焼岳登れずの記(懇親山行報告)
兵藤 元史(昭52年卒)

 
 冬の穂高連峰を久方ぶりに眺めて、焼岳もついでに登りませんかとの呼びかけに、老登山家達9人で出かけた懇親山行の報告です。
 
行程 : 
2019年29日 松本駅集合 1435  中ノ湯温泉 1610
     2月10日 中ノ湯発 640  到達点(2020m)1100  中ノ湯着1320
 
参加者(敬称略):
佐藤(久)、岡田、吉沢、中村(雅)、前神、佐藤(周)、兵藤(焼岳組)小島、藤原(上高地組) 計9
 
2月9日 小雪
 関東地方は大雪のおそれとの予報で、電車の遅延が心配されたが、降ったのは千葉方面が中心で、中央線は順調に動いていた。茅野辺りから小雪が舞い始めた。手配してあった中ノ湯温泉からの迎えのバス(無料)は、三連休の初日とあって満員だった。
 
 今回は中の湯温泉旅館の「スノーシュープラン」にて予約(12食付き12,800円、スノーシューやストック無料貸出付き)したため、本来は眺めのない部屋だったはずが、満員に依る部屋繰りのため、吊り尾根が眺められる部屋となった。天気が悪いので、当然眺望はなかったが、翌朝ゆっくり出発した上高地組はその恩恵にあずかったとのこと(別記報告書参照されたし)。
 
2月10日 薄曇りガス&雪晴れ
 焼岳組は浴衣、丹前姿の上高地組の見送りを受けて640に出発。朝食は7時からとのことで前夜おにぎり弁当受け取った。出発前に全部食べた人、一部食べた人、山に持ち上げた人、それぞれであった。
 
 さて、スノーシューであるが、持参したのは中村さん、前神さん、それにワカンの周さん。残り4人は初めて履いたのであった。昨夜靴の合わせ方を教わって、十分理解したつもりだったのだが、少々酔った状態だったこと故か、レンタル品の故か、歩き始めてすぐに外れる人が続出・・・・どうなりますやら。
 
 ともあれ、スノーシューを付けて温泉横の登山口を出発。昨夜の雪は1015cm程度。数日前の雨でその下はクラストしていた。40分ほど車道を歩くと、焼岳登山口に到着。
傾斜の無いところではスノーシューは快調だったが、傾斜がきつくなると下のクラスト面で滑って、結構な苦労となった。久さんは早々にスノーシューを諦めてデポし、アイゼンに履き替えた。
 2時間ほど歩いた時点で吉沢さんもアイゼンに替えた。ワカンの周さんは結構潜ると言っていた。但し、ワカンとスノーシューの違いなのか、体重の差なのか、そこら辺は不明!!
 
 樹林帯を抜け出して、「広場」と呼ばれる場所に近づく頃には、雪が降り始め、本来見えるはずの穂高や焼岳も隠れてしまった。ラッセルもこの辺りで深くなり、疲れから遅れ始める人もでたため、11時に登高を止めて下山することに。疲れた人の原因は、間違いなくシャリバテでしょう。下り始めてから朝食のおにぎりを食べていましたから・・・。
 
 連休というのに他の登山者は、単独BC(バックカントリー)スキーヤー(前日広場にてテント泊とのこと。スキーも上手げであった)と下山時に登って来た2人組とのたった3人だった。満員の中ノ湯の宿泊客は、皆上高地に向かったようだ。
 
 登頂はできなかったけれど、久しぶりに冬山の雰囲気を味わえて楽しかった、などと語らう内に下山終了1320。チェックアウトは朝済ませていたが、宿泊客は下山後も温泉に入れるとのことで、汗を流した。この頃から穂高の稜線が見られるようになり、吊り尾根、明神を眺めつつ露天風呂を堪能した(岡田さん撮影の穂高をご覧下さい。素晴らしい写真です。)
 
 その後、久さん他3人は15時の定期バス(松本高山)にて松本へ出、「あずさ」にて帰京した。中村さん、岡田さん、吉沢さん、周さんは中ノ湯に連泊した。
 皆さんご苦労様でした。

焼岳登頂を諦めた地点で
2月10日(撮影・岡田)
穂高吊尾根-中の湯玄関にて
2月10日(撮影・岡田)
前穂高岳と明神岳
2月10日(撮影・岡田)
穂高吊尾根-中の湯温泉旅館から
2月10日(撮影・岡田)
 

冬の上高地散策
小島和人(昭40年卒)、藤原朋信(昭44年卒)

 
1.2019年210日(日) 
  釜トンネル入口(845)~大正池(945)ここから二人別行動
  小島: 河童橋まで散策し、13時過ぎにトンネルに戻り。
  藤原: ~河童橋(1015)~明神(徳本峠分岐)(1100)  
      近辺でスノーシュー練習し12時に往路を戻る  釜トンネル着 (1430
2.メンバー 小島和人(昭40年卒)、藤原朋信(昭44年卒)
3.記録
 
 早朝6時半に出発する7人のシニアアルピニストを見送る。玄関にいたご婦人が皆さんどこに行くのかと聞くので、焼岳に登頂ですと答えると、尊敬のまなざしで頑張ってと応援して頂いた。
 全くレスペクトされなかった我々二人は朝風呂に入り小原庄助さん気分である。部屋に戻ると陽が出て窓からのぞくと、なんと明神、前穂、吊尾根、奥穂が一望できた、神様は焼岳に向けて寒風とラッセルにあえぐ者にも、エアコン付き部屋から遠望する者にも等しく恵を与えてくださる。これも日ごろの行いが良いせいだと納得した。今回の目的は、50年来傍を素通りするだけであった中の湯に初めて泊まることと、冬の穂高を眺めることで、後者は先ず天候面で無理だろうと思っていたのに、早くも実現し信じられない思いであった。
 8時に朝食をすませ、釜トンネル入り口に着いたのは845分である。中国からの子供連れを含む数パーティーが同時に釜トンネルに入る。腰と太腿に強い痛みを抱える小島兄を先頭に自分のペースで歩いてもらうことにしたが、予想に反しペースが早い。朝風呂で体も心も弛緩している私にはついていくのがやっとである。
 釜トンネルを抜けた上高地トンネルの前で小休止し、朝焼けの焼岳を見上げる。7人の士は慣れぬスノーシューに苦労しているのではと思いやるが、こちらは冬晴れで何の苦労もない。歩き始めて1時間弱で大正池に着いた。ここから先は小島兄より各人好きなペースで上高地を楽しむ為に別行動の提案があり、私が河童橋に先行する。道は先行者の足跡が入り乱れラッセルは不要、かつ凍結もないのでアイゼンもいらない。夏タイムとそれほど違わず河童橋に出た。冬景色の河童橋はまた別の趣であるが、新緑と雪解け水で命萌える6月が懐かしい。ここで軽く昼食を取り、スノーシューをつけた、小梨平より先は人も踏み跡も少なくなり、スノーシューが快適である。
 踏み跡がない横道をえらんで進むと明神まで良い練習になった、踏み跡はなおも徳澤方面に続くが徳本峠への分れで全くラッセルがない峠道へ入る。処女雪を500mほど蹴散らして至極満足したのと時間切れが迫ってきたので帰途についた。冬に再訪することはないと思い、帰りは明神を眺めながらゆっくり歩いた。天気はまだ持っている。それでも最後の釜トンネルで中を吹き抜ける風の冷たさにやはり冬の北アルプスの片りんを感じさせられた。
 
 バス停で松本行のバスを待っていると焼岳組の三人が現れ、互いの無事を確認できました。冬には滅多にない好天に恵まれた良い山行でした。幹事さんに感謝!感謝!です。(藤原記)
 
追記
 
 藤原さん今回の懇親山行では大変お世話になりました。太腿の痛みから、今回の山行では湯治と宴会だけと決めて参加しましたが、夜と朝の風呂の効果か痛みも和らぎ、藤原さんの後押しで釜トンだけは歩いて見ようと思い出かけました。広くゆるい傾斜で、電灯も付いた新しいトンネルに感心して歩くうちに、雪崩の怖かった釜トンの先に出て、きれいに治水工事のできた沢筋にまたまた感服、足腰の痛みなど忘れ新しい上高地トンネルを抜け、踏み固められた雪道を辿り、歩き始めて一時間で大正池でした。
 大正池で藤原さんには先に行ってい頂いた後、ゆっくり歩きを楽しみながら河童橋に10時半過ぎに着きました。信じられない気持ちでしたが、橋のたもとの建物の軒先で陽光を浴びながら小一時間ぼーっと過ごしました。
 
 帰りは大正池のほとりで、暫く、雲の上に顔を出した明神と前穂の雄姿に見とれました。13時過ぎに釜トンの下につきました。
 
 こんなに楽しめたのも藤原さんの柔らかなプッシュのお陰です。本当にありがとうございました。
 藤原さんは徳澤からの帰り道かなと思いながらタクシーで沢渡に行って村の様子など見てからバスに乗りました。
 
焼岳に行った皆さん
 上高地への往復の間、焼岳はずーっと厳しい姿を見せていました。強い風と雪と戦った皆さん。ご苦労様でした。今度の三月会でお話を聞くのが楽しみです。
 
 最後になりましたが、兵藤さん素晴らしい懇親山行を企画、行き届いた配慮をいただき有難うございました。ご苦労様でした。(小島記)

花の山されど魔物のいる山「坪山」- 故宮武幸久氏の追悼登山 -
佐藤久尚(昭和41年卒)

 
 宮武さんが昨年12月23日、中学時代の友人二人と共に坪山(1102.7m)で亡くなってから10ヶ月が経った。「去る者は日々に疎し」と言うが、宮武さんに関しては全くそんな気がしない。毎月の三月会の場などで、山岳部への支援について熱く語る宮武さんの姿が目に焼き付いている。また三月会の後の二次会(神保町の居酒屋)でも、同じ話を繰り返し、挙げ句の果てには「原さんや久さんなんかは、現役時代、自分達の好きな山にばっかり行っていて、我々1年生の面倒を全くみてくれなかった。」と、からんで来る、その酔った口調と声が、耳の奥に張り付いている。兎に角、宮武さんは学生への支援には熱心で、寝言でまでその必要性について蕩々と述べる程であった。そんな宮武さんだったから、追悼登山をなるべく早く行いたいと思って、8月の三月会で「追悼登山を1013日(土)に行いたい」と提案したところ賛同を得たので、HUHACメールで案内を出した。        
 その結果、上は御年86歳の佐薙先輩から下は大学2年生の川原の乃さんまで、幅広い層の針葉樹会員並びに山岳部員から参加の返事が寄せられた。また、ホームページで追悼山行のことを知った宮武さんの中学時代の友人の中村健さんからも参加の意向が寄せられ、参加者は総勢18名となった。(当初22名から参加の申し出があったが、4名が途中でキャンセル)
 
 当日は、一週間前から秋雨前線が日本列島の上に停滞していて天気が心配されたが、宮武さんの人徳のお陰か、曇りながら熱くもなく寒くも無い絶好の登山日和となった。全員が830分に上野原駅に集合しバスで登山口(八ツ田バス停)まで行く。バスを降りると、坪山は紅葉前の青々しい姿のままで我々を待っていた。歩き出す前に坪山の地図を配布し、コースと宮武さんの遺体が発見された場所について説明、バス停近くに設置された公衆トイレでトイレを済ませて歩き出す。(地図は1月15日にお礼方々遺体発見状況について聴取するため、小島会長ほかと上野原警察署を訪れた際に入手したものである。)
 
 坪山には西原側からのルートが三つある。このうち宮武さん一行は、西尾根ルートから登って東尾根ルートを下ったと考えられるので、我々も忠実に彼らのルートを辿ることにした。登路の西尾根ルートは、ヒカゲツツジやミツバツツジの群生のほかイワカガミやイワウチワなどが密生しており、4,5月頃には花を楽しむハイカーで賑わう、近年人気のコースである。しかし傾斜はかなり急で、ロープが張られた所もある。佐薙先輩のお年を考えて、トップの佐藤(周)さんには、ゆっくり、ゆっくり歩くよう頼んだが、それも無用の心配、全員ほぼコースタイム通りで登りきった。坪山は頂上が一坪程度の広さであるところから坪山という名前が付けられたという説もあるが、実際の頂上はそれ程狭くはない。18人が休むには十分な広さがあり、穏やかな頂上で三頭山や権現山などの眺めも良い。またこの日は見えなかったが、富士山もよく見えるという。12月末に登った宮武さん達は、ここから白銀の富士山の眺望を楽しんだに違いない。頂上到着が丁度ランチタイムであったので昼食を取った後、山讃賦を歌って遭難した3名のご冥福を祈った。なお、お線香も持参したが、山火事の心配もあるので焼香は控えた。
 
 下降路の東尾根ルートは西尾根ルートよりも更に急で、地図にも「岩場が多く危険」と注意書きがある。追悼登山で事故を起したのではシャレにもならないので、ザイルを持参した斉藤さんと佐藤(周)さんの二人に先行してもらい、必要に応じてザイルやトラロープを張るよう依頼、残り16人はその後を慎重に下ることにした。実際に下ってみると、西尾根ルートは確かに急坂や痩せた岩尾根があり、落ちたら致命傷を負いかねないような場所があったが、ただ一カ所()を除いては、ロープが張られたり樹木が適度に密生していたりして、それらにつかまって下ることができるので、私自身はそれ程危険は感じなかった。またルート工作のため先行した斉藤、佐藤両氏も頂上直下の急斜面で20mのトラロープを張ったが(そこにもロープがフィックスされていたが、既存のロープが古いので念のために張った由)、他の場所ではザイルやロープを使うまでには至らなかった。
 
(注) 地図で「急坂」と記してある所に何故かロープが固定されていなかった。そこは樹木もまばらでホールドも無いので、冬の落ち葉が積もった時などは滑落の危険があると判断、また宮武さん達が滑落したとすればこの辺りかも、と思われたので、岡田さんと私でトラロープ20mを張って残してきた。
 
 山行幹事としては、下りはコースタイムの2倍かかると見込んで、15:51発のバスに乗るものと予定していたが、皆さんあまり難儀した様子も無く順調に下って、ほぼコースタイム通りで麓の御岳神社登山口に着くことができた。このため予定していたよりも一本前のバスに乗ることができて、上野原駅前の「一福食堂」で明るいうちからの打ち上げの酒宴となった。打ち上げでは、まず小島会長のご発声により、遭難した3人のご冥福を祈って献杯、その後、友人の中村さんから、「宮武さんは中学2年生の時に転校してき来て、いきなり一番の成績を取った。」など、我々の知らない逸話が披露された。また他の参加者からも、宮武さんの楽しい思い出話しがいろいろ出され、さらには学生時代、宮武さんに面倒をみてもらい、今年の春卒業したばかりの内海君と大矢君からも、宮武さんの思い出話しと共に新社会人としての近況報告がなされ、座は大いに盛り上がった。お酒がほど良く回ったところでお開き、各自それぞれ帰路についた。
 
 こうして追悼山行は終えたが、今回坪山に登ってみても、遭難当初から抱いていた疑問、「何故あんな山で宮武さんともあろう者が遭難したのか。しかも3人で。」という疑問は消えない。グーグルのブログにも「岩登りでロープに繋がっていての滑落なら分かるが、坪山のルートでは可能性なかろう。普通の山歩きで3人が同時に滑落なんてありえない。不可解極まる。」という、遭難の新聞記事を見た読者からの投稿もある。警察も我々の質問に対して滑落とは言うもののそれ以上の事は答えてくれない。東尾根ルートを踏査し改めてあれこれ考えてみたが、やはり疑問は消えない。私には「坪山には魔物がいる。」という思いが募るばかりである。
(当日の参加者―敬称略)
佐薙、本間、小島、佐藤力、佐藤久、岡田、斉藤正、吉沢、藤本、加藤博、松田、佐藤周、内海、大矢、(以上OB
安藤、吉田、川原、(以上学生)
中村健(宮武さんの友人)
        
以上

坪山頂上にて撮影(加藤)
前列左から、佐藤(力)、本間、佐藤(久)
中列左から、斎藤(正)、川原、岡田
後列左から、松田、小島、佐薙、中村健氏、吉沢、藤本、安藤、吉田大矢、内海、佐藤(周)