまた蛭ヶ岳持越しですね、近いうちにチャレンジしてください。それから記録のほうも宜しく!
裏丹沢班は 940分にゲートを出発、約2時間で八丁坂の頭に到着、この頃から雨が降り始めました。この時点で大倉への縦走は諦め、大倉班と蛭ヶ岳で合流後は一緒に東野へ下ることにしました。大倉班とつなぎもあり私が先行して蛭ヶ岳に1330分に到着、丹沢山方面を眺めても大倉班の姿確認できず、雷や霰で引き返したと判断した次第です。  
    
【裏丹沢班の行動補足】 中村 雅明(昭和43年卒)
* 1. 新人の岡部睦(まこと)さんは、当HPを見て入部申し込みをされ、4月20日の三月会に出席し、本山行を知り急遽参加することになりました。
2. 交通は宮武車で、6時35分に東船橋駅で藤原、8時に国立駅で中村、岡部をピックアップし、東野林道ゲートまで行けたので楽でした。予定通り学生が蛭ヶ岳を越えて下山すれば、宮武車が下山口で学生を収容し駅まで送る手筈でした。
3. 蛭ヶ岳に先行した藤原さんを追って、中村、宮武、岡部の3名は蛭ヶ岳に向かい、学生に会えず蛭ヶ岳から引き返した藤原さんに頂上の20分手前で会いました。3人は1440分に蛭ヶ岳に到着。その頃は雷も収まり雨も止みましたが寒いので直ぐに下山しました。
4. 往路を東野林道ゲートまで下りましたが、薄日も差して楽でしたが、登りで足を痛めた岡部さんが下りで苦労しゲートに着いたのが薄暗くなった19時前でした。


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13:50(撮影:中村)
蛭ヶ岳山頂にて(岡部)
15:30(撮影:中村)
蛭ヶ岳から30分下った所から
蛭ヶ岳を望む 


●2015年4月26日 丹沢山主稜縦走  藤原 朋信(昭和44年卒)

       ****** 学生専用宛メールより転載 ******

高橋さん、太田さん、西山さん、辰川さん 
昨日はご苦労様でした。8名もの多人数が塔ノ岳・丹沢山を往復したのは大したものです。チームしての力がついてきている証拠だと思います。天候の急変に対応して安全を第一に引き返した判断も良かったですね。蛭岳頂上で私と隣の登山者の頭を雷がかすめて火花がみえました、隣の若い登山者はパニックになって小屋に逃げ込みました〔私も逃げました)。新人も多数入るとの事なのでこれからも安全第一で行動してください。

大矢さん、内海さん
残念ながら蛭ヶ岳に今回も登れず課題を残しましたね !
二人とも力が付いてきているので、少人数の個人山行として早ければ来月〔日が長く、シロヤシオが満開なので最適シーズンです)にでも再チャレンジしたら如何ですか?  主脈縦走は裏丹沢での交通事情が悪いので、主稜縦走に切り替え桧洞丸に縦走したら良いでしょう、下山口の西丹沢の新松田行き最終バスが1858分なので時間もたっぷり使えます。蛭ヶ岳−桧洞丸間の縦走路は険しく、かつ丹沢山塊の主峰4山を全山踏破するのでやり終えた後に充実感があります。
 参考までに4年前に私が同コースを歩いたときのタイムは大倉925分−西丹沢1650分でした。蛭ヶ岳に1330分までに到着できるかがポイントです。

黄さん 
自分でも強くなったと感じてるでしょうね! 基礎体力が付いたので次のステップを考えましょう。



会   報
***


■2015年4月7〜12日  大峯奥駈道縦走(その1)  中村 雅明(昭和43年卒)
      ******2015年11月27日投稿

 2015年4月に大峯奥駈道の吉野山〜山上ヶ岳〜奥駈道出合を単独で縦走しました。大峯奥駈道は1300年前、役小角が大峰山脈に開いた修験道の修行の道です。その修験道は紀伊半島中央部を北は吉野山から南は熊野の本宮付近に長く走ります。八経ヶ岳、山上ヶ岳や弥山を始めとする標高1500mを越える山々が20座近く連なる縦走路を走破するおよそ170kmの行程です。
 吉野山から熊野本宮までの全行程を歩くには7泊8日かかります。この大峯奥駈道は2004年7月に世界遺産として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれます。

 今回この奥駈道を目指したのは、
 @修験道の興味より11年前から始めた熊野古道歩き(【熊野古道遍歴】参照)で残っているメインコースがこの奥駈道と「大辺路」であること(「大辺路」は2015年11月に済)
 A熊野古道の他のコースと違ってこの奥駈道は山岳縦走コースとして長く険しいコースです。今年は“縦走の年”と考えているので、対象として心惹かれました。
 時期を4月としたのは”吉野山の花見”です。15年前の4月10日頃、出張のついでに初めて訪れた吉野山は中千本、上千本、奥千本の桜が満開で“これぞ吉野の桜”と感激しました。あと1度訪れたいとずっと思っていたので、吉野山で花見をした後に奥駈道に踏み入ろうと欲張りました。
 ただ、4月は以下3点で登山適期ではありません。
 @雨が多い月であること
 A縦走路に雪が残っていること
 B縦走路にある宿坊、山小屋が開くのは4月末なので宿泊は避難小屋、テントになり、装備、食糧が重くなることです。

 以上の懸念を考慮して、4月7日に吉野の花見を楽しんだ翌日から縦走を開始し、山上ヶ岳を越え、弥山まで縦走し、4月11日に近畿最高峰の八経ヶ岳(1,915m)を往復後天川川合に下山する日程(避難小屋2泊、テント1泊)としました。
 計画が固まった3月末に関西在住の若手会員2人を誘いましたが同行叶わず、止む無く単独行となりました。
 なお、奥駈道の洞辻茶屋〜八経ヶ岳を昭和39年卒の竹中、本間両先輩が他2名と一緒に、2008年6月1〜4日に歩かれました。同期の村上先輩が3日に合流されました。その記録を竹中先輩が『針葉樹会報』第113号(2008.12)に「大峰山奥駈道ミニ縦走」として投稿されました(以後、「奥駈道ミニ縦走」。また、今回の山行に先だって本間先輩から、その山行で入手された奈良県庁作成の奥駈道五万図他資料をいただきました。山行計画を作成するのに大変参考にさせていただきました。

<行程>
4月7日 東京(8:33)=(新幹線)=京都(11:11〜40)=(近鉄)=吉野(14:00)45
吉野千本口(14:05)=(ロープウエイ)=吉野山(14:15)−下千本(14:10)
※中千本まで往復(桜見物)
4月8日 下千本(8:00)−吉野水分神社(8;42〜48)−青根ケ峰(9:38〜44)−試み茶屋跡(10:45〜50)−四寸岩山(11:31〜41)−2pで二蔵宿(13:18)
4月9日 二蔵宿(6:20)−2pで五番関(7:55〜8:13)−今宿茶屋跡(9:38〜08)−胴辻茶屋手前(9:50)−胴辻茶屋(10:10)−鐘掛岩(10:42〜50)−西ノ覗岩(11:05〜12)−山上ヶ岳(11:29〜50)−3pで小篠宿(12:52)
4月10日 小篠宿(5:05)−阿弥陀ヶ森(5:45〜53)−2pで小普賢岳(7:08〜15)−大普賢岳先(7:48〜56)−稚児泊(8:37〜45)−七曜岳(9:13〜25)−行者還岳手前(10:05〜13)−行者還避難小屋(10:38)
4月11日 行者還避難小屋(5:16)−行者還トンネル上(6:09〜14)−奥駈道出合(6:49〜57) −トンネル西口(7:30〜45) − 2pで大川口(8:50〜9:10)−2pで川迫ダム(10:00〜10)−熊渡(10:36〜40)−みたらい渓谷白倉出合(11:00〜30)−天川出合(12:00)――>出迎え車で北小原の民宿(民宿あおば)
※宿の送り迎えで天の川温泉センター往復
4月12日 北小原(9:20) =(車)=上市口(10:00〜10:26)=(近鉄吉野線)=橿原神宮前(11:05〜08)=(近鉄樫原神宮線)=京都(12:25〜56)=(新幹線)=東京(15:40)


『大峯奥駈道概念図』 赤線は今回のコース

●4月7日(火) 曇り後小雨
 4月になって天候不順で、天気予報も良くないので気掛かりでしたが、吉野の花見に同行する家内、家内の妹さんと3人で8:33の新幹線ひかりで東京を出発。京都で近鉄に乗り換え、吉野に13:52着。隣接する吉野千本口で吉野山ロープウエイに乗り吉野山(山上駅)で降りました。
 花見客で一杯です。本日の宿の「花屋」は山上駅の直ぐ近くです。荷物を預けて桜見物に出掛けました。今にも雨が降ってくる空模様ですが、下千本から中千本の満開の桜を楽しみました。上千本辺りは未だ五分咲です。15年前に初めて訪れた時は、青空の元、全山満開の桜に感動しましたが、今回は天気といい桜の開花状況といい今一つでした。
 夕方になって雨が降り始め、明日からの山行を心配しながら就寝しました。

●4月8日(水) 小雨  [縦走1日目]
 夜半から雨が強くなり、朝になっても止みません。初日から雨で気が滅入りましたが、縦走なので雨であっても出掛けない訳には行きません。シュラフ、エアーマット、ガスバーナー、コッヘル、テント(2人用)、食糧丸3日分、水2リットル、着替え等で60リットルのザック一杯の荷物(20kg?)を背負って7:55、2人に別れて宿を出発しました。雨具上下、スパッツの完全武装です。昨日歩いた中千本を過ぎ、奥千本付近の道端には雨に濡れた桜の写真を撮る人が大勢いました。
 金峯神社を過ぎ、西行庵に向かう道と分かれて青根ヶ峰への道に入ると観光客に全く会いません。いよいよ奥駈道に分け入りました。雨は小降りになりましたが止む気配ありません。
 9:38青根ヶ峰着。山頂は樹林に覆われ展望がありません。青根ヶ峰は吉野山の南限の山。ここを越えると奥駈道に踏み入った気がしました。但し、少し歩くと林道で出てしまい、「ここにも開発の手が及んだのか」とがっかりしました。幸い直ぐに試み茶屋跡手前から古道に戻りました。四寸岩山まではかなりの登りです。雨は小降りになりましたが、気温がグーンと下がり小雪が舞ってきました。帰宅してから判ったのは。この日、日本列島は全国的に強い寒気におおわれ、東京都心では4月として5年ぶりに雪が降りました。新聞には雪をかぶった桜の写真が載っています。雨に打たれ衣類も濡れ始めた上に寒さも加わり、休みもそこそこにして先を急ぎました。足摺小屋を越えて歩きやすい樹林に中の道を登り、今晩の宿泊地の二蔵小屋に13:18到着しました。宿を出発してから5時間20分、コースタイムより1時間早く着きました。
 二蔵小屋は修験道の修行者が利用する為に作られた小屋で、ストーブが真中に据えられ薪も豊富に蓄えられている素晴らしい小屋との事前調査に期待して早速中に入って一息入れようとしましたが、入口が閉っています。窓はガラスが破れて板が打ち付けてあり、そこに「冬期に窓を破られて侵入されたので、修理の為、4月末まで閉鎖します」と張り紙がしてありました。「何たる事」とガックリきましたが、テント持参して良かったと思い直し、テント設営にかかりました。幸い小屋の前の通路にトタン屋根があり、その下の雨に濡れない場所にテントを張れました。テントは今山行前に新調した石井G-LIGHT X 1〜2人用。2人では窮屈ですが1人なのでゆったりですが、濡れた雨具、靴を入れるとそれほど余裕ありません。
 荷物整理が済むと後は夕食の準備。夕食は今はやりの“フリーズドライ”食品オンパレード。お湯を注いで待てば出来上がり。軽く、調理が簡単なのがメリットですが、こんな日は手間がかからないので時間がつぶせないのでマイナスです。4時から夕食準備して6時には全て済んでしまい後は寝るしかありません。18:30にシュラフに入りましたが、3シーズン用のシュラフでは寒く、フリースなどありったけの防寒衣を着ましたが、トタン屋根を打つ雨音も気になってなかなか寝付けません。夜半に雨音が小さくなりようやく眠りに就きました。

●4月9日(木) 曇り  [縦走2日目]
 寝不足のまま朝を迎えました。幸い明け方に雨が上がりました。手早く朝食を済ませ、6:20二蔵小屋を出発し、大天井ヶ岳に向かいました。ところが、小屋の直ぐ近くにあった「大天井ケ岳」の指導標を見落とし、巻道に入り込んでしまいました。でもそれに気が付いたのはこれから10分後起こった丸木橋からの転落事故の後でした。小屋前の道を少し登ると山裾を巻く道になりました。薄日も差して来たので気持ち良く歩き始めた矢先に、丸木橋に差し掛かりました。山肌が削れた沢にかなり太い丸木が4本渡してあります。昨夜来の雨に濡れていました。
 「気を付けて歩こう」と思いながら行動は逆で谷川の2本の丸木を不用意に渡り始めた途端に、左足が滑り、アッと言う間に沢側に投げ出されました。ザックも体から離れました。「しまった。やってしまった」と思いながら沢の急な斜面にぶつかり転がり始めましたが、幸い道から5m位下、沢に横に倒れた木に足が引っかかり止まりました。その木が無かった下まで転がっていたことでしょう。幸運だったのは沢に石がなく、柔らかい土の斜面だったので、足腰にまったく打撲なく、おでこに土がついただけでした。
 近くに落ちていた帽子をかぶり、「ザックはどこ?」と探すと、少し離れたところに止まっていました。もし下まで落ちていってしまったら大変でした。ザックを担いで登山道に戻りましたが、打撲なし外傷なしの自分の運の強さを喜びました。山で転落したのは大学4年の7月、北岳バットレス中央稜の取り付きで転落し、亡くなった同期の加藤君の確保で事なきを得た時以来2回目です。まだ運を使い切っていなかった様です。でも安心した半面、単独行の危険、怖さを痛感しました。
 まだこの時点では道を誤ったとは思わず、山腹の巻き道をさらに進むと沢のガレ場にでました。ここで道を間違えてことに気が付きましたが、引き返す気力がなくそのまま進みました。
 7:55出発から2時間で五番関(女人結界)に着きました。これから向かう山上ヶ岳は、役行者が定めた女人禁制を今も「伝統」として維持しています。従って女性は五番関を通過できません。五番関からは約2時間、洞辻茶屋手前の薄日も差して気持ちよい場所で1回目の昼食。
 洞辻茶屋は吉野道と洞川からの参詣道が合流する所なので、山開きの後であれば多くの登山者で溢れますが全く人影ありません。陀羅尼助茶屋からは上は一面の雪の斜面。油こぼしの岩場、木の階段は急な雪面で緊張しました。トレースが無いので最近人が歩いていないようです。幸い雪が柔らかいので靴をけり込んで一歩一歩登りました。ピッケルが欲しいところでした。
 鐘掛岩下に着いてようやく雪の斜面が終わりホッとしました。行場の右手の巻道、西の覗きを経て11:29山岳修験の根本道場、山頂に立つ建造物としては日本最大の大峯山寺本堂に着きました。
 山上ヶ岳山頂(1,791m)は本堂より少し南側。クマザサが覆う山頂は、初夏には美しいお花畑との事ですが、今は一面のササ原がのびやかに広がっています。山頂から南西に大日山と本峰の二峰からなる稲村ヶ岳を望みました。この展望が今回唯一のものでした。昼食を摂った後、蔵王権現が現れたとされる“湧出岩”に立ち寄り、さらに奥駈道を進んで、3pで小篠宿に12:52着きました。奥駈道には75靡(なびき)と称して、75ヶ所の行場、修験道場がありますが、小篠宿は往時には36の坊舎が棟を並べていた聖域です。立派な2坪ほどの本堂の近くに避難小屋がありました。土間にストーブがあり、6畳ほどの板の間があるこじんまりした小屋ですが、小屋の近くに沢が流れているので便利です。竹中先輩パーティーもこの小屋で泊りました。まだ早い時刻ですが、予定通りこの小屋で宿泊することにしました。薄日が差しているので、テント、フライ、雨具、シュラフなどを小屋の前に広げ乾かしました。この日も4時頃から夕食準備、7時前には就寝しましたが、夜半から冷え込み厳しく何度も眼を覚ましました。

●4月10日(金) 曇り後雨  [縦走3目]
 まだ暗い3:20に起き出し、4;00朝食、5時過ぎに出発しました。昨日雨が上がったので好天を期待しましたが、どんよりした雨模様です。上下雨具、スパッツを付けた完全武装です。荷物は少し軽くなりましたがまだ肩に食い込みます。沢沿いの道を登り始めましたが、雪に覆われ登山道が判りません。赤いテープもないので不安を覚えながら高みを目指して登る内に竜ヶ岳の肩を越す尾根道に出て一安心しました。登山道は雪の下です。雪の上を歩くこと45分、阿弥陀ケ森分岐(女人結界)に着きました。
 小憩後、樹林の中を小普賢岳に向かいました。登りにかかると雨も降り出しました。小普賢岳の山頂近くで道を見失い、しばらく藪漕ぎをしましたが何とか7:08小普賢岳に着きました。雨も強くなり、急斜面のラッセルで疲れました。単独行では道を探しながら歩くのが大変です。合っているか疑心暗鬼の心細さのプレッシャーがかかります。大普賢岳を巻き、彌勒岳を越えると国見岳の薩摩転びのクサリ場、佇立した岩々を縫い、木のハシゴ、またクサリ場・・・奥駈道の中でも最も嶮峻な難場をクサリも木も濡れているので一歩一歩慎重に下りました。下り終わって8:39稚児泊で小憩。
 この後も七ッ池、キレット、七曜岳と険しい稜線が続きました。七曜岳の急なクサリ場を過ぎるとようやくなだらかな稜線歩きとなりました。行者還岳は稜線から離れ往復15分ですが、雨なので省略し、行者還岳の山腹の巻道に入り、行者零水、ガレ場(サツマコロビ)を通って10:38行者還避難小屋に着きました。出発してから5時間半。途中道を探しながらの雪道歩きでしたがコースタイム通りで来ました。雨の為、休憩時間が短かったからでしょう。
 行者還小屋は奥駈道で最も快適なログハウスです。その詳細が竹中先輩の「奥駈道ミニ縦走」に紹介されています。竹中先輩パーティーはこの小屋に泊まっています。
 今日の予定はここからコースタイム4時間の弥山小屋です。大休止して雨の様子見しました。1時間待ちましたが雨が止む気配がありません。ここまで雨具を通して衣類がかなり濡れ、疲れも感じたので先に行くのをあきらめこの小屋で泊まることにしました。そうと決まればまず水汲み。屋内にある水道は使えず、外にある蛇口からも水が出ないので、小屋に来る前に通過してきた水場を往復しました。2つある部屋の一つ(12畳)に荷物を広げ、寝袋に潜り込みましたが雨具を通して衣類が濡れたので昼寝もままなりません。ここで助かったのは小屋の片隅に毛布が沢山畳まれていたことです。寝袋の上下に毛布2枚敷き被せると暖かくなり夕方まで一眠りできました。
 日中、登山者に1人も会わず、同宿者もなくひとりボッチ2日目です。こんな経験は初めて。
 単独行の寂しさを痛感しました。「ラジオを持ってくれば良かった」と後悔しました。
 今日も夕食を早く済ませ、7時前に就寝しました。前2晩と違って毛布のお蔭で寒さを感じることなく熟睡できました。

●4月11日(土) 雨後曇り  [縦走4日目]
 3:00起床。毎日起床するのが早くなります。昨夜来の雨がまだ降っています。夜が明けるのを待ちかねて5:16小屋を出発しました。小屋の中はまだ暗く、リヒトで忘れ物がないか小屋の中を照らしましたが、棚までライトが届かずデジカメを忘れてしまいました。従って今山行の写真が無く残念です。荷物は大分軽くなりましたが、まだ相当な重さです。
 昨日の険しい稜線と違って、樹林、時折現れる草原の歩き易い道を進みました。晴れていれば気持ち良い稜線漫歩でしょうが、降りやまない雨に黙々と歩きます。行者還トンネル上、一ノ垰を過ぎて6:49奥駈道出合に着きました。ここまでで雨が上がれば、弥山小屋まで登り、頂仙岳、栃尾辻を通り尾根を下り天川川合に下り積りでしたが、雨風が強い中、弥山までの急登がツライこと、事前調査で4月に弥山付近で雪道で迷った記録もあることから、奥駈道出合から40分の行者還トンネル西口に下山することにしました。
 当初の目標であった弥山・八経ヶ岳の登頂を果たさず途中で下山するのは残念でしたが、ここまで雨に打たれながらの歩きだったので早く下に下りたい気持ちに負けました。下り始めると直ぐに稜線の風は無くなり、急坂ですが安全な道をどんどん下り、約30分でトンネル西口に7:30着きました。
 雨も止みました。このコースで竹中先輩パーティーも下山されています。トンネル出口で単独行の若い女性、年配の夫婦に会いました。天候が回復したのでこれから弥山に向かう人達でした。8日に吉野から奥駈道に分け入ってから4日振りに人に会いました。こんなに人に会うのが嬉しかったのは初めてです。竹中先輩パーティーは予約してあったタクシーで天川川合まで移動されましたが、今晩の宿(天川川合)には夕方着けば良いので、林道を歩くことにしました。幸い雨が上がり薄日も差してきて歩くにつれて雨具、ザックも乾いてきました。大川口まで1時間半。ここのゲートは冬期閉鎖中でした。先ほど会った人達はここまでタクシーで来て、トンネル西口まで歩いた訳です。それから川迫川沿いの林道を歩いて“みたらい渓谷”入口まで約2時間。単調な林道歩きですが時折現れる渓谷の瀬、淵の美しさに慰められました。
 11:00に昼食。“あなご御膳”とビールで無事下山を一人で祝いました。昼食後さらに1時間、“みたらい渓谷歩道”を歩いて12:00天川川合バス停に着き登山終了。今晩の宿“民宿あおば”からおばさんに迎えに来ていただきました。宿に落ち着き小憩後、ご主人の車の往復で村営の日帰り入浴施設“天の川温泉センター”の露天風呂で山行の疲れを取りました。夕飯はこの宿自慢のヘルシーな衣を使った、肉、魚、野菜15種の“串揚げ”で大満足しました。

●4月12日(日) 晴れ
 下市口へ出る路線バスの便が少なく、10:40が第1便でしたが、運よく同宿した吉野桜見物の男性の車に同乗して10:00に下市口に出ることができました。樫原神宮で乗り換えて京都に出て12:56のひかりで東京に15:40に着き、自宅に16:00前に帰宅しました。

【後書き、感想に代えて】

■2015年4月13日  大峯奥駈道縦走から帰りました。  中村 雅明

藤原さん
 本日、疲労困憊して大峯奥駈道縦走から帰りました。
 3月末の八ヶ岳は2日間微風快晴に恵まれ、自分はれ男、普段の心がけが良いからと思ってしまいましたが、あにはからんや今回は雨にたたられました。常日頃、家内から「あなたは山以外では自堕落な生活を送っている」と言われていたので、そうはお天道様がいい顔をする筈がありません。7日に吉野入りしましたが小雨の桜見物。その晩から本格的な雨となり、翌8日朝になっても止みません。テント1式、寝袋、コンロ、コッヘル、丸3日分の食料、水2リットルの荷物の重さにあえぎながら宿を発ちました。
 その後の行動は詳しい報告を後日書きますが、
** 8日 二蔵宿でテント泊(小雨、寒し)
開いている予定の小屋が心ない登山者がガラスを割って侵入したので修理の為4月末まで閉鎖の為止む無くテント泊。
9日 山上ヶ岳を越えて小篠(笹)宿(小屋泊)曇り時々薄日。
この日は予定通りの行動。
10日 大普賢岳、七曜岳を越えて行者岳避難小屋(泊)
終日雨の為予定した弥山まで行けず。小屋は素晴らしく立派な小屋でgood。
11日 弥山経由尾根伝いに天川川合に下山する予定も雨やまず、奥駈出合から行者還トンネル西口に下山、車道を歩いて天川川合で山行終了。民宿泊。80%の山行成果。
12日 帰京
と今回の終点を目指した八経ケ岳登頂を果たせませんでした。
11日朝に行者還トンネル西口で3人の登山者に会うまで3日間1人の登山者にも会いませんでした。単独行は淋しき限りでした。
殆ど雨の中の縦走は今の季節は寒く、8日のテント、9日の避難小屋では寒くて良く眠れませんでした。10日の小屋は毛布が有り助かりました。 
縦走路は残雪が残る箇所では夏道が隠れ、ルート探しに苦労しました。単独行では自分の判断が正しいのか不安でした。
残雪、雨の時の寒さを考えるとこの時期に単独でこのコースを縦走するのは冒険でした。
学生時代以来ですが荷物の重さで右肩が皮むけ、宿坊、山小屋が一切開いていない時期の縦走は老骨に鞭打っての難行苦行でした。
それでもこれで懲りた訳でなく、残り2/3のコースも行こうと思っていますよ。今回図らずも下山した行者還トンネル西口から奥駈出合に登り弥山・八経ヶ岳を越えて熊野本宮大社までの縦走完遂を目指します(物好き極まれり!)。

■2015年4月13日 Re.大峯奥駈道縦走から帰りました。  藤原 朋信(昭和44年卒)

 中村さん   無事のご帰還何よりです。
古希を過ぎての、大峰奥駆けの成功はヒマラヤ登攀より難しい登山かと思ってます。正に修験者の行為ですね。
 正直、最初にこの計画を聞いた時は、まず山上が岳あたりで下りられるだろうと予想していました。大峰にまだ人が入らない4月初旬に、しかも単独行のテント縦走ですからよほどの体力・精神力がなければ計画すら立てません。それを雨天の中3日間、歩き通したのは敬服そのものです。自分が先週、青春18切符で谷川白毛門に出かけて、残雪の多さと小雨に気分も萎えて頂上に至らず引き返した事と比較すれば、中村さんの強靭な意志には驚かされます。
 前鬼から玉置山は私も歩いた事がないので、中村さんのパワーに便乗して同行します。道が悪いから秋から初冬の時期が良いかもしれませんね。本当にお疲れ様でした。   藤原拝 

【熊野古道遍歴】
** 1. 伊勢路(新町〜馬越峠〜尾鷲)
 ・2004年10月(日は不明:土日の2日間)
 ・中村夫妻
2. 伊勢路(尾鷲〜八鬼山越え〜曽根次郎坂・太郎坂〜逢神坂越え〜新鹿)
 ・2005年12月23〜26日
 ・中村夫妻
3. 伊勢路(新鹿〜大吹峠・松本峠越え〜七里御浜〜熊野速玉大社〜熊野那智大社)
 ・2007年11月28〜12月1日
 ・中村夫妻、他2名(中村友人、中村妻妹)
4. 小辺路
 ・2008年11月11〜22日
 ・中村夫妻、他1名(家内友人)
5. 中辺路(下鮎川〜熊野本宮〜那智大社〜那智)
 ・2009年11月24〜29日
 ・中村夫妻
6. 伊勢路本宮道(花の窟〜風伝峠越え〜丸山千枚田〜楊枝の渡し跡〜万才峠〜大日越え)
 ・2010年5月11〜14日
 ・中村夫妻
7. 大辺路(紀伊田辺から那智)
 ・2015年11月11〜16日
 ・中村夫妻、他1名(中村妻妹)


会   報
***


■2015年4月3〜4日 屋久島・宮之浦岳 西山 祥紀(一橋大学山岳部:経済学部4年)
     ****** 2015年8月7日投稿 ******

メンバー
部員:西山 祥紀(経済4年)、太田 貴之(商4)
天気
4/3 強風をともなう雨
4/4 晴れ
コースタイム
4/3
8:00 鹿児島港発 屋久島2号に搭乗
12:30 宮之浦港着
14:10 安房の市街地行のバスに搭乗
 15:00 安房到着、タクシーに乗り換える
16:15 淀川登山口入口に到着、淀川小屋まで徒歩で移動
17:00 淀川小屋に到着、小屋泊の準備
山行時間 合計45分
4/4
3:30 起床
6:00 淀川小屋を出発
6:55 小花之江河(こはなのえごう)通過
9:30 宮之浦岳登頂、1936
11:30 新高塚小屋通過
13:00 縄文杉通過
17:10 荒川登山口到着
17:30 荒川登山口からバス
18:05 屋久杉自然館着、タクシーに乗り換え
18:50 屋久島グリーンホテルに到着、宿泊
山行時間 合計11時間10分
***
●4月3日
 遅ればせながら、今年4月に同学年の太田とともに九州旅行に行き、その際屋久島への山行を実行したので、ここに報告する。
 まず4/3であるが、この日は鹿児島港を早朝に出発し、安価なフェリー「屋久島2」に搭乗する。この日は天候に恵まれず、波が荒れており、私たちは船酔いに悩まされることになった。宮之浦港に到着し、バス・タクシーを駆使して宮之浦岳入口の淀川登山口に至ったのだが、道路が非常に荒れており、太田はこのタクシーによって酔いがさらにひどくなってしまった。
 登山口から本日の寝床である淀川小屋までは歩いて45分かかる。私たちは食糧、食器、折り畳み式マット、シュラフなどを携えており荷物が非常に重かったため、さらに乗り物酔いのダメージも相まって、45分歩いただけで非常に身に堪え、翌日の長時間の屋久島縦走を完遂できるのか案じた。小屋に到着し、汲んできた水を沸かしインスタントラーメンを食した。入口から小屋までの移動中、普段の山行では滅多にお目にかかることのない、欧米諸国から来たと思われる登山者に何度もすれ違った。
 やはり屋久島は日本で初めて自然遺産に登録されただけあり、国際的にも関心の目が向けられているのだろう。余談だが、私達は普段の山行で他の登山客とすれ違うときには「こんにちは」と挨拶するけれども、件の欧米諸国から来た登山者は「Hi!!!」と挨拶してきたのが記憶に新しい。登山での挨拶という文化は国境を跨がないのだろう。
*
●4月4日
 翌日、3:00に起床し、出発の準備にとりかかる。朝食としてカレーライスを食べる。6:00に小屋を後にする。次第に高度が高くなり、森林限界を超えると岩だらけの場になり、そのまま30分ほど歩くと宮之浦岳の頂上、1936メートル地点に到着した。その後は下りになるが、下り坂の勾配は急なうえに、わずかに雪が残り連日の降雨によりぬかるんだ劣悪な道が、大荷物を背負った身に非常に堪え、何度も足を挫いてしまった。
 私は先般一橋大学山岳部の山行記録にて、下りになると足のコンディションを崩してしまうとの旨を書いたと思うが、今回もその例に漏れない結果となってしまった。そして幸運にして、普段の山行ではお目にかかれない猛々しい角をもつ鹿の群れにもまみえることができた。
 縄文杉のスポットでは、新生活が始まるというこの時期にもかかわらず、老若男女の登山客で溢れていた。縄文杉から私達のゴール地点である荒川登山口まではトロッコの線路上を歩くことになる。どうやらこのトロッコは資材運搬に利用されていたという歴史をもつそうだ。よって道の整備状況は非常に良好で速く歩くことができたのだが、結局荒川登山口まで下山するのに4時間余りもかかってしまったことから、非常に長い距離であることが窺える。
 荒川登山口にてバスに乗ったのだが、乗り物酔いや長時間の登山で満身創痍さながらの身にとって、その椅子がなんて心地よかったことだろうか。普通は屋久島の縦走には2泊を要するそうだが、私達は旅程の都合上1泊で強行突破するために、11時間も早足で歩くという無理をしたのだった。
 今回は九州旅行と兼ねての山行となったが、非常に楽しく有意義なものになった。今後とも国内・海外旅行の際は現地の山にぜひとも挑戦してみたいものである。




▼写真をクリックすると大きく表示されます
4月4日 9:38
宮之浦岳頂上にて(左から西山、太田) 
4月4日 10:16
新高塚小屋へ下る途中の絶景
4月4日 10:19
宮之浦岳から新高塚小屋へ下る途中、鹿に遭遇
4月4日 17:06
荒川登山口のバス停付近(太田)



●2015年8月10日 RE:屋久島の山行記録の報告  中村 雅明(昭和43年卒)
     ******西山さんへの返信の抜粋

西山さん
 標記山行記録&写真4枚受領しました。
 良い山行をされましたね。その行動力に敬服しました。

 私は2009年4月に、家内、長男、家内の妹さんと 一緒に宮之浦岳に登りました。
   1日目 淀川小屋(泊)
   2日目 〜宮之浦岳〜新高塚小屋(泊)
   3日目 〜縄文杉〜白谷雲水峡〜宮之浦
  下山コースが違うだけであとは同じコースなので大変面白く読ませてもらいました。
  宮之浦岳に登った日は雨、強風で景色は全く見えませんでした。貴兄達は天気に恵まれた様ですね。
  頂上からの景色良かったでしょう。
  縄文杉を訪れた朝は好天で、まだ観光客が登ってこない早朝に縄文杉を独り占めしてたっぷり楽しみました。
         
●2015年8月15日 屋久島  藤原 朋信(昭和44年卒)
     ******西山さんへの返信
西山さん 
 屋久島の記録楽しく読ませてもらいました。山行記と同時に屋久島という最南の島への旅行記でもあり後年振り返って懐かしくも貴重な資料になるでしょう !!
 私も50代前半に当時の相棒と二人でほぼ同じコースを歩きました、前日安房の民宿に泊まり(飛び魚の不味い夕食をいまでも思い出します). 当日は淀川登山口から宮之浦・縄文杉を過ぎて、楠川別れから白谷雲水峡に廻り楠川のバス停まで歩きました。
 当時元気だったので歩けましたが、懐かしい思い出です。


         



会   報
***


■2015年3月26〜28日 硫黄岳〜天狗岳縦走(春の八ヶ岳) 岡田 健志(昭和42年卒)
 
 期間 ;2015年3月26日〜28日
 同行者;高崎 俊平(昭和41年卒)中村 雅明(昭和43年卒)、岡田 健志
この季節に赤岳鉱泉に入山するのは今年で4年目だった。今年に入って阿弥陀岳で遭難事故が続いたものの、入山にもそんなに時間がかからず、結構厳しい稜線歩きもあり、天気次第で春山を楽しめる山域である。
今回は、高崎 俊平さんも加わった。年齢は1才上だがそのタフさには感心させられた。

●3月26日(木)快晴
 美濃戸口発(11:45)−赤岳山荘(12:45)−赤岳鉱泉(15:05)
 今回山行は高崎さんの四駆車で入山する。中村さんを高尾口駅(京王線)で拾ってから約1時間45分で美濃戸口の八ヶ岳山荘に到着。ここで駐車場所を確保し、登山届を出し軽く昼食を摂って出発。
 唐松の芽もまだ固く、その上に快晴の空が見える。小鳥の声も聞こえ、「春近し」の風情である。雪の量は例年と変わらず、赤岳山荘あたりからは、道路も土を踏むことなく歩くことが出来る。
 人工的なアイスクライミングのゲレンデの青い氷の壁が見えたら赤岳鉱泉に着く。
 今年はこの時期でも宿泊客が多い。最近の山小屋の客は、年配者が多いのはこれはもう常識だが、ガイド連れの客が一組ならずいるのにはビックリした。これも高齢登山者の選択肢の一つだろうか。
 中に、80歳台に見える腰のまがったおばあさんがいた。ガイドに連れられて阿弥陀岳へ登ったとのこと。びっくりした。

●3月27日(金)快晴・無風
 赤岳鉱泉出発(5:45)−赤岩の頭頂上直下(7:05〜7:15)−赤岩の頭(7:30〜7:40)−硫黄岳(8:05〜8:15)
 −夏沢峠(8:55〜9:10)−箕冠山(9:45〜9:55)−根石岳(10:30)−東天狗(11:10〜11:25)−西天狗(11:45〜12:05)
 −東天狗(12:25〜12:40 昼食)−中山峠(13:18)−黒百合ヒュッテ(13:26)
 赤岳鉱泉の朝食は6時半からなので、私たちはそれぞれ持参した食べ物を口に入れ阿弥陀岳の頂上に朝日が当たって赤くなるのを見ながら出発。小屋のすぐそばが硫黄岳への登山路だ。良く踏まれて固くしまったトレースが針葉樹林の中に続いている。やがて樹林帯をぬけたあたり、赤岩の頭の直下が急な雪の斜面になっている。雪崩の危険があると地図には書いてあるが、その斜面の一番硫黄岳よりを慎重に登る。
 赤岩の頭は南アルプスは北岳あたりから、中央アルプス、御岳山、乗鞍岳から北アルプスの北端まで一望できる。その絶景に目を奪われた。
 赤岩の頭から硫黄岳までは雪の斜面を歩いてすぐ。硫黄岳の頂上は雪もない、沢山の丸い石が露出するところだった。
硫黄岳から夏沢峠への下りは、佐久側が急な斜面になっているが、そちらに踏み込まないよう踏み跡を辿っていく。少し急な箇所もあるが難なく夏沢峠に着いた。夏坂峠からのルートは樹林帯のなかを単調に行く。ここも踏み跡がしっかりついていて、問題なかった。根石山荘で一旦アイゼンをはずす。根石岳の登りでルートに雪が無いことが見えたから。根石岳の下りから再びアイゼンをはいた。快晴無風の稜線歩きが心地よかった。
 東天狗の頂上から来し方を振り返ると今日歩いてきたルートがはっきりと見える。赤岳や阿弥陀岳が代表する南八ヶ岳の山々の急峻さと、これから向かう天狗岳以北のなだらかさが好対照だ。これからも来ることはないだろうと東天狗頂上にザックを置いて西天狗を往復する。西天狗までのルートは積雪がたっぷりある白いルートだった。
 東天狗の頂上まで戻って各自持参した思い思いの昼食を摂る。
 東天狗から黒百合ヒュッテまでは極々平凡な下り。ただ一か所踏み跡をはずして「天狗の奥庭」方向へ踏み込んでしまった。すぐ間違いに気が付いたが、私の目の前100mも離れていない場所に大きなカモシカがこちらをジッと見ているのに出くわした。子牛ほどもある大きなヤツで、立派な黒々とした角を持っていた。
 黒百合ヒュッテは、昭和41年1月に宮武(昭和45年卒)さんとスキー合宿に来たことがある。その頃の写真(モノクロ写真!)を帰宅してから捜し出して仔細に見たが、あまり変わっていない、という印象だった。赤岳鉱泉のように大きくなく、アットホームなもてなしぶりだった。
 ヒュッテ近くに30張りほどのテントを張って、高校生が訓練をしていた。中高年の宿泊客の多さもそうだが、登山ブームの再来を、十分予感できた。
私たちもまだまだ山登りを楽しみたい。

●3月28日(土)曇り
 黒百合ヒュッテ出発(6:45)−渋の湯(7:45)
 土曜日のせいか、入山する沢山の人にあう。
 渋の湯へタクシーを呼び、美濃戸口まで(7,500円)行き、駐車していた高崎さんの車に乗り換えて帰宅。
 「なんてマァ良い天気なんだろう」と言い続けた八ヶ岳行きだった。
▼写真をクリックすると大きく表示されます
3月27日 7:07(撮影:中村)
赤岩の頭頂上直下から赤岳(左)と
朝日が当たる阿弥陀岳(右)を望む
3月27日 7:19(撮影:中村)
赤岩の頭直下の急斜面を登る高崎
3月27日 7:51(撮影:高崎)
硫黄岳目指して(前から岡田、中村)
3月27日 10:30(撮影:中村)
根石岳から望む東天狗に続く稜線
3月27日 11:17(撮影:高崎)
東天狗頂上目指して(前から岡田、中村)
3月27日 11:17(カメラ:岡田)
東天狗頂上(左から岡田、高崎、中村)
3月27日 11:20(撮影:高崎)
東天狗頂上から硫黄岳〜
蓑冠山〜東天狗縦走路を望む
(奥に左から赤岳、阿弥陀岳)
3月27日 11:50(カメラ:岡田)
西天狗頂上にて(左から中村、高崎、岡田)
(撮影者の女性に言われるまま若者ポーズを取る)


■赤岩の頭からの大展望(動画)


 3月27日 7:32(撮影:中村) 
(右から左に向かってカメラを移動)
手前に見える八ヶ岳の山:蓼科山、阿弥陀岳、中岳、赤岳、横岳
奥に見える雪を被った山脈:北アルプス、白山、乗鞍岳、御嶽、中央アルプス、
仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳

■後日談(1966年当時の黒百合ヒュッテの写真)

 1966年1月8日 (撮影:岡田)

●2015年3月31日 黒百合ヒュッテの写真(1966年当時) 岡田 健志
 <みなさん>
 写真を探し出し、PDFにしたのがこれ。
 アルバムは荷物になるだけなので、写真だけとって台紙や表紙は捨てました。
 そうなると探し出すのは結構努力したんです。
 次はPDF化です。プリンターを新しくしたので、スキャン機能が使えなかったのですが、キャノンに電話して使えるようにしました。結構電話代もかけました。
 その結果がこれ。同年に撮った写真がヒュッテに飾ってましたね。あれと同じ年の1月です、これを撮ったのは。

●2015年4月1日 RE:黒百合ヒュッテの写真(1966年当時) 中村 雅明
 岡田さん
 流石岡田さんですね。良く保存していたものと敬服します。
 また、デジタル化の執念にも頭下がります。

●2015年4月1日 RE:黒百合ヒュッテの写真(1966年当時) 高崎 俊平
 岡田さん、
 雪降りの翌日にでも小屋の前の急斜面から撮影したもののようですね。小屋に向かって多数のシュプールが写っています。これらの幾つかは、岡田さん、宮武さんの滑り跡でしょうか?
 小屋の大きさは、今の半分くらいに見えます。次回、引き伸ばして持参して小屋に寄付されますか?   



会   報
***


■2015年3月21〜22日 学生との北八ヶ岳合宿 前神 直樹(昭和51年卒)

     ****** 2015年3月30学生専用メールより転載 ******

●参加者(学年は山行時)
 高橋直道(3年)太田貴之(3年)、西山祥紀(3年)、上茂衡(2年)、辰川貴大(2年)、大矢和樹(1年)
 前神直樹(昭和51年卒):統括) 高崎俊平(昭和41年卒:BC訪問)

●コースタイムと行動
3月21日 晴れ時々曇り
  10:35  茅野発バス(乗客多数の為合計3台がでる。3台目に乗車)
  11:20  渋の湯着
  12:00 渋の湯発
  14:20 黒百合ヒュッテテント場着

 テント場には多数のテントが張られており、定められた区画内で張り場所を見つけるのに苦労する。6人テンと4人テンを隣り合わせで晴れる場所を見つけ、皆でピッケルで雪を削って整地を行う。
アイゼン訓練も当初予定していたが、テントの設置に時間を要したためこれはスキップ。

3月22日 曇りのち晴れ、
  06:20 テント場発 中山峠経由東天狗を目指す。
  07:30 大凡 1800m地点(おそらく頂上まであと20分くらいの地点)
       学生のアイゼンの不調があり、この時点で引き返す。トラブルが起きた場合に対処でき
       なくなることを考えたため。
  08:20 黒百合ヒュッテテント場着
       テント撤収時に高崎(俊)さんが来て下さる。前日一緒いただく予定であったが、アイゼン
       が不調であったため、前日は渋の湯に泊まられ、アイゼンを直された上で22日上がってきていただく。
       再度天狗岳へとのお誘いもありましたが、行くときには参加人員全員と思い、今回は渋の湯に下ることにした。
  08:50 テント場発
  10:15 渋の湯着 バス/JRにて帰京

●総括 ****** 2015年3月23日HUHACメールより抜粋 ******
 学生6人と21〜22日、黒百合平で幕営、天狗岳に行きました。
 学生の一人のアイゼンの調子が悪く、天狗岳頂上のおそらく20分位の地点で引き返しました。天候ももう一つだったものの登って登れないことはなかったのですが、アイゼンの不調で思わぬ事故にもなりかねないので大事を取って引き返しました。
もう一つの目的であった雪の中の幕営は効果あったと思います。
 まだテント泊りそのものが慣れておらず、まして雪の中に寝るということに対して皆多少の不安はあったようですが、やってみればこんな物かと思ったと思います。(かなり寒い思いをした学生もいましたが)
 今までのように出る前にいろいろ面倒をみるのではなく、ほとんど学生のお手並み拝見という形にしましたが、出る前に一度テントを張ってみるとか、夕食の準備のためにペミカンを用意してきたのは感心しました。
 食事の準備全体もちゃんとしていました。
 冬のテントの中で一番怖いのは炊事中のやけどとかいろいろ言いましたがこれからテントでの整理整頓とか、慣れてくれば結構やれると思った次第です。
 4月入学予定の一年生ですでに山岳部入部を考えている人間がいるらしいとかやっと部として始まったかなと思います。

<高崎様>
 アイゼンが不調だったにも関わらず22日黒百合ヒュッテまで上がってきていただきありがとうございました。天狗にはちゃんと登られたのですね。
 学生を頂上まで上げることはできませんでしたが、ゆっくりでも着実に進めてゆけば何とかなると思います。

■学生、前神さんの感想 (学生の感想は学年順)

●4月4日 山行報告の件 高橋 直道(部長:法学部3年)
 雪山でのテント合宿は初めてということで、参加者の一部は前日に準備を行った。マットや雪山用十字ペグの購入、テントなど装備の状態の確認をしたがペミカンの準備を太田一人に任せてしまうことになり、あまり首尾よく行えなかった。この点は、今後泊りがけの山行を行う上でまず一つ目の反省点である。(また今回ならば期間と気温の点から、ペミカンを用意せずとも食材は冷凍で大丈夫という指摘を前神さんから頂いた。)
 当日は渋の湯到着後、各自昼食と準備を済ませ出発。ヒュッテまでアイゼンは着用しなかったが問題なかった。2時間ほど登り到着。荷物は70?のザックいっぱいだったが疲れはさほど感じず、他の部員も消耗した様子はなかった。到着後ほどなくしてピッケルで雪を均し、テントを張る。十字ペグを使うにはひもを用意する必要があった。他にも、テントマットは全員が入ったあとで敷かなければ濡れてしまうことなど、実践して初めてわかることばかりであった。炊事は雪を融かすことから始めた。調理の際にでる水分の処理に気を使わなくてはならない。お盆や布・紙は次回以降用意が必要である。
 天狗岳は登頂こそできなかったが、岩と雪の景色を味わえた。人も多く、装備さえ万全であれば危険を感じることはなかった。また挑戦したいという声もあったので再度訪れることになるだろう。
 前神さんに2日間ご指導頂き大変感謝しております。やきもきすることばかりだったと思いますが、今後の山岳部にとって重要な経験になりました。本当にありがとうございました。

●3月31日 北八ヶ岳感想文 太田 貴之(副部長:商学部3年)
 今回の山行は初めての体験が多く、とても新鮮でした。
 まず、雪山でのテント泊が未経験でした。寒かったですが、耐えられないものではなかったです。マットがあったおかけで、底冷えを防ぐことができたからです。ただ、外側のシェラフが濡れたため、そこだけはより寒かったです。また、重量がそれによって増した気がします。やはり、シェラフカバーは必要だと思います。
 次に、森林限界を超えた雪山が新鮮でした。曇取山では山頂まで樹木が繁っていたので、今回の景色は印象的でした。このような環境のため、風がよく吹いていました。曇取山では顔が寒さにより痛かったため、目出し帽を持参していたので、今回は大丈夫でした。
 来年はもっと八ヶ岳を中心に雪山に登って見たいと思います。

●3月25日 北八ヶ岳の感想 西山 祥紀(副部長:経済学部3年)
 二日間の合宿を終えて
 3月21日8:22、私達山岳部一行は立川駅にて特急スーパーあずさに搭乗し、茅野へ向かった。茅野駅からはバスに乗車し、渋の湯駐車場へ向かった。両車内ではともに、私達のように登山の装備に身を包んでいる乗客もおり、これから待ち受ける天狗岳への期待感を高揚させるのに十分たる光景であった。ただ、幕営の準備にあたり荷物が非常にかさばってしまい、車内での移動は非常に難儀なものであった。
 駐車場から幕営地の黒百合ヒュッテに向けて登りを開始する。晴天に恵まれ、道中は山紫水明の相を呈していた。前述のとおり荷物が非常に重かったので、疲労感に苛まれている身にとっては目の保養となった。
 幕営地に到着し、テントおよび食事の準備に着手する。テントの建て方は合宿の前日、他部員と事前に練習していたので、あまり労せず建てることができた。食事はコッヘルおよびバーナーを用いて炊飯を行い、キムチスープを作った。調理器具の使い方や炊飯については、前神さんからノウハウを教えていただいた。
 食事を終え、就寝の体勢に入る。氷点下の環境であったが、就寝直前までバーナーでテント内を温めていたため、寒さで寝付けないということはなかった。
 翌日は天狗岳の中腹までアイゼンを装備して向かう。その際、急斜面の雪面におけるアイゼンの適切な用い方を前神さんから教わり、実践することができた。今回の合宿では、食事品・装備品の準備・実践を主体的に部員一同で行った一方で、私達に欠けているノウハウは前神さんからフォローをいただき、とても有機的な学習となった。これからもたくさんの登山を通じて、楽しみながらノウハウを磨いていきたいと思う。

●4月3日 北八ヶ岳合宿感想  上 茂衡(法学部2年)
 今回は学生主体で行う初めての雪山でのテント泊であった。
 食事はどうするのか、何が必要か、部長・副部長が中心となり準備を進めた。結局、ギリギリまでバタバタしてしまったが、自分たちなりに考えた装備で出発した。キャンプ地で前神さんに色々と教わる中で反省点や改善点も多く見つかり、とてもいい勉強になった。
 部員の装備不良で頂上までは行けず残念であった。それでも皆で食事を作って食べたり、星空を眺めたりテント泊の楽しさというものを実感できた。1泊という短いものではあったがとても有意義な山行となった。この経験をこれからの活動に生かしていこうと思う。

●4月5日 北八ヶ岳山行を振り返って  辰川 貴大(法学部2年)
  今回の3月21〜22日の北八ヶ岳の合宿は私にとっては人生初の雪上でのテント泊であり、今後の雪山山行に向けて多くの重要なことを、身をもって学ぶことができた。まず、雪の上で寝るということの厳しさが自分の想像以上であり、明らかに準備不足だったということだ。山行前は、テントの中でマットを2枚敷いて、シュラフにくるまれば快適に寝られるだろうと甘く考えていたが、実際寝てみるとあまりの寒さにとても浅い眠りとなってしまった。しかも自分は間違えて夏用のシュラフを持って行ってしまったので、余計に寒く、足先が凍傷するのではとの恐怖感も経験した。また、初めてアイゼンを装着しての山行であったが、その装着にずいぶんと手間取ってしまったし、部員の一人もアイゼンの不調があるなど、アイゼンの準備不足を感じた。
 しかし、テントの中で部員全員で夕食を作る場面では前神さんに調理器具の使い方や、テント泊の際に持ってくるべき小道具などを伝授していただき大変参考になった。天狗岳の頂上までは行けなかったものの、あそこで引き返す勇気も必要だということを学ぶことになり、むしろ貴重な経験だとも思えた。今後も今回の山行で学んだことを今回不参加の他の部員とも共有していきながら、スキルアップを目指したい。

●4月4日 北八ヶ岳の個人感想  大矢 和樹(法学部1年)
 天狗岳、北八ヶ岳冬合宿
 初の合宿。初の冬山。初のテント泊。初のアイゼン装着。とにかく初めてづくしの冬合宿になった。冬山は初体験だったこともあり、少し怖くもあったが、雲上の銀世界に広がる世界を想像すると、胸の鼓動の高まりを覚えた。アイゼン、ピッケルは部室から借りたわけだが、ここに重大な誤りがあった。アイゼンを実際に装着してみるという準備を怠ってしまったのである。これこそが今回反省するべき最大の部分である。実際、2日目の朝に焦ることになり、かつそのアイゼンが不調だったことで、天狗岳の登頂を断念せざるを得なくなった。今後は自分のミスで他人に迷惑をかけないようにしなければと感じた。
 良かった点として、やはり雪山で生活できたという点である。テントの中で作ったキムチ鍋は、体を芯から温めた。テントの中は想像以上に温かく、シュラフに入ればほとんど寒さを感じなかった。澄みきった凍てつく空気に包まれながら、夜は満天の星空。オリオン座、おうし座、ベテルギウス、、、自分が知っている星座を確認していると、ふと、時間の流れを忘れてしまうほどだった。
 すべてが初体験。今回の貴重な体験をこれからの山行に生かしていきたいと思う。

●4月7日 RE:北八ヶ岳山行の感想  前神 直樹(昭和51年卒)
 中村さん
 大したことも出来なかったのですが、学生全員から感想を取っていただきありがとうございました。
 雪中幕営も慣れてしまえばどうということもなくいつかは生活の一部のようになるのですが、学生諸君にとってはこれからですね。
 活動の中身は別としても組織として部はやっと順調に回り始めたと思っています。
 変わらぬサポートありがとうございます

 辰川君
 感想ありがとう。雪の山もガンガン行ってください。
 ところでこの間の山でも言いましたが、今年の夏是非とも上君と一緒に文部省登山研修所の研修うけてください。研修費はOBから補助します。我々の研修よりもずっと良い経験になります。よろしく!!
▼写真をクリックすると大きく表示されます
3月21日 13:10(撮影:大矢)
渋の湯〜黒百合平間
(後ろから太田、西山)
月22日 6:28(撮影:大矢)
中山峠〜天狗岳下間
(後ろから高橋、上) 
3月22日 7:23(撮影:大矢)
中山峠〜天狗岳下間
3月22日 8:31(撮影:大矢)
黒百合平
 (左から高橋、上、辰川、大矢、太田。西山)


■3月31日 Re::北八ヶ岳山行の感想(感想・失敗談)  高崎 俊平(昭和41年卒)
    ****** 2015年3月31学生専用メールより転載 ****** 
 先日の「三月会」の席で話の出た、学生さんの雪上訓練(幕営・雪上歩行)に付き合う事にして、唐沢鉱泉から西天狗に登り、東天狗から黒百合平に下り、渋温泉から登って来る学生さん一行に合流する積りで出掛けました。この計画は失敗でした。唐沢鉱泉は4月末まで休業中で、車は唐沢鉱泉・夏沢鉱泉の分岐点までしか行けず、雪の林道を約4Km余計に歩かされました。唐沢鉱泉から登山道に入ると、踏み跡がほとんど無く、春の雪のためズボズボもぐり、コースタイムの倍以上かかってやっと展望台に出ました。その先は踏み跡が全く無くなり、ヨレヨレになっていたので先を諦めました。丸1日誰にも会いませんでした。積雪期にはポピュラーではないルートの様です。一旦下山して、渋温泉に車を廻して、黒百合平に向かうべく、林道をトボトボ歩いていたら、今度はアイゼン・バンドが壊れました。黒百合平にも行けなくなってしまいました。
 翌日、気を取り直して渋温泉から黒百合平に上がり、天幕を撤収中の前神さん・学生さんパーティーに出会いました。学生さん達は雪上訓練を終えてこれから下山する、と言う事なので、一人で東天狗に登り(途中、結構急な斜面・岩があり、引率は大変だっただろうな、と思いました)、帰路は黒百合平を素通りして渋温泉に下山しました。助人を申し出ていながら、何も出来ず、却って足を引張ってしまう結果になってしまいました。

●3月31日 Re::北八ヶ岳山行の感想  中村 雅明(昭和43年卒) 
 高崎さん
  早速のご報告有難うございます。
 いやー22日のみの行動と勘違いしておりました。2日間もご苦労様です。失敗談と言うより、涙ぐましい先輩の行動です。
  昨年10月25日にも学生に先行して丹沢山を往復されました。陰ながら見守っていただき感謝します。

●3月31日 Re::北八ヶ岳山行の感想  藤原 朋信(昭和44年卒) 
 高崎大兄 
 藤原です。学生隊のサポートお疲れ様でした。冬の天狗岳には45年前に一回登ったきりで地形等あまり覚えていないのですが正月休みの早朝だったので階段状の踏み跡にアイゼンが気持ちよく効いた記憶があります。(後略)

●4月1日 Re::北八ヶ岳山行の感想  前神 直樹(昭和51年卒)                                   
 高崎さん
 下記の顛末ありがとうございました。
 高崎さんのお歳(失礼!)で超人気のルートとは別のルートで登ろうという気概を持たれたことに尊敬の念を禁じえません。
 我々もバリエーションはやりましたが、年代を経てもそのような志向を持たれていることは驚きです。
 試験問題を解くことに精力を使ってきた思考方法ではダメだな、とつくづく感じます。
▼写真をクリックすると大きく表示されます
3月22日 8:19(撮影:高崎)
黒百合平(テント撤収中:左から辰川、上)
3月22日 9:39(撮影:高崎)
東天狗から望む蓑冠から硫黄・赤岳へ至る稜線
3月22日 9:40(撮影:高崎)
東天狗から望む根石岳方面から東天狗への詰めの岩稜
3月22日 9:41(撮影:高崎)
東天狗頂上

会   報
***


■2015年2月28日〜3月1日 針葉樹会懇親山行・雲取山山行記録
                        太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)

****** 2015年4月1日投稿

  日程  2015年2月28日(土)〜3月1日(日)
  メンバー  太田貴之(商3)  小野肇(昭40) 岡田健志(昭42)  吉沢正(昭42) 中村雅明(昭43) 
 宮武幸久(昭45) 山行幹事
  天候  曇り/雪
  アクセス  電車とバス

コースタイム
2月28日
9:15鴨沢登山口→11:151150m地点→13:50ブナ坂(写真1)→16:23雲取山山頂(写真4)→16;50雲取山荘
3月1日
6:10雲取山荘→6:50雲取山山頂(写真5)→7:35奥多摩小屋→8:15ブナ坂→1-:131150m地点→11:02鴨沢登山口

コース図

感想
1日目は2日目と比べて、天候に恵まれたので、山頂に着いたときの景色も良かったです。前回の大岳山のときもそうだったのですが、今年は雪が少ないようで、アイゼンを使用しないで上まで登ることが出来ました。記録によると、15時15分にアイゼンを装着したことになっています。しかし、山頂付近では、雪が良く積もっており、雪のおかげで楽に登ることが出来ました。2日目は一転して、天気が悪くなり、山頂付近では視界がなかなかききませんでした。また、風が強く、顔が痛かったです。ただ、登山口付近に降りてくると、山頂付近と比べて、あたたかくなり、山の天気は厳しさを実感しました。今回の山行は、今までに登った中では雪が一番あったので、参加してよかったと思います。

●2015年3月16日開催 三月会記録より抜粋
▽懇親山行として、1泊2日の雲取山が無事に終わりました。学生の参加は太田君一人でしたが、OBの参加は小野さん、岡田さん、吉沢さん、中村(雅)さん、宮武さん、でした。雲取小屋の周辺で積雪が50〜60cmほどでアイゼン歩行には丁度良い雪だったようです。雲取からの下り斜面で岡田さんの指導よろしく太田君のアイゼン歩行訓練も行ったそうです。



▼写真をクリックすると大きく表示されます
写真1   2月28日 13:55(撮影:太田)
ブナ坂
写真2   2月28日 15:54(撮影:中村)
雲取山頂目指して登る
(前から岡田、小野、吉沢、太田、宮武)
写真3   2月28日 16:26
(撮影:中村 カメラ:岡田)
雲取山山頂にて
(左から宮武、小野、吉沢、太田、岡田) 
写真4   2月28日 16:30
(撮影:太田)
雲取山山頂からの展望
写真5   3月1日  6:51
(撮影:太田)
2日目の雲取山山頂




会   報
***



■2015年2月25日 大岳山・御岳山・日の出山記録   太田 貴之(一橋大学山岳部:商学部3年)

          ****** 2015年3月11日投稿


  日程  2015年2月25日(水)
  メンバー  太田貴之(商3)  中村雅明(昭43) 藤原朋信(昭44)
  天候  曇り
  アクセス  電車

コースタイム
 9時35分奥多摩駅出発→梅沢林道コース〜梅沢コース→12時50分大岳山→14時30分御岳山→15時35分日の出山
 →(日の出山)北尾根→16時40分登山口

ルート

 

感想
前回、大岳山を登ったときとは異なる鋸山と大岳山間にでる今回のコースは新鮮でした。
このコースの方が前回登った時のコースよりもおすすめです。林道から登山道に入ると、徐々に凍結した面積が大きくなりました。しかし、今年は暖かかったようで、山頂に行くまで雪はほとんど積もっておらず、下山時のみアイゼンを使用しました。
ただ、稜線に出る直前は凍っている部分が結構あり、避けて登るのに苦労しました。また、日出山から下るコースは傾斜がきつく、下りは堪えました。新歓山行ではここを反対に登ると聞いたので、その際は登りと下りの違いを確かめようと思います。個人的なことで言えば、下山時に花粉症で苦しみましたが、かなり歩き回ることが出来たので、非常に楽しい山行でした。


2月25日 15:16(撮影:中村)
日の出山頂にて(太田)


会   報
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■2015年2月7日 日光雲竜渓谷山行記録  上 茂衡(一橋大学山岳部:法学部2年)

     ****** 2015年2月9日投稿 ******

●メンバー
  部員:高橋直道(法学部3年)、太田貴之(商学部3年)、上茂衡(法学部2年)
  OB:中村雅明(昭43年卒)、藤原朋信(昭44年卒)
●天気:晴れ
●山行行程:9:30東武日光駅出発→10:00頃アイゼン装着→11:40展望台にて昼食→13:00日光雲竜瀑手前に到着→13:30出発→16:00東武日光駅着
●山行内容
 当日は晴天。日差しも強くかなり暖かく感じた。関東の人にとって日光は修学旅行の定番らしいのだが、北海道民の私にとっては初めての日光であった。市街地を抜け川沿いを歩き始めると、路面が雪に覆われるようになってきたのでアイゼンを装着した。他の登山客も多かったが道は広くなだらかな坂でとても歩きやすかった。しかし、1月初めから単位を取得しお金を稼ぐため(自宅PCで行うアルバイト)に引きこもり生活を強いられていた影響で翌日には筋肉痛に見舞われた。やはり少しでも間隔が空くと弱くなってしまうということを痛感した。
 雲竜渓谷の青い氷瀑はとても綺麗でその存在感は圧倒的であった。氷柱の後ろ側に回り込んだり写真を撮ったりと楽しんだ。ただ氷柱は解け始めており、落下した巨大な氷の塊がそこらじゅうに転がっていて若干の恐怖も覚えた。またほんの少しだけ藤原さんにアイスクライミングの体験をさせてもらいとても楽しい時間を過ごした。
 今回は前回の山行よりも長い時間アイゼンをつけていたのでよい訓練になった。氷瀑にはとても感動したが、今年は雪も少なく例年よりスケールが小さいと聞いたので来年もまた行こうと思います。

▼写真をクリックすると大きく表示されます

 12:55(撮影:上)
雲竜渓谷最初の氷瀑
13;00(撮影:上)
雲竜渓谷最大の氷瀑
13:08(撮影:中村)
アイストレーニング体験
高橋
13:10(撮影:中村)
アイストレーニング体験
13:13(撮影:中村)
アイストレーニング体験
太田
13:15(撮影:中村)
アイストレーニング師匠
藤原


2月7日 13:16[撮影:中村]
左から太田、上、高橋






会   報
***


■2015年1月18日 初鹿野の山々 −徳並山・古部山・三角コンバ−
                                       藤原 朋信(昭和44年卒)

         ****** 2015年2月17日HUHACメールより転載

* 1. 日時
1月18日 日曜日 9:30―16:05 (6時間35分)
2. コース
甲斐大和駅9:30-徳並山10:30-古部山11:35-境沢の頭12:45-宮宕山14:00-甲州高尾山15:00-勝沼ぶどう郷駅16:05
3. メンバー
中村雅明(昭和43年卒)、藤原朋信(昭和44年年卒)
4. 天気
快晴、北風寒し
5. 経緯
 関東近辺の日帰り可能範囲で空白地域にあたる初鹿野の山が以前から気になっていた。
大菩薩から南に連なる小金沢連峰の西に日川をはさんで平行に走る山地である。途中枝尾根を多数分けながら初鹿野の部落に至る。
 本ルートは踏み跡も確かでないので、藪のない冬にトライということで昨年12月に単独で甲斐大和駅を出発した。駅から北上し境沢の頭で西の枝尾根に方向を転じて、(学生と10月に登った)宮宕山・棚横手山に繋げて勝沼に下りる馬蹄形のコースである。
駅から向かって右側の尾根に取り付き音沢の頭−木賊山−古部山−三角コンバまでは順調だったが、境沢の頭手前で巻き道(作業道)に誘い込まれて予定外の林道に下りてしまい結局宮宕山に行きつけなかった。
 一方、中村さんは中央線沿線の山シリーズということで、同じ山域に眼をつけられ、1月前半に駅から向かって左側の徳並山から古部山に出て境沢の頭を目指されたが途中(通常こちらが正解に見える)枝尾根に迷い込みそのまま林道に下り勝沼に出られた。
 それぞれ単独で失敗したので、今回は二人が力をあわせてのリベンジ山行と相成った。
6. 記録
 いつもの8:20高尾発の電車で中村さんと落ち合う。冬場はまだ暗く寒い5時台に家を出るので体内時計がなかなかうまく動かない。数日前に都心でも小雪がちらついたが積もるほどでもなく、山も1500m未満の高さなので大したことはあるまいと高をくくっていたが大月を過ぎた辺りから雪が目立ち始めてきた。笹子峠直下である初鹿野は日陰で5〜10cmの積雪があり、後でスパッツを忘れた事を大いに悔やむことになる。
 甲斐大和駅からは中村さんの前回のルート探索が生きて古部部落のお宮さん、ブドウ畑と最短コースを辿る。ぶどう畑が切れて最後に鹿よけフェンスを越えれば人間界からはしばしお別れである。ここから徳並山への踏み跡は明瞭だが尾根を直線的に上るのでかなりキツイ。なのに今日も中村さんは快調で落ち葉と雪で不安定な尾根道をものともせずにペースをあげ、徳並山には1時間で到着した。
 頂上からは予期していた以上の大展望である。雪化粧した南アルプスの3000m峰が甲斐駒から聖岳まで勢ぞろいでまさに観望に最適な冬の山歩きの醍醐味を満喫した思いである。
 徳並山からは雪も深く、下りでどかどか歩くと靴の中に雪が入り込む。雪の進入を阻止すべく慎重に歩けば、中村さんと離れる。悪戦苦闘しながら小ピークを三つ越えると古部山であった。右手から音沢の頭コースが合流している。ここでアイゼンを装着したが、風が冷たく休憩も早々に切り上げ、いよいよ迷路ゾーンに突入する。
 だだつ広い1413m峰で、直進する枝尾根(前回中村さんが迷い込んだ地点)を見極めて、右に直角に曲がる。次に三角コンバ(名前の由来は不明だが三叉路ぐらいの意味か?)を左に曲がり境沢の頭直下にでた、前回の反省から、今回は頂上に向かう。
境沢の頭は、伐採されていて四方良く見える。1459mと今回コースの最高地点でもある。富士山・南アルプス・八ヶ岳・金峰山とカメラ好きなら絶好のビューポイントだ。境沢の頭から源次郎岳・上日川峠に繋がる北上コースは次回以降の楽しみとして、今日は西に向う。宮宕山は目の前に見えているが道は分かりにくい。しっかりした道形はだいたい別の場所へ誘い込む悪魔のワナである。とにかく尾根を外さずに歩くことを心がける。それでも途中何度かワナにはまり込んだが、すぐに引き返し尾根を辿る。
14時ついに見覚えのある宮宕山に到着した!
 棚横手山・甲州高尾山の下りは良く踏まれているので、火事の副産物で開放的な空間が広がっている景色を楽しみながらのんびりと歩いた。ルート探しの緊張感からも開放されて気分も軽い。甲州高尾山の先の鞍部で縦走路と離れて勝沼駅へショートカットする。
うす暗い西面の谷なので残雪があり下りやすい。暫く下りると山腹に作業道らしきものが出てきた、これを辿ると勝沼ぶどう郷のぶどう畑に着いた。
 初鹿野の山々は人気の無い(だから人もいない。今回も誰にも会わなかった)不遇な山だが、それだからこそ我々は大いなる恵みを貰った。良い山行でした。  以上



「静かなる尾根歩き」新ハイキング社
1月9日 10:45
徳並山山頂
18日には徳並山の看板は
は無かった
1月18日 12:55
境沢の頭からの展望
農鳥岳〜間ノ岳〜北岳
1月18日 12:56
境沢の頭からの展望
仙丈岳〜甲斐駒ケ岳
1月18日 14:02
宮宕山先の展望台から
富士山を望む
1月18日 15:10
甲州高尾山頂
1月18日 15:51
勝沼ぶどう郷から
金峰山を望む


●Re:「初鹿野の山々」山行報告(藤原さんの代行投稿) 蛭川 隆夫(昭和39年卒)
          ****** 2015年2月17日HUHACメールより抜粋
藤原さん、中村さん:
棚横手と甲州高尾山は山梨百名山がらみで登りましたが、その奥の山域なんですね。
ネットの地理院地図を頼りに拝読しましたが、音沢の頭・木賊山・古部山・三角コンバ・徳並山などの地名は見当たらず、しかし1413m峰と1459m峰は表示されていて、たどったルートは分かりました(HPには簡単なマップ付きだといいな)。富士山・南アルプス・八ヶ岳・金峰山の写真もHPで楽しみです。
大変面白い紀行文でした。「境沢の頭から源次郎岳・上日川峠に繋がる北上コース」も楽しみにしています。

●初鹿野の山々 藤原 朋信(昭和44年卒)
          ****** 2015年2月17日蛭川さん宛てメールより抜粋
蛭川大兄  藤原です。山梨の山を計画すると、どの山も本間さんから以前蛭川さんと行ったことがあると言われておりましたが、徳並山−境沢の頭は未踏の由。とすれば針葉樹会員としては中村さんと私が初登攀になるかもしれません?
中村さん  HPにこの地域の概略図を添えることは可能ですか?

●RE:「初鹿野の山々」山行報告(藤原さんの代行投稿) 中村 雅明(昭和43年卒)
          ****** 2015年2月18日HUHACメールより転載(一部改訂)
蛭川さん 北海道に移住される前は足繁く中央沿線の山に行かれていた先輩ならではのコメント有難うございます。
蛭川さんのコメントへの返信も兼ねて、同行者として以下に補足・感想を述べます。
* 1. 1月9日に本コースを目指した経緯
 冬の青春18キップが1枚残ってしまい、1月10日に期限切れになるので三鷹から交通の便の良い中央沿線の山を探しました。笹子より先に行けば2300円/枚の青春18キップを使うメリットがあります。昭文社の[大菩薩嶺]で探しましたが行ったことがある甲州高尾山くらいしか見つかりません。そこで中央沿線の山の愛用ガイドの1冊『中央沿線の山々』実業之日本社を調べ、甲斐大和駅から登れる徳並山を見つけました。
 地形図にもその名が記載されてなく、まったく道標のないコースで経験者向きとされていました。徳並山から勝沼ぶどう郷に下る尾根コースがあるのでここにしようと決めそうになりましたが、あと1冊の愛用ガイド『静かな尾根歩き』新ハイキング社に「徳並山から甲州高尾山−甲斐大和駅から勝沼ぶどう郷駅への馬蹄形コース」を見つけました。この本は「奥多摩から八ケ岳まで100コース」と副題がついていますが、その殆どが昭文社の地図に載っていない尾根、沢のコースで山の篤志家、物好き向けの本です。その本に載っているコース略図を見ると徳並山から尾根伝いに北上し、馬蹄の先端を回り込んだ先に宮宕山があり、棚横手〜甲州高尾山と歩いて勝沼ぶどう郷に下山する興味深いコースです。
 棚横手から甲州高尾山〜大善寺は2012年3月の針葉樹会春の懇親山行で歩いていますが、宮宕山は昨年11月のFN短大山行(藤原さん+学生2名)に不参加だったので歩いていません。2月下旬に迷わず余裕も持って歩いた記録を読み単独で大丈夫と判断しました。
 (藤原さんが甲斐大和駅より別ルートで古部山に登り、宮宕山を目指したことを知ったのはは1月9日の山行の後でした。奇しくも同じ山域に着目した訳です。)
2. 山行の狙い
 このコースは中央沿線の山歩きのコンセプト@駅から駅まで全て歩くAピークハントでなく山から山とつなぐにぴったりです。さらにそれが馬蹄形なので気に入りました。
 また、昭文社の[大菩薩嶺]地図にコースとして赤線が引かれていないルートが大半であり、記録を読む限り難コースでなさそうなのになぜだろうと好奇心が涌きました。
3. 1回目の敗退(道迷い)の原因 [山行直後の藤原さんへのメールから]
 失敗の原因は2万5000分の1の地図(笹子、石和、塩山)を持って行きながら、肝心の「大菩薩」の地図を持って行かなかったことです。それ以上にルートファインディングが幼稚であること痛感しました。尤も蛭川さんが書かれている様にこの山域の2万5000分の1の地図には略図にある前半部の山名は一切無く、また宮宕山は大滝山、甲州高尾山は宮宕山と山名が記されていますので、地図があっても役にたったか疑問です。
4. 感想
1) 1回目は雪が全くない落ち葉を踏みしめての歩きでしたが、2回目は降雪の直後で徳並山へ登る尾根の途中から景色が一変しており雪山の雰囲気を十分味わえました。
2) 馬蹄形前半は木の間越しに南アの大半の山並み(甲斐駒、仙丈、白根三山、悪沢、赤石、聖)を眺めながら歩き、後半は富士山の展望台を辿って下山し、勝沼ぶどう郷から金峰山を眺めるおまけまでつき、展望を存分に楽しみました。
歩く適期は南アの高山、富士山が雪を抱く1月が良いでしょう。但し、昨年の2月の様な大雪の後はラッセルが厳しく1日で歩くのは難しいでしょう。
3) いつも指導標に導かれて歩いているのと比べると、このコースの前半は指導標が殆どなく、山頂に看板もないコースなので、その都度現在位置を確認する緊張感とルートファインディングの面白さがあり、終わった後の達成感・満足感がありました。
4) 小生が元気だったと藤原さんが書かれていますが、実は後ろで超人が息を切らさず歩くので追い立てられる様に必死で歩きました。でもルートファインディングしながら歩く楽しさがあったので疲れを感じなかった様です。

会   報
***



■2015年1月11日 三ツ峠山行記録  西山 祥紀(一橋大学山岳部:経済学部3年)
          ****** 2015年1月15日投稿 ******
 (編集前書き)
*** 本山行と同じコースの山行が2009年6月20日に一橋山岳部新人歓迎山行として行われました。学生4名、OB7名が参加しました。その報告が『針葉樹会報』第116号に「新人歓迎山行 (山田秀明記)」の表題で掲載されています。
また、当HP『トピックス』に「2009年6月20日 三ツ峠山で一橋山岳部新入部員歓迎山行が行われました。」にも同じ報告が掲載されています。

 
●メンバー:部員  高橋直道(法学部3年)、西山祥紀(経済学部3年)、
 太田貴之(商学部3年)、上茂衡(法学部2年)
OB  中村雅明(昭和43年卒)、藤原朋信(昭和44年卒)
●天気:快晴
●山行行程: 三つ峠駅10:10出発→14:00三ツ峠山頂、アイゼン装着→15:30中腹にてアイゼンを外す→16:25宝鉱山にてバス乗車→都留市駅16:45到着で解散
●山行内容: 真冬ということもあり、三つ峠駅では刺すような冷気がたちこめており私は初っ端から凍えていたのだが、しばらく歩くにつれすぐに汗をかいてしまった。山を登るにつれ、積雪量が増えていき、川が凍り付いている光景は絶景であった。しばらく進むと岩場に到達し、全員で命綱なしでクライミングに挑戦した。降りるとき手足の置き場が全く分からず、恐々としていたが、藤原さんのご指導のおかげで無事に降りることができた。雪道が増えてきたということで山頂ではアイゼンを装備した。すると、全く滑らない。北口登山道の勾配は大変急であり、私は6本歯のものを利用したのだが、難なく山道を下ることができた。また、私は普段の山行では、下山路にかかるとすぐに足の小指を傷つけてしまい歩くスピードを落としてしまっていたのが、この度靴下を重ね着したところ、出血を免れることができ、遅れを取らずに済んだ。
以上のように、今回の山行ではクライミングとアイゼンの練習を重点的に行うことができる貴重な機会となった。今後もさらに研鑽を重ねたい。

▼写真をクリックすると大きく表示されます
1月11日 12:30(撮影:西山)
三ツ峠山頂近くの岩場手前にて
(前から中村、西山、高橋、上)
1月11日 13:19(撮影:中村)
三ツ峠山頂近くの岩場にて
(左から西山、藤原) 
1月11日 14:02(撮影:中村)
三ツ峠山頂にて
(左から高橋、太田、上、西山)
1月11日 15:20(撮影:西山)
北口登山口から凍結した
大幡川四十八滝沢を望む


会   報
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■2015年1月4日 葉山アルプス新春初歩き山行 大矢 和樹(一橋大学山岳部:法学部1年)
     ****** 2015年1月18日投稿 ******

●メンバー
 部員:黄勉(修士1)、西山祥紀(経3)、辰川貴大(法2)、大矢和樹(法1)
 OB:岡田健志(昭和42年卒)夫妻、中村雅明(昭和43年卒)、
 藤原朋信(昭44年卒)

●コース日程
10:00 逗子駅=(バス)=10:20風早橋〜10:35仙元山〜11:05大山(ここで昼食)〜11:55森戸川との合流地点〜13:00二子山〜14:10東逗子駅〜14:30神武寺〜14:55鷹取山〜15:40追浜駅
コースタイム(歩行時間):5時間20分

●概況
 新年明けて初の山行であり、今回は見晴らし良い地点から富士山を一望できる、比較的短く平易なコースであった。当日、朝方は比較的雲が多かったが、時間がたつにつれてちょっとずつ雲が薄くなっていった。逗子駅から登り口までは、時間短縮のためにバスを利用した。登り口は、教会へと続く急坂であり車が通れるスペースはあるものの、車ですら登りにくそうであるほどの坂であった。坂を登ると、立派な教会があり、その横にひっそりとコース口があった。
 ものの15分もしないうちに、視界が開け本日の一つの通過ポイントである仙元山に到着した。仙元山からの眺望は、もはや筆舌に尽くしがたいほどのものであった。正面奥には、雄大で、まっ白な冠をかぶった富士山、少々手前には、江の島がはっきり見られた。仙元山を過ぎると、細かいアップダウンが続いた。地面は岩がむき出しになっている部分も多く、長い階段もあった。大山の山頂は比較的広く見通しもきいた。20分ほど休憩して、出発すると想像以上に歩きにくい下りが待っていた。
 しばらく下ると林道とぶつかり、森戸川に出た。さらにそこから森戸川沿いを歩いた。途中までは川筋と歩く道は分かれていたが、しばらくすると一部川の中を歩行することになった。川といっても水量はかなり少なかったので、全く問題なかった。しかしながら、部分的に昼間なのにもかかわらず凍結個所もあり、山の中は一見都会の中にあるとは思えないような場所であった。川に別れを告げて、二子山まではひたすらに登りであった。二子山の山頂は広く開放的で、見晴らし台も設置されていた。その後、途中までは行きに登った道を引き返し、その後は人家の近くながら山道という道を経て東逗子駅に向かった。
 東逗子駅でいったん休憩し、今度は北側にある鷹取山を、途中の神武寺にお参りをしつつ目指した。神武寺までの道は想像以上に急であった。神武寺で参拝したあと、岡田夫妻は東逗子駅に戻って行かれた。そこから鷹取山までの道は岩が多く、道も岩の上を歩くようなところが散見された。鷹取山は、一見岩登りの練習場のような様相を呈していた。だがしかし、そんな岩場の多い場所であったが、その岩のいくつかには「岩登り禁止」の看板が立てられているところもあった。そのような立て看板がないところで、試しに岩盤を登ってみようとはしてみたものの、握力と腕の筋力が足りず、まったく無理であった。
 そこから追浜駅まで下山したわけであるが、その下山道にもたくさんの岩が切り出されていた。
 今回の山行は特に前半、一見都会の中の山にいるとは思えないほど、道は本格的であるし非常に変化に富んだものであった。

●感想
 この山行に来るまでは、今回の山行はほんのハイキングくらいかと思っていたが想像以上に山が変化に富んでいて驚いた。また、道を歩いていて、自分にはすこしバランス感覚が足りていないなと感じる部分があったので、バランス感覚を鍛えていきたいと思う。

10:35 仙元山からの展望 10:51仙元山〜大山間 10:58 仙元山〜大山間
11:52 森戸川と林道の交差部 12:30 森戸川内 13:03 二子山山頂

13:10(撮影:岡田奥様) 二子山山頂 集合写真
左から中村、藤原、西山、辰川、大矢、黄、岡田



会   報
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